縮刷版2004年11月下旬号


【11月30日】 ああもうこんな季節になってしまったよ今年も残り1カ月だなんて時の経つのは速いってゆーか1日が短く感じられるってゆーか。実は地球が徐々にスピードアップをしていて1日は確実に短くなっているんだけどそれに気付かないのは時計の回転デジタル時計の信号処理もそれに合わせてだんだんと速くなっているだけだったりするんだって、理屈も考えたけれどそれだと2時間分がきっちりを撮れたビデオテープに余りが出ないのは何故って理由を説明しづらいからなあ。いやテープなんてもう1年くらい触ってませんが。

 ってんで師走前に南船橋にセガが新しいタイプのお店を作るってんで見物に行く。家からだったら歩いて15分くらいなんでそのまま直行直帰をしたかったけど午後の内覧とゆー中途半端な時間では如何ともしがたくいったん大手町へと上がってそれから午後に南船橋まで戻るとゆー非効率さ。こーゆー時に1人が完全情報武装してどんな場所からでもプレスリリースとか会見案内っていった情報を集め記事として発信できるようになっていれ、別にオフィスなんかなくての仕事が勤まりそーだけど、それだと集まってくる情報のうちの仕事の指令を聞かないフリして逃げるのが難しいから無理か。

 んで「セガスタジアム」。スポーツをテーマにしたアトラクションが集められているってことで浮かぶのは「バーチャストライカー」とかいったスポーツゲームが雰囲気のあるセットの中で楽しめるゲーセンってイメージだけど実際は違って、スポーツそのものを楽しめるってところが特徴。テニスだったら飛んでくるボールを打ち返しては的のパネルを1つづつ消していき、サッカーだったら転がってくる本物のボールを蹴ってやっぱりパネルを潰す。野球はボールを投げて的を埋めるかボールを打ち返してパネルになった選手の隙間を縫ってヒットならヒット、ホームランならホームランの的にあてて進塁・得点していくってゲームで実際に、蹴るなりうつなりの動作を体験できる。最後のはつまりは大型野球盤ってことですね。

踏むとボールが飛び上がる。華麗にステップ、踏んで得点。ゴー。  簡単に言えば「筋肉番付」でおなじみだった「ストラックアウト」や「キックターゲット」が小型化されたものってことで、既に何年も前から似たようなものがあちらこちらのゲームセンターに登場はしていたりするけれど、そこをスタイリッシュなものにしてマシンも改良して、見目よく使いやすいものに仕上げて来ている。お台場のゲームセンターにもスポーツ関連のアトラクションが集まったコーナーがあってフープにバスケットボールを放り込んだり、ゴルフのアプローチを行ったりして楽しめるけど、使い込まれて場末感があってそれはそれで侘び寂びの境地を楽しめるけれどカップルとか家族連れには嬉しくない。「セガスタジアム」だったら明るくて広い場所でわいわいがやがやしながら楽しめるんで挑む気力も高くなるってものだろー。下手だと恥ずかしいけど。

 1つ面白かったのが本邦初公開ってゆーバスケットボールをテーマにしたマシンでグリッド状に仕切られそれぞれがアリジゴクの巣みたくなっててそこにボールが収まっている状態からスタート。そんなフィールドの手前に作られたパネルの上をプレーヤーがパネルを踏みながら走ると、何とグリッドの中にあるボールが跳ね上がって次のグリッドへ、そしてフープへと向かって飛んでいく。手前のパネルがスイッチになってるってことみたいでボールを走らせるためにプレーヤーは左右に走らねばならず結構大変そー。昔流行ったボタンを押してボールを跳ね上げて進めるアナログゲームを大型にしたもので、野球のバッティングを楽しむ野球盤と同様に、手の中で遊んでいたものの中に入って自分が体を動かせるってゆー夢を、かなえてくれるゲーム機ってことになりそー。

 それぞれが割に真剣にスポーツしなくっちゃいけない点も高評価で、いっぺんやるとその本物ぶりにもう1度やってみたくなることは必至。サッカーは2回やって9枚中の5点と3点、テニスは3点に5点ど成績が上がったり下がったりして己の体力のなさ技術の至らなさを痛感させられたけれどバッティングに関しては1対7から1イニングで逆転城ってミッションに、6対7まで迫れたからまあそれなりな成績。プレーヤーの人形に当たらなければワンバウンドでもホームランになっていますのは妙だけど、かといって狙うと覿面に人形にあててしまうのはやっぱり技術のなさ由縁か。走り込んで素振りして次は逆転を狙おう。テニスも同様。この肩の痛みが明日への糧となるのだ。


【11月29日】 それは焦りだったのかそれとも牽制だったのか。「プレイステーション・ポータブル」が展示される「東京ゲームショウ2004」を控えて開かれたソニー・コンピュータエンタテインメントのプレゼンテーションで久多良木健社長が突然に次世代の「プレイステーション3」ではメディアに「ブルーレイディスク」を使うって発表して、DVDプレーヤなんかとはケタが違う数普及した「プレイステーション2」に倣うならばやっぱり桁違いに普及しそーな「PS3」を主力のプラットフォームに映画界も位置づけて、映像ソフトを「ブルーレイ」で統一して来るって可能性が強まったのかもって想像してしまった。

 発売はしばらく先とはいえ年明け5月の「E3」辺りでは実機に近いものが出てきてやっぱりな普及の可能性を示す、その半年以上も前に対応ディスクを何にするか公表してしまうことでソニーの覚悟は分かっただろ、使うんだったらやっぱりブルーレイだろ、業界にアピールしつつプレッシャーをかけているよーに思った。ところがどうだ。11月29日に分かったことによると米国ではメジャー5社がソニーではなく東芝とかがやってるHD−DVDすなわち高品位DVDを採用するって発表して、ソニー1社が蚊帳の外に置かれたよーな印象。

 ディズニーの態度がまだ未定とは言えソニーにコロンビアにMGMだけではブルーレイが映像再生のデファクトには数の上で成り得なさそーだけど、会見だとHD−DVDとブルーレイの差なんてたいしてなくって、ピックアップ辺りをちょいイジれば対応可能とかって言ってた記憶もあるんで案外に、PS3の対応ゲームソフトはDVDとは言えPS2専用になってる今のソフトと同様にブルーレイ−ROMでやるけどしっかりHD−DVDだって読めちゃう仕様にするのかも。ソニー本体が録画再生機でブルーレイにどっぷりと突っ込んでいよーと、そんなのお構いなしに自在に行ってしまうのがSCEIだから。ちょっと見物。

 そんなSCEIがリアルPSP広告に続いてビッグPSP広告を東京駅の丸の内北口で展示中。「東京ゲームショウ2004」のブース入り口にぶら下げていた奴だけど広い幕張メッセのホール内ではただ大きなあ、なんて感じられた程度のものが広いとは言え狭い丸の内北口のドーム内だと比べるものが周囲にある分大きさがよりくっきりと出てなかなかの迫力。小さくて携帯にぴったりって品物をPRするのに大きな広告看板ってどうよ、って気もしないでもないけれどそれは既に実物を張り付けたポスターで見せているからこっちでは、本体のスタイリッシュさを感じてもらうのとあと、発売が近いってのを知ってもらえれば良いってことなんだろー。3日まで展示だそーだけどこの後は何処へ? 発売中の「ニンテンドーDS」を牽制に京都駅へと行ったらちょっと楽しいかも。

