縮刷版2003年12月上旬号


【12月10日】 演技も面白いとか笑顔も可愛いとか言ってもやっぱり、ゆうこりん小倉優子さんの価値が水着姿にあることは火を見るよりも明らかであって仮に、雑誌なんかがグラビアで小倉優子さんを大々的に取り上げていてもそれが全部セーラー服だったりメイド服だったり警官の制服だったりスチュワーデスの格好だったりサンタクロースの扮装だったりしても人は、声を大にして「違う」と叫んでその場で雑誌を引き裂き足で踏みつけ風呂のたき付けにして燃やしてしまうだろー。あったり前の話。

 って訳で本日発売となった「少年マガジン」の2004年2、3号合併号は冬も真冬だってゆーのにちゃんと、赤いビキニに白のワンピースだなんって誰もが望む2つの水着で小倉優子さんを大フィーチャー。そんな誌面を作り上げた「マガジン」グラビア班の分かっているっぷりに賛辞を、そして全世界20億人のゆうこりんファンの願望に応えた小倉さんに心からの喝采を贈りたい。パチパチパチ。それいしても薄べったい膨らみといーつるんとした下半身といー見る人を揺さぶって仕方のないそのボディバランスはまさに国宝級で、これを超える存在ってのは当分やっぱり出てこないんじゃなかろーか。この勢いで来年も再来年もその次の年も変わらない姿を見せてくれるだろーことを願おうー。40歳過ぎても同じだったらちょっと恐い。

 中古ビデオ屋の80円均一ワゴンを掘っていて「小松左京アニメ劇場2」ってビデオを発見して勇気を出して買い込む、っても値段についてはジュース1本以下なんでそんなに気にならなかったんだけど内容が例えばキャラクターデザインがいしかわじゅんさんで例の小足系なずんぐりとしたキャラクターたちによっておりなされる「四次元ラッキョウ」とか「コップ一杯の戦争」がどんな仕上がりになっているのか、っていったことに興味が及んで果たして小松さんっぽさが出ているんだろーかと気になってしまう。

 調べると1989年頃の制作でこの頃はすでに社会人になっててあんまりアニメとか見てなかった(ちょっと嘘)んでこれが、どーゆー形で放映されたのかまるで記憶にないんだけど裏側を見ると制作しているのがおそらくは「王立宇宙軍 オネアミスの翼」で一山あてそこなったガイナックス、脚本を書いているのが「オネアミス」で颯爽とデビューした山賀博之さんって面々でこの後、話題の作品を山と作る彼らが小松左京さんをいしかわじゅんさんでどう作っているのか、見るのが楽しみで仕方ない。歴史的に見てどれくらいの意義のある作品なんだろー。週末にアニメ評論家の人に鑑定してもらうかな。

 チーフディレクターは「オーガス」なんかを手がけた西森明良さんで美術は「もののけ姫」の武重洋二さんってのも注目なのかどーなのか。個人的には声をやってる今は亡き名古屋章さんにデビューしてまだしばらくって辺りの富田靖子さんがいったいどんな塩梅になっているのか、ってところに興味津々。1巻ってのも見てみたいなー、掘ればどこかで掘れるかな。同じビデオ屋ではこれは大昔に記憶だと矢場町のシネチカだかで見たっきりになっていた「綿の国星」もこちらは1280円で拾う。すでに記憶とかないんだけど相当に良かったよーに思えるんだけど、DVD化とかされていないのは何か理由があるんだろーか。それとも既にされてたっけ。ラフィエルが野沢那智さんだったのを改めて知ってちょっと意外。あの風体なら塩澤兼人さんだったかな、って模造記憶があったんだよね。チビ猫は冨永みーなさん。どんな声を出してたんだろー。これも見るのが楽しみ。

 大久保嘉人くんはかるしうむを採ってから試合にのぞむべきだと思う人の数。まあ別にイライラとしているから審判に口答えしてイエローをもらうんじゃなくって根っからのファイターとしてのスピリッツが時に世間の常識を越えて発現しては、並みの審判のリミッターに引っかかってしまってしまうだけなのかもしれないけれど、そーゆー風に見られてるんだって自覚がもーちょっとあれって李下に冠を正さずと自重すれば、「東アジア選手権」の「日本代表vs韓国代表」の試合でくらったシミュレーションのイエローカードはもらわないで済んだんじゃなかろーか。まあそこで自覚して自重できるよーならとっくにJリーグでは得点王、代表でも立派に正フォワードとして大活躍しているんだろーけれど。

 とはいえ10人になった日本代表を相手に攻めて攻め込んでも得点を挙げられなかった韓国代表も今ひとつ。前半は回っていたボールが後半はあんまり華麗に回らなくなったみたいで後半開始から入った藤田俊哉選手とかがあるいは、効いて韓国の攻め手に影響を与えたのかもしれない。だったら最初から出しておけよって、言いたくなるんだけれどそれで聞くよーならジーコ監督、とっくに連勝を続けてコンフェデレーションズカップでも今回の東アジア選手権でもトロフィーを手にしていただろー。誰も彼もがお互い様。それにしても不思議極まりない藤田選手のジュビロ磐田復帰。タイトル落としたからって呼び戻すくらいなら最初っから行かせなきゃ良いのに。半年で満足できるくらいなら藤田選手も行かなきゃ良いのに。傍目には馴れ合っているよーに見えてしまうこーゆー事態が日本選手の海外での印象を、さらに良くないものにしてしまうんだよなー。先発で起用されてもボンバーできないスシ頭の方がなお悪い? かもね。


【12月9日】 黄色いカヌとか黄色いアンリとかって呼び名が果たしてロンドン・タイムズやデイリー・ミラーのスポーツ欄(あるのか?)を飾っているのかは分からないけど本音ではそんなところに登場しては黒い、ってことはつまり本人のカヌなりアンリといっしょのチームでプレーできるよーになってくれれば嬉しいな、って思えて仕方がない国見高校の平山相太選手だったけど、朝方に放映されたワールドユースの決勝トーナメント1回戦「日本代表vs韓国代表」の試合で見せた圧倒的な存在感からなおいっそう、そーした思いが強くなってベンゲル監督に平山の動きを収録したビデオを無理にでも送りつけてやりたくなって来た。住所はどこなんだ。それよりNTSC方式のビデオはロンドンでも再生できるのか。

 なるほど試合では2つのゴールを決めた坂田大輔選手に注目が集まっているよーだけど、そんな坂田選手が決める直前に決定的な仕事をしたのがどちらも平山選手で、1点目は高いボールを頭で後ろへとそらして坂田選手の前へと落としてはシュートさせるポストプレー、2点目は奪ったボールを前線へと送ろーと身構えた韓国選手の背後から長い足をのばして拾ったボールがそれを受け取った選手から浮かし気味に坂田選手へと送られボレーシュートへとつながったものでどちらの場合も平山選手がボールに触っていなければ、決して得点シーンへとは至らなかっただろー。

 なるほどシュートを打っても枠をとらえきれないフル代表にいる国見の先輩に比べれば、チャンスを確実に決めた坂田選手の凄さは讃えられてしかるべきだけど、同じくらいに平山選手の技も讃えられてしかるべき。まあそこは世界のスカウト陣、誰がどんな役目をどれだけ果たしていたのかなんてきっと先刻承知で、坂田選手の決定力と同じかそれ以上に平山選手のキープ力に高さに足下の柔らかさ、そしてシュートの強さ(あのボレー、惜しかったなあ)を把握して獲得リストの上に名前を挙げていることだろー。

 次がどこになるのかはともかくとして勝てば準決勝で勝ったら決勝、負けても3位決定戦が待っていてスカウトの目も集まるんでここは是非、日本代表にはベスト4をめざし頑張ってもらって平山選手を欧州のスカウトに見せてやって頂きたいもの。ついでにスーパーセーブ連発の川島永嗣選手も注目されて海外進出になったりして。ベルギーリーグでキーパー同士の日本人対決なんて実現すれば面白いかも。華はないし絡みのシーンなんて絶対に撮れそーもないけれど。

 「帝国ホテル」で開催される記者発表会に出るべく降りた銀座の駅から表へと出たJRのガード下にある金券ショップで「トヨタカップ」のカテゴリー2のチケットが「定価割れ」で売られているのを発見し、会見が終わったら買おうと思い気もそぞろに大阪の「ユニバーサルスタジオジャパン」が新しく導入する「スパイダーマン」関連アトラクションの説明を聞き、終了しないうちに飛び出し再び金券ショップの間にいくととうに売り切れたあとだった。がっくし。

 けどまあよく見ると売っていたのはペアで2枚いっしょに買わなくっちゃいけなかったみたいで1人が大好き1人が最高映画だって美術館だってサッカーだって1人で行ってブツブツ言いながら見るのが人間としての嗜みだと、負け惜しみ気味に思っている人間にとってペアチケットなんて無駄もいーとこ、むしろ唾棄すべき存在で買わずに済んでむしろ良かったんじゃないかと気を取り直す。未練は……ないぞ!

