縮刷版2002年7月上旬号


【7月10日】 会社の下のコンビニは未だにセットで発売中なんで毎朝寄っては1本また1本とペプシを買う日々。なるほど確かに有名どころのキャラクターがあんまり出ないペプシの「スター・ウォーズ エピソード2」ボトルキャップ。角の生えた宇宙人とかモノクルめいたものをかけたおやじとか、見ても「誰こいつ」的なキャラばっかりで出ても嬉しさ以前に感情の入れ込みようがなくって困る。ヘッド版のジャンゴ・フェットはそんな中でもメインに近いキャラだけど映画見てないんでボバ・フェットに比べて活躍度が高いのか分からないんで嬉しさも微速前進。そもそもが前3部作でもハン・ソロ相手にちょこまかやってた脇キャラって感じだったんで、その関係者って言われてもあんまりピンと来ないんだよなー。

 ヘッド物だといちおーオビ・ワン・ケノービも出たけど初代無印「スター・ウォーズ」絶対主義者にすればアレック・ギネスじゃないケノービってなぁマペットじゃないヨーダ、ケニー・ベーカーが入っていないR2−D2以上に馴染みがない。中学校1年でカタログからバンダイ発売のムックから眺めまわした身にとって、豆単で覚えた英単語よりもはるかに強く関連性が脳髄に深く染み着いてしまっているんで、容易には切り替えが効かなかったりする。でも単体で見れば髭伸ばした「エピ2」版ケノービはなかなかな出来映え。ヘッドの「デクスター・ジェットスター」の量感も含めて今回のボトルキャップはアメリカ物にありがちな、知っているからこそ浮かぶ「誰こいつ」的な疑問がそれほど浮かばないのは偉い。玩具で出ているフィギュアとかドールにもこれだけの似てるっぽっさがあればなあ。

 それにしてもやるなあ「SPA!」。こともあろーにあのジョージ・ルーカス様へのインタビューイに「スター・ウォーズ」なんて観てはいてもまるで批評の対象にはしてなさそーな中原昌也さんを大抜擢。真正面から切り込むんじゃなくって半ばボヤキ芸っぽくチクチクと、「エピ2」を誉め称えることで「エピ1」を「遠くに行っちゃったなあ」って感じに暗にくさしてみたり、訳さなくていいと言いつつ「じゃあ、僕らはいままで未完成品にいちいちカネを支払わされていたのか」と前3部作の観ている側の思い入れとか無視して己が願望に走った”デジタル厚化粧”ぶりを批判してみたりと、その暴力温泉芸者ぶりでもって同感の志士たちが抱くツッコミをやってくれている。通訳が戸田奈津子さんて豪華さにも驚いたけど。

 もっともそこは百鬼夜行のハリウッドを生き抜いてきた百戦錬磨のルーカス監督、さんざんぱら言われて来たからかデジタル修正への疑問には「じゃあ君は『スター・ウォーズ』のラフカットは見たことありますか?」とツッコミ返し、「じゃあ、3番目の編集見ているかって、そんなこと言ってたら、キリないじゃないですか」「だから最初のと、最終版のバージョンが見られただけ、あなたはラッキーだと思いなさい」って無茶なんだけど面と向かって言われると妙に反論しづらい言葉でもって押し返す。マズいと思ったか中原さん、話をヨーダとクリストファー・リーの一騎打ちへと切り替えてお茶を濁してた。もっとも「いつもさむしんぐにゅー」な英語のルーカス監督が血の気たっぷりに押してくるともあんまり考え辛いんで、もしかしたら間に入った戸田さんの剣幕に恐れをなしての転身だったのかもしれない。あるいは戸田さんが中原さんの深層心理までを読んで通訳してしまったのかな。「ちょっと儲かったからってゴテゴテと飾りたててんじゃねーよ成金野郎」とか「年甲斐もなくジャラジャラとアクセサリーぶら下げて悦に入ってるババアみてぇだぜ」ってな感じに(「」内は想像です)。

 角川歴彦・角川書店会長兼CEOの登場する記者会見で創元版「マヴァール年代記」を読んで見るテスト、をしたけど遠くて気づかれなかったみたいで残念、まあこの後に及んで状況に気づいてないとは思えないんだけど、来週にも今度は新社長ともども登壇する会見があるんでそっちでももー1度試してみよー。会見の方は株式の公開で儲かったうちから100億円を擲って作った基金から、これまでの出版事業だけじゃなくって映画の企画にもお金を出すことにしましたって内容の発表で、アスミック・エースの原正人さんも登場しては日本にどれだけビジネス的なリクープを考えて作られる映画が少なかったか、でもって基金の方でどーやってそーした状況を代えていくかって辺りを説明してくれた。

 個々には1作品として利益を出すことまで考えているプロのプロデューサーがいない訳じゃないけれど、旧態依然とした映画会社の製作部門で神輿にかつがれクレジットに名前を残して来たことを領収書とは考えずに才能へのリスペクトだと思っている人達が未だに幅を利かせてたりする状況では、もっともーっとプロのプロデューサーに登場して来てもらわないことには、世の中なかなか変わらないって思ったのかも。選考を通った企画には3億を上限に総費用の半分までを助成するそーで、基本的な権利は基金じゃなくってプロデューサーの方に行くみたいってこともあって、これぞと思う企画を持ち、これでひとやまあててやるって野心を持った人には美味しい制度かも。企画以前の脚本を募集する制度も発足させて、こちらも賞金が出る上に実際の映画化に向けた指導なんかも受けられる模様。賞金額もなかなかだったんで我もと思う方は挑戦してみてはいかが、アニメーションの脚本でも良いそーだし(同人誌以上に脚本の発表がないと資格なしらしーけぢ)。


【7月9日】 実はずいぶんと前に200万ヒットを超えていたんだけど何時とか誰とか考えるのも面倒だったんで放置。歳といっしょで生きているうちは積み重なっていくもので、おまけに歳と違ってこちらは純粋にクリックとゆー他人からの能動的な意識の反映ってことで、そこに含まれる感情の好悪も含めて嬉しく思いたい。しかし200万になっても別にぜんぜん道を歩いててもイベントに潜り込んでも取材に行っても昼寝してても「あっ!」とか言われないのは喜ぶべきか悲しむべきか。本出して即増刷ってところのわずか1万分の1とかに過ぎない数でもせめて、エレベーターの中で会ったら「お前があの」とか言って欲しいな羽佐間議長清原社長あたりには。「明日から来なくていいから」って続きを付けられても構わないから。

 世界でもっとも有名な「ルネ」がルネ・ヴァンダール・ワタナベであることに異論を挟む人はいないだろーけれど、だったら2番目は誰だってところでルネ・エルス(ランドナーが格好良いんだよ、って分かる人とかいるのかな)と双璧を担いそーなルネ・マグリットの展覧会が東京は渋谷の「Bunkamuraミュージアム」で開幕した土曜日に行った話を今さらあれこれ。初日だってのになかなかな人出だったのはそれだけマグリットが有名だって現れだけど、展示された作品のあれも見たことがあるこれも見たことがあるって気持ちに随分とされられたことも同様に、マグリットのポピュラーさを示しているって言えるかも。

 だってホント、靴の先っぽが指になっている絵もあれば、右は道、左は塔の先頭が三角形の形に描かれた騙し絵のよーな「ユークリッドの散歩道」もあれば、小学生の時に「週刊少年チャンピオン」に連載されてた藤子不二雄さんの漫画「魔太郎がくる」に登場した巨大な岩石が浮かんでいる絵もあったりしてもうウハウハ。画集で見て笑い転げた女性の顔が女性に特有のWXYになっている絵もホンモノがしっかりとあって、ああマグリットだよって気持ちにどっぷりと浸ることが出来た。「これはパイプではない」とか空に巨大な鳥の羽ばたく形をした雲だかが浮かぶ絵とか体が鳥かごになった男の絵とかはなかったけれど、それほどまでに多数の”代表作”を思い浮かべられるくらい、知られた画家だってことになるんだろー。匹敵するのはアンディ・ウォホールくらいかな。毛とマリリンとキャンベルスープとエルビスって感じに幾らだって出てくるし。

