縮刷版2004年1月中旬号


【1月20日】 イチローを見たいとMLBの公式戦のチケットを必死でゲットしたもののイラク戦争の勃発であえなく中止となって見ることかなわず、あまつさえチケットの払い戻しを忘れて2万円とか2万5000円をパーにする屈辱を味わったあの春から1年弱。今ふたたびMLBの公式戦が日本で開催されることになり、そこに世界のニューヨーク・ヤンキースと実力派チームのタンパベイ・デビルレイズが登場するってことで両球団の代表者とか代表選手を呼んだ会見が、ホテルニューオータニで開催されるってんで仕事がてら見物に行く。

 仕事ってのは冠スポンサーにリコーがついてそこの社長の人も会見に出るってことで写真を撮りにいったもので、到着するとさすがに話題の会見だけあって用意された割に狭い目の会場は人が座れないほどびっしりで、カメラマンもテーブル前にぎっしりといてとてもじゃないけど割って入れず、仕方なしに隅っこの方で安っぽいデジタルカメラを構えてまつこそ数分、颯爽と入場してきたニューヨーク・ヤンキースの選手代表を務める松井秀喜選手は、高い身長にがっしりとした体躯、人なつっこそーな面立ちとテレビ越しに見るそのまんまの容姿で、思わず星飛雄馬よろしく「俺の球が打てるか」とボールを投げつけたくなったけど、それをやると話題どころか事件になってしまうんで心の中で松井選手のバットが空を切るビジョンを思い浮かべるにとどめる。松井を三振に取った男in妄想。

 「リコーMLB開幕戦」とリコーの冠がついた試合は公式戦については2試合が予定されているそーだけど、以前に新聞なんかで今回はデビルレイズがホームの試合になるからヤンキースに特徴的な例のピンストライプのユニフォームは、今遠征ではお目にかかれないって話を聞いていた。ところが今回の会見で、デビルレイズの配慮でもってヤンキースがホーム用のピンストライプのユニフォームを着ることが明らかになって、プライドを持った大リーグの球団でも、譲るところでは譲るものかと驚きつつも感心する。ピンストライプじゃないと絵にならない商売にならないって招待した側からの注文が入り、譲る代わりにいろいろな配慮を受けたって可能性は果たしてあるのかな。ヤンキースから1人選手を借りられる、って「花一匁」システムが導入されていたら面白いんだけど。

 もちろん発売前日の金曜日に当然2箱をゲットしていた「週刊わたしのおにいちゃん」の第1号の1つを箱から出して組み立てながら、人間として男性として中年として果たして自分は今、世界平和に貢献しているんだろーか日本経済に役立っているんだろーかと刹那で陶然で自己嫌悪な気分に一瞬、駆られたもののそこはそれ、眼前に繰り広げられた隅々まで行き届いた造形のほどこされたフィギュアを組み立て愛でているうちに、趣味嗜好の前に世界平和も日本経済も関係ねえ、ただ今が楽しければそれで良いんだってもとからの享楽主義的な感情に支配され、何の屈折も屈託もなく一所懸命組み立てては、白いスモックを脱がし黒いスモックに変えつつ小さく突き出たポッチに、趣味嗜好を同じくする者たちの果てしない造形魂、妹萌えスピリッツを見て激しい喚起に打ち震える。ありがとうメディアワークス。感謝します海洋堂。そのソウルを次もその次もそのまた次もさらに次も見せてくれ。

 祝・新清士さんNHK総合登場、最初はよく似た人かと思ったよ、肩書きが立命館大学講師で敬礼したよ。皆さん頑張っているなあ、それに引き替え……反省。それはそれとして2003年9月発売の本が何で今更と思いながらも課題図書なんで読んだ森健さんの群像新人文学賞受賞作とゆー「火薬と愛の星」(講談社)。何か選考委員の加藤典洋さんによれば現代版の「100万回生きたねこ」ってことらしーし実際、中にも「100万回生きたねこ」の話も盛り込まれてはいるけれど、読み終わった印象は現代版の「軽井沢シンドローム」ってゆーか舞台がおそらくは愛知県一宮市なんで「一宮シンドローム」って感じで、半ば都落ちみたいな感じで地元に暮らしている主人公の青年が、相沢耕平よろしく出会った女性を次から次へとナンパしベッドに入って睦み合うストーリーには、暴走族の抗争といったハードな描写がずっぽりと抜けた「軽シン」をついつい思い起こしてしまった。

 もちろん作者が「軽シン」を読んでいるとは限らないし「軽シン」を下敷きにしたともとうてい思えず、偉い文藝評論家の先生が言うよーにやっぱり「100万回生きたねこ」が下敷きになっているのかもしれないけれど、高橋源一郎さんが「この作者は『新しい人』なのかもしれないと思った」と言う程までには、現代ならではの固有名詞を織り交ぜながらでらでらと起伏もなく続く情景描写もナンパ男の日常も、文体としてあるいはテーマとしてとてつもない”新しさ”は覚えなかった。もっともだったら過去にあったかとゆーとあんまりなかったのも実際で、つまりはあり得そーであり得なかったものをあっけらかんと著したって意味合いで、「新しい人」なのかもしれない。

 あと次から次へと女性と出会いナンパし寝ては射精してもだからといって結婚するとか護ってやるとかいった熱さのまるでない、モラトリアムと言うには主体的なものがかけらもない、惰性で漫然と生きている主人公のスタイルってのはまさしく今の時代を象徴するもの。名古屋と岐阜の間にあって産業と言えば織物だけどそれも今では過去の話、大都市の衛星都市として適度に繁栄しながら決して大繁盛はしていない駅前商店街的な空気の中でやりたいこともなくかといって探そうともしない若者たちの、諦めてるのか迷っているのか何も考えていないのか判然としない気分が文章の上に漂っているよーに思える。将来において過去の文学を振り返った時に、2000年代初頭の男子が持ってたフリーター的な停滞感と倦怠感を表した一種の指標的な作品として語られる可能性もありそー。しかしやっぱり何で今頃課題図書?


【1月19日】 1週ぶりに録画に成功した梅津泰臣アニメアワー「MEZZO」を見て死亡。って成功したのに何でと聞かれれば、放映を見てよって一言ですべてを説明できるくらいに、1週目の動きまくっていた絵が動かなくなっていて、例の「もえたん」にあった「アニメは1週にして止まる」って預言を、ここでも深く激しく確認させられてしまった。もちろん紙芝居じゃないから一応は動くけど、動いても手足の一部がかくかくと動いたり顔がぺこぺこと動くって感じの、割り箸だか針金でもって台の下から誰かが操作している人形劇みたいになってしまっていたのが哀しいとゆーか何とゆーか。それでもヤシガニ(byロスユニ)とか無限なると(byガンドレ)とか出ずヒロインの絵が崩れていなかったことは讃えたい。

 声に関しては広川太一郎節全開で聞いててよくもまあこんなに駄洒落に近いことばを次から次へとひねり出してはちゃんとそれなりに画面の流れに合わせるものだと感心。現場でアドリブでやってるんだとしたら広川太一郎未だ健在なり、って言いたいところだけどやっぱりそれなりな年齢に達しているからなのかわずかなところで以前のよーな、完璧にしれ流麗な広川節とのギャップが感じられてしまって素直にそのセリフ回しに入り込ませてくれない。理想化し過ぎているのかもしれないけれどでも、全盛期の広川さんだったら聴いてる人にそんなどこかひっかかったよーな感じを与えずに言葉の奔流でもって圧倒してくれたんじゃないかと思えてしまう。もう一昔くらいになるけどコルゲンだかの喉スプレーだかでナレーションやってた時は違和感、なかったもんなー。いやでも凄いことには違いがないんであんまり理想化しないで今なお他を圧するその言葉を、ここは貴重と受け止め今後ちゃんと出続けるのかも含めて様子を見守って行こー。いつか再び絵が華麗に動き出す時にも備えつつ。

 「MEZZO」がこの2004年第一四半期ベストの座をあっけなく転げ落ち、「攻殻機動隊」も2週目で動きに難が出始めた代わり、といっては失礼だけど最初は前の続き物だからと期待せず思い入れもなく見始めた「超重神グラヴィオン ツヴァイ」が予想をはるかに上回ってとてつもない作品になる予感がして一気にトップクラスへと躍り出る。「グラヴィオン」がいる城に訪ねてきた学生たちと連れだってピクニックへと行く一行。その無茶な展開も展開ならピクニックに行こうと言い出すサンドマンって想像するにサンジェルマン伯爵の関係者っぽい美形の兄さんの、格好が和服で妙な上にピクニック先で暴走し始めたドリルマシンを止めよーと、駆け出したサンドマンの馬でもって追いつく展開の無茶なことと言ったら。外伝とか中休みの5話6話あたりでやるネタを続編とは言え2話でやってしまうその剛毅な姿勢に、マニアを楽しませよーとする作り手の俗念を感じて浸ってしまう。

