縮刷版2001年7月下旬号


【7月31日】 たぶん読んでいた筈だけどうっすらなんて記憶もなく、あるいは読んでなかった可能性もあるんだろーかと悩んでいた単行本で、あれは「超鉄大帝テスラ」だったっけ、同じく再刊なった単行本の巻末で、原作の大塚英志さんがいつもの口調で復刊を角川書店に確約させていた大野安之さんの「ゆめのかよいじ」が、約束なのかゴリ押しなのかはともかく角川書店から無事刊行。タイトルも同じ「ゆめのかよいじ」(角川書店、1200円)として書店の店頭に並んでいて、さてどんな話だったんだろーかと買ってペラペラと読み始めた途端、これは既読だとゆー確信が脳内を走り抜ける。あったあったこの単行本。読んだ読んだこの話。

 周囲に森とかが残る街へとやって来た主人公の少女が、通い始めた学校の木造校舎で迷った時に出会ったどこか謎めいた、言うなれば幽霊のよーな少女との逢瀬を重ねながら、古いものが新しいものへと代わっていく寂しさと、生まれ変わっていく喜びみたいなものを感じていくストーリーの連作短編集。冒頭のエピソードからして記憶に引っかかったんだけど、読んだとゆー確信が決定的になったのは、主人公の少女が転校していくことになった途端、後者の取り壊しが決まったとゆー報がもたらされて、主人公の友だちの女の子が「なんあんだよみんないきなりぃー!」と悩む場面を見た時。学生とゆーモラトリアムの最中にあって、宴の終わり、非日常の終わりを予見させる言葉だなーって気が読んだ時に強くして、刻み込まれてたのかもしれない。まあ最近まで思い出せなかったんだけど。

 古い校舎や古い物や古いしきたりから生まれる不思議との巡り会いとゆー内容は、今読み返して紺野キタさんの「ひみつの階段」(偕成社、880円)シリーズなんかとも通じる部分を感じて、いつの時代にも思春期の通過儀礼的に描かれ読まれるシチュエーションなんだなーと、とおに過ぎた思春期を想って遠い目になる。とかいーつつ未だにどこか別の場所を信じてそこへと紛れ込み留まっていたいと願うあたり、成長のして無さが見て取れる。僕だったら「油屋」から絶対に戻らなだろーね。もっとも明るくメルヘンチックな「ひみつの階段」に比べて「ゆめのかよいじ」は、民俗学的な要素も採り入れつつ、日本が高度成長し都市化してい過程で多くのものを失ってしまうこと恐さめいたものを描いてあって、バブルの崩壊を経てもなお前へ突き進むことしか考えていないこの国にあって、それで良いのかと居住まいを糺させる。今読んでも古びてないどころか今だからこそ読まれるべき1冊。

 原稿をパソコンに取り込んでメインキャラをすべて描き直したってあるけれど、手元に原本がないんでどこがどー変わっているのか、想像はつくけど比べられないのがちょっと残念。けどまあ原本と比べて違いを目の当たりにしてしまった結果、否応なく過去に読んだ時の懐かしさに縛られてしまい今を否定してしまうより、今の絵に何ら違和感を抱くことなく物語を読んでその本質に浸れることの方を喜ぶべきだと思って納得しよー。けどやっぱり読み返したいなー前の版も。掘るか自宅を。

 アトラスが直販体制に移行するって発表と、これから発売するタイトルのお披露目なんかがあったんで見物に行く。出資している角川書店も直販ルートに乗るってことで社長の人が来ていてタイトルも何本か紹介があった中に、一部で話題の「暴れん坊プリンセス」を発見、枡田省治さんのシナリオで制作がアルファシステムとゆースタッフ的な凄さもさることながら、目の当たりにしたビジュアルのインパクトと設定のヒネられ具合になるほごこれは受けて当然かもとゆー気になって来る。なんでも徹底したこだわりでもってビジュアル面が作られているとかで、チラシにあるよーに「顔パターンだけで1万2754枚」もあってキャラクターが多分3Dなのに実に表情豊かで、手足とか服とかの塗りだってベタ1色じゃなく濃淡がちゃんと付けられて、手間のかかりよーが伺える。

 声だって超豪華で主役の暴れん坊なプリンセスには三石琴乃さんで湧きを固めるジャスミンが藤田淑子さんシオンが関智一さんアッシュが小杉十郎太さんココが大谷育江さんフィルが高山みなみさんと、声優に決して詳しい訳じゃない僕でも一応全員知ってる人たちばかりで、作り手の力のみなぎりよー金の注ぎよーが分かる。あれは変身シーンなのかな、暴れん坊プリンセスが「デュエル・コスプレイション」と叫ぶ場面のいつか見た感たるや。別にロッドとか振り回してはいないけど、久々の決めセリフに心が震えました。山ほどのボイスに声優インタビューにこだわり抜かれたビジュアルが果たしてDVD−ROM1枚に入るんだろーか。まあ入るんだろーけれど現場は発売までやきもきすることになるんだろー。10月25日発売予定。PS2を持ってて良かったと思わせてくれるだろーと今から確信しておこー。

 風の噂でどーも右翼らしーと聞いて、だったら行って「ジークハイル!」の一言でも叫んでおくのが筋だろーと申し込んでおいた小林よしのりさん登場の「ゴーマニスト大パーティー」に落選。会場とか全然知らないんであるいは大田区産業会館とかいった小さな会場で数百人程度を集めてひっそりと祝うこじんまりとしたイベントになったんだろーか、なんて想像もしたけれど小林さんに限ってそんな筈はなく、おそらくは数千人は軽く入るだろー会場で盛大に出版を祝うイベントになるだろーことは必至。にも関わらずの落選ってことはつまりそれだけの応募があったってことになる訳で、あーした意見に与し著者に一目会いたいと集う人が大勢いるとゆー現実にしばし愕然とする。

 情動に訴えプライドを擽り自尊心を取り戻させてくれる意見を是とする勢力のすべてを真正面から否定するつもりはないし、日本に生まれ日本に育った身として一部ならず惹かれることろもあるけれど、一方的に触れた振り子によってもたらされるキナ臭い世間は御免したい。にも関わらず、心の襞に貼り付く情動を超越して、振り子を逆方向に振り戻させるだけのパワフルで説得力がある意見のなかなかに出てこない状況はやはりマズく、戦っているつもりなんだろーけれどやりかたが姑息だったり恫喝的で心情的に肩入れできない勢力の空回りぶりも含めて、日々苛立ちは募るばかり。今さらだけどあの「戦争論」が出た時に、見逃さず見落とさず見ないふりをせずに真正面から戦い勝っておくべきだったんだろー。8月15日の喧噪を挟んで世間はどう動くか。注目したいけど気持ちはたぶん週末の「日本SF大会」に服を何着ていこーかとゆー悩みでいっぱいなんだろーなー、「でじこアロハ」か「でじこプラクティスジャージ」が「しずかちゃん入浴Tシャツ」か。


【7月30日】 芸能人が出てきてはジーパンが似合う宝石が似合う酒が似合う眼鏡が似合うなんて囃され持ちあげられる「ベストなんとか」とか「なんとかオブザイヤー」ってのが、いったいどのくらいの数あって毎年どんな人が表彰を受けているのかは調べた訳じゃないけれど、ジーパンが似合う人宝石が似合う人父親として尊敬できる人夫婦として最高云々なんて、選ぶ理由にお題目がついていた所で所詮は年間通していちばん話題になった人を選ぶ”人気投票”くらいの意味しかない。今年だったらさしずめ小泉総理を筆頭にして、やっぱりなSMAPに藤原紀香さんに田中麗奈さん桑田圭佑さん、新鋭だったら「モーレツ」で見せてくれなかった菊川怜あたりが「ベストなんとか」に選ばれるだろう可能性が極めて高い、よーな気がする。「ベストジーニスト」は今年も草ナギ剛か。

 「いい夫婦の日」をすすめる会、ってのがあるそーで桂文珍さんを名誉会長に素敵な夫婦中の言い夫婦理想の夫婦を選んで表彰しましょうって趣旨の「パートナー・オブ・ザ・ヤー」ってのを主催しているそーで、去年は中村橋之介さん三田寛子さんが選ばれたとかで、なるほどやっぱり感が募る。さて今年も現在第4回の「パートナー・オブ・ザ・イヤー2001」ってのを一般から募集しているそーで、予想するなら子供も産まれた木村拓哉さん工藤静香さんあたりが人気でもって筆頭い出てくそーな気がするけれど、ここに例えば新しい夫婦関係ってのを「フロン」でもって提言した岡田斗司夫さん和美さんのカップルがノミネートされたらさてはてどんな旋風が巻き起こるのかが気になって仕方がない。

 戸籍の上では”離婚”したといっても家には3日帰って「父親」としての役割を果たしている訳で、「いい夫婦の日」の趣旨でもある「いい夫婦関係」に即してはいても決して反するものではない。未婚の人既婚の人から「あんな夫婦が理想」と思われる意味では立派にノミネートされ且つ議論の俎上に上がるだけの意味を持つ。だいたいにおいて「ベスト夫婦」なんて表彰されたカップルが正真正銘の仲違いからの離婚をしたり、「ベスト父親」だなんて表彰されたオヤジが暴力父だったりす例は過去にいくらでもあって、今はなるほど微笑ましい中村橋之介・三田寛子のカップルだって5年後10年後のことは分からない。その点で岡田さん所は”絶対に離婚しない”ことが分かっているから、主催者も将来に不安を抱かず堂々と表彰できる。夫婦ともども有名人でなきゃいけないって部分がネックになりそーだけど、とりあえず条件は実在するカップルで基本的に夫婦で(基本的に、ってあたりが曖昧だけど未入籍でも可ってことか、藤田小池の直木賞ペアみたく)日本国内に居住していればノミネート可能らしーんで、ホームページでからネットな人がワシワシと投票すればすぐに1等賞くらいいっちゃいそー。発表が見物です。

 イチローが表紙の「ナンバー」528号をペラペラとめくっていて金子達仁さんを発見、あきらかに富士重工業のペイドパブなページとまる分かりな「レガシーB4」のインプレッション記事にモデルとして登場していて、芸能人じゃないけど「ナンバー」誌上じゃ芸能人よりもフィリップ・トルシェよりも有名だったりする人だからモデルとしての起用もまあ納得。格好も顔もそれほどひどいって訳じゃないから「B4」の格好良さを引き立てはしても引きずり下ろす懸念はないけれど、でもねえ、トップのページではいてるパンツのフロントが開いているよーに見えるのはちょっぴりマイナスのよーな気がするんだよねー。いわゆるジッパーで止めるタイプじゃなくベロクロで張り合わせるタイプのフロントかもしれず、開いているよーに見えて奥ではちゃんと閉まっているのかもしれないけれど、やっぱオープン・ザ・ソシアル・ウインドウに見えてしまうんだよなー。澄ましていても格好つけてても1発で間が抜けてしまう状況だけに、本当はどーだったのか聞いてみたいところ。中田選手にインタビューできる金子さんにインタビューできるくらいに早く頑張って出世しよー。

 夜の部で「千と千尋の神隠し」を観賞、まだ2回目だ。フィルムブックで発売された「千と千尋の神隠し」(徳間書店、590円)を読んで冒頭の部分を当然ながらコマ割りでだけど何度も繰り返し確認してあったこともあって、ダルそーにブーたれた千尋の顔とか豚になった両親がハタキみたいなのに叩かれて崩れ落ちる瞬間に千尋が見せるジムシーばりに歯をむき出しにした仰天顔とかをちゃんと画面で確認できて、それが「油屋」で働くことでだんだんと強い顔になっていくプロセスが前に見た時よりははっきりと見えて2回目で飽きるどころかむしろ心理描写の奥深いところまで把握できて楽しめた。ただ泣けるばかりだったおにぎりを頬張るシーンもじんわりと泣けながらも大きなおにぎりを3つとも食べてしまう千尋の姿におかしみを感じつつも、そこまでそれほどまでに張りつめていたんだなーってことが認識できて、時間とかの兼ね合いで単に泣ける場所を持って来たってんじゃなく、そこに到るまでの心理描写の積み重ねによって必然として泣けるシーンになったんだってことが分かって流石は宮爺と感嘆しつつもやっぱり泣いてしまう。可愛いなあ。

