縮刷版2002年7月下旬号


【7月31日】 「活字倶楽部」のいっちゃん新しいので何か、滝本竜彦さんがインタビューあれてるってんで本屋に行って立ち読みする。をを出てる出てる、ヒキコモリアン(ヒカリアンの親戚ではないし変形もしない)な作風からは想像できない都市型クラブ系(この辺使い方適当)の風貌が写真でバッチリと紹介されていて、よくは知らないけれど想像するだに多そーな「活字倶楽部」の読者のぢょしこうせいから山とファンレターが贈られて……来たらちょっと羨ましいかも、ってゆーかファンレターとかこれまでどんな人か来てるんだろー。やっぱり同年代よりちょい下な男子とかが多いのかな。絵理ちゃん岬ちゃん級はいないのかな。自称も含めて。

 インタビューはかつてない分量でよみ応え十分。冒頭のデビューへといたるいきさつのとっかかりはあるいは初の披露かも。スピード感があってリズム感も良かった「NHKにようこそ」の創作にあたってのスタンスなんかは、ダラダラと長いばかりで1巻経ってもプロローグにすらなっていない超大作主義な作品を書いて読み終えた読者に「なんじゃこりゃあ」と根にもたれないよーにする、良いアドバイスになりそー。いまだあんまり音沙汰のない3作目についてもあれやこれや話が出ていて、聞くにどーやら過去2作の延長線上に位置しそーな話になりそーだけど、読んで壮快なハッピーエンドとはいかない可能性もある部分にちょっと関心。けどやっぱりハッピーエンドになるのかな、そーゆー世界が描けるからこその小説だ、なんてことも言ってるし。メディアミックスの野望なんかも語っているけどラジオドラマ以外にとんと進んでるって話はきかないのが気がかり。実写映画は無理でもせめてコミックとかにはならないものか「ネガティブ」。ローキックで絵理ちゃんアレを見せまくるよーな絵で。

 見せまくっているといったら「ヤングキングアワーズ」9月号は「ジオブリーダーズ」で紅の流れ星こと梅崎真紀と一騎打ちをする蒼き流れ星こと深水陽子。先月号あたりから何か、弾丸を1発2発撃たずに確保する得体の知れない行動ととっているなーと思っていたら、ルガーの竜がヘリコプターで天空へと去り取り残される形になった真紀を相手にひと勝負。「ハジキが二挺弾二発」「あたし等にゃあそれで充分な筈だ」ってなきくもサーティーズなセリフでもって火蓋を切ったバトルの最中、拳銃を掴んで中空を跳ぶシーンでもって短いすそからしっかりとおそらくは白、多分白、絶対白、白じゃなきゃ嫌だってなものをのぞかせてくれていて、夏の暑さに茹だった頭に一服の清涼感をもたらす。下半身はボウボウだけど、血がたぎって。

 はみだし情報だと「ワンダーフェスティバル」が先行販売らしー「ヘルシング」の浅井真紀さん原型による胸像カプセルフィギュアは実はこの日曜日の「ホビーエキスポ2002」でも売ってて5つ買って5種類あるらしーうちのアンデルセンだけ出ず、だったらどれかダブったんだろーかと思って見返すと、1つ混じってたクリアバージョンがウォルターはウォルターでもヤングバージョンだったりして(勘違いかもしれない)、カプセルフィギュアの奥深さについて思索をめぐらす今日この頃。ってことはあるいはインテグラの少女バージョンなんてものもあったりするんだろーかあって欲しいぞと思ったりもしながら連載を読む。カマしてくれるねえ代行殿は相変わらず。

 まあ「堰を切れ!!」「戦争の濁流の堰を切れ!! 諸君!!」じゃああんまり「私は○○が好きだ」みたいなパロディとかか作れそーもないから、ジャンルを超えて今回の口上が広まることはなさそーだけど、何か対象物を根こそぎぶっつぶしたい時なんかに列記されている地名や建築物や機関を変えて並べてみるってことは出来そーなんで、タイプがあえばどこかで使ってみたい口上ではある。「構造改革の濁流の堰を切れ!!」で守旧派とか橋本派とか郵政とか道路公団とか並べたりする、みたいな感じで。けどやっぱりあんまり面白くなりそーもないなー。「対英上陸作戦第2次あしか作戦」のしおりが読みたい。「家に帰るまでがあしか作戦です」とかって書いてあるのかな。おやつの血袋は何個まで持っていって良いのかな。

 唐突にもスタートした「学園エクセル」。黒目黒髪になるとエクセルって案外にキュートだったんだな、なんてことに気づく。けどすぐいもとの金髪碧眼に。転向してきたアメリカ人留学生として部活で大活躍させられる羽目になるシーンでの、山と登場するスポーツ漫画のパロディの元ネタのボクシングに陸上に卓球にカードに囲碁(スポーツ?)に「ジョジョ」(だからスポーツ?)まではどーにか分かったんだけど、「人が鳥に、うう……聞いたことがある、あれはまさに」と「その技を2度使ったらお前はシンでしまうんだぞーッ」と「そのシルエットは! 生きていたのかエクセルーっ」が分からなかったり思い出せなかったりして居心地が悪い。カーリング部ネタはまるで不明。「先生ー、バスケが」はもしかして三井のマネ?

 保田圭ちゃんはともかく後藤真希ちゃんまでいっしょとは驚いたぞ「モーニング娘。」の卒業発表。なんだかんだいってもやっぱり存在感なら存分だったゴマキを抜いてしまうのは、過去のどんな卒業よりも重みがあるよーな気がするんだけどどーだろー。ってことは何かい保田圭ちゃんは重みがまるでないのかいと突っ込まれそそだけどこればっかりは人気商売、仕方がないとファンには涙を呑んで頂こー。2人が同時に抜けてしまって「モー娘。」はともかく「プッチモニ」はどーすんだって気もしたけどどーやらつんく先生、「プッチモニ」も「タンポポ」もメンバーとか入れ替えるみたいんでどんな感じになるのか心配しつつもちょっち注目。「ミニモニ」は今のメンバーがキャラとして立派で大きなビジネスになっちゃってるんだけどそれでも変えるのかな。変えられたらプロデューサーとしての筋の通しっぷりに感心するんだけどなー。


【7月30日】 なおも励む読書。実はあんまり読んでなかったりする評判の「どかどかどかん」を差し置いて瀧川武司さんの「EME」シリーズの「黒」と「青」をまとめ読み。したけど出ている3年の時を間に挟んだ2冊ですらまだ語り尽くされていないバックグラウンドめいたものがあって、思わせぶりな態度に良い意味でイラつく。できれば1冊でスッキリさせてやって頂きたいものだけど、すでにして「どかどかどかん」でもって実力の程を見せているらしー人だけに、謎を散りばめつつとりあえずは1つのエピソードを片づけつつ、いずれ閉じられるだろおー大風呂敷の畳み方に今から期待も高まる。

 何でも物の怪っぽい輩の善玉は保護し悪玉は始末する部隊ができているって設定で、やれやれまた退魔師モノのバリエーションかよと思ったけれど決して嫌いなバリエーションじゃないんでまずは「黒」こと「EME BLACK1」(富士見ファンタジア文庫、560円)から一読、本来だったらとてつもないパワーを内に秘めながらも訳あってそれを押さえ込んでいる少年が、退魔な部隊の一員として向かった新宿の地下。そこでは骸骨やら何やらが現れては人間を殺戮しまくる事件が起こっていて、少年は残された生存者を助けるために、上司といっしょに群がる怪物たちをなぎ倒して地下を進んでいった。いったい何が起こったのか。クライマックスで立ち現れる運命の残酷さに翻弄される者の悲しみがなかなかに痛くって切なく、ありきたりと言えば言えるんだけどやっぱりシンミリしてしまう。

 続く「青」こと「EME BLUE1」(富士見ファンタジア文庫、580円)は地下街の事件から3年経って様変わりしたEMEって部隊で働く少年が、次々に降り懸かる身の災難に挑みかわしていく一種の活劇譚。3年の間にとてつもない大事が起こっていたよーだけど、文庫の2冊では示唆されるに留まっていてちょいフラストレーションが溜まる。けどまあそれはそのうち明らかになるから気にせずその時を待とう。裏切るなよ。お話しの方は襲いかかる敵がいずれも人間離れした(比喩的じゃなく具体的に)技の持ち主ばかり。そのバリエーションの繰り出し方はまるで「ジョジョの奇妙な冒険」の第3部のよーで、似た話ってのが山とあるなかで書き手も苦労したんじゃないかと思うけど、甲斐あってなかなかに独創性に飛んだキャラ&筋書きになっていて楽しめた。

 顔見せ興行的だった「青」と違ってキャラクターについても割に背景とかが描き困れていて、そんな奴等に気持ちを乗せて筋を追えるんで楽しめる。主人公はそれとして、仲間として活動しているけれど実は……な美少女の蒼乃丞ちゃんのカワユさと、その母親とゆー人の「ジオブリーダーズ」の社長もらんまの母親も真っ当に見えるくらいの天然無茶苦茶最強ぶりに正直ヤられました。とてつもなく鋭く力もあってなおかつ公明正大な人材が登用されながらも1年前に起こった事件の余波が抜けきらない組織の体制にちょい疑問も残るけど、得てして組織ってそんなもんだから良しとして、1年前の事件が持つ意味なんかが本筋にリンクして来てはすべてが白日の下に晒される時が来るのをまずは待とう。出来れば「黒」の2、早めにお願いしまーす。

 続く七尾あきらさん「風姫 天を継ぐ者」(ファミ通文庫、640円)もこれまたやっぱりな退魔物だったけど、こちらもこちらで見かけによらないストーリーのシリアスぶりが新鮮でかつ心に痛く、読んでマジな気持ちにさせられた。ヤングアダルトではちょい、珍しい部類に入るかも。金太郎じゃないけど山の妖怪変化を相手に遊んだり修行したりして成長した少女・鳳ちはやが山を降り、高校に通うことになった所から物語りはスタート。育ててくれた祖父のいいつけを守って街にある社に詣でたところ、そこで彼女の先祖を激しく恨む九尾の狐の攻撃を受けて刺し違え寸前の羽目となり、挙げ句相手にいずれ心臓を喰わせる約束をしつつ、それでも何とかあこがれの高校生活をスタートさせる。

