縮刷版2002年8月上旬号


【8月10日】 80年代の真ん中あたりに「漫画ブリッコ」とかその辺からジワリジワリと出てきた女流な漫画家さんたちの中にいたよーな記憶のあった岡崎京子さんがだから、若いヤングなギャルのカリスマ的漫画家になってるって聞いていったどんな感じで人気になってるんだろーって関心は抱きつつもギャルのカリスマだったら自分には関係ないって思ってまるで、手にも取らずにいたらそのうちいろいろあったみたいでカリスマ度はレベルが10倍100倍にアップして、今や美術のヒョーロンする人までもが関心の対象に挙げるくらいになってしまって驚いたのが90年代の半ば頃。

 なおさらそんな流行り物には手を出せないと、頑なに読むのを拒絶して来たけれど(だから岡崎さんの単行本は家に1冊もないのです、大原まり子さん原作の「マジック・ポイント」も含めて、いや持ってたかな?)、何か限定物に弱いってゆーか復刻ブームに流され安いっていゆーか「フィールヤング」で実に7年ぶりに今や幻となってしまった「ヘルター・スケルター」が掲載されてるってのを、店頭で売られてた雑誌を見て知って心が揺れてしまって、ふらふらと購入してしまった。決して5000円の懸賞に目がくらんだ訳じゃないぞ。

 すでに2回目が掲載の9月号が並んでいたけど別の書店でしまい忘れかバックナンバーとして取っておいたかして残っていた8月号をまず買って、さらに別の本屋で9月号も買ってチェックしたら外れてた、ってのは5000円が当たる懸賞の方で、漫画の方は7年後の今でも絵柄内容とも充分に通用する内容で、何人かの人が命かける羽目となってしまったダイエット茶の事件が起こっててんやわんやな現代にむしろタイミングどんぴしゃな内容だったりして、遅蒔きながらも改めてその先鋭性に感心する。

 2話目でチラリと触れられる胎児死体臓器売買の事件はおそらくはプラセンタだったっけ、美容とかに効きそーな物質を胎児から採ってたって話を示唆してるよーに思うけど、これなんてつい先だって出た帚木蓬生さんの「エンブリオ」(集英社、1900円)な中でまさに今、問題とされていることだったりするからなー。もちろん当時も話題にはなっていたんだろーけれど、今につながる話題として敏感に取りあげテーマの中に取り込む問題意識の置き様は、岡崎さんがひとかどの人だったってことの証明だったりするんだろー。3回目はさてどーなるか。懸賞番号ともども楽しみ。それにしても美にこだわり抜く浅ましさ凄まじさを描いた漫画の口絵の裏に美脚だの、ヒーリングといった美容に関する本の広告を置くとはなかなか編集の方々も人が悪いねー。

 池袋のジュンク堂で開かれた大澤真幸さんと東浩紀さんのトークショーを予告どーり喫茶店の壁の裏側にあたる本棚の前に立ってタダ聴き。どれくらいの音量になるのか分からなかったけど、内側に向かったスピーカからでも結構な音が本棚側にまで響いて来て聴く分には1000円払った人とほとんど遜色がない。さすがに2時間立ちっ放しはしんどかったけど、有明じゃー炎天下を1時間2時間立ちっ放しな人が何万人もいるだろーこの時期この日にクーラーが効いた室内で2時間くらいの立ちんぼを辛いと言っては叱られる。ひたすらに立ってるだけの有明よりも気が散ったら目の前にある本を抜いて読むフリをすることだって可能だし。ホント2時間の間で上高森遺跡の問題と江戸の陰間茶屋の概況と継体天皇の正体にちょっとだけ詳しくなっちゃったよ。

 とか言いつつも割に短く2時間を感じたのは、大澤さんも東さんも徹底して早口で紡ぎ出すよーに感心を抱かせる言葉を吐いてくれたからで、どこに転んでいくんだろーって興味を惹かれて耳そばだてていたらたちまり1時間が経ち1時間半が経ち2時間が過ぎてしまってまだ続いていて、さすがにちょっとだけ脚つりかけたけど集中力だけは最後まで落とさず保つことができた。僕と同じよーにタダ聴き目当てで来ていた人が10人くらいいたけど、途中から本棚の前にしゃがんで聞き入る人もいたりする中で、最初からいた人のほとんどが最後まで残って壁越しの声に耳傾けていたからなー、人気だなー大澤さん。もちろん東さんも。

 中を見なかったんでどんな人が来ていてそれがどちらのファンってことが今一つ把握できなかったのはタダ聴きならではのハンディだったけど、一応は大澤さんの新刊の出版記念って名目のイベントな割には喋りはやっぱり東さんが6くらいで大澤さんが4くらいの配分で、それでも他の人たちとの対談から類推される8対2とか9対1とかに比べれば、よほど大澤さんの喋る分量の多いってことが分かるかも。写真とかで見た林家ぺー、じゃないクラシックにモダンな風貌と、書く文章から類推される難解さから想像したのは、訥々と喋るだろー人ってゆーイメージだったけど、壁越しの声は凛として内容も明解でかつ早口で立て板に水で、それがどーしてあーいった何回きわまりない文章になるんだろーとゆー興味が逆に湧いてきた。

 トークの内容については大きく言えば最近の「個人情報保護法」から「住民基本台帳ネットワーク」からさまざまな、権力による監視が行き渡ろうーとしてる社会をどー見るかってあたりについてが大半で、法律ってものが知らず権力によって規定されてそれに人が諾々と従うなかで管理が成されていくよーなイメージを提示した大澤さんにすかさず法律のよーなものより以前に何かがあって、動物的な本能めいたものによって促され進んでしまうのが昨今の状況と返す東さん。その何かってものをマクドナルドが人を長い時間居着かせないよーに導入している硬い椅子に大きな音楽なんかを挙げていて、世代の差かそれとも考え方の差かは分からないけどともかく両者の間にある差異に興味がわく。

 悩ましいのは管理を強化するよーな法律にしてもマクドナルドの硬い椅子にしても、それを導入し推進する主体ってのがあってこそ国民が管理されあるいは操作されるんだってストーリーが描け、だったらその主体に反旗を翻そうってことになるんだけど、法律だったら「個人情報保護法」なんかが、散々っぱら言われて与党内部からも与党長老からも反対意見がでて、にも関わらず誰が止めるでもなく成立に向けてじりじりと進んでいってしまう、その推進の中心はいった誰なんだって考えてもこれが容易に見つからない状況があって事を難しくしている。況やマクドナルドの椅子に至っては、そのものずばり「マクドナルド」なら藤田田さんにでも言えばちょっとは改善するかもしれないけれど暗喩としてのマクドナルドの椅子、人間を意識せずその意図に従わせてしまう存在に対してどー反対し反旗を翻せば良いのかが分からない。

 トークはそーした状況を顕在化させる所までは行っても、だったらどうすれば良いのかって辺りはなかなかに示唆してくれず、もどかしさが募る。メディアがやるんだよ、って言われれば辛いところで肝心のメディアがマクドナルドの椅子に座らされた状況で、本能ってゆーか脊髄反射的なことしかしないんでまるで役に立たない。論壇は論壇でチャートづくりに戯れていて外に向かって影響力を行使するまでには至っていない。ますますもって既成のメディアの枠組みからも、論壇のチャートからも外れた場所で産声を挙げた「新現実」に期待がかかるけど、創刊号がどちらかといえば責任編集2人の肩に描かれた桜吹雪の奉行所内での見せ合いに留まっていて、外へ彼方へと向かって爆発してるって感じじゃないんからなー。まあそれでもまるで動いていないよりは遥かに素晴らしいことなんで、大澤さんの各方面での問題提起、東さんの各方面での活動による世論の喚起に情報の伝播が起こることに期待しよー。

 関連するかもしれないけれど、ゾーニングによる”表現の自由”の担保に対する東さんのモヤモヤとした危惧はなるほどな指摘。情報は誤配が起こってこそ新しい事態を生み出すもので、ゾーニングによって伝播の範囲が限定されてしまった時点で、価値が大きく減殺される。動物愛護の人が動物愛護を訴えるビラを動物愛護が嫌いな人の目に触れないよーな場所で配ったところで動物愛護の目的は当然の如く達成できない。これをそのままアダルトなコミックなり小説に当てはめて良いかは微妙だけど、ひとつ可能性として想定しておくべきことだろー。押入の「週刊ポスト」を読んでヘアはなかったけどヌード写真に目覚めた子供としては、ゾーニングの範囲を超えた誤配が駆動する成長ってものは否定できない。「弐十手物語」への興味が小池一夫への感心へとずれ「劇画村塾」へと向かわせ大野安之とゆー才能に出会わせたってことも言えるし。「SFマガジン」の回路でも行き当たってはいたけれど。

