縮刷版2004年12月下旬号


  【12月31日】 雪だったらパスしようと思っていたけど曇り空ながらも雪は降ってなかったんで東武野田線で柏まで行ってそこからバスで「柏の葉総合競技場」で高校サッカーの東海学園vs奈良育英戦を見物。最初のうちこそ普通に寒いぐらいだったのがだんだんと底冷えする寒さになって来て、気がつくとみぞれ混じりの雪となってしまったこれだったら家でぐっすり眠っていれば良かったと後悔するもののもう遅い。グラウンドではそんな寒さにも関わらず高校生が半ズボンで試合をしている訳で、一方はわが故郷のそれも実家のすぐ近くにある学校ってことで寒さは我慢して試合を最後まで見ることにする。高校サッカー選手を見に女子高生もいっぱい来ていることだし、って目的はそっちですか。

コーナーキックがみえません  始まった試合は終始奈良育英が押し気味で近畿の雄ってところを見せつける。パス回しも上手く中央から左右へと振り抜けてセンタリングをあげてシュートしたり、中央を3人くらいで突破してゴール前へと迫ったりとやりたい放題するけれど、センターバックに入って守る東海学園の黒浩和選手の強さとそれから168センチしかないのにそれを感じさせないパワフルさを見せてくれるゴールキーパーの森大生選手がなかなかで、奈良育英にシュートを打たせず打ってもキーパー正面といった感じに守り切って前半を0対0で折り返す。

 後半に入って東海学園もサイドからセンターへと良い球が入って触れば1点って場面とか、作り出したけど決まらず一方で奈良育英は7番をつけているセレッソ大阪ユース出身の小川圭佑選手がマークをはずし囲まれても抜け出すテクニシャンぶりを見せ、そこからフリーな選手へとボールが回る展開が続いてそして遂に1点を取られてしまう。仮にそこから東海学園が1点を帰したら、同点でPK戦へといってそうしたら191センチある奈良育英の安達尚広選手とそして168センチの森選手との、23センチ差があるゴールキーパーによる対決が見られたんだけど更に奈良育英にカウンターから1点を決められ万事休す。創部4年で初出場とゆー快挙を成し遂げながらも東海学園、1回戦での敗退と相成った。

 同じ4−4−2のスタイルを取りながらもサイドが上下に自在に上がってはそこにフォローが行って前へと送り出すパスもあって易々と突破していく奈良育英に対してサイドがあがれずフォローもない東海学園では、勝敗に差が出ても仕方がないってことか。それでも後半に入って前を厚くし最後にはおそらくチームで1番上手いんだろー黒選手までもがサイドを駆け上がり、中央を突破するスクランブルを見せると、なかなか良い感じに攻撃が出来るよーになった所から類推するに選手層を厚くしていきさえすれば、なかなか強いチームに発展していのではないかと見た。黒選手は3年で卒業だけど森選手は2年で来年もいそうで厳しい予選を突破し再び選手権の舞台へと出てきた彼が、今年の経験も踏まえてどんな成長を見せてくれるのかに期待がかかる。168センチが169センチになりました、って成長かもしれないけれど、いやそれでも当人にしてみれが大いなる成長だろーけど。

 みぞれもきつくなって来たんで第2試合を見るのは諦めとっとと退散。後は特に何をするでもなくゲームで遊び格闘技を見、冷凍のソバに天ぷらを放り込んですすって年越し気分を味わう。今年もいろいろあったなあ。まず会社がつぶれかけて今も半分つぶれかけて来年はさらにつぶれかかって再来年はどうなっているかまるで不明。あと相変わらずのひきこもり系な生活で飲み会に行ったのは2度くらいでカラオケには1度も行かずデートなんてものは何10年も連続でゼロ。そんなデスコミュニケーションの生活でもとりあえず生きてこられたのは本があったからで本をいっぱい読んで気分を仮想の世界へと飛ばして厳しい1年を乗り切ることができた。感想はあんまり書けなかったけど仕事方面の鬱陶しさが家で何かしようって気分を時間も含めてスポイルしている節もあって、こっちが何とかなれば感想ももっと増えそう。だけど何ともならないんだよなー。なっても良い方には行きそーもない。困ったもんです。

 おっと曙はやっぱり負けだったか。あの体重でのしかかっても手足をさばいて相手にとられず逆に取り返してきめるなんて小技が1年で覚えられるはずもなく、隙だらけのところをホイス・グレイシーにとられ決められタップしてこれで5連敗だっけ、とにかく恥ずかしい記録を更新してしまった。やっぱり見かけ倒しが判明したボブ・サップだって最初のうちは勝っていたし今日だって総合ではそれなりな所を見せていた訳で、それを思うと曙が格闘技で如何に弱いかが浮き彫りになって来る。

 格闘技ど素人だったはずのタレント、ボビー・オロゴンがプロのファイター、シリル・アビディを破り勝ってしまったりするから何とゆーか。ボビーが強かったって可能性もあるけれど、それでも1年の経験者に破れてしまう程度のものだったのかって思わせ兼ねないマッチアップに勝てない曙をいつまでもメーンで続けるマッチメークが続くと、盛り上がった格闘技への気分も萎えてくる。救いは金メダリストのカラム・イブラヒムをまるで寄せ付けなかった藤田和之の圧倒的な強さと、魔裟斗vs山本”KID”徳郁の緊張感たっぷりな試合もあったから、ちゃんとした選手たちがちゃんとした試合をちゃんとしあルールですればやっぱり格闘技は面白い。これがテレビ受けするって思い込みの強すぎる人たちの声が大きくなり過ぎた格闘技イベント。そろそろ何とかしないと去年の3つが今年の2つとなったよーに来年は1つかあるいは0になってしまうぞ。でも代わりに増えるのがお笑いばかりってのもなあ。欽ちゃん復活?


【12月30日】 コネクターを外して汚してはめ直してガルマからの通信をガウに届かなくしたシャアの行動にどうしてもガルマへの”愛”とやらを感じないんだけどそうした行動をも肉親への義理に絡み取られた挙げ句の発露を見て内心にやっぱり”愛”を見るのが正しいのかどーなのとかと思いつつ「機動戦士ガンダム」の第9話(だったっけ)、ガルマ戦士とゆー最初のクールのクライマックスを前にした回を「千葉テレビ」の再放送で見て眠り起きて向かうは「コミックマーケット」。うーん実に納得づくの行動だねえ。

 到着すると「国際展示場」の駅前に怪しげなイラストを再度に張ったバスが止まっていて秋葉原への直行便だと誘いをかけていてこれに載れば400円で秋葉原に迎えるなら帰りに利用してもいいかも、って考えたけど帰りがけに見たらいなくなっていた。もしかして無許可営業の白バスだったとか。知らずに乗ると途中の東雲あたりでプシュッとガスが出て眠らされて目覚めるとそこはタコ部屋みたいな場所で男子はトレース台に向かわされてひたすらに動画を描かされ、女子はロックミシンでひたすらに人形の衣装を縫わされるのであった。そんな人生も悪くはないけど。

 取り急ぎ東浩紀さんのブースへと向かうと看板を掲げた髯がうっすらとはえた人がいて良く見なくっても当人の東浩紀さんであった。ブースの裏で椅子に座って売り子にあれ売れこれ売れと支持を出してて不思議のない立場の人なのにこの律儀さこの活動力。とてもじゃないけど大学とかで教員をやってる人には見えません。売ってた本はいわゆるエロゲーのレビューが満載でエロゲーやらない僕には一種のガイドとなりそー。

 エロゲーこそが90年代末期から2000年代初期のおたく文化なりティーンズ文化の最先端を行ってるんだって、時としてそーしたもののファンが熱烈なファンだからこそ陥りがちな感覚が、ちょっぴり浮かび上がっていないこともないけれど先鋭を行っていたことは確かだし200年代後半にそーした文化がマスプロダクツな部分なりマスメディアの上なりで、蔓延り伝播しないとも限らないから、その時に備えて予習しておくのは決して悪い事じゃない。

 あと加野瀬未友さんと更科修一郎さんによる「ピュアガール」「カラフルピュアガール」の話が、雑誌の立ち上がりから終焉近くまでを買わないにしても眺めていた目には懐かしくも新鮮で面白かった。これこそ先鋭過ぎてリアルタイムでは理解されにくかった好例かも。取り上げられた絵師のどれほど多くが今の最先端で活躍していることか。更科さんとはすれ違うばかりだし加野瀬さんとはうーんいつだろう、滝本竜彦さんの最初くらいのトークショーの時に質問している姿を横目で見て以来、すれ違ってすらいないよーな気がするけれどもこれから先、この業界に何が起こるのかをその遠すぎる場所を見過ぎる目で見て教えて頂きたいもの、ですね。

 評論の並びでは怪獣絵師の開田裕治さんの所でゴジラ映画とかの批評が載ってる同人誌を買ったけどそんなことより驚いたのは開田さんの痩せっぷりで、これが1番の特撮だった。あるいはすでに普段から着ぐるみを着ていてそれを脱いだだけだったのか。だとしたらさすがは怪獣絵師にして名コスプレーヤーの夫君であると讃えよう。隣りのロトさんのブースでも1冊、昨今のアニメについて買った文章が収録の本を購入。開田さんの方では誰も誉めてる節のなかった「ゴジ FINAL WARS」を誉めているのがロトさんらしーとゆーか。交通事故の影響は残ってなさそーだったけどあれはしばらくして出ることもあるのでご自愛を。