 仰ぎ見る足の付け根に白いものがのぞいたり抱えた胸の双房がゆっさゆっさしたりといった、これまたマニアにとっては願望充足に必須のシーンも後半あたりに満載で、良いものを頂戴いたしましたと正座して画面に向かって頭を垂れたくなった。これで来週以降はまっとうなバトルへと向かうかと思ったらこれまた温泉が舞台のとんでもなくとてつもない展開になりそーで、まったく何を考えているんだ制作陣はと呆れつつも9割以上の気持ちは待っているぜってな歓喜に包まれている自分が情けないやらおめでたいやら。こーゆー人間がいるからアニメがどんどんとメタ化し萌え化しお約束化していってしまい真っ当な、物語でもって見せ絵でもって魅せるアニメーションへとお金も人材も回らない事態が起こってしまうだな。でも一方でそれを望んでしまっている自分もいる。ポストモダンってフクザツです。

 萌えなど不要、お約束など知ったことかとオリジナリティあふれるストーリーでもって”終わらない日常”もしくは”永遠につづく幸福”に耽溺せず成長していくキャラクターを描き続けてきたアニメーション監督にインタビューした後、地下鉄丸の内線で新宿を通って帰る途中で森博嗣さん原作で浅田寅ヲさん漫画の「冷たい密室と博士たち」(幻冬舎コミックス、700円)を読書、すでにして「すべてがFになる」(原作・森博嗣、作画・浅田寅ヲ、ソニー・マガジンズ、620円)でもって浅田さん描くところのファッショナブルなパンク兄ちゃんっぽい犀川創平をこそ犀川創平だって認知できるよーになっていたんでキャラクターの絵柄についての違和感はなく、どこまでもスタイリッシュなポージングも含めてすんなりを物語へと入って行けた。

 完全無欠なお嬢様って感じじゃなくちょい悪戯好きなお嬢ちゃんって感じもある西之園萌絵の描写も引き続いてあってそのクルクルと変わると表情を存分に堪能する。けどそんな萌絵を上回って今回の巻で目を惹いた描写はやっぱり国枝桃子助手が結婚すると告げたときの犀川の反応とそして、それを又聞きした時の喜多の反応のとてつもなさ。クールでスタイリッシュな絵柄でもってびっちりと埋め尽くされているページでいきなりそーゆー描写が来ると、放たれる衝撃も倍増しって感じで見て目が点になり、続いてむひひひひって忍び笑いが浮かんで来る。浅田さんのセンスに脱帽。とは言え「ごきげん」ですらある種近寄りがたい雰囲気を全身から醸し出している国枝桃子のそんな話を聞いたらクールな創平だってスマートな喜多だってすっ転びふっ跳びたくなるよなー。彼らですらそれだからこれがもしも吉本新喜劇だったら転んでは舞台を突き抜け跳んでは天井を破って消えてしまうくらいの反応、見せたって不思議はないかもね。

 「第15回ファンタジア長編小説大賞」で最終選考に残った”問題作”って触れ込みの明日香々一さん「王国神話 空から降る天使の夢」(富士見ファンタジア文庫、580円)を読む。帯にある惹句の「ぼく(♀)、産んじゃう!」って言葉から類推したのはエッチの絡んだラブコメチックなファンタジーだったけど読むとどーして、神話の世界と人間の世界が重なり合った舞台の上で何かを得るためには何かを失わなくっちゃいけなくなる厳しさ、世界を背負う力を持ったが故につきまとう責任の果てしない重さ、自分が好きな存在を護るために自分を犠牲にする気持ちの尊さといった深くて大きなテーマが物語によって紡がれていてあれこれ考えさせられる。それでいてキャラクターの性格もストーリーの展開も、全体に淡く柔らかい雰囲気で描かれていてテーマほどには眉間に皺寄せなくても読めるのが独特とゆーか優れた部分とゆーか。エンディングも心地良く安らぎの中でページを綴じることができた。もしかすると将来大成長する新鋭かも。完璧に完結してるんで下手に続編とか作らずさらに別の世界を同じ筆致でもって紡ぎだしてもらいたいもの。期待してます。


【1月18日】 80年代的OVAのキャラクター&ストーリーを今の技術とテイストで作ったよーな印象を、持ったけれど今を代表する士貴智志さんがキャラクター原案をやっているからたぶんこれが最先端のデザインなんだと思い直しながら見た「光と水のダフネ」の第1話は、海洋庁だか省に入りたいって試験を受けた少女が筆記・実技ともに好成績を記録しながらどーゆー訳か落ちてしまってさあ大変。家も明け渡す約束をして数日以内に出なくてはならずかといって次に住む場所もなければお金もなく、慌てて住み込みの仕事を探しに街へと出かける。

 ところがそこは荒波しぶく社会の厳しさ、希望する仕事はなかなか見つからずあっても再来月からでないと雇えないとゆー状況。おまけにお金を摺られて弱り目に祟り目の状態となっていたところに、とどめを刺すよーに逃げてきた強盗の人質にとられかけつけて来た謎の女性捜査官めいた人に撃たれてしまい一巻の終わり、世間を舐めてかかった少女のどん底へと落ちはい上がれない姿を描いて、世間の厳しさを見る人に教える啓蒙アニメはこーして幕を閉じたのであった。

 そんな訳はない。とりあえずは前編ってことで物語は来週放映の後編で、悲惨な境遇にあえぐヒロインが、好成績だったにも関わらず何らかの絡繰りでもって落とされた役所の代わりってことで謎の組織へと招かれ、海洋都市に起こるさまざまな事件を持ち前の頭脳と行動力でもって解決していく「バブルガムなんとか」みたいな展開へと進んでいくことになるんだろー。仕事のない時に高級クラブ「DOLL HOUSE」でシカゴもどきなダンスを踊っているかは知らない。月末には「ヤングキングアワーズ」で連載も始まるみたいなんでそっちも見ながらアニメも見よう、水着だけはいっぱい見られそーだし。

 早起きして「ブロッコリー10周年フェスティバル」を見に池袋の「サンシャインシティ」へと駆けつける。午前11時の会場だけどきっと30分前倒しくらいで始まるだろーと見当をつけて10時半頃に到着するとさらに前から入場が始まっていたよーで、それなりに縮まっていた行列の最後について木谷高明社長が様子を見に来たところをすれ違いつつ5分くらいで中へと入ると、メインの10周年記念グッズを売るコーナーを筆頭にどこのブースも長蛇の行列でフロアはびっしり。それでもがんばれば30分くらいで買えただろーけど、午後から仕事で半分見物で行った関係で長居は出来なかったんで、特にはどこにも並ばずあちらこちらを散策しつつ、ガイナックスのブースとかで配られていたチラシとかをもらい縁日っぽいこーなーで輪投げをプレーして1本も入らない辱めを受ける。ダーツにしとけば良かったかな。

 中にもあったアウトレットの店はのぞかず外に半ばワゴンセールっぽい風体で作られていたアウトレットのコーナーをのぞいて、今は懐かしい「ドリームキャスト」対応の「デ・ジ・キャラット ファンタジー」と「ファーストKISS物語2」と「新世紀エヴァンゲリオン 綾波育成計画」の初回限定版パッケージをどれも1000円で購入するとゆー僥倖に恵まれ小躍りする。って前に買ったはずだよ「デ・ジ・キャラット ファンタジー初回限定版」、でもどこかに埋もれて出てこない。これを機会にプレーしてみよーかな、幸い「ドリームキャスト」はまだテレビにちゃんと繋がってるし、「サクラ大戦」専用機になってる気味だけど。

 もらった「フロムゲーマーズ」で期待の商品を発見。傘下に入ってタカラとの連携もなおいっそうとりやすくなったのか、かつて「綿の国星」なんかでも作られたビスクドールが満を持して「でじこ」&「ぷちこ」で2月28日に登場。昔っからあるビスクドールみたく顔が陶製かどーかは分からないけど、どちらもそれなりな雰囲気で再現されてる頭に例の猫耳帽子がかぶせられ、でじこの場合は大きな鈴もつけられて売られることになっている。再現性ではぷちこの方が元から寸足らずなキャラだけあって雰囲気として近いけど、何しろ各1000体の限定なんでここは5年前からの「デ・ジ・キャラット」ファンとして、揃えて買うのが心意気ってもんだろー。値段はでじこが9800円でぷちこが7800円。部屋がまた狭くなるなあ。

