縮刷版2004年9月上旬号


【9月10日】 意識したのは「弾けるお菓子 ドンパッチ」のCMに登場して偽宇崎竜堂って面構えで脳天気な演技と歌を披露していた時で以後、パッと出のお笑い芸人として消えるどころかフォークシンガーとしての”本業”も行いながらラジオとかテレビとかで司会にゲストに大活躍。やがてはタモリに明石家さんまにビートたけしの”大御所”と並び称されるだけでなく、その現役ぶり活動の多彩ぶりでは上を行くかも知れない存在感を放つスタアとなった所ジョージさん。

 なのに未だにまるで気取った所はなしに人前に出れば陽気に気軽に所ジョージ節を聞かせてくれるのには驚いたけれど、だからこその現役的な人気を保っていたりするのかも。アサヒ飲料からリニューアルパッケージで登場した「ワンダ モーニングショット」のCMにコブクロと一緒に登場しては歌を唄っている所ジョージさんが、そのテレビCMのユニット「トコブクロ」として「サンケイビル」の前にあるサンケイプラザで1曲限りのライブを披露してくっるってんで、エレベーターで10階から降りて最前列で取材する。人前で唄うのなんて20年ぶりとかゆー所さん。これは貴重だ。

 東京無線のタクシーで舞台袖まで乗り付け背広姿で登場する、いかにもなサラリーマンの応援ソングを歌ってるっぽい演出も所さんがやると嫌味にならずかといって熱血にもならず、無責任にもならず責任感バリバリにもならない、ちょっとだけ脇にそれ後ろに下がって俯瞰しつつ時折やさしく包み込むって感じの雰囲気が醸し出されてしまうのが不思議とゆーか絶妙とゆーか。でもってフォークの世界で大ベテランでありながら、新鋭コブクロと気軽に軽妙にトークを繰り広げてくれる達者ぶり。主役にならずかといって完全な脇にも回らずトーンとして全体を盛り上げるその芸風に、なるほどこれが20余年を最前線で突っ走り続けられた理由かもって考える。苦労をしてなさそーなのも良いのかな。

 唄えばそこは大ベテランだけであってあのつぶやきささやき送り出す、所ジョージならではの節回しが全開で名曲「組曲・冬の情景」の切なさとはまた違った、けれどもどこか通じる心地よさを存分に味わわせてくれる。両脇に従えたコブクロのコブクロらしさも殺がずそれでいて所ジョージの世界に引きずり込んでは染め上げる、これがベテランの味って奴なのか。

 CMだとアッとゆー間の「トコブクロ」もCD発売が決まった曲としてフルコーラスを披露してくれてサンケイプラザは大にぎわい。残る暑さにステージの熱さも加わり汗みずくになった見物客がライブが終わった瞬間にサンプル配布していたワンダに向かって殺到したから、プロモーションの効果も抜群だったってことだろー。キャンペーンには滅多に協力しだだけの意義はあった。もう2度と見られないかもしれないけれど、せっかくの名曲名ユニットには是非にライブとかを開いて頂きたいもの。その姿を遠くの席で制服来た小倉優子がじっと見つめているとゆー。サンケイプラザも遠くのビルからじっと見つめていたのかな。

 某所で見つけた某ネットワークビジネスに関する指摘。「『凄い事になる』『頑張った分だけ儲かる』『批判する奴は負け犬』と信者同士で言い合う事によって、冷静な判断力を失わせ、互いにMC(マインドコントロール)し合って、歪んだモチベーションを高め合っているのです」ってのを読んでどっかの会社に通じるものがあるなっと嘆息。マーケティングもリサーチも一切しないで団塊的感性職業的経験をのみ信じ、こうすれば売れると断言してはそれを展開するものの売れずわずかに数ヶ月でちょこちょこと内容を変えてはさらに失笑を浴び、にも関わらず読者の求めていない商品を上が喜ぶからと出してはやっぱり市場からひじ鉄を喰らう。

 そこで退くどころかさらに全面的なリニューアルを打ち出すから吃驚仰天。幾ら何でもって大反乱でも起こったかとゆーとそこは「凄いことになる」「頑張った分だけ儲かる」「批判する奴は負け犬」とゆーアップの言葉をただ間に受け、ある種の信者となってお互いにその言葉をお題目として唱え、冷静な判断力を包み隠し内向きの歪んだモチベーションだけをいたずらに高め合って来た組織だけあって、批判も落胆も出ずにただ粛々と、事は運んでいくのであった。なるほどこんな組織だから例えば、一般紙で社会部長をやっているよーな知識と思考力を持っている人なら、その不安定な面を知ってて当然で、だからこそ真っ当なメディアはどこも身を退き関わりを遠慮している某ネットワークビジネスに、会社を挙げて積極的に肩入れしよーとするんだな。嗚呼、二の舞。

 20053年のとある金曜日夕方五時に野球場の外で会って言葉を交わす男が二人。「二リーグ制を維持せよさもなくば週末ストライキだ」「持ち帰って検討したい回答は1週間後の午後5時に」「了解ならばストは延期だ」。分かれて翌週ふたたび男たちが言葉を交わす。「二リーグ制度を維持せよさもなくば週末はストライキだ」「持ち帰って検討したい回答は1週間後の午後5時で」「承ったストは延期だ」。その間1分。一種儀式と化した会合。場所はそーだな日本のプロ野球人気を支えたミスターの住んでいたと言われる田園調布の今は空き家となった家の前とかなんか相応しい。

 まあ2053年は大げさにしても、今シーズン中については常に話し合っているふりをしながら現状は何も変わらない状況が延々と続く一方で、プロ野球は今とさほど変わらない雰囲気の中を粛々と執り行われてたりするのかもしれないプロ野球選手会と経営者の団体交渉。先鋭化していたり正論にのみ固執しているファンの期待をのみ拠り所にしてしまった選手側と、経営の論理だけで突っ走る経営側との落としどころを用意しないままで突っ込んでしまった議論の難しさ。双方にいい顔をしながらの解決はもはや不可能なんでここはやっぱり偉い人の3方1両損な名裁きを見たいところだけど肝心のお奉行様がいねえ。やっぱりミスターの一言か。


【9月9日】 あれはまだ前世紀のことだったか、それとも新世紀に入っていたか。商社の中に出来た部門が映画に出資って形ではなく”応援”ってゆースタンスでもって一般の人からお金を集めて支援する「シネマネー」ってシステムがあってそこが幾つかの作品を手がけるってんで青山にある商社へと取材に行っては話を聞いたことがある。その時と前後してそこが応援のリストにあげた映画がって、設定の面白さ出演陣の素晴らしさに1も2もなく応援することを決めて、幾らだったか覚えてないけど1万円だかそんなもんを振り込んだか送金した。