 ほかにも匿名性の問題とかいろいろ話があったみたいだけど脚がダルくてほとんど忘れてしまった。ひとつ鮮明に覚えているのは大澤さんが「図書新聞」だかに掲載された蓮実重彦さんへの「9・11」なんかを踏まえたインタビューを読んで感じた話から広げて、蓮実センセイのことを昔から物事を「ハスに構えて見る」人だって考えていたってこと。とてつもない直球をいつか投げると思わせながら変化球しか投げてこなかった人とも言っていてたけど、直球があるかないかまでは知らないけれど、結構な歳になるまで投げてこなかったとゆー事実と、そんな歳になるまで直球があると思わせて来て今も思わせているとゆー事実のどちらに重きを置くべきなのかが悩ましい。まあ例えすべてが変化球でも歴とした公式戦の球場で衆人環視の中で投げ続けたことは凄いことで、今のよーにタコツボ化した狭い部屋でプレーしている野球盤の、消える魔球の消え方にだけこだわる人ばかりな状況よりはよほど真っ当ななろーけれど。


【8月9日】 仕事なんでコミケ、って別にコミケで壁際やって1億2億を稼ぎ出そうってんじゃなく、西館(にし・やかた)4階にすっかり常連となった企業ブースで新サービスとか新製品とかチェックして、小ネタがあれば本業の方にフィードバックするってだけのことで、重ねて言うなら決して限定品とかを買うのがメインでもない。さて本日の戦利品として(買ってんじゃん)、まずはポイオニアLDCがこの秋だか冬だかから放映するっぽい安倍吉俊さん原案&キャラクターによるアニメーション「灰羽連盟」のプロモーションDVD&テレホンカードのセットを1500円でゲット。日曜とかだとサイン会もあるよーだけど混みそーだしそれまで保つかも怪しかったんで初日にとりあえず押さえておく。

 類推するに同人誌とかでやったか何かした話をグレードアップしたもののよーで、電波届いてそーなあっけらかんとしつつも影のある少女に少年なんかが出てきては、グログロなシチュエーションの中でイタい言動を繰り広げるって感じをプロモ映像からは受けたけど、それで商売になるほど世の中こなれてはないし、そもそもが最近のパイオニアLDCの傾向がナースにメイドにプリンセスだったりする中で、天使とはいえどこかにモドキっぽい分に来を帯びたキャラクターによるヌトヌトとした話を出して来るともあんまり思えないんで、見ればそれなりにキャッチーな絵も話もあると信じて放映を待とう。なにしろ西原理江子さんのエッセイ漫画で、絶妙に情動へと作用する土手のライン1本で何百万を稼ぎ出すと賛辞を贈られたところともかずさんが監督だ。白く三角に盛り上がる土手の眩しさをきっと必ず絶対に、堪能させてくれると……信じられないなー、この絵柄に内容だとやっぱ。

 これは貰った煙草のボックスっぽい小箱に入ったアニメの紹介リーフレットに掲載されてた「L/R」って作品は「灰羽連盟」とは別の意味で期待大。主人公はどーやらロウ・リッケンヴァッカーにジャック・ヘフナーって2人の20代後半なおっさんで、仕事はといえば王室エージェンシーの凄腕エージェント。かたや「ジャガーE−Type」を駆りこなたオースティン・ヒーレー・スプライトMk1が愛者とゆー、およそスパイには似つかわしくない目立つ車の持ち主ながらも、そこはそれ、どんな派手な車に乗ってもしっかり任務は果たすジェームズ・ボンドと同様で、持ち前の才能を活かしてトップ・エージェントとして活躍することになるらしー。

 車だけじゃなくガンとかへのこだわりも存分に盛り込まれた話になりそーで、ほかにも特殊な武器とががガンガン出てきて楽しませてくれそー。もっとも小道具にいくらこだわったところで、2人のスパイがアクションに諜報に華麗で過激などころを見せてくれなくっちゃお話しにならない訳で、それも先達「ルパン三世」の緑ジャケットのシリーズとか、「カウボーイ・ビバップ」とかとは違った圧倒感を出さなきゃ真似だと言われてしまうのが通例で、「ノワール」なんてガンアクションに萌えをかませた究極のアニメも最近あったりした中で、どんな感じのシナリオ演出美術に仕上げて来てくれるのか、不安ながらも楽しみで仕方がない。スタッフとか書かれてないし放映日程とかも不明だけど、凝った宣材を作った以上は確実に放映に向けて動き出しているんだと想像しよー。しかしヒーレーなんて格好良いと思うアニメファン、どれくらいいるんだろ。

 「ガイナックス」のブースは長蛇の列で近寄れず。「キャラクターショー」や「ワンダーフェスティバル」でもみかけたあるみちゃんまほろさんがチラシを配ってて眼福。美人といえば入場まで並んでいた時に行列を整理していた中に、Tシャツ姿のケミカルジーンズあるいはチノパンといった男性に混ざってホワイトジーンズで白い野球帽っぽい帽子の後ろから尻尾を垂らしたサングラス姿の色白な女性がひとりいて、誘導係をつとめていて、これが遠目にそれなりな美人に見えたんだけどどーいった関係の人だろー。もちろんスタッフに美人がいちゃいけないって法はないんだけど、炎天下で周りはTシャツ野郎ばっかりだったんでちょい気になった。明日もいるかな。近寄ってサングラスをむしればなるほどな人だったかもしれないから、記憶の底に良い思い出として沈めておく方がいいのかな。

 都営交通のブースがなぜか出ていて、いつものコミケパスネットでも売っているのかと思ったら今回はオリジナルキャラクターを引っ提げ堂々の登場、ってもつまりは例の「みんくる」なんだけど、セガのプライズにもなって一部に熱烈な支持を受けているキャクラーってこともあって、ビニール風船やらトートバックに群がるそれなりな人数が見受けられた。まあ数年前からバス停の頭とかバスの出口の横とかにキャラクターを掲出して、サブリミナル的に浸透させて来た成果がよーやく出たと言えるのかも。最近じゃーペイントバスまで走っているからなー。

 もっとも公共の電波を使ってなおかつ国民からの視聴料を聴取して制作した番組で、全国的に大宣伝した挙げ句に人気キャラクターへとその地位を押し上げた某「どーもくん」ってキャラがあるから「みんくる」もまだまだって言えるけど。夕方に流れる関東各局からのリポートの、どのスタジオにもキャスターの後ろに佇む「どーもくん」があるから、洗脳されないって方が不思議。恐るべき公共放送。ちなみに「みんくる」のビニール風船は後ろにちゃんと羽根が生えてる優れもの。大きさも結構あるのにたったの700円ってのはさすがで公共交通機関だけのことはある。年に2回の有明詣での記念に如何。


【8月8日】 「小説家というのはアイドルと同じで−−嘘でも良いから−−<素晴らしい職業>という夢を見せることで地位を築いてきたものだと思う」「ネタとして笑えるのはプラスポイントかもしれないが、だからといって<ネタにできれば何でも良い>というのも品がないし。ようするにそういうことである」by福井健太。ってなコメントが冒頭に掲げられて驚いた佐藤友哉さん「クリスマス・テロル」(講談社ノベルズ、760円)を読み終えて、今はとりあえずまんま同じ言葉を贈りたい、以上。

 いや以上じゃーちょっと拙すぎるんでもうちょっとだけ重ねれば、講談社ノベルズとゆーいろいろありなレーベルでメフィスト賞出身とゆー何だってありな経歴を引っ提げ登場した人を見る世間の目はそれはもう捻れまくって歪みまくっているんで、例え本気で嘆いても芸のない韜晦ととられるし一種の自虐芸だったらなおのこと単純過ぎると非難されるのがオチ。つまりは外野で何をやっても砂に水を撒くが如くに無意味な訳で、そんな暇があったらひたすらに虚構の井戸を掘り続けるか、逆に無芸と謗られよーと捻りすぎと嘲られよーとそれを5巻10巻100巻と重ねて立派に芸として確立させてしまう方が良さそうなのに、中途半端なところで中途半端に中途半端なことをするから腹が減る、じゃなかった腹が立つ。

 そんな中途半端を許す編集も編集で、寸止めは寸前で止めるから寸止めなものを一寸だけ超えたところで止める究極の中途半端さでもって梯子をはずし宙吊りにし生殺しにして半身浴の湯船に放り込むよーなその態度を、例え相手がなかなかに及ばなかったとはいえ認めるに心苦しいものがある。あるいはそーゆー中途半端さを装うことが作家にも、また編集者にとってもイキだとゆー認識があるんだとしたら、それを支持していっしょに喜ぶ人がたとえ100人に99人いたとしても、僕は残りの1人となってこのドアホウメと地団駄を踏み怒髪天に逆立たせ……たいけど物理的に不可能なんで逆立たせた気持ちになる。「リアップ」あと半年使えば立たせられるかな。

