縮刷版2004年3月下旬号


【3月31日】 遊んでいると思われるのが嫌で今日スタートの「海洋堂大博覧会」に顔を出すのはよそうと思っていたけど流石に「海洋堂」ともなると会社の古くてあんまり世事に通じてない人たちでも知っていたよーで「行け」と言われて”嫌々”ながらも出動。到着してまず会場へと入って巨大な「鬼娘」だか「成瀬川なる」だかを舐めガレージキットの類にかつての「海洋堂ホビーロビー」を思い出しつつ部屋を移ってそこにあさのまさひこさんが係わったらしーハイセンスなディスプレーに並べられた膨大な食玩用フィギュアを見て、こんなにもたくさんの種類のフィギュアを作って来たのかとその尽きないアイディアの豊富さネタの多彩さに感銘を受ける。

 これだけの種類に数をもし、ガレージキットでやろーとしてもサイズがあって原型師の体力も限界があるため、とうてい無理だったろーけどこれが玩具菓子とゆー小さい上にロットもはけるジャンルに展開することで、実現できたってことなんだろー。この後に行われたトークショーで村上隆さんはかねてからの持論「食玩はメディアだ」ってことを繰り返していたけれど、これだけの種類をそれこそ何万何百万何億と世界にバラまけたって意味でまさしく「メディア」だったと言えそー。あるいは従来のガレージキットが手書きの写本だったら食玩はグーテンベルクの活版印刷にあたる、革命的な発明だったってことになるのかも。何にとっての革命かは判断に迷うけど。アートなのか工芸なのか文化なのか産業なのか。

 もっとも世のオタクの人たちがこだわるほどには今の宮脇修一・海洋堂専務は村上さんの「アート」志向にあんまりこだわっていないよーで、トークショーでも最初は胡散くさげに扱っていたものが今では真剣に何かをしよーとしている人と認め、折角作った原型だからと例の「村上隆のSUPER FLAT MUSEUM」についても新しく「ロサンゼルスエディション」を作って販売することになったとか。どこのコンビニで売るのかは分からないけど数は前回に増して少なそーで、当日は朝からコンビニ回りに邁進しそー。コンビニ業界担当だからって役得なんかないし。

 ボトルキャップにカプセルトイに食玩と来た宮脇専務もそろそろ食玩から先に展開していこうとゆー考えがあるみたい。そのキーワードは「みやげもの」。つまりは美術館とか博物館に行ってミュージアムショップなんかに寄った時に買えるフィギュアってことですでに、大英博物館では海洋堂が手がけたフィギュアが売られていたりするそーだけど、それを全世界的に広げていくことで食玩に負けない規模の市場とそして、とてつもないステイタスが海洋堂に付いて来ることになりそー。

 それを望んでのこととゆーよりミュージアムに行ってロゴが入ってるだけのコップが何千円もする状況に憤って「そんならやっちゃる」的なクラフトマンシップが燃えたんだと思うけど、仮に例えばダリの美術館であの平面で描かれた世界が海洋堂ならではのノウハウで立体化されたら、あるいはピカソの「ゲルニカ」なんかが立体化されたら、どんな感じになるんだろーって想像も浮かぶだけに、これからどんな展開があるのかちょっと注目したい。ダリ自身も挑んだ立体化を越える造型、見せてくるでしょー。

 展示会場ではあさのまさひこさんが歩いている姿も遠目に観察。あと「王立科学博物館」の2期とか「黒澤明」フィギュアとか、ボーメさん原型による「鬼娘」の新バージョンとかが見られてやっぱり欲しくなる。ショップの方では今時珍しくなってしまった第1期の「王立科学博物館」がちゃんと売られていたけど既に買ってあるのでパスして、会場限定とゆー「ドン・キホーテ」のフィギュア1000円成りを購入する。しかし何故にドン・キホーテ? 公式ガイドブックは1500円とかするけど美術展の図録に比べれば破格の安さで加えて海洋堂が手がけた食玩の、ほとんどが網羅されているみたいなんであれを持ってるこれはない等々、色違いも含めて確認するために1冊は持っておいて損はなさそー。毎日先着2000人には「チョコQ」の「アメリカザリガニ青色変異固体入り」が付くそーな。どんなザリガニだ?

 LPも持ってたし「風街ろまん」は「夏なんです」が聴きたくてCDも買い直したけどでもやっぱり、こうまとまると買わなきゃいけないって気にさせられた「はっぴいえんどBOX」は、エイベックスなのにCCCDではない不思議さは別にして3枚のアルバムに加えて中津川でのライブとかレアな音源とかが入ったCDが入っているのが嬉しい限り。何より代々木の「国立霞ヶ丘競技場」で1985年に1度だけ復活した時のライブが復刻されているのが素晴らしい。

 解散して後まさか復活するとは思わなかった「はっぴいえんど」のたった1夜の復活劇。その驚きにうち震えながら当時、発売されたLP盤を買って針を落として聞き込んだ感動を今一度味わえるかと思うと嬉しさで胸がぱんぱんになる。パッケージが無駄に豪華で開けるのが勿体ない気もするけど聴いてナンボの音楽なんで、ここは潔く封を破って毀誉褒貶な松本大洋さん描く覆面ビーチの箱を開け、中より取りだして聞き込むとしよー。「タワーレコード」のおまけの手拭いは「はっぴいえんど」も良いけど「ゆでめん」と染め抜いて欲しかったかも。

 あー勝っちゃった。いや喜んで良いはずなんだけど素直に喜べないのはこれでまたさらに現政権の命脈がしばらく保たれてしまったってことで、改善するタイミングを図れないままぼわーっとした試合をやって1点差で勝ち星を重ねながらも一方で、大量得点を稼いだオマーンがやっぱり全部を勝ち抜いた上で、最後にホームに日本を迎えて勝ってしまって、得失点差で勝ち抜けてしまうとゆー事態もあり得そー。「合流した時にぼわーとした雰囲気があったが、それが今日のウォーミングアップにしても否めず改善がまったくされていない」と、中田英寿選手が試合後のインタビューで言い切ったことが多分すべてで、これを改めるには何をすべきかを考える必要があるんだろー。黄金4人の1枚を抜いて前半から藤田俊哉選手が入っていたら何点差で勝てたのか、それをどーして現政権はしないのか、って辺りも含めて。


【3月30日】 本屋のレジに並ぶと前に並んでいたマンサラ野郎が、買った3冊ものコミック本にカバーをつけてくれとか言いだしやがって、人が後ろに並んでいる時くらいは遠慮しやがれと憤って見るとそれが「げんしけん」だったんで、仕方がねえなあとその趣味嗜好にシンパシーを覚えてここは大目に見てやるかと怒りを静めたところ、にカードをお返ししますここにサインをして下さいと言う店員の声が聞こえてこのマンサラ、「げんしけん」をカードなんかで買ってやがったのかと気付いて、一体どんな顔をすれば良いのか分からなくなる。笑って見送るべきなのか。それとも怒りに背中をどつき倒すべきなのか。ダイナースもしくはアメックス金だったらチョークスリーパーか。でじこカードもしくはGAカードだったら許せるか。

 えっとレッジーナでも「ロテイロ」とかって使ってるんでしょーか教えてくださいサッカー界隈でペンを取ってご飯を食べてるスポーツ新聞の人。もちろんそーだからこそシンガポール相手のワールドカップ1次予選「vsシンガポール代表戦」で試合級がミカサの「キックオフ・ブリリアント」になったことを取り上げ「感触の違いは中村、遠藤らのFK、CKの精度にも影響を与えることになる。相手が引いてくることが確実なだけにセットプレーは重要。わずかな誤差でも無視できない問題なのだ」なんて書いたんだろーけど、もしも仮にレッジーナが「ロテイロ」を使ってなかったとしたら、遠藤選手はともかく中村俊輔選手の場合、「ロテイロ」にする方がよっぽど「FK、CKの精度にも影響を与える」ことになるんじゃなかろーか。

 なにしろ「ロテイロ」、あの無失点ゴールキーパーの楢崎正剛選手が「週刊サッカーマガジン」2004年4月13日号で「最悪ですね」「フィーバーノヴァに変わったときよりも、その変化は大きかったですよ」ってコキ下ろしてるくらい違いのあり過ぎるボールなんだから、もしセリエAで蹴り慣れていなかったとしたら、繊細な中村の左足に激しい違和感を与えて不思議はない。むしろ普通のボールに近い「キックオフ・ブリリアント」の方がバシバシとFKでもCKでも決められそーな気がするけど。PKは決められない? それは……あるかもね。ってか大学生とか女子とかに、ボールを供給してくれているミカサに対して「ダメじゃん」的な印象を与える記事をサッカー界隈でペンを取って食べてる記者が書くのってどーよ。「ボールの違いでガタガタ言うなよエリートなんだから」って突き放すくらいのこと書いて欲しいもの。でないと負けた時「ボールが違った。だからアジアのチームは云々」なんてジーコ監督の言い訳のネタにされちゃうよ。

 読み返すしかない、のかもしれないテッド・チャンの「あなたの人生の物語」。タカノ綾さんが「SFマガジン」で連載している「飛ばされていく 行く先」の第5回目、2004年5月号掲載分で取り上げていて本編の方を読まずにさいしょにこの短編を読んで、ここまで言うならと買ってあったまま積ん読にしてあった短編集を手に取って、大リーグのオープン戦「タンパベイ・デビルレイズvs阪神タイガース」の試合が始まるまでの間に一気に読んだんだけど、宇宙人からあれやこれやおそわって全能めいてしまった女性がリニアな時間では過去になった”あなたの人生”を遡って振り返るとゆー、微妙に不可思議な展開にこれのどこが傑作なんだろー、認識をごまかしているだけなんじゃなかろーか、なんて思ったんだけどおそらくは、そーした人間の認識の枠組みを超越したところに広がる、新しい世界のよーなものを示唆しているところに魅了されるべき話なのかもしれないと、考え直してそんな感動を得ようと思い返している次第。あるいはまるで違って新しい認識を得た女性が失われた過去を未来に見ることで自分を慰めている悲しさに涙するべき話なのかな。やっぱり再読が必要そー。

