縮刷版2003年2月上旬号


【2月10日】 あー満7年だ、だからどーしたってこともないけれど、とりあえず次は満8年を目指そー、それでどーなるってこともないだろーけど。それはさておき白たっぷり、だった「ストラトス・フォー」は一部にカラーな人もいたけどとにもかくにも見せまくりな30分で、猫が主役のまるで本筋とは無関係なお話だったにも関わらず、いつも以上に集中して見ることができた。これが毎週続けば心の幸せも頂点を極めるんだけど、それだとお話がまるで進まないから仕方がないと諦めて、せめて5話に1回はこーしたノホホンとした展開の中で、白にピンクに紫な奴をどーんと見せまくるエピソードを入れて頂きたいもの。それだと嫌でもDVD、買わなくっちゃいけなくなるから。

 アミューズが京都で開いた新人アーティストの発掘に見事入選、はしなかったけれど作品の筋の良さに着目した会長の人だかがフィーチャーしたのかそれとも会社一押しなのか、東京での展覧会にメンバーとして入っていた寒河江弘が、今度はいよいよ個展を東京都調布市の「調布文化会館」にて開催の運びに。主催は「調布市文化・コミュニティ振興財団」だからアミューズとの関係があるかどーかは不明だけど、安藤希さん演じた咲夜のフィギュアを始めにタレントやら落語家やらスポーツ選手やら怪獣やらといったお得意のフィギュアが数々展示されているとか。すでにスタートしていて期間は3月18日までの予定で2月24日25日はお休み、時間は9時から21時半と長く開いてるんで立ち寄る機会があったら行こう。飛田給の「味の素スタジアム」でサッカーの試合があれば寄れるんだけどナビスコ杯とかあったかな。

喋るラジオは喋るバイクより偉いのかどーかは今後の研究課題にするとして、壁井ユカコさんの電撃ゲーム小説大賞で見事「大賞」とやらを受賞して千金を一攫した「キーリ 死者たちは荒野に眠る」(メディアワークス、550円)はなるほど冒頭から結末まで良く出来た小説で、幼少のみぎりの人だかロボットだかが目の前で射殺されるシーンを少女が目撃した話をプロローグに、長じて学生になった少女が霊感の強さ故に阻害されていたからこその出会いと冒険を本筋にしながら生きた人の遺した想いをたどり癒していく展開が、達者な筆致でんもって描かれていてページを繰る手を休ませない。事件が起こって大逆転が起こるクライマックスのスピード感もなかなか。畳みかけるよーな展開に圧倒される。

 プラントが壊れたら人は死ぬしかない「トライガン」の世界ほどには、同じよーに過去のテクノロジーに頼るしかないにも関わらず、生活する上でのシビアさが透けてこない部分が気になったけど、世界観の綿密さよりも永遠とも言える命を持ってすべてを見てきた男と、過去の残滓を幽霊という形で見ることができる少女を通して、人間が生きていて抱くさまざまな想いをすくい取り、描き出していく話と捉えれば悪くない。いかにも先へと続きそうな結末が、最初からのものだったのかは分からないけど、いずれにしても続くだろーことを予想しつつ、だとしたら人の想いの諸相を描くことと並行しながら世界の成り立ちについてもちょっとは示していって欲しいもの。不死者とゆー存在を成り立たせているテクノロジーが何で、教会が世界を支配するその力のよりどころは何なのか、といったものが分かれば「ちょっと良い話」にシリアスさも加わって、読み手により強い感銘を与えるんじゃなかろーか。まあしばらくは2人と1ラジオの恢復と癒しの巡礼譚でも楽しめるから、それで続けても良いんだけど。

 ぴあから出ていた「新しいカルチャー・ジャーナル誌」って惹句の「インビテーション」創刊号を買ってみる。新雑誌を買ってまずはどんな人たちが書いているんだろーかって似た稼業にいる身として確認をしてみるんだけど、仕事の範囲として関わりがありそーな書評の分野で豊崎由美さんに最相葉月さんに仲俣暁生さんに永江朗さんといった中堅で書く物もほぼ確実な人たちがメンバーとして文章を寄せているってことを見て、なるほど思いっきりメジャーではないけれどそこそこにメジャーを狙った雑誌なんだな、って感じる。駆け出しを大冒険して読んで面倒されるより確実だし、それなりに固定のファンも出始めている人たちってところで、冒険心よりも手堅さを狙ったって感じかな、小説関連に関しての話だけど。

 もっともこれは映画評についても言えることで、蓮見重彦御大を筆頭に青山真治さん中原昌也さんとゆー「三島由紀夫賞」同一受賞のコンビが文章を寄せていたりする辺りに妙な行儀の良さを見てしまう。とはいえ一方ではクロスレビューに大森望さんとそして柳下毅一郎さんが起用されてて、青山さんと同じ雑誌にご登場とは、セレクトした編集部員の目配りの良さにちょっとだけ感心したけれど、それでも超新鋭よりは中堅をセレクトしたって辺りに安定志向な読者層の狙い目を見る。特集の映画にしても村上隆さんと北野武さんを並べたアート関連の特集(本の宣伝も兼ねたもの)もエッジが立ってるとか内容が突出しているって部分はなくって、読んでつまらないことはないけれど、読めば得するとか読まないと時代から遅れるとかいった感覚にはそれほど囚われられない部分からも、誌としての行儀の良さを感じる。これからも買うかは特集&コラム次第。コラムに特集に活躍の町山智浩さんの徐々なる暴走に期待。


【2月9日】 「ギャラクシーエンジェル」のBパートは超久々のマジ話で蘭花の世話女房っぽさが発揮されてて蘭花ファンには嬉しかったのかどーだったのか。宇宙トビウオだか宇宙殺人フライングフィッシュだかに食べらそーな宇宙船に乗っていたキャプテンを助けよーとする蘭花の活躍が15分いっぱいに描かれていた話で、よく分からなかったんだけど相手が美形だからって慌てず騒がないなかった所をみるとキャプテンって女性だったのかな、薔薇の惑星で崩れ落ちる乙女のシーンとのつながりが1見しただけでは分からなかったんだけど見返そーにも最近ずっとビデオに撮ってないから調べよーがない。まー終わってしまえば来週が楽しみな「GA」なんで何かちょっと良い話があったねえ、ってな感じで記憶に留めておくことにしよー。Aパートはスクール水着のヴァニラさんを何故見せん?

 仕事に必要なリストが週末までに上がって来なかったんで仕事は火曜日に伸ばして(月曜日にちゃんと来るのかな?)浜松町で開かれているg「ギャラクシーエンジェル」オンリーイベントの「私の天使サマ」を見物、とりあえずは「内藤製作所」って所へ行って前に1枚買って野尻抱介さんに回した「元祖ノーマッドTシャツ」を折角だからもう1枚買い込む。看板に「星雲賞授賞式で野尻抱介さんも来ていた(笑)」って出ていたのに笑い。もしも「日本SF大賞」を受賞していたらもう1度着て登場したのかなあ、さすがに「SF大賞」じゃあ無理だよなあ、まあ「星雲賞」は今年もあるんでその時にはTシャツの方も2年連続で是非に。Lが小さいなら「とらのあな」に行けばXLもあるそーです。