 しばらくして送られてきたのが脚本とTシャツとそれから「馬鹿になれ」ってアントニオ猪木の詩集。映画の中でも重要な意味を果たす言葉が書かれた本ってことで入っていたんだろー。ほどなくして映画も完成したって話を聞き、あとは公開日が決まり劇場も決まり、もらえるはずになってたチケットが来てさあどんな映画になったのかを見に行くぞって構えていたけどそこから先、ぷっつりと音信が途絶えてしまった。「シネマネー」自体はその後もしばらく続いてて、幾つか有名な作品を”応援”してたけど僕が”応援”した映画については何も情報がなく、そーこーしているうちに「シネマネー」は店を畳み部門はファミリーマートへと売られたかして今は「コミコイン」って形でコミック出版を”支援”するサービスをこれは順調に展開している。

 しかし肝心の映画については1年が経ち2年が経っても音沙汰がない。配給が決まらないままお蔵入りになる映画の多いことも聞いていたんでこれもその1本かって諦めつつ、それでも出演している俳優の豪華さにあるいは何事かあったんだろーかと良くない想像をめぐらせてた。ところが。昨日今日と読んだ「東京スポーツ」と「R−25」に相次いで特集されていた「プロレス映画の流行」って所に、僕が「シネマネー」で”応援”した映画のタイトルを見つけてまず仰天。おまけにそれが先月から旧新宿昭和館の場所に経った「ケーズシネマ」で上映されているって聞いてなお吃驚。当方の衰え切った情報収集能力を悔やむと同時によーやくやっと後悔にたどり着けたんだと、ここに至るまでにあった紆余曲折なんかを勝手に想像してはひとり歓喜の涙を流す。「MASK DE 41」、ここに見参。

 何せ主演はあの怪優・田口トモロヲさんで共演は怪人・松尾スズキさん。他にも有名芸人に有名女優に有名プロレスラーの勢揃いした映画で今は亡きサムソン冬木さんもその勇姿を見せてくれている貴重な作品。撮影の途中に記者会見の場面を撮るってんで「シネマネー」の事務局の人に記者役として模擬記者会見に来ませんかと言われて行けずに後悔したこともあったけど、もしも行っていたらスクリーンの中に自分の姿を見つけられてその若さに(3年前じゃんたかだかさ)驚愕の叫びを上げられたかもしれない。

 ともあれそんなキャストを誇る映画がこの3年、どーしてお蔵入りになったかってゆーとどーやら制作していた会社が倒産して、主導権を持って公開できるところがなかったかどーかしていたみたい。もしかすると今も抵当か何かに入っていて、興行収入がそのまま借金の返済なんかに充てられていたりするのかな、なんて妄想も浮かぶけどそーしたサイドの事情はさておいても、リストラされた41歳の中年男がプロレス団体を作っては戦いの場へと身を躍らせるってゆー設定と、その設定に会わせるべく田口さんが徹底した肉体改造を行ったってゆー事情を前にすると、やはりこの目で見ておかなくちゃって気になって来る。チケットは結局来なかったけど、でもってTシャツも部屋のどこかに埋もれてしまったけど(今売ってるのとは違ってマスカラスの顔が描かれていたTシャツ)、そんなことも関係なしに今もっとも見られるべき映画として見に行こー。がっかりはさせられないよね。

 ペンタックスSPは実家にも2台あってコンパクトなボディとシンプルな機構、それでいてクリアな写真が撮れてしまう性能の良さが好きで時々借りては北海道への旅行とか、行楽とかへと持ち歩いてはパチパチ撮っていたっけか。榊一郎さんが「君の居た昨日、僕の見る明日1」(富士見ファンタジア文庫、560円)の中で何で主人公にそのカメラを、持たせたのかは分からないけどきっとおそらく想像するなら、主人公と同じよーな事情で祖父だかのカメラを借り出して、好きな女の子のポートレートとか撮っていた過去をそのまま作品に反映させたんじゃなかろーか。でないと普通はキャノンとか、ニコンとかオリンパスに行くもんだよ、一眼レフのマニアのそれが傾向って奴だから。

 もちろん「君の居た……」はカメラのマニアが腕前を競う作品なんかじゃなくってカメラを手にしていた少年が、謎めいた場所へと迷い込んでしまってはそこで不思議な少女たちと出会い、彼女たちが抱えた事情なんかを知りつつこれからどうしようってゆー話になっていて、カメラはあくまでひとつの小道具って位置づけになっている。少年が迷い込んだ場所がどこで少女たちの正体が何かは読んでのお楽しみ。ただテーマとしてそれなりに怖ろしくも悲しい設定なんだけどそんなことを気にさせないくらいに明るくて、前向きな力を感じたくなる展開が待っていて昨日を見続けるより明日を見つめることの大切さに気付かされる。続きがあるってのは意外だけどさて、どんな展開になるのかな。それより主人公の少年はこれで納得してるのかな。次巻に興味。


【9月8日】 ひとつの経営事例としてプロのエコノミストアナリストに検証してもらいたい企業の施策。仮にお菓子メーカーとして社運をかけて発売した商品が、半年経っても予定していた数量に及ばずむしろ減少傾向すら見え始めて経営陣大弱り。そこで最初の企画に問題があったと認めて身を退くなら可愛いものだけど、そーした責任感は心に棚を作って据え置きして、とにもかくにも売り上げを伸ばそうとして泥縄式の新施策を打ち出して来る。

 ひとつは増量。買って得した気分を味わってもらうために1割以上の増量を行ってユーザーの歓心を誘おうとする。もっとも増産に必要な工場の人員は増やさずそこは同じ人員でもって稼働時間を延ばすことで対応しよーとしている上に、別にボーナスを出す訳でもなく給料も据え置きだから当然従業員のモチベーションは上がらず、披露も蓄積して商品のクオリティーコントロールに支障が招じる可能性は増大する。

 その上にそれまでどちらかと言えば単品勝負でコアなファン層に根強い支持を受けていた味をガラリと変え、硬派な塩味だけだったものをチョコレート味とかコンソメ味とかケーキ味、バナナ味に抹茶味とターゲットも絞れないままいたずらに味の種類を増やして幅広いユーザー層に満遍なく対応しよーとする。当然ながらコスト負担は増すけれど、一方でそーした新製品の開発に手慣れた人材を招くこともないから、現場に負担はかかってやっぱり品質面への影響が出る可能性が高まっていく。

 そんな状況があるにもかかわらず経営陣は商品の値段を引き下げるとゆー施策を打つ。種類が増えてコストが増しているにも関わらず、売る商品の値段は下がり、品質は劣化しているという状況で果たしてその商品は売れるのか。経営学的にこーした施策は妥当性を持ったものなのか。経済記者とは言いながら根は文学部出身でサブカル野郎なんでまるで検証が不能なんで、ここは経済とか経営に詳しい人に聞いて駄目なら駄目と言ってもらいたいところ。もっとも言ってもらったって経営陣に聴く耳がなければ一緒なんだろーけれど。ふんぎゃあ。