 マンチェスター・ユナイテッドショップを作りミランショップを作りインテルショップを作りユヴェントスショップを作りバルセロナのショップまで作ってそんなにライセンスをかき集めて、この日本でいったいどれだけの集客が見込めるのってお台場の「グランドーム」に行く度に心配になっていたけど案の定、そーした拡大投資がかさみすぎたよーで日本スポーツビジョンが敢えなく倒産。産業再生法を申請した上でシューズのエービーシー・マートの本格支援を待つ身となった。なるほどワールドカップの熱気で沸いてバブル的に売り上げが膨らんだ反動が出たってこともあるけれど、それをバブルを認めつつ静かながらも広がり始めたサッカーへの感心をうまく取り込み、広げていけば良かったものを今がブームと一気に拡大し過ぎたのが結果、仇となったんだろー。今が旬のレアル・マドリッドのライセンスを取れなかったのも痛いのかな。取ったら取ったでさらに負債が膨らんだ可能性もあるけれど。

 「グランドーム」には結構お世話になって最近でも新しい日本代表のユニフォームを買って背番号も入れてもらったんだけど、そーしたサービスがあるいは受けられなくなったら辛いんで、後を継ぐエービーシー・マートの人にはこれまでのラインアップとサービスを継続して欲しいもの。バスケットもランニングもどちらかと言えばユニフォームが中心でシューズ関係は決して強くなかったから、そこにエービーシー・マートのノウハウが加わればそれなりな規模を持ったオシャレ系スポーツショップが出来るのかな。期待。それにしても去年の10月に買ってすぐに売り飛ばす幻冬舎の行動が謎また謎。まるで出版と無関係な事業に手を出した理由が分からなかっただけに、あっとゆー間のスルーには別に狙いでもあったんだろーかと訝りたくなる。あるいは単純に売り上げを大きく見せたかったのかな。真剣にスポーツとのシナジーを考えていて、編集作業とか進んでたスポーツ関係の本とかあったらどーなるんだろー。ちょっと心配。半分は興味。

 いやもうタワケかと。つぶれ甘食かと。トレンディーな情報をグラフィックも満載に流しては駅で手に取る人たちに、今どこに行ったら良いか何をしたら良いのかどれを買ったら良いのかを提供できる、他にあまりない新しいメディアへと生まれ変わってそれが、それなりに好評を得て個人の読み手を増やしているらしー某経済系の新聞の、センター部分に未だ油の香り機械の騒音が浮かび上がって来るよーな旧態依然とした産業工業の記事が掲載されていることだけでも、統一感がなくどちらを向いているのか判然としていなかったのに、これに加えて企業がこのシーズンに持ってくる部課長あたりの人事リリースを、すべて載せるとゆーから奇絶怪絶また壮絶、ひっくり返る。

 過去の産業工業専門メディアの時代だったら他と横並びのメディアとして載せる意義があったものの、減り続ける人員にすべての人事をフォローすることままならず、結果載せないことになった。それで大きく部数が減ったかとゆーとさにあらず、むしろ人員が減ってすべての産業をフォローし切れなくなったことがダメージとなって現れ更なる部数減へとつながった。そんな工業産業専門メディアの枠組みから降り、「おしゃれ」なビジネス紙へと華麗に生まれ変わった今ならなおのこと、人事を載せるなんて不必要、むしろ新製品の情報を少しでも多く載せた方が新しい読者には喜ばれるだろー。

 にも関わらず、おまけに前の産業工業専門メディアの時代の末期よりも担当している人間が減っているにも関わらず、どこで誰が何を言ったか分からないけどページを増やして人事を載せるとゆーから分からない。駅で買ってトレンディな情報を知りたいと思った読者が新聞を開いてまるで無関係な人事が3ページ。金返せってきっと思う。僕なら思う。けど偉い人たちにはそれが分からんのですよ。人事を載せれば部数が稼げると思っているのですよ。ただでさえ減ってる人間に人事なんて書かせてそれで、リリースの1本2本が載らなくなる方がダメージ多いと思うんだけど。いつか来た道、たどってます。


【3月29日】 「新宿渋谷はコドモの盛り場。オトナだったら日銀丸有」。なんて標語はまだないけど、いずれ遠からず日本橋と銀座と丸の内と有楽町のJR東京駅から有楽町駅を挟んで囲んだスクエアなエリアを「日銀丸有」とか「銀有丸日」とか呼んで、東京のショッピングの中心地としてもてはやしそーな雲行き。かつて「白木屋」があって「東急百貨店日本橋店」となって幾星霜、入らぬ客に店を閉めて(最後の日に行って屋上に上ったなあ)立て替えを続けて幾年月かが流れた明日3月30日、生まれ変わった新しいビルがオープンしてはこれまでの日本橋にはなかった新しいショップを展開しそーで、物珍しさに惹かれて大勢の来店客を日本橋エリアへと集めそー。

 銀座と有楽町に関してはそれこそ「有楽町で逢いましょう」「銀座の恋の物語」の時代から大きくは落ち込まず商業の中心地的な役目を担ってて、これに最近ではブランドの路面店が加わってさらに繁盛の兆しが見えて来ている。丸の内に関しては「丸ビル」オープンの前あたりからオフィスビル群の1階部分にブティックなんかが入り始め、これに「丸ビル」のオープンが加わってオフィス街ってイメージから新しい商業地域ってイメージに変わりつつある。

 けれども日本橋については、高島屋があり三越があって東急もあった商業の中心地も景気低迷と消費者のデパート離れで寂れた感じが強まり、東急の閉店で止めを刺されたかに見えた。それがここしばらくの東京駅を挟んで丸の内口と八重洲口で展開される新しいビルの建設とか、古いオフィスビルの1階部分へのカフェやらブティックの進出なんかがあって、日本橋界隈にちょっとばかり賑わいが戻りつつあった。そこに「COREDO日本橋」のオープンが加わって、一気に商業地域としての輝きを取り戻して来た感じが強まった。

 「COREDO日本橋」に入ってる店は「丸ビル」ほどゴージャスでないけれど、「ユナイテッドアローズ」があって「ソニープラザ」があってこれまで日本橋では買えなかったものが買えそー。さらに玩具のタカラが初めて手がけた直営店の「GARAGE」には、あの電気自動車「Q−CAR」の都内最大規模のショールームや、デザイン家電「プラスマイナスゼロ」の全てが見られるコーナーがある上に、「モノマガジン」なんかに載ってそーな格好良い系のキッチン用品にステーショナリーに雑貨にアウトドアグッズが置かれてて、行けば必ず面白いものが発見出来そーで、平日は近所の会社の人、休日は親子連れなんかを集めそー。

 「王立科学博物館」とか「村上隆のSUPER FLAT MUSEUMU」」なんかを手がけて岡田斗司夫さんの「オタキング日記」にもしばしば名前が出てくるタカラの人がプロデュースを手がけたそーで、「モノマガジン」とか好きな人なら行ってあれやこれやを身ながら1日だって楽しめそー。もちろん「王立科学博物館」なんかも置かれることになるんだけれど、コンビニエンスストアのよーに棚に並べられるんじゃなく、科学とか宇宙といったものに関する商品が書斎風の部屋に集められたコーナーに、天体望遠鏡とか地球儀なんかと並べられているからもう格好良い。大人の中に眠っている子供の頃にあった宇宙への憧れを部屋全体が喚起してくれて、そこに居るだけで幸せな気分になれる。

 凄いのは200万円もするテムザックの番竜まで売ってるところで、日本とゆーより世界でも唯一、本格的なコミュニケーションロボットを置いた店ってことになりそー。問題はここに来て「番竜包んでください」なんて買って帰る人がどれくらいいるかってことだけど、噂には聞いても目にする機会のなかったものが目の当たりにできるってことで、話題を呼んでお客を集めた中から本当に買うって人が出てくる可能性もあるからなー。「Q−CAR」の「ケイターハム版ロータス7」を模したバージョン「Q−CAR7」を177万円で買って「番竜」を200万円で買って他、「プラスマイナスゼロ」のテレビとかいろいろ買って500万円を、ここで1時間で使っちゃいました、なんて人も出たりして。1億円くらいあったらやってみたい。

 「しかし私たちは、ジーコがまる1年半をかけてつくった『自由』チームが、04年W杯アジア1次予選オマーン戦でどのような弱点をさらしたかを忘れてはならない。『自由』で対処できない予想どおりの事態に陥った時に選手たちは、前線へと放り込む力づくの戦法しか取れなかったのだ」ともし、書いてあって果たして納得しがたいと言う人がどれくらいいるのだろう。実はこれ、「R−25」ってリクルートが出した都市型フリーマガジンの最終号に掲載されてた永井洋一さんのコラムのパロディで、本家の方は「トルシェがまる4年かけてつくった『管理型』チーム」がトルコ戦で見せた型から逸脱できない攻撃ぶりからトルシェの限界を非難しつつ、ジーコを持ち上げた内容になっている。

 なるほどトルコ戦に限って言うならそーゆー事は確かにあったけど、トルコ戦をのみもってトルシェには罪しかなかったと断定する手口はだったら、今の「自由」とゆー名の「放任」しかないA代表でトルコ戦まで行けたのか、あのロシアにベルギーを抜けたのかってゆー問いかけに答えているとは思えない。「R−25」のコラムだと「自由」があったからこそ最後に「ロングボールになだれ込むという、力ずくの戦法に”自主的に”切り替えて、久保の決勝点の下地をつくった」というけれど、それはすなわち「ジーコの基本コンセプトをかなぐり捨て」た結果であってジーコのチーム作りも采配も、まるで通用しなかったってことを示唆してる。