 「アットマークピピン」が発売された時以来、ってことではなくって多分、キングレコードあたりが何かをした時以来でだいたい6年ぶりくらいの感じで江戸川橋からの結構な坂道を上って、高台にそびえる「ニューシーズンズホテル」へとゴー。音羽を間近に望む場所で一橋の雄、集英社がライトノベル系の新人賞の受賞者を表彰してたんで昨今のライトノベル系出版物の隆盛たるやいかばかりか、って興味を埋めるべく見物に出向く。壺とか屏風とかいろいろ飾ってあって相変わらずにゴージャスで、結婚式をあげたいホテルの上に確か来ていた理由も分かろうって感じだけどあげたくってもあげられそーもない身ではその辺り、何故にそこがトップなのかがいまいち不明。それとも名古屋人にはホテルで結婚式なんてなじみがないのか。ゴージャスさを買って専門の式場に行くことが遺伝子レベルで刷り込まれているのか。謎。

 パーティーではスーパーダッシュでコバルトな作家さんを遠目に観察。「殿がくる!」の福田政雄さんは殿のよーな風格だった。「電波的な彼女」の片山憲太郎さんは電波系ではなかったけど彼女がそうかは知らない。桑島由一さんはファブリーズを手に持っていなかった。「魔王、始めました」の淺沼広太さんはフレッシュゾンビを従えていなかった。会いたかったのに。緒方剛志さんは電撃で見た時と同じ人だった。当たり前だ。海原零さんは追い込みで寝ていなさそーだったけど新作が早く読みたい身としては同情するより本を書けとしか言えない。桜坂洋さんは桜坂を唄っている福山雅治とは関係なかった。パンツははいていたと思う。

 ちなみに秋葉原の「K−BOOKS」には「よくわかる現代魔法」の第3作目で誰しもが唖然として読んだ「一ノ瀬弓子クリスティーナはパンツをはいていない」とコピーの書かれた等身大のPOPが立てられていて、頬染めたクリスティーナの表情とコピーに2次元の絵でしかないスタートをどーやって風に持ち上げさせよーかとしばらくPOPの前で思案したけど結論が見いだせず、ひたすらに透視する妄想でもってそこにある、とゆーかない様を思い浮かべて悦に入っていたことは内緒だ。かくもすばらしいPOPを見られるのは秋葉原「K−BOOKS」だけ。なの?


【11月28日】 「ファウスト」のトークライブで何より意外に思ったことは会場の、女の子率の高さで前に3月に同じ場所で行われた「佐藤友哉vs滝本竜彦」のトークショーの時よりも、気分で2、3割は女性の数が増えている感じ。良い場所を取ろうと早い時間から詰めかけるのは男子に多いよーで会場の前の方は男子がぎっしりで色が黒かったけど、開始時間間際に行った僕の座った後ろの方は女性が8割って感じで環境として素晴らしく、また斜め前にはピンク色のタートルネックのセーターを着たポニーテールの眼鏡っ娘ってゆー記号のカタマリのよーな女性とかも座っていて色目も華やかで、トークが繰り広げられていた2時間ちょっとの時間を、前よりも周囲の女性陣の横顔をチラ見ることに追われてしまった。何しに行ったんだ。

 誰のファンなのかは不明で切なさの帝王・乙一さんかとも思ったけれど会場に出てきた時に歓声が上がる訳でもなく終演後に一人花束を受け取る訳でもない。北山猛彦さんってことは作風からはあんまり考えられず、やっぱりキャラとしてイジられやすい佐藤友哉さんのファンってことになるのかもしれないけれど、喋っている声を聞いてもくすりとした笑い声は周囲からは漏れ聞こえない。失笑だって漏れていなかったらか嫌われているようすもないから安心はしていいけれど。

 顔立ちで滝本竜彦さんのファンかもってことも考えられたけどやっぱりトーク時に嬉しさに体温を上げるよーな雰囲気はなく、ヨン様よろしく吶喊をかけるおばちゃんたちみたいな肉体を駆使したアピールは当然なし。あったらそれで会場はパニックになったかもしれないけれど一方で新聞雑誌に「作家襲われる。ファンの女性たちが殺到。ひきこもりのトップランナー少女から逃げられれず」ってな見出しで名前が踊って一気にメジャーの階段を駆け上がったかもしれないからそれはそれでやや残念。裸に向かれたって大丈夫な肉体になっているのに滝本さん。

 西尾維新さんのファンってこともあるかもしれないけれど、それでも届いたメールに声とか上がらなかったからやっぱり曖昧。誰のファンだったのか最後まで不明だったファウスト女子だったけど、誰のファンであっても節度を守って観覧するその奥ゆかしさは、一時絶滅の叫ばれた”文学少女”の復活を伺わせるもので男子の人は未来の出版界をユーザーとして支える彼女たちを、威嚇したりとかかっさらったりとかせずに暖かく見守って欲しいもの。心の中ではどんな格好にしよーと勝手だけどくれぐれも手は出さないよーにお願いします。

 秋口ぎぐるの「ショットガン刑事」シリーズがまるで出ない一方で川上亮さんは「ラヴ☆アタック」に続く「僕らA.I.」(富士見ミステリー文庫、560円)ってのを刊行。したけどうーん、ぎこちない。少年がふと気がつくとテトラポッドの上で聞くと突然学校を飛び出ていったらしーけど記憶にない。訝り帰宅すると今度は妹は「お父様」と言って抱きついてきてさらに姉が下着姿でベッドに潜り込んで来るとゆー事態に。両人ともそんな風になっている間の記憶がなくって一体、どーゆーことなんだろーかと思案してどーやら、3人とは違う人格がそれぞれの間を浮かんだり消えたりしているらしーことが分かる。

 聞けばなかなかな設定で冒頭の謎めいた始まりも格好良いんだけど真相が明らかになる部分で一気に明らかにされ過ぎているのがめまぐるしく、また真相を明らかにするポジションの人がなんで君そこまで知ってるの的な感じでやや、設定に引っ張られすぎてそれを成立させるキャラ立てとドラマ作りで急ぎすぎたよーな印象を受ける。テーマとして流れる”家族の絆”めいたものは強く感じさせられるけどそれとてラストの感動と感涙にむせぶ部分がやや唐突だし、また救われない気分もちょっぴりだけど浮かんで微笑みの中で読み終える気分にさせてくれない。それが今時のミステリー的と言えば言えるし自己犠牲ってドラマもドラマとして美しいけどやっぱり誰もがハッピーでいられるエンディングってのが欲しかった。ともあれ川上亮さんはしっかりと書き続けていられるよーでとりあえずは善哉。秋口ぎぐるさんにも見習って欲しい所だけど果たして。

 んで八街歩さんの「乱破GOGOGO!」(富士見ファンタジア文庫、560円)。萌え命な少年が幼なじみにイジられつつも萌え気分炸裂させていた所に転向して来た美少女が1人。少年をご主人様呼ばわりしては幼なじみの少女をいじり、少年を虐める人たちを退ける大活躍を見せる。聞くと彼女は忍者で少年こそが「むぅ大陸」を治めた一族の末裔で、代々その存在を守るよーに言われて来たとゆー。なるほど設定はそれとして面白そうなんだけど少年が長身痩躯のそれなりに良い男だったりするのに妙にオタク的妄想が入っていたり、忍者の少女が健気ではあるんだけどどこか毒舌で内心は少年の思考を毛嫌いしている風な所を見せたりしてすれ違い感が浮かぶ。

 これが阿智太郎さんの「ニンニン忍者」だと少年は役立たずながらも優しく忍者の少女はやり手だけどどこか間抜けで、そんな絶妙なバランスの中で周囲のやっぱりどこか抜けた忍者たちの底抜け脱線ゲーム的なやりとりが繰り広げられては気分をほんわかとさせてくれる。やっぱり阿智さんの「陰からマモル」も男女は逆ながら主従の関係に彼我の戦力差が絶妙。比べて「乱破GOGOGO!」は静刃って忍者のキャラ&ボディの爆裂具合には目を見張るものがあって楽しいけれど、ドジでもないし徹底してのキレ者でもない曖昧さがあって気持ちを乗せ切れない。