 場末感漂う本八幡の劇場じゃなかったんたんで音声がクッキリと聞こえたのは善哉、ハクにあげる青黒い玉を指して釜爺が言う「ニガダンゴ」って言葉が聞き取れなかったからなー。ほかの湯女たちが一応はナメクジの化身とされている中で表情とか言動がとっても人間臭いリンの果たしてやっぱりナメクジ系なのかそれとも千尋と同じ境遇なのかは確認できず、まあ聞けばそれなりなこじつけは出てくるんだろーけれど、苦境にたとえ陥ったとしてもお節介に親切なあーゆー人がいて助けてくれるもの、ダメな娘だって成長できるんだとゆー”教訓”が伝われば言い訳なんだろーからとりたてて細かい設定はないのかも。風呂の掃除に向かう直前に千尋といっしょに床を雑巾で拭いていたおネジっ子っぽいキャラクターもナメクジ系な湯女とは違ってるっぽかったし、リンも含めて案外とそーゆー子供が大勢落ちて来ては千尋よりも回る頭で湯婆婆と掛け合い契約に成功して油屋で働いているのかも。つまりは千尋はそーとーにグズだったってことになるけど、それでもグズなりの愚直さでもってリンも誰も成し遂げられなかったことをしたんだから、やっぱり千尋は凄い娘ってことになるんだろー。だからこそのヒロインなんだけど。

 どちらかと言えば声の演技に注目して見た2回目、でも釜爺は画面に見入れば見入るほど釜爺でしかなくなるんだよなー、じゃけんのおなイメージは消えて。それだけ画面を動き回り活躍しまくる釜爺とゆーキャラクターに魅せられているのかも。千尋役の柊瑠美さんも大湯に上がってはすべり落ちて「ギャッ」と挙げる驚きの声が可愛くもリアルで、似たよーな場面で挙げる「ギャッ」「キャッ」って声の楽しさを前半は何度も堪能できた。後半は強くなっちゃってあんまり悲鳴をあげないのがちょっと残念。あと消豚舎に囲われている両親に向かって「あんまり太っちゃだめだよ」と諭す場面の泣きそうなんだけどグッとこらえた強さを秘めた声にとってもソソられる。リンはぞんざいなんだけど気に入ったら優しい姉御肌な感じが最高。あの口調で毎日罵倒されてーなー、「グズだねえ」とか言われてケツ蹴飛ばされながら。

 そのリンを好演した玉井夕海さんに関しては、出たばかりの「コミックボックス」別冊「千尋の大冒険」(1050円)に他のムックにはない長めのインタビューも出てるんで、映画を見てファンになった人は要チェック、リンも映画ではトップクラスに美人だったけど本人もなかなかに美人っす。ムックは大塚康生さんを筆頭に田中敦子さんらテレコム・アニメーションフィルムの重鎮たちの内幕暴露なんかも豊富な座談に、「映画が出来てもいないのに、何を聞くんだって思いませんか?」「絵コンテをスポンサーに読ませるようになってから、制作現場が下らないものになっている」「映画が出来てから、雑誌にするねうちがあると思えば、雑誌を作ればいい」「僕は今のマスコミの取材体制は変だな、とつくづく思っています」とゆー宮崎駿監督への取材者としては耳が奥から痛くなるインタビューもあってなかなかに読みごたえがある。

 大塚さんが「カリオストロの城」なんかで使ったらしー、撮影の時にタップ穴をズラして人の動きを左右にブラすことで走りなんかにリアルっぽさを出すテクニックは、人間がアニメに求めるリアリティについていろいろと考えさせてくれる。そーした現場での模索の積み重ねによって生まれたノウハウが、どちらかといえば完璧さを求める宮崎さん1人を神格化する中でどーなるかって懸念もあるけれど、テレビに限っていえば宮さんの完璧主義なんて入り込む余地もないまま大量の作品が作り続けられている訳で、思考よりも先に動く手から生まれるテクニックは、アニメが作り続けられている限り受け継がれて行くんだろー。スポンサーはだから迷わずアニメを作らせ続けよー、引いてはそれが日本を救う。


【7月29日】 イベントシーズン本格化、ってことで北の丸公園にある「科学技術館」へ。「第1回スーパーコレクションショー」(主催・ディスカバリー)ってイベントが始まるってことを運営している会社の人から聞いていたんで、「JAF−CON」を後回にしてどんなものかとのぞいて見る。「後楽園ホール」なんかでずっと開催されてるらしー「アイドルカードショー」の発展版、あるいは変形版みたいなイベントらしーとは聞いていて、それはさぞかしアイドルな人とアイドルファンな人々が群れて楽しいショーになっているんだろーなと想像したけど、第1回目ってこともあって「スーパーフェスティバル」みたく円形にグルリと外周をとりまくホールのすべてを使うよーなことはなく、1番端のホールに割とあんまり聞かない会社が小さく店を構えて、これからあるいは素晴らしく有名になるかもしれない人たちのトレカを売ったりサイン会を開いたりするとゆー、言葉を選べばほのぼのとして和気あいあいとしたアットホームな雰囲気のイベントになっていた。こぢんまり感は損保会館とか文具会館で開かれてる自主イベントに近いかも、って比べてどーする。

 到着して入場料1000円を払って黒沢ゆう子さんのトレーディングカードを1枚、入場券替わりにもらって(3種類あって全部集めるとサイン会用のトレカを1枚くれるとか、商売しょーばい)中に入ると、「アイドルカードショー」の宣伝のために隣の「夕刊フジ」の編集局を水着姿(上にコートははおってたけど)で訪ねて来てくれた折に、暗くてヌトヌトとした当方が所属する編集局ものぞいてくれて、コートの下が水着だったとあとで気付いて見ておけば良かったと歯がみした「MARI」ちゃんが、何でも22歳にしてCDデビューするってことでその収録曲なんかを唄ってて、それなりな歌唱力に「やっぱりアイドルって凄いんだなー」と感心する、CDは買わなかったけど。

 ライブの後は「ディスカバリー」って会社のブースでトレカとか写真集へのサインなんかをしてたんで遠巻きにして見物してると、これで会うのは6回目ですと話しかける人とか可愛い便箋に入れた手紙を渡す人とかいろいろいたりとなかなかの人気ぶり。別にテレビで大活躍している訳でもなければ写真集が売れまくっている訳でもない新鋭のアイドルであってもチェックを怠らない、「アイドルファン」と呼ばれる人たちの活動範囲や関心にする対象の広さに改めて感銘を受ける。同じ会社の隣の席でメイドっぽい格好をしていたこちらはさらに新鋭らしー「eri」ちゃんにだってすでにファンがいたみたいだし。164センチで上から85、58、83の「eri」ちゃんはマジでちょっとしたもので、あるいはそー遠くない将来にグラビア誌の巻頭とかを飾るよーになるのかも。そーなった時に感じるだろー早くから目をかけていたんだ握手してもらったんだ写真も持ってるんだ的な”先物買い”の至福があるから、「アイドルファン」ってきっとやめられないんだろー、しまった写真撮っておくんだった。

 舞台は「ちゅらさん」にも出ているらしーけど見てないんで知らない山口あゆみちゃんって人が登場してはトーク&ワンピース姿での撮影会。アイドルな世界では何年も前から知られてる人で朝ドラにも出ている人だけあって、その頃になるとまばらだったステージ前にもそれなりな人数が集まっていて、知名度とか人気といったバロメーターの分かりやすさを実感する。発売されてたトレーディングカードのジャケット写真がどちらかと言えば大人っぽい澄ました雰囲気だったんで、どんな人かと思っていたら登壇した本人は笑った顔がなかなかにキュートで目元口元の雰囲気が個人的には好きなタイプ。それほど似ている訳じゃないけれど、今でこそ超絶人気女優の座を確保したものの最初は声とか歌の仕事で頑張っていた頃に見て、その表情に打ちのめされた仲間由紀恵さんとの出会い(そんな大袈裟なもんじゃないけど)を思い出す。トークだと桜井亜美さんの小説が好きで「ヴァージン・エクササイズ」って本が特に好きで、映画になるんだったら出たいと言ってたんでそんな話があるなら是非是非お声をかけて差し上げて下さい、いや可愛いっす。

 見たかったけど黒沢ゆう子さんまでは流石にネバれず、辞去して今度はやっぱり「JAF−CON」へ。入るとフィギュアメーカーのブースがずらりと並ぶ一角があり、「コナミ」とか「ブロッコリー」とか「コスパ」といったキャラクターグッズを売るブースが並ぶ一角がありガレージキットのディーラーが昔ながらに卓を並べるコーナーがありミリタリー系のモデルガンとかを売るメーカーのブースが連なる一角があり中古トイを販売するディーラーが卓を並べる一角があり、といった具合にガレージキットのイベントってよりはホビーに関わるあれやこれやが集まったイベントって感じが強くなっていた。4分の1くらいはトレーディングカードゲームの販売と対戦をするコーナーだったし。

 もともとがどーゆー性格のイベントだったか知り抜いている訳じゃないけれど、印象としては硬派なガンダマーなガレージキットのイベント、って印象があったものが随分と様変わりしているよーで、あるいは8月末の「C3プレ」の影響なのか、それとも復活なった「ワンファーフェスティバル」との兼ね合いなのかいいろいろ考えてみたけど結論らしきものは出ず。あるいは企業ブースの多さなんかがイベントとしての性格の変化を表しているのかもしれないけれど、「ブロッコリー」にしたって「コナミ」にしたって「JAF−CON」にだけブースを出している訳じゃないからなー、「アニキャラ・com」も然り。中古トイが「トイフェス」でガレキが「ワンフェス」でガンダムが「c3」で企業のキャラ物が「東京キャラショー」でミリタリーが「G.A.M.E.S」で、ってな棲み分けになっていった時に「JAF−CON」って何が売りになるんだろ? やっぱり「マジック・ザ・ギャザリング」を含めたカード系? 来年とかが楽しみです。

 展示のみで販売は「ワンフェス」ってゆー海洋堂の出展はなかなかに謎。コトブキヤのブースで売ってた「ファイナルファンタジー10」の主役の兄ちゃんのちょっと大きめのアクションフィギュアは値段は高いけど表情とか服装とか良い出来で、欲しかったけど直前に「ブロッコリー」のブースで「湘南ベルマーレ」のブラックティスジャージ(もち「でじこ」付き)を見つけてノータイムで買ってしまっていたので金の持ち合わせがなく断念する。しかしホントに「でじこ」がプリントしてあるんだねー、「ブロッコリー」ってロゴといっしょに。これを着て(着させられて)練習してる「湘南ベルマーレ」の選手が果たしてどこまで「でじこ」&「ブロッコリー」を認知しているのかを聞いてみたいところ。モノはちゃんとした「FOOTBALL EQUIPMENT」のジャージなんで草サッカーであって着られるけれど、最近サッカーやってないからなー、「日本SF大会」東浩紀さん出演イベント観覧用だな。

 とゆー訳で今日のイベント回りは終了、っておいおい日本人として1番くらいに大切なイベントをやってるじゃん、どーしてそれに行かないんだよってゆー人がいるだろーけど、本来だったら人間として国民としてもっとも身に迫るリアルなものとして捉えるべき国会議員の選挙ってものが、目の前で見られるアイドルよりも手で触れて楽しめるガレージキットやアクションフィギュアやキャラクターグッズよりも、どこか遠くで誰かの為に行われているバーチャルなものに思えて仕方なく、積極的に参加したいって気が湧き起こらない。なるほどテレビじゃ連日連夜の報道で小泉人気なんかも含めて国政への関心が過去にないくらい高まっているかのごとく伝えられているけれど、我が身にどれだけ関わる事態なのかって想像を喚起させるだけの内容に乏しく、切実なリアルさを伴うイベントとしての興味をあまりそそられない。

 本来だったら核心に迫り現場野リアルさをお茶の間にダイレクトに伝えるべきメディアが騒げば騒ぐほど、核心が見えなくなりリアルさから遠ざかっていってしまうこの矛盾。演出され過ぎたスポーツ中継にもどこか通じるところがあるよーで、このままで良いのかって気になるけれどどーしよーもなく焦りばかりが募る。風水だどーだと騒ぐ選挙報道を本当に視聴者は求めているのか。それを面白いと感じる気持ちが引き起こす真面目さ、真っ当さのクライシスが将来においてどんな影響を及ぼすのか。まあ何につけこれでなかなかなしたたかな国民なんで、今はまだ大丈夫と思って浮かれて騒いでいるだけで、マジにヤバいとなったら一気に政治をリアルなものとして引き寄せるだけの知恵を持っているんだと信じよー。