 にも関わらず非難するのはトルシェのみ、ってゆーそのバランスの悪さが読んでいてどーしても喉元をザラ付かせる。「アンチ・ジーコ派の多くが、トルシェ流の管理サッカーの復活をのぞんでいる」って? だから「一部サポーターが、ジーコ更迭を求めるデモを行な」ったって? 違うってば。単純明快にジーコ監督ではドイツにいけそーもないから解任を求めただけだってば。トルシェ的とゆーか欧州的な戦術サッカーは選択肢のひとつに入っているけどトルシェそのものの復活は望んでいないってば。「本当の意味で自立させるには(トルシェの4年と)同じくらいの時間が必要だ」って? その時には予選は終わってる。でもって本大会が始まってる。そこではトルコ戦は繰り返されないだろー。何しろそこに出ていない可能性があるんだから。出ていてもグループリーグを突破できない可能性があるんだから。その時でもやっぱり「型」より「自由」が良いと言うんだろーか。言いそーだなー。

 いやもう阿呆かと。唐変木かと。コンシューマー寄りに紙面をがさっと作り替え、1面から美少女が化粧してたり松井選手がホームランを打ってたりする記事をゲシゲシと入れては、最新のトレンドを得よよーと駅のキオスクで手に取ってみようと思う人を増やし、開いても健康とか暮らしとかトレンドとかファッションとかいったものについて割に長めの記事でもって、読んだ人がもらってうれしい情報を伝えるといった、一種のコラムペーパー的な内容で何とか生き残りを画策しよーとしている某経済系の新聞の、未だ残った盲腸みたいな産業記事を伝える面が、そーした傾向に即してよりトレンドを追求する方へと、遅ればせながら向かうと思いきや、まるで時代を逆行するかのよーに鉄だの電力だの造船だの、石油だの電子部品だの工作機械といった、駅売りで新聞を買った人にはまるでちんぷんかんぷんな、はっきり言えば無駄金を払ったとした思えないよーな記事をますます載せていくってゆーから唖然呆然、何事が起こっているのかとひっくり返る。

 なるほどそーしたニーズがあるから未だ、産業新聞工業新聞の類は命脈を保っているんだけど、そこから降りて「おしゃれ」とかいったキャッチフレーズを唱えながら、体裁をガラリと変えた某経済系の新聞が、今なお一部でそーゆー部分を残している、ってゆーか残さざるを得ないあたりに十分な論議を経ず、コンセプトメークもマーケティングもまるでしないで「とにかく変えろ」と走り出してしまった事態の、歪みみたいなものが浮かび上がる。こだわりと言えば聞こえが良いけど単に変わるのが怖ろしい、そこで変わって過去に獲得していた読者をごっそり失うのが怖ろしいとゆーことの裏返しに過ぎず、挙げ句に一般消費者に向けているのか企業関係者に向けているのか、若い人に向いているのか年寄りたちに向いているのか判然としない、どっちつかずの紙面が出来上がるって寸法。少ないリソースを適正配分もせずばら撒きまくって、それでいて巨大資本とタメ張ろうってゆー人たちと、そーゆー人たちに「過去には戻れない」と特攻精神で付き合う人たちの行き着く先は果たして? 答えが出るのはそんなに遠くないかもね。


【3月28日】 春恒例の「ローザンヌ国際バレエコンクール」をNHK教育で録画しながら視聴。男子はともかく女子が「京城アジアバレエコンクール」とでも言えそーに韓国と中国と日本からの参加者が決勝に残った6人中の4人だったっけ、半分以上を占めててそれもこれはあるいは「昴」効果かなんて想像したけど、日本はともかく韓国中国で「昴」は刊行されてないだろーからアジアの女性バレリーナが漫画の影響でカンヌを目指すよーになったってのは違ってそー。むしろ増えるアジアからの参加者像が「昴」のあの描写につながったってことになるのかな。どっちにしたって「昴」は途中で突然終わって未だ続きは描かれない状況。っても中年になった昴が容色に衰えを見せながらも壮絶に踊る漫画じゃ読んでも辛いだけなんで若々しい段階での沈黙も致し方なしって所か。

 まるで素養のない目で見て気に入ったのは韓国から参加のイ・サンウンさんでクラシックで可憐に「ジゼル」を踊って見せたと思ったら、コンテンポラリーでは全身タイツのなめまかしさと中性っぽさが混じった格好でピアノだけの静かな曲を、長い手足を先まで使って踊ってレパートリーの広さを見せてくれた。残るフリーでも脚に巻き付くよーな長いスカートをたなびかせはためかせながら優美に華麗に踊ってくれて好印象。これは結構良いところに行くかと思ったけど何の賞も取れず。素人目とプロの目とではやっぱり見るところが違うらしー。スカラシップ賞を取った贄田萌さんもフリーはなるほどコミカルで可愛らしかったけど昴ほどの高揚感はなかったからなあ。漫画と比べるな? ごもっとも。

 さらに真夜中にフィギュアスケートの「世界選手権」をテレビでちらちら。桜野タズサがいつ出てきて悪口雑言を吐いてくれるか期待したけどそこは小説じゃなく現実の世界だけあって涙する村主章枝さんがいたり4回転をやらない安藤美姫さんがいたりして、漫画や小説やアニメみたいに銀のロマンティックは決まらないことを思い知らされる。とは言えそんな現実の中をひとり荒川静香さんだけは長い手に頑丈そーな脚を存分にブンブンと振り回してはダイナミックで可憐な縁起を見せてくれて見事にトップをダッシュ。続く選手が割りに良い点を出してきても抜けず1994年、ってことは10年振りの佐藤有香さんに続く金メダルを獲得した。パワーとスピードがどちらかと言えば評価されたっぽい89年に伊藤みどりさんに先の佐藤さんと比べて荒川さんは見目でもクリスティ・ヤマグチさんミッシェル・クワンさん辺りと互角以上の戦いを繰り広げられそーなのがメディア的にも嬉しい所か。でもスポーツ新聞でどこもトップに持って来ないのは何故? パ・リーグの開幕とぶち当たったのが不幸か。

 とはいえそのパ・リーグでも人気でトップの西武ライオンズに実力トップの福岡ダイエーホークスをおしのけ「スポーツニッポン」の2004年3月28日号は千葉ロッテマリーンズがトップに来るとゆー快挙。これがバレンタイン監督解任の時だか伊良部投手の大リーグ行きの時だかいつ以来の事になるのか想像もつかないけれど、韓国から招いた大砲のイ・スンヨプ選手がライオンズの松坂大輔投手を打ったニュースが決して無理目のトップじゃなくって、立派に置いて相応しいトップって感じになってて今年のパ・リーグがバリューでもひと味違うってところを伺わせる。仮に松坂でなくても札幌日本ハム・ファイターズの新庄剛士選手だったら華があってトップに置いて遜色はなく、その意味で日替わりでもパ・リーグがスポーツ新聞を席巻できる年がいよいよやって来たって言えるのかも。でも阪神タイガースが突っ走るなりニューヨーク・ヤンキースが爆発すればやっぱりパ・リーグは5面行き、になるのかな。あと3人くらいスターが欲しいなあ。メジャーから超有名選手が1人来てルーキーでダルビッシュ投手が入ってついでに平山相太選手も野球入り、とか。ポジションはどこだ?

デビルレイズのマスコット「レイモンド」はグラウンドにスタンドに神出鬼没でファンサービス。これがあるからメジャーは行って楽しい見て嬉しい  ニューヨーク・ヤンキースが到着したことは華々しく紹介されたのに同じ開幕戦で戦うタンパベイ・デビルレイズがいつ来たのかまるで報道されず、あるいはこっそり地下鉄で来たのかそれとも神戸に船で上陸したのか、考えると夜眠れなくなっちゃうからあんまり考えないよーにして、高い競争率に断念した本ちゃんの開幕戦とそれから読売ジャイアンツとニューヨーク・ヤンキースの試合の裏番組ってゆーか前座ってゆーか、とてつもなく簡単にチケットのとれた阪神タイガースとタンパベイ・デビルレイズの試合を「東京ドーム」まで見物に行く。裏番組ったってかたや去年のセントラル・リーグの覇者であり、こなたイチローをシアトル・マリナーズで面倒見たルー・ピネラ監督が率い松井秀喜選手と新人王を争った1人のロッコ・バルデリ選手とか、元ヤンキースのティノ・マルチネス選手とかいたりと全員が現役大リーガー(当たり前だ)とゆーチーム。その激突を見ておいて損があるはずもなく、開場から間もない時間に入ってグラウンドで選手たちが練習する様から観察しつつ気持ちを高揚させる。

 でもって始まったセレモニーでは国歌斉唱を錦織健さんが担当して、それも米国国家と日本国家を1人で唄う錦織ファンにはたまらないサービスぶり。ハイトーンな所のある米国国家を浪々と歌い上げ、メロディの流れが大切な日本国家も切々と歌い上げてこれぞ日本を代表するオペラ歌手って所を見せてくれる。日本代表の試合で唄った日本を代表していたはずの女性ロッカーとは偉い違い、だよね、七瀬。さて試合はタイガースが元大リーガーの伊良部秀輝選手を送り込んでくるなかなかのサービスぶり。気分だったら明日のヤンキース戦で投げて古巣に恩返しなり復讐なりを果たすってのがドラマチックだけど、そーゆーアングルの中に放り込まれるのを嫌がったのか、単純に開幕をにらんでのスケジュールに会わせたのか今日とゆー日にその威容を見せてくれて、裏番組を選ばざるを得なかった人も日曜日にタイガースの試合を見に来た人も満足させてくれた。ありがとう岡田監督。ありがとう伊良部選手。