 SFの方も歩いたけれど昼過ぎだったからか知り合いに特に会わず。ってゆーかSF方面に限らず見知った人の少なさが背景にあるんだけれど。あるいは髯がないと認知されにくくなっているのか? 昔は髯、なかったんだがなあ。そんなSFの島でとんでもないものを発見して打ち震える。昭和も40年代からその存在を知って熱烈に応援して着た吾妻ひでおさんによる直筆のイラストとサインが売られているではないですか。値段こそみゃあやんは8000円と同人誌にしては高額ながらも吾妻ひでおとゆー偉大な漫画家の直筆”みゃあちゃん”が手に入るなら8000円はむしろ破格値。なので間髪入れずに1冊を買い求める。

 ミニスカのみゃあちゃんが脚おっぴろげで本を手に持ち微笑んでいる絵柄。その寸分の狂いもない吾妻絵に偉大な漫画家の偉大な才能を改めて見せつけられる。あとは商業誌での順調な復活だろーけどそーなってしまうと逆に描けなくなってしまうのが寂しいところ。なので今はリハビリもかねて同人誌の方で好きなことを好きなだけやって、そんな活動のおこぼれとしてのかつてな面白さ満載の同人誌作りに、かつてない貴重さを持った直筆イラストの頒布といった活動でもってアズマニアたちを落涙させてくださいませ。イラスト、1000年の家宝にいたします。


【12月29日】 近所の古本屋でワゴンならぬ段ボールセールの中から拾った「アウト」は昭和も52年の刊行で第一巻八号はつまり創刊から八号ってゆーひとケタ誌。おまけに特集は聖悠紀さんの「超人ロック」で後に「少年キング」誌上でスタートして一世を風靡する時代から遡っての特集は、あらゆる商業メディアを通して一番最初くらいってことになるのかな。新書館あたりから「超人ロックの世界」が何冊か刊行されたのはずっと先だし。

 改めて特集を読んで驚いたのは最初の「ロック」は昭和42年、つまり1967年とゆー今から実に37年も昔に登場していたってことで「サイボーグ009」よりわずか3年後、世に超能力者ってものがそれほど認知されていなかっただろー時代にこれを描いてたってことで改めてその凄さを思い知る。今の絵に近づいてきている名作「コズミック・ゲーム」ですら昭和49年つまり1974年で30年も昔の作品だったんだなあ。諸星大二郎さんがデビューした年で萩尾望都さんの「百億の昼と千億の夜」よりも前で。考えれば考えるほど聖さんの偉大さが膨らんで来るよ。

 驚くのは「超人ロック」は今も現役で連載中ってことで、石森章太郎も手塚治虫も藤子F不二夫も亡き今、SF漫画の系譜でもっとも近く長いキャリアを誇る作品ってことになるんじゃなかろーか。近作はちょっと手を出していなかったけれど、その偉大さに感じ入ってビブロスから出たものも含めて揃え直してみるか。でもやっぱり個人的には「魔女の世紀」と「コズミック・ゲーム」をトップに挙げてしまうんだろーなあ。読み返したいなあ2作とも。買ってこよう明日にでも。出てたっけ?

 「エル・ゴラッソ」の高校サッカー選手権特集を買って愛知県の代表を見たら東海学園でびっくり仰天。だって女子校だったじゃん、って思って記事を読んだら4年前に共学に切り替わって以来、サッカー部もできて学生も集まって実力もついて来て、去年は1年と2年しかいないにも関わらず選手権県予選を準優勝してそれから愛知県の新人大会でも初優勝して東海新人大会に藤枝東や四日市中央工業高校といった、高校サッカー史にその校名を刻む学校を撃破して初出場ながらも初優勝を遂げたんだとか。それってめちゃくちゃ強いってことじゃん。

 学校は愛知県は名古屋市は天白区の中平で実家のある場所とほぼ同じ。短期大学と併設になってて公立が全盛の愛知県では私立の高校としてまあそれなりな学生を集めてはそれなりな教育を行っていたって記憶がある。確か「おニャン子クラブ」全盛だった時代に制服をおニャン子御用達の「セーラーズ」にデザインしてもらったってことで話題になったんじゃなかろーか。あとフィギュアスケートの伊藤みどり選手が通っていたってことで後輩の恩田美栄選手も出たっけか。もっともそれは学生として通っていただけで運動部とは無縁のこと。バスケットボール部は同じ愛知で桜花学園って全国レベルの学校があるけど東海学園で全国有数なクラブがあったとは聞かずましてや、男子のサッカー部が強いなんて話は影も形もなかった。サッカー部自体が影も形もなかったんだから当然か。

 それがここに来ての急浮上。あるいは全国から優れた選手を特待生としてかき集めてきたのかたと思って「エルゴラ」の選手プロフィールをみたらこれがどうして、レギュラーメンバーの1人が神奈川で1人が隣県の岐阜のほかは9人が愛知県の出身。「緑東FC」とか日比野中とか愛知のフットボールクラブに中学校を出た学生がそのまま入っては鍛えられて強くなり、東邦とか愛知といった常連校を破って晴れの高校サッカー出場を果たした模様。昔の東海学園の姿を知り、スポーツの伝統私立校偏重ぶりを知るだけにこれはやっぱり快挙以外の何者でもない。

 若い生徒には隣の三重県に遠く鹿児島県といった面々も見えるけれどやっぱり主体は愛知県。なのに同じ愛知から学生が集まっていただろー中京とかいったスポーツ伝統校を破った理由がどこにあるのか調べて見たい気もしてきた。名古屋グランパスエイトやヴィッセル神戸に所属していた鶴田道弘監督の指導の賜? それともともに学ぶ女子学生のレベルの高さ? 名古屋に限ってそれはないとは思うけれども最近は「名古屋嬢」とかってのがクローズアップされもてはやされる時代だからなあ。あるいは見目麗しい娘が揃っていたりするのかなあ。31日に柏の葉に登場して超強豪の奈良育英と戦うそーなんで、168センチしかないゴールキーパーの森大選手の活躍と、東海学園嬢の見目麗しさ(予定)をこの目で観察して来よう。名古屋グランパスエイトに所属の楢崎正剛選手は地元校と出身校のどっちを応援するのかな。

 仕事があって会社に詰めていると窓の外を雪。抜け出して西が丘まで女子サッカーの全日本選手権準決勝を見に行こうって気力も抜けてネットで戦況の確認をするにとどめる。第一試合は「なでしこリーグ」で悲願の初優勝を遂げたさいたまレイナスFCと宮本ともみ選手不在ながらもがんばっている伊賀FCくノ一との試合。どーやら1対1のままPK戦になってレイナスがおそらくは女子代表の守護神・山郷のぞみ選手の活躍もあって勝ち抜き決勝の国立競技場へと駒を進めた。同じ埼玉では先に浦和レッドダイヤモンズが天皇杯準決勝をジュビロ磐田と戦って敗退していて、アベックでの「元旦・国立・サッカー」は果たされなかったけれど浦和の出場を見込んでチケットを買っていた人には、ジュビロファンや東京ヴェルディ1969ファンへの売却も悪くはないけどその宛がなければ来場して、同じ埼玉の赤いチームを応援していただければ賑わって楽しいかも。ウイアーレイナス、とはさすがに言えないか。

 そして第二試合は去年と一昨年の決勝カードにもなった日テレ・ベレーザとTASAKIペルーレの強豪2チーム。本当はこれが決勝で当たって去年一昨年のリベンジを果たすなり、3連覇を果たすといった構図になるって期待もあったけれど今年のレイナスのがんばりを見れば、そのチームが出てきて2強と言われたチームのうちのどちらかを相手にどこまで奮闘するかを見るのも悪くない。で相手は3対1でベレーザに決定。雪の上で黄色いボールを使ったらしい試合でも、荒川恵理子選手のスピードやテクニックに変化はなかった模様で2得点を決めて澤穂希選手の1点とともに3点をゲット。ペルーレの追い上げもかわして元旦の国立進出を、こちらは兄弟姉妹な関係にあるヴェルディとともに決めてしまった。

 午前10時だかのキックオフはつらそうで寒そうだけど、澤選手が復調して荒川選手は絶好調で大野忍選手に中地舞選手に四方菜穂子選手といった面々も同様。年の瀬に来て最強の布陣が揃った(去年PKをはずした小林弥生選手が今ひとつでリベンジの場にたてるか微妙だけど)ベレーザがリーグ戦では今ひとつ攻めきれなかったレイナス相手にどんな戦いぶりを見せてくれるのか、今から興味が尽きません。緑のアベック優勝ってことになれば世間の注目も集まりそうだけどその場合、今のメディアの関心度からあるいは澤選手が山田卓弥選手とか小林大悟選手を脇にやって1面トップとかを飾るかも。女子サッカー好きとしてはそれも楽しみ。って2日付けの新聞ってないじゃん。サッカー雑誌の英断に期待だ。


【12月28日】 豆腐のような形をしたピカチュウな会社へと行ったついでに恒例となった一条戻り橋の「晴明神社」詣で。99年頃に行った時には奥まった場所にひなびた感じのたたずまいを見せていた神社も、去年に行った時には改装もすんで大通りから続く参道が出来てそこに一条戻り橋のミニチュアと脇にうずくまる式神の鬼の石像が置かれ、境内には穴から顔を出して記念撮影をするフォト看板が置かれてすっかり観光地ナイズされていて驚いたっけ。今年は加えて年末ってことまって緋の袴をはいた巫女さんまでいてお守りやおみくじを売ってて京都でも、有数の名所へと着実にステップアップを遂げている模様。市バスの中に広告まで出ていたからなあ。