 ともあれいろいろあったみたいで佐藤さん、マジが韜晦かは知らないけれどこれからはしばらくいろいろなさそーになってしまう旨、綴られていて読んでいろいろと考える。けどなあ、僕個人としては決して良質な読者じゃないしそれ以前に読者そのものですらなかったけど、「新現実」に誘って短編を1本、書かせた東浩紀さんって21世紀に名を残して頂きたい希望100%な人がバックについて支え前にたって首根っこを引っ張っているんだから、他のそれこそ誰からも関心を持たれない、存在しているのに存在していないのも同然の作家とはもはや佐藤さんは格が違う。なのであったいろいろがどこまでリアルでどこまで虚構かは知らないけれど、中途半端だけは止めてマジに韜晦し続けるなりマジに自虐し続けるなりで5年10年50年を通してこの世知辛い息苦しい世に中途半端の金字塔を打ち立ててやって頂きたいもの。「逃げたらあかん」by鈴木啓司……だったっけ。

 ミッキー・ロークの猫手パンチをこの目で見られなかったことを20世紀に残した心の忘れ物だとするならば、東京ドームで小川直也がマット・ガファリに放った熊手パンチをこの目でしかと見てしまったことは21世紀に置き忘れたい心のお荷物と言って絶対に過言ではないだろー。なるほど確かに一時は、あのアレキサンダー・カレリンを相手にマットで戦い負けはしたものの銀メダルを獲得しただけのパワーとテクニックを持っていたのかもしれないし、今もその残滓は体に残っているかもしれない。けれどもそれはあくまでルールに縛られ打撃の一切存在しないアマチュアレスリングの世界でのこと。世界最強の柔道家でも戦場では2等兵のへっぴり腰から放たれたひょろひょろ弾で命を落とすことがあるよーに、アマレスのトップクラスであっても殴られれば痛いし傷も負う。

 分かっていた、とは思う。思った上でいろいろと次善の策も練っていただろーとは思うけど、そんな想像をはるかに上回る、ってゆーか下回るパフォーマンスぶりだった結果、前々からの関心が高かった分、そして一応はそれぞれがそれぞれの世界でトップクラスのアスリートだった分、イベントでしかなかったミッキー・ロークの試合を超えてけた外れの意外感と、失望感を招いてしまった。その前が同門に対して容赦のないところを見せつけて勝利した藤田和之、前の前が強さに自信を持ちつつもその自信が仇になったか相手の誘いに容易に乗ってしまった挙げ句にノックダウンとゆー屈辱を味わった菊田早苗の試合だったってことも、失望感にいっそうの拍車をかけてしまい、甚だしいミスマッチだったとゆー意識を浮上させる。

 勝負のタイミングを間違えない勘の良さでもってここまで来ただけあってアントニオ猪木、藤田と安田の同門対決で颯爽とリングに上がって「誰もが見たがる、誰にも見せたくない試合が実現した」と言って場内を沸かせる名アジテーターぶりを見せてくれたんだけど、そんな積み上げを一気に崩すよーなミスマッチを最後の最後でやってしまった辺りにあるいは、少しづつながら勝負勘にズレが出ているんだろーか、なんて想像も浮かんでしまう。さすがは小川、一歩間違えば自分がガファリと同じになっていたかもなんて殊勝きわまりないコメントを試合後に吐いているけれど、間違う一歩はおそらくは揚子江をひとまたぎ出来るくらいの大きさで、よほどのことがない限り間違えない。相手を立てつつ自分の凄みをクローズアップさせようって手練手管の冴えを認めるに吝かではないけれど、あのすさまじくも愚かしい試合を見せられた身にはまるで虚ろに響く。

 ドームも外野の全部と内野の半分そして2階席3階席が全席未使用とゆー、かつて超満員のドームで小川vs橋本のラストバトルを見た目にはショボさ爆発に映った会場といー、興業の王様・猪木の歯車に歪みが出ているよーに思うんだけど、これって今さらな話なんだろーか。せっかくの久々のテレビ中継の、最初の試合がグラウンドの攻防から引き分けに至る試合だったりして、派手さ爆発な「K1」に果たして勝てるんだろーか、それより以前に次回なんて開催してもらえるんだろーかとお節介にも心配になったけど、世の中物好きが多いらしく来年とかにしっかり第2弾が開催される予定とかになっているみたい。だとしたらせめてメーンイベントくらいは、100人のうちの100人が納得しても不思議じゃない、マッチメークも最適ならアングルも立った誰もが感情を入れて見られる試合を組んでやって頂きたいもの。でないとUFO、遠からずFMWしちゃいます。


【8月7日】 400年とか続く名家ってんだから政財官界ふくめてそれなりなネットワークと影響力を持っていてしかるべきだろーけれど、嶋田純子さんの「NEO忍者外伝 シークレット・ヴァーサス」(エニックスEXノベルズ、880円)に登場する戦国時代から続く朝霧家、いちおうは大財閥って設定なのに誰かに狙われて買収工作とか内部分裂交錯を仕掛けられているとゆー自前の朝霧学園すら守るのに苦慮してるってんだからちょっと不思議。そこに埋められている家宝「闇姫の勾玉」が相当な価値があるとはいっても、普通だったら大財閥にたてついてまで横取ろうなんて考える政財官界なんていないもの。なのに狙われた学園を工作では守れず四天王めいた忍者の末裔たちに命令を出してしまうってんだから、よほど大財閥の御曹司、政治工作とか嫌いらしー。

 これがたとえば地方の豪族なりお殿さまなりの末裔たちの諍いが今につながってのイザコザなら、先祖代々の家臣団を使って表に裏にバトルを繰り広げるって設定も納得できるんだけど、妙に設定を大がかりにしてしまった挙げ句にどこか現代の状況にそぐわない部分が出てしまうのが、ヤングなアダルトをメインのターゲットに据えた小説の楽しいところでもあり妙に思える部分でもある。そーした疑義を脇に置くなら「シークレット・ヴァーサス」、4人がそれぞれに特徴を持った忍者で、バトルシーンなんかでそれぞれの特徴を発揮して相手を倒していくシーンなんかがあって一種戦体ヒーロー物に近い娯楽性が感じられて面白いっちゃー面白い。むしろそーした面白さを先に立てつつ話を組み立てたよーな所もあって、なおのこと実在する社会状況との乖離が浮かんでしまうのかもしれない。

 割にシリアスな感じもあったキャラクターがどんどんと砕けて漫画でよくあるギャグ忍者物っぽい雰囲気になるのも気になるところで、遣り手の女忍者が雇い主の美青年にメロメロだったり、打ち合わせを金がなかったからかアジトとか使えず学校でやったり、変装といいつつ気を使いすぎてダサダサな格好を選んでしまってかえってバレバレだったりする描写もあって、面白いんだけど一方にシリアスな設定なんかが頭にあって引っかかる。だったら冒頭から徹底してギャグっぽさを出してくれれば良かったものを、別の筋として主人公の少年忍者と居候先の少女との心の交換めいたものがあってかとばしきれず、妙にギクシャクとした感じになってしまった。キャラはそれでもとにかく立ったし、敵もそれなりに屹立したんで次巻があるならギャグ的な部分とバトルの部分とのメリハリを付けるなりして読んでひたすらに楽しいお話しに、してくれると有り難いかも。

 想像したのはロリコン漫画誌、SF漫画誌の編集に始まり民俗学を土台にした社会評論の分野を通りつつ、おたくな要素と社会との関係を真正面から考え、転じてマーケティングの仕組みを逆手に取りつつ物語をビジネスとしても、エンターテインメントとしても成立させ、なおも次代を担う思想家作家評論家と切り結び、新しい才能の発掘にも貪欲さを見せる大塚英志の縦横無尽の行動力を一方の核とし、アカデミズムの分野で現代思想を極め現代思想の泰斗と交流を持ちつつ、ハイカルチャーやサブカルチャーの分野で最先端を行くクリエーターたちとの親交も深め、両者間をつなぐブリッジとなり、かつまたSFからミステリーから純文学からJ文学までジャンル意識にとらわれない文芸批評も手がけ、凝り固まったジャンルの壁の打破、そして融合による新しいムーブメントの創出に少なからず役割を果たして来た東浩紀さんの八面六臂の想像力を一方の核として、2つの核からタテヨコナナメに伸びたネットワークに引っかかった、最先端で最高峰の人たちによるかつてないゴージャスな総合誌、だった「新現実」。