【7月28日】 みるみるうちに超絶メジャーな人になって「おごってジャンケン隊」でおごられるくらいにまでなってしまった奈良美智さんだけど、別にじゃんじゃんテレビに出まくって稼ぐとかする訳でもなければ、音楽に行くとか映画を作るとかいった挑戦とは名ばかりの才能の浪費に走る訳でもなしに、黙々とアーティストとしての活動に邁進中で、いよいよ来月11日からに迫った「横浜美術館」での個展に向けて今が追い込み真っ最中なはずなのに、そこは余裕かはたまた熱意か若いアーティストたちを世の中に向けて自分が一種ポータルいなって発信していこーって活動を東京・佐賀町の「小山登美夫ギャラリー」で開催中。その名も「morning glory」って展覧会には奈良さんが教えていた人とか気になった人らしー5人の若いアーティストの作品が展示されていて、シンプルだったり可愛かったりする中に風刺めいたものとかを漂わせている雰囲気が奈良さんぽくってちょっと興味深いグループ展になっていた。

 目に付くのは奈良さんてことで可愛い子供の凶悪なふるまいって作品にどこか通じる雰囲気を持った、美少女なのか美少年なのか分からないけど少女漫画的とゆーか乙女絵といったフォルムの美しい人物が泣いていたり聖セバスチャンの殉教みたく矢で貫かれていたりする川島秀明さんの作品で、イラストめいている点は奈良さんと同様なんだけどそれ1枚から漂う子供の残酷さとは違った少年もしくは美少女の儚げな感じが挿し絵ではなく1枚の絵として存分な衝撃を感じさせてくれてる、まあそう思って見るからそう見えるんだけど。

 涙を流す少女あるいは少年の涙が横に散る動きに合わせたのか、赤や青といった細いチョークのよーな線が背景を横に流れていて、体面している相手から逃げるよーに涙を散らしながら頭の後ろの方へと倒れ込んでいくってゆーか、背中から風を受けながら遠くに離れていく相手を見送っているっぽいシチュエーションがアニメ的、漫画的で動きがあって面白い。飾ってないけど縦に線が走る作品もあってこれは何だろー、心理的な衝撃が走っている場面ってことになるのかな。ベタ塗りな矢がささったブリーフ姿の少年なんだろーけど少女にも見える人物は動きがない分痛さと辛さが滲み出てくる感じがあって、使い分けをしてるなあって印象を持つ、まあ勝手な解釈だけど。同じモチーフでどれだけバリエーションを出していけるのかにも興味あるけど、略歴を見るとほかに展覧会で作品を出してたことがない人みたいなんでお披露目としてはインパクト大。注目です。

 あと面白かったのは写真作品で登場の藤城凡子さん。ワンピースの少女なんだけど足の両方をコンクリートブロックで固められている「近藤奈見」とブリーフ姿の少年なんだけど全身にシールだかピンズだかが張り付けられている「上杉空」の並んだ2枚は可愛い対象をイジめてみせるスタンスに笑ってしまった。あのブロックを足に固めるまでに「近藤奈見」ちゃんは何時間我慢したんだろーか。歩けないよーに固めてしまいたいって衝動を満足させてくれる雰囲気があって好きです個人的に。「上杉空」はよく見えないかったんで多分シールなんだろーと思うけど、仮にピンズが本当に刺さってたら、って想像すると我侭で世間知らずで生意気な子供の肥大した欲望を、だったらくれてやるって心理で叩きのめす快感が湧き出て来て楽しさ2倍。歪んでるなあ、やっぱ。

 和風の便器にすわったOLの画像が正面にある水流を流すコックがついた真鍮でメッキのしてあるパイプに複雑に移り込んでいる「self potrait」って作品にも大笑い。作者本人らしき人はいたけどそれはそれでなかなかなに可愛い人で、対して作品だと円形だったり球状だったりする複雑なバルブにパイプの形状に写り込んでいる関係もあって顔は間延びしておまけに便器にしゃがんで口をゆがめた間抜け面で、言ってしまえば山田花子状態でちょっと差がありすぎて本当に本人なのか悩む、聞けばよかったかなあ、しゃがんでいる時パンツは下げていたのかどーかを。

 女性の写真家がたくさん登場してセルフポートレートなんかもいっぱい撮っては「自分さらけ出してまーす」みたいな感じで男の下心を煽ってくれているけれど、そんな在り来たりのセルフポートレートにはせずおかしさ漂うシチュエーションを選んだ眼力にまずは感心する。1発芸ではあるけれど、ナル入った人間ってどんな場所でも写った自分を見ながらあれこれ考えてみたりするもので、他にも自分を写り込ませると不思議な感覚を味わえる場所とか探しながら、場にあったポーズなり服装なりを選んでシリーズ化していってくれると楽しいかも。すでにやっているのかな。71年生まれの愛知県出身。川島秀明さんも愛知県出身でほかの福井篤さん徳冨満さんも愛知県。奈良さんが愛知県立芸術大学出ってことと関係あるのかもしれないけれど、何か愛知県、アート的に凄いことになってます。

 いー性格してる、って人は挙げれば数え切れないくらい過去に例はあるけれど、草上仁さんのたぶん相当に久々な長編の新刊「スター・ハンドラー」(朝日ソノラマ、495円)に登場するミリの性格の素晴らしさってのは、そんなランキングの中でも確実に上位に入って来るだろー。貧乏だからってこともあるんだろーけど、ぶつかって来てソフトクリームを地面に落とさせた相手に向かって代わりをよこすくらいなら金を寄越せと言い、ピンカリ乗りの競技に(ピンカリが何かは読んで確認しましょー)誘われて「今、爬虫類な気分じゃないだ。さよなら」(ピンカリは爬虫類らしー)と袖にしておきながら、「バイト料として五百−いや、六百出す」と誘われた瞬間に「そのピンカリはどこだ?」「爬虫類は大好きだ」と言う柔軟さ、ってゆーがしたたかさはなかなかなもの。上司となる人から「丁寧にお願いしなさい」と諭され丁寧にお願いし直した言葉が「どうしてだ、サー、プリーズ」だもんなー、いやホントいー性格してます。

 動物のお医者さんならぬ異生物の訓練士「スター・ハンドラー」になる学校に通っていたものの卒業試験で理事長夫人のスカートにハムラビニシキヘビを潜り込ませてしまうとゆー失態をやらかし退学にはならなかったけど成績ランクは最低をつけられた結果就職先が決まらず、ぶらぶらしながら祭りの縁日を歩いていたところに起こったのが先のソフトクリーム事件。爬虫類らしーピンカリを訓練士としての才覚を活かしてうまく乗りこなしたところ、たまたま来ていたゼネラル・ブリーディング社(ペット屋さんかなー)の支配人に認められ訓練士として就職が決まって大ラッキー、かと思いきや最初の仕事がいきなりの大仕事で、クライアントに良くない(あるいは良すぎる)感情を持つ人物の妨害工作を受けてとんでもない事態に陥ってしまう。

 上巻で繰り広げられるのはそこら辺で、スポールさんとは別の意味で微笑みの裏側にある残酷さでもって男共を従える元プロレスラーで女優で殺し屋でもあるらしーユーニス・ザ・グレイトに震え、私服を肥やそうとする政府首脳のせいでもって軍隊のほとんどがアルバイトに出てしまっている小国で唯一残った艦隊(?)を指揮する人々の職務に忠実なのかそれともイっちゃってるのか判然としない様に笑い、といった具合にミリ以上にすさまじい性格の人々がくんずほぐれつ織りなすドタバタ劇にただ爆笑。さてこれからはって所で終わってしまているのが今はとにかく残念で、はやく続きを読ませてくれーと奈良に向かって吠える、奈良在住だったっけ草上さん。犬のための8キログラム入りお徳用の餌を買うためでもいーけれど、読者のためにもキーボードとゆー板をガチャガチャ叩いて、変な記号の列を作り出して下さいな。

 テラフォーミングが進んで水がいっぱいのヴェネチアとオランダがいっしょになったよーな街が出来た火星、今は「AQUA」とゆー星を舞台に運河を行き来するゴンドラの漕ぎ手になろーと頑張る少女を主人公にした天野こずれさんの「AQUA」(エニックス、552円)は、水がいっぱいで風が吹き抜ける星のさわやかな描写が美しいの一言。「千と千尋の神隠し」で千尋たちが電車の中から見る風景にも似て心に安らぎを与えてくれる。頑張る主人公とライバルで友だちの少女、やさしいお姉さんのよーな先輩にゴンドラ屋の社長で知能は人間なみとゆー火星猫といった登場人物たちとのやりとりなんかを軸に、不思議なエピソードや心の交流なんかを積み重ねていくまったりとした展開も心地よい。制服姿で櫂を握りゴンドラの上ににすっくと立つ「水先案内人」のスタイルの良さも最高、フィギュアとかで立体になった姿も見てみたい、誰か作らないかな、もちゴンドラ付きで。


【7月27日】 悩むくらいならやっちゃうしかないってのは生きる上での道理、なのに人間勇気が出せずにやらず後回しにした挙げ句、後悔にのたうち回ることもまた必然らしく、今日もきょうとてやらず後回しにした結果訪れた後悔に苛まれ悲嘆にくれるのであった、嗚呼。「都市対抗野球」で日曜日に見て感動した川崎製鉄千葉の試合が今朝あって、あの感動に再び見えたいとは思ったものの平日とあって担当でもない製鉄会社の試合に取材と称して行く訳にも行かず、だったらサボるかとも思ったけれどそれは流石にヤバいんで、ここは勝つだろう否勝つはずだと決めて日曜日の試合に進出するだろーと勝手に確信していたらこれが裏目に出てしまった。

 リストラを発表して経営は息も絶え絶えなのにこーゆースポーツだと意気軒昂な松下電器産業が、何を血迷ったのか川鉄千葉に勝ってくれちゃって、日曜の試合であの感動にはもう会えないと分かってこんなことならやっぱりサボってのぞきに行くんだったと、速報を伝えるネットのページを見ながらパソコンに突っ伏しむせび泣く。3段ロケット方式のチアリーダーの女子チーム緑班いちばん左の彼女は今日も出ていたんだろか、あの笑顔あの元気いっぱいのダンスを今日も披露してくれたんだろーか。実はすでに顔も朧気にしか覚えていなくって、たぶんこの娘でもなかったとは思うんだけど、こんなことなら取り押さえられるのも覚悟で長玉持ち込んで写真を撮っておくんだったと、行かなかったこと以上の後悔にのたうち回る夏の昼下がりであった。特集が出たら買うぞ絶対、出せよ毎日新聞必ず。

 チアリーダーってゆーと勿論本場はアメリカで、背丈も大きなヤンキー娘(特攻服とか着てそーやね)がダイナミックに演じるダンスの迫力たるや手足の短い日本人の比ではないと期待しつつ発売を楽しみにしてたんだけど、「都市対抗」でのベンチ上での激しくきびきびしたダンスを見て感動した目からすると、本場モンらしーチアリーダーを揃えている割には「Tommy february6」のCDとDVDをパックにしたタイトル「EVERYDAY AT THE BUS STOP」のビデオクリップに登場するチアリーダーたちの、どことなくモタッとしたダンスにちょっとアレレって感じを抱く。楽曲自体がモタッとしてるから仕方ない部分もあるんだけど、シーズンオフなのか全体に肉付きの良さが目立っているせいもあって動きにキビキビとしたキレがなく、あまつさえスローなんかで撮るものだから肉の弾みがよけに目立って、印象を悪くしているのかもしれない。せめて動きがピタリとあってたらなー。

 クリップには勿論「ブリリアント・グリーン」からソロでデビューの川瀬智子さんが、「東京ベルディvs名古屋グランパスエイト」の試合の前座に登場した時によーに、楚々とした衣装につり上がりフレームの眼鏡とゆー委員長スタイルで登場しては、お尻ふりふりダンスを踊ってくれていて眼に嬉しくはあったんだけど、ダンスを踊っている場面が全体に少なくって、ベンチで本を読んでたりテニスラケットを振り回していたりボウリングの玉を投げてたりする個人的には余計なカットが多すぎて、クリップとしての堪能度に少しばかり欠けるよーな気がして仕方がない。

