縮刷版2001年4月下旬号


【4月30日】 寝正月。正月じゃないけど。昼頃に起き出して読んだ電撃ゲーム小説大賞金賞受賞作の「陰陽の京」がなかなかにナイスだった新鋭、渡瀬草一郎さんの「パラサイトムーン」(メディアワークス、570円)は、田島昭宇さんの怜悧に耽美なイラストから一転して起用されたはぎやまさかげさんの、何ともライトノベルチックにギャルゲーライクな美少女それも巫女さん姿の表紙に若い読者層を狙って来たんだろーかと思い、主人公で人の感情が色で見えてしまう能力を持った少年の幼なじみが寝込みを襲って主人公の家の鍵を針金で開けよーとしているシチュエーションに、天然めーわく屋タイプの美少女が世を斜に見ている主人公を事件に引きずり込んでは成長を促すタイプの話かと思ったところが大間違い。ラブはラブでも米じゃなく蔵人な話へと進んでいっては文字どおり驚天動地の世界へと読んでいる人たちを引きずり込む。

 主人公の少年・心弥がピッキング美少女の弓に連れられて渡ったのは少女の父親が生まれ育った小さな島。少女の祖父は村長をやっていて、死ぬ前にひと目孫に会っておきたいとゆー口実で弓を招き、心弥はその付き添いとして島へ行く羽目になったのだった。その島では、小野不由美さん「黒祠の島」ばりに「波谷様」とゆー島独特の神様が崇められていて、島にいろいろと恩恵をもたらしてくれていた。ところがその言い伝えを聞いて島にやって来てはいろいろと嗅ぎ回る一味があって、心弥と弓はそんな一味と「波谷様」を守ろーとする島民たちとの諍いの渦中に巻き込まれてしまう。

 さらに一味とは別のカップルも登場しては不思議な能力を駆使してくんずほぐれつの大激闘。一味が狙う「迷宮神群」ととは何なのか、でもって心弥に備わっている感情が色で見えてしまう力の源な何なのかが次第に明らかになっていき、ラストのスペクタクルへと読んでいる人を運んでいく。感情を色で見られる心弥の能力が単に島民たちの欺瞞を見抜く鍵になっているだけじゃなく、見えてしまうことによって逆に見えなくなってしまうものがあることを想起させる展開になっているところにメッセージもあってなかなか。「迷宮神群」を狩るとは言いながらもどっぷりとその影響を受けている一味のモチベーションの土台が何なのか分かり難かったりするけれど、垣間見えた異神たちの抗争の一端を担う人間たちの暗闘はまだまだ続きそーで、結果として巻き込まれては目覚めてしまった心弥と弓のこれからなんかを想像させつつ、先への興味をかきたててくれる。新鋭によって紡ぎ出される新・神話体系がちゃんと体系になって行くために、まずはこの1冊が大勢の人に読まれることをここに願おう。

 ああやられてるよ「朝日新聞」の例の「靖国参拝ってどーよ」質疑が「サンケイスポーツ」4月30日号の最終面「甘口辛口」で、長谷川吉幸さんって記者の人から「とんでもない邪魔者がいた」なんて厳しい指摘を受けている。「国民が小泉内閣の各閣僚から聞きたい、知りたいのは、現在、日本が抱えている数々の問題であって、靖国神社の参拝ではない」とはなるほどごもっとも。だったら同じ場にいただろー「産経新聞」がどれだけのことを聞けたのか、それこそあの場で窘めるなり声を大にして別の質問をぶつけたのかってって点も考える必要はあるけれど、「朝日新聞」の突き抜けぶりを白日の下にさらすことで相手の足を掬う意図があったのだとしたら、それは見事に成功したと言って良い。

 コラムだと決められた記者会見の時間が「一新聞社の企画に利用されていいものだろうか」とゆー問いかけがなされているけれど、「企画」を決めて記者に「これだけは聞け」とデスクが厳命するのはどこだってやっていることで、ことさらに批判される筋合いのものではない。ただしそれは「企画」が時宜にかなっていればの話で、例えば「サンスポ」のコラムは「『公人としてですか、私人としてですか』と終戦記念日に靖国神社を参拝する閣僚に、決まってこの質問が飛ぶ。アンケートまがいの質問は、もういい」と言っているけど、参拝の時にその心構えを聞くのは実に時宜にかなっていて問題はないと思う。問題があるのは新聞が常々口にする「国民の知る権利」に「企画」が合致していない場合であって、今回の新閣僚の記者会見の場でとられた「朝日新聞」のスタンスは、プライオリティーの部分とかで経済外交の部分に比べて下位にあったことに加え、どことなく居丈高でいかにも「お仕事してます」的な質問者の口調なんかもあって、大勢の反発を食らう羽目になったと言える。

 たぶん新聞だけが唯一の”報道機関”だった時代は、結果として現れた紙面の「企画」になるほどこーゆースタンスで新閣僚たちはいるのかと、聞いた「朝日新聞」の尽力を忖度して讃えることも出来ただろーけれど、テレビ中継とゆーリアルタイムに人柄が見えてしまう場所の、それも限られた時間とゆーのが視聴者に分かってしまう新閣僚の就任記者会見の中で、何が喫緊かを外して自分たちだけが聞きたい質問をそれも挑むよーな口調で発するなんて、見ている人に反感を覚えてくれと言っているに等しい。何より注目度の激しい記者会見だっただけに、場の見えてなさぶりがよりハッキリと浮かび上がってしまったみたい。

 テレビのリポーターが場違いに食い下がって質問して答えがもらえずそれでも「市民を愚弄してます」なんて言ってのけるシーンに通じる醜悪さがあって、今時の心ある視聴者だったら国民の代弁者面して何のことはない会社の走狗と化している実態にちゃんと気付くはず。ただメディアだけが分かっているのかいないのか、旧態依然とした功利的な正義感でもって突っ走る先に何が来るのかを、いー加減考えないと経営にだってしっぺ返しが来ると思うんだけど、それで変われるんならとっくに変わってるんだろー。かくして有意な若い人材はとっとと見切りを付けて辞めていき、残る頭でっかちか逆に頭カラッポな人間ばかりが旧い作法に諾々と従って「世論」とは名ばかりの「持論」をまき散らしては、それでもメディアの権威を信じる中央の人たちを煽動して「世論」と乖離した世の中を作り上げて行く。暗いのはメディアの経営ばかりじゃない。


【4月29日】 キャラ違うんじゃねえか? って思ったのも当然で、なるほどDVD版「ジオブリーダーズ2 File−XX”乱戦突破」と同様ってゆーかそれ以上に、白ではなく黒をストッキングと留めるガーターベルトともども見せまくってくれてはいるけれど、何をやっても大失敗なDVDとは違って”蒼き流れ星”のやることなすことバチっと決まって、不逞な輩を手にした二丁拳銃のみならず、「ロータス7」がレプリカの「ケイターハム」か「ドンカーブート」かは知らないけれど、きっと値段も高いだろー車に仕込んだスモークにグレネードににサーマルを駆使してバッタバッタと撃ち倒す、実に殺し屋らしー姿は少なくともDVD版で”紅の流れ星”を相手にしている場面では終ぞ見られなかった記憶があるんだけどなー。

