縮刷版2002年3月中旬号


【3月20日】 「スーパーモンキーズ」だった頃から数えて10年近くにもしかしたら及ぶかもしれないその長いキャリアな割にはあんまり気にしていなかったものが何故か、去年の秋頃に突然興味がわき上がって「東京国際フォーラム」でのライブDVDを買って見て、これまた何故かハマってしまった「MAX」の過去のシングルのクリップを集めたDVD「PRECIOUC CLIP COLECCTION 1995−2002」が登場したんで買う。記憶の彼方でそのタイトルがお笑いの対象になっていたことを何となく思い出した「恋するヴェルファーレダンス」が入った1枚目のディスクは後回しにして、割に耳に記憶のある2枚目のディスクから再生して、入っている曲の多くに馴染みのあることを確認して、決して大爆発はしないけれどコンスタントに人気を維持し続けているその仕事ぶりに改めて感嘆する。数多くのグループがデビューしたけど結局、残ってるのは「MAX」だけだもんなー。「dos」とかどこに行っちゃんだろーなー。

 ライブでの振り付けが気に入って曲も気になった「Perfect Love」からビートの利いた他の曲とは違ったテンポとか、サビのメロディが味わい深い「一緒に…」あたりをスキップしながら聞いて後はザッと流した後で問題の1枚目のディスクへ。ウサギのヌイグルミで鈴木蘭々と「ポンキッキーズ」に出ていた頃よろさらに以前の安室ちゃんと一緒にマスカットキャンディーだかのCMでダンスってた頃の、割に頑丈な手足胴体からさして時間も置いていない時期だって記憶があって、もしかするとさらに頑丈さを増していたかもしれないデビュー前後を確認するのがちょっと怖くって、おそるおそるディスクをぶち込んで再生してみると。

 うーんなるほど「恋するヴェルファーレダンス」は、歌詞に曲こそダンスミュージックだかユーロビートだかが大流行してた当時を半ば戯画的に表したもので笑いなくしては聴けなかったりするけれど、出ている当人たちはそれほど頑丈な足とかしてなくって、安室ちゃんにピン立たれて後は4人で生きていかなくちゃいけなくなった以上、見栄えだってもっと気にしなくっちゃいけないんだってな根性で頑張った跡が見受けられて、そんな根性が7年経った今に至るまでトップランナーに「MAX」をいさせ続ける原動力になってるのかな、なんてことを考える。メンバーの結婚と出産で久々の”試練”が訪れたけど、かくも長い歴史を経て来た以上はメンバーのてんでばらばらな志向性から瓦解へと至った「SPEED」とは違って、いずれ再び4人が揃ってその勇姿をテレビに舞台に見せてくれるだろー。ところで結婚するのって誰だったっけ? そもそもメンバーって誰がナナで誰がミーナでレイナでカンナでオユンナでメロンパンナだったっけ?

 話題で持ちきりだったかってゆーと「週刊新潮」3月28日号の「産経新聞」に関する記事は読んでなるほど「産経新聞」もいろいろ大変だなーってことが分かるけど、大変さの度合いが言ってはなんだけど子供のレベルで、その程度で揉めるんだったらすぐそばに、革命なり反乱なり亡命なり自爆テロなりが起きかねないところが、ごくごくすぐ側にあるんだって、行って教えてあげたくなった。

 部長の拡張のノルマがどうとか、記者に向いてないって10年くらいの中堅社員が辞めてるとかってな話があるけど、その割に近いところでは編集による拡張なんて生やさしいと思えるくらいに激しい課題が課せられていたりするし、辞める社員は中堅どころか遠からず幹部になるかなって欲しい人たちがそれこそ両手に余る数、この2年から3年の間にごっそりと消えてしまって、次を担う人材がまるて払底してしまっている。かといって新しい血が入ってくるかってゆーと折からの不況が新規の人材を運んで来ず、警視庁が忙しいとかいったレベルとはまた違うハードな試練が社員に与えられていたりする。毎日1人で1ページ分執筆、とか。

 それでも社会の公器として世界を正しく導こーとゆー強い意志のもとに結集して、この難局を乗り切ろーってんならまだ良かったものが、世界を正しく導くどころか世界に身勝手な正義を押しつけよーとする僭越ぶり。ここでゆー正義とはつまりは公器としての役割を担わされているはずの企業が、本来の意味での営利企業として、それもより先鋭的な形で突っ走ろーとすることを是とする押しつけがましくも歪みきった正義で、それを表向きは未だに公器なんだと相手に誤解さえつつ相手を説得しつつ、押しつけていくものだから相手は戸惑い怒り最後には呆れ返って遠く離れていってしまう。後は貧すれば鈍するの例えにならって唯我独尊な正義が増して本来の意味での正義はさらに失われるとゆー悪循環に、もはや瀕死といった状況へとあるところは追い込まれている、らしー。

 なので貧しても鈍し切るにはプライドもあるし世間的もあって鈍し切れない「産経新聞」の残酷物語の、一体全体どこが残酷なんだろーって思ったりしたんだけど、割に近くにあるそのところでは、こんな記事を見ても向こうは大変だねー、それに比べてこっちは大丈夫だねー、なんて自画自賛にまみれて、気付いた時には延命装置も利かないご臨終直前の状態に、陥っていたりするんだろー、ってゆーかもう陥ってる? ともあれヌルい「残酷物語」をスクープしたからって喜んでる場合じゃないよ「週刊新潮」。世の中には、それもすごく近いところに「大残酷サーガ」があったりするんだよ。どこにあるかは僕子供なんであんまり良く知らないんだけど。

 「週刊文春」3月28日号は書評の「文春図書館」のトップページに巽孝之さんの「リンカーンの世紀」(青土社、2400円)が高山宏さんの筆によってドカーンと紹介されていてちょっと凄い。とにかく誉めまくりの文章で、「文芸批評家が政治含みの文章を分析する場合の見事な手並みを巽氏は惜しげもなく見せてくれる」って言葉に始まって、「長く誰もが疑わなかった神話を、そこに秘められた政治学やイデオロギーのゆがみを白日の下にさらすという文芸なり批評が時には脱構築、時にはカルチュラル・スタディーズなんて呼ばれながら、文系の人間では一番最先端とあれる人々の腕の見せ所、才能の競い所のようである」って振った直後に「そうした今や提携担ったお約束の批評で巽氏がとっくにナンバーワンであった」と言うに留まらず「とうにそのレヴェルを越えてしまった」とも書いていてちょっと驚く。

 「思い付きを打って一丸としてひとつに批評空間をつくり上げていくフットワークと博識では、今や巽氏はぶっちぎりの先行者となった」なんて言葉の熱さたるや。実際問題ペラペラっと読んだ「リンカーンの世紀」は前作「アメリカン・ソドム」なんかでも触れられたコロニアルなアメリカの文学から時代を浮かび上がらせる腕前が、より人々の関心が高いリンカーン大統領に絡んで展開されていて、その余りに高い偉人性も手伝って本当は一体どんな人だったんだ(「きわめつけの悪妻に手を焼く、実に優柔不断な人物で、黒人問題を解決しようということになったのだって『まったくの成り行きから』だということになる」らしー)ってな興味も抱かせ易いんで、新書だった「2001年宇宙の旅講義」にも迫る一般性を持って、広く読まれていく本になるのかも。「ふと気付けば一冊の歴史改変小説の趣さえある。タツミは別の新しい風に乗った」なんてホメっぷりなかなかなレビュー。そのホメっぷりから想像するにもしかして、去年「無冠の帝王」が返上されたのに続く戴冠なんてこともあるのかな。


【3月19日】 うまいっ、座布団三枚、差し上げますんでどっかの居酒屋からかっぱらってって下さい辛酸なめ子さん。いつかはブルマー美少女ってな期待も虚しくジャージ美少女から表紙が変わって、まるで購買意欲を失ってしまったもののそれでも創刊号前から買い続けている惰性から、今号もまた手に取ってしまった「サイゾー」2002年4月号だったけど、「m−flo」でリードボーカルを張っている日本人とは造作の違った美女ぶりが目にもまぶしいLISAさんについて書かれた辛酸なめ子さんの「アイドル頌歌」を読んでこーゆーコラムがあるからまだまだ「サイゾー」見逃せないぞってな感じになる。

 あの暑苦しくもポジティブな性格にピタリとマッチした濃過ぎる顔立ちから、一種”鬼”としてLISAさんを捕らえ直した文章なんだけど、中にその余りなポジティブでパッションでモチベーションなスタンスをもって「人をリラックスさせない波動は癒し系の対局に位置する”どやし系”」って例えてて、その絶妙ぶりに読んだ瞬間頭にあったモヤモヤが吹き飛び心に得心の嵐が吹き荒れた。前に田中啓文さんの「UMAハンター馬子」に登場する日本人に見えない彫りの深い美貌と太めの体型とそして徹底的に下品で強欲な性格をもって、いつかドラマ化するなら主演はLISAがピッタリじゃん、って思ったことがあったけど、辛酸さんのコラムを読んでますますその意を強くする。改めてLISA主演で「馬子」映画化を願おー。でもって大スクリーンからどやされる日を夢見よー。

