縮刷版2003年8月下旬号


【8月31日】 スポンサーはタカラです。って紹介がなにやら今を暗示していたよーな印象を抱きつつ「デ・ジ・キャラットにょ」。プール話なんでいろいろあれこれ素晴らしい絵が見られるかと期待したものの、メインは鎧兜が闊歩する八つ墓チックな話で夏場に鎧なんてとその暑苦しそーな感じに汗が出る。でも身を挺しての人助けは良い話。こーゆーふんわかとしたエピソードが殺伐とした裏番組に比べてお母様方にちょっとばかりウケてる理由かも。そのウケが商品へと結びつく日を激しく期待、でじこリカちゃんとか、出さないかな(でじこ「BRATZ」もアリか)。

 Bパートは「カリフラワー祭り」が苦手で地球へと逃げてきて迷子になったでじこママ。親を想う子の心と子を想ってるのかどーかよく分からないけどやっぱり想ってる、みたいな親の姿に笑顔が浮かぶ。そーかでじこママはカリフラワーが苦手なのね、ブロッコリーはオッケーな癖に。いろいろとお祭りのある「デ・ジ・キャラット星」ではニンジン祭りもあるとかで、その時はニンジン嫌いなでじこパパが逃げて来る可能性があるとかないとか。声はやっぱり類人猿最強、だったあの男か?

 小川一水さん「第六大陸2」(早川書房、680円)を読みつつ「Lリーグ」の「さいたまレイナスFCvs大原学園JaSRA女子サッカークラブ」の試合を見に「さいたまスタジアム2002」へ。月に玉姫殿だか平安閣だか平安殿だかをぶっ立てるって夢にむかってばく進する民間会社の苦闘と苦悩を描いたシリーズの2巻目(なのに最後。だったら上・下にしなさい)は、着々と進んでいたはずのプロジェクトにNASAの横やりやら反対勢力の台頭やら、難題がつぎつぎに起こってその度にとん挫しそーになるところを、事故なら機転、圧力なら不屈の闘志と鬱屈した想いを過去に培った人脈でもってかわし跳ね返していく様が恰好良い。「秦ぁぁぁぁぁぁぁぁ」と叫ぶ青峰=織田裕二の声が聞こえて来ます。織田なのか?

 民間会社で月旅行って主題、とこっちが思い込んでいるものからちょっぴり飛躍するよーな、ラスト近辺の仕掛けが気になって、これが主題ならもーちょっと伏線とか冒頭からバラ蒔いていてくれれば、腑にも落ちてなおいっそうの宇宙的感涙を招いたんではなかろーか、とも想ったけれど1つ、1つ夢を現実へと引き寄せ可能にしていく段取りこそが持ち味の小説なんで、終わりの見えてる感動はやっぱり筋が違うのかも。事をなし遂げた後でさらにふりかかる新しい難題とそしてわき上がる希望に今度は人類がどう挑むのか、ってゆー意味で、なるほど「第六大陸」らしー構成でありエンディングであったと捉えている。それにしてもこれで完結、ってのは綺麗だけれどちょっぴり欲求不満も。小川さんには是非に「導きの星」とかで鍛えた異世界を空想する力でもって「第六大陸」後のビジョンを見せてやって欲しいもの。ダメなら野尻抱介さんが筆を継ぐとか。

 人っ子ひとりいない「浦和美園駅」からワールドカップ・ロードをこれまたただひとり歩いて「さいはてスタジアム2002」へと向かう。人通りがないためた設置してある自動販売機のことごとくが料金投入口を”バールのようなもの”でこじ明けられ、破壊されていたりしるのがいかにも田舎って感じを醸し出している上に、夏場で青々としげった里芋とかその他の野菜畑が広がっている、その向こうに超が付くほどに近代的な形のスタジアムが見える風景はなかなかに異様。まさに最果てって感じで、よくもこんな所に作ったもんだと文句をいいたいサッカーファンも県民もいそーだけど、船橋からいく分には実はそれほど遠くなく、むしろ「横浜国際陸上競技場」に比べてはるかに早く付けたりして、おまけにサッカー専用スタジアムとして身近に選手が見られるんで、この場所にあって全然正解だったりする。土屋さんありがとう。

6万人と超満員の透明人間が詰めかけた「さいたまスタジアム2003」。ウェーブが始まってるけど見えません、透明なんで  よーやくやっとスタジアム前につくといつも通っていゲートが閉まってて、もしかして間違えたかもと想いつつ北門に回ると開いてて店も出てたんで試合があると判明。入ると代表の試合とかがある時は人で溢れかえっているスタンドに人かげたまばらで、「Lリーグ」ってものへの世間の感心を薄さをここでも思い知る。サッカーどころを標榜していて大応援団を結成しては「浦和レッズ」を応援しまくってるのと、本当に同じ土地柄なのか。これで「レッズ・レディース」だったらサポーターも集まるのかな、でも「日テレ・ベレーザ」だってそんなに大勢は来ないから、やっぱりどこも事情は同じだったりするんだろー。

 家のどこかに埋もれて出てこない「Lリーグ」のプログラムを買いなおして選手の顔をか見ながら始まった試合を観戦。前半は正直眠たくなるよーな内容で実際少し眠ってしまった所もあったけど、後半に入ると涼しくなって元気も出たのか双方に良い攻めが出始め試合を見る興奮も高まってくる。サイドを突破しフォローに回しては中へと切り返しセンタリングを上げる、ってな見て迫力のプレーも数々あって、それがスタンドに近い目の前でピッチで繰り広げられる様に思わず「行けっ」って声も出る。

 試合は大原学園JaSRA女子サッカークラブも何度か突破を見せ、先取点になりそーな強烈なシュートをはなったもののバーに弾かれ残念無念。170センチと女子選手の中では長身の笠島由恵選手が鮮やかなヘッドでぶち込んでレイナスが先取点を奪うと、その後も何度か良い攻めを見せて大原学園のゴールへと迫る。後半途中からはレイナス期待の超新星、なのかもしれないまだ17歳の伊藤知沙選手(このあどけなさが良いっ!)が登場しては、3倍早い走りで中央を突破でシュートを放ったりと大活躍。このまま育てば女子日本代表のフォワードにだってなってくれそーな高い潜在能力を見せてくれた。

 代表フォワードってゆーと西の雄、田崎ペルーレFCの大谷末央選手もいるし、日テレ・ベレーザ所属でこれまた高速フォワードの荒川恵理子選手とか、「ユニバーシアード」でも活躍した近賀ゆかり選手とかいて近賀選手とはポジションなんかも被りそーだけど、そこはうまく調整して、順調に育って2011年開催希望の「ワールドカップ」で得点王に輝いて頂きたい。レイナスの次節はその近賀選手も帰ってくるベレーザと「東京・ヴェルディグラウンド」で激突。見に行きたいけど同じ時間に「ジェフユナイテッド市原vs鹿島アントラーズ」があるんだよなあ、どっち行こうかなあ、ジェフ戦はチケットも買ったんだよなあ、でも”知沙りんvsゆかりたん”も見たいなあ。


【8月30日】 こー見るとしっかり男の子、だったりするザビエル君の表紙絵にちょっぴり残念がりつつ「ヤングキングアワーズ」の2003年10月号。やっぱり真っ先に読んでしまう伊藤明弘さん「ジオブリーダーズ」は入江省三をガードしている背広軍団のたぶん1人に損耗が出てしまって残る1人の箏井さんまで吹っ飛ばされて、いよいよ入江も年貢の治め時、かと思ったもののそこは入江だけあってしっかりと最後に大逆転を見せてくれて現場に復帰、なべて世はこともなしとなっていよいよ次こそは、堀田だか堀日だかで酷過ぎる目にあって以後、その消息をまるで聞かない田波くんの生死が判明するだろーことを強く期待。それまでは倒れたスカートからにょっとのぞく箏井さんの太股をながめて過ごすことにしよー。演技賞。

 「コミックマスターJ」は漫画家のススメ。メインは編集長のきまぐれにつきあい信念と戦う漫画家の葛藤だけどそれより冒頭に登場する「中堅出版者の漫画雑誌編集長」に激しく同情略してはげどうbyやっさん。「作家陣が毎号〆切ギリギリであげてくるため彼の体はボロボロだ。結果が怖くて健康診断にもいけやしない」ってことで不摂生にゆるんだ体を椅子に浅く乗せて天を仰いでいる、そこに持ち込んできた漫画少年の作品のあまりにあまりな様に本当だったら漫画好きとして成長して欲しい少年を叱りつける様に、内心の葛藤を強く想う。でも下手じゃあしょうがないよね。根っからの漫画バカな上に特撮ヒーローバカでもあって、特撮ヒーローショーに妻子を連れて駆け付け最前列で吠える編集長氏に完敗、じゃなく乾杯。

 パスタに続いてカレーで「CoCo壱」ってから「シビックホール」で開かれたパイオニアLDCのアニメレーベル「RONDO ROBE」のイベントを見物。去年はアニメ事業への参入から10周年を記念するイベントってお題目があって内容も10年を振り返りつつ懐かしい映像とかアニメソングとかを見て感動に浸りまくる、オールドな人間にとって素晴らし過ぎるものに仕上がっていたけれど、毎年恒例となってしまった今年は果たしてどんなものになるのか、興味を抱いて言ったら内心もしかしてと予想してたとーりに「小麦ちゃん祭り」だったぞいムギムギ。

 なるほど最初こそ重鎮・高田明美さんとお局・水野愛美さんを司会に始まったイベントだけど、途中「24時間テレビ」をまるでパクっとやってしまったよーな外からの中継が挟まって、そこに映し出されるのは夏の暑さをものともせずに全身をナースなウサギの衣装で固めた姿で都心部を闊歩する小麦ちゃんby桃井はるこさんの愛らしくも暑苦しい姿。以後も笑顔を見せる余裕もないのか真剣な顔でまっすぐに前を向いてのしのしと歩く姿が中継された挙げ句、「ぷちぷりユーシィ」とそれから新番組の「鐵」の紹介が終わった会場に「サライ」が流れ黄色いTシャツを着たスタッフが迎える舞台へと上がった小麦ちゃんに、場内からは盛大な拍手が贈られイベントも感動のフィナーレを迎え、なかった。そじゃーマジで「小麦ちゃん祭り」になってしまうぞ。