 チアリーダー姿のマネキンの頭を爆発させる「スキャナーズ」なカットの必然性もちょっと不明で、言ってしまえばなんだかなあってなビデオクリップではあったんだけど、スローでもキレはなくても肉付きよくてもそこは流石にヤンキー娘のチアリーダー、見せるものはいっぱい見せてくれるから、最初から見せるためのものではあってもそれはそれでやっぱり嬉しかったんで、とりあえずは良しとしよー。CD出せば終わりみたいな可能性もあるけれど、せっかくなんで勿体ないんでしばらく開催中の「都市対抗」にゲリラ出撃しては、どこぞの会社のチアリーダーに混じって唄っちゃってはいかが、もち今度は川瀬さんもチアリーダー姿で。それだったら川鉄千葉は出ていなくっても見にいかせて頂きますから。

 「小説新潮」に連載され始めた頃はざん新過ぎて物足りなさと意外感ばかりが先に立って、断片として提示された不条理だったり不思議だったりする描写を、悩みつつ眉をひそめつつたどっていたんだけど、それが356編集まると意外性とざん新さがうねりとなって脳味噌を襲い固定観念も既成概念も洗い流して、後にひたすらな感動を覚えさせてくれるあたり、さすがはやっぱり偉才であり鬼才だなーと筒井康隆さんの新刊「天狗の落とし文」(新潮社、1500円)を読みながら唸る。警句めいていたり川柳めいていたりショート・ショートのよーだったり小咄のよーだったりする話のどれもが立派に小説のアイディアになりそーで、それを踏まえてか「盗用ご自由」「文学史上初の使用権フリー短編集」って唄ってあって「やれるものならやってみろ」とゆー感じだけど、切り詰められたアイディアの乱流が醸し出す凄みってのも一方にはあって、その凄みを長編にしたからって超えるのはなかなかに難しそー。果たして挑む人とかいるんだろーか。1つのアイディアで競作なんてさせてみたら面白いかも。

 自身、寝込みを襲われ家中がガタガタになりそうとうに難儀した筈の阪神・淡路大震災すらネタにしている凄みは流石に作家だなあ、って感じたしたけどそれくらいなら可愛い方で、自身の死までもネタにするあたりに筒井康隆さんの筒井康隆さんたる所以を感じる。「父親が死に、次いで妻の父親が死に、母親が死に、弟まで死んだ。これで妻の母親が死ねば、いよいよ次はおれの番だ。一方SF界では、広瀬正が死に、福島正実が死に、大伴昌司が死に、星新一が死に、光瀬龍がシンだ。しかしまだ小松左京がいる。半村良がいる。荒巻義雄がいる。他にもたくさんいる。同い歳だが眉村卓もいる。まだまだだ」(215ページ)。「ほかにもまだまだ」がどの辺りまで入るのかにちょっと興味。乙一さん吉川良太郎さんあたりまで入るんだとしたらそれはなるほどSFだ。本人はノンフィクションだけど。

 備忘録。早船ケンさん撮影の美少女のどアップの表紙にも惹かれて斎藤環さんの新刊「若者のすべて ひきこもり系VSじぶんさがし系」(PHP研究所、1400円)を買う。友だちとかおらず土日はひとりで出かける自分ははたして「ひきこもり」なんだろーかそれとも「じぶん探し」なんだろーか。単なる自意識過剰って意見もあるけど。あとがきで斎藤さんが船橋市の金杉町ってところにある病院に勤務していることを知る。家からだと自転車で15分くらいだな、診察受けに行こーかな。「星界の戦旗読本」(早川書房編集部編、1000円)も購入、そーか「おっとぉ、サイフにうっかり入れてあった息子の写真」を見せてくれるのかぁ、最近お目にかかってないんで見せて頂いてないんで分からないけどやっぱり「そっくりすぎて提供者のヒミツにしようがない」のかぁ。関係ないけど僕、中江有利さんとのツーショット写真持ってます、直筆サイン入り、森岡浩之さんに自慢できる、かな?


【7月26日】 叶姉妹の直筆サインは別にどーでもよくはなかったけど朝から銀座の「HMV」に並ぶ気力もないんで断念、けどやっぱり直筆サイン入りってアイティムには人を惑わせる力があるのか、渋谷の「パルコブックセンター」に並んでいた嶽本野ばらさんの新刊「カフェー小作品集合」(青山出版社、1500円)って本の何冊かに「著者サイン本」って案内があったのを見かけて、別に乙女でも何でもないのについつい手にとってそのまま台へと戻せず、レジに運んでしまって本屋さんにハメられてるよーな感覚にちょっぴりやるせない気持ち。まあ野ばらさんの本はたいてい買っているからサイン入りはかえって嬉しいくらいなんだけど。

 「カフェー」とゆーから最近流行の、っても行ったことがないから想像だけで描くとして、まるでどっっかの仕事場みたいに西洋建築の写真集とかが並べられた空間にイタリアだかフィンランドだかの応接セットのよーなソファとかが置いてある奴とか、ブティックだか洋書屋だかの開いたスペースにちんまりと置いてある商談場みたいなところでお茶を飲んだりする奴とか、穴蔵みたいな所で電子な音楽とか凝った照明を浴びながら心地よい気分に浸る奴とかいった、カフェバーよりもクラブよりもさらに進んだ最先端のスポット「カフェ」を紹介しているのかと思ったらそこは流石に乙女な野ばらさん。昔からやっている音楽とか珈琲そのものとかを味わいながらしばしくつろいだ気分に浸ったり、恋人との会話に花を咲かせるよーな「純喫茶」「音楽喫茶」「歌声喫茶」……「歌声喫茶」は入ってないか、まあとにかく「カフェ」というより「喫茶店」を、それぞれの場所を舞台にした恋の物語を創作しては紹介しく形式の、ルポとフィクションが入り交じった不思議な作品集になっている。

 傾向としてはクラシック音楽を聴かせる「クラシック喫茶」が多いみたいで、その筋では有名なんだろー京都は西木屋町の「みゅーず」とか、中野の「クラシック」とか阿佐ヶ谷北の「ヴィオロン」とかいった店を取りあげては、そこの店長さんらしー人のコメントを交えつつ流れる音楽の流し方へのこだわりなんかを紹介しつつ、そんな空間でもって繰り広げられる出会いとか、別れとか恋に絡んだ哲学的な会話とかいったドラマを野ばらさん流の文体と、乙女回路でもって処理した心理描写によって描いていて、読んでいると「カフェー」が醸し出す時代の深みみたいな物が感じられて、次第にその空間へと引きずり込まれてしまう。かといって「名曲喫茶」なんてものから想像される60年代、70年代に通貨した「セーシュン」への憧憬とといったものはなく、こーゆー時代にこーいった「カフェー」を続けていくことの困難を、乙女が乙女であり続けることの難しさと絡めつつ、それでも貫き通す意志めいたものを感じさせてくれる辺りが前向きで面白い。

 「どこも何時、閉店してもおかしくないカフェーばかりなのです。従って、この本を手に、そのカフェーを訪ねてみたら既に閉店していたことも充分に考えられます」とあって、困難さへの懸念はなおいっそう募る。描かれた光景と繰り広げられたドラマにどこか引かれる部分があった人、トレンドばかりを追いかけ青山だ原宿だ代官山だ六本木だと「カフェ」を行き来する、どこか急かされるよーな気分を感じ始めている人は、京都とか鎌倉とか東京でも中野阿佐ヶ谷井の頭とかいった中心部とははずれた場所でちょっと大変かもしれないけれど、本を手に歩き回って見ては如何。観光スポット化して騒がしくなる心配もあるけれど、そこは清楚な乙女な方々ばかりだろーから、「クラシック喫茶」で着メロ鳴らし携帯で喋り続けるとかいった無様な真似はしないでしょー、たぶん。

 本郷の映画会社のペントハウスで映画好きの偉い人と雑談した後で携帯に連絡、慌てて「ホテルオークラ」へとかけつけコナミがハドソンを傘下に入れるって内容の会見を聞く。老舗中の老舗ゲームメーカーが飲み込まれてしまうってゆーセンチメンタルな気持ちも浮かばないではないけれど、パソコンゲームで遊んだ口でもなければ「ファミコン」で「ボンバーマン」に浸った口でもなく、印象といえば高橋名人くらいな会社なんで、セガがハードを止めた時ほどのショックはない。むしろ高橋名人の印象を塗りつぶして別のイメージを一般にも定着させられるだけのパワフルなアイティムをなかなか持てないまま、メーンバンクが潰れた金融不況に今の消費不況を迎えてしまった会社が選べる手段としては半ば必然で、現時点ではベストの選択かもしれないって気もする。ナムコスクウェアエニックスのよーにオーナー3社の株の持ち合いで”同盟”するより”主従”がはっきりする分割り切れるし。

 「鶏口となるも牛後となるなかれ」なんて言って小さくたってトップに立とうぜって声もあるけれど、今時の弱肉強食な世の中で鶏なんてアッとゆー間に首をひねられ吊され毟られ食べられてしまうのがオチ。現実の鶏だって親鳥になるまで1年? 2年? ともかく牛よりははるかに短い期間で食べられるなり死んでしまう訳で、だったら牛の尻尾であってもぶら下がり3年5年と生きながらえながら再び吹く追い風を待ってもいーんじゃなかろーか。「寄らば大樹の影」とも言うし、だいたいが牛の尻尾って旨いんだぞ、食べたことないけど。まあ資本関係的な”主従”といってもコナミはれ以上株を買い増して完全子会社にするとゆー考えはないみたいなんで、あんまり気にせずいっぱいの資金と屈指の営業力を使ってやる、くらいの頭でハドソンも自分ところのタイトルをガンガンと作れば良いでしょー。


【7月25日】 大きいなあ。なんてとりあえず誰もが思うだろー感想を一言述べさせて頂いた上でいろいろと考えるなら、ポニーキャニオンが何を迷ったか発行元にまでなってしまった叶姉妹の写真集「Loving」(販売・扶桑社、3200円)は、教科書にアメノウズメを載せる会社な割には過激さにおいて全体にいまひとつで、ヘアーはもちろんバストトップもないって意味ではむしろ「少年マガジン」に掲載されている漫画のよーな健全さに溢れていると言えるかもしれないけれど、そこは巨大さで鳴る叶姉妹だけあって、ボディラインから漂う雰囲気に加えて表情にポージングのすべてが官能的。服を着ていたってスカートのすそから伸びる足、ドレスの胸元からのぞく谷間のすべてが淫靡で猥雑で、見ているだけでゴージャスな気分になって来る。

 ってのはまあ、半ば煽り文句だとしても、テレビに出てはゴージャスさとは対照的な安っぽい商品を宣伝したり、あざといコメントを吐いてそのギャップでもって人を笑わせ安心させる”芸人ユニット”としての叶姉妹とはちょっと違うぞ、って思ったのも事実。それはテレビってゆーフレームが求める”芸人ユニット”としての役割から解放されたことで姉妹が持っている本来のパワーが浮かび上がったってことがあるし、あるいは撮影したカメラマンの腕と構成した人のセンスがいわゆるタレント写真集とは違って巧みだったってこともある。手を突いて尻を上げるとかいったよくあるポーズなんて一切無く、クローズアップを多用し体の部分だけを切り取って見せる写真も織りまぜ時には風景とか、インテリアだけの写真も混ぜていく構成はタレント写真集よりもむしろ写真家の作品集に近いかも。撮る場所も撮る格好も選び抜かれ考え抜かれているよーで見ていて隙がほとんどない。

 インテリアとか撮影場所の欧州的なゴージャスさではヘルムート・ニュートンに近い雰囲気もあるしナイスバディな女性を官能的に撮るって意味ではジャン=ルー・シーフにも通じるところがあるけれど、そこはそれ、土台がパワフルな叶姉妹だけあってそのボディそのフェイスでもってしっかり自分たちの写真集にしてしまっている所は流石なもの。土台は悪くないんだけど、同じ姉妹物でも三輪ひとみ三輪明日美の写真集とはかけているコストが違いすぎて比較にならない。この金が三輪姉妹にあれば……。ドレスからランジェリーから調度品アクセサリーの類まで含めてゴージャスで通す姉に対してダイナマイトなバディをシンプルな背景、シンプルな衣装に包んで際だたせる妹と対比も面白い1冊。個人的にはプリーツのスカートから細い足をのぞかせた女学生っぽさ漂う妹の写真が気に入ったけど気にいったからといってどーなるものでもありえないのが辛いところ。まあそれはともかく2人の凄みを堪能でき且つベニスの街や風景も楽しめる、勉強になる1冊だとゆーことにしておこー。それにしても大きいなあ。