 本の方はざざっと見て主にショタコンビ物を1冊2冊買い込んだ程度。いじりやすいショタコンビ物があんまり出ていなかったのはそれだけファンにも疎まれている証拠だったりするんだろーか、ちょっと勿体ない、メアリー少佐物とか是非是非読んでみたいのに。割に賑やかだった「私の天使サマ」会場の隣りは同じブロッコリー物では先輩格の「デ・ジ・キャラット」ほかなこげどんぼさん作品オンリーイベント「にょ!」も開催中だったんでついでに見物、受付にうさだがいて背中が可愛かったよ。出ているブースの数は「私の天使サマ」の半分程度で、現状での人気の差がちょっと現れたかなって感じだったけど、今日は六本木でイベントもあったんでそっちに出張っていたのかな。こちらではとくに買わず。同じ建物の上と下でもイベントやってて除かなかったけどそれなりに賑わっていたよーで善哉善哉、世界は不景気でも同人は滅びず続くのです、たぶん。

 新宿へと回って島本理生さんの芥川賞候補作「リトル・バイ・リトル」(講談社、1300円)のサイン会を見物、20分前に到着するとすでに階段に行列が出来はじめていて、話題性だけなら今まさに旬ってところを見せつけてくれる。昨日の竹本健治さんのサイン会はどーだったんだろー。およそ30分くらいを待った後にいよいよご対面となった島本さんは19歳ってゆーより15歳って感じのおとなしめな娘さんで、この風貌この雰囲気であの話を書いたって言われればそーですかそれは大変に素晴らしいことですねと、誰だって思いたくなるだろー。10年経っても変わらずこの清楚さを維持し続けていたら例え書くのがまったく同じよーにミニマルな日常のささやかな事件の積み重ねだって、うんうんよく書いたねって受け入れられて読まれ誉められることだろー。ゆめゆめブンダンなんぞに染まらないこと。いっそ高校に留年し続ければ、看板だって今のまんまで書き換えずに済むんだろーけどそれはさすがに無理だろーから、せめて大学は8年通って現役女子大生作家で27歳まで頑張って頂きたいもの。そこまで保てば後もなんとかなるだろーし。

 隣りの「アドホック」にあるコミック売り場の隅に設けられたバーゲンブックのコーナーで何故か久保書店の「SFノベルス」シリーズの何冊かと「QTブックス」の何冊かが出ていて珍しくってジョージ・H・スミスの「第2次宇宙戦争」なんかを買ってみる。「宇宙戦争」のパロディらしー話で25年前に出会っていたらきっと面白さにのたうち回ったことだろーけど、今となっては果たしてどこまで面白がれるのやら。「SFノベルス」ではあとジョン・W・キャンベル「太陽系の危機」とアラン・E・ナース「謎の恒星間航行」なんかが出ていたよーで、「QTブックス」はA・バドリス「第三次大戦後のアメリカ大陸」とかE・ハミルトン「最後の惑星船の謎」なんかがあったかなあ、記憶力薄いんで欲しい人は自分の目で。破裏拳竜先生の「激殺 宇宙拳」もあるんで生徒の人は買ってサインをもらおう。


【2月8日】 新第三東京市方面の温泉から箱根登山鉄道に小田急を乗り継いで下北沢から渋谷へと周り三軒茶屋へと向かって今日から始まった三軒茶屋中央劇場での今敏監督によるアニメーション映画「千年女優」の上映初回を見物。名画系2本立て興行の館で何とかってゆー名作洋画の後に始まった「千年女優」は相変わらずに完璧なまでの傑作で、テレビなんてちまちました画面じゃなくって大きなスクリーンいっぱいに描き出される女優・藤原千代子の想いの丈を、5・1chなんかじゃないけどそれでも大音量で館内に響く平沢進さんの音楽とともに全身で味わい尽くす。

 映画が娯楽の王様だった時代を思い出させる内容の作品を、映画が娯楽の王様だった時代の余韻を感じさせる劇場で見られる幸福とも相まって良い感じ。同じよーに劇場で見たいって思った人が結構な数来ていたみたいで、ふだんから通っていそーな映画好きのお年寄りから若い女性からアニメがいかにも好きそうな当方を含めた男性陣まで数十人が、昔懐かしいペカペカとした椅子にすわって狭い前との感覚の中を足折り曲げ痛む尻ずらしながら映画に見入っていた。残る希望はこれを再びサラウンドばりばりな高品質の音響設備を持ったシネマコンプレックスあたりでゆったりと見たいこと、だけどこればっかりはなあ、劇場の都合もあるしなあ、来年の「アカデミー賞」でもとってくれれば凱旋上映ってこともあるのかな。上映は14日まで。行けよ千年の悔い遺さぬために。

 神保町へと回って早売りのアニメ誌など。もちろん目的は新海誠さんの新作「雲のように風のように」、じゃないこれは「後宮小説」のアニメ版で新海さんのは「雲のむこう、約束の場所」ってタイトルの、今年公開となる新作アニメーションのパイロット版が収録されたディスクで、まずは取り出した「ニュータイプ」のDVDで内容を確認、飛び出す「ほしのこえ」ライクな雲と風と空気の感じに期待できそーだと思いつつ、その動きっぷりにはぎこちないなかを頑張って動かしていたアマチュアっぽさがデファクトになりつつあった先入観が刺激されて、微妙な違和感を持ってしまった。それだけ「ほしのこえ」を見過ぎてたってことで。お話の方はまるで説明を読まずにただ上っ面だけを噛んで「最終兵器彼女」が「イリヤの空、UFOの夏」してるっぽさを感じてしまったけれど、そーそー甘い線を狙ってくる人たちではないだろーから先例のある設定をくつがえしてどんなドラマを見せてくれるのかに逆に大いに期待しよー。何だ制作発表会なんてあったのか。

 しかしそれよりも驚きなのは「新世紀エヴァンゲリオン」のリニューアル版がまるまる1話、DVDには入っていたことで宣伝にしてもその大盤振る舞いぶりにGAINAX(新居披露には「ここにいてもいいのか?」気分になだろーと気後れして気が引けて行けず)の気合いの入れ様の凄さを見る。どれほどリニューアル版に気合いを入れているかといえば、付録DVDの前半がリニューアル版と通常版を画面半々にして収録しているって点からもうかがえて、面倒っぽい編集作業を経て収録された左がリニューアルで右が通常版って映像を見れば、色彩やコントラストの鮮やかさに「これなら買おう」って気にさせられる。黒いところは黒く白いところは白く黄色は黄色で赤は赤。白も黒も緑も黄色も赤いどこかの最高品質とのDVDとは最高の感覚が違います。変わってないよーでミサトさんの演技はマリュー・ラミアスとは違うなあ、年期って奴かなあ。

 「アニメージュ」2003年3月号は新海誠さんづくしのCD−ROMも伊藤郁子さんへのインタビューもあって悪くはないけどでもでもやっぱりこれに尽きるってのは「ギャラクシーエンジェル」の版権イラストであることに万人の異論はないだろー。だってだってあの感涙と官能のエンディングに登場するギャラクシーアイドル隊がエンディングを担当している鈴木典光さんの手によって描かれているんだからこれはもう買って眺めてちょっとだけ舐めてそれから永久保存するしか道はない。ミントとヴァニラのシースルーになったスカート部分から透けて見えるハイレグVカットの先端部分の土手っとした感じ、最高です。小さいけれど弾力ありげなミントのお尻もグッドです。心残りは張りだしたフォルテさんの胸がミントの腕に隠れてちょっと見えないところかな、この編は今月分で負けてる「ニュータイプ」に巻き返しを期待したい、ってゆーかやれ。