 とりあえず舞台に上がった桃井さんが、24時間インターネットラジオの疲れも見せずに2曲を唄い集まった観客も盛大に踊ったその後で、「ナースウィッチ小麦ちゃん」の最今のところ最新作に当たってるんだったっけ、伊東がどーしたこーしたって巻の映像をまるまる鑑賞。タツノコプロの過去キャラが盛大に出まくる内容はこれまでと同様で、「生まれ変わったこの体」で戦いに臨もーとする小麦ちゃんとか、「ホワイトボディー」をみんな見てくれとばかに駆る小麦ちゃんとかを見て苦笑し爆笑したけれど、でもこれって30代後半だから楽しめるネタでしょ、なのに会場は大爆笑が巻き起こってるってことはもしかして、集まってる人は皆さん結構な歳だったりするのかな。

 まあそこは勉強熱心な若い人ばかりが集まっているってことで、それだけにライブの時も最前列から中盤にかけた全員が立ち上がって腕を振り上げ、大ジャンプをし続けても1人として心臓に痛みが出ては倒れて救急車で運ばれる、なんて事態が起こらなかったんだろー。それにしてもこの”飛ぶ”ってゆー行為が声優さんのイベントで応援の”主流”になったのっていつ頃からなんだろー。イベントが始まる前に席を確保した少年が携帯電話で誰かに「いい席とれたぜ、通路側なんで飛べるぜ」って話していたよーに、応援に当たって”飛ぶ”のが今はデフォルトな行為にすらなっているよーに見える。あと光る棒。これを左右に振ったりジャンプに合わせて下から上へと振り上げたりするアクションも応援のデフォルトになっているみたい。

 その団結力、全体が同じ声優さんなりを対象に集まった会場で発揮され、全員がひとつ目的に向かって盛り上がっているなら分かるんだけど、いろいろな作品が紹介されて何人もの声優さんが登場するトータルなイベントであるにも関わらず、冒頭に「ぷちぷりーず」でも桃井さんでも共通に総立ちしてジャンプして光る棒を振り回す、その様を主義も主体性もなく誰彼なしに応援する無節操さと見るべきか、応援するふりをして実はそんな”飛ぶ”自分に酔いたいだけの我が儘さと見るべきか、”声優”なり”アニメ”総体を応援する素晴らしい振る舞いと見るべきか、コンサートは出来れば座って見たいオールディーズな人間としてちょっぴり悩む。

 とりあえず言うなら前段なり後列でも端っこの壁際で飛ぶなら座っている後ろの人に迷惑はかからないけど、後列でも後ろの方で1人だけ立ってジャンプするのは勘弁して頂きたいところ。見えねーよ。それでも曲が終わると即座に着席してトークを聞く姿勢を見せるあたり、周囲が見えてない訳じゃなさそー。やっぱり流行りだからやってるんだろー。この前買った堀ちえみさんのライブDVDに映し出されていた、堀さんが唄っているのに紙テープをのべつまくなしに投げるアイドルのファンが今は、完全に絶滅したよーに時代が変われば応援の形も変わって、コンサートでデフォルトで”飛ぶ”ことを目指す人たちもいなくなるのかも。次はどんな応援が登場するのかな。Xジャンプ?

 最後まで見れば夜の7時頃まで続くイベントだけと今年は明け方に見たいテレビ番組があるんで桃井さんのコーナーまで見て退散、その意味で個人的には立派に「小麦ちゃん祭り」だったって言えるのだムギムギ。帰途に志村貴子さんの「ラヴ・バズ」(少年画報社、500円)なんかをペラペラ。アイドル系女子プロレスラーのホープと呼ばれながらも男と逃げた藤かおるが5年ぶりにジムへと手に娘を連れて帰参しては、住み込みプロレスラーとしての再起を目指す、ってゆーとスポコンものっぽい印象があるけどそんんあ厳しく辛い描写はまるでなく、どこまでも脳天気に古巣へと戻っては周囲の迷惑がる様にも、邪険に扱うかつての同僚の美人レスラーの態度にも一切メゲることなく、かおるはのほほんと練習にはげみ、そんな彼女を程なくして周囲ものほほんと受け入れていく。

 かおるの脳天気な莫迦っぷりに「ヨリが跳ぶ」のヨリなんかを思い出したけれど、ヒラマツミノルさんの濃い絵柄とは対極にある志村さんの絵で進むはなしは可愛くって優しくって、話にシリアスでハードな部分が描かれていないってこともあって読みながらほのぼのとした気持ちになって来る。かおるのパートナーだった美人レスラーの町屋ゆりも綺麗だけど個人的にはかつての人気レスラーで今は団体を姉のやっぱり元レスラーと仕切るよーこちゃんがお気に入り。かけられてもいいです、ジャーマンでも逆エビでも。


【8月29日】 「ふるさとは遠くにあったら思うだけ、近くにあるなら行って喰う」ってことで我がふるさとの味「あんかけスパ」の店が東京にも遂に進出したって聞いて、「カレーハウスCoCo壱番屋」が新業態店として展開し始めた「PASTA de CoCo」「港区虎ノ門店」へと灼熱の中を勇んで喰いに行く。名古屋に独特でおまけに名古屋人だって全員は知っている訳ではないらしー「あんかけスパ」を果たして東京の人がどれだけ食べに来てるんだろー、もしかして閑古鳥が鳴いたりするんだろーかってな心配もあったけど、入ると昼前で1人いて待っているとやがて2人3人と入ってきたから決して得体の知れない食べ物だってことで敬遠されている訳ではなさそーで、ちょっとばかり胸をなで下ろす。

 ここはやっぱり先例にならって「ミラカンの1半」って頼みたかったけどそーいった「つゆだく」的な隠語が通じるよーな土地柄じゃないってことと全国展開を考えているってことでまずソースを辛さから選んで次にトッピングで代わるメニューを選んで最後にパスタの量を指定する、って感じにきわめて「CoCo壱」チックに洗練されてて正面に張られた大きめの写真を見ながら頼めば初めての人でも全然難しいってことはなさそー。「ミラカン」に近いメニューってのはおそらくは「ソーセージとベーコン」辺りになると思うんだけどここは好みで「ピカタ」を選んだ上に好物ってことで「ハンバーグ」をトッピング。量はもちろん1半に当たる大盛りを指定してしばしの間到着を待つ。

 これが「ヨコイ」あたりだとすでにゆであげられた2・2ミリの極太面をすくって油ギトギトのフライパンでザッとあぶってから上にトッピングしてソースをかけて一丁上がり、って感じに早いんだけど開店からまだ間がなかったってことでパスタを茹でていたのか5分くらい待たされたのが気になったといえば気になったところ。それでもトッピングのハンバーグはふかふかで味もよく、ピカタも焼いたばかりって感じでふわふわしていて、その辺り割に作り置きをかぶせていく感があった名古屋の「あんかけスパ」系の店に比べてオサレ感を出そうって意欲が見て取れる。食べ終えた後に皿に油がギットリとつかない所なんかも含めて。あれって体力が減退している時だと結構ヘビーなんだよね。

 パスタに関しては太いんだけど油っぽさがなく茹で上げ感が出ていてなかなかに美味。そして肝心の「あん」ことソースについてはよくぞここまで作り上げましたってくらいに立派に名古屋の「あんかけスパ」になっていて、トロリとした感じもスパイシーな味も含めて故郷の味を存分以上に思い出すことができた。どーやって作ったんだろ、誰か腕利きを引き抜いたのかな、「ヨコイ」とか「ソーレ」とか「チャオ」とか「サヴァラン」から。メニューは名古屋なんか以上に豊富でベジタブル系からシーフード系からミート系からいろいろあってチキンカツにロースカツにハンバーグに照り焼きチキンに豚焼肉に牛焼肉が揃うミート系なんか、誰かにまとめてトッピングしてもらい食べきってもらいたい所。パスタはもちろん1300グラムだ。お腹きっと壊します。

 エッグ系も5種類と豊富だけどこれのオールクリアならいけそーな感じ。ともあれ遂に登場した「あんかけスパ」が虎ノ門だけじゃなく神田でも新宿でも池袋でもどこでも食べられるよーになるためには、まずは虎ノ門の成功が必要不可欠、なんで霞ヶ関の役所に来ている名古屋出身の昔神童今官僚の諸兄はちょっとばかり足を伸ばして「あんかけスパ」を賞味してやってはくれまいか、地域振興&新規事業創出に必ずやつながるものだから。

 予想してた、って言うとだったらどーして取材して書かないんだって怒られそーだから言わないけれど、経営の悩みが深まってそーな印象が漂っていたブロッコリーがもしも支援を求めるんだったら、「でじこの人生ゲーム」を出して「ベイブレード」のゲームを出して「アクエリアンエイジ」の商品に「Q−CAR」を持ってきたくらいに関わりの深かったタカラにやっぱりなるんだろーなーなんて思っていたのは本当で、会見がありますキャラクター事業に関してですって案内を聞いて東京証券取引所へと向かう途中でも、ブロッコリーへの支援だろーなんて当たりをつけていたら本当にそーだったんで、いったいどーなってしまうんだろー、ってな感じの大きな衝撃はそれほど受けなかった。

 心配があったとしたらブロッコリーの木谷高明社長がどーなってしまうんだろー、アトラスの社長は代わったしなー、って所だったけどそこはタカラの佐藤慶太社長、ブロッコリーの動く仕組みは承知していたそーで木谷さんをそのまま残して事業を差配させる考えで、目先に大きくキャラクターとかラインアップとかが変わることはなさそー。個人的には「鉄腕アトム」に対してタカラのスポンサーとしての取り組み具合に若干の弱気ぶりが見られる「デ・ジ・キャラットにょ」関連の玩具がこれを景気にガンガンと出てくるよーになることだけど、あんまり出過ぎた挙げ句に番組の中での扱われ方が過剰になってウザくなるのも嫌なんで、その当たりはほどほどにして下さいな。いっそ面茶やっさんの作る玩具をタカラで出すとか、出せんか、売れんし。

