縮刷版2004年10月上旬号


【10月10日】 壁際にある出入り口から1人入ったりまた出たりしては対戦して勝ち負けを決めて戻っていく。誰が戦っているかは遠目に掲示板を確認するんだったか何かをしなければ分からず唯一、浜口京子選手の時だけは応援団が大騒ぎに騒ぐから分かるといったのが確か、去年までの「レスリング女子ワールドカップ」だったって記憶している。

 なのにアテネ五輪で金メダルに銀メダルに銅メダルを獲得して話題になった夏を経て、開かれた今回のワールドカップは、壁際に電飾がピカピカと輝き「JAPANN」だのとチームの国名が出るわ、1人1人がそれぞれに選んだテーマソングで入場して来るわとまるで「PRIDE」か何かの格闘技イベントの様。仕掛けたのはおそらくはテレビ東京から中継をかっさらった日本テレビ放送網で、スポーツ自体はいささかも代わっておらず強さも以前と同様なのに、五輪で流行ると持ち上げにかかる所に、スポーツそのものの価値ではない話題性とかドラマ性といったものをことさらに重要視するメディアの気持ち悪さを見る。

 そりゃテレビでゴールデンに女子レスリングが見られるのは嬉しいし、そーした舞台で舞い上がらずにしっかりと優勝を決めた日本代表チームの頑張りにも素直に拍手を贈る。気になるのはそーした強さがいったん途絶えた瞬間に、同じよーな支援をゴールデンでの中継ではなくてもちゃんと、続けるだけの甲斐性を持っているのかってことでかつて在京のゴールデンをほとんど占拠したキックボクシングが、沢村忠選手の引退と同時に中継を切られ競技としても衰退へと向かったよーな歴史を女子レスリングが、辿りやしないかって不安が涌いて消えない。

 必要なのは一瞬のレーザースポットではなく永続的な給電。それが出来なきゃ手を出すな、って言いたい気持ちと一瞬のレーザーで広がった興味が幅広い人材を呼び寄せ未来を招く可能性への期待が入り混じって複雑な気持ち。ともあれ今は伊調姉妹に吉田沙保里選手に山本聖子選手浜口京子選手と5年は戦える人材が揃っているから、その間に確固たる人気を実力とともに得てプロ野球と同様にゴールデンにあって違和感のないスポーツへと、発展していってくれたら嬉しいんだけど外国人相手の連勝を積み重ねた吉田選手でも相変わらず強かった伊調妹でもなく浜口選手をやたらに取り上げるのが日本のメディア、だからなあ。真のスポーツ報道確率への道なお遠くて険し。

 そーいえば10月だかに国立競技場で開催されるサッカーの「L・リーグ」の試合もテレビ中継されるんだったっけ。やっぱり電飾もきらびやかに飾られた中を背中に花を背負って日テレ・ベレーザの選手たちが場内アナウンスの叫びをバックに1人1人入場して来たりするんだろーか。入り口では荒川恵理子選手をかたどったアフロヘッドのカツラが配られて全員がそれを被って応援したりするんだろーか。うーんエンターテインメント。だけど相手の宝塚バニーズって代表の1人もいないチームだったからなあ。どーやって盛り上げるんだろ。ちょっぴり興味。

 告って来た幼なじみにちょっと待ってくれといったら相手は待ってると言って駆けだした。あんまり元気に駆けだしたんで横断歩道も気にせず駆け抜け走ってきたトラックにドン。脳漿飛び散らかせて内蔵もはみ出させスプラッタな姿となってしまった幼なじみを抱えて久遠悠紀が好きだと叫んだらそこには……って出だしで幕を開けた平坂読さんの「ホーンテッド!」(MF文庫J、580円)は続けて自分はゴミ以下の人間だと卑下する美少女が現れて久遠悠紀に告白して、かくしていろいろと複雑な関係がスタートする。

 けれども冒頭から彼女はスプラッタで次は電波とゆー取り合わせ。真っ当なラブコメで行くはずもなくどこかズレて不条理なシチュエーションがあらわれては、甘さとか真摯さとは対極にあるシビアで虚偽にあふれた言葉ややりとりが繰り広げられて背筋をやすりで削られるよーな気分にさせられる。電波な死にたがり少女を諦めさせよーとして果たせない場面のやりとり。最高です。

 なおかつそーした展開がかえって善意と悪意が入り混じってむき出しになった世界に生きる人間の、あからさまな心の模様を浮かび上がらせいろいろ考えさせる。「ライトノベル新人賞」の優秀賞受賞とゆー新人らしーけど新人に見えない筆力に展開力に世界観。生きる意味だか無意味だかを説く場面もあって、アンチ・正統派エロ小説だった「左巻キ式ラストリゾート」にも通じるアンチ・正統派ラブコメディって言えそー。続編とかあるのかな?

 弁護士になる勉強をしている姉の丹生が祖父の神社に帰省するとビルの谷間のさえない神社がなぜかトレンディスポットに。弟の神楽が手際よく占い師たちを集めたハウスを造り、脇に喫茶店を造りお茶や珈琲を出すよーにして境内にクレープ屋台まで入れたところ近隣の女性やらカップルやらが押し寄せるよーになったとか。そんな客の1人の女性が神楽にもちかけたのが夜な夜な現れる不思議な腕を何とかして欲しいとゆー相談で、祖父が勝手に吹聴している安倍晴明の末裔とゆー触れ込みを背負って乗り込んだ神楽はとりあえず、カウンセリング的な言葉でもってその場をしのごーとしたものの、本物が出てしまったことから切り替えて、かくして普段は見せない神楽の能力が発揮されては1人の少女の想いに挑む。

 弁護士の父にデザイナーの母とゆー傍目には恵まれた環境にいながらも内実は醒めきっていた家庭に苦しみ親を見限る決断を若干14歳でした丹生といー、歴とした神道系の大学を出たにもかかわらず就職したのは神社本庁に登録されていない神社でそこで、巫女とゆーよりは喫茶店のウェートレスみたいなことをし、一方で近代の神社とは無縁だった本物の力を持った神楽の手伝いを学問を修めただけの身で手伝う日々に悩む石川子鹿といー、キャラクターの背景内面がそれぞれに濃く描かれていて読み応えがある。

 なおかつとってもリアルな日常とシームレスで、少女なのか女性なのか不明な龍造寺すずってキャラクターとか最後に現れては剣をふるう銀髪の美青年とか伝奇ならではのキャラクターも豊富で、人間らしー悩みや苦しみをどーにかしていく物語と、得意な能力をしがらみなしに発揮し得体の知れない式神めいた存在も使って怪異を祓っていく物語の混じり重なったシリーズとして、独特の地位を確保していきそー。これがデビュー作の星隅真野さん「駒王神社深川家物語 神楽と丹生」(ファミ通文庫、640円)ここに開幕。原型を知るとアレだけどとりあえず見目麗しい龍造寺すずのためにも続いてくれい。


【10月9日】 鹿児島とか四国とか沖縄とかが年に3度の5度も台風に襲われ甚大な被害を出してていったいどれほどの報道が、成されたのかは分からないけど想像するなら今回、関東地方に今年初めて襲来した、勢力は大きいものの被害の規模としては今年これまで訪れた台風に比べて決して大きいよーには見えない台風に関して新聞やテレビ局はきっと、今晩明日とトップニュースとして全国規模の一大事のよーに大展開するんだろー。

 予定されていた番組が飛ばされ代わりに全国ネットワークで延々と放映される渋谷の冠水道路の陥没といったニュースを見、朝の全国放送のワイドショーで「すごい台風でしたねえ」と喋り始めるニュースキャスターパーソナリティの類を見て、九州中国辺りの人々は今頃いったい何を言っているんだ俺達が酷い状況におかれていた時にお前らは何を言っていたのか覚えているのかとゆー、感情を抱き自分たちの周りで起こっていることがすべての人間に等しい一大事だと捉えがちな、メディアの夜郎自大ぶりに嘆き呆れることだろー。

 それでも台風でF1の予選がなくなりチケットの払い戻しで損害が出たんじゃないかとか、「東京ディズニーランド」に来る客が減って損害が出たんじゃないかってことを、今回の台風で起こった1番の出来事だから調べてお洒落で知的な新聞の雑誌感覚で作ってる日曜版に掲載しよーかどーかと議論する某ビジネス紙よりは1万倍ましだろーけど。大阪を台風が襲ったときに「ユニバーサルスタジオジャパン」でどれだけの被害が出たかを書こうとしたかよお前達。もーど阿呆です。