 間もなく誕生日を迎えよーとしているアストロな少年の微妙に媚妙なイラストを表紙に配したその英断をもって誉め讃えたい斎藤環さんの新刊「博士の奇妙な思春期」(日本評論社、1800円)は、内容においてもおたく系の文化の状況から渋谷池袋あたりを闊歩する今時の若者の心情からライフワークとするひきこもりへの言及からと多岐にわたるテーマに関する文章が収められていて、若者に関する評論集であると同時にちょっとした「斎藤環関心空間」的な本にもなっている、よーな気がする。若者だけあってそこから切っても切り離せないセクシャリティの問題に、結婚しなさいと言ってくる母親へのウザったさに似た忌避と嫌悪の感情を惹起しかねない可能性を気にせず正面から挑んでいるのにも感心、ウザく感じる歳でもなくなったからそう思えるのかもしれないけれど。

 おたくの男にやおいの女が対立項っぽく扱われているのが微妙に気になる所で、そこかしこからここにひっかかりを見る声が「網状言論F改」と同様に出てきそーだけど、そーゆー見方がなされうる面もあるからこその言及だろーし、立場として「われわれに可能な役割があるとすれば、それはもちろん『おたく文化』の批判者、否認者たることではない。そうではなくて、むしろ積極的に彼らにかかわりつつ、『抵抗』をものともせずに解釈を投与し、外部からの彼らの創造性を挑発し続けること」(56ページ)に重きを置いていることもあるんで、異論反論を与えつつもだったらどーゆーことなんだ、ってことを考えていければ良いけれど、頭回らないだよなー、最近、歳食って。

 興味深いのは第9章「心理学への欲望、あるいは対抗の倫理」のラストの部分。あれやこれやでコメントを出しまくっては事件にある種の「わかりやすさ」を一般の人に与える役割を果たしている心理学者なり精神分析医に関する文章で、とりあえずは「『こころの専門家』はいかに身を処すべきなのか? 一切のコメントを忌避して口をつぐむのか。こんな認識などなかったかのように、素朴にコメントを出し続けるのか。あるいは、あえて消費を加速しつべく道化を演じ続けるという、八〇年代的な身振りを反復するのか」といった問いかけを自らにしていて、そこから導き出した結論の、「さしあたりの戦略は、コメントする際、『精神分析』に依拠し続けることである。その立場から発言し続ける限り、すべての人が私の発言を真に受けることはありえない」とゆー言葉が持つ、「精神分析」をわかりやすい物語の補完材料としかとらえていないマスコミとそして受け手への諦めとも取れるニュアンスが、わかりやすさに収めがちな情報の出し手として身に響く。

 「物語よりは事実が大事」なことにマスコミが改めて気づくことと、そうなったマスコミの上で真実の番人に戻ることが可能ならそれに越したことはないけれど、わかりやすい物語が集団への同調意識も加わってより求められる方向へと世の中が加速している今の状況では真実の大事さなんて訴えよーにも届きはしないだろー。残る希望は受け手も精神分析から「常に一定のいかがわしさ」をちゃんと感じ取ることだけど、最近はそーでもないからなー、送り手はマジになっちゃってるし受け手はいかがわしさを見ないよーになっちゃってる。今や香山リカさんはいかがわしさの記号ではなくわかりやすさの象徴でしかなかったりするし。こーなれば斎藤環さんいはよりいかがしさをその言動に込めてもらうしかない、ってことはつまりテレビに出るときに表しの鉄腕な少年の格好をしてもらうこと、だったりするんだけど。やりません?


【2月7日】 来週に迫った「網状言論ZZ」、じゃない「網状言論DETH&RIBERTH」、な訳もない「網状言論オンリー・ユー」、な訳もない「網状言論RePure」のチケットを買いに池袋の「リブロ」まで行き頼んだら出てきた整理券番号が58番で、人気者の勢揃いなイベントだからすでにして満員御礼札止めも覚悟していた気持ちがちょっとだけスッポ抜け。まあ間際になって買いに走る人が大勢出るのがイベントってものだからこの週末とかにはきっと、結構な数がはけるんじゃなかろーか。メンバーは東浩紀さんに斎藤環さんに佐藤心さんに西島大介さんんい鈴木健輔さんとゆー、斎藤さん東さんを除けばそこはかとなく知れて来た人たちで、今顔を見ておくともしかすると30年後ぐらいに自慢できることになるのかも。文化面か社会面かは分からないけど。

 その斎藤環さんは「文学界」の連載「文学の兆候」で「ひきこもり文学は可能か」ってテーマで我らが滝本竜彦さんを大フィーチャーしてて、正直おせーよ、とか思ったけと口には出さずにいよいよ文藝なところへと広まり始めた滝本さん人気のこれからに激しい期待感を抱く。いっしょに佐藤友哉さんも取り上げられていて、内容については立ちでも買いでも読んでもらうのが良いんだけど、最後に「終わりに」で書いてある文章がなかなかに凄絶で感動的、なかなか次の出ない2人に対して「君たちは書き続けなければいけない。君たちはその投瓶通信に等しい作品を、それでも冥大洋へと当時続ける必要がある」って感じに。ポリスの「孤独のメッセージ」なんかを引き合いにして強烈なメッセージを贈っている。「誰でも孤独であるという点において孤独ではないのだ」とは歌詞の中の言葉だけど、それが届き聞き入れられることを切に願う。村上さんも頑張って。

 これが16歳の高校にも入りたてって人が書いたんだったら読まないまでもちょっとは話題にしても良いんじゃないか、って思ったけれど高校生とはいえ19歳にもなってて来年は20歳って人が書いたお話としてどこまで、評価できるんだろーかとゆー先入観を持って手に取った島本理生さんの「リトル・バイ・リトル」(講談社、1300円)だったけど、1時間もかからずに読み終えて感じたのはつまりは世間のそこはかとない狭さで、とてつもなくミニマルな関係を描いてそこに大勢の人たちが共感を呼ぶよーな要素を混ぜ込んで、気を惹くよーな作りになっている点が、そーした要素にビビッドに反応したがる大人に受けたんじゃなかろーか、ってなことを考える。

 母親がマッサージの仕事場で失業した所を出迎える娘の描写から始まる物語は、ひとりめの父親は穀潰しで家を飛び出て行方知れず、2人目の父親は妹を遺して先だって離婚してこれも出奔しては寄りつかない、母親1人に父親違いの娘2人の家庭を舞台に進んでいく。主人公は姉の娘の方で父親がいないせいもあって高校を出たものの大学に進学するお金がなくティッシュ配りとかのバイトをする日々で、そんなある日、母親が再就職したマッサージ屋にやって来たキックボクサーの少年と知り合って、恋とゆーほど熱いものではないけれどおたがいにそこはかとなく惹かれ合うものがあったのか、あちらこちらへと出かけては恋人っぽい会話を(何故か敬語で)している。事件といったらモルモットが死ぬことと、通っている書道教室の先生の奥さんが死ぬことで、そんなちょっとした事件を挟みながらも展開はぬるぬるとそしてゆるゆると、家族3人に周辺の人たちが絡む者係が繰り広げられる。

 なるほどちょっとだけ不幸っぽさがあってちょっとだけ健気っぽさがあってちょっとだけ色っぽさがあってちょっとだけ哀しさがあって、って感じに決して深刻にはならない範囲での出来事が漫然として描かれ、要素として綴り重ねられていくだけの物語は、圧倒的な感動もなければ徹底的な熱血もなく、坦々としていて読んでいてまったく嫌な気持ちにさせられないし、苦しい想いも抱かせられない。文章にも凝ったレトリックはまるでなくって、「なになにした」「どうだった」といった感じが延々と続いていて、なのに抑揚がない訳でもなく、飽きる寸前に場面が変わり投げ出す目前でお話が終わる収まりのよさ。残るものはといてばこれまたまるでなく、ただただ読んでいる時間に読んでいる内容が目の中を通り過ぎていく感じがする。こーゆーのもある意味才能だったりするのかな。個人的には例えば紺野キタさんんの「あかりをください」に描かれている女子高生の居場所の無さに悩みながらも前を向く姿とか、橋本紡さん「毛布おばけと金曜日の階段」に描かれる訪れた不幸を通して平凡な日常のありがたみを噛みしめる物語の強さの方が好きだけど、どっちも現役女子高生じゃないし文学でもないから話題にもなりはしない。困ったものです。とりあえず9日だかに「紀伊国屋書店」でサイン会があるんで今年度中は立派に「現役女子高生」な人のサインを頂いて来ることにしよー。