 ところが世の中そうそう平凡にハッピーとはいかないのが小説の世界。その学校にはしばらく前から怪異が起こり謎を解こうとした霊能力者が相次いで死亡するとゆー事件がおこっていて、ちはやに事件を解決して欲しいとの依頼が寄せられる。あれやこれやあってその依頼をかなえよーとしたものの、相手もさる者、なかなか尻尾をつかませず、それどころかちはやを著しく追いつめていった。事件の真相が明るみに出てくるクライマックスから慈愛と赦免の展開へと向かうラストのスケール感も良かったけど、憎しみを糧に生きて来た人間の憎む気持ちを奪われた果ての絶望、愛を求めて得られず転じて憎しみを育みながらも奥底では愛を求めていた人間の未来が開けた途端に訪れる悲劇が、読んで胸に激しくこたえて重たい気持ちにさせられる。ライトなノベルにしてはな重さは加門七海さん「人丸調伏令」だかを読んで以来、かも。

 続くとしたら人としてのリミット超えも間近なちはやと、ちはやに複雑な感情を抱く狐との丁々発止の中で人間の抱く欲望の数々を題材にしたエピソードが描かれ、考えさせる方向でいくのかな。説諭のバリエーション化が進みそーでそれはそれであんまり乗り気じゃない。狐と天狗の化かし合いの合間に人間の浅ましさを描く連作って形はなるほど定番的で続きも出やすそーだけど、飽きられないためにも、より終焉を約束するよーな大きなテーマを浮かび上がらせ、そのテーマに向かって一致団結していくよーなキャラクターたちの格好良さも見せて欲しいって気がしてる。思い話しも悪くないけど泣かされるのはこれで勘弁。


【7月29日】 船橋を出て大手町で仕事をしてから船橋で取材、するんだったら正直家で昼間でゴロ寝して、それから出かけたいのが人情ってものだったけどそれをやってしまうとサラリマン的な世界を放逐されて毎月のお月給に安心する生活が送れなくなる可能性もあったんで、ここは猫を被って正直に出勤取材の段取りを踏む、あー面倒臭い。まあ取材ってもご近所に出来たコナミスポーツの新しいフィットネスクラブを見物するだけで、半分は自分が入る時のことを考えた下見でもう半分はコナミ的なアイディアの詰め込まれたゲーム風フィットネスマシンなんかが入っていたら写真で押さえて置こうって程度のものだったけど、市役所の真横に出来た新しいフィットネスクラブを見るにつけ、フィットネスクラブひとつとってもいろいろ工夫があるもんだなーと感心する。ビジネスって奥深いわ。

 端的に言うなら船橋市役所横に出来たコナミスポーツはフィットネスクラブであると同時にスーパー銭湯でもあって、ジェットバスに普通の湯船に露天に足先だけをつけて冷水温水の中を交互に歩くタイプのものにサウナと実にさまざまなタイプのスパが備え付けてあって、出れば火照った体を休ませるマッサージチェアなんかも並んだリラックスルームがあって、先には和室だったり座敷だったりなお食事所も用意されていたりと、スポーツなんかしなくてもそれだけで存分に楽しめるよーな作りになっている。実際プールとスパだけを利用できる制度ってのもあるみたいで、お風呂代わりに利用するってことも可能そー。それじゃー高くないって言う人もいそーだけど、月々の料金なんかを考えると毎日銭湯に通って頭を洗ったりするのとそれほど大差のない金額だったりするから、設備なんかを考えるとむしろお得かもしれない。家からあと数百メートル近ければ、マジで会員になってお風呂代わりに使いたいって思ったよ。

 もちろんフィットネス関連の施設もそれなりに充実してて、プールがまずは25メートルの9コースと屋内にしては大型で、スタジオは広いのがひとつと中位のがひとつあってあれやこれやのメニューが用意されている。マシンはウォーキングにバイクがこれもフロアに所狭しと並べられてて使いでがありそーだし、料金は別になるけどゴルフの練習場もあってちゃんとした指導のもとでレッスンも受けられる。そんな施設ともちろんお風呂、加えて西船橋とか津田沼とかにもある千葉県内のコナミスポーツの施設も利用可能な会員に今だと月々1万円でなれてしまうってゆーから心も揺れたけど、歩けば7分8分でもやっぱり億劫なのがこの年齢。だからこそスポーツすべきじゃんて意見もあるけどそれができれば苦労はいらねーってのも心情でどーすべきか心戸惑う。決定打はやっぱりインストラクターにボンでキュッとしたバンな方々がいっぱいおられて手取り足取りアレしてくれるってことだけど、内覧会では全然分からなかったんでしばし観察に務めよー。

 どばどばと読書。EXノベルスぜもこちらは短くこぎれいにまとめつつ先への興味もしっかり過ぎるくらいに抱かせてくれたのが藤咲あゆなさんの「魔法通信マジカルピッピ」(エニックス、840円)。アイドル志願の女の子がおじさんに誘われ訪れた通信機メーカーで言われたこと。それは携帯電話を使って何時でもどこにでも呼び出し可能な正義の見方となって、悪と戦ったり掃除を手伝ったり犬に散歩をさせてあげることだった、って聞けばありきたり過ぎまくりな設定だけど半ば無理矢理「マジカルピッピ」にされてしまった主人公が理不尽な苦労にあいつつ芸能界への色気もくすぐられつつ、好きな男の子への思いも抱きつつ頑張る話は分かりやすくってノリも良くって楽しめた。お定まりなライバル登場のエピソードでもって次へと引っ張る展開もこの場合だと連続ドラマなり連載漫画的で気にならないし、ライバル登場の背後で暗躍する人の悪辣さが何によるものなのかって興味もそそられる。期待して次と待とう。

 続けて豪屋大介さんの「A君(17)の戦争」(富士見ファンタジア文庫)の2巻と3巻を一気読み。田中さんの趣味炸裂な展開に周囲がどんどんと染められていく展開のオタク的心地よさはそれとして、魔族の国に魔王として召喚された小野寺剛士が持ち前の怨念増殖パワーでもって脳髄の限りを尽くして魔族の軍隊を勝利へと導こーとする展開の、戦記物でも読んでいるよーな臨場感は健在どころかますます快調。なおかつ人族の国との戦いの背後にある得体の知れない事態もだんだんと明るみに出てきて、健気で可憐だけど実はど迫力級のバーサーカーだったスフィアちゃんのどことなく謎めいた出自なんかも示唆されて、ますますいっそう世界観の奥深さが増した感じがして興味をそそられる。示唆される可能性への対処をあるいは釈迦の掌で踊っている存在かもしれない小野寺剛士が出来るのか、って点も含めて今後の作者の筆さばきに期待するところ大。しかしホントに誰なんだろー、豪屋大介さんって(マジに知らない)。


【7月28日】 お台場イベントバトル。まずは日本ファルコムってエロゲーが全盛なパソゲーの業界で頑なに普通のゲームを、それも高品質の作品を送り出し続けている会社の6月だかに発売された「ブイエムジャパン」ってゲームのチャンピオンを競う大会を見物。どっかの新聞社が何故か主催に絡んでるってんでお仕事部分もあったけど、決して頂戴メジャーな訳じゃないゲームでもそれなりな層が関心を持ってるんだってことが、見学に来ていた人たちのそれなりな数から伺えて興味深かった。スタートした大会では、全国から終結した腕に覚えのある面々のゲームくん的面構えと、その細い腕先カラクリ出される妙技の数々を見せられて、世のゲーマーと呼ばれる人たちの反射神経のカタマリ的凄さとは違うプロフェッサー風な凄みなんかも実感。いやあゲームってほんと、奥が深いし幅が広いですねえ、「ゲーム脳」? どこの世界の話だ。

ゲーム知性に溢れんばかりの風貌から繰り出される巧みな技の数々を見よ!  聞くとゲストに桃井はるこさんが来場する予定らしかったけど、スタートしてから1時間くらい居ても姿とか見えず、ナマで「インパク音頭」を唄ってとお願いすることもできず会場を後に。けどまあ、チラシくばりしているショートゆかたの可愛い娘たちを見られたからよしとしよー。「ブイエム音頭」とか唄ったのかな。抜けてすでに午前中も1度見物していた「ホビーエキスポ2002」へ。ガンダマーなモデラーの総本山的役割を果たしていたイベントも去年あたりから様変わりしてちょっとしたキットにそれとない中古トイ、それと適度な企業ブースにそれなりなカードゲームコーナー、あとまずまずなミリタリーブースが混在する”総合”イベントになっていて、一点突破的な熱さは薄れたけれどそれほど血走っていない和んだ空気が漂っていて、見物して回る分には楽しめた。もちろんキットの関係では瞬間完売な作品もあったよーで開場直後はホビー系イベントによくあるいつもの光景も見られたんだろーけれど。

 目についたのはカードゲームが単なるカードだけの対戦からフィギュアも合わせて使って立体的ってゆーかビジュアル的ってゆーか、リアルにより近いものへと進化しかかっていたこと。ファンタジックなフィギュアを動かすゲームもあればミリタリーチックな装備を動かすゲームあって、あちらこちらでメジャー片手にどれだけ進めば良いのか、どれだけ攻撃が効いたのか、なんてことを作り込まれたジオラマの上でやってる光景がみられて、ゲームも大がかりになったもんだと感じ入る。リアルな戦闘をシンプルな枡目に移した将棋とかチェスからの先祖返りって考え方も出来そー。ジオラマも大仰でフィギュアだって用意しなくちゃいけなくって、なおかつ相手がいなければ絶対に出来ないゲームだったりする訳で、これだったらビデオゲームでやった方が面倒くさくなくって良いじゃん、ひとりでだって楽しめるし、なんて思うけどリアルだから、相手が眼前にいるからこその”臨場感”って奴がプレーしている人たちのとって快感になっているんだろー。ちょっとやってみたい気もしたけど、それにはまずは友だち作りから始めなくっちゃ。実はこれがいちばん大変なんだけど。