 書かれていることは具体的で具象的。夜のファミリーレストランでひとり夜を過ごしている19歳の少女の所に以前会ったことのあるトロンボーン吹きの青年が近寄りひとしきり、会話を交わして立ち去っていく。しばらくして少女は元女子プロレスラーだったラブホテルの管理人から頼まれて、ホテルで追い剥ぎの被害にあった中国人女性の通訳を頼まれる。中国人女性を襲った男は近場の会社に勤めるプログラマー。中国人女性には中国人マフィアがついていて、プログラマーの男の写真を手に入れいずれカタを付けると言明する。

 村上春樹の「海辺のカフカ」に続く新刊長編「アフターダーク」(講談社、1400円)。一夜を舞台に都会の夜に起こった事件をひとつのキーとして、社会の裏側に棲む人々の存在を垣間見せては昼に平常に生きる人たちとは背中合わせに、夜に生きる人たちがいて闇の仕事を行っていて、その宵闇は昼に生きる人たちでもひとつ間違うと呑み込まれる恐れがあるんだってゆー警鐘を投げかけてくれる。ある意味社会性メッセージ性を持った長編って言えば言えるだろー。

 ただしそこは村上春樹。いわゆる社会派の具象小説としての意味づけに留まらず、世界に漂う不安を伺わせる暗喩的な物語としての意味も持っていてあれこれ考えさせる。すべての描写が物理的には存在し得ない第三者の視点から描かれているとゆー文体的な特徴がひとつあり、またファミレスにいた少女の姉がずっと眠ったままでいて、なおかつその姉が夢のような現実のような世界に漂い出るとゆー描写があってそれらが一体何を意味するものなのか、世界を俯瞰して見える光と影の存在を浮かび上がらせよーとしているのか、といった謎解きへの興味をかきたてる。

 福田和也さんも大澤真之さんも次なる代表作を生み出す上のメルクマール的通過点的な作品と位置づけ傑作ではないけれど転機として重要だってゆー解釈をしているけれど、読み終えた印象はストーリーテリングとして読んで楽しく、文体にも工夫があって読み応えもたっぷりで、なおかつ読み終えた後にいろいろと考えさせてくれるってことで、好作だって言って決して言い過ぎではない。加えて散りばめられた比喩やら謎やらが、噛めば噛むほど味が深まる貝柱のよーな噛みしめる喜びを感じさせてくれて、何度となく読み返してみたいって気にさせてくれる。果たしてどんな評価と位置づけを得ることになるのか、今後出てくる書評なんかに注目しよー。

 「週刊少年マガジン」で密やかな人気を獲得しつつあるUMAさんの「チェンジング・ナウ」に新展開。課長だかが変身するドッグファイターが戦っている悪の組織の女幹部、クリムゾン・バニーの正体が実は……ってゆー内容で実にお約束的ながら実に意外性に富んでいて、読んでこれからの展開にすっごい期待が涌いてきた。いったいどーゆー理由でクリムゾン・バニーになったのか。もしかしたら大佐だか誰かのファンだったのかな。野村美月さんの「Bad! Daddy」に登場する悪の組織「流流舞」の幹部、戦慄のアルマンドに憧れ頑張って勉強して悪の組織に就職したミュゼットさんにも通じる健気さ。甲乙付けがたい存在感の2人が同時に活躍するよーな同人とか、出ないかな。


【9月7日】 いかん間違えた酔っぱらっていたのが原因だよ2007年はすでにワールドカップの独大会は終了して日本がドイツと決勝を戦い惜しくも破れる検討を、見せた直後で日本中が沸きに沸く中始まった翌年の北京五輪に向けた予選に今のカレン・ロバート選手とか平山相太選手といった、20歳以下の選手たちが奮闘を始めている年だった。五輪の落胆が脳髄を浸食してたのかも。ただやっぱりそれの予選があるのと翌年の、北京行きに備えて資金をため込まないといけない年だけに外国から来るSFな人たちを見物に行く余裕があるのかどーなのか。あって欲しいけど仕事がなあ。増やそう外に。ってか外に行く?

 言い出したけど引っ込みがつかなくなったってんなら持ち上がっている西武ライオンズと千葉ロッテマリーンズの合併の何とゆー見苦しいことか。中身の真偽はともかく表向きは経営難って大義名分があって合併を余儀なくされたと行っている、大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併は納得できるかどーかは別にして理解はできないこともない。けどつい数ヶ月前まで合併する気のさらさらなかったと思われる西武ライオンズが、オーナーのもらした「もうひとつの合併」を真実のものにするために生け贄として差し出されたのだとしたらこれはもー、ファンも選手も怒り心頭だろー。西武鉄道のボイコットにだって出て不思議なはい。けどボイコットできないこれが交通機関のつらさよ。プリンスホテルに泊まらない? 庶民はもとより泊まりません。

 あるいは大として千葉ロッテマリーンズを飲み込むだけだからファンはご心配なくと言うならそれは千葉ロッテマリーンズの球界一と言われるファンの神経を、逆なでして所沢へと乗り込みひとしきりの混乱を招くことだろー。県の意向に逆らい千葉にスタジアムを作り球団をもり立てて来た千葉市の怒りもいかばかりか。数ヶ月どころか明日決定だなんてファンの声も聞かず検討もさせないスケジュールで突っ走るこの騒動に、おそらくは誰の理解も得られることはないだろー。法曹が、企業が、政治がこれに理解を示すことはそれらの死にほかならない。ファンと、働く人たちのすべてがないがしろにされ蹂躙されているこの事態に、メディアも一切の理解は必要ない。経済効果がどうとかサイドで騒いでいる事態ではない。これはファッショだ。潰すしかない。つぶせないけど。嗚呼。

 とかってたら西武ライオンズの堤義明オーナーが千葉ロッテマリーンズとの合併はないと名言したとか。ってことはやっぱり「もう一つの合併」は福岡ダイエーホークスと千葉ロッテマリーンズってことになるのかな。けどダイエーは経営再建問題が銀行側と会社側で綱引き状態でとてもじゃないけど今日明日の段階でどうこうできるとは思えないから、このままでいくと合併は1つでパ・リーグは5球団のまま来年を走るって見通しになるんだろー。それはそれで面倒くさいことになりそう。いっそ千葉ロッテマリーンズも混ぜて3球団合併となれば数は4つでセ・リーグと合わせて10球団。割って交流するも1リーグで行くも可能になるんだけど。そんなアクロバットは登場するか。近日公開乞うご期待。