【2月6日】 と思ったらすでに新海誠さん当人が公式サイトの方で告知済みだった新作「雲のむこう、約束の場所」のパイロット映像を「アニメージュ」と「ニュータイプ」に収録する件を見て、その人気のほどに改めて感じ入る、教えて頂いた方には感謝。「ニュータイプ」がDVDで「アニメージュ」がCD−ROMなのは準備できるオーサリング施設なりプレス施設なりの差が出たか、はたまた単純に資金力の違いか。それにしても付録合戦が盛んになってきたアニメ誌の世界は、昔はそれこそ「となりのトトロ」のイメージボードがポストカードになったものが付いていただけで大喜びだったものが、今では「パトレイバー」のOVA1話がまるまる入ったDVDに「デ・ジ・キャラット」のTシャツが付いたりして、どんどんと豪華で豪勢になっている。さすがに女性誌みたくワコールのパンツが1枚、付くって状態には媒体の特製もあって至ってないけど、業界ではお隣のモケイ誌がプラモデルの部品に「ワールドタンクミュージアム」の丸ごとといった具合に付録のエスカレーションが見えるだけに、アニメ誌もやがていずれは映画1本まるまるとか、ついたりしたらちょっと嬉しい、セル画はいらない。

 今日もきょうとて「ヘブンアーティスト」合格者のパフォーマンスが「サンケイビル」前で開催されてはいたんだけど、ダンスの集団「海月 KURAGE」じゃなくってパントマイムだかの藤和三とゆー人で、呼び込むでもなくひとり台の上に立って時間までを待っていたところに折からの強風が吹いて周辺に置いてあった小道具が、お金を入れてもらう洗面器ともども吹き飛ばされるとゆー事態に陥って一苦労、せっかく整えた呼吸を乱して道路にまで飛んだ袋を取りに行ったりしているうちに、お昼休みの時間も過ぎてしまったのかパフォーマンスをしている前には人もあんまりいなくなり、結局何かやったのかどーかも分からないままで公演可能な時間を終えてしまった。教訓、冬にパントマイムは難しい。来週はさすがにハッピーマンデーに出来なかったのかそのままの日程で火曜日が建国記念日のお休みで、「ヘブンアーティスト」の人が来てくれるのかは分からないけど今週については火曜日、木曜日とも違う人が来たからきっと、来週木曜日も違う人が来て何かを見せてくれるだろーと楽しみにしたい。サンキュー手塚さんとか来てくれないかな、雪竹太郎さんの「ゲルニカ」は人がいないから難しいだろーな。

 場所は荒野とでも言うんだろうか、平地が続く場所に見上げると空の遙か彼方まで伸びる軌道エレベーターにも似た1本の塔、人工物というよりは天然の岩が細く長く直立したような状態のその塔が突然、音もたてずに倒れ大きく崩れ落ちて、地面の上で棒のような形となって横たわる。その根本になって地平まで伸びる塔の残骸を見ようと集まる人たちに混じって、高台に登って前を向くとそこには何故か藤原紀香さんが座っていて、そのスカートのスリットだかきわだかから履いているパンツのラインがチラチラと見えるから胸はもう大騒ぎ、これはシャッターチャンスと思い取り出したデジタルカメラを操作しようとすると、なぜかうまく動かずその間にも見えていたパンツが見えなくなったりして気持ちを大いに焦らせる、という夢を見たんだけど思い返しても意味がまったく分からない。直前には文学フリマっぽい場所で痩せてない岡田斗司夫さんが同人誌売ってる場面も出てきたし。脳って不思議、だなあ。

 回し蹴りの強力な女の子は好きですか? って聞かれれば好きだと答えるのが健康な男子ってところでそれは蹴られるカイカンと同時に蹴ろうとした足の付け根に見える、かもしれない白への可能性を考慮してのことなんだけど蹴りがあまりに強力だと、飛び散る火花に見た白の眩しさも霞んでしまうのかもしれない。坂本和也さん「リアルライフ この時代に生きることを」(エンターブレイン、640円)に登場する響奈々子って女の子の蹴りはそれはもう強烈で、同じ演劇部に所属する同級生の骨竜七郎がボケにマヌケにスカポンタンな反応を見せるたびに回し蹴りを放ち跳び蹴りをくらわせハイキックにローキックに前蹴り後ろ蹴りをくらわせ、遙か遠くへと吹き飛ばしてしまうから素晴らしいというか恐ろしいというか。もっともそんな蹴りにも動じずものともせずに立ち直っては前以上の減らず口をたたく骨竜も骨竜なんだけど。

 最初のうちはそんな味のある会話の妙で重ねてつむぐ学園ドラマかと思っていたらこれが途中から様子が変わってきてちょっと吃驚。携帯電話で指定された相手と戦う「試合(ゲーム)」に実は骨竜は傘下していて、それも単なるストリートファイトとはちょっと違った要素を持った「試合」でそれを何故か骨竜は、すでに何回も勝ち上がっていたのだという。「ゲーム」とはいったい何なのか、でもってその果てにまっているのは何なのか、といった興味が前面へと出てきたところで冒頭からしばらく繰り広げられてはとてつもない面白みを与えてくれた前半部分の雰囲気が、変わってしまって戸惑うけれど、奈々子と骨竜とのくされ縁は最後まで繰り出されてはそこはかとない楽しみを与えてくれたりするから良しとしよー。とにかく骨竜とゆー男の造形が圧巻、こーゆー奴にわたしはなりたい。

 600歳にして初恋とはまあ、ずいぶんと奥手な婆さんだと思うのが普通だろーけどあいにくとレイ子は女狐なんで、って書くとさらに誤解を受けそうだからただせば霊狐すなわちキツネの精霊なんで600歳は花も恥じらうお年頃、といった感じになるのかな、ともあれさくまゆうこさんのシリーズ最新刊「札屋一蓮! コイは恋に通ず」(コバルト文庫、438円)は初恋に悩みもだえるレイ子ちゃんが冒頭から登場しては相手を思ってため息をつき、相手に声をかけられてはにへらと頬緩ませるユルユル状態。でもって果てには許されないその恋を棚上げしよーとして恋い焦がれる相手を命のピンチへと追いやってしまうものだからもう大変、お相手の父親にご先祖様が登場してはどうにかしよーと京の街を駆け回る。バケモノとの戦いもなく1巻みたいに人の悩みのあれこれが示されては救われる展開もなく少々、ドラマ性にはかけるけど代わりに可愛いレイ子が出ずっぱりになっているから幼女、の格好をした600歳のファンには嬉しい1冊かも。良いペースで出てるんで次も早いかな。


