縮刷版2002年1月下旬号


【1月31日】 「MAX」のミーナ、とかゆーメンバーが妊娠して出産するんで夏前だかに抜けるとかゆーニュースを聞いて、実は年末あたりから「MAX」が2001年に「東京国際フォーラム」で開催したライブを収録した、DVDの「Bitter 4 Sweet」をずっと見続けていたこともあって、メンバーが4人いてそれぞれがどんな顔をしているか、くらいまでは認識できるよーになっていたんだけど、改めてミーナさん妊娠の話を聞いて、さてはてミーナさんてどの人だったって頭を捻ってしまう辺りに、人間としてのダメさ加減を感じ入る。たいした話じゃないけどね。

 それでも新聞とか見て掲載されていた写真で、とりあえずミーナさんが誰だったかは確認できたんだけど、残る問題は残るメンバーの顔はまあ知っていて歌声もとりあえず認識できてはいるものの、名前が未だに一致しないこと、だろー。とりあえず1人は繋がった訳だけど、残る3人のだったら名前はと聞かれてすぐさま出てこないのも問題で、たしかレイナとかゆーのがいて、ナナとかゆーのがいたよーに記憶してるけど、最後の1人がカンナだったかオユンナだっかかリナだったかが思い出せない。さすがにジェロム・レ・バンナではなかったと思うけど、もしかしたら合ってたりする?(しません)。

 ともあれ3人になるMAXに、だったら安室奈美恵を戻して「スーパーモンキーズ」復活だ、なんて朝ワイドだかで言った人がいて、良いアイディアだと思ったんだけど、そんな声に梨本勝さんが冷たい視線を送っていたのがちょっと怖かった。あまりにマニアック過ぎたんだろーか。今時「スーパーモンキーズ」なんて覚えてる人、いないだろーからなー。マスカットキャンディーのCMとかに出てたりした、割と太めな女の子たちの姿とかと込みで。それはそれとして折角のアイディア、忙しい安室さんは無理でも、新垣仁絵さんだったらいつだって空いてそーだしダンスはばっちりなんでひとつ考えてみてはどーだろー。歌唄えないのが致命的? うーんヒトエって歌唄えたっけ? まさかタカコより下手ってことは……。

 タロットになぞらえられた異能力者たちがぞろぞろ出てきた様がまるで「ジョジョの奇妙な冒険」第3部みたいだと、思った人のきっと結構いたかもしれない「ヤングキングアワーズ」3月号掲載の「ピルグリム・イエーガー」。とはいえカードが象徴するものとその名前を持った異能力者の繰り出す技が必ずもそれほど一致してない感じは、「ジョジョ」とはちょっと違うかな。でも「ジョジョ」だって全部がピッタリじゃなかったから一緒か。面白いのはタロットが「最新式の占い札」って紹介されていることで、今だと歴史も伝統もってそれだけ重みもあるタロットが、当時どんな受容をされっていたかなんて辺りについて、触れられていたら勉強になって良いかも。

 ナマ足だったんだろーか、って考え込んでしまった「ジオブリーダーズ」の亀甲縛りな蘭堂栄子ちゃん。股間へと回されたロープが通っているのがナマ足の間だったとしたら、197ページでひっくり返された栄子ちゃんて結構、アブナイポーズにあるってことになるんだけど。「蒼き流れ星」こと深水陽子はミニスカートから白見せまくりで今号では唯一に近い注目ポイント。真正面からだって見えるんだから銃を手にとり空中回転しまくってる場面ではきっと、まわりの男たちの目も釘付けにされただろー。のぞく暇もなくガトリング砲だかバルカン砲だかに撃たれて倒れてしまっただろーけど。夕と真紀はどこ行った?

 「カウントダウンTV」とか見て偉く格好良いなあー、と思った宇多田ヒカルさんの新曲「traveling」のプロモーション映像とメイキングが入ったDVDを見る、うーんやっぱり格好良い。スタイリッシュとかクールとかって訳じゃなく、銀河鉄道のガイドさんめかした扮装で不思議な姿の乗客を連れて歩く場面の首カクカクさせたアクションなんかはどちらかと言えばコミカルだけど、そんなシーンを織りまぜながらも小気味よい場面の切り替えでもって、添乗員さんシーンと清楚なシーンとクレイアニメーションのシーンを重ねていく演出とか、それぞれのシーンに登場する精緻だったり幻想的だったりする美術とかがとにかく圧巻で、曲を重ねるたびにどんどん細くなっていく、よーな気がする宇多田さん本人の姿ともども、一瞬の隙もない映像に仕上がっている。SF的なストーリーももちろん好き。

 冒頭の部分の妙にカクカクギクシャクとした動きが実は、歌をゆっくり目に流してそれに沿ってダンスとか口パクとかしたものを撮影した上で、本当のスピードに直して再生したもってのがちょっと驚き。なるほど昔のサイレント映画でよく見るカコカコとした動きほどではないけれど、動きに微妙な力みが入っててそれが後に登場するクレイアニメーションの動きなんかともリンクして、全体に1本の流れを醸し出している。監督の人のアイディアなんだろーか。どう見えるか、それがどんな効果を生み出すかってあたりも理解した上で全体のストーリーを作り、コーディネートしてひとつのビジョンに仕立て上げていく腕前はちょっと凄い。全作の「ファイナルディスタンス」と同じ人らしーけど、ちょっとゴージャス過ぎて違和感があった「ファイナルディスタンス」に比べて、好みなプロモに仕上がってる。他にどんな映像を作ってる人なんだろー。気をつけて見ていこー。映画とかもやってる人なのかな。


【1月30日】 「真拳勝負」に「僕の歌は君の歌」と続いた格闘ヤングアダルトの刊行の、これが掉尾を飾るんだろーか深見真って人の「ブロークン・フィスト 戦う少女と残酷な少年」(富士見ミステリー文庫、500円)を読む。莫迦炸裂な「真拳勝負」に青春ホロリな「君の歌は僕の歌」に比べると、ぶっ飛んだ基本設定やキャラクター設定こそないもののこと格闘って部分での割にリアルな感じは、3つの作品の中では1番くらいに持っていてる。空手の結構強い少女が主人公で、彼女の所属する空手部が合宿に行った先で起こる密室殺人。その謎を、普段は弱っちい面しか見せない主人公の幼なじみの闘二って少年が解決していくって内容で、闘二が繰り出す格闘オタク的な知識が、読んで結構勉強になる。本当に正しい知識かどーかまでは知らないけれど。

 「密室殺人」はそれが本当に密室ならば実は殺人ではなく、逆に本当に殺人ならば実は密室ではない、ってゆー論理的な明示がされているにも関わらず、密室と殺人がだったらどーなら成立するのか、ってあたりに話がズレていってしまうのがピンと来ないけど、それはそれとして例えば本当に密室で殺人が行えるとしたら、どんな条件が必要なんだろーって辺りに、ヤングアダルトならではの突飛さが出ていて眉に唾をしつつも楽しめる。長さがあればもう2枚か3枚のドンデン返しを仕込んで吃驚仰天させることも叶だったかもしれないけれど、割これがデビュー作っぽいってことで割に単純な展開でも、またレーベルのボリュームからいって収まりの良い所で終わる展開でも、とりあえずは良しとしておこー。唖然としたいなら「真拳勝負」でキャラ萌えたいなら「君の歌は僕の歌」、格闘知識なら「戦う少女と残酷な少年」って切り分け、今冬の格闘ヤングアダルト勝負をさあ楽しもー。

 可愛くなっちゃって。って思わず思ってしまった「ヤングキングアワーズ」3月号に1カ月ぶりの掲載なった「ヘルシング」に登場のリップヴァーン中尉。ちょっと前まで大口あげて牙をむき出して部下を叱咤し自信満々に武器の魔弾を見せていたのに、我らがアーカードが拘束制御術式1号2号3号をはずして突っ込んでからとゆーもの、その全体から発するパワーに気圧されたのか両腕で体を抱えてふるえるばかりで戦力としてちっとも役に立たない。挙げ句部下の射撃も手榴弾も何のその、千手観音よろしく体をばらばらにして攻撃して来るアーカードを前に、すっかり退行してしまったらしく目を潤ませて体を小さくしてただ震えるばかりとゆー、そんな表情仕草も思わず萌えてしまいました。いじめるヘルシングに感情を移入したサディストか、いじめられるリップヴァーンに心を移して震えるマゾかどーかは微妙な所だけど。

 「聖教新聞」という新聞があって、つまりは創価学会という日蓮正宗の門徒の最大の集まりが出している新聞なんだけど、熱心な人が配って歩いてて家にも届いていたその紙面を見て、1面からどこそこの集会で喋った、誰それと会った、なんて感じに名誉会長の人の記事が掲載されている様に、なるほどこーゆー新聞もあるのかと思った記憶があるけれど、だからといって1面に、名誉会長の写真が何枚も掲載されていた、なんて記憶はあまりない。あったかもしれないけれど、そこはそれ、新聞の性格から考えるとそれほど眉をひそめる話でもない。

 これが「朝日新聞」で、1面トップに甲子園大会で挨拶をする箱島信一社長の写真が掲載された、その横に箱島社長が始球式をする写真まで掲載されたら、読む人はいったい何を思うんだろう。甲子園に社長が出て始球式をするかどーかまでは知らないけれど、たとえあったとしても、そんな写真が一応は”公器”たるべき新聞の、1面を堂々と飾るなんてことがある筈がない。同じことはもちろん「読売新聞」にだって言える話で、「ワンマンマン」と例えられる渡邊恒雄社長が、「読売巨人軍」の優勝が1面トップから記事として流され、観戦するナベツネさんの写真と、監督と握手するナベツネさんの写真が、2枚も同じページに掲載されるなんてことがあるはずがない。もしかしたらやりたいのかもしれないけれど、それをやらないのが矜持ってものだし、恥を知ってるってことだろー。日本プロ野球機構とか、日本新聞協会ではあんまり恥を知ってるっぽさはなかったけど。

