縮刷版2001年6月上旬号


【6月10日】 「スーパーフェスティバル21tn」へ。九段下から坂を「日本武道館」に向かって歩いていく周囲をどー見ても玩具だフィギュアだってな「スーフェス」の客層とズレている妙に着飾った人とかシニアな夫妻とかがゾロゾロと歩いてて、これはきっと武道館で別のイベントでもあるんだろーな、けど武道っぽい雰囲気もないしかといってコンサートにしては客層がバラバラでちょっと読めないなー、それでもダフ屋が出てNHKの中継車まで来てるってことは大きなイベントなんだろーと、好奇心に胸を膨らませてたどり着いた武道館前の看板で納得、ダンスの日本選手権だったんですね、もちろんエアロビックなんかじゃない社交ダンスの。どーりでシニアなカップルとか着飾ったご婦人とかが多いはずだ。

 もしかしたら「ウリナリ」の社交ダンス部なんかも出てるんだろーか、だったら見たいな杉本彩さん大昔にセガで「ワンチャイコネクション」の記者発表で見た時からきっと発達しまくってるんだろーな、とか思ったけど2階席自由席で3000円が高いか安いかはともかくとりあえずは「スーフェス」に行くのが先決だったし、格好も「スーフェス」に合わせて臭うよーなTシャツにボロボロのジーンズで、とてもじゃないが社交ダンスなんか見て写真なんか撮っていよーものなら、タンゴでにょっきりと飛び出して来る太股を狙ったカメラ野郎と場内で蔑まされるのがオチなんで、後ろ髪を引かれる思いで武道館前をスルーをする。次は見に行くぞタキシードを着て望遠持って。

 「スーフェス」では何も買わず。家に買って持ち帰ってもすでに置場所がなかったりする状況では、新しく何かコレクションを始めたくってもできないとゆー物理的な制約があるし、イベント限定品とかって煽りに反応するマインドが落ちて来てるって感じ。それだけ大人になったって可能性もあるし単なるケチンボだって話もあるけど山ほどある商品を見ても何か気分が乗らない。まあなりふり構わず集め尽くし買い尽くそーとするオタクにどっかなり切れず、どーして集めるのかどーして買うのかって部分に理屈を求めたがる半端野郎なんでそれも仕方がない。

 あと中古の玩具が中心で間でサヤ抜いてる人たちを儲けさせるだけって気持ちが働いて、それを買い支えることが次に繋がるかもしれないってな自主制作物系のイベントで喚起させられるよーなベンチャースピリットが起こってこないってことも。じゃあ行かなきゃ良いんだけど、人が集まって何か面白そーなことをやってる場所に行かないと損した気分になってしまう辺りに貧乏性で主体性のない様が伺える。夏に向けて連週末連月間イベントが目白押しだったりする状況で、誰にも合わず何も買わずそれでも出没してはうろうろと時間を潰して何か世の中の1部を知った気になってるんだろーなー、やれやれ、でもやめられない。けど流石にオタク系のイベント回りも飽きて来たんで、ちょっとは目先をかえて出没先の毛色を変えて見るか、社交ダンスもそーだし古典芸能とかも面白そー、あと似合わなさで対極を行くスポーツとか。

 って訳で「スタジアムに行こう!」強化月間突発スタート(パフパフ!)。といってもサッカー「コンフェデレーションズ杯」の決勝の潜り込めるだけの甲斐性もダフ屋からチケットを買う財力もないんで、サッカーの国際試合に去られてなんだかちょっと哀しい気もする「国立霞ヶ丘競技場」へとゴー、もっともサッカーの試合なんかやってなくっても場内は夏とかに開催の「世界陸上」を目指そーとする日本が誇るトップアスリートたちが勢揃いして気合いの入った「第85回日本陸上競技選手権大会」が一昨日から開催されていて、その最終日とあって室伏広治さんも出場するハンマー投げとかの人気競技も揃ってて、それがたったの2000円で見られるとあって競技関係者とかばかりじゃなく、スポーツ好きなおじさんとか室伏さんのファンっぽい若い女性とかが来ていて、さすがに広いんで満席とはいかなかったけど寂しくないくらいの人が入ってスタンドで観戦していた。うーん面白い。

 かくゆう当方も目当ては室伏さんが登場する男子ハンマー投げだったけど、時間もしばらくあったんでまずは室伏妹の由佳さんが出場する女子ハンマー投げを見物、とにかく女性にしては横幅にフリーダムな力強い選手が多い中で1人それなりにスレンダーなボディとそれから遠くからでもクッキリと目立つ美貌はスタンドで観戦していたアジアの鉄人譲りってよりは外国人だった母親譲りで、それなのにすでに終わった女子ハンマー投げでは堂々の2位に入るくらいのパワーを持っているってんだからやっぱり驚く。もっともハンマー投げでは1投目でそこそこの成績を出しながらも2投目からファールが連続して、とりあえず4投目以降の8人には入ったけどやっぱり1投目の記録は越えられずに3位に。ハンマー投げと兼ねるのってやっぱり大変なんだろーけど、それで3位なんだからやっぱり凄い逸材なんだろーなー、けど綺麗だったなあ、近くで見たい、触りたい、筋肉に。

綾&由佳  記録では残念だった室伏由佳さんに代わりにって訳じゃないけれど、中京大に所属ってことは由佳さんと同じ室伏重信さんに教わっているんだろー綾真澄さんが自己記録に並ぶ61メートル15センチを連発、そして遂にライバルでこの大会6連覇中とゆーチチヤス乳業の鈴木文さんが持つ61メートル33センチの日本記録を上回る62メートル13センチを5投目に出してそのまま逃げ切り優勝を飾るとゆー、まさに記録的瞬間を目の当たりにすることができた、うーん凄い、素晴らしい。記録が判明した瞬間にケージが出てきてグランドに崩れ落ちて喜んでた姿にはちょっと感動、あと同門ってことなのか由佳さんとガッチリ抱き合った姿にも。「コンフェデ杯」があったんでスポーツニュースはそっちにウエートがかかってしまうんだろーけれど、ちゃんと紹介して挙げて欲しいなー。見に行って良かったと思った瞬間でした。

 それにしても不思議だったのがコーチの室伏重信さん、スタンドにどっしりと構えたまんま別にグラウンドにいる選手に向かってアドバイスとか送る様子も見せなかったのが現場で見ていて分かった点で、綾選手の調子が良いのと由佳選手のまずまずな所を遠くから見てちゃんと認識していて、アドバイスなんか送る必要もないと考えたんだろー、無線でやりとりしてるってことはないよな、いくら広治選手がサイボーグっぽくっても。面白かったのが徳島県の阿南スポーツって所から来ていた赤崎愛選手とコーチのやりとり。投げる前投げた後に結構ちょこまかコーチがスタンドの縁まで言ってトラック越しにフィールドにいる赤崎選手に声をかけていて、それを聞いてる赤碕選手のちょっぴりモジモジしている姿が妙に目に可愛く見えた。でもハンマーはちゃんと50メートル以上投げるんだよーなー、やっぱりアスリートは凄いっす。

 実は日本記録はもう1つ出ていてやっぱり女子で、対角線上で行われていた女子の走り幅跳びで「Office24」ってちょっと謎な所属の花岡麻帆さんが自分も持ってる6メートル61センチの日本記録を越える6メートル81を出して見事に世界選手権のA標準記録を突破。パンフレットの「みどころ」にある「日本記録保持者の花岡と昨年から記録が急上昇している池田が高いレベルで競い合うことで、日本記録の後進や世界選手権の標準記録の突破が十分期待できる」とゆー言葉がそのまま実現してしまって場内も大いに盛り上がった。オリンピックで外国人の選手が良くやっていたけれど、日本人でも女子でも走り幅跳びで最近は手拍子を選手が求めてそれに観客が答える構図が出来てるのにはちょっと驚いたけど、そーゆー気の張り方抜き方を調整する方法の上達が、ここに来て日本人の記録を伸ばしているのかもしれない。

 現場で分かったこと幾つか。走り高跳びのバーって落ちた時には下に引っかける所が下がって来て、そこに乗せてからボタンか何か押すとすーっと上がって5メール50ならそれで、指定している場所にピタリと収まるよーになってたんですね、Y字の竿で高い場所に置いて来るんじゃなかったんですね、って古すぎるかそれじゃあ。それからハンマー投げのフィールドの横をレールが走ってて上をキャリアがすーっと動いてて、カメラでも乗せて飛んでくハンマーでも撮るのかなと思ったら飛んでいったハンマーを投げる場所まで戻すキャリアだったんで納得、投げれば一瞬だけど持って歩いくのは大変だからね、100回とか。あとリレーの時にバトンを受け取る人が靴の幅で何歩かスタートの位置から歩いた場所にテープを貼っていたけれど、あれは多分バトンを持った人がそこを通過した時に走り出すって合図なのかな、分からなかったけど球技なんかに比べて簡単に見えてあれでなかなか奥が深いスポーツみたいです、陸上って。

 さて男子ハンマー投げはやっぱり選手の中では1番スリムに見えても上背は1番な室伏広治さんが練習の時から70メートル級をボンボンと放り投げて早圧勝ムード。何しろサークルで回転するスピードが素人目にも段違いで、その手から放たれたハンマーも他の選手がセカンドフライならセンターオーバーの大飛球に見えるくらいの勢いがあって、なるほどこれなら世界を相手に戦えても不思議はないと納得する。本番も予想は鉄板で室伏選手が他を圧倒する強さを初投から発揮、記録おそ80メートルを越えない平凡なものだったけど、他を大きく引き離しての優勝で軽く7連覇を飾って見せた、もう国内に敵なしって感じ、世界にだって敵はわずかって所でしょー。

 それにしても室伏選手、試技を待っている間もちょこまかと動かず練習だからってハンマーを振り回すなんてこともせず、ベンチで精神統一したり荷台に座って他の選手の投擲をジッと見ていたりする姿は余裕を越えてもはや達人の域。そんな室伏選手でも去年のシドニーオリンピックでは雨に濡れたサークルに焦りもあったか記録が出せず決勝に残れなかった辺りが、オリンピックの持つ力でありまた世界の壁でもあるんだろー。ともあれ選ばれた世界選手権、今度こそはの期待に是非とも答えて下さい祈ってます。「スタジアムに行こう!」シリーズ、次は「ラクロス」でも見に行くか、スカートの女子も悪くはないけど本場が来る男子の試合がちょっと面白そー、けど江戸川陸上競技場ってどこにあるんだ?