 超パターン。だけど面白いから困ってしまうんだよなー、野村美月さんの3カ月連続新刊投入の最後を飾って登場した「天使のベースボール」(エンターブレイン、640円)には。導入部こそ見合いで振られた挙げ句に実家が傾いて、仕方なく男子校の教諭として働きに出るって変わった感じになってるけれど、赴任した先で出会った不良っぽいのがいて肉体派がいてオタクがいてオカマがいて……ってな感じのどこか突出したキャラクターたちが何故か集まった野球部に監督として就任して、いろいろ苦労をするって設定に、今さら「おお」と驚くほどウブなヤングアダルト読みはいないだろー。漫画読みならなおのこと、前に読んだ○○ってのが10とか100とか出てくるだろーことは確実なんで、展開そのものってよりは前例との微妙な差異なんかを味うことに気を向けることになるのかもしれない。

 ただパターンとは言ってもパターン化するくらいに面白く目を惹き付ける設定ってことには違いがない。問題はそーした興味を惹き付けておくくらいに文体構成にその作者ならではの特徴なり、愛敬なりが出てるかってことで、その点で野村さんの「天使のベースボール」は、語弊もありそーだけど良い意味で漫画みたいに手軽に手に取れる楽しい小説、ってことで字で読むマンガって例えるなら、その典型ともいえるくらいに、テンポが良くって展開の出し入れも読む人を飽きさせずかといって混乱させないよー、天然なのか意図的なのかはともかくちゃんと配慮されていて、ゲラゲラと笑いながら1時間もかからないで読み終えてしまった。何だか次とかいろいろ構想もあるとかで、振った相手との再会から新しい男子の積極的なアプローチから、恋のドラマがいろいろありそーな今後の展開を是非とも知りたいんで、早く次を書いてやって下さいな。でも先に希望するのは「フォー・マイ・ダーリン1」の続きの方なんだけど。

 おお凄い。4月1日からNHKのFMだかでドラマ化される「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」の作者の滝本達彦さんが、FM局では当然ながらライバルなFM東京の坂上みきさんをパーソナリティにしたFM版”徹子の部屋”的な番組らしー「マキシム レディオ・ソファ」に出演してはいろいろと喋ったそーな。4月1日から5日までの5日間、午後3時25分から3時半までの放送だそーで、タイマーで録音したいけれど同じ日程は夜にラジオドラマの方があって同じテープに交互に入れることになってしまってちょっと複雑。ラジカセ2台買って別々のテープに入れるしかないのかな。MDラジカセだったら後編集とか楽なのかな。でも家にあるカセットを聞き直したいって欲もあるからなー。残り2週間で考えよー。

 それんしても滝本さん、ひきこもりのトップランナーを標榜してるんだけど、外に出て、有名人としゃべれる人を果たして「ひきこもり」って呼んじゃって良いんだろーかと悩むことしきり。とはいえテレビ番組だったらまだしも、顔とか出ないラジオでそれも生放送じゃないんで、「ひきこもり」でも緊張しなかったのかも。かたやラジオ番組にゲストとして呼ばれ、こなたラジオドラマで一気に名前の広まる可能性が出てきた滝本さん。国会とかで政治家のドタバタばかりに目が行ってしまいがちだけど、そんな間隙を縫ってラジオドラマにトーク番組と活動の幅も広がってるんで、4月からの新年度にはさらなる飛躍を期待しよー。やっぱり映画化しかないっしょ。


【3月18日】 やってたな、ってゆーか割に鳴り物入りで始まったな、って記憶はあるけどそれが瞬く間に終わったって記憶はなくって、後でたったの4話で放送中止になったって聞いてしまって、だったら見ておけば良かったもう絶対に再放送なんてされないだろーしビデオにだってならないだろーから、って後悔してから幾年月が流れただろーか。82年の初放映にしておそらくは最後の放映から20年、いよいよあの幻の手塚アニメが帰って来る。「ドン・ドラキュラ」のDVDが4月25日にいよいよパイオニアLDCから発売になるそーで、それもテレビ東京では放映されず地方では放映されたらしー5話から8話も含めた制作済みの全8話が収録されているとかで、当時も見なければ今ももちろん見たことのない「ウルトラセブン」の第12話以上に幻だった作品が、いったいどれほどのものだったのかを確かめられる日の到来に胸躍る。

 26話まで制作予定の8話なんでどれだけのエピソードが入っているのかは知らないし、「名物に旨い物なし、手塚アニメに巧い物なし」ってな格言(今作った)に従うならば、その作画のあまりな酷さに作品のファンとしてオイオイと泣いた「三つ目がとおる」に果たして買っているのかそれともいないのかが判断のつかない所で、よしんば買っていたとしてもだからどうしたってな程度だからハッキリ言って期待は薄い。けど見るとドン・ドラキュラ役の内海賢二さんはともかく娘のチョコラを島津冴子さんが演じているのには当時の島津さんの魔子ちゃんがしのぶでユリでラグだったりした大活躍を知る者として強い興味がある。値段も8話収録で5800円と異例の安さなんでここはひとつ「ガンドレス」も「STUDIO4℃コレクション」も買った身として(一緒にするのか?)やっぱり買うしかないんだろー。をを「星銃士ビスマルク」のDVD−BOXも出るのか、これも見た記憶がないんだよなー、「アルビオン」はあるのに。

 ついでに謎DVD情報。その昔に発売されたにも関わらず広末涼子さんの出演映画で個人的には最高にして唯一のまともな作品だったりす「20世紀ノスタルジア」がデラックス版として再発売、とか。あおりの宣伝文句が「最新主演作『WASABI』も大ヒット!」ってなってるあたりにちょっぴり微妙な空虚さも漂うけれど、ことDVDに関して言えば値段は4700円とそれなりにお得な上にCD−ROMで発売されてた「ノーヴァ・ステーロ」に収録されてたメイキング・ムービーが再発分には入るとかで、マスタリングが改めて行われているのかどーかは知らないし音声も質が上がってるかは分からないけど気分が合えば買い直しても良いかな、とか思ってみたり。メイキングに特別編集映像も入った14歳から16歳の頃のヒロスエの姿態が拝める「インフィニティPlus」も同発で3800円とかで、あるいはそっちだけにするかも。14歳の頃のヒロスエにはホント、未来があったんだよなー。をを早瀬優香子さん主演な「キスより簡単」もDVD登場なのか、歌とか好きだったなー、今いったい何やってんだろ?

 「崩壊のビート」って言葉はえっと、コミック版の「ブギーポップは笑わない」で結構気になるキーワードになってたかな、って記憶があるけど既にして彼方へと押しやられてしまってて、中身とかどーだったのかってな具体的な記憶がまるでなく、そんな「崩壊のビート」って言葉が割に重要なキーワードになってた上遠野浩平さん「ブギーポップシリーズ」最新刊ってゆーか外伝ってゆーか同一世界の別の物語ってゆーか微妙な立場にある「ビートのディシプリン SIDE1」(電撃文庫、610円)を読んでも、コミック版との関連性どころか過去の「ブギーポップシリーズ」との関連性も思い出せず、フォルテシモとかイナズマとか、聞いたことのあるキャラクターがシリーズではどーなったんだろう? なんて疑問に心の尻尾をつかまれる不安定な気持ちを抱きながら、それでも頑張って読み通す。読めば過去とか知らなくっても一種の超能力バトル的な楽しみが出来る内容になってたんでちょっとは安心できたけど。

 波動で相手を操り自分を高めるなんてまるで波紋な「ジョジョ」じゃん、とか思って果たして良いのかそれとも無遠慮なのかは不明。けどまあそーした超能力(ちょーのーりき)バトルなんて「ジョジョ」より以前にも山とあった訳だから、むしろどーいった能力が揃えられてそれがどんな感じに破られるのか、ってな当たりのドラマの組み立て方とか見栄の切り方を楽しめば良いんだろー。波動な奴等のバトルのどーやって相手より上に立とうか、なんて展開での心理的なかけひきも含めたぶつかり合いの楽しさは、狡猾さではおそらく「ジョジョ」シリーズ登場キャラクターでも屈指のジョセフ・ジョースターの華麗な騙しっぷりにも通じて読んで楽しめる。とりあえず話、終わってないみたいなんでこの先さらにどれほどの超能力バトルにどれほどの騙し合いすかし合いが繰り広げられるのかを、個人的には終わってしまった「ジョジョ」に代わって期待しながら先が出るのを待って行こー。とことで「カーメン」って何なんだ。「マグロマル」みたいなものなのか。

