縮刷版2002年9月中旬号


【9月20日】 巨乳が足りない。なんて憤りはしないまでもちょっぴりモヤモヤとしたものが残ってしまって、このモヤモヤをどこで解消すればいいのかと、「猫耳戦車隊」なんかを引っ張り出そーとしたけど案の定出てこず、夜の枕に顔を埋めて悶々とした人のおそらくは数えられる位はいそーな伊吹秀明さんの「マーズ・アタック・ガール!」」(富士見ファンタジア文庫、560円)。もちろん伊吹さんの作品だけあって巨乳が出てきておまけに戦艦を実質的に指揮しているとゆー、立派なまでな大艦巨乳主義作品ではあるんだけど、残念なことにその巨乳のエリート士官は主人公ではなくって活躍の分量も当然ながら一部だけで、全体をトーンとして覆うまでには至ってないし、当然ながらイラストも少ない。

 だったら主人公はといえばそれはその、巨乳のエリート士官の妹で3姉妹の末っ子で一富士二鷹三茄子の格言(か慣用句か駄洒落か諺)をそのまま辿ったよーに富士ほど大きくも鷹ほど雄壮でもないたんなる茄子っ子で、名前まで茄子美とゆーから親はいったいどんなセンスをしてたんだろーと首をかしげたくなる。これで本当の茄子みたくつるんとしてぺたんとしてればそれで見所もたっぷりとあるんだろーけど、そんな歳はとうに過ぎた女子高生だからお兄さんちょっと困ってしまいます。

 さてお話の方はといえば、長女の富士子が宇宙も認める巨乳をとがらせ冥王星の果てへと飛んで名を挙げれば、次女の鷹子は幼い頃から抜群の頭脳を発揮して数々の発明発見で宇宙の進歩に貢献し、且つ斬新な腕前でもって菓子職人のパティシエとしても地球の三つ星シェフからスカウトされたとゆースーパー女性。でもって趣味はコスプレでバニーもナースもよく似合うってんだから、その凄さでは長女に負けずとも劣らない。しかもやっぱり巨乳。そんな上2人に才能のすべてを吸収されてしまったか、茄子美は実に平々凡々とした暮らしを火星で送っていたんだけど、ある時宇宙の果てから謎の侵略者がやって来て富士子たちは大ピンチ。鷹子は鷹子で火星の謎の遺跡を発掘していたところに茄子美がやって来たのがすべての始まりで、火星に眠っていた何やら得体の知れないものの力が茄子美にとりつく形となって、宇宙からの侵略も地球による陰謀も、すべてをぶち壊してしまった。

 茄子美にとりついたのはいったい何か、ってあたりのアクロバティックというかプリミティブというかファンタジックというかともかく壮大なまでのこじつけが見事。その結果生まれたおそらくは火星SF史上最大にして最強の怪物の迫力たるや、並の怪獣映画や火星が舞台の宇宙戦争映画では遠く及ばず他のいかなる作品でもかなわない。最後にはそれすらも蚊トンボに思えるトンデモが登場するからこれまた大笑い。これが成立するなら例えば映画「月世界旅行」の笑顔の月があてはまったらいったいどれくらいの事態になるんだろーと想像とかしてみたくなる。1発芸で終わらせるには惜しいキャラクターたちに設定なんで、次はスケールを宇宙へと広げてど派手でお莫迦な宇宙バトルを読ませていただけたらありがたい。もちろん巨乳は必須、って釘刺さなくても伊吹さんなら真っ先に書くんだろーけれど。ありがたいなあ。

 早起きして「東京ゲームショウ2002」。今年から年に1回開催となっただけにその間に溜まりにたまった新作ソフト新ゲーム機がわんさと出展されてとてつもない興奮に包まれるだろー、なんてことはほとんど思わずむしろこの間、任天堂の「スペースワールド」とかセガの「ゲームジャム」とか先だってのソニーの「ドリームワールド」といった、単独のプラットフォームのオンリーイベントやフルラインアップを持ったソフトメーカーによるオンリーイベントが目白押しで、新作も適宜紹介されて来たんで今さら「ゲームショウ」で何を見るのかなんてあんまり思えて来ず、開場前から昔のよーなわくわくとした気持ちが湧いてこなかった。

 オープニングのテープカットの時に後ろに並ぶコンパニオンの人たちがわらわらと出てきた時にはハッとしてグッドな気持ちが体の芯を貫いたけれど、どこかに向かって行動として発揮されず結果のない思いは抱くだけむなしいもの。かといって行動に移せば捕縛は必至だし……人がバーチャルに走るのも分かるなあ。見た目ではナムコの「太鼓の達人」を宣伝するんだろー法被っぽい衣装のコンパニオンの下のスパッツが短い法被のすそからチラチラとのぞいて、スパッツって分かっているのにピクッと来るものがある。片方の股だけ長いカプコンもまずまず。マイクロソフトは谷間が谷間が谷間が。元気も谷間が谷間が谷間が。タニマニア久々に感激です。関係ないけど開会式のテープカットの開場の手前に「日経BP関係者受付」を置く根性にはちょっと吃驚。主催者だろーから人も大勢来るんだろーけど主催者なんだから出過ぎず影でこっそりと受付を済ませさせる奥ゆかしさでは、この出版不況にガンガンと雑誌を出しまくってはそれなりな成果を収めることなんで出来ないんだろー。

 展示についてはネット、ネット、ネットな感じ。マイクロソフトは「Xbox Live」をコックピット型の試遊台を用意して展示していて、これ1台マジで家に欲しいと思ったけど置く場所がないから今は断念、そういえば前々回くらいの「デザインフェスタ」にオタクな方向けのテレビもビデオもゲームもすべて楽しめるコックピットを出してる人がいたなあ、もしかして真似したのかな。ネットゲーでは海外組が大進出で「リネージュ」出してるエヌ・シー・ソフトとか台湾から来たガマニア・エンターテインメントなんかが割に真面目に大きなブースでゲームを展示中。香港からも来てたし韓国物もほかにいろいろあってどれもがそれなりに面白そーで、相変わらず画面に向かってピコピコブンブンな日本のゲームの定型ぶりを刺激してくれていた。日本からだって「ファンタシースターオンライン」のマルチプラットフォーム化が着々と進行中だし、11月には「ファイナルファンタジー11」のパソコン版が出る予定で、これなんかがひとつ試金石となりそー。夜通しプレイして出てこなくなる会社員続出か、いやいや会社のパソコンで遊ぶために家に帰らなくなる会社員が大量発生か。

 物販ではやっぱり「でじこ」、ってゆーか「ぷちこ」の等身大抱きまくらが出ていて欲しい気持ちに火がつきかけるけど、何しろ先立つものが皆無に近いんで今日のところは諦める、明日になったら分からない。あと講談社のブースに2つ立っていた「陸上防衛隊まおちゃん」の「パンチキック」のかわいさに胸ひかれる。1万円もしやがるのが難だけど家に1つ買って立てて日々愛情を込めて抱きつきタックルをかませるとあっては幕僚長じゃなくっても買ってしまいそー。蹴るとか殴るなんて出来ないよ。あるいはこれを陸上自衛隊とか海 隊とかが購入して、可愛いとか抱きつきたいって感情を殺して相手を倒す氷の意志なり鉄壁の無情を養うために、訓練中の自衛官なり海兵隊員なりに毎日100回殴らせるとか。「ま、まおちゃんオレは……」と上がる拳が途中で止まり鬼の軍曹が「殴れないのかこの○○」と怒鳴り「まおちゃんごめんよー」と泣きながら殴る風景が習志野とかで見られたり。でもって夜の簡易ベッドで「ぷちこ」の枕に顔を埋めてむせび泣く、と。