 それでも吐く毒舌の毒っぷりはなかなかでなるほど人を誉める時にはそーゆー単語を使えば誉め殺せるのかって勉強にはなる。「素晴らしいではないですか。ハーレムとはまさしく男性の浅ましくも下劣な欲望の象徴です。総太郎様の願望がハーレムならば、この月詠静刃死力を尽くしましょう!」とか。口絵で披露してくれている枝の手前の端を股間の白い布地の中央の、ふっくらとして柔らかげな部分へと触れるか触れないかって所に添えつつ巨大なハンマーを振り下ろしているラストも最高で、そんな楚々と見えて実は最強でなおかつ間抜けといった不思議ちゃんキャラをよりスケールアップさせて、見せてくれるよーになったらそれはそれで楽しいかも。期待して次を待とう。

 ベトナム戦争で漫画ってゆーと真っ先に石森章太郎さんの「サイボーグ009」が思い浮かんでしまうオールドタイマーにとってあの、泥濘にまみれながらも人と人とが憎しみ合わされる世界の哀しさを描いた作品を超えられるものなんて早々ないと思っていたけど、「コミック新現実」に掲載された西島大介さんの「ディエンビエンフー」は人と人が狂気の狭間で殺し合ってた戦争の非日常的な日常を、非日常的な可愛らしいキャラによる圧倒的なスピード感を持った絵でもって表現してあってなるほど、新しい時代のベトナム戦争はこーゆー風に描かれ得るのかと考えさせられる。

 従軍カメラマンとしてベトナムを訪れた20歳の青年が見た米軍の悪行。そこに現れた美少女がナイフを振りかざしては米軍をぶった切っていく様のスタイリッシュでスピーディーなことと言ったら。悲惨な光景であるはずなのにどこか爽快感すら漂っていてヒロインの凄さを際だたせつつ米軍の非道さを印象づける。少女が本当に善なのかはまだ不明でその辺り、善悪の相対化に囚われるのかそれとも超越していくのかも含めて今後の展開を見守りたいけど、ちゃんと出るのか出続けるのか「コミック新現実」は。


【11月27日】 キーパーソンの退場と主役メカ(メカちがう)の発動とゆー大ネタを炸裂させては大団円でもって終結した後だけあって一体、どーゆー展開を見せるんだろーかやっぱり腐れ縁的なハーレム的日々をラブコメチックに描いて、萌え炸裂に向かうのかって期待8、心配2くらいの分量で動向を見守っていた嬉野秋彦さんの「蘭堂家の人々」シリーズは、最新刊の「Sweet Little Pain」(集英社スーパーダッシュ文庫、571円)で第2部へと突入しては中国に根城を持って世界征服を目指す集団が登場。その頂点に立つお婆ちゃんと呼ばれる少女を倒すべくザ・ペーパーこと読子・リードマンとナンシー幕張は紫禁城の奥深くへと潜入するのであった。

 間違えた。中国とゆーよりや中華な面々が率いるその名も「華龍門」って集団が、「友愛団」からの逃亡者を受け入れ人型呪霊兵器(マイルフィック)ならぬ魔龍将(マーロンジャン)を作っては、トーマ&ヒルダの美形姉妹の手によってまっとうな集団へと生まれ変わろうとしていた「友愛団」の攻撃を跳ね返すのみならずアジアを手にし、今また日本へと進出しては最強のマルフィックである蘭堂家の面々へと襲い掛かる。とりわけ西王母のスピリッツでもって作られているフェイにご執心な「華龍門」総帥のシャンフェイちゃん。甘いスイーツで釣りだしては彼女を捕らえて中華帝国へと連れ去っていく。

 哀しい出来事を乗り越え意外な事実を知ってそれでも立ち直った翔太と支えた蘭堂家の見かけ美少女中身は最強のマルフィックとゆーイリヤにアテナにフェイにサリーたちとのドラマにさて、第1部以上のドラマを期待できるのかって心配があってただただ女性陣の間に生まれる翔太への思いのぶつかりあいをどう切り抜け結束していくのかって、ミニマムな所にたとえスケールは中華とか広がっても収まってしまうんじゃないか、って見て見られないこともないけれどそれでもそこから”家族”ってものの価値を探り考えようってメッセージが、送り出されて来ると思って思えないこともないんでとりあえずは様子を見て、繰り出されるドラマの文体は剽軽でも意外に(失礼)重たいメッセージを込める嬉野節の炸裂に、やっぱり期待をしていこう。

 秋葉原へと出向いて駅を降りたら「ゲーマーズ」の前に人だかり。2階のDVD売り場へと上がるエスカレーターが塞がっていて何事かと思い周り込んで見たら制服を着た美少女3人が何やらトークをしていて「下級生」だか何かのイベントと知る。中で滝本竜彦×大岩ケンジの「少年エース」のエースな2人が突っ走る「NHKにようこそ02」(角川書店560円)を買ったら岬ちゃん佐藤くん山崎くんの漫画に対し3倍くらいスタイリッシュになった姿の描かれたしおりがもらえてクリアファイルもついてきて、さすがは「少年エース」のエース級漫画、売る側の気合いの入れようが違うと思ったであります。「ケロロ軍曹」を超える日も近い。でも「エヴァ」にはやっぱりまだまだなかなか。もうじき連載満10年。凄いなあ。

 親バレに合法ドラッグに自殺サークルとアンダーグラウンドだったりイタかったりするシチュエーションへと佐藤と岬ちゃんを放り込んではそんな彼と彼女の泥濘からの脱出を描きつつ、読む人の追い込まれて自棄になった気持ちを救いそうなりかかってる迷いを吹き飛ばすって展開を、これからしばらくは続けていくことになりそーでこれからも、そんなネタを探しては繰り出してくれそー。自己啓発セミナーはすでにネタにしているよーなんであとはどーだろ、50万円の版画を引きずり込んでは売りつける絵売り娘とのバトルやら、サイリュームを振り上げジャンプを24時間続ける声優コンサートでの血を吐きながらも続ける苦しいマラソンとか、あれこれネタを見つけようとして新宿に秋葉原にお台場に、向かい飛び込んでは金をばらまき時間を奪われズダボロにされる原作者であった。作家は辛いよ。

 近所で「ガサラキ」のDVDボックスを買ってしまう。すべては美女軍人のヒッチハイクシーン見たさ。レジに運んで会計を待つ間に浮かぶ我が身のダメさ加減に瞬間落ち込むものの次の瞬間に立ち直る。そうやって人はオタクになっていくのです。「ガサラキ」はそーいえば最初のバージョンが出た時に第1巻のボックス付きだけを買って直後にお話の右旋回ぶりに愕然として買わなくなってしまったなあ。あれから5年だっけ6年だっけ。911があってアフガニスタンがあってイラクがあって北朝鮮があって中国はでかくなってチェチェンはどたばたでウクライナもきな臭い、今へと至る世界の変わり様を知った後に見るとやっぱり違う感想を抱くんだろーか。それともやっぱりむらちゅうへと目が向いてしまうんだろーか。時間を作って見よう。24時間フリーな時間が欲しいなあ。作れば良いじゃん。紙切れ1枚出すだけさ。