 あの感動のアテネから2週間近く経っても未だ衰えない「なでしこジャパン」の人気に衰えはないよーで2004年9月21日号の「週刊サッカーマガジン」は荒川恵理子選手、「週刊サッカーダイジェスト」は小林弥生選手が登場してはこれからの活動についてあれこれしゃべってくれている。頭爆発したままの荒川選手も発言は真面目だけどそれ以上に真摯だったのが小林選手でアテネでの試合、自分が途中で帰られたことや最後のアメリカ戦に出られなかったことを「悔しい」と言いつつも拗ねず自分にまだ足りない部分を高めようって意欲を語ってくれている。

 その言葉に込められた意志の強さたるや言い訳ばかりが口をついて出てきたどこかの男子の監督にも聞かせて差し上げたいくらい。去年のワールドカップから五輪を経て自分を見つめることの出来た小林選手がトップ下に澤穂希選手を抱く日テレ・ベレーザで激しい活躍を見せてくれることで、毎週面白い試合が繰り広げられることになるだろー。ちょっと間が明いてしまったけれど再開間近なL・リーグにも小林選手の頑張りに、一段の爆発が期待される荒川選手の頭を見に人が大勢、訪れてくれると期待しよー。10月23日の国立競技場。東京ヴェルディ1969と清水エスパルスの試合の後座は必見だ。

 そんななでしこジャパンに気になるニュース。2年近くにわたって率いて強くて素晴らしいチームへと変えてくれた上田栄治監督が勇退の上で湘南ベルマーレの監督に就任することが決定。前にも1度率いながらも破綻間近で戦力を大幅に殺がれた中での就任で、当然ながら勝てず解任されてはマカオとかいろいろな旅へと出た人だけに、還って来れたんだってここは素直に喜びたい。実績ではなくネームバリューでもって渡り歩く賑やかな監督もいたりするなか、実績を挙げての再登板はやっぱり高く評価できる。

 気になる後任だけどどんな試合も必ず現場へと行ってじっと見て、選手の状態をチェックするフットワークの軽さを誇った上田監督の後任をつとまる人材はあんまりいそーもないけれど、鈴木保さんがきっと適切な人材を見つけてくれるだろー。例えばほら、サッカー好きにかけては右に出る人はそれほどなく、暇があれば少年サッカー高校サッカーにも足を向けたあの、超有名な監督が今、浪人してるじゃないですか。ふらふらとしている某代表監督にプレッシャーをかける意味でも、招いて任せてはいかがですかフィリップ・トルシェ監督に、なでしこジャパンを。


【9月6日】 2007年といったら女子サッカーのワールドカップが予定どーりならお隣中国で開かれることになっていたり、翌年の男子のワールドカップを控えてドイツでコンフェデレーションズカップが開かれたりと、サッカー的には結構重要な年だったりするし何より、そのワールドカップ独大会を控えた最終予選だって大詰めを迎えるはず。行けたら外国だってばんばん行きたいと今から強く願ってる。

 その為には万人受けして1億部くらい売れる小説を書き散らし、とてつもない賞を取ってインタビューでサッカーファンだと明かし、スポーツグラフィック誌からシングルモルトの探求じゃなくって(なぜそんなペイドパブを金子達仁さん馳星周さんが引き受けたのか謎、五輪行けよ)ちゃんとしったサッカーの記事を書いてくれるような依頼が来る身になっておかなくっちゃって、皮算用をしていたところに2007年世界SF大会ことワールドコンの日本開催決定ってニュースが飛び込んできて、大忙しの夏だか秋だかに2007年はなりそーな予感。

 近いってことで女子サッカーのワールドカップには行きたいし、独大会の最終予選も見たいって気が満々だけど、2度と来ないって点ではワールドコンはおそらく僕の生きてる間は日本には来てくれなさそーで、第1回目のWRC(世界ラリー選手権)の日本開催以上に貴重な経験を得られそー。場所とかどこで開催かは知らないし(横浜?)、費用も幾らかかるのか見えないけれど頑張って時間を作り(勝手に作られてしまうかな、会社が消えるとか会社がなくなるとか会社が飛んでいくとかいった理由で)、万難を廃して参加し遠くから外国人を眺めることにしよー。英会話はできません。

 ふっと気が付くワールドカップ最終予選に日本が出ていない可能性。せめて女子にはワールドカップに出ていてもらいたいけど上田栄治監督の退任なんて話もあるだけに先行きが微妙。長年女子サッカーの振興に務めてきた鈴木保さんが協会にいるからその辺のケアは大丈夫だと思うけど、収入の見通しもないのに(入場料をとれるだけの客が来るかとか有料にしてスタジアム料金を払えるのかとか)選手をプロ化したいって言い出したチームがあるなんて、メディアが飛ばすちょっぴり浮ついた状況の中で選手たちがこれまでどおりの頑張りを見せてくれるかって懸念もあるからやっぱり微妙。

 そりゃプロ化できれば選手にとっても女子サッカーを希望する子供にも万々歳だけど、収益源と支出の見合いから1チームが突出して出来る話でもない。そこの所は日テレ・ベレーザの親会社、日本テレビ放送網におかれましてはグループの読売新聞社も含めて毎度毎度おなじみな、一将功成りて万骨枯る的シチュエーションを作った挙げ句に全体の衰退を招くよーな事態だけは絶対に避けて頂きたいもの。日テレなりが完全持ち出しでもって支援するってんなら大歓迎だけど。稼いでるんだしそれくらい、出来るよねえ。

 なるほど資料的価値は高いと言えそーな吉田正高さんって人の「二次元美少女論 おたくの女神創造史」(二見書房)はこと80年代半ば以降のアニメやコミック誌、同人誌なんかをこまめに網羅しそこから「甲冑美少女」「メカ美少女」「ヴァーチャル・アイドル」といったキーワードのそぐうキャラクターをピックアップして来る術に長けていて、なるほどこんなのがあったのか、そうそうこんなのがあったなあって感心させてくれる。大学生くらいの割に余裕のあった時期に見たり読んだりしていた作品が多いだけに納得感は割と高い。

 ただ「甲冑」「触手」「メカ」「格闘」といったキーワードごとに美少女キャラクターをピックアップし並べる形式だからなのか、そーしたテーマからずれていてなおかつそーしたテーマの源流になり得たかもしれないキャラクターが抜けていたりする印象があったり、また70年代60年代といった源流のさらにルーツ的な部分へと遡ってそこから作品的、社会的文化的国際的な要因を探り変遷をたどりつつ、現代へとつなげる作業が細かくは成されていなくって、そーした原典を割に強く見る研究家の人からは、いろいろと異論が出てきそう。

 個人的な思い入れがやっぱり根底になってしまうからで僕の場合だと「ダーティーペア」が「タイムギャル」ってゲームのキャラクターを説明する言葉で「『ダーティーペア』風ヒロインがゲームの随所であらわれ」って登場しているだけで良いんだろーか、あのコンセプトって高千穂遙さんも自分で喧伝していたけれど画期的で先駆的なモデルだったよーな気もするんだけど、って印象がひとつ。あと吾妻ひでおの名前が索引になく萩尾望都の名前も索引になかったりすることへの両名の強いファンとしての残念さがあるかなあ。