 足取りも重く(未練じゃん)場を立ち去りつつ飛び込んだ「ローソン」で気を取り直させる出来事が。8日に発売されながらも秋葉原の「ホビーロビー」では1つも買えないまま敗れ去った「村上隆のSUPERFLATMUSEUM」のコンビニエディションが何故かそこの「ローソン」には余っていて、それも10個入りのボールで売ってくれていて折角だからと10個入ったパッケージで購入する。

 2つ欲しかったけど流石に数が少ないからと断られて仕方がないと納得。10個じゃコンプリートは不可能だけどそこはそれ、何が入っているかを確かめないまま何が入っているんだろうって期待を胸に抱かせつつ、開けないままでびっくり箱的な感じで部屋に置いておくことにしよー。それにしてもたちどころに消え去ったコンビニエディション。数だけなら1番出ているんだろーけれど、全国区的に売ればやっぱり回る数も少なくなってしまうんだろー。

 数の上なら家に10個パックで買ったまんま中を確かめもせずに積み上げてあるニューヨークエディションの方が少なく、継いでこちちは2ボール持ってる六本木ヒルズの順になっていて、そちらの方が稀少品としての価値がありそーーだけど、「村上隆のSUPERFLATMUSEUM」が持つ本来的な意義は「アート作品をコンビニで売ってしまう」ってもので、それを実践したコンビニエディションこそが本当の意味での「村上隆のSUPERFLATMUSEUM」って言えるよーな気がして来る。希少性とかじゃなくアートとしてのコンセプトが1番発揮できたコンビニエディションこそを「アート作品」と認める風潮がアート界で強まれば、数が多くたって価値は出そーな気もするんだけど、そんなに甘くはないかなあ。


  【12月8日】 ハドソンから「月刊 桃太郎電鉄新聞」なるものの創刊号が届く。よーするにゲームソフトの「桃太郎電鉄」を宣伝するリーフレットで関連するイベントの模様とかゲームの紹介とか書かれてあって読むと今「桃鉄」がどんな感じになっているかが分かる。疑問はこれが新聞の形を借りた1発だけのチラシなのかそれとも、継続的に刊行されていくPR紙なのかってことだけど、「桃鉄タレ込み情報を教えてください」って案内とともにメールアドレスまで紹介されているからきっと、継続的に「桃鉄」絡みの情報を載せながら発行していくんだろー。そんなに世の中に「桃鉄」情報があるのかは知らないけれど。あるのかな。

 笑ったのは「キングボンビー(中身付き)をお貸しします」って案内で、言えば「キングボンビー」に中の人などいないんじゃないのかってことだけどそこはそれ、浦安は舞浜にいるネズミくんとは違ってちゃんと「着ぐるみ」って認識されているみたいなんで中の人がいても別に構わないのかも。「なお着ぐるみは一体しかごあいません。また中に入る人間も限られておりますので」ってことはそれなりに難しい着こなしを求められる着ぐるみなんだろー。貧乏な人でないといけないとか。金持ちが入ると貧乏になってしまうとか。

 同じページに「高橋名人をお貸しします」……じゃなかった「高橋名人が説明にお伺いします」の案内も写真入りであって次の注意書きに爆笑。「なお、高橋名人は一人しかおりませんので、ダブルブッキング等の場合、ご期待に応えられない場合もございますので、あらかじめご了承ください」ってわざわざ説明することなのか、それとも世間的には高橋名人は16人いて16連射を実現していたって話が伝わっているのか。「桃鉄」のことをお伺いしたいからって招いた高橋名人に「16連射はやっぱり本当に撃っていたんですか」って聞くのはマズいかな。でも絶対に聞く人出て来そーだな。

 夜に「ゲットスポーツ」だかでヴァンフォーレ甲府のフォワードとして復活中の小倉隆史選手が名古屋グランパス時代とかに決めてたもの凄いプレーの数々を振り返る映像が流れて、それが良いところだけを抜いたものだとは分かっていても改めて凄いプレーヤーだったんだな、って思いを強くする。サイドでヴェルディのディフェンダー相手にヒールを使ってボールを転がし抜き去るシーンなんて素晴らしすぎて、同じよーなプレーをしていたピクシーとごっちゃになって頭に記憶されているくらいだし。甲府でもプレーも良いところ抜きとはいってもやっぱり凄くって、そんなプレーがコンスタントに出るなら今だって、存分にJ1でだって活躍出来そーな気がしてしまう。いっそ代表にだって、と思うのは贔屓のし過ぎか。ともあれ来年の去就に注目。名古屋に戻らないかなー。

 そんな小倉選手が”古巣”の東京ヴェルディ1969と「天皇杯」で戦うとあって14日の西が丘には是非に駆けつけたいところだけどここで1つ問題が。当日はLリーグの試合もあってこれでもし、日テレ・ベレーザが伊賀くノ一FCに負けたりするとその時点で田崎ペルーレFCの優勝が決まってしまう。関西で開かれる試合でペルーレが勝てばベレーザが引き分けでもペルーレの優勝が決まってしまうんで、ここは是が非でもベレーザは勝たなくっちゃいけないんだけど、同日にヴェルディの試合があるとそっちに応援がとられてしまうのが常で、会場が寂しくなってしまう可能性もあったりする。場所も僻地の「よみうりランド・ヴェルディグラウンド」なんで人も集まりそーもないんで、ここはやっぱり発起して、ベレーザを応援に行くのが人間としての道と自認しはるばる「よみうりランド」へと駆け付けよー。でも雨が降ったら西が丘。日和見。

 フェアなルールの下で戦ったなら例え敵だった相手でも、ホイッスルが鳴った後は敵も味方もないってゆーのがラグビーに特徴的なノーサイドのスピリッツだって言うなら、イラクで同じ外交官として復興のための尽力して凶弾に倒れた奥さん井ノ上さんの2人は、もとより味方どうしだった訳でその死に上も下も高いも低いもあるはずがなく、ともに等しい思いで悼まれるべきもので、なるほどその辺りの認識に関してはノーサイドを尊ぶ日本ラグビー協会、ちゃんと持っていたよーで昨日、国立競技場で行われた早稲田大学と明治大学の試合の前に、奥さんだけでなく井ノ上さんもいっしょに追悼し黙祷を捧げたんだけど、明けて新聞はラグビー部のOBだったってことで奥さんが悼まれたって書いても、井ノ上さんも悼まれたってことを書いたのが、読売新聞1紙のみだったのにはちょっぴり驚かされた。

 載ってないことはなかったことにされがちなこのメディア的状況の中で、ラグビー部OBだった奥さんの死のみがラグビーへのメディア的な関心の高さの中で語り継がれていくのに、ラグビー部OBじゃなかった井ノ上さんの死は忘却されてしまいかねない不安を覚えて、居心地の悪さを今再び感じてしまった。なるほどバリューを尊ぶメディアが真にOBだった奥さんをメインに取り上げたくなる気持ちは分からないでもないけれど、そーしたバリューの多寡を越えて等しく感じ取ることを賞揚するのがラグビーのサッカーと違ってフェアネスな部分なんだとするならば、メディアも率先してそーしたスピリッツを汲んで奥さんだけでなく井ノ上さんも共に悼まれたことを、やっぱり伝えるべきだったよーに思えるんだけどどーなんだろー。協会の意を汲まずひとり奥さんばかりを取り上げたメディアには、是非に協会から取り上げてもらって有り難いんだけどスピリッツの神髄には至っていないと言ってやって欲しいもの。メディアもラグビーのOBの死を悼んだラグビー関係者たちのフェアな印象を積極的に取り上げ自らのフェアさをアピールしながらも肝心の部分で至っていなかったことを自覚して欲しいもの。だけどやっぱりこれからも、変わらないんだろーなー、自信の価値判断こそが至上と信じ切ってるメディアは。