 でだ。ここに例えば歴とした日本新聞協会加盟の新聞社があって、社会の公器たるべき責務を負い中立公正を一応の旨としている結果、人々の知る権利の代弁者として記者クラブなんかに席を置かせてもらい、いち早く情報を入手して紙面化する仕事を手がけられ、だからこそ信頼も得られ広告も、また事業も手がけられるよーになっているにもかかわらず、収益事業として開催したイベントの開幕記事を、1面のそれもトップから堂々と掲載し、そのサイド記事に自分の会社の社長が、新しい表彰制度の創設を「平成」よろしく紙に書いて示した写真をまずは1枚掲載した上で、脇にイベントのテープカットの写真を掲載して、そこにも当然ながら主催者ってことでその新聞社の社長が写ってる、なんてことがあったとしたら、果たしてそれは社会の公器と言えるだろーか。中立公正を旨とする言論機関と言えるだろーか。

 宗教団体の新聞、というより機関紙でも、そうそう滅多にやらないだろーことを日本新聞協会加盟社ながらも堂々とやってしまう、そんな画期的かつ先鋭的な新聞があったらもちろん業界の話題になることは必定で、日本に限らず世界中から問い合わせがあってしかるべきだし、取材の対象からもその中立性、公正性に対するさまざまな意見が巻き起こって当然だろー。にも関わらず世間でぜんぜん、そんな話題が立っていないことを考えれば、ここに書かれたよーな内容の新聞なんて、例えばの話で実際には存在していなかったってことになる。それとも存在感がないのかな。まあそれはそれとして、例えばであってもそんな新聞が存在したとして、果たして世間は諸手を上げて歓迎するものなのか、それとも色々な意見を言うものなのかを是非とも知りたいところ。商業メディアの公器としての面と営利企業としての面のすりあわせを検証する意味からも、メディア研究者にはそんなメディアが存在し得るか否かを是非、研究していって頂きたい。


【1月29日】 新聞が「言論の自由」とか「表現の自由」とかを守り育てる牙城だとしたらその集まり、日本新聞協会ってのもやっぱりどんな言論どんな表現でも、個人的な好悪は別にして、尊重してしかるべき団体なんだろー、って思っていたのに夕刊いらないってCMは、つまり新聞いらないってことだって謎な解釈でもって、日本新聞協会会長の渡邊恒雄・読売新聞社長から責められていた産経新聞の清原武彦社長が、日本新聞協会の副会長職を辞任してしまって、「言論の自由」だとか「表現の自由」なんてものを尊重しよーなんて普段は言ってる新聞の、その実とんでもなく表現にも言論にも不自由な業界だったってことがバレてしまった。って実はとっくにバレてはいたんだけど、それでも一応は見えない形でこそこそとやっていたものが、堂々と表だって言論の不自由さをつきつけてしまったことで、これから後、何をどー取り繕っても新聞が、「言論の自由」とか「表現の自由」なんて言ってそれを守るために例えば再販制度、あるいは記者クラブ制度を守れと主張したところで、誰もまともに聞いてくれなくなるんだろー。

 だいたいが、副会長職は会長職を補佐するものなんで会長の考え方と違う副会長はいらない、なんて感じの理由でもって会長が辞任を迫ったか解職を示唆したかしたみたいだけど、だったら例えば企業なんかで社長の悪事を部下が告発なんかした場合、社長を補佐すべき部下が逆らったってことで糾弾し、社長の側を褒め称えるよーな記事を掲載するんだろーか。そんなことをしないのは、昨今の雪印食品の牛肉ラベル張り替え事件に関する報道なんかを見れば明かで、一方では諌言できる部下の大切さを訴えつつ、一方では上に逆らう下は不要と斬って捨てる二枚舌ぶりには、やっぱり呆れるより他ないし、それが1人の俗に「ワンマンマン」と描かれるキャラクターに拠ってのものだけじゃなく、産経新聞をのぞく他のすべての理事だかの総意だったってことには、呆れる依然に恐ろしさで震えが来る。

 正しいんだったら正しいと言い続けたのに自ら辞めてしまったのは不思議なところで、だったら同じ理由で日本新聞協会も脱会するのが流れとしては普通なんだろーけれど、あくまでナベツネ会長を補佐する副会長職、とゆー立場から判断してそのナベツネ会長がいらないといった以上は辞めるのは仕方のないこと、かといって日本新聞協会の定款に決して違反した訳じゃないから脱会はしない、ってあたりで事態を収拾することになるのかな。もっともナベツネ会長側では辞めろって理由に定款違反を入れてたりする訳なんで、やっぱりどこかに無理がある。うーんメディア研究な人たちの意見を聞いてみたいところ。ついでに新聞の1面に、自分の写真を2枚も入れてそれが当たり前って感じでいるトップと、そんなトップを認め讃えるまるで清原社長以外の新聞協会の理事たちみたいな人々を擁するメディアの態度についても。

 SF、じゃあないかもしれないけれど最高にケッサク。滝本竜彦さんの待望の第2作「NHKにようこそ!」(角川書店、1700円)は、すべる筆先から紡ぎ出されるひきこもり青年の妄想炸裂な日常ぶりがオーバーなんだけど妙にリアル。出会った美少女への見栄もあってひきこもりから抜け出そーと高校時代の後輩に頼んで始めたエロゲー作り。その資料としてあずけられた山ほどのロリコン画像を見た果てに、ブラウザー使いのあらゆるわざを駆使してネット上から合法違法を問わずロリコン画像をダウンロードしまくった挙げ句、完全にそっち系に染まって近所の小学校へと盗撮に行く展開なんて、一歩一線を踏み越えれば誰にだって起こるかもしれない話で、とりあえずは小説の中の話で良かったと胸をなでおろす。

 どうして自分はひきこもるのか、ってな理由を正当化して「だがしかし! だからこそだ!」と叫ぶ220ページ以降の描写の、何と魂に響き渡ることか。寂しさを取り繕う仮面を身に纏う術を覚えて外へと出てはいても、内実はそれほど変わらない自分との差異と類似点をつきつけられて立ちすくむ。ほどほどの幸せなんていらない。永遠の幸福が欲しい。でもそれは無理。だったら何もいらない。って論理はある意味まさに真理で、情報が溢れて世の中があれやこれや矛盾だらけなのが見えすぎてしまった結果、絶望してしまいたくなるって気分もよく分かる。そこでだったら一つ事にこだわって、こだわり抜いてオタクになればまだ救われるんだろーけれど、そーなるには別の踏み越えなけれいばいけない一線があるからなー。かといって宗教に向かうのも……。うーん難しい。幸いにして(それとも不幸にして)主人公の場合は、オタクとはちょい違う方向に行ったみたいだけど、幸せなんていつまでも続くものじゃない、なんて悟りを何時また思い知らされるかも分からないんで、ハッピーに見えないこともないエンディングは話半分に聞いておこー。

 自分も妙だけどさらに妙な少女と出会って自分に残っている真っ当さを発見して、そこから立ち直りへの道を探すって展開は前作「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」(角川書店、1500円)とも似通っていて、作者自身のキャラクターと、構図としての類似性からあれこれ言われてしまいそーな心配があるけれど、妄想がオーバードライブしていく展開の麻薬にも似た高揚感とか、キャラクターたちが織りなす行動や会話の妙とかは何度読んでも面白くって、その辺りから広げていけば如何様にもなりそーな気がする、ってゆーかなって欲しい。「三日とろろ、おいしゅうございました」なんて切実なんだけど妙に聞こえる言葉をしっかり流れの中で持ち出して、それを実にグッドなタイミングでぶつける構成力には頭が下がる。泣いたけど笑いました。いや最高。これも映画で見たいなあ。岬ちゃんは誰がいいかなあ。宮崎あおいちゃんかなあ。


【1月28日】 あっちでは叶姉妹のフィギュアにドレスの端切れをつけて売り、こっちでは菊川怜さんに電車の運転手ごっこをさせ、そっちでは水槽の中で潜水艇が魚雷を発射し、でっちでは(でっちって何だ?)戦車が赤外線でタンクバトルを繰り広げる。タカラが「東京国際フォーラム」で開催したコナミとの合同商品展示会で披露した品々を見る限り、走り続ける苦しさってのは多分あるんだろーけれど、走り続けていればそれなりに頭も回るってゆーかランナーズ・ハイで脳汁出まくるってゆーか、相変わらず良いネタをどんどん提供してくれているみたいで、向こう半年くらいは何とか評判もひっくり返らずに、会社を持って行けそーな印象を受ける。

 もちろんコナミが「遊戯王カード」の急激なシュリンクで、っても未だに売り上げ規模はそれなりにあるんだけど、それでも落ち込みを埋められずに売上面で影響を被ったよーに、子供層の流行の移り変わりの激しさったらなく、今が真っ盛りの「ベイブレード」もいつ何時、飽きられないとも限らないんで、そんな時にちゃんと次の1手2手3手を数字込みで説明できるかが肝心、なんだろー。快走しているうちは旗を振って声援を贈っても、つまづいた途端に走り世って来て蹴りを入れまくるメディアにアナリストの大勢いるのが今の世の中。話題は話題として振りまきメディアの関心を引っ張りつつも、数字は数字としてしっかりと固めてアナリストの集中砲火をかわせるよーな、そんな経営をしていかなくっちゃいけないなんて今時の上場会社って大変だねー。