 「ファウストフェスティバル」に潜り込んで太田克史編集長がリゾートのビーチで逆ナンされるビデオを見る。って別に遊びに行ってたんじゃなくって例の文芸合宿で作家を連れて沖縄に乗り込んだ、その合間にビーチに出て息抜きをしていた時の一場面らしーけど海の上で道を聞かれたって言われてもねえ。文芸合宿は5人の作家がそれぞれの部屋にこもってひたすらパソコンを打っていたんだろーかと思っていたらそーではなくって部屋は相部屋なところもあって、なおかつ1つの部屋に3人4人を集まってきては、椅子に座りベッドに胡座をかいて喋りつつ横目で進捗を気にしつつキーボードを叩いたのが意外。作家の作品は環境ではなく集中力で作品を書くのだなあ。


【11月26日】 あれは安宅大尉だったっけ。あと鏑木大尉もいたよーな。はるか遠い中央アジアだかどっかで日本から派遣された美女2人が、普段の厳しさ凛々しさとはうって代わってそのナイスなうっふーんぶりがエヴァなボトムズだった「ガサラキ」に一陣の桃色な風を巻き起こしては煩悩をえぐってくれたけど、玖珂なつきちゃんのはーいーなポーズも格好だけなら安宅鏑木に負けていなかったかもしれない「舞−HiME」。けどでも前に散々っぱら見かけによらないフェミニンな所を見せてくれていたんであるいは、地が出ただけだったりするのかも。

 ぼよーんってもうありがちで分かりやすい効果音をバックに現れたカットの、下からあおり横から震えをおさえるレイアウトに描き手の画面へと叩き込めた熱情を見た。鷺沢陽子先生の運転は谷崎ゆかり先生並だけどあっちは乱暴なだけで陽子先生はWRCもかくやなテクニシャンっぽい。見かけに寄らないってゆーかそんな見かけじゃ判断できない人ばっかりな風華学園。ぜんぶを明かす前に話、終わっちゃわないか心配。なぜあら? でもってなぜあんなにでかい?

 直接の影響力を持つ永井豪はデフォルトだしその上の石森章太郎も当然ながらデフォルトに読んでいる漫画家。さらに上の手塚治虫はいわずもがなで石森とは並列な藤子不二雄に松本零士もやっぱりとっても知っている。鳥山明に荒木飛呂彦といった”ジャンプ系”に小山ゆう、高橋留美子、細野不二彦とさらに上條淳士は貪るように読んでいたし今も新作をチェックしている。反対に回って貞本義行に永野護もやっぱり新作が待ち遠しい漫画家たちだ。

 やや離れるものの江口寿史に福山庸治多田由美とりみき藤原カムイ高橋葉介は青春の大いなる1ページたち。そんな面々に囲まれているのになぜかそれらの中心に配された田島昭宇、浅田弘幸とは縁遠かった我が漫画読み人生のいったいどこに曲がり角があったんだろーかと河出書房新社から出た渋さ抜群でそもそもどーして集英社からじゃないんだと訝る気持ち爆発な「KAWADE夢ムック 田島昭宇vs浅田弘幸」(1143円)に所収の「田島昭宇+浅田弘幸から広がる現代コミックマップ」を見てあれこれ考える。学生から社会人になったとか仕事が忙しかったとかいった時期的なタイミングできっとスポッとチェックが抜けてしまったんだろー。ライトノベルで言うとあかほり神坂深澤吉岡といった辺りの体験が欠けているよーに。

 だから実を言うと「多重人格探偵サイコ」も「I’LL」もまるで縁遠くって田島昭宇さんも浅田弘幸さんもどっちも、どう自分の漫画史の中に位置づけたら良いのか戸惑っているんだけど1点、浅田さんに関しては一時期ずっと買って読んでた「週刊プレイボーイ」に掲載されたボビンチョ浅田名義の大河4コマ漫画のほとんどを、リアルタイムで経験していてそっち方面のギャグでパロディなセンスの持ち主だと思ってはいたんで今回のムックにその4コマ漫画が掲載されて、権利関係に多大なる配慮を行ったんだろうかって心配したくなる気持ちも含めて懐かしさと強い関心が沸き立つ。

 男のキャラの雑さを脇において出てくる少女キャラの存在感の強さと絵そのものの可愛さにすっかりヤられて、いつか単行本になったら買おうって決めていたけどいつまでたってもならず幻の作品となりかかっていただけに今こーして、姉妹への関心を抱かずとも見られてなおかつ連載時に感銘を受けた女の子の描かれ方の可愛さに感じ入れさせられているのは心から嬉しくって仕方がない。300本あるうちの7本だけどオカメちゃんのとてつもない可愛らしさが存分に感じられる7本だったりするのが有り難い。けどやっぱり300話をまとめて読んでみたいもの。解かれる可能性はあるのかな。ないだろーなー、アニメは底堅く健在だし。


【11月25日】 「僕は思う。皆さんもう少し怒った方が良い、と。我が代表の姿を、一歩引いた位置から冷静に眺めることをお勧めする。でないとこちらまで巻き添えを食う。勝ち負けはともかく、日本代表のサッカーが、進歩しそうな予感は全くしない」って「ナンバー」2004年12月9日号で杉山茂樹さんが先だっての日本代表のシンガポール戦について書いている。おーまーえーがーゆーなー、って感じ?

 まあトルシェ批判をやりたいがためにジーコを褒め称えるよーな上げ下ろし文章術を使いまくってた洋ちゃんさんと違って別に、ジーコを持ち上げて来た人ではないけれど、ゴールデンウィーク前に世間が悪罵を浴びせていた時期に、欧州トップモードの4−2−3−1やら4−3−3やらを紹介しては、トルシェが愛した3バックに阿ったジーコに回帰を促したよーなこともあったやにうろ覚えてるんで、その時からジーコの場当たり采配っぽい雰囲気に辟易してた面々には自明だった「進歩思想な予感は全くしない」状況を、最終予選も間近なこの後に及んで言うとは一体、何を見てきたのかって言いたくもなる。

 アジアカップあたりでちょい、ジーコを見直したよーなことを書いてた大住良之さんは戦いぶりに疑問符を漬けてるし、後藤健生さんは力の差なんてないはずの”控え組”の体たらくをレギュラーと決めてかかった選手を偏重して起用して来た結果と斬り、元よりトルシェ贔屓って印象のある田村修一さんはたいしたことないシンガポールのアブラモビッチ監督との差のなさに「ジーコは再び限界を露呈した」と両断してる。4枚の筆者のフォーカード的なイエローカードの揃い踏みなんだけどでも、アジアカップの優勝と1次予選の全勝って数字上の好調に、もはや誰も鈴をつけられなくなっているのが現実。半年遅れの文句が虚しく暗闇へと消えていく中で2月からの最終予選、8年前のよーな薄氷を踏む思いをまたしても、味わうことになるのかな。まあそれもそれでスリリリングだけど。

 絶対ノーメーク主義、らしー澤穂希さん。「スポルティーバ」の2005年1月号でインタビューに登場して、例の「なでしこジャパン」のネーミング決定会見で浴衣を着せられた時に「メイク道具は自前」と言われ「そんなの持ってない」と慌てたとか慌てなかったとか。サッカー選手に化粧は別にいらないでしょってインタビュアーの声にそうでしょそうだよね川上さん、って遠く神戸のハワイさんに呼びかけていたりして、半ば開き直った所も見せている。そーかそんなに化粧は嫌か。