 そんな台風の中を「ワーナーマイカル市川妙典」で「デビルマン」を見る。結論から言えば200%「デビルマン」。永井豪さんの作品から僕の感じたメッセージが完璧なまでに再現されてなおかつ絶望で終わった永井さんの原作から先を見通し未来への希望を与えてくれる、素晴らしくも美しい物語だったと褒め称えたい。試写会の後とかインタビューとかで永井さんが絶賛している理由、分かったよ。決してリップサービスではなかったんだよ。

 不動明と飛鳥了を演じた2人の演技はお世辞にも上手いとは言えない。詰め襟の中にカラーTシャツを着て竹刀を振り回す不良の80年代かと想わせる描写は陳腐だし、スペクタクルであるべきラストのデビルマンとデーモンとのハルマゲドン的場面の迫力不足は否めない。シレーヌはコスチュームの場面は毛の生えたレオタードを着た素人コスプレーヤーにしか見えないしCGが重なってデビルマンとバトルを繰り広げる場面は90年代に逆戻りしたかのよーなアンリアルさ。目を見張らされる。

 なおかつシレーヌとのバトルが本編の流れにまるで関わっておらず、なくても充分なところを話題作りとして冨永愛さんを起用しカメオ出演させてみましたといった印象を受けてしまう。カメオなら神父か牧師として出た永井豪さん、サタンとなって逃亡する飛鳥了をかばうように現れ撃たれたKONISHIKI、アナウンサー役で英語の原稿を読み続けたボブ・サップ、田圃を逃げる鳥肌実の方がよほどか存在感があった。嶋田久作さんはよく分からなかったけど。

 高校生でプジョーのカブリオレを運転していたり、誕生日にバイクを買ってもらったりとゆー70年代的青春ドラマが蘇ったよーな描写も21世紀的ではない。ないけれども考えれば「デビルマン」は70年代のマンガだし、80年代にいっぱい作られたアイドルが出演する映画なんて唐突で不条理な描写や展開でいっぱいだった。そしてそれをティーンだった僕たちは違和感も覚えずに楽しんでいた。ティーンに向けて作られた映画だって想えば顔は良くスタイルも最高だけど演技は今ひとつなアイドルを主役に配し、メディア受けするタレントをカメオ出演させてベタな描写で溢れさせた映画でも、別に眉を顰め非難するまでのことはない。その点に関してはいい歳をした僕たちの「デビルマン」ではなかっただけのことなんだから。

 でも。伝わってくるメッセージはまさしく「デビルマン」だった。異質なものに怯え恐怖した挙げ句に排除しよーと暴走する人間たちの、哀れで無様な姿に呆れ嘆き怒りたくなり、そんな人間たちの迫害にも揺るがず心を信じ想いを信じる人間の気高く美しい様に喜び憧れ微笑みたくなる物語。他の人たちはともかく僕にとっては漫画の「デビルマン」から得たメッセージが映画「デビルマン」にもいっぱいに詰まっていた。手前勝手な人間どもの振る舞いに怒りたくなって事実怒り、抗えない運命に翻弄される優しき者たちの勇気ある振る舞いに泣きたくなって本当に泣いた。ああ泣いたさ。

 真摯過ぎるメッセージ。圧倒的なメッセージをもしも完璧な演技と完全な描写で、一部の隙もなく伝えようとしたらきっと重苦しく、辛さに溢れて立ち直れない気分にさせられただろー。上手くはない演技にベタ過ぎる描写がそーしたリアルでシリアスな気分へと落ち込まされることを避けている。怪我の功名なのかそれとも意図してのことなのか。ともあれそれがラストまで興奮と覚醒の上下に気持ちを振り回されつつ、スクリーンへと目を向けさせることを可能にしている。

 クライマックスは漫画「デビルマン」と同じハルマゲドン。そこで描かれる静かな終末はアイドル好きの悲鳴と叫声を読んで映画館の観客席を盛り上げることだろー。と同時に救われていない結末に生きる愚かしさを感じさせられ、絶望感に浸らされるだろー。けれどもその次に来る、未来の可能性を伺わせる描写に誰もが救われた気分になるはずだ。命を賭してつないだ命が人類の希望となって花開こうとする展開に、心洗われた気分になるはずだ。情けは人の為ならず。人類の、あらゆる生命のためにあるのだと想わされる。

 今一度断言しよう。映画「デビルマン」は500%「デビルマン」であったと。「デビルマン」のスピリッツに満ちあふれた映画であったと。2度見れば3度泣き、5度見れば10度泣く情愛と悲哀でいっぱいの映画であったと。だからきっとまた行くだろう。行って泣き怒り笑い喜ぶことだろー。DVDも多分買う。冨永愛版シレーヌのフィギュアを付けてくれたら絶対に買う。CGだけどヒップラインののぞく劇場版のシレーヌのポスターが付くなら完璧に買う。買って特典に涎をたらし、映画に涙を溢れさせるんだ。


【10月8日】 六本木ヒルズで始まった「モノポリー」の世界選手権大会を見物に行く。「バンカーズ」ってのでは遊んだし「大富豪ゲーム」でも遊んだけれど本ちゃんの「モノポリー」だけは遊んだことがないんで何を、どーやったら勝ち負けなのかを分からず見ていたけれどさいころを振って盤面のコマを進ませ株券だか権利書をもらったりお金のやりとりをする内容は「バンカーズ」とだいたいいっしょ。ってかきっと「バンカーズ」が「モノポリー」の要素を入れて作られたゲームなんで似て当然って所かも。いややってみるとまるで違うゲームなのかもしれないけれど。

 しかしそれにしても40カ国から参加した国の違う40人が1つのゲームを、例え通訳を挟みながらでもプレーできるのは凄いところ。それだけ世界共通のゲームになっているってことで歴史の長さに感じ入る。囲碁だったらルールが共通なら言葉はいらないしチェスも同様に言葉を話さなくても盤と駒さえあれば世界のどこででも誰とでもプレーできる。でも交渉とかお金のやりとりといった言葉が必要なゲーム、盤面を読むのだって言葉が絶対に不可欠なゲームでも仕組み自体は各国共通で、世界80カ国で売れているゲームをプレーしている人たちにとって、通訳は厳密な確認のために必要なだけで、相手が何をやっていて何をしたいのかは言葉がなくても何となく分かるもの、なんだろー。こんなボードゲームって他にあるのかな。人生ゲームって英語版でもやっぱりエベレストに登頂して10万ドルをもらうんだろーか。

 それにしても経済とか経営を遊びながら体験していくよーなゲームだけあて参加した人は誰も彼も頭が良さそー。日本代表になった日本IBMの人も2000年の大会で日本から参加して優勝したみずほ経済研究所だたの人もその職歴を伺うに頭が良さそーで、そんな中に混じって代表として参加している女性層の人たちに、何がそんなに面白いのかを聞きたかったけど言葉がまるで不可能なんで諦める。インタビューを問わず語りでやってもらうのは難しいし。ってか不可能だし。ちなみに最年少は15歳でシンガポールから少年。お友達になっておくといずれ館長から首相へと上り詰め、何かいろいろしてくれるんじゃないかって期待したくなったけど、これって果たして正しい感情かそれとも疚しい感情か。煩悩って悩ましい。

 ファミ通文庫なのに帯に富士見ファンタジア文庫の作品が書影も込みで紹介されている、これがグループ効果って奴なのか。その書影にある方の「てくてくとぼく」は構成にどこかこなれていない所があったけどファミ通文庫で出た枯野瑛さん「echo 夜、踊る羊たち」(エンターブレイン、640円)は民話または地方の伝説が蘇った現代ですべてを失ったはずの少年がその伝説の中心にあっていといろと苦しみもだえ溺れている様を描いた物語。とっても怖いはずなのに切なく、とても愛おしい気にさせられる。

 妹がいて付き合っている彼女がいて、絶妙な関係にあったはずの沢渡直樹だったけど、事故で家族を失ってから一気にひきこもり気味の性格になり、彼女とは別れ大学にもいかずレンタルビデオ店でアルバイトをしながら日々を無気力に生きていた。そんなある日、目覚めた彼はアルバイトに出かけようとする家の中、閉まった扉の前で中にいる”妹”に声を掛ける。アルバイトを追え帰宅すると今度は”妹”が直樹に「おかえりなさい」と声を掛けてくる。たった1人の”妹”を想いいたわりながら暮らしていく、直樹の日々が始まり続いていくことになり、そして街では1人また1人と謎の行方不明者が発生していく。

