縮刷版2005年10月上旬号


【10月10日】 目の日。体育の日。でも運動不足で健康に弱りも出ている模様でちょと心配。知ってる人が突然の病にて緊急入院したって話も飛び込んで来て、さほど変わらぬ年齢にあるいは自分もどこかマズい所が出ていやしないかと心配になる。勤め人なんで健康診断は時々は受けているけれど、糖尿か高血圧か肺結核かくらいしか分からないんで本当にヤバい部分に関しては、自覚症状とかから判断するより他にない。

 とりあえずは体力が衰えている程度で胸も腹も異常は感じられず。それでも突然に来るのが病だけあって、原因となりそーなものは極力取り除いていくことにしよー。喫煙はしていないんでまずはやっぱりストレスか。けどこればっかりはなあ。女子大生ブロガーに応援を頼まなくっちゃいけないくらいに弱まっているからなあ、我が職場。なおかつ話題の女子大生ブロガーに頼んでも世間でまるで評判になっていないという……。影響力ねーなー。

 体育はしないけど体育は見たい。ってことで11月5日に「国立霞ヶ丘競技場」で開催されるサッカーのナビスコカップ「ジェフユナイテッド市原・千葉vsガンバ大阪」のチケットを取りに行ったら、イー・プラスにはアクセスが集中してなかなか繋がらず。それでもかろうじて繋がった間隙に1枚、それほど高くはない席を確保して争奪戦からとりあえずリタイア。ついでにこれはプレオーダーだけど最後の「ボレロ」を演じるシルヴィ・ギエムの東京公演のチケットにも申し込んでおく。ジョルジュ・ドンの「ボレロ」をテレビで見てからもう何10年? ドンは死んでしまったけどその後を継ぐギエムだけでも見ておかないと一生を悔やんで過ごすことになるからここは、何としてでもゲットだ神にも祈るんだ。

 しばらく経ってから再びナビスコカップのチケット争奪戦に参戦して、先に確保した席よりも良い席が出て来てないかを確認しよーとしたけれど、以後は何度アクセスしてもカテゴリー選びのページに飛べやしない。他の売り出しと重なってサーバーがダウンしかかっているのかもしれないけれど、案外にジェフの試合を見たいって人が増えていたりするのかもしれ……それはないかなあ、やっぱり。「フクダ電子アリーナ」の試合も確保しよーとしたけれど、サーバーダウンが続いて行けず、だったらとこちらは近所の「ファミリーマート」で確保。22日のヴィッセル神戸戦が僕の「フクアリ」デビュー戦。行けたら良いな。僕も君も誰彼も。

 家にいると眠ってしまうんで起き出して神保町の「VELOCE」でちゃかちゃかと原稿作りを3時間ばかり。それでもまだまだ未完成で、残り数日のうちにどうにか形にしよーと誓う心の中だけで。実行できるかは気分次第だ。粘りも費えて店を出て神保町から水道橋へと徒歩で移動。途中のアメカジの店で「ニューヨーク・ハット・アンド・キャップ」ってお気に入りのブランドのニットキャップを1つ買う。ほら冬だと肌寒さがキツいんですよ我が禿頭では。ウォームビズとか流行りそーなこの冬はニットキャップを被り通したって文句も言われないだろーから、デイリーで代えられるくらいに種類を揃えておこー。

 アメカジの服とか見ていてフラッとウェスタンブーツが欲しくなる。短くって寸胴な脚には絶対に似合わないタイプの靴なんだけど、遠い高校時代とかに「POPEYE」なんかを読んで憧れを抱いていた記憶が、ひょんなことから蘇って脳を巡って仕方がない。当時ならそれなりに履きこなせただろーけど今のスタイルではペコスブーツが関の山。一方で当時は自由になるお金がなくって革製のウェスタンブーツなんて買えなかったのが、今のそれなりに働いている身ならトニー・ラマのブーツくらいだったらすぐにでも買えるのが悲しいやら笑えるやら。ともあれ浮かぶとそれがしばらく付きまとう我が物欲に、果たしてウェスタンブーツは逃れられるのかそれとも。今冬に出会う人は僕の足下に注目だ。まあほとんどの人は会わないけどね、内弁慶の引きこもり系なんで。

 帰宅途中に健康のことを思い出して赤ワインの200ミリ弱入りの小瓶を買って家で貪り飲む。赤ワインが動脈硬化に効くとかいった話はそれほど信憑性がなくって、他のアルコール分でも適量を週に3回程度だったらたいてい心筋梗塞なんかの予防に役立つってことらしーんだけど、ポリフェノールにはほかに体脂肪なんかの蓄積防止にも効果があるっぽいんで、かなりどころかとてつもなくヤバい我が体型の改善を図る上で、赤ワインにはそれなりに期待するものがある。もっとも食べるものが卵だとか肉だとかいったものばかりで、野菜がほとんどない状況ではいかなポリフェノール様でも威力を発揮できないんだろーけれど。野菜野菜野菜肉野菜野菜野菜な食生活に移行するには冷蔵庫の修理が必要かなあ。それ以前い台所を使える状況にまで持っていかないといけないんだけど。本山積みでコンロが見えません。


【10月9日】 つか思いこみだろうウィル。たどり着いたとたんに景色に捉えられてぶっ倒れて以来、ずっとコンバクドライブを見つめたまんまのマーサ・スチュワート(スチュワート違う!)を甲斐甲斐しく世話している自分は、彼女の1番の理解者だって面をして、迷い込んで来たレントンにもそんな2人の仲むつまじさをアピールしていたけれど、ウィルがひたすら料理の旨さを語りスプーンでスープを口元に運んでも、マーサは飲み込まず多くは垂れて流れるだけ。にも関わらずそれで心が通じ合っているんだと語るウィルが何とも胡散臭くて仕方がない。

 マーサが沈黙す以前の2人が、果たしてどれだけ仲むつまじかったのかが描かれていないのが問題なんだろうけれど、ぱぱっと描かれた2人の過去話を見るにつけ、そこに相互の認知はあっても深い認識までがあったとは思えない。絶望しかかったマーサをとりあえず引っ張って、故郷へと連れてきたのは良いもののそこもやっぱり絶望の淵で、もう終わりだとマーサは絶望してしまったんだけど、そんな彼女の絶望を心底理解できないままウィルが、独りよがりの空回りを演じているよーにしか見えなかった。

 もちろん作り手としてはそんな2人に通う理解があって、だからこそその2人を見せることでレントンにエウレカへの思慕の情を再認識させよーとしたんだろー。その意図を汲めない僕は相当に心が汚れているってことなのか。あるいはやっぱり作り手に独りよがりのみっともなさを仄めかそうとする意図があって、故に声に古川登志夫の「御先祖様万々歳」冒頭に近い家族の偽善的な団欒を賞揚してみせる口調を当てたんだろうか。ともあれまだまだ深読みに誤読の築けそうな物語。いよいよ近づくホランドと狸親父&狐美人との戦いにまずは注目。タルホちゃんと出せ。

 そのまま録画してあったアニメーション版の「銀盤カレイドスコープ」をチェック。何だこの短いオープニングは。驚きつつも本編はスケートのシーンにアクロバット飛行が重なるシーンで飛行機の動きのまずまず具合に、とりあえずは絵は安心して見ていられるのかと思ったら、ところどころに微妙な顔の絵なんかも混じっていて悩ましい。とくにピートが顕現した場面の顔がちょっぴり不思議だった。予告を見ると次週は普通に美少年顔になっているよーだから、作る上でいろいろあったんだろうと想像するにとどめよう。

 他に絵はまずくはないし、ギャグのテンポもそれなりにあって存分に見ていられるレベル。ヨーコの声が斎藤千和さんでベッキーで最近でまくっていて感心。妹キャラなんだなあやっぱり。しかしやっぱり問題は放映時間で、たとえば土曜日の午前中とかに放映してたらそれなりに見て楽しめる小中学生とかっていそーだけど、真夜中ってゆーか早朝にこれを放映されてもそんな人は見らない。ライトノベルが原作ってことで読者は中高生から上の世代ってことで、深夜アニメを録画して見られない層ではないかもしれないけれどそんな層に向けた”キャラクターグッズ”的な作品とするにはちょっぴりクオリティが下がる。

 作品として楽しんでもらい原作とかコミックとかに手を伸ばしてもらって、物語を中心にしたファン層を広げていってもらいたいんだけど、真夜中ではそれが難しいんだよなあ。CSのAT−Xで良い時間帯に放映されるのが救いで願うならCSからでもケーブル経由でも良いから若い子供たちに見てもらって、楽しんでもらいつつ原作へも興味を持ってもらえれば嬉しいんだけど。あとは1月からの地方での再放送がそれなりな時間帯に入るとか。それなら2月のトリノ五輪に間に合うし。原作もそんなタイミングで続きが出ると嬉しいけど、できれば今度は視点はタズサの1人視点で、おねがい。あるいはもっと、おねがい。玩具のバージョンアップなしにキャラのパワーアップを成し遂げたアニメは初めてだぞ「おねがいマイメロディ」。