 もちろんいかな真剣な殺し屋と言えどもギャグにしか見えないよーにあしらってしまうくらいに、梅崎真紀ちゃんこと”紅の流れ星”の強さが突出してるなじゃかってな見方もあるけれど、それにしても直接真紀を相手にしていない時でもDVDの”蒼き流れ星”はチェロだかウッドベースだかのケースをかついで山道をえっちらおっちら歩いていたり、川をヒモノのよーな格好で流れていったりしていて、”レフォーバーの善三”とやらの首にこれまた黒まる見せで二丁拳銃を下から首へと突きつけるよーなスタイルのあざやかさを演じてくれた訳じゃないから違いはやっぱりあり過ぎる。うーんどっちが本当の”蒼き流れ星”なんだろー。もしも同一人物だと強弁したいんだったらそーだなピタリ決まったアクションにマンガ版をスタンダードにしたい気持ちが強まっていることもあるし、いつ作られるのか保証の限りではないけれど、DVD版の第3弾に再び登場して頂きたい”蒼き流れ星”には「ヤングキングアワーズ6月号」並みのアクションはせめて演じさせてやってもらいたいもの、その方がギャグにばっかり流されないで話がギュッと引き締まると思うんだけどどーだろー。黒はもちろん見せ放題、だけど。

後光  カナダ大使館で「SFセミナー特別編」を見物。紺のブレザーにスラックスにポロのボタンダウンにクレストタイにUチップにハートマンのアタッシェケースに無帽でサングラスもパスとゆー「大使館仕様」ってゆーか普通一般のサラリーマンが仕事に着ていくよーな格好だったせいで、誰だか気付かれないのか無視されているのかアウト・オブ・ガンチュウなのかSFの有名な人たちに取り囲まれてヤキを入れられることもなく、静かに受け付けをして中へと入り着席して開幕までの時間を呆然として過ごす。ときどき発表会なんかにも使われていた大使館地下2階のホールは少なくとも列の半分くらいは埋まる盛況で、すぐ直後に本会&合宿を控えているにも関わらずメインゲストのロバート・J・ソウヤーさんの話を聞きたい人の意外とゆーか当然とゆーか結構な数いることに、日本のSF受容層もまだまだ捨てたもんじゃないってことが分かって他人事ながらホッと胸をなでおろす。

 そーこーしているうちに始まったイベントは、真っ白なスーツ姿に髪も鮮やかな金髪の野田令子博士に導かれて場内に現れた、結構な背丈でカナダSF界隈では1番くらいに有名らしー人が目の前の席に座って、真上からのライトに月光よろしく後光を放っていたところをとりあえずチェック。さすがはカナダSF界では1番くらいに有名な人らしく、輝き方にもなかなかの風格が感じられて近づきつつあるとはいえ天辺はまだまだな身として羨望にうち奮える、潔さって素晴らしい(何がだ)。まずは山岸真さん北原尚彦さん加藤逸人さんによる「カナダSFの現在」についてのレク。ナノテクとかA.Iって言ったテクノロジー系のテーマが折り込まれた作品が主流になっているらしー話が聴けて興味深い。あと加藤さんによればアメリカだとスーパーマンが出てきてなんとかする話が多いのに対して、カナダSFには等身大の主人公が活躍する”大人”の小説が多いらしー。そーゆーものか。

 最近の作品で加藤さんお勧めなのがカール・シュナイダーだったかな、そんな名前の人の「VENTUS」って小説でハイファンタジーっぽい舞台なんだけど背景にナノテクとテラフォーミングがあってA.Iが神化してしまっている世界で、主人公は遍歴を重ねながら世界の秘密を解き明かしていくらしー。あと名前はナノ・ホプキンスンだったっけ、ジャマイカから来た人が書いたやっぱりナノテクとA.Iが暮らしに溶け込んだ世界で、犯罪者が送られる異次元に飛ばされてしまった少女が開拓者っぽい生活をしている彼らや鳥の進化した人間の中でいろいろ冒険する話も面白そう。翼人ってのが「魂の駆動体」みたい。1度固まると同じ人のシリーズなり同じ傾向の話をまとめて出すのが出版社の常だけど、こーしたイベントなんかもあって盛り上がりつつあるソウヤー人気にかこ付けて、カナダSFを本気で紹介し始める出版社があったら読めるだながー。ジョーダンアサロマキャフリィアスプリンじゃ身が、もたん。

 2次元目は浅倉久志さん森優さん天皇賞を放り出して来た山野浩一さんによるパネル「ジュディス・メリルという人がいた」。生い立ちから傾向までをまんべんなく振り返りながら、「世界SFシンポジウム」で来た時とかその後半年ばかり滞在した(ハヤワカ書房が支援していたらしー、あの早川が)昔話ななんかを披露、すでにSFよりもベトナム反戦運動に気持ちが傾いていたメリルは「シンポジウム」で来日中は反戦活動とかの現場にばかり行って小松さんご不興だったとか。あと半年の滞在中に日本の作品を英語に翻訳する作業なんかをやってて、森さんの家だったかな、半村良さんとメリルが滞在して浅倉さんも呼んで泊まり込みで作業した話が披露されて、当時のまだ若かった半村さんも映った写真がカラーコピーで回されて、その「オトナ帝国の逆襲」的に懐かしい日本家屋の佇まいに涙を流す、テレビに脚がついているぞ!、ラジオが無駄にデカいぞ! あんな時代があったんだなあ。

恐竜ケーキ  3次元目の野田令子さんによるソウヤーインタビューは緊張してるっぽい野田博士の途中で止まってソウヤーに「今度はあなたの番だ」と突っ込まれているインタビュアーぶりがナイス、同時通訳の関係で時間差が出たのかな。印象深かったのはカナダではSFとゆージャンルの受容のされ方はしていなくって普通一般の文学と同じよーに読まれているんだとか。会場を貸してくれた大使も読んでいるそーだしそもそもが米国大使館でアメリカのSF作家を招いたレセプション(作家ですらないだろーけど)が開かれるとはちょっと思えない。それだけ一般的に知られた作家としてソウヤーが受け入れられているってことなんだろー。あと暴力抜きで世界政府の実現は可能かって質問に、フランス系がいて英国系がいて米国からの流入もあって先住民がいても内戦が起こらなかったとゆーカナダには、多様な文化を受容できてしまう特質があるってゆー答えがあって、なるほどそーした土壌だからこそ生まれて来る文学的な傾向があるだろーかとゆー興味が湧く。ジャマイカの人がいてインドの話があってネイティブアメリカンの神も出てくる作品が書かれるカナダSFの豊潤さ、ますます感じてみたくなりました。

 パネル終了後は会場をロビーに移してソウヤーさんの誕生パーティー。緑色した恐竜の巨大なケーキが運び込まれて、大使の音頭で「ハッピーバースデー」の歌が唄われソウヤーさん大喜び。恐竜ケーキは徐々に切り分けられて会場にいた人に振る舞われたけど、結論から言えば恐竜は別に生臭くもなければワニのよーでもなく、肉はチョコレートの味、皮はクリームにそっくりな味がた。緑色はミント味かな。尻尾の部分も足も背中の中落ちもロースもサーロインも首の周りも目玉の周辺も等しく同じ味。骨もなく鱗もなく大変おいしゅう御座いました。最後は会場に吊り下げられていたソウヤーの日本版の文庫に使われている表紙を拡大してプリントしたポスターをセットでソウヤーにプレゼント、使い回しじゃんとか思ったけれど、世界で出ている版の中でもこと表紙に関しては人気の高い日本版だけに、部屋に飾って嬉しがるのかも。「占星師アフサンの遠見鏡」なんてほんと迫力だもんなー。