 さて同じ場所で開催されいている「アニメエキスポ東京」の方はと言えば取材で入らず外から企業ブースをのぞいた限りでは初日とさほど来場者の数に違いは見られず果たして賑わっていたのか違うのか悩ましいところ。むろんディーラーズがメインじゃなくってサイン会とか講演とか、ライブとか発表会がメインのコンベンションなんでディーラーズに人がいない分そーした場所に人がわんさと詰めかけて、押すな押すなの大盛況になってた可能性もあるんでその辺は参加した人たちの感想とか、ネットメディアのリポートとかを待とう。場内のあちらこちらに赤松健さんのサインが描かれた「電脳瓦版」なるものが張り出されていて何だか「時刊新聞」風。この辺にも「SF大会」を運営している人たちが作っているイベントって特質が現れてるって言えるのかな。

 「40歳までの経験2年以上の方」って条件にちょい、惹かれたけれど経験皆無の40前ではやっぱり無理だろーと即座に断念した「朝日新聞」2004年1月18日掲載の「ジャイブ」って出版社の求人広告。何それそんな会社聞いたことないって意見はもっともで、何でもあのタカラがしばらく前に設立した会社で遠からず漫画雑誌と文庫を創刊することになってるらしー。募集している職種としては漫画雑誌の編集と、小説の編集と取次・書店営業と宣伝・広報とホームページの運営なんかで募集期限は1月30日。けどいったいどんな文庫とか出すんだろ。リカちゃんが通う学園が舞台の「ごきげんよう」ストーリー? 求人では出版関係がほかにメディアワークスと「婦人画報」「メンズクラブ」のアシェット婦人画報社なんかも鋭意募集中。10歳若ければ。


【1月17日】 正月明けの気持ちに余裕のあった時に、買ってあったことを思い出して「サブマリン707」を見たついでに、同じ小沢さとるさん原作のアニメーション「青の6号」のラスト2巻も見て、初見の頃は紀之真弓のぽちゃぽちゃっとした愛らしさに目を奪われ、CGとセルの融合してなさっぷりに実験臭さを感じて肝心のお話に気持ちをそれほど入り込ませられなかったけど、改めて見てその物語から放たれるメッセージの厳しさに、人間の唯我独尊ぶりを感じさせられこれだから世界はいつまで経っても平和にも、美しくもならないんだと嘆息させられた。

 なるほど、ゾーンダイクは獣人たちと人間たちは対話可能だよって告げ、気持ちを閉ざしているのは君たち人間なんだと叱咤して死んで(殺されて)行き、ひとり戻ってきた速水は戻ってきたベルグと泣きながら殴り合いながら言葉を交わそうと呼びかけ、ベルグも状況として対話が可能だってことは認識するけど、結局は納得はせず袂を分かち海へと還っていく。通じる言葉とゆーコミュニケーションにとって最大の武器をともに持っていながらこの事態、ましてや本を読んでいるようでその実真っ白なページの本を読んでいるフリをしていた他の獣人たちが、そうそう容易く人間たちと、理解し合い尊重し合えるとは思えない。

小雪散る御殿山の高級住宅街に飾られた異形の看板。異質なものがぶつかりあう様にピッチーニの諧謔と警鐘のメッセージが漂う、なんつって  というより人間がそんな獣人たちを同じ地球に生きる同胞と、認め尊重するなんて方が土台無理な話。なにしろ同じ人間であって人種が違う国籍が違う民族が違う宗教が違う性別が違う言葉が違うといった些末な理由でもってその尊厳を、踏みにじり迫害しているのだから。コミュニケーションへの期待を抱きつつも容易に超えられない壁。その存在をエンターテインメントな展開の中で感じさせてくれたアニメをたまたま最近見ていたものだから、パトリシア・ピッチーニとゆーオーストラリアのアーティストが、原美術館で開かれている展覧会「WE ARE FAMILY」に展示している作品を見た時に、同じことを考える人はアートの世界にもいるんだなってことを思わされた。

 ミアキャットと人間が混じったよーな生物のコミュニティに、人間の赤ん坊がやってきた姿を超リアルな人形でもって作り上げた「皮の風景」って作品は、配られていたプリントに載ってた文章によると「異種のコミュニティとの遭遇とそこに広がる不安が表現されている」ものだそーで、「青の6号」と同じ異種族間のコミュニケーションの困難さが「青の6号」での獣人たちと速水とのコンタクトの場面が、キャストを変えつつ意味はそのままで立体になって現されたものだと言えば言えそー。

 ただピッチーニの場合は、袂を分かち永遠の断絶に向かった可能性も伺えた速水とベルグとは違って、「乳飲み子を抱く母親は、接近しつつあるのが異種とはいえ邪気のない赤ん坊であることを察知しているであろう眼差しをおく」っていう部分を持たせて、わだかまりとか、固定観念とかを排除した次元で生き物たちは相互に心を交わし合えるんだって可能性を示唆している。もっともわざわざ赤ん坊を配置した所に、邪気のない赤ん坊だからこそ可能なコミュニケーションであって、これが大人になったらやっぱり相容れませんでした、って結果に至るんだってメッセージをそこに読みとれないこともないだけに悩ましい。無限にある可能性のどれを選ぶのか。見た人が問われてる。

 メッセージ性、って点は他の作品にも色濃くあって例えば豚みたいな人間みたいな姿をした生物が、やっぱり豚みたいな人間みたいな子供を生んで乳をやっている「若い家族」なんかは、医学に科学が進んだ未来、知性を持った動物みたいな存在の誕生を想像させるし、体型は子供なのに顔立ちは老人のよーな子供2人がゲームボーイの興じている「ゲームボーイズアドバンスド」は、説明によればクローンによって作りだれた子供が普通よりも早く老いていく悲劇を現しているらしーけど、それとは別にネオテニー的に若くして老成していく今時の子供たちの状況を現していると言えなくもない。

 デュエイン・ハンソンが極力リアルに働いている人生きている人の姿を人形にしてそこに人間のさまざまな営みを再現して、人間について考えさせたことを敷衍してやっぱりリアルなんだけど、そこに想像のスパイスをまぶして人間の未来につてピッチーニは考えさせ、その未来が果たして正しいのか、やっぱり間違っているのかって疑問を提示しよーとしている。それこそSFや漫画や映画やアニメで語られているよーな、人類に対するさまざまな警鐘をを受け取ることができる。

 アニメがエンターテインメントで表現でき、SFがストーリーの中で書き表すことのできるテーマをアートってジャンルでやる意味の可否もまた悩ましいところで、世間に対してもの申す的役割をアートが昔っから担って来たことは承知しているけれど、メディアを通してそーした活動が人々の暮らしや思考にうまくアプローチしていた時代ならいざしらず、美術館の奥メディアの神棚に仕舞い込まれ祭り上げられ大勢の関心にアピールしなくなってる時代にこーゆーメッセージ色の強い作品を持ってこられても、目的が果たせるんだろーかと心配になる。

 海外はまだアートがそれなりに世間を動かす階層へと強く働きかける土壌があるから良いんだけど、日本はごくごく一部の好事家が愛で知識の糧にする程度。肝心の上に届かずかといって下にも響かないメッセージに、何の意味があるんだろーと考えさせられる。まあ「青の6号」だって見ている人の少なさじゃーどっこいなんで、例え好事家であっても届きそこからアニメとはまた違った上なり横なり下の層へと波及する可能性を考えれば、作られ展示される意味はあるのかもしれない。

 とか御託をいろいろ考えてはみたけれど、現場では例えば少女が毛の生えた肉塊、説明によれば何にでも変化していける幹細胞が大きくなったものと戯れている作品「幹細胞のある静物」では、床にぺたんとすわった少女のスカートの奥をのぞこーと、床すれすれまで目線を下げよーとしては、警備の学生さんから胡乱な目で見られていることに気付いてあわてて目線を幹細胞へと転じて取り繕ったり、あるいは「若い家族」では仰向けになった人間豚の赤ん坊の、股間に走る縦筋に目をやったりしていた人間の考えることなんで、ピッチーニ作品の見方のガイドとするにはまるで至っていないんで、そこから何を得るから行った人がそれぞれに、自分で考え感じてみるのが良さそー。2月1日までなんで行くならお早めに。