 おおよそ見える設定ながらも説明をあからさまにはしない描き方で直樹と同様に知らず錯綜する記憶の渦に呑み込まれ、その気にさせられそうになるあたりが絶妙。”妹”との暮らしの中で次第に明るさを取り戻していく直樹の周囲で、起こる惨劇がやがて直樹の知人たちを巻き込み、そしてひとつの怖ろしい、なのに悲しいクライマックスへと向かうストーリーもしっかりと筋が入ってて、特徴の出まくって役割もはっきりとしたキャラクターたちの立ち回りともども、引っ張られ呑み込まれて知らずクライマックスを迎えさせられる。良作。

 あと直樹がかつて付き合っていて、家族の事故がきっかけて離れてしまった長身の桐子という女性の美人だけどぶっきらぼうな性格も最高。ホームルームが終わった喧噪の中で直樹に「私は君のことが好きだぞ、沢渡」と告げ「そうか、俺もお前のことはけっこう好きだぞ、須賀」と返事をした直樹に「ではこれから私たちは彼氏彼女の関係ということでよいか?」と桐子が言う告白シーンの何と初々しくってドキドキさせられることか。こーゆーことを言われたかった、言いたかったと2人になりかわれば思えてくるし、周囲のクラスメートの身になれば唖然として硬直したくなる。できれば硬直よりはドキドキしたいけど、むりだよなあ、この歳じゃ。
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【10月7日】 山手通と246と外苑東通りと富ヶ谷原宿線を結んでその内側にある300万平方メートルの地域がボゴリと陥没したら。出現するのは渋谷を中心とした「渋谷自治共和国」。といっても主体的な独立なんかじゃんくってむしろワルどもが集まり悪が蔓延る不健全な街ってことで日本国から切り離され、見捨てられた地域ってことで当然ながら中では力こそ正義、マネーこそすべてってな構造が出来上がっては、強いもの、持てるものが弱いもの、持たざるものを搾取し虐げながら生きていく「北斗の拳」的世界が出来上がってしまった。

 そんな渋谷にあって大勢の若者たちを虜にしているのがデジタルドラッグ。脳内に基盤を埋め込みそこに直接”音楽”を流し込んでは大脳を刺激しさまざまな快楽を、あるいは苦痛をもたらすって科学な麻薬で、依然流通するLSDやコカインといったアナログの麻薬と同じよーに蔓延しては渋谷人たちの心を蝕んでいた。程なくして音楽を頭に流し込んで酔うデジタルドラッグで戦えないかと考えた奴がいて、そこからライブハウスで音楽を奏でながら相手の脳を、体を破壊し合う「Play」とゆー遊びが生まれ、「Players」と呼ばれる奴らが現れる。池田裕幾さんの「プレイヤーズ」(徳間書店、819円)はまあそんな前提から物語がスタートする。

 社会のはみ出し者たちを隔離して出られないよーにしてしまうって着想は小松左京さんの「日本アパッチ族」に重なるし、掘晃さん「梅田地下オデッセイ」にも通じる企みを感じさせる部分もある。最近だと幕張一帯を隔離地帯にして女の子たちを戦わせた佐神良さんの「S.I.B」(光文社、848円)なんてのもあったっけ。音楽が武器ってのは「マクロス7」か。だから至る結末は何となく想像が出来てしまったけれど、そーした先人たちとは違った、放送作家ってエンターテインメントの最前線で働く人ならではの娯楽スピリットが全編に溢れてて、キャラクターの存在感と展開のスリリングさで息をつく暇もないくらいに楽しませてくれる。

 気になるのは異形なもの、ナイーブなもの、クィアなもののキャラクター性を際だたせたいって想いがそーした人たちを、心にどこか至らない部分のある存在、欠けた部分を探し求めて彷徨うアウトロー的な存在と、見て見られてしまうよーな造型にしている部分だけど、だからといって体も心も真っ当に見えてその実、欠けるだけ欠けっぱなしの所を持った偉い奴らの姿も浮かび上がって来てるんで、完璧な人間なんてどこにもいないってベースに立てば、誰でも等しく心に開いた穴を埋めよーとしてるんだって考えて考えられるのかも。アニメ化ってことで音楽がどう使われどう描かれるのか、陥没した渋谷がどんな有様で描かれるのかに関心。巻末にあるキャラのイメージイラスト、トオルはもーちょっと妖しい感じにした方が気分、なんだけどなあ。

 産経系のメディアって言うと、どちらかといえばライブドアよりは楽天寄り、選手会よりは日本プロフェッショナル野球組織寄りってイメージがあったけど、角川書店と共同で出している「スポーツ・ヤア」は玉木正之さんが執筆してるってこともあるのか、徹底して選手会寄りでどちらかと言えばライブドア寄りな感じ。本郷陽一さんがルポをした「仙台Baseball War ライブドアと楽天」って記事なんかはその傾向があからさまに出ていて、連ねる文章に実に楽天へのあてこすりが含まれていてなるほど、こういうスタンスで雑誌はあるのかと伺えると同時に、こういう表現方法があるのかとあてこすり文を書いてみたい身にとっても勉強になる。

 「元々はプロ野球に興味はないと言っていた人が、外向きと内向きと言うことは違うとか、とても39歳の発想でないような大人のやらしさを漂わせ背広姿で名刺を切って回るのえある」って三木谷浩史さんへの形容文。なるほどねえと唸らせられる。ライブドアについても異論に疑義を挟むけど、盛岡出身と聞いてなるほどと頷かせられる風貌の、26歳の熊谷史人副社長が、的確でなおかつ熱を持った言葉で野球参入への想いを語ったやりとりを連ねてアドバンテージを付与。でもってラストに「楽天というドス黒い顔の恋人がそこに現れるのだろう」と結んでみせて、筆者の主観でもってライブドアと楽天の違いを際だたせる。いっぱいスポーツ関連雑誌は読んできたけれど、ここまで楽天のことをストレートに揶揄した文章は見たことがない。

 読んだ楽天側が何かを言うのか興味もあるけど、書いてあることが本当だったら「機構は著名教授を父に持つ行儀よろしい孝行息子の出現にうんうんうなづく」そーなんで、金持ち喧嘩せずの例えに倣って無視を決め込み結論を出るのを待つんだろー。でもってそーした「大人のやらしさ」をまたしても本郷さんなり「スポーツ・ヤア」に指摘され、永遠の平行線を辿るとゆー寸法。不毛だなあ。続くページでは玉木さんが松原徹・プロ野球選手会事務局長と対談していてここでも玉木さんが楽天の登場に現在の経営陣の陰を見る言葉を話してる。出来ればだったら楽天球団のGMに就任したマーティ・キーナートさんに、同じスタンスで玉木さんに突っ込んでもらいたい所。”適地”への効果に楽天側が応じるかどうかは分からないけど、編集の人には頑張ってとお願いしよー。

 「ニンテンドーDS」面白そー。なのはうっすら分かってはいたけれど、具体的にいろいろ出来るってことが示されて来て、なるほどこれならさらにいろいろできるかもって可能性の期待が涌いてくる。TFTホールで行われた体験会。宮本茂さんが取りだした、犬を育成するゲームはただ育てるだけじゃなく、音声認識機能を使って呼びかけると画面の中から犬が近づいてくるよーになっていて、パソコンや家庭用ゲームでやっとだった機能が今や携帯ゲームでも出来るのかって驚かされ、それがこーゆー楽しいゲームとなって登場してくるのかって感心させられる。外でゲーム機に向かい呼びかける気恥ずかしさを払拭できれば完璧に新しい市場を獲得しそー。