【4月28日】 ああっ怒っておられる高千穂遥さんが4月26日付の「TV−WATCH」でどんな新閣僚が出てきても、例えそれが経済の専門家の竹中平蔵さんであっても靖国神社への公式参拝の意図があるのかないのかその答えの理由は何なのかしか聞かない朝日新聞の人に大文句を言っておられる。「自分の判断でそうしているのか、社命なのかは知らないが、わたしなら、社命としてこれを強制されたときは、それだけで辞表をだす」とはなるほど高千穂さんらしい謗(そし)り方だけど、なあに大丈夫だいじょうぶ。社命であっても、とゆーより社命であればこそ諾々と従って、今のこのご時世にとって1番大事なことを脇においても、10年1日代わりばえのしない「靖国問題」について聞くのが、上を向いて歩こう幹部への道をな朝日新聞社員(記者じゃない)にとっては名誉に満ち満ちた使命なのだから。むしろ天命と言った方がいいのかも、空に輝く五つの星から受けてたりする、もちろんバックは赤だ。

 意味がないことでは決してない。近隣諸国が日本の戦争責任をことらさに気にして軍事大国化を心配して、その道へと再び進みかねない要素をはらんだあらゆる可能性を引っぱり出しては、その真意を問いただしたいと思う気持ちは理解できるし、そーした情報を知りたいとゆー、数で言うなら800万読者のおそらくは半分にすら満たない人たちに向けてであっても、一所懸命情報を集めよーとする朝日新聞の平等博愛八紘一宇なスピリッツに、さすが朝日と賛辞の1つも贈りたい。ただ10年1日同じことばかりを聞いて来た関係で、すべての新閣僚が「また聞いてくるだろーな」とあらかじめ想定問答をしていたりして、当たり障りのない答えしかしなくなっているのも事実で、新鮮味もなければ意外性でもって相手をあたふたさせる記者会見とゆー場の醍醐味を、見ている人に味わわせるにはいささかトウが立った質問のよーな気がしないでもない。

 それより今は経済1番外交2番な状況に、竹中さんなら経済全般について質問攻めにして公約めいた言質を取るなりすれば良いし、田中外相ならアジア絡みであってももうすこし具体的に突っ込んだ「中華人民共和国と台湾のどちらを支持するんだ」くらいの質問を投げて、戸惑いの中に真実を見つけ出そうとする気概を示して欲しかった、就任し立ての時だからこそ官僚の入れ知恵もなく素に近い自分が垣間見えたりするものなんだし。にも関わらずの「靖国参拝」についてしか聞かなかった朝日新聞の、オレさまなスタンスは徹底して少数派の代弁者たろうとするものでなるほど立派ではあるけれど、立派と思えるだけのシンパシーを抱けるのもまた少数派であって、大多数の目には高千穂さんの言葉を借りるまでもなく「ジャーナリズムとは何かを完全に忘れているね、この新聞社は」と映ること必定。そーした流れに棹さし続けるメディアがさてはてこれからの時代にどこまで影響力を発揮していけるのか、日本一だった毎日新聞が今は見る影もない現実を勘案しつつ後の50年を見て行きたい。生きているうちに見られるかな、産経が朝日を抜く日を(それは無理)。

 「ぽちょむきん」(北原正幸、講談社)か、と瞬間思ってしまった高畑京一郎さんの新シリーズ「ハイパー・ハイブリッド・オーガニゼーション01−01 運命の日」(メディアワークス、510円)だったけど、正義の見方よりも侵略する怪人の側にスポットをあてて時に正義の美名のもとに無理無茶無駄を繰り返す正義の見方を批判する「ぽちょむきん」ライクな内容ながらも、「ぽちょむきん」が徹底してギャグに(最新号の「アフタヌーン」はちょっとマジだったけど、意外な展開もあったし、都知事の麗しさなんかも含めて)走っているのに対して、高畑さんの新刊の方は正義の見方が正義を遂行するにあたって見過ごされる少々の犠牲を被害者の側からフレームアップして、その真っ直ぐさ故に起こるやるせない感情を浮かび上がらせている。

 いつの頃から街に現れ現金輸送車を襲ったりヤクザの親分を抹殺しよーとする集団があって、その雰囲気から「黒い覆面集団」と呼ばれていたんだけど、何故か不思議を物は奪っても警官にけが人は出しても死亡者は1人たりとも出さず、不思議がられていたところにこれまた謎の怪物めいた存在が現れ、「黒い覆面集団」たちが使っている怪物めいた存在と戦い「黒い覆面集団」の活動を邪魔するよーになり、とりあえずやってることが法律には違反している「黒い覆面集団」を悪と位置づけ、突然あらわれガーディアンと呼ばれるよーになった怪物を正義の味方と街では位置づけるよーになっていた。これが物語のバックグラウンドね。

 でもって主人公らしい山口貴久は、先輩のイジメを振り切って向かった彼女とのデート先で、突然現れた「黒い覆面集団」とガーディアンとの戦闘に巻き込まれてしまって、ガーディアンの敵怪人への攻撃の煽りを受けて彼女を失ってしまう。始めての死者発生に戸惑ったのはどーやら貴久や警察ばかりではなく「黒い覆面集団」やガーディアンもだったよーで、ガーディアンの攻撃で死んだにも関わらず彼女の実家には300万ドルの小切手が「黒い覆面集団」改め「ユニコーン」なる一味から贈られて来て、何がなんだか分からない状況に貴久は追い込まれて行く。とりあえず彼女の命を奪った両者の正体を確かめ正義の見方呼ばわりされ続けるガーディアンに復讐するために、貴久は「ユニコーン」への接触を図るのだが、その先には予想外の展開が待っていた。

 ってな感じのまさに「ぽちょむきん」的転倒のドラマがこれから始まろーとしたところで一巻の終わり、お代は見てのお帰りだよ。何やらのっぴきならない関係にありそーな「ユニコーン」とガーディアンに政府すら1枚噛んでいそーな雰囲気もあって、その中で果たして貴久は悪の首領として正義の見方を倒せるのかってな物語へと進んで行きそー。さすがに「はげにゃん光線」とか使いそーもないけれど、改造人間につきものの哀愁と後悔なんかの心理ドラマを堪能しつつ、正義も悪も紙一重の裏表だったりする世の中の奇妙さを暴き立てていく物語を、しばらくは楽しんで行けそー。「クリスクロス」とも「タイムリープ」とも「ダブルキャスト」とも違ったハードに変身なトクサツ(アンチ)ヒーローストーリー。その開幕をまずはお楽しみあれ。次は「ゲルニッカー首領」の復活だ(それは「ぽちょむきん」)。

 悪い話ではない。が自分にとってはまだ必要な話ではなかった「劇場版クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」は、春日部に出来た「万国博覧会 EXPO’70」とか変身ヒーローとか平屋で瓦葺きの民家が立ち並ぶ夕焼けの街並みとかいった70年代的なアイティム&ガジェットの類への郷愁は郷愁としてそれに涙するだけでも十分だし、涙しつつも過去に縛られている自分に決着を付けて現実の家族、21世紀を共に生きる家族への回帰の気持ちを喚起させる意味も十分にあって、そーしたアイティム&ガジェット類が郷愁の琴線にクリティカルな人にとっては存分に楽しめ涙すらできた映画であることに間違いはない。過去に耽溺する親の姿に幻滅を覚えながらも自分の側へと連れ戻す子供たちの前向きな勇気が、文字どおりの21世チャイルドである主観客層の子供たちの気持ちにフィットしただろーことも想像できる。たとえ万博とかが楽しめなくても、横で涙ぐんでる親がいればその過去と未来の狭間で葛藤する親から懐かしさとは何か、それを超える家族とは何かを感じただろーから心配ない。