 けど例えば同じチームの酒井與惠選手が、試合以外の場にちょい化粧して出てくるとピッチとはまた違った感じに見えたりするって現実もあるんで、正月とかテレビ出演も多そうなシーズン、澤選手にはプロのメイクアップアーティストによる完璧なまでのメイクを施された姿でもってテレビに登場して来てもらいたいもの。並んで小林弥生選手にボンバー荒川選手もやっぱり完璧なメークアップで登場するお正月のテレビはきっと、楽しいものになることでしょー。近賀ゆかり選手山口麻美選手を呼べーっとサブから飛ぶ声。

 コナミが満を持して発売する「メタルギアソリッド3」だかの発売記念イベントがあったんでロッポンギルズ(六本木ヒルズ)の40階にある部屋へと上がると人の波。そこでのトークが一段落して再び始まったトークで我らが北村龍平兄貴(年下だけど)が登壇してはコナミが誇る小島秀夫監督と、轟天号の格好良さを語らい「男はドリルだ」「我が家の犬はドリル号だ」ってな感じで熱いトークを繰り広げてた。そんな轟天号が登場する「ゴジラ ファイナル・ウォーズ」についても話しがあって絶対の自信を見せた北村さん。小島監督も伴ってハリウッドでのワールドプレミアに乗り込むそーで「エメリッヒにも来いと言ったとか言わなかったとかで無様な米国版ガッジーラと北村版ゴジラがスクリーンから飛び出しバーリートゥードを繰り広げてくれる、かな。それを遠巻きにしてほくそ笑むのは誰? 55年目の復活を撮るのは俺様だ、って。

半歩ずれれば奈良の事件に重ねられかねない美少女というモチーフも収まる場所によって絶妙のアートになる  会場を出てけやき坂を降りて「ISSEI MIYAKE by NAOKI TAKIZAWA」で村上隆さんところの「Mr.」が先週の金曜日から始めたISSEI MIYAKEとのコラボレーション展示を見る。例の「小山登美夫ギャラリー」にも展示されたた巨大な美少女頭がさらに大きくなって登場。計4体のアニメチックな美少女がショーウィンドー越しにけやき坂を見下ろす構図は一歩間違えればミスマッチも甚だしいんだけど、そこは流石に滝澤直巳。小さなボディにジージャンとジーパンを着せてお茶目な感じにしてあって、ハイセンスな中にある童心めいた遊び心、スノビッシュなものへの叛逆心をトータルとして醸し出していた。

 オタキッシュなエネルギーをレシートの裏に叩き付けてた頃の方が生のアートっぽかった「Mr.」ではあるし今もその時の方が好みではあって、だから「小山登美夫ギャラリー」での個展にお洒落になり過ぎてつまらんって感想を抱いたけれど、場所を選んでファッションのブティックって所に収まった時にはやっぱり隠しきれないオタキッシュさがファッションの先鋭性とほどよく混ざり合って、近すぎず遠すぎない感じを抱かせる。20代を中心とした世代に刷り込まれている名作アニメ的なものへのシンパシーを喚起させるのか道行く人の多くがその巨大な美少女の顔に引くどころか、笑顔で見上げて写真とか取っている場面を見るとこれで「Mr.」、どこか作為的な所のある村上隆さんを上回って自然体で一般の人たちへと浸透していくことになるのかも。一度見ておくことをお勧めします。

 ファッションはジージャンにデニムシャツがあってそれぞれボタンが「Mr.」の小田部洋一さん的美少女キャラの顔になっているんだけどその洗練されたヘタウマ感がファッションと実にマッチしていて可愛い、けれどもピンクハウス的な可愛さとは違う微笑ましさを感じさせる。白いシャツのボタンがやっぱり美少女キャラってアイテムも硬質な白いシャツがフェミニンへと行かない範囲で柔らかくなってて良い感じ。メンズがないのが惜しまれる。Tシャツはレディスにメンズが揃ってて美少女キャラが色チャートになっていたり黒いデッサンぽい美少女キャラが大きく配されていたりするデザインのものがあってそれぞれそれなりに売れていた。

 そんな中で美少女フィギュアでもひとつのポイントになってるキャラが瞳として描かれた目をモチーフにしたTシャツがあってブティックの店員さんも着ていてなかなかに面白かったんで折角だからと所望したら1万2600円もしやがった。ユニクロだったら500円が1万2600円たあこれがファッションって奴なのか。とか言ってザクとか描かれているTシャツを数千円出して買ったり、美少女が描かれた抱き枕を何万円か出して買ったりする人たちが一方の極にはいたりする訳だから、そんな向かい合った極と極を真ん中から折り畳んで重ねて透かして見たものが、このコラボTシャツと思えば値段にそんなに驚く必要はないのかも。どっちにしたって着られません。上に羽織る格好良いジャケットがないもんで。


【11月24日】 くしゃみ鼻水鼻づまりがひどくって10連発くらいのくしゃみで「ハクション大魔王」に出たり入ったりを繰り返させる今日この頃。それでもお仕事はやって来るんでいそいそと白金にある「都ホテル東京」へと出向いて来年のスタートを予定しているとゆープロバスケットボールリーグの発足会見をのぞく。到着すると受付の横にチアリーダーの服装を着たおねえさんだかおかあさんだかがいてそれっぽい雰囲気を醸しだしていたけれど、脚もあげなければジャンプもしないチアリーダーじゃあ見て価値は3分の1。盛り上げるんならやっぱり受付に出した名刺を見てかけ声をあげながらジャンプとかして欲しかったよ。「GO! GO! RIUICHI!!」とかって。恥ずかしいけど。

 さてバスケットボールのプロリーグ発足。日本にはすでに日本バスケットボール協会傘下で日本リーグとかスーパーリーグとかがあって試合を繰り広げているんだけど大半の、ってか「新潟アルビレックス」をのぞけば実業団チームばかりでつまりは企業の宣伝活動に福利厚生活動の一環として運営しているチームで、その関係からプロのスポーツ興行的な収益構造になっておらず「新潟アルビレックス」的にはあんまり居心地の良いものではなかった模様。だったら自分たちでプロリーグを立ち上げてしまおうってことで日本リーグ所属で元アンフィニ東京って名門を受け継ぐさいたまブロンコスも混ぜ、新しいリーグ発足の構想を固めて来て、それがここに来てようやく実ったらしー。

 途中、日本リーグの方から脱退は認めないとかそっちの選手は五輪に出られないかもしれないっていった牽制球も飛んで来たけど、そーした声に負けず地域密着のプロスポーツチームを作りたいって情念もあって認められなくたって脱退して、仙台に東京に大阪に大分の各地に新たにチームを作って全6チームでプロリーグを立ち上げることになった。その意志や良し。ただ果たして地域にバスケのチームを作ってどこまで観客が来てくれるのかって疑問はあって、無料の女子サッカーでさえ1000人あつまれば多すぎるって雰囲気の中で、いきなり3000人とかの観客を集められるのかに疑問が出る。

 あと広くアピールできる選手がいるか、スポンサー企業が集まるかって部分も明確じゃないのが気になるところ。選手についてはどこまで言っても五輪にすら出られない日本人選手が大半になるんで面白みって部分では現日本リーグとどこまで差異化できるのかが気になる。スポンサー企業も口で言うほど簡単に集められるとは思えずその辺でどーゆー道筋を立てているのか、それがどの要に実行されていくかを観察する必要がありそー。いっそJリーグ発足時みたく神様級のプレーヤーを呼ばれば良いんだけど「マイケル・ジョーダン」はもはや高値の華、だからなあ。フランス人のミッシェル・ジョルダンとか差がして連れてきて座らせるか。ってそんな名前のフランス人が本当にいるかは不明。知りたくもないし。