 そこで打たれまくったらドラマの興も殺がれるところだったけど、流石は元大リーがにして出てはいないけどチャンピオンリングを持つ男。2本のホームランこそ打たれたものの塁に出しても後続を断つピッチングで大量得点を許さず、開幕に向けてしっかりと作り上げて来ている模様。打の方は赤星選手を筆頭に日本人から外国人からしっかりと出来上がって来てて、こっちは明後日から始まるヤンキースとの開幕戦に備えて一線級を温存した関係で、去年あまり勝ってないデビルレイズの投手陣をうち崩して大量7点をダッシュして今年もやってくれそーな所を見せてくれた。もっとも最終回に追いつかれてドローで終わった辺りに今年をスタートダッシュし逃げ切りを見せる上で不安がありそー。立て直せるか? 絶対的なストッパーがやっぱりいるのかな。

 バルデリ選手は2本塁打で流石新人王候補ってところを存分に披露。盗塁王をとったカール・クロフォード選手も1塁からヒットで生還って足の速さを見せつけてくれたりと、これでピッチャーさえ良い玉が揃っていれば今年のデビルレイズはアメリカン・リーグでヤンキースとかレッドソックスとかマリナーズとかを相手にちょっとやってくれるかも。ニューヨークには行ったことがないけどフロリダにはタンパベイは別にしてオーランドにマイアミシティにマイアミを訪問したことのある身として、是非に頑張って欲しいもの。応援しよーかな、切込隊長みたく帽子も買って。いっそフロリダ・マーリンズとリゾート・プレーオフをやってくれればフロリダの観光も一気に盛り上がるってもんだ。視聴率は稼げなさそーだけど。


【3月27日】 完結、なんだけどこれで完結ってのも何だか物足りなさが残る三浦真奈美さん「アグラファ7 赤い砂のリグリア」(中央公論新社、900円)は最初、2つの国にそれぞれ立った希代の戦略家たちが国の命運をかけてやりとりしあう物語に多くの仲間が参集しては群像劇を繰り広げる、例えるなら田中芳樹さん「銀河英雄伝説」のよーなスーパースケールの戦国絵巻へと発展していくのかと思っていたけれど、国と国とのバトルめいたものはあっても総力戦とはいかず、陰謀の類がうごめくでもなく、直情傾向の青い若者と脳天気なくせに直感だけは発達している若者が、1つの領地を取り合っては最後に手を結んでシャンシャンとなるエンディングに肩すかしを食らった気分を味わう。

 「神の声」ってのが結構大切な要素になっててそれを発することができる男が2人の若者の間をいったり来たりしてはそれぞれに幅員をもたらすんだけど、彼の立場彼の役割彼の正体が未だ判然とせず狙いも分からないまま姿を消してしまうのも不満とふーか不可思議。あるいは神の気まぐれを体現する存在だったのだとしたら、そんな気まぐれに翻弄される人間達の阿呆さ加減を見せてくれるか逆に気まぐれさを越えて自立し発展していく人間の素晴らしさなんてものを、感じさせて欲しかったんだけど狂言回しにもあまりなっていないままのフェードアウト。ここにも欲求不満が残る。けど話を広げすぎた挙げ句に収集がつかないまま未完で終わられるより、最初は互いに反目しあっていた2人の若者がお互いの才能を認め合うまでに育ち研鑽を積んでいった過程を見られたってことだけで、この話を読んだ価値はあったかも。まずはお疲れさま。そして次も楽しい作品を。

 肩すかし、ってゆーか肩の力を抜きすぎな感じを抱いた井上剛さん「響ケ丘ラジカルシスターズ」(ソノラマ文庫、552円)は宝塚によく似た響ケ丘歌劇団の入ったばかりのお姫さま系にお姉さま系にお嬢ちゃん系の3人組が何の因果か歌劇団を狙う一味と戦羽目になるってストーリーだけど、過去から伝わる特殊なアイテムを使って「ラジカルシスターズ」なるものに変身しては必殺技を決めぜりふともども可憐に見せてくれる展開を期待したらさにあらず、襲ってくる敵も半ば逆恨み系のしょぼい存在なら守る「ラジカルシスターズ」も強さは半端で財力も世界を支配する程のものではなく、挙げ句にたどり着くエンディングも意外に根深かった敵との因縁が晴れるどころかますます暗くなりそーで、成長の物語も勧善懲悪のカタルシスも得られなさそーな予感がして不安を覚える。

 別に力もないのに強大な敵と戦う羽目になったヒロインたちが偶然必然のすべてを使って卑怯技だって繰り出しながら敵を駆逐していく、「笑うミカエル」みたいなギャグいっぱいで時々センチメンタルなエピソードも挟み込まれる展開だったら、「そんな莫迦な」とふくれながらも笑って楽しめたかもしれないけれど、現実をそれほど逸脱することのない展開になってて納得はできても圧倒は得られず読んであんまりワクワクした気持ちは得られなかった。それでも宝塚の、じゃない響ケ丘のことについてはモデルがある関係で結構緻密に描かれていて知らない人は勉強になるし知ってる人はそうだそうなんだと楽しめそー。キャラクターもそれぞれにしっかり立っててとりわけ、庶民派の柚子、じゃなかった忍の脳天気ぶりはなかなかで、彼女を軸に史緒ならぬまどかと和音ならぬ由宇がいがみあいつつ協力し合って進められる戦いに、注目しつつこれからの発展ぶりを期待しつつ様子をながめて行こー。続きが出る保証はないけれど。

ポスター下さいって「ハロスタ」までもらいに行ったらやっぱり塩巻かれるかな銃殺されるかな  コミックの女の子が描かれたポスターに目を惹かれ心奪われた、ってことも半分ありつつ半分は仕事で津田沼の「ダイエー津田沼店」にオープンした「ハロースタジアム」を見物に行く。ローティーンの女の子向けビューティー&バラエティショップってことで先週渋谷の「109−2」に出来たバンダイの「コスメティックパーラー」みたいなものかと思っていたけどあっちが開店当初から何十人とか何百人って来場者が詰めかけ大混雑になっていたのと比べると、先着1000人にバッジを配るってサービスがあったにも関わらず開店時に来ていたのは10人ほど。宣伝がまだ行き届いていないにしてもちょっぴり寂しい滑り出しに大丈夫なのかと心配になる。

 それでも開店するとそれなりにお客さんが来たからまあ安心。プライベートで見物に来ていた高木邦夫社長の彼を迎えた津田沼店の人たちも、とりあえずは安心したんじゃなかろーか。置いてある品々はソニー・クリエイティブプロダクツあたりがやってるディズニーのキャラクターが入ったグッズだったり水森亜戸さんのイラスト入りのグッズだったりで、何故か「ロサンゼルス・ドジャース」と「ニューヨーク・ヤンキース」のグッズがあってこれってローティーンの女の子に人気なの? って思ったけれど「福岡ダイエーホークス」よりはデザイン的だし案外に、元ネタを知らず「LA」に「NY」のロゴを格好良いって思うかもしれない。あと置いてあるのは化粧品の類で、バンダイの「メゾピアノ」みたく本格的なものではないけど使って安心、買ってもリーズナブルなものが多く加えて指導してくれる人もいるってことで、ご近所にすんでる人たちでも財布に相談することなく、安心して立ち寄ってはキレイに挑戦できそー。まあ「109」じゃなくって「ダイエー」なんだから当然か。

 あとここん家の特徴は抽選で当たるとプロカメラマンに写真を撮ってもらえるってことで今日も今日とて後ろで長い髪をしばったおじさんカメラマンが本格的な証明施設を備えたスタジオに陣取って、助手も使って次々に出てくる素人女の子たちを盛り上げながら写真に収めていて羨まし……じゃないそのプロフェショナルぶりに感心する。撮れた女の子たちの写真は店に張り出されるそーなんで溜まった頃合いを見計らってチェックに行こう。それにしても津田沼なんて彼方の1コーナーのオープンをわざわざ見に来る高木社長のフットワークの軽さにも感心。先週の「たまごっち」発売に「メゾフォルテ」開店を見に来ていたバンダイの高須武男社長といー、どーゆー理由かは知らないけれど村上隆さんに「パシフィコ横浜」まで来ていた角川書店の角川歴彦会長といー、仕事にそれなりの成果を挙げている人は行動にもそれなりなものがあるんだな。偉ぶって外に出ず会っても偉い人たちばかりで現場から遠く離れてフィルターにかけられた情報にのみ接し続けて歪んでいく経営陣がいる会社は見習いなさい。僕んとこ? さてはてどーだったっけ。


【3月26日】 佐藤友哉さんは芸術の爆発的な歓喜を得てインスピレーションを喚起させるために、岡本”芸術は爆発だ”太郎さん最大の傑作「太陽の塔」を見たてみたいそーなので、3号がまだ出るか本当に確定していない「ファウスト」でのルポルタージュが難しかった時にはファンの皆さんがカンパか何かで支えてあげましょー。手作りの「太陽の塔」を送りつけるのは……それはそれで風変わりな「太陽の塔」とか送られてきて新たなる芸術の爆発的な歓喜をもたらすかも。本当に爆発したら困るけど。

 そんな話になんで行ったかかわらない25日に開かれた「ファウストフェスティバル」のリベンジトークセッションは本番では東浩紀さんの独壇場となった佐藤友哉さん×滝本竜彦さんのトークを再び講談社のビルでやってしまおうって企画で、葉書を出して返ってきた当選券を握りしめて入った会場は佐藤さんファンの女の子たちと滝本さんファンの男の子たちが山程。活字離れと呼ばれる世代だけど今をときめくトップランナー2人のそーした世代への到達力は半端じゃないものがある。