 一方で今年発売されたなかりの三浦靖冬さんの漫画「とわにみるゆめ。」が「メカ美少女」の項目の掉尾を飾って重要な作品として紹介されていたりして、嬉しかったしよくぞ網羅してくれたって賛意も浮かんだ程。その辺り第一世代第二世代の証言なり研究も交え、世代のズレを埋めて横に広い網羅的作業と縦に深い探求的作業を重ね合わせることでより意義深い研究成果が上がって来るのかもしれない。ひとつの提示される形があってこそ異論ってのは出るもの。反目とか平行線とはならない侃々諤々の議論を経て構築される「二次元美少女史」の登場に期待だ。ハマーン・カーン様をくれぐれも入れ忘れるな。

 潰れる間際まで追い込まれていた某専門紙にはそうなった理由があってその1つが偉い人の言うことはどんな無体な内容でもイエッサーとばかりに従うこと。偉い人が新しいイベントを立ち上げると発表すればそれを1面トップで紹介する、某宗教新聞にも似た事態が半ば常態化していて社内のモチベーションを下げ社外にも大いに呆れられていた。

 そんなこんなで潰れる寸前まで追い込まれてかろうじて踏みとどまった某新聞では、同じ轍を踏まないとの反省が働くのが当たり前。お洒落で都会的なセンスとやらを売りに読者が求める情報を、何より大事にしていくんだってコンセンサスが取れているんだと考えて構わないだろー。だから例え偉い人の所に知り合い的な人物が来てこれ載せて頂戴お願いねって頼んでも、それがお洒落で読者の最大公約数が求めるものでなかったら、それは出来ないと蹴っ飛ばして当然だろー。ゆめゆめ偉い人自身が知り合いが持ち込んできたものだから載せるのが第一、バリューなんて下っ端が考えることじゃないんだって言って、紙価を下げモチベーションを低下させた前任者が辿ったのと同じ道を辿ることはないだろー。あったらどーなる? ジ・エンド。当然だよね。だからあり得ません。真っ当なら。


【9月5日】 いちおうは顔を出しておこーと「東京ビッグサイト」で行われているはずの「アミューズメントマシンショー」に行ったら昨日で終わりで愕然。一般公開日って層か1日しかなかったんだ。去年もそーだったかは覚えてないけど2日間を公開日にして稼ぐって気にはならないくらいに、業務用ゲーム業界への一般の関心が薄れているって現れなのかどーなのか。停滞気味って意味では家庭用ゲームも同様だけど、「東京ゲームショウ」は最初っから宣伝のためのイベントって割り切っているから、2日間の開催でもまだ身も入るのかな。

 先週までの毎日曜日の喧噪が嘘のよーな「東京ビッグサイト」のロビーで座って読書でも、ってしゃれ込もうにも手に本が1冊もないんで早々と撤収。臨海線でもって池袋へと出て昨日から始まっていた詩と音楽と映像のイベント「time train3」のマチネを見ることにする。大下さなえさん変じてほしおさなえさんが自作の詩を声優さんたといっしょに読むバックに映像とか音楽とかが流れるポエットリーリーディングのイベントなんだけど、でじこの格好をしてSF大会とかを練り歩いている大下さんは見知っていても”本業”の詩を読む大下さんはまだ見たことがなく、どんな顔と声でもって詩を読むのか、そもそもどんな詩を書いているのかにも興味があったんで出向いた次第。決して声優ファンって訳じゃない。

 ってか申し訳ないことに出演している小菅真美さん前田千亜紀さん笹本優子さんがどんな作品にどんな声で出いるのかすら知らなかったんで、後で確かめて小菅さんが「キディ・グレイド」に出ていたって分かってもなるほどそうだったのか、って程度の感慨しか湧かなかった。男の子声に近い小菅さんは別にして前田さん笹本さんとあと1人、甲谷ひとえさんの3人は比較的声質が似ていていわゆるキャピっとしたアニメの女の子声で、声優素人にはちょっと聞きわけが出来なかった。役柄を入れ替えたって分かんないないって素人耳には思ったけれどそこはそれ、声優ファンな人はしっかり聞きわけそれぞれに萌えて声援を贈れるんだろー。偉大なり。

 折良くとり・みきさんが今再び洋画の吹き替え声優さんについて語った、ってゆーかインタビューして回った「とり・みきの映画吹替王」(洋泉社、1600円)を読んだばかりで掲載されている納谷悟郎さんに大平透さん森山周一郎さん小林”次元大介&ジェームズ・コバーン”清志さん野沢那智さん若山”ショーン・コネリー”弦蔵さん江原”リスター”正士さんそして山ちゃん山寺宏一さんって、存在感の圧倒的な男声の声優さんの発言を目にしていたこともあって、特徴的であることの意味であり強みについて考えさせられ翻って今日見た女声の声優さんたちに10年20年の後まで活動の機会はあるんだろーかって疑問が浮かんで消えない。

 とりさんの本には池田”メーテル&オードリー”昌子さんとか小原”のび太&ドロンジョ”乃梨子さんといった女声の声優さんも出ていてこれまた抜群の存在感。出てはいないけど増山江威子さんに向井真理子さん白石冬美さんといった往年(失礼)の名優から最近だと(最近でもないけど)小山茉美さん島津冴子さん平野文さん白石冬美さん榊原良子さん田中敦子さん折笠愛さんってあたりの女声の声優さんたちが、役柄とともに付け且つ放って来た存在感に匹敵するだけの印象を、アニメがこれだけブームになって声優さんの数も増えた昨今、逆にあんまり受けなくなったよーな気がする。

 時代に乗れない爺さんの繰り言ではあるけれど、洋画で言うなら「フィックス」な役柄なりを持って10年を活躍できる女声の声優さんが出てきて欲しいもの。とはいえ13話26話でぐるぐると回す今のアニメ業界では役柄とともに声も脳髄へと刷り込まれるだけの声優さんが、男女ともども出てくるのって難しいのかなあ。戻って「time train3」に登場の声優さん。若い(のかどうかは本当のことは分からない)ように見えてもそこは鍛えられた人たちだけあって、読む声ははっきりしていて発音も切れが良く、なにより噛んだりどもったりしない所がさすがはプロで仕事をしている人たちだと感心する。そんな中に混じってこちらもなかなかな発生でもって、間違えずにしっかりと詩を読んだほしおさなえさんも凄かった。でじこやってる時たぁ声が違うなあ、やっぱ。