【9月19日】 文字どおりの3日天下に終わった名古屋グランパスエイトの不甲斐なさに号泣して濡れた枕に顔を埋めてしばしの睡眠、午前の2時過ぎにムクリと起き出しては「チャンピオンズリーグ」の「フェイエノールトvsユベントス戦」が始まるまでの間を真夜中のアニメで潰す。とりあえずテレビ東京を付けて「陸上防衛隊まおちゃん」がやってないかと確かめたけれど時すでにちょっとだけ遅くて終わってて、仕方がないんで(仕方がないのか)同じ枠内でやってる「朝霧の巫女」をちょっとだけ見物、これのどこが「朝霧の巫女」なんだろーと激しく悩む。

 なるほど出てくるキャラクターは漫画とまるでそっくりだけど、ストーリーの方にはまるで記憶がなくってしかも全体に抑揚がなく、ただキャラだけが突出して描写されてるってことはもしかして、寝ぼけて「朝霧の巫女」の同人アニメでも見てるんじゃなかろーか、なんてことを思ったけれどチャネルを回すとこちらは真っ当な「藍より青し」がやっていたから、これはちゃんとしたアニメ版「朝霧の巫女」だと理解するより他にない。まあアニメ版はCMも含めて林原めぐみさんの一種プロモーションビデオなんで(そうなのか)ハヤシバラな人が喜びさえすれば他にどんな映像が流れても構わない、ってことなんだろー。見て感じない僕はやっぱりハヤシバラ失格だったんだな、レイよりアスカでそれよりミサトだっし、「エヴァ」じゃー。

 真夜中にご苦労にも起きてる加藤水沼の「スーパーサッカー」なコンビにはご苦労とか思いつつスタートした試合は流石に欧州のトップチームどうしだけあってスピーディーでアグレッシブな展開で見ていて早朝なのに眠気がまるで起きず、最初から最後までを食い入るよーな感じで見ることが出来た。フェイエノールトの小野選手がボールの流れの中ではそれほど目立ってないよーに見えたけど、1点取られた後半の2回やり直されたファンホーイドンク選手のフリーキックの時に、後ろから小突かれよーとも壁の前に立って背中で壁をグリグリと押し下げよーとしていた様が、何かコドモのケンカっぽくって可愛く見えた。お互いにそれだけ試合に真剣で何をやってでも勝ちたいって意欲の現れなんだろー。

 点を取られた時なんだろーか、ユベントスのブッフォンがゴールポストにライダーキックをお見舞いしてて相当に悔しかったんだろーと推測、1歩も動けなかったからね。デルピエロはさすがにデルピエロだけどシュート何本か外したのはまだ試合勘が甦ってないからなのかな、「セリエA」なんてまだ1試合しかやってないし。フェイエノールトは巨大なファンホーイドンクが凄かったけど、右サイドのソン・ジョングッのスピードと突破力の凄さにも唖然、欧州のそれもユベントスのサイドをぶっちぎるんだからこれはもうホンモノでしょー。このタレントが日本代表にあったらなあ、市川? ユベントスをぶち抜けるかなあ。

 ホームだけど先制されての同点で相手がユベントスなら上々ってことで満足しつつ2時間ほど眠ってから「東京ビッグサイト」で開幕した「第40回アミューズメントマシンショー」へと向かう。相変わらず開会式にご登場の亀井静香代議士だったけど期待していたよーな昨今の外交情勢への警句がなくってちょっと残念。場内は1ホールの端がパーテションで区切られ狭くしてあったけどそれだけ出展者が少なかったってことなのかな、前回の記憶がないんでちょっと不明、まあ厳しいことは厳しいんだろー。出ているマシンもアイディアとか内容で死ぬほど画期的って印象のものはなくって、いわゆる「ゲームセンター」ってものがひとつの端境期転換期に入ってるんだってことを伺わせる。

 転換の形としては「ゲームセンター」を碁会所よろしくコミュニケーションの場として再構築しようって意味あいを持ったマシンがあちらこちらから出てたこと。セガの「ダービーオーナーズクラブ」がそもそもの火付け役だったのかもしれないれど、何人かが座って同じゲーム機を囲んでガヤガヤとプレイするスタイルのマシンが、後継に当たる「ワールドクラブチャンピオンフットボール」を経てセガから他のメーカーへと拡大・浸透して来ている感じがあって、例えばコナミなんかは全国のアミューズメント施設間で同じ麻雀のゲームを対戦できるよーなマシンを出して来たし、セガもこれは施設内に限定だけどネットで結んで麻雀を楽しめるゲームを出してきた。これがあれば別に全国を放浪しなくたって麻雀が「打(ぶ)てる」んだよね、坊や哲。

 遅れ馳せながらもナムコもモンスター育成・対戦型のゲームを投入。似たゲームがコナミにあったよーな記憶もあるけど、ともあれゲームセンターに人が集まり滞留し、いろいろ購入して帰ってまた集まる場にしようって意図を持ったマシンが目立った。もっとも限りあるゲームセンターのフロアに「チャンピオンフットボール」と「MJ」と「ダービーオーナーズクラブ」とコナミの「麻雀格闘倶楽部」とナムコの「ドラゴンなんとか」を揃えてさらにプライズ機にビデオゲームを揃えるなんて無限大無理。ならば残るのは人気機種ってことになるんだけれど、その辺りのバトルじゃー今んところセガがイメージもあるし実力も供えててちょっと強そー。何より自前のオペレーションがあるからね。「チルコポルト」を止めてしまったコナミはその辺をメーカー系じゃない店に販売力で展開するのかな、ともあれ新しい波が広まっていく動きには注目。もっともゲームセンターじゃプライズ専門なんでそんな所まで気が回らないんだけど、「メカ沢」のぬいぐるみが欲しいよー、いつ頃出るんだよー。

 ビデオゲームだとタイトーのレーシングゲームが他のICカードに変わってチップ内蔵の「キー」でもってデータとか記録させる方式を採用していて、自分の車を保有し運転している感覚を楽しませてくれそーで注目。どーせだったらヘッドの部分も自在に選べたりすれば面白いんだけど、鍵屋の店頭に並んでいるよーなタイプの奴とかに。タイトーはエレクトロニックダーツも出してていCカード利用のレーシングゲーム「頭文字D」を出してるセガとここでもちょっと被る感じ。ダーツのメーカーのメダリスト社とはセガが前日に販売提携を発表してたけど、独占じゃないみたいでタイトーでも展開していく感じ。セガはエッジの効いた施設をプロモーションする術に長けているけど(渋谷のダーツバーみたいなの)、タイトーだってモータウンレストランみたいな飲食店との連携をいろいろやってるから、クラシカルな雰囲気の飲食店とエレクトロニックダーツのコーナーの併設ってのを考えて来るのかも。ダーツのコーナーに立ってた金髪バニーの2人がどちらもちょい太めだったのは担当者の趣味かそれとも予算の限界にチャレンジして敗れたためか。


【9月18日】 「ファミリーマート」のネットで抽選に参加したサッカー「日本代表vsジャマイカ戦」の当選発表がそろそろだったと記憶しているけれど、一向に連絡がないのはつまり落選したってことなのかな、ここんとこ映画の試写会の抽選とかにも軒並み外れてるんで、やっぱり6月の「ワールドカップ」で運をすべて使い果たしてしまったのかのしれない、お金とともに。あとは「イープラス」だかで来週に始まるヨードンの売出しにかけよー。

 けど欧州で「チャンピオンズリーグ」だの「ユーロ2004」だのの予選がスタートして、名誉と金をかけた真剣勝負がスペシャルなメンバーでもって繰り広げられているのを見知ってて、強いとはいっても欧州でも南米でもないジャマイカとのホームでの親善試合をどこまで楽しめるのかってのが微妙な所。2006年を占うっても2006年はあまりに遠すぎてジャマイカ戦の様子を見たって何が見えるものでもないからなー。真剣勝負真っ直中の小野選手を「フェイエノールト」が出したがらないのも当然か。