左腕につけるのはなんでだろう。頭のアンテナはなんだろう。  そんなファッショナブルなスポットにちょっぴり似つかわしくないポスターを発見。晴明桔梗紋の入ったお守りや絵馬やペンダントに加わって登場した缶バッジの宣伝ポスターなんだけど描かれているイラストがはっきり言ってど素人。おそらくは詰め襟の男子学生にセーラー服の女子学生を描いて修学旅行とかで来た学生にアピールしよーとしてるんだと思うけど、男子学生は頭の天辺が栗みたいにトんがっていてまるで宇宙人。あるいは「SAGA佐賀」のはなわって感じで女子は女子でオールバックの総髪にした由井正雪か海原雄三にしか見えない。こんなイラストを見てそれが自分たちのことだと感じる修学旅行性がいたら彼ら彼女らは自らのファッションセンスを疑った方が良いだろー。

 すぐ隣には岡野玲子さんやおそらくは岩崎陽子さん、平井摩理さんといった陰陽師を主人公にした漫画を描いた人たちが奉納した絵馬が吊り下げられていたりする訳で、中には漫画だかイラストを描いたものもあってプロっぽさを醸し出しているのに、目立つ場所に掲げられたオフィシャルとも言えるポスターがこの体たらく。綺麗な建物になって浮き立っていた安倍晴明さまもそのみっともなさに墓所で嘆息しているに違いない。なので陰陽師物で名を上げた漫画家の人にはもっと真っ当な缶バッジ宣伝用のイラストを、描いて差し上げて頂きたいもの。見れば誰だって欲しくなるくらいに美麗で効果的なポスターがあれば晴明さまもお喜びになって更なる御利益があるだろーから。しかし缶バッジのお守りとはなあ。1枚1枚、バンダイの「Canバッジグー」で自作してたらちょっと楽しい。

 ところで来年は安倍晴明没後1000年ってことらしく嵯峨かどこかにある御座所を改装しようって動きがあって寄付を募ってて、1口2000円を収めると桔梗紋方の線香立てか鬼のマスコットか何かが1品、もらえるってことになっててそこで5口1万円以上なら、マスコットに線香立てにあと記念行事を収録したDVDまでもらえるってことで折角だからと5口分、お納め奉る。別に名前がどこかに刻まれるってことではなさそーだけどこれからの1000年、晴明さまが綺麗になった御座所でもってこの国を護り続けてくれるようになる、その手伝いが出来たと思えば嬉しい限り。ヤングアダルトでも1ジャンルを形成しつつある晴明もの陰陽師ものだけど、そんなジャンルがかくも隆盛を保っている1番の理由である晴明さまの存在に、感謝の意を現したいなら作家の方々も1口、といわず5口10口どうでしょう。はっきり言って不似合いなフォト看板の整備に使われたらちょっとタマらんものがあるけれど。

 京都駅へ戻ってさてどうしようと清水寺行きのバス亭の時刻を見て後日にしようと決心しかかって振り向くと色白な眼鏡っ娘の女子高生が立っていてその見目に惹かれすぐ後についてそのままバスに乗って清水寺へと向かう。こういうことってよくあるよね。残念にも眼鏡っ娘の女子高生は手前で降りてしまったけど同じ空間にいられたってことで生きていく勇気がちょっとだけ湧く。もっともだらだらと続く坂を上って清水寺に到着して、最近だと「殿がくる」とか「ホーンテッド」で舞台になった有名な「清水の舞台」に立つと途端に気持ちが沈みそのまま下へと落下、していきたくなる。

 だってねえ。偉い人がその上にいるさらに偉い人に関わりのある案件だからってわざわざやって来ては指令を下していったりするのがしょっちゅうなんだよ。とてもじゃないけどそれでは胸を張って公器って言えない。あれもこれもって手を出した挙げ句に薄くなって支持されるどころか付け焼き刃ぶりと勘違いぶりを呆れられ、じり貧となっているにも関わらずさらに広い範囲へと手を、それも現状の陣容を代えないどころは減らしてでも伸ばして薄い情報をさらに薄くしようとしてる。つまるところは何かすることによってアピールしないと沈んでしまう、マグロのよーな状況になっているってことでけれどもマグロは泳ぎさえすれば良いけれど、こっちは泳ぐためにはエンジンが必要で燃料が必要で使えば当然ながらコストがかさむ。付け焼き刃なんで見合ったリターンは得られず起こるのはさらなるシュリンク。そんな状況を目の当たりにして生きて行けって方が無理ですわ。

 なのでここは潔く飛び降りて我が名を満天下にとどろき渡らせつつその内心に満ちていた苦境も知ってもらいたいって、ふっと思ったものの下を見てその高さに目がくらんで落ちるのは止めにする。高校生ぐらいの時に来て立った記憶があるけれど、その時に感じた高さへの恐怖心ってものはすっかりそげ落ちてしまっていたから、改めて見て結構な高さがあったことを知って「清水の舞台から飛び降りる」とは言い得て妙だなあと今さらながらに納得する。ってか実際に飛び降りて生きている人が存在することにもやや仰天。パラシュートでも着けていたのかな。あーる・田中一郎は風呂敷か何かでモモンガやってたんだったっけ。でもって仏罰を食らったんだな。懐かしいなあ。あのジャーマンが得意なバスガイドさん今どこで何をしているんだろ。


【12月27日】 終わったなあ「げんしけん」。ボヤを起こした咲ちゃんが責められついに強気の裏にある弱さを見せて涙ぐむ、ひとつの転換期ともなったエピソードとそして斑目に続いて部長になった笹原が同人誌即売会に出るって決意表明をする、やっぱり大きな転換点となったエピソードで締める辺りはタイミングとしてジャスト。第一部の終了って感じで気持ち的には余韻を残しつつもとりあえずここまでって気分にさせられた。今はまだ原作が少ないんでここでいったん終わっておくのは正解で、半年とか1年とか経って原作がもうちょっと溜まってから、笹原政権下でのあれやこれやに荻上クッチーの登場とゆー”新生”げんしけんの活動を、描いてくれればまた毎週をテレビの前にかじりついて見てしまいそー。期待はしないで待とう。

   最初にご成婚の話が持ち上がった時に起こったのは新潟県中越地震で、被災者に気兼ねされた皇室は婚約内定の発表を延期。どうにか落ち着きを取り戻してさあいよいよ発表をしようと決めた12月18日はこんどは高松宮妃喜久子さまのご逝去という不幸から再度の延期となってしまった。喪も明けた12月30日に再再度の婚約内定を発表するって決めた矢先の26日、今度はこの100年で4番目とゆーとてつもない規模の地震がスマトラ島沖で起こっては、大津波を発生させて近隣のみならず遠く離れたスリランカから果てはアフリカまでをも波に呑み込み2万人を超える死者を出すという惨事が起こってしまった。

 現時点ではご成婚の内定をまたしても延期するって話は持ち上がっていないけど、新潟よりもあるいは多い日本人の死者が出ている可能性もあるしそれ以上に、人類史上における記録的な惨事とも言って過言ではないかかる事態に、宮内庁側の都合ではなく当人として果たしてこのまま発表しても良いものかと、我らが紀宮さまがお心を痛めておられるのではと心中、お察し差し上げては身も痛む。ご親交も深いタイ王室はプーケットで多大な被災者を出しているしモルジブも同様。同じアジアの国々の苦しむ姿にここはまたしても延期って、ことになっても誰も異論はないだろう。スケジュールを急ぎたがる一派があるなら別だけど。

 それにしてもこうまで御難が続くとあるいは紀宮さまが嫁がれることにどこか、人知を超えた高い次元から誰か、異論を挟む声を発しているのかもしれないって想像が浮かんで来てしまう。最初に婚約内定を妨げた地震が母なる大地の神ガイアの差し金だったとするなら、続く高松宮妃殿下の逝去は冥界の王ハデスがその力を顕現させたもの。そして今回の大津波は地下を司るハデスに並んで海を司るポセイドンのトライデントこと三つ又の矛が海に刺さり海底に穴を穿ったものだって考えるとそう思えて来てしまう。

 ならば次に起こるのは全能の神ゼウスがその手より大地を焼き尽くす雷を、天上より放って来るってことになるのか。30日の発表が行われるかをまず注視し、それが延期ならさらなる日取りの設定で、実施ならその前後かあるいは実際の成婚に合わせたタイミングで、何か起こるかもしれないって意識は持って置こう。雷ってことはやっぱりあれか、ミサイルか。それにしても偉大過ぎる神々にこうまで意識される存在はいったい何なんだろー。もしかしてアマテラス? ガイアからは慕われハデスにネプチューンにゼウスから想われる宇宙の女神? 女帝に関する論議も始まったよーだし、ここは皇籍離脱ではなく可能性を残したままにしておいた方が世界の安寧、宇宙の安定のために良いってことなのかも。