 滝本竜彦はすごかった。って今さら言うことでもないんだろーけどホント久々になる長編「僕のエア」の第一話を「別冊文藝春秋」2004年1月号で読んで、あらためてそのグルーブしっぱなしの文章でもって、20代の若い人たちの意欲はばりばりにあっても肝心なところで踏み出せないもどかしさにもだえ悩む複雑な心境を描き切る滝本さんの文才の確かさに震える。エアギターの設定はどこぞへと引っ込み脳内彼女ならぬ妄想彼女の導きで、意欲のからまわりする世界で立ちすくんでいた青年の物語になっていた「僕のエア」。その第一話のエンディングで綴られる「いまにもバラバラになってほどけてゆきそうな月を星をアパートを宇宙をエアはひとりで支えていた。ゆめまぼろしの類であるそれらの崩壊を辛うじて繋ぎ止めている彼女が僕のエアだった」って言葉が続いて描き出す世界がどうにも幸せに溢れたものとは思えず、ひとり闇の中で灯した夢が崩れ去る破綻と崩壊の終局へと突き進んでるよーに感じられるだけに、2話以降の展開が気になるところ。小説誌の連載が楽しみだなんて「小説新潮」で「陋巷に在り」が連載されいた時以来かも。ともあれ続きを確実に。「著者急病につき」だけはないよーに。


【12月7日】 ところでファミコン20年を記念したゲームの展覧会「レベルX」をやっている「東京都写真美術館」では上で「セバスチャン・サルガド 『ESSAYS』−この大地を受け継ぐもの−展」ってのもやっていて、労働集約型の産業で働く人たちの肉体を駆使した姿をモノクロでがつがつ撮ったり戦争や内覧が起こった場所へと出向いて飢えや戦災に苦しんでいる写真を撮ったりしてきたブラジル出身のフォト・ジャーナリスト、セバスチャン・サルガドのこれまでの仕事や今現在取り組んでいる仕事が展示されていたりする。

 そこに映し出されている「現実」の凄さといったら、例えばブラジルの金鉱で、露天掘りしている群衆の姿が写された写真なんがもそのひとつで、機械なんてまるで使わず土にまみれた肉体につるはしだかスコップだかを持って土を掘っては上へと運んでいるんだけど、それが1900年代の半ばとかじゃなくって1980年代だってところがちょっと意外で、世界にはまだまだそーゆー肉体1つを最大限に使って稼ぐ仕事があるんだってことを見せつけられる。インドの炭坑とかも道央でターバン撒いた若者が肩につるはしを担いだ写真がパンフレットに載っていて、それが1989年に撮られた写真だって書いてあってきっと、今もそんなに事情は変わらず手につるはしで炭坑に潜っている若い人がいっぱいいるんだろーな、って想像が浮かんでくる。

 戦争や内戦の結果起こった難民の問題を撮った写真はさらにすさまじくって、ルワンダの難民キャンプに群れ集う人たちとか、アフガニスタンで戦禍に崩れた建物を遠巻きにする人とか、やせ細りながらも母親の胸に吸い付く赤ん坊の姿とか、文字通りに骨と皮だけになった姿で遺体となって埋葬を待っている手足を縛られた子供の姿が写し出されている。エチオピアなんかは1980年代だけどルワンダもアフガニスタンもついこの前に覆った話でなおかつ今も続いている「現実」だったりする。

 そんな世界が「現実」なら、地下1階でテレビゲームを懐かしんだりテレビゲームに興じている人たちが大勢いる日本のこの姿も「現実」で、こーした差異が世界には厳然として存在しているんだってゆー「現実」を、同じ建物の中で見せつけられてちょっとばかり居心地の悪さを感じる。ゲームなんかで遊んでる場合じゃねえ、ってことではもちろんなくってそーゆー日本に生まれた事実は事実として受け入れ、ゲームがもたらす効能にも敬意を払いつつ、それでもフロアをちょっと上に行ったところに別の、そして厳然として在る「現実」への窓が開いているんだってことを、「東京都写真美術館」に行くんだったら感じてもらえれば幸いかも。サルガドのサイン入り写真集も買えます(ポリオ撲滅キャンペーンへの寄付憑き。中古ソフト撲滅キャンペーンじゃないからお金払うの惜しくない)。

 明け方に上から梶芽衣子さんにのし掛かられて目が覚める、っても当たり前に当人であるはずもなく、積み上げておいた「アルフレックス」謹製の侍フィギュアシリーズ最新作「戦国ロックはぐれ牙・牙 梶芽衣子」ってのが崩れて振ってきただけのことで、重さもそんなにないんでお腹とか潰れず箱もへこまず大事には至らずに済む。買ったのは写真美術館へと向かう途中に寄った恵比寿の玩具屋でたった1つだけ入荷していたのをすかさずゲットしたものだけど、売れたからそれだけしかなかったのか売れないんで1つしか仕入れなかったのかは不明。ただ「キル・ビル」で「恨み節」が流れたりして梶芽衣子さんへの関心が高まってたりするんで、もしかしたら突発的なブームで売れてしまった可能性もある。

 もーちょっと早く出てれば映画の宣伝で来日したクエンティン・タランティーノに、のインタビューの時とかお土産に持って行って見せる雑誌社とか出てくるかもしれなかったけど、パート2できっとまた来日するからその時に1つ、包んで持っていったら良い感じに受けてくれるかも。その時まで売れ残っているかは不明なんでプレゼント用に確保しておきたい社は通販で買うなりショップで探すなりしてお早めに。この勢いでユマ・サーマンも出して欲しいなー、トラックスーツはライダー用と戦闘用の2着入り、服部半蔵の打った刀と握った寿司も付いてあと、なぜかGOGO夕張のハンマーもセットで。梶芽衣子ドールにトラックスーツを着せちゃうって手もあるか。

 サイン本、ってことでえいやっとばかりに堀江敏幸さん「魔法の石板 ジョルジュ・ロペスの彼方」(青土社、2200円)を購入、それなりにフランスでは知られている詩人のことをつづった評伝ともエッセーとも評論とも言えそーないかにも堀江さんらしー本だけど、足跡を訪ね歩きつつ文学の内容にも踏み込んでいく筆致は、フランスとも詩とも関わりをもたない人間にもその人物的な魅力、文学的な特徴をちゃんと教えてくれて一体こいつはどんな奴だったんだって興味をかきたててくれる。書評の参考にしたい手法だけど短いスペースでここまで踏み込むのは難しいからなー。けどほんと読んでみたくなる、ジョルジュ・ロペスって人の書いた詩を。

 表紙の写真も読んでみたいって思いかきたてる要因になっていてそれは、どう見たって文学とは縁遠そーな小太りのおっさんがジャンパー姿で古くてゴツいバイクにまたがっていて、例えば府中とか中山とか後楽園とか新橋とかに、スポーツ新聞を持って起っていたりしても全然不思議のない風体だったりするからなんだけど、そんな人が家族といっしょにブルターニュの漁師町に暮らしながら、後生に残る詩をつづったってゆーから面白い。もちろん風体と才能は関係ないし、競馬が好きとか猟師が本職とかでも書けば立派な詩を書く人だっていないとは限らない訳で、フランスで詩人ってゆー言葉から醸し出される固定観念をまるで粉砕してくれそーな人ってゆー、関心が興味が写真からは湧いてくる。かくも不思議な経歴風体の人が本当はどーゆー詩人だったのか、これから堀江さんの本を読んで教わろー。

 イラクで亡くなられた外交官の人の一人が早稲田の元ラグビー部員だったていったニュースが一般紙からスポーツ新聞からテレビから山と取り上げられ、悼まれる状況が続いているけどこれがもし、同志社や立命館のラグビー部だったらどーだったとか関東学院大学のラグビー部だったらメディアでの扱われ方はどれくらいになったんだろー、ってな興味にかられる。ことラグビーの実力で言ったら同志社だっ立命館だって法政だって関東学院だって、年にもよるけどそれなりに拮抗はしているはずで、つまりは純粋にスポーツとして考えるならバリューに差はないはずなんだけど、現実には早稲田のラグビー部が持ってるバリューは、強さに加えて営々と築き上げられて来た伝統、それと早稲田出身の人間の多さってのも加わって、メディア的には他の追随を許さないくらいに高め奉られている感じがあるからね。