【2月5日】 偉い人が偉さを見せつける堅苦しさから抜け出して隣の大手町ビルに去年から店を開いている中古レコード売り場で掘り出し物探し。といってもとりたてて珍しいものが見つかるでもなくあっても福岡ユタカさん岡野ハジメさんホッピー神山さんって面々がいた「PINK」のLP「光の子」くらいで、ちょっと欲しくなったけど3枚1000円で残り2枚に買って良さそうなアルバムが1回で決まらず、後に回してCDの棚なんかをザッと見て発見、その昔に近所のレンタルCD屋で借りてカセットに入れて、何度も繰り返し聞いていた障子久美さんのセカンド「MOTION&MOMENT」が並んでいたんで、中古で申し訳ないとは思いつつもついつい買ってしまう。前に借りた時もこれなら買っても良いかな、と思ったものの近所のCD屋で品切れで、残っていたファーストとサードを買ったんだけけど、肝心なセカンドだけが抜けていたのがこれで、10余年越しに埋まった感じ、いや長かった。

 当時ってゆーかその何年か前から女性のボーカリストが気分的に流行ってたこともあって、借りてみたのがこの「MOTION&MOMENT」。今聴いても心地よいビートで鳴り出す冒頭の「TRUTH」って曲は最高だし、カセットだとB面頭になっててそれも記憶に強く残る要因になった6曲目の「どこかであなたを」も歌詞よし、アレンジ良し(担当は松任谷正隆さん、ギターが松原正樹さんでリズム隊が斎藤ノブさん&ペッカーさんとが豪華)の名曲、ラストのバラード曲「あなただけが」が醸し出す暖かく透き通ったイメージは、この後の初シングル曲でドラマ「それでも家を買いました」の主題歌にもなった「あの頃のように」へとつながるイメージ。つまりは知名度でも絶頂へと向かっていた頃の名盤ってことになる。売れたかどーかは知らないけれど、レンタルショップに置かれてたってことはそれなりに人気もあったんじゃなかろーか。

 サードアルバム「PRIME」が出た後それほどあんまり気にしていなかったらいつの間にか名前を聞かなくなってしまって、みんないなくなってしまうんだなあ、と寂しさを覚えつつも折角だからと調べてみたらこれが何と、ビクター音楽産業から日本コロムビアを経て今はメディアリングって会社に移籍しながらも現役バリバリでアルバムなんかもリリース中。近くこれまでのアルバムから集めたベスト盤なんかも出るそーで、不思議と(あるいは原盤の関係か)「MOTION&MOMENT」からは1曲も入ってないけれど、だったらなおのこと好都合、その後の変遷なんかも含めてどんな成長を見せているのかちょっと聴いてみよー。そーいえばこれも昔良く聴いていた相曽晴日さんの新譜も出ていたなあ、買わないと。ちなみに3月26日にはベストも出るとか、さらに3月24日には名古屋でライブもあるそーな、ゲストは明日香さん、をを。

 「ゲームボーイアドバンスSP」の小ささを確認しつつ画面の綺麗さも確認しつつ場所を移動して表参道で開催された「デジタルメディア協会」が主催する「AMD Award」の授賞式を見物に行く。今回が8回目のこの賞もスタートした時からのぞいての皆勤賞、だけど初期のまだ小さなCD−ROM屋さんたちが寄り合いでやっていながらも自分たちがデジタルコンテンツの未来を切り開いていくんだって気概にあふれていた頃と比べると、総務省ってITの総本山が仕切りネットとか携帯電話とかいったIT絡みの最新コンテンツに賞を与える、言ってしまえば経済産業省が「デジタルコンテンツ協会」が主催している「デジタルコンテンツグランプリ」と中身に置いて大同小異、さらに言うなら文化庁が主催している「メディア芸術祭」とも重なる部分があって、大きくなって良かったけれどちょっぴり一抹の寂しさも覚える。

 昔はそれこそ「ローリング・ストーンズ」やマーク・アンドリーセンに俺たちが賞をやるんだってゆー、半分は冗談も入っていそーだけど半分はマジなパワーに満ちていたんだよなー、賞も回が重なると権威づいてやりたい奴より欲しがる奴に向かうよーになってしまうってこともあるのかな。もちろん受賞した作品はどれも業界をリードするものだけど、だからってグランプリを「ファイナルファンタジー11」にあげたって、正直あんまり面白くないし功労賞をティ・ジョイの岡田裕介さん、ってゆーか東映の岡田社長にあげたって「ローリング・ストーンズ」ほどのインパクトがない。

 そうした中でちょっと嬉しかったのが、AMDがまだ発足するより以前からCD−ROMの業界をそれこそトップランナーとして作ってきたデジタローグの江並直美さんに「功労賞」が贈られたこと。といっても功労賞自体がどこか名誉賞みたいなところがあって、現役のクリエーターとして受け取ることを潔しとしないってこともあるのかもしれないけれど、周知のよーに江並さん、数年前に体調を悪くして以降、制作の一線から退いてしまっているから今がその労に報いる時、だったともいえそー。物議を醸した「イエローズ」に始まってタナカノリユキさんや松本玄人さん、前田ジョンさんといった今をときめくクリエーターの作品を、90年代半ばからCD−ROMにして来たその先鋭性、その先見性はCD−ROMってゆー形式のみならず、ゲームに寄らないデジタルコンテンツの歴史を振り返る上で見過ごせない。新人クリエーターを多々発掘した「フロッケ展」ってのもやってたっけ。懐かしいなあ、またあの豪放な顔を見たいなあ、早く良くなって欲しいなあ。

 それにしても凄いとゆーか政府系コンテンツ賞制覇って感じの新海誠さん。今回の「AMD Award」でも賞を受賞して表彰式に出席してたんだけど、文化庁のも経済産業省のもそれぞれ何らかの賞を受賞していて、これから3月にかけて相次いで行われる表彰式に果たして皆勤賞できるのかにちょっと興味。とはいえ作ってナンボのクリエーターの人だけに、無理に引っ張り出されて来るよりも確実にそして着実に今やってる仕事をこなして欲しいところ。家では通信環境の都合で見られない新作の映像、どっかの付録に収録して配ってくれないかものかなあ。表彰式とその後のパーティーには去年も見かけた三坂知絵子さんが来ていて才色兼備な綺麗所が集団で固まっていて揃えたよーなノースリーブの腕が目に眩しい。こーゆー時に切ってアッと言わせられる会社名とか書かれた名刺を持っていると良いんだけど、たいしたことなさ過ぎるんで近寄らず遠巻きにしつつ退散する。新海さんを眩ませることはできたかな。


【2月4日】 「コロンビア号」に比べてあんまりSF的でもアニメ的でも宇宙的でもないから仕方がないとは言え、まるで周囲で話題になってない模様で節分の「太巻き丸かぶり」はやっぱり関西ローカルの俗習だったと理解、とゆー訳で食べた太さから2003年の「丸かぶり船橋地区SF者チャンピオン」は自分だったと自分で認定して自分を表彰することにする。商品は「うずしお巻」1回分、だけど自分で買わなくっちゃいけないから謹んで辞退させて頂きます。それとももしかして船橋地区のSF者で「うずしお巻」以上の太巻きを10分以内で食べきった郷の者がいるのかな、いたらそれは申し訳なかったとこちらから「うずしお巻」1本を贈らせて頂きます。目の前で3分で食べないと料金、返してもらうけどね。

「一世風靡」は靴下が赤かったなあ、と遠い目、素意や素意や素意や素意や  ちょっと前までモウモウとした紫煙にまみれてビールとか飲める素晴らしい環境を提供していたトレーラーハウスが止まっていたサンケイビル前広場で、先週だか今週だかから毎週火曜日と木曜日に東京都が大道芸人を認定して所定の場所なら自由に演技できるよーにするヘブンアーティストの制度に受かった人たちが登場しては、さまざまなパフォーマンスを繰り広げてくれるイベントがスタート。スペースを煙草会社の宣伝とかに使わせてお金を取るのもひとつの商売ではあるけれど、将来ある人たちを読んで使わせてあげて好感を持ってもらうと同時に集まって来る人たちにポップな印象を産経が与える上でも効果的だったりするから、仕掛けた人はなかなかなの巧者だって言えそー。