 「ザ・スニーカー」でのイラスト付きレビューに続いて今度は小説誌でも中堅どころな「小説すばる」に大森望さんの紹介で登場した滝本竜彦さん「NHKにようこそ!」(角川書店、1700円)。チラッと触れただけの某「SFマガジン」ではやっぱり届く範囲が限られていただけに、SFとかヤングアダルトとか読まない人が手に取り気にするコーナーで紹介されてたことで、あるいはそれでご飯を食べているプロフェッショナルな書評のシーンに届いて読まれて紹介される機会が増えるのかも。紹介の仕方も金城一紀さんの直木賞受賞作「GO」と比較してあって、あれだけ話題になって映画も大好評だった本に比べられるんならもしかして、って連想も働くだろーし。プロデュースを担当した村上達朗さんとは前に金城一紀さんみたいな売れ方をしたら良いですねー、いっそ直木賞なんて楽しいですねー、せっかく文庫じゃなくって一般層に届きやすい四六のソフトカバーで出したんだし、って話をしていたけど、これで本当になってくれればあるいはひょっとして、なんて妄想も浮かぶ。さてはて如何に。とりあえず「日の丸アマゾン」は品切れを何とかしなさい。


【3月17日】 あの啓発セミナーが高校演劇な最終話をナマで見て、脳天から血を吹き出して怒り笑った身にとって、今さら画面がリキテックスで殴り書きされたイラストボードによる紙芝居になろうと、マルに点3つで顔だと言い張られたキャラクターがうにょうにょ動くだけの現代アートになろうと、驚きもしないし呆れもしないんで、しっかりとセルっぽい絵で美少女キャラクターが画面に代わる代わるだったりまとめてだったり登場してくれるアニメの、それが別にラジオドラマであったところで大丈夫だっかもしれないストーリーであったとしても、文句はつけないしむしろ心から素晴らしかったと拍手喝采を雨霰と贈ろうではないか。よくやった、感動した、「ギャラクシーエンジェル」TV版。

宇宙を食べちゃうくらいに危険で巨大なロストテクノロジーを退治しに行ったエンジェル隊。なんだかんだで敵をやっつけ帰投の途上にある5人が、戦いを振り返る中でひとり相変わらず能天気に食べ物の話ばかりするミルフィーユ。ところが途中、誰が最後の攻撃をしかけたかで話がすれ違いを見せ始め、そしてとんでもない事態へと至るのであった、ってもそこはお気楽エンジェル隊、あせらず気にせず振り返らずにとっとと現場を逃げ出すのであった。

 コックピットの中をパカパカパカとディスプレーが浮かんではエンジェル隊のメンバーが映し出されて会話のキャッチボールをしていく「だけ」の展開の、別に絵、なくても良いじゃんとか思ったけれど、おそらくは「機動戦艦ナデシコ」あたりで進化し完成系に至り、今や宇宙アニメロボットアニメに欠かせないコミュニケーション描写の形となったディスプレー芸の、一種究極を見られたってことで朝をしっかり起きていて良かったよ、今日も一日が楽しくお気楽に過ごせそうだよと心安らぐ。

 「ヴァニラさん×無限」なノーマッドの呟き予告の意味が分かった後半もこれまた傑作。奪われたノーマッドを必死では全然ない形相で追いかけ追いつめるヴァニラさん。何故にそこまでに、って理由の実は愛などではなかった事実に呆然とするノーマッドにちょっぴり同情。でもいいじゃん、敷いてもらえたんだから。ヴァニラさん僕も敷いてくださいその下に。ミルフィーユさんに踏んでもらえる方も捨てがたいけど。フォルテさんに撃たれるのだけはちょっと勘弁。

 幸せにちょっぴり胸ふくらませながら、大地震が起こったらおそらくは東京タワーの下敷きになるだろー場所にある「東京タワーアミューズメントホール」で昨日、今日と開催された村上隆さんプロデュースによるアーティストの「ワンダーフェスティバル」的イベント「GEISAI−1」を見物、かねてより散々っぱらネタにはしながら実はまるでほとんど直接の面識がない村上さんなんでイベント開催しますから取材しませんか的な対マスコミ用の案内も届いてないんで、普通に入場料を払って入って一般(的な冷やかしの)客として、あちらのブースでしゃがんで作品を見ているローライズ・ジーンズのお姉さんたちの、腰付近にのぞく黒だったり茶色だったり白だったりするパンツとか、こちらのブースでしゃがんでかがんで作品の説明をしている襟ぐりの開いたブラウスを着て下はノーブラなお姉さんの、首筋から奥に見えてしまった左右2つの突起とかを楽しむ。アートって素晴らしい。

 いや別にそれらはアートじゃないんだけど、「チョコエッグ」人気で若い女性が増えたとはいっても未だに男性が圧倒的だったりする「ワンダーフェスティバル」のようなホビー系統のイベントだと、まずは絶対に見られないよーなスレンダーで顔小さくで胸大きくて足長い、美女に美少女がワンサと詰めかけていたりするのはアート系なイベントならではで、こんなに美女美少女がやって来てくれるんなら、アートとかやってみるのも悪くはないかな、なんて思ったけれどそこはやっぱりアートだけあって、才能と根性にはやっっぱり人並み外れたものが必要っぽいんで、単なる素人の野次馬としてこの「GEISAI」と、それから春と秋に開催の「デザインフェスタ」に行って詰めかける美女に美少女を、横目で観察するだけで我慢しよー。ローライズ、まだしばらくブームであって欲しいなー。

 会場では兼業のとれたアーティストになったタカノ綾さんを見物。トルコが最近のお気に入りみたいでトルコがタイトルに入ったペインティングが何点かあって、なかなか良くって欲しかったけど急激にお値段が上昇中っぽくって我がサラリーでは手が出ない訳じゃないけどそうそう簡単には出せないんで、あきらめてポストカードとDVDのセットを買う。DVDにはたぶんCGで作られた映像が入ってて、例のあのタカノ綾さん的な目のギョロっとしたスレンダー少女が3Dになってちゃんと動いているその姿に、よくもまあ作ったものだと感嘆する。デジタルな会社にいた効能、ってのがもしかして出ているのかな。

 起承転結のある訳でもないとてつもなく短い映像で、たとえ1枚いちまいに異なるイラストが描かれてるものでも、ポストカードとプラスで1万円はこれまたアーティスト・プライスだねー、なんて思ったけれど、聞くとジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編からインスパイアされた映像だそーで、だったら買わずにはいられないと持っていた財布から万札を抜いて渡して1つ購入する。あとで似顔絵も描いてもらったんで、ドローイングが1万7000円とかすることを考えれば、むしろ全然お得かも、なんていじましいことを考える。金に糸目をつけずあるもの全てをごっそり頂くコレクターって奴になって、専業になったアーティストが酒をたらふく飲めるよーにして差し上げたいものです、いや飲ませると面白いって聞いたんで。

 もっともイベントホールで開催された、小山登美夫ギャラリーとミズマアートギャラリーのどっちが凄いか対決イベントで、両ギャラリーの応援者として登壇した村上さんと会田誠さんのうちの村上さんが、ニューヨークのギャラリストからアーティストが全然お金持ちになれないのは、お金持ちの「スウィート」な階層を相手にしている商売だからで、もしもお金持ちになりたかったら、大衆を相手にしなければいけないんだよってことを言われたとかで、なるほどだったらタカノ綾さんには、1枚何10万円もする真筆の作品とは別に、今回その映像的なセンス音楽的なセンス(BGMも自作とか)をより発展させた、映像作品を作ってもらって大衆受けしてもらった方が、良いのかもなんてことを考える。

 ちなみにどんな短編にインスパイアされたのかを訪ねると、タイトルはすっとは出て来なかったけど、育ての親だとかに苛められてた少女が宇宙船で航行中に宇宙人を出会う話って聞いて「たったひとつの冴えたやりかた」だと理解。見るとうにょうにょとした生き物と少女が対面している場面があってやっぱりそーだと得心する。どっかで長いの、作らせないかなー。

 しかし激しかった小山×ミズマのトークバトル。割にシステムとしての美術館制度、学芸員制度を意識して、ってゆーか意識せざ得ない現実を踏まえてさてどうするか、って部分がまだ残っていたミズマアートギャラリーの人に比べて、美術館のダメさ加減に自分で作品を買うだけの予算を執行できない学芸員のダメさ加減、未来のアーティストがズラリと出ているらしー「GEISAI」をまるで見に来ない学芸員にまるで気にしないアート・ジャーナリストの怠慢さを小山さんも村上さんも訴えてて、去年の夏に横浜で奈良美智さん、東京で村上隆さんとゆー2人の専属アーティストの個展を2つの美術館で開いて、いよいよシステムとしてのアート界に進撃を始めたかに思っていただけに、ちょっと意外な印象を受ける。いろいろあったんだろーか。