 さすがに世界に強敵はうようよな日本サッカー、「コンフェデレーションズ杯」決勝のフランス戦はすすすっと持ってこられて左右に振られて切り込まれ突っ込まれて危ない場面が続々と出てきて見ていて心臓が何度も冷える。トドメの一撃の精度がユルかったか緩ませるだけのディフェンスの上手さがあったのか1点で終わったけど、これでジダンがいたらもっとさくさくと抜かれて点を取られていたかもしれない。とりあえず波戸がサイドを駆け上がったりして頑張っていたし、松田が1回しか切れなかったのも良かったかみたい。暴れて退場するかペナルティを与えて自滅ってのがあるしゅ松田出場時のリスクでもありパターンでもあったし。

 しかし日本のトラップの温さを見逃さず奪い取り、甘いパスはすかさずカットして前線へと攻撃に廻すのは流石というか日本がやっぱり拙いというか。あーゆー部分での地力の差がトップクラスが相手の試合だとやっぱり強さ弱さの違いとなって如実に出てしまうんだよなー。ワンタッチで繋げったって繋がった瞬間に奪われてるんじゃ形にならない。まあ1点に押さえた力とそれから小野と三浦淳のサイドからの放り込みが作ったチャンスなんかを拠り所に、中央突破も可能な中田の技も加味して来年の代表の姿を妄想しつつ、世界を相手に堂々と渡り歩いていることを期待だけはしておこー。


【6月9日】 なんかカッコ良いじゃんデコース・ワイズメル。いや昔から天才性と凶暴性を併せ持つワルな匂いが「ファイブスター物語」の中でもダグラス・カイエンとは違った意味で目立っててカッコ良かったんだけど、黒騎士になってエストを得てバッシュに座って的確な指令を次々飛とばす「ニュータイプ」7月号の最新の回での姿を見ると、その凶悪さに研ぎ澄まされた知性みたいなものが浮かび上がってますます”萌えー”な気持ちが巻き起こる、けど「ボクをナメとんのかエストォ!」と言葉に地が出るあたりはやっぱりデコース・ワイズメル、その悪辣さでもってしばらく楽しませて欲しいっす。だからお願い、8ページしか描けなくっても毎月ちゃんと載せてやって下さいな。

 ついでにミレイユ・ブーケ”萌えー”。途中ちょっと沈没してたけどこの何週間か連続して見ることができた「ノワール」が真夜中のおそらくは低視聴率で人気もそれほどなさそーなのに何故か「ニュータイプ」の7月号では4ページの大特集、ミニスカートからニョッキリと柔らかそーな太股をのぞかせたミレイユに筋固そーだけどそれはそれでな霧薫のコンビが見開きで乗ってるページはラップでくるんで永久保存したい気分、次のページの下着姿に裸シャツ姿はちょっとあざとくってパス。記事だとあと「アベノ橋魔法店商店街」は巨乳の眼鏡っ娘にはやくも萌えー、しかもアンダーフレーム。鶴田謙二さん的肉感が平松禎史さんの手を経てスッキリした線に良く出てます、大変に期待。これと「まほろまてぃっく」と漫画の「忘却の旋律」でガイナックスと山賀博之さんが表立ってはホント久々に大爆発の気配。稼いで下さい。

 眠くなる周期がズレて来てるみたいで午後9時沈没午前4時復活、「ニュースステーション」とか「ニュース23」とか見逃してしまったんで、例の大阪の事件でどんなテレビ報道がなされたのかを検証できなかったけど、彼らが矜持と良心を持っていたかどうかはともかく大阪府警あたりから子供への取材自粛要請なんてものが出ていたらしーから、クラブ員としてちゃんと守って無茶はやっていなかったと思いたい。もっとも同じ看板背負ったワイドショーのリポーターが押し掛けて荒らし回ってるんだから取材される側にとっては一緒のことで、 現に既に血がついてるね怪我してないのかな友だちの血なだとかとんでもないことを聞いてる人たちがいるってな情報が出回っている辺りを見るとやっぱり相変わらずみたい。

 だからって「報道」は○で「ワイドショー」は×と言うのは早計、そーいったダブルスタンダードを知って使い分けている勧進元がいるからこその状況な訳で、上から下間で意志を通して自発的に変わらない限りは永遠に繰り返されることになるんだろー。「メディアとプライバシー」の問題を考えさせるよーな機会を自ら作り、例の「個人情報保護法案」を自ら招き寄るよーな状況を作り出してどーすんだ。ごそごそとまとめて変わった在京キー局の社長連には一考を促したいところだけど、麹町なんて社長に代表権がなかったりお台場は歳に大差がなかったりして”院政”見え見えだから変わりそーもない。やっぱりいっぺん国にヤられてみないと分からないんだろーか。困ったものです(困り過ぎ)。

 報道だからって常に公明正大にして正確無比じゃないことは自明で、例えば最近の田中眞紀子外傷vs外務省のやりとりに絡んで、メディアがこぞって外務省筋(次官とか官房長とかその辺り?)からの情報をもとに田中外相は親中反米なんだ、だからアーミテージ国務副長官には合わなかったんだ、米国のミサイル防衛構想にもケチを付けているんだ、アメリカは怒っているんだ、国会でも嘘をつきまくっているんだ、けしからんってな言説を流して、田中外相更迭の流れを作ろーとしている雰囲気があるけれど、本当にアメリカは怒っているのか、懸念しているのかってな部分がうまく伝わって来てない。

 「コミックバンチ」に何故か載ってる元NHK和目理科総局長のコラム「常識外れの国際ガンコおやじに訊けVol.4」とか読むと、アーミテージ国務副長官なんてブッシュ政権の対日政策の中心なんかにはいなくって、大統領に良い顔を見せよーと起死回生を狙って日本にやって来たんだっそーな。それに乗ったのが外務省で、だから呆けてたか見栄っぱりだったかはともかく田中外相が会わなかったのは結果として「決断としてすばらしい」とまで言っている。日高さんの言う対日政策の中心にいる対中タカ派で知られるところの国防総省のウルフビッチ副長官と一般に親中で知られる田中外相が通じてるとも思えないだけに、結託してアーミテージ副長官に恥を欠かせたとは思えず、嘘をついて見栄を張って儀礼をすっ飛ばした可能性はあるけれど、一事が万事にアーミテージ副長官を袖にするとは失礼千万、田中外相は大臣の椅子に不適格と「外務省筋」の情報に乗って騒ぎ立てるメディアは田中外相以上に冷静さを欠いている。冷静過ぎるから出来るんだって見方もあるけれど。

 じゃあ本当にアメリカは怒っていないのか、ってところでこちらも日高さんと並ぶくらいにアメリカ暮らしの長い産経新聞ワシントン支局長なんかを歴任していた古森義久さんが、9日付の朝刊でラムを書いていて、その中で「ブッシュ政権内外の当局者や専門家十人ほどの聞くと、田中発言と日本政府の政策とをはっきり区別し、同外相の言動を『アマチュアの個人プレー』と軽視する向きも多い一方で、このままだと多様な形で日米関係や日本外交が傷つけられるという懸念も表明された」ってリードで、どちらかと言うより完全に米識者とやらは”反田中”な雰囲気なんだってなことを書いている。ブリア元公私が在勤中に田中眞紀子さんと接触したことなんてなかったから日米関係で田中さんなんて未知の存在なんだよ、って論はだったらブリア元公私が知ってる日本人って誰なの? って疑問も招くけどそれはそれとして、よしんばアメリカにそれほど知己がいなかったとしてもこれから知り合いになれば良いだけのこと。あとは本当に田中外相の言動が米国で反響を起こしているかどうかだ。

 で、古森さんのコラムによるとマイク・モチヅキさんとかゆージョージワシントン大学の教授は「アンフォームド(無知)、アンリーズナブル(不条理)」と田中外相の外交政策発言を斬り、国務相政策計画局で日本を担当してたとかゆージム・プリシュタップ国防大学教授って人も「アマチュアの個人プレー」と非難しているとか。ふーん嫌われてるんだなあ、なんて思うものの一方には今朝の「ヤジうまワイド」でやっぱりアメリカ暮らしの長い内田忠夫さんが外交の席で意見交換するのは当たり前で人によっていろんな意見があるものでアメリカは全然気にしてないし話題にも上っていないんだってな感じで古森さんとは正反対のことを話してて、どっちが本当なんだと頭がクラクラしてくる。