 同じ理由でグラパックジャパンって会社が出したサッカーがテーマのボードゲーム「レジスタ」ってゲームにも興味がありながら手が出せず地団駄。サッカーの長方形のピッチにヘックスを重ねてその上に11人づつチェスのポーンにも似た選手のフィギュアを置き、ターン制で交互に駒を進めていくタイプの内容で、1度に確か2人の選手を3マスづつ動かしながら、ボールをドリブルさせたり3マス先だかにいる相手にパスしたり、6マスだったっけ、遠い相手にこれはサイコロの運も借りながらパスしたりして、ゴール前まで運んでいき、ゴールに3マス以内まで近づかせてシュートへと持ち込むことになっている、らしー。

 およそスピード感とはかけ離れた印象もあるけど、敵味方を含めた選手のお互いの位置関係を把握しながら駒を進めなくっちゃいけない辺りでシステム面からゲームを組み立てる知識とかが必要で、戦術の勉強なんかに役立ちそー。プロのフットボーラーなんかでも楽しんでいるそーだし。攻撃だけじゃなくって、相手をドリブル突破させないための布陣とか、ロングパスを出させないための妨害とかいったディフェス面での思考も必要そうで、やればやるほどハマりそー。値段も1980円と安く大きさも碁盤より小さく将棋盤とどっこいな縁台に乗るサイズなんで、夏とか涼みがてら縁台サッカーなんてしゃれ込むと楽しいかも。その前に友だちを探そー。

 滅多どころかまずはほとんど本について批判めいたことを口にしないし実際、どんな本でも読めばそれなりに良いところがあってそこをガンガン膨らませればやがてはすべてが良くなるって考え方もあったりするんで、アラを探すよりも美点を探す方にいつも力をいれているんだけど、今度ばかりはさすがにちょっとどーしたものかと悩んでしまった霧海正悟さんの「F.T.Girl 光撃のシンデレラ」(エニックスEXノベル、800円)。もちろん美点はあって結賀さとるさんのイラストが可愛いとか結賀さとるさんの口絵が美しいとか結賀さとるさんの挿し絵が萌え萌えだとか挙げればそれなりに挙がるけど、それ以外の部分は頑張っても張り切っても超えられない壁みたいなものがあってなかなか「良し」って言葉が浮かんでこない。

 はっきり言えばノベルズ278ページ使ってプロローグ書いてんじゃねーよってことで、書きたいことを書いた作家よりもむしろ商品としてこれを「良し」とした編集への疑念が浮かんでしまう。冒頭、「地球最後の日 ありすはどう過ごす」ってゆーメールを受け取った中学生の水瀬ありすがの意識が遠のいた場面から一転して、舞台はファンタジックなどこぞの国、不思議の国のアリスをモチーフにしたよーな女王様がおさめるその国で、シンデレラに白雪姫に7人の小人に星の王子様をモチーフにしたよーなキャラがオリジナルとは一片した性格属性でもって、アリスの配下として得体の知れない輩を相手に戦うエピソードがスタートする。ふんふんなるほど水瀬ありすはきっとここに落ちて来るんだな、案外とアリスって女王様の対の存在だったりするのかな、なんて予想をしながら読んでも読んでもありすは来ず、不思議の国で苦労した挙げ句にバトラーになったおとぎ話の主人公たちの近況が淡々と繰り広げられる。

 アリスが来るのが実に162ページ、全体から言えば半分以上経った時で、残りの枚数でいったいどんな活躍を見せるんだろーか、あるいはまさか降りて来るまでを描いて後は続編だなんて贅沢なことを考えていたりするんだろーかと想像したら案の定、ろくすっぽ活躍もせず不思議な国の中でどれだけのキーパーソンかが明らかにされることもなく、ましてや冒頭の「地球最後の日」ってのが何でそれに対してありすの行動がどんな意味を持つのかが明示されることもない。動機がまるで見えない中を水瀬ありすにあろーことか記憶を取り戻すために必要な13もの冒険が与えられて終わるとゆー衝撃のエンディングに腰が抜けた。

 おとぎ話の住人たちのおとぎ話とは違った役回りでの存在が、記憶を失ってしまった主人公とどうリンクするのか、ありすが落ちてきたのはどんな世界でどういう理由で存在しているのか、なんてあたりをせめて示唆しつつそこからありすが抜け出して、これまた謎めいた「地球最後の日」を超えてどんな地平へと歩を進めるのか。そんなとっかかりがれば次への興味も持てただろー。せめてちょっとだけでも早くありすが異世界へと落ちてきて、シンデレラたちの活躍と平行する形でその彷徨なんかが語られていれば、2つがいつ重なるかって興味を持てたかも。ともあれ始まってしまった以上は続けてもらわないければいけない訳で、せめて次巻では記憶を取り戻す目的だけじゃなく、その記憶がどんな価値を持つのかまでを含めて語って、物語世界への読む側の関心を誘ってやって頂きたい。13個まとめて記憶が回復したりして。それは早すぎ。


【7月27日】 ミッキーミニーにドナルドグーフィーといった年代を超えメディアを超えて支持され続けているキングダムな住人たちを昔も今も、そして未来永劫大事にし続けるスタンスを堅持する一方で、貪欲にも新しいアニメーション作品を毎年どころかほんとど毎シーズン作り続けては、そこからさまざまなビジネスを立ちあげる努力を怠らなかったって意味で、ウォルト・ディズニーの凄さ素晴らしさってのを作品への好悪は別にずっと感じてはいたけれど、それもそろそろ考え直し時なのかなあ、なんてことを思ったブエナビスタホームエンタテインメントのビデオラインアップ発表会。なるほど「モンスターズ・インク」のよーに新規立ち上げのキャラクターのパッケージ化も混じってはいるけれど、一方でこれから続々と投入されるビデオオリジナルって作品の、ことごとく旧作の続編続々編だったりする状況に、今ひとつ釈然としない印象を覚える。

 「ライオンキング」のよーなオリジナルで立ち上げた物語でなおかつ、成長を描く物語だったらまだ続編とか作りやすいだろーし見てもそれほど違和感はないけれど、これがいわゆる名作傑作の類になるとどーしれそれで続編が作れるのかが分からない。「シンデレラ」の王子様と巡り会ったその後って何? 「ピーターパン」のウエンディに娘? ほかにも「ダンボ」とか「美女と野獣」とかさまざまな名作群の続編ってやつがビデオオリジナルでもって3年間にわたって着々と作られていくとかで、小説で読みアニメで見て感動したあのお話しの先がいったいどーなってるのかって興味をそそられる傍らで、せっかくの感動をぶち壊しにされやしないかって不安も覚える。

 そりゃ傑作アニメの続編って奴はアニメファンにとっては昔からのマストなアイティムだし、ビジネスとしても過去の遺産で支持層が確保できるって意味でやりやすいってことも分かる。「ガンダム」なんて出せば「F91」でも劇場版でも確実にDVDで10万本はいくくらいのスケールがあるそーで、それが支えとなって海の物とも山のものとも分からない作品が作られ、中から次代につながる傑作が生まれることだってある。けど作られた続編が最初を超えられるなんてことは滅多になく、売れているとしてもそれは作品としての評価より”キャラクターグッズ”的なニュアンスの方が大きかったりするのが通例。先例を超えようと頑張っている人たちは大勢いるし超えているものだってあるけれど、売る側にとってはやっぱり名前に保険をかけている所があって、どーしてもビジネス臭さが漂ってしまう。

 キャラクタービジネスって意味ではなるほどディズニーは世界をリードする会社で、アニメーションから生まれたキャラクターをさまざまなジャンルへと発展させてはワールドを作ってドリームを与え続けて来てくれた。けど同じアニメーションでキャラクターを使い回すって発想が、この何年かで一気にふくらんで来たのは何故なんだろー。そこに市場があることに気が付いた、ってことなのかそれとも新しいワールドを創造するだけのパワーが涸渇しかかっているってことなのか。名作傑作群の続編ならまだしも世界的にヒットしたとは言えない「アトランティス」に「ムーラン」までも続編と作るってあたりに、得体の知れない気味の悪さを覚えてしまう。誰が見たいんだろ、「ムーラン」の続編なんて。僕はちょっと見たい。あれでなかなか可愛いのよ。

 その意味で言うなら乞われても望まれても頑なに続編とか作るのを拒否して常に新作を送り出すことに命を張ってきた「スタジオジブリ」の宮崎駿監督高畑勲監督は根っからの創造者(クリエーター)ってことになるんだろーし、映画は映画で収益を取るって方針を立てて貫いている鈴木敏夫プロデューサーの信念の堅さかも興味深い。作れば「となりのトトロ」の続編なんて多分わんさと親子連れが集まるだろーし、米国なんかで評価の高い「魔女の宅急便」なんかきっと続編を出せば日本以上に大受けするだろー。けどやらない。やって欲しいとも思わない。続編なんか作ってる暇があったら別のを作れって言うだろー。とはいえ徳間書店が映像部門のひとつだった大映を角川書店に売ってしまった状況のなか、ジブリの方だって本業に絡まずおまけに儲からないってことになったらどーなることか分からない。もしかすると提携しているディズニーに居抜きで売り飛ばされちゃって、「トトロ2」とか「魔女宅2」とか「ぽんぽこ2」とか「豚2」とか作り始めるなんてこともあるのかな。怖いなあ。でも見たいなあ。「となりの山田くん2」。