 絶対的で不可逆的だからこそ「死」は残された人にとまどいとか悲しみとか怒りとかそれを抱かせ後にいろいろと問題を引きずるんだけど、森青花さんによるとてつもなく久々の新刊長編「さよなら」(角川書店、1500円)では死んだはずの人でもある方法がとられることで現在に魂を残して遺族と会話できるよーになるって基本設定の上で、死んだ人の口から直接生きている間では言えなかったことかが告げられることで、慌てずうろたえず「死」を粛々と受け入れつつ、死んだ相手のことをより深く理解し慈しむよーになる人々の様がいくつかの例で描かれて、読む人に「死」って一体どーゆーことなんだろーと考えさせる。

 主人公から半ば狂言回し的な役へと移って最後まで登場する95歳で死んだ独居老人の話のその次に起こる「死」の、それ事態の残酷さに最初気分が滅入ってはたして最後まで読み通せるんだろーか、って心配を抱いたけれど「死」の絶対的で不可逆的という条件をちょっとばかり緩めた結果生まれた、残酷さを緩和し運命を運命と受け入れさせるよーな展開が、冒頭の「死」に衝撃を受けた人の気持ちもいっしょに緩和して物語を受け入れさせる。J文学っぽい装丁の恰好良さもあったからか、読後に抱くのはほんのりとした苦さとすっきりとした爽快さが相まった不思議な感じ。「死」について深く考えさせられて泣ける梶尾真治の「黄泉がえり」ともちょっと違うよーだけど、「黄泉がえり」を読んでから時間が経ち過ぎてるんで明確には不明、捜して読み返すか。ともあれそんなに長いものでもないんで気になる人は、森青花さん「さよなら」を開いて読んで「死」って何かを考えてみよー。

 滝本竜彦さんが「新世紀エヴァンゲリオン」についてのエッセイを寄せているってんで「エヴァ・エース」を買って読む。「超絶的な自虐的ユーモアをまじえながら、いかにして自分がエヴァと出会ったのかという話を爆笑エッセイに仕立てて」いた。同じ「エヴァ・エース」にあの乙一さんもエッセイを寄せているってんで読んで「滝本先生の文章と比較」して「どちらが優れているのかという判定を」下そーと思ったら、しっかりと予防線が張られていたんで比較は断念する。そーかそんなに気になるのか滝本さんが乙一さんは。でも高校生でしっかりと「エヴァ」にハマっていた乙一さんを「エヴァの良さがわからない人間は、今すぐ己の不明を恥じて切腹すべきだ。お前らに何がわかる」とエッセイで吠えてる滝本さんは、きっと「朋友(とも)」と認めてくれるだろーから安心していて良さそー。でも乙一さんが滝本さんを「朋友」と思っているかは知らない。どーなんだろ。


【8月28日】 U−17と知ってまた「偽スペインvs偽アルゼンチン」の緩い試合を見せられるのかと一瞬思った真夜中のフジテレビジョンのサッカー中継は、試合開始のホイッスルがなった直後から繰り広げられるA代表かと見間違えるよーなスペクタクルたっぷりの試合展開に、さすがは世界のサッカーをリードする国の若手は違うと感嘆し、興奮しながら明け方まで試合を見てしまう。ボールを前へと運ぶ形ができているのもそーだけど、それよりもボールを受けた時のトラップのうまさがスペインの選手なんかずば抜けていたのには吃驚仰天。どんな球でも脚の真横にピッタリと止めて、近寄って来た敵に取られることがまずない。

 若い時からそーゆー風にプレッシャーのかかる試合の中で意識して訓練して来たことの賜だと想像でき、ひるがえってプレッシャーの緩いなか、1メート先におとしてもそのまま拾ってドリブルで突破してはシュートへと持ち込み、ヒーロー扱いされて育った選手ばかりの国では、とてもじゃないけどかなわないって印象を抱く。切れ込んでからシュートへと持ち込むスピードもスペイン、アルゼンチンともさすがに素早く、おまけにそのシュートが枠へととぶか、外れて威力とスピードがあって日本の選手が外す時のよーな吹かすとか、宇宙開発とかってイメージじゃない。この辺もやっぱりシビアに意識して成長して来た賜なんだろー。大会に出ることすら出来なかった日本との間についた差はいかばかりか。2006年よりも2010年が心配だあ。決勝は延長後半も終盤に決めたスペインがあのブラジルと対戦。ワールドカップで見たかった組み合わせが例えU−17でも実現するのは嬉しい限りで、週末は中継を寝ずに見よー。準決勝のコロンビアとアルゼンチンの試合もやるのかな。こっちもこっちで興味津々、バルデラマとかカニーヒャとか(出てません)。

 女物のパンツを取材に行ってニコニコ、出来たかってゆーとなかなかに微妙なのは行った所がワコールでもなければトリンプでもなく江戸さんのいるピクシーでもないバンダイだったから。えっ、バンダイだったら女物のパンツをいったら女児向けのキャラクターパンツでそれた貴方の最も得意とする分野で嬉しくないはずがないでしょ、って言われる可能性もあるしまさしくそーだったりするんだけど、今回の取材は女児物ではなく立派な女性物、ティーンから20代の女性が身につける下着の取材だったんで役得はまるでなかった。売り物の女児向けパンツを見るのが役得?まあほら、店頭ではじっくりとは見られな いし。

 女児物ではない女性物の下着っていったい、どんなのをバンダイが作ってるのって知りたい人は、手近な「ソニープラザ」へと出向いてみれば分かるはず、っても売り切れが多いらしーんで目に入らない可能性もあるけれど、もしも店頭でアメコミ調の絵柄がプリントされた「ブリーフ」(なのに女性用)が売られていたら、それがバンダイの製品ってことになる。ゴッホ今泉さんってアメコミ調の絵柄で人気のアーティストが描き下ろしたアメコミ調の女性が前とか後ろにバーンと描かれているデザインで、何でもそれがティーンとか、お洒落好きな女性にヒットして大人気になっているんだとか。ローライズのジーンズの下に履いているのがブリーフで、そこにアメコミの描かれているなんてちょっと格好良いかもしれない。外から見える訳じゃないのが残念だけど。

 こらがアメコミでそれもゴッホ今泉さんオリジナルのデザインってところが大切で、アニメだからといって「ガンダム」とか描かれているとイメージはグッと違ったものになってしまうし、買うのもどちらかといえば特殊と言われる種族の人になってしまう。バンダイといえばどちらかといえば「ガンダム」みたいなものが得意だったんだけど、それだけだと限られてしまうマーケットを新しく広げる意味で、アメコミデザインの女性向けブリーフを登場させては、見事に金鉱を掘り当てたってことになる。手がけた人は現代アートのシーンに詳しくって(村上隆さんを知っていた)、前いた職場の関係でファッション業界にも詳しいとゆー玩具とキャラクターのバンダイ系とはちょっと違った人材。文具屋にいた人を引っ張ってヒット商品を創らせたのも確かバンダイだったし、そーした異文化を採り入れて新しいマーケットを作る動きを見えないところで続けることが、今は「ウルトラマン」だ「パワーレンジャー」だと沸いていても、いずれ衰える可能性を常に抱いた会社の基礎体力を強固なものにするんだろー。

 他社のこととはいってもよく似た名前のご同業なんてしげしげと読んだ「日刊工業新聞が金融機関に債権放棄を要請」したって新聞記事。金融機関自身が明日をも知れない身になっているこのご時世に、すんなり受け入れられるかどーかははっきりとは分からないけど、一般紙が割に事大主義でもって対象をセレクトしては大仰にかき立てるだけの中、地味に日本中をまわって企業の情報を集めては、同じく日本中にいる読者に提供するって役割を考え、経済の最先端をささえる企業にとって有用な存在だってゆー認識を金融機関なりそれを監督する国なりが勘案すれば、多少条件交渉があるだろーものの、結果としてそーせざるを得ないってことに帰着するんだろー。

 もちろん与えるにはもらわなきゃいけないってことで金融機関も借金をボービキする分、いろいろと注文を付けることになるんだろーけど、メーカーなんかの再建でよくやる徹底的なリストラクチャリングを敢行して、不採算なところを潰して収益を得られる部門にシフトして、稼ぎを増やそうって手法を、新聞の場合に果たしてそのまま適用して良いのかってのがなかなかに微妙。ってゆーのも単に情報を右から左に流動化させるだけじゃなく、そこに書かれた内容に信頼性なり是か非かってゆー価値判断のよーなバリューを与えて提示しているから、新聞は存在する意味をもっている訳で、だからこそ”国民の知る権利”を代弁する存在として、いち早く情報にアクセスできる権利を賦与されている。

 これがたとえば収益性を上げるためだといって、記者をしている人をゴッソリとかき集めては企業を回って広告を取るよーな部門に配転したところで、人を減らされ取材が十分に出来なくなってしまった結果売るべき新聞の質が下がって、広告を載せる価値がない媒体だと思われ逆スパイラル的に、一段の凋落を見せる可能性は結構あるし、ましてや半ば”公共財”として培われて来た題字への信用を逆手に取って、新聞を取ってくれたら、あるいは広告を出してくれたら記事を書いてあげますよって言って回る部隊を作ろーものなら、今度は掲載される記事の公平性が失われ、やっぱり凋落の一途へと向かってしまう。そーなったらもはや回復は不可能。倒産の危機に瀕したことのある毎日新聞では、役員が広告絡みで記事を大きくしてくれって言って来たことがあったのを、現場が断ったって話阿「メディアの興亡」に紹介されていけれど、だからこそ未だに世間から信頼性の高い一般紙として、敬意を持たれ命脈を保ち存在し続けていられるんだろー。貧して鈍して愚せばあるのは死、のみだ。

 むろん広告みたいなヒモ付き記事ばかりで紙面なり誌面を作ってる会社はリクルート筆頭に幾つもあって、大成功をしているけれどそーした会社は別に”知る権利”の代弁者して、情報へのアクセス権を賦与されている訳じゃない。信頼をバックに権利を得ている社が、その信頼を金で売り渡してなお権利だけを維持しよーとするのは間違いで、そのときは「新聞」とゆー題字を捨て、税制面での特例も辞し記者クラブからも撤退しては、リクルートなんかを相手に戦う覚悟を決めなければならない。これはなかなかに大変なことだろーから、さすがに購読とか広告といった条件を引き替えに記事を記事として載せて知ら ぬ顔をする、なんて恥ずべき真似を「新聞」と社名をかかげるどこの会社もする筈がないだろー。