 ってゆーか本屋に山積みのライトノベルの文庫の山にどこが活字離れじゃい、って言いたくなるけど世間(おおてますめでぃあ、と読む)は「芥川賞」の受賞作が100万部売れて初めて活字離れに歯止めがかかった的な見方をしないから困ったもの。本屋にも行かず本も読まないおっさん世代が引きこもって新聞とテレビだけ見て作ってるからそーゆー事態になるのです。情報の純粋培養ってゆーか濃縮化ってゆーか。

 そんなことだから「東京国際アニメフェア2004」なんて格好のネタがあってもやれビジネスチェックがどーとか行って自分たち(だけ)が知らないことを世間様も知っていないと思い込んでは上っ面だけ数字を集めて並べてみせる。やっぱり同様に世間に疎い団塊とかその下の世代の管理職が読んで「アニメとやらは今こんなになっているのだ」とご託宣を述べて若い奴らに知った「アニメでビジネスを立ち上げろ」とスクラップを手に叫んでも、そんな事態になっていることはアニメに浸りきって育った若い部下の皆さんは先刻承知。でも命令だからと仕方なく「やれやれ」と言ってリポート作りに励むとゆー、ジェネレーションのギャップにコミュニケーションの断絶から来る無駄があちらこちらで発生するのであった。

 けどそんなピントのズレた話でもきっかけにはなる訳で上が訳も分からずに言ってきても焦らず起こらずそれをチャンスと思ってスルリと本質的な部分とそれに重なる自分の趣味を紛れ込ませていければしめたもの。公金でもって堂々と趣味に走れるって訳なんで、おっさん向けの新聞やテレビや雑誌が、編集権を持ってるおっさんたちのフィルターにかけられ薄かったりピントがボケてる話を流していても、気にせず生暖かい目で見守りつつ、これでなかなか強固な企業社会って奴を突破し瓦解させるきっかけにして下さいな。案外に国のアニメ施策とか、東大のアニメ講座とか、東京都のアニメフェアだってそーした上の勘違いをオタクな世代がひっつかまえて好き勝手な方向へと引っ張る布石なのかもしれないし.

 とゆー訳でフォローはこっちで。2日目を迎えた「東京国際アニメフェア2004」の本会場へは行けなかったけど「国際会議場」とかで開かれた「東京アニメアワード」の表彰式には出て取材。去年までは会場内にあるステージで開かれ来場している人たちも見物できてそれなりに賑やかだったけど、今回は場所を別に”隔離”して安全安心を確保したこともあって入れる人が限られてたみたいで、開始時間になっても席はいっぱいにならず何とも締まらない感じ。授賞が始まっても空席が結構目立って「アカデミー賞にしたい」なんて後で出てきた偉い人たちの言葉がちょっぴり虚ろに響く。まあ続けることでアカデミー賞みたく権威も生まれ文化としても定着してくることになるんだろー。

 個人的にはそーした権威に走るより、アニメを作る人たちとアニメが好きな人たちがいっしょになって楽しめる賞ってのがひとつ欲しいところ。神戸でも広島でもどっちかってゆーと”芸術””文化”が先に立ってファンとしてそこに気持ちを入れ込めない。かといってアニメ雑誌がそーしたイベントをオープンで出来るかってゆーといろいろしがらみもあるだろーし、何より体力の問題もあって開けない。制作会社の支援も大事だし産業としての振興も大切だけど見るファンだって大切だってことで東京都なりが「東京アニメアワード」を、それこそ「日本武道館」なり「東京ドーム」で何万人も集めた前でトークあり、コンサートありの3時間とか4時間のイベントにして開いてくれれば出て嬉しく見て楽しいものになりそー。集まったアニメビジネスを模索する背広なおっさんたちが、受賞者の声優さんのファンがコールとジャンプでもって熱いところを見せけられて「これはいける」とさらなる勘違いをするきっかけにもなるし。

 その「東京アニメアワード」は商業作品のグランプリに当たる「アニメーション・オブ・ザ・イヤー」を「機動戦士ガンダムSEED」が授賞。「東京ゴッドファーザーズ」かとも思ったけれどそっちは劇場作品の優秀賞で世間的にも盛り上がった「SEED」にグランプリが渡るのもまあ当然か。公募作品では韓国から応募のハン・テホって監督の「Africa a.F.r.I.c.A」って作品で砂漠を越えて水くみに行った少女が何かに会う話みたい。萌えとか抜きでローカルな話題にも触れずグローバルな視点でシビアなネタを堂々と扱っている所が日本と同じくらい米国も意識し影響も受けてる韓国のアニメーション作家ならではの作品って所になるのかな。

 韓国の人の躍進が凄くって公募部門では学生部門の3人中2人が韓国人。あと特別部門には台湾の人もいて、政治的配慮とかってんじゃなくマジに韓国台湾からの応募が増えて作品の質も上がって(もともと高かったけど)来ているってことが伺える。あるいは妙に長い歴史があって特異に発展して来た日本のアニメやゲームにどっぷりハマってしまった人だと、そーした共通の記憶にとらわれ新しさへと向かう意識がスポイルされてしまうのかな。そーした作品がみたい僕としてはそれで良くても将来を考えるとちょっと不安。

 もっともそーした不安も突き抜け新鮮な作品を作ってくれる日本の人もちゃんといるから案外に平気なのかも。おまけにそーした人たちを企業が受け入れる土壌もちゃんとあるから案外に大丈夫なのかも。学生の公募部門で企業賞として中村均編集長から直々に「日経キャラクターズ!賞」をもらった多摩美大の田中由香利さんって人は、表彰式の席で「ナムコに入りたいです」って言ったら後のレセプションでナムコの中村雅哉会長が「代表取締役会長であるわたしが採用します」と明言。これ以上にないってゆーお墨付きを得て見事に就職先をゲットしてしまった。

 粋な計らいとも乗りが良すぎるとも言えそーだけど、作品自体はいわゆる「アニメ」の文脈ではなくどちらかといえばミュージッククリップで、「みんなのうた」的に音楽をメインにリズムと絵のテイストで見せるってもの。雪村いづみさんの「マンボ・イタリアーノ」って曲を聴いてこれに絵をつけたいってのが発想の原点で、仕上がった作品は千代紙のパターンを取り入れ切り絵的な画面でもって、おかっぱワカメちゃんカットな少女が昭和テイストの情景の中を元気にはね回る内容で、テンポの良さと懐かしさあふれる絵にぐっと惹き付けられる。

 ストーリーはないけどこれだってアニメ。南家こうじさんますなりこうじさん的なエンディングアニメーションにも通じる愉快さがあって、この才能をもってすればゲームマニアにアニメファンが増えてるナムコのよーな会社で、例えば昭和のテイストを取り入れた「ナンジャタウン」のプロモーションなりプロデュース、あるいはゲームの世界でも「塊魂」「ミスタードリラー」といった斬新さ目新しさでコア以外の層へとファンを広げた作品に絡むことは出来そー。

 何より頑張れば夢だってかなうんだってゆー事実に学生達の奮起を呼びそーで、新しい才能の発掘ってゆーお題目だけはあった「東京国際アニメフェア」で、実もつき始めた兆候って言えるかも。受賞した別の学生もきっと表彰式で「あれこれに入りたい」って言えば良かったって想ってるかも。でも言うなら審査員なり実行委員会に誰が入っているかを調べてから言おうね。


【3月25日】 佐藤「東脳」理さんと同期だったんだ西島大介さん。届いた「SFマガジン」2004年5月号での「凹村戦争」(早川書房、1300円)出版を記念しての東浩紀さんとの対談で明かされていたその過去に、「ソニーのデジタル・エンターテインメント・プログラムとかいうタイトルの映像の賞を取って」ってコメントがあってそれってもしかして「DEP」のこと? って思って調べたら第1回目となった1993年の受賞者一覧の所にちゃんと名前があって2度びっくり。この時はまだ取材には行ってなかったけど2回目の授賞式の時には行ってて「東脳」がパッケージとして出たか出るかってゆー時の佐藤理さんを見たりしてたんで、もしかしてその時とかにスレ違ってた可能性もあったりするのかもしれない。今をときめく「笹原組」が受賞した3回目も授賞式に行ってたなあ。

 当時はまだ「プレイステーション」が出てくる前のインタラクティブムービーとか、マルチメディアとかが流行ってた時代でシナジー幾何学の「GADGET」を筆頭にデジタローグにインフォシティにオラシオンにボイジャーっていった所が綺羅星のごとく輝き未来のメジャーはここから生まれるみたいな感じがしてて、そんな時流と似たシーンでソニーはソニーでもソニー・ミュージックエンタテインメントが中にマルチメディアとかCD−ROMを取り扱う部署を作って、デジタルクリエーターの発掘と育成を手がけてた。「DEP」ってのはそーした新人クリエーターオーディションの1つとして行われていたもので、第1回目の受賞者は次代を担うスター的な扱いをされてたよーな記憶がある。わけても佐藤理さんは1人で何でもやっちゃうマルチクリエーター的なポジションにいたっけか。「東脳」はだから1人でこんなにできちゃうんだってゆー、今のインディペンデント系クリエーターの先走りみたいな作品だった。遊んだなあ。「中天」はやらなかったなあ。今はいったいどこでなにを。

 つまりはそんな時流のド真ん中に西島さんはいたってことで、そこから「DEP」お得意の育成プログラムに乗ってドンドンと作品を出していればあるいは今頃は億万長者になっていたかもなんて想像も浮かぶけど、一方でソニー・コンピュータエンタテインメントが立ち上がってCGクリエーターがそちらへも流れるよーになるなかで、堤光生さんって人の率いてたSMEのマルチメディア部門は「クーロンズゲート」の祭りを境にする感じで傍目に脇へとおいやられていく雰囲気があって、最後の辺りでは部署があるのかも分からない状況になってしまっていた。堤さんがどんな人かってのはその下にいてマルチメディアを取り回し、後に「So−net」立ち上げにも関わったらしー吉川成昭さんの文章を見るとよくわかる、ってゆーかそーか丸山茂雄さんとタメはるくらいの凄い人だったんだと今さらながらに気付く。今はいったい何をどこで。