 前回のプレイベントが村上さんの個展開催中の東京都現代美術館で開催されたのに対して、今回は市中のイベントホールだったってことも、もしかしてその時に対応に含むところがあったんだろーか、なんて思ったけれど一方で、ああいった権威の象徴めいた場所で開催するからこそレジスタンスにもレボリューションにもなったりする部分がある訳で、これがオタク系のイベントも時々開催されるイベントホールで開かれた所で、討ち果たすべき権威筋にはまるで響かずむしろ遠ざかっているよーな印象もあって、落ち着かない気持ちになる。  グランプリとか、何とか賞とかいった表彰制度を持ち込んで「デザインフェスタ」のよーな”参加することに意義がある”的雰囲気とは違った緊張感を出そうとはしていたけれど、作品を出している側の一攫千金めいた意欲はそれとして、来ている側にそーしたアーティストの意欲と力量を汲み上げ権威の回路にはめ込むなり、マスなマーケットにつなぐといった力がそれほどある訳じゃないんで、権威の牙城で開いて権威筋に見てもらえる機械のあった前回に比べて、今回はここだけの楽しみに終わってしまいそーな気がしてならない。

 そーならないためにもジャーナリズムやマスメディアが頑張らないといけないんだけど、これまたアート界以上に権威に敏感だったりするんで容易には受け入れないし、受け入れたとしてもどこかキワモノ扱いになってしまう。且つ大衆もこれまた権威に依存しがちで、キワモノ的な扱いのものはどこまでもキワモノとして認識してしまうから、先はますます暗いし遠い。もっとも今はキワモノ扱いでも、そーして開いた風穴がやがて大きくなって、既存の権威に依らずおもねらないアートのレボリューションが巻き起こって、クリエーターもユーザーも、みんながみんなハッピーになるんだって展望もあるから、権威の無視無知無関心も気にせずむしろ歓迎しつつ、粛々と回を重ねていくことの方が重要なのかも。次回は8月31日9月1日の開催とか。うーん、ますますオタク系イベントの流れに組み込まれそーだなー。

 背中パンツに胸突起以外はイベントに登場した鉄拳さんとか見物。あと場違いっぽい雰囲気がやっぱり未だに漂う海洋堂のブースで、BOMEさん原型の「鬼娘」のブリスターパック入りフィギュアを購入する。「ワンフェス」会場だったら立ち所に売り切れそうなのに、そこはアートなイベントだけあって、「ワンフェス」で村上さんの作品がそれほど気にはされない逆のことが起こっていたりするのかも。隣りのブースがバンダイのキャラクター研究所だったのもちょっと意外。絵本を作ってキャラクターを売り出そうってことをしているのは知っていたけど、アートなイベントの場でアートな雰囲気のブースを作ってどれだけバンダイの存在感をアピールできたのか、疑問に思ったけれど別にバンダイのガンダムがウルトラマンな印象をフックにアートに浸透しようとしている訳じゃなく、作品があってその背後にあるバンダイの名前にいずれ気づいてもらえれば、ってなアプローチだと思うんで、あちらこちらに出ていろいろしてみるのも良いのかも。


【3月16日】 先着200人にセル画をくれるってんで今日から公開の長編アニメーション映画「パルムの樹」を見に行く。昔だったらいざしらず、今時のデジタルアニメな時代にセル画を配ってくれるアニメーションはどんどんと減っているんで、これは貴重な機会ってことで、一体どんなアニメかなんて全然気にせずかけつける。去年だか一昨年だかの「ガンドレス」完全版の公開の時にも確かセル画を配ってて、朝早くから起きて上野までもらいに行った記憶があるけど、こいつの場合はとんでもない劇場公開版が前段にあって、果たしてどんなセル画になっているのかって無粋な興味が先にあったんだけど、「パルムの樹」はそーいった興味がなかったんで、とりあえずは女性のキャラのセル画が当たればいいかな、って思ってた。

 午前8時半に到着すると有楽町の「スバル座」入り口には20人ばかりの行列で、後について待つことおよそ1時間、会場した列に連なっていよいよ待望のセル画が入った袋をもらい、中をのぞくと一応は主人公らしー「パルム」って人形が描かれてはいたけれど、見た目にそれほど格好良い主人公じゃなくってちょっとがっかり。決して今風のデザインじゃないけれど、ポポって女の子のセル画がどーせだったら欲しかった。行列が途切れた後もまだ配っていたから別に、朝早くから駆けつけなくてもよかったと脱力感も抱く。出てまたチケットを買って入ってセル画をもらう、って手もあったけど、そこで今度はさらに不満足なキャラクターとか出られた日には週末に寝込む可能性だって低くはないんで、あきらめ作品への期待に気持ちを集中させる。

 実際のところセル画をもらうなんてのは半分は話のネタなんで何が出よーともあんまり関係なく、それよりも素晴らしい作品を見られれて心を感動させられれば疲れも全然出ないだろーと期待していたんだけど、10時からスタートした上映を見て冒頭から頭にクエスチョンマークが連続点灯、なに? なに? なに? ってな戸惑いの気持ちを常に抱かせられっ放しのまま、実に2時間17分も続く内容に、見終わった時には精神的な疲れが心臓に溜まって、舞台挨拶に登場すると分かっていてもなかむらたかし監督の名前に向かって、拍手しよーとする手が上がらなかった。なんですかこの物語は? なにが言いたかったのですかこの物語で? 分からない、もう全然分からない。

 まず世界が分からない。地球、みたいな風景だけど砂漠ばかりで人はまばらで不思議な植物が生えていて、時には空を巨大な魚みたいな生き物が横切る時もある。でもって地表に見えるその場所も、単なる地表って訳ではなくって、空の天上の向こうだかに天界があって、そこより低次の場所ってことになっている。それがリアルな話で空お上には高度な文明が栄えているのか、それとも天国めいたものを意識しているだけで単なる言い伝えなのかが掴めず迷う。地底にはこれは確実に別の世界があって、人間とはちょい違う人たちが住んでいて、クルップって種類の樹木の最高峰らしき「ソーマ」って存在からいろいろと知識を得て、それなりの暮らしを育んでいた。

 そんな地界地上界天界の3層構造になっている世界観が、最初の段階ではまるで説明されないままに物語がスタートするため、次々に浴びせかけられる情報に頭が追いつかず、すぐさま戸惑いでいっぱいになってしまう。天界から謎めいた卵を盗み出して来た女性が老人と、今は動かなくなってしまった壊れた人形のパルムの住んでいる家へと飛び込んで来て、卵を老人に預けて何処となく消えてしまう。続いて彼女を追って、地底に住む別の種族が現れて、老人を危め消えた女性を追って飛び出していく。なるほど彼らはパルムにとっては敵に見えないこともないけれど、クラリスを追うカリオストロ公爵みたいな明確な悪意があからさまにされていないせいもあって、はっきりとした敵意が抱きにくく、パルムたちに親近感も抱けない。

 それからキャラクターが分からない。心を病んだ女性の相手役に作られたパルムだったけど、その女性の死をきっかけに心を閉ざしてしまって幾星霜、逃げ込んできた地底人の女戦士コーラムの頼みを聞いて、「トートの卵」なるものを腹に取り付け旅に出る展開は、まあ理解できないこともないけれど、その結果、心を病んだ女性に精一杯の情愛を示していた頃を思い出したパルムが、当時に振りまいていた優しさをだんだんと発揮して、行く先々で出会う人々を救う役割を果たすのかと思ったらさにあらず。途中で人間になりたいと言い出し、そのためには少々の犠牲だって厭わない、ポポって女の子のために人間になりにいくんだから、ポポはもっと自分に協力すべきだ、なんて傲岸不遜なセリフも飛び出して、キャラクターに気持ちを乗せて物語を追いかけることが出来なくなって、どこに連れていかれるのか、それもろくな所じゃない場所へと連れていかれるのかってな疑心暗鬼が生まれて身構える。

 人形のパルムが人間を目指すって「ピノキオ」以来のテーマを主旋律にしているんだったらまだ分かる。けどどーもそればっかりではいみたいで、心の病に侵された女性を慕っていたのに相手はさっさと冥土へと旅だってしまったがため、存分の愛を受けられず心に闇を抱えてしまったパルムを筆頭に、美人だった若い頃を思い出しては、かつての自分の栄光をこれから独り占めしていこーとしている娘のポポに辛く当たる母親とか、父親の愛情を兄や弟たちほど受けられなかたことで、歪んだ愛情を育んでしまった女戦士コーラムの生い立ちとかいった、「親と子」の甘くない、むしろ痛い関係を割に主軸のテーマにしていたりして、どっちを本当に描きたかったのかが分からなくなる。