 雪だるまが居並ぶ神田神保町へと回って本屋で金原ひろみさんの芥川賞受賞作とか仕入れたついでに富士見ファンタジア文庫の新刊もチェック。「A君(17)の戦争」が絶賛好評続刊中にも関わらず浮気したのか新しく手がけた豪屋大介さんの新シリーズ「デビル17 みなごろしの学園」ってのが出ていたんで早速買って読んだら凄かった。何がどーすごいのかは読んで頂くのが1番として、とりあえずさらりと触れておくならこれは本当に富士見ファンタジア文庫なんだろーか、富士見ロマン文庫の間違いじゃなかろーか、いやいやナポレオン文庫の再来だろー、とんでもない二次元ドリームノベルズの新刊に違いない、ってな印象を抱かせるくらいに過激な描写のオンパレードに、読んだ男性は体の芯を屹立させられ女性は体の奥を湿らされる。

 例えるなら平井和正さんが昔書いてた、バイオレンスとエロティシズムの入り交じった伝奇的SF的な情念と妄執にあふれたアクションノベルの後継書、って感じで読む人の多くは繰り出される無理矢理にも強引な展開に、知らず引き込まれ自分の中に潜んでいてほしい「虎」を、「狼」を感じさせられるだろー。藤渡さん描くアンダーウェアのナイスバディな美女4人からして内容の過激さを想起させる「みなごろしの学園」。1月にして今年最大の”問題作”の登場と断言できる。発禁、にはならないとは思うけれど健全な青少年の育成を鬱陶しくも目指すお上が気付いてパージする前に買え。ナポレオンとか二次元ドリームとかが並ぶ書棚の前に行きにくい青少年は大手を振ってレジへと運べ。夜が眠れなくなることだけは覚悟して。


【1月16日】 ヤサグレさせるのは「家なき子」の頃からの定番だから、当たり役といって言いのかもしれないけれど当時は、10数歳って子役が顔も声も体もその年齢に合った見目でもって大人顔負けの迫力でもってヤサグレるとゆーギャップが、異様に異形な感じを見る人たちに与えてコレハナンダと注目を浴びて、ヒットにつながったんであってあれからえっともう9年? 顔も売れ誰も知らない人がないくらいになった女優に今さらヤサグレた役所をさせたからって、なんだまたかと思われるだけで前みたいに新鮮に面白がれるんだろーかと心配したけど、そこは流石に安達祐実さん「DOLL HOUSE 特命女性捜査班」で見せた演技にやっぱり彼女はすげえ、ってか凄まじいと強く激しく感じ動かされた。

 なるほど20歳を過ぎて胸とか出るところも出っぱって来たにも関わらず、顔立ちは以前とかわらず童顔で身長も当時とさほど変わらないミニマム級とゆー、存在そのものがギャップのカタマリになってしまった上にそんなギャップをまるで意識していないかのよーに自分を、20歳過ぎの全身から魅力をメラメラと放っているナイスバディな美女だと思い込んで演技しているその姿がなお異形。テレビにその姿その声その動きが映るだけでそこには神社の秋の祭りの見せ物小屋的雰囲気がわき上がって目を画面に釘付けさせられる。あんな女性に密室で「キスしようか?」なんて言われれば刑事だってついつい引っ張り込まれてしまうよね、鼻だって噛まれたいよね、舌噛みちぎられたって良いかも、その前に舌入れられる訳だし。

 しかし不思議なのは「家なき子」時代に輪をかけて存在感だけは増した安達祐実さんをこの「DOLL HOUSE」が主役には据えてないこと。だったらトップは誰かと言えば、普段は「DOLL HOUSE」なんてクラブか何かで、映画「シカゴ」のスケールもダンスの技術も1000万分の1に縮小したよーなショボさ(でも見せてくれるところはグッド!)で踊っているのに、何か事あると「特命捜査班」として事件現場へと乗り込み犯人と戦う女性たちを率いる松下由樹さんなんてゆー、「オイシーのが好き」でその超絶バディとみずみずしい笑顔に脳天を貫かれてから15年? バディは相変わらずだけど顔立ちに関しては……なんて人だったりしてここにもどこか異形なものを番組から感じさせられる。

 銃撃戦での銃の扱い方、格闘戦でのバトルの仕方等々、そっち筋の人から見ても突っ込み所満載な番組だろーけどその辺は専門家にお任せしたいしそれよりドラマにキャストの異形さを前にすればガンアクションのショボさもそんな異形さの1ピース、含めて楽しめるってことで一切の文句はありません。始まったばかりで話が向かう先もまるで分からないけど毎回絶対に繰り出されるだろー「シカゴ」もどきな銀ラメダンスに1人たっぱ(身長の意)の足りない安達祐実さんが加わって、それなりに谷間のできた胸元を見せつつ松下さんとか小池栄子さんを縦に8分の5に圧縮したよーな姿態で踊る場面を楽しみにしてこれからも見続けることにしよー。なにぃ「エキストラ募集」ですと! 17日まで応募可能ですと! 記者役なら得意なんだけどなあ、本職だし。

 アメリカおたくが池袋に大挙来襲、するってことで「アニメエキスポ東京」へと、出向いたはずなのに間違えて「SF大会」へ行ってしまったと一瞬思ってしまったのは受付とかにそーゆー場所でよく見る人とかいたのとあと、会場内に「SF大会」で場内をサングラスかけ警棒を腰から下げて巡察している警備隊長がやっぱり同じ姿で歩いていたからで、これは一体どーゆーことかとパンフレットをめくって読んで何だそーだったのかと理解、主催している「エスエフ国際交流会」は宇宙軍の井上博明さんが理事長を務めている団体で2007年の「世界SF大会」日本招致に向けて活動をしていて今回の「アニメエキスポ東京」は、そんな団体を中心にボランティアが集まり運営されているってことでなるほどだから「SF大会」に関わっている人たちが、いっぱい参加しいるのかなって想像する。あるいは来るべき「世界SF大会in日本」開催に向けた前哨戦ってことなのかも。

 それを思うと会場の設営や来場者の雰囲気が、「コミックマーケット」とかのよーに大規模化したイベントや「東京キャラクターショー」のよーな商業イベント、「東京国際アニメフェア」のよーなお役所仕事とは違って、ちょいこぢんまりしていてもそれはむしろ「SF大会」のディーラーズルームの雰囲気に近いんんだと理解。だからなだろー、規模が大きくなったり商業が絡んだイベントが来場者も含めて洗練されていく中で、どーにもついていけない気分を感じていた中年おたくにとって「アニメエキスポ東京」の居心地が、それほど悪くなかったってのも。

 1日3000円とゆー料金が出店しているブースの数とかに比べると高すぎるよーに見えるかもしれないけれど、「SF大会」がディーラーズのためのものでないのと同様に、この「アニメエキスポ東京」もメインは出店コーナーじゃなくファンとファンの交流や、数々組まれた有名クリエーターにアニメーション製作会社の代表者といった人たちの講演やサイン会といったプログラムであってなるほど、コンベンションであって即売イベントではないと分かれば通しで7000円の料金だって高くはない、と思う。即売が好きなら3日目の18日に近くで開かれる「ブロッコリー10周年記念祭り」に行けば良いんだし。「アニメエキスポ東京」参加者は割引で入れるって配慮もあるし。

 ただ出来ることなら折角アメリカとかから大挙して来るOTAKUどもに日本のおたくビジネスの最先端をこれでもかって見せつけて欲しかった気もしないでもない。こんな時期に休みをとって日本まで来られるなんてきっと、あっちではそれなりなポジションで活動しているエスタブリッシュメントなOTAKUたちなんだろー、そんな発言力発信力を持つOTAKUたちに向かって、テメエらこれを見やがれって感じにゲームやフィギュアや漫画やグッズを山と積み上げてやることは、意だけはあっても実の伴わない「東京国際アニメフェア」なんかよりもある意味有意義かつ有効に、日本の今を伝えられファンを集められるよーな気もするんだけど。規模とか商売とか考えずに日本の心意気って奴をもっと見せて欲しかったってのが本音か。

 まあ別に同じ会場内に店はなくてもそこは池袋サンシャインシティ、出れば巨大な「アニメイト」はあるは「とらのあな」はあるは「K−BOOKS」はあるは「ゲーマーズ」はあるわとグッズの購入には不自由ないしJRを乗って西へ行けば中野ブロードウエー、東に向かえば秋葉原と観光スポット(OTAKU限定)はよりどりみどり。そーゆー場所を示唆しさえすればあとは勝手に嗅覚でもって動くのもまたOTAKUに万国共通なところなんであんまり関係ないのかも。事実帰りに「ゲーマーズ」に寄ったら首からプレートを下げた参加者がすでに進出していたし。「アニメイト」ならいざしらず雑居ビルの3階なんてどーやって見つけたんだろ。