 すげえなあ千葉ロッテマリーンズ。ってかその応援団。放映されたパシフィック・リーグのプレーオフ第1ラウンド「千葉ロッテマリーンズvs西武ライオンズ」の試合が中継されて、映し出された千葉マリンスタジアムは外野のライトスタンドに陣取った応援団で白一色に染め抜かれて壮観。くわえてラッパとか太鼓とかメガホンといった、耳に触る物はほとんど使わず拍手と声をメインに応援しているその様が、スタンドの中に一体感を作り出してて見るからに”ホーム”って雰囲気を感じさせる。こんな中でプレーできれば選手たちも力を発揮できるだろーし、事実発揮して西武を2タテで第2ラウンドのソフトバンク・ホークスとの試合に進出した。

 2000年頃から千葉マリンスタジアムでのロッテ応援団の応援ぶりには感嘆していたけれど、肝心のチームが弱くてライトスタンド以外は空席の目立つ状態が続いて、昨年なんかは売却されるかもって心配も巻き起こったけれど、プレーオフに残るかどうかって戦いを見せてくれた球団は、今年に入ってなおいっそうの強化を成し遂げシーズンを2位で通過。加えて球団側の観客を集めようとする努力もあって、熱烈な応援団のほかに一般の観客も集まり強いチーム状況と相まって、だんだんと球場内に”ホーム”の空気が生まれて来た。これで日本シリーズとなったら一体、どんな熱狂が千葉マリンスタジアムを包むんだろう? 楽しみ。

 願うのはこの状況が一過性のものではなく、それこそアンフィールドを真っ赤に埋め尽くすリヴァプールのサポーター、あるいはハイバリーのラストシーズンを精いっぱいに応援するガンナーズのサポーターのよーに、シーズンを通してスタジアムを埋める観客が集まり続けてくれることで、それにはチームの優勝とは言わないまでもそれなりな戦いぶりを常に見せてくれる活躍と、観客にアピールしたいってゆー球団側の施策が必要。今の広報体制ならそれが出来ると信じたいけど、1球団の想いが通用するプロ野球界じゃないからなあ。負けるな旧体制の圧迫に。あと応援団の側での妙な主導権争いめいた騒動なんかが起きないことも願い。真っ白なスタジアムで黒を着るのが新のサポーターだなんて言い出して、一角を選挙し独自のコールを始めたりする集団とか出ないとイイナ。

 来年の2月でちょうど10年くらいあれこれ日記とかやって来てたけど、カリスマだのマーサ・スチュワートだのと呼ばれたことの終ぞない身には、昨今のブログブームの中で人気を獲得してカリスマブロガーと呼ばれ褒めそやされ、続々とメディアデビューしていく方々がただただ羨ましい。わけても見目麗しかったり頭脳も明晰だったりするカリスマブロガーな方々が、揃い踏みして新聞なんぞに登場してこられた日には放たれる輝きも倍加され、中年おっさんの10年程度の日記なんぞはかすれはじき飛ばされてしまう。けどまあ元より誰かのためってよりは、怠惰な日常で抜け落ちる記憶をつなぎ止める備忘録的な意味合いからつづっている日々。なのでご近所で始まる女子大生ブロガーの方々がご活躍は頑張ってねと讃えつつも、こちらは静かに隠れてひっそりとまずは10年、そして次の10年を目指して更新を続ける所存。よろしく哀愁。


【10月8日】 体調悪しく、妙な匂いの汗が流れ出す夜を何とかやり過ごし、目覚めた朝はあんまり爽快ではなかったけれど、明日は雨だって話もあるんで今日のうちに見ておこーと電車で蘇我まで行って、16日にこけら落としを迎えるジェフユナイテッド市原・千葉の新しいホームスタジアム「フクダ電子アリーナ」、通称「フクアリ」の見学会に参加する。蘇我駅の正面から続く通りを海に向かって歩いた先に広がる、JFEの工場跡地に忽然と姿と現した真新しいサッカー場は、周りを解体中の廃工場なんかに囲まれてなかなかな風情。日本人の進歩にかつて大いに貢献した、重厚長大な産業がひとつの節目を迎える中で、文化やスポーツといったこれからの日本人に必要なものが、立ち上がっていく様がそこに描かれていて興味深い。

 駅からはだいたい5分から10分といった距離で、「味の素スタジアム」に似た感じと言えば言えそー。メインスタンド側に取り付けられたスロープを上り入ったスタジアムは、なるほどピッチの近さで言えば「埼玉スタジアム2002」とさほど遜色がなくメインスタンド中央でもすぐそこを選手が走り回っているよーな感覚で、試合を見ることができる。構造的には前に行った「仙台スタジアム」に近いか。コーナー付近はさらに近くて、阿部勇樹選手が蹴るその背中に小さく書かれた「WIN BY ALL!」の文字まで読めてしまいそー。高さもほどほどにあって「西が丘サッカー場」みたく平場が続いて反対側で何が起こっているかが今ひとつわかりにくいってこともない。

近い見やすいおまけに綺麗。日本最高のスタジアムでチームは日本最高になれるのか? なれないだろうなあ代表現役ゼロだし。何故だ?  見やすさでいったら2階席なんが最高。コロシアムを見下ろすよーな感じでピッチ全体を俯瞰できて、なおかつ選手の背番号くらいなら肉眼で確認できるくらいの距離で臨場感たっぷりに試合を楽しめる。メインスタンド側の2階部分に記者席も同様で見下ろし全体を俯瞰可能。膝の部分には電源を取るコンセントがありLANのポートもあってリアルタイムに原稿だって書けるし送れる便利なスタジアムになっている。このホスピタリティでもって大勢の記者を「フクアリ」に集めてジェフの様子をばんばんと報道してもらいたいもの。席の数がそれほどないのは観客動員でも代表監督の来臨でも今ひとつだったジェフ千葉に合わせてのことなんだろーけど、今年は優勝争いに絡みそうなこともあるんで収まりきらない記者が詰めかけ席の奪い合いが起こるかも。

 見学会の良かったところは、ロッカールームをのぞいたりピッチにおりてベンチに座れたりしたことで、決して広くはなかったけれど小ぎれいだったロッカーは、椅子が黄色に塗られてジェフのホームならではの雰囲気になっていた。監督室はのぞけなかったから椅子がオシム監督向けに巨大になっていたかは不明。ベンチはいつもピッチに向かって左端に座るオシム監督用にベンチがちょっとだけ大きくなっていた、ってことはなくって他の選手と同じサイズ。試合の成り行きで立ったり座ったりしているうちに、その巨体に押されてひとつだけ先にヘタってしまうかも。来年も座ってくれると嬉しいんだけど。どーなんだろー。

これがあったらフォエ選手は助かったのか? 不明だけど何とはなしにはしゃいでも安心な設備が嬉しいフクアリ  そして「フクアリ」ならではの設備「AED(自動体外式除細動器)」も各所に設置済み。心室細動が起こった時に当てて作動させると、心臓の動きを正常に戻して心停止から人の命を救う機会で、ネーミングライツを取得したフクダ電子が国内でトップのシェアを持っている。「愛・地球博」の会場なんかにも置いてあって、会期中に何人かの命を救ったそーだけど、それが実に100メートル置きに設置してあって、何かが起こった時にちょっと走ればそこに「AED」のボックスがあって、数分以内に初期の治療を施すことができる。ゴール裏にもちゃんとおいてあるから、心臓に不安を覚えながらもゴール裏で応援しているサポーターも安心して試合の成り行きを見守れる。ちなみに天空の来賓席にも1台ちゃんと設置してあるんで、お年寄りの来賓の方も安心に試合を見られます。ジーコ監督は不要だろーけどね。神経ず太そーだし。

 ぐらぐらと電車を乗り継いで、「幕張メッセ」で最終日を迎えた「CEATEC」って家電の展示会を見物。駅前には「千葉マリンスタジアム」で開幕を迎える、パシフィックリーグのプレーオフに向かう千葉ロッテマリーンズのファンも群れていて大にぎわい。既にしてチケットは完売だそーで、優勝争いに名を連ねるチームに与えられる、プレーオフって試合の収益ってご褒美の恩恵を、マリーンズが存分に被っていることが伺える。「フクアリ」がこけら落としを完売で迎えたのも、ジェフ千葉が悠書宇争いに加わっているからで、スポーツチームは何より良い試合を見せて優勝争いに絡むことが、大切なんだってことをどちらの事例も伺わせる。優勝から遠ざかった場所に自らを追い込んで置いて、贅沢ばかり言う東京の球団とは違うのだよ。