 パッと見でいけるかと思ったのが、例の「デジQ」に続いて続々と登場の赤外線で動かして遊ぶ商品群。タカラが手がける方から行けば潜水艇は水槽の中を水面下に潜って動くなかなかなに画期的な商品で、それだけでも凄いのに何と魚雷を発射させて敵に命中させたりして遊ぶことができるんだとか。前にタカラが出した水槽の中を動いたり上下したりするロボットの「アクアロイド」だかを作った、たぶん張仁成の会社の技術とかが使われているらしーけど、そんな感じにお値段的にも結構高めの商品で育んだ技術を、安価な商品へと持っていって使う流れがうまく回るよーにば、意欲的な事業を目先の収益性で云々する口もちょっとは減るかも。でも分からないよ、クラゲロボットにカメロボットが潜水艇になるなんて。

 こっちはコナミの発売になる戦車「コンバットデジQ」は画期的ってよりはマニア心にピンポイントな企画賞。ただ走らせて遊ぶだけじゃなくって、砲塔だかから出る赤外線でもって相手のタンクと戦車戦を楽しめるって部分に、戦車のラジコンを走らせても、肉弾戦しかできなかった悲しみを知るマニアの想いが込められてる、のかどーかは知らないけれどシロウト的には面白い。東京マルイのBB弾を発射できる戦車が話題になったけど、あれだと敵に当てても別に凹むとか傷つくとかいった程度の影響しか与えられず実戦味は薄い。いっぽう「コンバットデジQ」は赤外線でコントロールするマシンだけあって、撃った赤外線の弾でもって相手の戦車の動きにトラブルを発生させられることができるとか。車種に応じて射程とかも帰られるみたいだし、見かけはデフォルメ戦車でもやりよーによっては割に奥深い戦車遊びを楽しめそー。期待。問題は値段だな。あと車種も。

 SF業界経由からじゃなくって発行元経由でもなくって築地の方面から開催の噂が流れて来たんで「東京會舘」で開催された「幻の小松左京モリ・ミノル漫画全集発刊を祝う会」に潜り込む。プレスで入る理由もないんで会費もちゃんと収めたけれど、あとで4800円もする「幻の小松左京モリ・ミノル漫画全集」(小学館)がもらえたし、萩尾望都さんの福々しくも神々しいお顔を拝めたし小松左京さんの20分近くに渡る長広舌も聴けたし、たぶん一本木蛮さんの目にも眩しい肢体を見られたんで価値は十分。これだけ豪華な内容だと、プレスで入って発刊を告知する記事を載せたって、パブリシティにもなりゃしないんで、逆に心苦しくなったかも。

 小松左京さんがモリ・ミノルで漫画全集ってそもそも何? って説明をするならその昔、小松左京さんがまだ京大生でSF作家としてデビューするよりはるかに前、モリ・ミノル名義で手塚治虫さんばりに内容の深いSF漫画を描いて当時の漫画少年たちにそれはそれは大きな衝撃を与えたことがあったんだけど、当の本人はアルバイト変わりに描いてて他にバイトがあって時間がなくなったか、はたまた手塚治虫さんの凄さにはやっぱりかなわないと想ったか、数作品を発表してはパッタリを筆を折って漫画家への道を閉ざし、小説書きへと道を変えて幾星霜、今の小松さんになったとゆーのが事のあらまし。

 で、業界的には小松さんが漫画を描いててモリ・ミノル名義で内容はSFで凄かった、って話は広く伝わっていて、復刻の話も幾度かあったらしーけど小松さんがそーした動きをこれまで断って来て、幻のまんま例えば松本零士さん家の書庫とかに、単行本も連載された雑誌も眠ってた。それがどーゆー心境の変化か、あるいは松本さんたちの熱意からかこの度晴れて復刻となった次第で、見るとなるほど「第五実験室」に「大宇宙のアンドロメダ」「イワンの馬鹿」「大地底海」なんて感じに「イワンの馬鹿」は別にしてSFっぽいタイトルの作品が並んでる。内容は未読なんでどこまで濃いから不明だけど、絵につていてはなかなかに達筆、ってゆーかしっかり漫画になっていて、本当に能力のある人はどこまでも能力があるんだってことが分かる。

 キャラクターとか動きとか、パッと見ではやっぱり初期の手塚さんに似てるなあ、もろ影響を受けてコピってるなあ、なんて思えてしまうんだけど時代で言うなら若干遅れはしているもののほぼ同時代で、藤子不二夫さんや石森章太郎さんが手塚チャイルドとして受けた影響とはたぶん違う。「モリ・ミノル漫画全集」に入っている解説に所収の小松左京漫画遍歴なんかを読むと、手塚さんの「新宝島」にはショックを受けたよーだけど、一方で「手塚さんは明らかに中村漫画を読んでいるとすぐわかりました。(中略)絵のタッチにはディズニーや伊藤幾久造や梁川剛一も出てくる。これはよくわかります」(「幻の小松左京モリ・ミノル漫画全集 004解説編」12ページ)ってあって、ともに原点が似通っているから絵とかも似てて不思議はないんだろーって思えてくる。

 もしも「小松左京モリ・ミノル漫画全集」を紹介するときに、「手塚治虫そっくりの」とか書くのはだから、あんまりそぐわないよーな気がする。この辺、漫画の歴史をやってる人にはたぶん自明のことなんだろーけれど、どーにも「手塚治虫の前に今風の漫画はなかった。手塚治虫は現代漫画の先駆者にして発明者である」的な”手塚史観”で見てしまいがちな手塚藤子石森赤塚チャイルドな身、今あらためてこーやってモリ・ミノルの本が出て解説ともども実例として戦前の漫画やアニメーションの影響を語ってくれているのはとても勉強になる。小松左京ファン漫画ファン手塚ファン問わず買って要保存の1冊、でしょう。けど4800円はやっぱり高いなあ。

 会場では笹本祐一さんがロケット発射の場面を全世界に自腹でルポして歩いた「宇宙へのパスポート ロケット打ち上げ取材日記1999−2001」(朝日ソノラマ、1524円)を持って歩いてピーアール。その熱心さに頭が下がる。遠く種子島とかで打ち上げられるロケットを見物にいくためのガイドになるしロケットの打ち上げがどれほどまでに大変な仕事の積み重ねによって成り立っているかが分かる解説書になっているし日本や世界の宇宙開発の現状を知る参考書になっていて、ロケットが好きかどーかは別にしても読んで存分に読みごたえがある。

 ほとんどルーティンで深い知識もなく取材に行っては本質からほど遠いけど一般には分かりやすい、やれ費用がどうの損失がどうのといった質問をする一般メディアへの憤りなんかもあってこちらは耳に痛いことしきり。その辺、一般の人のロケット打ちげに対する印象と、プロフェッショナルな人の知識に基づいた思い入れとで差があったりして、仕方のないことではあるんだけど、一般の人の印象自体が本質とズレた部分から発生しては、メディアによって増幅されていったものだって考えられないこともないだけに、過激な物言いであってもひとつ批判は批判として受け止め、本質をとらえ事実を踏まえて語る努力をしなければいけないんだろー。寡占なメディアが開放されて起こる、これもひとつの構造改革か。


【1月27日】 その辺についてはさすが、「毎日新聞」は分かってるってゆーか真っ当ってゆーか、1月27日付けの朝刊「社説」で「NGO問題」ってタイトルでちゃんと「田中真紀子外相と鈴木宗男衆院議運委員長、野上義二外務次官が、アフガニスタン復興支援でNGO(非政府組織)の役割を話し合う国際会議へのNGO参加問題に絡んで、対立を続けている。しかし『言った』『言わぬ』の水掛け論は、問題の本質ではない」と冒頭で断じて「究明すべきは、NGOがなぜ参加を拒否されたか、それを誰がどう決めたかである」と訴えている。

 政治家として発言したって言う鈴木議運委員長の言葉にも、外務省に言いたいことがあるなら筋道を通して外相を経由して言え、会議録を外相に見せずに自民党へと出した外務省にも外相に仕える官僚としての立場を逸脱していると、至極真っ当なことを言っているんだけどしかし、真っ当なことでもうやむやにされかねないのが昨今の情勢で、現に「終わったこと」ってな感じで事態の収拾を図ろうなんて動きが政府の方には出ていたりする。さすがにやっぱり妙だって思ったんだろー、今日放映のテレビ朝日「サンデープロジェクト」でも出席を拒否された当のNGOの代表の人を呼んで、何って言われたのかってことを聞いて問題を、田中外相がウソを言ってるか外相としての資質がどうか、ってことじゃなく本線へと戻して鈴木議運委員長のスタンスと外務省のスタンスについて突っ込んでた。

 朝のワイドショーのタイトルなんかを見ると日本テレビの「ザ・サンデー」は「だれがウソつき? 涙の真紀子大臣VS宗男氏」でTBSテレビの「サンデーモーニング」も」真紀子外相VS宗男議員 天敵?対決」で「サンデープロジェクト」も「真紀子VS宗男の舌戦 与野党最高幹部に直撃 何故ウソを」と問題を2人のウソのバトルのそれも低劣な発言の真偽って部分に押さえ込もうって雰囲気が漂っているけれど、作っているテレビの人たちの発想がそーした内容を流しておけば視聴者も喜ぶに違いない、って風にしか向いてなくても、出演している人たちは田原総一郎さんにしても、別のワイドショーのコメンテーターにしても問題の本質についてちゃんと意識してたっぽい所があったのが収穫。やっぱり普通に頭の働く人はちゃんと気づいてるってことなんだろー。

 願わくは明日以降の朝のワイドショーで、たとえキャッチは舌戦でも中身としてはNGOに一体誰が何をしたのかって部分が意味する、利権政治の問題だとか族議員の問題といったものへと見ている人の想像力を引っ張るよーな内容を流してくれれば救いようもあるんだけど、まあ無理だろーなー。ちなみに「産経新聞」は26日付けの1面コラム「産経抄」でこの件について言及。案の定に田中外相の資質に物事を収斂させよーとしている内容で、よほど田中外相が嫌いなのか、ってなスタンスがよく出てる。