 不思議なのはそんな凄い人たちに認められた西島大介さんが、CGクリエーターの中心的存在となっているんじゃなくって漫画家としてSFの世界で活躍を始めているんだってことで、どーしてそーなってしまったのかってのを知りたいなーなんて思っていたら、対談にちゃんと書いてあってなるほどと納得。97年の「夏エヴァ」の手伝いに99年の「ワンダー・ショウケース」のプロモーション映像と僕が見てきたものと結構重なっているんだけど、直接の面識はないままつい最近まで来てしまったった訳で、エッジの立った若手クリエーターとして確実に知名度を高める西島さんに対して未だ、地べたをはいずり回っては50歳を過ぎたオヤジな編集幹部の思いつきと思いこみを満足させるだけの仕事に忙殺されている我が身の悲しさを思って枕を涙でぬらすのであった。それが才能の差ってやつだ。でも僕には貯金がある。幸せって何だろー。

三姉妹かいぎぃー、私たちの番組をうち切ったFテレビのブースに敵討ちにいくことに賛成なひとぉー。かくして「東京国際アニメフェア2004」会場に紙が舞い降りた  「R.O.D The TV」のない木曜朝の寂しさに浸りつつ準備をして朝から「東京国際アニメフェア2004」へと出向く。慌てて行く必要もないんだけど開会式に日本漫画家協会の理事長としてやなせたかしさんが出席してはテープカットをすると聞いて、これを逃す訳にはいかないって熱情が先に立っていそいそと出かけた次第。その甲斐あって開会式に現れた「プリキュア」の片割れとツーショットをしている写真をゲットできたし、「アンパンマン」関連の展示があるブースへと歩いていっては置いてあった「アンパンマン」の展示を見ている場面を写真に撮れて、良い記念になった。いつかその偉績を讃える時に使えそー、っていったいどんな機会なんだ。

 会場は例年のよーに巨大なブースが出ていて新作映像なんかをガンガン流していたりして、4月とか7月とかに始まる新番組をチェックするって意味は存分にあるけどこのイベントが本来とする、日本のコンテンツを世界に売り込む見本市的な役割についてはどこまで実効性があるのか未だ判然としないのがちょっと微妙。なるほど外国からの人は結構な数いてブースのあちらこちらを回っていたけど例えば彼らがその辺のブースに飛び込みめぼしい作品があったとして「これを買いたい」といって即答できるメーカーなりプロダクションがどれだけあるのか、本当にあるのかが判然としないんだよね。それでも確実に海外からの人は増えているし、どう対応すべきかって認識も高まって来ているんで、あと5回も回数を重ねればカンヌとまでは言わないけれどひとかどの見本市となって、ここで見せれば世界が注目なんてことにもなるのかも。ってゆーかなって欲しいもの。でないと気まぐれで始まったイベントがきまぐれで終わってしまうから。

 一方で若手のクリエーターがブースを並べて自慢の自主制作作品を見てもらう「クリエーターズワールド」の方は去年にも負けず劣らず充実の展示で、それなりに商業へと移行できそーな人が多くいてここで成果があがれば、「東京国際アニメフェア2004」の持つ重要性をある側面から支えることが出来そー。「プロジェクト・ワイバーン」で1人アニメクリエーターの先鞭を切った青山敏之さんが今さらながらに出ていたのには驚いたけど、今敏監督の「東京ゴッドファーザーズ」のCGIとか今放映中の「妄想代理人」の手伝いとかをしている村上浩さんって人の、3DCGなんだけど2Dっぽく見える「元祖マジックサーカス」って作品が、スタジオジブリ的な美少女節をスタジオ4Cならではのエッジが立った絵でもってやった作品って見た目の印象があって、仮に商業化され発売されれば結構な反響が得られそーな気がした。今敏監督が見て何を言ったかが興味津々。

 ほかにもいろいろなブースを覗き、「レジェンズ 蘇る竜王伝説」の製作発表会で大地丙太郎さんが登壇しては大地さんらしーコメントを発するのを聞きガイナックスのブースでハニメーションとやらの真実を見極めよーとし「スチームボーイ」のブースで5・1チャンネルで聞く「スチームボーイ」の映像も見て、最初はのっぺりし過ぎかもと思ったキャラクターにも慣れてそれなりに面白そうだって感触を得た。残る大作の掉尾を飾る「ハウルの動く城」はどーなっているか不明。会場に飾ってあった巨大な城はもちろん動きません。ちぇっ。ともあれ「ガイナックス20年史」とか大地さんのオリジナル作品「まかせてイルカ」とかもらったりみたりできるって役得で「アニメフェア」は成功して欲しいもの。明日のアワードで王道を行くセレクトがあれば大丈夫のよーな気がする……けどなあ。


【3月24日】 えっとゆうきまさみさんが頑張って増刊には漫画を描けても本誌には描かせてもらえない漫画家たちの悩みについて書いているけど何のことだか分かりません(嘘)。なので今度是非ぜひいっしょに「国立霞ヶ丘競技場」から本郷の「JFAハウス」までレプリカユニフォームを着て歩きましょー。女子サッカーのアテネ五輪予選の後とかにやるのかな。本当を言うと五輪に出られるかどーかってゆーギリギリの闘いをした後の彼女たちへの祝福気分を脇においやってコインブラさんのことなんか考えたくないんだけど。むしろ「Lリーグ」への支援を求めるデモンストレーションをやりたいな。

 久々に「週刊将棋」。羽生善治名人が王将を森内俊之竜王に奪取された記事がメインでA級とかB1とかB2とかの昇級降級がどーなっているのかは不明。すでに分かってたりするのかな、だったらネットを調べてみよう。鬼のすみかのC2は勝率C1で2位、勝ち星全棋士で2位の山崎隆之5段が2敗ながらも順位が1位だったことで見事に昇級。もとより強い人だけにC1以上はとんとんと上がってB1くらいには早々に到達しそー。

 でも十には下の宮田敦史4段は山崎5段より1歳下なのに1敗で昇級だからさらに上へと行ってしまうかな。赤旗主催の新人王戦のトーナメント表で女流の清水市代さんが勝ち上がってて同じく女流の石橋幸緒さんも勝ち上がって公式戦で女流が2人も買ってまるでニュースにならない近況に、それが普通になって来たんだってことを実感する。大和岬ちゃんの奮闘が実ったのかな。奮闘したっけ。

 残酷なのに爽快で、怖ろしいけど面白い。必死のペン入れが実って発売なった西島大介さんの「凹村戦争」(早川書房、1300円)は、どこかの盆地にある「凹村」に暮らす若い人たちの所に空から物体Xが落ちたところから始まって、村に暮らす若い人たちの閉塞感とか停滞感への焦燥が日本とか世界の命運と平気に天秤にかけられて描かれていて、遠くで起こっている戦争よりも大事な自分の明日の幸せとゆー、残酷で卑怯ながらも現実の真理に改めて気付かされる。

 ひとり東京へと思いを馳せる凹沢と彼をたきつける女教師のアグレッシブさに、僕たちもミニマムな場所にこもってないで、立ち直って歩き出さななきゃって焦らされるもしれないけれど、そんな前向きさは多分不要。挙げ句にたどり着いた世界の砕け散った様、でもってそんな世界で凹村と変わらない脳天気さを見せる凹沢の姿に深いことは考えない、あっけらかんと生きてりゃ楽しい終末を迎えられるかもって思えて来る。とってもシビアで残酷な物語なのに、ころころっとしたキャラクターの可愛さに読んで抱く恐怖感を流され目をキャラクターへと釘付けにされて、ニヤニヤ笑いの中にページを繰らされてしまう、ある意味ヒキョーな漫画かも。「六本木ヒルズ」爆破は痛快。あのあたりの階には「森美術館」とかがあるんだよね。吹っ飛ぶ現代美術。ああ何て気持ちの良いシチュエーションだ。

 野村美月さん「Bad! Daddy3 パパのキッスは苺味」(ファミ通文庫、672円)はカエルの子のカエルぶりを確認させてくれる1冊。チルソニア、じゃにイルパラッツィオ、でもないアルマンドの黄金の左がたとえ娘との約束で封印されていても、当の娘が父親譲りかあるいは越えてる左を発揮してしまうんだからたまらない。2人が組んだら世界だって征服できそー。お話の方はアルマンドをハメよーとする少年が引き続いて登場して来てミュゼットさんにチャルダッシュくんも含めた一家の命運も風前の灯火。一方で「スウィートパティシエール」は立場がどんどん後退していて脇役へと追いやられてちょっと心配。次で早くも完結なのにさてはてどーなってしまうのか。路頭に迷わずかといって戦い合う必要もなくなる結末、ちゃんと来るのかな。期待。


【3月23日】 越後山大噴火。例のジーコ監督による「キャバクラセブン+ワン」追放劇に関して誰がどんな発言をしているのかって興味で買ったサッカー雑誌だったけど、「週刊サッカーダイジェスト」の4月6日号でセルジオ越後さんが連載コラム「天国と地獄」で、その筋の通っていなさぶりに「怒ってます」のコメントを綴ってる。なるほど罪が罪なら罰は罰とその処分を認める人もいるにはいる。けどセルジオ越後さんは選手が罪に罰を受けるならその罪の原因に対しても罰が下らないのは何故? って言っててこれにはなるほどと納得をさせられる。「それに監督として管理する責任があるならば、まず監督として管理できませんでした、そう謝るべきだったんじゃないのかね」。同意。