 だったら「企画特集」ってタイトルを付けて記事をは分離して掲載すれば良いってことになるけれど、そっちに全社員の1割とかの人がシフトした結果、編集紙面の大幅な質の低下、モラールの崩壊が起こり題字の価値を下げ、「企画特集」に応じてくれる企業の不振を招き、一石二鳥どころか虻蜂取らずの状態を招くこともまた必至。結局のところは「新聞」が「新聞」として生き残る方法は、「新聞」として期待されまた背負わされている責任と義務を、つまりは高品質の記事を集め掲載していくことをただひたすらに果たし続けるより他にない。まあそこは銀行の人だって役人の人だって新聞の人だって分かっている だろーから、同業の会社が反新聞的な再建計画を立てて金儲けに走った揚げ句、妙なことになってしまう可能性は少ないと見て、その行く末を向こうは眼中にないかもしれないけれども似た題字の下で仕事をしている者として、粛々と眺めて行こー。手前のところがどーかは知らない。知りたくもない、恐ろしくって。


【8月27日】 阪神阪神阪神阪神楽しい阪神愉快な阪神はんしーん阪神(元ネタ名古屋限定、なおかつ高齢者向け?)、ってな具合に阪神タイガースづくしだった「2003年東日本玩具見本市」は、9月にも決定と言われている優勝に向けて玩具メーカー各社がさまざまな商品を送り込んできていて、流行に聡い業界ならではのフットワークの軽さに日本の製造業もまだまだ捨てたもんじゃないって嬉しくなる。

 まず目についたのがエポック社が出してるテレビに向かってバットを振り回すとセンサーが感知して画面の中のプレーヤーに反映させる「エキサイトスタジアム」の阪神バージョン。まずはバットが黄色と黒のトラ縞模様になっていて、それだけをもって甲子園球場に行っても応援に使えそー。音楽にも「六甲颪」とかが入る予定だそーで、コナミが出してくる「優勝ハッピ」を着込んで鉢巻き締めればもう、家の中でタイガースの選手になった気分を味わえる。でもってすっぽ抜けたバットがこれもコナミの阪神グラスに当たって部屋は滅茶苦茶に。それでも優勝を祝える気分を味わえる方がファンは嬉しかったりするんだろー。阪神ファンといふ病。

 トミーの積み木引き抜き遊び「ジェンガ」の阪神バージョンはすでに展示会で披露されてて発売時期でもこれが月内と1番早く出回りそー。でも抜きすぎて目の前で”崩れ落ちる”阪神タイガースカラーの「ジェンガ」を見て、抱く気持ちはもしかするとにっくきオレンジの大逆転だったりするのかな。目新しいところではメガハウスのリズム真似っこ人形「はことん」に登場する阪神タイガースバージョンで、犬だか猿だかな形をした人形の服が白地に黒いストライプの模様になってて手にはしっかりメガホンを持っている。「六甲颪」のリズムにあわせて音を出させたくなるのかな、ファンの人とかは。

 ほかにも阪神タイガースバージョンの「ゲイラカイト」に阪神タイガースバージョンの「ドラえもんグッズ」に阪神タイガースバージョンのトランプと、各社とも9月10月11月に続々と投入して来る模様で玩具店とかはそれを集めると店頭に大きめのコーナーを作れちゃいそー。それにしても読売ジャイアンツが常勝してたって西武ライオンズが連勝してたってここまでのグッズは出ないのに、阪神タイガースだと出まくっておまけに商売にちゃんとなってしまうところが不思議とゆーか凄いとゆーか。強い選手にイケメンの選手を集めることがマーケティングだと考えている某スペインの蹴球団があるけれど、そんな当たり前過ぎるマーケティングじゃない例が、この日本にあるんだってことをマーケティングとかマーチャンダイジングに関わる人はもっと注目すべきだろー。でもなー、これって世界でも阪神タイガースにだけ通用する例だって可能性もあるからなー。サッカー界の阪神タイガースってあるのかな。浦和レ……。

 18年に1度の阪神フィーバーをのぞくと全体にこれぞ画期的、って思えそーな商品があんまりなかったのが「2003東日本玩具見本市」の傾向で、せいぜいがスクウェア・エニックスが出す「エキサイトスタジアム」と同じザビックスのチップが使われているテレビに接続して遊ぶ「ドラゴンクエスト」の新製品「ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣」が目立ったくらい。見るとなかかなにセンシティブで、剣を横にふればちゃんとスライムが横に切れ、下から上にあげて上から下におろすとやっぱりそのとーりに並んだスライムが切れていく。見えない糸で画面の中のバーチャルな世界とこちらのリアルな世界がつながっている感覚は、ボタンとゆー記号を押す行為を超えてゲームに何かをもたらしそー。「ダンスダンスレボリューション」や「太鼓の達人」といったゲームがもたらした変化に「甦りし伝説の剣」がトドメを差すのかそれとも任天堂が出すとか言ってたまったく新しい遊びが蔓延るのか。目が離せません。

 載ってるなあ、って表紙の紹介を読んで見知ってはいた「新潮」掲載の平野啓一郎さん「最後の変身」だったけど、しばらく前にシモの話題で満載の小説なんかを発表して動向に微妙さを感じていたんで放っておいたら8月26日付け「毎日新聞」の夕刊で、川村湊さんが「文芸時評」の冒頭に取り上げていてとてつもない興味を惹かれて「新潮」を買ってしまう。川村さんの紹介によれば一流の大学を出て一流企業に就職した「俺」がある朝目覚めると「引き籠もり」になっていた、って話とか。うーんありがち。

 そーなった理由がまた奮っていて、何でもネットで辛口書評のページを開いて大評判になっていたことがあるそーで、未読なんで具体的にそれがどーゆー風に精神肉体に作用して、「俺」を引き籠もりたらしめたのかは分からないけれど、川村さん自身は「自分の小説作品について『悪評』を受けた若い作家が、そうした悪意のある批評(書評)に対して、カブト虫のような甲羅を向けて、内側に『引き籠もってしまう』小説なのではないか」とゆー疑念を内容に抱いたそーで、「カフカの『変身』についての凡庸な評論であり『引き籠もり』体験の、大してリアルではない『手記』(のようなもの)」って評してる。言葉は選んであるけど読みよーによっては辛辣きわまりない言葉で、とりわけカッコ入りで(のようなもの)と言ってるあたりに、作品をどー扱ったら良いものかつかみあぐねている川村さんのスタンスが見えるよー。

 末尾に「では、なぜこの小説は書かれたのか。その『何故?』の欠落を、カフカの小説にゲタを預けたような作品は、私にはとても奇妙な『頽廃』の形に見えてしまう」って結んだ、ここで言う「頽廃」が小説の舞台になっている若者世界の「頽廃」なのか、それともこんな小説を書いてしまった平野さん自身の「頽廃」なのか。読むに俄然意欲が湧いて来たけどさてはて最後まで読み通せるか。斉藤環さんとかの評も出ればどこかで読みたいところ。「引き籠もり小説」に関しては大先輩の果たして滝本竜彦は超えられているのか。いなかったら滝本さんだって芥川賞だ瀬戸内寂潮さんのお気に入りだ。既に得度してる分瀬戸内さんには好かれるだろーし。


【8月26日】 世話好きデルフィーネ。ディーオのおいたが過ぎるとわざわざ本人がシルヴァーナへと乗り込んできてはアルとクラウスもいっしょに本拠地へと連れて帰った「LASTEXILE」のマエストロ・デルフィーネだったけど、本拠ではあちらこちらをこれまた自分で先頭に立ってアルとクラウスを案内し、食事にもさそって一緒に食べるアクティブな所を見せてくれて、あれでなかなか可愛い人じゃん、って思わせた途端に場をわきまえずディーオのことを聞いて来たクラウスを食事中は食べ物に集中しろと叱咤したりして、やっぱり怖い人なんだってこをと思い知らされる。気まぐれデルフィーネ。

 機械の中へと引っ立てられていったディーオは人が変わったよーなのか、本当に変わってしまったのか分からないけどシルヴァーナで見せた奔放さが消えてしまってて、その分前のクールな美貌が戻っていてファンには嬉しいかもしれないけれど、話的にはどーなってしまうのか心配も膨らむ。洗脳されたまんまでクラウスと戦い死んでいくのかそれとも「こんなこともあろーかと洗脳避けのおまじないを」とかって言ってクラウスの危機に復活してくるのか、いろいろ先の展開を妄想しながら残り少なくなって来た話数で何が起こるのかをじっくり観察して行こー。モランとラブコメ演じてる銃兵の姉ちゃんのみかけによらない剛腕は何かの複線?

 何でまた、と見るかだからこそ、と見るかによって微妙に判断が分かれるかな、って読み終えて思った倉阪鬼一郎さんの「学校の事件」(幻冬舎、1500円)は、地方にある街を舞台に巻き起こるいくつかの事件を連作短編として描きつつ、裏ですべての事件をつなげていたよーな出来事を提示して終わるんだけど、収録されている短編が最初のうちは妄想ありスプラッタありの怪奇小説好きな倉阪さんらしー内容だったものが、途中から冴えない人間たちの鬱屈した心理を描くちょっぴりブラックも入ったユーモラスな内容のものになっていたりして、こーゆーのも上手いなあと思い何でまた最後で怪奇幻想か感じへと戻るのかな、って戸惑いの気持ちにとらわれる。

 つまりは結局は怪奇作家としての倉阪さんだからこその小説だった、ってことになってそれはそれで楽しいんだけど、中に入っている短編で、冴えない作家が食べるために作った小説教室で弟子にした人が新人賞に受かり作家としてデビューし中央へと出ていく姿に、嫉妬の炎を内心でメラメラと燃やす話とか、気の弱さからあれやこれや押しつけられた軟式野球部の部長先生が、死んでもなおイヤガラセを受ける話なんかで、ブラックなニュアンスを持ったユーモラスなテイストが漂っている様に触れるにつけ、こーゆーテイストを1冊まるまる貫き通して、自意識過剰な人たちの萎縮するなり暴走するなりした挙げ句の悲喜こもごもを描いたら、社会人とかおじさんとかが読んで面白い小説になって目茶売れしたりするるかもなー、なんてことを考えてみたりする。けどそーなってしまったら倉阪鬼一郎さんの作品である必要性にも欠けてしまうんで、ここは世間一般に阿るなんてことをせず、巻末に掲載されたぼうだいな著作数が示すよーに、少量でも多作の方法でもって倉阪ワールドを探求していって下さいな。