 フランスの後は若手の台頭って楽しみもあったけど今回はそれもなし。せめて「アジア大会」で谷間を蔑まれている世代が大躍進を繰り広げ、そこからタレントが何人かピックアップされて来れば興味も湧くんだけどなー。せめて「名古屋グランパスエイト」から古賀選手とか中村直志選手とか原竜太選手とか入ってくれればフックも増えて楽しめるんだけど。ジーコって名古屋って見たっけ? ピクシーのチームじゃあ自分の日本での手柄が霞むって避けて通りそーな匂いがあるからなー。古賀選手あたりの処遇がジーコのグランパスを見る目を測るメルクマールになりそー。楢崎選手まで落としたら……カンペキだ。

 運がないとか思ったけどこれは往復葉書を何枚か出した効果があったか当たった22日開催のイベント「RONDO ROBEMAIDENFLIGHT」。パイオニアLDCがアニメビデオに「天地無用! 魎皇鬼」で参入してから今年でちょうど10年になったのを記念して「文京区シビックホール」で開催するイベントで、午後の2時から午後の6時って果てしなくも長い時間を豪華なゲストとともに過ごせる内容に今からちょっと胸躍る。貴重な連休の最中で「ゲームショウ」も真っ最中にアニメのイベントを見ている場合かおっさん、ってな突っ込みはなし、僕より年上も絶対にいるから100人は。

 ちなみに当日出演するのは高田由美御大に水野愛日さん山本麻里安さん川澄綾子さん真田アサミさん菊池由美さん清水愛さん折笠富美子さん松岡由貴さんほかワラワラといった声優陣で、居並ぶ名前の女性ばかりなのはどーゆー訳かと不思議に思ったりもするけれど(せめて菊池正美さんくらいは入れてあげれば良いのに)、見て目に麗しいものでもないからこの際仕方がないってことで。声優さん以外のクリエーター系のイベントがあるのかないのかは不明だけど、「ぷちぷりユーシィ」の上映があるからガイナな人とかもきっと見には来てるんだろー。ご挨拶。並んだ名前の順不同の末尾に記載された出演者「桃井はるこ」がなかなかに謎、声優さん……だったのか? 「インパク音頭」から出世したなー、それとも同名異人とか?

 気づかなかったけど「google」にも広告が入るよーになったそーで「アドワード広告」って名称で検索したキーワードに対してあらかじめ登録してあるテキストベースの広告を、検索結果が表示されるページに右側にずらり並べて表示することになるらしー。7月からスタートしている割には今の所引いたキーワードに対応した広告を見ないのは、引くキーワードがとてもじゃないけど広告できそーもないものばかりだからか、自分の名前とか。仮に自分の名前で引っかかる広告ページがあるとしたら、そこでは何を売ってるんだろー。ちょっと興味。

 同じよーにキーワードに即応した広告をベラリっと検索結果のページに並べるサービスハ「オーバーチュア」って所も米国とかでは提供済みで日本でも今年度中のスタートに向けて準備中。キーワードを入札にかけて高く落札した人のページから順に幾つか並べるってサービスで、だとしたら例えば超お金持ちがあらゆるキーワードを買い占めちゃったらどーなるの、って担当の人に聞いたことがあったけど、内容と関係のないページじゃあ編集の段階ではじかれるし、入札価格は刻一刻と変わってその時点での最高入札者のページがトップに来るよーな仕組みになっているから、よっぽどじゃなければ買い占めなんて無理だとか。

 クリック回数に応じた広告料金を支払わなければいけないんで回収に見合わない投資をしていても足がでるばかりなんで、知らず”市場価値”ってものにキーワードの価格も落ちつくらしー。ユーザーからしてみれば、広告ページが出てくるのってちょっとイヤってゆー心理もあって当然だろーけれど、「google」は調査してないけど「オーバーチュア」に関しては分厚いマニュアルに首っ引きで内容の吟味にエディターの人が当たっているそーで、だからなかなかサービスが始まらないのかな、なんて心配もあるけれど、少なくとも結果が内容にまるで合致してないってことはないんで、使ってメーワクってこともないんだろー。商売にすな、ってネットならではのフリーダムな精神への抵抗もなきにしもあらずだけど、便利で濃ければまるまる広告だって売れる「リクルート」の雑誌みたくサービスとして定着していくんだろー。「google」と「オーバーチュア」のどちらが勝ち残るのかってのも興味。せめて「ヤフー」より長生きして欲しいけど。


【9月17日】 水着がいっぱいな夏休みの回もブルマだか短パンだか不明だけど足だけは見えてる体育祭の回も眠さに見逃す体たらく、なのに何も動きがない時だけは妙に起きて見てしまうアニメーション版「あずまんが大王」は、今回もピカニャー到来の巻とおおよそ萌え要素とはかけはなれたエピソードで、前世に何かイケナイことでもしたのかとお払いしたくなる。内容はと言えば総じてコミックス第4巻とおんなじで、どう動かしてあるのか、どんな演技の声が付けられているのかって方に気持ちを入れて見物したけど、漫画を読んだ時に感じた間合いとおおむねいっしょで違和感もなければ驚きもなくのんべんだらりと見ることができた。途中で入った「あずまんが大王」ってロゴとジングルだかが間延びしがちなテンポを締める役割を果たしてたのかも。水着も体操着ももはや出る可能性はないけれど、受験になればよみの出演も増えるだろーからそっちに期待して残る回数を頑張って見よー。

 ふと思ったのは先週末に「みなとみらい21」地区からさほど遠くない場所に出没した「たまちゃん」とおぼしきアザラシは実は、「パシフィコ横浜」でイベントをやっていたソニーが密かにつくったペットロボットで人を「MM21」近くへと集めては一気にイベント開場へと誘導しよーとしたんじゃないかってことで、何しろ前に「サルゲッチュ」が発売された時に、八王子とか多摩とかいった地区から猿を読んでは西麻布に出没させたことがあるソニー・グループだけに、あながち外れていない可能性もそれなりにあったりするのかも、なんて考えたけれど「AIBO」からこっち世間を震撼させる商品を送り出せていない今のソニーにそんな独創性とか茶目っ気があるとも思えないんで、むしろ「ソニー・ドリーム」から気を逸らすために松下電器産業の企みだったのかもしれない。もちろん松下にロボットなんて作れるはずもないから、あれは完全に着ぐるみで、中には宣伝部の人が入っていたに違いない。島耕作も大変だ。

 北朝鮮。拉致疑惑について御免と謝った、その時に果たして金正日総書記が頭を下げたのかそれとも面堂終太郎みたく胸をそらしたのか知りたい所。まるでデザイン性ファッション性からかけ離れた菜っ葉服をいつも着込んでいるって辺りにデザイン性皆無の軍服をいつも着込んでいるパタリロとの相似性を見て、なるほどパタリロなんだから頭なんて下げるはずもないかとひとり納得する。敷衍してパタリロの軍服は同じよーに見えて実は何百着もあってそれぞれにデザインが微妙に違うって話を思い出し、金総書記の菜っ葉服も実は有名所のデザイナーたちによって少しづつ違ったデザインがされているか、違った素材が使われているのかも、なんてことを考える。今日の小泉純一郎総理との怪談で着ていたのは妙にパリッとしていたからとって置きの奴だったのかも、日本人が妙に好きなポール・スミス辺り? 「メンズ・ノンノ」とか取り寄せて読んでいそーだし。

 中国歴史偉人探訪記、になってしまいそーな雰囲気も出てきた田村登正さん「大唐風雲記」の第3巻「The Last Emperor of 漢」(電撃文庫、570円)。秦の始皇帝を訊ねて兵馬庸の成り立ちとか秘密とかを解説していく内容が勉強にはなった前巻に続いて、今回は副題にもあるよーに後漢末期から三国時代へとつながる時代にスポットを当てて当時の政治情勢とかが紹介されていて、これまた勉強にはなるものの物語りとしては最初の巻にあったタイムトラベル物ならではのアクロバティックな構成が薄れ、苦労してます偉人に助けを借りましょう過去に戻ります偉人がいましたお願いしよーと思いましたでも結局は無駄でしたってパターンにハマってしまいそーで悩ましい。過去を改変しないってコードがあるため、主人公たちが変えようとあがいても歴史上の過去でしかない大唐時代が変わることはなく、先に話を進められなくなって過去に題材を訊ねて些細なドラマを温めるしか手がなくなっているのかな。履児の成長ってテーマもまるで吹っ飛んでしまってるし。それでも個々に読めば歴史に生きる人の息遣いめいたものが伝わってくる部分はあって、決して面白くない訳じゃないんで、そのあたりだけに絞って巻を重ねて読者をお勉強させてくれればとりあえずは満足ってことにしておこー。次は項羽と劉邦がいーな。