 途中で「それにしてもよくわからないのは、なぜ外務省は鈴木氏に頭が上がらないのか。この人が外務省で隠然たる力を発揮するわけは、しっかり分析と検証をしてみる必要がある」と触れていい感じになって来ているのに、「そんなこんなで今度の騒動も日本の政治レベルと外交の空洞化の進行を示していた。だがこうなってもまだ田中外相を支持する人は少なくないらしい」と、外交の空洞化は田中外相の責任だなんて言わんばかりの内容へと話を持っていって、最後も「ひところの”田中真紀子首相待望論”がいかに幻想か、広く国民にわかったことである」なんて締めている。

 んなこたあ言われなくても分かってて、ここで問題なのは圧力をかける政治家がいて圧力をかけられる官僚がいることだってことをたぶん、状況を見ている人のほとんどが知っているのにやっぱり事をすり替えて、田中外相批判で締めてしまうコラムのさてはて、意識的にやっているのか無意識的にそれが1番大事なとことやっているのか是非とも聞いてみたいけど、雲の上の人たちなんで聞く機会なんて永遠になさそー。もちろん会っても怖くて聞けないけどね。

「夕刊がこの世からなくなっても、犬にとっては別に困らないな。夕飯がなくなるのは大問題だけどな。2950円。最初にやります。産経新聞。トートバッグもプレゼント」って内容の宣伝の、さてはてどこが「新聞不要論」につながるんだろーか。「新聞、新聞って毎日忙しいんだから、1日2回読むのはもう大変だわ。夕刊やめて、2950円。最初にやります。産経新聞。トートバッグもプレゼント」ってコピーからどーして「新聞自体の否定につながり、新聞協会の定款や新聞の理念に反する」って考えが浮かぶんだろーか。

 新聞業界紙(なんてものがある)の「新聞之新聞」が1月28日付けで伝えたところによると、日本新聞協会が例の夕刊を止める「産経新聞」の宣伝文句は、夕刊を否定するだけじゃなく、新聞全体をいらないもんだって否定する内容だってことで、「産経」の清原武彦社長が務めている運営委員会の委員長職を解かれたとか。さらに言うなら新聞協会の副会長も「私はこのような行動に出る社長の補佐を受けるのは忍びない。辞めていただきたい」なんてナベツネこと渡邊恒夫会長の発言もあったみたいで、フジサンケイグループによる「横浜ベイスターズ」株取得あたりからついたナベツネさんのケチが、今度は別の方向から飛んできたっぽい感じになっている。まあ、それはあんまり本質ではないんだろーけど。

 なるほど確かに夕刊はいらない、って言っているけど新聞はいらない、とは言っていない。まあそうニュアンスとして取られかねない部分もない分けじゃないけれど(「新聞、新聞って毎日忙しいんだからさ」ってな辺り?)、新聞協会に通信社も放送局も加盟していることから考えるに、「新聞」ってのは1日に何回出すって形態を指しているんじゃなくって、ニュースを伝える行為を指しているよーに思えないこともなく、よしんば紙で出すのはもう古い、なんて言ったとしてもだからといってそれがすなわち日本新聞協会が定款にしている「全国新聞、通信、放送の倫理水準を向上し、共通の利益を擁護することを目的とする」ってな加盟社への縛りに、すぐさま違反するとは言えないよーな気がする。

 仮にこの定款違反を理由に運営委員を辞めさせたんなら、新聞協会そのものからの除名だって検討してしかるべきなのに、そこの辺りはあくまで副会長の辞任問題あたりでごにゃごにゃしてる感じがあって、何を求めてナベツネさんが言っているのかよく見えない。ナベツネさん1人のいつもの「ワンマンマン」にも似た爆発だったら問題としてはまだ分からないでもないんだけど、記事によれば「運営委員会の1人を除く全員の多数意見」ってなっている辺りが不思議ってゆーか不気味ってゆーか。

 CMを見れば誰だってCMはあくまで「夕刊をやめる」ことを生活習慣の変化とかいった消費者側の理由から正当化しよーとしているんであって、「新聞不要論」では決してないと分かるだろーし、多分そー分かっているんだろーにも関わらずの当事者をのぞく全一致。真正面から反論する人も反骨から異論を唱える人もいないってのは、正義と反骨が旨の新聞人たちの親玉が集まる会議かよ、ってゲンナリして来る。表層をあーだこーだとつついて、夕刊不要論が出てくる土壌について考えない、考えよーとしない人たちが仕切っていれば、なるほどどんな大切な問題でも、やがて本質からズレていくのも分かるってゆーか当然ってゆーか。ここは頑張って「産経新聞」、辞めるなんてせず解任にも断固反対して居座るなり、紙面のすべてを使って大論陣を張るなりしてその「正論」ぶりを遺憾なく発揮してやって頂きたい。日和るなよ。

 「タカラジェンヌorヅカガール」問題について考えてみました(ちょっと鉄拳風)。85年の8月の僕が北海道は網走で遊んでいた日に起こった日航ジャンボ機墜落事故、その未曾有の大惨事について新聞がどう伝えたかをまとめた「日航機墜落事故 東京-大阪123便新聞見出しに見る15年間の記録」ってホームページの中で、8月14日付けの毎日新聞に「あの人も乗っていた 中埜阪神タイガース社長 浦上ハウス食品社長も 歌手坂本九さん 一度に17人遭難松下電器グループ 元五輪選手やヅカガールも 脳細胞研究第一人者の阪大教授 甲子園球児の父」って見出があったことが判明。新聞言葉ってのはまあ、それなりに歴史的伝統的にオーソライズされたものが多かったりする訳で、毎日新聞の用語辞典的あるいは校閲部的には「ヅカガール」が一般名詞として紙面に出しても恥ずかしくないくらいに普及してたんだな、ってことが分かる。

 調べていくと喜多哲士さんの「ぼやき日記 98年4月26日付」に「ヅカガール」と書いて「それは死語」とツッコミを受けた話があって、なるほど喜多さんの年齢あたりでは(それほど僕と大差ないけど)「ヅカガール」ってのが一般的で(あるいは地域的なものでもあるのかな、関西辺りは未だ一般名詞だったりするとか)、それがどーゆー経緯からか「タカラジェンヌ」ってのに置き換わっていったかそれともそーゆー風に言うよーお触れが下ったかして、今ではどのメディアも「タカラジェンヌ」を普通一般的に使うよーになったっぽい。うーん、80年代末期とかに何かあったんだろーか。まあフランスかぶれな耳にはやっぱり「タカラジェンヌ」の方が響きがいいから、そっちが定着したのも不思議はないんだけど、あるいは時代が変わってドイツ万歳になったらさてはて、今度はどんな言い方になるんだろー、「タカラメッチェン」?


【1月26日】 つらつらと早起きして「幕張メッセ」で開幕の「次世代ワールドホビーフェア」へ。相変わらずな「ベイブレード」人気はそれとして、セガ・トイズにバンダイのトミーの3社が似たり寄ったりな2足歩行型ロボットの相撲玩具を出していたのにはちょっと呆然、企画が重なることって結構あるけどこーもどんぴしゃなタイミングで出されると、どこかで誰かが陰謀でも張り巡らせてるんじゃないかって心配になってくる。新作の映画版「機動警察パトレイバー」の公開を前に2足歩行ロボットで競演を繰り広げさせて観客を劇場へと引っ張ろう、なんて配給会社の魂胆? それはないな、「パトレイバー」はバンダイが囲ってるから。あるいは2足歩行ロボット玩具でロボットを市民の間に認知させて親しみを持ってもらっているうちに、ひっそりと世の中を征服しよーと思っている2足歩行なアンドロイドかレプリカントの陰謀とか。首領は来年がお誕生日の原子なお方、ってことになるのかな、出来る予定だった王国は何か未来に延期になってしまったけど。

 2足歩行ったってようはモーターで足を左右上下に上げて前後に出して進んでいくってゆー単純なもので、複雑なカムとかもちろんバランス制御なんってものは全く使っていない純然たる玩具。それをセガ・トイズでは「グランドランナー」って名前で商品化していて、スピードの差とか外観の雰囲気の違いでもって4種類のロボットを用意して、走らせて速さを競わせたり真っ直ぐ歩かせて棒を倒させたりビーチフラッグを取らせたりして遊ぶんだとか。足下のグリップが比較的良い足パーツだとかローラーがつけられていてスピードを出せる足パーツだとかが用意されててカスタマイズはそれなりに。けど競争をしている場面を見てたら直進でコースの両脇に仕切りがちゃんと立てられているにも関わらず、コケるロボットが続出したところを見ると、2足歩行ってもののやっぱりな難しさを感じてしまう。

 形で言うならセガ・トイズのこの「グランドランナー」が1番「パトレイバー」っぽいってゆーかそれなりにスタイリッシュだったのに対して、「ヒカリアン」っぽく寸胴だけどそれなりに格好良くは見えるのがトミーの「爆走ロボ」って玩具。原理は同じで足を左右に出して進んでいくだけのものなんだけど、展示してあったものを見ると案外とスピードが出るよーで、円形のフィールドの中心から伸びた紐で縛られたボディを、結構なスピードで動かしてグルグルと回っている姿がちょっと面白かった。自転車に乗せたり(っても足で蹴って前に進むんだけど)逆さにして足先につけたローラーでヒモをロープウェーみたく渡らせたりってことも可能。もちろん競争させたりバトルさせたりもできるよーになっていて、安定性の寸胴なりに良いみたいでいろいろと遊び甲斐がありそー。目玉があるのがガキっぽいけど遊ぶのはガキだから別にいいのか。