 どっちかが嘘を書いている(言っている)のか、だとしたら何でそーゆーことをするのか。嘘ってことはないだろーから導き出される結論はつまり「いろんな意見がある」ってことで、それを取捨選択することであたかも1つの流れを作り出してるんだってこと。ベースにあるのは掲載する(放送)するメディアのスタンスで、何らかの意図を持って紙面なり番組を作り雰囲気を醸し出そうとしているんだってことを、読む側も見る側もちゃんを踏まえて情報をこれまた取捨選択することが必要なんだろー。ちなみに9日付の「産経」4面はトップが「首相 米ミサイル防衛構想に理解」でサイドが「自民外交部会 外務省混乱を憂慮」で続けて「田中外相の疑惑発言否定 独大使が書簡」で「言動には注意を 田中外相に反省促す 石原都知事」と来て古森さんのコラムと徹底し過ぎな”必殺! 反田中固め”のページ構成。教科書問題ではその弱腰その親中国ぶりから外務省を叩いてる「産経」が田中外相問題だと新中国で輪をかけているよーに見える外相を徹底して叩き外務省の見方をする、これをメディアのバランスと見るか程度問題に過ぎないと見るか。メディアリテラシーの重要性ここに極まれりって感じやね。


【6月8日】 クールな著者の文体と耽美な絵師のイラストによって醸し出される物語に陶然としていたのも束の間、その身も蓋もない驚天動地の解決編でしばし呆然となってしまった「殺竜事件」(講談社ノベルズ)から1年が経って再び登場した上遠野浩平さん著、金子一馬さん絵のコンビが放つシリーズ第2弾「紫骸城事件」(講談社、880円)は、広げられていく風呂敷が畳み込まれる場面でやっぱり「そんなんあり?」と驚かされること確実で、読み終えてからなんてまだるっこしいことは言わず、その場でページをめくり直して逐一理由と結果のマッチングを図りたくなって来るくらい、意外性と合理性の極北を目指そそーと頑張ったミステリーに仕上がっている、成果はともかくとして。

 世界を支配していた凶悪魔女と魔法の粋を集めて作り出された美少女戦闘機械の大激闘から300年、その舞台となった呪詛のエネルギーを蓄積するために作られたらしー城「紫骸城」を舞台に行われている天下一武道会、じゃない魔導師たちによって競われる「限界魔導決定会」に集まっていた屈指の魔導師たちだったが、転送によってしか入ることのできない場内に飛んで来た前回の優勝者が参加者たちの目の前でミイラのようなひからびた姿で全身をバラバラにされて殺害されたのを手始めに、氷で刺され火であぶられ血を抜かれて次々と殺されていく。誰かの恨みか。それとも「紫骸城」を残した稀代の魔女、リ・カーズの残した呪文か。かつて”風の騎士”ことヒースロゥとともに戦って英雄と呼ばれるようになり、この大会に審判員として派遣されていたフローレイド大佐は犯人と疑われ、命の危険に怯えながらも事件の解決に向けて知恵と勇気を振り絞る……。

 ってな感じで進む展開に、祭り上げられた英雄の苦悩とか「城」という構造物が持つメタファーといったテーマや、才能を美貌を合わせ持った戦地調停士の姉弟とか若くて元気な盗賊の少女とかいったキャラクターが絡んで描き出される物語、トリをしっかりと例の仮面の戦地調停士が万能の探偵役として飾ってくれて読んでいる人の溜飲を下げてくれる。思わせぶりな謎の徹底的にシンプルな真相とゆー落差への驚きは前作以上。かつ事件の舞台となった「紫骸城」で300年を越えてなおも続く激闘のドラマが立ち上がって来て、その行方なんかにも興味をそそられる。凄絶で凶暴な美貌を持ったキャラクターたちのイラストはまさに悪魔絵師・金子一馬さんの真骨頂。形而上的テーマに通俗的な動機、隙の見えない謎を解決する天才とパターンも決まって読んで安心のシリーズになりつつあるよーで、メディアワークスには悪いけど1年1作とは言わずもーちょっと早いペースで読みたい気分。腑に落ちない部分もいろいろあるけどとりあえずは醸し出されるケレン味たっぷりな雰囲気を楽しむことにしよー。

 空撮された校庭にいる児童のスカート姿に見入ってしまう鬼畜な自分はさておいて、大阪教育大付属池田小学校で起こった大量無差別殺人に関連してすぐさま「PTSD」へのケアが対策として話題に上って来たことはさてはて、精神医学心理学の類に関する研究なりが進んで必要性への認識が高まった現れなんだろーかそれとも「PTSD」がすぐに思い浮かぶくらいに悲惨な事件が増えて来ている現れなんだろーか。そのどっちでもあるんだろーけれど、しかし実際教室に包丁男が暴れ込んで来た恐怖心のすさまじさたるや夢に見るなんて生やさしいものじゃないだろーし、さっきまで隣に座っていた子がいなくなってしまう「死」という現実への衝撃なんかも克服するのは大変そーで、いまだかつてない事態に日本のカウンセリング界の人たちがどう挑んでいくのかに興味が募る。2度と起こって欲しくない事態だけど、今の世相を映して再発した場合なんかも視野に入れて、勿論プライバシーには存分に配慮しながら後顧に一助となるカウンセリングの記録が残されノウハウとして蓄積されていくことを願おー。

 にしても「心のケアが大事」と書くその筆伝えるその口で、校庭に非難した子供たちを上からヘリコプターでばんばん撮るわ近寄って撮影するわ取り囲んで話を聞くわとまるで逆のことをやっているメディアの裏腹さは相変わらず。次はおそらく亡くなった子供の葬儀に弔問にやって来た同級生たちとかの「悲しみの表情」「悲しみの言葉」なんかを狙って押し寄せ取り囲もーとするんだろー。もとより下卑た野次馬でございと自覚して動き回るならいざしらず、伝える権利なんてものを振りかざしてズカズカとやって来るからたちが悪い。京都の小学校で起こった児童の殺害事件では地元の人たちがメディアから子供たちを守ろーと奮闘したんだけど、それでも押し寄せるメディアの前に相当なプレッシャーを受けたとか。事件の規模では京都の比じゃない今回は押し寄せるメディアの数も比じゃないだろー。どんな伝え方がされるのかにもやっぱり注意して見て行こー。

 うーんちょっと違うんじゃないかな「東京都庁記者クラブ有料化」施策は方法論でも理念でも長野県で田中康夫知事がやろーとしている「脱・記者クラブ宣言」とは。共有財産である官公庁の中に無料でスペースを持っていることが問題だってことは分かって来ているし、対峙すべき相手から便宜供与を受けていることが閉鎖性となれ合いを生んでいるんじゃないかって疑問が内外から起こって来ていて、だからこそ田中知事はここでいっぺん「記者クラブ」って制度をチャラにして、情報提供に関してはオープンにしていこーと頑張っているんだと思うけど、東京都の場合は有料化とゆー部分で納税者への顔向けに配慮しているよーに見えて、その実スペースは維持しつつ日本新聞協会加盟で政党・宗教の機関紙排除して”都側が定めた選定基準”なんてものをもとに 「これまでの都政報道への取り組みなどを考慮 し、現在のクラブ加盟社等を優先」してクラブに入れる会社を選ぶって方法で、都側が取材相手を選ぶ裁量権を一手に握ろうとしているよーに見える。ちょっと違うどころじゃなく理念として正反対かもしれない。

 何でもオープンとゆー前提がおそらくは担保されているだろー田中知事だからこそ「脱・記者クラブ」も記者会見の県主催も有効に機能するんであって、そーゆー部分を知ってか知らないふりをしているのか未だに記者会見の主催権にこだわって抗議書なんかを出しているメディアの態度がどこか面子にこだわり過ぎに見えるんだけど、そこまで”報道の自由”にこだわるんだったら、オープンにするんだって強い意欲を見せないままで権力側が生殺与奪の権利までをも掴もうとしている東京都の「記者クラブ有料化」宣言には、それこそクラブなんて枠組みを越えて日本の報道界が挙げて抗議しなくちゃいけないんだけど、自分たちは選ばれるだろうと確信を持っているエスタブリッシュなメディアが牛耳る業界がどこまで筋を通せるか。余計なライバルを排除する仕組みとして表向きでは反対しながら裏では賛成なんかしやしないか。なんてことを含めて今後の展開に要注目、ちゃんと伝えろよ新聞系週刊誌。


【6月6日】 佐藤は思った。「チョロQ」を自由自在に動かすことはでいないものかと。永田は考えた。赤外線を玩具の遠隔操作に使えないのかと。こうしてプロジェクトが結成された。半年後。2つの願いが1つに重なってまったく新しい玩具が生まれた。「MICRO IR」のプロジェクトが完成した。男たちは泣いた。中島みゆき。なんて大袈裟なドラマがそこにあったとは思わないけれど、国家の威信めいたものとかの下で一所懸命仕事した人が讃えられる一方で、大勢の人に喜びをもたらしたプロジェクトなんてきっと歯牙にもかけられないのはちょっと悔しいなー、とか思いながらコナミとタカラが初めての本格的な共同開発商品として送り出してきた「MICRO IR」シリーズの発表会を見物する。