 詩は幻想的ってゆーよりはSF的? リアルな事象さに混じって虚構のビジョンが言葉によって紡がれ眼前へと立ち現れる。燃える、じゃなかったうつむくだったっけ、そんな麒麟とか砂浜の上を飛ぶ鳥とか海上都市とかいった光景がふわっとわき上がっては連れ出していってくれる。はっぴいえんどの「風をあつめて」で松本隆さんが書いた街の風景を想起させる詞に通じる所もちょっとだけありそー。聞くと妙に気恥ずかしくなる内奥の叫びとかを言葉にした詩ってよりは、事件や光景からインスパイアされて内奥に浮かんだビジョンを独特の構成でもって綴っていった詩だからこそ、言葉に重なって絵が見えて来るのかも。ある程度都市の風景に通じているからこそ浮かぶビジョンなのかどーかは不明。

 西島大介さんが重ねた映像は同じモチーフを何度も重ねたり3Dを角度を変えて見せたりして一見省エネ的。だけど音楽とかに合わせなくっちゃいけなかったり素材を集めたりするのに結構な苦労をしていそー。音楽はmolってユニットが担当していてこれが最高に心地よくっていっぺんでファンになる。オープニングに重なった曲と最後の作品に流れた曲が印象に残ったけど他もテクノっぽさの中にメロディアスなところがあって耳になじむ。音楽体験の乏しい耳には時々橋本一子さんぽくって時々長岡成貢さんぽくって大貫妙子さんっぽいところもあったりと、好みのアーティストっぽさを感じさせるくらいに心地よさが溢れてて、この実力だったら山ほどの仕事をこなしていて不思議はないのに実は聞いたのは初めて。これから出てくる人たちなのかそれともこっちが知らなかっただけなのか。ともあれグッド。CD買って来れば良かったよ。


【9月4日】 2度ほど同じコースを走っていよいよ全開で挑むってゆー見るに美味しさいっぱいの2日目の「ラリージャパン2004」だけど取材の予定は初日だけで居座っても2日目移行のチケットが手に入る望みも薄いし、かといって帯広を拠点に阿寒とか池田とかを回っても男1人じゃ虚し過ぎるんで、連れて行ってくれた会社の予定どーりにそのまま帯広を発って一路新千歳へと向かう。20年ぶりの帯広よさようなら。次に来るときは還暦か。来年のWRCを見に行ければ良いんだけど。仕事がなあ。会社? 存在への限界に挑んでるんでそっちは不明。

 航空券は明日の予約になってて、南千歳で降りずに札幌まで行き1日泊まってコンサドーレ札幌を見るとか、「白い恋人」を貪り喰うとかするって手もあったけどホテルが取れるか心配だったのと、家に残して来た「ハリー・ポッターと不死鳥の棋士団」の続きを早く読みたかったことなんかがあって、そのまま空港へと行き1番早く東京へと向かう飛行機へと飛び乗り無事、夕方には家へと帰り着く。あまりの暑さに札幌に行けば良かったと後悔する。もう9月だってーのに何てぇ暑さだ。やっぱり妙なエネルギーが関東には蓄積されているのか。某週刊誌で科学評論家として大宮信光さんが何か言ってたなあ。やっぱ来るのか大地震。

 んでもって「ハリー・ポッターと不死鳥の棋士団」を下巻まで一気読み。ハリー・ポッターをこれで嫌いになる奴なった奴が日本だと80万人、世界だと800万人くらいは出たかもしれなさそー。とにかく傲慢で自意識過剰で自分がやらなきゃ誰も出来ないんだってゆー優越感に凝り固まっている上に何だって出来るんだって万能感にもどっぷり。そんなガキが大人の言いつけを守らず突っ走った挙げ句に暴発を起こし未来に悔恨を残してなお、その反省に打つひしがれるどころか噛みついて回るハリー・ポッターの姿の何とゆー格好悪いことか。1巻2巻だとこーゆー子供になりたいって憧れから慕われたヒーローだったのに、すっかり反面教師的なアンチヒーローになってしまってる。

 もっとも15歳前後ってのは往々にしてそーゆー感じに狭い世界で優劣を図っては悦に入るガキの蔓延る世代。アムロ・レイとか碇シンジみたく才能を誇っては天狗になって鼻っ柱を折られ、そこから何かを考えてみるってゆー”成長”の物語も結構あったりするんで「ハリポタ」も、5巻ではまだ反抗期が過ぎる感じで読んで辟易とさせられても、これから繰り広げられるだろー「あの人」とやらとの戦いの中で、アムロのよーな成長なりシンジのよーな懊悩といった姿をさらけ出してはその後にしっかりと立ち直り、苦難を乗り越え大人の階段を登る姿をハリーも見せてくれると死にたいけど、ホント5巻じゃあ度し難いど阿呆だからなあ、この少年。やっぱり暗黒面へと落ちるのかな。でもって「ハリー・ポッター 2ndシリーズ」なるカテゴリーでもって今度はハリーの息子が主役となってシスのヴォルデモートと彼の操る暗黒の魔法使い(実は父)と宇宙を舞台に戦うんだ。


【9月3日】 午前6時に起きてバスで帯広から足寄を抜けて陸別へ。松山千春の家は見なかった。いつかラリーをって夢でもあったかそれとも町おこしのためにだかは知らないけれど、山の奧に作られたオフロードコースの「陸別サーキット」ってのがあって、それを含む全長の3キロ近いコースを舞台に、日本で初めて開催されることになったWRC(世界ラリー選手権)の第11戦「ラリージャパン20042004」の中のスペシャルステージとして使用されているのです。

 午前9時48分からのこのステージでのスタートと同時に走り始めるWRCドライバーを見よーとして、朝っぱらから帯広とか釧路とかあちらこちらから大勢が詰めかけていた模様で、足寄の街には今世紀始まって以来の交通渋滞が出来たとか出来なかったとか。信号待ちですら普段、しないと思えるだけに抜けるのに数十分かかる渋滞ってのがどんなものか、まるで想像できないんじゃなかろーか、ってのは田舎への偏見か、それとも端的な事実か。この地域でとっても偉いあの人が作ってくれた道路に信号は無意味なはずはないから、おそらくは当方の田舎への偏見なんだろー。足寄は立派な街です。住民の半分はカラオケで「季節の中に」を唄います(推定)。

マキネン魅せてくれました。最終コーナーを激しく疾走。土煙だけでもど迫力。これで本番ではなく先触れの「0」カー。WRCはやっぱり凄い。  到着した「陸別サーキット」ではメイン席になるアルプススタンド、と呼ばれる芝生の土手からスペシャスステージのラスト部分を観察出来るエリアでひたすらに走ってくるドライバーを観察。まずは先陣を切って先触れの車が走りそれから「00」に「0」ってカーナンバーを背負った車が安全なんかを見るために走るんだけど、今回その先触れ車の本番に1番近い時に走る「0カー」に、世界的なラリードライバーで何度もチャンピオンになったトミ・マキネン選手が乗っているって聞き、実際に出て来て走ったその走りを見てはるばる北海道まで来た意味の3割は、確保できたって気になる。