 個人的には「アニメエキスポ東京」はオープニングでMIQさんの唄う「聖戦士ダンバイン」と「重戦機エルガイム」のテーマソングを生で聴けたからそれだけでオッケー。MIOさんかと思っていたらMIQさんと言われて何? って訝ったらどーやら改名していたとかで、けれども歌声は以前にも増した迫力で、「ダンバイン」でも「エルガイム」でも、腹の底からあふれ出てくるよーな声を聴いただけで記憶はえっと20年前? そんな時代のことを思い出して一緒に唄ってしまったよ。ゲストで来ていた漫画家のあろひろしさんも唄っていたよ、ちゃんと2番も3番も。デビュー当時からファンだったけどなおのことファンになりましたあろひろしさん。


【1月15日】 「メリークリスマス!」、って今日は何日だよ「あけましておめでとう」でも遅いこの時期に「クリスマスキャロル」だなんて一体どんな編成をしているんだとフジテレビを問いつめたい、200時間くらい問いつめたいけど問いつめすぎて顰蹙買ってピンチでパンチなグループ会社に愛の手が、差し伸べられなくなるのもマズいんでここは本日も「R.O.D The TV」を放映して頂けましてありがとうございますわお台場様と、感謝の気持ちを捧げながら「ごきげんよう」の言葉を贈ります。

 しかしどーして出会いの場面で「ごきげんよう」なんだろー、あの学校の挨拶は。雅な挨拶の用法として合っているのかそれとも「こきげんいかがですか」じゃ長いからか誤魔化しているのか。かといって「ごきげんですかー」じゃ雅ってよりは足裏運勢鑑定教団だし「元気ですかー」じゃボンバイエ、「元気ですかー、祐巳さんあなた最近ちょっとたるんでいらしてよ、わたくしが気合いを入れてさしあげますから、両足をふんばって歯をお食いしばりなさい」で話が違ってしまうんで、ここはやっぱり「ごきげんよう」なんだろー。

 おっと話は「R.O.D The TV」の方だった久方ぶりに出版社が催す新人賞の受賞パーティーに出席した菫川ねねねだったけどあんまり書いてなかった関係でどーも気まずく思案顔。そんな所に現れたのがその道おそらく20年は経ってると思われるベテラン作家の女性で会うなりねねねに作家は書いてこそ作家だって、まあ当たり前といえばいえる説教を始める。そこに飛び込むリーさんが先生は悩んで苦しんでるんだその姿を読者はともかく同じ本を作るものどうしが責め合ってどうするんだって、これも聞けば聞ける意見をいって火花を散らし始めたものの、そこは御大大事と飛び込む他の編集者なり出版社の社員が2人を分けて引き離す。

 あってありそーな気がするけどでも、御大にパーティーの場で面前と噛みつく編集者が果たしているのかってゆーと謎なところで決して豊富ではない経験で言うならそーしたシビアな激論を、戦わしている場とゆーのにはあんまりお目にかかってないけどそれはやっっぱり古くからの知り合いが多いSF関係の賞だったり比較的若い会社のこぢんまりとした会だったからなのかも。出る機会なんてない少女漫画系とか老舗で老大家とかいっぱい見られるかもしれない角川集英社講談社小学館って大手系だとよくある場面なのかな。

 けどその後のスピーチでねねんが前向きな発言をした時に御大先生、良い顔をしていたんで単に発破をかけただけで割って入ったリーさんも、等しくねねねを想う人間だと認めたんだと受け止めたい。話はその後香港から着た紙使い3姉妹がどーやって出会ったかが語られるんだけど想像していたほど派手なドラマとかはなくクリスマスってゆー人を優しくさせるシーズンってタイミングもあったのか、出会ってすんあり溶け合って1つ屋根の下で暮らし始めるってゆー展開で、前半部分で見せられた他人を思い遣る気持ちをめぐるエピソードとも相まって、静かな流れの中で人間って良いものですねって感じさせてくれる。クリスマスとかに見たらもっと感じるものがあったかも。やっぱり問いつめようフジテレビ。

 今マスコミに一番人気がある声優さんは誰でしょう、って言われれば浮かぶのは林原めぐみさんとか桑島法子さんとか川澄綾子さんといった中堅からベテランと呼ばれるくらいになって来た女性陣が普通だろーし、ぐっと下がって妙に異様な人気を誇ってライブをやれば哲学者から社会学者から様子を見に行くとゆーモモーイ桃井はるこさんあたりを浮かべる人 もいるかもしれないけれど断言します、違います、居並ぶテレビカメラは5、6台、取り囲むカメラマンは30人を下らない大量のマスコミがその演技を是非に見たいと狭いスタジオに押し掛け重なり合いながら写真を撮り撮影し、終わっても取り囲んではフォトセッションを何十分と続けるだけの人気知名度ニュースバリューを誇る声優さんの名は? 「QRIO」。誰? ロボットです、ソニーが作った二足歩行の。

 何でも「アストロボーイ・鉄腕アトム」の中に登場する朗読ロボットの役を「QRIO」がやることになったんだって言われて駆け付けたスタジオで待つこと数十分、小さいからだを手で運ばれ登場した「QRIO」はこれまでに見た「QRIO」と別に違わず本当に声優なんて出来るんだろーかと心配したけど、そこは流石にソニーが誇る二足歩行ロボットだけあってとことことマイクの前まで歩いては、流れる画面にちゃんとタイミングを合わせて声を発して、それも言われればちょぴり抑揚までつけて喋ってみせてくれた。これだけできれば立派に声優さんは務まるなー、ロボット役に限るけど、声がロボット声なんで。

 同じ収録の現場にはアニメの中で朗読ロボットからお話を聞かされている子供たち、って役柄でアニメでアトムを演じてる津村まことさんも含めた3人の女性声優さんも入っていたんだけどこれがアニメ関連の記者会見だったら3人をメインにフォトセッションが始まるところをそこはワイドショー的スポーツ新聞的な観点から集まってきたマスコミの人だけあって若手でも実力派として人気上昇中の津村さんも単なるガヤの1人扱いで、「QRIO」の演技を再び録画しよーとしているマスコミの人に呼ばれてバックに入ったりして当代一の人気声優「QRIO」のアピールに縁の下の力持ち的活躍を見せていた。でも何だかちょっと勿体なかったなー、せっかくの晴れ舞台にマスコミの誰も2代目アトムと「QRIO」の”対決”を演って下さいってお願いしないんだもんなー。

 第130回直木賞と芥川賞が発表、遅すぎる気がありありだけど京極夏彦さんがどーして「覗き小平次」でも「嗤う伊右衛門」でもなくこれなんだって気がしないでもない「後巷説百物語」で獲得して、これで大沢在昌さんの事務所にいる「大極宮」のトリオの全員が直木賞受賞者の肩書きを得たことになる。すごい事務所、レコード大賞受賞者が山といる芸能プロダクションよりも珍しさでは上かも。もうひとりの江國香織さんはまあ、時に選考委員の人が仲間作りに選んでるんじゃないかって言われることも少なくない最近の”女流”の受賞作家の傾向を見ればそのうち取って不思議じゃなかったんで意外感もないし感嘆もしない。

 芥川賞については異論なし。「インストール」の文藝賞受賞の時は話題先行じゃねーのって反発もあったけど、2作目となった「蹴りたい背中」(河出書房新社)を読んだ時にこの人はちゃんと良いのを書ける人だって気付いてたんで、候補になった時にもしかしたらって予感はあったし、ダメでもこの力をコンスタントに発揮していれば遠からず受賞しただろーって確信してた。これでちやほやされ過ぎて潰れてしまわないことを祈りつつ素早い次作の刊行を待とう。金原ひとみさんはお父さんが翻訳家で秋山瑞人さん古橋秀之さんを教えたってことでも知られてる金原瑞人だそーで、他の有名人だを七光りとか想ったけれど優れた作品に未来の作家を送り出してきた人の”1番弟子”なら間違いなさそー。今後読んでみよっと。


【1月14日】 上野なつひさんへの浮気に「エコエコロジスト」を標榜していたお前がどーしてと佐伯日菜子さんが呪いをかけたのか、「エコエコアザラク −眼−」の第2話の録画に失敗して死去。ちゃんとGコードを入力したと思ったんだけど、番組表の同じページにある「攻殻機動隊」の方の入力に気を取られて入力し忘れたみたいでこれで、放映分だけでアーカイブを作ってDVDは買わずに済まそうとした吝嗇な目論見は早くもついえ、敗れ去った僕はひとり呪文を口ずさみながら彼方へを去る。エコーエコーアザラーク、エコーエコーザメラーク。