 ただ当時の年齢で5歳だった身には、連れていってもらった記憶を掘り起こして懐かしい気持ちにはなっても、そこにもう1度戻りたいと思わせるだけのインパクトが万博にはなくって、あそこまで拘り溺れる大人たちの姿がどうにも奇異に映る。吉田拓郎は「お嫁においで」じゃなくって「サマーピープル」の人でリアルな経験に結びついて過去への回帰を促す存在ではないし、大学時代を過ごした80年代中期はすでにワンルームマンションが大流行りのご時世で、4畳半が持つ質素だけれど夢だけはあった松本零司的な郷愁と感傷のイメージも、「銀河鉄道999」で鉄郎が立ち寄った「大四畳半惑星」のショーケース的ポジション、そして松本作品を過去に辿って見た「男おいどん」から感じた空想上のペーソスの対象でしかない。「スバル360」も「日野コンッテッサ」も「いすゞベレッタ」も「セリカ1600GTV」も青春以前の記憶で、むしろ「ランボルギーニカウンタック」に「ロータスヨーロッパ」に「フェラーリディーノ」といったスーパーカーの方が懐かしさの度合いはより大きい。

 後付けで得た懐かしさの記号でしかないものが並ぶ世界に耽溺したいとは思えず、むしろよくぞこれだけの懐かしい記号を集めたもんだと笑いながら関心してしまった人間(「トヨタ2000GT」に小便をかけまくるシーンに爆笑、オヤジの魂を汚すのって楽しいよね)が果たして自分だけなのかは分からない。ただ記号とはいえその魂の残滓は感じられる世代でもあるから、自分より上の世代が絶賛するのは何となく分かる。その意味でなるほど自分は「はざまの世代」なんだってことを改めて思って悔しさに歯がみする。あと5年早く生まれていたら、あるいは25年遅く生まれていたら、心から笑って映画を楽しめたのに、なあ。

 子供たちが集団で動くシーンとか、バスの運転をかわるがわるに行うシーンでの子供たちの笑いはホンモノで、ギャグ映画として存分以上の存在感があることを証明しているし、ノスタルジック・カーの類がちゃんとそれらに見えてしまう画力にもただ脱帽。瞬間チラリと流れたたぶん「KPGC110 スカイライン200GT−R」の後ろ姿には元ケンメリオーナーとして拍手を贈ろう。鉄塔の上での安心はしていても沸き起こる高所への恐怖感、階段をかけつまろびつ上っていくしんのすけの。人が本当に走ってるっぽいまだるっこしいながらも頑張れと声援を贈りたくなりよーな微妙なスピード感に演出もアニメとしては特級品。その意味で見ておいて損は絶対にないだろー。何より椅子に座って見ていた小泉純一郎ヘアーなパパの前で杖振り回していたみさえの魔女っ娘姿の何とも言えない色っぽさ。あれを見られただけでも気持ち的には十分に元は取った。郷愁はやっぱり起こらないけどどれだけの記号が並んでいるかを確かめに、もう1度くらいは見に行っても良いかも。


【4月27日】 でもやっぱり有名人なんだよね、ってことを改めて思ってしまった、「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(糸井重里、講談社、1700円)は、アドレスが一面にエンボス化工してあるカバーにも驚きつつ、その下のふわふわとした手触りにカバーをはいでみて使ってある素材のこだわり具合に「らしさ」を感じたりしたけれど、それはともかくインターネットで絶大なアクセス数を誇るホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」が立ち上がってから約3年の軌跡をつづって間にあったいろいろな出来事を振り返った内容に、「ほぼ日」がかくも短い間にかくもメジャーな存在になって「ネットとは」なんて感じでいろいろと発言できてしまえるのも、過去に培って来た糸井さんの名前があったことが決して小さくない意味を持っていて、書き手にしてもメディアの注目にしても集められたんだってことが分かって羨ましくも妬ましい気持ちが巻き起こる、うーんわんわん。

 もちろん稼げる人であるにも関わらず別の価値をそこに認めて無給にして無休で参加して来たことへの尊敬の念はあって、間に起こったITバブルにも巻き込まれず未だにビジネス的には孤高を保ちながら、名の有る人も名の無かった人も関係なく啓発的なコンテンツを送り出して来る姿勢は評価したい。むしろやっている中味ではなく「糸井重里」とゆー名前をフックにしなければネットに注目できず称揚できないメディアの体たらくに文句を言うべきなんだろーけど、そんなメディアのスタンスを熟知した上で取り入れながら場をより高みへとプロデュースしていける、無邪気さと真面目さと茶目っ気の同居した言葉や行動にちょっぴり引っかかってしまう狭量者でありました。こんなんだから引き離されるばっかりなんだよなー。

 歌は世に連れってゆーけどだったら小説の方がよっぽど世の中の動きとかを如実に反映してるんだってことが分かる巽孝之さんの批評集「アメリカン・ソドム」(研究社、3800円)は、独立まもないアメリカ合州国に誕生した「アメリカン・ルネッサンス」なんかと呼ばれる数々の小説群を読み解きながら。中に描かれた不貞だったり同性愛だったり近親相姦だったり差別だったり虐待だっりをクローズアップしつつ、自由の国平等の国博愛の国の誕生だなんて言われて今でこそ讃えられているけれどなかなかどうして、混沌と喧噪にあふれた背徳の大陸だったってことを暴き立てていて、ハッピーエイジな禁酒法時代ともラブアンドピースなベトナム戦争時代ともまた違う、当時の人々の生活だとか宗教観だとか貞操観念が伺われてなかなかに興味深いものがある。

 取りあげられている小説のトマス・モートン「ニューイングランドのカナン」もウィリアム・ヒル・ブラウン「共感力」もスザンナ・ローソン「シャーロット・テンプル」もハンナ・フォスター「放蕩娘」もロイヤル・タイラー「アルジェリアの補囚」もヒュー・ヘンリー・ブラッケンリッジ「当世風騎士道」もナサニエル・カヴァリー「女水兵ルーシー・ブルアの遍歴」もジョージ・リッパード「クエーカー・シティ」もマーク・マーリス「アメリカン・スタディーズ」も恥ずかしながら読んだことがなくって読書歴の如何に偏っているかが分かるけど、挙げられた本だけを読んでいてもやっぱり偏っていることには代わらないからお互い様。それにしてもせいぜいがポーかあるいはホーンソーンで後はいきなりフィッツジェラルドにE.R.バロウズにH.Pラブクラフト辺りへと飛んでしまう頭にとって、ディッケンズの英国にもひけをとらない小説の山が築き上げられていたことへの不明はやっぱり恥じなければならない。

 それにしてもここに挙げられた小説における強姦されたり姦通したり獣姦したりといった主題の多さを知るにつけ、ソープオペラよりも恋愛映画よりも人間関係男女関のドロドロとしているエピソードが、18世紀末から19世紀のアメリカで小説として好んで書かれたり読まれたりしていたとゆー状況にはちょっと驚く。「大草原の小さな家」とか「赤毛のアン」とか「ハックルベリー・フィン」とかいった田舎風味の健全健康なアメリカのイメージばかりが読書体験から刷り込まれているせいもあるんだろーけど、文明化に機械化がアメリカを汚していったってな単純なものじゃなく、ってゆーかむしろ単純明快に人が大勢いればそこにはなにがしかの背徳は起こるもので、それは聖書の時代から変わらないんだってことが改めて分かって面白い。

 女性は男装することで、黒人は聖職者になることで社会的に認められたとゆー当時の風潮を小説から指摘しながら、エスニシティとセクシャリティの今につながる問題を浮かび上がらせている第6章の「ハンナと戦闘姉妹」が個人的には1番楽しく読めたかも。自分たちをさらったインディアンの家族をトマホークでぶち殺して頭の皮をはいで持ち帰った女性が賞賛される状況の何が当時も今も正しくて何が今から見れば違っているのかを考えてみたくなる。それにしても山とあげられた「アメリカン・ルネッサンス」の小説群の今現在日本語で読める作品ってどれくらいあるんだろーか。小説として読んで面白いかどーかは別にして今につながるアメリカ的な考え方の根底に流れていそーな観念なんかを浚う意味で、ちょっと読んでみたくなったけど、無理も何だからまずは「緋文字」から始めてみるか(たぶんしない)。