 まるで格好悪いのはバンダイの「バトレックス」で寸胴なんて言葉が可愛く思えるくらいにほとんど箱って感じの胴体から短い足が伸びている感じで顔もシールが貼ってあるだけって造型で、マスダヤのブリキのロボットの方が遥かに格好良く見える。どちらかと言えばパワー重視型みたいで、カブトムシよろしくロープを引っ張り合ったり相撲よろしく押し合ったりして遊ぶのが普通なよーで、他のが部屋を走らせて楽しめるのに比べてそれほど遊びでがなさそー。ただし「バトレックス」は1個に1つづつID番号が振ってあって、それをネットのホームページに入力すると自分専用のバーチャルな「バトレックス」が現れて、現れる敵と戦わせて楽しむことが出来るとか。ネットで別に誰かと対戦してる訳じゃないし、現実の「バトレックス」に組み付けたロボットのパーツがそのままネットのロボットに繁栄される訳でもないけれど、将来的にはそーゆーのもあったりするかもしれない、その前哨戦って意味で動向が気になる玩具ってことになる。けどやっぱり格好悪いなー、「パトレイバー」を出してる会社とはとても思えねー。

 コナミのメンコに意外な人気が集まっていたのが意外っていえば意外。下をスポンジだかにしてひっくり返りやすくしたのがよかったよーで、ペシペシやってはひっくり返った返らなかったと楽しんでいる人が大勢いて、アイディアひとつで古い遊びもがらりと要素が変わるんだってことを目の当たりに見せつけられる。消しゴムをノック式のボールペンで弾いて走らせたあそびもコナミから復活。これはさすがに、って思ったらこれも意外に、って感じで世の中世代がめぐれば遊びもめぐりヒットもめぐるんだってことを思い知らされる。バンダイのブースじゃ懐かしの「ハイパーヨーヨー」が未だにステージで披露されていたけれど、それなりな人数が集まっていたところをみると2年3年後に意外な復活とかがあったりするのかも。ないかなあ。

 言った言わないって意味では外務官僚がわざわざ相手に言質を取られて付け入らせるよーな隙を与えるとも思えないだけに、田中真紀子外相に直接、鈴木宗男議員の名前をあげて先のアフガン復興支援会議へのNGO参加拒否は鈴木議員に指図されてやりましたなんて吐いてはなくって、田中外相があちらこちらの記事なり報道なり情報なりから記憶を模造してしまったか記憶が模造されてしまったかしたんだと思うけど、事の本質から考えるならこの事態、外務省と外相のどちらがウソをついてるかなってことじゃなく、NGOの参加拒否に鈴木議員の意向が働いていたかどーか、ってことになる。

 その部分につては当のNGOの代表の人が鈴木議員からのプレッシャーがあったとゆー外務官僚の言葉を聞いたとテレビでも新聞でも堂々と証言している訳で、これが本当だたらゆゆしき事態だし間違っていたならそのNGOは不誠実だってことになる。いずれにしてもキッチリ白黒つけて頂かなくっちゃいけない話であるにも関わらず、メディアは話を田中外相vs外務官僚の構図へと結びつけてどちらかと言えば田中外相に前歴もあって怪しい、従って資質じゃないって方向へとズラして肝心の、1人の議員に壟断されている外交の問題へはとんと言葉を向けよーとしない。

 書いてる現場の人とかは多分、外相VS外務官僚なんて些末な話だと思ってたりするんだろーけれど、それが政治報道だ、あるいはそれが刺激を求める視聴者には受けるんだと思い込んでる人たちの鉄板な思考が働くと、相変わらずの人事抗争へと話がすり替えられて事の本質が見えなくされてしまう。同じことはスポーツ紙にも言えて、ちょっと前に開かれたサッカー日本代表のトルシェ監督の会見でパルマにいつ中田選手について話したコメントが、こぞって「わがまま中田はいらない」的な感じで報道されてしまった辺りに、どーあっても2人を仲違いさせたい、ってゆーかそーゆー雰囲気を作って盛り上げたいってなマッチポンプ思考がうかがえる。

 増島みどりさんのところにあるトルシェ監督の会見記を読めばそこんとこは瞭然で、自分の言うことを聞く選手は使うし聞かない選手は使わない、これは別に中田選手に限ったはなしじゃなくって全部の選手に言えることだって言っていて、現場で聞いている人のすべてが多分、監督としてごくごく当たり前のことを言ったんだと認識したんだろーにもかかわらず、まるでトルシェが中田はわがままなんでいらない選手だと切って捨てたがごとくの報道ばかりがスポーツ新聞の紙面のみならず、一部一般紙(「産経新聞」とか)の紙面までもがそんなトーンに埋め尽くされていたりしたから驚くやら呆れるやら。情報をクロスさせればどちらが正しい情報を伝えているかは明かで、そーした情報のクロスが可能になった時代が来ているにも関わらず、旧態依然としたスタンスを取り続けて省みないメディアの夜郎自大ぶりが、さてはていつまで続くことやら。いつまでも続きそーだからヤなんだけど。


【1月25日】 なおも新作DVDの「ココロ図書館」第1巻を見て泣く日々。いいねえ。最初に見た時には、こころを助けに現れるバイクの兄さんたちがあまりにもパターンで頭痛くなったけど、通して最後まで見て作品全体のトーンを知ってしまった今だとあの、唐突な登場もごくごく当たり前の”奇跡”として受け止められてしまうから不思議なもの。導入部からラストまでを実にきっちりとまとめあげているダイアローグの巧みさなんかも改めて分かって感心しながら、ゆったちとした時間の流れをのんびりとした音楽をバックに楽しむことができた。

 猫型の巨大な枕に猫のポーチに猫型シートと猫一色な美術が、お笑いには全然ならずにむしろ微笑ましさを感じるってのはやっぱり、作品が描こーとしている優しさでいっぱいの世界に知らず引きずり込まれていたからなんだろー。こころの高いところの本を取ろーと台の上で爪先立ちになっている描写とか、猫じゃらし中なこころのしゃがんで爪先だけが地面に着いてるポーズとか、もー萌えなくしては見られません。辺境の図書館なんて無茶な設定で素っ頓狂なキャラクターたちが演じる無理無茶無謀なドラマであっても、そんなそれぞれに突出した要素が絶妙なバランスで絡み合い、打ち消し合ったか高め合ったかで微妙な調和を醸し出した結果、素敵な作品になったって感じ。その意味でやっぱり奇跡のアニメーションだったって言えるかも。

 1話だけしか入ってないんで値段自体もお安くなっているけど、こころだけじゃなくあるとお姉ちゃん、いいなお姉ちゃんのバージョンの2話予告がそれぞれ入っていたり、これからの話のダイジェストっぽい映像がこころのナレーションではいっていたりと結構お買い得。トレーディングカードもついているけど、これは集めろってことなのかな、それとも全巻買うと何か1つコンプリートになるのかな。そーいや石丸電器で買ったら「ココロ図書館」専用のスタンプカードをくれたけど、全巻集めるといったい何がもらえるのかな。姫宮きりん先生の本、だったらちょっと読んでみたいかも。菫川ねねね先生の本とどっちが面白いんだろーか。架空図書対決、なんて企画とかってないのかな。

 「SFマガジン」2002年3月号。エッジの効いてる感じの結構強かったひろき真冬さんの、硬質な部分はあるもののボディなんかに柔らかな感じがあってトーンも全体に淡い表紙絵が好き。これなら「文學界」の野又穫さんの幻想性に対抗してファンタジックに耽美な感じで老いも若きも問わず読者に本屋さんの店頭でアピールできるかも。だから置くなら平台へ。をを、来月号は「ファンタスティック・サイレント」(KKベストセラーズ、1500円)の強烈な世界観に目を見張らされたDさんの登場か。これまた「文藝」あたりと並んで「J文学」な少女に元少年のハートをガッチリとキャッチできそーだぜ。塩澤快浩編集長もいろいろ工夫してるんだなー。

 デビューの時の衝撃が今も頭に強烈に残っている多田由美さんが「SFマガジン」に登場なんて時代も変わったもんだと思いつつ、その多田さんが脚色・画を担当した神林長平さん原作「戦闘妖精・雪風」の漫画を読んで、デビュー当時の鮮烈な画風の影響が今も残っていることを確認しつつ、その画風がさてはて神林さんの「雪風」の世界にマッチしているのかそれともミスマッチなのかを心の中で呻吟する。うーむ。スピード感もGの重みも一切ないドッグファイトって初めて見た。けど静謐なフェアリィ星で沈黙のなかに戦いを繰り広げる人間とジャムのバトルって感じもあるしなあ。ともかく次回に注目。

 Dさんと言えば「文藝」に連載とかされてた話にとんでもない量の書き下ろし描き下ろし、ってゆーのは漫画に小説が入り交じった不思議な形態だからそー言うんだけど、ともかくも大幅な補筆で一気に大著となってしまった「キぐるみ」(河出書房新社、1600円)を購入、出没した江古田の「マリちゃん」の個展からの返り道に貪るよーに読む。「ファンタスティック・サイレント」の残酷なんだけど胸にじんわりと来る不思議な描写力はなおも健在どころかはるかにパワーアップしていて、ラストの実に切なく、けれども安寧にあふれたシーンを見ながらやっぱり涙ぐんでしまった。おっさんなんで涙腺、弱いんです。

 テーマパークのよーな街があってそこの住人にはとにかく自分たちを可愛く見せることが強制されていて、可愛い人はそのままで良いんだけどあんまり可愛くない人は服装に工夫をしたり熊とか兎の着ぐるみを被って、外からやって来る観光客にアピールしなくてはならなかった。主人公のトシも決して可愛い方じゃなくって着ぐるみ生活を続けていたけど、両親のどうしよーもなさに絶望したのかテーマパークな街から外へと出ることを夢見るよーになる。やがてゲイな美しい青年とルームメイトになることで外へと出る夢はかなったものの、かといって外で楽な仕事に就けるはずもなく、そこでもやっぱり汚辱にまみれたよーな日々を送っていて、時折故郷の着ぐるみ生活が懐かしくなるもののかといって帰る気にもなれなかったりする。