 「ガンダム」さまさま、なのかは分からないけど景気がもしも悪かったらやっぱり冒険だと思われただろー神林長平さん原作のアニメーション「戦闘妖精雪風」がようようお披露目されたんで杉並公会堂まで見物に行く。さすがに世界の神林さんだけあって場内はすでに神林ファンで超満員……だったらとても嬉しかっただろーけど超満員は超満員でもおそらくは来場者の8割3分はもう1本の方のプログラム、その名も(赤面するなよ)「おねがい☆ティーチャー はちみつ課外授業」ってイベントを見物に来た人で、美少女がパンツとか見せたりバストとかゆらしたり可憐につぶやいてみたりするアニメに夢中(萌え萌えって奴ぅ?)な男子諸君&出演者の男性声優目当ての婦女子が果たして、ハードでスタイリッシュでクールな「戦闘妖精雪風」のワールドを、ちゃんと楽しんでくれるだろーかポップコーンとか投げたりしないだろーかと不安げに上映を見守る。

 印象から言えば「GONZO」なアニメ、ってゆーのがまず第一で、つまりは「青の6号」でもあったよーにデジタルな3Dのメカが違和感もあらわにアニメな画面に登場しては「エースコンバット」よろしく空中戦を繰り広げる一方で、しっかり描き込まれた人物が割にちゃんとした演技をする背後に、いわゆるアニメの文脈とは違った音楽が流れたりするって感じで、「ヘルシング」なんかも含めて割に見慣れた目にはまたかって映ったけれど、萌えアニメな人の目には果たしてどー映ったかがちょっと心配になる。けどまあ3DCGなエンジェル機が唐突に登場しては宇宙をデジタルっぽく疾駆する「ギャラクシーエンジェル」を見慣れ過ぎた人が全体の1割8分はいたみたいなんで、そこんとこの壁は割にあっさりと超えられたかもしれない。

 問題はやっぱりお話しの見え無さってゆーか、とにかく連作短編を積み上げていきつつフェアリィ星って場所の様子に人間とジャムとの戦いのプロセス、ブーメラン戦隊を含めた軍隊って奴等が持つ摩訶不思議なメンタリティを理解させ、その上で人間とか、機会とは、コミュニケーションとはってなテーマを描き出していく話なだけに、そーした背景描写をいっさい抜きにいきなりどかんと戦闘シーンをぶつけ、ブーメラン戦隊に対する「死神」って言葉を仲間に吐かせ、不可触領域でのあれやこれやを描いても原作を読んでないとちょっと、ってゆーかとっても分かりづらいかもしれない。それはまあ、見た人がだったら原作もってなれば早川書房的には万々歳なだろーけれど、独立した作品としてやっぱり成立して欲しい以上は、思わせぶりな演出はやっぱり極力避けて欲しい気もした。真っ当な段取りを踏まない作り手の思い入れ作品に辛いあさりよしとおさんが「アニメージュ」のビデオ評でが星いくつつけるか楽しみ。

 いっぽうで原作を知っている目にはなるほどあー描かれているのかってゆーのを確認しつつ見られて相当以上に楽しめた。3DCGの戦闘機に最初スピード感がなく地上を牽引されている場面でも重さがなくって戸惑ったけど、考えてみれば「SFマガジン」に連載中の多田由美さんの漫画に出てくる雪風もてんでスピード感浮游感がなかったりするんで、すでに見慣れているってゆーか、多田さん別に好きであー描いてたんじゃなくってアニメのとーりに描いてたななって気づくとゆーか(そーなのか?)、とにかく頭を悩ませるほどではなく、やがて始まったスーパーシルフどーしのこちらはスピード感も迫力も12分な戦闘シーンに圧倒されて、ぐぐぐぐぐっと世界に引きずり込まれた。

 キャラクターについては文句なし。デビューした時からの多田由美さんファンとしては、あの多田さんの絵がまず動いているってことに感動し、そんな多田さんの絵で深井澪が、ブッカーが、クーリィが描かれ動き喋ってるってことに感激してもう言葉も出ない。ブッカーの声があんまりアーカードには聞こえないのもマル。帰投した零に向かってジャッカルとか向けて「死ね」なんて言うブッカー、あんまり見たくないし。でもちょっと見たいかも。クーリーはしわしわだけど思ったほど婆さんには描かれてなくってこれもマル。声がねえ、これまた良いんだよねえ。音楽は体重いまや100キロ近い三柴理さんのみかけによらず繊細でクールなピアノがクールな世界にどハマってて最高、サントラ買うね、絶対に。ってな感じでともかくも見た1巻は、雪風ファンも神林ファンも航空機ファンも多田ファンも森雪ファンも買っておくべき逸品。もちろんアニメファンもだ。ムッシュかまやつファンは……どっちでもいいかな。

 関係者出演者によるトークも終わってSFな人が抜けた後も居残って本命な「はちみつ課外授業」を見物、司会役を金八な格好で務めた小野坂昌也さんの出演者イジり客イジりがなかなかに強烈で、これが始めてのイベントって人だともしかしたら気持ちの快さを失ってしまったかもしれないけれど、見ていて怒る人泣く人がいなかったのを見ると、アニメ関連のイベントで司会者にイジられるのって定番になっていたりするのかな、まあお仲間意識で盛り上がれるんだろーけれど、やりすぎると外に向かってますます閉じてしまうんで、深入りし過ぎない方がいいかと。声優イジりでは思わずイジられた女性陣から小野坂さんに向かって「あんた事務所どこー」って声が飛んだのはあるいはホントにキレかかってたのかな、身内受け狙いにしてはちょいナマナマしかったぞ。


【7月26日】 「ワンダーフェスティバル2002夏」のガイドブックを買ったついでに久々にボークスにも寄ったら張り紙が。見ると何だか手違いとかで、夏の「ワンフェス」に出展できなくなったその告知だそーで、何でも担当者がてっきり申し込んだつもりになっていたら実は申し込みが行われていなくって、てっきり出られる気でいたボークス側では商品なんかもちゃんと用意して雑誌なんかに案内もしていたものだから、揃えた商品なんかが宙に浮いてしまった形になって、仕方なく「ワンフェス」前の土曜日と当日の日曜日とかに、秋葉原で販売することになったとか。

 想像するなら単純に申し込みを忘れてたってことが最大の理由で、邪推とかの入り込む余地はなさそーだけど、もしそーだとするならこのイベント、ある意味とっても”公明正大”な運営がなされてるってことになる。一般参加してくるディーラーさんとはまたちょっと違うニュアンスをもった企業で、もうこの何年だか店を出してたはずの所が今回に限って申し込みがされていなかった時に、一般的な商業イベントだったら「どないしはるんですか」ってな”お声掛け”をしてみるもののよーに思うけど、それが多分なかったからこその今回の不出展ってことに至った訳で、開場のレイアウトをちょいいじって場所を作ってあげる、なんて融通も利かせることもないってところにも、杓子定規なまでの運営方針がうかがえる。

 まあ買ったパンフレットの配置図なんかを見ると、西館での久々の開催となった今回は1ホールと2ホールとそれからアトリウムまで使ってもなお場内ギッシリって感じのレイアウトで、新しく混ぜ込む余地なんて見えなさそーなんで、たとえ大手と言えども手続きが行われていない以上はお引きとり願わざるを得なかったのかも。トークショーとか開かれていたイベント用のステージも今回は見えなくって全体に割にガチンコな造型イベントに回帰してるって印象。「チョコラザウルス」はあるみたいだけどコナミはいないしグリコも今回は出てないよーで、食玩目当ての大行列とか減りそーだし。前回みたくするするっと入場できると嬉しいな。

 作ってくれ、って言われても昨日の明日では無理だろーからせめて冬の「ワンフェス」には誰か作って頂きたいものだと、倉田英之さんの新刊「R.O.D 第6巻」(集英社スーパーダッシュ文庫、495円)の103ページに掲載された読子さんの悶絶せくしぃなイラストを見て強く切実に願望する。ショートタイプのチャイナドレスをまとった読子さんの短い裾からは普段よれよれでボロボロのロングコートとロングスカートに隠された紙よりも白いナマ足がにょっきと伸び、ただでさえ膨らみを強調するよーにピチピチに縫われた胸元は「不必要に成長してしまったその大きさを強調」しるかのよーに下から激しい押し上げがあって、見るものの目をひきつけて止まない。しかも眼鏡っ娘。娘とゆーにはいささか年齢がいってる気もするけれど可愛いから気にしない。

 残念なことに晴れの中国シリーズなのに、そんなサービスカットは1枚だけであとはいつもながらのよれよれ衣装でもって盗まれた「グーテンベルク・ペーパー」を探して北京市内を歩き回るんだけど、代わりといってはタイプはまるで違うものの前回あたりから確かご登場のエージェント、ナンシー・幕張(何てぇ名前だ)ちゃんがバストもあらわなライダースーツっぽいボンデージ入った衣装で表紙にイラストにとご登場していてくれるんで、読子さんの方はいずれの機会に譲って当面の煩悩はナンシー・幕張で満足させることにしよー。それにしても不思議な力使いだねえ、ナンシーも敵のエージェンも。とくにナンシー。どーして服まで一緒なの?