【4月26日】 ちなみに「ツンと前を向いた乳首」とゆーのも「体の記憶」(布施英利、NECクリエイティブ、1300円)によれば嘘らし「乳首は前を向いているか。じつは少し横を向いている。左右の乳房の方向は、漢字の『八』のように前方や横方向に広がっているのだ」そーで、これによって「体は単調な四面体にならない。そういう単純なかたちに、あたかも彩りをそえるよう」になっているのだとか。なるほどそーゆーもんかと頭では思ってみたものの、本当に美的に美しいか否かは実際に目で確かめるしかないんだけど、かといって確かめるには対象が必要で、けれどもその対象に20世紀の3分の1以上の年月と21世紀の4カ月を過ごして来て未だ巡り会っていないあたりに、何とゆーか春ならではの妄想が募って頭をフラフラにする。うーん確かめたい確かめさせて欲しい確かめさせろ小池栄子もしくは佐藤江梨子、ついでに上下に揺れるかも。

 確かめさせろと言ってもしかして確かめさせてくれたら今度は逆に困ってしまうかもしれない小泉純一郎内閣に入った女性閣僚たちのどっしりと座った顔ぶれに、その清新さは買っても果たしてどこまで内実が伴っているのか、これだったら或いは過去の内閣の文字どおりの「花」に終わってしまうんじゃないかとゆー懸念ガムクムクと巻き起こる。もっともそれは「姥桜」とゆー扇千景・国土交通相を指してのことじゃなく、ってゆーのもあれで羽田の問題とか見栄っぱりながらも良いことを言って来た人だからそれなりな見識も備えてそーだって気になっているからで、だったら川口順子環境相かとゆーとそーでもなく、森山真弓法相に遠藤敦子文部科学相といった官僚系な人でもない、と言えば残りの1人に「花」と化す可能性はかかって来る、そー田中眞紀子外相のことですね。

 言うことはいちいちごもっともで庶民受けも良い。何故って庶民は偉い人とか有名な人の悪口が大好きで、けれども自分では柵とか勇気とかいったものとの関係から悪口を言えないから、代わりに悪口を言ってくれる人に自分の精神を写して溜飲を下げる。けれども庶民に受けているから政治的な能力があるとゆーのはまた別の話で、むしろ悪口しか言って来なかった人に何かしらの政策があるのかと言えば案外となかったりする訳で、新しい首相以上の一言居士ってゆーか単なる講談師あるいは毒舌漫才師が果たして言葉に国の全権がのしかかる外務大臣の立場が務まるのかとゆーと、今のところ不安の方が優ってブルブルと身を震わせる。

 小泉首相を「変人」と言ってのけた感覚でブッシュ大統領を「坊ちゃん」とか言った日にはいったいどーなることやら。江沢民を軽く揶揄しよーものなら日本の経済は大打撃を受けること必至。もちろん本人にもそんな自覚があるとは思うけど、これまで一言居士なり講談師として使って来たマスコミまでもが同じ感覚で軽口ばかりを拾いかねない恐れがあるから困ったもので、見かけは清心でも内実は爆弾を山と抱えた小泉内閣のこれからが、果たしてどーゆー経緯をたどりどーゆー結末を迎えるのかを、とりあえずは9月の任期までとその後の様子なんかをうかがいつつ、ながめていくことにしよー。とりあえずはサミットでの立ち居振る舞い、だな。どーでも良いけど拝命後の会見に登場した際に眞紀子さんが着ていたあれはシャネル? うーん可愛い過ぎるぜ。

 それにしてもすさまじいばかりの喪服の渦渦渦。CSKグループ総帥にしてセガの会長兼社長だった大川功さんの葬儀が新高輪プリンスホテルでも巨大な「国際館パミール」で開催されたんで取材に行ったら、巨大な部屋の1つだけじゃなく隣の部屋にそれから別室まで、都合5000人近い人が入れるだけのスペースがほとんどギッシリとなる状況で、長い人生の間に関わった人の多さとしれから交流の広さが思いっきり偲ばれる。ゲーム業界の偉い人は当然としてソニーの出井伸之会長とかソフトバンクの孫正義社長とかITの分野ベンチャーの分野でも日本どころか世界をリードしている人がちゃんと参会しては故人の死を悼む姿を見るにつけ、たんなるやかまいしだけのおっさんではなかった、自ら「予兆」と名付けた時代の変化に対して果敢に挑み成功して来た人間だったってことがよく分かった。最後に引いたセガのカードのオールマイティーかそれとも「ババ抜き」のジョーカーだったかが未だ不明なのは心残りだったかもしれないけれど。

 始まった葬儀・告別式はCSKの福島吉治会長による弔辞から始まって関係者の弔辞が続いてまあそれなりに故人を偲ぶエピソードが聴けたけど、興味深かったのはかの野村証券にあって大タブチの異名を取って戦後の証券市場のみならず資本市場経済界に暗然たる影響力を持って来た田淵節也元会長が久々に大勢の人の前に姿を見せて友人代表として弔辞を読んだことで、90年に起こった証券不祥事の折りに何度もその家へと出向いてあれやこれや聞いた時に比べると見かけは老いていたよーだったけど、話す言葉は未だ矍鑠として確か大川さんと同年代だったとは思えない健在ぶりを見せてくれた。アラスカとかカナダとか北海道に一緒に旅行して酒を酌み交わした思い出とか話していたけど、かの大田淵をして「友達として付き合ってくれてありがとう」と言わせるほど、大川さんって人は凄い人だったんだなー。

 そんな財界関係者の言葉もジンと来たけれど、最後に挨拶に立った喪主で夫人の大川房子さんが紹介したエピソードがまた痛切で、これにはスレっからしの記者も冗談でなくもらい泣きをしそーになった、流石に人前なんで涙とか滲ませることはしなかったけど。聞くと大川さん、夜、帰宅途中に夫人と一緒に高速道路を走ってい時、ユーザー企業のビルにまだ明かりが灯っているのを見て、頑張ってるんだな、顔を見ておかなくてはいかんなと言って、道頓堀で稲荷寿司や巻き寿司を買って配って歩いたんだとか。夫人の昔を懐かしむよーな心にこもった話ぶりもあって、大川さんのそんな行為が下に恩を着せるとか、単なる気まぐれとかいったものではなく、心底部下を思い会社を思っての行為だったってことが滲んで胸がジンとなる。これほどまでに会社を思い部下を思って来た大川さんのエピソードを改めて聞けば、命を引き替えに拠出した850億円のお金をセガは、5年とか10年の寿命で潰すわけには絶対にいかないだろー。せめて20年、いやさ100年の大計でもって22世紀に世界を動かす企業となるべく、その最初の1歩を踏み出す時が今来ている。重い荷だけど担いで運んでいかなくっちゃ、ねえセガの皆様。


【4月25日】 「乳揺れ」、と一口に言っても例えばGAINAXが発明してテクモが一段の普及に貢献したぶよんぶよんと軟体動物のよーに揺らしてみせる「乳揺れ」が実は男の願望の現れだったってことが、解剖学のエキスパートによって明らかにされてちょっと落ち込んでいたりする乳揺れマニアがここに1人。布施英利さんのエッセイ集「体の記憶」(NECクリエイティブ、1300円)によれば、乳房は「上へは大きく移動するが、下にはほとんど動かない」(12ページ)んだそーで、「上に飛び跳ねると、その勢いにつられて、乳房全体が、大きく上に動く。そして落下する。それにつられて乳房も下がる。しかし元あった位置に戻るだけで、それよりも下には、あまりいかない」(12ページ)んだとか。とはいえ重量がある乳房がどーして下に行かないのかは読んだだけではまだ分からず、願わくばそれなりな分量のあるに跳ねたり走ってもらったりして観察するなり、触って下への抵抗なんかを確認したいんだけど、誰か実験して見せてくれないだろーか。アイウォンチュー。