 とにもかくにも「青春の蹉跌」を地でいくドラマが繰り広げられるんだけど、カギとなるのはやっぱりタイトルにもなっている「きぐるみ」で、自分を偽り自分を大きく見せよーとする気持ちを具現化させたよーなそのアイティムの、傍目に見た時の何とも見苦しい感じ滑稽な感じを最初のうちは味わわされるんだけど、生の人間たちの欲望と嫉妬が渦巻きぶつかりあう外の世界すなわち現実世界の厳しさ辛さの繰り返しを経て、たとえ無様であっても滑稽であっても自分を偽っているよーな感じがあっても、それによって得られる安心感の方がやっぱり素晴らしいんじゃないかと思えて来る。やがて訪れるバッドのよーでハッピーにも見えるエンディングの、何と醜くけれども美しいことか。本を持つてに思わず震えが来てしまった。

 トシに散々っぱらちょっかいを出して、なのに結局振り向かせられなかったカツコって少女の空転する気持ちにも同情が及んで、そんなカツコがトシの夢に沈んでいく姿に向かって決然と、あるいは悲しみを押し隠して指を振り上げるシーンが放つ衝撃は、人が求める幸福のあり様についていろいろと考えさせてくれる。漫画かと思ったらコマ割の中にギッシリと字が詰まって小説のよーになって、それが突然1コマ2コマって感じで漫画に変わってまた文章が続く構成の、絵物語なんかとはまた違った強弱の激しいテンポが読んでいて心を上へ下へと揺り動かして、何ともいえない読中読後感を与えてくれる。この方法論、ちょっと真似できません。折り返しの部分とかにある多分Dさんの写真は美人度アップ。間近に会ったらきっと卒倒しそーだけど、塩澤編集長は会って表紙とか受け渡ししたのかなー、その時に卒倒はしなかったのかなー。


【1月24日】 DVDが発売なった「ヘルシング」を買う。たぶん「ヘルシング」で決して「ヘルツング」ではないと思うしましてや「ヘルシソグ」でも「ヘルツソグ」でももないとは分かっていたけれど、聞こえてくるさまざまな声とか某「ヤングキングアワーズ」誌上での原作者自身の無関心ぶりなんかを考えると、あるいは「ヘノレシング」だったりするかもと心配してただけに、改めて作品を見て立派にちゃんと「ヘルシング」だったと分かって安心する。格好良いじゃん、アーカード。夜も深夜にあの立派なよく通る声を聞かされると、眠っていた頭に響いて眉間に皺が寄ったんだけど、比較的冴えてる時間に見ればこれがなかなか良い感じに野卑で横暴で傲慢で自信過剰。でもってときどき妙に優しかったりする辺りも、アーカードってキャラクターの一面をちゃんと表現している。

 婦警も婦警で人外のモノになってしまった戸惑いなんかが表情とか行動とかに現れていて、それでも時折素っ頓狂な面ものぞかせる辺りに、原作のニュアンスはまあ行かされている。アーカードもセラスもギャグ的な面がずっぽりと抜け落ちているのは、漫画とは違うアニメーションならではの30分間筋を通して見せなきゃいけないメディアの多分、特性故のことなんだろーと勝手に解釈はしているけれど、作品世界の設定は設定として理解した上でストーリーとかキャラクターの性格とかはアニメがオンリーなんだと思って見た時に、さほど違和感もなくすんなりと作品世界に入っていけたよーな気がしたんで、これがファース・トコンタクトって人にはあるいは面白く見られたアニメだったのかもしれない。視聴率が良かったってのもそれがあったからなのかな。

 おまけが豪華。アンデルセンの安産祈願の絵馬用のシールとか入ってて、これを絵馬に貼って神社に奉納したらきっと真夜中に暴れてご神体をナイフで串刺しにして、社を踏みつぶして境内に巨大な十字架でも立ててしまいそー。放映中も話題になってたウィリスな予告編はちゃんとウィリスな予告編で入っていたんでこれも安心。けどやっぱり全然予告編になってない。ライナーには「454カスール」の絵とかも載ってるんだけど、今日買った「ワンダーフェスティバル」のガイドブックの毎度お馴染み大日本技研の広告に、これも出品されるとかでちょっと楽しみ。可動じゃないんだろーけど。銀製な13ミリ爆裂鉄鋼弾とかつかないかな。大日本技研は漫画版から「ジャッカル」のガスブローバック版も出品予定。これちょっと欲しいかも。会社へ持って良って「這いつくばって命乞いしろ、この豚野郎」とか言いながら撃つんだ(誰を?)。

 バンダイがゲームとアニメのメディアミックスを仕掛けるってんで発表会に。貞本義行さんに伊藤和典さんに「ノワール」の真下耕一さんといったメンバーを集めての作品は、その名も「.hack(ドット・ハック)」と言ってハッキング、つまりはネットワークに関連したタイトルらしく、「ザ・ワールド」ってゆー世界で2000万本も売れたらしーネットワークゲームがあって、ゲーム版では、その「ザ・ワールド」ってゆーゲームをプレイしているプレーヤーを操って「ザ・ワールド」ってゲームの世界で起こるさまざまな出来事に挑んでいくらしー。一方でゲームとセットになって発売されるとゆー仕掛けも前代未聞なら、ゲームとセットで5800円とゆー価格設定も前代未聞なOVA版の方は、「サ・ワールド」ってゆーネットワークゲームのプレーヤーに起こる怪異を説こーと頑張る女の子が事件に巻き込まれていく話が描かれる。

 おまけにゲームとOVAの時間の流れはシンクロしてるそーで、全4巻になるタイトルが終了したあたりできっと相互に関連した内容なんかが見えてくることになるんだろー。異例ともいえる価格設定に内容面での安っぽさを感じたんなら多分それは間違いで、わざわざの発表会まで開いて喧伝する以上は、でもって参加しているメンバーの顔ぶれを見る限りでは、それなりのクオリティにアニメもゲームも仕上げてくるんだろー。

 ゲームについて言えば貞本さんが始めて挑んだとゆー3Dキャラクターがなかなかに可愛い仕上がりで、とくに女性キャラクターの「ブラックローズ」のお尻の膨らんだ感じとウエストのくびれた感じにはグッと来るものがある。見るなら後ろからが基本のキャラか。アニメはOVAより先に4月からテレビシリーズも始まるとか。大量に放映される中で埋没するなり、忙しさにかまけて質的に問題のあるものを作ったら、ゲームやOVAにも影響を与えかねないリスクもあるだけに、どこまで力の入ったものに仕上げてくるかがこれも楽しみ。

 記者会見には「あの人は今」的なニュアンスを自ら語りつつ鵜之澤伸さんが登壇。貞本さんと組むのは「王立宇宙軍 オネアミスの翼」以来ってことになるのかな。会見ではほかに角川書店アニメ・コミック事業部の井上伸一郎部長も登壇して、漫画展開のことについて話してた。テレビ出は見たことあったけど間近に見たのは多分初めてくらい。もちろん今回もずっと遠巻きに。あと質疑応答で「ニュータイプ」のワタナベさんって人が質問をしてたけど、どちらかといえばバンダイとの企画確認っぽい内容で、どーやら3月発売の「ニュータイプ」の付録にDVDがついて、そこにOVAだか何かのトレーラーだかが入ることになるらしー。

 加えてそのDVDには鵜之澤さんも関わったOVA版「機動警察パトレイバー」の1話だかがまるまる入るとかってな話もあって、LD版は持っているけどLDプレーヤーが壊れて見られない状況にあるだけに、どれだけの内容がどれだけのクオリティで入っているかも含めて、今から期待に胸がふくらむ。けどしかし値段とか幾らになるんだろー。3000円とかしたら買わないけど。でも「ファイブスター物語」のアニメがまるまる入ってるんならその値段でも平気だけど。

 すいません御免なさい許してくださいあかほりさとるさん。これまであかほりさんのことを散々っぱら「外道」「外道」と言って来たけど、それが間違っていると今日改めて知りました、見くびってました謝ります。あかほりさんは「外道」なんかじゃなかったんですね、そんた程度じゃなかったんですね、分かりましたこれからはこう呼びます、呼ばせて下さい呼んでやるから「ど外道」と。イベント会場に来よーものなら大声で「ど外道」コールにまみれさせてやるから。もちろんこれはエールとして。よくもこんな「ど外道」な話を書いてくれたってゆー心からの感謝の言葉として。

 「カッパノベルズ」から晴れて刊行なった多分あかほりさとるさんの「霊都政争こいまげ。 1」(光文社、781円)は、ヤング縛りなヤングアダルトのジャンルから離れて初めてくらいの小説ってことだけあって、ヤングがとれたアダルト小説と言って受ける印象にどんぴしゃりな内容で、読む人にそ拘束術式限定解除なあかほりさとるさんの爆乳、じゃなかった爆裂ぶりを見せてくれる。だいたいが冒頭から「Penisは女の中に入っていく」(10ページ)なんてシーンが描かれているんだから、その内容の「ど外道」ぶりは推して知るべし、って感じだろー。

 描写も「ど外道」なら主役っぽい美青年、赤坂仁奈の性格からしてもう「ど外道」。超絶美貌を誇ってバイトで働いていたホストクラブでは超人気。メロメロになる女性は後をたたずテレビで人気の女優までもがその足下に跪いて、靴の裏だって舐めてしまうくらいの美貌を誇っているんだけど、その美貌と対照的に性格は我侭勝手の極地を行ってて、自分を引き留めたかったら縄でも着て来いと言われた言葉を真に受けた女優が、コートの下の全裸を荒縄で縛っただけの姿で六本木の街頭にはいつくばっても、顔色をかえずその体を蹴り飛ばすってんだから素晴らしい。