 松戸でナマ釈。そんな淫靡な場所が松戸のどこにあるの、って思った人は字をよく見るよーに。先月オープンした「バンダイミュージアム」の上にある「ガンダムカフェ」で9月に発売となるゲームソフト「機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙」の完成記念披露会が開催されて、そこに登場したのがソフトのCMに出演している尺、じゃない釈由美子さんで会場にはCMでも着ていた連邦軍のマチルダさんと同じデザインのコスチュームで現れて、臨席していたアムロ・レイこと古谷徹さんに「マッチルダさーん!」と内心叫ばせた、かもしれないけれど内心だったんで聞こえません。ちなみにこれも臨席していたシャア・アズナブルこと池田秀一さんはアルテイシアを思い出させたとか。どこがやねん。

 テレビなんかで喋る様から不思議系ではあるけれど陽気な感じの人だと思っていた釈さんは、印象どーりにトークも撮影にも陽気に臨んでくれて、館内にある大仏ガンダムの前でリフトに古谷さんと一緒に載って、結構長い時間の撮影に敬礼とかいろんなポーズをしながら最後まで嫌な表情ひとつ見せないで付き合ってくれた。CMの関係から連邦軍の制服だった釈さんは本当はジオン軍のファンだそーでそれもシャア・アズナブルの大ファンとかで、その声をあててた池田さんとの対面が嬉しかったこともあったのか、古谷さんとの撮影が終わりリフトも下がってしまって、次はカフェにもどってテレビ局の囲みへと移るのかな、と思っていたら再び上がってきたリフトに池田さんと2人で載って現れた。きっと一生ものの写真が撮れたことでしょー。今なお健在のあの美声を、目をつぶってる(これ重要)横で喋られたら腰、抜けちゃうよね。

 スポーツの応援からプラスチックのメガホンを撲滅する会があったらそれなりの金額を寄付する用意があるくらいに、あのメガホンの奏でる騒音としか思えない人工的な音が大嫌いで、先週の土曜日も「市原臨海競技場」のメインスタンドでメガホンを膝とかにぶつけてガンガンと鳴らしている親子に「おまえたちには叩き合わせる手の平はないのか」と、言って諭してやりたいと心の底で強く思ったほど(思っただけかい)。目の前で繰り広げられている素晴らしいスポーツへの集中を妨げるメガホンを叩く応援を、肯定する人を僕はスポーツの敵だと思っていて、だから「阪神タイガースを本気で応援してまっか?」(幻冬舎)の中に、「正しいメガホンの使い方」なんてコーナーを盛り込んだ、バースにそっくりと評判の阪神ファンのフォトグラファー、シャノン・ヒギンズさんを、熱狂的な阪神ファンとは認めても、スポーツのファンとはちょっと認めたくなかったりする。

 冒頭に掲げられた「ライトスタンド法 20ヶ条」にしてからが、「阪神の攻撃中は関を立たない」「しゃべらない」「食事をしない」と言うのは当然としても、「相手チームの攻撃中はトイレ、おしゃべり、食事、喫煙など自由」なんて書いてあって、相手があってこそのスポーツであって応援はしなくても相手に敬意は表すべきってゆー精神へのレジスタンスぶりがとてつもなく気になった。だいたいが攻守があってこその野球であって、例え相手が攻撃中でも味方はピッチングに守備に勤しんでいる訳で、守っているからこそ放たれるレーザービームのよーな凄いプレーを、”我が阪神”が見せる可能性があることに、まるで心を向けていないよーに見える行為を、「『ルール』というより常識」と全面肯定して何がファンだって思いに囚われる。

 まあシャノン・ヒギンズさん本人の考えを披露したってよりは、日本におけるコアな野球ファンの行為を紹介したってだけのものであって、選手が明日の糧をかけて毎日を真剣にプレーする大リーグのスタイルを強く肯定してるヒギンズさんは、スポーツをスポーツとして楽しむ意味は理解しているって言えそー。つまりは「阪神の応援はお笑い事ではない。生死をかけた戦いなのである」って言うよーに、日本の野球はもはやスポーツとはかけはなれたものになっているってことで、だとするならば非スポーツ的な応援であっても、別に構わないのかもしれない。それが嫌な人は誰もが真剣にプレーをみつめ、凄いプレーにはそれが敵でも拍手を贈る、大リーグのファンになってサンテレビとかじゃなくNHKのBSを見るなり、シアトルでもどこでも移住してスタジアムに通うなりすれば良いのだ。それが無理なら千葉県民になって、「千葉マリンスタジアム」のライトスタンドで鳴り物極力禁止の中を手拍子と歌声で繰り広げる応援に混じろー。


【8月25日】 集英社の「Sportiva」の2003年10月号は表紙が6人のスターをイラストで並べた「レアル・マドリッド」の特集で、先週木曜に発売だった「ナンバー」と「スポーツ・ヤア!」も含めて国産スポーツグラフィック誌制覇を白い巨人たちが成し遂げてしまった恰好。レアル旋風の凄さを改めて痛感させられる。もっとも2002年の7月1日ですでに街にレプリカユニフォームを着ている人の影が見られなくなってしまったほど、熱しやすく冷めやすかったりする日本人にとって8月の頭にあった「レアル・マドリッド」を巡る狂騒も、すでに過去の話となっている観がある。今頃に表紙で並べられても輝きどころか逆に陳腐なイメージしか見る人に浮かべさせないよーな気がしてしまう。

 これからもレアルのとりわけベッカム選手で引っ張りたいって意欲をメディアの多くは抱いているんだろーけれど、やり過ぎた挙げ句にイメージを消費してしまって残るのは山積みのグッズと売れ残った便乗本、ってのはすでに赤い悪魔の7番で経験しているとーりで、それでもいけると思っているんだとしたら、メディアも企業も懲りてないとしか言いようがない。マリナーズのイチロー選手とか、ヤンキースの松井選手のよーに毎日でも活躍が伝えられる選手だったらまだしも、見るには衛星に入んなきゃいけないスペインリーグの週に1度しかない試合で、確実に出るとは限らないベッカム選手を陳腐化させずに1年2年と引っ張っていくために必要な労力を、今が人気を盛り上げるチャンスになってる女子サッカーとか、マイナースポーツの認知向上に使ってもらえれば結果としてスポーツ全体への関心を集め、その延長線上として最高峰に位置するチームとスター選手たちへの、強くて長い憧れを招くよーな気がして仕方がない。

 「Sportiva」のコラムで小田嶋隆さんはベッカムベッカムに終始した8月頭の報道を、ビートルズが日本に初めて訪れ世間を大騒ぎさせた状況と重ね合わせ、そーしたビートルズをめぐる狂騒が動かした時代の空気を何とはなしに感じた子供たちに将来をも左右する影響を与えたよーに、8月のベッカムフィーバーを空気として感じた子供が、15年後にプロになってスター性たっぷりに活躍しているから偏向しまくったフィーバーも悪くないと示唆している。なるほどそれは一理あるけど、アルバムになって何十年も残っては聴く人にダイレクトに時代を動かした根拠としての音楽を伝えられたビートルズと違って、その凄さを知るにはビデオを見るなければいけなくって、それはなかなかに面倒だったりするサッカー選手の瞬間的なフィーバーは、影響力としてちょっぴり弱い気がしてならない。のでベッカム選手にはあと10年は現役でいてもらい、引退したら監督となって「マンチェスター・ユナイテッド」でもどこでも率いてもらって最初こそ再会でも翌年は優勝を遂げて以後、連戦連勝を重ねる華々しい活躍を続けてもらって、メディアもそれを逐一伝えていくぐらいの努力と根性を、見せてやって頂きたいもの。でなければ持ち上げるだけ無駄ってことになってしまい陰で浮かばれないスポーツとスポーツ選手を大勢運で逆に害をもたらしてしまうから。

 未見分を消化しきって話がつながらなくなる心配を払拭してから見た「ウィッチハンターロビン」のDVD第10巻は、親しくなった家族が面倒に巻き込まれて感情を爆発させるロビンに決して感情が凍えてる訳じゃなく、ましてや派手な演技が渡辺明乃さんには出来ないって訳じゃなかったんだと知る。現に他の作品では雄叫びも凄まじい演技を……してたっけ。ソロモンから派遣されて来たってゆー凄腕のハンター、サストレはデカい帽子にチョロッとしたひげ面をしたビジュアルが中世のハーメルン野郎って感じ。こんな怪しげな奴をよくぞ現代の入管が入国させたものだし、街を歩いていてもきっと胡散臭さで警察の職務質問を受けてとっつかまっていただろー。ラテンな野郎のファッションセンスは分からん。残りは3巻で久々に2クールあるアニメのDVD(もしくはLD)全巻コンプリートを達成できそー。「ガサラキ」は2巻で力尽きたもんなあ。

 日本出版販売の週報に9月18日、佐藤哲也さんの「異国伝」って本が河出書房新社から1600円で刊行されるとの報。中身はまるで検討がつかないけれど「これは本当に21世紀に生きる日本人作家の小説なのか。寓話・哲学・SFの”あ”〜”ん”迄45の短編が作り出す不思議な書物空間」って説明にあるからおそらくはボルヘル的な幻想文学寄りの話になっているんだろー。 同じ週報に古川日出男さんの新刊「サウンドトラック」が数映写から9月5日に1900円で出るって報も。「2009年・ヒートアイランド化した東京。神楽坂にはアザーンが流れ、西荻窪ではガイコクジンは移籍の嵐が吹き荒れていた。これは真実か夢か」って案内から想像するに近未来ポリティカルフィクション、な訳ないか、まあそーした時代の殺伐とした感じも込められたエッジの立ってる話かなって想像しておこー。