【9月16日】 ルノアールみたくモアファットな美女とはちょい違う、張りつめた肉の感じがあってそれなりに関心のあったりするアングルとか、ギュスターヴ・モローとかロセッティとかいった人たちのいろいろな作品が展示されてるってんで、東京は上野にある「国立西洋美術館」に「ウィンスロップ・コレクション」を見に行く。ウィンスロップって人のコレクションなのはタイトルを見れば分かるとーりで、ハーバードに寄付されたウィンスロップさんの集め美術作品の中から19世紀の英国にフランスの作品を選りすぐって持って来た日本では初めてのお披露目展。印象派とピカソが大好きな日本人の口にどれだけ会うのかって予見はあったけど、入ってみると開場3日目ってことでそれなりな来場者数で、どんな展覧会をやってもそれなりに人を集めてしまえる首都圏って所の人口の多さを改めて思い知らされる。

 宗教とか神話とかその辺りから題材をとった人物忠心の絵は見ていて単純に「綺麗だな」って思えて楽は楽。「ラファエロ前派」って後に呼ばれる一派の技巧的な特徴も歴史的な位置づけもまるで知らないけれど、奥にターバン姿の奴隷を排して手前に素っ裸のグラマラス(だけどぶよぶよはしてない)な女性が横たわり、横で服は着ているけれど乳はこぼれてる女性がギターか何かをつま弾いてるアングルの絵なんかは、手前の女性のバストの形はもとよりギター女アラビア風な衣装の鮮やかさなんかに当時の東方の雰囲気なんかが伺える。ギュスターヴ・モローの描く裸も胸とか腰とか張りのある感じがあって当時の美意識ってのは徹底した豊満でもなければ痩身でもなかったのかな、なんてことを考えてしまう。モローやアングルの好みがそーだっただけかもしれないけれど。

 中吊り広告なんかにも登場しているロセッティはジョセフ・バーデンだったっけ、後にウィリアム・モリスと結婚する女性を描いた作品が何点も出ていて、顎がピンととがって鼻梁がシャキッと帯びた奥目がちな彫りの深い顔立ちの絵を何枚も見せられているうちに、誰かに似てるなー、誰なんだろーと考えてそーだ「ブレードランナー」に出てきたレイチェルに似てるんだ、なんてことに気づく。単なる思い過ごしかもしれないけれど、目の辺りの造型と鼻筋の走り具体と顎の形がレイチェルそっくりに見えるんだよなー、リドリー・スコットはロセッティのファンだったのかなー。フッとたまに若い頃の松本孝四郎さんにも見えたりするのはご愛敬、縦に眺めの顔立ちって辺りに共通するものがあるのかも。でも松たか子さんには似ていない。孝四郎さんとたか子さんは並べるとそっくりなんだけどな。人間の認識力って妙なところで敏感です。

 雨も降ってたんで「上野動物園」で象とかパンダを見るのを諦めて西郷像の下あたりにある店で古本漁り。出物はなかったけど今では温帯と呼ばれる中島梓さんがまだそれなりに若かった頃に書いたSF論修「道化師と神 SF論序説」(早川書房)が転がってたんで入浴時の読書用に買う。出た時にもちろん読んでいるんだけど、巻末に「新鋭書下ろしSFノヴェルズ」の広告が載っているってことから発行されたってことでかれこれ20年が経っていて、まるで内容とか覚えてないんで読み返すとそれなりに新鮮かも。じっさい本書だと高千穂遥さん川又千秋さんが新進気鋭で「日本SF作家倶楽部」のメンバーは40人内外。「『底辺ライター』とでもいうべき存在がほとんど見あたらない」(15ページ)なんて言葉があって、まさに底辺ライターとしてレビューなんかしている身として、「作家クラブ」の膨張ぶりに高千穂さんの出世ぶりも併せて20余年の間のマーケットの成熟ぶり拡大ぶりにはちょっと驚く。

 「新鋭書下ろしSFノヴェルズ」ってことはつまり神林長平さんとか大原まり子さんとか野阿梓さんとかワラワラと出てきた時代なんだけど、中島さんのあとがきなんかを読むと当時すでに「SFジャンルはこの二年の間に、おだやかにそのかちえた位置を守りつつゆっくりと沈滞し、停滞し、冬のはじまりを迎えつつあるかのようである」なんて言っていたりして興味深い。事実「SF冬の時代」なんてものがその後到来した訳で、そんな危機意識も踏まえて書かれたこの本が、「ハヤカワSFシリーズJコレクション」なんてものが出て我が世の春を謳歌しているよーに見える21世紀日本SFの将来性を果たして暗示しているのかそれともまるで違うのかを確認してみよー。

 横四方から袖車締めにしてコニー・ウィリス「航路」(大森望訳、ソニー・マガジンズ、上下各1800円)の残り600ページを一気読み。次から次へと事件が起きては新しいことが発見され、いよいよ核心かと思ったらさらに別の難題が持ち上がり、先へ先へとページをめくらせていくエンターテインメントにとって必然であり、また究極ともいえるテクが満載されていて読む手を止めさせない。まったくもってお間抜けな、猪突猛進で手前勝手なおよそ謙虚さの美徳からはほど遠いキャラクターたちに辟易とさせられる部分もあるし、先が見えない部分では手探り感もあってページをめくる手に多少の抵抗を与えるけれど、臨死体験で見る光景の原点とは何かをキャラクターが追い求め思考し始める辺りからミステリー的な楽しみが高まって来くると、後は垂直落下のジェットコースター、気が付くと最後まで一気に読み終えてしまっていた。なるほどこーゆー話だったか、いや感心した。

 自分は1万5000歳まで生きてそれから神か仏か大金持ちに転生すると確信しているけれど、それはそれとして人間は死んだらお仕舞いの存在で、魂なんてものもなければ死後の世界なんてものも存在せず、いわんや地獄極楽の類なんて妄想の産物でしかないとゆーことも確信していたりするんで、臨死体験をインタビューして歩く女医と臨死体験とは何かを突き止めよーとする男医とのタッグが繰り広げる、死とはどーゆー状況なのかを探り解き明かそーとする「航路」の主題にはとても興味があったし、結論においても確信に極めて近い解答が得られた。

 それが具体的には何かは読んだ人が読んだなりに考えて頂くとして、ひとつ言えるのは、人間はその生から死まですべてがひとり個人のものなんだけど、ひとり個人を形成している認識は決してひとり個人が育んだものじゃなくって、おおぜいの人たちからいろいろな情報なり影響を受けて育んだものだということ。「航路」で提示される、主観的な安寧をもたらすものとは言い切れない厳しいシチュエーションに正直怯えを感じ恐ろしさを覚えたし、それが「航路」を”涙の感動巨編”とは言い難くしているけれど、総体として提示される救済のビジョンには魂を救われる気がして、怯えや恐ろしさを乗り越える勇気も湧いてきた。死の向こう側にあるのが光の国であろーと永遠の無であろーともはやどっちでも構わない、今はとにかく今を精一杯に生きようと強く思う。でもやっぱり800歳くらいまでは生きたいもんだ。もちろん生きる気でいるんだけど。