 さて本日正午からのパフォーマンスは、前に「サンケイスポーツ」でも紹介されていたパフォーマンスグループの「海月 KURAGE」がそいやそいやとダンスにコントを繰り広げていてしばしの間見物する。言ってしまえば懐かしい「一世風靡」的なダンスパフォーマンスで黒いスーツに黒いシャツ、上には真っ赤なコートを羽織ったイケメン系の兄ちゃんたちが男臭さのあふれる唄に武道っぽい動きのダンスを繰り広げては、時折バク転バク中なんかも見せて大向こうを取っていた。格好良い、と思った次には何故か時代劇のテーマソングを流して「暴れん坊将軍」に「必殺仕事人」に「水戸黄門」といった時代劇の名場面を演じて見せる愛嬌も。見ていて飽きさせないくらいの内容はあって流石は石原慎太郎都知事も感心したグループだと納得する。

 情報があんまり出回っていなかったのか、おっかけの類はまるでおらず見ていたのは通りがかったサラリーマンや食事に出たOLや近所まで来た修学旅行生くらいで何だか勿体ない気も。割に冷え込んだ気温の中で一所懸命パフォーマンスを繰り広げるメンバーの笑顔と気迫が少ない観客相手で空回りし気味なところもあったけど、そこでメゲないのが百戦錬磨の大道芸、気迫を絶やさず笑顔もひきつらせずにしっかりと演じきって見せるところにパフォーマーの意気を感じる。途中までで時間がなくって退散したけどお捻りはそれなりに集まったのかな。木曜日も開放日になるみたいでそこにも「海月」が来るかは不明だけど来たら最初から見てやんやと喝采を浴びせ「日本一」とかかけ声をかけてあげよー心の中で。お捻りは気持ちの中だけではまずいかな。

 持って歩いている「ゲームボーイアドバンス」が例えばプラス5000円くらいでテレビになるんだったらちょっと嬉しいけど、アダプターを取り付けてスマートメディアに収録されたアニメーションとか映画といった動画像を外で見て楽しむってゆー行為にどこまで魅力があるのか、ってゆーとこれにはなかなかに懐疑的だったりする。携帯電話よりは大きいけれどテレビはもちろん持ち歩き型のDVDプレーヤーにだって及ばないサイズの液晶で、アニメを見て楽しいかって問題があるのが最大の理由で、これが例えば家では大きなモニターなりパソコンのモニターなりで見られるコンテンツを、ちょっとだけつまんで外に持ち出せるってゆーんだったら興味がないこともないけれど、GBAでしか見られないアニメをわざわざ購入したいか、ってゆーとちょっとその気は起こらない。

 もちろん価格次第内容次第のところもあってテレビシリーズの1話が100円とかで買えて2クール26話を見通しても2600円って値段でなおかつ、メジャーだったり最新だったりするタイトルが揃っているならDVDを買う前にちょっとつまみ食い的に試してみたいって気も起こる。電通をスピンアウトした人が作ったam3って会社が始める、GBAに専用アダプターを取り付けて専用スマートメディアから動画像を読み出して鑑賞できるよーにするサービスは、とりあえずは1コンテンツが200円程度でコンテンツはもちろんGBA専用で、挙げた条件からちょっと外れていたりして、どーゆー人がどーゆーシーンで利用するんだろーかと悩む。値段はそれでも下げられるだろーけど、GBAを持ち出して小さい画面でひとりアニメを見るってスタイルが、旧い人間にはちょっとピンとこない。

 そうは言っても携帯電話でテトリスをやる30代が通勤電車のそこかしこに蔓延る昨今、新しいスタイリッシュな「ゲームボーイアドバンスSP」を使ってアニメとは言わないまでも映画のトレーラーとかミュージッククリップを見ながら通勤するって需要はありそーなんで、意外に広まってしまうのかもしれない。am3って会社が提供する専用スマートメディア向けに情報を記録する端末を、例えば駅頭とかに備えてそこで「今朝のニュース」とか「今日の株価関連ニュース」とか「前日のスポーツ結果」とか「芸能人記者会見」といった動画コンテンツを供給できるよーにすれば、経済新聞とかスポーツ新聞を買う代わりにちょい、つまんで通勤電車で見たいって気になるし、駅頭が混むならそれこそパソコンの端末を介して、家でメディアにニュースとかをダウンロードできるよーにすれば、パソコン向け電子新聞的に利用も広がるかも。32MBのメディアに24分ってところがアニメだと厳しいけどニュースだったら充分。いっそ15分の「朝の連続テレビ小説」を提供したら、その時間には出勤しているお父さんお姉さんが見られるよーになって嬉しいかも、それだけの番組かどーかは別にして。


【2月3日】 「陸上防衛隊まおちゃん」「朝霧の巫女」のダブルヘッダーから「ストラトス4」を抜けて「MOUSE」「ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット」へと抜ける深夜アニメの千葉テレビームを浴びて頭はパニクルー、シルビアちゃん登場の「まおちゃん」は可愛いエイリアンが残した可愛いバッジの力で可愛いエイリアンを倒す矛盾が、既に終わっている超深夜の本放送の中でちゃんと解決されたのかに興味深々。でもDVDボックスは置き場所に困るから買わずに放映で確認します。

 「朝霧の巫女」は超深夜にやっていたのをボワーンとした頭で眺めていた時に比べて話からメリハリが感じられて、やっぱりアニメは早い時間にちゃんと放送すべしって気になる。「ストラトス4」はロケット野郎が好む派手さはなくともリアルさで勝負なアニメが微妙にインベーダー物っぽい展開にズレていってて、ロケット野郎じゃない身としてこれで面白くなって来たぞとほくそ笑む。スカート姿で体育座りでちゃんと白いのを見せてくれる描写にも拍手。できればさらに1、2カットの白三角の追加が欲しいところ、お願いします。

 それより最近「MOUSE」が面白いと思えて来てしまったことが個人的には衝撃的。無理な設定の上で繰り広げられる無茶な泥棒稼業もそれがアニメだと割り切れてしまったし、お子さまのことをまるで考えてない感じがする割には肝心なところを見せてはくれない生殺し的エッチシーンもそれはそれでオッケー、まるで動いていない絵に話の途中で変わってしまっている感じすら受けるキャラクターの顔も、そーゆーものだと思って見れば腹もたたないしむしろアニメってちゃんと人間が作っているんだと分かって微笑ましくすら思えて来る。

 途中で切れて次へと続いてしまう15分だけの放送は欲求不満も残るけど、これだけのすさまじい作品を15分以上も見せられるとさすがに興奮で夜が眠れなくなっちゃうんで、静かに「ぱにょぱにょ」で千葉テレビームを終えるのがここは良策と理解しておこー。「ぱにょぱにょ」の代わりが「ポピィザぱフォーマー」だったら死ぬな、血圧上がりすぎて。

 そういう訳で挑戦してみました浪速古市庵謹製の「うずしお巻」一本丸かぶり。普通の太巻きを3本くらい寄り合わせたよーな太さと重量があって中身は何と12種類もの具がぎっしり、海苔は2枚をフルに使ってあるとゆーからその大きさは想像して頂けるでしょー。手に持った感じはそれこそ1リットル入り牛乳パックって感じで、果たして食べられるだろーかと臆したもののかぶりついたらこれが意外、味もほどよく甘酸っぱくって具もバラエティーに富んでいて、がぶりがぶりとやっていくうちに10分も経たずして1本まるごとぺろりと平らげられてしまった。