 もちろんサッカーの監督が現場監督である必要はないんだけど、ことジーコだったら普段から口を酸っぱくしてプロの気構えを説き、それが守られなかった時はそれぞれの選手の所に言って「何故そうしたんだ」と聞いてその上で涙ながらに馬謖を斬り、なおかつ『オレが申し訳なかったと言えるような、懐の深さを見せ』」てくれても良かったかもしれない。それがジーコって奴なのに、今回はまるで自分の威厳が損なわれ、プライドが傷つけられたことへの怨恨を晴らすかよーな断罪の仕方で一切の救いがないのが気にかかる。

 「心配なのは切られた選手たちの今後だよ。メンタル面でポジティブに持っていくのは難しいよね」。難しくってもやってもらわないと1次は良くても最終予選、それが通っても本大会のグループリーグ突破はおぼつかないんだよなあ。同じ号では「週刊サッカーダイジェスト」の山内雄司編集長が「処分する事は当然だと考える。だが、なぜワールドカップ予選という大切な試合でメンバーを落とすのか。調査に時間がかかったと仮定しても、罰則はそれ以前に発表できたはずだ」と書いていて、ジーコとゆーよりはジーコも含めた日本サッカー協会の対応に一抹の不安を覚えている。一事が万事に続いた挙げ句の日本代表の未来。それは……。

平山にカレンのツートップがドイツで輝く可能性はあるのか。ジーコがドイツに赴く可能性より高いのか。高いかも。  あるいは彼らがすべてを蹴り飛ばしてくれるんじゃないかと期待した「U−19日本代表」の対「U−19韓国代表」の試合だったけど、普段からあまりやっていないメンバーだったってこともあってディフェンスラインとゴールキーパーとの連携に乱れがあって、後半に1点を献上したまま逃げられ残念ながらも敗戦を喫してしまってちょっとガッカリ。中盤に入ったあれは中山博貴選手かな、さばいて結構なトップ下ぶりを見せてはくれたんだけど出すパスが弱かったりする場面もあって危なっかしい。期待された増嶋竜也選手も含めて皆さん、パスが弱くてなおかつそれを受ける側も、カットされる恐れがあるにも関わらず待って受け取るパターンが繰り返されて見ていてヒヤヒヤハラハラさせられた。

 トップに入ったカレン・ロバート選手はスピードに乗った走り込みに柔らかい足首を使ったボールのさばきにはたきが偉才ぶりを感じさせる。後半から入った平山相太選手も圧倒的な高さを足元を起用に使った突破を見せてくれて大器の片鱗、ってゆーか既に大器であることの確認をさせてくれたけど、彼らだけで何とかなるほど甘い相手じゃなかったみたいでシュートは打てても得点にはつながらず、結局0対1のまんまで負けてしまった。まあディフェンスの連携は試合を重ねれば良くなるし、時折見せてくれた3人4人とパスをつないで大きなサイドチェンジも混ぜて突き進んだ圧巻の攻撃もあったんで、コミュニケーションとモチベーションと技に溺れないひたむきさが高まれば、上のU−23代表にも負けない結束と強さを持ったチームになる、といーな。

 さらば「大プール」。っても千駄ヶ谷と信濃町の間にあった「明治神宮水泳場」じゃなくって世田谷は砧にある「東宝スタジオ」にある撮影施設の大プール。1960年にかの円谷英二が「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」を撮影するために作られた「東宝スタジオ」の名所で、その後も「ゴジラ」なんかが定番で撮影されたらしく特撮映画にとってに一種の”聖地”とも言えそーな施設なんだけど、50億円をかけてほとんどのスタジオを作り替える改装の過程で、新しいスタジオを作る場所として今年にも埋められてしまうらしー。

 なるほど今時のCG全盛な映画で巨大なプールを使ってミニチュアを置いて撮影するなんて機会は少なく、ここでひとまず歴史に終止符を打つってのは分からない訳ではないけれど、かの「タイタニック」が実物大のセットを作ってそこで撮影した上で、CGを合成して迫力を増したよーに、リアルの存在感があってCGの効果も生きるもの。あるいはリアルってゆー認識を持ちつつそこにCGの空想力が乗ってるんだってこを分かって見てこそ驚けるもの。すべてをCGにしてしまったらそここらは、リアルに迫ってるってゆー感覚は得られてもリアルを越えたって感慨は得られないよーな気がする。

 去年オープンしたステージに10メートル×5メートルのプールが作られそこで撮影すればそれなりな絵は撮れるらしーけど、それを果たして映像にこだわる監督の人たちはどー思って使っているのか。撮影のプロの東宝が大プールをいらないって判断した訳だからこっちが思い入れに懐古趣味で唱えるほどの異論はないのかもしれないけれど、でもやっぱり寂しさとは違った、変わってしまうことへの不安がどーしてもつきまとう。おそらくは「ゴジラ ファイナル・ウォーズ」が大プールを使った最後の作品になるんだろーけど、その絵がその後の絵とどー違うのか、比べて大プールの意義を考え直してみよー。なんですってゴジラは今度が最後ですって? 比べられないじゃん。

 実はその「ゴジラ ファイナル・ウォーズ」の監督を北村龍平さんが手がけるってことはちょっと前に知ったばかりで、例えこれが最後だとしても、またはこれが最後だからこそ北村さんなら誰も見たことがない「ゴジラ」を作って世間をあっと驚かせてくれるはずだと、期待が胸いっぱいに膨らんでいる。可能性としては「ゴジラ」シリーズに常連となりかかった釈由美子さんが、巨大化してイズコの派手な扮装をしてゴジラとチャンバラをした果てに「お逝きなさい」とゴジラを諭す展開に、やっぱり巨大化した上戸彩さんも絡んで三つ巴のチャンバラを繰り広げてくれるってもの。勝つのは誰なんだろー。やっぱり松本実さん扮する刑事かな(出てない)(出てたりして)。


【3月22日】 銀座の宝石店を襲って何億円とかの宝石を奪った泥棒がもし、予告状とか事前に出してたり前にいろいろと似たよーな犯罪を繰り広げては金庫に閉じこめられた宝石たちを救い出したり博物館に奪われた宝物たちを解き放って元の国へと返してあげたりしていれば、「怪盗あらわる」「今度は銀座の宝石店」とかって見出しが踊る新聞を読みつつその早業ぶりに驚きつつ、今度は一体どこに現れ何をして、警察やら資本家やらを愚弄してくれるんだろーって楽しみを抱けたかもしれない。

 けど今の日本、いやさ現代において「怪盗」なるものは存在せず、ただただ犯罪者なり強盗といった無骨な言葉で括られ貶められてしまう。何とゆーつまらない時代か。その点物語の世界は未だに怪盗が跳梁跋扈していて奇天烈な犯罪を奇想天外な技でもって犯しては僕たちを唖然呆然の境地へと誘ってくれる。デビュー作が好評のうちに迎えられた田口仙年堂さん「吉永さん家のガーゴイル」に続けて登場した第2弾「吉永さん家のガーゴイル2」(ファミ通文庫、640円)は史上最強の門番として吉永家を守るガーゴイルにこれまで盗めないものはなかったと豪語する怪盗・百色が挑むストーリー。

 だったはずなのに丁々発止のやりとりは最初のうちだけで、別の仕事でとある場所にある研究所へと忍び込んだ怪盗・百色がそこで人体実験の材料にされている少女を救い出して連れ帰ってからは、研究所に済んでいた錬金術師も交えた敵も味方もくんずほぐれつになったバトル&ドラマが繰り広げられる。薄幸に見えて実は気丈で本当は寂しがりな少女の心の動く様が注目ポイント。子供の多感な心の内を見る上で大いに役に立つ。賢者の石を使いガーゴイルを作り出した錬金術師にして古道具屋の店主とゆーお姉さんの黒い乳ぱんつを百色が奪ったりする爆笑な場面もあるけどトーンとしては苦くで酸っぱくって最後に心温まるストーリー。それにしても百色をあそこまで恐れさせる夜倶先生とはいったい何者だ?

 目の前で聞きたい歌その3。山下達郎さん「ライド・オン・タイム」。その2。布施明さんの「君は薔薇より美しい」。そしてその1。松崎しげるさん「愛のメモリー」。抜けるよーに響く山下さんともオペラ歌手みたく腹の奥から吐き出される布施さんとも違う、はち切れんばかりに喉奥からせり出す野太い癖にハイトーンとゆー迫力の声をこの耳で聞けたら一生のうちの3時間くらいを悪魔に譲り渡しても良いってずっと思っていたけど、グリコが明日から「タイムスリップグリコ<青春のメロディーチョコレート>」の第2弾を発売するに当たって行ったパーティーに、その松崎さんが登場してはすぐ目の前で「愛のメモリー」を唄ってくれて生きてて良かったと心の底から感じ入る。やっぱ巧いわ、このおっさん。

 心配したのは山下さんが「ラブスペース」を唄う時みたく、また布施さんが紅白で「君は薔薇より美しい」を唄った時みたく最もハイトーンの部分を下げて誤魔化す、っていったら失礼だけどオリジナルとは違うアレンジで松崎さんも「愛のメモリー」を唄うんじゃないかってことだったけど、そこは漢(おとこ)の松崎さん、「美しい人生よー」から流れるさびの部分はもちろんラストの「ラーラララララー」まで含めてキーを下げずに上げたまんまで張り出してくれて、長さはちょっとカットしてあったもののオリジナルで聞いて感銘を受けたものに近い歌声で、背筋にぞくぞくっと震えが走る。続けて「もう悩み無用」って唄われたらそのまま足元に跪いて「リーブ21」へと連れていってもらったかも。