 とはいえ初日で通路に人がワンサって混みよーはやっぱりちょっと凄くって、たいていの展覧会だと初日はショボショボでだんだんと人が増えて来るってパターンになっているだけに、ポピュラリティの高さも尋常じゃないってゆー気になる。僕の場合は漫画で見た、面白かったってマグリットへと繋がる回路があった訳だけど、他の人がいったいどーゆー回路でマグリットの作品に触れて気に入り展覧会に初日から足を運ぶに至ったのかを知りたいところ。これがヒロ・ヤマガタとかラッセンとかだったら癒しとかポップとか理由も分かりやす過ぎるんだけど、見て騙されてる感じはあっても癒されるって感じはマグリットの場合まるでないからね。それともこーした不思議系の絵を日本人は好む傾向があるのかな、ダリだってピカソだってそーいえば有名だからってこと以上に訳の分からんなさでもって客が入ってる感じがあるし。

 だったらなお一層訳の分からない現代アートにもっと人とか集まっても良さそーなものだけど、見ればヘンと分かって笑えるマグリットやダリと違って、それ時代が持つヘンさは見ても触っても不明、でもって説明とか解説とか言った文脈を知って始めてそのヘンさ加減が分かるって辺りが、現代アートでマグリット並の客を集めるアーティストが出て来ない理由になるのかな。その点で村上隆さんのヘンさ加減って見れば一目瞭然だもんな、ペニスしごいてる少年に乳縄跳びしてる少女ってビジュアルを見ればもう。オタクへのカリカチュアライズとかって文脈、関係ないしに受けるよね。

 「資生堂ギャラリー」で開催されてるやなぎみわさんの展覧会も平日夕方は客数人がやっと。これから世界に打って出そーなアーティストの割にはかくの如くの寂しさに、現代アートって大丈夫なんだろーかとお節介にも心配してみたくなる。まあ展示してある作品がオタク少年マインドとか制服フェチ心理とかをくすぐったエレベーターガールのシリーズじゃないってのは痛いけど、でも巨大なマルチスクリーンに婆ちゃんたちが次々に登場しては自分の婆ちゃんについて語る、その語りを孫くらいの中学生だか高校生が聞き語りするってゆー、その概要を聞くだけで「やったね」って感じのする作品であってもマグリット的な見て分かるヘンさとはやっぱり違うからなー。

 僕的にもどちらかと言えばアートとしての文脈で作品の持つ「面白さ」を理解するのはなかなかに骨で、むしろ老人が語る老人とゆーパフォーマンスを通してその間に流れる100年だか150年といった、1人の人間が踏むには困難な時の壮大さを浮かび上がらせ、人が必ず老いる存在であるということ、かといって老いた存在であってもかつては若い存在であったということに気づかせてくれるって意味で、ジャーナリスティックな作品だって感じがした。世間に対するアンチテーゼイも少なからずあるアーティスティックな行為はジャーナリスティックな言説と背中合わせな所もあるから、それはそれで当然なのかもしれないけれど、純粋に見て楽しい、見て笑える、見て哀しいってゆー昔ながらの”美術””芸術”もそれはそれで望みたいところ。その辺りはひとり奈良美智さんが引き受け背負い引き連れていくことになるのかな。


【7月8日】 1枚の絵は1万の文字に匹敵するとか何とか言ったのは、「少年マガジン」巻頭の大図解をひとりで手がけて日本にビジュアルの大切さ面白さを植え付けた大伴昌治さんだったと記憶しているけれど、それでもやっぱり止まっている絵では表現し切れない部分があるんだってことを、昨晩放映されたTBS「情熱大陸」に出演した将棋の羽生善治4冠王の映像を見て思い知らされる。

 本業を離れて、ってもこっちだって本業並に有名で且つ実力も十分なチェスの国際的な大会に出た羽生4冠王、押してくる相手に対してジッと盤面を見つめ相手の駒に自分の駒を見つめた目をアップにした映像で、目が上下左右に文字どおり目まぐるしく動いているのが映し出されていて、どこにどう駒を動かせば相手がどう動かして来るから自分はだったらこう動かそう、なんて読みをやっているんだな、それも極めて猛スピードでやっているんだなってことが、目の動きから実に如実に伝わって来たんだよね。

 止まっている写真だったら、たとえ盤面をにらみつけているシーンであっても、穴があくほどに真剣に見いってるって空気がそこに漂ってしまう。あるいは相手の出方をどっしと受け止め泰然自若としている空気とか。けれども映像に映し出されたあの目の動きの速さを目の当たりにした今では、4冠王といえども構えてなんか全然いない、常に思考をめぐらし試行を重ね計算を積み上げるんだってことに気が付いた。映像の力ってやっぱり凄い、って文章で書いてもやっぱり伝わらないなあ、竜王戦あたりで目だけアップのカメラを置いて欲しいなあ。

 都会の喧噪に追われる魔女たちの逃避行を通して自然の有難みとかを伝える話かと思ったら割にシビアに死とかを訴える話だったんで驚きつつも感銘を受けた「森の魔女たち」(新書館、520円)でその名前を知って、目がおっきくって口もおっきいキャラクターたちの絵柄と話の間合いに惹かれた松本花さんが知らない(こっちが調べてなかったってことだけど)間に描き重ねていた「ティンク☆ティンク1」(新書館、720円)がまとまったんで早速読んで、やっぱりその優しさぶりに強く深い感銘を受ける。いやはやこんなに凄くて素晴らしい漫画家さんだったとは。他をまだあんまり読んでなかったけど、早速買いに行こーと心に決める。「森の魔女たち」も読み返したいけど案の定どこに埋まっているかが分からない。書庫部屋欲しい。誰かくれ。

 「常夏の国」では全然ないけど海に浮かぶイラストがどことなく似ている「海と空の間の小さな島」を舞台に繰り広げられる幻想譚。兄弟とも双子とも友人同士ともとれる少年2人が登場しては、毎日が夏休みって感じで走り回ってる場面からスタートする。訊ねて来る王様も、巫女様も友だち扱いで、あるいは少年たちは王子さまなんだろーかと思ったもののどうも様子が違う。やがて明らかになる「双子の神」の存在。2人はそれぞれに太陽と月、誕生と死を司る神様で、巫女様と王様を通して島の人々に豊饒と安寧をもたらしていたのでありました。

 生まれた子供の名付けに悩む太陽と生を司る少年の姿とか、死の旅路へと出向く魂を両性具有の魔人が誘ったそのケアに月と死を司る少年の姿とかを通して、神さまに見守られている人たちの素晴らしさが伝わって来て、そんな神様たちを抱き得る純粋さを持った島の人たちの生活や心情が羨ましくなる。かつて日本にも年がら年中神様の存在を意識し、正月にお彼岸に節分にお盆に大晦日に感謝を捧げ心豊かになっていた時代があったんだけど、世知辛くも合理性を追究する今となっては面倒臭さはなくなったけど、すがり心傾けつつもいたわられ心寄せられる心地よさを失ってしまったって気がして来る。サンタクロースの来訪を受けたりし丁髷姿の蒲公英神を助けたりと、洋の東西がごっちゃになっているけど共通するのは信じる気持ちの暖かさ。いい話を読んだなって気になるし、そんな話がまだまだ続く嬉しさに胸が踊る。感情を表情に出さず退屈になると居眠りしたりする巫女様に萌え。健気なんだよ彼女がまた。

 バトンの次はリボンらしー。といってもバトンはあくまで「コメットさん」からのスピンアウトで折角人気が出た商材の火をここで消すのはもったいないかって感じで売り続けられた感もあるけど、リボンの方はバトンの運動っぽさを取り入れながらもよりオフィシャルに、日本体操協会ってところに協賛する一方でお墨付きをもらったスポーツ玩具として売っていく氏素性のハッキリとした商品ってことになるんだろー。そんな商品を発表するタカラと日本体操協会の記者発表会が、渋谷にある岸記念体育館ってところで開かれたんで見物にいく。ロビーで未だにW杯のグッズを売っていたのには驚いた。あと「ソルトレークシティ冬季五輪」のグッズとかも。「スノーレッツ」はなかったけど。もちろん「ミーシャ」もな。

 それだけならまだ良かったけど、さらに驚いたのは発表が始まって司会役として登場した人が自己紹介した瞬間。「日本体操協会理事で広報担当の山崎浩子」ってつまりは新体操の元選手で女王とも呼ばれた山崎浩子さんその人じゃありませんか。そーいえばしばらく前に体操協会の理事になったって話を新聞で読んだ覚えがあるけれど、いろいろとあった有名人を目の当たりにするとやっぱり有名人好きとして興奮してしまう。そっかすっかり立派な人になってたんだな。そんな山崎さんでも「トワールリボン」に関してはちゃんと評価をしているよーで、リボンの長さこそオフィシャルの半分の3メートルしかないけれど、取り回しの良さでもって子供に新体操の楽しさを教える力がある商品だってことは言っていて、その辺りも含めて新体操の、そして体操協会の立派に役職者なんだってことを見せてくれる。