 ゲーム業界の掟とか慣習とかよく知らないからどれだけのバリューがあるのか判断できないけれど、ゲーム業界にその名の轟く任天堂がゲームマスコミとしてその名を響かせる「ファミ通」の発行元のエンターブレインを相手に裁判するのってのは、やっぱり相当に凄いことのよーな気がするけれどどーなんだろー。もちろん任天堂が訴えたのはパパラッチ的な報道が時として物議を醸す「フライデー」のよーな取材を「ファミ通」がやったからじゃなく、物作りをやってる会社がその生命線とも言える著作権を侵害されたかであって裁判自体に「任天堂」vs「ファミ通」ってゆー図式は全然当てはまらないんだけど、ゲーム業界を黎明期から支えて二人三脚でやって来たっぽい所のある、まんざら知らない間柄でもない両社が争うってのはやっぱりなかなかに面白い、いや面白がってちゃいけないんだけど。

 ある会社でゲームを作っていた人がその会社から離れて別の会社に移ってそこで前の会社で作っていたのと良く似たゲームを作ってもめる、ってゆーのは小説や漫画なんかで度々取りあげられる図式で、例えばガイナックスの「おたくのビデオ」の中にも、放逐された2人組が前の会社で企画したのと「似ているが違う」(けど似ている)ガレージキットを企画して大儲けして一矢報いるエピソードが描かれていたりして、半ば定番化している感すらあるんだけど、裁判にまで到ったってのはちょっと珍しい。キャラクターの容姿とかゲーム内容が似てる点が問題になってるってことで、一昨年あたりに盛り上がった音楽ゲームを巡る係争ともちょっと雰囲気が違う。ゲームにプレイしてないんで何とも言えないんだけど、それほどまでに「ファイヤーエンブレム」と「ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記」って似てるんだろーか、似てるんだろーな、ネットなんかでもそれなりに話題になってたみたいだし。

 気になるのは長年ゲームマスコミとしてナンバーワンの地位に君臨して来た会社が、似ていから文句言われるかも、ってゆー可能性をどこまで考慮したたんだろーかって点で、似てないじゃんと言い切るのももちろんありだけど、似てるんだけど関係ないじゃんともしも思うところがあったのだとしたら、ちょっと難しいことになるかもしれない。一方で発売からもう結構立つこの時期に裁判を立ち上げて来たって不思議もあって、もちろんこの間いろいろと申し入れとかあったのかもしれないけれど、蛇の道は蛇だったりする業界だけに何が起こっているのかを察知した上で、発売前に差し止めの仮処分を申請するとかいった手段はとれなかったんだろーか、なんて考えも浮かんでここに到った経緯が知りたくなる。決定的なやりとりでもあったんだろーか。あるいは開発元どうしの行き違いとか。もっとも提訴を経て裁判へと到る道が開かれた以上、事態は水面下から公衆の面前へと浮かび上がり今後は白日の下で応酬が大綯われる訳で、過去の類例があるならそーした状況を裁判所がどう判断するか、でもって今後はどーゆー可能性が開けるのかを想像しながら動静を見ていきたい。降りないでね。

 うーん。面白いことは面白い、ってゆーか読んでいるうちは圧倒的な面白さにページをめくる手が止まらないんだけど、読んだあとでふと考えるといったい何だったんだろーと思ってしまう不思議な小説だった「女郎蜘蛛」(富樫倫太郎、光文社、2200円)。「閻魔の藤兵衛」と呼ばれる悪党一味のボスが次の仕事のために江戸へと来てはみたものの、鉄の結束をほこった仲間たちの関係にどこかギクシャクした所が見え、どうしたものかと二の足を踏む。それでも美貌の女にハマって仲間に引き入れ1年ぶりの仕事に突き進む藤兵衛に対して、藤兵衛が1年前に起こした事件で受けた屈辱をはらそうと、「鬼」として死あっれる火付け盗賊改めの頭が仲間を駆使して1年前の事件を暴こうと挑んでいく話が描かれていて、人情なんてお構いなしに必要とあれば殺人も辞さない藤兵衛の悪漢ぶりに仲間にしている人々のこれまた人後におちない悪党ぶり、「鬼」と恐れられながらも心根は優しい火付け盗賊改めの伊織の気っ風の良さ、彼が見出した九兵衛なる男の活躍といった具合にキャラクターの造形はなかなかに巧みで、犯人探しに勤しむ伊織の手下たちのエピソード、ずれた歯車を直しきれないまま突き進む藤兵衛が直面する運命といったものへの興味もかきたてられて、ページはどんどんとめくられていく。

 けれどもどこか物足りないのは、決定的なヒーローなりヒロインが不在のまま、立ちすぎたキャラたちがドガジャガと動き回っては事件を起こし捜査を始め女に溺れ友人を助け……といった具合に幾つものエピソードを重ねていってしまうが故に、これと決めて感情を移入し物語りの全体を見通す時の目にすべきキャラクターを見つけにくいって点があるから。正義に燃える伊織と悪にひたはしる藤兵衛のそれぞれに悩みをかかえ仕事に燃える姿が対等に交互に描かれていると、さっきの瞬間まで悪でいる強さと弱さに身をよじらせていたと思ったら、次の瞬間に悪を憎み正義を貫き通す難しさに身をもだえさせる立場になって、ちょっと気をそがれてしまう。

 「女郎蜘蛛」とタイトルロールにまでなっているキャラクターの立場の薄さもこれありで、なるほどとてつもなく重要な役割を果たしてはいるんだけど、本線の上ではほとんどといって良いほど活躍せず、悪のヒロインとまで言うのはなかなかにばかられる。タイトルロールながらも活躍しなかった同じ作者の「雄呂血」に立場的に似ているかも。まあそーした展開も作者の特徴だとするならば、タイトルなんて気にすることなく、江戸の街を舞台に複雑に絡み合った関係にある人々がひとつの事件の周囲を歩き回り出会い戦い別れるといった、一種の群像劇めいたものとして認識してかかるのが良いんだろー。感情移入をして経験をさせてもらう小説としての醍醐味からはちょっとはずれるかもしれないけれど、パノラマのよーなめくるめく展開のなかで対峙する人々の想いや欲に感心を向けなが読めばそれなりに楽しめるってことで。しかしやっぱり「女郎蜘蛛」ってのはなあ、持ち上げ過ぎかもなあ。


【7月24日】 水に引かれるホタルともネコイラズに食いつくネズミとも取られそーな衝動に駆られて25日の正式発売日を目前にした秋葉原へと新作DVDタイトル漁り。「石丸電器」は開店直後で商品の陳列が遅れていたみたいだったんでパスして角の「ダイナミックオーディオ」へと向かいとりあえず「アヴァロン」の迷ったけれど「メモリアルボックス」版を購入してしまう。これで押井さん絡みの劇場3作品は「人狼」も「ブラッド」も「アヴァロン」も全部ボックス仕様で、どーせお前ら買うんだろー? ってなメーカーの奸計にあっさりとハマっている自分がちょっぴり情けなくなるけれど、「アヴァロン」の付録の押井さんによる絵コンテに描かれたアッシュの何だか漫画っぽくって時々可愛くなる表情とか見ていると、得した気分になって嬉しくなってしまうんだから仕方がない。10代で刷り込まれた押井スティグマは幾つになっても消えないなあ。

 とはいえ「人狼」も「ブラッド」も買ったは良いけれど1度も見ていなかったりするのはいくら何でもまずいかも。見られるべき作品にも悪いよーな気がするし、是非とも1度ならず2度3度と舐めるよーに見返して作品の醍醐味を味わいたいんだけど時間と気力が許さない。買ったばかりの「ルパン三世」のファーストシリーズのボックスも手つかずだしなー。まあ問題は時間だけじゃなくってテレビまでたどり着くのが一苦労でそのテレビにしてからが本に埋もれてかろーじて前面だけ掘り下げてあってのぞけるとゆー状況で、カウチに座って快適に観賞できる環境にないことも買い込む割にはDVDを見ない理由になっていたりする。買ったばかりの本がどこかに消えてしまって読むのをためらうのと似てるかも。ホントこーゆー状況が積み重なると考えてみたくもなるけれど、今さら本を束ねDVDを箱詰めしLDを担ぐ苦労を思うと身動きがとれないんだよなー。いっそ臨時収入でもガッポリとあってついでに暇もたっぷりあれば踏ん切りもつくんだけど。直木賞ゲットするか宝くじを当てるか。トトは安いから興味なし。まあどれも皮算用でしかないんだけど。

 入る前は「アヴァロン」だけ、フィギュアの付いた「G.A」も電波が聞こえる「アルジュナ」もパスだぞって心に誓っていたんだけど、台に並んだ本数の少なさを見てこれだけはやっぱり救出しておかないと後で後悔するかもなー、ってな邪な心にプラス、セーラー服(ベスト着用)で銃を構える霧薫ちゃんの姿に撃たれてしまったってことでついついレジへと運んでしまった「noir」第1巻の初回限定ボックス仕様。全部揃えて箱を埋め尽くす自信が、結局揃えなかった「ガサラキ」とか「デュアル」とかの記憶も含めてなかったりするんだけど、状況の全然見えない物語とは無関係に繰り広げられる可憐で官能的な霧香&ミレイユのガンアクションと、マント女のナイフアクションにTARAKOの珍しい大人声に結構ソソられてこの春から始まったアニメの中では「ZOE」と並んで割と見続けている作品だったりするんで、買い続け箱を完成させられそーな気もしている。ヤマは9月だかの「海のトリトン」DVDボックスに10月の「不思議の海のナディア」スペシャルボックスでの大出費。それまでに仕事が途絶えず逆に増え、会社も潰れず追い出されていないことを祈ろー。ってことは引っ越しは絶対に無理だな。

 通りすがりにザッとのぞいた「ラオックス ゲーム館」ではまだまだ残っていたみたいだけど、コンビニとか近所のゲームショップとかでは売り切れ始めている「ファイナルファンタジー10」の何故か今頃になって出荷数が発表になって、215万本だかが出荷されてすでに9割が完売していたことが判明。根拠はないけれどこれくらい行けばいいんじゃないか的に思っていた200万本ってゆー数字も間近で、ここのところずっと下がり続けていた株価にも、これで一息付ける踊り場が来たのかもと想像する。もちろん大本営なんで果たして信じるべきか眉唾るべきか悩ましいところだけれど、上場企業の数字ってことで人心投資家を惑わすよーなフェイクではないと信じておこー、とりあえず。

 もっとも200万本売れたところで諸経費さっぴけば入る金額はいつもどーり、ってゆーか金がかかっている分だけ利益率も低いかもしれず、あとは今回から復活させた攻略本とかの売上なりロイヤルティがどこまで上積みされるかにゲームに関する業績面での評価はかかって来そー。それより問題なのは全米で公開されてからかれこれ2週間になる映画の方だけど、ランキングなんかを見ると勿論「もののけ姫」なんかに比べれば全米で公開された日本人監督の映画として格段に収入を確保してはいるんだけど、掛けた費用では同等かそれ以上だったりする、ズラリと居並ぶハリウッドの大作の中に入ると決して”ゼッコーチョー”とは言えないだけに、上映館数の推移も含めてこれからの展開に懸念も含めてちょっと興味がふくらむ。

 日本では「FF」の下地があってCGムービーへの免疫もありそーで、ちょっとは違う状況になる可能性もないではないけれど、より完璧な勝利を目指すんだったらやっぱりいろいろと手段を講じる必要があるのかも。っても素人なんで思いつくことは特になし。初日にセル画を配りたくってもセル画なんてないからなー、「FF」には。それは「千と千尋の物語」でもいっしょなんだけど。あるいは日本人に分かりやすいようやっぱり吹き替え版にして、それも声をすべて山寺宏一さんと林原めぐみさんに出してもらる「日本昔話」方式にして、演技の幅広さと会話の楽しさでもってシナリオの深刻さから来る観客の敬遠マインドを払拭させるってのはどーだろー、市原悦子さん常田富士男さんのオリジナルならなお完璧、無理かなー。だったら広川太一郎に納谷悟郎に青野武に富田耕生に池田雅子に野沢雅子に野沢那智って超絶ベテランで固めるってのはどーだ、アドリブ出しくりの演技で本当のストーリーなんか感じさせずに最後まで引っ張っていけば勝てるぞ。昔のカートゥーンだってそーやって日本でヒットしたんだ、やってやれないことは……やれないなー、やっぱ。