 けれどもそんな安易な思いこみなど通用させるかとばかりに、送り出された「新現実 Vol.1」(角川書店、880円)は、「いちばんあたらしい文学がここにある」とゆー言葉が現しているよーに、とりあえずは文学がひとつのコアとなって、そこから想定される活字にとどまらないさまざまな創作物を批評しあるいは発表する媒体となっていて、手にとって少し慄然とする。それより以上に想像を大きく外れていたのは、縦横無尽と八面六臂のネットが360度の全天へとひろがって、読む人に新しい世界を見せてくれるってよりは、大塚英志さんと東浩紀さんとゆー核がそれぞれに円状の集合となって左右に存在した、そんな円のラグビーボール型に重なった部分がさらに濃縮された内容に、両者の濃いファン層が歓喜しそーな雑誌になっていたことで、ある意味画期的といえる2人の偉才のコラボレーションが、これだとどこまで広がり伝わるんだろーかって気持ちを抱く。

 それぞれが持てる駒を持ち寄りぶつけあう意図で作られた、名実ともに「東浩紀×大塚英志責任編集」の雑誌なんだから、そーした凝縮も当たり前っちゃー当たり前なのかもしれず、だからこそってな人選に両者のファンなら諸手を上げて歓迎することになるのかもしれない。そそれぞれがそれに感心を寄せている人材から、「ほしのこえ」ではない新海誠さんを出し、「SFマガジン」での連載漫画も先鋭的だった西島大介さんを改めて、それもなお良質の作品で出し、講談社ノベルズくらいでしか活動していなかった佐藤友哉さんを引っぱり出して来たことにファンなら喜びを示すかもしれない。けどやっぱりイメージは重なる円のラグビーボール状の部分。興味深いし、面白いけど、広がらないし、爆発しない。大塚さん東さんの対談は、これが「文藝春秋」なら、あるいは「小説トリッパー」なら2人のファン以外に2人の興味の置き所を見せ、その言説を広める力になっただろー。けど2人による、2人のための媒体では2人のファンしか読まず、2人ファン以外を納得もさせられない。もったいない。

 そーはいっても第一号、まずは出すことを最優先に、手近な人材を集めて来たとゆー考え方もできるし事実、そーいったニュアンスのこともほのめかしているんで、たとえば紹介されている新人賞なり、11月3日開催の「文学フリマ」といった横紙破り的な活動から、外へ上へ左右へ下へ、全天へと網がひろがり今のブラックホール的雰囲気からビッグバン的雰囲気へと、雑誌の内容も変わっていくものと信じたい。そのためには表紙は胸より股だ、白だ、三角だ、なんつって。プラスアルファ。ファンにはともかく世間一般には決して著名とはいえない漫画原作者とカタガキ的には大学講師でしかない若手批評家でもうまくすれば手前で自在にできる雑誌を、同人誌ではなく取次コードも持った商品として、創刊できてしまえるとゆー事実を証明してみせたことは「新現実」が果たしたひとつの大きな成果だろー。「書かせてもらえない」「でもネットじゃ軽い」なんて言い訳、これで通用しなくなったからね。

 「SFジャパン」の第5号は「SFアニメ特集」で野尻抱介さんが「ギャラクシー・エンジェル論」を大展開。その熱き論陣にお気楽アニメながらもどこか妙に惹かれていた自分の深層心理がえぐりだされて、納得させられつつなおいっそうの「GAマニア」となる。いろいろ要点を挙げているけど簡潔にその魅力を言うなら「SFがSFである限り何をしてもいいように、GAもGAである限り自由なのだ」(187ページ)って言葉がすべてを現しているんじゃなかろーか。その自由度、そのお気楽度、その開放度がGAのGAたる所以なのだ、のだ。ちなみにイラストは伊藤伸平さん。「ハイパードール」顔なミルフィーユ、好きです。同じ号には東浩紀さんも登場して山賀博之さんと対談、してる筈なのに42ページと43ページの見開きを見ても山賀さんしか写っていない、と思ったら左が東さんだった。いやもう顔の形が線対象で。


【8月6日】 一気一気で森博嗣さん「瀬在丸紅子シリーズ」の第7弾らしー「六人の超音波科学者」(講談社ノベルズ)。前の「犀川&萌絵シリーズ」でも頻出したちょっぴりアレな科学者たちがソレする系譜の話かと思ったら案外に、真っ当な科学者たちが多くってちょっぴりだけど気勢が殺がれる。とはいえ科学のためならえんやこら、世間の常識なんのそのって感じの”科学者ぶり”は前のシリーズからそれなりに引き継いでいるんで、散々っぱらミョーな科学者ばかりを描いて科学者の人から文句でも出て筆を曲げたって訳ではなさそー。いずれ再び真賀田四季さん級のとてつもなくとんでもない科学者を甦らせて紅子と対峙させてくれる時が来る日を待とー。っても残り1冊じゃー無理かな。だったらその次のシリーズで。どんなんか全然知らないけれど。

 愛知県の中央部の山岳地帯ってゆーから足助か香嵐渓か一ノ谷、猪鍋が美味しくてスケートリンクがあってヘビセンターは今もあったりするんだろーかと懐かしさに遠い目になる地域もしくは岡崎のちょい上あたりになるんだろーか、ともあれ橋をわたった一本道の先に立てられた研究所で開かれたパーティーに紅子と練無が呼ばれて訪れたところ、なぜかその夜に1人の死体が発見されててんやわんやの状態になる。おまけに橋は何者かによって爆破され、研究所はまさしく陸の孤島状態。逃げられない犯人とひとつ屋根の下で過ごすことになった紅子と練無にさらに新たな災難が襲いかかるとゆーのがだいたいのストーリーになる。いつもどーりっちゃーいつもどーりか。

 珍しく見取り図が付けられた研究所の形にとてつもない秘密が隠されていてそれが事件に大きな影響を与えているのかそれともいないのか、ってのは読んでのお楽しみ。結末の方はいつも以上に冴え渡った紅子の証明が圧巻で、伏線も効いた良い仕上がりのエンディングになっている。健気なシングルマザーの祖父江七夏刑事がだんだんと悲惨な境遇に陥っているよーな気もするシリーズだけど、今作はなおいっそうに逆ギレ短絡キャラの雰囲気が出てきてしまってファンなら涙を流しそー。理知的でクールな印象はどこえやら、見つけた保呂草に向かっていきなり「動くな」と銃を抜き出すふりをしながら怒鳴り「橋を爆破したのも、お前だろ」と決めてかかる直情ぶりに、積み重ねてきた紅子との恋のバトルから受けたダメージの大きさが伺える。疑い深くもなるよね、まったく。

 続けざまに現行では最新刊にあたる「朽ちる散る落ちる」(講談社ノベルズ、840円)。おやおや1回こっきりかと思った足助だか松平だか藤岡だかにありそーな「土井超音波研究所」がふたたびの登場で、「六人の超音波科学者」で描かれた以上に不思議で奇妙な研究所だったことが明らかにされて吃驚。なおかつ登場人物も重複どころかさらに重要な役回りを与えられての再登場に近づくクライマックスに向けて1本、筋を通して絢爛豪華なエンディングを飾ろーとでもしているんだろーか、ってな想像が頭をよぎる。そーいえば紅子と七夏そして林との関係もどろどろのぐちゃぐちゃ感が増してリアルさも帯びていて、ラス前ならではの盛り上がりを見せている。これで落ちつくとしてもおそらくは血の雨が降るのは確実で、9月発売とかゆー第10弾での描写に期待もふくらむ。紅子が負けるとも思えないんだけど……。

 荒唐無稽さもラス前だけあってなおいっそうの膨らみぶり。正直いって「ホンマかいな」と訝りたい気持ちも大きいけれど、風呂敷の広げっぷりから装丁されるその畳っぷりへの興味もかきたてられるだけに、紅子の自信満々な名乗りっぷりも含めて最終第10弾での帰結に注目しつつ9月を待とー。これでまるで「エンジェル・マヌーバ」とも「ナメクジ」とも、保呂草の正体とも紅子と七夏と林の三角泥沼関係の総決算とも無関係な紫子の幸せドキドキ話なんかだったら怒るでぇ、いやそれはそれで読んでみたい気もするけれど、できれば可愛く描かれている皇なつきさんの絵で。

 いやもー大爆笑な「オースティンパワーズ ゴールドメンバー」。白状すると前の2作をしっかりとは見ていないんだけど、おおまかな配役は知っていたし知らなくっても出てくる下品でおばかなギャグは前作前々作なんて知っていよーがいよまいが、それより遥か依然の”原典”を知らなきゃ面白味半減な奴ばっかりだから、見ていよーがいよまいが楽しめる奴は楽しめた。分からないのも多かったけど。誰か完璧ガイド本出してくれないかなー、叙勲の式典とか卒業式に父親が来ていないことがどーしてあーも嘲笑の対象になるのか分からないんだよなー。あと刑務所でドクター・イーヴルとミニ・ミーが演じるラップの元ネタになった「ハード・ノク・ライフ」のクリップも見たいところ。何がどーパロられてるのか知ってた方が楽しめそーだし。