 おなかの方もまるぜ全然余裕でさすがにあと1本「うずしお巻」は無理でも「セブンイレブン」謹製の「恵方巻」くらいだったら入りそーな感触で、自分の胃袋の大きさって奴をこんな所から自覚させられる。とはいえ高カロリーで糖質もたっぷりだった関係からか、食べ終わってしばらくすると血糖値でも急上昇したのか目眩と動悸にとらわれたのにはちょっと参った。「CoCo壱番屋」の500グラム徳盛りカレーを食べても動悸とかまるで起こらないのと比べると、あれでやっぱり1200円する高級太巻きだったってことを思い知らされる。

 とりあえず今年は考え得る限界を軽々クリアできてしまった以上は来年に向けてさらにぶっとくさらにゴージャスな「恵方巻」に挑むべく、胃袋を鍛え消化系を鍛え血液も鍛えておく所存。問題は「うずしお巻」よりゴージャスな太巻きがあるかってことだけど、果たしてどーしたものか。デパートとか回ってみたけどこれより大きい太巻きって売ってるの見かけないんだよね。本場の大阪とか関西ではどーなんだろー、超特大とか売ってるんだろーか、コンビニとか露天とかで。いっそどっかでオリジナルて作ってもらうかな、中身はエビ天と卵と穴子とマグロと胡瓜と干瓢とシーチキンで。カロリー目茶高そー。

 23冊も出してるってことは既に超ベテランってことになるよーな気もするけれど、94年下期のコバルト・ノベル大賞でデビューしたってことは7年とか8年でこれだけってことで、ならせば年に3冊から4冊程度だからコバルトだけで執筆しているとしたら無茶苦茶多いってことでもないし、大繁盛してるってことでもないのかな。そんな本沢みなみさんの5年ぶりとかゆー新作シリーズ「バーコード・チルドレン」(コバルト文庫、438円)は若いのに頭がバーコードになってしまった少年少女が主人公、な訳はなくって天界から出て地上に記憶を消され人間の子供として転生している大天使たちが目覚める時を見守って、1人記憶を維持している元大天使の少年と彼を支える2人の天使が、襲ってくるサタン(悪魔)たちを相手に奮闘する、ってストーリー。

 本当だったら英知のカタマリのよーな天使が半ズボン履いたりランドセル背負ったりして小学生として勉強しているって設定に面白みがあるし、天国だったら口も利けないよーな大天使の主人公が小学生の姿でいると何故かタメ口聞いてしまいたくなる部下の天使たちの心理状態も興味深い。最初は相手に敬意を表してひれふしていた小学生姿の天使もだんだんとタメ口聞くよーになっていくから、格好ってゆーのはこれでなかなかに対人関係を大きく左右するものなのかもしれない。とゆーことはひらひらした服を着て背中に羽根をつけていたら大天使として尊敬してもらえるのかな、けど当方リアルにバーコードだから尊敬以前の問題か。

 小学生の姿をしていて誰だか分からない大天使がちょっとだけ昔の名前に還るシーンが「あの人は誰?」っぽくってワクワクさせられる。これが毎回続いていけば20巻だってアッとゆー間だろーけれど、完結ってのはつまり”審判の日”の到来ど同義だったりするからどーなってしまうのかと怖さも半分。ただし微妙に”審判の日”の意味にも含みが持たせてあるから、案外に人間たちには無関係に天使どうしの話として決着が付くのかも。いずれにしても楽しみ。八重垣ユキさんのイラストが綺麗で可愛くてスタイリッシュです。


【2月2日】 節分の夜に恵方を向いて海苔巻きを無言で1本まるまる食べる風習が関西では長く伝わっているらしーけど、それがどーゆー訳か去年あたりから東京地域でもメジャーな週間になりつつあるよーで、きっかけはコンビニエンスストアの「セブンイレブン」が去年あたりから大キャンペーンを始めたことにあるらしーとも言われているけど真偽は不明、もしかしたら「ギャラクシーエンジェル」の第何話かでボソリとやったのがそっち方面(どっち方面?)に広まったきっかけになっていたりするのかもしれない、いや僕がそうだったりするんだけど(半分くらいは)。

 いろいろと探すと1977年に大阪あたりの寿司屋だか商店街だかが巻物の一気食い大会をやったのが起源とゆー話があったり、豊臣秀吉だかの家臣が戦に出るときに縁起を担いで巻物を食べたのが今に続いているとゆー話があったりして諸説紛々、中には中部が起源とゆー話もあるけど少なくとも名古屋では節分に豆は蒔いても太巻きは食べてなかったし、そーゆーキャンペーンも打たれてはいなかったからこれは嘘。けど名古屋もはずれの宿場町には伝わっていなかっただけで城下とか大須とかいった古い場所ではしずしずと、恵方を向いて節分の夜に家族でにっこりと微笑みつつも無言で巻物の丸飲みをしていたのかもしれない、もちろんケチな名古屋では中身干瓢だけだけど。最近だと車エビのフライが1本まるまる巻いてあったりするのかな(しません)。

 一部にはバレンタインデーに習って江戸前の浅草海苔屋が浅草海苔の一大拡販を狙って企んだとも干瓢屋が干瓢の一大拡販を目論んで仕掛けたとも言われていたりいなかったりして、ついでに酢飯屋胡瓜屋卵焼屋といった辺りも相乗りしてたりするのかもしれない。それはともかく気が付くとデパートの地下の江戸前が専門の寿司売り場でもしっかりと巻きずしのそれも「丸かぶり」用の太い奴を縁起が書かれた包装紙でもってくるんで売ってたりして、しっかりとしかも確実に関東あたりでの風習になりつつあるみたい。なればこそ2月3日には是非にも当方も服を掴むべく、巻物の1本食いをやってみたいところだけど過去に経験がないだけにどれだけの分量なら無言で水とか飲まずに一気食いできるのか分からない。とりあえず木曜日あたりから毎日1本づつ食べてはみたけど400円程度だとおなかいっぱいにならないし600円でも具が良くなるだけでご飯は増えず不満が残る。こうなれば浪速古市庵の「うずしお巻き」1200円也に挑むしかないんだろー。けどそれって果たして可能なのか。明日夜に生きていられたら報告します。

 格好良い、とはこーゆー奴らのことなのだな。「第7回スニーカー大賞」で奨励賞を受賞した作品がブラッシュアップされて登場した浅井ラボさん「されど罪人は竜と踊る」(角川スニーカー文庫、619円)は設定も魅力的ならキャラクターみ魅力的、でもってストーリーがこれまた超魅力的でこれ1作を送り出したことで今年の角川スニーカー文庫はすでに仕事を終えたんじゃないかとすら思えて来る、って言ったら大げさか。舞台は咒力すなわち物理的生物学的力学的な法則に作用できる念だか言葉だかの力が具体化したファンタジックな世界で、主人公はその咒力を自在に操るかたや化学精錬系の咒力を得手としたガユス、こなた生体強化系の咒力に長けて剣の腕前も超絶的なギギナとゆー2人組。強い咒力を持ちながらも政治とか軍事とかに組み込まれることを嫌う2人は、独立して事務所を開いては役所あたりから仕事をもらって、竜を狩ったり魔物を退治したり事件を解決して生計を立てている。