 そんな高次元での恋の鞘当てはさておいて、心配なのはスリランカにいる偉大なSF作家のアーサー・C・クラークがどうなったかってことで、首都のコロンボに近い場所に住んでいるなら津波の被害の多かった南東部ではないんで水に流されてしまったってことはなさそーだけど、ただでさえ不安定な政情が甚大な被害の後に来る混乱でなおいっそう不安定化して、名士でもあるクラーク博士の安全に影響を及ぼさないとも限らない。建設途中の起動エレベーターの工事にも……ってそれはまだないから大丈夫。ともあれクラーク博士が無事に現れ新作を発表してくれる時が遠からず訪れることを切に祈ろう。ってまだ書いてたっけクラーク博士。


【12月26日】 クリスマスイブに続いて秋葉原。きっと元旦の秋葉原。開いてないけど秋葉原。ぷっぷぷっぷまふゆのあきはばら。からのふところひえひえにょ。そうなる可能性を視野に入れつつ今はまだある余裕を頼りに「K−BOOKS」へと行ってパンツをはていない一ノ瀬弓子クリスティーナに挨拶してから復刊なったかがみあきらさんの「ワインカラー物語」(角川書店、1200円)を買う。カラーじゃないんだな、やっぱり。あれは赤と黒の二色で表現された淡く切なくそして酸っぱいビジュアルが描かれている内容ともあいまって心を微妙にザワつかせてくれたんだけどモノクロで見ると淡さだけが残って気持ちがちょっぴりくすんでしまう。けど贅沢は言わない読めるんだから。

 ってか「ワインカラー物語」は新刊でも買ったし古本も持ってるから別に今さらなんだけど例の如くに家のどこかに埋もれて出てこないんですぐ読める場所にこれがあるってのは嬉しいといえば嬉しいし有り難いと言えば有り難い。ほかにかがみさんの作品では比較的ストーリー性があって話もちゃんとまとまっているラブコメチックな連載作品「トライアングル・ラブ・ソング」とこちらは単発で音楽がテーマのラブコメ「H・Tバラード」が入ってて、どちらも徳間のアニメージュコミックで出た「サマースキャンダル」に入ってて「サマースキャンダル」も当然にしてブックオフの100円時代に何冊か救出して部屋に常備しているだけどこれもやっぱりどこかにあるんだけど未確認。読み返すにはちょうど良いサイズってことでやっぱり嬉しくって有り難い。

 大塚英志さんの解説は大塚さん的なシニカルさがなくストレートな思い出話で読んで懐かしさじわり。扉絵のビビッドな色遣いは当時は派手さに目が眩んだけど今だと普通だなあ。20年も前の絵だけどテイストとして古びているのかそれとも今でも通用するのかは僕にはちょっと判定できないんでここは、今の10代20代の人が読んでどんな判断を下すのかを期待しつつ怯えつつ待とう。少なくとも扉の戦闘に描かれているメカと美少女の組み合わせは今でも十分に通用してなおかつ、萌えばっかりな中でスタイリッシュな目新しさすら感じさせるよーな気がするんだけど。親の欲目に贔屓の惹き倒しって奴かどうなのか。やっぱりこれも判断待ちだ。

 代々木第一体育館へと向かって「鋼の錬金術師」をテーマに映像と音楽で見せるってゆー、去年同じ会場を使って開かれた「機動戦士ガンダムSEED」のイベントをそのまま作品だけ代えた感じのあるイベントの開場を待つ人の姿を確認してから数時間ある開場までを渋谷にある「たばこと塩の博物館」の中で本を読みながら待つ。マッチのラベルの展示があってその地味な内容に閑散としているのかと思ったら何故か渋谷に来た女子高生だかっぽい人たちが結構な頻度で入館して来てマッチがブームになっているのかそれとも、安く(100円)てそれなりに時間をつぶせて知識も学べるスポットとして女子中高生が読む雑誌で紹介されていたのかと、そんな想像も浮かんだけど真相は知らない。それはそれとしてもマッチのラベルの多彩さは一見の価値あり。戦時下の戦争を繁栄した奴とか輸出用で五族共和を謳った奴とか時代を感じさせてくれて面白い。今の時代を写す例えばマッチ箱のようなアイテムって何かあるのかなあ。

 待ち時間を使って読んだのは小松左京賞を取った有村とおるさんって還暦間近な人の作品「暗黒の城 ダークキャッスル」(角川春樹事務所、1800円)って本。ネットゲームを作っていたクリエーターが2人相次いで事故と自殺で死亡。それが作っているネットゲームのせいなのかどうなのか、分からないなりにプロジェクトを続行していた主人公の青年が、怖ろしい内容のネットゲームの人間に与える影響について調査をし始めたところから日本だけでなく世界をも巻き込んだ陰謀へと巻き込まれてていく。同僚でクリエーターなきあとのネットゲームのプロジェクトリーダーを勤めていた女性は青年に深入りするなと言ったが、そんな彼女自身が隠していた過去に呑み込まれて青年以上の危機に身を脅かされる。

 そして立ち上がる恐るべき敵。かつて日本を震撼させた事件との関係が浮かび上がり、青年は絶体絶命のピンチへと陥る。参考文献として「ゲーム脳の恐怖」があげられているよーに、ゲームのとりわけホラーゲームがもたらす恐怖心が、行き過ぎればとゆー前提で人間の精神のみならず遺伝子レベルで影響を与えるかもしれないとゆー説明があって、それが可能性として事実なのかどーなのか、事実かもしれないと認めてしまって良いのかどーなのか、っていった疑義も浮かんで作品への一方的なのめり込みをセーブさせられるけど、読めば「ゲーム脳」も全面的に学説として引いている訳ではなく、時と場合によっては起こり得るかもしれないってニュアンスになっているんでまあ、許容範囲かと。

 人間の恐怖心にまつわる研究が目的とする人間の幸福であったり人類の不幸といった問題意識が根底にあって、その上でさまざまなドラマが繰り広げられていて学説なり医学的な面への疑義を脇におけば楽しい時間を過ごすことができる。オンラインゲームが開発されている状況とかオンラインゲームそのものの描写とかは還暦を迎える人って印象を感じさせない達者さで、よほどそっちの業界に詳しい人でもなければこんなもんだろうって思って受け入れることが出来そー。作者の人はIT業界にいたって聴いたけどゲーム業界とはかけ離れていたっぽいんで、勉強の成果が現れているんだとここは見たい。

 かつ虫とかが蠢くグロテスクな世界観は既存のゲームにはないもので、作者の創造力が先をいったって感じ。そのあたりはだてに未来科学者の小松左京が選んだ作品だけのことはあると納得。ボディスーツとグローブでバーチャルリアルティを感じるってのは柾悟郎さんがとっくにやっていたりすることだけど、当時は絵空事でも今だと近未来に実現しそうな技術ってことで使われていても当然と認めよう。SFよりもホラー系で話題を呼びそうな作風なんでそっちへのアプローチ如何では過去のどの作品よりも浸透しそう。小松左京賞ってタイトルは果たしてホラー方面へのアプローチにプラスなんだろーか。気になった人はタイトルとか気にせずにとりあえず手に取ってながめてみては、如何。

 戻って代々木体育館前。エドがいっぱいいてホークアイがいっぱいいてロイがいっぱいいてエンヴィーとラストがいて先生がいてあとえっといろいろ歩いていたけど1人として錬成に成功している人はいなかった。残念。ご飯出してもらおうと思ったのに。中に入ると鎧の人がいてすっくと立っててみんなが携帯電話で写真撮っててカメラ持ち込み禁止だなんてコンサートの常套が、そろそろ難しくなって来ていることを実感。荷物チェックをやってカメラを取り締まるハード路線よりも、カメラは持っていたって撮らないよーな理解を求めるソフト路線へとやっぱり向かうべきなのか。いずれさらに携帯が高機能化すると映像だってリアルタイムで外に送れるよーになってしまうからなあ。頭につけた小さいカメラで撮影とかして。さてもどうするイベント業界。

 これだけ人数がいればと取りだした「ニンテンドーDS」でピクトチャットを始めたら何人かいてあれこれ会話。初めて知らない人と見えない場所で「ピクトチャット」したよ。なるほど確かにこれは気恥ずかしいけど面白い。場所が場所だけにどんなキャラが好きって話になってとりあえずホークアイって売ったら「アルの中の猫」って答えが返ってきて座布団1枚あげたくなった。もっともピーク時でだって4人くらいしかチャットしていなくって、小学校のクラスにおけるゲームボーイの普及率には遠く及んでいない模様。電車の中で会話が生まれて出会いがあって、そこからあんなこととかこんなことが起こるよーになるのは当分先になりそー。コミケの会場だともーちょっと確率高いかな。実験じっけん。

 始まったイベントはやっぱり去年の「ガンダムSEED」と同様に映し出された映像に合わせて声優さんがステージ上で声をあてるってパターン。だけど「SEED」の時以上に構成が練り上げられていて演出も絶妙で、2時間くらいしかない短い間だったのにそれなりに濃密な時を過ごすことができた。まずはエドとアルがどうして錬金術師になるに至ったかってエピソードから始まりアルがスカーによって賢者の石にされてしまうエピソードがあり、ロイがヒューズと会話してロイの決断を導き出すエピソードがありエンヴィーを軸にしてホムンクルスたちが何を思いどう行動して最後はどこに行ったかが語られるエピソードがある。