 明日からニューオリンズに渡米する世界選手権新体操チームのメンバーも、登壇したときにそれぞれが「トワールリボン」を持っていて、狭いながらも舞台の上で「天橋立」ってな感じのリボン芸(芸じゃねー)をやって見せてくれて、プロでも(アマだよ)ちゃんと使える商品なんだってことを教えてくれる。ただやっぱり子供にこそ遊んでもらって楽しい商品って訳で、5歳か6歳って感じの幼女がレオタード姿で登壇してはリボンで螺旋を作ったりして見せてくれて、こちらはこちらで脳天から下半身へと突き抜ける衝撃を受ける。幼女でレオタードでちょっとだけ開脚。これを最前列で見せられて人間としてどー冷静に振る舞えばいいのか。せりあがる激情を押さえつつも、その名演技をしっかりと瞼に焼き付けて、いつか再び子供を使ったデモンストレーションのイベントが開かれる機会があったら、今度はカメラじゃなくってビデオカメラを担いで駆けつけよーと決心する。1本のビデオは1万枚の写真に勝るのだ。


【7月7日】 白状ってほどでもないけど「少女人形」とかがヒットしていた当時から、伊藤つかささんがテレビとかに登場する度に「どこが可愛いんだろー」と悩んでて、なのに世間では美少女アイドルって範疇で括っていたりする状況に、自分の審美眼を疑ったりしたこともあった。ちなみに松田聖子さんが登場した時に抱いた感想も一緒で、聖子さんがデビュー曲を提供していたCMに登場していたエクボの少女を最初は本人だと思っていたら全然別人で、当時まだあった「平凡」の付録に付いてきた等身大ポスターの顔に呆然としたことを、今でも妙にハッキリと覚えている。オリンパスのCMに出ていた早見優さんの評価にも悩んだなあ。掘ちえみさんも以下同文。保田圭さんは……触れないでおこう。

 閑話休題。で伊藤つかささんなんだけど、どこをどー巡っていたのかこの20年ばかりまるで消息を聞かなかったのが突如として週刊誌とかのグラビアにヌード写真で復活してて、ナニゴトかあと思っていたら遂にヘアヌード写真集まで刊行。どーせだったら「少女人形」の時に出してくれてたら、なんて邪なことを思いつつもフトコロから千円札を束で取り出し、手に取った写真集をレジへと運んで購入しては領収書ももらい、踏むステップも軽やかに家へととって返してビニールを破りページをめくり、顔立ちはそれとしてセーシュン真っ直中の時期にテレビで大活躍していた人が今、こーしてスッポンポンのポンになってくれている状況に、積み重なった時の厚さなんてものを感じて感慨にうち震える。これが20年前だったら(まだ言ってる)。

 重なった時の厚さはなかなかにシビアなもので、なるほど言われりゃなるほどって感じるだけの面影を今も残しているけど、街ですれちがったら絶対に伊藤つかささんだとは分からないくらいには変わってて、おそらくは30歳は超えているだろー大人の雰囲気は漂わせていたりする。ただボディの方はどちらかといえばポッチャリ系だったアイドル時代から一変してスリムな感じで、なおかつ20代の前半とか言われても信じてしまいそーなスレンダーさを持ち合わせていて、これまで一体どーゆー暮らしをして来たんだろーかと調べてみたくなる。結婚してるんだろーか。子供とかいるんだろーか。

 巻末に「鞍馬天狗」のムックの表紙が掲載されてて草刈正雄さんの横に角兵衛獅子な杉作少年に扮した伊藤つかささんが映ってて、これをやっていた時に今こーして人前でスッポンポンになる自分を想像していたんだろーかと聞いてみたくなる。まるで少年役が似合ってた伊藤さんがこーなるなら、20年後に加護辻だって成長を遂げて今以上にグラマラスなボディをヘアヌード写真集で晒してたって不思議はない。そーいった視点で加護辻を見る意識を与えてくれたって意味で、伊藤さんの今回の写真集には大きな意義があったかも。安達佑実さんだって10年後には今と違ったグラマラスなヘアヌードを……こればっかりは見せてくれると思えないなあ。

 池袋へ。吉野朔実さんのサイン会&トークショーが「ジュンク堂」で開かれるってんで見物に行く。時間があったんでその前に「テアトル池袋」でアニメーション映画を観賞。「シックスエンジェルズ」って作品で、事前に一切の下調べとかせずに入ってその宣伝ポスターから漂うガンドレッシーな感じにどんなヘッポコを見せてくれるんだろーかと顔をほころばせていたら、さらに巨大な衝撃が襲って来て一気に脳内に警戒警報が鳴り響く。「企画・原案・製作総指揮 秋元康」。質も方向性も結果もまるで違うけど、インパクトだけなら「スタジオジブリ作品」と同じくらいの大きさを持つクレジットだけに、いったいぜんたいどんな内容を持った作品なんだろーかと期待も一気にヒートアップ。でもって見終わった後、「企画・原案・製作総指揮 秋元康」に人が抱く期待を存分に満たしてくれた作品だったと感心する、感動はしないけど。

 戦闘とコンピューターと銃器と格闘技のそれぞれエキスパートに見える4人組の美女がヘリで何者かと戦っていたりする場面からスタートして、ヘリが不時着しては地上に穿たれた穴蔵の底へと叩き込まれた4人組とおまけの1人とロボット1匹が、穴蔵の底から世界を支配しよーとたくらむ一派の攻撃を受けて苦戦するってストーリー。もともとがウェブで配信されてたらしー作品だってことを差し置いても、まるで設定が見えないのが困りもので、女性ばかり4人が所属しているチームの「ガード・オブ・ローズ」だったっけ、それが一体どんな組織なのかがも説明されるのはしばらく後で、彼女たちが誰で何と戦っているのか、ってゆー感情を注ぐ上で大切な部分の欠落に戸惑う。もっとも明らかになった彼女たちの本業が、男性から暴力をか受け抑圧されている女性たちを救う集団だ、なんて説明にはさらに目が点で、ドメスティックバイオレンスがいくら世間的に認知されて来たとはいえ、それを別に男性のマッチョな思想でもって世界を支配しよーとなんてしていない敵を相手に向けるのは、いくら何でも無理筋だろーと突っ込みたくなる。突っ込んだけど。

 さらにさらに、謎の一味が反乱を起こした理由とかの中に地球上を核兵器で汚した政治家たち大国たちへの反抗心があって、それがテーマとして大きくクローズアップされるんだけど、これもどことなく教育的道徳的偽善的でやれやれってな気持ちにさせられる。ベタで行くならナースが天使で正義の味方ってくらいな開き直りも欲しかったんだけど、極めて真面目に放射能汚染の問題をどーするのか的真面目ドラマが演じられる中でのヒロインたちの思考行動の温さ加減に、見ていて食傷気味な胃袋からゲップがせり上がって来て、これまたやれやれな気持ちになる。絵は綺麗で動きもしっかりしていて美少女たちもそれなりに可愛いだけに、訳の分からないまま進む展開とかへの配慮も欲しかったところ。それにしてもどこでどれだけ失敗しよーともしっかりと企画を立ててはちゃっかりと通してしまう秋元さんの運動力おそるべし。そー簡単に天下は譲ってくれそーもないね。

 サイン会。吉野朔実さんはヘアヌードバージョンの伊藤つかささんも吃驚なスレンダーぶりで、てっきり漫画家にありがちな運動不足が招く重力に挑戦的なボディを持った人かもしれないって思っていただけに、嬉しい誤算と満悦する。お顔もなかなかでこれが知り合いだったらその場で交際を申し込みたくなるくらいの美人ぶり。今でこーなら20年前30年はいったいどんなだっただろーって、卒業写真集とか探してみたくなる。ただ喋るとそこは頑丈そーな意志を持った人だって感じが伝わって来て、実際にトークショーでも対談相手の目黒孝二さんが勧める本(「流星ワゴン」とか「コンビニララバイ」とか。ララバイってねえ、って吉野さんのコメントには納得)のつまらなさを言っていたんで、顔に騙されてスリ寄った挙げ句にイタイ目にあった男性諸氏とかたくさんいそーな印象を抱く。