 そもそもがパルムが人間になりたいと切望した動機からして、腹に仕込まれた卵からの影響が皆無だった訳ではなくって、かつて出会った誰かの暗示なり、あるいは影響なりがあったかもしれないんだけど、それには無垢な状況から人間っぽくなってやがて鬼畜へと至った理由を説明しておく必要があるのに、途中で唐突に明かされてしまうんで、悩んでいた頭がスッキリしたかとゆーと実は輪をかけて分からなくなっていたりする。人を代えて繰り返し描かれる親による子の虐待のシーンはなるほど、そーした子供たちがたくさんいる現代にとても意義あることかもしれないけれど、見て心地良い類のものではないだけに、こーまで繰り返し繰り返し描かれるべきだったんだろーかと悩む。

 見えない世界観の上で繰り広げられる、感情の容れ物としては機能しにくい登場人物たちが、壮大で膨大な設定を背後に持ちつつも割に場当たり的に行動している話が2時間17分も続いて、それで悩まないって方が不思議。さらわれたパルムを助けた不良児たちとパルムが、いつの間にポポって雑貨屋の娘の知遇を得ていたのかが説明されていなくって、どーゆー経緯があったんだろーかとこれまた悩む。あるいはそーした出会いから含めて映像として、もしくは構想としてあったのかもしれないけれど、あまりな時間の長さに、縮める必要があるってことで編集の掛須秀一さんによって切られてしまった可能性なんかも、果たしてあったりするのかな。

 こと映像クオリティだけなら流石はタツノコプロ出身者にして数々のアニメーションで作画に関わって来た人。なかむらたかし監督も携わった劇場版「AKIRA」に出てきた鉄男みたいな、巨大化したグログロな存在とかが激しくも滑らかな動きで描かれていて、改めて作画マンとしての力の高さを覚える。それだけに物語の方は……。とにもかくにも疲れる映画、つかみ所の得にくい映画、心にも目にも優しくない映画ってことは確実で、陳腐な荒唐無稽さ大爆発だった「シャム猫」とは正反対の意味で、2001年度公開のアニメとして歴史に刻まれる可能性を持った作品かも。歴史の証人になりたい人、親との関係に痛みをあまり感じていないは見てみてはいかが、テンション、高めっぱなしでいられるから。


【3月15日】 「ファミ通」とか買って最新のソフト売上ランキングなんかを読んでしばし呆然、発売されたばかりの「Xbox」の対応ソフトでそれなりな場所にあるのが10万本とかの「DEAD OR ALIVE3」くらいで後は1番右端の、それでも載っているだけましなんだろー位置に幾つかが並んでいたりするだけで、その本数も2万本とか言ったレベルでこれは一体どーゆーことなんだろーかと首を傾げる。なるほど15万台いったかいかないかのハードの上で10万本20万本が売れるはずもないけれど、セガとかマイクロソフトとかが渾身の力を込めて送り出したマッサラの新作が数万本ってレベルしか売れてないって状況を、そんなものだと受け止めて良いんだろーかと戸惑う。

 一方で時代が下がろーとテクノロジーが進もーと眼鏡っ娘は不滅だってことを見せてくれた「ゼノサーガ」は流石に「プレイステーション2」上での発売だけあって裾野が広いせいもあって、30万本とまずは当方の類推していた数字をクリアで、あとは向こう1カ月の間にどまで評判を稼いで積み増せるか、って勝負に入っているし、「ニンテンドーゲームキューブ」とゆー日本ではまだまだレアなハード上でも「どうぶつの森プラス」とか「動物番長」が「Xbox」対応ソフトより売れてたりする。個人的にはちょいハードの持ち主とはマッチングがズレてるっぽいと思っている「バイオハザード」がどれだけ出せるのかに興味があるけれど、それでも「幻魔鬼武者」よりは行くだろー。

 欧州ではまるでフーリガンな出で立ちの人も含めて賑わったらしーけど「Xbox」、早急に本当に起死回生の1発を放たないと形から似てると比較されてた例のあれ、「3DO REAL」の二の舞になっちゃうかも。「PC−FX」もあるから三の舞? 「ソウルキャリバー2」とか「超人学園」とか出て来てくれればやっぱり買ってしまいそーだけど、ジャンルが狭いんで爆発するのはちょっと難しい。それならそれで開き直って、やっぱりエロゲーを解禁するしかなくなるんだろーか。でもかといってパソコン以上のアレなソフトが作れるはずもないし。いっそオリジナルってのはどーだ、「NHKにようこそ!」発の佐藤達広シナリオによる「主人公の幼なじみのメイドロボット。だが彼女は、盲目で聾唖で病弱で、しかもアルツハイマーで分裂病の宇宙人だった。だけど本当は幽霊。主人公とは、前世からの絆がある。しかもその実、正体は狐」なヒロインとかが登場する。

 アフリカとかで誕生した猿みたいなのが山と年月を重ねて進化して、大陸を越え海を渡って蔓延った結果が今の白人黒人黄色人種にほかいろいろな姿形をして、キリスト教仏教イスラム教ユダヤ教ほかいろいろな思想を持った、日本アメリカフランス中国イギリスエジプトケニアチリほかいろいろな国籍の人間たちが住むこの地球ってことになった訳で、詰まるところはすべてがひとつに集約されるかもしれないってことが解ってもう結構な年月が経っているのに現状、世界はあちらでドタバタこちらでボカスカな状況が、終わる気配をいっさい見せずに続いていたりする。人はそうそう容易に変われるものじゃない、たとえニュータイプになったって。

 だから大陸の西と東に陣取り大河を挟んでそれこそ数千年ってなスパンで闘いを繰り広げ、恨みもそれぞれに溜まり積もっていただろー2つの国が、すべてを水に流して数日数カ月の短いスパンで仲直りするくらいに劇的な変化を起こせるなんて、やっぱりあるはずがないと思えて仕方がなかったんだけど、そこは世にあるさまざまな価値観の中から正解を掴ませ育ませていくことを主眼に置いたヤングアダルトな人たちのための小説、ってことで時雨沢恵一さんの「アリソン」(電撃文庫、610円)も一種の寓話的な物語だと、やっぱり読むのが良いんだろー。そー読まないとちょっと正直、眉を舐めてもらいたくなるし。

 憎み合う両国を救う宝の存在を示唆した老人を連れ去られた敵国へと乗り込んで助けに行った学生の少年ヴィルと軍人の少女アリソンは、持ち前の行動力と知力を駆使してどーにか敵国への侵入に成功しては、老人の居場所へと近づいていく。敵の傲岸不遜な将校になり切ってしまうアリソンの傍若無人ぶりが地なのかそれとも演技なのかやっぱり両方なのか分からなくって読んで楽しいのはそれとして、たどり着いた宝の正体とそれがもたらした結果を勘案した時に、やっぱりそーゆーものなんだろーかと悩ましい気持ちがわき起こる。ただ希望としてはそーあって欲しいって気もしたりするわけで、可能かどーかは分からないけどこーゆー物語を読んでいがみ合うことなんて取るに足らないことだと教えられた少年少女が長じて国を動かすよーになって、いがいみあいを無くしてくれる未来を信じたくなって来る、んだけど、なあ。キャラの立ちっぷり(とりわけアリソン)が読んで楽しくプロペラ機どーしのバトルも辿って興奮の1冊。地球じゃないけど拳銃ガモーゼルミリタリーってのが謎、だけどモーゼルファンなんで良し。

 物語上の必然として描かれる少年たち少女たちのエロシーン、って点では町田ひらくさんとかOKAMAさんとも重なる部分がありそーな気がした三浦靖冬さんの「おつきさまのかえりみち」(ワニマガジン社、857円)。貧しい家系を助けるためにマッチ売りを名目にした売春に勤しむ少女の痛ましくもしたたかな姿を描いた話とか、病気の進行を止めたために成長まで止まってしまったまま隔離され続けてきた少年少女たちの仲間とか、外とかへの思慕を爆発させる話とか、自慰をしていた所を見つかって下宿先の息子にいいように扱われてしまっている顔の決して美しくない(と物語的には思われているけど個人的には眼鏡っ娘なんでそんなことはないと断言したい)少女がどうしようもない立場にあって嘆きながらも、どうしようもなく燃え立ってしまう感情を消せずもだえあがく話とか、読んでもちろんソソられるけど一方で狂おしい気持ちに胸が詰まる。キャラの可愛さに背景の緻密さは全ジャンルで比べても特級品。エロ以外でも活躍してる人なのかな。探して調べて読んでみよー。