【7月25日】 世界最大のオンラインショッピングサイトが日本で決算の会見をやるから来てくれって言われて行ったものの、昼食をとりながらになるらしー会見場に用意されたテーブルは名札があらかじめおかれた指定席で、グルリと探してはみたものの名前がなくってしばし立ちすくみ、セレブな席に紛れ込んでしまった庶民ってな場違い触に気まずい思いを抱きつつも、所属するメディアのマイナーさを思えばも当然をあきらめ、隅にどうにか椅子だけ置いてもらって会見を聞く侘びしさを味わった翌日は、聴いてみたいと思っていた大澤真幸さんと東浩紀さんの珍しくも面白そーな対談がすでに予約で満員御礼で、すでに及びじゃなかったことをしってしばし呆然とする。

 相次いで訪れる身の不幸のこれは、先月にW杯決勝の「ドイツVSブラジル」をナマで見られた僥幸が今年の運気をすべて吸い取ってしまったことが背景にあるんだろーかと想像しつつ、だとしたらいったい残りの5カ月間をどーシアワセに過ごせば良いのかと悩み悶える。とはいえ記者会見お呼びでない事件はまあ、運とゆーよりも単純にヒエラルキーの問題なんでどーしよーもないし、対談の方も別に中に入って聴かなくたって、入り口付近なり壁の裏側にあたる書棚あたりに2時間、立ちっぱなしでいれば声くらい聞こえないでもなさそーなんで、悪運を逆に利用するくらいの覚悟で当日は近くまで行くくらいのことはしよー。入り口付近からはタダ聴きはイカンとハタキで追い払われ裏側の書棚に立っていると地震で本の下敷きになる、なんてことも想像できるけど、運ないし。

 新しい秋葉原駅前のランドマークになるのかならないのか、分からないけどとりあえずは目立ってた「ゲーマーズ」の新しい店なんぞを見物。屋上にさんぜんと輝く「デューティーフリー」な看板が「でじこ」な店らしくなかったのは気になったけど、端にまだ免税店が残っているから看板を一気に「でじこ」とか「ゲマ」にできなかったんだのかも。正面にはしっかり巨大な「でじこ」の看板も残っているし、あんまり目立つと「パヤパヤ」にのっとられてしまうんで、とりあえずは店を構えるだけにしておいたのかな。それでも中の方は階段の踊り場ごとに割に大きな「でじこ」の結構可愛いイラストが描かれていて良い感じ。まんま切り取って持って帰りたくなったけど削岩機とかないと無理そーなんで、写真くらいに留めておこー。今度こっそり撮ってこよ。

 下から3フロアがほとんど本屋ってのはちょい意外で、「ゲーマーズ」ってんだからせめて1階くらいはまるまるグッズを置いて欲しかったところだけど、イベントで限定品を出せば結構売れるグッズも普通に売られているものについては秋葉原って地に集う人の属性もあるのかあんまり見向きもされない可能性があるんだろーか、種類も数もそれほどじゃなくって「デジキャラショップ」で売り出した店もちょっとした転機にあるのかな、なんてことを考えてしまった。もっとも渋谷にできた「でじこ屋」の方は、1階のほとんどが膨大なグッズを売るフロアになっていて、遊びに出てくる子供たちを狙っている感じ。つまりは「でじこ」がアキバーなキャラからサンリオーなキャラにちょっとだけ、近づいたって現れだったりするのかも。2週間くらい前は渋谷、あんまりってゆーか全然人がいなかったけど、夏休みに入った今くらいだとどーなんだろー、地の利の悪さを克服して子供をしっかり集めているかな。時間見て観察に行ってみよー。

 本とか買いまくり読みまくる日々。待望、なのかは分からないけど話題性だけなら存分にあるだろー小説版「ほしのこえ」(大場惑、メディアファクトリー、580円)をすばばばばっと読んで、ミカコのどー見ても中学校の制服にしか見えない「トレーサー」のパイロットスーツの正体とか、ミカコたちが住んでた街並みのどー見ても2039年には見えない風景とか、同じく2039年に使われているとは思えない携帯電話機がどーして使われていたのかとか、アニメーション版を見て誰もが突っ込みたくなった事柄にいちいちもっともな理由が付けられていて、ノベライズを担当した大場さんの思考のひろがりに感嘆する。アニメだと感動的なシチュエーションが成り立ちさえすれば時代とか技術とかとの整合性は二の次って意識を見る側も持ててしまうんだろーけど、小説だとやっぱりすっ飛ばす訳にはいかなかっんだろー。ともあれしっかりと、それも納得のいく説明がされていて妙に落ちついた気分になる。

 ハッピーかそれともアンハッピーか、気を揉ませるラストにもしっかりと決着がつけられているのが小説版の特徴で、そこへと至るプロセスでもアニメ版でキーとなった携帯電話を使ったメールのやりとりをそっくり使って盛り上げる筆さばきに、人気のアニメ作品をただ小説に直すだけじゃなくって、アニメ版を超えるんだって意気込みが感じられて読んでいて面白かったしためになった。読んだ上でふたたびDVDを見返すと、割にシチュエーションの上で役割をロールプレイしていただけのよーに見えた主人公の2人に心情の機微が見えるよーになり、2人の過去の生活これからの生活への想像が喚起されて、よりいっそう読者として感情を込められるかもしれない。最初に読んでそれからDVD、って路線はやっても悪くはないけど感情状況を手探りしつつスタイリッシュでノスタルジックな画面を見る楽しみを味わいたければ、まずはDVDでそれから小説が良いでしょー。

 続いて名取なずなさん「テルミナス」(集英社スーパーダッシュ文庫、571円)。前に同じレーベルから出た「サンプル家族 乙女ゴコロとエイリアン」(571円)を誉め称えたもののその後どこにも評判が出ず、うーみゅと訝りつつもやっぱり自分の趣味は人とズレまくってるんだろーか、なんて自問してたんだけど「テルミナス」を読んでその面白さに我が人生に一片の悔いなしと、腕を天に突き出して叫びだしたくなった、家でひとりでこっそりとだけど。登場するのは兄貴と彼の双子の妹と兄貴の方の友人の男子。いろいろあってボロアパートで暮らしていた3人がある日倉庫部屋から見つけた古いゲームをプレイしたことから、とんでもないことが起こってしまった。

 何とプレイしたゲームからエルフの美少女が飛び出して来て、ゲームの結末を変えろとゆーのだ。断りたくても断れない。とゆーのも妹の方にゲームの中に登場するお姫さまのキャラクターがとりついてしまい、要求のとーりにゲームの結末を変えないと消えてくれないのだった。どーやったら結末が変えられるのか。プログラマーを探して書き直させるしかないのか。なんてことを考えながらあちらこちらを歩き回る兄貴に妹に友人にエルフたちのストーリーを主軸に据えつつも、語られているのは兄貴と妹との複雑で、屈折したところのある関係で、どーしてそーなってしまったのか、ってゆー経緯なんかを通して人間どーしが関係を持ちあって生きていくことの難しさ、それでも関係を失わず絆を確かめあって生きていくことの大切さ、なんかを見せてくれる。ゲーム会社のゲームづくりにおけるモヤモヤとした部分なんかへの言及もあってゲーム作りな人には耳を刺激される可能性も。イラストは「サンプル家族」同様にOKAMAさん。アンダーフレーム全開っす。

 ゲーム世界の住人たちにとってのリアルって何かが追究された「テルミナス」とは対称的にゲーム的な世界が広がり始めた現実世界に生きる人たちのリアルって何だろーかと考えさせてくれそーな霜越かほるさんの「高天原なリアル」(集英社スーパーダッシュ文庫、590円)が復活。イラストも木場智士さんに代わってグッとライトノベルチックになったけど前のいしかわじゅんさんの絵がある意味強烈だっただけに、見てもまだちょい違和感があって困る。まあ見慣れれば毒島かれんはこんなもんだろーし、神代美代子はもーちょいキャリア女性っぽい体躯に風貌でも良いって気もするけど許容範囲、毒島康子は……なるほどおかんです。20世紀の傑作ヤングアダルトがここに再登場したのは嬉しいことこの上ないけど個人的にはとっとと「双色の瞳」の続きを出して欲しいところ。出るのかなあ、出ないのかなあ、出せやゴルァ。


【7月24日】 「猫の恩知らず」を見た。毎日のよーにぶっかけご飯をあげ硬いブラシで毛をすき指先でプチプチとノミを取り、頭をゴリゴリと撫で喉を拳骨でゴロゴロとやって可愛がってあげたのに、3日経てば恩なんて雲散霧消する猫だけにとっておきのステーキ肉を、勝手に冷蔵庫から引いていってしまって挙げ句に、部屋にでっかく粗相をして知らん顔の猫を相手に悪戦苦闘しつつも、独り身の寂しさからかやっぱり猫が気になって仕方がない中年男のうら哀しい生活を綴ったモノクロ映画で……違いました御免なさい。

 改めまして「猫の怨返し」を見た。若気の至りで飼っていた猫の顔に眼鏡を油性マジックで描き髭を切り耳をひっくり返して頭にはりつけ風呂に放り込んではシャンプーでゴシゴシとやり晩御飯にはスルメを食べさせるイタズラをしたのがまずかったのか、夜な夜な布団の中へと潜り込んで熱帯夜なミッドナイトに灼熱の夢を見させよーとする猫の、100代だって祟りそーな執念深さを見せるドキュメンタリー映画……でもありません、申し訳ない。

 真っ当に見た「猫の恩返し」は期待していなかった面白さ。期待していなかったのは絵が宮崎アニメでも高畑アニメでもなくストーリーもどことなく地味目だったことから勝手に妄想していたことだけど、ごくごく普通に始まる日常にちょっとだけ見えた異世界が、やがて大きく迫ってきては主人公を翻弄するものの、そこに現れた王子様が華麗に格好よく大活躍してはお姫さまの主人公を救い出し、ちょっぴりラブラブなエンディングでもって締めくくるってゆー王道パターンにのった予定調和的なストーリーラインの中で繰り広げられる展開は、王道だからこそ見ていて飽きず気を惹かれ、予定調和だからこそ「良し良しうんうん」とうなづき安心することができた。伏線の張り方とかギャグや蘊蓄といったおかずの混ぜ方もさじ加減が絶妙で、予定調和的なストーリーラインにいい塩梅で旨味を出していたのも飽きなかった理由、かも。

 全体を言うなら面白くってためになる文部省推薦的なアニメーション映画って印象で、フィルムかついで公民館とか学校の体育館とかを10年とかかけて回って上映しながら大勢のファンを作るタイプの作品って気がしたし、実際そんな感じの感動と教育のアニメーションって割に結構作られているよーに思うけど、多くは社会現象とかにならずに表からはひっそりと見えなくなり、アニメ雑誌も割いてベタ記事の紹介で終わるものなのに、そこは日本が世界に誇るアニメスタジオのジブリの作品だけあって、大劇場で全国ロードショーされ大勢の観客が見てはそれなりな感銘を得て認知もしてもらえる。