 猫のファンとしては是非に猫でもって育成ゲームをつくって欲しいところだけど、呼びかけて寄ってくる猫ってのも想像できないんで、また別の機能でもって猫の育成をやって欲しいもの。あと犬の育成なんかだったら例えば上野動物園へと出向くと、無線LANのシャワーでもって「DS」にデータを送り込み、遊んでいる育成ゲームに上野のパンダやライオンや象が現れ、育てた犬なり猫なりと遊んでくれるよーな機能があったら楽しいかも。あるいはペットフードのお店に行くと、画面にペットフードが出現して犬たちが喜ぶといった具合。ゲームの飼い主はリアルに飼ってる犬のためにそこでペットフードを買っていく、ってなれば新しいプロモーションなりマーケティングの手法が「DS」上に生まれて来ることになる。果たしてどんな進化を見せ、どんな真価を発揮してくれるのか。ホント目が離せなくなりました。をを今西さんが歩いてる。


【10月6日】 記者会見で楽天東北球団とやらのGMに就任が決まったマーティ・キーナートさんが「日本で真っ当な運営をしていた球団ってどこよ?」と聞かれて出てきた球団が「オリックス・ブルーウェーブ」だったことはえっと、どこかに書かれていたっけか。”盟友”の玉木正之さんがこのところの球界再編で悪玉ナンバー2か3に掲げている人がオーナーの球団をなぜに挙げる? って疑問が何より先に立つ。

 ってかあの球団、今どうこうってよりもすでにして2000年にイチロー選手をシアトル・マリナーズに売った金を、球団経営の足しにじゃなく会社の方でガメちゃったって話も伝わるくらいにプロ野球の経営に関して不思議な部分が多くありそーな評判なんだけど、説明だとキーナートさんあの球団はファンサービスって部分ではいろいろ結構やっていてそれがお気に入りだったみたい。太平洋クラブライオンズでちびっ子友の会を真っ先に作り楽天球団でも学校周りを最初にしたいと言った人らしー視点だね。

 穿って深読み裏読みすればこれからボスとなる人で、GM就任を依頼される際に会って離して尊敬に足る人物だと分かったと激賞していた三木谷浩史・楽天社長を財界の側に立って支えるオリックスのオーナーを持ち上げたかったんじゃないかとか、三木谷さんが本当は本拠地を起きたかったって思われている神戸への先取りしての親近感の表明だったとか、挙がる理由はいろいろありそーだけどここは「グリーンスタジアム神戸」ってゆーキーナートさんがこよなく愛する大リーグの球場の雰囲気にとっても近い、芝生で内野席のフェンスも低い球場を本拠地にして来た球団への、オマージュと見ておくのが健康的で良いのかも。ちなみに日本で好きだったチームは福本とか山田とかブーマーとかがいた阪急ブレーブスだとか。V9時代のジャイアンツって言わない辺りにパシフィック魂が見え隠れ? やっぱりブルーウェーブへの配慮?

 旧徳間ホールで「トップをねらえ2!」の第一巻完成披露試写を見物。16年とやらぶりに登場する待望の新作にきっと長蛇の列で会場に入りきらないくらいのマニアが押し掛けるかと想像したけど案外に、静かな試写で「新世紀エヴァンゲリオン」の通称「夏エヴァ」を虎ノ門のホールで見た時みたいな一般試写のよーな熱気は、あんまり感じなかったけどそこはOVAだから仕方がない。妙に話題になり過ぎて期待が膨らみすぎてその期待とギャップが出て、いろいろ言われてしまうよりはひっそりと世に出て口コミでもって面白さが伝わって、尻上がりに良くなる方が作品の寿命も延びるからこの静けさおをむしろ吉としよー。

 もっとも結論から言えば山と期待していてもその期待を上回り覆してくれるくらいのパワーと面白さを、この「トップ2」は持っているからご安心。88年って時代にアナクロにも大映ドラマにもスポコンとロボットバトルをやってウケを取りつつラストに大きな泣かせを持ってきて永遠のマスターピースへと昇華した前作とは違って、どちらかと言えば萌え全盛な時代にご期待に応える萌えを挿入しつつ前作が持っていたスポコン的な要素も少しづつ織り交ぜ、条件反射的に萌えを支持する層と前作のパロディ的なアナクロニズムを支持する層を両方取り込もうとしている節が伺える。なおかつそーした操作が気持ちに絶妙で、操られているって感覚をそんなに抱かされずにテンポ良く進む物語を楽しみ展開に浸れるよーになっている。

 鶴巻和哉さんだけあって動きはとっても「フリクリ」調。貞本義明さんんだけあってキャラクターもやっぱり「フリクリ」的だしメカも「フリクリ」に登場したメディカルメカニカの刺客メカっぽい形と動きと変形ぶりを見せてくれて、「フリクリ」のテンポの良さ絵の格好良さにシビれた見には問答無用の快感を与えてくれる。なおかつ物語の圧倒感。田舎から出てきた少女が宇宙パイロットになりたいって夢を叶えようと頑張る中でひとりの才能と出会い憧れ近づこうとする、その気持ちの向こうにひとつの新しい才能が生まれていくってありがちだけどだからこそ心に響くドラマが見ている目を惹き付け離さない。機関車で家出した主人公のノノが寝台車の車窓から見て感動する光景が、ありがちな展開を裏切ると同時にこの世界の状況、そこでのひとりの若者の憧れが何に向いているかを如実に現していてちょっと衝撃だった。

 試写の後に登場した監督の鶴巻さんは旧作のファンと新作しか知らない世代のどっちに向けて作るかを悩んだみたいだけど、その結論はしっかりと掴んだみたいで6巻ある中でおいおいと答えを示していくとか。注目して見て行こー。あと主役のノノを演じる福井裕佳梨さんがそのまんまノノの格好をしていて感銘感謝感動感激。太股まで来る白いストッキングと提灯ブルマー状態にすその締まった服との間に出来る太股の輪切り部分がとってもウィーンでフランクフルトでボンレスで、コスプレーヤーの日々の節制に向ける努力の尊さをふと想う。着られると想うな去年のコスチュームはやり廃りなどではなくて。

 これが築地のエスタブリッシュメントな新聞社だったら1部の値段を引き下げ1部100円にしたりこれまで出していなかった曜日にも新聞を出すよーにした上で、日々の鮮度が大事な紙面をあらかじめ事前に固定化した上で何が載るかを書いた広告を作って電車の中吊り広告として下げたらおそらく1世紀のスパンで見ても驚天動地の出来事と、話題になって評判を呼んで批判も浴びて世間を大騒ぎさせたに違いない。けどそこは生まれたばかりの自称ビジネス紙だけあって100円に値下げとなったことも、日曜版を発行し始めたことも思い付きで決まった企画が記載された中吊り広告が電車に下がりそんな脳髄で決定された企画にそぐう原稿が掲載された新聞が店頭にならんでいることもまるで話題にならないのはつまり、そーゆーことだったりするんだろー。

 悩ましのはそーゆーことだったりするにも関わらず、そーゆーことだってのを気付かず進軍ラッパの鳴り響く駐屯地の作戦室に籠もって大本営発表を耳にしただひたすらに前を向きっ放しの人たちが主流を絞めていることで、太平洋戦争でひたすらに大本営発表を聞き入れていた人たちが戦争に敗れ抱いた虚脱感、被った直接的な被害に想いを馳せるととっても胸が痛くなる。胃も痛くなるし頭も痛くなって髪もはらりはらりと抜けていく。なけなしの金をはたいた中吊り広告がもたらす一時的な売り上げも伴わない中身にやがて潰え元の木阿弥となる可能性のどれほどあるものか。想像するのも苦々しいけどこれが現実。未来や如何に? まあ見えているけどね。


【10月5日】 なかむらたかしさんと言えば、映画の「パルムの樹」がアレだったんでやっぱり鬱ストーリーのてんこ盛りに、これから冬へと向かいボーナスもやっぱり2割カットくらいで仕事は5割増しとゆー、とんでもない状況が大口開けて待ち受けているだろー事態も重なって、大きく落ち込んでしまうのかもって懸念も膨らんだ「ファンタジックチルドレン」だったけど、キャラクターこそ「パルムの樹」と同じ三白眼のなかむらたかしさん風少年少女でも、ストーリーの方はアクションがあって楽しげで、それでいて謎も結構深そうで追って行けばいろいろ楽しめそー。