 奥付がすでに2005年1月1日と未来になってる紺野キタさん「SALVA ME」(ミリオンコミックス、600円)は「ひみつの階段」シリーズとは違ったボーイズがラブな系統の短編集で美少年が出てきてあれやこれやするんだけどそこは紺野さんだけあってはんなりと、じんわりとしてにじみでる情感とか迷いとかいったものを絵にして物語にして見せてくれててそっちの気のない人でも読めてなおかつ、心のどっか奥の方に刻まれているかもしれないそうした方面への関心を、そっと撫でられる気分になる。いつかそれがぶもわっと目覚めるんだな。

 美声の少年を見て何かを感じた少年が数年経って唄っていた少年と再会したら顔はともかく声が編成でめっちゃくちゃ。妙に腹立たしくなって学校でいじめまくってしばらく経ってまた再会して今度は向こうの方が悪になってて仕返しされる。それからさらに数年たって仕事の関係でまたしても再会を果たして呑んで分かれて気がつく。「あの旋律が今も私の心をかきならし私の胸をかきむしるその名前を恋とよぶのだ」。今市子さんや西炯子さんでも絵にして物語にしそうな感じだけど今さんだとどこかにコメディが入り西さんだとバイオレンスな雰囲気が出るけど、無垢な中にも悪魔が潜んでいるような、そんな絵の紺野さんだと純な気持ちが強く出て心をそっと撫でつつチクリと刺す。

 妻子がいたものの自分の性向に気付いて離婚した少女小説家が家で恋人(男性)と同棲しているところにやって来たのは分かれた息子。ところがドアを開けると立っていたのはスカート姿の美少女で、3年の間に何かがあったそんな心理が子の動き、親の葛藤なんかから描かれる。少女姿だけど好きなのは女の子、といった辺りの設定が性徴のはざまで揺れ動く憧れと畏れなんかを感じさせて面白い。女装の少年のクラスにいるいじめっ子っぽい少年が女装少年を見つつ何かに”目覚める”話はコミカルだけどあるかもって感じでこれも良い。ほかにも美形美少女いっぱいの作品はどれも珠玉。けどやっぱり「ひみつの階段」系のファンタジックな話も世みたいなあ。「コミックファンタジー」を「文学フリマ」で買っておけば良かった。学校で先輩や先生に襲われるのがイヤででぶちゃんになった美少年、君は凄い。


【11月23日】 届けられてた段ボールの中のものをとりあえず読了。超能力学園がファンタジックで生徒会長な伝奇が多くって順列組み合わせの妙味を見せられている感じもしたけどそれはそれとして何より300枚近くを集中して書き上げるだけの意志を持って実行できるってところがとにかく凄い。見習おうとして見習えなかったところでこーゆー若さ故のあやま……熱情に接しているとこっとも何とかそろそろしなくちゃって気にさせられて来る。

 折しも課題図書で振ってきた「サラリーマン、やめました」(田澤拓也、小学館)って脱サラした人にルポした本を読んだばかりで、総合商社で一千数百万円をもらっていたとか鉄鋼会社で一千万近くをもらっていたって人でも仕事のために仕事をしている見に嫌気して、あるいは会社が自分を必要としていなかったことを悟って辞めて農家になったりペンションを開いたりして自主独立して生計を、立てているって話がいっぱい載ってて人間、生きてりゃいろいろ苦労もあるけどしたくない苦労よりはしたいことのための苦労の方が、何億倍もましだってことが出てくる人たちの言葉から伺える。

 それでも食べられなければ問題だろーけど、脱サラして竹とんぼ屋だって他にコンサルタントをしていることもあってすでに会社員時代の年収を超えた稼ぎを上げているとか。つまりは一千万円超ってこと? 数え不惑の小生にして現状から5割アップを果たさなければ届かない大台(マジですそんなもんです)に脱サラして届くと聞いてはこれはちょっとうかうかしてられない。竹とんぼを作る才能はないし農家をする土地もないけれど、行って見て書く甲斐性とあれこれ聞き出すスキルだけはあるんであとはそれにかまける時間を作り、甲斐性にスキルを活かした道でも探ってみるのが良いのかな。何だろうやっぱり探偵か。それともライブドアニュース向けの投稿記者? 8000円持って研修に行くか。

 一方でいい加減大人になりなさいって本もあるから参るなあ。清水春日さんって人の「ぼんちゃん」(小学館)は美大のデザイン学科に入った主人公のクボくんが、勧誘に来た先輩のヘンな人に連れられクラブに入った過去から続く、その先輩との腐れ縁にそろそろ変化が出始めた10年くらい後の時期がメインな舞台。デザイン会社に入って雑誌のレイアウトなんかをしているクボくんの家にやってきた、今はテレビ番組制作会社でディレクターをしてそこそこ稼いでいるその先輩こと”ぼんちゃん”が、見ていたビデオに触発されて会社を辞めると言いだし本当に辞めてしまったところから動き出す.

 見ていたビデオはスタローンの「ロッキー」で、つまりはぼんちゃんはボクサーになるって言い出したんだけどそこは学生時代から映画を撮るといっては途中で投げ出したぼんちゃん。ジムの先輩のスパーリングに音を上げジムを辞め、家にひとりじっとり引きこもってしまう。クボくんはと言えば参加したコンペでポスターのデザインが認められて大きなファッションビルのキャぺーンに参加することに。ステップを上がり始めたそんなクボくんを見てぼんちゃんは何故か起こって家を飛び出し放浪の旅へと出てしまう。

 ひとつひとつ着実に実績をあげていくクボくんと、何も成し遂げないできままに暮らしていたぼんちゃんとがクライマックス、ボクシングのリングで拳を交えることになるんだけど方向性としてはモラトリアムしてたぼんちゃんが、彼女とのこともあって大人の階段上る君はシンデレラ的な話になっていて、それはそれで正しくも潔癖なんだけどちょっぴり釈然としない重いにもかかれる。そんなに大人の社会ってたいそうなものなのかい、って最近の企業の出鱈目ぶりを見ると思えるし、そーした社会をドロップアウトして自分なりの幸せをみつけようとしている人たちにルポした「サラリーマン、やめました」の取材対象者たちの姿を見るにつけ、ぼんちゃんも無理をしないでずっと子供のままで通せばいいじゃん、クボくんなんてぶっとばしちゃえばいいじゃんとも思えて来る。

 それは単なる我が儘で、大人の社会で何一つ、成功できなかった負け犬野郎の遠吠え以下な垂れ愚痴でしかないのかもしれずむしろやっぱり世界が大人たちによって動かされている以上、大人になることの方が大事なのかもしれないけれど、でもやっぱり……だめだ結論なんてでやしねえ。ともかく30前後で社会人10年前後で今の地位とか将来とかにいろいろ悩んでたりする人には、一度手にとってみることを提案したい小説かも。40になって悩んでいる人もどーぞ。ついでに「サラリーマン、やめました」なんかも読むとさらに将来への不安が涌いてグッドかも。みんな悩んで大きくなった。大きな大人になったか大きな子供のままでいたかは知らない。

 秋葉原でデジタル一眼レフの新製品の「PENTAX istDS」を触って見る。ちいせえ。でもって軽い。シャッター音はがしゃこんがしゃこんになってて機械っぽくなくなってるけど代わりに液晶が大きく明るくなっていて、どちらかといえばアンダー気味だった「istD」に比べて写り自体も明るくなっているよーで結構使い勝手良さそう。レンズ込みで12、3万円前後なら下手なデジカメの上位機種を買うより安くて便利かも。10倍ズームとかないけどそれはレンズを代えればすむことだし。バッテリーパックが下につかず電池の保ちに不安も出そうだけど、取扱の良さを優先させればこれで充分。新発売の18−55ミリのレンズなら内蔵フラッシュのケラれも出ないみたいなんで、セットで買って首から下げてあっちゃこっちゃ持ち歩いてはぱちぱちやる、そんなデジ一眼になってくれそー。ってかレンズだけ欲しいよ。買うか。金もないのに?