 勧めてもらった本は極力読むよーにしているとかで、抱いた異論をあとで勧めてくれた人とかにぶつけることを楽しみにしているそーで、勧める側にそんな異論を受け止め返しさらに返ってくる異論と戦うだけのパワーかあるいは無神経なまでの善良さがなければ、あんまり本とか勧めない方が良さげ。本とかを媒介にお近づきになろーなんてヤワな精神力では無理も無理。そのあたり情熱をほとばしらせて本を勧め、前に進めたことも忘れて再会するとまた勧めるくらいに本に対して真剣ズブズブな目黒さんは最適の本パートナーなのかも。本に関するエッセイ漫画の刊行記念で相手が目黒さんってこともあって話はもっぱら本の読み方に関する内容で終始して、ほかに競馬とか映画の話もあったけど、漫画家としての話はそれほどなし。過去の作品とかあんまり読まず今、興味あることだけを描いてるってあたりはなるほど、クリエーターらしいと納得してしまう。だったら今の作品について聞いてみれば良かったけど、今の作品って何だったっけ、アレかあ、うーん完結するまで待つことにしよー、議論ではどーせかなわないし。


【7月6日】 ラス前、だそーで竹岡葉月さんの「東方ウィッチクラフト」シリーズ最新巻「彼女は永遠の森で」(集英社コバルト文庫、457円)は前の巻で登場したゴスロリ宇卵ちゃんの正体から遡って男なのに魔女な滋賀征季と宇卵の出会いとその後に起こった今も征季にふりかかってる運命の元となる事件とかが語られて、宇卵がどーして征季に複雑な感情を持ってるのかって辺りがつまびらかになる。それと何より魔女として一子を人間なのに使い魔にしてしまった征季の力の秘密なんてものが暴露されて、その意外性にさすがはエンターティナー、ラス前の起承転結の転をよく心得てると関心する。起承転結なら3巻目が転だろって突っ込みはなしね。ともあれ相変わらずの読ませる巧みな文章にしっとりとした物語があって読んでいてまるで飽きない1冊。でもってラストへの期待も存分に煽ってくれる罪作りな1冊。影やや薄くなってる一子のいよいよ最終兵器的活躍が見られるのかな。宇卵はゴスロリファッション以外すんな。

 どんな話だったかすでに忘れてる(読んだかも含めて)「熱砂のレクイエム」から一転、してると思ったのは中身があんまり「熱砂」も「レクイエム」もしてない感じがしたからなんだけど、とりあえずは一転していると思う杉原智則さん「頭蓋骨のホーリーグレイル」(電撃文庫、590円)は、フリヒラなファッションをした美少女が片足だけちょい上げ太股を微妙にのぞかせた表紙にとてつもない期待を抱いて読んだらこれが大違い、っても大ハズレでは全然ない辺りが悔しくも嬉しい誤算で、セックスとバイオレンスの混交したハードボイルドでダークな伝奇になっていて、そんな話をまさかこのレーベルで読めるとはちょっと思いもよらなかった。まあ流石に未成年のお子さまも読むレーベルだけにハードコアな描写少なくなってるんだけど、それでもしっかりあるってところに出版社の侠気を覚えて拍手したくなる。スカートまくって後ろからどうぞ、ってんだからなあ、17歳の美少女が。

 ちなみに表紙のおきゃんな美少女は完全な主人公ではないよーで、何やら得たいのしれない悪魔的な存在と戦い続ける父親を助けるケナゲなんだけど凄腕な娘ってのが役割で、悪魔の復活を阻止するべく戦う父親の手足となって邪教集団の宴席に潜入しては、背中にしょった蛇の入れ墨を活性化させて大暴れする。父親はまだしも娘がどーしてそんな力を持ってるんだ、って謎もそーだしそれよりさらに本質的なテーマとして、復活をもくろむ悪魔的な存在との激しい戦いが終わるどころか次代へと続きそーな引きになってて、読み終えてどうにも気持ちが引きずられる。商売人、って気もするけど1巻で終わっては太股&蛇入れ墨美少女も立つ瀬がない。パイソンを片手で扱う凄腕ガンマンなベレー帽&フリヒラ衣装の美少女の、父を超えての大活躍を期して続刊の発売を待とう、続くかどーかは知らないけれど。

 その刊行が望まれながらも前世紀では終ぞかなわなかった柾悟郎さんの「シャドウ・オーキッド」(コアマガジン、1800円)が書き下ろし部分も合わせて遂に登場、イラストもひろき真冬さんと「SFマガジン」連載時の「ヴィーナス・シティ」のコンビが復活と、ファンには嬉しい限りでよく刊行したとコアマガジンに三顧の礼を贈る、って礼の内容がちょっと違うか。むしろこれをこれまでどこも出そーとしなかった方が問題で、事情は出版社にあるのかそれとも作家の側にあるのかは分からないけれど、些少なりとも90年代を通して言われた「SF冬の時代」なんかとの関わりを考えてしまう。読んだ限りじゃー内容面が時代にそぐわないってことはなかったし、むしろ出すべき内容だって気もしたからなー。

 耽美でやおいに凝ってた時期、ってことで内容面では上っ面だけならそーした耽美な、分かりやすく言うなら少年どうしの愛、めいた描写がふんだんにあって和製サイバーパンクな人の本だと思って読んだ人は驚きそー。反抗期にある少年たちを収容する全寮制の監獄めいた学校があって、そこでは言うことを聞かない生徒に対してある処置が施されていた……って内容で、自分とゆーアイデンティティを束縛され削り取られ抹消される恐怖を顕在化させると同時に、そーしたアイデンティティクライシスに立ち向かう意志の強さめいたものを打ち出してあって、読んでまずまずの感慨は得られる。報われない愛の悲しみへの同情とかも。

 ただ、マッチョな男性諸氏の処置に対する複雑な感情を描き出して自分のアイデンティティを考えさせるのって、前提として男と女ってゆー二項があるんだってことを含み起きつつ、その間に「宙吊り」にされる恐ろしさを打ち出す必要がある。けれどもとりたてて性別に根ざした優位性とか意識せず、自分がどう変えられよーとも天上天下唯我独尊なナルシーだと、性の間で「宙吊り」にっせられる恐怖なんて感じないでどこまで行っても「自分は自分だ」って思い込んでいそー。ジェンダー好きな人に関心を相当に持たれる話ではあるけれど、20世紀的な思考が少しづつながわ変わっている現代においてどこまで衝撃を与えられるのか、注意して見てみたい。あるいはどんな人がどんな衝撃を告白するのか、って辺りでその人が持つ性差へのイメージも吐露されてしまいそー。いろいろな意味でのリトマス試験紙として、どんな受け入れられ方持ち上げられ方をするのか観察して行きたい。

 1万1118人、って正直凄い数字だと思ったサッカーJリーグ2部の「横浜FC対セレッソ大阪」の試合。横浜にはる「三ツ沢球技場」はスタンドがほとんど満員の状況で、サッカーW杯が終わって世界の最高峰のプレーに慣れ親しんだ人はJリーグなんて目も向けない、なんてことを言った野球界の偉い人とかいろいろな人にとっては、意外も意外な滑り出しだったんじゃなかろーか。まあセレッソが出る試合だったってことで、メンバーに日本代表が2人に韓国代表が1人いるって選手人気がバックにあっての超満員だったと言えるけど、代理店が煽ってメディアが旗振って作り出したイメージとしての人気じゃない、サッカーの試合そのものに感化された人たしが、サッカーの選手その人を見に来たって部分で大いに意味のある数字だったと認識している。

 ここで期待ハズレのプレーをしたら「なんだやっぱり」って思われてしまっていつかのJリーグバブル崩壊の二の舞になってしまうんだけど、そこは流石に日本代表選手、途中出場ながらも森島選手に西澤選手がピッチに入るとセレッソの攻撃が途端に流れるよーになり、さすがは日本代表だと目を見張る。トラップの正確さ、フェイントの巧みあ、プレーを進めるスピードの速さのどれを取っても出ている他の選手から突出していて、こーゆー人たちの集まりだった日本代表の凄さへの想像が及ぶ。そんな代表であっても勝ち抜いては行けないW杯って場の重さにも。