 そりゃ興味のない人はとことん関係のない商品だろーけれど、「チョロQ」で遊び列車を部屋中に走らせて遊んでいる人にとってはこの「MICRO IR」、ちょっとどころかとてつもなく凄い商品でそれこそロケットにもダムにも匹敵するくらいの感動をもたらしてくれるだろー。何しろ「チョロQ」を操縦できるってのが凄い、それも前後左右と自由自在に。コナミが開発したとかゆー赤外線でデータを送受信できる超小型のCPUを使った玩具ってのがこの「MICRO IR」で、その第一弾商品として送り出された「デジQ」は、デフォルメされながらもしっかり箱スカしてたりランエボしているディティールの確かな「チョロQ」の5センチくらいのボディに、CPUとモーターと赤外線受光部それからニッケル水素電池が組み込まれていて、手元のプロポから赤外線で自在に操縦できてしまう。後輪の左右の回転数を変化させる方法でスラローム走行なんかも自由自在。ゼンマイが組み込まれていたことすら驚かれた時代もあった「チョロQ」が、今やちょっとしたラジコンカーになってしまった。

 1000円もしない「チョロQ」に比べて「デジQ」1台が2980円ってのは案外高いかもって思われるかもしれないけれど、動きの速さスムーズさを見ればそれも納得、真っ直ぐ進んでウィリーなんかが関の山だった「チョロQ」の見かけでスイスイ走る「デジQ」は、電動アシスト機能を組み込んだ自転車ってよりはジェットエンジンを組み込んだローラースケートくらいの衝撃があって、決して高いとは思えない。プロポ込みだと4980円、これなら納得。1セット買って残りの3台を揃えて1万と数千円ならゲーム機にゲームを買って平気な今時の子供だったら全然気になる値段じゃない。「学校でレースやって遊んだなー」なんてノスタルジックな感傷に泣く元少年の可処分所得たっぷりな野郎だったらなおのこと、飲みに行く時間を1回減らしてタクシーで返るのを回辞めれば全種類揃えておつりが来る。ボディを改造してオリジナルな車なんか作るんだってなホビーな人も少なくないだろーことを考えると、10月の発売時には結構な人気で売り切れ必死も覚悟な状況が来るだろー。

 「デジQ」にも増して凄いのがコナミの担当役員の知識と趣味がとことんまで注ぎ込まれた渋サガ光るラインアップらしー、レトロな雰囲気を持った何とかってな車両たちをデフォルメしながらも細かくリアルなディティールで再現した「デジトレイン」って列車のトイ。いわゆる何とかゲージとかいった鉄道模型と、それなりにリアルなんだけどしょせんは子供の玩具だったりするトミーの「プラレール」とかの中間に位置しそーな商品で、「デジQ」みたいに左右にスラロームはしないけど、操縦装置っぽいプロポから4編成の列車を操作して楽しめるよーになっていて、ダイヤを編成しては入線させたり引っ込めたりといった技を駆使してプロっぽい鉄道遊びを楽しめるらしー、あんまり鉄道遊びしたことがないんで鉄な人の楽しみのツボがどこにあるのか分からないから正確な判断は出来ないんだけど。

 タカラの株をコナミが引き取った時にいよいよ新興勢力によって老舗の玩具もパックンチョかー、なんて思った人も結構いたことだろーけれど、「チョロQ」のディティールとかってのはやっぱりタカラならではのこだわりで、そこに赤外線で操作できる新開発のCPUとか、競馬ゲームのよーなエレメカ的要素も持ったアミューズメント機器向けの電機・電子技術とかいったコナミのプロパティが乗って初めて「デジQ」なんかが出来たってことを考えると、歴史の必然めいた栄枯盛衰のドラマってよりは進歩と調和による創造の物語って方がとりあえずは正しいよーな感じがする。押さえつけるんじゃなくって、相手の持っているものに敬意を払いつつ採り入れ利用し高めあっていく関係がちゃんと機能していけば、まだまだ面白い商品が2社のコラボレーションから登場して来そー。プラモデルに組み込んでロボットとか操縦できるよーにする改造なんかも可能なのかな。脳髄ってよりは延髄を持った玩具の更なる進化に期待しよー。

 「ゴージャス風呂」のプロモーションに招いたとかゆー、ゴージャスって名前から真っ先に連想されるゴージャスな姉妹の登場に後ろ髪を引かれながらもタカラとコナミの発表会場から退散して、こっちも一種のコラボレーションでそれも旧来のメディアと新しいメディアの連携とゆーどこかタカラとコナミの連携に重なる部分も感じられた発表会に向かう。出版社のメディアワークスが、電子モールの先駆者にしてリーダーの「楽天」とコラボレーションして雑誌「楽天マガジン」を7月10日に発売するって発表で、アニメ「シスタープリンセス」の企画に名前が上がっているメディアワークスの社長の人と、長者番付で名前を見た日本でも有数のお金持ちが並んでいる姿を見物する、廃刊もあれば創刊もあるとゆー、資本主義の悲哀と歓喜を感じながら。

 ネットショッピングへの顧客誘導を狙った、いうなればネットモールのPR誌を市販するって了見がちょっと分かりにくい気もしたけれど、有為な情報に対しては価値を認めて対価を支払うってのが当然の道だとするならば、単なるネットモールの紹介の羅列じゃなくって、それなりな品物を情報込みで並べるなり、著名人へおインタビューとかいった記事の部分で独自性を出すなりしてありさえすれば、500円なんてお金を支払って「楽天」のPR誌を読んでいるんだなんて感覚を味わうことはしなくて済む。兄貴分な会社の角川書店がやっぱりネット検索のライコスと組んで出している「ライコスマガジン」も読むと案外とライコスと直で繋がってる感じはなかったし、ニフティのフォーラム紹介とかバリバリな「ニフティマガジン」だって市販しているご時世、リアルがバーチャルの不便さをカバーする訳でも、バーチャルがリアルの制約をカバーする訳でもなくって、それぞれがそれぞれの役割を果たしつつ合わされば倍以上の力を発揮するよーな、メディアの使い分けと使い合わせを考える時代に来てるんだろー。でも「電撃楽天」じゃないとメディアワークスっぽくないんだよなー、変えない今からでも。


【6月6日】 髪型だけで5種類の女性を描き分けるこせきこうじさんを果たして天才と呼ぶべきなんだろーか違うんだろーな。けど大山田出版の社長秘書といー受付の2人といーハローワークの2人といー、「コミックバンチ」の6月19日号掲載の「現在大無職 再就職活動中 山下たろーくん」に登場してくる5人の女性の唯一受付に座ってて辰巳が登場してくると何故か頭中からアセアセッと汗が飛ぶ女の子以外は全部同じ顔だったりするのに、それぞれがそれなりなキャラクターなりパーソナリティを持っていそーな雰囲気がある辺りに、1枚絵だけじゃなく連続の中で肉付けしていく漫画家のキャラクター作りの凄みを感じるべきなんだろー。個人的には創刊号で大活躍だった秘書があんまり目立ってないのが残念。一方で受付の黒頭の女の子が良い味出して来ているは面白いかも。辰巳を見る度に汗を飛ばす受付の女の子がトキめいているのか脅えているのかが未だ判然としない点には、はやいところ何か説明が欲しいなー。

 にしても溥儀まで立派になってしまうとは原哲夫さん、自分を「朕」と呼ぶ高貴な人は魂も高潔でなければマズいのかも、なんてことに急に思い当たったんだろーか、千代田の空とか仰ぎ見て。ニセ「北斗の拳」とゆーよりはプレ「北斗の拳」な「蒼天の拳」で、あれほどまでに幼くみっともなかった溥儀が、朋友のためなら命だって投げ出す覚悟を持った義に厚い閻王の態度を見て急転直下、大人になって潔くなってしまったのには驚いた、表情までグルリと変わってしまうんだからなー。或いは高貴な人はうろたえているよーに見えてもすぐに回復するばかりか、普通の人以上に立派になってしまうってことを、いったん下げてから高い場所へと持ち上げることで際だたせよーとしたのかな。

 当面の敵対していた相手と仲良くなってしまった閻王が、だったらこれから誰を相手に何を目的に戦って行くのかちょっと謎。もっともとりあえず傀儡は改心したものの歴史を紐解けばその裏にいる人々は一段とすさまじくなっていく訳で、そーした相手すなわち日本の軍部なり更にその背後にいるかもしれない中国4000年の敵なんかと死闘を繰り広げていくんだろーけれど、シンにラオウにトキにカイオウといった面々を強さで超え敵にする訳にもいかない制約の中で、バトルのインフレーションを起こさせないでどーやって話を繋いでいくんだろーか。努力友情勝利のインフレスパイラルとゆー楽しみ方しか経験してこなかった読者だけに難しいところだけど、せっかく”ジャンプ式”のくびきから逃れて自由になった漫画家さんたちが集った雑誌なんだから、旧方式の踏襲なんかじゃない、より強く深い物語の提示によって引っ張っていってくれると信じよー。

 もともとが「あずまんが」と言えばあずまきよひこさんの手になるAIC=パイオニアLDC系アニメのパロディ漫画を総称するもんだと頭に刷り込まれて育った身なんで今さら別に混乱も何もしないけれど、コミックから始まってガシャポンにアニメに縫いぐるみにフィギュアと今や日本をゆるがすコンテンツとなりつつある「あずまんが大王」こそがファーストコンタクトだった人たちにとっては、これは一体何の漫画で何のパロディなのかすらもおぼつかないだろーなーと読み返して思ってしまった「あずまんがリサイクル」(メディアワークス、850円)。表紙からして得体の知れない「Dr.リン」みたく着物アレンジ系のコスチュームを来た少女が描かれていたりして、すでに放映されなくなって久しい「天地無用!」系アニメに慣れ親しんでいないまま「あずまんが大王」のファンが見ても、新キャラか或いはちよちゃんのコスプレ姿かと思ってしまったことだろー、たぶん。