 冒頭に現れたまるでポーの一族のよーな少年少女の物語と、後半の南方だかにありそーな島に暮らす少年と施設から逃げ出したとゆー少女との邂逅が、どう絡みどう重なりどう繋がっていくんだろーか。ポーの一族みたいな少年少女が見て驚いた、死亡した中年女性が描き残した風景みたいな抽象画みたいな絵画が意味するものは何なんだろーか。19世紀の過去と2010年代の近未来を挟んで行き来する物語の先に見える、おそらくは異質な存在と人間との共栄を目指し成し遂げ煌めくだろーメッセージに期待してしばらく追い続けて行こう。キャッチフレーズみたく21世紀の「未来少年コナン」になれるのか。なかむらたかしさんは宮崎駿さんに迫れるのか。期待大。不安も大。

 サカタのタネって種苗の大手メーカーが、タカラの「リカちゃん」とコラボレーションした新しい花を出すってんで発表会場の「COREDO日本橋」にある「GARAGE」に行く。2階のショップが模様替えしていてアメリカからの輸入雑貨っぽいものが結構増えてて赤池や高針や豊明にあった雑貨屋の「アルファルファ」を思い出す。リーバイスの501が安く売ってたんだよなあ、1980年代前半に。それはさておき花とリカちゃんってことで、どんな発表をするのかと妄想してこれはおそらくは、地面の上にはパンジーだかの花が生えているけれど、引っこ抜くと根っこがリカちゃんになっていて大きな叫び声を上げて、聞いた人の気を狂わせるってゆー幻もマンドラゴラリカちゃんを遂に開発したって話だと、決めてかかって行ったらまるで違ってた。

 もちろん花弁がリカちゃんの形をしているって話でもなく、ごくごく普通に開発された新しいパンジーの品種に、「虹色すみれ with Licca」ってリカちゃんの名前が入れられてるってだけで技術的なプレミアムは特になし。もっともパンジー自体にはいろいろなテクノロジーが反映されているそーで、普通は三色なすみれがこれは品種で5色あって、それぞれが光の加減できらきらと煌めいて見えるらしー。7色に輝くから「三色」ならに「虹色すみれ」。それだけ充分にアドバンテージがありそーなのに、更に「リカちゃん」のブランド名が乗ったのは、最近の花卉はブランドが乗っていないとユーザーに届かないから、らしー。

 ただの新しいパンジーでは、いくら色が優れ育成しやすく強いって特性があったとしても、それだけではユーザーには届かない。「リカちゃん」と付けることで女の子から男の子から「リカちゃん」を知る日本のほとんどの国民に存在が伝わることになるし実際、記者会見には大勢の報道関係者が集まったことがそのコラボレーションの効果を現している。人形のファンがパンジーを買うかは知らないけれど。一方でタカラの側も「虹色すみれ」をイメージした特製の「リカちゃん」を発売するとかで、ドレスの胸の当たりにパンジーが散りばめられた外観はキュートでゴージャスでちょっと欲しいかも。これを埋めると頭から芽が出てパンジーが咲くって仕掛けがあればさらに凄かったんだけど。でもって引っこ抜くと悲鳴が(止めなさいって)。

 楽天が東北に作ろうってしている球団のゼネラル・マネジャーが決まったってんで会見に行く。日本に詳しい外国人ってことで真っ先にデーブ・スペクターさんが思い浮かんだけど彼は実は日本人なんで(ってうわさが前に立ったんで)除外してだったらケント・デリカットさんかケント・ギルバードさんかって妄想したらスポーツジャーナリストでコメンテーターでもあるマーティ・キーナートさんだった。それでも最初はスポーツに詳しい外国人を呼んだだけだろうって目線が斜めになったけど。調べもらった経歴を見るにつけ、これほどまでに最適の人材は他にいやしないかもって思えて楽天の勝利にかける執念も同時に感じさせられた。

 スタンフォード在学中の1965年辺りから日本に来て69年からさらに再来日。アメリカでカリフォルニア・リーグのチームのGMをしたり日本で太平洋クラブライオンズのアトラクション担当責任者をしたりデサントのライセンスやミズノの国際マーケティングの仕事をしたり米マイナー・リーグ2Aのチームの社長とGMを務めたりと、単に野球に詳しい外国人ではなくって本気でスポーツマネジメントを手がけた経験を持ち、野球をとことん愛している人が真打ちにして本命として楽天側に付いたって事実は、NPB(日本プロフェッショナル野球組織)がこれから行う審査でもアドバンテージになりそー。対抗するライブドアの堀江貴文さんがだったら誰をゼネラル・マネジャーに起用してくるかに興味。野球好きを公言して映画まで作ったケビン・コスナーだったらインパクトでキーナートさんを上回れるんだけど、無理だよなあ、誰かいないかなあ。


【10月4日】 果たしてその衣装センスをどう評価すれば良いのだろうか。後藤圭二さんに門之園恵美さんとゆー黄金のコンビを監督&キャラクターデザイン&総作画監督に迎えて始まった「うたかた」なんだけど鏡のな中から現れる舞夏(まなつ)ってキャラクターの魔法少女っぽい衣装が微妙にパチもんの魔法少女っぽくって、他が普通の制服だったりする中で返って悪目立ちしてしまってる。服が赤で髪がグリーンってのもパチもん感を増幅している要因かも。

 もっともそーした似非っぽさが鏡の中から現れ一夏って主人公の少女と絡む展開の、単なる魔法少女ではない何か得体の知れなさを伺わせる遠因にもなっているからあるいは計算づくなのかも。押し掛け魔法少女に見えてあれこれ裏がありそーで、なおかつ月光の下に現れた謎の美女もいたりしてこれからの展開であれこれ精神に響くストーリーを見せては、この秋にウンザリする程登場してくる美少女の伝奇だか魔法だかSFだかファンタジーな世界での活躍アニメにあって違ったビジョンを示してくれるものと期待……できるかな。させてくれよ。

 平目な者共の上目遣いな視線をのみ唯一絶対とする組織での徒労にしか終わらない業務に絶望感を抱いて読んだ日曜版の朝日新聞に掲載されていた井家上隆幸さんの「ベストセラー快読」に世間から異論出没とのこと。なるほど綾辻行人さんの「暗黒館の殺人」を解読したコラムに付けられた「長大重厚なライトノベル」って見出しから受ける印象は、ひとつに綾辻さんの大作をいわゆるティーン向けのライトノベルと表して揶揄り、ついでに揶揄すべき小説としてライトノベルを持ち出しているってことかもしれないけれど、読めば単純にティーンが好んで読むライトノベルには長い小説が多く、だから長大な弁当箱の如き小説はライトノベルなのかもね、って言っているに過ぎないって分かるんで、とりたてて反発心は起こらなかった。

 むしろ気になったのは「暗黒館の殺人」をライトノベルの主読者であるティーンが読んでいるのかって点で、そのあたりをとりたててデータも根拠も示さずに、「分厚い”お弁当箱本”が若い人にバカうけしても不思議じゃない。軽薄短小はけーたーで、長大重厚の遊びは活字でと、楽しみをふりわけている」と言ってしまって果たして良いのか悩む。ライトノベルを主に読んでる中高生が足して3000円もする「暗黒館」を好んで読むとも思えないんだよね。だから何10巻にも及ぶライトノベル読者が好んで読むから「暗黒館」はライトノベルって論旨にはいささかの懐疑を覚えてしまう。

 あとライトノベルが長大重厚なものって妙な誤解を井家上さんが持ってしまっているっぽい節があるのも気になるところ。茅田沙湖さんやら笹本裕一さんやら水野良さんやら深澤美潮さんやら10数巻から何10巻にも及ぶシリーズを発表している人もいるけれど、今時のライトノベルでそーゆー長い作品は決して主流とは思えない。コバルトやホワイトハートにはそーゆー作品と読者がいるけどそれは少女小説の系譜であって今の電撃スニーカーファンタジアMFスーパーダッシュといったレーベルで、10巻前後はともかくとして何10巻にも及ぶ作品が主流になっているよーには見えない。

 主流にはなっていなくても存在しており根強い支持を集めているシリーズがあることは否定しない。けどそーした長さを一気に読む人はいない。何ヶ月かおきに発表される1冊また1冊をゆっくりと読んで来た結果が何10巻でしかない訳で、1200余ページが一気に現れる”お弁当箱本”に人気が集まる理由に、ライトノベルの隆盛があるとは一概には言えない。むしろ純粋に長くても読んで退屈しない面白さがあったこと、長く待たされ飢えていたことが「暗黒館の殺人」をベストセラーに押し上げたんだと、素直に理由を考えた方が気持ちも良いし事実にも近い気がするけれど本当の所は不明。とりあえずは井家上さんの考察が他の作品にも適用されるかを考えた上で判断したい。