【9月15日】 亀の歩みよりもトロくコニー・ウィリス「航路」(大森望訳、ソニー・マガジンズ、上下各1800円)の試験読み。よーやくにして本筋っぽい主役の事態への本格関与がスタートした所だけど分量で言うなら機能から50ページも進んでなかったりするかしないかって辺りなんで、この先まったくどーなることやら分からない。ひとつ断言できるのはいくら美形で知能が高くっても研究莫迦の朴念仁ではオンナゴコロはゲットできないってことか。時にとてつもないモデルとも見紛うばかりの美女を連れた重力にチャレンジブルな体型の男子(脂性)がいたりして何でまたって驚くけれど、朴念仁でも莫迦でもないマメさが彼らにはあるんだろー。勉強になるなあ、本筋とはまるで関係ないけれど。今晩から明日にかけて頑張ればフィニッシュに持ち込めるかな、でも背中でユーワクするんだよなーミルフィーユの巨大な顔が。耐えられるか。

 浮気して臥竜恭介さんって覆面作家らしー人の”書き下ろし長編官能怪奇”なんて惹句がついた「荒巫女戦記ヒムカ」(徳間書店、800円)を読む。夢枕獏さんが「こいつ、誰だ? えげつないファイトに場内騒然!! 極悪非道の覆面作家誕生!」なんて絶好調なことを書いているからさぞや獏さんの目から見ても官能に秀でた描写があるんだろーかと下世話な期待でページを開いてはみたものの、読んでみて一向にピクンとも来ない官能描写に獏さんも歳を重ねて枯れて来たんだろーか、なんて思いにかられる。なるほど古の巫女の血かスピリッツか何かをひく少女がいて、特定の男とヤることで目覚めてヒムカって巫女戦士になるって設定からそれなりな描写はないでもない。ピンチに陥る度にトイレだ何だとしけこんでヤったりする展開は読んでそれなりに楽しかったりもする。

 けどそーした描写に対する世間の感覚の敷居が低くなってしまっている状況では、よほどの徹底した描写にしてあるとか、榎本ナリコさん「センチメントな季節」みたくシチュエーションにいろいろ工夫があるとかいったものでないと、読んでふーんとは思ってもハマる程には達しない。かといって本筋の伝奇の方で画期的な設定があるかとゆーと、イズモVSヤマトってな割にありがちな設定で1冊を読むだけでは驚きというほどの驚きは得られない。官能は甘くても設定がありきたりでもドラマに人を感心させるよーなものがあれば、たとえばあかほりさとるさん「霊都清掃 こいまげ」のよーに交合がパワーアップにつながると知りながらもその力を発揮することを悩むおっさんみたいな葛藤なり屈託があれば気持ちを向けられるけど、1冊終わった段階ではまだそこまでの奥深さが見えて来ない。

 とはいえそこはまだ1冊。しばらく続く可能性が高そーなんで、その辺りも含めて官能にも伝奇にも腹八分な状況を抜けてどちらも満腹感漂う話になって頂ければ、獏さんの帯文もJARO行きにならずに済む。とゆー訳でどこの誰かは知らないけれど「あの作家」と銘打ってある以上はそれなりな人なんだろー正体の作家の人は是非に、せっかくの覆面を活かしてナポレオン文庫がフランス書院も真っ青の官能描写プラス半村良も朝松健も由麻角高介も凌駕する伝奇バイオレンスにしてやって下さいな。今日日のヤングアダルトにだって例えば電撃文庫から刊行中の杉原智則さん「頭蓋骨のホーリーグレイル」のよーに鬼とか悪魔とかとモロ交合する女性のシーンが出てくるんだから、オトナが相手のノベルズで負けてる訳にはいかないよ。

 先週は土砂降りの雨の中で見た影響か、あるいは途中で食べた酸っぱいおにぎりかあるいはビールのアルコールが祟ったかして出来たブツブツに悩ませながら柏のサッカー場から帰って来たけど、3日も薬を飲んでどーにかブツブツも引いたみたいでとりたって健康に慢性的な欠陥もなかったみたいだと分かったんで、小雨が降り出しそーな肌寒さもものともせずに「国立霞ヶ丘競技場」まで「東京ヴェルディ1969VS鹿島アントラーズ」の試合を見に行く。いちおーは去年買った背番号がまだ36番だったころのエジムンドの活躍を記念して祈念したTシャツを着てはいったけど、ここでヴェルディが負ければ我らが名古屋グランパスエイトが暫定のつかない首位へと躍りでるとあって、まんまヴェルディを応援して良いものかと胸の内はちょっと複雑。それでもグラウンドでひとり奮闘するエジムンドの活躍を見ると、ヴェルディに買って欲しいって気もしてくるから優柔不断もここに極まれり。まあここでヴェルディに先を行かせて28日の「東京スタジアム」で直接下すって筋書きもあるから良かったんだけど。

 ゲームの方もそんな思いを見透かされてしまったかエジムンドがPKを決めゴールも決める大活躍でヴェルディがアントラーズを相手に2点のリード。対するアントラーズはトップの柳沢が相変わらずの柳沢ぶりでゴール前で持ちすぎたりして好機を逃すは得意らしーヘッドはことごとくはずれるはとまるで城状態。これでヴェルディ勝ちかな、って思ったところが直後に今日の試合ではトップに入っていた本山がヘッドで押し込み、続いて途中入場の長谷川がゴール前のパスを流し込んで同点に。折角取った点を無駄にされたかエジムンドの熱もヒートアップしたんだろーか、サイドで受け取ったボールをなぜかヴェルディのベンチがある方向へとサイドラインを越えて蹴り出すとゆー、ミスパスとゆーより恐らくはベンチでだらーっとしていたサブの選手に向かって送った「アップしろやゴルァ」的なメッセージを出したりして、気を引き締めよーとしていた。それまで座っていた選手が途端にアップを始めたから、やっぱりベンチに向かっての喝だったんだろーなー、あのミスパスは。

 それでも1人退場となっていたハンディが後半になって効いてしまったか、ゴール前の混戦をアウグストにループ気味に押し込まれてヴェルディ万事休す。三浦淳宏が入ってエジムンドがトップに上がる形になって残る時間を波状に攻めてもアントラーズのゴールは遠く2対3のスコアで試合終了、晴れて名古屋グランパスエイトが第2ステージで首位に立つとゆー、嬉しいんだか残念なんだか分からない瞬間を目の当たりにすることができた。まあ負けたとはいいえ勝ち星だけなら名古屋と同じ2勝だし順位もまだ3位だったっけ、全然上位を狙える場所にあるんでこれでエジムンドのソウルがプッツンしていなければ、水曜土曜と2つの試合をグランパスともども勝ち進んで、「東京スタジアム」で天王山的なバトルを見せてくれるだろー。その時はもちろんグランパスを応援するんだけどね。かかってきなさい緑虫。


【9月14日】 この小洒落た世の中にアニメーション映画の初日を並んでまで見ておまけのセル画をもらって嬉々とする80年代的なヤング(含む元)が一体どれだけいるんだろーかと我が身は省みずに訝っていたけどニッポンOTAKUの伝統は21世紀の今もしっかり息づいているよーで、今敏監督の「PERFECT BLUE」に続く第2作にして21世紀アニメーションの早くも金字塔となった作品「千年女優」の公開初日にかけつけた「上野スタームービー」は、先着50人とゆーセル画のプレゼントを目当てに開場1時間前で30人の行列とゆー、多いんだか少ないんだか分からないけどまあそれなりな人たちの、それも割合に20代とかの若人(若いのか?)がパソコン雑誌を読んだりしながら並んでて、興行的にまずは一安心といった印象を抱く。近所のパチンコ屋には同じ時間で100人位並んでたけど。

 これが某「ガンドレス」の”完全版”の時のよーに「上野スタームービー」単館だったらもーちょっと、人数も増えただろーけど幸いにして「千年女優」は都内だけでも渋谷銀座新宿池袋と主要所を押さえた公開で、おまけに渋谷新宿ではビッグ今敏監督にリトル折笠富美子さんとゆー見た人によれば身長差1・3メートルのコンビによる舞台挨拶もあったから、そっちに相当数の人間が流れてもなお上野の封切館なのに場末感漂う劇場にかくも多数の人間が集まったことはそれだけ、映画への注目が高かったことの現れと言えるだろー。メジャーな館じゃー競争激しくってセル画がもらえない可能性があるんで上野なら出足が鈍いかもと思った人がどれだけいたかは不明。当方? もちろん競争が緩いと思ったからで(御免)、あと船橋から京成で1本で行けるってこととか。