 そんな超有名なラグビー部を出ていた人なら人間的に確かなはずっていったニュアンスと、それから実際に外交官として素晴らしい活動をして来た人を輩出したんだから早大ラグビー部は素晴らしい所なんだってニュアンスが、相互に作用しながらメディア的に盛り上がっている状況が今だったりするのかも。同じよーに亡くなられた書記官の人が大学で、あるいは高校とかでどんなクラブに入って活動していたか、なんてまるで知らないしそのクラブが今いったいどんな追悼の念を贈っているのか、なんてイラクで亡くなられたとゆー事実は同じでその死に差なんてまったくないにも関わらず、どこのメディアも伝えてくれないんだよなー。やっぱり出るなら有名大学、入るなら有名クラブってことになるのかなー。


【12月6日】 むっくりと置きだして氣志團が喋ってる「トップランナー」の特別編の再放送をザップしながらワールドユースの「エジプト代表vs日本代表」も見たりする忙しい明け方。氣志團の方は「情熱大陸」では一切、他のメンバーに喋らせず1人綾小路セロニアス翔だけが喋る気合いの入った作りだったのがNHKの方は他のメンバーも喋るは普段着な所も見せるわとドキュメンタリー風で見ていて、こっちの方が氣志團ってバンドのポテンシャルを理解できるし親しみ易さも浮かぶなあ、って感じたけれど一方でTBS的な気取った作りも、トップに立って走り続ける自覚と責任感を態度で見せたもの、って思えなくもないんでまあどっちもどっちってことで、両方見るのをとりあえずはお勧めします。「情熱大陸」の再放送なんて聞いたことないけど。

 タイトル忘れたけれどベタベタなメロディーが付けられた唄物を綾小路翔がやろーって提案して他のメンバーの誰もが拒絶した、ってエピソードなんかは氣志團が扮装はともかく音楽については実に真摯に取り組んでるんだってことを伺わせたしその後で、ギグの場面を映し出した映像ではドラムのどんどじょって音の確かさにギターのリフの格好良さがやっぱり、格好先って訳じゃなくって音楽も真っ当だったんだってことを分からせてくれた。唄も上手いし音楽も良いし、これなら単なる流行りじゃなくってこれからも良い姿を見せてくれそーな印象を持った、けどやっぱり流行りで終わってしまうのかな、分からないけどとりあえず、DVDでも買って改めてその真摯ぶりを確かめよー。

 黄色いアンリかヌワンコ・カヌか、って思ってしまった平山相太の長身をまるで感じさせない前線での当たりの強さにジャンプの高さに足の速さに足技の巧さ。これでさらに筋力とかついてきたらいったいどんあフォワードに化けるんだって期待も膨らんでしかたがなかったワールドユースの対エジプト戦。見に来ていただろー外国のクラブのスカウトもその能力の高さに絶対、これは欲しいと思ったに違いないけど高校生からいきなり海外、って前例がないのと後、当人にプロ志向がまだないのが勿体ないところ。トップでは出られないけれど育てることに関してはエキスパートなヴェンゲル監督のところでアンリにカヌの姿を間近に見せつつ鍛えて2006年の切り札に、育て上げてもらいたいなー。でもってその頃はヴェンゲルが日本代表監督もやっていると。優勝、するかも。

 レセプションとか内覧会とかあったか知らないけれどとりあえず開幕してるっぽいんで恵比寿の「東京都写真美術館」へと出向いて「レベルX」って展覧会を見る。ファミリーコンピュータが発売されて20年ってゆー節目の年を記念してテレビゲームってのを振り返ってみる展覧会で、入ると会場はショーウィンドーの中にファミコンのソフトとハードとそれから、数々発売されては消えていったさまざまな家庭用ゲーム機と対応ソフトが時系列的な感じで並べられて、「おおこれ持ってたよ」「こんなジャケットだったっけ」ってな同時代を過ごした若い人とか昔若かった人の関心を集めていた。

 ゲームと美術館ってゆーと前に神戸と水戸でゲームを取り上げた展覧会があったけどあっちが比較的、ゲームのアートっぽい部分をピックアップする形で並べよーとしてのと比べるとこっちはただひたすらに素直に並べて見せて記憶を喚起させるって博物館的な展示方法で、キュレーターの考える「ゲーム」って色が見えない分、ゲームをゲームとして楽しんできた人には入り込みやすく楽しめる内容になっていたかもしれない。

 ただ一方でゲームがゲームとしてだけではなく、さまざまな方面から与えられた影響を広い、またさまざまな方面へと与えた影響を探って示すアーティスティックな面は少なく、そーゆーのを期待している人には古本屋ならぬ古ゲーム屋なりゲーム記念館って感じに見えて騒々しかったかも。もっとも最初っからアートじゃなく文化でもなく娯楽として登場して今も娯楽の最先端を行くゲームを無理にアートの文脈に位置づけるのも鬱陶しいんで、そー見たい人はズラリ並んだゲームソフトにゲーム機から何かを自分で掴んで考えよー。そのための素材だけは山と置かれている訳だし。

 いろんなゲーム機が置いてあってゲームを楽しめるコーナーで何故か誰も触ろーとしない機械が1台。前面のモニターにまるで何も映し出されていないそのゲーム機は三脚に乗せられた赤い筐体を両目でのぞき込んで楽しむとゆー、他の類を見ない形をしていてもしかすると来ていた人が、どーやって遊ぶのかを誰も分からなかったのかもしれない。その名も「バーチャルボーイ」ってゆーそのゲーム機、発売された時に開催された「ゲームエキスポ」に会社が関わっていた関係もあって「幕張メッセ」でズラリ並べられたその姿を目の当たりにはしていたんだけど、実際にのぞいて遊ぶのはこれが実は初めてで一体、どんな感じに見えるんだろー、売れなかったってことは大したことなんかったんだろーと覗いてみて仰天、立体だよ、奥行きがあるよと吃驚する。

 セットしてあったのはケムコの野球ゲームなんだけどピッチャーが投げて来るボールがちゃんと、テレビで野球を見ているんじゃなくって野球場でバックネット裏からピッチングを見ているよーに向こうから手前へとボールが飛んで来るよーに感じられるし、打った球が飛んでいっては外野に転がる様も野球場でバックネット裏から見ているよーな感じに向こうへと飛んでいく感じが味わえて、なるほどこれが本当の「3D」なんだってことを改めて思い知らされる。まだテクノロジーが貧弱だった時代にこれなら今だと一体、どれほど凄いものが出来てるんだって思えて来る。

 もっとも現実には「バーチャルボーイ」は売れず任天堂は製造を取りやめソフトメーカーもこの技術を磨き表現を洗練させる機会を得ないまま時間が過ぎ去ってしまった。なるほどCGの技術は向上して実写と見間違えるよーな映像は出来るよーになっても、それは定性的な進化に過ぎず凄いとは思えてもわくわくするよーな驚きには至らない。ここにもし「バーチャルボーイ」の思想が受け継がれていたら、一体どんなゲームの世界が開けていたらと思え残念さ、無念さが浮かぶけど現実に「バーチャルボーイ」は存在せず、作った横井軍平さんも他界してしまった今言っても虚しさばかりが募る。

 とはいえ行き詰まり感がより鮮明になって来た状況で、今再び「バーチャルボーイ」の持ってい可能性が見直されることだってない訳じゃない。むしろこれこそが次代の本命だってことで世界がいっせいに3Dに向かうことだってあるかもしれない。そんな日に備えてクリエーターの人、クリエーターを志す人は「バーチャルボーイ」を手に入れるなり、無理ならば「東京都写真美術館」へと出向いて誰も見向きもしない赤い筐体を跪いて覗いてゲームをプレーし、その可能性その面白さを目の当たりにした上で自らその可能性を発展させその面白さを追求して欲しいもの。期待してますお願いします。「バーチャルボーイ」買おうかな。

 他の展覧会もざっと見た後で青山へと回ってつかこうへいさんの「飛龍伝」。筧利夫さんの演技の相変わらずなはっちゃけぶりはそれとして、広末涼子さんの意外といったら失礼な巧さにやっぱりタダモノじゃなかったんだって驚きつつも納得する。まず声が結構通る。マイクで拾ってはいるんだろーけどそれでもくぐもってごにょごにょってなる人だっているにも関わらず、広末さんはつぶやきもちゃんと細部まで聞き取れ張り上げれば凛として響く声質で、聞いていて耳に違和感が浮かばない。演技自体もはにかむ部分媚びる部分から叫び暴れる部分までをくるくると、表情も込みで切り替える巧みさ。「20世紀ノスタルジア」の頃でも感じた、演劇的な抑揚はまるでないのにちゃんと言葉に情感がこもって伝わる不思議な上手さが、紆余曲折を経てさらに凄みを増して来たよーに感じる。唄も上手くなってたなー。