 目玉のハイライトがちょい少ない感じで眼差しが若干ベタっとしている気がしないでもない表紙の美少女こそが「魔法少女プリティサミー」でベースは「天地無用! 魎皇鬼」に出てきた樹雷王家の砂沙美ちゃんで今や「サクラ大戦」のメインキャラで知られる横山智佐さんのたぶん出世キャラだってことを知らないで読んだ人が果たしてどこまで楽しめるかは分からないけれど、知ってる人には存分に楽しめること請負のパロディ漫画集「あずまんがリサイクル」。ところが知ってる人のおよそ99・99%はすでにパイオニアLDCからCD−ROM付きのニューメディア商品なんて奇妙な形態でリリースされてている「あずまんが」を購入済みだったりするから、別に改めて買う必要もない訳で、だったらどーゆー人に向けて「リサイクル」なんてやったんだろーかとゆー疑問も浮かぶ。分かるためには見ろってことか、「天地無用!」を、「大運動会」を。OVA版にテレビシリーズに劇場版を。聴けってことか、50枚は軽くあるんじゃないかとすら思う関連のCDを、こりゃ大変だ。でも嬉しいかもパイオニアLDC、また売れて(売ってればね)。

 まあそこまで行かなくっても、「天地無用」で言うなら子供キャラ(砂沙美)やおとぼけキャラ(美星)や悪役キャラ(魎呼)や高飛車キャラ(阿重霞)や天才キャラ(鷲羽)とゆー前提を押さえて彼女たちが織りなすシチュエーションコメディのおかしさを掬い取るってことは可能だし、「バトスアスリーテス大運動会」でも以下同文、ストーリーに関連したパロディはちょっと難しいかもしれないけれど、そこは「あずまんが大王」でかっぱいだファンへからさらにかっぱごーとする送り手の配慮もあってストーリーとか状況に関する解説もあるから、読み込んでいけばとりあえずの流れだけは理解できるだろー。頑張ってください「あずまんが大王」ファンの方々。もっとも近刊とかゆー「あずまんが2」は「デュアル」のパロなんかあってこっちもちょい理解し辛いかも、観てないからなー。けどまあ「エヴァ」のパロみたいなアニメだったらしーし(そうか?)、そこら辺から推理していけば大丈夫だろー、たぶん、うーむ。


【6月5日】 奪三振王になりたいと真似して買って日々ブンブンとやっていたにも関わらず、筋肉が付かないどころか痩せすらしない日々にいったいどーなってるんだと怒り心頭の高校球児や草野球のピッチャーもゴマンといることだろーことは想像に難くはないけれど、かの大リーグ奪三振王のランディ・ジョンソンをして世界トップのピッチャーたらしめている理由は実は「ボディブレード」だけではなかったことが判明。夜中にやっていた通販番組で紹介された「アブドリープラス」って器具の宣伝にランディ・ジョンソンが登場しては髭面で「いいもんだ」とか何とか宣伝文句を喋っている姿を見て、おいおいこの前までは「ボディブレード」こそがエクササイズに最適だとか何とかホザいてたんじゃないかと思ったものの、そこは肉体が商品でもあるプロアスリート、そうそう安易には自分の肉体の秘密は明かさないものだなあ、なんて感心する。

 なんてことはあんまりなくって、むしろアメリカって国はエクササイズのためにいろんな器具が開発されては優れたアスリートを広告塔として祭り上げるものなんだなーとその宣伝にかける力の入れ具合に恐れ入る。もちろん日本だって中途半端な選手が中途半端な品物の広告塔になることはあるけれど、ランディ・ジョンソンと言えば日本で比べる人がいないくらいの大人物。それが易々と出てくるくらいだからよほど品物が良いのか出演料が破格なのか、破格だとしたらそれを支えるくらいの売上があるのかってな想像が頭をよぎる。

 それにしてもな「アブドリープラス」、言ってしまえば底に車輪がついていて荷物を運ぶ時なんかに使う台車の小さいのに腕を乗せて前後にゆすったり、2つあったら後ろは足を乗せて尺取虫よろしく前後にくいくい左右にくねくねさせて、脇腹とか腹筋とかをシェイプする器具みたいで見るだに効果がありそーだけど、あれで最初に見た時はなかなか不思議な光景だった「ボディブレード」をぶんぶんやってる姿以上にプレイしている姿のカッコ悪いこと。水着のグラビアアイドルが谷間を強調する時にやる、腕を前に付きヒップを空へと突き上げた猫のポーズに近いものがあって、もちろんプレイしているのが水着のグラビアアイドルだったら是非とも正面なり真後ろから見たいところだけれど、身長が2メートル近くはある髭面のランディ・ジョンソンがくいくいくねくねやってるかと思うとちょっとおかしいものがある、まあ通販番組ではやってなかったけど。霊長類最強男のマーク・ケアー? おかしさは×3。「ボス」で猪木にビンタはられてる藤田和之とかにも試してもらって笑顔で「効きますよ」とか言ってもらえば認知度向上は必定だけど、ここはやっぱり小池栄子さん佐藤江梨子さんあたりな美爆のバストアイドルにプレイしてもらいたいところです。やんないかなあ、グラビアアイドルによる「健康グッズ」お試し特集とか。

 永井豪さんの「ススムちゃん大ショック」を初めて読んだのは20年くらい前になるんだろーか、目にした場所は筒井康隆さんが編纂した徳間書店から出ていた「’71日本SFベスト集成」だったと思うけど、読んであるいはいつかそんな時が来るかもしれないとゆー可能性に身を震わせ、SFとゆージャンルが持つ想像力のすさまじさに強い衝撃をたことを今でも覚えている。もっともその時は、当分の間は実際にそんなことにはならないだろーとゆー安心感も同時に抱いていて、人間が本能的に持つ母性への根拠のない確信を覚えていたんだけれど、それがどーした、描かれてから30年経過した日本では今、まるで「ススムちゃん大ショック」のよーな事件が連日のよーに新聞テレビ雑誌を賑わせているではないか。当たり前のよーに思っていた人間関係家族関係親子関係が激変してしまうくらいに、30年とゆー時間は長く大きいものだったと言えるんだろー。もしもあと30年経ったら? その時にはニュースにすらならないくらい日常的になっているかもしれない、「ススムちゃん大ショック」な出来事か。

 なんでそんなことを思い出したかとゆーと、岡田斗司夫さんの「フロン」(海拓舎、1500円)が案外と1年2年とかいった短いスパンを相手にした評論なんかじゃなくって、もっと射程を長く取って人間の営みに起こる変化を想定してみせた本かもしれないと思ったから。実のところ今読んで、書かれてあることの相当数が”机上の空論”なり”天下の暴論”めいて感じられて仕方がなくって、例えば冒頭からして男性の50%は天下国家しか語らず残り50%に到っては車とセックスとギャンブルだけとゆー前提が繰り出されていて、家庭とか家族とか親とか子とかを認めるにしても否定するにしてもいろいろと考えている人の結構いるだろー可能性から考えると、大ざっぱにも程があるなあとゆー気がして眉を顰めてしまう。

 恋愛だとか快楽だとかいった甘っちょろい要素を一切合切否定して「望まない妊娠の場合は、堕胎することを考えてください」(129ページ)とあっさり言ってのけ、生んだら生んだで「『お腹の子供の父親が、育児に協力してくれるかも……』などとゆめゆめ期待してはいけません」と突き放す。妊娠できるのは女性だけとゆー構造的な違いにも目もくれずそーした違いをも含めて覚悟して妊娠しろとゆーのはある種の人々から見ればやっぱり暴論の極みだろー。夫をリストラした後でも1つに夫が援助してくれる可能性を持ち、一方で子供を育てながらも自活していく道を確保しろって感じの意見だって、子供を抱えた身ではなかなか就職すらままならない現状への気配りが足りなさ過ぎると両断されて不思議はない。夫はリストラされたら前より家庭を気にしてくれるようになるなんて本当に本当なんだろーか。「家族」「恋愛」「結婚」「育児」は大きく変化するんだろーか。

 たぶん1年2年では無理だろーし、1カ月2カ月では当然無理。今を土台にせいぜいが半年程度しかない本の寿命の中で岡田さんが「フロン」に書いた「家族」「恋愛」「結婚」「育児」に関する認識の劇的な変化が起こることは絶対にない。けれども例えば子供にご飯をやらずお湯をかけ木に吊し殴る「ススムちゃん大ショック」な親の大量発生している現状に見え、気にくわないと指し目を見たからといって殴る少年少女が大量発生している現状に鑑みるに、人間が根元的に持っていると思われていた肉親への愛とか、他人を思いやる感情とかいったものの実は案外と希薄なものだったんじゃないかとゆー思いが恐怖とともにムクムクを浮かび上がってくる。30年前では想像もつかなかったこの荒んだ21世紀の人間関係を見るにつけ、”机上の空論”に読めるかもしれない「フロン」に描かれている家族像や恋愛像が、想像力の上に構築された真の未来像ではないという確信などどーして抱けよー。