 新書で森博嗣さん「四季・春」が講談社ノベルズから800円で9月5日刊行。真賀田四季ちゃん5歳の冒険が描かれる隔月書き下ろし4部作とか。きっととんでもなしにこまっしゃくれたガキのお嬢ちゃんだったに違いない。中央公論新社からは花田一三六さんの多分久々になってるっぽい新シリーズ「黎明の双星 第1巻」が9月25日に900円で登場。「支配する聖典派と虐げられる教会派。対立する民族の架橋にならんとして立ち上がる2人の青年の物語」ってあるから宗教歴史ロマンファンタジーだったりするのかな。とか言いつつ個人的に瞠目なのは心交社から九月上旬刊行の「ハッピーアイランド」って写真集。「小学生人気ジュニアアイドル、西島来美ちゃん(11)、奥村夏未ちゃん(11)、遠藤珠美ちゃん(10)の水着写真集」って聞けば歓喜の雄叫びが。そこかしこから。うぉーっと。スクールかな。


【8月24日】 去年に続いて8月30日に開催されるパイオニアLDCの「小麦ちゃん祭り」、って言ってももしかしたら今年は中身的に差し支えないかもしれないけれど一応はアニメーションのレーベル「RONDO ROBE」のファン感謝イベントってことになってる「RONDO ROBE CIRCUS2003」の入場権が、抽選で当たってハガキが還ってきてラッキー。取材で入れる可能性もあるけどもしかしたらマイナーな会社で案内とか来ない可能性もあったんで(その後案内があって申し込み済み)送っておいたもので番号は300番台だから最前列は無理でもまあ、それなりな席には座れそーなんで行ってライトを振り声を張り上げる熱烈なファンの姿を観察しよー。進行は何となく分かっているけど一般向けには秘密みたいなんで行った人は当日に何が起こって誰が出てくるのかお楽しみに。とりあえず小麦ちゃんはいっぱい用意されてるみたいなんでみんな夏の最後をモモイ三昧するのだムギムギ。

 そこかしこで問題になっている「週刊現代」の9月6日号を買う。なるほどこの記事は確かに問題だよ、「新体操の元女王ヌード」に続いて「ヤミ金の帝王全裸ヌード」なんて、って違うそーじゃない、それだったら話題にはなっても問題にはならない。問題になっているのは田原総一郎さんと香山リカさんによる対談「ぷちナショナリストたちへの違和感 天皇、君が代、日の丸、そして自警団」って記事。昨今のナショナリズムが空気みたいに世間を包み始めていることに警鐘を鳴らすって意味では前向きに捉えたい内容なんだけど、いかんせん繰り広げられている議論がまるで世間を納得させられるレベルに達していなくって、右翼的風潮に警鐘を鳴らしきれないどころかむしろ至らなさをさらけ出して、相手を利している感じすらあって困ってしまう。

 もう冒頭からズレまくりで、例えば「私が問題としてとらえたかったのは、若者を中心として一般の人たちが自分が愛国者であるということすら意識せずに、ワールドカップで『ニッポン万歳!』と応援するような現象です」って提起は、去年の散々っぱら日の丸が紙面に踊っていた頃なら多少の意味はあったけど、1年が経って「ワールドカップ」の興奮を未だ引きずってサッカー通いをしているおっさん(僕だ)を除けば、あの喧騒のカケラもまるで残っていない状況ではまるで説得力がなく、むしろ「ワールドカップ」で日の丸を振っていた「ぷちナショナリスト」とやらが人畜無害以外の何者でもないことを証明していたりする。「日本代表の試合はいつも青いユニフォームを着た人で満員でやっぱり『ニッポン万歳』って叫んでるじゃない」って言われそーだけど、そんなファンの多くが次の週には白いユニフォームに袖を通して「レアル万歳」ってやってるんだからお話にならない。まあそれはそれで流行りに流されやすいってゆー別の問題があるんだけど。

 だいたいが「ニッポン万歳」なんて言わないし、言ってもその心は「ニッポン代表万歳」であって更に腑分けすれば「中田万歳」だったり「稲本万歳」でしかなく、「ニッポン」って言葉に忌避感を覚える人たちが抱くよーな意味はそこにはない。「ニッポンという言葉が持つ意味を考えずに叫ぶことこそ問題」って言わればなるほどそうだけど、それは日本がしてきた歴史的な事柄に対する無知が問題なだけであって、サッカー日本代表を応援する心理なり行為とは無関係。にも関わらずサッカーの代表を応援する行為全体を一種「ぷちナショナリズム」と断じて否定するよーな言葉は、日本に対してのみならず”わが代表”を応援しに集まった世界のファンたちに対する暴言と呼んで差し支えない。アイルランド人がアイルランド代表を応援してフランス人がフランス代表を応援するのが全部、過去に学ばない「ぷちナショナリズム」なのか、ってことだ。

 橋本龍太郎さんが他人の意見を聞かなかったことを引き合いに、田原さんが「あの人、人の言うことを絶対聞きませんから。最近は『朝まで生テレビをやっていても、自分で発言するのは好きだけど、他人の発言は聞いていないで、相手が言ったことと全然関係ないことを突然しゃべり出す人が増えました」って言っているのを受けて「人の話を聞いて、その人の立場になってみるとか、他者は自分とは違う考えを持っているんだということを知らない人が増えていますね」 と答えるのはまあ分かる。問題はそれがどーして「インターネットの出現が何かを大きく変えたと思うんです」ってなるのかが分からない。

 個人として言いっ放しは可能でも、掲示板に意見を出せばそれに何らかのレスがあって、読んでいる観客はそーした応酬から多様な意見を見知ることができる。言いっ放しがひたすら続きそれを司会がまとめもしないテレビの方がより悪質なのに、なぜかネットへとなぜ批判の矛先を向けるのか。それこそ「単純で幼稚」な振る舞いなんじゃなかろーか。「『2ちゃんねる』なんかを見ていると、発言者の多くがタカ派というか、石原慎太郎都知事が好きとか書いているんです」って一体どれだけの割合でタカ派がいてどれくらいの人数が都知事を好きと書いているのか。数字を出して言えるのか。風潮への嫌悪感を「ぷちナショナリスト」って言葉で定義し、それに見合う事象を印象からつまんで並べてるだけじゃないのか。だとしたら事件事象がまずあって、それに絡む人を取り上げネガティブな状況にある人ならその格好を評してイケてないと後付で語る「週刊朝日」のドン小西のコラムと変わらない。

 自分は「君が代」が歌えないことを挙げて「全体主義とか国家主義に対しては、日本人は誰もが抵抗感やアレルギーを持っていると、なんとなく思いこんでいたんです」って言うけどそれってつまり、そうは思っていない人がいるってことへの想像力が養われていなかったってことにはならないか。多様性への理解を呼びかける一方で固定観念を吐露していて、どーして”敵”を納得させられるのか。その点、田原さんは戦争時代の体験を踏まえ、長いジャーナリスト生活で見聞して来たことを踏まえて語ってくれるからまだ分かりやすいし、問題点を洗い出す糸口にはなる。おそらくは「『憂国』問答」を香山さんと共著で出した福田和也さんも分かってはいるんだろーけれど、そーしたオジサンの経験なり理念なりに裏打ちされた言葉が、背景へと下げられてしまって代わりに感覚でのモノ言いが前面へと押し立てられ、反論にも警告にもならずむしろ空気に色をあたえて増長させる効果をメディアが果たしていることに気づき、ノせられている自分の役回りに気づいてもーちょっと、うまく立ち回って欲しいと香山さんには切望しよー。聞こえてないけど。

 「週刊現代」の9月6日号が問題になっていると聞いて買う。なるほどこれは大問題、あの宮地真緒さんが朝ドラでのご奉公を終えてグラビアに復帰しては水着姿を大披露してくれいて、決してグラマラスではないけれどその分中身が締まってそーなボディを小さいビキニに包んでさらけだしてくれていて、弾力のありそーなお腹とか太股とかに手のひらをついつい這わせてみたくなる。宮地さんといえば胸よりも下腹部周辺での肉付きの豊かさが知られていて水着の写真集だとだいたいそちらに目をむけ立派だなあとこれまで感動して来たんだけど、「週刊現代」のグラビアは選んだ水着がそーした特徴をスポイルする色や形になっていて、悪くはないけど諸手をあげてはちょっと官能……ではなく感動できない。ので次にはライバルの「週刊ポスト」で衣装も含めて宮地さんの良さを引き出す演出で、グラビアを1発2発と掲載してやって頂きたいもの。期して待とう。同じ号では我孫子武丸さんが「院摩羅鬼の疵」を評してて「短編のまま1500枚書いた」って指摘に「少々強引すぎるやり口には全面的には首肯しかねるが、その驚異的なパワーにはやはり脱帽するしかない」「京極堂の宿敵となるのかと思わせた堂島大佐にも早く再登場して二人の対決を見せてもらいたいところ」ってゆー感想も含めて同意。

 新発売のDVDを買いに「石丸電気」に寄ったら備え付けのモニターで何故か堀ちえみさんの大昔のライブの模様が流されていて、そのいかにもな80年代アイドル的な衣装と踊りとバックの様子に、頭のどこかを突き動かされてされてついフラフラとDVDの「ちえみライブ」(ポニーキャニオン、3000円)を買ってしまう。断言するならアイドルとして活動していた頃の堀さんにはとんと関心がなく、ドラマ「スチュワーデス物語」で「ドジでノロマなカメ」と罵倒されていたことへの興味もまるで抱けなかったんだけど、「よみうりランド」のステージでいっぱいのテープに取り巻かれて唄う堀さんの、意外に真っ当な音程音質での歌声とそれから水着かレオタードかってなくらいに短くピチピチな衣装をデモで見て、バックで踊るミニスカートのスクールメイツ的なダンサーも含めてこれは「t.A.T.u」よりもある意味官能的だと心を刺激されてしまった。「モーニング娘。」とか松浦亜弥さんに”浮気”している30代後半のアイドリアンな方々は”原点”を思い返す意味もこめて是非に1枚、買ってはテレビの前で「C・H・I・E・M・I!」と叫んで頂きたい。同じ格好での復活コンサートは……どーなんでしょ。