 過去の石田ひかりさんとか内田有紀さんとか冨田靖子さんのを見ていないだけに比べられないけれど、本来的には可愛く寂しがりで愛に飢えているにも関わらず、立場もあって気を張り自分を強く見せよーとしている2面的なところを持った「神林美智子」を見せてくれたと言っておこー。それにしても国会前で樺美智子さんが国会前で無くなって40年以上が立った今にこーやって60年安保を主題に取り入れた演劇をやって果たしてどこまで10代とか20代の人にニュアンスが伝わっているのか、見ていてちょっぴり不安になって来る。

 ともに組織のしがらみに縛られ愛しあっているにも関わらず引き裂かれ戦う羽目となった、そんな理不尽さを撃ちつつ如何ともし難い政治情勢社会情勢に意見を申す、演劇のメッセージ的な役割がずっぽりと抜けて誰が主役を務めてどんな演技を見せるんだ、ってエンターテインメント的な話題性ばかりが注目されてしまうってのを、原作のつかこうへいさんがどー思っているのか知りたいところ。それでも良い、話題性で引きつけそこから些細な疑念を感じてもらえれば10年先か20年先かに何からの芽となり花となる、なんて思っているのかな。最初っから頭でっかちな思想も動物的な行動も、どちらも唾棄してピュアな男女の関係こそが大事なんだ、って話だったのかな。要研究。


【12月5日】 続けざまに三浦しをんさん「ロマンス小説の七日間」(角川文庫、590円)。のっけから段下がりで西欧の中世っぽい場所を舞台に父を亡くして兄も弟もいない美貌の女領主が王から夫をもらうよーにと言われて悩んでいる場面が繰り広げられ、をいをい今度は歴史小説のそれもハーレクインかよこのチクタクマンンと言いたくなりそーなラブストーリーでも書いたのかい、って訝ってみた次の瞬間に段も上がって始まったのはロマンス小説の翻訳を生業にしている女性がいきなり「オリハルコン」なんてものが出てきた歴史小説の展開に唖然としている姿。おまけに彼女は彼氏の家に居候して仕事をしているみたいで、帰ってきた彼氏がいきなり自分は仕事を辞めて来たと聞いて今度は憮然とする。

 いずれは結婚するかもなんて考えていた彼がふらりひらりと生きる一方で自分は汗を流しながら本を翻訳する毎日。おまけに今度は彼氏に秋波を送って来る女の子が出てきて彼もまんざらではなさそーで、嫉妬混じりな気持ちを引きずり翻訳を続けたものだからたまらない。本当のストーリーから外れてとんでもない方へとロマンス小説は進み始めて行ってしまう。冒頭でどんな話に翻訳中の小説が帰結するのか結末を先に翻訳してみせる描写を出したのが、ここでぐぐっと意味を持って読んでいる人にいったい翻訳小説はどーなってしまうんだろー、でもって訳している2人の仲もどーなってしまうんだろー、って関心を抱かせる辺りに三浦さんのモノカキとしての巧さを感じてしまう。

 ビジュアルとしてイメージするのは「いたいけな瞳」あたりの短編として収録されていそーな吉野朔実さんの漫画で実際、漫画家として苦労しっ放しの女性の横で昼寝も夜寝もし放題な彼氏で担当編集者、ってキャラクターが出てくる漫画もあったけど、どんどんと歪んでいく翻訳中の小説の展開が実生活の翻訳家と彼氏とその周囲と裏表な関係になって重なり女性の揺れる心をリアルとバーチャルの双方から描き出してる部分にはとくに感心する。当然ながら先に到達した翻訳中の小説のそれも改良版のエンディングが、その強さと爽やかさを持って現実の2人をも包み込むことを伺わせるラストの鮮やかさといったら。文庫じゃなかったらホント、どっかの文学賞にひっかかったかもしれない。ってか文庫でも大丈夫な賞ってあるのかな。ともあれ三浦さん、どんどん凄くなってます。加藤文さんも新作はとっても面白いし、あとは滝本竜彦さんの新作「僕のエア」がどーなるか、だな。出来上がるかな。

 遅ればせながら西炯子さんの「STAYプラス お手々つないで」(小学館、505円)。「STAY ああ今年の夏もなにもなかったわ」に出てきた女子演劇部員たちの中でもひときわ性格に特徴のあった山王みちるがメインで登場してはお利口で成る男子校の佐藤敦士を相手に”初対面プレイ”なるものをしたのが何かの始まり。顔はともかくお利口だってことからモテるらしー佐藤はそんな山王のことが微妙に気になり手紙をかいて何故か付き合うことになって起こる、アツアツな恋人どうしにはとてもじゃないけど見えない不思議な関係が描かれる。

 頭が良くって女性からモテてる佐藤にしてみれば、山王みちるに慕われて当然、って思っている部分が最初はあったみたいだし、プライドから表向きはずっと引きずっているフリをしているんだけど、内心の深いところではもっとピュアな気持ちから山王への感心を深めていく様が、読んでいて伺えるのが面白い所。佐藤をそうめん流しを食わせる食堂へと連れて行くわ、道ばたでみかけた不思議なからくり人形を作っている人のところへ引っ張っていくわと、常人には理解しづらい思考でもって佐藤を戸惑わせる山王みちるの不条理ぶりも楽しいけれど、そんな彼女ですらも動じない姿や表情からは伺えない部分で、だんだんと気持ちを佐藤へと寄せていっているよーで、あんな野郎のどこが良いんだって羨ましさにもだえる。不思議で微妙でそれなのに完璧とゆー奇蹟の青春ラブストーリー。西炯子さんも凄みをどんどん増してます。

 レコード大賞がいったい何になるのかまるで検討もつかないエンターテインメント業界に対してCM業界は「燃焼系アミノ式」圧勝に終わりそーな感じ。先だってもプロフェッショナルの人が選ぶACCSでグランプリだかを獲得したばかりなのに、今度はCM総合研究所が発表した2003年で1番視聴者の好感度がたかったCMの1位を獲得したよーで、あのインパクトとあの音楽の呪縛からはプロもアマも逃れられなかったんだってことを実感する。

 ただCMがヒットしたってだけじゃなくって商品の効能もしっかりと宣伝しては、去年は存在しなかった商品の認知度を一気に高めヒット商品に押し上げる役割も果たしているのが偉いところ。聞くと9月だかには単月の好感度で、過去最高だった「きんも100歳ぎんも100歳」を10数年ぶりに抜いたそーで、今年に限らずCM史に残る作品だったって言えそー。2位は「NOVA」のウサギだったけどインパクトはあっても英会話学校そのものの良さを伝える内容だったってことではないからやっぱり「アミノ式」は特別な作品なのかも。ただここまでの作品になってしまうと次への期待もふくらみ過ぎるんで作る人たちも大変そー。最新作で見せてくれている、片手逆立ちで犬を散歩させることくらい「自分にだって出来る」って言い出しそーな体操部の人とかいそーだし。誰も見たことのない演技を撮るために、今も中島信也さんの秘密道場でとんでもない特訓が行われているのかなー。それは何時ぐらいに見られるのかなー。


  【12月4日】 成功して幸せになるための極意が書いてあるって評判らしースペンサー・ジョンション「プレゼント」(扶桑社、1000円)を仕事でちょろちょろ。まずは現在の問題に全力を傾けよ、でもって過去を見つめ直せ、さらには未来に向けて計画を立てよう、ってその内容になるほど流石は「チーズはどこへいった」の著者だけのことはあると感心……できねーよ、ってか当たり前じゃんこんなこと。言われなくたって分かってるよ、にも関わらず出来ないから困ってんじゃんか、って言いたくなるけれど、たとえ誰もが頭に何とはなしに知ってはいることでも、改めて言葉にして気付かせてあげて権威によって納得させてしまうってのが自己啓発書の効能って奴で、その意味では立派に王道を行く自己啓発書、読んで皆さんも幸せになって下さいな。

 米倉涼子さんは大きかった。ってそれが背じゃないことは男性が女性のとりわけ顎よりちょっと下を見たときに思う感情を類推してもらえれば瞭然だけど、テレビとかにタレントっぽく出ていてもドラマに女優として出ていても、そんなに大きいって意識はしていなかっただけにタカラのファッションドール「ジェニー」がオスカープロモーションから”ドールタレント”としてデビューする、って会見で事務所の先輩として、またジェニーと同じ8月1日が誕生日って縁で、そして来年に始まる「奥様は魔女」に出演が決まっている最初のジェニーのの仕事で主演を務める女優として登壇した米倉さんの、大きく胸元の開いたドレスからのぞくたわたな双房が目に入った時に、即座に「でっけえ」って思ってしまった。

 けど主役はデビューが決まったジェニーってことで質疑応答の時には米倉さんは引っ込んでしまってちょっと残念。それでもステージ上の台に鎮座しては新人なのに微動だにしないジェニーに向かってどっかの芸能記者が誰と競演したいか、って聞いて腹話術でも使っているよーにジェニーが口も動かさず声も脇からスピーカーを通して発して「共演するならキアヌ・リーブズ」「24時間働けます」って答えるその可愛さ健気さに、ジェニーのこれからの活躍をちょっとは期待してみたくなった。米倉さんも「寝不足がないし衣装だっていっぱい持ってていいわねえ」ってジェニーのことをうらやましがって「ライバルです」って断言してたんで、ドラマでもきっと火花散るシーンが見られるでしょー。けどいったいどんな役で出るんだろ、「奥様は魔女」に、タバサ?