 そしてクライマックスからアルと分かれて新たな旅へとエドが向かうエピソードへと、至りエドとアルの腕が突き上げられるスクリーンの下でそれぞれの声優さんが腕を上へとかざすアクションが綺麗に決まってエンディング。そんな感動的なドラマパートの合間にアは、ニメーションのオープニングやエンディングのアーティストによるステージが挟まれる。ドラマの部分ではシリアスな内容で気持ちを集中させられアーティストの部分では派手なサウンドで気持ちを爆発させられるって構成は気疲れもせずだらけもしない良い塩梅。構成した人の妙味を感じる。

 テレビを元にしたステージがおわってするすると降りてきたスクリーンに映し出されるのは劇場版の案内。その最後に劇場版のテーマソングを歌うアーティストが発表となってそこに「ラクル・アン・シエル」の名が出て場内が大騒ぎとなった次の瞬間、スクリーンが上がりそこに現れたのがホンマもんのラルク。超大物の登場に大興奮となったなかを第2期のオープニング「レディ・ステディ・ゴー」をど派手に演奏してクライマックスを飾ってそして、フィナーレへと向かう段取りの良さにも感心する。予定では名前のなかったラルクだっただけにトクしたって気分の人も多かったかもしれない。まあ個人的には映画のテーマに決まった団塊で出てくれるんじゃないかな、って思っていたけど本当に見られるとやっぱりちょっと嬉しい。

 スタッフにアーティスト紹介でグランフォフィナーレを終えてそのまま閉幕、ってなると残るのは楽しさの後の寂寥感、だけどそこをそうせずダメ押し気味にぱくろみさんの唄と叫びでもって締め、夏の映画にみんな来てくれよなー、ってアピールで終わったせいか余韻よりもむしろ夏への期待が浮かんで気持ちを浮き立つ。それを狙っていた構成だとしたら構成した人は神。会場を出て原宿へと向かう人波から聞こえて来た声も短いとかアーティストの出番が少ないとかテレビのダイジェストじゃんといった声ではなくって良かった楽しかった面白かった満足って声が大半。作品自体が持つ求心力の高さってのも当然ながらあるとして、それを使ってステージを作る上で今回の成功はひとつのフォーマットを生み出しそう。これにのっかるアニメが来年までに生まれるのかは微妙だけど。「舞−HiME」でやったらどんな感じになるのかな。唄がないか。やっぱり「DESTINY」になるのかなあ、来冬の代々木は。


【12月25日】 なんでも「メリークリスマス」を政治的に正しく「ハッピーホリデイ」と言い換えるのがアメリカでは大流行とかでうーん。宗教的に祝いたくなら祝わないで済ます、ってことにはならず宗教色を抜いてみんなで喜ぼうってなるのが自由の国アメリカって訳ですか。宗教色を意識はしても気にせず「メリークリスマス」と大騒ぎして一週間後に神社に初詣に行って「あけましておめでとう」とやっぱり大騒ぎする日本とどっちが節度を保っているのかどちらがお気楽なのかどうなのか。もっとも灌仏会は祝わないし花祭りもしないけど。無節操?

 そんなクリスマスの朝に相応しい朗報。といってもこっちのことではなくって受賞者にとっての朗報。「 SFマガジン」がもう随分とやってる「SFマガジン読者賞」の16回目を日本の短編は「さいたまチェーンソー少女」で桜坂洋さん、イラスト部門を「飛ばされていく、行く先」でタカノ綾さんがそれぞれに獲得したようで実を言うなら「さいたまチェーンソー少女」は、年々平均年齢が上がっていると噂されるマガジンを読んでいる人たちにどんな波風をもたらすのか、楽しみでもあり心配でもあったけど唐突な登場でいったい誰なんだろうって訝りも、その圧倒的にパワフルでスピーディーな展開によって吹き飛ばし切り刻んでは、存在感を見せつけ支持を獲得したんだろー。

 あるいは知らないうちに「SFマガジン」の読者層が集英社スーパーダッシュ文庫と近い層まで降りていた? いやいやそれはないってことでここはやはり何でもありの精神を、どんな小説のジャンルよりも持っているSFファンならではの選択だったと信じよう。西島大介さんの描いた作品の世界観にぴったりばっちりなイラストの効果もここでは少なからずあったものと類推。ともあれ当時で1本2本の長編しか発表していなかった新鋭に、理由はともあれページを渡し最高のマッチングでイラストをつけた編集の目利きぶりに拍手。塩澤快浩編集長、マジで「ファウスト」の太田克史編集長に挑んでるね。

 タカノ綾さんは個人的には順当だけどでもやっぱり最初はあのアートのど真ん中を行くテイストがどこまで、受け入れられるのかって懸念もあった。けど描く内容はそのSFファンぶりが遺憾なく発揮されていて希代のSF読みたちだって納得できるものだったと思うし、なおかつ単に絵で書評をやるんじゃなくって自分の経験をそこに入れ込みなおかつ作品世界とも重ね合わせて多層的、かつ拡散的に作品世界をとらえ少ないページの上に自在に描いていった手法の新しさには、誰だって瞠目せずにはいられないって気がする。

 ってか実際に「読者賞」に選ばれたってことはつまりそう考えた人も多かったってことなんだろー。最新号の「アド・バード」についての紹介も最後のページを3分割してシーンとキャラを重ね並べてあの、不思議で過酷な世界と優しい人々を描いて作品の持つ魅力をその1枚に込めていて、読んでながめて泣きそうになる。ともあれ快挙。これを機会に選んだ人には「SPACE SHIP EE」(カイカイキキ、1600円)と、河出書房新社から出ている「九龍」のタカノ綾特集号を読むことをお勧め。なっかなか手に入りにくいのが難だけど差がしてでも読め。僕も読み返したいけど部屋のどこかに埋もれて出てこない。「EE」は確かタカノさんのサイン入りだったのに、似顔絵まで入れてもらった、日本代表のユニフォームを着てる似顔絵が……。片づけよう。

 そんな「SFマガジン」を持ってサッカーの天皇杯準決勝「浦和レッドダイヤモンズvsジュビロ磐田」の試合を見に行く途中にお茶の水で降りて移転した「カスミ書房」をチェックするとアンナ・カヴァンとトム・リーミィのサンリオが並んでいたので桜坂さんタカノさんの快挙を祝って購入する、ってそれは自分にとっての言い訳だね。ながめると長野重一さんに荒木経惟さんの著作とかが並んでいたりして、日本の現代写真について考える上でも結構な資料が揃っていそーだけど前の靖国通り沿いにあった時にはショーウィンドーに飾られ眩しさばりばりだった古い写真集とかがどこにいったかはちょい不明。また寄って探そう。アイドル関係では少女隊のカセットブックに目が向く。初期の少女隊かな。大地丙太郎さんとか欲しがりそうなアイテムかな、って大地さんくらいのファンなら持っているか。

 さらにコミック高岡へと寄って岩田次夫さん、っていうより漫画同人誌業界的には「イワえもん」の方が通りが良いらしーコレクターにして今春、死去した人の遺稿を集めた「同人誌バカ一代 〜イワえもんが残したもの〜」(久保書店、1200円)を買う。表紙のフィギュアを浅井真紀さんが作っているって驚きもさることながら背景の、整然と書棚に並べられた同人誌の数にとにかく仰天。こんなものコレクションの1%にも満たない数でしかないんだろうけぢその整頓ぶりからどこまでも、どこまでも漫画同人誌を大切にしていたんだなってことが伺える。

 同人誌については存在は1980年代の頭から知ってはいても本格的に買い漁ったこともましてや作ったこともないんで、書かれている同人業界への提言なり苦言ってものは知識として理解できても体感として了解できるレベルになく、例えば権利関係の問題についてともすれば権利者側の論理に立ちがちな身にとって、同人誌を作る側買う側の見解ってのもあるんだってことが伺え勉強になる。といってもそこを一方的に作る側の論理で押し切るんじゃなく、権利者側の存在といったものにちゃんと思いをめぐらせた文章を寄せているところが社会人として世とつながりを持っていた、大人の同人誌ファンだったんだって故人を偲ばせる。まあ当人をまるで知らないからこう言えるのかもしれないけれど。

 同人誌コレクターとしての岩田次夫とはまるで接触がなかったけど、収録されている漫画評論の方とはあるいは接触していた可能性があってこれにはちょっと驚き。幻になってしまった漫画家の内田善美さんによる名作にし傑作「星の時計のLiddell」を論評した「星の時計のLiddell あるいは時間と空間の冒険」って文章は、漫画情報誌の「ぱふ」が1986年に出した「増刊ぱふ Vol.2 特集・内田善美」に寄せられたものだそうで明確な記憶はないけどこの時期なら、増刊を買っている可能性が極めて高く当然にして論文も読んでいると思われる。

 同人誌方面での面識は皆無でも、そうしたメディアを通して18年も昔に実はすれ違っていたのかと、考えると途端に故人への関心も深くなる。内田善美さんについて何かを語る人に嫌いな人はいないのです。これを読むだけでも価値がある上に故人ならではの視線を持った同人誌評まで収録されて1200円は破格。コミックマーケットなり同人誌即売会の歴史を知る文章はそっち方面に首をつっこみたいビジネス関係者にもある種のガイドとなるんで目立たない本でどこに置いてあるか不明でも、探し見つけて買っておけ。しかしよく出来てるなあイワえもんフィギュア。売る気か?