 別にアニメ業界の関係者でも映画業界の関係者でもない、映画は封切りを劇場で見る人間だけど他のアニメスタジオの人の気持ちとか想像すると、やっぱり羨ましいと思っていたりするのかも。ちょい暗いし話も重いけど素晴らしさでは負けない「アリーテ姫」なんて「猫の恩返し」を見た人のどれだけが知ってるんだろー。話は結構複雑だけど娯楽の要素では負けてない「千年女優」が完成から1年半経っても公開されない状況って何。とかいろいろ思うけれど、ジブリって看板がまずあってそのラインで作られ世間の期待を受けながら公開されるってアドバンテージは例えあっても、それに負けないだけの質のものを作って来た訳だから仕方がないのかも。

 願わくば「猫の恩返し」がジブリだからってんじゃなく、アニメだから面白いんだって意識のされ方としてだったら次のジブリ作品もってんじゃなく、別のアニメも見てみようかなって感じで観客に影響を与えてくれれば嬉しい。そーなってくれれば作り手だって、萌え要素ぶち込みで客の気を惹くとか、大家の名前で箔を付けて客をうっちゃるとかいった作品なんて無理にやらなくて良くなるし、見る方だって劇場で唖然呆然とせずに済むから。関係ないけど「シックス・エンジェルズ」ってどれかけ人が入ったんだろー。「シャム猫」のDVDって誰が買ったのかな。

 王道にして予定調和だからこ喚起される感動、ってのがあるならそれがズッポリとあてはまる小説が平谷美樹さんの「君がいる風景」。若くして死んでしまった同級生の少女を過去に戻って助けたいと願う大人3人が、卒業した学校に残る伝説を使って願い事をかなえようとしてとりあえずはひとりだけ過去の自分に意識をスリップさせることに成功するものの、当の少女がいつ、どんな状況で死んでしまうのかってゆー肝心な部分の記憶が欠落してしまっていて、焦りつつも何とかして彼女を救おうと奮闘する。

 いつ何が起こるかが分かっていて行動する「リプレイ」(読んだことないけど漫画版「リプレイJ」がそーだから多分そーなんだろー)の溜飲が下がる感じも悪くないけど、いつか何かが起こるとはしっていてもいつ何が起こるかまでは分からないもどかしさの中で、それでも懸命に頑張る展開は、主人公と同じよーな先のもやっとしか見えない不安感を読む方にも与えてくれて、先へ先へとページを繰らせる。最後に来て伏線にアッと驚かされた「猫の恩返し」にも似た、後に生きてくる伏線があって、多少はあからさまではあるけれど「なるほどだからそうなのか」って感心は抱く。

 鍵はタイムスリップにつきものの「過去は変えられない」的な命題の処理だけど、ストレートな感動を与えることを旨とするタイプの話で、その種の議論を大人がするのも野暮ってもの。読んだ子供が人を救いたいとゆー気持ちを持つこと、そのためには何をすればいいのかを考えること、将来は自分の望む方向には進まない可能性があること、けれども可能性は可能性であって頑張れば変えられること、なんかを感じればそれで十分にジュブナイルとしての役割を果たしてるって言えそー。問題はそんなピュアな感動をストレートに得られる世代ってのがどれくらいって部分で、中学生では多分もう無理、小学校4年5年6年あたりの学級文庫に放り込んであったら何とかメッセージを受け止めてもらえそーだけど、そーゆーレーベルでは今なないからなー、「ソノラマ文庫」って。同時発売が何しろ「ヤプーズ」のトリビュート短編集、だもんなー。


【7月23日】 何がこの世の中で羨ましいかって言われれば、単行本の表紙を萩尾望都さんが描いてくれるくらいに羨ましいことはないんじゃないか、って思うけどそれを前に著書はあるけどどちらかと言えば児童文学で、大人に向けた本ではデビュー作って言って良さそーな単行本のそれも決してメジャーではない出版社から出た本に、堂々萩尾さんが表紙を寄せているのを見るにつけ、メラメラと嫉妬の炎が燃え上がり、だったら一体どれほどの話なんだと意気込んで小松多聞さんって人の「神異帝記」(郁朋社、1500円)を読んだらこれが意外、なんて言うも失礼にあたるくらいに端正で、ダイナミックで奥深い歴史ファンタジーに仕上がっていてこれなら萩尾さんが表紙で、全然異論はないと脱帽する。

 何しろ歴史にかけては今や本家の教授にまでなってしまった豊田有恒さんが選考委員を務める「古代ロマン文学大賞」で優秀賞を受賞した作品。「古代ロマン文学大賞」なんて知らないって人も大勢いるしかくゆう僕もその存在なんてまるで知らず、第1回目を誰がどんな作品でとったかも分からない賞だったりするけれど、少なくとも第2回の今作品については正直なかなかなもので、あるいはこれなら1回目の名だたる人が受賞したのかも、なんて思えてしまう。けど面倒くさいから調べない。外れてる可能性も大だしね。

 さても「神異帝紀」は何よりまずもって目の付け所が良い。神武以来連綿と続いているとされている皇統だけど実は1度、途絶えかけたことがあって人によっては本当に途絶えて簒奪されたんじゃないかってことも言うけど真相は不明。ともかくもそーいった点で衆目を集める継体天皇の即位にフォーカスを絞って、彼の即位を支えた1人の少女がたどった神々しくも苛烈な生き様を描き出している。名を奇姫とゆーその少女は、浦の島子とゆー男の娘で近江あたりに暮らしてたんだけどある日、かつて幼武天皇によって滅ぼされた一言主の降臨を受け身に神を宿し、いずれ葛城の地に一言主を返すことを使命に得て、以来強力な剣士としてその力を振るい始める。

 折しも世は固まり書けた大和朝廷の基盤が往時の大王の振る舞いもあって危機に瀕していた時期。その大王はやがて史実のとーりに近い子孫を残さずに崩御し、次の日子の座をねらってかつての大王の血を引くとゆー皇子たちを担ぎ出して豪族たちが大和に向かって進軍を開始する。困ったのが大和をささえる豪族たちに皇族たち。次の大王を継ぐ資格をもった人物を探し出したは良いものの、老いて歪んだ器にはなかなかに荷の重い役割だったよーでかえっていっそう混乱が広がってしまう。そんな時、大王を支える人物として白羽の矢が立ったのが近江地方を統べていた袁本杼(おおど)という名の青年王。はるばる大和へと遠征しては大王に背く豪族たちを平らげる役に就いた。奇姫はそんな袁本杼の戦の常に先頭にたって、まさに神がかりの強さでもって敵を打ち倒し、その名を大和に轟かせていった。

 どうして奇姫には一言主の力が宿ったのか。袁本杼を大王に就けるためだったのか。それとも葛城に一言主を復活させるためのものだったのか。邪神の復活を阻止したい大和朝廷の思惑に、奇姫の台頭を妬む先帝の姉の画策もあってやがて奇姫に魔の手が伸び、やがて悲劇が訪れるのだった……。継体天皇とゆー歴史の上でも謎の多い大王の登場と就位を往時の軍事的経済的政治的な情勢を存分に勘案した上でリアリティたっぷりに描き上げている点で、ひとつ歴史小説ならではの「見てきたよーな本当を知」る気分を味わえる。プラス不思議な力を持って大活躍し、その力が災いとなって放逐されるまさにジャンヌ・ダルクの再来、ってゆーか時代は前なんで前身とも言える奇姫の神に翻弄される運命が意味する、宇宙規模での輪廻転生めいた設定のスケール感に圧倒される。光瀬ばり、って言えばあるいは通じるところがあるかもしれず、なおのこと萩尾さんの表紙はピッタリだったと思えて来る。

 大和を挟み平安もひっかけた物語の前後を挟む昭和だか平成といった現代のパートが最初は蛇足に思えたものの読み終えた今は必要不可欠なパートで、これのとりわけ後段に心打たれたどり着いた安寧に涙を流しながらも喝采を贈りたくなった。欲をいえばジャンヌ・ダルクばりの大活躍を主人公として見せて欲しかった気もするけれど、それをやっては数ある女剣士の冒険譚に収まってしまってラスト近くに見せられる遠大なビジョンもかすんでしまう。この形での登場でむしろ良かったんじゃなろーか。会話の部分が仮名遣いこそ現代ながら言葉が文語チックで馴れない間はちょっぴり戸惑う。けど馴れればなるほど格調もあっていい感じ。怪我の光明かそれとも意図した効能か。本業は広告代理店勤務らしーけど大阪のどの会社かは不明。とはいえ尼子騒兵衛さんが帯を寄せてるってことは、例の巨大会社の関西部門ってことになるのかな。

 死にそうになりながらお台場は青海にある「日本科学未来館」に松本零士さんと毛利衛さんが企画に絡んだ展示会の内覧会を見物に行く。挨拶とかテープカットもあって賑やかだったけど、どちらでも登壇しては話した御大・松本零士さんの話がとにかく長くって、聞けば中身は自分の原典は火星人がいるかいないかを調べよーとしたことにあって、その意味で火星はとっても大切な星だったりして、自分が行くのは無理だろーけどいずれ遺伝子には絶対に行ってもらいたい、ってな話から10年前に毛利さんにスペースシャトルで自分の腕時計を宇宙へと持っていってもらった話から数十分を延々と話した関係で、記者会見では質疑応答がほとんどなく、テープカットも他のメンバーの紹介が駆け足気味になったりといささか影響が出たみたい。話自体は楽しかったし為になったから良いんだけど、人よっては飽きる可能性もあるしだいあいスケジュールがズレてしまうんで、これから松本さんをスピーチに使う人は、ケツの時間はある程度意識させておくのが吉かも。これでもしも小松左京さんが来てスピーチしてたら2時間だって終わらなかったかもなー、式典。