 まあもっともこれがビデオだったら録画できず2時間テープに4話づつ収録していくうちの1話が抜けて居心地の悪い気分になって、だったらいいやと諦めてしまうところをHDD/DVDのハイブリッドレコーダーは、DVD−RAMへと落とさないと決めれば後はHDDへと適当に撮り溜め見たい時に見返し溜まり過ぎれば簡単に消去できるんで、普通にテレビ放映されている連続ドラマの1話分を用事で見過ごした、くらいの感覚でちょっとだけ見る時間を生から翌朝なり翌夕へとズラしただけだと認識して、気にせず見続けていけるのがビデオと違う部分。その意味でHDDをつけず一種のメディアサーバーに特化していた「コクーン」みたいな機器の需要もありなのかも。3年くらい前に久多良木健さんも「コクーン」を指して「DVDなんって余計なものはいらない」なんて言ってたんだのも今になればちょっと分かる。にも関わらずPSXにHDDを付けたのはやっぱりマーケティングに媚びたのかな。HDDの容量がそれこそテラバイトレベルまで上がればDVDなんてやっぱりいらなくなるのかな。

 こっちは成功していた「攻殻機動隊」を視聴、絵が……動かない……とゆーかメカはフチコマも戦車も立派にしっかり迫力たっぷりに動いているんだけど、出てくるキャラクターの絵が微妙に不安定で動きも少なく喋る場面では口だけがパクパクするってゆー、「もえたん」で読んだ例文「このアニメの絵がなめらかに動いているのは第一話の前半15分だけ」を地でいく展開に日本のアニメーション業界が作品への高い評価の一方で現場は苛烈な状態が続いているんだってことを思い知る。とは言えメカの巧妙な動きに止まっていても緻密な背景・美術とそしてなかなかにシリアスな物語でもって存分にして十分に見せる回にはなっていた辺りは流石に「攻殻機動隊」だったってことで。もーちょっと草薙少佐の前屈みな格好を出してうれたら嬉しいなーと内心で叫んだのは内緒だ。

 ある健全な青年の葛藤。先生相談があります僕は松浦亜弥さんの新しい写真集「まっ! ちゅら」(ワニブックス、2500円)を買うべきでしょーか実はファンとは言いながらも動いて唄ってこその松浦さん、だけに決して胸がどっかんでもつるっぺたでもない中途半端なスタイルが止まったまんまで揺れも動きもしない写真集を買っても仕方がないと敬遠していたんですけれど、ふと足を止めた本屋さんで見かけた新しい写真集の「まっ! ちゅら」は何と表紙からしてビキニの衣装でそれも真正面じゃなく斜めからの撮影になっていて、三角形の布に包まれた意外とゆーかそれなりのボリュームで盛り上がった双房の瑞々しさに、目を奪われ棚の前に釘付けになって3分ばかり「買うた止めた音頭」を踊っていたんです。

 でも結局はこれまで買わずにいた意地が働いてしまって、レジへと持っていくのを思いとどまってしまったのです軟弱者です頑固者です。それが今になって頭にくっきりと浮かぶのですあの双房が笑顔が。ひょっとすると中には表紙以上に美しくも素晴らしい写真がぎっしりと詰まって僕を楽しませてくれるのでしょうか喜ばせてくれるのでしょうか興奮の坩堝へと叩き込んでくれるのでしょうか教えてください先生僕はやっぱり買うべきなのでしょうか「まっ! ちゅら」を。買いなさいすぐ買いなさい5冊買いなさい買って楽しみなさい堪能しなさい分かりました心の整理が尽きました買います明日買います買って愛で舐め頬ずりします。人間の心って複雑です(単純じゃん)。

 例えばそこに買って帰った「まっ! ちゅら」のページを切り抜いて張ってその顔をじっと5分間くらい眺めて脳裏に焼き付け、それから本体に向かって「松浦あややの夢を見たい」と吹き込んでから気持ちを落ち着けベッドに横たわり眠りに入ると果たして本当に松浦あややの夢が見られるんだろーか、見られるんだったらこれは是非にも買わなくっちゃとタカラが5月辺りに発売するらしー「夢見工房」なる新製品の発表会を見ながら心に決意する。そんなことで見たい夢が見られるはずないじゃんガキのおまじない玩具じゃあるまいし、って思われる可能性もあるけどこの「夢見工房」はそんじょそこらのおまじない玩具じゃなくってある意味アカデミックにサイエンティフィックな製品で、江戸川大学の松田英子助教授って人による、人はどーして夢を見るのかどんな夢を見るのかってな研究成果が存分に活かされていて、ちゃんとそれなりに見たい夢が見られるんだそーな。

 つまりは夢を人が見るのは眠りが浅くなった段階であってそこで外部から刺激を受けるとその刺激に合致した夢を見るそーで、だったらそんなタイミングに合わせて例えば「松浦あややの夢を見たい」って眠る前に吹き込んだ声を装置から再生してやれば、最初にやった松浦あややの写真をじっくり見て脳裏にやきつけた強い想いも蘇って、本当に松浦あややが夢枕に立ってくれることになるとゆー。これは買うしかないだろー。でもって日本中にいるあややファン1000万人に売れるだろー。タカラはますます儲かるだろー。株買うか。

 値段が1万5000円とかするのがちょっとネックだけど、良い夢を見たい見たいといくら心で念じても、出てくるのはあややならぬエコエコアザラクな振った彼女の生き霊で、ベッドの上で身動きできない状態になってただひたすら念仏をとなえて気配が行き過ぎるのを待つだけの、霊感体質で故に夜が苦手で仕方がない人もこれがあれば快楽な夜と快適な朝を迎えられることになる訳で、そーゆー人も含めて結構な数が売れて行そー。でもあややの声を入れたはずなのに朝に聞き直すと妙な嗚咽とか入っていたらちょっと恐いなー。写真も振った彼女に差し替えられていたら……その時はタンスか押入に隠れているかを調べなさい、それは生き霊じゃなく生きたストーカーだから。


【1月13日】 読子さーん、出番ですよー。と呼びかけたらそれこそ「はーい」って言って神保町の穴蔵からむぞむぞと読子・リードマンが這い出して来そうな妄想が浮かんだのは他でもない、読子さんなら何を置いても参加しそーなツアーが企画されたからで、その名も「イギリス・ケンブリッジ古書の旅8日間」と名付けられたツアーは日本を飛び立ちヒースロー空港を経てまずケンブリッジ大学コーパス・クリスティ校へと出向き門外不出で12世紀に作られたとゆー「ベリー聖書」なる稀覯本を図書館長とそして慶大文学部の高宮利行教授らの解説も聞きながら見物できることになっている。

 ツアーはさらに高宮教授の案内でケンブリッジ市内を散策したあとベリー聖書にも使われた羊皮紙工場を見学し、ロンドンでは大英図書館で「不思議の国のアリス」の原本を見たり夏目漱石記念館を見物するとゆー稀覯本マニアにはたまらないイベントが目白押し。「グーテンベルク42行聖書」の見物もあるし写本制作のデモンストレーション見学もプログラム済み。あと世界最古の古書店ってゆー「クオリッチ」で取締役のリチャード・ネンタール氏をホストにしたアフタヌーンティーの集いにも参加できるとゆー。飲むのはオレンジ・ペコか食べるのはスコーンかは不明。けどブリティッシュな雰囲気をそれも本に囲まれた中で過ごせるとあってはやっぱり本好きには至高の時間になるって言えるだろー。読仙舎の刺客が現れるかどーかは知らないけれど。でも現れたら読子さんがとっとと片づけて……あれいない、本に惹かれて棚の奥へと埋もれて隠れてしまったよ。

 かくも「R.O.D」なツアーを企画したのは別にDVDを出してるアニプレックスでもなければ小説を出してる集英社でもなく、最近とみに「エンターテインメント企業」とゆー肩書きを強調しては従来からあるゲーム以外のエンターテインメント事業へと、積極的に進出しているナムコだってっからちょい意外。「フードエンターテインメント」に続いて「エデュテインメントジャーニー」ってのを新しい柱として立てよーとしているらしく、その第1弾として伝もあって今回のツアーを企画したらしー。ネットも使って事前に稀覯本とか英国とかの勉強もできるのが「エデュテインメントジャーニー」たる所以で、あとネットを使って参加者どうしが情報交換をできるってゆーのも行くまで誰がいっしょになるか分からずドギマギとさせられた従来のツアーとは違って、やあやああなたがあの読子さん、って感じでツアーに入り込めるのが人見知りする人にはうれしいかも。