 ってかどの口が言うんだ渡辺恒雄巨人軍会長。村上ファンドによる阪神電鉄株買収に絡んで「プロ野球は社会的な国民の公共財産。ハゲタカが乗っ取って売買する、そういう対象になるのは第3条違反」なんて言って球団株式の上場に反対をしているんだけど、だったらまずは「社会的な国民の公共財産」にプロ野球がなるよーな施策を打ち出して下さいよ。ドラフト制度にしてもフリーエージェント制度にしても、1球団が有利になるよーに取りはからって結果選手を山と集め、野球を面白くなくしたのは誰なのか。画期的な経営をしてくれそーな新球団の参加を、まるで認めよーとしなかったのは誰なのか。ハゲタカに乗っ取られる以前に化け狸やら化けダニやらに支配された、会社的な企業の私有財産をなっているプロ野球をまずは解放するのが先だろう? 村上ファンドは嫌いだけどもっと嫌いな輩を追い出す下剤としての役割を、村上ファンドが果たせば未来に希望も持てるんだけどなー。

 えっとどこだったっけ、モルドバ? マイアヒ? 違うラトビアだエストニアリアニアとバルト三国を形成するラトビア共和国を相手に2点をリードして楽勝かと思われた後半に2失点してドローに。ワールドカップに出場しない国にワールドカップ出場を決めた国が欧州でプレーする主力を入れてなお勝ちきれないって所が何とも日本らしー。とりあえず所属チームのウェストブロミッチでベンチにすら入れない稲本潤一選手は代表から外してボランチは中田浩司選手と中田英寿選手のダブル中田にしようぜウクライナ戦は。あと大切なナビスコ杯でスタメンから外されたアレックス選手も無理に使わず村井慎二選手の方を選ぼうぜウクライナ戦は。でないとシェフチェンコ1人にちんちんにされるぜ。っても聞かないんだろーなージーコ様は。神経太いんで。あるいは存在しないんで。


【10月7日】 「RD−X5」のW録パワーを発揮して録画に見事成功していた「舞−乙HiME」を見たらやっぱり面白かった。ってか何か「舞−HiME」のパロディでも見ているよーで見知ったキャラクターが違う扮装で現れ活躍する姿を見るにつけ、DVDの購入が途中で止まっていた「舞−HiME」を買おうかって思えて来るから不思議とゆーか、敵の戦略にハマってしまっているってゆーか。静流さんがシズルとなってもやっぱりどすえな京都弁で現れ、着物ならぬ戦闘スーツで空を飛び戦う姿にはシビれました燃えました。悔しいけれども完敗です。

 絵はとてつもなく動くし人物は立体的に描かれているしとクオリティの高さは相変わらず。物語的にはアン・ブゥトンがプティ・スールな話へと流れ込んで行きそうだけどそれを脇に戦闘シーンは迫力もあって楽しそう。アリカ出生の秘密とかへと迫る本筋を保ちつつも周辺でのラブコメで耽美な展開が目にも淫靡なオトメの世界を見せてくれそー。録画決定。とりあえずはナツキとシズルの関係がどんな展開を見せるかに注目か。あとマシロのサラシの下がどーなっているかにも。

 んでチューナー1を回して先に録っていた「BLACK CAT」は少年ジャンプ的な絵柄が真夜中にあんまり似つかわしくはないけれど、「ガン×ソード」なんかのどこかまとまらないガン&ソードのアクションにぐだらぐだらな気持ちにさせられた身を、楽しげな中にもテンポのよいアクションと会話によって引き締めてくれる作品として役立ちそー。絵もしっかりしているし動きもなかなか。とりわけエンディングがサムシング吉松さんの手にかかってとんでもないものになっている点に注目。よくやらせたなあ。んで木曜深夜の最後を飾る「SoltyRei」は……ゴーグルをかけた少女がとっても可愛いですね。それだけ? 他に何か?

 青空よ心を伝えてよとその昔、偉大なるシンガーが浪々と歌い上げた記憶も今は昔の2005年に改めて想わされた空の青さ。桜庭一樹さんの新刊「ブルースカイ」(早川書房、680円)は中世を舞台にまずは起こった魔女狩り騒動で、老婆とともにひっそりと暮らしていた少女に命の危険が持ち上がったその時、どこからともなく現れた黒髪の少女に導かれるかのように村を抜け出し少女は新大陸へと向かって偉大な母となる。

 続いてシンガポールの未来に生きる青年が、仮想空間でこれまたどこからともなく現れた黒髪の少女に触れあい過去への憧憬に浸る。そして物語は現代へと移り鹿児島へと移りすべての始まりを描き出し、すべての終わりを描き上げる。突き抜けるような青い空の爽快さとは対照的に、時間に囚われ運命から逃れ得ない少女の様を描く残酷で悲しい物語。一読すればそんな想いがまず浮かぶ。

 たとえば生きて流離った証なりが現在へ、そして未来へと残され受け継がれていけば時の牢獄から抜け出せなかった少女の生き様にも、一筋の光明が見いだせるし、翻って時の運命に身を委ねる人々にも、今を生き明日へとバトンを渡す意味が感じられる。「ブルースカイ」のストーリーには、一読ではそんなあからさまな時への挑戦はなく、人はただ神の定めた運命に、身を委ねるしかないのかといった諦念を与えて沈ませる。

 それでも人が人と出会い育んだ想いは残るし、出会いが産んだ新たな道はとぎれず未来へと人間を導く。中世の魔女狩りから逃れ新大陸へと移住した少女が現在へと残したものはおそらくとてつもなく大きい。未来のシンガポールで青年が未来へと伝える物もきっと大きいだろう。そんな様々な可能性の種を蒔いたのだとしたら、時の牢獄に捉えられ連れ戻された黒髪の少女に課された残酷な運命にも、某かの意味があったのだろう。裏返せば意味のない人生など存在しないのだということ。「ブルースカイ」はそんな大切なことに改めて気づかせてくれる。

 小松左京さんの「果てしなき流れの果てに」のような時空間を超えるスケール感とはやや遠いし、地球からさらに宇宙までをも手中に収め差配する超越者に翻弄され、けれどもそんな超越者すら乗り越えてやろうという野望の強さに心導かれた光瀬龍さん「百億の昼と千億の夜」に比べてあっさりし過ぎといった感は否めない。それでもより本質的なこととして、すべてが運命として定められていたのだとしても、今を生き明日を迎える積み重ねがその時々において未来を拓く可能性を産んでいるのだということに、改めて感づかせてくれたことは大きい。

 少女が1人でこれだけのことをしたのなら、他の4人はそれぞれにどれほどの大きなことをして来たのか。そしてこれから何をするのか。1人ひとりを紐解いていくことで世界にまき散らされた可能性が身を結び、そして今の世界が作られ未来の世界が作られ地球が、宇宙が作られていく、といったスケール感の大きなSFへと発展していくかもしれないけれど、そこまでの期待を抱かずとも1冊でとりあえずは十分に、感銘を与えてくれる物語だからご安心を。青一色の装丁はやっぱり目立つなあ。


【10月6日】 リアルタイムになんて見られなかったんで目覚めてまずは「ARIA The ANIMATION」から。天野こづえさんの原作の最初の「AQUA」が刊行された時からのファンなんだけど、それだけにあのネオヴェネツィアを取り巻く海の清浄感とか射す日の透明さ、そして街のシックな感じがどこまで表現できるのかって心配だったけど、頑張った美術の人たちのお陰で実に見事にカラーも含めて、天野さんの「ARIA」の世界が再現されていて嬉しかった。

 それとやっぱりキャラクター。崩れると目も当てられなくなる灯里に藍華にアリシアに、ゲストの女の子にそしてアリア社長がスタイルも雰囲気も原作のままに命を持って動いてて、これなら原作ファンも見て、ってゆーか原作ファンだからこそ絶対に好きになる作品だって気がした。頭身が変わった絵の多くなる今後の展開で果たしてどんな絵を描くのかにちょっと注目。漫画は最近デフォルメ多様でテンポによっと乱れが出ている気がするからなあ。アリスの三白眼はそれで面白いけど多様されるとただの手抜きに見えてしまうし。

 アニメ版で難しいのはのっけからそこか火星でなのに海があってヴェネツィアみたいな雰囲気で、ゴンドラが動いているけど車はダメってことになってて灯里は半人前で藍華って大手の姫屋に所属するやっぱり半人前の友達がいて社長は火星ネコがなることに決まっている、って設定がまるですっ飛ばされている点。いきなり見た人はこれはどこでこの人たちは誰で社長は何でネコ(ネコとすら認識されないかも)なのかってことを戸惑い訝るうちに、興味を殺がれてしまわないかって心配になる。