 ホンネから言えば「ススムちゃん大ショック」の世界はSFであって欲しかった。荒廃が現実のものにはなって欲しくなかった。SFは未来を予言する文学ではあるけどそれは当たって欲しいものばかりではなく、恐るべき未来を提示してそーなってはくれるなとゆー警告を放つ文学でもある。「フロン」に描かれている「家族」「恋愛」「結婚」「育児」の将来像は決して警告ではなくって、ある意味必然として訪れるだろー未来の姿なんだろーけれど、旧来からある「家族」「恋愛」「結婚」「育児」の概念がひっくり返された世界に起こるあるいは人間にとってはさらなる繁栄なのか、それとも人間としての存在にとどめを刺す荒廃なのか。その飽くなき情報収集能力と、果てしない想像力でもって岡田さんには「ポスト・フロン」の世界を是非とも描き出してもらいたい。「責任とってね」ってことですか。


【6月4日】 町田康さんが芥川賞なら中原昌也さんはノーベル文学賞とピューリッツァー賞とゴンクルール賞とブッカー賞とヒューゴー賞をまとめてゲットだぜ、と読んで思った最新作「あらゆる場所に花束が……」(新潮社、1300円)。謎めいた場所で謎めいた男が謎めいたふるまいをしている場面から筆を起こして美容院にルポライターがやって来て女性の手によって1本抜かれ交通事故のあった場所に誰よりも早くかけつけて流れた血を吸い取る仕事をしている人々がやって来て気球が空を飛びテニスコートの再建を男たちが話し合い庭で老人が殴り倒され盆栽は破壊され青森の工場では従業員たちが無言で働き続け空から気球が落ちて来るとゆー、連続していなさそーで連続していて関連してなさそーで関連している場面場面がフレームとしてズレて行くよーに書き連ねられていく展開に物語らしー物語はないけれど、それだけに1人の人間がうじゃらうじゃらと悩み考え行動する鬱陶しさはなく、いろんな人がいろんな所いろんなことをしながら世界は勝手に回っているんだとゆー、半ば悟ったよーな世界観がぞわっと浮かび上がって来て身を包み込む。

 脈絡のない断片のよーな短編群に比べると個々のシーンに不条理さ、シュールさはあってもそれぞれに起承転結めいた展開があって読んで理解はしやすいし、文体もカットアップのよーに言葉が縦横無尽に飛び回るってよりは唐突だったり体言止めでズバリとやられてはいても連想してできないよーな電波的な飛躍はないから読んでいて頭はクラクラしない。もっとも完全な電波がハナかっから読む人を受け付けないのと違って、真っ当なよーに読めながらもちょっとしらズレ具合が所々で心に違和感を与えて来る分、知らず引きずり込まれては狂気の世界にドップリと浸らせられることになる訳で、「中原ワールド」の手前勝手な住人たちに読み終えた後も身をなぞらえたままでいると、真面目な社会生活の上でちょっぴりイケナイことになるよーな気もしてくる。読み終えたら深呼吸して生きている時代を思い出そう。ともかく文体も展開も最高最強の小説、21世紀文学もこれで決まったか? ちょっと気が早いかな、でも2001年文学は決まったな。

 かもなあ、とか思っていたらやっぱり出てきた「喪失の国、日本」(M・K・シャルマ著、山田和訳、文藝春秋、1762円)=偽書説。ふらり立ち寄った本屋で目に付いた私家版の本を手に取った著者がその内容に驚いて訳した本、ってだけじゃなく別に立ち寄った街で出会った男こそがその著者だったって素晴らしすぎるオチもつく、偶然の上に偶然が重なって布団蒸しになったよーな本ってだけでも眉唾で、加えて1年8カ月しか滞在しなかったインド人による日本評、日本人評がいちいちもっともだったりする辺りに出来すぎ感が漂っていて、読んだ瞬間にあるいは偽書かもなあ、例の山本七平さんによるイザヤ・ベンダサンの顰みに倣った外国人から見た日本論の新しい奴かもなあ、なんて思った記憶があるし記録もある、日記の3月中旬あたりかな。

 まあそーいった作為自体は結構昔からありがちで、訴えられちゃって訴えた側の余裕のなさが露呈してしまった「バターはどこに溶けた」を書いたリップルウッドとかゆー偽外国人の例もあるし、「週刊新潮」に長く連載されていた外国の特派員が日本の不思議をあれこれあげつらうヤン・デンマンって偽外国人によるコラムなんかもあったんで、今さら目くじら立てることでもないって気もしてて、6月3日付の「産経新聞」の社会面に掲載された「インド人の『日本論』 第2の『ベンダサン』論争 」って記事にも枝川公一さんが「販売戦略として受け入れてもいいのでは」って割と肯定のコメントを出しているのに結構同感な部分がある。片岡正巳氏さんは「帯の宣伝文句で奇跡的な出会いを強調するのは、強い作為をうかがわせる」って批判的だけど、あまりに奇跡過ぎる話なんて疑ってかかるのが世の習い。見破って楽しむのも一興とするなら詐欺と騒ぐ前に見破れなかった自分の到らなさを恥じるべきって意見もある。

 もちろん本当の本物のインド人が書いた「日本論」だったりする可能性もあったりする訳で、まあその時はその時で面白かったと言うしかない。あらためてひっくり返してみて翻訳書にありがちなコピライトの表記がタイトルの裏にも奥付にも全然なくって、唯一奥付に訳者の山田さんの名前のみ英文表記でコピライトが記されているあたりに、あるいはやっぱりってな気が起きないでもないけれど、インドだし私家版なんでそーゆー段取りが不必要な可能性も……それはないか、やっぱり。ただし問題としてインド人をかたって日本人を批判するのは良いとして、かたったインド人がインド人として余りに企画外れだったりする可能性は考慮する必要がある。ベンダサンの「日本人とユダヤ人」が本多勝一さんに批判され「にせユダヤ人と日本人」(朝日新聞社、450円)で浅見定雄さんにコテンパンにやられたのは。ユダヤ人だったら云々といった部分の記述に宗教のエキスパートから見てあまりに誤謬が多かったからで、どうせだったら産経の記事もネイティブのインド人なりインドの専門家なりの所感を載せて欲しかった。そこまでやると週刊誌の記事みたく謎めいた雰囲気を余韻として残すことが出来ないと判断したのかな。

 あと興味深いのは「『もし自作自演なら、より悪質』との声もあがっている」って部分。ここで言う”より”とはすなわち山本七平さん=イザヤ・ベンダサンの自作自演”より”って意味で、ってことはつまり山本さんがイザヤ・ベンダサンとゆーペンネームで「日本人とユダヤ人」を書いてダンマリを決め込んでいたのは出版の手法として「悪質」だったのかって疑問に行き当たる。なるほど執拗に山本さんを追いつめ続けた本多さんのいた頃の「朝日新聞」だったらそう決め打ちしても全然不思議はないけれどこれは「産経」、発行しているオピニオン誌の「正論」とかに山本さんが結構執筆していた経緯もあってそれなりな仲だったにも関わらず、ここに及んで得体の知れないM・K・シャルマなる人物と並び引き合いに出されて批判されるとは、山本さんも草葉の陰できっと歯がみしていることだろー。ニュアンスとか言葉遣いとかはデスクがちゃんとチェックしているはずなんだろーけど日曜付ってことでスンナリ通してしまったんだろーか。こと「日本人とユダヤ人」ではあれこれ言われても他の仕事ではなかなかな所もあったらしー山本さんへの敬意が軽んじられたとあってさてはて「産経」内部で果たしてどんなやりとりが起こることやら。案外そっちが楽しみかも。


【6月3日】 夏だオタクだ湾岸だ、って訳で夏に恒例の湾岸オタクイベント回りの開幕戦と案外言えるかもしれない「ドールズ・パーティー」を見物に「東京ビッグサイト」へと出向く。いつもは確か池袋のサンシャイン中でやってたイベントだけど、規模が大きくなった出世魚イベントの辿る道の常として晴れて有明はビッグサイトでの開催となった模様。ドールなんて女性の嗜み女の子の遊びとしての市場は存在しても巨大なイベントが成立するだけの果たしてマーケットになるんだろーかと思っていたのも今は昔で、既存のドールのドレス作りから恐らくはスタートしていたものが、今やオリジナル素体を使って服だけじゃなく顔からボディからカスタマイズして楽しむ人が女性のみならず男性にも山と増えて来て、結構なスペースだったにも関わらずビッシリとブースが埋まってて、行列こそ午前11時を過ぎた辺りでは出来ていなかったけど中は男女取り混ぜたそれなりな人数の来場者で賑わっていた。

 女性に多いフリヒラなドレスを作って嗜む人とは違って男性の場合だと美少女キャラクターを模したドールなんかに関心を示す人もいたりするから、「ドーズル・パーティー」とゆー同じ会場を歩いて同じ様にドールに強い関心を示していると言ってもすべてが等しく共通の思想信条に乗っているとは限らないんだろーけれど、決してキャラクターではない西洋人形の雰囲気だったり市松人形の雰囲気だったりするオリジナルなドールの写真を撮り、あるいはそーいったドールを抱き抱えて場内を歩いている男性の決して少なくない数いたところを見ると、いわゆる”キャラクター・ブーム”とは違ったドールのファン、ってゆーかもともとがドールってそーゆーオリジナルな物だった訳なんで、原点に立ち返ってドール本来の美を愛でる男性が、昔だったら隠れてコソコソとしていたものが表に出てきて有明の空の下を闊歩できる位に、世の中も人間のマインドも変わって来たのかもしれない、って「プチ・キャラット」の縫いぐるみを抱えて寝てる人間の言うことじゃないよな、某「DASACON」とかで。