 48万8000円とゆー値段はちょっぴり高い気もするしそれだけあったら何冊の本が買えるんだろー、って気にもなるけど一方で門外不出の「ベリー聖書」にお目にかかれて一生入れないケンブリッジ大学にも行けて本場の紅茶も楽しめて、何より大英博物館ならぬ大英図書館へと出向いて颯爽と歩いているジョーカーやお茶をぶちまけるウエンディ、そして読子さんをげしげしと蹴ってる菫川ねねね先生の姿を妄想できる、かもしれないツアーと聞くと、「R.O.D」で英国の古本事情に触れた身としてはやもたてもたまらない。いやもー「R.O.D」ファンには究極のツアーだね。期間は3月21日から28日と間がないのと、やっぱり値段がちょっとお高めなのがネックだけどテンパってることもあるし身辺整理もかねて参加してそのまま逃亡、なんてことをしたくなってみたりする今日この頃。読子さん風本好き美女とお近づきになれるかな、なれるんだったら行こうかな。

 猫は鎹(かすがい)。かどーかはともかくとして猫が1匹いるだけでガラリ雰囲気の変わる人間関係があるよーで、例えば猫アレルギーな鉄道カメラマン志望少女といい仲になった妻に先立たれ会社もリストラされた壮年の男が、体を重ねた後で女性が去ってしまって入れ替わりに女性に配慮していたよーに猫が部屋へと戻ってきて、通り過ぎた人間関係を際だたせて男の抱いた寂しさを浮かび上がらせる、とった具合。ここで猫が絡まないとただの捨てられリストラ中年男の悲哀物語になってしまって読んで切なさ炸裂するんだろーけど、戻った猫の姿が描かれることでそこはかとないペーソスが漂ってうんうん男ってこーだよね、って気持ちにさせてくれる。

 藤田宜永さんの「左腕の猫」(文藝春秋、1714円)はそんな猫が絡んだ男たちと女たちのクロスし重なり離れていく姿を描いた短編が6話、収録された単行本。鉄道カメラマン志望の女の子との出会いに別れを描いた「老猫の冬」のほかにも縄張りを取られたにも関わらず強靱な相手へと挑みかかる猫の姿を重ねて、ヤクザまがいの暮らしをしている男で実は異母弟だったりする男の妻を、奪い結婚しよーとする壮年の男の一念発起ぶりを描いた「蛮勇の猫」とか、やっぱり地域一番の猫の座を他の猫に脅かされて来ている猫のエピソードを挟みながら、番頭役として会社を支えながらも2代目社長に疎まれ、にも関わらず会社が心配でその地位にとどまり車の運転もやめない頑固な老父が、会社を追われ隠居する話を描きつつ自らの揺れる恋路に自信、老いを覚える男の哀愁を浮かび上がらせた「猫の幕引き」なんかが入っている。

 そのいずれもが巧妙に組み立てられたシチュエーションの上で繰り広げられるそんなドラマに主人公たちとはまだ10年ちょっとは歳が離れているにも関わらず、やがておとずれるかもしれないそんな壮年の1シーンを想像したり、あるいは独り身で友の少なく女性とも知り合えない身では絶対に訪れない場面を思って憧憬を抱いたりする。複雑だったり絡み合っていたりする人間関係のドラマだけでも周到なのに、そこに猫を絡める筆の冴えはもはや達人の域で、猫が飼える部屋に住みたいといった浮気相手のために借りた部屋に行って女性が事故死したと知り、それが買ってる猫の缶詰を買いに出かけた時だとあかされた時の、わき上がる悲しさはやっぱり猫ってゆー媒介がそこにあったればこそ、だろー。今年読む短編集でもおそらくはベスト級。直木賞ものだとも思ったけれど藤田さんはすでに直木賞を取っていたからなあ。英訳してブッカー賞だ。  

 「 新天地でも”自由”得られず−出場機会が減少し、出ても右サイドバックやボランチといった不慣れなポジションに押し込められ、”自由”を奪われていたことに反発してパルマからボローニャへと移籍した中田英寿選手だったが、11日のレッチェ戦で久々に先発出場を果たしたもののポジションは希望するトップ下ではなくディフェンスラインの前のボランチの位置。自分のことを分かっていると思っていた、ペルージャ時代の恩師・マッツォーネ監督の”裏切り”に内心忸怩たるものがあったのだろう、深い場所から守備に攻撃にと激しい運動量を見せて存在感をアピールしようとした」

 「そんな中田選手の獅子奮迅の活躍にも関わらずチームは前線が決定的なチャンスを得られず同点の展開。引き分けも覚悟した後半も終了間際になって、さらなるアピールを見せようと前線に走り出た中田選手は、右サイドから2人をかわしてクロスをあげる離れ業を見せ、これがシュートにつながって1点のリードを奪い、結果として勝利を決めるアシストとなった。右サイドは皮肉にもパルマ時代で中田選手に最適なポジションだと言われ固定された場所。そこから見せたすばらしいプレーははからずもブランデッリ監督の主張が正しかったことを裏付けてしまった」

 「マッツォーネ監督もこの活躍にボランチか、サイドでのプレーが最適だと確信した模様。守備への貢献を余儀なくされるボランチ、サイドからの突破を求められ守備も欠かせない左サイドと、”自由”にはほど遠いポジションで中田選手の苦闘は続きそうだ」−なんて以前だったらどこのスポーツ新聞だって書いただろーに、昔からある「レジスタ」なんて名称に突然気づいたフリしてどこも「華麗な指揮者誕生」「中盤の王様」的な扱いで中田選手のボローニャでの初戦を称える当たりにけなすにしてもいじるにしてもストーリーから入り状況を合わせるメディアのスタンスが見え隠れ。誉めモードの今はディフェンスに入ったってベッケンバウアーかバレージか、ってな大底からのコンダクター扱いにするかも。ゴールキーパーに入ったら? やっぱり誉めるかなあ。


【1月12日】 今1−3月期で間違い成しにトップクラスに位置することになるだろー梅津泰臣テイスト炸裂なアニメーション「MEZZO」の録画に時間設定の打ち込みミスで失敗して死去。しかかったけど続いて始まった「超重神グラヴィオン ツヴァイ」の録画と視聴にはなぜか成功して(とゆーか「MEZZO」と間違えてこっちの時間を指定してました)、その大張正己テイスト炸裂なオープニングから人間の動きから見得の切り方からポーズの付け方にこれこそがニッポン・アニメだぜって感慨を抱く。「MEZZO」録画し忘れて良いものを見られてちょっとラッキー。来週からはどっちも撮ろう。

 実を言うならキャラクターデザインまでも大張正己さんがやってた「VIRSU」のあまりの凄さに脳天をヤられて大張さんってクリエーターに恭順の意を示した身としては、キャラがフツーな「グラヴィオン」シリーズ(最初は大張さんが担当してたみたいだけど放映では違ってた)を今ひとつ敬遠したい気持ちもあって実際、前シリーズはほとんど見てなかったんだけど、たまたま見た「ツヴァイ」の1話がキャラこそ前と同様ににわのまことさん系で萌えはあるけど燃えにはやや欠ける非・大張でありながら、その動きそのポージングその腰つきのエロさその胸回りの豊かさその表情の壊れ方、「VIRSU」で見慣れた大張テイストそのもの。これだよ僕はこれが見たかったんだよと遠くどこかのスタジオでガリガリガリっと外連味たっぷりなロボットを描いているだろー大張さんの背中に感謝の念を贈る。ありがとう。ムービックから昔出た作品集持ってます。宝物です。部屋のどこかに埋もれて出てこないけど。

 その女性は学園きってのアンタッチャブル。関わると不幸に巻き込まれる可能性があるにも関わらず、それを知らない新入生は彼女の見目麗しさに惹かれ付き合うことになってやっぱり、いろいろとんでもない事態へと巻き込まれるって話だと既に、電撃文庫から出ている岩田洋季さんの「護くんに女神の祝福を」なんかがあるんだけど、「富士見ヤングミステリー大賞」で佳作を受賞した岡村流生さん「黒と白のデュエット」(富士見書房、540円)はトンデモちゃんな女の子から男の子がコクられドギマギする「護くん」とは違って男の子が突発的に女の子にコクっては後でトンデモちゃんだと知ってそれでも平気で付き合うとゆー、男の鑑のよーなキャラクター造型になってて感銘を受ける。地雷を踏みに行くとは、なあ。

 けど頭脳はどこまでもクレバーで見目は麗しく性格は超クール、でもって不遇な生い立ちから着ているセーラー服は一張羅に近く、買えないこともあってそこらじゅうに綻びが出て修繕がしてあるとゆー、慈愛と敬意の入り交じった感情を惹起させられるキャラクターを前にすれば誰だってそーゆー気持ちになる……訳でもないよーで、「黒と白のデュエット」では彼女が新入生を歓迎する会で「戦って勝ち取りなさい。自分の住む世界を」と言ったのを受けてその場で「今日の放課後屋上で待ちます! 待っていますから!」と告白したのは、見た目は美少女で中身は男の子、銀色の長髪が肩にかかった白雲秋葉ただ1人しかおらず彼はほぼ独占的に、彼女が魔法使いだと聞いてもひるまずまとわりつくことになる。