 松本さんの後の毛利さんは記者会見はそそくさと占めたもののテープカットでは割に長めの登壇となって、もしかして松本さんを意識したのかな、なんて勘ぐりをしてしまった。あるいは刺激されて話したいことが山を増えてしまったとか。そんなこんなでしづしずと終えたテープカットの後は展示物の見学で、さてもどんな中身なんだろーと入ってちょっぴり頭をめぐらせる。火星へと人類が行くためには不可欠な技術として挙げ、カーボンナノチューブの実用化がなあれれば実現の可能性もぐっと高まる「軌道エレベーター」をいろいろな角度で紹介している部屋からスタートしたけど、模型で軌道エレベーターを作って地球に対してどれくらいの大きさを持った構造物なのか、って辺りまでは流石に見せてくれていなくって、パネルとかちょっとしたジオラマから地球に対する大きさなんかを想像しよーとしたけどやっぱり出来ずに悩みまくる。

 地球儀でもおいて横にちょいっと「軌道エレベーター」を張り出させれば、大きさとかイメージできて「こんなもんか、だったらお金も出せるかな」なんて想像を来場者の人にさせられて、将来の予算確保につながったかもしれないのに、なんて考える。火星の石とかもあったけど隅っこにぞんざいに置かれていたのも意外。かつて「月の石」を見に万博の「アメリカ館」を山ほどの人が訪れた状況を思い出すと、この温度差って何なんだって不思議に思う。火星がブームじゃないってよりは万博い比べれば何だって小さなイベントに過ぎないってことなんだろーけれど、でも月とスッポン火星と月って関係から言えば、もっともーっと人が取り囲んでても良さそーなんだけどなー。ほか見る物は「銀河鉄道999」第1話の原稿に「宇宙海賊キャプテンハーロック」のコピー・アルカディア号利用原稿に劇場版「999」のセル画くらいかな、ってつまりは見るところほとんどなかったってことなのか、うーんノーコメント、詳しくは明日オープンのイベントを見て自前で判断しましょー。メーテルの人形のありゃ一体何なんだ?


【7月22日】 そりゃまあ宮崎駿さんがアカい人だってことは知っていたし出たばっかしのロッキング・オンのインタビュー集(渋谷陽一さんの「はははははは」の数を誰か数えて下さい)でもアカっぽさを語っていたけど、だからといってDVDまで赤く塗らなくたって良いじゃないかと思ったDVD版「千と千尋の神隠し」。デジタルで作られ場所によってはデジタルで上映されたってこともあって、劇場では見た時にまず目の覚めるよーな鮮やかさが飛び込んで来た記憶があって、ピーカンの空とか海とかを描いたシーンでその鮮やかさが実に素晴らしかったんだけど、再生したDVDは冒頭からどこかくすんだ感じを受けて、うーんちょっとヘンだなあ、なんて思っていたらあちらこちらで「赤強すぎ」の意見が。言われてなるほど千尋の白いはずの服が妙に赤茶けてたり、青い空を漂う雲も夕焼け雲のよーだったりして、全体に赤が乗りすぎていることに気づく。かい・ようどうさんに「『千と千尋』は赤く塗れ」なんて言われたのかな。

 最初は当然ながら販売している会社に行き違いがあってあーいった色合いになったのかと思ったら、製作元がオッケーを出した色味でむしろ劇場版なんかよりもスタンダードな色味だってことで、販売しているブエナビスタは当然ながら製造元でもとくにミスだと考えている様子はないみたい。あるいは見る人の健康とかを考えて鮮やかさよりもくすみを取ったのかとも思ったけど、気にすると気になってしかたがないのが人間って生き物で、赤が乗りすぎと知った今では前だとちょっとくすんでるかな、ぐらいだった思いが「アカイアカイチヒロガアカイ」といった具合に強く激しくなってしまって、感情の入れ込みを阻害してしまう。今は仕様だって言ってるらしーけど、異論が広まっていったら多少は何かしてくれるんだろーか。対応を謝ると「Xbox」が陥った悪評のデフレスパイラルに陥りかねないだけに是非、ここは失敗しない対応を見せてもらいたいところ。

 隣に怖い人とかいないんで「スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃」を徹底して誉める。いや心底から面白かったんだよこの新作は。聞こえてくる噂はアミダラにアナキンのアナクロなまでにベタベタなラブスストーリーが中心を占める前半がとてつもなくつまらなく、だからこそ後半に集中している戦闘シーンに我らがヨーダのチャンバラが面白くって仕方がない、なんてものだったけどそーした評判が聞こえるにつけ、むしろ期待が高まりすぎてしまったんだろーか、スクリーンに映し出されたヨーダとドゥークー伯爵のライトセーバーを使ったチャンバラを見ても、紙一重で命をやりとりする緊迫感がそれほど感じられず、ああチャンバラをやってるね、ってくらいにしか思えず今ひとつノれなかった。だってヨーダ絶対に殺られない訳だし。

 敵のロボット兵とジェダイとの白兵戦もまあ同様で、前回のカエル軍団対ロボット兵とのバトルよりは面白かったかもしれないけれど、ひとつひとつの殺陣にこだわりの演出がほどこされた、その集合体としての合戦シーンに割に見慣れた目にはただ、ぶっとい剣をブンブンと振り回しているだけの美学の欠片もないチャンバラシーンにしか見えなかったりして、これまたそれほど感銘は受けなかった。とはいえ探せば無理にでも苦言を引っ張り出せるって程度で、見ている間はヨーダのバトルもジェダイの白兵戦も存分に楽しめたりした訳で、その点ダース・モールとクワイ・ガンジンとのバトルしか見所のなかった前作「エピソード1」よりも遙かに面白かったと言えるだろー。

 それより問題と言われた前半の、ラブラブシーンが案外に楽しめたことが個人的には驚きで、なるほど見ていて赤面するくらいに単純きわまりない心の機微によってくっつき離れてはまたくっつく展開が繰り広げていたりするけれど、考えてみればテレビのトレンディドラマなんかではこの20年ばかり、いかにもな人物たちがいかにもな恋愛を臆面も屈託もなく繰り広げ来た訳で、そんなものを見て育った目にはアミダラとアナキンのラブラブシーンも実に見る側の「次はこーなるんだぜ」的な気持ちに即したものと言え、憤るどころか事実そーなっていく展開に、実にすてきに気持ちをシンクロさせることができて楽しめた。

 それとむしろこっちの方が重要だけど、ラブラブシーンと交互に遠くの星でイチャつく弟子を知ってか知らずか、嵐の星に潜入しては謎の陰謀にでくわし強敵と出会い敵をおいつめたと思ったら窮地に陥る「レイダース」はインディ・ジョーンズ教授ばりの大活劇を見せてくれたオビワン・ケノービのエピソードが挟まれたことによって、あっちてラブラブこっちでドタバタとゆー対比を意識して楽しむことができたのも、前半に気持ちがダレなかった理由かも。ジェダイだからって理力を使って先を読み状況を勘案しながら慎重にことをすすめるでもなく、行き当たりばったりに突き進むオビワンにアナキンの間抜けさ加減を思うと気持ちも引っかかるけど、1000年続こーとわずか数十年で滅ぼされてしまった奴らがジェダイだったりする訳で、純粋真っ直ぐ野郎の陰謀渦巻く時代へのそぐわなさぶりを見せてるんだと思えば、なるほどあーいった吶喊的な行動原理も存分に理解できる。

 だいたいがマスター中のマスターの癖して張り巡らされた陰謀にまるで気づかないヨーダごときに率いられているジェダイだったりする訳で、パルパティーンだかシスの暗黒卿だか知らないけれど、そのたくらみにまんまとのって共和国が軍隊を持つことを許してしまい、あげくに共和国を苦しめることになるクローン軍団を引っ張り出して来てしまうんだから不思議というか可笑しいとゆーか。つまりは「エピソード2」、そろいもそろって大間抜けだったジェダイがあたふたしたあげくに自爆する喜劇だったってことになるのかも。そー思えたからだろー、間抜けな展開もむしろギャグと受け止め笑いに紛れて見通すことができたし、傑作との感想も持つことができた。願わくはあと少しだけお色気の要素も欲しかったけど、そこは体にピチピチした白いスーツの下からふくらむアミダラ=ナタリー・ポートマンの小振りなバストがあったから良しとしておこー。ちなみに見たのは日本語版。ヨーダはやっぱりチェリーだったよ。でもってジャージャーは目玉の親父だ。「さだめじゃ」「鬼太郎っ」。

 そもそもがその昔、徳間書店って新興出版社によって買われてしまった訳だから、業界でも大手に入るし歴史の面でも老舗に片足を突っ込んでいる角川書店に、大映が買われてしまったことに今さらもって驚くのも変な話なんだけど、伝統と経験(と思い入れと自尊心)が幅を利かせる映画の業界に浸っていると、たとえ相手が角川であっても伝統ある大映の世界に冠たるライブラリーを買うのはぎりぎり分相応に見えてしまうんだろーか、なんてことを角川書店による大映の営業権譲り受け記者発表の後で、囲まれた角川歴彦会長に向かって「新興勢力が歴史ある大映を買った訳だが」なんて聞いていた人がいたのを横目に考える。ナムコが日活を買うよりよほどフツーだし、角川がこれまでにやってきた「メガメディアパブリッシャー」構想から見ればむしろフツー過ぎて全然意外性がないんだけどなー。

 まあ最近の出版不況でとみに収益面のダウンが言われている出版社が、ここにおいて何十億円もの出費をしてまで映画会社を買う必要があるのかって経済的に意外感を持ったことはあるけれど、「眠狂四郎」に「座頭市」に幾つかの黒澤明作品に、「ガメラ」に「大魔神」に周防正行作品に実写の庵野秀明作品とかがずらりそろったラインアップが居抜きで買えちゃう、それも角川が作る新会社への営業権の譲渡ってゆー形をとって借金は依然残る大映が引き継ぐってゆー、実においしい スキームになっているだけに数十億円とかって金額は逆にお買い得って言えるのかも。残された文字どおりの負の遺産を処理しなくっちゃいけない徳間書店にとっては、あんまり楽しくないスキームだったかもしれないけれど、だからといって借金も含めて会社ごと引き取れる体力はあるものの、心底からエンターテインメントを志向しているかってゆーと難しい企業に売っては御先祖様徳間康快様に申し訳が立たない。その点、旧角川映画の時代からヒット作を結構作って今も映画関連事業を幾つも持つ(持ち過ぎって声もある)角川だったら、何とか盛り立ててくれるって考え厳しいスキームも呑んだのかも。