 ラストも西澤から森島へと流れてシュートしたのがバーに当たって跳ね返された所に大久保が突っ込み1得点、それがロスタイムの出来事でまんま試合が終了となり、代表メンバーとしての面目を存分以上に保った。後半に限っては良い試合でした。セレッソの行くところにはこれからもお客さん集まりそー。ホームの横浜FCもセレッソ相手に良い試合をしたんで、その堅守に速攻を見せていけばきっとファンもついて来るでしょー。次は21日の「横浜F・マリノスVS東京ベルディ1969」イン「国立霞ヶ丘競技場」。中村俊輔選手は怪我気味で出ないかもしれないし、ベルディも前園選手石塚選手が戦力外で、見て何かやらかしてくれそーな選手のいなくなたヴェルディに勝ち目も見所も大きくはなさそーだけど、母国ブラジルの優勝に野獣エジムンドが奮起するとかありそーなんで期待して見に行くことにしよー。せめて三浦淳くらいは出してくれー。


【7月5日】 湾岸ミッドナイトな日、いや夜じゃないから湾岸ミッドデイってことになるのかな、ミッドデイって言葉があるかは知らないけれど。まずは幕張から「幕張メッセ」で開催中の「インタロップ・ネットワールド」とやらを観察。スタート当初からのぞいていたよーな記憶があるけど昔はフツーにインターネット周りの展示会で、他にインターネット絡みのイベントが目白押しの中で特段目だってたって印象のなかったものが、ネットワークだブロードバンドだって時代になってしまった関係からか、ネットワークを支えるインフラとか技術とか、そっちほ方向で発展した会社を巻き込んでイベント自体も大成長を遂げていて、今回なんて脇にある9ホールから11ホールの入った建物も含めて、メッセの巨大なホールのほとんど全てを使う、「東京ゲームショウ」なんて目じゃないくらいな巨大イベントになっていた。

 中身はといえばインフラに技術なんで取りあえずの興味はなし。見れば例えばブロードバンド配信なんかを支える技術にのって新しいエンターテインメントビジネスの可能性なんかが示唆されていたのかもしれないけれど、時間がなかったんでめぼしいブースのめぼしいコンパニオンだけを観察しつつ、何故かエンターテインメントなのに珍しく出展していた「エヌ・シー・ジャパン」のブースで「リネージュ」に出てくるキャラクターのナイスバディなコスプレをしたお姉さんを要チェック。したかったけど怖そうだったんで最近の「リネージュ」の状況なんかを聞いて退散する。例のW杯の間ってネットゲーム、韓国じゃあどんな感じだったんだろー、やっかり「インターネット房」も閑古鳥だったんだろーか、なんて思ったらこれが意外に普通だったらしく、どっかの掲示板なんかと同様に進むW杯の試合を横目にチャットで戦況を話し合う人たちとかいたそーな。新しいタイプのコミュニケーション・ツールとしてもオンラインゲームはしっかり根付いて来ている、ってことかのかも。

 開場直後はコンパニオンもダレているのかホールとホールの間に儲けられた飲食コーナーで座って出番待ちをしている人が多くって、ミニスカートで座ってるんで見えそーで見えなさそーで朝からちょっとときめく。こーゆー場所でこそデジカメ機能付き「AIBO」が役に立つんだが、なんて妄想しつつとって返して「幕張本郷」から京成都営地下鉄京急を乗り継いで蒲田へと言ってセガの新作アミューズメントマシンの展示会。セガは別にお台場でもあの鈴木裕さんがプロデュースしたとかゆーアイスクリームだったっけ、何かのショップのお披露目会もあったそーだけど流石に1つ身を2つに割ることはできず、「トライフォース」で動く新型の「バーチャストライカー」とか「バーチャファイター4 エボリューション」とかを見に行く。あと「ダービーオーナーズクラブ」のシステムをまんま使えるらしー麻雀ゲームの「MJ」とか。

 「バーチャストライカー」は流石な出来。けど選手の名前が日本代表以外はいそーでいない名前だったりして、世界屈指のプレーヤーたちのリアルなバトルに興奮し、名前も含めて知識のずいぶんと向上した今の人たちにスンナリと受け入れられるなろーか、なんて印象もちょっと浮かぶ。システムもビジュアルも素晴らしいのに、捻られた名前だけでフェイク感がぶわっと浮かんでしまうんだよね。その点、すでに渋谷の「GIGO」で稼働中のカードを浸かったサッカーゲームは、カードになってるリアルな選手がまんま登場してくれる訳で、カードの配置をかを自分でできる楽しさもあって、リアルなサッカーの楽しみにより近づいている感じがあって気持ちを惹かれる。グラフィックのリアルさとかってのも大切なんだろーけれど、現実世界とのシンクロとゆー意味でのリアルの方に関心が集まりそーな予感、まあW杯後遺症から抜けられない僕の妄想なんだろーけれど。

 30分ほどで退散して蒲田から横浜へ。この日曜日まで外国人のサポーターがワンサと歩いていたのが夢のよーに、サラリーマンと女子高生と学生が行きつ戻りつしている、ごくごく普通の首都圏の大きな駅って感じの混雑ぶりになっていて一抹の寂しさを覚える。諸行無常。東横線に乗り換え戻って日吉へと行き、コーエーで開かれた「三国志バトルフィールド」のベータ版発表会を見物。リアルタイムシミュレーション、って奴で三国志の英雄豪傑軍師とかを操作して、同盟を結んだり戦ったりして覇権を目指すって内容で三国志のファンには楽しそー。台湾とそれからオンラインゲーム先進国の韓国でも同時発売されるってことで、どこまでマーケットに食い込めるのか分からないけど、韓国にはコーエーゲームのファンも三国志のファンも結構いるとかで、そのあたりあんまり心配してなさそー。下手に無国籍なファンタジー調で行くよりも、東アジアならではの奴で行くのがやっぱりアジアじゃ商売に勝つための(可能性を持った)施策なのかも。あとアニメとかコミックとか。


【7月4日】 えっとあれは3年くらい前だったっけ、関東のどっかの街で外国人を妻に迎えた男性が相次いで病死とか、不審な死に方をした事件があってその黒幕として金融業者に疑惑が持ち上がったことがあったはず。その後に金融業者は犯人として逮捕されたんだけど、いつ逮捕されるのかって話題になってたある期間、毎晩のよーに金融業者は集まって来る記者とかに対して有料の記者会見を開いてて、新聞とか通信社とか雑誌とかワイドショーとかがこぞってそれに参加して、結構な収入になっていた。一応はスナックだかの飲食費って名目だったよーな記憶もあるけど、払った金額に見合う品物は出てなかったらしくって、つまるところは金で情報を買ってたってことになる。

 「サンケイスポーツ」の最終面に掲載されてる「甘口辛口」ってコラムは、妙に正義感ぶった意見とか、革新的画期的なものに対するやっかみ混じりの意見とかが載ってていかにもオヤジなメディアって感じがあったけど、7月4日号に掲載された文は今までにも増して居丈高で、よんでムスムスっと含み笑いが湧いてくる。曰く「しかし、どんな形にせよ、ニュースのために金を払うことはジャーナリズムに反することだろう」。だったら何かい、「サンスポ」ではニュースに添えるコメントとかには謝礼を出すことはないし、独占インタビューに応じてくれた識者にもギャラを出すってことはないのかい。W杯期間中、実に的確なコメントを寄せてくれてたベンゲル監督の話だって新聞に掲載される以上はニュースの一形態。「どんな形にせよ」「金を払うことはジャーナリズムに反する」と断じるメディアである以上、あのベンゲルをもタダでこき使ったに違いない。

 まあそれは半ばいちゃもんに近いけど、時と場合さえ折り合えば、それがニュースのためであっても、というかニュースのためだからこそ金を払うケースがあっても不思議じゃない。「サンスポ」が槍玉にあげているテレビ東京が盗みに入ろーとした犯人一味から内通を得た際に金品を渡したこと、それ事態を精査した時に、裏切り者になるとゆー危険から家族を逃がすための逃走資金を渡した行為、そのことをもってジャーナリズムに反すると断じるだけの気持ちにはちょっとなれない。それが言葉どおりの目的に使われたかどーかって疑問もあるにはあるけど、言を信じるならば金をもらって家族を安全な場所に逃がすことが出来たからこそ、内通者はメディアにも警察にも協力し、結果犯人逮捕に繋がったってことになる。

 だから問題にすべきは金品の授受ってことじゃないし、ましてや「やらせ疑惑」だなんてキャッチは本質外れも大外れ、スクープをもっていかれたヤッカミ混じりの言葉って言って言えなくもない。泥棒に入られる側に対する連絡の不行き届き、そのことこそをいの一番に問題にすべきであって、だから責任は取材をしたテレビ東京だけが負うのは不公平、同じく情報を得て張り込んでまでいた警察も、いっしょになって批判されるべきって思えるんだけど、どーなんだろー。「真実を追いかけるのがニュースであって、『作り物』はニュースではない」ってコラムは言うけど、事件を見てもどこにも「作り物」なんてない。リーク情報にコメントの美味しいどころ取りでもって流れを作って悦にいる、センセーショナリズムに走りがちなメディアのスタンスの方はよほど「作り物」主義に浸かってる。