 それよりやっぱり知りたいのは、オースティンの父親役を演じたマイケル・ケインがスパイ役で出演していた「ハリー・パーマー」シリーズがどんな感じの作品だったか。「オースティンパワーズ」自体が一種そのパロディらしー眼鏡スパイものらしーんだけど、そこでケインがどーゆー感じに演技していたかを、「ゴールドメンバー」での小粋でダンディーでしかもおかしい演技から是非に知りたくなった。ビデオとかは出てないんだろーなー。超意外な大団円を迎えた3作目だけに続きが果たしてあるかは分からないけど、ダレるのが普通のコメディでシリーズが新しくなるごとに面白さを増し成績も上がっている作品は稀有なだけに、是非にも次も見たいところ。その前に1作目2作目も見とかなくっちゃ。

 評判になってるらしー超有名俳優に超有名映画監督の出演はどれもが納得&大爆笑。冒頭から結末に至るまでを華やかに彩って作品にゴージャスな雰囲気を与えてくれている。某映画誌がバラしやがってるらしーんで映画を未見の人は読まないこと。トルシェに縁のある雑誌らしー。パム・グリア……じゃなかったフォクシー・クレオパトラを演じたビヨンセはスレンダーな腰に迫力の双球を引っ提げ出突っ張り。個人的には「スタジオ69」で唄うシーンのディスコクイーンなカッコ良さにメロメロで、ここだけを見に劇場へと脚を運ぶ可能性も結構高そー。双球ならイーヴルの部下のフラウ・ファルビッシナも上半分ながらとてつもないものを見せてくれるんだけど、何せ容貌が容貌だから迫力の意味もちょっと違う。毒の種類も。それでもついつい顔を覆った指の隙間から深い谷間をのぞき見てしまう、男って哀しい生き物です。8月24日公開。


【8月5日】 サイド6で酸素欠乏症になったティム・レイに再会したアムロ・レイの心境と言うべきなのかそれとも、シーラ・ラパーナから贈られたビルバインにダンバインから乗り換えたショウ・ザマの心境と言うべきなのかは、アーケードゲームのとりわけ”落ちモノ”と呼ばれるジャンルの全てを極めたエキスパートじゃないんで、正解を言い当てられそーもないけれど、あくまでもズブの素人が抱いた印象として語るなら、前者に割にウエートのかかった印象だったタイトーとコンパイルの新作業務用ゲーム発表会。「テトリス」に「ぷよぷよ」の後を継ぐ歴史的&世界的”落ちゲー”が発表されるってな感じの案内が来ていて、かくも偉大な2タイトルを掲げてそれを上回ると断言し、なおかつ「ぷよぷよ」を送り出したコンパイルの仁井谷正充さんが会見に出席するとあって、実は結構期待を抱いて泳げるくらいの蒸し暑さの中を、麹町まで駆けつけた。

 このところはショーで小さな台の上に乗って唄っている姿しか見かけなかった仁井谷さんが、久方ぶりに真っ当な記者会見に登壇して紹介したのは、「ポチッとにゃー」ってボヤッキーがドロンジョさまなビジュアルがうっすらと浮かぶネーミングの落ちモノゲーム。長方形のフィールドの上方から落ちてくるブロックを色が合うよーに積み上げていくってパターンはまんま「ぷよぷよ」だけど、一定個数(4個だったっけ)がつながった瞬間に弾けてしまう「ぷよぷよ」と違って「ポチッとにゃー」のブロックは幾ら積み上げようと消えも弾けもしな

 い。だったらどーやって点を稼ぐのか。答えが「ポチッ」。つまりは爆破。落ちてくるブロックを爆弾に変えてくっつけることで繋がっている同色のブロックが一気に消えるって寸法で、ちまちま分けて積み上げたものを1コのブロックで連鎖させて一気に消すよーな頭痛くなるテクニックを使わなくっても、割に簡単に大爆発の快感を味わうことができる。自然には消えず連鎖のよーなテクもいらず、それなのに点数が稼げて上級者にだって勝ててしまうこの「ポチッとにゃー」をもって21世紀に金字塔を打ち立てるよーな画期的落ちゲーと、自信満々に新井谷さんが断言する以上はたぶんそーだとシロウトとしては判断するよりない。

 「ぷよぷよ」のルールを裏返してお手軽な方向へと捻っただけとかいった浅薄な見方も、とりあえずは引っ込めざるを得ないけど、過去に存在しなかった幾何学的パズルの麻薬的な楽しさを「GUN−PEY」に見、「ディグダグ」を発展させ洗練させたよーな雰囲気に落盤とゆー落ちゲー的な要素を加味し練り上げたゲームの美学を「ミスタードリラー」に見てしまう、温くて浅いゲーム初心者の目にはちょっと、「ポチッとにゃー」の21世紀的新しさってのが評価に余った。なのでティム・レイがくれた装置のよーに「こんな古いものを」って道路に放り投げることはしないし出来る筈もなく、今はただ9月の発売を受けてゲーマーたちが、仁井谷さんのメッセージを受け止め21世紀的だ画期的が世界的だと騒ぐ瞬間が訪れるのを期して待ちたい、きっと訪れると思うから。責任はとらないけど。

 淡々と森博嗣さん「瀬在丸紅子シリーズ」を読み進む日々。仕事は? してません。「夢・出会い・魔性」(講談社ノベルズ、820円)はクイズ番組の出辺のために訪れたテレビ局を舞台に起こった殺人事件を、持ち前の推理力で紅子が解決する話だけど、本番収録中に頭をまるっきり余所にふりむけ司会者を無視した挙げ句に、立ち上がってクイズの答えなんかじゃなく事件の謎解きをしてしまう突っ走りぶりが何とも紅子さん。シロウト出演者の言うこと聞かなさぶりに手を焼くテレビ番組のディレクターさんは読んできっと我が身のことのよーに感じて胃が痛くなったかも。

 この広い東京、人も多いし車だって人の数ほど走ってそーな街であるにも関わらず、ってな感じのとてつもない偶然を働かせてしまっているのは何ともだけど、そんな部分のリアルさよりも奇抜な形のパズルがいかに気連味たっぷりに組み上がるかが楽しめれば良いって考えもあるから気にしない。漫画にはしずらい内容だけどそこをどうごまかすかって辺りを見てみたい気も。脚を振り上げ巴投げした紅子さんの奥は見せて欲しい気が。

 さらに「魔剣天翔」(講談社ノベルズ、840円)。各務亜樹良登場の話でいまいち不明だった「恋恋蓮歩の演習」(講談社ノベルズ、840円)のラストの描写にもつながる話。誰だこの行動力抜群なジャーナリストはって感覚を覚え、どーゆー意味なんだこのラストはって戸惑いを覚えたことからすれば、先にこっちの「魔剣天翔」を読んでおけば良かったんだろーけど、何故か珍しく近所の4軒に売ってなかったんだから仕方がない。昔だったら遠征してでも順番どーりに読んだんだけど(過去の事件を振り返って犯人言い当ててたりするケースもあるんで)、そーすることが億劫に思えるくらいに体力気力精神力衰えて来ているのかも。

 複座の飛行機の後ろに乗っていたパイロットが飛行中い後ろから撃たれて死んでしまう事件が発生。前に乗っていたジャーナリストが犯人なのかそれとも別に犯人がいるのか、って内容で合理的効率的解釈による紅子の謎解きが圧巻。煽りの「シリーズ最高難度」ってのもあながち間違いじゃない。メッセージはちょい強引かなあ。フライトショーの会場になった「北部に木曽川が流れ、周辺には田園や森林がひろがり、県下最大の面積を誇る湖も近い」サーキットってのはまるまる空想の産物なんで愛知県地図とか広げて探さないよーに。けどもしかして12年離れている間に出来たのかな。フライトショーの場面での飛行機の挙動に紅子さん、ってゆーか森博嗣さん詳しすぎ。鉄道模型だけの人じゃなかったんだ。


【8月4日】 皇なつきさんの漫画を読んで無敵となったんで森博嗣さんの「瀬在丸紅子シリーズ」の読み落としていた第3巻「月は幽咽のデバイス」(講談社ノベルズ、800円)からまず一読、無敵なだけあってふりふり衣装な口のへらない欲張りの拳法使いこと小鳥遊練無も巨大らしーボーイッシュな関西姉ちゃんこと香具山紫子も、そして家は没落して日々の糧をはたしていったいどこでどーしているのか未だに不明ながらも常にお嬢であることを譲らない我らが瀬在丸紅子もみぃんな、パパパッとその姿立ち居振る舞いが眼前に浮かび、一挙手一投足がイメージされて声まで脳裏に響いてまるで、漫画を読んでいるよーな感覚で本編を読み倒すことがとりあえず出来た。