 我に返って言えば今回「ジェニー」ってひとつの立派なブランドをオスカープロモーションって芸能プロダクションに預けてしまう形になったことには良い面と悪い面がありそーで、良い面としてはまずはしょっぱなから話題を振りまいて認知度をさらに上げてもらえたこと、それからオスカープロモーションってファッション系でもドラマ系でも実力を持ったプロダクションが持てるパワーとノウハウを使ってジェニーを売り込み活用してくれるってことが挙げられる。いっぽう悪い面としてはジェニーを例えばキャンペーンなんかに使いたいって申し込みが多方面から寄せられた時、そこにオスカー以外のタレントが絡むことが果たしてあり得るのか、って懸念で以前、「ジェニー」が「パフィー」とか吉川ひなのさんとかをモデルに作られたよーな事態が今後は、そんなに起こらなくなるなないかって心配になる。

 けどまあそこまで1つの事務所に縛り付けられ事務所を通さないと何も出来ない、それこそ「名古屋嬢ジェニー」だって出来なくなるなんって事はないと思うし縛られたところで山とタレントを抱えるオスカーだけで10年はタレントをモデルにしたジェニーを出せそーなんでここは、オスカーが誇る売れっ子さんでひとつジェニーを作って出してやって下さいな、そう上戸彩さんモデルの「あずみジェニー」とか「岡ひろみジェニー」とか「成績もあがーるジェニー」とか。もっとも上戸さんは今、バンダイでガンプラのイメージガールをやってるからライバル企業の商品には出てくれないかな。

 アンカーのよーに脚を左サイドの自陣へと縛り付けていた左サイドバックってゆーポジションの呪縛から解き放たれたアレックス選手が翼を取り戻し華麗なステップワークで左サイドの敵陣を縦横無尽に切り裂き中へと鋭いクロスをあげて久保竜彦選手がばすばすと決める、なんてシーンを想像した僕が悪かったご免なさい、とテレビに向かって謝りたくなったサッカー東アジア選手権大会「日本代表vs中国代表」。憮然とした表情こそいつもどーりだったけど荒いプレーはせずにチェックから奪取から前線へのパスから大活躍した小笠原満男選手に答えて久保選手が代表初ゴールをあげる素晴らしいシーンが見られた一方で、ボールをもらってもそれを持ち過ぎたあげくに2人に囲まれ、パスは出せずだったらそこは得意のフェイントで抜こうとしても抜けず捕まり反撃される愚を、何度も何度も冒していたアレックス選手にちょっと呆然。サイドバックだったら守備に大変だったよね、って言えないこともないけれど得意なポジションでそれじゃーちょっと、使えないしトルシェ監督がオプションでしか使わなかった理由もちょっぴりだけど伺える。

 もしかするとそれが狙いのジーコ監督、3バックがいくら機能したところで自分の意志をピッチに伝えられる唯一の選手がミッドフィルダーとしては今ひとつだったってことを見せ、だったらそれよりも良かった左サイドバックに下ろして頑張ってもらおーじゃないか、って満天下に認めさせたかったのかもしれない。かくして次の香港戦では4バックに戻された左サイドでポゼッション能力の高さを発揮してボールを離さないアレックス選手の勇姿がきっと拝めることだろー。しかしこれ、冗談で終わりそーもないだけに恐いよなー。大久保嘉人選手は振り向きざまのシュートがバーを掠って残念。あの辺の動きは流石だなあ、って思ったけどあそこへと至るプロセスすなわち押し上げゴールの近くで勝負をかけることが、これまでの下がり切ってボールを回す”黄金中盤”だと難しかったってことでもあるんで悩ましい。今大会での活躍がそのままアジア予選なりでも出るにはやっぱ、黄金中盤にも下がりきった4バックにもおさらばして欲しいもの、その為には……監督が……変わるか代わるしかない……のかな。

 お涙頂戴に挫折の果ての成功を描いてその美談仕立てのストーリーに大勢の人を辟易とさせている「プロジェクトX」とは正反対に、苦労しよーと壁にあたろーと才覚を見せ行動力を発揮し突破していく男たち女たちを描いてしぶとく生きる面白さを教えてくれた加藤文さんがまたもや素晴らしい男の生き様を見せてくれた。最新刊「電光の男」(文藝春秋、2095円)は復員して見た銀座のみすぼらしさに一念発起して、広告会社を興しビルの上にネオン広告を付ける仕事を始めて大成功を遂げ、「銀座の夜を変えた男」と呼ばれた男の軌跡を描いていて、壁なんてないしあったとそても壊せば良い、八方ふさがりでも隙間をこじ開け突破すれば前に進めるって感じの男の姿に、観念的に今を見ろ、過去に学べ、未来を思えと言うだけの啓発書では得られない興奮を覚え胸が踊る。

 有象無象の広告会社が行列を作る製薬会社の広告部へと徒手空拳で乗り込んではアイディアを告げそのアイディアが実現できる人材を探し資金の手当てをつけては本当に銀座にネオン広告をあげてしまう姿にまず感動。でもって大手広告代理店が邪魔をしよーとその上を行き、あるいは正々堂々とうち破って進んでいく姿に強く感銘。状況を踏まえ必要なことは何かを見極めそれに向かって全力を傾ければ壁も壊せるんだってことを、どんな啓発書よりもしっかりと教えてくれる。そして行き過ぎた果てに来る挫折の哀しさも。帯の阿久悠さんによればモデルとなった人がいるそーなんだけど誰のことなんだろ。調べてみよう。

 あとテレビを筆頭に雑誌新聞といったマス媒体こそが広告の王道、って雰囲気がある昨今だけど屋外広告が持っていた役割を思い出させてくれるのも「電光の男」のひとつの効能。むしろ今って時代、メディアが隅々にまで発達しているこの状況では、昔以上に街頭広告なり街頭でのプロモーションが素早く広くあちらこちらへと伝えられることになる訳で、アイディアさえあれば主人公の島寛太以上に大きなことを屋外広告の分野で出来るのかもしれないって感じさせてくれる。それは何って聞かれて答えられないのが当方の凡人たる由縁だけど、才気ある広告業界や宣伝業界の人が読めばきっとそこから新しい広告への発想がわいて来るはず。銀座の夜なんてケチなことを言わずに日本を、世界を変える”広告”へのアイディアを、島寛太の成功と挫折の6年間を描いたこの物語から見つけ出せ。


【12月3日】 微睡みから抜けた時にはすでに0対2になって負けていたサッカーのワールドユース「コロンビア代表vs日本代表」はさらに2点を積み重ねられ1点をフリーキックから返したものの大敗を喫して次、エジプトに勝たないといけなくなったよーで 上への進出は厳しそー。見ていて落ち着かないのはトラップにしてもドリブルしても足に吸い付くって感じがなく、長く蹴ったりしては相手ディフェンダーに奪われ反撃、ってパターンが繰り返されてその度に、あーあーって気分になってしまうから、なんだろー。

 イングランド戦でもワンチャンスを決めたってことは偉いけど、他にチャンスを何度も作れたって感じはなかったし、コロンビア戦でもやっぱり得点はセットプレーからだった訳で相手を圧倒するってオーラがまるで出ていない。平山相太が出てちょっとは期待も生まれたけれど、ポストで落とした先に人がいないんじゃーただの電柱、意味がない。もはや日本代表から決してはがれないレッテルになってしまった「得点力不足」のキャッチ、はがれる日は来るんだろーか。せめて明日の香港戦だかで大量得点で大勝利って場面をフル代表に見せてもらって呪縛からの脱却を願いたいところ、だけど大久保先発じゃーなー。久保に期待。腰痛で辞退の可能性? 子供を肩車なんかするからだ。