【11月22日】 「これが真実のバアル・オームの十字架(クロス)なのよ」と語らい合った2人の乙女が1つになって叫ぶ。「バアァアアアルゥオォオオオウムゥウウウウウッ」。牧野修さんあなたいったいライトノベルを何だと思っておるんですか何でもありだと思っておりますそうですかそうですよその通りでございます。って訳で朝日ソノラマから登場した牧野修さん「アシャワンの乙女たち」(ソノラマ文庫、571円)は清楚な学舎に集った2人の乙女が世界を襲う危機に立ち向かうべく持てる能力を発揮し戦うとゆー誠に正統派な戦隊ヒロインものだったりする。訳ねえか。バアル・オームの十字架で。

 まあ外観は確かに寄宿舎に入った少女たちがかつて世界を2分して争った善と悪のうちの悪が、人間の精神をのっとり世界を破滅へとおいやろうとしていることを善に代わって阻止しよーとする、ファンタジックなストーリーになっているけどそこはそれ、前作「乙女軍曹ピュセル・アン・フラジャイール」(ソノラマ文庫)でも信仰厚き乙女がその信仰に熱く傾きすぎた挙げ句に死すら恐れない精神と肉体を手に入れ敵に立ち向かうとゆー、健気なヒロインの頑張る話と思って読む人の脳味噌を爆裂させるストーリーを繰り出して世間を驚愕させた牧野さんだけに、「アシャワンの乙女」も4人いるヒロインのうちの2人が木戸と白鳥だったりする遊びだか本気だかを盛り入れて、ルロロロロロでドールゲーな世代の心をくすぐってくれる。

 けどしかしバアル・オームに関してかつてスナック菓子とか出ていて味がまあまあだったとか、さいとうたかおさんのコミックが実に珍妙なキャラクターになってて「デビルマン」の比じゃないとかってことを知ってるのって、「ドラえもん」の声が富田耕生さんだったのを知ってる世代だからなあ。今時のライトノベル読者は知らず普通の変身ヒロイン戦隊物のパロディだかパスティーシュだかモデル小説だかに、感じて面白がって読んでしまうのかも。まあそれも時代の流れを考えれば仕方のないこと。マッハロッドがブロロロローだったとことを知らない人はそれなりに、圧巻の文章力で綴られる怪奇な乙女の園の様をご堪能頂ければこれ幸い。次はきっとさなぎから蝶へと変身する美少女ヒロインの物語を書いてくれると信じよう。それか円盤を回されると力が出てくるヒロインとか。トリオで変身でも良いぞ。

 遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴くものだし、香爐峰の雪は簾をかかげて看るものなのは当然として鹿苑寺にある「金閣」は、遠巻きにして見るものかというと実は全然そうではない。じゃあ間近に顔が金箔に映るくらいの距離で見るものかってゆーとこれも否。金閣は望楼であってそこから池を、島を、木々を、庭をながめるものであってそれ事態を見て楽しむものではなかったと、ひとつ教えられてとても感心したんで今度京都に行って北山に行ったらずけずけと、金閣にあがり込んでは3階のベランダから庭を眺めて絶景かなと言ってやることにしよー。咎められたら「だって織田信長がそうするんだって言ってたから」って言ってやろう。信長様のいうことだからと納得して……はくれないか、京都だし。

 京都は関係ないぞ単なる不法侵入だぞって言われるのは半ば当然だけど半ば外れ。織田信長に了解を取ったとゆーところが肝心で、京都でこの名前を権威に借りて何かをしよーとしてもおそらくは箒を逆さまにしたものを100本立てられた上にぶぶ漬け1万杯を食べさせられ、なおかつ10万人の京女からいけずいけずと1人につき100編、言われて精神に果てしないダメージを受けることになるだろー。つまりはそれほどまでに織田信長は京都で嫌われてるってことですね。まああれだけの悪逆非道をやったんだから仕方がない。

 なので福田政雄さんの傑作デビュー作「殿がくる!」でもって現代に復活して国を売ろうとした首相を倒す大暴れをみせた織田信長が、過去へと戻って後に美少年の森蘭丸をともない再び現代にやって来たところから再開した「殿がくる! 京都は燃えているか?」(集英社スーパーダッシュ文庫、552円)で京都に修学旅行に行った際、京都駅で坊さんたちの呪いの読経浴びせられたもの仕方のない話ってことになる。反対されて昔だったら大暴れしては全員のクビをはねて山積みにしたところだけど蘇って達観した信長は、金閣の上に上って景色を眺める楽しみを味わった後で、ある事件にまきこまれ、追われる羽目となったけど、そこでも過去に京都にしたことがネックとなって厳しい局面へと追い込まれる。これもやっぱり自業自得って言えるだろー。

 けどそこは信長。泰然として周囲を信じてかかる難題を乗り切ろうとし、周囲もそんな信長の芯の通った姿に感銘をおおえて信長を憎んで仕方がない京女も含めてシンパにしてしまう。まさにスーパースター、末は総理も夢じゃないって地位にまで来ているけれど、そーゆー信長は自分は過去に死んだ人間であり未来を拓くのは若い人たちだってことで 、表には立たず”敵”の誘いも一蹴する。過去にすがるよりも自ら未来を切り開けってメッセージがいよいよ本格化して来たよーで、あふれる才能の中で全能感に浸るよりもはるかにシリアスで真摯な環境で、頑張り抜く覚悟みたいなものを教えられるストーリー。重いです。次はやっぱり名古屋ぁな。


【11月21日】 京都ではフィクショナルなサイエンスのフェスティバルが宴たけなわな中を家でひたすらに原稿読みする日々。高い志に至らぬ技術のミックスがもたらす心の困惑を吹き払うべく一足早く抜け出し晴れてデビュウとなった「2004年ロマン大賞」の入選佳作作品「クラウディア」(集英社コバルト文庫)なんかを読む。時は第二次世界大戦直後。平和を取り戻したと思ったのもつかの間、旧体制とレジスタンスとの内乱めいたものが始まり駆けてる東欧のある国で、ひとり暮らしていた少年ラタのところに眼鏡の女性が訪れる。

 ソフィアと名乗った彼女が出したのはクラウディアという名前。ラタとは幼なじみだった双子のうちの姉の方でソフィアはラタにそのクラウディアのために唄を唄って欲しいと言い出す。唄って何? 訝るラタにソフィアが言うにはクラウディアはずっと眠りっぱなしで、そんな彼女を救うことができるのはラタだけなのだという。ラタは迷う。クラウディアとは幼なじみだけれども記憶にあるのは虐められたという記憶だけ。おとなしい妹のエーファと違ってクラウディアは高飛車で女王様気質で、ラタを下僕のように扱って、今も脚を引きずる原因になる骨折までさせてしまった過去がラタの気持ちを縛っていた。

 もっとも事態はそんなラタの記憶を超えて高いところで動き出す。眠り続けるクラウディアの中にある何か。それを狙う一味が動き出してはラタをさらおうとする。ソフィアの側の尽力もあって危機一髪のところを抜け出したラタはマッジという少女と連れだってソフィアのいる場所を目指すことになる。ガサツなところのあるマッジとの愉快なエピソードなんかも挟みながら到着したクラウディアの居場所でラタは知る。エーファとそしてクラウに課せられた過酷な運命を。そしてクラウディアがずっと心に秘めてきた想いを。