 上杉虎彦、なんて本名でもちょっと恥ずかしい名前をペンネームに付けてしまえるあたりがしばらく前の「プレジデント」的な歴史的偉人への自身なぞらえ志向のあらわれだとも言えそーだけど、財界人政界人が集まって坂本龍馬の物語だかを臆面もなくやって日本を変えようなんて抜かした例の舞台のメンバーには入っていなかった辺りに、多少の矜持は伺えるから良しとしておこー西和彦さん。まあこのペンネームが活躍したのは日経BP社が出していた「PC21」誌上でパソコンからITから未来経済外交といった様々な事象に関する本を紹介するコラム執筆にあたってのことだから、時に自分自身も深く関わる分野について書かれた本も紹介せざるを得ない立場上、臆面があろーとなかろーと派手なペンネームで正体を隠す必要があったと理解しておこー。「西和彦ITの未来を読む365冊+α」(日経BP社、1600円)のことね。

 とにかく何ごとにも辛辣且つ的確なのが最大の特徴。例えば自身副社長まで務めた米マイクロソフトについて書かれた本を紹介する「『マイクロソフト』を読む」の中で「マイクロソフト・シークレット」を紹介している項目では、「この本で書かれている会社の体制そのものが、インターネットへの参入を遅らせ、怒ったビル・ゲイツによるトップダウンでの意志決定になったことは、ここには書かれていない」(113ページ)とゆー内幕にまで踏み込んだ解説がしてあって、ほかにも「マイクロソフトの本当の強さを語ろうか」に関する「なぜ成毛がマイクロソフトという組織の中でキャリアの階段を上がって行くことができたのかがわかる。一見ドライなアメリカ人とウェットに付き合うということをどう実践しているかがわかって面白い」(114ページ)とゆーコメントなんて、マイクロソフトと成毛真前マイクロソフト社長のことを知り尽くしているからこそ出てくる言葉だろー。

 結構ある西和彦本についてのコメントがないのは、自分自身を客観視して語る狡さを嫌ったからなのか。とはいえ孫正義ソフトバンク社長について書かれた本を紹介する「『ソフトバンク』を読む」の中では「西和彦の閃き 孫正義のバネ」って本を引き合いに「孫の『もし西がいなければ日本は一年遅れていた』と、西の『成功し続けてきた孫が失敗した時にその真価が問われる』という言葉を引き出したところが注目に値する」(140ページ)なんて書いていて、客観的ながらもこーゆー差異について敏感なところを見せることで大きく違ってしまった両者の立場への感慨めいたものを浮かび上がらせている。もっともドル箱だったヤフーの停滞なんかもあって今が正念場の孫さんに比べると、かのリンボウ林望さんをして最高と言わしめる73平方メートルの巨大な書庫を持ったオフィスを構えて著作に研究に勤しんでいる西さんとの、どちらが人間として幸せかを考えると「経営はダメ」と故・大川功さんに言われてもなお西さんの立場にシンパシーを感じてしまう。写真で見てもイラストで見ても素晴らしすぎる本の環境と音楽に酒を嗜むライフスタイル。もーちょっと働かせて羨む僕らの溜飲を下げさせてくれなんてやっかみ、しても良いよね。

 未熟児だったら放っておかれた昭和30年代の様子なんかを見るとなるほど出産とゆーのは本当に一大事だったんだってことが分かって感慨深かった「プロジェクトX」。大森望さんとさいとうよしこさんのところに折しも子供が生まれたって話がネットをかけめぐっていたこともあって、この世に生まれてくる大変さってのがひしひしと感じられて、さらりと書いているおめでとう安産なによりとゆー言葉への気持ちが改めてグググッと強まって行く。中国残留孤児の問題を解決へと導いた活動にも今回の小児科医と産婦人科医と助産婦がチームを組んで新生児医療に当たる体制を日本で最初に整えた病院の発足にも、いちいち「プロジェクト」と受けるウザさはあるけれど、馬鹿にされよーと柵に阻害されよーと正義と信念の旗のもとでひたすらに突き進んでいく人々の活動は発明であっても発見であっても運動であってもやっぱりジンと胸を打つ。番組の人気が抜群な訳もやっぱり改めて強く感じた次第。それにしても安産で何よりだったなー。

 秋葉原で「BLOOD THE LAST VAMPIRE」のDVD完全限定生産版を購入、11800円にちょっと溜息、ほふー。オリジナルフィルム版とデジタルマスター版と特典映像のディスクが3枚も入ってほかにショットボード集に台本に寺田克也さん描き下ろしのピンナップと、しばらく前に出た縫いぐるみとかガシャポンとかが入った「エヴァLD箱」には及ばないまでもなかなかの大盤振舞いなんで、半分はお布施だとは思うけれども残り半分は妥当な金額だと認めて気持ちを納得させよー。どっちから見たら良いのか迷うけど、監督の北久保弘之さんは確かデジタルマスターの方を部屋暗くして見てねって行ってたから、フリッカーはないだろーけど頭に来るかもしれない部分は自己責任でカバーしつつ、そっちをとりあえず見ることにしよー、でも開けるのちょっともったいない気が。買った店でやってた抽選は外れたし近所のビルでやってた抽選も外れてもらったのはティッシュにポストカードとゆー体たらく。とはいえ当たってもフィギュアってのはそこまでしてDVDを買いたいって気持ちを起こさせるにはちょっと弱い感じがしないでもない。小夜ちゃんコスプレセット(セーラー服&日本刀)とかだったらDVDも大人買いしたかも。


【4月24日】 DVD化された「天使のたまご」を買う、東さんも好きなホッペがゆれる奴ですね(違います)。それはともかく時間が71分もあるってのが実は意外で、押井守さんのアニメ作品ばかりが集めてあってあちらこちらを1枚づつ買い集める手間が省けて嬉しい商品で、DVDでも本当だったら出して欲しいLD−BOXに入ってるLD版を見始めた途端、終わっていたりする状況にいつもなっていた関係で、長くても20分くらいだとろー思っていた。見始めて気が付くとエンディングに来てるって感じ、でしょう。

 それは想像するに「モモ」で言うところの時間泥棒だかによって奪われた時間とゆーものがあったか、あるいは脳の活動が停止していたりしただけであって、その間の分の映像はしっかりと作られていたし上映中はちゃんと流れ続けていたんだってことが、総時間数からは確認できる。かといって実際に自分で確かめよーとすると、それも暁を覚えないこのシーズンってことを考えると、20分どころか数分で終わってしまうなり永遠にエンディングを見られなかったりする可能性もあるから、ここはカフェインをガブ飲みしてエスタロンモカもしっかり飲んで、目を血走らせながら見る環境をゴールデンウィーク中にでも作ることにしよー。剣山とかも用意しとい方が良いんだろーか。

 そーいえば押井監督が「AERA」の「現代の肖像」に速水由紀子さんの執筆で取りあげられていて、中で「天使のたまご」を作った後で「『何を血迷ってあんなマイナーなものを作っちまったんだ』という愁嘆の声、声、声。その後の3年、ほとんど作品の制作に関われなかった」って記述がある。3月に開催された「文化庁メディア芸術祭」関連のシンポジウムでも確か同じよーなことを言っていた記憶があって、今でこそカンヌだかで「アヴァロン」が招待作品として上映されるくらいの身分となって、世界にその名前を轟かせている身ではありながら、苦労した時期があったんだってことをここに来て割とフランクに語り始めたよーに見える。