 コミック高岡ではさらに年末を控えておそらくは修羅場続きな筆谷芳行編集長による渾身の「ヤングキングアワーズ」2005年2月号を買う。開いて修羅場が編集部だけではなかったことを知る。詳細を語るのが怖ろしいけれど宇川弘樹さんの「朝霧の巫女」がとてつもないことになっています。物語的にも巫女委員会の再登場とゆー、それも巻頭カラーの見開きで堂々の登場とゆー、物語の流れをまるで無視して第一試合に無理矢理に、クライマックスとメーンイベントを持って来る荒技が使われているんだけどそのあまりにハードでスペクタクルな展開に、作者のエネルギーも偏ったよーで後半になるに従って、絵が不思議時空に巻き込まれ異次元人ヤプールに侵略されかのようになっていて、「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話をテレビで見た時のよーな興奮を味わう。コピーしてトレースしてペン入れして自分だけの「朝霧」を作ってみる人とか、出て来るかな。コマ割りにレイアウトの勉強をしたい人は是非に。僕は単行本を待ちます。

なかやまなかやまごんごーる、を見られたクリスマスが不幸である筈がない1人でだって、うん  カスミ書房とイワえもんと「ヤングキングアワーズ」の3題話を背中に背負って向かうは有明、ではなく東京・霞ヶ丘の「国立競技場」。ナビスコでは涙を呑みチャンピオンシップでも唇を噛んだ浦和レッズが2004年シーズンの最後でありまた2005年を占うタイトルの奪取に燃ええ勝ち進む一方で、低迷続きのジュビロ磐田が新監督を迎えて打開策を図ろうとしてどうにかこうにか勝ち進んできたのがここで激突。予想では勢いを持ってレッズがジュビロを打破するって見ていたんだけどエメルソンとゆー大陸弾道ミサイルを欠いたレッズが前半は責め手を欠いてゼロ点に終わり、一方でジュビロもサイドからのクロスの精度が悪すぎて得点につながらず。0対0のまま前半を終えてエンドを変えた後半、なぜか急に選手たちが走り初めてボールも回りつながるよーになって一気に場内の興奮度もアップする。

 そして前半は持っても持ちっぱなしで取られるシーンの多かった永井雄一郎選手も活躍を始め、トップで守備に攻撃に走り回っていた田中達也選手にもボールがまわり上がったクロスを賢明に背を伸ばして田中選手がどんぴしゃりのヘディングシュート。これが決まってレッズが1点をリードし逃げ切るかと思ったものの、後半から投入されていた中山雅史隊長と藤田俊哉選手がともにベテランならではの味とベテランらしからぬ運動量でレッズ陣内に切り込みレッズディフェンス陣を切り裂いて、立て続けに2点を奪って逆転に成功してしまう。やっぱすごいよ中山隊長。そして藤田選手。レッズも後半40分過ぎにスピードスターの岡野雅行選手を投入したものの時すでに遅く、そのまま1対2でジュビロが逃げ切り元日の決戦への切符を手に入れた。

 願うならL・リーグで優勝しさいたま国体でも主力を送り込んでタイトルをとったさいたまレイナスが、レッズとアベックで国立へと乗り込んでこちらもアベックで乗り込んだ日テレ・ベレーザと東京ヴェルディ1969と対戦して欲しかったけど、負けてしまっては仕方がない。さいたまレイナスには埼玉県民にさいたま市民の願いを一身に背負って元日の国立へと乗り込んで、さいたま少女らしくチェーンソーを振り回しては集まったサッカーファンの度肝を抜いてやって頂きたい、ってそれは流石に無理かなあ、びん缶ペットボトルとチェーンソーは持ち込み禁止だから、国立競技場。


【12月24日】 イブって奴らしーが意味はあんまり知らない。ケーキ屋と鶏屋がうはうはな日って意味なのか。そんな日らしく朝っぱらから「舞−HiME」をビデオでチェック。祭りの夜にうふふふふって甘く酸っぱい青春ラブラブストーリーにして先週の死ぬほどハードな展開から方向を元の(?)コミカル路線へと戻そうとする力が働いたのかと思ったらBパートに入って病院で玖珂なつきは見ては行けないものを見、またアリッサは本性を発揮しては何やら知らないけどまるごと吹っ飛ばす。

 シリアスを超えてハードでスペクタクルな領域へと突入してしまって戻れなくなって来た感じ。なのに次回予告は相変わらずのギャグ路線。そんな上がったり下がったりのぶれを余計と見る人もそれなりにいるけれど、主題としてシリアスな物語がちゃんとあるならそんな路線とは関わらない部分でラブがコメディしててもまるで気にしないよーに頭が出来上がってしまっているんでこれからもこ緩いシーンを交えつつ、メーンの少女が目覚めて闘う物語を繰り広げていってもらいたい。でもさすがに水着でヒッチハイクはないかなあ。ありそうな気もしないでもないなあ。そーゆー役回りだし玖珂なつき。そーでなければ存在している意味ないし玖珂なつき。

 クリスマスイブには秋葉原に行こうと「読売新聞」12月23日付けの夕刊が書いていたので、六本木ヒルズに行って上から蜘蛛ちゃん(彫刻のあれ)の下でいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃしているカップルを内心でのみ見下そうなんて不埒で寂しい考えをきっぱり捨てて、夜の秋葉原へと出向いたら「ゲーマーズ」の1階がそんな人たちで溢れてて黒かった。女っ気って店員さんぐらい? それすらも埋没するくらいにいっぱいの男性陣に心の底から「同志よ」と呼びかけたけどきっと中には帰ると部屋に咲ちゃんが待ってていっしょに鶏とかケーキとか食べる奴とかいるんだ。レジに列が出来てたんでとりたてて買わずに外に出たらラジオ会館の前におっさんたちの行列が。パチンコ屋なんかないし前日から並ぶのも変だし。何だったんだろ。

 秋葉原には東京に出てきた90年頃から家電を買いに行ったりして月に1度は必ず出向いているんだけど、アニメにゲームな街へと変わり始めたなって感じたのはうーん、よく覚えてない。路地を曲がった所に「ゲーマーズ」ができて、ほとんど同じ時期にテレビの深夜アニメで「なんでゲームがないんだよー」と叫ぶ兄ちゃんのCMが流れてアニメ=ゲーマーズ=秋葉原ってリンケージが醸成されたのが95年辺りだったっけ。中古LDを買い漁るよーになって意識して見渡して何件かそんな店があってそのうちに万世橋の外にあった海洋堂の「ホビーロビー」がラジオ会館の中に入って1軒、違和感を醸し出していたけどそれも「チョコエッグ」騒動のあった2000年頃には解消されていたからきっと、95年から2000年の5年間にじわじわっとシフトしていったんだろー。日記を読み返して秋葉の話を拾ってみるか。でも特定の場所にしか行ってないからサンプルとしては不的確か。アニメおたくとパソコン野郎とエロゲーファンとオーディオマニアの見てきた「秋葉原」をクロスしたら何か見えるかな。

 買ったソニーのDVDプレーヤーはまあそれなり。イブらしくボーイ・ミーツ・ガールな話をと「くじびきアンバランス」を見てオープニングの凄まじさ震えそしてエンディングの素晴らしさに泣く。ってかこのUNDER17の「かがやきサイリューム」って超傑作じゃない? あの声でエフェクトかかってるんで何を唄っているのか最初は良く分からなかったけどラストCDとかいう「そして伝説へ…」の歌詞カードと付き合わせてみてこれは凄いと認識。「Dears」の「ラヴ・スレイブ」あたりから感じ「くじアン」のオープニングで確信へと転じたモモーイ最強伝説がこれで絶対のものに変わる。その時には「アンゼブ」終わってたんだけど。まあコンサートに行く歳でもないから良いんだけど。

 んで「かがやきサイリューム」だけどもう冒頭から凄い。「ピンク・みどり・黄色・あお……」「輝くサイリューム」ってつまりはコンサートのアリーナを埋め尽くして例の蛍光スティックが輝き揺れる場面を表現して、それからそれらの1本1本が、持っている人たちの気持ちを現しているんだとステージ上から呼びかける。そこまではアーティストとしてサイリュームの輝きを受ける側の抱く気持ちとして順当な詞になってるんだけど、続く「はじまりの予感にそろそろと折るときのドキドキする気持ち」って、アーティストを迎える側のファンの感覚までをもしっかりと、それも絶妙な詞でもって唄い込んであるのが凄い。

 すべて終わってバッグに突っ込んで家に帰って見たらまだ光ってた。夜もふけて明かりを消した部屋で眠れずプレーヤーをかけてリズムにあわせてグラフィックイコライザーの明かりが上下にはねるのをぼんやりと見てる。コンサートが始まるまでのドキドキする気持ち、始まってからのワクワクする高揚感のあとに来る終わってしまったんだなあって寂寥感と、けれども気持ちの中にまだじんわりと残っているドキドキワクワクした余韻を、サイリュームの残る光になぞらえて表現している部分に感銘を覚える。

 ステージの上側でサイリュームを受けるアーティストの気持ちなら分かって当然。それだけじゃなく下側でサイリュームを振る人たちの感覚をちゃんと、分かっているところにとそして、その気持ちを選び抜かれた言葉でもって表現してしまっている所に凄みを見る。本当にこんな気持ちになるのかどうか、昨今のジャンプ激しいアリーナ席の輝く光の渦に飛び込んだことがないんであんまり分からないけど、何年か前に取材で入った、横浜アリーナでのブロッコリーライブが終わってしまった後に覚えた一抹の寂しさを、ファンの人は何百倍も感じているんだとしたら「かがやきサイリューム」は、誰しもが深く納得できる作品なんだろー。曲もまた絶妙。ステージで聴きたかったねえ。