 そのフル代表から姿が消えて夏も過ぎた鹿島アントラーズの秋田豊選手に戦力外通告の荒波が。なるほどナビスコカップの時といー、この前の優勝がかかった試合といー、守備の面から崩れて点をとられてタイトルを逃がしたって状況があってその責任がおっかぶさったって言えるんだろーけれど、相手は世界でもおそらくは屈指のスピードを誇る笑めルソン選手、それがどちらの試合もちゃんとしっかり登場して来た不幸をちょっとは考慮してあげても良いんじゃないかって気がしてる。

 ナビスコ杯決勝またはJリーグ最終戦の相手がもしも浦和レッドダイヤモンズじゃなかったら。エメルソン選手の出場停止が最終戦までズレ込んでいたら。秋田選手の首はつながっていたかいなかったか。まあシーズン中からそれとなく、って感じもあったらしーんでやっぱり必然だったのかも。去就が注目されるところだけどパナディッチが抜けると途端にボロボロな名古屋に行くって可能性もあったら面白いかも。抜けた中西永輔選手の代わりに大幅年俸ダウンでジェフユナイテッド市原に入ったらちょっと笑う(笑い事じゃないけれど)。

 そのジェフ市原をモデルにしたんじゃないかって言われている(バレバレ)「ジェムユナイテッド市原」なんてチームを舞台に老(ってもまだ20代)Jリーガーが一念発起、頑張る話として話題になった綱本将也さん原作で吉原基貴さん漫画の「U−31」(講談社、514円)なんかをペラペラ。田舎チームをおん出て都会のチームにいって微温な空気の中をちゃらちゃらやっていた、アトランタ五輪でスターになった選手が突然戦力外通告を受けて古巣に舞い戻る、ってシチュエーションから始まった物語は若手の突き上げにも負けずトレーニングも怠らず、いつか再び日本代表の座に舞い戻ってやるって根性たっぷりな選手の姿が目に眩しい。

 正直言えばアトランタの時にもてはやされた若い選手たちで後、チームを変転としながらもフランスに出て日韓にも出た選手って中田英寿選手を除けばあんまり記憶になくって、城選手にしても前園選手にしても川口選手でさえも今、J1なりトップリーグのチームでレギュラーとしてばりばりやってるってイメージがない。小倉選手は怪我がなければもしかして、って想いはあるけれどでもそれは見果てぬ夢。現実は城選手と並んでJ2リーグのベテランフォワードって位置づけでしかなく、くすんだ輝きを取り戻す困難さってのを現実が極めて明確に示している。

 「U−31」にも未来を夢見ていながら心が折れてしまって現役を退く選手の姿が描かれていて、そんな風に「U−31」の主人公の河野選手がならないでいられる理由、モチベーションの源泉が何なんだろう、って所が気になるけれどそこは漫画の主人公、純粋に「輝きたい」だけでも前に向かって突き進んでいける人がいて欲しいって読者やサッカーに携わる人たちの希望を代弁する存在として、迷う時があっても辛い出来事があっても頑張って現役を続けて行ってもらいたいもの。河野選手に比べれば秋田選手だって中西選手だってJ1チームで今さっきまでレギュラー、掴んでいた選手だった訳でその”実力”があればどこでだって頑張れる筈だとエールを贈っておこー。石塚啓司選手にも。次いったいどこに行くんだろ。ザスパ草津か? それとも山田隆裕さんと一緒に元Jのイケメン2人がその場で焼くメロンパン屋さんか?

 「ラスト・サムライ」を大特集している「ニューズウィーク」を買う。渡辺謙さんが禿頭なのに格好良く見えるのは禿頭だからなのかそれとも渡辺謙だからなのか。もしも前者なら僕も今すぐに禿頭にして渡辺謙になるんだけどなー。あとトム・クルーズは身長170センチで真田広之さんも同じくらいで2人が雨の中を木刀持って対峙している場面の格好良さを見て、それは身長が170センチだかなのかそれともトム・クルーズと真田さんだからなのかに迷うけど、前者だとしたら身長170センチちょっとの僕も同じくらいに格好良いんだってことになるなー。ってことは渡辺謙さんの格好良さにトム・クルーズ&真田さんの格好良さもプラスされた前代未聞の格好良い人間ってことになるのかな。体重? 聞かないで。


【12月2日】 「バッカーノ!」が当年ベスト級な成田良悟さんがはや5冊目にして「バッカーノ!」シリーズから初めて離れた「バウワウ!」(電撃文庫、590円)を出してたんで読んでなるほど新機軸なことを確認する。佐渡と本土を結ぶ橋が近未来に出来たって設定で、けれども放棄された橋の真ん中に出来た人工島は無法地帯となってヤクザやらマフィアやら犯罪者やら引きこもりやらが集まっては悪いこととか悪くないけど明るくもないことをしながら生きていて、そんな場所にまだ中学3年生の少年少女が佐渡から探検に行っては女子が銃撃戦に巻き込まれ、撃たれ死んでしまうところから物語は幕を開け、5年後の同じ島を舞台にした復讐と後悔の気持ちを心に秘めた男たちの対峙へと進んでいく。

 正直言えば我が儘勝手で危険だという忠告も無視して無鉄砲にも島へと忍び込んでは撃たれ死んでしまった少女にほとんど同情できず、従って彼女に引っ張り込まれた挙げ句になにやら責任めいたものを感じさせられる少年の、その後にとった行動にほとんど共感できずそれがひとつの鍵となっている物語を納得しつつ理解するのに手間取ったけど、そーゆー野郎もいるってことをひとまず理解し読めばなるほど分かりやすい復讐譚。少年とはネガポジみたいな関係になる南米帰りの国際指名手配犯の少年の気持ちと絡めて見たとき、彼らがしよーとしたことへの了解も浮かんで来る。

 そんなどこか壊れた2人の間に入って、元警官ながら銃を扱った際の不可抗力的な事故で居づらくなって辞めて島へと来た男の実直さ、格好良さも読み所。南米帰りの犯罪者が言う映画の主役みたいな格好良さって羨望は、あるいかっちりとした設定の上で超人的な格好良さを見せる、ってゆーか格好良いところしか見せない世にある小説やエンターテインメントの主人公キャラへの、成田さんなりへの「本当にそうなのか?」ってゆー疑問や意見であって、そーゆー定式化された格好良さを外れたキャラに本編の主役をはらせて逆に定式化された格好良さの良い面悪い面を浮かび上がらせよーと、したんだとしたらなるほど成田さんって人の実力の高さには素直に脱帽する。知らないけれど。エンディングの妙な爽快感は続編への布石か。「バッカーノ!」シリーズも面白いだけにどっちを先に出して欲しいか迷うなー。

 地域エゴとか大人の見栄とかってのが世の中には存在してそーしたものが悲惨な争いを引き起こして、挙げ句に無関係な子供が友達を失い母親を失う悲しい思いをして、ってな感じの展開を描き、世界で今なお耐えない戦争の愚かさに気付かせてくれたって意味で筒井康隆さんの「三丁目が戦争です」は傑出した作品だったと断言できる。わけても小学生の9歳10歳が読んでも読める文体でもって描きイラストで楽しませつつ物語でちゃんと怖がらせてくれたって所が素晴らしく、誰に読んで欲しい物語なのか、って意識を書き手も作り手もちゃんと持っていたんだってことが伺える。おむすびの目玉、あれはトラウマになったなあ。

 さてここに「ノーベル文学賞作家唯一のファンタジー」ってあおりも華々しく登場した大江健三郎さん「二百年の子供」(中央公論社、1400円)はなるほど、舟越桂さんのイラストもついて他の大江さんの文体よりは分かりやすい文体でもって3人の子供たちが木のうろで眠ることで使える夢のタイムマシンに乗って過去に行き、また未来へと行って戦うことの愚かさ虚しさ悲しさとか、管理され監視される暮らしの息苦しさとかに気付くってゆー作りにはなっているけれど、子供が楽しんで読んだ果てに何かに気付かされる物語か、ってゆーと悩ましくむしろ童話的な体裁を借り純粋とゆー子供たちの目を借りて、普段あんまり本なんて読まない大人に愚かなことをしているんだと、分からせるための物語って気がして仕方がない。