 クラウディアとエーファの造型に仕込まれたSF的な設定は決して目新しいものではないけれど、そんな過酷な運命を課せられつつも日々を明るく前向きに行きようとしている2人の態度が健気で泣ける。2人を相手に苦労をしたり悩まされたりして心に傷を負わされて、それでも最後には幼なじみの2人を想い自分の中にあった壁を乗り越えるラタのエピソードも絡んで悲しいけれどさわやかで、清々しい気持ちに読んだあとにさせられる。

 クラウディアの扱いをめぐって描かれる軍部や国家の態度が、ヒューマニズムに溢れ過ぎている感じもあってそんなに綺麗なのもなのか、って疑問も浮かぶけど軍部や国家が常に悪辣って訳でもなく、他人を大切にする心を持った人もいるんだって思えば展開に違和感も覚えない。再会したクラウディアの置かれた環境の心地よさ、それを支える人たちの想いの暖かさに触れるにつけ、人間って性は善であって悪いはずがないと思わされる。作者の中村幌さんがどんなキャリアを持った人なのかは分からないけれど、端正で底がしっかりしていてすんなりと読める良質のジュブナイルSFって言えそー。愚図は嫌いって、ああ僕も言われてみたい。

 縁があるもので自転車のショーを「東京ビッグサイト」へと見に行ったついでに立ち寄った「コミティア」の会場で、「クラウディア」の表紙やイラストを描いている水上カオリさんによる「クラウディア」の表紙絵が大判で飾られてあってその美しさにちょっとときめく。髪の長い方がクラウディアだったっけ、この美貌からあの悪口雑言罵詈雑言が出てくるとは。ああ見てみたい。イラスト集なんかも売ってたみたいだけどいい歳をしたおっさんが近づけるブースでもなく遠巻きにしつつ喉から手を伸ばして届かない哀しさに呻吟する。この壁を超えられるのはあと5回は通う必要があるなあ。

  「コミティア」ではジュンク堂の出張販売店でもって社長も認めるコミック売り場店員さんお勧めの萩原麻里さんって人が書いた「そらのこども」(ヒヨコ舎、1600円)を課って読む。感動にむせぶ。雲を練っては気象を操作したり地形をいじったり、果ては建物すらつくって人とか街とか世界とかを助けて歩く霧練り(むねり)って職人が地上に存在しては各地を旅して回っているとゆー世界が舞台。誰でもなれるって訳ではなく、才能を持った人だけがその霧練りにはなれるよーで、主人公のジルってゆー少年もそんなひとりとして旅をしていたおじさんに見出され、山奥にある霧練りの養成学校みたいなところに入学する。

 何でもジルが教わった黒い衣装のおじさんはレリック・シルバーという伝説中の伝説の霧練りだったそーでその推薦で無試験で入学してきたとあってジルには早速学校中の好奇の目が集まる。けれども学校で習うよーな気象や気候や量子学といったものにはまるで通じていないジル。なおかつ技術の方もレリック・シルバーの手伝いをした程度で手の中に雲ひとつ練り上げられない未熟者で、期待が高かった分だけ失望もあって結構な厳しい視線の中で学校生活を送り始めることになる。

 そんなジルを見守ってくれたのが寮で同室となった少年たち。中にはちょっぴりイジワルそーな奴もいたけどそれぞれが自分の得意な分野を持ち、自分の願いを抱きながら霧練りとして独り立ちする日を想いながら日々を切磋琢磨していて、そんな中でジルも自分の腕を磨き知識を増やして黒いおじさんのような霧練りになろうと頑張り始める。才能を持った少年が寄宿学校に入ってそこでさまざまな試練にあい、友情に助けられながら成長していくってのはかのハリポタにも通じる展開だけど、ハーマイオニー・グレンジャーみたいな女の子の気配がまるでないのが大きな違いかも。

 かといってボーイズラブ的な雲行きへとは持っていっていない辺りが、いわゆるライトノベルのレーベルからではなくってヒヨコ舎という、良書を数々出してはいるけどまだまだ新興な出版社から初の書き下ろし長編として刊行されたって理由であり利点かも。文庫本だと300枚から400枚がやっとのところがおそらくは600枚くらいあろーかとゆー分量も、文庫本では不可能な深くて大きいドラマを描く上で利点になっててその意味では主戦場らしーライトノベルのレーベルを離れて、ヒヨコ舎を選んだ作者の人の作品にかける思い入れみたいなものが感じられるしそれだけの、思い入れを存分に受け止めきった作品に仕上がっている。

 ジルはなかなかにお節介で自己中心的なところもあって、高い場所が怖くて高所での実技試験では怖くて雲をうまく練られない同室の少年を助けよう、なぐさめようとして逆に傷つけたり、そんな少年が学校から冬の山へと逃げ出した後を装備も固めずむやみやたらに追って出ては学校中に迷惑をかけたりと、やや同情しにくかったけれどそーした波がもたらした事件が、ジルや高所恐怖症の少年や、イジワルな同室の少年なんかがそれぞれに持っていた家族とのいさかい、過去とのしがらみなんかに決着をつけさせる展開に安心感が募ったのも事実。なおかつ霧練りって存在がどうして生まれたのか、そもそも世界はどうして誕生したのかって部分にまで踏み込んだ大きな種明かしもあって、感嘆と感動のうちにエンディングを迎えられる。

鞍の風情があってこそのサドル。ブルックスこそがサドルであると声を大にして言おう。聞いてねえ。  人間とは違う超常的な能力を持った人たちの、人間とは違うが故に招じる軋轢といった、スーパーマンならではの悩みめいたものが描かれて不思議のない設定だけど、そーした”持てるものの悩み”に憧れめいたものを感じさせるってよりは、超常的な能力をもたない普通の人間たちが、常に努力して何事かをなしとげようとしているのが、いかに凄くて素晴らしいことなのかってことに気付かせるよーな描写があることも、超人たちの高邁さが時として鼻を突くハリポタシリーズとは違う感慨を抱かせる要因になっているのかも。諦めないで歩き続ける気概を得られる傑作ファンタジー。ハリポタの倍は売れても不思議はないけど、売ってる場所を探す方が大変かも。ともあれとりあえずの山を乗り切った少年達が次にしでかす事件とそして、見える世界の秘密に興味が及んで仕方がないんで作者の人には続編を是非に、出版社の人には刊行を絶対にとお願いしたい。

 自転車のフェアは最新型のロードレーサーがわんさと出ていてそれはそれで目出度いんだけど1970年代末期から80年代にかけて「サイクルスポーツ」を読んでいた人間にとってロードよりも一般的だったのはランドナーと呼ばれる車種。全盛だったとも言えるそんなツーリング用のマシンが昨今まるで見られなくなっているのが悲しいと思っていたらブルックスを取り扱っているブースでランドナー乗り憧れの皮サドルで大きな銅の鋲が打たれた通称「大銅病」が並んでいて、その形の美しさ色の暖かさにいつかこれにまたがって颯爽と、林道を海岸を街をポタリングしたいって想いにとらわれたけどそもそもランドナーって今ちゃんと作られているのかな。

 ランドナーバーでおなじみだった日東工業のブースでとっても偉い会長の人とかきっとやっぱり偉いおばちゃんと話していたら「ランドナーなんて今時パーツを探すの大変でしょ」って言われてなるほどそーゆー状況になっているのかと理解する。けど「地面のショックを吸収するようなバーをつくってアルプスとランドナーを作りたいって話したい」なんてことも言っていたから今時であってもランドナーを希望する人も結構いたりするのかも。なんで金を20万円くらいかけてそのうちランドナーを作ることにしよう。いつになるかは知らないけれど。


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