 ただ個人的には繊細にして耽美な人形を我が子我が彼女のごとく鞄に詰めて外へと連れ出すってのにはちょっと抵抗があって、出来れば家に飾ったまんま時折触れてあげるくらいにしておいた方が良いよーな気がしないでもない。連れ出すんならせめて会場で売っていたバイオリンケースを改造したドール専用のキャリングケースに入れてあげればいーのに、ショルダーバッグに何体も詰め込んでは顔だけのぞかせて歩いている男性を見るにつけ、本人は可愛がっているんだろーけれど傍目にはちょっと人形が可哀想に見える。ドールが並んでいるブース付近では圧倒的多数を占めていた女性の来場客にそれほど人形を連れ歩いている人が見えなかった辺りから想像するに、持ち歩いて見せ歩くって行為ってのはあんまりメジャーじゃないよーな気がする。まあ個人的にはってことなんで、あるいはそれが本流かもしれないし、これから本格化するかもしれないんで、折に触れて状況なりを観察していこー。縫いぐるみは別よ、あれは潰れるけど壊れないから。

 しかし本当に触れるのが申し訳ないくらいに繊細で可憐な人形たち。ボークスが出している「スーパー・ドルフィー」シリーズってのは、「ジェニー」とか「リカちゃん」あるいはボークス自体も出している素体から作れる6インチ系のドールとは違って、身長がだいたい50センチくらいはあるのかな、結構な大きさがある上に表情にしても衣装にしても実に良く出来ている人形で、フランス人形みたくアンティークしてなければ市松人形のよーに伝統してない、リアルさと耽美さがほどよくブレンドされた独特の世界観を持っていて、西洋的でもなければ東洋的でも日本的でもない、新しくって確固たるジャンルを築き上げつつある。

 そーいった人形って昔だったら四ッ谷シモンさんなり天野河淡さんといった人形師の人たちが手作りしたたおやかで儚げな少女たちの人形があてはまったんだろーけど、展覧会で見るなり写真集で楽しむしかなかったし、値段だっておそらくは相当なものだったはず。それが「スーパー・ドルフィー」の場合、レディーメイドを買うことも出来るしパーツを組み上げれば自分でだって作れてしまうってのが素晴らしい。それなりな値段はするけれど、プロの人形師の手作りの人形を買うと思えば安いもの。ドレスアーティストの人たちが参加した「SDドルパコレクション」ってのが8万円台で並んでいたけど、正午過ぎにはほとんど完売になっていた。残っていた和服の人形がちょっと欲しかったけど、流石に今のこの腐った部屋に置く訳にはいかないからなあ、部屋変わるか、人形のために。

 前回のサンシャインで見た時もそーだったけど「ドールズ・パーティー」とか言いながらもドールに限らずフィギュアつまりはガレージキットのディーラーも出展出来るイベントになって来ているよーで、今回も会場の5分の2くらいはガレージキットのディーラーが出展していて、当日版権システムのもとであれやこれやな品物を出していた。「あずまんが大王」は流石な人気でいろんなタイプがあったけど、個人的には縫いぐるみのシリーズにちょっと心が揺れる、よみ欲しかったなあ、でも6800円だからなあ。思い出したドールの島に「おとうさん」の縫いぐるみが2体並んでてひとつはサイケな色になってる奴でいったいあの色は染めたんだろーか、それとも既製品にあーゆー色があるんだろーかと悩んだんだった。非売品だったのがちょっと残念、メディアワークスには「ちよ」クッションに続く不思議グッズとして商品化を望みたい。風船にして空に浮く奴でもいいぞ。

 つらつらと眺めていると見慣れた椎名優さん描くところのクリスマスの顔がアップになった表紙が目に入って、見るとあの「猫の地球儀」の主要キャラクターがセットになって登場。「HARDBALLET−DEVOTION」って名前のディーラーさんでクリスマスと焔と楽とそれからパーツが間に合わなかったみたいで後送になる幽がちゃんとセットになって、3000円とゆー値段で売っていたんで「猫地」のファンとしては何を置いても買うしかない。似てるか、って言われればクリスマスについてはイラストのコミカルな雰囲気に比べると若干スタイルが良いよーな気がしたけれど、イバってエラそーな感じは出てるし、焔のイジワルそーな顔とかはまずまずで楽ののーんびりとした表情もなかなか、尻尾の鈴もちゃんとあるみたいだし。作るのはやっぱり老後の楽しみになっちゃいそーだけど、小さいんで「SF大会」までに頑張って作って来るかどーか知らないけれど秋山瑞人さんに見せたい気も。メディアワークス版権が降りるってことはあるいは夏のガレキイベントにも「猫地」物って出てくるのかな、「タツモリ家の食卓」とかあったら欲しいなもちろんバルシシア様が。


【6月2日】 だから苦手なんだよなー、オンラインショッピングは。挟み込んである宅急便の不在票を見るにつけ、手渡しが条件になっている宅配便を多様するオンラインショッピングの便利なんだけれども面倒臭いところが身に迫って感じられて、使おーとゆー気がぐぐっと失せる。預かってくれる管理人がいるなり宅配便を置いておいてもらうボックスが置いてあるなりする立派なマンションに住めない身、その上会社勤めで昼間はいない人間がいったい何時どこで受け取れば良いてんだろー。郵便だったら週末までは預かってもらえる訳でとりに行けば済む。それが面倒って人もいるけれどそれが便利って人もいる訳で、選べるんなら郵便を選びたいのに契約なのかそれが出来ないオンラインショッピングの不自由さがある限り、僕は本はやっぱり極力本屋で買うことになるんだろー。「bk1」で頼んだ「フロン」、受け取れるのは何時になるやら。

 朝のそれも午前中に起きるとゆー難行苦行に耐えたご褒美としてサラリーマンが頂戴できるボーナスの支給も間近なんで、8カ月分ため込んであった「定本佐藤春夫全集」を丸善日本橋本店まで取りに行ったらこれは何と。知らないうちに上から下まで3階のファッション雑貨の売り場をのぞいて配置が変更されていて、1階なんか新刊が割と見やすくなって2階も本がたっぷり並んでいるよーに見えて新宿の紀伊国屋書店並とはいかないまでも、日本橋界隈ではそれなりに真っ当に本が買えそーな書店になっている。新刊なんか面で立てて並べてあって目に入りやすくって、フラリと寄ってめぼしいのを探すのが楽そー、もっとも並べる方は大変だろーけど。洋書は4階に上がって変わりに写真集や美術書なんかが2階へとダウン。個人的には見やすさ使いやすさで気に入ってる池袋のパルコにあるリブロのアート本コーナーにそれほど見劣りはしていない感じがする。

 今日目についたのは何といっても扶桑社が「チーズはどこにいった」に続くベストセラーにするために売り出した、訳じゃないけど話題性だけなら「チーズ」以上かもしれない「新しい歴史教科書」と「新たしい公民教科書」の教科書2冊。確か国から一般売りは止めろとか言われてたよーな記憶もあるけど、見てもないうちから肯定否定山と出ているんならやっぱり実物を見てから判断してもらうのが筋ってもの、だからねー。「歴史」の方をペラペラと読んだ印象はただの教科書、まあ当たり前だけど全体に何だか「である」とか「なのだ」とかいった強めの説得するよーな語尾が多いよーな気がして、読んでいて押しつけられる感じに肩が凝りそー。かといって「です」「ます」調じゃあ媚びてる感じでマズいからなー、自分が使っていた教科書ってどんな言葉で書いてあったんだろ、ちょっと思い出せない。

 記述については詳細読んでないから不明だけど、ひとつ言えることは落書き出来そーな写真が多くて嬉しいかも、仏像に眼鏡描いたり髭つけたりして遊ぶのが歴史教科書の醍醐味って奴で、写真がふんだんに使われているこの教科書はその意味で最適、未来の似顔絵師たちをきっと大勢育ててくれることだろー。1冊が1000円弱でどのくらい売れるか知らないけれど例の西尾幹二さんの書いた分厚い方の「国民の歴史」並に売れたとしてえっと10万部くらいだったっけ、それとも40万部だったっけ、それだけ売れれば結構な売り上げになってきっと夏のボーナスも同じ目ん玉ながらも極貧にあえぐ大手町より20代にして確定申告に悩むだろーお台場に近い会社ってこともあって、もちろん20代にしてゼロ6つの大台は確実だろーから(30半ばで大台乗らないんだよ大手町は)、その余録を少しは回して頂けることと期待して、毎週の短評仕事に励むことにしよー。牛肉食べたい。