 だいたいが子供は無垢なんで夢のタイムマシンが使えるんだ、なんて設定そのものが子供を持ち上げているようでその実、子供を特別扱いしていてそれは大人にとっては昔を思い出させ今を悔い改めさせる役目を果たすけど、特別扱いされる子供にとっては押しつけがましい概念で、大人にそんなことを期待されたくないよなんて反発を招きそー。且つ昔の人は頑張っていた、未来は今を頑張らないと大変なことになるってゆー、ウェルズの「タイムマシン」の昔からある設定は、大人を説教する意味はあっても子供に気付かせるにはちょっと、インパクトとして弱いよーな印象を受ける。

 まあ普段あんまり大江さんの本を読み付けてない人でも山とか家族とか「新しい人」とかって大江さん的なモチーフを楽しめ大江さんを読んだ気にさせてくれ、世界のために何かしなきゃって気にさせてくれるって意味で有効な本であることは確かだし、10年後20年後30年後のために子供を啓蒙するより今、ただちに大人に気付かせ何かをさせなきゃいけないって気もするんで、ここは是非に多くの大人に読んでもらって自分たちが今、何をしてそれがどういう結果を招くのか、ってことに気付いて悔い改め、行動へと移る一助になってもらいたいもの。それにしても10歳15歳の子供がどんな感想を持つのか聞いてみたいところ。「ドラゴンも魔法も出てこないぞ」ってことになるのかな。「イラストが萌えない」って意見も多そーだなー。

やる曲唄う歌がぜんぶ同じに聞こえてしまうのは耳が悪いからかそれとも……。  でもって「t.A.T.u」。東京ドームのアリーナに着くと席は前から5列目だったもののステージの端からはみ出た場所なんでステージ中央ははるかに遠く中央から正面へと伸びた花道もやっぱり遠く、50分押しで始まり50分のDJによる前座を経て登場した前日に比べれば、開演の遅れは20分、でもってDJも30分と短めになって反省の色が見られたオープニングアクトに続いて登場した2人組は肉眼でははっきりとは見えず、これならやっぱり花道横のスタンディングの席を買っておけば良かったと今さらながらに悔やみ嘆く。来年はちゃんと花道横を買おう、って来年があるか分からないけど。

 次があるか、って言って言えなくもなさそーだけどなるほど指摘されているよーにスタンドはまるで埋まらなかった「t.A.T.u」だけど目分量で5000人とか8000人とか座ってそーなアリーナ席はそれなりな埋まり具合で、これが横浜アリーナとかだったら2人はいっぱいに出来たかもしれない。来ている人もタータンチェックのミニスカートに身を包んだ女の子とか元女の子が結構な人数見受けられてそれなりな世代にそれなりなファンを持っているんだってことが分かって、キャパを考えアピールする層を間違わなければまだまだちゃんと、売れるアーティストなんじゃないかって思って思えなくもない。

 出来てた2人に対する声援も割に真剣な情感がこもっているよーに感じられて、これがドームじゃなかったら結構、激しく熱いライブになったんじゃないか、そーすれば人気も再燃して次に繋がったんじゃないかって気がして惜しまれて仕方がないけれど、毀誉褒貶あれとりあえず再び「t.A.T.u」って存在を世に(ネガティブではあっても)知らしめたって意味はあったと評価し、今後の展開でもってまた徐々にでも、話題を作り人気を盛り上げていけば来年に再びお目にかかる機会はあるのかも。その時こそはかぶりつける最前列の席をとり、たっぷりな肉感と揺れる双房をその目で目の当たりにして来よー、タータンチェックのスカート姿で。


【12月1日】 真夜中に既に結果が明らかになっている「チャンピオンズリーグ」の「インテルvsアーセナル戦」がやっててなるほどヴィエリがシュートを決めてもまるで浮かない顔をしているって様を目の当たりにして、チャンピオンズリーグ用の背中が背番号を見やすくするため四角く真っ黒に塗られた格好悪くもみっともないユニフォームがそんなに嫌いか、だからとっとどっか別のチームに行きたいのかと聞いてやりたくなる。でもユヴェントスなんかはさらにみっともないユニフォームになっているからなー。バルセロナ? チャンピオンズリーグにはきっと来年も出られないからダメ。となるとやっぱり金満チェルシーってことになるのかなー。プレミアリーグで1位になって来年も確実にチャンピオンズリーグには出られそーだし。いっそ来年1月の移籍なんてこともあるのかな。ヴィエリ&クレスポ&ヴェロンのスーパートライアングルが見られる日は近いか。

 新聞各紙に「t.A.T.u」が東京ドームでのライブのリハーサルをドタキャンしたとの方。まったくもって「タトゥー」らしい。けどこんなんで本当に今日のライブはあるんだろーか、でもってチケット入手済みの明日のライブあるんだろーかと心配になって、仕事のついでに会場となってる東京ドームの近所をちらりとのぞくと開場前ってのに周囲をぐるりと囲むファンの行列はまるで見られず、すでにオープンしていたグッズ売り場も2人3人といった程度の客がいるだけで閑散としていて、そんな惨状を見るにつけ「やっぱやめた」とか言い出さないかと心配になる。

 となるとグッズも幻に終わってしまう可能性が高いと、プログラムとそれから額に「t.A.T.u」と刺繍されたニットキャップを確保。これで今日もしも、あるいは明日コンサートがなくなったとしてもそーゆー伝説があったんだとゆー証拠の品は手に入れたってことで末代までの語りぐさに出来ると安心……できません、やっぱ折角のコンサートなんでしっかと見ておきたいし。ちなみに心配された今日のコンサートは、ニュースとかによると開演の時刻を過ぎても一向に始まらなかった上に始まったら始まったでわずかに8曲を歌って1時間も経たずに引っ込むとゆーまさに”外タレ”級の短さで、こんなコンサートを7500円とかゆー定価で買って見に行く奴がいたとしたら、それこそ末代までの恥と語り継がれることに……なるんだな、僕は。やっぱ明日こそドタキャンで払い戻しにならないかな。

 駅のキオスクで「サンケイスポーツ特別版」と銘打たれた「ハロープロジェクトスポーツフェスティバル」の特報が出ていたんで早速購入、「t.A.T.u」のチケットなんて買ってしまった自分はもしかして永遠の敗残者か、なんて気持ちに苛まれる。ぎっしりと上まで詰まった東京ドームの賑わいぶりはそれとして、グラウンドの上で繰り広げられた若くてピチピチとした肉体をピチピチの体操着で包んだ「モーニング娘。」に松浦亜弥さんにハロプロの面々の、どアップになった写真を見るににつけこれはやっぱり見ておくべきだったと深く激しく後悔する。

 ショートパンツからにょっきりと突きだしたあややの細くて長い腿の白さ。脚を伸ばしてハードルを超えていく辻ちゃんの後ろに突き出ただろーお尻の可愛さ。運動音痴の汚名をすすぐべく挑んだ跳び箱を見事超えてマットへと転がり込んだ加護ちゃんの揺れ動いた派手に体とマットの間で押しつぶされ、はみ出した胸の豊かさ柔らかさ。写真でながめても頭に妄想が浮かんでしかたがないのに、これを会場に目の当たりに出来たらきっとその場で歓喜に震え失神してしまったことだろー。とどめは「Yeah! めっちゃホリディ」を熱唱するあややのスパンコール輝くキャミソールとローライズのホットパンツの隙間にのぞく丸い臍の素晴らしさ。ホットパンツのゴム部分のしめつけに勝てずはみ出た腰回りの肉付きの良さも含めて、ロシア娘なんて何のその、ニッポンの女の子だって世界と存分に戦えるんだってことを実感する。

 値段は「t.A.T.u」なんかより安く、出てくる美少女の数は軽く10倍、いや15倍はいてよりどりみどり。若さだって一部平均年齢を引っ張り上げている姉御連中を別にすれば中学生に小学生だっていているハロプロに利がある。1時間なんてことはない時間をそんな美少女たちを見ながら過ごせた休日を、なぜ僕は選ばなかったのかと自分を激しく問いつめる。とはいえ既に終わったことを悔やんでも仕方がないんで、今はとりあえず目先の「t.A.T.u」がちゃんと開催されることを祈り、なおかつステージに登場した2人が胸もスケスケの衣装でふくらみのみならず先端の突起までをも想起させてくれたり、果ては目の当たりにさせてくれることを期待して明日を待つことにしよー。新聞に「中止」の文字は踊るのか?


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る