【12月23日】 エアをぶっかけても直るものではないらしく「RD−X4」は未だDVDを認識せず。5年間保証に入っているから買った店へと持っていけば修理は無料で可能だろーけどその間の録画状況を考えると年末年始は避けたいところで来年のドック入りをスケジュールとして策定するもではその間、何でDVDを見れば良いのかってことになって秋葉原へと出向いて石丸電器で溜まっていたポイントを使ってソニーのDVDプレーヤーを買って来る。スロットインタイプで縦にも横にも出来る奴でプログレッシブにも対応してS端子が付いててD端子もついてDTSに対応していて1万6800円(税込み)とはなるほど、DVDプレーヤーで儲けられる時代もとっくに過ぎ去っていたんだなあと実感。スペックとして十分過ぎるにもかかわらず家電メーカーAV機器メーカーが次のブルーレイなりHDDVDに力を入れる訳だ、ってか入れざるを得ないって訳だ。

 最初に買ったのはパイオニアから出たLDコンパチの初代の奴で10万ちょっとしたけどまずLDのトレイがいかれて出てこなくなってお釈迦。続いてやっぱりパイオニアのこれはDVD単体でDTSがよーやく流行り始めた頃に買った奴で7万円くらいしたと思うけど、程なくしてDVDは再生するのにCDをまるで認識しなくなってこれまたお釈迦に。直せば良いんだけどタイミングを良くしてDVDレコーダーが流行始めたんで去年、奮発して当時としてはフラッグシップな東芝のRD−X4を買ったんだけどまさか1年でDVDを認識しなくなるとは一体、この部屋のどこに問題があるのかを見渡しそのほこりっぽさに納得する。AV機器にゃあ地獄だね、夏も厚かったし。まあいずれそのうちにマンションを手に入れモダンな部屋に買い直したLDプレーヤーと直したRD−X4と巨大なリアプロジェクターテレビを並べて買い溜めたアニメのDVDとLDを、日がな一日見続ける生活に入るから今は我慢だ訓練だ。問題はそした生活へと入るための原資をどこで得るか、なんだけど。本書くか。10万部売れれば1000万円くらい入るから。

 とんでもねえ、と江戸川乱歩賞作家の鉄槌。いや直接喰らった訳じゃないけど話す言葉の端々に作家だけでくっていくことのいかに困難かが滲んでいて、好きな映画もなかなか見られないとゆー状況に果たして幸せってのは何なんだろう、どうやって手に入れれば良いんだろうと手を見る。でも時間はなくても使う金はあるんだからそっちの方がいいや。来社して映画関連のインタビューに答えている福井晴敏さんを横で観察しなた後で出版状況に関する話をあれこれ。福井さんであっても店頭から本がなくなる可能性ってのは常に意識しているそーで、だからこそ本を売るフックに成り得る映像化に、かくも一所懸命に取り組んでいるんだとか。映画化されていなければ「亡国のイージス」も「ローレライ」も書店から消えていたんじゃないと言われてまさかと思うものの、おびただしい量の本の波に埋もれ消えていく可能性はない訳じゃないのが昨今の出版状況、だからなあ。

 聞くと本が店頭でどう目立つかって所にまで気を配っているよーで、それこそライトノベルのコーナーにある本のよーに人の目をまず惹き付けるよーな装丁を、考えて実行してもらっているんだとか。大人向けの文庫のコーナーにあったってライトノベルのコーナーにあったって大丈夫でしょ、って言われてうーんそうかなそうかもね、なんて思ってあとで「イージス」を見返したけどうーんもうちょっと萌えがないとライトノベルの棚では埋もれるかな、なんて後で思い直したり。如月が半裸で炎に立つ後ろでナイスミドルなおじさま館長と黒いマントのスパイとスレンダーに筋肉質な先任が火花を散らす構図とかなら大丈夫か、ボーイズラブのコーナーに置いてもきっと。ってかそーゆーやおい本ってあるのかな、あるんだろーな、「イージス」の読者層で多いのは20代前半の女性って言ってたし。本当かは不明。

 秋葉原を彷徨いている時にスタジオ関連機材を売ってる店で流れてたラジオで唄われている歌の格好良さにその場で名前をメモしてCD屋で「スキマスイッチ」のアルバムやシングルを何枚か購入。中に「天白川を行く」ってインストの曲があってこの天白川ってあの天白川なのかなあと思って「スキマスイッチ」のプロフィールを調べたら、アフロ頭の人が名古屋市緑区の出身だってあってもう1人も愛知県東海市の人でなるほどやっぱりあの天白川だったと分かって親近感がぐーっと沸く。日進市の奥から出てきて名古屋市に入り天白区を流れて昭和区と瑞穂区、緑区と南区の境になって東海市にかすって名古屋港へと注ぎ込む、天白区で育って緑区の学校に通った僕にはおなじみも馴染みのあり過ぎる川。サイクリングロードが走っててそこをどこまでも行けばいつか海に出るんだろうと、子供の頃に走って途中で日が暮れかかり引き返したこともあったっけ。そんな想い出が2人のどちらかに、あるいは片方にあるんだろうか。どんな天白川を見てきたんだろうか。聞いてみたいなあ。昭和高校らしいから新島田橋から菅田橋あたりの僕も走ったあの光景かなあ。名古屋の雑誌とかに出ているのかなあ。

 つー訳で岩崎恭子さんの写真集。水着とかあるけど10代から水着で人前でインタビューとか出てきた人だけに水着写真そのものにはあまりインパクトはなく、かといってファッショナブルな衣装を着てもきまる体躯容貌ではないだけに全体に見てパワーにかける感じ。なおかつ写真のトーンが粗い粒子でピントもボけているのかボかしているのか分からないけどうすぼんやりしていて、こっちにぐっと迫ってくるパワーにまるで欠けている。構図もポーズも割にありがち。カメラ雑誌が教本の作例にありそうな写真のオンパレードにこれで3000円とはヨン様以上にボりやがる、って思った人もいそー。僕はそれでもかわいお尻が写ってる写真とか細い脚が伸びてる写真とか、見てうんオッケーと思った写真が2枚3枚あったからこれで納得なのです。薄べったい胸板とかも見られたし。胸板言うなって? でも板だしなあ。ちなみに噂になっていたあれがあるかはヒ・ミ・ツ。買いなさい買って後悔でも歓喜でもしなさいそれが勉強って奴だから。


【12月22日】 最新刊が登場したこともそうだけど、中に携帯電話が登場していったいこれはいつの時代の話だったのかと、各方面にあれやこれや波紋を巻き起こしている美内すずえさんの「ガラスの仮面」だったりするけれど、グリコが「タイムスリップグリコ」のシリーズに懐かしい歌謡曲のCDに続けておまけにつけた古い雑誌、その中に含まれている1985年18号の「花とゆめ」には20年前の「ガラスの仮面」がしっかり連載中。北島マヤが今とさほど違わない顔立ちで登場してはオオカミ少女を演じてる場面が登場する。

 そこから最新刊まで、延々と続いた物語の中で何年が過ぎ去ったのかは読んでないから分からないけどおよそ、仮に数年ととらえるならば85年の物語にもやっぱり携帯電話は存在していたってことになる訳で、つまりは85年当時に読者は近未来を舞台にした物語を読んでいたって言ってたぶんおそらく間違いない。でなけりゃ整合性がとれないし。これでたとえば町並みをエアカーとかリニアモーターカーとかが走り回るようになったら、速水さんは銀色のスーツを着てエアカーから颯爽と降りて来るのだろうか(間違った未来観)。そんな時代まではさすがに続かないって言い切る自信、ありません。

 長く続いているシリーズでそーした時代の変化を作品にどう反映させるのかってのは悩ましいところだけど、「ドラえもん」は空き地に土管な描写を続けてそうした時代性を超越してるし、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の場合はキャラクターに年齢を取らせなず時代背景は常に最新をあてはめ時々のトピックを紹介するスタイルにして問題を無視してる。「ガラ仮面」がそんな超然とした存在かってのは読んでないから判断できないけれど、携帯電話がインターネットが登場しようと本筋の、創造するなら演劇にかける少女の情念と成長って主題が描かれ続ける限りはそれは「ガラスの仮面」。銀ラメのエアカーであってもファンは歓喜し描かれるドラマに酔いしれるんだろう。人類が宇宙に移住するようになったらマヤだって宇宙を舞台に紅天女だ。

 しかしある意味で僕のセーシュン時代をものの見事に直撃している「花とゆめ」の85年18号。表紙に描かれているのは川原泉さんの「Intolerance…あるいは暮林教授の逆説」で、ほかには和田慎二さんの「ピグマリオ」があり柴田昌弘さんの「ブルーソネット」があり魔夜峰央さんの「パタリロ」がある。82年か3年あたりにSF方面で話題になったって記憶があって「ブルーソネット」を読み始めたのが「花とゆめ」との接触だったように覚えているけど確かかどうかは不鮮明。ともあれ「ソネット」「パタリロ」は10代後半から20代にかけて読みふけった作品で、それが雑誌に連載されている形で今、手に取って読めるというのはなかなかに感無量なものがある。