 その甲斐あって整理番号31番で入場して頂いたセル画は某「ガンドレス」の時みたくギャルじゃなくってメカでがっかりさせられた二の舞にはならず見事にちよちゃんこと藤原千代子さまの顔アップが当選。といってもジャリ千代でもギャル千代でもないオバ千代で、これはえっとどこのシーンなんだろートレンチコートっぽいものを来て無帽無眼鏡でふいっと横を振り向いた感じのユルんだ顔の千代子さんで、右上に「A−13」とゆー記号、上には「858」って番号が入ってる。そりゃ勿論希望的には銀映にスカウトされた当時の上目遣いで人を見るちょっとオドオドとした所のある千代ちゃん辺りが良かったし、オバ千代ならオバ千代で宇宙服を着込んだ奴とか千代子博士系が好みではあったんだけど、ババ千代のそれも呼吸器をつけてる奴とかもらった日には毎朝、セル画に向かって水をやりつつ念仏とか唱えたくなってしまうんで、トレンチなオバ千代で十二分に有り難かったとゆーことにしておこー。

 さても映画は3月に「文化庁メディア芸術祭」の上映会を1時間前から並んで見た時に続く2回目だった関係もあって、現実がグラリとゆらぐ驚天動地の感覚の中でめくるめく移り変わる千代子七変化に圧倒された時のよーな手探り感と意外感は当然ながら薄らいでいたけれど、その分先を知っている気安さでもってそれぞれにシーンの意味とか、現実と虚構が入り交じり虚構がさらに別の虚構へと移る場面転換のつなぎの鮮やかさとかをじっくり腰を据えて観察できたし、物語の鍵となる文字どおりの「鍵」の意味なり役割を考えながら見ることができて、ただただ圧倒されっ放しだった初見の時とは違った楽しさを味わえた。画についても街を、雑踏を、雪道を、森をこけつまろびつ走り抜けていく千代子さんの挙動表情といったもののすさまじくも素晴らしい作画及び迫力を出すために考え抜かれたカメラ位置、つまりはレイアウトの巧みさを前回よりは幾分こまめに観察できて、前代未聞とプロの人たちが言う作画陣の凄さの一端を感じることができた。「蜘蛛巣城」(違う)で炎を両脚揃えてピョンと飛び越えるシーンもちゃんと確認できたし。ここの所のセル画もちょっと欲しかったかも。

 個人的には「女優」って生き物の持つ、だからこそ女優をやっていられる過剰なまでの自意識とプライドを称揚し讃美する内容なんだって理解してたりするんで、最後の最後に放たれる人によっては余韻が失われるとゆー言葉はむしろ大歓迎。思いが思いのまんまで終わっていればラスト付近で滲んだ涙をそのまま抱えて感動に浸りつつ家路に付けたのにって嘆く声も分からないでもないけれど、思いが思い込みへと転化されたことでかえって「女優」の凄みが出て、「千年女優」ってタイトルに相応しいよーな気がした。まーこれも勝手な思い込みなんで人それぞれに思って下さいな。あと既存の映画へのパク……じゃないオマージュについては今敏監督が自前で先に作った公式ページ表明してるし、日本映画とゆーものへの実際オマージュに満ちた作品なんでむしろよく出した、よく絵で描いたと前向きに捉えるべき、なんだろー。他の映画他のシーンにも元ネタあるのかな、映画好きな人の研究を待とう、ってか月末に出る「千年女優画報」で明かされているのかな、期待。

 開場を待ってる間とそれから映画を見終わって上野駅から桜木町駅へと移動する間にパラパラとコニー・ウィリス「航路」(大森望訳、ソニー・マガジンズ、上下各1800円)のプルーフを読む。1時間100ページなペースといったところで100ページを超えてしばらくまで読んだけど事態はまるで進展しておらず、上下組み100ページと同じ分量もあれば事件の半分は片づいてたりするヤングアダルト系ばっかり読んでたりする身にはちょい、つっかえるものがあるけれどそれはそれとして病院とそこに集う医者看護婦患者といった登場人物のディティールを積み重ねつつちょろ、ちょろ、ちょろと本題に関わるこの場合だと「臨死体験」の情報を出して読者の気持ちを霞網のよーに知らずひっかける技は流石に米国流エンターテインメント。これで300ページも読むと網はぶっとい地引き網底引き網となって心を完全にからめ取り、甲板へと引きずり上げては圧倒的なエンディング(予想)とゆー港に読者を向かわせていることだろー。問題はそこまで気力が保つかだけど……頑張ろう、「GA」ゲームの誘惑と戦いながら。

 桜木町では「パシフィコ横浜」で開催中の「ソニー・ドリームワールド」を見物。「ニンテンドー・スペースワールド」の向こうを張った「プレイステーション2」のイベント、では全然なくってイッツァなソニーが持てる総力をあげて家電にパソコンといった製品を宣伝するイベントで、入るとまずは両側にそそりたつ壁に積み上げられたディスプレーが世界のソニーのCMを流してお出迎え。中は中でホームシアターのショールームなり最新型パソコンを自在に触れるコーナーなりがソニー流のイケメンな(意味不明)セットでもって飾られていて、ソニーってブランドの保つエッジで先鋭的な感じをトータル的に見せつける効果を出している。同じ商品でも秋葉原の家電屋で見ると圧倒的な物量の中にソニー程度の先鋭性じゃあ埋没してしまうんだよね、「バング&オルフセン」くらいの先鋭性がないとね。

 とはいえ日本の業界の中ではやっぱり一頭抜けた先鋭性を持っていたことは事実で、創業時からのエポックメイキングな商品をズラリ展示した博物館的なコーナーに並ぶ商品はテープレコーダーからテレビから「ウォークマンン」からパソコンに至るまでやっぱり正直格好良い。例えば「ウォークマン」、初代はそのコンセプトで驚いたけど、その流れを汲んで普通だったら若干の手直しで続けるなり音質の向上へと走るだろーところを、2代目でサイズをカセットケースとほぼ同じにまで一気に持っていき、スイッチ類も小さいタッチ式のものに変えて来てひどく感嘆させられた記憶が当時あった。並べられていた2代目「ウォークマン」は今見てもそれなりのデザインで、ゴチャついてない分むしろ今よりも格好良いくらい。ソニーってやっぱり凄かったんだってことを改めて思い知らされる。

 懐かしさで言えば家にあったラジオとラジカセが展示してあって、ラジオについては台所に吊されていたのを毎日毎夕聴いていて、「ラジオSFコーナー」なんかもこれで聴いてジョン・ヴァーリーとかクリフォード・D・シマックなんかの名前を覚えたり、盲腸で入院した時は確かこれで「FMアドベンチャー」の「二分割幽霊奇譚」を聴いたりした記憶が甦り、ラジカセについては前面の両脇に内蔵されたマイクでもってテレビから直接、「タイムボカン」シリーズのテーマソングとかを録音して遊んでいた記憶が思い出されてジンと来た。ラジカセなんてその後、バイトしてミニコンポを買う大学2年生の頃まで使っていたからなー。

 中学生高校生の頃なんてもーメインマシンの扱いで、ステレオでFMも聞けるってパッケージングの妙味を存分に活用して、「FMレコパル」片手にビリー・ジョエルの特集とかエアチェックしたり、カセットに録音してもらったYMOとか山下達郎さん渋谷陽一さんの「サウンドストリート」とか聴いてたりしたっけ。音楽の趣味と読書の趣味の原点はつまり「SONY」だった訳で、大崎には足を向けて寝られない。まあ今のイケメン気取りな独尊ぶりが鼻につくソニーには尻を向けてるんだけど。「業界のモルモットたらん」と欲して作られたらしー、場内にも飾ってあった金色のモルモットを今こそ抱いて寝るべきだよ出井さん。