 人間が見たり感じたりして脳で処理した情報はあまねく「リアル」だとゆー前提に立てば、たとえヘッドマウンテッドディスプレイに現れるCGであってもはたまたドン・キ・ホーテだけが見る風車であっても、それは「バーチャル」なんかじゃなく「リアル」なんだとゆーことになる。幸いにして人は物質としての「リアル」の中で育ち知覚感覚の類を発達させて来た関係で、CGだったりで描かれる「バーチャル」な「リアル」を真実の「リアル」と混同せず、ただ「似たもの」として処理できるんだろーけれど、生まれながらに「バーチャル」の中で育ちそれを見たり感じたりしながら感覚を発達させて来た人間にとって、一般的な意味で使う「バーチャル」と「リアル」の境目ってのは果たして見えているんだろーか、なんてことを最近ちょくちょく考えていたりするんだけどこればっかりは「リアル」に浸って生きてきた身には容易に判断が付かない。まあCGの「リアル」が真の「リアル」に全然まだまだ追いついていないってこともあるんだけど、見る場もモニターだったり装着に面倒なデバイスが必要だったりして。

 「バーチャル」と「リアル」、「仮想」と「現実」をひとつのフィールド上で実現する技術を「複合現実」つまりは「ミックスド・リアリティー」すなわち「MR」と読んでいるらしくって、例えばHMDを付けて館内とか町中に浮かぶCGの魚を観賞したりするのを指したりするんだけど、そーした「複合現実型エンターテインメン」を実現するためにさまざまな活動をしている団体のコンテストがあって入賞者の発表会があったんでのぞいてみて、「リアル」に迫る「バーチャル」の「リアル」さに驚き「リアル」とシームレスにつながった「バーチャル」の存在感にますます境目の希薄さを感じてしまった。

 そーした境がますます希薄になり遂には存在しなくなるだろー近未来に生まれ育った人たちにとって、世界はどんな風に見えているんだろーかと考えてみたけど、頭が混乱して来たんでいい加減な所で断念する。店頭の品物に製造年月日をか値段とか旨さとか産地とかの情報が重なって見えたり、歩いていると行きたい方向に矢印が現れたり、ってのが普通になってしまうだろー未来。物質と情報が混然となって認知されるよーになった未来の「リアル」ってどんなだろー。講演に来ていたメディアアーティストの岩井俊二さんにはとっかかりくらいは見えているよーで、いつか機会があればそーしたビジョンを聞いてみたくなった。髪型に親近感を覚えるデジタルハリウッドの杉山知之さんも講演したけどマーケットの将来像ってなビジネスっぽい話が多く途中で幾度か意識を失ってしまった。まあ見る機会も多い人だしITバブルの波を乗り越え残った数少ない重鎮なんで、10年経っても会えるだろーからその時に聞こう。髪の手入れの仕方とか(違う)。


【7月23日】 好きなのはマヨネーズの入ったあれはどこの製品だったっけエースコックだったっけ、カップやきそばの中では「UFO」に次ぐ定番になっている感じがする奴で、お湯を割と早めに切ってちょっぴりカリカリしたのを食べるのが毎晩の日課だった時期もあったけど、最近は炊事場が種々雑多なもので埋め尽くされていてお湯を沸かすのが面倒になっていて、麺類といったらコンビニの調理済み冷やし中華くらいしか家では食べなくなっている。蒸し麺のやきそばについては、昔は近所のスーパーで袋に1食分だけ入った奴を買って来てはもやしにキャベツに豚肉にホールコーンなんかをグチャ混ぜて、ソースをどばどばと掛けて食べてビールをグビグビとやっていたけど、太り気味なんでちょっとダイエットしなくっちゃってことでビールはもちろんやきそばもあんまり食べなくなっていた所に炊事場があんなんだから、もう何カ月も家では調理していない。

 もっとも週に1度とか月に3度とか食べていた時だって、蒸し麺のどこの製品を使っていたかなんてことは全然気にしていなくって、とりあえず店にあるものを手にとっていただけのことだったから、加藤文さんの「やきそば三国志」(文藝春秋、1905円)を読んだときに、たかが蒸し麺のやきそばであってもそれこそ全精力を傾けた企業間戦争が繰り広げられているんだと分かって、企業の作る品物なんだから当たり前のことではあったんだけれど、やっぱりちょっとしたショックを感じてしまった。小説で扱われるのは1食じゃなくファミリー向けによくある3食入ってソースもついた製品で、長くスーパーなんかの定番として置かれているその製品にチルドでは後発の会社が戦争を仕掛けていく様が描かれる。

 とにかく低劣な戦い方なんだけど、そーした手段、それこそ市場を焦土を化すよーな手段でも時にはとらざるを得ない企業活動のすさまじさにはちょっと震える。経済小説ではあるんだけど品物の馴染み安さと展開の分かりやすさでビジネスに興味のない人でも読んで楽しめるし、インターネットを使った世論操作とか団塊ジュニア世代に向けた新しいマーケティングの方法とか、最近いろいろあった話題も折り込まれていて、マーケティングとかやりたい人とか製品企画に携わりたい人とか食品業界に進路を考えている学生とか、いろいろと参考に出来ることが多々ありそー。恋愛小説的な要素とか家庭小説的な要素も盛りだくさん。なにせモノが3食やきそばなんで読み終わったらお腹いっぱいになれる1冊です。どこの代理店にいる人なんだろ。

 枡野浩一さんとこの掲示板と唐沢俊一さんとこの日記で知った「月蝕歌劇団」で大立ち回りなんか時々やってる(暴れてるって訳じゃありません、役柄です)川上史津子さんが何やら短歌の朗読をやるってんで渋谷の「ジアンジアン」跡地にある小さなイベントスペースへと潜り込む。小川雅広って演劇の制作なんかをいろいろとやっている人が個人でスタートさせた「シアター・トーク」って毎月1回演劇関係の誰かをゲストに招いて開いているイベントの第11回目で、先月なんかはその筋では有名な(アニメ筋ってこと)富永みーなさんがゲストだったみたいでしまった先月にしとけば良かったと思ったかとゆーとちょっとだけ思いました御免なさい川上さん。

 とはいえ「月蝕」の講演なんかでも悪な女を演らせてはなかなか川上さんが白い胸元もあらわなワンピース姿で登壇しては、チェロをバックにエロく淫靡で猥褻な短歌を朗読していく展開は、刺激的でもありまた官能的でもあって知らず引き込まれてしまった。チェロを弾いていた人が音楽家で画家なんだけど最近ではむしろ性愛小説に分野で活躍中の作家、山口椿さんの奥さんだっと知って吃驚仰天。本当だったら山口さんがチェロを弾く予定だったみたいだけど、背中を痛めていたみたいでピンチヒッターでの登壇になったみたい。腕前は……発展途上かな、もちろん素人ではないんだけど。川上さんの短歌の出来不出来についてはコメントできるだけの資質がないんでとりあえずはパス。幾つか響いたのもあったんで同じよーな朗読会があったらまた行こー。本で読むよりあの声で聞かされた方がやっぱりグッと来るからね、上にも下にも。

 会場には山口さんも来ていて壇上にあがって演奏の代わりにトークを披露してくれて、春に「東京国際ブックフェア」で今はなきトレヴィルから出ていた何冊かを買っていたこともあって、70歳の割にしゃっきりとして(だいたいが奥さんからして若いわかい)トークも楽しい山口さんを間近に見られてちょっと得した気分になる。会場に来ていた唐沢俊一さんときっとだったら官能小説についてとかいろいろな話に発展していったことだろーけど、メインは演劇で川上さんがゲストなんでそーゆーよーなことにはならず。いつか別に機会があったら2人のトークを是非とも聞いてみたいものです。

 実は川上さんの登場は第2部で、1部の方では女優で「家族ゲーム」なんかにも出ていて8月末には単行本も出る作家で、近くかつて主演したにっかつロマンポルノ末期の名作らしー「母娘監禁・牝」とかゆー映画がニュープリントでリバイバル上映される前川麻子さんが登場して、キャリアとか近況とかを話してくれた。聞くと前川さん、児童劇団からミュージカルの学校を経て「品行方正児童館」(だったかな)なんかを経由して今は「アンファン・テリブル」って所を拠点にワークショップなんかを開いているってな多彩なキャリアの持ち主で、8月の中頃だかには六本木で公演を行うことになっているらしー。それがまたユニークな公演なで、今回のイベントでも、突然現れた人たちがトークしている前川さんと小川さんに構わず舞台に上がっては、演劇の稽古をしているとゆー演劇を繰り広げてくれたけれど、8月の公演でもそんな感じに入って来た観客の周囲で演劇なのか演技の訓練をしている劇団員の地の会話なのか分からない演劇が始まっては、観客に構わず進んでいくよーな展開になるらしー。

 舞台の上でトークしている2人がいて、それとは別の次元で演劇の訓練のよーな演劇(ややこしい)を行っている人がいて、なんだか違うフレームが重なって同時上映されているよーな印象を見ていて受けて、不思議な気持ちになって来た。パラレルワールドが重なっている様子を超越者的な視点で見るのってこんな気分なのかも。トークしている前川さんと演劇している若者との間に突然会話が始まって再び分離していった場面では、パラレルワールドがひょんなきっかけで繋がってしまってそれから離れていった感じが味わえてなかなか面白かった。前川さん1時間に川上さん1時間で都合2時間、演劇あり朗読ありゲストトークありと内容充実なイベントながら料金たったの1000円とゆーのは正直破格。軽妙洒脱でギャグも交えて立て板に水と流して盛り上げるタイプの司会ではないけれど、小川さんの真摯で真面目な司会ぶりも悪くない。正直それほど演劇に詳しい訳ではないけれど、ゲストによってはこれからも覗いてみよー。


【7月22日】 島田清次郎著「地上第6部 我破れたり」……なんて本は多分なかったと思うけど(あったかな)、言葉どーりにあっけなく敗北したドラガン・ストイコビッチ引退試合「名古屋グランパスエイトvsレッドスター・ベオグラード」の入場チケット争奪戦。かつて欧州チャンピオンに輝き世界を席巻し、ストイコビッチにサビチェビッチ他数多くのタレントを輩出した蹴球団とは言え、ユーゴスラビア崩壊の煽りで今は往年の勢いもない「レッドスター」相手に、Jリーグでも屈指だった(元)お荷物球団が、名古屋市から電車で1時間もかかる超田舎の「ワールドカップ」にすら使ってもらえないサッカー場で戦うエキシビションマッチってことで、間際になってたって売れ残りがあって営業さん大変かもね、だからチケットなんて簡単に取れるよね、なんて思っていたらとんでもないとんでもない。

 朝の10時に近所の「チケットぴあ」に並んで宝塚な人たちの後ろで待っていたら10分ほどで「自由席小中以外は完売でーす」の案内が。田舎に降り立った円盤のよーな巨大サッカー場のどこをどうやりくりすれば満席に出来るんだろーと瞬間考え、そーか自由席といっても全部がKONOSHIKIサイズで余裕たっぷりだから1万人しか入らないんだと妄想したけどそんな筈はなく、今シーズンが始まってからの活躍に加えてこのなん試合かで受けた注目とそれに確実に答えたパフォーマンスでもって、新幹線で名古屋まで2時間かけそこから豊田市まで名鉄豊田新線で1時間かけさらに徒歩でえっと何分くらいなんだろー、それくらいかけても是非見たい、日本でのラストをその目で見たいとゆーファンが全世界的に大量発生(僕もその1人だ)したってことだと現実を直視し、徹夜も先行予約もせず甘く考え出遅れた自分も悪かったんだと気を静めて残念だけど今回は「グランパス」創設以来のファンやピクシーが荒れまくっていいた頃から支援していたファンの方々の為に潔く身を引くことにする。って帰りに「ローソンチケット」でダメ押しされて落ち込んでたりするんだけど。

 かくなる上はメインスポンサーで試合を特別協賛するトヨタ自動車の重役になって貴賓席から観覧するか、入団テストを受けて「レッドスター・ベオグラード」に入って一緒にプレイするしか方法がないんだけどどっちもこの歳では難しいし、ましてや昨日も最後に現れた川淵三郎になりすまして見物するなんて髪の毛の量が向こうの方が遥か年上であるにも関わらずケタ違いに多いんで難しい。あるいは現実的に考えるならスポーツ紙に行き「グランパス」担当になって潜り込むって手段もあるけどこればっかりは会社が絡む話だし、ピクシーの抜けた「グランパス」を担当して楽しいか? って熱心なサポーターが聞いたら起こり出しそーだけどにわかファンとしてはどーしても出てしまう心理であり真理があってちょっと遠慮したい気が。スポーツ記事なんて書けないし(スポーツ記事なんていらないって話もあるけど、スポーツ選手紙な日本の場合は)。