【3月14日】 まるで「ラムのラブソング」踊りみたいだなあ、なんてこと思った人もたぶん少なかったと思うけど(それともエンディングの方だったっけ?)、左右に順繰りに出すだけの簡単なスッテプを、なぜか本当に気持ちよさそうに踏んでる女の子の映像を見て、これは一体誰なんだろーと思った山下達郎さん「ラブランド、アイランド」の再発売CMのプロモーション映像。スリムな肢体な割にはそれなりなボディラインをしていたから、てっきり20歳は過ぎたモデルか誰かだろーろ踏んでいたらこれが全然大違い。「週刊プレイボーイ」の3月26日号に掲載されたモノクログラビア「ヒットの影に、この美女アリ。」のコーナーで紹介されていた彼女は名前が宮内佳奈子さんといって確かにモデルではあったけど、歳はなんとまだ15歳、ボディラインも上から74、58、84とスレンダーを極めていて、我が身の女性を見る目のなさに改めて愕然とする。下から見上げた映像だたんで、量感たっぷりに見えたのかなー。

 実はテレビではまだ見たことのないこのCM(やっぱり見たことのないドラマ「漂流教室」の合間とかには流れてるのかな?)。それが秋葉原にある「石丸ソフトワン」の山下達郎さん関連CDコーナーで、テレビバージョンだけじゃなくってそれこそ1曲分まるまるってな感じのを見て、最初からほとんど最後までまったく一切のオカズも入れず、左右順々に出しては引く簡単なステップの他愛なさにちょっぴり笑みもこぼれたけれど、それでも人目をはばからすプロモを最後まで見てしまったのは単に、達郎マニアだからって訳ではなくってやっぱり、ステップを踏む佳奈子さんの気持ち良さそうな表情に目が奪われてしまったから、だろー。人目を惹き付けないでおかれないモデルならではの特質って、言ってこれは言えそー。大女優を目指すとかで、是非とも頑張って頂きたいところ。でも喋らず歌いもせずに黙って笑ってステップを踏むだけの貴女を、ずっと見ていたい気もするんだよなー。素敵です。

 そんな彼女に心奪われ「10ネンワカガエリマス」とか何とか言って、今時なマイケル・ジャクソン風の腰が入った踊りを披露する、ユダヤ教の人みたいな黒尽くめの背広に帽子に髭の兄さんがいったい誰なのかが、映像を見ているうちに今度は気になって来たけど、雰囲気からするなら外国の人っぽいんで、あるいはブロードウェイのダンサーか、踊りの上手さから言えばバレエのプリンシパルかもしれないなー、なんて思っていたらこれが意外。「週刊プレイボーイ」によれば何となんと「少年隊」の東山紀之さんでした、ああ吃驚。なるほど甘い眼差しとか、顔の形とか足の長さとかはヒガシなんだと言われればヒガシに見えないこともないけれど、あまりなダンスの上手さに日本人ではこれは無理だと不遜にも思ってしまったことがあって、ちょっと思い至らなかった。つまりはそれだけヒガシって凄いってことなんだろー。見直した見違えた。

 初コンサートも間近に控えているのかすでに始まっているかはともかく、すでに伝説と化しつつあるその存在感に、あややこと松浦亜弥さんの凄みを感じつつ情報の消費される余りな速さを思う昨今。すでにして後を追うよーに登場して来た藤本美貴さんが、テレビのCMでも番組のテーマソングでも断続的に登場しては新曲からサビの部分を満天下にアピールして、いつかの松浦亜弥さんみたいなブレイクを予感しつつも、やっぱりさらに次の登場を予見して、先物買いに走るべきなのかを悩む。ロングなヘアーでちょぼっとした唇がとてつもない破壊力でもって我が身に迫る松浦さんも当然悪くはないけど、藤本さんのレンダーなボディにショートの髪型がまた破壊力抜群で、次々と繰り出されるプロモーションに心も激しく揺れ動く。けどそこは筋金の入った強い心の持ち主たる自分、かねてより心捧げると誓った「あいぼん」こと加護亜依ちゃんの前にはどんな美女も美少女も鼻先で粉砕されてしまうから、松浦さんが藤本さんへと移ろうとも、個人的には全然まったく体制に影響はなかったりする。天然には誰も勝てません。

 一部で今さらながらに「ボディブレード」が話題になってて、そんなにまでして皆さんランディ・ジョンソンになりたいのかと不思議に思ったけれど、実際のところ健康産業は日進月歩で新しい商品が生み出されていて、人間の健康を求める気持ちの激しさに思い及ぶと同時に、そんな気持ちに働きかけよーとするメーカーの飽くなき商売心にも感心し感嘆する。「東京ビッグサイト」で始まった「健康博覧会」にコナミが店を出すってんで見物に行って、ループ状になったチューブの中に入った鉄球を、ぐるぐる回すことで生じる遠心力をおさえこむことで、体力を鍛える新しいタイプの健康玩具を試して遊ぶ。見た目感嘆そーだったんだけど、球を速く回す技術がまずいって、どうにか回せるよーになると今度は吹っ飛びそーになるGが起こって、それを押さえ込んで旋回を持続させる技術がまた必要で、頭を体が駆使されてひとしきり遊ぶと結構汗が出た。値段も1万円とかしないで、お腹に当てる電気按摩な「アブドロなんとか」の次には案外、これが台頭して来るかも。でもってテレビショッピングでまたまたランディ・ジョンソンが巨体でグルグル回してるんだ。

 ところで「健康博覧会」にコナミが出展しているとは言っても、全体のイベントのトーンから言えばこれは正直異端児。中心だったのは青汁にクエン酸に玄米茶に高麗人参茶にアガリスクにプロポリスにミネアポリスにミニスカポリスといった、健康に良いとされる飲料とか食品を展示下ブースがだいたい会場の半分以上を埋め尽くしていて、新聞の通販広告とかがそのまま抜け出して来たよーな錯覚にとらわれる。信じる者は救われる的なイメージもあった数々の健康食品だけど、どこも堂々を店を構えて自信満々に商品をアピールしている所から想像するに、売っている人は少なくとも効能を信じてるんだなー、だからああいった自身たっぷりな表情とかが出せるんだろーなー、なんてことを考える。ぐるりと歩けば試飲だけで健康100倍になりそーな気も。けど青汁にアガリスクにクエン酸ってちゃんぽん、やっても大丈夫だったっけ。イベントは土曜日まででこの日は何故か”キックの鬼”こと沢村忠さんがどっかのブースでサイン会をひらくとか。サインはいいから猪木ばりに真空飛び膝げりを喰らわしてくれないかなあ、でも痛いかなあ。


【3月13日】 スポーツ本3題。まずは大リーグ「シアトル・マリナーズ」に所属するイチロー選手の1年目を、「シアトル・タイムズ」のボブ・シャーウィン記者がつぶさに振り返った「ICHIRO メジャーを震撼させた男」(清水由貴子訳、朝日新聞社、1300円)はスポーツ・ジャーナリストの真骨頂を感じさせてくれる1冊。イチロー選手がいかに「マリナーズ」に入り込み活躍し時に悩んだりもしたけれど最終的にはMVPを取るまでに至った経緯がつぶさに綴られていて、語り下ろしの言葉や薄いコメントなんかをつないで1冊でっちあげたっぽいスポーツ本が割にあったりするなかで、そんなに分厚い訳でもないにも関わらず存分な読みごたえがある。あのワールドシリーズで大活躍した英雄のランディ・ジョンソンへの、傲慢さを突く厳しい意見なんて優勝直後の大礼賛報道ではまるでお目にかかれなかったからねー。

 手に触れるものがすべて高価なプレミアムグッズに変わってしまうことが、ギリシアの話に出てくるミダス王に例えられて言い得て妙と関心。破水までしたのに頑張って並んで首振り人形を手に入れた妊婦さんのエピソードとか読むと、日本人ってことで日本のメディアに大注目されているだけじゃ全然なくって、アメリカの人もやっぱり関心を持って注目してたんだってことが分かって面白い。あと著者がMVPを選ぶ上でいったいどーゆー思考を働かせたかを包み隠さず語っているのも、ジャーナリストとして野球選手の何を見ているのかが分かって為になる。当たり前のことなんだけどプレーそのものをやっぱりしっかり見てるんだね、私生活なんて関係ないんだね。