 とりあえずってのは印象の薄い割にはこの後もちょくちょく出てくる森川素直の姿を頭に描き難かったことと、保呂草潤平の本編で見せる性格のねじ切れて裏表で言うなら裏が氷山のよーに表の9倍くらいありそーなキャラクターが、まだ完全には把握できなくって、漫画に描かれていたあの風貌あの風体ではそのまま動いてくれないってことがあるからで、さらにはこれまた漫画には未登場の紅子にとってはライヴァルってゆーか向こうが勝手にライヴァル視しているだけかもしれない祖父江七夏の、阿漕荘に住むのーてんきな面々とは対極の生活感を引きずったキャラクターを皇さんの絵ではイメージしづらい点もあって、ちょくちょくページを繰る手がおいつかない想像力にひっかかってしまう。どんな顔してんだろ、七夏って。

 けどまあ、強烈な4人組が牽引役となってくれているからひかっかるとは言っても気になる程ではなく、ぐいぐいと読み進まされる中でどんな事件が起こってどんな展開になったのか、って全体のディティールは把握できたから以前に比べれば違いは格段。そんな状況下で読んだ「月は幽咽のデバイス」は……ギャグ……なのかな。あるお屋敷。狼男が住んでいるとご近所では噂の家で開かれたパーティーの最中、1人の女性がオーディオルームで血塗れになって死んでいるのが発見される。これってやっぱり狼男にやられたの? それとも別の何か仕掛けでもって殺害されたの? 飛び交う憶測の中で紅子とその下僕たちの活躍と推理(と暴飲暴食と悪口雑言)が飛び交い、やがて真実の扉が開かれる。

 読めば納得の結論とは言えるけど、それを実現するに当たっての手間暇とかを考えると、人間そこまでするものなんだろーか、って懐疑も浮かぶ。けどそこはそれ、「本当は、動物の中で人間が一番恐ろしいのだ。間違いないだろう。人間さえいなかったら、恐いものはない」と表紙に書かれてあるよーに、人間の思い入れ思いこみの馬鹿っぷりがあればあるいは現実化しても不思議じゃないって思えないこともないし、そもそもが浮き世離れした4人(いっしょにするなと紫子さんは怒りそーだけど)が存在する世界なだけに、「斜め屋敷」が「水晶のピラミッド」でだって実現してしまいそー。残るはあれがいったい何ってところだけど、それはいずれ描かれる(かもしれない)(それともすでに?)皇さんの漫画での描写を待つことにしよー。でかくてくろくてけのはえた。

 2冊飛ばして(売ってなかったんだよ)「恋恋蓮歩の演習」(講談社ノベルズ、840円)。カルチャーセンターでのナンパの手口を教えてくれる良書って言えば言えるけど、利用するにはそれないな見栄えと小道具が必要なんで現状の僕では実行不可能なのが辛い。実行する意気地もない癖に? それは言わんでくれたまえ。世界一の豪華客船を舞台に繰り広げられる幾つかの事件が幾人かの登場人物たちの行動を経てひとつに収斂していく手練はお見事。誰が誰なのかが分かった上で今一度、読み返してみると浮かび上がってくるディティールもさらに強固なものとなり、パズルの組み上がりもさらに美しく見えて来るだろーから時間があれば近いうちに今一度、ページを繰り直してみよー。巻数から考えると漫画になるのはまだ当分先になりそーだし。ジャーナリストの各務亜樹良ってどっかから引っ張って来た名前なんだろーか。

 でもって「ワンダーフェスティバル2002夏」へ。去年は午前8時から並んで入場できたのが午前11時ちょい前で、今年の冬は午前10時前から並んで入れたのが10時半だった状況に、フィギュア業界にしのびよる飽きの気配を覚えたりしていたけれど、夏はさすがに夏休み中の少年少女も多いのか、それとも寝苦しさに早起きする人が多いのか、午前10時より少し前に並んで入場したのが午前10時40分頃と、ちょっとは並ぶ時間が長くなっていた。これをそのまま人気の下げ止まりと見て是か非かってゆーと悩ましい所で、西館で開催ってこともあってホールに降りる階段部分がいつにもましてボトルネックになっていたことと、降りたフロアがそのまま企業系出展者のブースで行列ができてやっぱりボトルネックが出来ていたことが、単純に入場列の進行を遅らせたって可能性もありそーで、最終的な入場者数が前回に比べてどーだったかまで含めて正式なリポートを待ちたい所。

 人数よりなにより大事な造型の熱さに関しては、午後から仕事で会場には15分も居られなかったんでコメント不能。よく行く人気のブースを回っても、新作がそれほどなかったり展示だけで販売がされていなかったりで、フトコロを散財させる熱さに触れられなかったのも残念。とはいえ例のサムライフィギュアのアルフレックスが「怪奇大作戦」から岸田森さんをフィギュア化していたのには感心感嘆仰天吃驚。似てるか、って言われてもそれほど岸田森さんを観察し切った訳じゃないから不明だけど、理知的でなのに怪しげな雰囲気はなるほど後に「傷だらけの天使」とかで見た記憶に近いものがあってひとつ欲しくなる。発売は何時なんだろ。特撮系といえばかつて、発売目前までこぎ着けながらもいろいろあってお蔵に入ってる実写版「悪魔くん」のメフィストブラザーズの復活を是非に期待したいところだけど、この2年だか3年だか展示もされていないところを見ると、越えるべき壁はやっぱり高すぎたってことなんだろー。”おとなのじじょう”って複雑です。


【8月3日】 寝倒す日々。まるまる12時間ばかりを寝た後で起きて本とかペラ読みつつ昼御飯をとりつつシエスタを決め込み気が付くと夕方になってたとゆー、久方ぶりに精神的にゆとりの週末を過ごす。行きたい映画とかもあったけど流石にこの暑さのなかをさらに暑い都心部まで出かける気力がありません、あとW杯に「日本SF大会」に壊れたパソコンの代替機購入で金のフローが尽きかけてるってこともあったし。とか言いつつも本だけはしっかりと買い込んでしまうのはそれが商売(にはまだなってない)ってこともあるしあと、やっぱり本が好きってことが最大の理由なんだろー、部屋狭くしてもフトコロ寂しくしても本さえあれば生きていけるのです。女性? アニメで充分(ちょっと強がり)。

 「犀川&萌絵シリーズ」のエンディングから放たれた圧倒的印象にちょい、感化され過ぎたのかその後を追ってスタートした「紅子シリーズ」へのストーリー、キャラクターを含めた作品への感情的思い入れが実はあんまり出来なくって、最初の2冊くらい読んであとは放り出してあったんだけど、人間の感情はいい加減ってゆーか、あるいはビジュアルの持つ力の賜って奴か、皇なつきさん描く漫画版「黒猫の三角」(角川書店、680円)を読んでなるほどこーゆー奴等があれやこれややっていたんだと分かるにつけ、一気にイメージが喚起されていっぺんにシリーズへの興味がかきたてられて、「犀川&萌絵シリーズ」に匹敵するか上回るくらいの好感がわき上がる。

 イラストがないと文字だけではビジュアルをイメージできない、想像力の衰えって奴がいよいよ出てきた可能性もあるけれど、まるであつらえたよーなハマり具合で個性なら犀川にも萌絵にも負けないくらいにとんがった人たちが表現されていて、そんなキャラたちが350ページ近くに渡って演じる漫画を読み終えた今となっては、もはや活字畏れるに足らずってゆーか、白地に黒い文字が連なるだけの小説を読んでも、登場するキャラの言説行動のすべてに即座にビジュアルが浮かぶよーになっているから、挿し絵なしでも充分に読み通すことができる、かも、まだ読み直してないから分からないけれど。

 もしかすると活字から圧倒的想像力でもって「瀬在丸紅子さんってこんな人」ってイメージを脳裏に描いていた人にとっては、サラサラ黒髪のお嬢ファッションな黒目美女に描かれている紅子さんが違和感を持って映るかもしれないけれど、それほど想いを入れ込んでなかった当方には、もーちょい鋭角的な顔立ち性格だったんじゃなかったっけ、ってな初読の時のひっかかりも即座に消えて、ああなるほどこれが紅子か練無か紫子かネルソンか、ってな納得感が生まれて漫画に没入できてしまった。とは言いつつ浅田寅ヲさんの「すべてがFになる」だって、活字に圧倒的な思い入れを抱きながらもあの超個性的な絵をすぐさま納得してしまった人間なんで、次に浅田さんが紅子を描いて皇さんが犀川を描いても、納得してしまうのかもしれないけれど。