 後は共催する名古屋テレビに頼んで東京にも中継してもらうことなんだけど、ネット元が気位の高いテレビ朝日だからなあ、田舎の試合なんて出来ないって言うかもしれないからなー。けど「レッドスター」すなわち「赤い星」なんて直接の関係はないけど大陸に現れ20世紀の世界を買えた偉大なあのお方、毛沢東同志にも通じる言葉ってってことで親会社のチャイナ・スクールな方々が勘違いして中継しよーと言い出す可能性だってない訳じゃないし、そもそもが即完売になる程のバリューがある試合だったら中継するのが筋ってもの。案外とすでにテレビ朝日でも中継それも生中継が決まっているかもしれないけれど、まだだったらどうかお願い行けなかった全国100万人のにわかピクシーファンのために、生じゃなくても良いから東京で見られるよーにして下さい。「BS朝日」だったらキレるぞ。そーか生中継見るために名古屋に帰るって手が……うーん。

 気を取り直して「スタジアムへ行こう その約7」。約ってなんだ。世間様がプロ野球のオールスターであんまり湧いてない間隙を縫って夏の暑さを吹き飛ばすよーにエアコンが効きまくっている「東京ドーム」を舞台に繰り広げられている企業人たちの甲子園(?)、「都市対抗野球」ってのを見に行く。企業取材をしてれば人によっては担当している会社が出場した折に社長さんとかのコメントを取りに行ったりもするんだけど、生憎とそーゆー面倒な会社は担当してなくってテレビで見ながら「凄い応援だなあ」とか思いつつ「そのチアリーダーもっと映せ」と毒づいていたりしたくらいだった、まあ普通の反応だね。

 実際に行って感じたことはやっぱりその応援のすさまじさで、甲子園で言うならアルプススタンドって言うんだろーか、内野のベンチの上をごっそりと参加しているそれぞれの会社の関係者が家族も含めて埋め尽くしていて、前方に陣取る応援団のリーダーの発声に従って「カットバセ○○」「××倒せーオー」って声を上げ、手に持っている企業名とか商品名が書かれた団扇を振り上げたり仰いでみたりする。たまたま見ていた朝日生命保険の場合は、用意されている大きな看板に何を言うかがちゃんと書かれてあって、持ち上げながら選手の名前とかセリフを順繰りに差し替えていくその姿に、涼しいとは言え大変だろーなーと同情してみたりもする。

 伝統なんだろーか、攻撃の間はベンチ上のチアリーディングも含めてそーした声援が間断なく続くよーになっていて、グラウンドの中で繰り広げられているプレイの状況とかはお構いなしに「じゃあこれからウェーブをやります」ってリーダーが言うと、やっぱり「××人生」とか書かれた上りを持った人が通路を左から右にすーっと走って、座っている人たちはその動きに合わせてウェーブをしていく。圧倒的なアスリートだけが可能な素晴らしいプレイを声援する、って感じはまったくなく、なんだかなあと思ったけれど、プロ野球だってサッカーだってプレイの一つひとつに声援を送るよりはのべつまくなしドガチャカやってたりするんで、それはそれで日本のスポーツ応援の1つの定番、なんだろー。

 ただプロ野球だったらファンとしてチームなり選手を声援する名目が立つし地域密着を謳うJリーグだったら地元のよしみってのが働くんだけれど、「都市対抗野球」の場合はニュアンスがずいぶんと違う。「都市対抗」を謳いながらも出場しているのは地元の代表ではなくどっかの会社が持っているチームで応援するのは当然ながらそこの社員ってことになる。たいていは大企業だから選手一人ひとりが顔見知りって訳でもなく、ひとつ営利的な目的に向かって集まった打算的な集団に過ぎない会社の看板を背負って出場している選手たちに向かって、声を張り上げ「頑張れ」と応援できてしまうこの心理。言うなればそれは目で見る「コードセーチョー」だったり「シューンコヨー」だったり「カイシャハカゾク」だったり「シャチョウトイエバオヤモドウゼン」だったりする。

 スポーツを企業が支援し社員発憤の材料にして来た経緯を踏まえれば仕方のないことなんだろーけれど、今時の個人主義で能力主義な人からすれば気色悪くって仕方ないものに見える可能性は大きく、景気低迷なんかも含めてバタバタと企業スポーツが終息していっている状況も仕方がないのかもしれない。とはいいながらも号令一下団扇を上げたり下げたりしながら声援している人波を見ていると、あの中にいたらきっと安心できるんだろーなー、気持ち良いんだろーなーってな誘惑がジワジワと持ち上がって来て、何かに属することの幸福さ、気楽さといったものを感じてしまう自分がいたりして悩ましい。

 応援している人の中には若い社員も少なからずいて、決して嫌そーな顔をしていない辺りにもそーした何かに所属することの安心感があるのかもしれない。それが選ばれた集団だったらなおのここ安心感も強まるってもので、そーした心理でもって結束し進んで来た集団の強みってのが、この国を支えもしたし時には揺るがしもしたんだろー。今はどーなんだろ。そしてこれからは。必要なのか不要なのか。「都市対抗野球」の応援の熱っぽさを見ていると、なかなかなくなりそーもないんだよなー。ってことは日本もまだまだ安心か?

 そーは言っても河合楽器対朝日生命の試合はゲームとしてもなかなかに感動的で、リードされた朝日生命が追いついてさらに攻撃を加えて抜けきれず、逆に9回裏にサヨナラホームランを討たれて破れるとゆー終盤に来ての怒涛の展開があって、応援している人たちは全員が総立ちになってグランドに向かって声を張り上げていた。会社のチームのため、ってあたりの引っかかりはそれとして、応援している人たちのパワーは傍目で見ていてなかなかに眩しくって、ちょっと妬けてしまった。

 こーゆー盛り上がりがチーム関係なくプレイのみで起これば、日本のスポーツってのも一段と面白味を増すんだろーけれど、テレビとゆー媒介が伝えるショーアップされて選手のプロフィールとか監督のパフォーマンスといった”物語”が作られたスポーツだったり、会社とゆー媒介を通して仲間と敵とゆー関係に集約されてしまったスポーツだったり、新聞なりニュースなりが伝える結果のみが重要視されるスポーツだったりが重要視されている現状では、純粋にプレイを楽しむんだってゆー意識が動き始めることは相当に難しい。オールスターゲームでの、選手の気持ちでも試合のテンポでもなくCM明けを待ってからプレイボールをかける審判に、試合中でもお笑いタレント対話させられるヒーロー選手の姿に「この国へは、スポーツとテレビ番組の価値が逆転している」と書いている、「朝日新聞」7月22日号のスポーツ面にある西村欣也編集委員のコラム「チェンジ」を読むと、なおのこと先が思いやられる。

 結果ではなくプロセスを楽しめる気持ちを増やすためには、こーゆー提言を入れてテレビのスポーツ中継が変わるか、CSのよーなスポーツのみを伝えるメディアがもっといっぱい増えて来るか、現場へを足を運んで見て見まくるしかないんだろー。純粋なスポーツなんて面白くない、地域でも会社でも国籍でも何でも、物語に浸り関係性にすがりながら見る方がスポーツは楽しいんだってゆー意見に回帰する可能性もある訳で、そーした可能性を探りながらスタジアム通いをしばらく続けてみよー、って訳で「スタジアムへ行こう」はまだまだ続く、もち自腹でな。

 2試合目に見た「ヤマハ(浜松)vs川崎製鉄千葉(千葉)」のうちのヤマハ流石に楽器のメーカーだけあって河合楽器と同様にブラスバンドが素晴らしかったよーだけど、当方一応は千葉県民ってことで浜松市の応援なんか出来るか浜松市長の始球式なんか見ていられるかと川崎製鉄千葉の近くに座って見物、これが大正解。いや別に川鉄が好きとかどーかじゃなくってチアリーダーの中に1人可愛い娘がいたからで、赤いコスチュームのチームと緑のコスチュームのチームがあってさらに男ばかりのチームを3交代制で順繰りに登場する川鉄千葉のチアリーダーの緑チームの向かって1番左端にいたその娘(この娘ではない)が登場する度に、遠くからだけど双眼鏡でのぞいて眺めて幸せに浸る。写真とか撮れないのが辛いけどそれやると流石にタコ殴りに合うからねー。あと川鉄千葉でかけ声とかを支持してた女の子の顔は見えなかったけど声が何ともキュートでアニメな声で、聞いて激しくそそられました。社歌を先導して唄ったあたり、か細くって辿々ししくって最高。勝ってたらまた見に&聞きに行こう。


【7月21日】 「編集N氏(もうすぐ結婚予定)」と46ページに書かれてある、その結婚式で表紙の千尋を新婦、バックの豚を新郎に差し替えた特別版が引き出物として配られるとゆー噂は今のところない「千尋と不思議の町 千と千尋の神隠し徹底攻略ガイド」(角川書店、820円)を買って読む。600円の映画パンフレットも今時のパンフレットにしてはなかなかな充実ぶりだったけど、それよりちょっと高いだけで文芸系の月刊誌よりは安い値段ながらも宮崎駿監督へのインタビューとプロデューサー対談ってことで鈴木敏夫プロデューサーに仙頭武則プロデューサーとの対談とかが載っていて面白い。もうちょっとビジネス面のこととか話してくれるとビジネス記者的には参考になった気もするけれど。機会があったら個別に聞きたいものです。

 寄稿では乙一さん小田ひで次さんのコメントがあって嬉しい。乙一さんはともかく小田さんを角川で見るのはちょっと珍しいかも。あと映画の中にもいっぱい出てきた看板建築の権威でもある建築探偵こと藤森照信東大生産技術研究所教授の寄稿&関連ルポ、関連書籍に映画にアニメに恒例の年譜にあとは大量の制作日誌が小さい文字で詰め込まれてあって、値段以上に読みでがあって楽しめた。宮崎監督へのインタビューなんかは「アニメージュ」やパンフレットと重なる部分もあったりしたけど縁起物なんで仕方がない。「油屋」の展開図とかペーパークラフトなんてもあれば面白い所なんだけど中までキッチリ設計されている訳じゃなさそーだし、値段も値段なんでそれはこれから続々発売されるだろー別のムックに任せることにしよー。

 レベッカちゃんの背格好や性格に似合わずグラマラスな体つきを堪能してから眠って起きて「東京キャラクターショー2001」の会場へ。バス停の「富士通」で降りてのぞくとすでに長蛇の行列が「幕張メッセ」から伸びていて、こーゆーイベントで発揮されるパワーのすさまじさに改めて感嘆する。何しろこれから毎週のよーに、ってゆーか「日本SF大会」を混ぜれば文字どおり毎週「おたく」「SF」「アニメ」「フィギュア」「キャラクター」「ゲーム」とかいった物に関係のあるイベントが「幕張メッセ」と「東京ビッグサイト」で繰り広げられる訳で、それこそ毎週、なかには毎週末の土日を行列して過ごす人が出てくるだろー可能性はきわめて高く、極めるのためには知識ばかりじゃなく体力も必要なんだってことが改めて示される。死ぬなよ、来年のためにも。

 しかし凄かったよ「おねてぃ」の人気ぶり。実はまったく認知していなかったタイトルで、そもそも一体どーゆー品物か、エロゲーなのかカードゲームなのかアニメなのかアニメだったらテレビ放映するのかそれともOVAかすら知らなかったものだけど、会場へと入ってくる客のおよそ2割(目分量)がダッシュで並んだの先がこの「おねてぃ」の関連ブース。角川書店の大きなブースの一角に作られた決して大きくはないブースの前には、隣の「魔法遊戯」さらに隣の「エイリアン9」を越えて行列が伸びて行って、販売していたCD−ROMだかはオープンしてから1時間もたないくらいで完売になってしまったほどで、世の中にはまだまだ不思議なことがいっぱいあるのかと、我が知識の到らなさ拙さを恥じる。後で日本を2分する代理店で名を馳せる専門家に内容なんかを聞き、そのあざといまでの寸止めぶりから人気も当然と納得、次は押さえるぞと再起を誓う、って並ぶ気か?