 まあそこは状況を理解することに長けた日本のアニメファン。何とはなしに理解しつつゆったりとした雰囲気を堪能しつつ、これはどんな物語だろうと原作に手を伸ばしていってくれると期待しよー。まずは「AQUA」から読むこと。同じ会社から出し直されてるんでアニメ化も灯里が火星にやって来るところから始めれば良かったのになあ。

 それから「灼眼のシャナ」。予告なんかの動きの凄さからあるいはと期待しつつも所詮は予告だから本編はって懸念もあって迷っていたけど放映された第1話を見て納得。凄かった。音楽も重厚なら絵も完璧。いとうのいぢさんの原作のイラストをそんまんまな雰囲気でアニメにしている上にむちゃくちゃ動くし動かし方も迫力たっぷり。シャナが太刀をふるって燐子どもを叩き切っていく場面なんかは燐子の不気味さなんかとも相まって恐怖心すら覚えさせる出来になっていた。

 これほどの迫力に加えてこの後にはマージョリー・ドー(声は生天目仁美さん、極上だよ!)の見目麗しさとかメロンパンを囓るシャナの可愛さとかも描かれていく訳で、毎回どれだけの絵が動きが見られるのかが今からとてつもなく楽しみ。壮大な物語のどこまでがアニメで語られ既に死んでいる抜け殻にしか過ぎない坂井悠二という存在の虚しさと、それでも繋がっていこうと足掻く執着のエネルギーが、最高のスタッフを得たアニメの中でどこまで表現されていくのかを見守ろう。アラストールはそうか江原正士さんか。「レッドドワーフ」のリマーとはタイプ違う声だね。リマーみたいだったらアラストールももうちょっとひょうきんに見えるのに。

 オタクとは? って問題を語り出すとそれこそ平仮名か片仮名かって部分も含めて進学論争めいたものが起こるんだけど、そこは天下のリサーチ会社、野村総合研究所だけあって明快に定義を出している。曰く「強くこだわりを持っている分野に趣味や余暇として使える金銭または時間のほとんどすべてを費やし(消費特性)、かつ、特有の心理特性を有する生活者」。言い得て妙と言えば妙だしおおざっぱ過ぎると言えば言えるけど、今回まとめられた「オタク市場は411億円」って内容の「国内主要12分野のマニア消費者層の2004年市場規模推計」自体、が鉄オタからエンスーからゴスロリからオーディオマニアまでを含んだ一種の”マニア市場”ってことだから、いわゆるアニメオタクにゲームマニアに漫画ファンといった面々に見られる特殊な性行を、踏まえた定義にする必要はなかったんだろー。

 興味深いのはオタク層の持つ消費面でのリーダビリティで、先物買いで改造好きで収集壁があって文句も多いオタク層を取り上げて、「オタク層によって利用・改善・情報発信された商品が成長期に進み、その後、市場が拡大するかどうかは、オタク層に評価されるかどうかがポイント」って指摘している所はなかなか状況を見ているなって印象。見透かされているとも言えるけど、だからといって止められないのがオタクの性で東洋経済新報社から刊行されるリポートを読んでオタクを利用してやろうって企業が現れNRIの戦略に則って商品を出して来ても、やっぱり飛びついてしまうんだろう。

 ただし昨今のオタク層のとりわけアニメやらゲームやらを対象にしている若い人たちは、なるほど先物買いはするけれど、独自の価値観でもってマイナーを極めるよりは横並び的に流行っている物に向かって回る傾向も一部にあったりして、一般層よりも消費のサイクルが早くなってて改造やら改良といったものも加えないんで、一般層へと普遍化させる上であんまり参考にはならないかも。漫画は幅が広いから一部のファンの人気がいずれ普遍化する可能性があるんで注意は必要かも。カメラやパソコンや自動車といった具体的なプロダクツのある分野はまだまだマニアの卓見が活きる分野かな。

 「共感欲求」とか「顕示欲求」とかいった6つの欲求から分析して出したオタクの5つのタイプではタイプ5の「同人女子系オタク」って奴が何とも微妙。「女性比率が圧倒的に高く、20〜30代が中心(いわゆる「アキバ系」「萌え系」オタクの男性も含まれる)」ってあるけど「アキバ系」「萌え系」オタクの男性を含んで果たして女性が圧倒的な比率になるのか。「『創作欲求』が特に強く、同人誌などの創作活動への参加率が高い。支出金額が最も高く、趣味の期間が長いのも特徴」ってのはつまりいわゆるアニメは漫画のオタクたちで、それを「同人女子系」と括ってレッテルを貼る所が今ひとつ分からない。あるいは記号的な物に振り回されている若い男性オタクはタイプ3の「情報高感度マルチオタク」に含まれてしまうのかなあ。「収集欲求」も高いし。

 「コミックやアニメに登場するキャラクターへの固執が強く、友達に隠れて趣味を大人になってもひそかに続けている同人誌フリークの女性」って何でそこで「女性」にこだわるのか。あるいは本当は「腐女子」って言葉を使いたいがためにカテゴライズしたんだけど、校正の段階で上から「腐女子とは何だ?」と異論が差し挟まれて泣く泣く「同人女子系オタク」って言葉にされてしまったのかも。オタクがこうして平気に超大手シンクタンクのリポートを飾るよーになってことは僥倖だけど、そこから先はまだまだ道が長いなあ。「萌え」はよーやく市民権を得たくらい。「ツンデレ」「メンヘル」あたりはやっぱりまだ先か。

 買っちゃうよナビスコ、ジェフユナイテッド市原・千葉が優勝してくれるなら。サッカーのナビスコカップはジェフ千葉が浦和レッドダイヤモンズをホーム&アウェーで総合勝利して決勝へ。98年以来の舞台にのぞんで初の優勝にして初のタイトルに挑むことに。相手もやっぱり初のタイトルへと挑むガンバ大阪でかたやイビチャ・オシム監督、こなた西野朗監督と采配にかけてはJリーグでも屈指の2人が国立の地で相まみえることになる。確かオールスターも同じ2人が東西両軍を率いて戦う訳で手駒こそ違え采配ぶりを見る絶好の機会になりそー。ただのお祭りにこれで楽しみが増えた。

 そこでいったいどんな用兵をして来るのかって辺りを見つつ、当日の采配を見るとたとえばオシムは相手に会わせて緻密にシステムをいじりメンバーを変え戦術に至っては進行具合によって変える頭脳を示し、西野監督はスターともてはやされても戦術にそぐわなければベンチに置いて出さない冷静さを、見せてオシムを逆にカッカとさせて来るのかもしれない。ともあれ大阪のチームにJリーグでも屈指の観客不動員チームの戦いにどれだけの観客が集まるのか。今年のリーグを戦いぶりの面白さで引っ張ったオシムのジェフに首位を走る西野のガンバの戦いが満員にならなきゃサッカー人気なんて嘘だよな。行こう必ず国立へ。黄色い服着て。オシムの胴上げを見に。オシムの胴は果たして上がるのか。重いぞお。


【10月5日】 最終回の「ぺとぺとさん」は途中の美少女コンテスト的ドタバタも収束してぺと子とシンゴの関係を、今再び深めるエピソードがてんこ盛り。化けダニに噛まれまくって古くて痛い記憶を呼び覚まされるぺと子の姿は普段のひょうひょうとしてどんな皮肉にも笑って答えるぺと子とは違って、痛みに苦しみ悲しみに怯て見るからに悲惨。そんな気持ちを心の奥に仕舞い笑顔で振る舞っていた強さにもしかしたら、幼いながらも修羅場をくぐってきたちょちょ丸は感じるものがあってスカウトしたのかもしれないなあ。

 夏の終わりの過ぎ去ってしまう楽しかった時間の空気が描き出されている上に、始まった新学期に仲間達が集まり騒ぐ学校の楽しさって奴も描かれていたのが見て良かった部分。そんなに楽しい学生時代の思い出はないけれど、行けば誰かがいてわいわいと無駄話に興じられる学校って奴の記憶を何十年ぶりかに呼び起こされた。そんな空気感が描けていた所も凄かったところ。このエンディングを見てもう絶対にDVDは買わなくっちゃと決意する。1巻目は1話だけで安いしおまけDVDにはノンクレジットのエンディングが入っててくぐるの格好良いポーズの絵がちゃんと見られるし。