【9月13日】 祭りの渋谷は「渋谷109」前で開かれたコナミ「コンバットデジキュー」の発売記念イベントを見物。あんまり聞いたことないけどその筋では有名らしー「北川えり」ってタレントが来て迷彩服風のシャツのコンモリとした山に目をとちょっとだけ(随分と)奪われつつもデモンストレーションされた赤外線リモコン戦車の挙動とかを観察。動きのそれっぽさとか登坂能力とか、4台までの同時対戦が可能になっている点とかを含めてこいつはなかなかのもんだと確信する。商品的には秋葉原とかでデモした方が売れ筋にピタリとはまったんだろーけれど、「チョコエッグ」みたなマニア商品が大ベストセラーになるくらい、世にマニアなフックが拡散していたりするのも事実。オトコノコには普遍的に懐かしい戦車の玩具の最新形と受け取られれる可能性もあるんで、渋谷でだって、とゆーかむしろ渋谷でアピールした方がより広く、でもって割に確実にアピールできるのかも。「デジキュートレイン」だったら渋谷は無理、だったかな。

 5980円だったっけ、玩具とゆーには値段がちょいお高いのは気になる所だけど、年末に向けてこれといった商品がなさそーな玩具業界にあって、単価が高い分売れれば見入りも大きくなるって点で「コンバットデジキュー」への期待も高いとか。オンオフのタイミングとかスイッチ類の操作が結構手間で、充電時のスイッチの位置とかID入力時のスイッチの位置とか始動時のスイッチの操作方法とかを、マニュアルでしっかりと確認してそのとーりにやらやらないと動かないのは子供にはちょっとしたイライラの素かも。そこはお父さんが「どれどれ」とかいって見事、動かしてあげればソンケーも集められるんだろーけど、今時の子供の方はマニュアルの読解力に優れてたりするから心配する必要なんてないのかも。パンツァーとソ連の戦車の2種類で19日発売。

 10万円かあ、でもやっぱり買ってしまうんだろーな「天地無用! 十周年記念DVD−BOX」とやらを。パイオニアLDCから届いたアニメDVDのパンフレットに告知がすでに出てるんだけど、そのボリュームを見るほどに、内容はともかく(いや内容にもこだわってるんですけど)買っておいて損はないよーな気がしてくる。元祖「魎皇鬼」の5枚とそれからTVシリーズ「天地無用!」が8枚と、このあたりまでですでに定価だったら5万は軽く越えていそー。

 加えてTVシリーズの「新・天地無用」!」に劇場公開版「天地無用 in LOVE」とその直接の続編「in LOVE2」に間で忘れられかかってる「真夏のイグ」の計3枚も入って計24枚と、この時点で単価5000円を切って結構な割安感が出てきてる。中古で揃えればもっと安くはなるけれど、BOXには、これにイベント「大天地祭94」と「前夜祭」のLDで出ていた2枚が初DVD化されて加わりさらには阿座霞に火美猛の文鎮とゆー、「天地」マニアでもとりたてて欲しがりはしないけどあって別に悪くはないおまけとかも付いて木製箱入り、解説本付きなら10万円はまあ、お買い得の範囲に入る値段だろー。

 問題はこれではまだ完結をみていないってことで、ワールドを極めるんだったらパイオニアLDCから離れてバップに移った「GXP」を揃えたくなる罠が先に待っているし、どこから出るのか本当に出るのか分からないけどムックによれば動きはありそーなOVAの第3期も待っている。この辺を揃えていったらプラス5万は下らなそーで枚数も40枚近くになって、果てしなく部屋の空間に影響を与えそーだけど、そこはそれ、90年代のマニア系なアニメ隆昌の礎のひとつになったシリーズという客観的な意義と、そーしたマニア系の道に当方を引きずり戻した主観的な意味からもここは大枚、はたいて敬意を示すべきなんだろー。今夏に前年比で減ったボーナスが戻ればその分をまるまる当てられるんだけど、さらに減りそうな可能性もあるし……働こう。

 えっとこれは買うべきなんだろーか、9月26日発売の小桜エツ子さん6年ぶりのフルアルバム「みなまでゆーな」。レコーディングエンジニアが「ラブサイケデリコ」なんかをやってる「SMILYYAMADA」さんでサウンド的にもクオリティが高いとと言われてもまるでピンと来ないんだけど、ほとんどの作詞が枯堂夏子さんだとゆーことに加えてあの、その、偉大なる、素晴らしき、山本正之さん作詞作曲による久々の書き下ろし曲「東京へつれてって」が入っていると聞くともー背中がムズムズとして来て残る2週間弱の発売までの期間が待ち遠しく思えて来る。あの声をフルアルバムで聴き通したことがないんで耳的にどーかって不安はあるけれど、買えば山本さんへのお布施にもなると思えばここフンパツするしかないんだろー。しかしどんな曲なんだ歌詞なんだ。


【9月12日】 コニー・ウィリスの最新作「航路」(ソニー・マガジンズ、上下各1800円予定)の分厚く重たい見本刷りを読むべきか、「ギャラクシーエンジェル」のゲーム(ミルフィーユ版、箱デカ過ぎ)をプレイすべきなのかに悩みながらも、まずは仕上げなくっちゃいけない仕事をペチペチとこなしつつ、11人のとてつもなく有名だったりそれなりに知られていたりする映画監督が「アメリカ同時多発テロ」に影響を受けて撮った11分9秒1の長さの「セプテンバーなんとか」って短編オムニバス映画を、真夜中のTBSで見る。録画しちゃったんで裏でやっていた「陸上防衛隊まおちゃん」が見られなかったのは痛恨だったけど、多分DVDを買うから(それもおそらくは缶のやつ)可愛い「まおちゃん」はそっちで見よー。

 考えてみれは、どちらがより可愛いかで善悪まで決まってしまいがちな最近の風潮を、意図しているのかしていないのか知らないけれど見事に活写している「まおちゃん」はある意味、メディアの伝え方とか声の大きさとか印象とかに流されがちな世間への強烈な一発だったりして「セプテンバーなんとか」よりも深いものがあるんだけど、でもやっぱり先に来るのが「まおちゃん」の可愛さだけってのがアニメ野郎の業なんで、昨日はストレート過ぎる「セプテンバーなんとか」で浸って正解だったってことにしておこー。ところでやっぱり「GA」のゲームが先かなあ、だって「GA」だものなあ。

 しかし流石は海千山千海原千里万里な世界の映画監督たち。ストレートに「テロ反対」だなんて掲げる映画のほとんどなかったのは、アジアや中東やボスニア・ヘルツェゴビナに根ざした監督をわざわざセレクトしたりする製作者のワールドワイド的に真っ当ではあるけれど星条旗的にパトリオットではない心理も働いてのことなのか。あれはクロード・ルルーシュだったっけ、耳の聴こえない女性のガイドが9月11日に彼との関係を考えていたらテロが起こって無音の(聴こえないから)テレビで崩れ落ちるツインタワーを見せられたあと(それがテロと認識しているのかはちょっと分からない)、彼がほこりまみれて帰ってきて途端に愛情を取り戻すっぽい作品が1番くらいに真っ当にテロによって命が失われたことの辛さと、そんな中で助かった命の素晴らしさ、めいたものを伝えているよーな気がした。

 他はといえばアフリカのブルキナファソだったっけ、そこで暮らす少年たちがテレビでビンラディンに高い賞金がかけられているってニュースを見た後、町外れで祈るターバン姿の長身の髭の男をみかけて奴がビンラディンだと思い込んで、捕まえたら賞金でなにしようなんて狸の皮算用をした後で、めいめいに武器(といっても玩具みたいなもの)を持ってビンラディンらしき男が向かった空港へと乗り込んでいったら警備員にとめられてしまい、口々に「戻ってきてくれビンラディン」「僕たちにはあなたが必要なんだ」と訴えるストーリーの、事件の意味なんか知ったことか、アフリカじゃー目先の暮らしのためにお金がいるんだってことを庶民は重く思っていることを現した作品が、そーゆーものなんだろーなと感じさせてくれて興味を引かれた。