【10月3日】 大阪でガンバ大阪とセレッソ大阪の大阪ダービーが開かれた後にL・リーグの試合が行われて1万1000人のJリーグの観客から約1500人が残って観戦して、L・リーガーたちも「観客の多さにびっくり」したって記事が朝日新聞に載ってたたそーだけど読んでアレ? っていろいろ不思議。栄えある大阪ダービーでそのうちガンバは優勝だって狙えそうな位置にいるにも関わらず、1万1000人しか集められない関西のJリーグ事情にまず吃驚。万博のキャパってそんなに小さかったっけ? 違うよなあ。なのにこの人数。味の素スタジアムの東京ヴェルディ1969とヴィッセル神戸戦よりも入ってない。

 でもってそのうちの1500人がL・リーグを観戦したってゆーけど1500人は今年に限って言えば決して多い数字じゃない。7月25日のTASAKIペルーレと日テレ・ベレーザの試合は遙か彼方のスタジアムでも2000人近い観客を集めたし、埼玉での国体も決勝に数千人が訪れた。後座だから集まったって言うよりむしろ、後座でもこれだけしか残らず1万人近い観客は帰ってしまったって事実を見た方が、未だ決してメジャーではない女子サッカーの実態を現していんじゃなかろーか。女子サッカーは客が少ないけど客のいっぱい入るJリーグの後でやったらこんなにはいりましたって、決めておいたストーリーにハメ混みすぎな記事って気がする。得てして新聞記事ってのはそんなもんだけど。そうじゃないって現場が行っても聞かない編集幹部(年寄り)が多い関係で。

 これが例えば試合終了後のガンバの選手が残ってスタンドでいっしょにスペランツァF.C高槻を応援するってんならもーちょっと、観客も残ったかもしれない。そーゆー義務はJリーグの選手にはないし試合で走って疲れているんだろーけれど、そこはナニワの心意気って奴でいっしょにサッカーを盛り上げて行こうって雰囲気でも、見せてくれたら嬉しい気がする。それとも何人かは残って見ていったのかな。そーゆーことが自然に出来る選手がいっぱい出てくると、女子に限らずサッカーももっと盛り上がり浸透して行きそーなんだけど。

 後座は10月23日の東京ヴェルディ1969と清水エスパルスの試合の後で日テレ・ベレーザと宝塚バニーズの試合が確か予定されていたけど元パナソニックな高槻と違ってベレーザは今でもヴェルディの妹分。なんできっと国立ゴール裏に陣取った緑の壁はそのまま居座りベレーザに向けて声を出し、1万人とかの観客数でもってL・リーガーを後押ししてくれるものと信じたい。迎えるバニーズは前に埼玉スタジアムで見た1人だけの太鼓隊しか来ないのかな。エスパルス陣営には是非にサポートをお願いしたいけど、違い過ぎるもんなあ宝塚と清水ではフランチャイズが。

  21世紀も4年近くが経とうとしているこの時代にまさかかがみあきらさんの表紙の本を新刊として本屋で買うことになろーとは。それがかがみさんを見出した大塚英志さんの編集する「コミック新現実」(角川書店)であっても没してから20年、ずっと忘れられ放っておかれが状況を見てきている身にとっていささかの唐突さは感じないではいられない。90年代の古書店を回ってアニメージュコミックは100円均一、ほかのも300円とかそんなもんで投げ売りされていたくらいに知られていない漫画家で、知らしめようって動きもなかった漫画家さんを今、なぜ大塚さんが敢えてフィーチャーしよーとしたのかがとても気になる。

 つまりそれは美少女がいてメカがあってSF的な物語の上で融合するって今の、アニメーションやら漫画やらゲームやライトノベルに欠かせないどころか主流になっている構図の源流であり、また後に登場したこれらメカ美少女のアニメに漫画に小説にゲームの多くがかがみあきらさんの目指したものを超えていないって苛立ちを、ここに至って大塚さんが抱いて手前ら何やってやがんだと挑戦状を叩き付けたってことになるんだろう。「けれども一つだけ言えるのは、あの夏から今に至るまで、かがみが描き得たかもしれない『正解』に、誰も至ってはいないということだ。唯一の例外がガイナックスの『新世紀エヴァンゲリオン』だった、ということは認めるにしても」って文章がそれを言い表している。

 気になるのはだったら本当にかがみあきらさんは時代を変えたか変え得た存在だったのか、ってことで同時代で親しんでいた僕には面白かったって感想はあっても松本零士さんがいて吾妻ひでおさんがいて萩尾望都さんがいて聖悠紀さんがいて藤原カムイさんがいた1980年代前半の読書歴の延長に連なり得た名前かってゆーとちょっと判断が難しい。ビジュアルは良くてもドラマはどれも短編で断片的で、ドラマと融合して伝わって来る感動がそれほどなかったからかもしれない。そんな断片的な短編でハマった僕みたいな人間も多くいたりする訳だから、その意味では衝撃的な存在だったのかもしれないけれど。

 だから今の10代の人には「コミック新現実」に掲載されたかがみさんのイラストなり、あぽ名義で発表された「ワインカラー物語」の漫画を読んでどう思ったのかをどしどしぶつけていってやって欲しいもの。自分たちが同時代的に好み支持して来たものを否定されたことに憤った人から、異論反論を呼び起こし例示を挙げて”大塚史観”を打ち砕こーとする動きが起こったらそれは、かがみあきらさんの呪縛に未だ囚われている僕にとっても面白いし興味深い。波風が立ち議論百出した果てに新しいものが生み出されるよーになれば、業界も嬉しいしユーザーも楽しいってものだし。もっとも大塚さんにはそーした挑戦状的企画に波風を立てる以上にかがみあきら再評価の方を優先している節も。あとがきの所で「特集は次号でもやる。角川が、かがみあきら全集の企画を通してくれるまでやるのである」って書いているから本気度は結構高し。僕はもちろん支持します。何号だってやってくれ。いっそ全編かがみ作品で出してしまえ。

 とはいえなあ。大塚さんが挑戦状を叩き付けたくなる気も分かるかなあ。なんてことを考えてしまった新番組「神無月の巫女」。まずはベッドで下着を見せつつ転がり着替える美少女がいて、彼女が学園きってのお姉様からごきげんようって挨拶をもらって別のお姉さまとも親しげにしていて、これはいわゆる「マリみて」のサブジャンル的アニメすなわちパチもんかと、半ば小馬鹿にしつつ見ていた後半になって仰天。突然現れた巨大なロボットが美少女を襲い別の得体の知れないメカが町を襲い始める展開に、何事が起こったのかと目を見張る。なんだこりゃ。

 いったんは謎の勢力に取り込まれた少年が、とりたててきっかけもないうちに気を取り直して美少女の味方に付く唐突きわまりない展開のスピード感に唖然。美少女二人が接吻する横でメカに載った男が美少女を護るぞーっと吼える、錯綜著しい構図が繰り出されてさらに呆然。萌えと燃えとが同じ平面で融合もせずに重なり合うかつてないアニメーションがこの先さらにどーゆー錯綜を見せるのか、興味が湧いて1話で見捨てよーと思った気分を練り直す。かがみあきらさんは超えてはないけど得体のしれない何かは見せてくれそー。

 それを思えばサンライズだけあって「舞−HiME」の方は美少女が妙な宿命に巻き込まれる形で謎の美少女を助け別の美少女と戦うハメになるってストーリーに唐突感はなく、絵はちゃんと骨格が中にありそーな立体感のあって起伏にも富んだキャラクターがしっかりとしたデッサンの中を良く動いていて目にも安心。とはいえ来週以降は学園者へと至って謎の美少女に別の美少女とほかにデコピンで眼鏡の美少女やら、その他大勢の美少女やらがわらわらと出てきてあれやこれや白百合で黒薔薇な展開になりそーで、予告で言うところの「もえ」が「燃え」が「萌え」かを確認する意味でも目を見開いて成り行きを見守ろう。しかし何故にサンライズまでもが王道覇道とゆーより脇を行く、こーゆージャンルのいかにもな深夜アニメに手を出すかなあ。パッケージがビジネスになるって踏んでいるのかなあ。どっちにしても成り行き確認。