 速いんだよこれが。「00」に比べるとはるかに。その姿を見るとまだやれるんじゃないかって思えるけれどもその後に続いて出来てた現役のWRCドライバーの走りを見るとさらに3段くら凄くって、そんな中に入って勝ち続ける苦労を考えると引退して、時々こーやって出てきては存在感をアピールしつつ、本国で未だ衰えない英雄の輝きをバックにスバルの”広告塔”として活躍し続けるのが良いのかも。とかいってたらカルロス・サインツ登場。まだ速い。やっぱり出来たんじゃないかマキネン。

 注目のソルベルグ選手はそんなWRCドライバーの更に上を行く走りっぷりで陸別サーキットでのステージトップに。最終のコーナーを派手にではなく必要な分だけテールを流しながらスピードを殺さず通り抜けてそこから加速しゴールラインを超えていく、これがトップドライバーの走りなんだと世界で初のWRC開催に触れられた人は誰もが思いそー。ソルベルグ選手と同じスバルチームのミッコ・ヒロボネン選手も速いけど全体では6位とか7位とかそんなもん。まだ2年目らしーその走りがミコネンサインツソルベルグに並ぶ日は来るのか。来年も開かれるらしーWRCで確認してみよー。今度は仕事抜きで見に来よう。

 午後はラリーカーを整備する場所「北愛国サービスパーク」をぶらぶら。車を送りだした後で車を激しく整備している光景にはお目にかかれず、走りの一方のレースの醍醐味は味わえなかった。1時間半とかの間だを集中して飛び込んでくるF1マシンを手早くなおして送り出すサーキットでのレースと比べると、いったん出たら1日に数回しか戻ってこれないラリーだと、数時間とか抜けた時間も出て来て息は抜けるみたいだけど、くつろいでいてもいったんクラッシュとかって話が飛び込んでくれば、見えない車のクラッシュの程度も想像しながら準備しないといけないんで切り替えとかかえって大変かも。あるいはその間も緊張感をずっと維持しておかなくちゃいけないんで。

そんなことをやっているうちにロシアでは学校占拠事件が極めて残念な結末で解決。ニュースで走り出てくる上半身が裸だったり下着姿だったりするロシアの少年少女の姿がまずは目に焼き付いてしまう自分の愚かさはそれとして、こーゆー傍目にも「犯人=悪」って図式を激しく喚起し「大儀」なんてものの存在を自ら否定してしまっているよーな事件を起こしていったい、何の得があるんだろーかって思えてくる。そりゃ人質がいるのに突入してはモスクワの劇場でも数百人、今回も数百人単位で犠牲者を出してしまうロシア政府の対応に、世界の目が向くことは向くけれど、そーした事態の根本にロシアの政策があったとしても、子供たちを人質にして立てこもるゲリラに寄せられる同情は皆無だろー。

 もっとも、もう少しで3年になるアメリカ同時多発テロでは事件の根底にあったアメリカの政策、ブッシュの政策への非難が悲惨な事件を引き起こしたテロリズムへの怒りと、並び越えるってことはなくても結構な大きさでクローズアップされた。それも割に早い時期に。プーチン政権への非難がそーしたブッシュ政権への非難のよーにふくらみアフガニスタンやイラクに”同情”が集まったよーにチェチェンへの”同情”が起こらないのは、それがどこまでも”国内問題”に留まっているから、なんだろー。ロシアの影響力が世界へと大きくは及ばなくなって来た現れでもあるのかな。ともあれ今後も尾を引きそーな事件。成り行きを注視。


【9月2日】 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の上巻を途中まで。第1巻の「ハリー・ポッターと賢者の石」を読んだ時にこのハリー・ポッターって奴、秘められていた力が炸裂しては一気にヒーローの座へと躍り出て、仲間からも尊敬されて羨ましいってゆー、憧れと嫉妬が入り交じった複雑な感情を歓喜させられ、それが作品を評価する上でのネックになっていた所があったけど、最新刊でのハリーはなかなかどーして屈折したところが見えてきた感じで、ストレートなヒーロー像から離れて来てる。

 例えるならその昔に「機動戦士ガンダム」で見たアムロ・レイの態度に近いものがあって、「僕が一番うまくガンダムを操縦できるのに」って威張り驕慢になった挙げ句にホワイトベースの皆から疎まれ家出していった辺りに、重なる部分が感じられる。「ガンダム」だとそんなアムロが、仲間の死とかがあってやがて、自分がたった1人で戦っている訳じゃないことを自覚し、仲間のために戦うんだってことも理解して大人へと成長していった。

 「 ハリポタ」をずっと読んできた子供たちも、最初は純粋にハリーの格好良さに憧れていられたけれど、「不死鳥の騎士団」あたりでロンとハーマイオニーが心配してくれているにも関わらず、ヴォルデモードを撃退した自分の強さをどこか嵩に着る部分があって、プライドなかりがふくらんでいく様を目の当たりにして、これで良いんだろうかって思うよーになるだろー。仲間から呆れられ、見捨てられ、孤立していく姿にそれでも「天才は孤独だ」って思い込めるんなら仕方がないけれど、大半は自分が大勢の中で行かされていることに気づき、大人への階段を1段、上ることになるんだろー。

 作者のJ.K.ローリングが最初の段階から、子供にいずれ起こる思春期の鬱屈も含めて物語りを構想し、ハリーの成長とともに読者の子供たちにも成長していってもらおーとしていたのかどーかは分からないけれど、少なくとも現段階では、特権階級のヒーローが戦う姿にただ憧れ、溜飲を下げる勧善懲悪のファンタジーではなくなっていることは確か。だからこそ大人たちのやれ話が単純だの、キャラクターが薄っぺらいだのといった上っ面からの非難にも負けず、子供たちが自分の心情をそこに重ねながら、「ハリポタ」を熱心に読み続けるのかも。

 まだとにかく「不死鳥の騎士団」の途中なんで、ハリーがこれからどーなるのかはまるで分からず、ロンにもハーマイオニーにも置いて行かれた口惜しさから驕慢さを爆発させて、ますます嫌な奴になっていくのかも知らない。ダース・ヴェイダーよろしく驕慢さを理解されない口惜しさから暗黒面へと落ちていくのかもしれないけれど、出来ればやっぱりアムロ・レイがリュウ・ホセイやマチルダ・アジャンの死を乗り越え、大人の戦士として成長していく姿に覚えた感銘と同じものを、紆余曲折を経てそれでも正義と勇気を取り戻し、仲間も信じて世界を脅かす存在へと立ち向かっていくハリーの姿からも感じて欲しいもの。そんな話になっていってくれることをローリングさんには願おう。