 何とも言いがたい作品だったのが日本から参加のカンヌ監督・今村昌平さんの撮った奴で時代は終戦間際の日本の田舎、戦地でよほど苦しい目にあったからか復員したものの蛇のよーに地べたをはいずりまわり水を飲んだりネズミを食べたりしている息子の姿を見て、親や村人たちが悩んだり脅えたりするってのがおおまかなストーリー。最後は家をたたき出されたか逃げ出したかした蛇人間が水辺から水の中へと消えて行き、そこでドカンと「聖戦なんてねー」とかいったメッセージが看板みたく掲げられるラストへと至る。

 そんな展開はオムニバス映画の意図するところを実にストレートに現していると言えるけど、蛇みたいになってしまった哀れな兵士の姿が聖戦と言われて赴いた戦争の悲惨さとあんまりうまく重ならなくって、ラストのメッセージの意味は分かるけどインパクトとしてそれほど心に突き刺さらなかった。言葉によるメッセージ抜きで同じことを伝えるのが映像作家って奴なんだろー、って思ったこともあるけれど、あまりに分かり切ったメッセージにタブーへの罰への象徴とするには恐ろしさの足りない蛇人間の姿とゆー2重のユルさが緊張感を奪ったよーに思う。見返すともーちょっと違うかもしれないで、いつか出たらこちらもDVDを買ってじっくり比べつつ見てみよー。映画では丹波哲郎が声質雰囲気ともに良い味出してて凄みすら感じた。あの存在感を行かせる映画はもーないのかなー、「北京原人2」とか作らないかなー。

 「月刊アニメージュ」2002年10月号の大森望さんこらむ「わるものオーバードライブ」を読んで大人とゆーものの世間に対する態度言動の在り方とゆーものを学ぶ。とりあげているのはあの「ギブリーズ episode2」なんだけど「これはなんですか」と驚きの気持ちを素直に現しておいてそれから「じつに含蓄が深い」と所感を延べ、それを「温泉旅館の大広間で宴会をやって盛り上がっている最中、いきなり舞台におじさんが出てきて演歌の当て振りを披露してくれる感じ」と的確かつ示唆に飛んだ言い回して評していて、相手の気持ちとか差し障りとかを勘案し、それらを見事にクリアしつつも言いたいことはちゃんと伝えるペンさばきに、生き馬の目を抜く業界で生き抜いている大人の凄みを感じる。「こんな凄い映画」「術中にハマってる」「激烈な反応を起こさせる」といった言葉選びの巧みさにも感心。「感動した」「素晴らしかった」って在り来たりの言葉で誉めるしか能のない僕にとって、とっても勉強になりました。さあ誉めるぞOVA「戦闘妖精雪風」を、まだ買ってないけど。

 大人とは対極のストレートにピュアな反応を見せては井筒カントク的立場に自らを追い込み、それでも引かず媚びない姿勢を貫き通すビデオレビュアー、あさりよしとおさんが対にOVAの「戦闘妖精雪風」に言及、星3つ? 「ナースウィッチ小麦ちゃん マジカルてKARATE」より上? 「小麦ちゃん」について「ネタが並んでいるだけで『流れ』が無い、妙に窮屈な作品」と斬り捨てるその口で、「雪風」を「良い意味で最近のアニメらしくなく、好感が持てる」って評価するその言葉を聞くと、いったいどんな映像が繰り広げられるだろーって見てみたくなる。ほかを読んでも渡辺麻紀さんは「画はハイクオリティ」、むっちりむうにいさんも「映像はスゴイです。贅沢な凄さですね」と手放しのホメっぷり。これでちゃんと物語が付いて来たら星5つじゃー足りないくらいの好意的な評価が並ぶことになるんだろー。物語が付いて来る可能性がどれくらいあるのかは知らないけれど。来るのかな。


【9月11日】 なるほどだからトランシーバを使ったのか、なんて今さらに気づいたりする衝撃のエンディングにしばし呆然とした森博嗣さんの瀬在丸紅子シリーズ最終巻「赤緑黒白」(講談社ノベルズ、980円)。人気ミステリー作家の書いた小説のよーに人間が殺されては最初は真っ赤、次は真緑にペイント缶でスプレーされる事件が相次ぎ、悩む警部に良いところを見せよーとしてなのか紅子が得意の推理を働かせるって寸法で、そこに謎多き語り部だった保呂草潤平がいろいろな角度から絡み香具山紫子と小鳥遊練無の凸凹コンビが混ぜ返す。

 なんだそれならいつもながらのストーリーじゃん、これで完結なんてもったいないじゃんと思ったけれど、よくよく読むとこれまでとは随分と雰囲気が違っていたりして、秋野なる殺人犯が登場しては紅子に負けず劣らない冴えを見せ、保呂草は保呂草でどことなく遠い目をし、紅子も氷のよーな微笑がすこし揺れて人間らしさをのぞかせる、そんな手前勝手な運動を始めた登場人物たちの行き着く先はやっぱりフェードアウトしかないんだろー。加えてすべてが不可思議で不意打ち的に思えるキャラクターの満を持してのご登場。ぐらりと歪む時空に目眩のよーな気分がわき起こり、先月あたりから一気読みした過去のシリーズ作品をめくり返しては、なるほどさすがは森博嗣さんだとその徹底ぶりに感心する。トランシーバか。

 前の犀川創平&西之園萌絵シリーズが完結した時にはこれ以上に感情を注げる話は出ないだろーと思い紅子シリーズに事実それほど入れ込めない状況がしばらく続いて、皇なつきさんの漫画でよーやく面白がれるよーになったんだけど、今回の完結は残念ではあるもののそれ以上にだったら次はどんなシリーズを立ち上げて、どんなにとんでもない人たちを作り上げて読者の前に提示してくれるのかって、そっちへの期待がたっぷりとあって残念な気持ちを吹き飛ばす。何度もなんどもダマされハメられてるんで次はしっかりと意識しよーととりあえず心に誓ってはいるけれど、そーした企みをスルリとかわして人の心の隙につけ込む仕掛けを施した上に、とてつもないキャラクターによるとんでもない事件を繰り出して、僕たちを幻惑してくれるだろーから、あんまり穿つよーなことは止めて、その紡ぎ出す物語に身を任せることにしよー。そのためにはいち早い新シリーズの立ち上げを。名古屋に向かって敬礼。

 夜眠る時に崩れ落ちてきた本の下敷きにならないよう注意をしている訳じゃないし、地下鉄に乗る時に周囲でビニール袋から液体が漏れていないかを確かめる訳でもない。高いビルに上った時にどーやって下へ降りるのか非常階段を確認したこともやっぱりない。数々の、世紀に残る事件災害事故の類を同時代的に経験して来た身であっても、それを己が血肉として取り込み心へと刻み込めるほどには至っていないのが我ながら腹立たしい。想像はできるし同情もできる。できるけどそれは想像でしかないし同情でしかない。永遠不変の信念として持ち得たものではなく、時が過ぎれば過ぎるほど想像は歪み同情も薄れていってしまう。60年前の出来事への感情と同じよーに。

 だからといって事実として神戸も地下鉄もニューヨークもあった訳で、そこからさまざまな思いが生まれて来たことも厳然たる事実として存在している。その時は住んでいなかった、乗っていなかった、働いていなかったからといって、いつ同じ境遇へと叩き込まれないとも限らない。今はまだ血肉のレベルに至っていなくても、あるいは生涯血肉にはできなくても、思う気持ちは失わないようにしたいし、事実も事実として記憶し続けたい。その積み重ねが誰にも同じ事態を与えず同じ事態を体験させない未来を作る。頑張るより出来ることは他にない。2001年9月11日。あれから1年。もう1年。まだ1年。血肉にはほど遠いながらも、記憶は未だ鮮明であることを今日という日に確認して、明日から続く未来にそれをつなごうと改めて決意する。するしかない。


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