 どーしてそんなに女性にモテるのか、ってゆー理由は美貌とは別に実はあったりするんだけど、それはともかくそんな荒んだ日々にあった仁奈が、街で見かけた謎の怪物の姿にわくわくとする非日常的な生活を感じ、飛び込んだのが何故か東京都庁に残っていた清掃局の第四課。区別に割り振られたはずの清掃局がなぜ残されていたのか、ってゆーと実はその第四課、掃除はするんだけどただのゴミを掃除するんじゃなくって、霊的な汚れを祓い呪いを祓うことを仕事にしていてメンバーにもそんな能力を持った人ばかりが集められていた。

 つまりは仁奈にもそんな能力があったってことになるんだけど、彼とは別の男性メンバー、左右田益荒男の能力が仁奈以上に「ど外道」で、読むほどに顔は赤くそまり下半身は固く猛って来る。もっとも当の益荒男には自分がいかに「ど外道」なことをしているかが分かっていて、かつそのことを心に悔やんでいるところがあって、描写の「ど外道」ぶりとは別にあれこれ心にじんと来るものがある。今はとことん「ど外道」で、女性を徹底して嫌悪している仁奈のさてはて、心もそんな益荒男の姿に変わっていくのかそれとも変わらず更なる「ど外道」ぶりを極めるかは、敵として登場した一味との戦いなんかが描かれる次巻以降のお楽しみ。さらなるエスカレートした描写自体の「ど外道」も、そっちはそっちで楽しみだけど。表紙に真ん中にしっかり描かれている巨乳の眼鏡っ娘が別に主役じゃなかったのが意外って言えば意外。もっともそんな彼女にあんなことそんなことをやらせる辺りが、あかほりさとるさんの「ど外道」たる所以、なんだろー。これぞ男の甲斐性って奴だ(ちょっと違う?)


【1月23日】 見えるのもお構いなしにミニスカートから足を高々と上げて上段への回し蹴りを敢行する美少女、ってシチュエーションのなかなか現実ではお目にかかったことがなく、どこでもいいから全員が普段着のスカートとかで試合をする空手の大会でもやってくれないものかと、そんな妄想に駆られながら桜庭一樹さんの「君の歌は僕の歌」(エンターブレイン、640円)を読む、けど何故にエルトン・ジョン? でもってどーやったら「街の灯りが消える頃、家々から夕飯のいい匂い、だけどオレたちは、ポルターガイストみたいに揺れやがる、別名お化け屋敷で今夜も当直」(8−9ページ)って歌詞で唄えるの?

 それはそれとして主人公は2人の少女で1人は絶世の美少女だけど男が苦手、もう1人はどちらかといえばこっちがメインな猪突猛進タイプで頭より手よりも蹴りが先に出る空手美少女。そんな2人が挑むのは、街をあんまり揺るがしはしないけれど女性たちを脅かすさまざまなトラブルで、そんな女性の敵を相手に2人は「ガールズ・ガード」ってのを作って日々、街をかけずり回っていた。今回の事件もそんな1つで、誰かに狙われているとゆー女性を守ってストーカーらしき男を炬燵でペシャンコにし、こめかみに蹴りを叩き込んだりもしたんだけど何かが違う。どうも相手がよく見えない。彼女は誰に狙われているのか? それより本当に狙われているのか?

 ってな感じで進んでいくストーリーは、どちらかといえば主役で体力専門な赤毛の空手娘、天花寺マリの直情径行っぽい行動に引っ張られつつ、もっぱら頭脳労働専門の美少女、雪野の冷静さと芯の強さに支えられつつ進んでいく。合間にマリと雪野がチームを組むきっかけになった事件とか、男女が暮らす社会の抱える歪んだ問題なんかを指弾していて読んでなかなかに胸に迫るけど、全体としてはやっぱりマリのドアは蹴破りカーネルサンダースは振り回す一気呵成な行動力の壮快さ、それらをサラリと流して描写してかえって凄みと面白味を浮かび上がらせている筆の闊達さが目に楽しい。続刊希望。ローンで5万8000円の「ポール・スミス」ってジャケットだけなら良い値段だけどスーツでの価格なんだろーか。だとしたら安くなったなあ、14年前は1番安い紺のサージのスーツので7万2000円とかしたもんなあ、デフレだなあ。

 直情径行ってよりはほとばしる正義感が無道非道を許しておけないってタイプの、良い意味で子供っぽい(子供だし)ところがある美少女が大活躍する「レディ・ガンナーの冒険」(茅田砂胡、角川スニーカー文庫、571円)を今ごろ読む、「レディ・ガンナーの大追跡 上」(角川種ニーカー文庫、500円)の前哨戦ってやつ。幼なじみが意に添わぬ結婚をさせられよーとしているって話を聞いて、矢も楯もたまらず飛び出し救いに行くって話なんだけど、どーやら背後にあれこれ陰謀が蠢いていたよーで、彼女を狙う輩が街に荒野に現れる。さてどーしたものかとゆー段になって、雇ったのが4人組の用心棒なんだけど、実は4人は人間ではなく、動物の力も兼ね備えた存在だった、とゆー話。

 どーぶつに変身できる人間てゆーか、人間に変身できるどーぶつが暮らす大陸にいっしょに暮らして国家らしきものを形成している人間たち。交流もあって人間とマンビーストの間には混血も生まれたりしてそれなりに混交が進んではいるんだけど、よくよく人間って奴は嫉妬深いってゆーか自意識過剰ってゆーか、一部にマンビーストも人間との混血も徹底して排除しよーとする人たちがいるらしー。そんな人たちの理不尽さを活写することで、世にある差別の問題なんかにもやんわりと触れておきつつ、キャサリンを含めた勇気ある人たちの正義の振る舞いに感銘を覚えてもらおーって感じに仕上がっていて、まあ成功してるって言えそーなんだけど新刊「レディ・ガンナーの大追跡 上」だと人間とマンビーストの反目の根深さ、人間の貪欲さがさらにクローズアップされて描かれていて、読んで結構辛かったりする。

 実際問題「世界は1つ、人類はみな兄弟、戸締まり用心火の用心」だなんて言ったところで差別はなくならないし泥棒もいなくならない、そんな現実が妙に見えちゃっているからこそ物語の中くらいは勧善懲悪に正義が勝ってな話にときめきたいんだけど、現実のやるせなさがなお一層のカリカチュアライズされた格好で折り込まれてしまうと、本当は態度としてまずいんだけど読んで胸につっかえてしまう。まあその辺り、物語の前半ってことでバックグラウンドの説明をしなくっちゃいけないってことで、その辺の差別の話がこってり盛り込まれたんだと理解して、後半の、キャサリンの活躍ぶりにマンビーストや混血の人たちの超人ぶりを楽しみながら、やっぱり正義は勝つのだって展開に溜飲を下げることにしよー。下巻は2月発売、ってことはもーすぐか。


【1月22日】 マスコミ人は、ってゆーか日本人はだいだいにおいて嫉妬深い生き物で、流行っているうちは散々っぱらもてはやしておいて相手が威張っているんならそっくり返っている背中を、さらに後ろへと傾かせるよーな世辞を言い連ねておいていざ、落ち目になったらなったで途端に手のひらを返したよーに徹底して叩きに回るのは、ちょっと前までデフレ経済の救世主だと讃え誉めまくっていた「ユニクロ」が、ちょっと売上に陰りが見えただけでまだ利益が1000億円近くあるにも関わらず、連日の大量な危機報道でもって本当に危ないんじゃないかと思わせてしまって、フェードアウトへと追い込もーとしている辺りを見れば鮮やかに明かだったりする。まるで落ち目のタレントを徹底して叩くよーで、それが元来野次馬根性なメディアって言えば言えるんだけど、芸能界と違って経済は及ぼす影響が幅広いだけに、同じスタンスで果たして臨んで良いのか悪いのかちょっと悩ましい。

 ちょっと前の「ユニクロ」状態になってて何をやっても莫迦受けっぽい雰囲気にちょい自慢げなところも出てきてるのが玩具のタカラで、なるほど「e−kara」が人気となり「ベイブレード」が爆発的な大ヒット商品へと育ち、コナミとやった「デジQ」もやっぱり結構なヒット商品になっていて、やることなすことすべてが良い方に転んでいるよーに見えるけど、ここでもし「ベイブレード」のブームが「遊戯王カード」よろしくスーッと引いて大量の在庫が倉庫を圧迫する、なんて事態が起こって償却のために特別損失を積みました、なんて状況に仮に陥ってしまった時、今まで大盛り上げに盛り上げて来たメディアなりアナリストがさてはて、一斉に叩きに回ったりする可能性があるだけに、今はちょっと自重って訳じゃないけど地に足のついた将来像を描いて見せるべきタイミングにあるよーな気がする。

 もっとも、あらゆるメディアがこぞって関心を示している今だからこそ、やってしまってなお一層の関心を集めてステップアップのためのボードにしよーって考えたくなる気持ちも一方にあって、経営する人の舵取りも結構微妙な時期に来ているよーな気がする。コックスってカスタマイズの会社と組んで製造した電気自動車「Q−CAR」の記者発表に行くと、集まっていたメディアは過去最高くらいに多くって資料はもらえず、お土産らしかった「DIGI−Q」も僕が帰る時間帯には陰も形もなくやっぱりもらえなかったとゆー状況の、この盛況ぶりに経営陣がこぞって喜びたくなる心境は分かるけど、さてはて100万円以上するにも関わらず、1人乗りで遠出は難しく免許も普通免許が必要な電気自動車が、今までの玩具と同じ雰囲気で飛ぶよーに売れていく、そりゃもちろん数こそ玩具に比べて少ないけれど、1年で1000台とゆーから1日で2台以上は売れていく、なんてことがさてはて本当にあるんだろーかと悩ましく感じる。