 HDDレコーダーを買って録画して見て良しってなる作品もあるけれど、そんな中でも良い作品を見せてもらったらそのお返しとして買いたくなるのが最近の気持ち。「ファンタジックチルドレン」はだからDVDを全巻揃えた訳で「ぺとぺとさん」もそんな作品の1つとしてDVDを持って機会があるごとに見返して行こー。だったら「かみちゅ!」は、と聴かれるとちょっと曖昧、全話を放映しなかったりするスタンスが、例えテレビ局の都合がそこにあったとしてもどうにもDVDを買わせたい意図が見えてしまってちょっぴり身が退けてしまう。けどでもやっぱり買うかなあ、作品として最高だったし。「クラスターエッジ」は……とりあえずは見よう。今時に今さらなオープニングは何とかならなかったんだろーか。音楽も映像も素晴らしかった「LASTEXILE」の格好良さから後退してどうするんだ。

 もう古新聞だけど「エル・ゴラッソ」の2005年10月4日号に掲載されていた海外リーグの記事でマンチェスター・ユナイテッドとフルアムの試合が紹介されてて今季にPSVから移籍したパク・チソン選手が3点のすべてに絡む大活躍で8・0の好評価を獲得。クリスチアーノ・ロナウドの調子がどんな感じかは分からないけどサブで入っている以上はそれなりの動きは出来る訳で、にも関わらずそれを上回る活躍でもってレギュラーの座を確固としたものにしているんだとしたらパク選手はアジアで最も成功したサッカー選手って称号を、ローマで優勝した中田英寿選手から奪いかけているって言えそー。

 にも関わらず日本ではイングランドのプレミアよりも何段も各落ちなスコットランドのリーグで最強に近いチームに入っては弱いチームを蹂躙している中村俊輔選手の活躍ばかりが目立って伝えられる。日本の新聞なんだから日本人選手の活躍が紹介されて当然と言えば言えるけど、一方にプレミアのトップチームでニューヨーク・ヤンキースにいる松井秀喜選手並みに中軸として活躍しているパク選手がいることを考えると、なんだか気恥ずかしい気がして仕方がない。これだったらまだブンデスリーガで出場を果たしている高原直泰選手、フランスのリーグ・アンで大活躍しているル・マンの松井大輔選手の方が過知的には上、だよなあ。

 「エル・ゴラッソ」はその辺の軽重を理解しているよーで中村選手の記事はスミでそれなりなスペース。日本のスポーツ紙にもそんな慎みを求めたいけど事大主義でフレームアップしか出来ないメディアにはバランスの取れた報道は無理みたい。かくしてどんな弱い相手であっても中村俊輔選手のプレーばかりが報道されて、マンチェスター・ユナイテッドにいるパク・チソン選手の本当の意味での活躍を覆い隠してしまうんだ。でもって来年のドイツで試合にのぞんだ代表チームで、パク選手がマンチェスター・ユナイテッド張りの活躍を見せチームを引っ張る一方で、スコットランドのチーム相手に通じたプレーがまるで出せない中村選手、試合にまるで出られない稲本潤一選手といった面々が揃った我が日本代表が、当たったチームのすべてに蹂躙されるという悲劇を目にすることに。チケット取れずに済んでかえって幸せだったかなあ。

 ポケットに入ったぬいぐるみサイズの美少女を投げると人間大になってそれぞれがスクール水着を着ていたりメイドだったりお姫様だったりして様々な能力を駆使してマスターのために戦ってくれるってゆー、設定だけを聞けばまたしてもありがちの美少女ハーレム小説かって思われて当然な竹井10月さんの「ポケロリ」(角川スニーカー文庫)だけど、読めばなるほど最初はそんな設定の上にありがちなギャグまで乗っかってしおしおな気分にさせられつつ、我慢して呼んでいたらこれが案外に面白い。ただの軽薄な野郎に見えた主人公の内奥に溜まったわだかまりが、悲劇的な再会を期に流れ出していく様がなかなかにシリアスで読んでその懊悩に引きずり込まれる。

 実に絶妙で微妙なバランスの上で成り立っている不思議な味わい。これがギャグとキャラに走るとありがちなコメディへと落ちてしまう可能性もあって、それでもそれで面白がれないことはないけれど過去に累々ある作品と同列に語られるだけで終わりそー。芯の部分に残る主人公の懊悩をしっかりと引っ張りながらもお笑い部分をちりばめていくことで、楽しみながらも我に返って生きる意味、仲間への想いの大切さを感じることが出来るだろー。なので仮に続きがあるなら作者の人にはしっかりと、自制し調整しながら物語を紡いでいってほしいもの。裸オーバーオールのイラストがないのはちょっぴり許せないなあ。


【10月4日】 コットコットコットコット、コットンクラブで。違うそれはコットン気分。何でも日本にコッポラが映画に撮ったゴージャスなナイトクラブの「コットンクラブ」が出来るってんで記者発表に。「ブルーノート東京」なんかをやってる人が思い立ったか思い立たされたかして作ることになったそーで、今は昔ほどゴージャスではなくセレブも来ずデューク・エリントン楽団も演奏していない「コットンクラブ」からライセンスを受けゴージャスでセレブも集う大人の社交場としての「コットンクラブ」を05年の東京に蘇らせるって内容だった。

 場所は丸の内に出来る「東京ビル」だから前の東京生命のあったビルか何かかな。「東京国際フォーラム」の隣りで明治安田生命保険の新しいビルとか丸ビルとかが側にあって働く人も大勢いればブティックへと買い物に来る富裕層もたくさんいたりする地域。そこにかつての「コットンクラブ」のよーなお店を作って、本格的なジャズにブルースにAORにR&Bにラテンにほかいろいろな音楽を聴かせ美味しい食事を食べさせ、交流を楽しんでもらえるようにすれば青山とか渋谷とかで仕方なく遊んでいるけどでもちょっと若い者には突いていけない親父世代が集まり賑わうんじゃないかって寸法。狙いはまあ悪くはない。

 ブッキングに当たっても日本で知られているとか人気があるとかじゃなくって今聴いてもらいたい音楽、耳の肥えた人でも納得できる本格的なエンターテインメントって奴を持って来たいって言っていたからそっち方面の人にとっては期待も小さくはなさそー。今だって十分に良質のジャズを聴かせる店はあるけれど、ライブハウスじゃキャパが小さくかといってコンサートホールでは大きすぎて呼べなかった米国のミュージシャンなんかが、「コットンクラブ」のネームバリューとそこが出すギャランティーに惹かれ来日してくれるかも。

 そっち方面に詳しくないんで誰が来るのが嬉しいのか、誰が来たなら行くべきなのかが分からないけど11月22日のオープン時には「コットンクラブ」の黄金期を支えたキャブ・キャロウェイの名を引き継ぐ「コットン・クラブ・スターリング・キャブ・キャロウェイ」ってバンドがニコル・ヘンリーって女性シンガーを伴い来日してくれるとか。まるで分からないけどキャブ・キャロウェイの三世らしき人のいる、由緒正しきバンドってことできっとそれなりの楽曲を聴かせてくれるだろー。ちなみに「コットンクラブ」にはカウンター席もあるんで1人でだって安心。でもさすがにゴージャスな場所、ボックス席もある大人の社交場に1人で音楽だけ聴きに行くってのもなあ。メイド喫茶に1人でいくより勇気がいるかもなあ。メイド喫茶行ったことないから知らないけど。

 ネットで何だか大流行している「エンタ検定」って奴をやってみる。ダメだ全然。成績は81点で全国平均の60点を上回ってはいるものの、順位は当時で4345人中の192位とベスト50位よりはるか下。本関係の質問はさすがにそれなりだったものの音楽関連にからっきしで、「神」と呼ばれるレベルに到達するためには「オレンジ・レンジ」も「D−51」も聞き込み「ケツメイシ」もアルバムの発売順を覚え「さくら」が誰の歌なのかを確認する必要が大いにありそー。

 そりゃ普通の人に比べりゃ点数は高いけど、こちとら一応はエンターテインメント業界を仕事の対象にしていたりする身で90点以上はなくっちゃちょっと仕事にならない。昨日から今日にかけては「コットンクラブ」の記事を書き機能はアニメーションで登場の「パラダイス キス」の記事を書き「ライセンシングアジア2005」に関連したキャラクタービジネスの話を書きペルーのリマで優勝したサッカー「U−17メキシコ代表」の話を書き「攻殻機動隊」のテレビシリーズの総集編DVDが出た話を書いたりしていたんだけど、なるほど音楽関係の記事がそこにはまるでない。バランスの悪さが点数の低さに出てしまったんだと反省してこれからしばらくは菊池成孔さんの連載とかも読み近田春夫さんの連載も呼んで最先端の音楽って奴を勉強させてもらうことにしよー。目指せ100点。取ったからって「日経エンタテインメント」に入れてもらえる訳じゃないけど。給料グッドなんだろーなー。儲かってそうだし。BP。