 とらえずは期待したいのが「大魔神」あたりのリメイクで、その昔徳間さんが会見の席で高らかに「大魔神」復活をぶち挙げて、メキシコで撮るだのケビン・コスナーが出資しただのディズニーの配給も決まっただのと言って湧かせてくれた記憶があるけれど、筒井康隆さんのシナリオまでは完成しても製作の方は中断だか中止だか雲散霧消してしまった経緯があるだけに、ここはふたたび企画に復活の狼煙をあげて頂きたいところ。筒井脚本がまんま活かされるべきかは微妙でメキシコに行く必要もまるでないんだけど、それが妥当かは別にしてぶち上げられたスケールの大きさに目を白黒させた身にすれば、これを超えるスケールでなければ満足は不可能。なのでここは一気に宇宙にまで目をひろげ、遠く海を渡って米国へと遠征して、マウントラシュモアの大統領像とサウスダコタの原野で白兵戦を繰り広げる話とか(これなら地の利のあるコスナーだって出資してくれそー)、火星で発見された人型の岩が魔神となって1万メートルの山をひとまたぎして暴れ回る話とかにして頂きたいもの。遠くシアトルはセーフィコ・フィールドに眠る大魔神が海の男たちのピンチに現れ火の玉を投げる、って話でも良いけれど。


【7月21日】 暑さで一瞬死ぬ。けど死にきれずに起き出して表参道にあるギャラリーの「ナディフ」にタカノ綾さんの新作展&トークショー&サイン会を見物に行く。前にウェブだかで連載していた漫画作品をまとめた「SPACE SHIP EE」(カイカイキキ、1600円)って本の出版に半ば絡んだ企画みたいで展示してある作品の半分くらいは漫画の原稿で残りが新作ドローイングであと少しのぬいぐるみって構成。僭越を承知で言えば「ますますどんどん巧くなってる」って印象で、例えばぬいぐるみなんかは昔は雰囲気だけはしっかりタカノキャラだったけどあくまでも雰囲気だけだった部分があったのが、今回はタカノキャラであってなおかつ立体造型としても存分に見ていられるものばかり。平面で描いてある人物を立体におこす難しさってのは造型をやってる人なら多分分かるだろーけど、天上からぶらさがってた裸の娘も床の上に立ってた(本当は吊されてたんだけど)マリオネットっぽい娘もちゃんと360度、回してラインに崩れが見えずこれならぬいぐるみ屋でもちゃんと商品として売れるかも、って思ったりする、ってか商品じゃなく芸術作品として売ってるものなんだけど。

 絵の方も同様、とりわけドローイングに関してはまずもって塗りに深みが出ていて奥行きと立体感が感じられたこととそれから、構図がとっても凝っててモチーフがとっても複雑で、なのにどれもがピタリと四角いキャンバスにハマってるよーに見て取れて、ある意味イラストっぽくハマり過ぎてるって気もしたけどそれでもしっかり絵になっていて、見ていて全然見飽きない。タイトルを忘れたけれど入り口付近に飾られていたどーぶつの鼻面に鯉のぼりが立ってた小さい絵の構図に塗りの巧さといったらもう最高、あと「洋服の青山」って看板が描かれた都会の中空を少女だか少年だかが絡み合って浮游しているモチーフの大きな作品も。これだけのサイズにあれだけのパーツを詰め込んでしっかりと作品になりよー統御できるってのは、プロのアーティストだから当然とはいえやっぱり凄いし感心する。

 描かれている中身もそーした未来の一シーンを切り取ったものから映画の「ヒロシマ・モナムール」だとか「指輪物語」だとかいった作品からまんま模写ってよりはインスパイアされたイメージを写したものまで多々あって、思うがままに描いているんだろーけどそこに観賞する人たちを意識するよーな、ある程度の指向性が感じられて、これも僭越な言葉だしアーティストにとっては誉め言葉じゃない可能性もあるけれど、敢えて口にするならとっても分かりやすくなった。SF作品から取られたタイトルが付いていても前は、あの小説のどこをどう膨らませたなろーって結構、考え込まされたからなー。そー言えば「ショイエルとう名の星」ってコードウェイナー・スミスからインスパイアされて作ったフエルトの作品ってどーなったんだろ、あの頃のフエルトの切り方張り方のダイナミックさもそれはそれで面白かったなあ、あーいったののは今回はなかったなあ、でも今あれやるとまとまり過ぎちゃうかもなあ。

背番号10には国立競技場が似合う、イラストであっても  始まったトークショーは酒も入ってなくって喋りは訥々とスタートし、聞き手の人の必死の場つなぎに一所懸命答えよーとする雰囲気があっても根があーいった訥々系なんで立て板に水とはいかず、のんびりとした受け答えが続く展開になる。冒頭から会社勤めの大変さ、みたいな話があって聞くと結構苦労していたよーで、トイレで倒れたとかいった時もあったとかでそれなら辞めるのも仕方がないって思えてきた。いや聞くに入るのも難しければ人気だって世界級な位にもったいない会社だったんで、辞めなくってもと思ったこともあったんだけど、新刊の「SPACE SHIP EE」の導入部で主人公の女の子が務めている、ましかくな会社のましかくな日々に会社員時代の経験の上澄みが込められているそーで、そこでの雁字搦めな生活ぶりを読むにつけ、退職もやむなしって感じた次第。そこでスッパリと辞めてしまえたのは手に職ってゆーかアーティストとしての才があったからで、似たことを感じていてもオーバーハングな会社での聞くも驚きの日々からの脱却へと至るには当方、才もコネもないからなー。あるのは貯金だけ。まあそれがあるだけでも心強いんで、それが間に合っているうちに少しはあちらこちらに売り込みに回るか、通ぶってるだけの無才な野郎だけに世間の応援とか得られそーもないけど。

 ワインが喉を湿らせたのか喋りも多少ななめらかになって、読んでる本とかを紹介し始めたタカノさん、ってもまず挙げたのが半村良さんの「妖星伝」ってあたりに、果たして集まったアート大好き系少女たちが反応できたんだろーか。大好きな作家としてあげたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアも知っている人がまるでおらず、SFの衰退ぶりもここに極まれりって印象を持ったけれど、もしここでタカノさんをポータルに半村さんとかティプトリー・ジュニアとかへの関心が広まれば、それはそれでSFにとっても嬉しいことなんで、タカノさんには是非とも頑張ってあちらこちらでエロいけど面白い半村良さんとか、CIAだかFBIのスパイとして大活躍していたけど本当は女性だったってことがバレて最後は夫を射殺して自分も自殺したって、やや端折り過ぎな観もあるけど聞くにダイナミックでエキサイティングなティプトリー・ジュニアの経歴とかを話して関心を惹きまくってやって頂きたい。「ナディフ」も「妖星伝」だけじゃなくティプトリー・ジュニアも置こう、早川書房は風呂敷に包んで持って行こう。

 トークではあとこの6月あたりでにわかにもサッカーに関心を持ったって話も披露。とりわけオリバー・カーンに強い情愛を抱いたそーで、並んでいる作品の中にもカーンが描きこまれたものがあるとか。見るとなるほどブリッジしている人物のお腹の上で両手を突き上げるゴールキーパーらしき人物が、でもどー見てもゴリラには見えないんだよなー、萌えフィルターを通すとカーンもあー見えるのかな。トークの後で新刊に似顔絵入りでサインを頂戴、夜に始まるJリーグの中村俊輔ラストゲームに行くべく日本代表では幻に終わった背番号10番の俊輔ジャージを着ていた関係で、似顔絵にもしっかりと10番が入ってちょっと嬉しい。顔が似てるかどーかは論評はしない。まあおっさん顔は別に得意にならなくってもいーからこれだけ描けてじゅうぶんなんだろーけれど。

背番号10を探せ、っていっぱい居過ぎて誰が誰やら  さても国立競技場は背番号10の嵐、嵐、我が名は嵐。前から来る人すれ違う人シートの前に座る人後ろに立つ人のそれこそ10人に3人は、「横浜・F・マリノス」かあるいは日本代表のジャージなりTシャツに背番号と名字か名前を入れたバージョンを着用していて、日本にはこんなにも大勢のファンタジスタがいたのかと外国から着たサッカー通の人を相当に驚かせたかもしれない。それだけ期待が大きかったってことなんだろーけどそこは俊輔、さすがに玉が違うってゆーか試合が始まると右に左に走りまくってはスルーにちょん蹴りにサイドチェンジにと自在にボールを操り試合を組み立てるファンタジスタぶりを披露。得意のフリーキックでもゴール前へと飛ばして同点弾のお膳立てをし、かつ自ら穫ったペナルティキックもしっかりと決める力を見せてくれた。これほどまでの才でも入れなかった日本代表ってやっぱり相当なレベルだったんだろーか。

 試合終了後は親切にもピッチを出てスタンドとの際まで寄って場内を1周するサービスぶり。マイクを使った挨拶の言葉にも力強さがあって、インタビューなんかに出てくるどこか投げ遣りっぽく引っ込み思案っぽいネクラなイメージとの違いに人は見かけに寄らない、ってゆーかテレビが常に真実を伝える訳ではないってことを実感する。前半と後半で靴の色が代わっていたのは、プレイに対するこだわ故かそれとも靴メーカーへのサービスかは知らないけれど、靴が代わっても代わらず巧みなプレイを繰り広げる凄さはなるほどファンタジスタ俊輔。トップに入った平瀬のキレとか冴えといった言葉とは対称的な動きを使いあぐねていた部分もあったけど、馴れるにつれてそれなりな動きを見せるよーになったからもしも俊輔がこのまま日本に残っていれば、平瀬を相手にそれなりなアシストを見せてくれたかもって思えて来る。けれどもそれはもはやかなわぬ夢、あるいは4年後のドイツ大会で共に出場する日が来るだろーことを願って送り出そー。ところで城ってどこに行ったの。


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