 狭い地域のコミューターとして電気自動車の需要が決してない訳ではなくって、夜の「ワールドビジネスサテライト」なんかでやっていたよーな、車を何人かでシェアして営業まわりみたいな必要な時に充電施設の整った駐車場へと出向いて乗り込んで近隣へと出向く、なって使い方が広がればそれだけ需要も広がる可能性はあるけれど、そーした限定された状況じゃない、例えば近所への買い物用とか、観光地での観光スポットめぐり用とかでの利用となると、買い物だったら1人乗りで子供が乗せられなかったり、規格は原付だけど普通免許が必要だったりといった部分でまず壁が出来てしまって、ちょい食指を伸ばしにくい雰囲気が生まれてしまいそーな気がする。

 これがあらかじめ電気自動車を想定した街作りになっていて、ガソリンエンジン車は市街地が閉め出されていて小さい電気自動車が大きな車から圧迫感を受けることなく街を走り回れて、充電だって各所でできる、ってな感じになっていたら「セグウェイ」ともども「Q−CAR」もそれなりの需要が見込まれそーだけど、現実の道路事情生活事情で利用するとなるとちょっと、値段も稼働時間も形も含めてちょい様子を見たいって気がしてくる。海外だったらそこそ「セグウェイ」のために法律もライフスタイルも買えて街を作りなおして利用を促し、1つの産業として、またひとつの新しい交通手段として採り入れ育てて行こうなんて発想も出そーだけど、文句を言われたくらいでNGOを閉め出すくらいにお高い日本のお上が、そうそう簡単に電気自動車の利用が促されるよーな施策を即座に打ち出して、タカラの頑張りを後押しするとはちょい思えない。

 タカラもタカラで意気込みの強さは伝わって来るけれど、実際問題どれだけの台数が見込めるかってあたりがなかなかに微妙で、計画も含めてちょい未来に不安が残る。いったん抱かれた不安が仮に現実になった時がいちばん怖い時で、「ユニクロ」よろしく一斉に叩きに回ったらもともとが「売れてる」「人気」なんてイメージの拡散でもって関心を集め商品を売りブームへと育てる文脈でもって仕事して来た玩具業界だけに、反駁もそれほど効果がないよーな気がする。なるほどだったら常にヒット商品を生んで注目を集め続ければ良いって言われそーだけど、かつて世の中を席巻した「ミニ四駆」も「ハイパーヨーヨー」も「たまごっち」も「ポケモングッズ」もちょっと目を離した隙にズズズズズッと沈んでしまった事実を踏まえると、1社が常に最先端にあり続ける難しさはやっぱり見捨てておけない。

 息継ぎなしで走り続けることを余儀なくされてしまった会社がさてはて、調子に乗った挙げ句に埋没するかそれとも乗った調子が大爆発してさらなる発展へと至るかどーか、その境目にあるよーな気もするタカラの果たして次の一手やいかに。夜の「ワールドビジネスサテライト」だと「次は家電」めいたことも言ってたんで、家電メーカーあたりと組んで「だっこちゃん印の炊飯器」とか作ったり……はしないか、まあいずれ遠からずそーゆーコラボレーションも実現しそー。ただしやっぱりイメージだけでとらえるんじゃなくって、市場性の問題キャラクター力の問題なんかを噛みしめつつ、玩具メーカーと家電メーカーの得意技が活かせる商品投入なんてことになるのかも。言っておくなら「コメットさん」のスポンサーを改変期でもない時期に降りる会社に徹底してのバラ色の未来を見たくはないけどね。

 それにしてもなタカラの社長の人に群がるテレビカメラの多さよ。近寄って話すなんて事が不可能なくらいに次から次へとカメラが近寄ってインタビューを取っている姿を見て、3年前ならちと分からないくらいに厳しい状況にあった会社がよくも立ち直ったもんだと感心しつつ、ここをピークにさせないよーな冷静さと大胆さを持った経営がさてはて来年も出来るのか? ってな辺りをちょい見て行きたい気がしてる。DVDのヒットで「ピピン」の悪夢を乗り切ったバンダイのキャラクターマーチャンダイジング力炸裂な高収益とか、地道なんだけどホリプロと組んで「アフロ犬」ならぬ「お茶犬」なんてキャラクターを作り出して来たセガトイズの企画力あたりが、足に地の付いた戦略として見直される場合なんてものが来ないともぜんぜん限らないし。どーするタカラ、どーなるタカラ。細心さでもって大胆なこと、やってくれれば大丈夫なんだろーけれど。まあ冷静に。

 明智抄さんの漫画に出てくる人ほど性格は破綻してないけれど、高尾滋さんの新刊「てるてる×少年」(白泉社、390円)に登場する忍者の里だかのお姫さま、御城紫信って娘の性格のどぎつさストレートさには、相当の迫力と胆力を感じる。何せ交際を申し込んできた男に向かって吐いた言葉が「しのはブサイクな男がとっても嫌いよ」ってなストレートさ。そんな自分を守るために忍者の里からやって来た才蔵に向かってもやっぱりストレート過ぎるくらいにストレートな言動を行い続ける紫信の、ある意味純真なんだろーけど傍目にはやっぱり我侭いっぱいに見えてしまう性格には、読んでいて結構楽しまされた。とにかく色っぽい紫信の絵に胸キュンキュン。巻末に出てきた過去にいろいろありそーな才蔵の幼なじみの三島佐介が2巻でどんな活躍を見せてくれるかも含めて、紫信の爆裂ぶりを楽しんで行こー。


【1月21日】 もちろん吉野朔実さんの作品なんで最初の集英社から出たバージョンも全部持っていたりするんだけど、例によって家のどこにいったか分からない状態になっていて、一部は風呂場の棚の上でふやけてたりするんで、小学館文庫から再刊になった「恋愛的瞬間」も当然やっぱり買ってしまう。集英社から出ていたものが何でまた小学館から出るのか分からないのは前の「ジュリエットの卵」も同様だけど、どーせだったら新しいのはまだちょい良いから今でも「マーガレットコミックス」の方のカタログに入ってはいるものの、そろそろ店頭から見かけなくなって来ている「少年は荒野をめざす」辺りが文庫で欲しいところ。

 あとは「いたいけな瞳」とかもやっぱり風呂場で一部がふやけてるんで文庫で集めておきたいんだけど、個人的には「少年は荒野をめざす」と並んでお気に入りな(「ジュリエットの卵」は別腹って感じ、ちょい痛過ぎて)、ルイーズ・ブルックスみたいな髪型をした美少女が登場しては楽しませてくれる「HAPPY AGE」なんかを再び読みたいところ。3流の通信社で働く記者が主人公ってあたりも職業柄、気に入ってる作品なんで是非に。ってゆーか同じ「ぶーけコミックス」の再刊だったら内田善美さんをとっとと再刊(それも出来ればハードカバーの愛蔵版で)しやがれってんだ一ツ橋グループは。ときどきはハードカバーの「星の時計のliddele」を売ってるのを見かけるけれど、だいたいにおいてはすべてが絶版状態になってるんだもんなー。どーして再刊されないんだろ。本人の意志だったりするんだろーか。

 捻りまくられてたりメタだったりギャグだったり駄洒落だったりスプラッターだったりする話が周辺に妙に増えてて、そーゆーアクロバティックな部分を最初は大喜びに喜んで受け入れてはいたんだけど、そろそろちょっぴり鬱陶しいかなー、なんて思っていた気持ちをすっきりさせてくれるストレートな伝奇ホラーが登場。樋口明雄さんお「魔名子」(学研M文庫、660円)は石井731部隊の流れを汲む製薬会社で行われていた謎の実験の被験者になった女性が結果、超常的な能力を得て男をたぶらかし立ちふさがるものを叩き潰していく展開の、類型的ではあるけれどだからこそ安心して最後まで一気にページをめくれるストーリーに、難しいことを考えすぎてもつれまくっていた頭がスーッとときほぐされる。普通って素晴らしい。

 とはいえあんまり捻りがなさ過ぎるのも寂しいなあ、って思ったのは「第3回ファミ通えんため大賞」で佳作に入った上島拓海さんの「三ヶ月の魔法」(エンターブレイン、640円)の展開にちょいまったりふんわりし過ぎな感じを覚えたから。松本市で突然起こった事態。そこにいる人のほとんど全員が魔法を使えるよーになってしまったからもう大変。、箒で空を飛んだり誰かに手を使わずに暴力をふるったり出来る人が街にあふれただけじゃなく、他の地方から魔法を体験したい人がやって来て、ちょっとした観光地になっていた。そんな中、大五とゆー少年だけは何故か魔法が使えず、思い悩んでいたところに、さらにとんでもない事態が発生。彼だけが自在に動ける立場になってしまい、街の皆を救うため、事件の裏側にある謎の人物を追って大活劇を繰り広げる。

 皆が不思議な力を当然のよーに使う中でひとり、浮くってゆーか沈んでしまった少年の悩む気持ちが現された中盤までは読んで結構キュンと来るんだけど、事態の原因の気持ち的にはもーちょっと善意の行き過ぎ的だったり逆に悪意の爆発だったりすればそれで楽しかったものが、実際にはあまりに稚気に過ぎて、そんな稚気と戦う大五に成り代わって戦うのはちょい、相手が役者不足のよーな気がして憤りのもって行き場に戸惑う。あと、一度覚えてしまった楽さを果たしてこれから人はどーやって忘れるなり、切り替えるなりしていくんだろーかって部分での示唆がないのも気にかかるところで、なるほど読んでいるうちはドタバタとしてジタバタとする様が楽しいんだけど、読み終わってあれやこれやと浮かぶ疑問に首が傾く。例えば小学校の低学年が読む童話っぽい話でやったら、勧善懲悪な感じがすんなりと読み手に受け入れられたかも。


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