 帰宅して「アニマル横町」を見たらとっても面白いじゃないですか。引っ越して来るとそこにはなにやら不思議なぬいぐるみが。動いて喋るウサギとクマとパンダは「アニマル横町」通称「アニ横」から来たと言うんだけどそこだどんなところかを聴くとはぐらかされて無視される。かといって突き放すとウサギは寂しくって死んじゃいそうになって抜け出た魂を慌てて連れ戻させられる始末。そんなこんなで漫才のよーな会話をしながら人間の女の子と動物たちのややデス入ったコミュニケーションの面白さで見せる内容は、テンポの実に絶妙なギャグが休む暇もなく突き刺さって来て30分をダレることなく見通せた。これってちょっと凄いかも。「ぱにぽにだっしゅ」だって玲とベッキーが出てないと気分的にダレるしね。

 とにかく人間の女の子が可愛く描かれていて原作の漫画よりも可愛くって人気が出そう。エンドクレジットで動画なり彩色といった部分で大量に韓国だかの人の名前が出てきていわゆる下請けとして使っていることが分かったけれど、本編の色も形も色彩も動きもテンポもすべてが何ら違和感を覚えさせられることはなく、日々精進の中で韓国のアニメ制作陣は相当に力をつけて来て、日本に互して戦える水準にまで来ているんだってことが伺えた。

 だって本当に「アニマル横町」、動くし絵も崩れないんだよなあ。1回目だから? それにしても完璧すぎ。これでお話作りノウハウまで突けば日本も本場だからといって決して安穏としていられない状況が訪れそー。そーなってからでは遅いんだけど今が旬と思うお役人やら企業にとっては、そこにどんな利権を見いだそうか、そこからどれだけ頂戴しようかって算段ばかりしてる方が重要な様子。かくして取らぬ狸の皮算用が繰り広げられまくっている間にアニメ立国は斜陽となって日本が逆に韓国の下請けをする時代が訪れたりするのかも。まあそれも運命って奴で日本でだってトップの才能のある人は生き残って行ってくれるんだろー。さても今晩から本格的に深夜枠のアニメが登場。見なくっちゃ。でも1つとして「アニマル横町」を超える作品があるのかなあ。期待不安半々。


【10月3日】 しまったオープニングを見逃してしまった「ぱにぽにだっしゅ」は、果たして「ルーレット☆ルーレット」だったのかそれとも「黄色いバカンス」だったのか。けどまあエンディングについてはお気楽脳天気な「ガールッピ」の歌声を楽しめるから良いやと思っていたら既に月が10月になっていることをすっかり失念。流れてきた曲は先週までとはまるで違った聞き覚えのないメロディーで、なんだこれはと真夜中に目が冴える。

 踊る平面なキャラクターたちの週変わりの登場もなくなってちょっとガッカリしたけれど、新しいエンディングのタイトルバックもそんなに悪くはないんで来週は果たしてちょっぴり変わるのか、それともオープニング同様に同じでいくのかを確認しよー。本編は橘玲ちゃんがイジワルだけど優しいところを見せてくれててますます惚れ。黒タイツのイジワル系な眼鏡キャラは「あずまんが大王」の水原暦といーやっぱりツボに入るなあ。

 目が冴えてしまったんで角川学園小説大賞の奨励賞を受賞した有澤透世さん「世界のキズナ1」(角川文庫、533円)を一気読み。応募時は「多重世界の幻影ども 〜魚津庸介とカオスでマルチなご町内〜」ってタイトルだったとかで聞き覚えがあったりなかったりするけれど、お話の方は結構変わっていたりするんで読んでもそれほそ既視感はない。ってかすでにして読んだらすぐ忘れる癖がついてしまった頭にはどんな話だってすごく新鮮。1週間を開けて同じ本を読んでもきっと初読の感動を味わえることだろー。それヤバいって。

 んで「世界のキズナ」は気がついた時には先生が鰤で宇宙人とかロボットとか動物とか鉱物とか、ともかくも様々な形態の生命がぐちゃんぐちゃんになりながらも、それに誰も違和感を覚えず暮らし学校に通っている状況で、言うなればグローバルでユニバーサルな世界がそこに現出していた訳だけど、人間の形をした魚津庸介だけは得も言われぬ違和感を覚えていた。そんな彼の所に現れたのが1人の少女。庸介に告げて曰く、世界は様々な次元の宇宙が重なりあってぐちゃんぐちゃんになっていて、それを解消するために落ちた衛星の回収に協力して欲しいってことだった。

 なるほどそれは一大事。とまで積極的ではなかったものの落ち着かない気分にケリを着けたいって気持ちもあって向かった衛星の落ちた山で、庸介は魔術を使う男や同級生なんだけどどことなく人間離れしたところを見せる少女なんかと出会い、同じ衛星の取り合いをして果たせずあまつさえ衛星を奪われる。これはさらに一大事。かくして庸介は同じ目的を持った少年や少女と仲間になって地球を救い多重世界を解消するための戦いへと身を投じる。

 パワーもなければ魔法も使えず借り物の武器で戦う庸介ははっきり言ってただのお荷物。なのに何故かそれぞれが独立して戦おうとしていた人たちの中心になっている。逃げたって構わないし命の危険を前にすれば貧乏だって受け入れたって構わないはず。それでも裏切らず逃げないで強敵に立ち向かいこれをうち破る。欲しかったのはきっと自分がそこにいるんだという実感だ。誰かと繋がっているんだという体感だ。

 人はひとりでは生きられないこともないけれどそれってとても寂しいこと。だから誰かを頼り誰かに頼られる道を選ぶんだってことを何とはなしに教えてくれる。一応は完結しているけれど「1」って突いているからきっと、またしても起こる謎の事件に離散したメンバーが再集合しては新たなる敵に挑んでくれるんだろう。期待して待とう続きの話を。そして天才でイジワルな女博士の本山スミ江の再臨を。やっぱり頭脳系なイジワル女性がツボなんだなあ自分。

 スパッと起きて仕事をさばいてから「ラフォーレミュージアム原宿」で開かれた「パラダイス キス」の制作発表会。山田優さんが「パラキス」に描かれている衣装をまとって登場する、新聞テレビ的には目玉なイベントもそれはそれで楽しかったけど、アニメファン的には監督の小林治さんのファッションに感心があって音楽にもそれなりの造型があって、「ラフォーレ原宿」なんてお洒落さんには得意でもアニメな人には鬼門な場所へのシンパシーを抱き作品に出し会見もそこでやりたいって希望を言ってたって人物像の方が驚きだったりする。まるでスーパーサイヤ人みたいな逆立った髪型をしていたし。それはそれでコスプレだったとか。

 マニアが隘路へと突き進んで行き詰まるってイメージがあったアニメ業界人だけど、世界をそこに描く以上はちゃんとしっかりファッションでも音楽でも文化流行の類としっかりコミットしているのらしー。そりゃそうだよね、アニメ業界人がアニメオタクの最終形態だったら業界も隘路へと入って成長が行き詰まり、縮小再生産のサイクルにハマって衰退の一途をたどり初めているからね。そうはなっていないってことは世間とコミュニケートできる資質をどのアニメ業界人もちゃんと備えているってことなんだろー。多分。世界がすべて隘路で行き詰まったアニメオタクのものになっている可能性はあるけれど。

 映像はプロモ的な部分をちょっと見ただけで1話まるまる見る時間がなくってはっきりしたことは言えないけれど、超絶にお洒落な場面は徹底してお洒落でなおかつ美術は車もビルも衣装もすべてがハイクオリティに仕上がっていて、いかにもな絵柄のキャラクターにしっかりと表情を持たせて描く作画の腕の高さなんかも感じられて、これで単なるお洒落なアニメじゃないぞって手応えが何とはなしに伝わってくる。田山敦朗さんを衣装デザインに起用したとかってのが外部に分かりやすいゴージャスさのフック。それとは別に見る人が見れば凄くよく描かれているんだって演出ぶりに感心させられる。

 何よりスラリとした8頭身の美麗極まりないキャラクターが、「デッドリーブス」の今石洋之さんみたいにデフォルメされて激しく動くキャラクターへと変わる場面なんかもあって、ゴージャスな絵にくらくらとしていた目が和みユーモラスな動きに固まっていた心が溶かされ作品へのシンパシーが湧いてくる。くいくいっとモンキーダンスめいた動きをする主人公の少女キャラのデフォルメされた映像の楽しさたるや。これがあるから本編のゴージャスで耽美でファッショナブルな雰囲気も際だつし、そんな本編への反発も押さえ込まれて好感を抱かせる。それが計算の上でのことなのかは不明だけど、計算があるかないかも無関係に楽しくってためになるアニメとして10月13日深夜からの放映を今はただただ待ち望もー。しかし誰なんだろう作画監督に絵コンテ担当は。凄い密度で疾走しそうで期待超大。