 品切れとともに人の引いた横のブースで「魔法遊戯」のチラシとかビデオを見物。魚を被ったヒロインのビジュアルに腰を抜かす。腹割きで中味を抜いた胴体から体を突っ込み大きく開いた口から顔をのぞかせる姿に被り物もここまで来たのかと遠い目になる。設定を読むと非常食ってことらしーからきっと臭いも凄いんだろーなー。隣ではボウグを被った清水香里さんと下屋規子さんが体操着の「エイリアン対策娘」姿で「エイリアン9」の限定テレカ3枚組み3500円なりを手渡ししていて、下はやっぱりスパッツなんだなあ、10年前だったらブルマーだったのになあ、ってな服装文化の変遷に対する感傷なんかも覚えつつ、それでもな可愛さに頬を落とす。「アニメワールドスター」では紙の手提げ袋にいっぱい入った「YAT安心宇宙旅行!」のセル画が500円で売られてて、重さから想像すると100枚じゃきかず数百枚は確実に入ってそーでちょっと仰天。入っているセル画を適当に並べて撮影したらオリジナルの「YAT」とか作れちゃうかも。桂さんは高いんで抜いてあるんでヒロイン誰も出て来ないんだけど。

 「ガイナックス」では「フリクリ」の原画集がなかなかなの逸品、あと「アベノ橋☆魔法商店街」のテレホンカードとか。アニメスタジオの出展がここ何年か目立って来ていて、「ガイナックス」は今回からだけど前回も出ていた「東映アニメーション」とか、「幻想魔伝 最遊記」が婦女子(「ヤングキングアワーズ」増刊に「腐女子」って言葉が出てきたけれど、これって一般的なんだろーか)に人気の「スタジオぴえろ」とかがそれなりなグッズを出しててそれなりな賑わいで、企画を立ち揚げライツも押さえて商売していく”旨味”が理念じゃなく現実として成立しかかって来ているのかも、ってなことを考える。まあビデオ屋さんとか出版社さんとかキャラクターグッズ屋さん発の企画もやっぱり多い分けで、ディズニーみたく日本のアニメスタジオがなるのはまだまだ遠そーだし、なる気があるかどーかも分からないけどダイレクトにファンの反応を見られるイベントの場に出て感触を掴んで、それが作品へとフィードバックされていけば嬉しいんで頑張って下さいスタジオの方々。

 それにしてもな事務方の間抜けっぷり。何時から受け付けを始めますって案内しておいて受付に行くと扉が開くのは開場前後でそれじゃー開場前に行われる開会式が取材できねーじゃねーかと文句をゆーと別の入り口に行けと言われて、ならばと階段を降りて関係者がぞろぞろと入っていく搬入口へと回ると、入り口は別だと立っていたガードマンに止められる。どーなんてるんだと怒鳴ると事務局っぽい人が来て事情を聞いてくれたけど、そのままどこぞに消えやがってうやむやなままになってしまい、そーこーしているうちに受付開始時間が迫って来て、仕方なくリリースに書いてあった入り口へと回るとやっぱり閉まったままになっていて、担当の人と集まったプレスでやっぱりあれやこれやとモメている。

 大きなイベントで事務局間の連絡の悪さはよくあることだけど、この「東京キャラクターショー」、去年も同じよーなプレス受付のたらいまわしがあって開会式直前まで入り口を開けなかったってゆー”前科”があって、来年はちゃんとやってよとお願いしておいたにも関わらず、またしても同じよーなことをしてくれやがって、普段は滅多にキレない身ながら流石にキレで開けろと詰めより、この事態に及んでも事情を察せず脳天気にも一般入場の入り口は別だと言って来た事務方に、一般じゃねーとやんわり諭してよーやく受付が始まった。

 事件なんかが起きた時だと取材されたくないのに取材をされて不愉快になる人のいるだろーことは百も承知だけど、宣伝してくれと呼んでおいて事前に登録までさせておいて時間もちゃんと指定して、なのにこーゆー仕打ちが1度ならず2度も続くともはやどーでも良いって気になり来年は絶対に来てあげないって気にもなるけれど、それでもやっぱり来てしまうのは主催者のために来るんじゃなく読む人のために来るんだってゆー職務上での商売っ気と、趣味とそれから主催している会社が放つ目ん玉のパワー、媚びておけば良いこともあるかもとゆー適うはずもない下心に付き動かされてしまうからで、やっぱり来年も朝1に来ては始まらない受付に業を煮やしたらい回しの仕打ちに耐えつつ、しおしおを入場口に並んでしまうんだろー。人間って弱い生き物です。

 帰宅して体調を整えてから出撃。「スタジアムへ行こう その6(たぶん)」は日本人なら名古屋人なら行くのが義務であり運命でもある我らがファンタジスタ、ピクシーことドラガン・ストイコビッチの公式戦ラストゲームとなったJリーグ公式戦「東京ヴェルディ1969vs名古屋グランパスエイト」。場所は新宿から京王線に乗って遥か彼方の「飛田給」とかゆー場所に出来た「東京FC」の本拠地でもって「東京ヴェルディ」の本拠地でもあるらしー「東京スタジアム」で、これが初見だったりして仙台とか新潟とかいった他の新しいスタジアムが軒並み駅から徒歩1時間なんて場所に建っていることに倣って、一体どんな僻地に立っているんだろーと不安な気持ちを抱えて行ったらこれが何と。

 調布から普通で2つ目の駅を降りて歩くことわずか5分で目の前に巨大なスタジアムがそびえていて、東京からの距離はともかく駅からの距離なら或いは「東京霞ヶ丘競技場」よりも悪くなく、「横浜国際競技場」なんかに比べればはるかに便利でこーゆー場所がどーして国際試合なんかじゃ使われないんだろーかと不思議になる。まあ格とかあって使う順番にないんだろーけれど、たとえ国際Aマッチなんか開かれなくってもピクシーのラストマッチはそれを上回る宇宙Sマッチだから平気ってことで。ちなみに明日発売の「名古屋グランパスエイトvsレッドスター・ベオグラード」は銀河Aマッチかな、公式戦じゃないからちょっとだけ格下がります。

 試合開始まで楽々2時間半もあってどーやって時間を潰そーかと途中で雑誌なんかを買い込んではみたけれど、スタジアムに入ると売店では「東京ヴェルディ」の本拠地であるにも関わらずピクシーの偉大さに敬意を表してストイコビッチ関連グッズがちゃんと売られていて、買わなかったけど眺めていたり暑いんでビールを買ってソーセージをつまみに飲んでいたりスーツ姿で場内にチラリと姿を見せたピクシーをこの日のために買っておいたビグセンの双眼鏡でのぞいたりしていたらすぐに時間が経ってしまって、まずは最初のイベントとばかりに朝の「サンケイスポーツ」にも掲載されていたゲリラライブ(ちょっと矛盾)が始まってしばし見入る。

 勘違いして「エブリ・リトル・シング」の持田香織がソロで唄うんだと思っていたら違ってて本当は「ドゥ・アズ・アンフィニティ」の、じゃなかった「ドリームズ・カム・トゥルー」の、でもなかった「フェスタ・モード」の、ってこれはきっと誰も知らないからパスして「エム・フロウ」の、って書いてて飽きて来たんで正解を言うなら「ブリリアント・グリーン」の川瀬智子さんがチアリーダーを従えて唄うプロジェクト「Tommy february6」のライブってことで、”スクールガール”っぽいコスチュームでもって委員長っぽい眼鏡をかけてるとゆー、ちょっぴりニナモリ的な雰囲気があって個人的にはヒットポイント多数な雰囲気の川瀬さんがお尻フリフリ唄う姿を双眼鏡で長め場内のビジョンで見物し、試合前の眼福に浸りつつ25日発売のDVDとCDシングルのセットを買うぞと心に決める。プロモーションは成功だったってことで。

 さて試合。「名古屋グランパスエイト」はおおまかに言ってだいたい不動のメンバーで、一方の「東京ヴェルディ1969」は監督が代わったばかりで果たしてどんな布陣で来るんだろーか、ピクシーのラストゲームなんで小倉隆史はきっと出してくるだろーなと思ったらこれが違って小倉はスターティングどころかベンチにも入れてもらえず楽しみが1つ減る。座っていた場所がS席とはいえ1番はずれの自由席は「ヴェルディ」の応援席と隣り合わせだった関係もあって、反対側にある「グランパス」の応援団からどんなブーイングが起こったかは聞こえなかったけど、きっとやっぱり相当なブーイングとかが起こったんだろー、不人情な野郎とかってな。小倉選手は試合が終わったあとにスーツ姿ながら登場して引退セレモニーのピクシーと抱き合っていて、やっぱり出して欲しかったなーとゆー気持ちが膨らむ。

 なるほどダントツの最下位にあえぐ「東京ヴェルディ」、小倉を下げても勝ちたかったって気持ちが新監督にあったんだろーけど、肝心の試合は引退するピクシーの実にピクシーらしー大活躍もあって「グランパス」が圧勝して小見新監督の采配は結果的に裏目に出た訳で、そーなるんだったら小倉を出してピクシーと対峙させれば良かったんじゃないかってファンならずとも思って当然。いっそ構想から外れたんなら「グランパス」に戻すなり、いっそ「レッドスター・ベオグラード」に移籍させて10月の記念試合に同じピッチに小倉とピクシーを立たせてやっちゃーいかが? そりゃ無理か。

 とは言え「ヴェルディ」も負けはしたけど攻撃のテンポの良さは結構出ていて、これが250試合目の出場となった北沢豪選手が真ん中にいて前園が切り込んで三浦淳が外に開いて平本一樹が突っ込んでってな変化自在の攻撃を見せてくれて、楢崎のワンハンドでのスペシャルセーブに阻まれなければ2点は取れていたはずで、オフサイドさえ取られなければ決定的だった場面は数え切れないくらいあって、2ndステージはちょっと期待しても良さそーな気がしている。対して「グランパス」は引退試合だってーのにドリブルにヒールパスにと大活躍で依然として中心選手だってことを見せつけてくれたピクシー無き後の攻撃がやっぱり不安で、新加入する外国人のラモスだったっけ、そいつの活躍とは別にやっぱり中盤でゲームを組み立てられる「10番」が必要なよーな気がする。誰かいないかなー、トヨタマネーで穫ってこないかなー、ジダンとか。

 そうそうラモスはラモスでも「東京ヴェルディ」と因縁浅からぬラモス選手が「週刊朝日」の連載で「東京スタジアムを真っ赤で埋め尽くせ」とアジっていたからってこともあったのか、ホームのはずの「ヴェルディ」の応援をしているっぽい緑のスペースが全体のだいたい3割だとしたら、残りの7割くらいをどちらかと言えば赤っぽい人たちが埋め尽くしていて、いくらピクシーのラストゲームだからと言って本拠地でこーゆー事態になる「ベルディ」の不徳ぶりを改めて感じる。座っていた席じゃーきっとピクシー、応援できないなーと思っていたけどホーム席なのに周囲は「ストイコビッチ」と書かれたジャージを着ている人ばかりで、遠い場所からの声援に合わせて一緒に拍手できてこれだったらジャージを着て来るんだったとちょっとだけ悔やむ。

 だいたいがゴール裏の「ヴェルディ」応援団席にすらチラチラと赤いジャージが見えたほど。これが欧州とか南米とか英国だったら死んでるよ、そんな人。あるいは「ヴェルディ」のファンだけどこの日ばかりはピクシーに敬意を表して赤いジャージを着て来てくれたのかも。だとしたら有り難うと言っておこー。最後のピクシーへのインタビューの時は緑のジャージのコア中のコアな人も拍手と喝采と声援を贈ってくれていたし、サポートの対象を越えてやっぱりピクシーは世界に名だたる偉大なフットボーラーだったってことでしょー。しかしやっぱり惜しいなー。まだまだ出来るのになー。数カ月休んで体調が整った果てには一体どんなプレーを見せてくれるのか。ラスト・ビッグマッチ「グランパスvsレッドスター」、これで絶対に行かなくちゃいけなくなったな。

 おまけ。ハーフタイムにパラパラを見せるショーがホーム側ゴール裏であって「ヴェルディ」のユニフォームを着たお姉さんたちの周囲にビキニ姿の女子児童がわんさと出てきてバストのペッタンコさも鮮やかにパラパラの真似事なんかをしてくれて、遠くから双眼鏡で覗きながらまたとない眼福を味わわせて頂く。あーゆー良いものが毎回あるなら「ヴェルディ」の応援、行ってもいーなー、300ミリの長玉とか抱えて。オープニングで「ヴェルディ」の応援っぽくフレディ・マーキュリーが「ウイウイルロックユー」を唄う歌がかかったけど、そのテロップの「ロックユー」で「69」を被せるのは「カッコインテグラ」級に格好悪いので出来れば止めて欲しーなー。


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