 感動の松崎しげるショーに続いて登壇したのは坂本九さんの夫人の柏木由紀子さんとそれから娘の大島花子さん。何でも新しい「タイムスリップグリコ<青春のメロディーチョコレート>」には坂本さんの名曲「見上げてごらん夜の星を」が入っているとかで、これを坂本さんに変わって娘の大島さんが唄ってくれるとかでさて、娘とはいえ天才だった坂本さんとは違う大島さんがどんな歌声を聞かせてくれるのか、好奇心と懸念がまぜこぜになった気持ちで見入っていたらこれがどうして、彼女は彼女なりに朗々とした声で「見上げてごらん夜の星を」を歌い上げてくれて、なるほど父カエルに母カエルの娘はやっぱりカエルであったと感嘆する。音感って遺伝するのかな。だから僕は下手なんだな。

 合間に流れたチョコレートのCMはモノクロ時代のほのぼのとしたものから昭和40年代後半のサイケな気分が混じり始めた時代っぽい白と赤の男の子女の子(といいつつ結構な歳の人)が出てきて砂丘で戦うバージョンから、いろいろあって時代が出ていて懐かしさとともに世の移り変わりの激しさを思い、それらが画面に固定化されているCMとゆー表現の大切さに思い至る。CM博物館はやっり作っておくべきだよ。

 完全にカラーになって以降のCMでは「愛のメモリー」をバックに三浦友和さんが演じたり、「季節の中で」をバックにこれも三浦さんだったけ、誰がか出ていたりするものから倉田まり子さん菊地桃子さんとったそれなりにそれなりな世代のCMまでいろいろあってこちらは同時代的な体験もあって楽しめた。吉川晃司が長い足を上げて回転する「カリフォルニアアーモンド」のCMに涙。映画の「うる星やつら2」と一緒に見せられた「すかんぴんウォーク」で誰だこいつと思ったんだよなあ。マッシュルームカットにひげ面の高杢さんが今にして思えば異様な「チェッカーズ」が登場のCMには苦笑。CM博物館は当事者にとっては地獄かもなあ。


【3月21日】 掲載した記事を取材した会社に送ってあげるために取り寄せた新聞を見たら1つの面に11本掲載されている記事の9本が自分の書いた記事だった。別の面では1本、「ブックオフ」公開に関する記事と坂本孝社長への1問1答も入ってて、行数は別の面の僕のじゃない2本を合わせた分量よりちょっと多いくらいでつまり、1つの面をまるまる自分が書いてたって計算になる。どーりで書いても書いても楽にならない訳だ。「日経に対抗」? 「まるごと総合経済紙」? 最初にやるべきことがあったんじゃない? 人とか。人とか。人とか。人とか。

 「うーん、リストラとかあって、一人にかかる仕事が増えてきて、わたしもどんどん新しい仕事せなあかんかったし、周りも心に余裕なくなるやん? 去年の半ばにわたしがいてた大阪の事務所は社員の女の子がわたしだけになって、さすがにもう辛くて。入社するときに言うてた仕事内容はなにゃったん、って感じ。この三年で、この世からおっさんは絶滅しろって、何回も思ったもん」。柴崎友香さん「青空感傷ツアー」(河出書房新社、1300円+税)の79ページから80ページ。ああわかるわかるこの気持ち。人が減ったのはリストラに加えて”ジョーシにめぐまれなかったらオージンジオージンジ”もあったんだけど。おっさんたち絶滅しないかなあ。

 さてその柴崎由香さん。「きょうのできごと」(河出書房新社、1300円)が出て「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」(河出書房新社、1300円)が出ていて、どっちもほんわかとしてほのぼのとしてそれでいてセーシュンって奴のピリっとした感じも持ち合わせていて、そんなドラマが関西弁の女の子会話ってゆー聞きつけていない耳には(活字だから目だけど)実に良いニュアンスで響く言葉でつづられていて、ベタにならずオシャレにもならないあっけらかんとした雰囲気に浸らせてくれる作家の人で、最近だと田中麗奈さん主演で「きょうのできごと」が映画化もされてさあ、いよいよ次は賞レースってポジションにあったりする。

 んでこの「青空感傷ツアー」もやっぱり関西弁の女の子たちが関西弁で会話してくれるんだけど、これまでだとどちらかといえば「あずまんが大王」の大阪っぽいイメージがあった関西弁の女の子が、今回はおーさかっぽい子もいるにはいるけどもう1人が超絶美貌の持ち主にして超絶我が儘な性格で、繰り出される言葉はひたすらに直裁的でそれが一切の虚飾も宴曲もない関西弁で語られるものだから、読んでいて身にずばりずばりと突き刺さって、もはや快感のレベルにまで達してるかもしれない痛みにのたうちまわりたくなってくる。

 東京に退職の手続きに行った芽衣が帰りの新幹線で一緒になった年下の友人、音生の口から出る言葉は、東京に住む彼氏を訪ねた時にはち合わせた女への悪罵。安いカーディガンと着ているの、人工皮革の靴を履いているのと身の回りのものを貶すは、その靴を持っていったチョコか何かといっしょに窓から川へと投げ捨ててやったと嘲るはで、なるほどこんなにキツい性格だったら男も浮気して当然かもって思えてくる。ところがフラれっぱなしでもメゲないところ、とゆーよりメゲるって心境が存在しないのが音生の凄いところで、昔付き合ったことのある男を駅まで迎えに来いと呼び出し、車の無い彼がえっちら自転車でかけつけるとその自転車を奪い芽衣に漕がせて自分は後ろに乗り、元カレはそのままランニングでついて来させるとゆー暴君ぶりを披露する。

 物語はそこから家に帰ることなく旅行に行こうと言い出す音生に芽衣が引っ張り回されていく展開に。トルコでへ行って帰ってきたらそこからかつて芽衣が好意を寄せてた男の子の実家がやってる旅館へと行きさらに……って感じに”感傷旅行”を続ける中で、音生のおさまらない傍若無人な振る舞いばかりが描写される美貌ぶりとも相まって目に付くけれど、注目したいのはそんな音生に引っ張り回され、トルコに四国に奄美大島に着いて行く芽衣の優柔不断ぶり、だろー。

 文句は言うけど責任はとらない。夢はあるけど叶えるための努力はしない。壁に当たればそこから逃げる繰り返しだった芽衣のこれまでの人生、つまりはおそらくは今の社会に暮らす大半の人にある停滞感に倦怠感を浮かび上がらせている。自分の中にある羽ばたけない、飛び出せないコンプレックスを、誰に気兼をすることもなく、思うがままに話し行動する音生の言動との対比の中に感じさせてくれる。なるほど自分は音生にはなれないけれど、ちょっとだけなら近づけるかもしれない、ちょっとだけでも近づきたい。近づかなくちゃいけない。そんなことを思わせてくれる。

 もっともエンディングの間際まで音生は徹底して傍若無人だし、芽衣は相変わらず優柔不断で、持って生まれた暴君に家来の性格はってのは、やっぱり変えられないのかもしれない。まーいーけどね、それでも一生は一生だし。これを仮に映画化するなら芽衣は演じられる人は沢山いそーだけど音生のキャスティングで苦労しそー。超絶美人でスリムで長身で毒舌で関西弁。なおかつ若くなくっちゃいけないこの役を演じられる人って誰がいるんだろー?

 起き出して「GEISAI−5」へ。横浜駅から東急の「みなとみらい線」に乗り換え2駅先で降りたら「クイーンズスクエア」の吹き抜け部分の真下でそこから「パシフィコ横浜」までは歩いてすぐで、横浜駅からバスに乗ったり桜木町から延々と歩いていた時代から比べてとてつもなく近くなったよーに感じる。これで「SF大会」も安心だ、ってこんども「パシフィコ横浜」だったっけ。到着して1500円入って中にはいるとパンダがいたり「グルテン」が蔓延っていたりと相変わらずの「GEISAI」風。「東京モダンアート娘」もいておまけに今回はミニスカートじゃなくニット風のショートパンツ姿でお尻の丸みがはっきり出ていて、メンバーそれぞれに微妙に形の違うお尻の形なんかを何度もブースの前を行き来して目に収める。何を出品していたのかは知らない。

 絵ってゆーかイラストってゆーかアートならではの自意識のパワフルな発露に圧倒されっ放しの会場で、今回目に留まったのがyoshって人の作品で、サンリオとかサンエックスのキャラクターっぽいんだけどあそこまでくっきりとはしていない、淡いトーンで描かれた不思議なキャラクターたちがカラフルな色彩の中を泳ぎ漂うタッチの作品は、見ていて心を暖かい境地へと誘ってくれる。黒縁眼鏡の女性が立っていて作家の人っぽく、そのぽてぽてっとしたビジュアルへの興味と何より作品への興味から話を聞き、安かったんで購入もしたかったけど話しかけられる勇気がなくって結局買えず。ここにも優柔不断さの悪弊が出ているなあ。次こそは。

 あと気になったのが、コンビニに独特の意匠をシンプルにデザイン化してパネルみたいにして横につなげて長屋風にできるよーにした絵を出していた上田治徳さんって人。現代のイコンめいたものとしてコンビニなりファストフードを捉えるのはすでに中村政人さんがやってて「東京都現代美術館」にマクドナルドの看板を組み合わせた作品や、コンビニのサインボードをロゴ抜きに色看板だけ抜き出し展示してコンビニっぽさを醸し出した作品を並べててたから、アイデアとして新鮮って感じではなかったけど横長にしてどこまでもつなげられるよーにしたアイデアはちょっと面白かった。あとカプセル型で4本脚で動く不思議な乗り物とか。動力は何だったんろー。帰りがけに入り口で見慣れた顔があって近寄ると角川歴彦さんで仰天。こんな場所へ何をしに? 村上隆さんに会いに来たのかな? ともあれ凄いフットワーク。「たまごっち」の発売を見に来た高須武男社長といー、売れるものを作る会社の人はやっぱり現場、踏んでるよね。1日1週間1カ月、会社にこもって新聞とテレビだけで情報を得て新聞を作ろうとしたって無理だよね。


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