 チャイナなファンタジーのイラストなんかで名前は知っていたけど皇さん、現代人の現代物の漫画を描いても背景やファッションなんかにはしっかりとディテールが出ていて表情なんかにも感情がしっかりと浮かんでいて、その巧み過ぎる筆運びに感嘆する。9ページの練無をはじめとしたひきつり笑いの可愛さは抜群、いや中身がナニかはすでに知ってはいるんだけど可愛いんだからこればっかりは仕方がない。ボーイッシュなイメージが先行していた紫子さんも絵になると意外(失礼)な美女ぶりで好感度9割増し。小説だといまひとつ役所がつかめなかった紫子さんの立ち位置も狂言回しってゆーか進行に欠かせないドライバーって風に見えてきて、小説を読む時のとっかかりになりそー。小説の再現度がどれくらいかは読み返してみないと分からないけれど、とりあえずは読み残してあった3作目あたりから出ている9作目までをイメージが薄れないうちに近々に、読み返してみることにしよー。

 とか言いつつ早速でもなくシリーズでも異色な「捩れ屋敷の利鈍」(講談社ノベルズ700円)を一気読み。見返しの部分だと「紅子シリーズ」に入れられているけれど主役は西之園萌絵で脇が国枝桃子さま、でもって相手役に「紅子シリーズ」でも得体の知れ無さではトップクラスの保呂草潤平なんであんまり漫画とは関係なしに、むしろ「犀川&萌絵シリーズ」を久方ぶりに読み返す感覚で読むことができた。両シリーズでメインってよりはサイドで探偵役を支える2人の激突、って趣向の話だけど、漫画版だと御存知な人は御存知な理由で潤平って人間に感情を入れ込む余裕がほとんどできなかったんで、どちらかといえば萌絵のひとり舞台空回り付きな活躍ぶりがイメージの前面に出て来て、あいかわらず突っ走ってるねー、なんて笑みを浮かべつつ読了。勝者はどっちか、なんて野暮は言わないけれど、あの萌絵を相手にひけをとらない保呂草って野郎の謎っぷりが、一段と深まってシリーズへの感心を増してくれた。9月にでる最終10巻でどんな扱いになっているか。出る前に9巻分をやっぱり一気に読了しとこー。


【8月2日】 どっか通信社が抜いて追っかけたかあるいは締切近くの真夜中にちょろり話が出たかは想像するしかないけどそれにしても、どっか1紙をのぞいてほとんど全紙が「新札発行」をトップにドカンと持って来ていたいのは吃驚。なるほど20年近くぶりになる切り替えはトピックとしては面白いけど別に単位の切り上げ切り下げがある訳でもない、多くの人にとっては新製品だか新車だから発表されたくらいの感慨しか浮かばないことを大挙して、それもトップで伝える意味があるのかないのかがよく見えない。

 ある、っていう意見も分かるけれど、その理由の筆頭に上げられる経済効果ったって、自販機とかATMとかの切り替え需要が中心で限定的。広く一般の人のフトコロにまでどう波及するのかってイメージがなかなか喚起されない。前まで使っていたのが使えなくなるって意味で”無駄遣い”を奨励するって側面もあるだけに、この環境の時代、環境大事を標榜するメディアが手放しで騒いでいい筈がない。住民基本台帳ネットワークからの離脱を大規模自治体で始めて訴えた杉並区のことを脇へ負といやって、中には社会面に押し込めてまでドカンとやる価値があるのかないのか。つまりは住基ネットの問題って新製品の発表に負けてしまうことなのか。もしくは杉並離脱のインパクトを薄めさせたい国家的な意図あったのか。ニュースは謎に満ちている。

 DVD版「ミニパト」を遅蒔きながら購入。昨晩持っていればこれに原稿なりイラストを寄せている人に御犬……じゃない御大をのぞいたとり・みきさん西尾鉄也さん神山健治さんほかのサインをもらえたなー、なんて悔恨の念がうかんだけれどかくも偉大な人たちとか、呑むと「くぉらああそこのエロオヤジあんたなにやってんだ?」をとり・みきさんに注意を喚起する、バンダイビジュアルのチラシの黒髪から一転して渋谷公園通りあたりにたむろってそーな兄ちゃま風体だった西尾さんとかに美少女でもない(ありえない)身で「サインください」とお願いする勇気はないんで、一生適わぬ夢だったんだとすっぱりあっさり諦めよー。「ジバクちゃん」のサインは誰にもらえば良いんだろ、「将来『ジバクちゃん』の権利をめぐってオレとオキウラさんとオシイさんとで血で血を争う戦いになるというシナリオ」(西尾さん談)もあるそーだし。

 JRの渋谷駅を降りると先も見えないよーな土砂降りに、パソコンを1つお釈迦にした島根県松山市での苦い経験を思いだしつつ、それでも行かねばならぬと背中に背負ったディパックを体の前へとやって雨水が降り注がれにくくした上で、「ファミ通えんため大賞」の授賞式が行われている「セルリアンタワー東急ホテル」へと向かう。一歩踏み出しただけで足はもうびしょぬれ。歩道橋を上っていると上から流れ落ちる雨が通気性の良いサッカー用のトレーニングシューズってこともあるのか靴の中へとどんどん染み込み、靴下の下に1センチばかりの水の膜ができているよーな足感に陥る。歩道橋を降りて「セルリアン」まで上がるダラダラとした坂もすでにライン下り状態。まだ浅瀬だったから良かったものの、これがもう少し酷くなったら都会のそれも道路で水に流され溺死、なんて事態がホントに起こりうるかもしれない。浮輪必携、いやもう20年近く泳いでないんで。

 表彰式はパスしてパーティー会場に潜伏して観察、小説部門の審査員の久美沙織さん中村うさぎさんが並んで歩いていて存在のゴージャスさに目がくらむ。今や女性誌から一般誌から活躍しまくってる時の人・中村さんだけどこの賞の授賞式では毎年ちゃんと見かけるから、ヤングアダルトな世界ファンタジックな世界はやっぱりそれなりに和むし馴染んだ場所、なのかな。作家の方イラストの方漫画の方もほかにわしわしいたよーだけど面識とかほとんどないんで誰が誰やら不明。SFな人たちもほとんど見かけず雨で流されて目黒川を「あの素晴らしい愛をもう一度」を唄いながら流されてったんじゃないかと心配になる。光景としてはちょっと楽しい。

 受賞作の小説については紹介文だけではまるで不明。坂本和也さんの「この時代に生きること」は想像するにまんま「この時代に生きること」について考えさせる話なんだろーけれど、その術が対戦格闘トーナメントってあたりの落とし込みにやっぱり既視感を覚えてしまう。それだけ繰り返されるってことはそれだけ重要なテーマって見方もあるだけに、その訴えかけ方がどこまで人の気持ちの奥深くまで染み通るのか、ってあたりを刊行されたら見てみよー。刊行されるのか? 

 イラスト部門は見る目がないんで良し悪しは不明。「美少女」ってテーマで募ったらしーけどテーマにそぐうものが少なかった、ってのはおそらくはあまりに直球ストレートなテーマを果たしてそのまま打ち返してヒットになるかって穿った人が多くって、ひねったり裏返した結果って気もしないでもない。そんな中でも選ばれた受賞作はなるほど美少女かもしれないけれど胸を突かれるかってゆーとやっぱり既視感のおかず(by「林檎でダイエット」)状態で、良いんだけど凄くない。パンツ見えてりゃ凄いのか、胸大きければインパクトあるのか、眼鏡はアンダーフレーム以外は認めないのか、って言われればそーゆー部分もあるけれど、顔でも衣装でもポーズでも1度見たら脳裏に焼き付くぐらいのパワーを放ってないと、微細な差異に目をひかれるプロな絵見じゃないパンピーな読み手には響かない。たぶん底力はある人たちばかりなんで、模索するうちにきっとオリジナルな所も出てくると期待しよー。中で佳作の淺井あきひろさんは奥行き匂い温度がある感じがして好み。続いて欲しい人です。


【8月1日】 午後の1時半からいちおうスタートな「デジタルコンテンツ白書」の発表にちょい早めに行って、置いてある発表資料をチラっと読んでからおもむろにパソコンに向かって原稿を打ち出し、発表がスタートした5分後には80行ばかりの原稿を書き上げて、会場を飛び出し1階にある電話機から会社に送稿したその足で、紀尾井町から地下鉄の麹町駅まで歩いて飛び乗りひといきつくまもなく着いた有楽町駅を飛び降りて、東宝の劇場が「チケットぴあ」でも買えるよーになりました座席は必ず確保されてますでも値段は普通よりちょっと高いですってな内容の、午後2時からスタートした記者発表を上目づかいに聞きつつ、配られた資料を参考に60行ばかりの記事を書き上げたその足で、やっぱり会見場を飛び出して会社へと戻り3時前には出稿するとゆー仕事をしたのが昨日のこと。