 「続く実写映画でさらに『マイナーの坂道を転がり落ちた』彼は、来月からのアパート代が払えないという事態に追い込まれる」ってのは何だか自業自得めいたものも感じるけれど、そんな修羅場も今は昔。記事の冒頭で「攻殻機動隊2」に関する打ち合わせの話なんかが紹介されている所をみると、仕事はとりあえず先まで詰まっているよーで、「G.R.M」でつまづきかけたものの「アヴァロン」で盛り返しつつ合った状況がさらに安定へと向かう状態の良さが、過去への冷静な気分となって記事とか発言に反映されて来ているのかも。幼少期の父親からのプレッシャーあたりに現実との乖離を求めたがる性格の源を見よーとするあたりは速水さんっぽいアプローチかも。どこまで関係があるかは山ほどいるだろー押井な人の研究に任す。

 DVD屋ではあと東芝EMIからDVDでやっと出た「チャイナさんの憂鬱」も購入、LD版も中古屋で掘ってもってはいるんだけどプレーヤーの調子が今一つで現在は見られない状況だし、チャイナさんだけじゃないのがちょっと残念だけどバンダイビジュアルの「スピリットオブワンダー 少年科學倶楽部・前編/チャイナさんの縮小」もとりあえず買ってるから仕方がない、何よりファンだし日高のり子さんの。いっしょにもらったDVDの発売予定だと注目はとりあえず「ルパン三世」のファーストシリーズのDVD−BOX7月4日発売だけど、ほかにも「Zガンダム」とか「ガンバの冒険」とか控えててちょっと大変、「戦闘メカザブングル」のBOXもあるけど再放送見たからいーや、まあ気がむいたら。

 実写だと「ウルトラQ」が6月25日からリリース開始、BOXにならないのは良心的だけど買い集める体力と根気が最近薄くなってるからなー、「ウルトラセブン」もまだ半端だし。あと「光速エスパー」のBOXってのも控えてます。昔よく電気屋の前で見かけたっけ、あれは東芝それともナショナル? 謎なのは6月20日発売の「岡村靖之」シリーズ。見るとライブとか何だかで8枚まとめて出るけどそんなにファンがいるのか岡村に。4月27日発売「NHK少年ドラマ なぞの転校生1」っていつのなんだろー。一緒に出る「NHK少年ドラマ ユタとふしぎな仲間たち」ってのも昔見たやつなんだろーか。「七瀬ふたたび」ってのもあるし、うーんアミューズに聞いてみよ。

 凸版印刷が小石川に作った印刷博物館で25日から「引札 消費文明を創ったポップアート」って展覧会が始まるんでその内覧会をのぞく。引札ってのはよーするにチラシなんだけど江戸の末から昭和の始めにかけて出ていたものらしくデザインが錦絵調だったり日本風の図案だったりしてキッチュな上に宣伝文句が例えば醤油がどうの呉服がどうのと筆文字も鮮やかに書かれてあったりして面白い。何より絵の巧さは圧倒的で、チラシ1枚にしたっておそらくは大勢の人に見て貰うメディアなんだとゆー自覚でもあったのか、それとも綺麗な絵でないと見て貰えないとゆー引札を刷る印刷屋の熱意でもあったのか、どの絵も狂いとか歪みとかなく綺麗なもので、描いた人の相当な技巧の高さが伺える。

 多色刷りって意味では印刷技術的な価値もあるし浮世絵が世界的な人気になるならその影響を受け継ぐ引札にも当然ながら美術的な価値もあって、それでもセールスプロモーションとゆー目的をもっているだけに、それぞれに画面から湧き出る「買え買え買え」パワーがあって圧倒される。捨てられないよーにカレンダーを刷り込んだり見てもらえるよーに双六を入れたりと工夫もあって、宣伝の歴史を辿る史料としての価値もありそー、その意味で宣伝とかデザインに関わる人は1度見ておくと良いかも。開場にはパソコンで昔ながらの図案を組み合わせて自分だけのオリジナルな「引札」を作ってプリントできるコーナーもあって、富士山に美女にエビスなんかが混ざった珍妙なカードを作って遊べる。期間は7月12日までで入場料は300円、飯田橋からも江戸川橋からも遠いけど歩けば健康にも良いんで近くに来た人は是非。住んでる人は当然な。


【4月23日】 無党派層の自民党員、って書くとなんだか矛盾しているけれど相次ぐ全国各地での小泉純一郎さんの自民党総裁予備選圧勝を見ていると、政策のよーな理でも派閥のよーな情でもない、「風」と言ってしまえば聞こえは良いけどその実単なる「人気」あるいは「気分」めいたものがググッと小泉さんの方に傾いて、どっちつかずってゆーかもともとが自民党だったらどっちだってよかった無派閥な人たちの票を、小泉さんへと投じさせたよーな印象がある。自民党員とゆー限定された人たちが一国の総理大臣を結果として選んでしまう構図に奇妙さを訴えて首相公選制なんってものを訴える勢力があるけれど、現実問題現状維持が好きな国民の気持ちを代弁している自民党員、その気分を反映した小泉さん圧勝の結果はすなわち国民投票の結果と大差ないだろーからこの際問題にすべきじゃない。

 むしろ気分でもって世の中がガラガラと動いてしまうことへの不思議さなり恐さなんかを考えるべきなんだろーけれど、そんな気分こそが読者だったりするメディアに警鐘も検証も求めるのが間違いで、もしも現時点での人気に後押しされた小泉さんが、その持論である構造改革へと乗り出して他の派閥から反発を食らったら、あるいは国民にも出血を求めるような政策を行って反感を抱かれたら、すぐさま叩きに回ること必定。かくして日本はますます合理さとはほど遠い、情動渦巻く中で衰退の一途を辿ってしまう。小泉さん本人に限って言えば、テレビなんかで見る演説とかインタビューとかの顔がこれまでのどこか達観した「総裁になんかなれねーよ」的冷笑の伺えるニヤケ顔とは違ってマジに総裁になって総理になって戦って行こーとするマジ顔になっていて、とてつもないことをやらかしてくれそーな予感があるけれど、それを応援する「気分」が別の「気分」にとって果たして代わられてしまうのかに、とりあえず決まるだろー26日以降は注目していきたい。まずは組閣だな、声ばかり大きな真紀子嬢の処遇あたりをチェキ。

 バランスと見るか保険と見るか。とかく中共(死語、ではないね)寄りと見られる築地魚市場新聞グループだけど、中のメディアで理想に依りすぎた空論ではなくリアリティのある”正論”を展開してみせることで、決して雲の上で下界もしらず漂っているだけではない所を満天下に知らしめるあたりになるほど、長い間を商売でもなかなかだけど理念の部分では未だ圧倒的なナンバーワンの地位を確保し続けている理由が見えるよーな気がする。「AERA」4月30日&5月7日合併号の台湾・李登輝前総統の来日に関連する記事は、書いている清水勝彦さんの持論かはたまた「AERA」に共通のスタンスかは預かり知らない所だけど、台湾の冷静さを指摘する一方で中華人民共和国の「裸の王様」ぶりをえぐっていたりして、本紙のどーしてそこまで気を使うの的なスタンスとは対極に位置する主張が繰り広げられている。

 「原則を変えたと中国側が受け止めるべきではない」とゆー本紙社説の部分だけを抜き出して「朝日だって李総統の訪日は認めてますよ」的なニュアンスを引っぱり出そーとしている”編集”はあるけれど、「中国の言い分は何でも聞くのが『日中友好』と思いこまされていた『一つの中国』の呪縛から、日本が解き放される契機となった」とゆー現実に即した認識も示されているし、「李氏が入国したからといって、日本人の果たして何人が、国内に台湾独立の支持者が急増し、日本『一つの中国』を放棄する事態を招くと考えるだろうか」とゆーシリアスな意見も展開されていたりと、総じて今回の訪日の当たり前ぶりを認める内容になっている。