 んで事件が発生。秋葉の同級生の1人がいろいろ恐ろしい夢を見るよーになって果てに誰かを殺すかもしれいないって懸念から魔法を使うとゆー彼女、黒御門水冬とそれから秋葉に相談をして2人を連れて家に帰ったところが、そこで恐るべき事件が起こってしまい、図らずも水冬と秋葉は半ば探偵役として、事件の謎に挑むことになる。時間もお金もたっぷりとかけられた結構おおがかりな、メタとかじゃなくって周到に仕組まれている、そして何とも悲劇的な仕掛けがあってちょっと吃驚。ノベルズとかのミステリーでもあんまり読んだことないけどプロのミステリーの人たちはどんな評価をするのか興味。アフターケアには役だっても魔法が事件そのものの解明に役立っていないあたりはロジカルさが大事なミステリーでフェアを追求した為か。ともあれ割に立った水冬のビンボー&守銭奴キャラぶりは同じ「ヤングミステリー大賞」受賞作でも際だってるんで、是非に続刊を早めに出して頂きその活躍を拝ませて頂きたいもの。「護くん」のヒロインにして希代のビアトリス使い、鷹栖絢子さんとの対決なんてのも見たいなー。

 パソコンのシステムが吹っ飛んだんで再インストールを始めたらいつまで経っても終わらないんで合間に溜めてあった「サブマリン707R」のDVDを鑑賞。すでに試写で見ていたんで確認していく作業で流し見る感じだったけど、それでも展開のメリハリの薄さは気になるところで背後で鳴る静かだったり明るかったりする音楽が、ハードなバトルに悲惨な事態を脇に追いやって海での出来事をのんびりしたものに見せてしまっている。ラストにかけてちょい盛り上がる所があるけどそこでブチッと切れて続劇になっているのが辛い所で次は一体何時出るのか、予定だと当に出てるはずなんだけど出てないなあ、なんて身もだえする。鮎の青いあれがパンツなのかそれともちゃんとした部屋着なのか、エンディングの背景で奥さんが着ているあれがネグリジェでシースルーで胸ぽっちが見えているのかいないのか、といった謎の解決も含めて早々に続きをお願いしたいところ。出るよなー、売れ行きがどーとか関係なしに。


【1月11日】 風邪っぽいのか出かける気力も起こらないんで家でひたすらに読書。富士見ミステリー文庫がやってる「第3回富士見ヤングミステリー大賞」で佳作になった名島ちはやさん「仮面は夜に踊る」は名探偵と彼を支える少年探偵団が希代の怪盗”夜の支配者(ナハト・ヘルシャー)”と丁々発止のやりとりをする話、ってゆーと懐かしい江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズとか最近だと漫画の「探偵学園Q」なんかが思い浮かぶけど、「仮面は夜に踊る」はそーゆー対決話を主軸には起きながらも前後に悲劇的とも言える再会のシーンを起き、本編でそーした状況へと至る人間の過去に縛られ今に迷った果てにレールを外れてダークサイドと沈む未来を選ぶ様を描く。

 怪盗”夜の支配者”に付き従う少女エリシアの自分を犠牲にしてでも主人を助けようとする献身ぶりは悪ながら天晴れ。冷静冷徹冷酷なよーに見せて父である”夜の支配者”を非難されると激昂するところを見せたりと、それなりに可愛いところもあってファンになっちゃいそー。犯人を見事捕まえたり、奪われた宝物を取り返したりと探偵チームが勝っているよーに見えるものの、いつの場面でも犯人は「わはははは」とは笑わずアドバルーンにも乗らないけれど逃げ出しては再度挑んで来る辺り、探偵チームは添え物で悪の方によりスポットが当たっている感じ。莫迦にされっ放しの探偵チームに名誉回復の機会はあるのか、それとも暗黒のヒーロー&ヒロインによる正義の美名を才気と情念で突き破るピカレスクロマンで進むのか。あるのかは知らないけれどあるなら続刊に期待。

 続けてやっぱり「第3回富士見ヤングミステリー大賞」のよく分からない井上雅彦賞なるものを受賞した壱乗寺かるたさん「さよならトロイメライ」(富士見書房、540円)なんかをぺらぺら。ある日学校に乗り込んできたお嬢様の巫城都に見るなり拉致され御城学園へと拉致された藤倉冬麻がつけられたのは、その学園で各学年に3人しかいない「トップ3」とゆー地位。っても別にロサ・キネンシスとかロサ・フェエティアダとかってもんじゃなく又アン・ブトゥンとかプティ・スールとかもついてないんでそーゆー世界だって期待はしないよーに読者。もちろん薔薇も回りません。

 さて第13期トップ3の1人となって巨大な寮にほかの各学年のトップ3たちと、それからそれぞれに1人づつ付くパートナーといっしょに暮らすよーになった冬麻は自分がそんな立場にどーして立たされてしまったんだろー特に取り柄もなにのにと訝り、幾度となく脱走しよーとしながらも果たせず学園でパートナーのちょっぴりドジっ娘な少女やら、同じトップ3で快活な少年とそのパートナーで関西弁の眼鏡っ娘(香蘭じゃないぞ)やら冬麻を引っ張ってきた都とそのパートナーで実直勤勉強力無比な八千代に囲まれドタバタとした毎日を送っていた、んだけどそこに起こった殺人事件をきっかけに、ヘラヘラとしていた冬麻の過去が浮かび上がり学園に伝わるトップ3の秘密も明らかになる。

 饒舌で脱線もふんだんな冬麻の独白パートとそのパートナーで兄上ラブな長峰泉の独白パートが繰り返される構成を人は読みにくいって思うかもしれないけれど、ネットなんかで改行もなく句読点も打たずに延々だらだらと続く文体に馴染んでいるせいもあって、作者が気にするほどは読みにくい文章じゃなかった。むしろ改行ふんだんでぶつ切れ感に気持ちをシンクロさせるまで時間のかかった大賞の田代裕彦さん「平井骸惚此中ニ有り」(富士見書房、540円)の方が違和感が大きいかもしれない。

 饒舌な文体も作者が書き慣れてるから饒舌って訳でもなく、実はって事件の真相から分かる少年たち少女たちが心の奥底にある闇を、隠し覆って見えないよーにするためのカムフラージュって意味から使われている節もあるんで納得度も高い。オール冬麻の一人称で書かれてて、井上さんが評価した超自然的などんでん返しのあるオリジナル版も興味があるけど既に改稿版に慣れてしまったんで別に無理して出してくれとは言いません。阿久沢って謎キャラが山と出てるなら別だけど。あるいは山と出てくる続編を是非に。

 悪くないぜ「新撰組!」。子供っぽいところが良さでもあり悪さでもある香取慎吾さんをどちらかといえばコワモテ系なイメージのある近藤勇にはめてはたしてはまるのか、って心配してたけど無駄に落ち着き払ったところのあるプロフェッショナルな演技じゃなく、その役になろうって強い意識を身に張りつめさせ、一所懸命にする演技が若さと血気に溢れて焦りを抱いてはいながらも、だったら自分に何が出来るのかを決めあぐねていた若き近藤勇をそれらしく見せていて、すぐに馴染んでしまった。京ですでに局長となって指揮する演技でも純真さ真面目さに毅然としたところが加わって貫禄と清冽さに溢れてた。これはひょっとすると歴史に残る当たり役になるかも。

 勤皇の志士を斬って返り血を浴びないためにはさっと身を引けば良いんだと明るく楽しそーな顔で話す藤原竜也さん演じる沖田総司の役作りは、人斬りに何の価値も意味も見出さず単なる”お仕事”のひとつだとしか感じていない異常さがほの見えて、そんな沖田がどーやって生まれたのかって辺りに興味を抱かせる。沖田の姉だかの沢口靖子さんはCMみたく頓狂なところを持った美人って感じでこれも期待。田中邦衛さんは何やっても変わらない。オダギリジョーは衣装が白けりゃ美女丸か。河原の場面でいつカメラがぐるぐる回り出すかと身構えてしまったよ。近藤勇に土方歳三がふんどし姿で抱き合う婦女子には美味しいシーンとかもあって美少年たちのくんずほぐれつな描写に期待がかかりそー。ともあれ見知った役者の続々登場と滑稽さを絡めながら描く幕末ってことで個人的には過去最高の大河ドラマ「花神」に通じる所もありそーなんで、しばらくは毎週を見て行こー。栗塚旭さんはいつ出るのかな。


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