 しかし綺麗になった割には店員の質となると何だかかんだか。世界の丸善にしてはちょっとお粗末ってゆーか世界の丸善だからこそ小売りなんて地味な仕事は苦手ってゆーか、店員の仕事ぶりを見ていて不安げでちょっと苛つく。8冊も予約しておいた全集をため込んだ責任はそれとして、2階に出来ていた相談窓口っぽい「ナビゲーションカウンター」で聞いたところ、研修生って札をつけた僕ちゃん店員が、運んできた結構な重さのある本をまず1つの袋に詰め込もうとし始めたのに気が抜ける。背表紙を底に向けて4冊を並行に並べれば並べられないことはないのに、1冊だけをほかの3冊と垂直にして詰め込もうとする。そんな重たいものを片手に持つのはしんどいと「2つに分けたら」と言ったら今度は底の浅い袋を出してきて、もちろん横に寝かせればちゃんと入るんだけど、なぜか袋に口から頭が飛びだすのを承知で縦に詰めよーとするわ、3冊を並行にして1冊を垂直にするわで見ていてさらに苛立ちが募る。

 何をどーつめたらその場がちゃんと納まるのか、ってのが理解できないんだろーかあるいは理解しよーとする思考が働かないんだろーか、縦にしたり横にしたりと本をガチャガチャやっていて、帯なんか破られたら困るなーと思いながらも苦笑して見ていたけれど、さすがに見かねたのかベテランな人が横に寝かせて4冊を並行に入れればちゃんと入るよってやって見せて、新人くんもそれを真似てとりあえずその場は納まった。もっとも釣りを渡すより先に領収書を出すわ、スリップを抜き忘れて1階まで追いかけてきてその場で抜き取ろうとするわと、苛立ちを通り過ぎて可愛そーになるくらい要領の悪さが目立つ。出る本の多さと構造的な人手不足ってゆー事情は勘案したとしても、せっかく「ナビゲーションカウンター」を作ったんなら、本に関したエキスパートを置いて丸善なんて場所に通う本好きな客の要望にツーカーで答えられる人を置くのがサービスってものだろー。丸善をしてこーゆー状況になってしまった日本の本屋が規格はずれのことができず定番アイティムしか置かない総「ユニクロ」化、総「マクドナルド」化する日は近い、のかなあ。

 ビバ鈴木。サッカーのコンフェデ杯は強豪とか優勝候補とか言われたカメルーンを相手にディフェンス陣は完璧に近い仕事をしてフォワード陣も鈴木隆行選手が2点をゲットする大活躍。サイドを変えるパスを1トラップしただけでシュートに持っていった最初の得点シーンのボールさばきは、フォワードにどんぴしゃりで入ったはずのボールがど下手なトラップによって前に流れてキーパーに取られたりモタついている間にディフェンスに囲まれてシュートすら打てなかったりするシーンが日本代表の持ち味なんだと頭にやきついていた目にただただ新鮮に映る、まああれが普通なんだろーけれど。2点目はサイドでの西澤選手、森島選手の頑張りにただ拍手。萎縮しないでガンガンいった時の日本ってホント見ていて安心できる。ともあれこれで準決勝進出決定でトルシェの首もつながった、訳でそれが果たして吉と出るか凶と出るかは分からないけれど、とにかく託すしたないでしょー。ベンチで通訳のダバディ兄ちゃんまでがトルシェといっしょに飛び上がっていたのけれど、ワールドカップのベンチに一緒に入れるのが嬉しかったのかなー。


【6月1日】 求めれば際限なく人間って贅沢なもので、文章が生硬くってキャラクターは類型的でボーイズラブの濃密さにも耽美小説の凄烈さにも傾かない中途半端さがあって物語は起伏に乏しく結末がなくカタルシスを得られずってな感じに、挙げればぞろぞろと気になる点が浮かび上がって来るけれど、そうした疑念を抱えてでも最後まで読み通させてしまう辺りにまさしく「第17回太宰治賞」を受賞しただけの”何か”が小島小陸さんの「一滴の嵐」にはある、とゆーことになるんだろー。吉村昭さんが「よくできた小説」いい、高井有一さんが「ものの手触り」があることを誉め、柴田翔さんが「素直な孤独さの魅力」を利点に挙げているあたりにも、「一滴の嵐」が持つ”何か”が老練な小説化たちの気持ちをほぐして心に訴えたんだと考えるのが妥当だろー。あるいは主人公が恋慕する美しい少年への同種の恋心だったりするかもしれないけれど、それだって立派に特徴だから外野がとやかく言うことではない。

 まあ選考委員が揃って少年をいとおしく思うタイプの人かもしれないとゆーのは冗談として、やろーと思えば徹底した少年対少年のイケない関係イケない感情を時にほのめかせつつ時に大きくクローズアップさせつつ描き進めることも可能だったんだろーけど、作者はそーいった関係をあからさまに描くんじゃなく、むしろ純粋な友情あるいは美しい存在への敬意といった感情に根ざした鉛筆職人の息子と貴族が女中の生ませて引き取った美しい跡継ぎとの関係を描いていくなかで可能性として示唆する程度に止めていて、読んで官能はしないけどジンワリとした感情が浮かんで来る。そこに美しい少年がいて自分の未来を大きく左右する存在だったらやっぱり抱くだろー思慕と反抗のアンビバレントな感情が。

 鉛筆職人としてこだわる父親の限界を見てしまって一歩大人へと足を踏み出す少年の雰囲気はまあ類型的で例えば「機動戦士ガンダム」のアムロとテムとの再会なんかにも見られるシークエンスだけど、少年ってのは基本的に親を殺して成長していく存在、それを必然として盛り込みメインストーリーに絡めて来るあたりはなかなかに読ませ巧者だなって印象を持つ。熱心だけど奇矯なふるまいもする最初のバイオリンの先生や寄宿舎に入った主人公とその友人の美しい少年をイジめにかかる上級生たちのふるまいも萩尾望都さんのギナジウムものなんかの絵が頭に浮かぶくらいにやっぱり類型的だけど、決して劇的じゃないあたりにむしろリアル感があって読む人の血肉に迫る理由があるのかも、なんてことも考えてしまう。

 鉛筆職人の少年が貴族の友人を得て資金を援助してもらって音楽学校にいっていっぱしのバイオリン弾きになったっぽい辺りから過去を回想しているストーリーらしーけど、だったらこいつは一体今頃どんな身分にあって友人であり心の恋人だったかもしれない貴族の息子との関係がいったいどーなっているのか、書いてはなくほのめかされてもおらず悲惨な境遇から過去を懐かしんでいるのか或いは今の裕福な境遇あるいは友情の終わった後の不幸な境遇から遡ってそこへと到った道を回想しているのか、といった感情を注ぎ込む糸口に今ひとつ不足しているよーな感じがあって、人生のドラマの壮大さに嘆息するよーなスケール感が読み終えてもあんまり浮かんで来ない。

 まあそーいった卑俗なエンターテインメントにせず淡々としつつも所々に心の痛みを散りばめていく手法が、この作者の特徴であり持ち味なのかもしれない。ともあれ後半になるに従って深みを増すキャラクターたちの織りなす感情の交差に痛みなんかを覚えつつ、次作があるならもっとハマれるドラマを読ませてもらいたいと願っている。自制しつつも所々でアクセントを付ける器用さがあれば、たぶん出来るでしょー。

 だだだだ誰とくぐっているのだ「大人のビラビラ」(by桜木高見)を蘭堂栄子は。いやまーいっぱしの大人で神楽総合警備の中ではスタイル人格ともに比較的まともな栄ちゃんが「大人のビラビラ」の1枚や2枚くぐって素通しになったシャワー室でシャワーを浴びぐるぐると回りはしなくても2人3人は平気で寝られるベッドの上で大声を張り上げ大汗を流していたって不思議はないんだけど、やっぱり当然気になります、まあファンなんで。「ヤングキングアワーズ」7月号掲載の伊藤明弘さんの「ジオブリーダーズ」はモーテルに泊まる羽目になた真紀ちゃん夕ちゃんをのぞく4人と1匹がそれはもー大人にしか分からない世界を見せてくれていてナイスっす。

 枕元から取り出したほぼ正方形のアルミパックをかじるまやも可愛いけれど、かじられたまんま戻されたアルミパックの中から取り出して使おーもんなら漏れもたくさん起こるだろーから、持参じゃない人は1度、化け猫なり1人を簀巻きにしてかついだ男子1人交じった4人組が「大人のびらびら」をくぐったか否かを確認しておくにこしたことはないでしょー。しかし高見ちゃん真っ赤になるくらいにはちゃんと知ってるんですね、正方形のアルミパックで中に丸いリングが入った例のアレがどーゆー時に使われるものなのかを。使った経験があるかどーかは聞かない聞きたくない。モーテルでは栄ちゃん1人が頑張ったサーヴィスも温泉では真紀ちゃん夕ちゃんとも大きな所を見せまくってくれていてラッキー。床にはいつくばって長物を撃つ場面は後ろから見たかったよーな気が、何をってタワシですよ単なる、ね。

 そもそも同じ船橋市にあることすら知らなかった「東邦大学理学部」が何だか6月9日に天文に関する公開講座をやるって告知が地下鉄東西線の中に貼ってあったんで早速メモ。「太陽系外惑星に生物は存在するか?」なんて直裁的にして魅力ある演目で喋ってくれるのが国立天文台長の海部宣男さんでもう1本が「銀河形成の謎に挑む」って内容。2時間しかないから突っ込んだ話があるとは思えないけれどサワリだけ聞いても国立天文台長の人ならきっと有意義な話が聞けるかも、望遠鏡に宇宙人が写ったとか(写ってません)。参加は無料で予約とか申し込みとかも不必要みたいなんで当日気持ちと懐に余裕があったらのぞいてみよー、でも船橋市三山って場所、どこだったっけ。


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