【10月2日】 おいお前。ちょっと前までステラ・リューシュが落とされたからってぶちキレて、キラ・ヤマト相手に突っかかって覚醒した所を見せつけてたのに、今度はルナマリア・ホークが落とされそうになっているからって「僕のルナを」って恋人気取りかい。んでもってあっさりやられて落とされてそのままフェードアウトかい。それでも主役なのかいシン・アスカ。主役じゃない? こりゃまた失礼いたしました。とりあえずほとんどだいたい録画してあるんで、何時からこんな謎展開になったのかを研究したいところだけど、全部RD−X4に入っているから修理に出して返って来てからDVDに書き出しながら見返そう。とりあえずデュランダルはスプリンターズ・ステークスでも2位で残念。勝てない運命だったのだよ。

 RD−X4からジャックを抜いて差し替えるだけだったんであっと言う間にセッティングの終わったRD−X5に新番組のアニメの予約を喰わせながら見ていたNHKで「映像散歩 ミュージックボックス」を見たら懐かしくって最後まで見てしまう。えっとこれは何年くらいなんだろう、ひとつは1981年とか1982年くらいかな、「スローモーション」が流れていたからきっとそう、あれは昭和57年の初夏にヒットし初めていた曲だった。その前に流れていたのは八神純子の「パープルタウン」でこれは1970年代の終わり頃、だよね。「みずいろの雨」とかいったハイトーンな八神から変わって歌謡っぽさロックっぽさも交えた八神になっていた頃の曲だったっけ、でも良い曲。聴いてしまう。

 ほかにも沢田研二の「TOKIO」だとか大瀧詠一「君は天然色」だとかチェッカーズ「星屑のステージ」だとか五十嵐浩晃「ペガサスの朝」だとか上田正樹「悲しい色やね」とかもう山のよーななつかしソングで真夜中に口ずさみつつ涙する。近所の人にはめーわくだったかも。五十嵐浩晃さんって今いったい何してるんだろう? 「愛は風まかせ」とか「ディープ・パープル」とか良い曲たくさんあったのになあ。モジャモジャ頭は強く印象に残っているけどもしかして名を変えて大泉洋になったのかなあ。

 しかしやっぱり同時代に山と聴かされた曲は心深くに刻み込まれているよーでイントロだけでぱっと歌詞とか曲が浮かんで来る。90年代前半くらいまではそんな気があったんだけど昨今の曲でそこまで記憶に残るものがないってのはなんだろう、こっちが聴かなくなったってこともあるけど昔みたく「ザ・ベストテン」があって「夜のヒットスタジオ」があって「紅白歌のベストテン」があって「ミュージック・ステーション」があって他にもバラエティの合間に必ず歌手の歌のコーナーがあってヒット曲を頻繁に聴かされCMでも聴かされたことが大きかったのかなあ。今だと何となくその辺りで盛り上がっているんだけどそこから外へと波及し印象として爆発する曲ってのがないんだよなあ。だから仮に20年後に「ミュージックボックス 2004年」って番組があったとしても半分も胸に響いて来ないかも。「SPA!」向けに菊池成孔さん「CDは株券ではない」を読んでも紹介されている曲がまるで浮かんでこなかったし。

 んで起きて「交響詩篇エウレカセブン」。まさかレイちゃん天然カマトトだった訳? レントンがアドロック・サーストンの息子だったと知って取り乱して焼いていたパイか何かを取り落とし、レントンがひっそりと出ていく場面に出くわして強がりを言ってみせるのにモロで涙顔を見せるその姿は、レントンを心底好いていて子供として引き取りたかったけど果たせず残念って感じがありあり。チャールズともども歴戦の士で権謀術数にも通じているからこそ軍に関わりながらも間をとって運び屋家業をしていけるんだ、レントンにだってそんな大人の大変さを教えるキャラだと思っていたのにどーやらまるで違ったみたい。

 チャールズだって同様でパパと呼べだのと半ばマジ入っていってみせたりして、軍務から離れつつ一般人とは違う暮らしを日々楽しむフラワーガーデンなハッピーエイジっぽさ炸裂なところを見せててとてもじゃないけど軍でもそれなりな場所にいた人間には見えない。あるいはそんな表面の奥底にはとてつもなくどす黒いものが渦巻いていたりして、レイにもアドロックとの因縁があってだからこそレントンがアドロックの息子と知って正気を失ったのかもしれないけれど少なくとも現時点でそんな奥は見えて来ない。

 ってかアドロックが名前ばかりの”英雄”でその仕事っぷり人間っぷりがまるで描かれて来ていないんで、彼の周囲にいたチャールズにしてもホランドにしても、その息子であるレントンに対してどんな感情を抱いているのかがまるで読めない。そうこうしているうちにレントンは再び外へと出ていずれ遠からず月光号へと戻って戦いに身を投じるんだろーけれど、彼を案じて見ちゃいられないくらいに乙女な行動をするエウレカとの愛を確かめ合う展開がメインになりそーで、世界を語るところまで果たして行くのかがちょっぴり不安。けどそこはそれなりに意欲を持って作品を作っている人たちだから上っ面の格好良さに留まらないドラマを、そして世界を見せてくれるものだと信じて残る半年を見守ろう。半年続くのか?

でかいでかいがちゃぴんでかい子供だって食べちゃえるねえ  10月だってのに暑すぎ。家にいると蒸し焼きになって能率も悪いんで電車で上野へと出向いてとりあえず「東京国立博物館」で展示中の「興福寺仏頭」を見物。デカいなあ、1めとる近くある巨大な頭が着いていた体は8頭身だったとしたら8メートルくらいに合計で至ったんだろーか、そんな巨大な金銅仏を鋳造できたってことは蘇我倉山田石川麻呂、の一族はそれなりの財力権勢を誇っていたんだなあ。あるいは彼を自害に追い込んでしまったことを悔いた中大兄皇子が抱いた贖罪意識の高さの現れか。後に興福寺に奪われながらも火事で胴体が焼けてしまわれていたところを発見されて飾られていた仏頭が東京へ。渋谷にはビリケンが大阪から来ていて評判になっているけど歴史の息吹を感じたいなら興福寺仏頭も悪くはない。横に鋳造の過程を紹介する模型もあって勉強になります。

 せっかくだからと館内を散策。10月10日までの日程で上村松園の「焔」が展示してあるってんで見物に言って美人画の名手が描いた情念あふれたその絵にしばし目を奪われる。表情の凄味と腰のラインから漂う淫靡さが恋の情念に燃える女性を実に激しく現している。ひたすらに美人な絵も見て目に麗しいけどこういう絵の方が見ていて情感に響くんで最近妙に好き。センチメンタルな季節って奴か。とは言いつつ嫉妬に燃える女心なんてまるで分からないんだけど、経験ないし、嫉妬されたことなんて。

 そのまま上野駅へと出て玩具店でガチャピンを見物。「でっかいガチャピン」の発売を記念したイベントで本物のガチャピンが来て握手してくれるってんでいったいどんな人が来るのかを見ていたら普通に子供から幼少期をガチャピンで育った若い男女がわんさと詰めかけ大盛況。いい歳の兄ちゃんが握手してもらいたいからって「ガチャピンチャレンジ」を3つ買って握手券をもらって記念撮影してもらっていた姿を見るにつけ、そのチャレンジぶりも含めてガチャピンが日本国民的に広く支持されているんだって事実を強く認識する。最近流行の緑ムックも10年後にここまでの人気を持っているかどーなのか。きっと無理。そこが最近の一過性のブームと長く時間をかけて浸透したキャラとの違いなんだろー。野田大元帥、あなたの遺産は永劫です。まだ遺産じゃない。


【10月1日】 これはもうだめかもしれんなあ朝日新聞。だってそうじゃん、「真実と信じた相当の理由はある」って言ったその口で「取材が十分であったとは言えない」だなんてまるで相容れないことを平気で言ってしまってる。これで世間を納得されられますかってーの。

 真実と信じるに足る理由があるんだったら、その根拠を見せればいいだけでしょ。録音しているテープがあるんだったら出せばいい。無断録音がいけないなんて所詮は社内規定に過ぎないこと。紳士的ではなかったけれど実はこっそり録ってあったんです、それを聴けば圧力があったことは瞭然ですって言って示せばいい。道徳的な面から非難はあるだろーけれど、それを超えてメディアへの圧力って重大事項を明るみに出したんだって部分を訴えれば、世間だって評価せざるを得ないだろー。