【8月23日】 前回のドタバタ番外編が「宇宙刑事美星 銀河大冒険」だとするなら今回のしっとり番外編はさしずめ「お祭り前夜の夜」ってところかと、とらえて良いのかあるいはドタバタなギャグが基本だった「うる星やつら」の中に突然変異的に混じって異彩を放っていた、押井守さん演出の「みじめ!? 愛とさすらいの母!」みたいな回と見るべきなのかはまあ、人それぞれに考えてもらうとして「住めば都のコスモス荘」の第7話は、コスモス荘に集った同居人たちが夏祭りに向けて行くの行かないの浴衣を着るの着ないのとわいわいやっている中で、ドクター・マロンフラワーが祭りで悪さをしよーとあれこれ策謀していることでひとり沈んでいた栗華さんが、ふと気が付くとさまよい込んだ夢とも幻想ともつかない世界で、教師になって幼い鈴雄や朝香に出会い夏の思いでをもらい還って来るって流れがなかなかに叙情的で、真夜中のむし暑さも気持ち和らいだよーな気がした。

 ホッとさせられる終わり方といー見る人を優しい気持ちにさせるエピソードとして評価は出来るけど、150話とかあるうちの冒険的な回とかだったらまだしも決して長くはないシリーズの中で本編をまるで進めることなくドタバタをやったその次を、これまた本編とはあんまり関わりのない叙情で流して「どうだい良い話だろう」とやってしまうことが、果たして是なのか非なのか考えるほどに悩ましい。ご主人様の命令ならば聞くのが当然な栗華さんに妙な人格を与えてしまって全体との整合性が取れるのか、っていった問題もこれありで今後の展開でどんな扱いになるのか、それともまるで無視していつもどーりの主従関係に戻るのか、といった関心も浮かんで来てしまう。まあ気にせずその場で見て楽しいならオッケーって意見もなるほどなんで、ここは「良い話を見せて頂きました」と喜びながらもツルッと忘れて来週からの追いつ追われつのドタバタを、楽しんでいくことにしよー。

 早起きはしないで三々五々に「幕張メッセ」で始まった「C3」を見物。プレの時の「ミニモニ級ザク」の衝撃があまりに凄かったからなのか、その後に出てくる「機動戦士ガンダム」関連のグッズの圧倒的な感じの至らなさにちょっぴり寂しい思いを抱いていたけれど、今回もそーした寂しさを払拭するだけの圧倒感のあるグッズは出ていなくって、むしろ普通の人が普通に変える商品が中心になってしまっていて「これがビジネスなんだなあ」ってな感じで会場のあちらこちらを見て回っていたらビジネスの親玉が歩いてた。土曜日の朝から社長の人が場内を陽気に見て回って歩いているところを見るとビジネスであってもユーザーの気持ちはしっかり掴んだ商品は出して来てくれるだろー、これからも、きっと。信じて良い?

 品物では驚けなかったけど今回は集まった客層に激しく吃驚。「機動戦士ガンダムSEED」の女性層への人気はDVDが8万とか10万とか出ている状況からも分かってはいたけれど、「女性のためのガンダムSEED講座」めいた感じでしつらえられたブースを囲んでグッズを求める人の列の過半数が若い女性だったり、ブースの中に並べられた登場キャラクターの等身大パネルを横に記念写真に収まる人のほとんどすべてが若い女性だったりしている現実を目の当たりにするにつけ、男でそれもどちらかといえば”老人”のものだった「機動戦士ガンダム」がここに来て「新機動戦紀ガンダムWING」の時を上回って女性のものになって来てるんだっておとを実感する。惜しいのは掘り当てた新しい鉱脈が秋には放映終了となっても果たして掘り続けられるかってところでその当たり、ビジネスに賢い社長の人とか周辺の人とかが何かを打ち出してきてくれるだろーと期待しよー。「機動戦士ZガンダムSEED」とか(ないない)。

 隅にあったブースで「小麦ちゃん」のコスプレした女の子が鬱な顔で座っていたのは朝が早かったからなのか。AICが何か新しく作っていて「アニメ魂」枠内で放映されるロボットアニメはコックピットで操縦桿を握る女性パイロットの恰好がグッド、もしかしてそれだけかも。トイズワークスのくじは外れっぽいのでも「こころ」「あると」「いいな」の巨大フィギュアがもらえてプレーした人は嬉しいのか迷惑なのか微妙。僕もプレーしたかったけどこの後にい「市原臨海競技場」までサッカーの「ジェフユナイテッド市原vsガンバ大阪」を見に行くことになっていたんで悔しいけれど遠慮する。でももらっても家のいったいどこに置けばいいのやら。抱いて寝る? ぬいぐるみじゃないからなあ。天井からつるして毎朝「にこにこりん」と話しかけるか。

 1時間ほどで退散して千葉方面へ。時間が結構あったんで映画館で「パイレーツ・オブ・カリビアン」をよーやくやっと見る。シナリオ素晴らし過ぎ。過去を回想するイントロから現代へと移り気取った馬鹿者って感じのジョニー・デップの登場を経て本編へとなだれ込んでいった後に次から次へと起こる事件、バトル、冒険が目に休む暇を与えず一気にラストへと連れて行ってくれる。鍛冶やでのバトルなんて置いてある道具を使いまくりフィールドも床から梁の上から縦横に柄って逆転に次ぐ逆転を見せるなんてまるで「ルパン三世」か長編のマンガ映画って感じ。絵なら思ったとーりに描けるところを実写でタイミングも含めて完璧にコントロールしてみせる所に、娯楽映画を徹底して追及するハリウッドの凄みを感じてしまう。アートを意識して俳優のアドリブ監督の感性とやらを尊んでいたらこーはいかない。

 予告編で見た骸骨の海賊たちがバトルする絵が陰惨なイメージを醸し出していたけど本編はギャグまたギャグのオンパレードでちょっぴり笑えないギャグもあったけど、金をかけて真剣にやっているからか全体に見ていてレベルが高く笑いながらさあ次に何が起こるのかをワクワクしながら見ていけた。海賊だからなのかなあ。どちらかといえば善玉に属する主要なキャラクターがほとんど傷つかないまま進んでいったあたり、”母と子の”ディズニー映画らしさなんかも感じる。実に気持ちの良い(「彼は盗んでいきました」「あなたの心をです」に匹敵する気持ちよさかも)大団円を迎えて次回「キャッスル・オブ・シンデレラ」でどんな絢爛のドラマを見せてくれることやら、ってそんなタイトルだったっけ続編。「マウンテン・オブ・ビッグ・サンダー」だったよーな気もするし。それとも「パレード・オブ・エレクトリカル」だったかな。

五井駅からバスで「市原臨海競技場」へと向かいJリーグ「ジェフユナイテッド市原vsガンバ大阪」。韓国代表のオーセンティックに「10 Y S CHOI」のマーキングを入れて着ていって、これでチェ・ヨンス選手が出なかったらどーしよーかと心配したけど2試合の謹慎から明けてトップで登場しては、サンドロ選手に絶妙のスルーを入れて得点へとつなげる名アシストを見せて、彼が出ていればジェフは下期も相当に良いところに上がっていけそーな気がしてくる。さすがは現役代表選手、ひとり次元が抜けてます。

 試合開始からしばらくジェフが中盤を埋められず中盤をガンバに支配されて巨人・マグロンに合わせられそーになる危険が何度もあってヤバかったこととか、後半にチェ・ヨンス選手の絶妙の折り返しをサンドロ選手とかが外しまくっていたこととか心配事もあったけど、動きに関しては後半にグッと良くなり守備も1点こそ返されたもののおおむね抑えきった感じで、これで決定力がさらに高まれば2連勝からさらに先へと勝ち星を伸ばして本気で優勝戦線へと、絡んでいくのもそんなに妄想的ではなさそー。とはいえ来週は名古屋グランパスエイトとの試合だからジェフに勝ってもらってもちょっと困る。とはいえジェフが負けるのもつまらないんでここは前期みたいなとられないけどとれないドローじゃなく、打ち合い取り合ったあげくの3対3でのドローみたいな試合で観客を楽しませてやって下さいな。いけないけれど応援してます、鯱も犬も。


【8月22日】 ブギーポップの新しい奴「ビートのディシプリン SIDE2」(電撃文庫)をよーやくやっと読む。「SIDE1」がすでにどーゆー話か思い出せず、そもそもがわんさと登場するコードネームなり二つ名なりニックネームなりを保った統和機構とか反統和機構とかのちょーのーりき者(もの)たちが何時から出ていてどんな奴でどんな働きをしたのかも思い出せず、記憶の片隅にひっかかった名前に聞き覚えがあるなあと気分にもやもや感を醸しつつも、バックナンバーを探した所で出てくるはずはないんで気にせず読んでいると案外に気にしなくても読めてしまってちょっと安心する。いーのかそれで。

 いーのかも。ってゆーか過去にだれがどーしたってことを辿って読むよーな話ですでにこのシリーズがなくなっているよーで、今まさに目の前で起こっているちょーのーりき者(もの))がどんな技を繰り出しそれに、相手がどんな技を繰り出してどんな戦いを繰り広げるかってゆーバトルの圧倒感と、そーしたバトルのはざまでつぶやかれる人の刹那的な感情なり、諦念といったものをすくい上げて同様の気分に浸る心地よささ自分にとってのシリーズの楽しみ方になってるんで、バックナンバーが(負け惜しみとは言え)気にならなかっただけだったりする。

 世界が破滅に向かっている様子はなし。身近な社会にわかりやすい危機が迫っている訳でもなし。箱庭っぽい狭い場所でとてつもない力を持った奴らが一般人とは無関係に戦っているだけの話は身に迫る切実な悲しさを引き起こさないし、救われた感動も与えてはくれない。最初の頃はそーした話でも見て喜べたんだけど、いつまでも繰り返される箱庭バトルにそろそろ倦怠感が起こりつつあるよも事実だったりして、これからさてはて技のバリエーションに目を向け圧巻だと手を叩いて嬉しがり続けるべきなのか、それとも世界が膨らみ社会とコミットし始める時に期待を向けるべきなのか、迷いつつでもやっぱり読み続けるんだろーなー、ブギーポップの華麗な登場とその圧倒的な力がすべてを修練させる場面のカタルシスに酔うために。ちなみに今巻きは自分で技を使わなくっても戦い方だけは熟知していて百戦錬磨のちょーのーりき者を手玉に取る少年が圧巻。イラストがあまりに貧相でやられキャラっぽさで溢れてるんだけど案外にヘラヘラと長生きして欲しいもの。無理だろーけど。