 シリーズに含まれている1965年の「少年画報」は50歳前後のお父さんたちが手に取って歓喜に震えそう。音楽を聴くよりも時代をさらに蘇らせてくれる所に目を付けたグリコ、っていうか企画した富士写真フイルムの関連会社の富士プレゼンテックに心よりの拍手を送ろう。ちなみに北海道と東北では発売中で東京では来年1月後半に登場とか。「雨やどり」だったっけ、それが売れたかどうかって時代のアルフィーが特集されている音楽雑誌もあって今なお全国に山といる「THE ALFEE」のファンが北海道へと乗り込み買い漁っているとの噂もちらほら。東京で発売されればきっとコンビニにそれなりな貫禄を持つにいたったかつての少女たちが、群がり奪い合いトレードしあう様とか、見られるのかなどうなのかな。

 レティーシャに情でも移ったからそれとも予定どおりの帰結なのか。冲方丁さんの超絶ファンタジー「カオスレギオン」は「05 聖魔飛翔篇」でもって「0」より始まるナンバーシリーズが完結。無印「聖戦魔軍篇」とゆー起と結を真っ先に見せての間をつなぐストーリーだったことから果たして面白いのかどうなのか、って心配したけどそこはかねてより圧巻の物語をひねり出すことにかけて若くしてトップクラスの力を見せてくれている冲方さん。超絶的な力を持った殺し屋を揃えてジーク・ヴァーハルトへとぶつけてはこれをジークがうち破る「少年ジャンプ」的な努力友情勝利のドラマほ楽しさに読む者を喜ばせ、また前巻のように美しくも哀しいエンディングにて出会いと別れを描いて読む者を涙に浸らせてくれた。エピソード4へと繋がる間の話で、ダース・ベイダーになるって分かり切ってて鼻白むアナキン・スカイウォーカーの堕落のドラマもこの前例を踏まえればあるいは面白いものに仕上がっているかも……しれない……自信ない。

 幻術使いに氷の吸血鬼と群がる強敵を討ち果たしたジークに向かう最後の刺客は骸骨を抱え蠅を動かし血肉を喰らわせ相手を消滅させる力を持った美少女レティーシャ。さぞは激しくも醜悪なバトルが見られるかと思ったらその描写はそれこそ達人どうしたお互いの超えられない力量に抜かないまま勝負を決するが如くで、1巻まるまるをバトルに使ってまだ足りない「少年ジャンプ」的バトルストーリーを覚悟していた体がちょっぴり肩すかしを食らった感じ。とはいえそこはしっかりと緊張感ある瞬間のバトルを描いてくれているんで読めばなるほどこう書くことで、1000ページとか使わなくてもバトルは描写できるんだって勉強になる。

 抱えた骸骨の正体も明らかとなってレティーシャの立場も変化して、最後までちゃんと存命なのは美少女絶対主義者として有り難いことこの上なし。その存在感そのパワーを次でも見せて欲しいなんて思っても完結してしまってなおかつ結末も見えてしまっているだけにもはや再登場の余地はない。もっとも「聖戦魔軍篇」の後、ってのは未だ存在してないわけでそこにいささか歳を重ねてちょっぴり色香も加わったレティーシャが、相変わらずの不思議ちゃんぶりを発揮して、ドラクロワなき世界でも耐えない争いごとなり奇妙な事件を解決していく「それゆけレティーシャちゃん」とかって外伝を、冲方さんには是非にも描いて欲しいものだけど果たして。

 「ナンバー」2005年1月13日号に妖ちゃん永井洋一さんのジーコジャパンに関するコラムが登場。改心してジーコジャパンへの苦言を、解任デモから半年以上も遅れながら声高に叫ぶよーになった杉山茂樹さんと違って中村俊輔選手を干したトルシェ前監督への恨みが転じて後任のジーコジャパンを何が何でも支持するんだって決意となって結実し、結晶化しているとしか思えないその筆致でもって、個の力がバーレーンなり北朝鮮の組織に勝つって書いている。けどなあ。アジアカップにしたって別に日本代表の個の力が、他の国の組織を圧倒して勝った訳ではなくってたまさか偶然の要素でもって、結果として勝ったに過ぎなかったりする。けど妖ちゃんの目には日本代表が勝ったって結果がまずあって、何故勝ったのかって部分で組織とは言いたくないから個の力があったと、言っているに過ぎないように見えて仕方がない。

 個の力とやらばまるで通用しなかったドイツ戦については一切触れず、シンガポール戦だって以下同文。ご都合主義の色眼鏡でもって語り続けるこの人が、未だどーして使われ続けてるのかが分からないけどそれでもサッカーについて語っている分、検索サービスとかシングルモルトとか車のペイドパブには熱心で本業では根性が足りないコンプレックスのカタマリだとしか言えなくなってる人気スポーツライターさんより100倍はましってことで。けどしかしよっぽど嫌いだったんだなあ。トルシェのことが。同じ号でもインタビューが出てて相変わらずの怪気炎を挙げてるトルシェ監督がオリンピック・マルセイユで常勝したらどう言い訳してくるんだろ。言い訳なんてしそうもないけど。トルシェの力ではなくもとより個のある選手がいただけだ、とか何とか言って。


【12月21日】 前日だけど出ていると確信して秋葉原に行って「くじびきアンバランス」のOVAを買ったらおまけに「げんしけん」のアニメが4話もついてきた。逆だ。けどテレビで見られる作品ではないこれが初見ってアニメに真っ先に興味が向かうのも仕方のないことで見るのもやっぱり「くじアン」が最初になってしまうんだろー。「げんしけん」はただでさえ原作の漫画をまんまアニメにしているっぽい所があって漫画を読んでおけば良いじゃんって時に思えたりもするからなあ。咲ちゃんの律子・キューベル・ケッテンクラートのコスプレは別。あれは動いて喋ってナンボだ。

 んで帰宅して見ようとしたら東芝の「RD−X4」のDVD再生機能がぶっ飛んでた。CDは再生できるのにDVDは認識しないって障害。ってか故障。前に持ってたパイオニアのDVDプレーヤーやDVDは認識するのにCDがかからないとゆー障害が出てお蔵入りさせたんだけど一応はつながってたんでそっちで見ようとしたらDVDも認識しなくなっていた。「プレイステーション2」も動かなくなって来てるし「Xbox」は喧しくって使う気になれず。DVDビデオを見せるなって呪いでも誰かが我が家にかけたのか。それともハードディスクに録画しっぱなしでDVDをぐっと買わなくなってしまっていたにDVDビデオの神様がへそを曲げたか。

 「RD−X4」は買って2度ばかりHDDがふっ飛び録画をパーにされた経験もあって形は違えどやっぱりパソコン、家伝レベル使いづらいと思っていたけどDVD再生のメカニカルな部分では大丈夫だろうと見ていただけにやや残念。あるいは埃の多い環境で出し入れを繰り返した結果、ピックアップに埃がつもって認識しなくなっただけかもしれないんで明日にでもクリーナーを当てて掃除をしてみよう。それでダメなら買い換えだ。もしかして「RD−X5」を買えって浜松町の声か? 東芝タイマー。家電はそれもアリだけど重電につけたらダメだよ。

 ついでだし最後だからと「UNDER17」のラストアルバムとやらも購入。ジャケットがモモーイで埋め尽くされたなかなか壮絶なデザインだししゃがんだモモーイの膝から上も下も実に立派にメタセコイアな様も目立ってこれでシャイニングウィザードなんぞを喰らった日には、スタン・ハンセンのウェスタンラリアットとハルク・ホーガンのアックスボンバーとツープラトンで喰らった上にブッチャーの毒針エルボー、ブロディのニードロップ、馬場の16文踏みつけの3連コンボを3度繰り返し喰らう衝撃を味わえそう。個人的には首4の字で勘弁して欲しいところだけどそれもそれで死兆星の天の川を見そうだし。ともあれ立派です立派すぎます。

 「SFマガジン」の編集長の日記が読めるとゆー果たしてどこに需要があるのか分からないけれど楽しめる人には楽しめるネット上のマガジン「アシンブル通信」に新コンテンツ「大森望サクセスの秘密」が登場。エンターテインメントにサブカルにおたくにSFにミステリーといったあたりでモノ書きをしているライターな人たちが「いつかはオーモリ」と憧れる存在に、なっているともっぱらな翻訳とSFと評論の人を西島大介さんが直撃するってゆー内容で読むとこの、活字メディアがとてつもなく厳しい状況下において筆1本パソコン1台でどーやってマンションを買うか、でもってローンを完済するか、なおかつ引きこもらないで社会性をも獲得するかが分かって勉強になる。勉強にはなるけれどどれも高い壁遠い雲。届きそうにないなあ。

 ってか何ですか「去年の今ぐらいは大ピンチで、親に借金しましたよ」ってのは。サクセスしまくりに見える西島大介さんがサクセスの神と讃える人ですらそうなってしまうとゆー状況を知るにこの世界、サクセスどころかサバイブしていくだけでも大変そうって思えてくる。大先輩で「サルまん」から「エヴァ本」から著書でベストセラーもたくさんあって大学で講師もしている竹熊健太郎さんでも「最近はタバコ銭にも事欠く有様で、もう1ヶ月近くタバコを我慢している」 って書いているからなあ。それともSFや漫画といった周辺は厳しいだけで世には食えるライターのジャンルもあるのか。それはいったい何なのか。さぐってそっちに首を突っ込めるよーな勉強を始めるか。グルメ? ファッション? ダメだどっちも縁なさ過ぎだ。


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