 「情を通じて情報を得た」だなんて下半身の問題へと貶められ、且つ報道せずに国会議員へとネタを渡した沖縄返還に関する毎日新聞のスクープ未遂とは違うんだってことを説明すれば、自分で考え判断できる人の増えた今の日本だったらきっと分かってくれるはず。たとえ対象がどことなく運動めいた疑似法廷で、関わった人たちにもどことなく党派的な雰囲気が漂っていたとしても、そうした運動が結果として政治によるメディアへの圧力ってものを呼び込んでしまったんだと、伝えた部分の正当性さえあれば、そのことを訴えていけば過程の非合法ではなく不道徳に過ぎない情報の入手方法なんてものは、この際不問にふされたって構いはしない。

 なのに朝日新聞はそれをしない。出来ないんだろーか? ならばテープなんてないと考えるしかない。テープがなければ証明できないのか。言った言わないの水掛け論に過ぎないのか。それならばそこの部分で徹底して正義を主張すれば良い。取材が不十分だったんなんて言い訳がどうして出てくるのかが分からない。不十分だったと言うならその記事はもはや真実ではない。だったら引っ込めるしかない。嘘だったとは言わないまでも虚実かもしれない蓋然性を重んじて、撤回して謝罪するより道はない。なのにそれもしないで真実に足る理由があったと言って撤回を拒む。だから証拠は? それは出せないと言う。堂々巡りだ。

 ここでひとつの問題が生まれる。「月刊現代」に掲載された詳細な取材内容の紹介は、取材に際してリアルタイムにやりとりを記録したテープなりメモの存在を示唆する。記録せずしてあれだけの情報量を記憶して、後で再現することが出来る人間なんていやしない。いるんだとしたら取材にあたった人間はそれが可能であることを証明しなくてはならない。けどしていない。ならば記録はあったのだろう。それがどういうルートからかは不明ながらも流出したのだろう。

 それはそれで問題で徹底糾明すべきだけど、NHKへの政治的な圧力に関する報道とは別の次元の話。まずは記録が存在していることを認め、それを土台に真実を説明することの方が大切で、そうすることによってNHK問題という本質的な部分については解決するんだけど、なぜかそうしようとはしない。メモなりテープの存在を認めない。かくしてまたしても堂々巡りが始まる。

 テープはある。けれど道徳的な問題を衝かれたくないから存在を隠す。それだったら素直に謝り弁明すれば世間だって仕方ないと理解する。テープはある。けれども聴くと報道したようなやりとりは存在しなかった。それはねつ造だ。多大なプレッシャーの中で出したメモがチェックも受けずに出てしまって解雇された記者以上に、問題の大きいねつ造だ。けれども違うと言う。真実と信じるに足る要件は揃っていたと言う。もう訳が分からない。きっと世間の誰も分からない。

 にも関わらずひとり朝日新聞だけが、これですべてを語り終えたという気分になっている。もはや説明不要だというスタンスを取っている。どうしてなんだろう。世間がそのことに気づかないと思っているんだろうか。だとしたらそれは世間を嘗めすぎている。嘗められた世間は黙ってはいないだろう。もうだめかもしれないとはつまり、そういうことなのだ。

 堂々巡りの連環を断ち切るために必要なのは、隠し立てをしないこと、それだけだ。テープがあるなら出そう。ねつ造があったなら謝ろう。ねつ造した人がいるなら責任をとらせよう。その上で報道機関への政治的な圧力があったんだという正しい証拠を、今からでも遅くないから見つけ暴き報道しよう。一時の血は出てもすぐにとまる。引き締まった体制が次に飛躍するためのバネになる。隠せば太る。太れば動かなくなる。動かなくなればあとは置いて行かれるばかり。それで良いはずがない。それでは正直困るのだ。

 あれだけの組織力と取材力を持ち真っ当に世界のことを考えてくれるメディアが消えてしまうのは惜しいのだ。まだありそうな次の幕で、すべてを明かし改め新たな道へと向かう姿勢を見せてくれることを願ってやまない。とか言ってると足下が崩れ落ちるんだけど。いやもう崖っぷちなんです。女子大生社長のブログ書かせて認知度上げようとしても評判にすらならなかったり、それ自体が奇妙な新聞の中吊り広告を遂に単独で出せず僚紙とカップリングにしてみたりな某ビジネス紙。

 65000円前後まで急落して来た東芝の「RD−X5」をネットで買って到着したのを受け取ってこれで山ほどのアニメが録画できるぞDVDは買わなくなるぞと小躍りしつつ(いかんじゃん!)支度をして「横浜トリエンナーレ2005」を見ようと「みなとみらい」に行ったらやってなかった。何だよ今回は「パシフィコ横浜」じゃないのかよ。でもまあせっかくだからと「横浜美術館」へと寄って見たかった「李禹煥 余白の芸術」を見物。白いカンバスにうねうねとした線をはわせたりとか、筆みたいな線で何本も筋を落としたりとかした作品が過去にあってそのストイックなシンプルさが割に好きだったんだけど最近のシリーズはさらにストイック。

前からそこにあったようにしっくり収まる貨車の門。背後のランドマークタワーと溶け合ってるねえ  真っ白なカンバスに刷毛みたいなので1点2点多くて3点、ほぼ長方形に線を乗せただけの作品なんだけど、ただ真っ白のカンバスに小さなグレーの島を置くことによって周囲に大きく広がる余白が”余白”としての主張を始める様が感じられて見ていて心動かされる。それは躍動とは違った思考への刺激。竜安寺の石庭に浮かぶ石のごとく、白面の静けさに落ち着きはらった心の中に打たれたグレーの島が存在の意味を問う。鉄板と石とを組み合わせた作品は、美術館という人工的な場所において鉄という人の手が介在した冷たいオブジェクトが、石と組み合わされることで妙な暖かみを持って見えたのが面白い。

 2つの作品から共通して感じるのは、「もの」派の物に依存しすぎて物に無駄に主張させたがる喧しさが消えて、静けさとささやかな主張とが解け合った年相応の作品になって来たってこと。イサム・ノグチのフォルムのシンプルさが逆に醸し出す強度といい、華美さが美ではないんだってことを教えてくれる。今は形もごてごてと発達していけばそれに添える言葉もがちゃがちゃと増えて来ている村上隆さんが、歳をとったら果たして李禹煥さんみたいな境地へ至るのかなあ。死ぬ間際までごてごてを極めたサルヴァドール・ダリみたく徹底した過剰さを突き詰めるのかなあ。

躍動する楽隊って見ていて楽しい。けどしかし皆さん巧かったなあ。プロ?  んで回って山下公園から山下ふ頭へと歩いてルック・デルーが作ったコンテナをつなぎ合わせたゲートを横目にトリエンナーレの会場へ。桟橋をまっ赤な三角旗の束がお迎えしてくれて青空に映えて目に美しい。風に吹かれて鳴る旗の音といい、地面に写る三角形の旗の影といい目に映り耳に聞こえる太陽と風の”贈り物”って奴にのっけから心現れる。でもって会場は2つ並んだ倉庫いっぱいにアートの山。3年前の時に比べて規模も小さくなっていて出品作家もどちらかといえばショボくなってて誰これって人も多いんだけど、それが逆にこんな人もいるのかって見る驚きを感じさせてくれる。

 ただ見るだけじゃなくって”参加”する作品が多いのも特徴か。いっしょに何かを作ったり、「KOSUGE1−16+アトリエ・ワン+ヨココム」の巨大なサッカーゲームのバーを操作できるようにした作品とか、ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルトによるつり下がった輝くブランコを漕げるようにした作品とか、同じアーティストによるビールケースを円筒形に積み上げ中に入って港を壁越しに見られるようにした作品といった感じに、そこに入り込むことで成り立つアートが来た人たちとの一体感をそこに作り上げる。間を楽隊が走り回り「身体表現サークル」による褌隊のビンタ数珠繋ぎが動き回る賑やかさはまさにアートフェスティバル。「デザインフェスタ」の喧噪にも似た楽しさを味わうことができる。

 奈良祥智さんがgrfって集団と作り上げた壁と階段で作り上げられた空間はジャングルジムとか巨大迷路の中を歩き回る楽しさに絵を見る楽しさが重なってついつい中をごそごそと動き回ってしまう。サイン入りのドローイング集も売っていたけど重たいんで買うのは断念。でもちょっと欲しいかな。時期的に快晴で風もあって心地よかったけどこれからどんどんと寒くなる中でふ頭の吹きさらしの倉庫も環境がどんどんと厳しくなりそうで、そんな中を分厚いコートに手袋でアートを見て回るってのも楽しそう。それでもやっぱり褌隊は褌一丁でビンタ数珠繋ぎを演じてくれるのかにも興味。また行こう。帰りは倉庫の中で止まるシャトルバスでふ頭の入り口へ。驚いたよ倉庫にバスが入ってきたのには。


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