 スポーツやスポーツ選手のどこに着目しどう取材し何を報じるか、ってスポーツ・ジャーナリズムの本分を教えてくれるって意味で勉強になるし、スポーツに限らずすべての取材活動においていろいろと参考になるけれど、16年とかの長い間に渡ってひとつ球団を担当しつつ大リーグ全体を見続けて来たキャリアがなせる技ってのもあって、日本みたいにクルクルと担当を代えられた挙げ句に40歳あたりになるとデスクとなって上がりとなるシステムでは、こーゆージャーナリスト然とした人が出るのもなかなかに困難。あるいは親しくなってデスクに上がって以降も付き合い本の1冊も書く人だっているけれど、そーなった時には多くが取材相手の代弁者然としてしまう所もあるから難しい。記者からこーゆー深み重みのある本が生まれて来る日って日本には何時、訪れるんだろー。

 「Jリーグ」の発足とそれから「ワールドカップ」の招致成功でサッカーについて書くジャーナリストも山ほど増えて来たけれど、商売って意味もあるんだろーか、旬な選手の旬な話をどーにかして聞き出しては本にまとめて出して大売れ、名前も大売れってな人が良きにつけ悪しきにつけ多くって、それはそれで面白いんだけどどこかに先物買的贈与的な下心が感じられてしまって戸惑うことがあったりする。そんな中で山岡淳一郎さんが書いた「マリオネット プロサッカー・アウトロー物語」(文藝春秋、1524円)は通称セニョールこと佐藤英男さんって裏方にスポットをあてて、日本のサッカーがアマチュアのリーグからプロのリーグへと変遷する中で何が起こったかを描き出していて、「ドーハの悲劇」とそれから迎えた「Jリーグ」の開幕とゆー、華やかさ鮮やかさしか見えていなかった目に、現場的にはとてつもなく大変で、そして大切なことが起こっていたんだってことを見せてくれる。

 根っからのサッカー好きが大学を出て職にあぶれそーになっていた所を持ち前の情熱が認められて77年に読売日本サッカークラブ、今の「東京ヴェルディ1969」に入って事務方からやがて渉外みたいな意志後ともするよーになり海外へと飛んでは選手獲得の仕事も任されるよーになる。今も上手さでは日本有数だったと勝手に思ってるジョージ与那城選手からラモス選手といった読売クラブの躍進期を支えた選手との交流とか、ジノ・サニにダ・シルバにペペといった監督たちとの交流なっかはうっすらと当時の読売の活躍ぶりを覚えている頭には興味深い事柄ばかりで、なるほどあの時にはそーゆーことがあったのか、なんてことが分かって面白い。ペレイラの獲得に当たっての死ぬか生きるかな態度は読んで迫力、それだけのことをしたからこそ、初期のあのヴェルディの躍進があったんだね。

 浦和レッズへと移ってオジェックを引っ張って来た時の話も読んで日本のサッカー界にいったい何が欠けているかを教えてくれる。選手上がりの強化部が絶対的な権限を持ちそれに逆らうことが出来ないフロントに経営陣って環境の中、サッカー選手としての経験はまるでないけれどサッカーを愛することにかけては誰よりもあり、知識も存分にあって海外とのネットワークを持つ人間であっても存分にその力を発揮できないのがこの国。年功序列のタテ社会がすべてにおいて幅を利かせてるってことで、読売クラブの監督代行を務めながらも早世した千葉進さんが残した「サラリーマン・サッカー」って言葉がすべてを言い表しているし、佐藤さんほどの経験と情熱を持った人が在野ってこと自体がそれを証明してたりする。クラブに関しては多少は改善されているんだろーけれど、協会に関してはやっぱり今も年功序列に経験尊重は変化なし。これでもし、「ワールドカップ」で予選落ちしたら大変なことになりそーだなー。

 最後は「サッカー株式会社」(クレイグ・マクギル、田邊雅之著、文藝春秋)。文字どおり金に権力にどっぷりと浸かってしまった産業としてのサッカー界をルポし、時に激しく批判した本で、マードックによる「マンチェスター・ユナイテッド」買収の経緯とか「ワールドカップ」の開催地が決まるまでのさまざまに飛び交う権謀術数のすさまじさとか、読むと素人がサッカーなんかに手を出すなって思わせるよーな記述にあふれている。魑魅魍魎の闊歩する世界にアマチュアリズムってゆーかサラリーマニズムな日本サッカー界が出張ったっていいよーに利用されるのがオチ。次のワールドカップに出たかったら、でもってサッカー人気を全盛期並みに盛り上げたかったら、読んで読み込んで裏の裏まで知り尽くす必要がありそー。でもなあ、スポーツの純粋性は反比例して失われてしまうんだよなー。どっちが良いかも含めて考えよー。


【3月12日】 行き過ぎたり踏み間違えると暴走の挙げ句に崖から周囲もろとも転落って事態にならないとも限らないけど、ピタリとはまればこれほど心強いものはないのがトップの圧倒的なリーダーシップ。すでに話題の「チョコエッグ」のフルタ製菓からタカラへの移籍についての正式発表が今日あって、他に用事もあったんで会見までは出ないで始まるまでの30分ばかりを現場でウロウロしながらどーゆー経緯でタカラが栄えあるチョコエッガーの座をゲットしたのかを聞いて納得、例の情報が伝わった2月3日だかの「ワンダーフェスティバル」での発表と、当日の「読売新聞」の報道を見て即座に次に名乗りを上げることを決断したのはそれとして、相手の都合も踏まえた数日後にはすぐさま大阪へとトップが出向いて交渉にのぞんで、その強い獲得の意志を相手に伝えたことが信念でもってモノ作りをしている海洋堂を納得させて、わずかに1カ月での契約締結へと至ったとか。

 ほかにもいろいろと名乗りを上げたところはあったみたいだけど、そこは日本流な交渉術ってこともあるんだろーか、まずは探りを入れて感触を見て打診して唾をつけた上で、細かい部分に話が及ぶと常套句の「持ち帰って検討します」を出して結論は先送りにされてしまう、ってなこともあったのかも。対してタカラはトップ自らが赴いている訳で、向こうの条件にだってよほどの無体な条件じゃなければ当人の裁量でもって結論を出すことが出来る。職人肌の海洋堂が相手が天下のタカラ、玩具業界に燦然とその名を刻むタカラだからって恐れ多さを感じたとは思えないし、そこのトップが自ら来てくれたからって有り難がって平服するとも考えられないけれど、それでも子供心に「変身サイボーグ」だの「ミクロマン」だのと、楽しい玩具をいっぱい提供してくれた会社のそれもトップが、自らやって来てくれたってことはやっぱりそれなりな要素だったのかもしれない。長嶋の薔薇の花束で槙原がジャイアンツに留まったみたいなもの、なのかな。

 聞くと会見ではほかに来てくれた所でも過去にいろいろ経緯があって複雑な気持ちを抱かせたのに対して、タカラからは別にどーこーされなかったことも決め手になったとかならなかったとか。海洋堂がのして来た数年前のタカラはそれこそ緊急事態で他を構ってる暇もなかったんだろーけれど、結果として何億円何十億円にもなる商材を獲得できた訳で、人間やっぱり日々を正直に生きることが大切なんだって思えて来る。まずは宙に浮いていた形の「ワールドタンクミュージアム」がタカラの玩具菓子として4月だかに投入の予定で、問題の「チョコエッグ」はタカラらしく「チョコQ」として年内に「日本の動物」が続きの第6弾から、「日本のペット動物」がこれは第3弾からかな、ともかく投入されるみたいでフィギュアのコンプリートに燃えている人は夏の熱さも気にならず、年末くらいの発売時期を待てることだろー。願わくばチョコレートは10個でも平気に美味しく食べられる質にして下さい。ビターならなお結構。

 読書とかいろいいろ。篠崎砂美さんの「星誘いの娘」(エニックスノベルズ、840円)は漢字名前で冬青が「そよご」、羅有里が「らうり」といった具合におもむきのある読ませ方をするよーになってて、完璧にジャパネスクなファンタジーとも言い切れないけどかといってチャイニーズとも言い難く、ましてや西洋風でもない不思議な舞台に最初のうちはつかみ所を失って、ちょっと戸惑う。猫十字社さんのイラストが和風の着物になっているのは、付けられた和風な名前から引っ張られたのかもしれないけれど、雰囲気として平安以降で室町っぽい感じがする割に、中身は西洋のファンタジーっぽかったりしたのも違和感につながったのかも。かといって中華風でも大和風でもそぐわないからなー、無国籍ファンタジーってイラストな人にも挑戦的なジャンルです。