 そんな2人が新しく請け負ったのは、彼らが住む皇国を影で支配していると言われている枢機卿長の護衛とゆー仕事。それがどこをどう間違ったのか皇国の存亡に関わる壮絶にして陰謀へと発展してしまい、ガユスとギギナは自分たちよりも圧倒的に強い咒力士たちとさらに、超絶無比の強さを持つ竜とのバトルに挑まざるを得なくなる。その戦闘シーンの迫力の凄まじさもさることながら、咒力とゆー一種の魔法が左右するに当たっての一応は化学反応なり生体反応なりが考慮されていたりする綿密さが読んでいて不思議な納得感を与えてくれる。ある意味「ウィザーズ・ブレイン」の魔法士と似た力だけど舞台がファンタジックな皇国と近未来の地球で違いもあるから見え方にも差があって面白い。黒沢祐一とガユスあるいはガユスとの力比べを見たいところ。でもやっぱりリナ・インバースが1番強いんだろーな。

 体調今ひとつで遠出する気力もないけど家にいても昨日みたく午後5時まで寝てしまうんでちょっとだけ外出して秋葉原を散策、「末広町」に近い「ゲーマーズ」に美人店員がいたりするのを発見したり既に「ブロッコリー・ザ・ライブ」のDVDとCDのセットが品切れになっているのを確認したりしつつJRの駅の方向へ。「アニメイト」と「とらのあな」と「アソビットシティ」が軒を並べる一角でいったいどこが最初に力尽きるんだろーかと良くない予想に頭を巡らせつつそれだったら「ゲーマーズ1号店」の方が条件は悪いなあ、とか考えつつさらに歩いて同じゲーマーズの「秋葉原駅前」にあるビルへ。こっちは日曜日ってこともあってそれなりな入りで、秋葉原のオタクマーケットの大きさってのを改めて知る。とか思っていたら「秋葉原デパート」内は大整理中ですでに潰れた「ガンダムカフェ」に続いて「ガンダム専門ショップ」も移動の憂き目に。本屋が移動して「ユニクロ」とか入るみたいで全面オタクビル化はオープンから1年も経ったか経たずして費えてしまって、オタク市場もこれでなかなかに厳しいものだと感じる。どっちやねん。

 「あっ、流れ星」と姉に弟が見上げたそれは009と002との大気圏で燃え尽きよーとする姿だった訳だけど、スペースシャトル「コロンビア」が空中で四散するシーンは中で現実に燃える人たちがいたりする訳で、その痛ましさにしばし愕然となる。人間が7人、死んでしまった事実を前にスペースシャトルの運行計画が先延ばしになって、結果いろいろと影響が出てくるのは流れとしては必然で、中にはいっそ中止してしまえば良いとゆー声も出てくるだろーけど、そーした反対意見に例えば宇宙へのロマンとかいったものじゃなく、その有効性その将来性を理詰めで語る声と、そーした声をゆがめず伝えるメディアがあればやがて再び宇宙へと道は開けるだろーと思いたい。愛国心が盛んな今のブッシュ政権下のアメリカだと、それを愛国的行為と捕らえ英雄として祭り上げれば、それほど停滞せずとも再び宇宙への挑戦は続くよーな気も。だったら最初っから予算を削らず老朽化した「コロンビア」なんか使わない方が良いのか。これでフセインが宇宙へ行って世界を支配するくとか言い出せば追って米国も行かざるを得ないとか。本末転倒なよーで嫌だなあ。


【2月1日】 「ビッグオー、カムヒヤー!」、って叫んだ方がむしろ似合ってたんじゃないかって思えてしまった「THE ビッグオー」は、いつもクールでダンディーなロジャー・スミスが水木しげるさんとか描きそーな日本人風キャラクターの依頼で呼び出されては間抜けにも捕まってしまって大ピンチ、代わって我らがドロシー嬢がネゴシエーターとなって自転車漕ぎ漕ぎ駆けつけるとゆー展開に、いつものクールさあふれた内容との違いを感じて戸惑っていた、その更に上を行ってスカポンタンなベック一味がロボットを操って登場しては、お約束にも3分割された画面の中を見事合体に成功させたは良いものの、そこは今週のビックリドッキリメカってことであえなく30秒(ブチメカ時間)て大爆発、哀れ一味は監獄へと戻っていってドロシーは朝のピアノを取り戻すとゆー、予想だにしなかったエピソードが繰り広げられて激しく驚く。

 米たにヨシモトさん起用による合体ロボットをパロディにしてみせたお遊び、って言っても良いんだけどちょっぴりお茶目な演出はそれとして、ビッグオーが空飛ぶ訳じゃなくドロシーが脱ぐ訳でもなく基本となる筋は外しておらず、且つしっかりとメモリーに絡んだ話を混ぜ込んでは展開に余韻を残してある辺りにシナリオ面での確固とした意志を見る。3段階くらいでギチギチと振り向くドロシーの人形的な動き方の見せ方とか、絵の良さもあって2期シリーズでも伝説の回になりそー。一所懸命自転車を漕ぐドロシー見たさにDVDとか揃えたくなって来た。次は主題歌ミッチーで魔法少女ドロシーを是非に。

 寒さで何もする気が起こらず布団にくるまってうだだ。それでも本だけは読んでおかなくっちゃとまずはたがみよしひさ「軽井沢シンドロームSPROUT 2」(たがみよしひさ、秋田書店514円)なんかぺらぺら。耕平のそっくりさんの登場に今時アーミースタイルのカメラマン志望者なんていねーだろ、って思ったらこれがダイの息子だったって分かって。格好の方は耕平に憧れてのものなんだろーから良しとしても、その似てなさ新タイプのキャラクターを生みがたい作者の苦労を偲ぶ。後書きまんがで自分の絵が下手になったって自虐しているたがみさんだけど、「軽シンSPROUT」に関して言えばむしろ描き込んである方でマシン類なんかの正確さ(サバンナRX−3はアシスタントの力とはいえそれが動いて遜色のない場面やキャラを描いているるのも事実、むしろ表情とか目つきにキツくれ昏い感じがあるのが気にかかる。それも含めて下手になったと思ったのなら、是非にかつてのタッチに戻って行って頂きたいもの。お話は……エロをもーちょい。

 竹岡葉月さんは新作で登場、「フラクタル・チャイルド ここは天秤の国」(コバルト文庫、533円)は機械やネットワークの裏側をテクノロジーではなく精霊が操っている都市を舞台にした物語。銃を持った血気盛んな少年と走り屋の女リーダー(というとイメージ違うか)とそして精霊を使役する能力を持った青年の3人が組んで経営している事件解決の代行屋に持ち込まれたのは、ストリッパーと清掃員の青年がなぜか同じ部屋で惨殺されていたとゆー事件。謎をとくべく動き出した3人の前に、都市を支配する3つの会社のつばぜり合いが絡み、かつて探査中に精霊を起動させて都市を蘇らせた男の遺産をめぐる争いも絡んでくんずほぐれつのアクションドラマが繰り広げられる。

 世界設定的にはえっと何だったっけ、ハヤカワの文庫から出ていた魔法でもってテクノロジーが駆動されている世界が舞台になった話にちょい、似たところもあるよーな。もっともパロディっぽい話じゃなく、人は死ぬし事件の真相にあるのが人間のちょっとしたすれ違いだったあたりに、パッケージとかイラストといった見かけによらないシリアスさがあって、読後にずっしりとした感じが残る。都市を裏側で操る精霊の正体とか、精霊を使役する力を持ったカイの正体とか、そもそもこの都市がどうして生まれたのか、といった謎もいろいろとあって続編に期待も浮かぶ。早くに是非に。それにしても「痛快サイバーパンク・ファンタジー」って紹介は面白いとゆーか自己矛盾とゆーか。


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