 ともあれ「サンスポ」に限らず揃いもそろって「ヤラセ」とかって批判して金品の授受を非難した以上、今後いかな事件であっても登場するモザイクかかってたり声変えられてたりする近親者なり関係者にはびた一文たりとも謝礼は支払われることはないし、独占インタビューであっても同様に金品は渡らない。コメント料とかで稼いでた心理学に詳しいあの人とか刑法に詳しいあの人もこれで商売あがったり? 渡したくても貧乏で謝礼なんて出せず自腹を切りたくても薄給で珈琲代が関の山、ってマイナーメディアの記者にとってこれは実にありがたい状況だったりするんだけど、部数とかってバリューの部分で相手に足下、見られるだろーから状況的に変わりはないか、つまらんなー。

 すらすら読めて楽しい時間を過ごせればそれで良し、って本読みだったら梅村崇さんの「輪舞曲都市」(エニックスEXノベルズ、900円)は合格の1冊かも。このレーベルにしては350ページと長くって、読む前はちょっと物怖じしたけれど、読み始めると描写の滑らかさに次はどーなるって期待させる展開でもって、あっとゆー間に結末まで連れていってくれて意外に思いつつ安心する。「助けて」ってゆーメールが届いた主人公、その発信元になったらしー街に来ては当該の人物を訊ねよーとするものの、役場で聞こーにも担当者は妙な反応しか示さず、そーこーしちているうちに夜が明けてしまって今日こそは、って意気込んでみたは良いものの、外ではなぜか前日と同じシチュエーションが繰り返されている。つまりは毎日が繰り返されていたって訳。

 主人公はよそ者だからかそのことに気づいてはいるんだけど、だからといってどうすることもできずに繰り返される毎日の中で迷いさまよう。逃げ出したくても逃げ出すことができず、そもそもどこからどーやって来たのかも判然としなくなるなかで、主人公はほんのわずかづつながら真相へと迫っていく。間に繰り返される毎日の中で起こる殺人事件の犯人さがしってゆー、SF設定ミステリーっぽいエピソードも絡められていて考える楽しがあるし、この不思議な世界がどーして出来たのかって理由に迫るサスペンス的な展開もあって読んでいるうちは飽きがこない。ただ結末に関しては賛否両論、出るより以前にコレハイッタイドウイウコトダって頭を悩ませる人とか出て来そーで、得られるカタルシスに胸高鳴らせるってゆー圧倒的読後感ってのが、分量の割には起こらなかった理由もそこらへんにあったりする。重ねるけれど読んでいるうちは楽しい1冊なんで、時間の豊富にある人はそれをかけてみても悪くはないでしょー。あとがきもあらすじもない、ってのは珍しいけどこの本にはいらないね。

 選手としての実績を認めるに吝かではないし、クラブチームの精神的技術的な支えになったって事実も否定できない。しかしだからといってこの世界にあふれる監督業のプロフェッショナルたちの中で、ジーコが飛び抜けた存在だとは思えない。ましては代表監督とゆー、クラブとは違うスキルも経験も必要とされる役職に、他のあらゆる候補を押しのけて適任だと言い張るには、やっぱりどこかに相当激しい無理がある、よーな気がする。経験、って部分なら最初は誰にだって経験はない、やらせて始めて経験が出来るんだってゆー意見もあるけれど、そーした経験を積んで頂く場としてはもはや、サッカー日本代表はふさわしい場所ではないし、そんな場所であって欲しくない。

 過去、鹿島アントラーズを日本有数のチームに育て上げたって実績をもって監督としての経験を言う人もいるけれど、初代の宮本征勝さんを手始めに、成績不振とかの責任をとってやめていった監督の実に大勢いたりするにも関わらず、総監督とゆー安全圏にいたジーコひとりが責任を逃れて来た、ってゆーかそもそもそーした責任とは離れた場所に最初からおかれていた。98年のW杯フランス大会でブラジル代表のテクニカルアドバイザーを務めたっていっても、監督はやっぱり別にいて、大会の後に辞めていたりする訳で、ジーコが準優勝に終わった矢面に立ったって話は終ぞ聞かない。そんな立場で美味しい所取りして来た経験やら成果やらが、これほどシビアに責任を求められる立場が他にあるんだろか、ってなナショナルチームの監督にどれだけ役に立つんだろー。

 責任の及ばない立場でこそ発揮される天賦の才、って言い方も否定しない。否定しないけどだったらなおのこと責任を求められるナショナルチームの監督には向いていない。向いている可能性もない訳ではないけれど他に向いている人はいっぱいいる。にも関わらず他に一切の考慮もせず、有名でファンも多いって理由でもってジーコに白羽の矢を立てるサッカー協会には今さらだけど唖然とした、呆然とした。そもそもが本当にファンは支持しているのか。現役時代に有名選手だった人なんてほとんどいなかったW杯の決勝トーナメントに残ったチームの監督を見てもなお、そー言う日本サッカー協会の目ってやっぱり節穴か、それとも脳が融けているのか。融けてるなんておこがましい、脳なんて最初っからないのかもしれないけれど、それだったら最初から何もせず、意地もはらず見栄も張らず意見もいわずにトルシェを、ジャケをルメールをメツをミルティノビッチをメツをベンゲルを、迎えてくれた方はファンはよほどか納得できるんだけど。来年、コンフェデ杯あたりでどんなチームを出してどんな戦術とやらを見せてくれるのか、冗談でなく今から楽しみで仕方がない。でもってジーコが選んだ川淵大仁ともどもどーゆー責任の取り方を見せるのかも。


【7月3日】 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」はちょっと違うか、だったら「暑さ寒さも彼岸まで」、うーん合ってるっぽいけどまだピンと来ない、「祇園精舎の鐘の声」? さらに遠くなった気が。まあいいや、とにかく何が言いたいかっていえば6月30日まであれほど世間にはびこっていたサッカーW杯の喧噪が決勝の終わった途端にすっかり消えてしまったことで、サポーターが詰めかけ連日連夜の大騒ぎだった六本木の街ですら、翌7月1日の夜に「プレイステーションパーティー」を見に出かけた時に通ったら、代表ユニフォームを着ている人は日本代表のブルーはもとよりセレソンのカナリア色野ですら皆無。歩いている外国人の数もいつもよりむしろ少ないくらいの印象で、世の流行のうつろいゆく速さに今さらながらに琵琶のひとつでもかなでたくなる。「盛者必衰の理をあらわす」なんて感じで。

 つい半月ばかり前に開かれたマイクロソフトの「Xbox」を使ったネットゲームの発表の時はフランス代表のユニフォームで出席していたプレスがいたのに7月1日のソニー・コンピュータエンターテインメントのパーティーでは見かけた範囲では代表ユニはゼロ。唯一あれはカプコンの岡本吉起さんだったっけ、インテルだかのユニフォームを着ていたのを見かけたくらいで、前から大リーグのベースボールシャツを着てたりする人がサッカーに宗旨替えでもしたのかな、普段から着てたけど目にする機会がなかっただけななのかな、なんて思うのがやっと。これで次期日本代表監督の話題が続くうちはまだ良いけれど、それでも2週間もてば良い方でその後には「サッカー」なんてものが「Jリーグ」も含めてまるで関心を持たれなくなりそーな不安に今ちょっと脅えてる。

 もっともあの喧噪の1カ月で些少なりともココロにサッカーの種が埋め込まれた人は少なくないはず。イタリア・セリエAのレジーナへ移籍が決まった「横浜・F・マリノス」の中村俊輔選手の国内ラストになりそーなゲームが、21日に相手も宿敵(だった)「東京ヴェルディ1969」なら場所も「国立霞ヶ丘競技場」とゆーサッカーの聖地とゆー、絶好のシチュエーション&ロケーションで行われることになっていて、前後して新聞各紙も再び話題を盛り上げて来るだろー中で、ココロの種から吹いた芽がきっと人々を国立の地へと向かわせ、その門出を祈念してくれることだろー。