 「プラモデル・ラジコンフェア」で12分の1スコープドッグとキリコのフィギュアを見てこれとDVD−BOXをセットで買ったら幾らになるかと皮算用して骨と皮だけになり、レッドドワーフ号のモデルやらナイトライダーのモデルやらミラーマンのスーパーフェニックスだかのモデルやらが出ているのを見て時代はまだまだオタクに優しいと感じ入る。エスカレーターで海洋堂の宮脇修一専務とすれ違いつつ「東京国際フォーラム」で開かれた「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」の第一話の試写を鑑賞。新しいガンダムが6体あってそれぞれがライオンやらクマやらから変形して、なおかつ中央に巨大なゴリラを置いて合体してはゴッドガンダムへと変身する場面に唖然……とはしなかった。けど驚きの連続であったことは確かなんで9日はみんなテレビの前にかじり付いて見るべし。21世紀になって池田秀一さんの池田秀一さんによる池田秀一さんのためのキャラクターを見られるとは。神様感謝します。


【10月2日】 家にいたってBSが入らないんではイチロー選手が大リーグの年間最多安打記録を達成してうち破る場面は見られず悔しい思いに一生を苛まれて過ごすことになりそー。これはイケナイと起き出し仕事と称して(いや本当に仕事なんだけど)水道橋にある「ベースボールカフェ」へと出向いて食事をしながらモニターでイチロー選手がヒットを打つ場面を見物している大リーグファンかあるいは「ラクーア」に遊びに来て食事を楽しんでいる親子連れの姿を取材する。ふりをしてしっかりとモニターでイチロー選手の打席を見る。

 午前11時オープンのカフェには30分くらい前から三々五々とお客さんが集まり始め、同時にメディアもテレビ局に新聞社がやって来てはそれぞれに機材のセッティングを始める。やがてオープンとなってお客さんが入って来たのは良いんだけど、折角の晴れ舞台に相応しいシアトル・マリナーズのユニフォームを着ている客はまったくゼロで唯一Tシャツを着ていた青年がいたけどボールキャップを被った客もやっぱりゼロ。ユニフォームとキャップを揃えていたのは取材で行った僕だけとゆー事態に日本人、祭りの楽しみ方を忘れてしまったのかと寂寥感に打ちのめされる。

 もっとも取材と偽らず(取材だってば)素直に客として並んで入場していたら、テレビに撮られ新聞に聞かれて世界に恥をさらしてしまったかもしれないから良かったのかも。とは言え取材している背中をしっかりロイターのテレビカメラに撮られてしまったから、あるいはすでに世界に「ICHIRO」と書かれた星条旗入りのユニフォーム姿を放映されてしまったかもしれない。つばを後ろに回してユニフォーム(ロード用)を着て「ベースボールカフェ」を歩いている野郎がいたらそれが僕だ。ついでに「ジェフユナイテッド市原vs浦和レッドダイヤモンズ」の試合で「国立霞ヶ丘競技場」にも行ったからそっちで撮られてしまっているかも。それはないか、こっちは冨永愛さんが誰より目立っていたから。

シレーヌより不動明よりビールが大事と思いたいし実際大事だ。  何があったってそれは東映が来週だかに公開となるものの業界的には極めていろいろだったりする映画の「デビルマン」をここに来て大々的に宣伝しよーと、試合会場を乗っ取って、じゃない試合とタイアップしてポスターとはったりシレーヌを演じた冨永さんを招いてトークショーや花束贈呈をしてもらったりして一般に、「デビルマン」って映画があることを教えよーとしたんだけど、でもなあ、オーロラビジョンに流れたデビルマン不動明とサタン飛鳥了のポン酢な演技が集まった3万人近い人たちの前で白日の下にさらされてしまった訳だからなあ。果たして効果があったかなかったか。結果は来週にも出るでしょー。

 あるいはデビルマンマッチデーのイベントにお金を使うよりも冨永さんが巴里在住の日本人と付き合っていて、すでに妊娠してるんだって事実が明らかになったことの方がよほど、映画の宣伝になっていたりするのかも。場内に張られたポスターのシレーヌなんてとにかく細くってそれでいてグラマラスで、この体のいったいどこに赤ちゃんが入っているんだろうって想像してみる楽しみがありそーだから。おそらく映画のシレーヌのボディはCGで本人の肌も姿態の形もまるで残っていないんだろーけど、聞いて聞かないふりをすればこれで結構楽しめる。ほら、アイコラだってボディと顔は違ってもそれなりに楽しめるじゃん。好きだった女の子の写真を卒業アルバムから切り抜いてヌード写真に貼って眺めて楽しめるだけの想像力を持った人なら安心して映画館にゴー、だね。

 ってか実物の冨永愛さんもCGのシレーヌに負けず劣らず細くって、試合の前にコンコースでインタビューに応じていた姿を遠巻きにして眺めてその細さ、でもって手足の長さにただただ圧倒されて、これにいったいどこに入っているのか触って耳近づけたい気持ちにかられたけれどやったら長い爪で頭鷲掴みにされてしまうからやりません、ほらだってシレーヌだし。テレビ画面越しに見ると目線とか冷徹そーだったけど生の冨永さんは目こを厳しそーだけど口元はいつもゆるんでて笑顔が絶えなくて、見ていると幸せな気持ちになれました。けどそれがシレーヌにあっているかというと微妙。ポスターのシレーヌも冨永笑いしてて厳しさが足りない感じがするんだよなあ。

 肝心の試合の方はノーコメント。というよりコメントする気にもならないくらいの完敗。確かに惜しい攻撃はあって何度かレッズのゴールマウスを脅かしてはいたんだけど決定機を決められず逆に簡単なミスをしては味方ゴールを幾度となくピンチにさらし、そのことごとくを決められ気がつくと一挙4点とかの差がついてしまって万事休す。最初は悔しがっていたイビチャ・オシム監督も最後の方はベンチにすわりっぱなして動かなかったから、最後尾から中盤から前線までが一帯となって吶喊していくレッズの攻撃力の怖ろしさってのを、目の当たりにして諦観してしまったんだろー。レッズはアルパイ選手も良いしなあ。ジェフはミリノビッチ選手が最高だったけど1人ではいかんせん守れません。衰退するジュビロ磐田に代わってサッカー界の名手はレッズに移ったか。名古屋グランパスエイトの先にレッズが行くことを許さない頑張りに今は期待だ。


【10月1日】 ビジネス紙ってことはつまりビジネスに役立つ情報を伝えるのが役目なはずなんだけどどこでどう論理がブラックボックスへと入り込んでは増幅されて出てきたか、スポーツとか芸能とか事件といった物事を伝えそれも本筋ではなく脇の些末な金の話を掲載するって方針が出ていたこともあって銀座の松坂屋で展示が始まったイチロー選手のバットを見物に行く。午前4時半から起きて試合を見ていたんで既に今日は大リーグの最多安打記録にあと1本まで迫っただけってことは知っていたんで、どれほど集まるのか心配したら案の定、ってゆーより場所が銀座ってこともあってか来店する年輩者にそれほどイチローへの興味がなさそーで、ショーケースに近寄りバットに見入る人をなかなか写真に収めらない。

 それでも別に1本、触れられるバットが用意されていたこともあってだんだんと近寄ってはバットを手に取り重いとか、細いとかいった感想を言う人も出てきてそれなりにそれなりな写真を撮ることができた。子供は来たしサラリーマンは来たし巨大な外国人もやって来てはバットを持って振り回して良い絵になった。これで一仕事完了。ちょろいねえ。それにしても細身だったイチローモデルのバット。ミズノが誇るバットマイスターの久保田五十一さんが削る200人近いプレーヤーたち向けバットの中でも規格外の細身らしく、他が63ミリから65ミリといった太さがあるのに対してイチロー選手のバットは61ミリしかないらしー。

 それでいてそれほどまでに細いバットの芯をちゃんと喰ってボールにバットを当てられるスイングのコントロールの凄まじい巧みさを強く思い知らされる。これを人気選手のモデルだからって使って果たして子供は未来の好打者になるんだろーか。最初はまるで当たらずそのまま野球を辞めてしまう可能性もあるからなあ。意思の強い子にだったら贈っても大丈夫なのかなあ。

 続いて数寄屋橋界隈で開かれた共同募金のキックオフイベントを取材。本筋の方の構成労働大臣とか、ポスターガールの石原さとみさんとかが並んで募金を受け付ける取材は早々に切り上げて、スクランブル交差点を挟んではす向かいにある数寄屋橋公園へと移動しては「ウルトラマン」に「ウルトラセブン」に「ウルトラマンネクサス」って新しい仲間の3人(3ウルトラマン)が女子中高生に混じって募金を受け付ける姿を写真に収める。大臣よりアイドルより関取より松金よね子よりウルトラマン。これ当然。当然だろ?