 でもって今日は今日とて午後の1時半からとゆーエキサイトのブロードバンド接続サービス&ブロードバンドコンテンツ配信ビジネススタートとゆー記者発表を遠く恵比寿の駅から京極夏彦さんの本が1冊読めるくらいに遠くにある「恵比寿ガーデンホール」まで行き、もらった資料を見ながら15分で60行70行ってな記事を書き上げ送稿しつつ写真を撮り、コメントなんかのメモを取ってから会場を飛び出し「ペリーローダン」を100冊は読めるくらいの距離にある恵比寿駅へと戻ってJRで新橋へと出て、そこから「ゆりかもめ」に乗って「国際展示場前駅」まで半分位お昼寝する。

 乗り越しても大差はないけどとりあえずは起きて今度、「東京ビッグサイト」を間近にのぞむ場所に新しく作られる「パナソニックなんとか」って施設の横にあるスタジオで午後の3時からスタートした、松下電器産業と吉本興業が組んで、寄席演芸トークショー新喜劇ってな感じの舞台を他のホールに中継するよーな新しいエンターテインメントをいっしょになって作ります、ってゆー会見を横耳で聞きつつ、やっぱりパチパチと原稿を打ち70行ばかりでっち上げた合間に写真も撮り、3時15分に会場を抜けだし電波状態は良いけれど同時に太陽光線も水星級にすさまじい軒先から原稿と写真を送信してまた会場に戻り、質疑応答なんかを聞くってゆー実にブンヤっぽい生活を2日続けて息が上がる、腰も抜ける、歳だなあ。

 黒塗りハイヤーに社旗おったてて恵比寿だお台場だと走り回り、原稿も車の中から送稿なんかりしちゃうのが現代の先鋭的なジャーナリスト像、なんだろーけどいちおーは環境を標榜する会社なんで排ガス垂れ流すハイヤーなんて使わず徒歩徒歩徒歩が原則、だったらどんなにか心も休まるんだろーけどそこは資本主義的な理由でやっぱり徒歩徒歩徒歩とゆー次第。おかげで汗をどっぷりと流してお腹あたりや顎の周りが引き締まったよーなき持ちがしないでもないけれど、歳も歳なんで無茶が体の無理になる可能性も高く、できればハイヤーに社旗おたってて向かった先で見聞したことを30行にまとめて本日閉店ってな、ごくごく普通のブンヤになってみたいと切に願う灼熱の夏、であった。みんなビンボが悪いんや。まじで汗、シャツから絞り出せそーだよ。

 どたばたとした果てに更に灼熱の太陽蒸せかえる大気を全身に感じつつ、およそ3カ月とか半年とかそんなもんぶりに「ロフトプラスワン」へと出向いて「ミニパト」と「廃棄物13号」のDVD発売&まーじき発売記念トークショーを見物。到着した階段でこちらは去年の「SF大会」でのディーラールルーム以来だからまるまる1年ぶりに小形さんに会う。吹き出す汗をぬぐってもぬぐいきれない暑さに電子レンジの中ってこんなもんかと走馬燈を見つつしばし待機。やがて開いた扉から中に入って体に届くクーラーの冷風、喉を潤すビールの冷たさに生きた心地を取り戻す。まだ7月の終わりだってーのにこの暑さじゃー「コミケ」の頃は摂氏80度くらいになってそーな予感。ワールドカップの「パブリックビューイング」でも1人たしか亡くなられた記憶があるんでくれぐれも行く人は体に用心を。ことあればここぞとばかりに書き立てるメディアがあるだけに、築地とかに。

 トークショーはまずは「ミニパト」で監督を務めた神山健治さんと作画監督でキャラクターもデザインした西尾鉄也さんが登壇してあれやこれや話を披露。1話から3話まであるなかでどれが一番好きかって話になって世間ではどーやら後藤隊長ひとり語りのガンマニア向け蘊蓄エピソードな第1話の評判が低いらしくってちょっと以外。個人的には訥々ぼそぼそとした後藤さんってゆーか大林隆之介さんの喋りが聞けるってだけでオッケーだったんだけど、ロボットマニアの数よりやっぱりガンマニアの数が見た人の中ではちょい少なかったってことなのかな。それにしてはハゼマニアが多すぎる気も。南雲隊長ファンか。あるいはハマーンさま萌えの延長とか。

 歳なんで聞いた話のほとんどをすでに忘れてしまってて、意図的に忘れたところもあって省略。第2部は「13号」話。脚本のとり・みきさんからはあちらこちらで話を聞いていたからどんな感じに総監督の直しとかが入ったのかは認識していたけれど、高山総監督のもとで細かい演出面を仕切った遠藤さんの話を聞くにつけ、監督ってゆーかクリエーターがいかに作品の隅々まで気を使っているのかが分かって面白く、作品への興味を5倍増しくらいにさせられた。

 もちろん撮影した素材からそれっぽいものを選んで仕上げることもできる実写とは違って、すべてを描きおこして作り上げるアニメーション作品って性格もあるんだろーけれど、カメラ位置の設定やカメラの揺れ具合の再現といった部分はもちろん、カメラや人間の目に映ったものがどう見えるのかといった部分を踏まえた絵による再現(テレビモニターの光の反射具合とか早送りしたビデオテープのノイズとか)とかいった表現上のことから、会話とか絵とか音いったサラリと流された情報が実は背後にある膨大な情報を語っていたりするとゆー演出面まで、どの絵1枚どの音1つとってもそこにちゃんと”意味”があるんだあったんだってことが分かって、そのこだわりりぶりにちょっぴり空恐ろしくなった。

 遠景の車に人が乗り込む場面で車を沈める沈めないって判断に、1週間かけたってゆーんだから凄いよなあ。それっておまけに、見ている人には自然過ぎてきづかれないことだから報われないよなー。ロボットの動きやミサイルの飛び方火薬の爆発を気連味たっぷりに演出する人ばかりに目がいくものだからなー。ほとんどがおそらくはDVDに収録される制作スタッフによるオーディオコメンタリーで聞けるんで、アニメーションの人がどれほどまでに気を配って作っているかを知りたい人はマストにバイ、でしょー。ラストで巨大掲示板を見ているのは誰? ってことからその後にまったりと天気予報だかが流れれたのは何故? ってことまでちゃんと考えられているってんだから驚き。アニメは背筋をたてつつメモをとりつつこれからは見よー。

 第3部はもうすさまじいばかりの豪華ゲストで、「パトレイバー」って作品にいかに凄い人たちが関わってここまで育て上げて来たかが分かって感動した。最後は近況報告。とり・みきさんは「ダイホンヤ」が早川書房から復刊されて大拍手な上に続編がまもなく発売されるってことで大歓迎。神山さんは「攻殻機動隊 STANDALONE COMPLEX」って作品に関わっているそーで、10日だかに杉並で先行上映会みたいなものも行われるとか。バンダイビジュアルからもらったスチールと今日もらったパンフレットに描かれた草薙素子のまるで「へのへのもへじ」のよーに間延びした顔が大地雷の大懸念を与えていたけど、ちょい流されたプロモの映像はもーフチコマが走る素子がはんれるってな具合に大迫力の大逸品。顔も動くとむしろ可愛く見えちゃうあたりに平面でも動けばそこにタマシイを感じてしまう2次コンの便利さを痛感させられる。

 西尾さんはもー1年以上も前に終わってる仕事がここに来てよーやく日の目を見る運びになって大歓喜。今敏監督の「千年女優」のことで、冬に見たあの感動をふたたびスクリーンで得られるのかと思うと胸も踊る。ちょい流された予告編には「文化庁メディア芸術祭グランプリを『千と千尋の神隠し』と同時受賞」とか「ドリームワークス世界配給決定」とかいった、作品の中身の紹介よりも作品の”価値”を支えるよーなキャプションが多くって、どーしてあの浅ましくも純粋ですさまじくも健気な「女優」って生き物の凄さなり、1000年とゆー時代を空間も含めて自在に飛び越える表現面の凄さを前面に出して喧伝しないんだろーか、って思ったけどやっぱり”宮崎””スピルバーグ”の方が分かりやすいからなあ。宣伝の難しい映画、って意見も分からないでもない。原節子さんは無理でも山田五十鈴さんとか吉永小百合さんとか高峰秀子さんとか若いけど田中麗奈さまっていった女優張ってる方々に、見てもらって感想もらえれば権威にすがりつつ中身の一端も紹介できそーな気がするけれど、やっぱり難しいんだろーな、予算も張りそーだし。


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