 招待券が回ってきたんで近況の取材なんかもかねて炎天下のなかを原宿は「ジュラシック・パーク・インスティテュート・ツアー」へと出向く。夏休みも終盤に入ってきっと長蛇の列に2時間待ちは確実かも、なんて恐る恐る近づいていった会場は行列の行の字もなくスンナリとチケットを見せて中へと入れて拍子抜け。とはいえ決してまるで流行ってないって訳ではなくって、恐竜の化石なんかを見てからスタート地点へと移動するとそのうちに三々五々、ツアーへと向かう観客が10人20人と集まってきて最終的には40人くらいがぞろぞろと中へと向かう感じになって、これなら決して相手と1体1になって気恥ずかしさにまみれなくっても良さそーと安心する。

 すでに1度は見ているツアーは今回、どこがプレスレビューと違っていたかが観察点でたとえば冒頭のラボの場面では、難しい遺伝子の話を子供に向かってすることの問題をクリアするためか、手にぬいぐるみを持って子供の目をひきつけながら説明をして、ラプトルの赤ちゃんを見せるよーになってて工夫のあとが見られた。でもラプトルに指を食べられたってやるギャグはちょっと……かも。ちなみに前回とは違う女性でおまけに眼鏡っ娘だったんでギャグの寒さは置いて個人的には得点高いです。次の教育センターは前回は青年だったのが今回は女性のアクターになっててなかなかな頑張りぶり。でも演技をこなすのに精一杯でセリフが早くって聞いていてこっちまで焦りが出てきてしまう。

 まあ1度見ているから感じたことで子供は迷彩シートの下からバッツと出てくる教育係のお姉さんに目を向けていたから良いのかも。ブラキオサウルスの場面は前回の女性に対して今回は男性がターザンロープで登場、なかなかのイケメンでもしかしたらお母様方に人気出るかも。恐竜に草を食べさせる時に一斉に恐竜の名前を呼んでもらうよー子供たちに呼びかけたあたりは夏休み向け演出って感じ。ちゃんと声を出すあたりに子供たちの未だ失われない純粋性を感じる。これが6歳7歳とかになると手もつけられなくなるからなあ、醒めた笑い他人を小馬鹿にする笑いに染まって小賢しくなって。もっとも観客は4歳5歳の子供たちばかりではない訳で、そのあたりを見つつも夏休みが終わった後にさてはて、どのあたりをターゲットにした内容にするのか、あるいはこのまま「夏休みこども恐竜ショウ」で突っ走るのかに興味津々。10月の終わりがけになったらまた見に行こー。

 トリケラトプスも喋りに焦りが感じられて暑苦しい感じ。前回に見た女性がなかなか良かっただけにもーちょっと、オーバーにやるならやるで喋りではなく動作でもって見る人を引きつけて欲しいもの。次のステゴサウルスの看病をする場面に登場する女医さんは前回と同じでスカート姿が相変わらずに艶やかです。左右に動き回るよーになったり、ステゴサウルスの脇の階段をのぼって世話するシークセンスが付け加わっていたのは左右上下にダイナミックさを加えて目を引きつけるよーとしたからか。そこから肉食恐竜エリアへとは行かず翼竜エリアへと行って起こる事態は毎回同様。盛り上げ方に工夫がつけられたからか子供が大勢いたからか緊迫感が増しているよーに感じてプレスレビューの時よりも楽しめた。、まあ合格。けどこれも子供に合わせるか大人に合わせるかが難しい場面で、夏休み以降の展開がどーなるかに興味を抱く。また行かなくちゃいかんのか。

ingen社が最新の遺伝子技術で復活させた恐竜の卵を温泉の蒸気で茹でたものでございます  お土産エリアは前回よりも品物が充実していてノベルティのグッズの食品が山とおかれてて壮観。「チョコラザウルス」が山と積んであるのはチョコラザウルスファンの目に品物が届いていないからなのか、それとも入場料を払ってまで買いにいくには気持ちの障壁が高いからなのか。グッズでは「ゲームボーイアドバンス」用の会場限定ゲームってのが登場していてそのイマイチな感じが後にプレミアムを生む、かもしれないと思ってとりあえず抑える。トリケラトプスが行列で走ってる絵がなかなかにチープで楽しげ。「ファミ通」でクロスレビューやったらどんな点が付くんだろ。

 「ワールドサッカーマガジン」の9月4日号を買ったらACミランの新しいフォームの胸についているミランのエンブレム横に緑と白を赤の射的みたいなマークが張り付けてあったけどこれってコッパ・イタリアの優勝マークなんだったっけ、今売ってるレプリカにはついてないけどこれから売られるのには付くのかな、ちょっと興味。記事ではインテルのエムレ・ベロゾル選手が割に大きめに取り上げられていてなかなか。若くて背だって小さいのにすでに世界屈指のチームの中心選手として大活躍している様をみるにつけ、決してトップではないチームのそれも控え選手としてしか活動をしていないのに、ただ世界に出たってことでヒーローのよーに騒ぐ日本のメディアの不思議さを強く覚える。せめて小野伸二選手がアヤックスで不動のレギュラーだったら超えられないまでもエムレ選手の近くへと及ぶことが出来るのになあ。来シーズンこそは。


【8月21日】 そうそう「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」は入場券で近所の「東京都美術館」で開催中の「トルコ三大文明展」に入る券がセットになった奴もあって、ちょっぴりだけどお買い得になってるみたいなんで行く人が気を付けて。「アレクサンドロス」が紀元前に起こった西洋から東洋への文化の流入がひとつの主題なら、こっちの「トルコ三大文明展」は東西の狭間に位置して栄えたトルコに入り込んでは発展を遂げた西洋と東洋の文化の形がひとつの主題になっていて、動いては集まり集まってはまた動いていく人の営みのダイナミックさに改めて目を奪われる。

 ヒッタイト帝国に関する展示はくさび形文字の石版が目玉になっているみたいだったけど読めない上にエジプトなんかにある象形文字みたく見ても楽しいものじゃないから東京の美術館向きじゃないはずなんだけど、珍しいのか人がケースの前にたかって近寄れず離れた場所から今に伝わる記憶の形に果たしてどんなことが書かれそれをどんな思いで当時の人が刻み読んだのかを想像する。記憶を形にして残す文字のすごさにちょっと感服。ビザンツ帝国に関する展示はローマからの影響を受けつつ華麗さ華美さが下がり様式が加わった感じが見て目に美しくはないけれど中世っぽくって興味深い。モザイクは実によく出来ていました。

 オスマン帝国の目玉は、ってゆーか展覧会自体の目玉って言えそーなのがトプカピ宮殿に今も残る巨大エメラルドを3個はめ込んだ「トプカプの短剣」で、そのあまりのエメラルドの巨大さにこれって本物の宝石なんだろーただのガラス玉じゃないのかって瞬間疑いたくなる。そんな宝石の華麗さに目を奪われがちになるけれど、鞘の方に作り込まれたエナメル七宝による果物の細工がこれまた素晴らしく、細かい色と形をよくもここまで作り込んだものだと昔の職人の腕の凄さ確かさに目を奪われる。これだったか他の宝物だったか忘れたけれど、オスマン帝国のスルタンの人はこーした豪奢なものを自分のためじゃなくって贈り物として作らせて、贈って相手がその権勢の凄さにひれ伏せば戦争よりも安く世界を安寧に治められているって考えていたそーな。簒奪しまくった挙げ句に逆らおーとすれば全力を挙げて叩きのめすのが好きな今時の帝国の王様に、聞かせてやりたいエピソード。オスマン帝国が600年保った理由、考えないとね。

 暑さに微睡む1日。涼しくなった夕方に買い置きしたまんまだった「ウィッチハンターロビン」のDVDを3巻分一気に見る。STNJが襲撃される前後から逃亡したロビンが凪羅弁護士のところで匿われつつもピンチに陥ると仲間の所に現れ救う流れの所で、飛ばし飛ばしテレビで見た記憶もあるけれど、死ぬほどに黒い印象しか当時はなかったのが今見ると案外にエンターテインメントしている所もあって真夜中にやってたって先入観とか環境とか、左右される条件をいったん殺いだところで作品って見直してみる必要もあるのかも、なんておとを思う。ひたすらに暗い印象しかない「テクノライズ」もDVDで見るともしかしてポップにロックなエンターテインメント・アニメだったりする……訳ないか、そーいやこの2週間ばかり見てないなあ、DVDどーしよーかなー。

 映画なんてほとんど見ない人間でも名前くらいは一応知ってる今村昌平監督について村松友視さんが書いた「今平犯科帳 今村昌平とは何者」(NHK出版)を仕事でペラペラ。その大昔に「栄光なき天才たち」で川島雄三が取り上げられた時にそのおそらくは種本になった今村監督の本から抜いたらしー助監督時代のエピソードから、監督となって1本立ちして作った数々の作品の裏話、そして最近の状況までを関係者たちに詳細にインタビューしてまとめてあって、その凄みにこの爺さんただ者じゃないって今更ながらに気づかされる。何しろあの三池崇史監督を悪態をつかせるんだから相当なもの。撮って完成した映画のラストシーンをラッシュで見て気に入らないといってカットし整合性の取れなくなったラストを改めて撮り直させる(もちろんノーギャラ)んだから相当なもの。なのに悪態はつかせても決して悪人だとは思わせないところに、映画にかけるその熱情が放たれていてそれを映画に関わる人たちに分からせているからなんだろー。

 三池さんの「監督日記」なんかでも確か触れられていたっけか、今村監督が目下最大の懸案として撮りたがってる作品「新宿桜幻想」についても紹介されてて、新宿二丁目で育った少年が精神的にいろいろなことを経験していくその内容にとてつもない興味を覚え、是非に撮り上げて欲しいものと感じる。実は三池さんによればすでに一部が撮影されていたそーだけど、そこは今村さんらしく上がったラッシュを見てこれは違うと撮り直し、また別の人をあててゴーして駄目を出すってことの繰り返した挙げ句、今は止まってしまっているらしー。村松さんがこの「今平犯科帳」をテレビの企画を終わった後も引きずって書いたのも、ひとつにはこの映画を是非に撮ってもらいたい、そのために今村監督のことに作品のことを知ってもらいたいって思いがあったからだそーで、果たして世論が喚起されるか否か、とりあえず本の中身が大勢の人の目に触れて、世論に伝わり巨額のお金をポンと出すスポンサーが現れて欲しいところ。映画作りにここんところ熱心な広告代理店とか、いかがっすか。


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