 1966年だかそんなもんに古い「ウルトラマン」や同じくらいに古い「ウルトラセブン」を果たして中高生のそれも女子が、知っているのか疑問だったけどそこは世代を超えて受け継がれているキャラだけあって、見ても違和感を覚えずむしろ親しみを感じて一緒に募金を行ったり、先生にカメラを渡して一緒に写真に収まっていた模様。「ウルトラマンラロウ」のテーマソングを口ずさんでた生徒もいたし。リアルタイムで見たのかな。だとすれば既に30歳は越えているな。それで女子高生? ちょっとすごいかも。でもちょっと見たいかも。叩くとひび割れて落ちる顔のファンデーション、とか。

 銀座の柳の下を全身真っ赤なフォルムでもって闊歩しているウルトラセブンってゆーある意味シュールな場面を目の当たりにして、異質なものであっても受け入れる精神の重要だけでも結構大変なのかもしれない現実に思いを馳せる。その一方でいっしょに募金をしている現役女子中高生のそれもリアル眼鏡っ娘が何人もいて、ウルトラマンたちを見る振りをして間近にそんなリアル眼鏡っ娘をまじまじと見られる至福に、金曜の昼前の明日からは休みだってことで普通の会社員だったら気持ちも浮き立つ時間に朝からの仕事が続き、なおかつ明日からも休めそーもない悲しみをちょっとだけ忘れられる。

足腰表情に歳は出ても脳髄未だ衰えず。迎える有村とおるさんも14年後に健在の執筆を  セルの眼鏡っ娘もいれば金縁もメタルフレームの眼鏡っ娘もいてと選り取りみどり。素顔が美人かって言われると客観的相対的にはあれだけど、主観的には眼鏡っ娘であることがすなわち大きな価値。最大限の価値。なので3人並んだ女の子のうちの2人が眼鏡っ娘なビジュアルに脳天から逆落としを喰らったハッピーな気分を味わいこの至福が永遠に続けば良いって心底願ったけれど、イチローがオリンピックで田代逮捕を本筋ではなく牽強付会のニュアンスも含み持ったメディアがそーした緩さを許す訳もなく、他の仕事へと引っ張り込んでは相変わらずの膨大な量の原稿を書かされるのであった。リアル眼鏡っ娘は心の糧としよー。誰だオカズとか言う奴は。

 近づいてくるのは支えられつつゆるゆると歩く御仁。表情は精悍さとは逆のどこか遠くを見るような曖昧さに満ちていて、70歳を越えて後、というよりは1995年の阪神・淡路大震災をくぐり抜けて以降、どこか1つステップを上がってしまったかの如き泰然ぶりに果たして、そこより生み出される知性と洞察力に溢れた言葉はあるのかとふと、心配してしまったけどこれがどうして、「第5回小松左京賞」を受賞した有村徹さんを讃えによしょよしょと壇上に上がると言葉はよどみなくユーモアも含まれ立て板に何とやら。変わらぬ脳髄の矍鑠ぶりに人間ブルドーザー小松左京氏、まだまだ創造の泉枯れず何かをやらかしてくれそーだって期待も踊る。

 何しろ今回の受賞者は小松さんとわずかに14年程度しか生まれた年の違わない有村とおるさん。僕よりも小松さんに年齢の近い来年還暦という身ながらIT関連企業に勤めた経験に人生の記憶も折り込み、イタリア文学を学んだ小松さんをして文学の香り立つ作品だと言わしめた物語を書いて応募して来た訳でこれを見て、自分もまだまだ頑張らなくっちゃと思ったかそれとも、これなら後は任して良いと思ったか。ともあれ60歳近くになっても物語を書き受賞できるんだってゆー事例を得て中高年のSFファンもひとつ希望が持てたのでは。50歳でライトノベルの賞をとった人もいるし。書くんだそして出すんだ。

期待されつつ前半はいまいちだったマミちゃんもいよいよ開眼か  主催する角川春樹事務所の創立○周年といつも合同の会だけあって参集する人たちはSFじゃない作家に出版・流通関係者に株式公開をめざす会社らしく金融・証券にも及んで多種多様。そんな相手に今の角川春樹事務所を紹介する役目も負っているパーティーだけに、ステージでは1年くらい前に創刊された雑誌が急伸したってことで社員が表彰を受けていたり、これから売り出すキャラクターのショーが行われていたりといわゆる文学賞のパーティとは違うノリを味わえる。っても文学賞のパーティなんて他にあんまり出たことないから知らないけれど。

 驚いたのは去年出た「ポップティーン」よりちょい上の世代を狙った雑誌がピークで25万部を売る雑誌へと急成長を遂げたこと。登壇した編集長の人が「準備に2年かけた」と言ってそれだけのリサーチをかけてこそ、何が求められているかを見つけだしそれに向けて情報を送り出せるんだろー。準備期間わずかに1カ月で実質週刊誌の日曜版を出すのはつまりは極めてチャレンジブルってことか。そりゃチャレンジブルだよなあ。1日前ですらまだビジネスマンがターゲットなのか、家にいる家族や週末をショッピングやレジャーに行きたい女性がターゲットなのかを誰も分からないんだから。

 またずらり並んだ編集部員の若いこと。編集長もそれほど突出した歳ではなく、つまりは読者が何を求めているかを肌で知る面々がそれを、余計なサラリーマン的上目遣いなんか関係無しに作ったからこそビビッドに、ダイレクトに読者に届いたってことなんだろー。50歳を過ぎて世間のトレンドをワイドショーと新聞からしかとれない中高年が、思い付きをばらまき日々異なるアイデアを降らせては現場を右に左に振り回すことは会社組織的には正しくってもビジネス的には……ってことか。

 パーティは続く。今までだったら普通に横長のステージだったものが縦に付きだしたウォーク部分が作られていて妙だと思ったら案の定、ファッションショーみたいなアトラクションが控えていたみたいで角川春樹事務所がこれから漫画で、そしてキャラクターや映像で送り出したい「ぎゃる侍」とやらをアピールするため和風の衣装に身を包んで日本刀をひっさげたモデルが次々に登場しては、その姿態をさらしてくれてなかなかの眼福を味わう。

 なるほど一種のコスプレギャルではあるけれど、女性を主体に虐待やら別離といった経験から醸成されたパワーや感情を、”侍”のスタイルに込めて発散させるって展開は、おたく的な萌え構造とは似て真反対のどちらかといえば(言わなくっても)ガールズコミック的シチュエーション。なのでおたく的にはどーゆー受け方をするのか分からなかったけど、きっとしばらくするとガングロでも着ぐるみでもない侍なギャルが渋谷センター街あたりを闊歩して、辻々で日本刀でもってチャンバラを繰り広げる風景が、見られるよーになるんだろー。でもそれだと全員銃刀法違反でタイホか。潰した模造刀でも叩かれれば痛いから使うならそっちを。男どもを辻斬り追い剥ぎしたりして。

 画が末松正博さんってつまり「右曲がりのダンディー」の末松さんってこと? 多くの若者にわたせせいぞうさんとはまた違った、80年代的ライフスタイルのひとつの形をパロディ&ギャグの中に込めて提示してみせた末松さんが10年の沈黙(もちろん仕事はしてたんだけど目に届かなかったから)を経て21世紀のギャルのライフスタイルを描くってのは面白いおもしろい。平面ぽい印象のあった絵も立体的で骨格も通って可愛くスタイリッシュになってる感じで楽しみ。そんなイベントもあったパーティに更にお楽しみが控えてるってことでしたぎ侍(ただし3歳)とかはだか侍(ただし男子)が登場するかと目を見張ったら壇上に並んだ社員と角川春樹特別顧問のカラオケ大会だった。頑張るぞって気合いをアピールする意味で効果的。何より破天荒。この勢いで株式公開を果たし記者会見の席で角川春樹節を、頭のカタい記者にぶつけて圧倒してやって下さいな。見に行きます会社があれば。日曜版……。


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