 ストーリーはと言えば、星辰都って所があって星誘いってゆー魂を天へと送り出す力をもった一種の神様に守られていて、武器とか持った勢力を受け入れないよーになっているってのが基本設定。そこに生まれた少年の冬青は、幼い頃から星誘いの存在が気になっていて、ついには少女の姿で何十年も生き続けている星誘いの耀華に巡り会う。そこから2人の関係と、そして先代の星誘いとの因縁がある、魂を食べてしまう存在の星喰いとのバトルがスタートして、星辰都の存亡も加わって勝つか負けるかの激しいドラマが繰り広げられる。神様っぽい力を持つのに人間と平気で出会えて恋愛もしてしまう星誘いの存在の、ともすれば俗っぽさがちょっと気になるけれど神話の御代の神様ってスサノオもゼウスも中国の嫦娥(じょうが)も人間を相手にいろいろしてたりするんで別に問題ないのかも。時代の前後する構成は気持ちにタメが出来るんで個人的には異論なし。2代にわたる因縁を払拭し、悲しみを乗り越えて未来に開かれるエンディングにも好感。当たり外れの割にあるレーベルだけどこれは当たりの方でしょう。

 凄い凄い凄すぎちゃって困るの。いやまあ別に困りはしないけれど、それにしてもここに来てよーやく評判が広がりはじめたよーで、「bk1」の文芸書のランキングで並みいる強敵を押さえて滝本竜彦さんの「NHKにようこそ!」(角川書店、1700円)が見事に1位を獲得、総合ランキングでも10位に食い込んでるってんだから、果たしてどれだけの本が売れれば1位になれるのか、それは「アマゾン」に対する比率でどれくらいなのかは知らないけれど、ほかに例えば「直木賞」とか「芥川賞」とかいった超絶のブランドを持った本を越えるのはやっぱり並大抵のことじゃないから、ここは素直に凄いと言い切って良いんだろー。むしろ発売から1カ月も経ってランクに返り咲いて1位まで取ったってことの方が凄いかも。文芸ランクで2位に食い込んだ古川日出男さんの「アラビアの夜の種族」(角川書店、2700円)も発売3カ月でのランクインって意味で同様に凄い。ともに角川書店ってのも。売れる本を作ってる訳だから出来ればもうちょっとど派手にプロモーションとかかけて、さらに売ってやって頂きたいです売れても僕は別に余録はないけれど。


【3月11日】 「SFマガジン」の仕事で午前様。いつもながらに本流はお任せでもっぱら新人系ばかりで固めてみる。来年再来年にもまみえることのできる人はさてはて何人いるのかな、個人的には全員が実力派なんで5年は大丈夫だと思ってるんだけど、世の中とにかくサイクルが早くなっててどれだけ人気があっても表舞台から消えてしまうことがよくあるんで難しい、あの火浦功さんだって新刊が全然出ないくらいだし(それは事情が全然違う)。とりあえずドラフト気味に仕上げて夜食を買いに近所のコンビニに行って、「寿がきや オリエンタルマースカレーうどん」なんて商品を見つけて間髪いれず購入する。今でこそ山ほどのカレールーが店に並んでいるけれど、子供の頃、カレーといえば「オリエンタルマースカレー」か「オリエンタル即席カレー」しかなかったんだよねー、名古屋では(ってゆーか僕の家では)。

 さすがにソースを後からドボドボと入れる「オリエンタルマースカレー」ならではの楽しみをカップうどんでも楽しめる訳ではなかったけれど、ブイヨンがどーしたフォンドボーだなんだ魚介類エキスがこーだ林檎と蜂蜜がとろり溶けてるこくがあってまろやか云々といった味に深みのたっぷりな、最近のカレールーにはない「マースカレー」ならではの平明さがカップうどんのかやく&ソースにも存分に再現されていて、さすがは同じ名古屋が本拠の「寿がきや」だと感心する。前に買った「味噌煮込みうどん」もチェーン店でおなじみ白いスープの「寿がきやラーメン」も、割にしっかり再現されてたし。次は「オリエンタル即席はやしそば」なんてのも作って欲しいもの。あとはやっぱり「あまくてちょっぴりすっぱい」スープの「寿がきやひやしラーメン」のカップ版かな。遠く離れた関東のコンビニエンスすとあで頑張る寿がきやに、心からの声援を贈ろー。

 評判のアレとか真似てみた。「恥を知れ、堺屋太一――『週刊朝日』連載コラム『今日とちがう明日』2002年3月22日号・堺屋太一のインパク自画自賛文章批判」。某「サイゾー」にだって突っ込まれてたのに未だに自分が提唱した「インパク」こと「インターネット博覧会」が大成功に終わって効果も山ほどあると思っていられる堺屋太一さんのその態度は、言ってしまえば信念であってたとえ「恥」を知ったからといって引っ込むものではないのかも。でもなあ、「昨年のITの爆発を支えたものにインターネット博覧会、いわゆるインパクがある」なんて世間に誤解を招くよーなことを、天下に轟く「朝日新聞社」のエスタブリッシュメントな「週刊朝日」で言ってしまえる神経を、捨てておいたらやっぱり日本にとってマズいよなあ。載せる「週刊朝日」も「週刊朝日」だけど。

 「インパクには、年間を通じて約六千万人のアクセス(入場者)があった。三十余年前に開催去れた日本万国博覧会の入場者数とおぼ同じだが、日本万国博のような活気や熱気は見られなかった」ってセリフはあるいは「インパク」の評判のなさぶりを指摘しているよーな言葉にもとれそーだけど、相手はあの堺屋太一さん、そうそう自分の業績を自ら否定するなんてことをするはずがない。汲み取るならば日本中が沸いた万博と同じだけの人数顔とずれた「インパク」は大成功に終わったけど、ネットだったんで静かに見えてそれだけをとらえて失敗だった不入りだったと批判する人がいるんだって、批判を批判するよーな意味も込めて言ってるんじゃなかろーか。

 交通の便のまだ悪い、レジャーも発達してなかった時代のイベントに集まった人数と、どからでも誰でもアクセスできて且つ、万博より長い1年間も開かれた「インパク」の来場者数が同じであって良いのか? ってな疑問の声はもちろん聞こえないだろーね。コラムは「四年後か五年後にもう一度インパクが開かれたなら、DSLの動画世界、そしてデジタル家電の時代になっているはずだ。(中略)『ひどい年二〇〇一年』に始まったITが幸せに育ってほしい」って言葉で締められているけれど、仮にその予想が現実のものとなってITが大成長していたら、やっぱり自慢するんだろーなー、ソフトバンクの出血覚悟なADSLサービスへの参入とか、「プレイステーション2」とかいった家庭用ゲームの豊饒がもたらしたソフトの向上なんてものは無視して「インパク」が今の基礎のすべてを作ったからって。恥より先に現実を知る必要があるのかも。

 去年までの「マルチメディアグランプリ」が衣替えした「デジタルコンテンツグランプリ2002」の授賞式を見物に行ってインタラクティブ・ライブ・ショウの「賢者のプロペラ」でグランプリを受賞した平沢進さんに会う。「賢者のプロペラ」のステージなんかで高らかに唄う姿にもっと世間に自身たっぷりな人かと思ったら、お金がかかるステージを作り上げる苦労とか、それでもやっぱりインタラクティブのライブとを続けて行きたいってゆー抱負とか、CDをメジャーから出すのを止めてあんまり知られていないレーベル「ケイオスユニオン」からから出すよーにしたこととかを訥々と、そして理路整然と話してくれて「いい人だー」と感動する。

 そんな人の好さとやってる音楽の格好良さが熱烈なファンを生み出すんだろーなー。表彰式には確実に平沢ファンと思われる女性陣が何人か来て熱い視線を送っていたし。文化庁がやってる「文化庁メディア芸術祭」では音楽を担当した映画「千年女優」がアニメーション部門の大賞を「千と千尋の神隠し」といっしょに授賞した訳で、ある意味文化庁と経済産業省の2賞を採ったってことに平沢さん、なるのかな。お上がお墨付きを与え下げるイメージがあってちょい、賞の性格に懐疑的なところもあったけどこーゆー世にファンとは別の回路でアピールする賞を通して、苦労も決して少なくない平沢さんの音楽活動が楽になり広がってくれればそれはそれで有り難い。

 それにしても恐るべきは「千と千尋の神隠し」&鈴木敏夫プロデューサー。文化庁では作品「千と千尋の神隠し」が大賞で、経済産業省後援の「デジタルコンテンツグランプリ」では鈴木さんが人物に与えるDCAj会長賞、でもって総務省がバックの「デジタルコンテンツ協会」が主催の「AMD Aword」では鈴木さんが功労賞で東京都が開いた「新世紀東京国際アニメフェア」では「千と千尋」がグランプリってんだから、すべてを総なめにしたことになる。それだけの作品だってことだけど、それに与えておけば収まるって発想の影で同様に素晴らしかった作品が埋もれてしまう可能性もあって心境は複雑。「千年女優」にも同時受賞させた「文化庁メディア芸術祭」はそれはそれで達見ってことなんだろー。


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