 幸いにして、ってゆーか昔だったら黄金カードとしてプレミアムすらついたカードであるにも関わらずその後の人気の凋落を受けて、今現在でもチケットがいっぱい余っている模様。なんであの1カ月に1瞬でもいーから戻りたいって人は「ぴあ」にでも行ってチケットを買ってあげましょー。予選リーグのカテゴリー3以下の料金でSS指定が買えるんだから安いやすい(金銭感覚まだマヒしてます)。それと代表って意味ではもう今週末に「セレッソ大阪」が「三ツ沢競技場」で「横浜FC」とのリーグ戦を行う予定。出るかどーかは分からないけどチュニジア戦で大活躍した森島選手にトルコ戦の”復活”が今も目に残る西澤選手の今現在を首都圏近郊で見られる絶好のチャンスなんで、ココロの残り火を再燃させたり人は足を運んでみるといーでしょー。これなんてさらに安いぜ。

 何でまた「フィールヤング」なんかで、って読んでた訳じゃないけど帯に書いて合った文言を読んで、変わった媒体で連載しているもんだと不思議に思ったけれど、そこは作家だけあって藤木稟さん「イツロベ」とか「陰陽師 鬼一法限」といったオドロ系の話とはまるではなれた、どちらかってゆーと「レディコミ」で「耽美」な雰囲気を持った作品もしっかりとものに出来るみたい。「オルタナティブ・ラヴ」(祥伝社、1200円)って本に収録された連作3本の3本ともが、未来社会を舞台に未来だからこそ存立し得るさまざまな愛の形を見せて愛について考えさせる話になっていて、愛についてはまるでてんで出鱈目な僕にもほんのちょっぴりながら勉強になる。役立てる機会は今ミレニアム中は来そーもないけど。

 最初は環境ホルモンの影響だかで発生するよーになった、男性が妊娠してしまう「男性妊娠症候群」って病気に罹ってしまった青年が、出産とゆー大事態を前にして戸惑い悩み慌てる話。うろたえる男が見せるその手前勝手ぶりもさることながら、「産み得る性」とゆー真理をたてに男女の差異に理由を見つけてそこに逃げ込もうとする男の論理をまず崩した上で、親と子の関係ってものを考えさせてくれる。次の「愛のイデア」はバーチャルな存在への愛ってものは成立するのか、感情に基づく愛と制度でしかない結婚の違いは何か、って辺りがテーマになっているし最後の「天使達の夜」は倦怠期だかコミュニケーション不全だかに陥った無性種のカップルの1人が出向いた酒場でさまざまなセクシャリティから愛の意味について聞かされる展開の中で、登場人物といっしょになって愛とはなにかを考えさせられる。

 教条的、ってゆーか説教っぽさもあるけれど、雑誌がメインの読者にしているティーンから20歳代あたりの女性が読むとやっぱり、モヤモヤと考えていたことがズバリズバリと言い当てられている内容に「そうそう」ってうなずいてしまうんだろーか。分からないけど連載されて単行本にもなったくらいの人気と支持はあるんだろー。澁谷千都世さんのイラストは女性も男性も見目麗しくってなかなか。どーしてこれを表紙にしないんだろーって疑問に思ったけど、この内容でそんな表紙がついた日には他の耽美系ノベルズに埋没してしまう可能性だ大きいから、ハードカバーの新書サイズで値段ちょい高めで装幀は抽象的って選択もある意味正しかったのかも。耽美系ノベルズなんてまるで読まない読者にこーして届いている訳だし。

 「SPA!」の7月9日号に”サッカー評論家”の大森望さん登場、ってもサッカーについて話してるんじゃなくって今W杯の最中にいろいろと語られた中から「私が気になった著名人の珍言・迷言」ってのを選んでコメントする役だから、正しくは”サッカー評論家評論家”って立場になるのかも。選んでいるのは韓国が強いっても中身は昔ながらのアジアンサッカーだって言った後藤健生さんの言葉と抜き打ちW杯を提唱したえのきどいちろうさんの言葉でどちらかといえばオモシロ系。何やらテレビ東京のアナウンサーとの結婚が決まったらしー(出ていたフジでなくテレ東ってのは何故?)金子達仁さんがトルシェを見直したって書いたすぐ後でやっぱりトルシェは一級品じゃないってくさした言葉を並べているやくみつるさんはさしずめ嫌味系か。シロウトから採った言葉だと横入りのガキに「オウンゴールするな」とオヤジが怒った話とか、キャバクラ嬢に向かって「ハットトリックしようぜ」って言った話とか、あの喧噪の中ではいかにも出て来そーな話があれやこれや。サッカーへの支持は続いてい欲しいけど、こーしたヘンテコな例えは滅びちゃって良いです。


【7月2日】 なおもW杯決勝「ブラジルVSドイツ」で気づいたこと。試合の始まる前に下見に登場したドイツ代表のGK、オリバー・カーン選手がかがんで芝生に指を伸ばして感じを確かめている姿が見えて、このところチャートを急上昇しているらしーカーン選手の応援歌、「オリー・カーン」の日本語版にある歌詞「芝生が冷たいと機嫌が悪い」を思い出してしまった。もしかして冷たかったのかな、遠目に見ても顔、怖かったし(生まれつきだってば)(赤ん坊の時からあんな顔?)。

 そのカーン様、天下をとったブラジルチームのエース、ロナウド選手を押さえて晴れてW杯のMVPを獲得。それ自体に異論はぜんぜんないけれど、優勝したチームで7試合制になって最高の得点を奪ったフォワードを押さえての受賞になったってのはやっぱり意外。集まった記者の投票で決まる賞だけに、ベテランの記者の目には今大会では突出した存在だったロナウドも、「サッカーマガジン」の巻末コラムで「弟」と言われてしまうくらいに、最盛期には遠いフィジカル(それでもすさまじいんだけど)になってしまったロナウドをロナウドだと評価したくなかったのかも。あとはやっぱり髪型が嫌われたとか。それを言うならカーンのもみ上げだって時代を外してる気もするけれど、それを当人に言う勇気はかのジョセフ・ブラッターでもないんだろーな。コリーナ審判が言ってもやっかみにしか聞こえないし。

 余裕、とみるかそれとも惰性、とみるか評価の別れるところかもしれないけれど、個人的にはちょっぴり踊り場に来てるかな、って印象を受けた夏の「プレイステーション・パーティー」。その昔、「プレイステーション2」には遊んで楽しいソフトが少ないって揶揄されバッシングされた時に「だったら見せてやろうじゃねえか」ってばかりに開催されたのが確か最初で、その時は記憶だと「エースコンバット」あたりだっけ、とにもかくにも「PS2」のすさまじいばかりのグラフィック能力を見せつけてくれるタイトルが各社から持ち込まれていて、「PS2、勝ったな」って思わされたものだった。

 以後も何回か開催されてその度に、先を楽しませてくれそーなタイトルに「天下は続く」って確信を抱いたものだけど、昨日、珍しくも六本木なんかで開催された「プレイステーション・パーティー」の席上で発表されたタイトルは、ほとんどがヒット作の続編だったりすでにヒット作のあるジャンルへの後追い企画だったりして、見ていてどーにもときめかない。それだけ口が奢ってしまった可能性は否定しない。しないけれどもそれでも買って遊び込むんだって思わせてくれたのが過去の「プレイステーション・パーティー」だったのに、今回はこれまでに食べたソフトで満腹になってしまってたこともあってか、別腹にすらなかなか入っていってくれずに往生した。

 もちろん中にはチュンソフトが晴れて挑んだ「かまいたちの夜」の新作とかがあって、坊主な牧野修さんに駄洒落な田中啓文さんが絡んだシナリオがは足してどんなだろーって期待を持たせてくれているけれど、これだって大ヒットした前作からのステップアップでそれ自体が新しいジャンルを提案した訳でも新しいビジョンを見せてくれている訳でもない。同じく「トルネコの大冒険」のPS2版も上から見おろす視点が妙にマッチしていて3Dならではの特徴をうまく咀嚼したビジュアルになっていたけど、でもやっぱり「トルネコ」の続編でしかなくってこれまで遊んでいなかった人に、どーやってプレゼンするのかがちょっと見えない。