 亀井静香さんが相変わらずのすけすけ靴下をはいてテープカットをやったかどーかを確かめに「アミューズメントマシンショー」へと行きたかったけど、明日から開幕するWRC(世界ラリー選手権)の初の日本での開催となる「ラリージャパン2004」を見るべく北海道へと行くことになってたんで「東京ビッグサイト」行きは諦め電車を乗り継ぎ羽田へと行き、そこから飛行機で千歳へと飛び電車で帯広へと入って明日からのステージ見学に備える。帯広なんて来たのはかれこれ20年ぶり。同級生の人たちと10日くらいかけて北海道を回った後半戦に立ち寄ったっけ。あの頃とどう代わっているのか記憶が飛んででまるで不明。旅行での最大の記憶は網走にいた時に日航ジャンボ機が墜落したこと、回っていたメンバーの1人の女性がマヌカン刈り上げだったこと、なんで仕方がない。

 スバルに連れてきてもらってるんで見るのは去年のWRCチャンピオンのソルベルグが走る所とか、全国から集まったメカニックが修理するところに限られそーだけど、何しろ日本で初めて開催されるF1と並んで世界のモータースポーツの頂点とも言えるWRC。その一端に触れられるだけで素ばらし過ぎる経験って言えそーで、「ワールドカップ日韓大会」の試合を直接見た経験ともども、子々孫々への自慢話になりそー。問題はそんな子々孫々を残すやりくりがまるで付かないってことだけど。「ラリージャパン」を見に来ている女性とかとお近づきになりたいけど、そんな時間もなさそーだし。困ったものです。せめて本場の豚丼だけは食おう。


【9月1日】 知らんどる間にチェ・ゲバラ入れ墨で有名なファブリッツォ・ミッコリ選手がユヴェントスからフィオレンティーナへと移籍していたみたいで、時期をズラしてペルージャを支えた中田英寿選手にミッコリ選手の共演が、フィレンツェを舞台に実現する訳でちょっと面白くなりそーな予感。もっとも中田選手は故障がまだ続いているよーで開幕早々からフル回転してくれそーもなく、気が付くとサブに回らされているってゆー日本人選手によくあるパターンに陥りやしないかと心配。ウェストブロムウィッチに移籍したって稲本潤一選手もしばらく出られないまま1月の移籍市場で放出されてそのままデンマーク行きベルギー行きとかって、ならないとも限らないからなあ。その意味でレギュラー確保な小野伸二選手はやっぱり凄い。後はこれをイタリアスペインイングランドでやってくれればなあ。

 街を歩くと書店がピンク色。最新作の「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」が発売になってどこもかしこも書店は店頭に上下セットで税込み4200円なんて巨額な本をどかんと山積みにして発売中で、まだ残る暑さの中をホグワーツのマントとか着てマフラーまでして立っている女性店員とかもいて本を売る大変さに同情する。マントを脱ぐと下が水着だってことはないよね。せっかくだからと「ときわ書房本店」にて1そろい購入。ここだけ配布中ってゆーポストカードをくれたけど別にあんまり嬉しくない。かといって風船をもらっても仕方がないし。

 それにしても今日1日でいったいどれだけの本が売れたのやら。静山社は初版で230万セットだか280万セットだかを作ったそーで上下に分ければ500万冊とかそんなもん? 出版大国の中国でだってトウ・ショウヘイの文選を500万部も刷ったかどーかってとこだからつまり、日本人にとって「ハリポタ」は偉大な指導者のお言葉以上に国民への影響力を持った本ってことになるのかな。ちなみにアマゾンジャパンでは8月末までに8万8000セットを予約で受注。これまた前作「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の3倍の数字だそーで五輪の終わった日本はまさにハリポタ景気に沸いてます。そんなムーブメントにまるで無関心な新聞って……分からん。

 いや凄い。もう凄い。音が聞こえてくるよーな漫画ってのは過去にも数々あるけれど、匂いが漂って来そーな漫画ってゆーのにはなかなかお目にかかれるもんじゃない。大友克洋さんの「最臭兵器」ってのはあるけどこれはアニメだからちょっと違うか。原作漫画ってあったんだっけ。いわゆる汚物がリアルに描かれていて、見た人に”悪臭”を想起させる作品だったらない訳じゃないけれど、正木秀尚さんの「ガンダルヴァ」(河出書房新社、上下巻各1000円)は全編から圧巻の匂いがわき上がって、読む人の鼻腔に芳醇で馥郁とした香りを感じさせる。

 どんな匂いだってかぎ分けてしまう香田って男が理想の匂いだかを探し求めていろんな人と出会っていくって連作漫画でまず出てくるのが患者の口臭が妙に気になるよーになってしまった女医さんで、それからフラメンコが好きな足のとてつもなく臭う女性が登場。ほかにも腋臭がとてつもなく凄くって両腕を開いて歩くと群衆が割れ道が出来るってゆー女性記者も出てきて香田はそんな女性たちと懇ろになったりならなかったりしながら匂いを追い求めていく。

 口臭に足の臭いに腋臭のどこが芳醇で馥郁だって指摘はごもっとも。女医さんは口臭に顔を顰めるし足の臭いがひどい女性は婚約者から婚約を破棄される。腋臭の女性記者は飲みにいったバーでやっぱり別の客から顔を顰められるんだけど、香田だけはそんな臭いに意味を感じ利点を見いだし、自分自身から漂う白檀のよーな匂いとのミックスなんかも図りながら官能的で熱情的な匂いを創り出す。そんな展開がスタイリッシュな絵柄でもって描かれた漫画を読めば、腋臭が納豆みたいな足が虫歯のひどい口臭であっても嗅いでみたい、我が物としてみたいって気になってくる。

 悪徳議員がその匂いに幻惑されて悪行を洗いざらいしゃべってしまうくらいの腋臭ってどんなに素晴らしいんだろう。白檀と混じり合うことでマンション1棟のカップルを官能に叩き込む足の匂いってどんなに香しいんだろう。顔を埋めてみたいその腋に。鼻先をすりつけてみたいその足に。どこかにいないかなあそんな女性(ひと)。男のはちょっと勘弁な。

 しかしこれほどまでにスタイリッシュでスメリッシュな漫画が連載されていた雑誌の版元から完全には単行本化されないまま埋もれていってしまいそーになる出版状況ってものに愕然。良くある話って言えば言えるけどでも、これを出せば世の中に確実にひとつの新しい布石を打てるってゆー確信を、現実のものにできない出版社の存在意義ってゆーものを考えてみたくなる。果たして発行されるかも分からないまま100何ページとかを描き継いだ正木さんは凄い。これをちゃんと単行本としてまとめた河出書房新社も偉い。売れると良いな。ってか売れてるよね既に。


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