 ほかにも「幻想水滸伝」とか「ぼくの夏休み」とか「スターオーシャン」とかのいずれも続編が並んでいて、デジタルにすさまじくなってはいるけどこれまた「トルネコ」と同様に、過去の作品をプレイしていて始めて通じる一体感、めいたものがあって初物狙いが趣味な僕にはパッと手を出させない。唯一、ポピュラリティがあるなって思ったのがアーケードで御存知なナムコの「太鼓の達人」のPS2版。太鼓コントローラー付き、ってスタイルは「ドラムマニア」辺りの系譜を汲んだ音ゲーなんだけど、シロウトさんが見ても分かりやすいし楽しそー。これなら普通に一切の予備知識も思い入れも必要としないで売れて行くんじゃなかろーか。これがコンシューマゲームになるなら来年辺りには是非、「ナイスつっこみ」のCS化もお願いしたいところ。顔に奴(誰だ?)の写真をはって突っ込み倒すから。

 代わりに、って訳じゃないけど過去に大ヒットしたタイトルの価格を下げてより買いやすくして、最近の一連の値下げで改めて「PS2」を買った人が半ば定番としてゴルフとか、レーシングとかのタイトルを買い安いよー配慮してあったりするから、商売としてはソニー・コンピュータエンタテインメント抜け目がない。それでもやっぱりゲームあってのゲーム市場の安定だし、画期的で革新的なゲームが登場してこそのゲーム市場の発展って訳で、グラフィックをいじってシナリオを奥深くしました的な”厚化粧”とは違うアプローチを見せてPS2への期待を煽って欲しかったし、勝利を決定づけて欲しかった。もちろん続編でもそれぞれが素晴らしい内容のはずだしそれなりなファンはいるからPS2の勝ちは変わらないだろーけど、こんな一時のドイツ代表チームのよーな勝ち方ではもはや世間は納得しない。もっともっとときめきを、PS2陣営にはお願いします。だからって「ときめきメモリアル4」はすぐにはいらないんだけど、アニメに戻してくれるって選択肢を採用する場合を除いて。

 藤原征矢さんの「龍神の惑星」(朝日ソノラマ、520円)を読む。宇宙移民船から救命艇で脱出した少年がコールドスリープの果てにたどり着いた惑星、そこは国々が群雄割拠するなかで、不思議な力を与えてくれる泉を守る村人たちが暮らす森の中だった。少年はそんな彼らの仲間になって暮らし始めたが、やがて周囲の国から泉を狙う軍隊がおとずれ、村や村人たちはピンチに陥る。概略説明すればそんな感じのイントロダクションだけど、ご多分にもれず不思議な力を与えてくれる泉には秘密があって、SF読みファンタジー読み伝奇読みな関心はそんな泉の秘密がどーゆー決着でもって語られるかって所へと向かう。

 結論的にはまあ納得の結論で、短い中に少年の成長と正義を貫く勇気の大切さなんかが語られていて読んで素直に関心できる。問題は秘密の理由付けが結末では納得できても戻って考えるとそれで良いんだろーかって悩みが生じること。泉を求める人の前には泉は現れない、ってのが泉の意志なり泉を守ろうとする人の意志の力ってことだとしても、根底にある泉の意志を裏づける科学的物理的生物的な理由付けが今ひとつピンと来なくって、ちょい戸惑う。獣人野郎はともかく敵方の魚頭な野郎がどーして誕生したとかいった部分の理由も判然とせず。たとえばここにテクノロジーを微細化させてぶちこめば、濃さも出たかなって感じがあって薄さは読み易さだとしても、ちょいもったいない気がしないでもない。パッ、と読んでジン、としたい人ならこれで良いのかな。狐娘の小葛ちゃん萌え。けどこいつっていったい何なんだ?


【7月1日】 W杯の決勝で見て気づいたことポコポコ。途中で服が脱げたか敗れたかして着直そうとしてたあれはカフーだったっけエジミウソンだったっけ、遠くで見えなかったけどともかく誰だったかがカナリア色のナイキのウェアに、首を差し込んだもののそれが何故だかうまく着られず、ゲームが暫く止まってしまった。首はうまく抜けるんだけど何故だか袖がうまくとおらず、裾から差し込んだものの中でひっかかったかして袖口から腕が出てこず、抜いて裏返してまた着ようとしてやっぱり通らずちょっと焦り気味。見ている方からは笑いが漏れ、怖い顔したコリーナ審判も遠くから苦笑して見ていたよーな感じで、渋い試合に重くなってた空気がフッと和んだ気がした。

 どーしてそーなったかは、オーセンティックのウェアをセレソンのでも韓国のでもアメリカのでも良いから持っている人は分かるだろーけど、これらの代表に提供しているナイキの今シーズンのウェアは便利にもインナーウェアが裏地代わりについていて、別に買って着込んだ上からユニフォームを羽織る必要がなかったりする。ただし外のウェアとは襟刳りの部分が縫い合わせてあるだけで、袖口の部分が裏地みたく縫いつけてある訳じゃなかったのがマズかったみたいで、インナーの袖に通した腕がアウターの裏側のどこかにぶつかってしまったかして袖から出てこず、何度も着直す羽目になった模様。あと全体に小さめの仕立てで着にくかったのかも。確かリバウドはイングランドとの試合でゴールの後で黄色いインナーを見せてたけど、メッセージを書けるよーにしてたってことの他に、脱ぎ着が面倒とゆーことを用心して裏地なしのを選んでたのかも。緊張しまくりだったゲームで和むシーンでした。

 それから試合終了後のジュール・リメ杯の授与シーンでもちょっと笑える光景が。いやまあこれは感動するのがもっぱら筋なんだろーし今朝の紙面に誌面を見た人も感動してるのかもしれないけれど、キャプテンのカフーが他のメンバーに比べて1段高い場所に立ってカップを空に掲げている写真で、その場所がお立ち台にしては妙に細いことに気づいた人も多いだろー。それもそのはず、この台はそもそもが優勝セレモニーに際してカップを安置しておくため”だけ”に作られた場所で、決して人が乗れるよーには出来ていないのです。

 それでも折角のカップを手にして思ったんだろー、普通だったらスタンドの高い場所へと歩いて上がって日本だったら天皇杯みたく貴賓席で受け取り場内に見せる所を、今回はグラウンドから見せなくったならない、だったら1段高い場所に上がって掲げるのが良いんじゃないかってことになって、台の上に急遽上がることにしたんだろー。上がる前に何度も手で触れて強度とか確かめてる様子が見えたから、折れるんじゃないかとちょっとは不安だったのかも。上がってる最中のペキンと折れてカップもろとも転げ落ちるなんてことになったら目も当てられないし。しかし写真を見てもやっぱり1人だけ妙な感じ。W杯の開かれる度に前回のセレモニーの様子だって取りあげられる可能性の高い写真だけに、大袈裟じゃなく”歴史”が作られる瞬間を見たんだって幸福感を今は抱いてる。無理目を承知で台に上がったカフーにはちょっと悪いけど。

 ワールドカップが終わって世界へと散って言ったサッカー選手にサポーターの後を追うよーに、今度は日本から世界に討って出るソフトがあるってんで発表会見に行く。その名も、ってもはやゲームに関心がある人なら誰だって知ってる「サクラ大戦」が「プレイステーション2」への移行に留まらず広く世界に出ていくことになったって内容で、その核弾頭になりそーなソフトの話にアニメ放映の話なんかがプロデューサーの広井王子御大や香山哲超御大の口から語られた。まず登場するのは「セガサターン」向けだった第1作をリメイクして「PS2」で遊んで楽しめる感じにグラフィックとかゲーム性をいじったソフトだそーで、1話の良さに感激した身としていの一番に触ってしまいそー。もっとも3DCGになる光武だか何だかの妙にゴテゴテとしたデザインにはブーイングしたいところ。羽根とか付いても寸胴な機械じゃー全然格好良くならず、むしろ重く暑苦しく鬱陶しくなってるって感じ。シンプルが持つ美ってのを作り手も受け手ももー少しは考えた方が良いのかも。

 ちなみに正統的な続編になる「5」は、舞台を日本から1900年代初頭あたりのニューヨークへと移して、スターズ・アンド・ストライプスな国旗のデザインも取り入れたかしたタイトルロゴを持った作品になりそー。人種の坩堝と呼ばれた都会だけあって登場する人物もこれまで以上に爆裂さが炸裂するよーな状況いなりそー。どんな構成になるかは不明だけど、先行するさまざまなジャンルのコンテンツなんかを見るにつけ、白人黒人ネイティブアメリカンに子供とドイツ移民とイタリア移民とあとはやっぱりサムライ? なんて人たちが活躍する話なんかになって行きそー予感が。白人は足からジェットで空を飛び黒人は泳ぎが得意でネイティブアメリカンはカンナみたくパワフル。子供はロシア移民で超能力者でドイツ移民は全身これ武器、だったりするのかな。


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