 こーゆー柔軟さがなるほど強さの秘密になっている可能性はあるけれど、一方で妙なバランスめいたものが働いているんじゃないかとゆー、築地のメディアに結構見られる配慮の結果って可能性もないだけに、まんま信じて良いのかどーかちょっと悩む。所詮は雑誌で世論は本紙が作るってな意志の強さが背後にはあるのかもしれなくて、だったらちょっとでも傍流の意見が世論に近づけるよーなアピールなり宣伝なりを、手伝ってあげたいけれど、バランスを意図的に取っているんだとしたら登った途端にハシゴ外される可能性もある訳で、どこまで信じて付いていけば良いのかが分からない。政治と同様メディアにも信頼が大事ってことなんだけど、何せ前もいっぱい今も我田引水に牽強付会が日常だしなー。観察観察。

 牽強付会とまで言い切って良いのかは疑問だけど、場に似つかわしい文章を仕上げて来るって意味で斎藤美奈子さんの「AERA」連載中の「メンズ・マガジン・ウィークリー」は、雑誌の男らしさを斜に構えてイジるとゆースタンスが基本線になっているらしく、そこに見事にハマった文章を毎号毎号仕上げていてエディターが望む原稿をちゃんと仕上げてみせるライターとしてのスキルの高さにはなるほど感嘆せざるを得ない。ただし利害得失のなさそーな人たちがパッと読んだ時に「うんうんそうだね」と感じさせるものではあるけれど、槍玉にあげられた当事者の目に触れた時には微妙な(あるいは大きな)ニュアンスの差がクローズアップされて、技巧的な素晴らしさとは裏腹の関係にあるとも言える、技巧に走り過ぎた結果もたらされる本質への探求心の希薄さが見えてしまって気持ちを沈めてしまう。

 最新号の「AERA」で取りあげられているのはマガジンハウスから出ている「Tarzan」ってフィットネス雑誌だけど、「競技は見ないでカラダを見る」とゆーコンセプトに肉体への美辞麗句を並べたキャプションを三島由紀夫的だと言ってみせる、なるほどその想像の飛躍には流石と脱帽しながらも、もとより「Tarzan」に競技内容とか競技結果への考察なん読者は求めていなくって、ひたすらに自分のカラダのシェイプアップや鍛錬を求めていてだからこそその結果であるところの肉体への賛辞に、未来の自分を重ねて喜んでいるんじゃないのかってな意見もしたくなる。肉体への称揚を唄った三島との共通性を明示したいがために「Tarzan」とゆー雑誌が持つ本質を隠して似通った部分だけを抽出してみせる、これは手段ではあるけれどどーにも心の冷静さばかりが目立って仕方がない。

 思い出すなら16日に開催された切通理作さんと枡野浩一さんが出演した「ロフトプラスワン」でのトークショーで、「相田みつを」を特集したムックに寄稿した2人を斎藤さんが「週刊朝日」だかの記事で揶揄っていたことが話題になって、コラムとしての面白さなり結構の確かさは認めつつも、自分では決して認識していない「インテリ」と指摘されてしまったことへの枡野さんのとまどいとか、主張の部分だけがピックアップされて記事の主張に巧みに折り込まれてしまったことへの切通さんの迷いとかが表明されていた。自分が主張したいことなりメディアが主張させたいことへと向かってテクニックのすべてを使い面白い文章に仕上げてみせる腕は買うけれど、相手の事情にこちらの事情と事情ばかりを気にして前になかなか薦めず風見鶏だの蝙蝠だのと言われる身としてはやはり、技巧の前には情など一刀両断的なスタンスはちょっと荷が思い。そーなれたら良いな仕事もいっぱい来るだろーしってな思いはそれとして、やっぱり常に戸惑い立ち止まり見回し振り返りながら恐れおののきつつ、世の事柄をながめて意見を言って行きたいと思う。イバラの道すなわち貧乏への道まっしぐら、だなー。


【4月22日】 絵はヘンで設定もヘンなんだけどそのヘンさが不思議な化学反応を起こして微妙に面白いアニメになって来たアニメ版の「Z.O.E」。股間の突き出しも立派な桑島法子さん声のオービタルフレーム(ロボットだな)の、巨体に似合わない微妙なしなの作りっぷりはくどさよりも可笑しさを醸し出し、海に飛び込んで鯨を見に行く時の数度にわたって畳みかける水ざっぱんな描写も真夜中の惚けた頭には苦くない笑いを浮かび上がらせる。主人公のおっさんの娘の頭に乗ったり胸にかじりついたりする猫のアクセントも悪くない。絵じゃなく美少女でもなくメカでもアイドル声優でもない、脚本と演出の面白さでもって魅せてくれる久々なアニメって感じ。金曜の真夜中はキツいけど頑張って見続けよー。ところで発売中のOVAって面白いんだろーか。何か全然話とかつながってそーに見えないんだけど。

 夏実の暴れっぷりに美幸の抜けっぷりが前面に出て、起こる事件にドタバタとしながらも全体にホンワカとしたファミリー感が漂う実に「逮捕」らしい話になってたアニメ版「逮捕しちゃうぞ」の第3話。絵もまだ全然大丈夫だし来週も何か良さげだったんでこのままの軌道で突っ走れば、後半盛り返した前のシリーズにだって負けない、突出して話題になることはないけれど安心して見ていられるシリーズにちゃんとなってくれそー、葵ちゃんも出番多いし。たった2話で脇に戻った新米婦警には申し訳ないけど、メカおたくでもなければ力持ちでもない彼女には主役は荷が重かったってことで、あとは夏場の水着シリーズで前作のビーチバレーを超える作画&露出を見せてくれればオッケー、期待してまーす。

 堀江敏幸さんのサイン会とかあったんで行きたかったけど急な寒さに体調今ひとつで「東京国際ブックフェア」行きは断念してビデオ撮りしたアニメをひとしきり消化した後眠って起きあがって近所を散策に出る。全自動乾燥機付き洗濯機なんて人間の家事に対する堕落を促し太陽エネルギーによる衣類のふっくら感も失われそーだけど、それを超えて便利さと快適さをプレゼントしてくれそーな機械が果たして一体幾らくらいするものかを見物に行って、引っ越して来た時に買った二槽式の洗濯機もそろそろモーターが弱体化してるんで安かったら買い直すかなー、とか思って探して値段を見て15万円くらいしてやがって「バカヤロー」と叫ぶ、何故そんなに高いですか。

 まあ洗って絞って乾かす手間か面倒で前は毎週だったものが次第に何週間に1回しか洗濯しなくなってしまった経緯があって、放り込みさえすれば後は最後まで一気な全自動乾燥機付き洗濯機を買えば毎日でも洗濯できるよーになって、部屋に甘酸っぱいともほろ苦いとも言えたり言えなかったりする妙な匂いが漂う(発生源は靴下か)なんてこともなくなるんだろーけれど、問題は洗濯機を置いてある場所まで本の山をかきわけ庭へと抜ける戸の前までたどり着かなければならないことで、それからワイシャツ関係も昔は洗ってちゃんとアイロンをかけていたのに、今ではアイロン台すら広げる場所がなく、それより以前にアイロンがいったどこに埋まっているのか既に分からない状況だったりして、せっかくの全自動乾燥機付き洗濯機の利点を存分に活かせそーもない。そーこーしている内に夏が来て漂う匂いも一段を濃さを増すこと必至な状況に、果たして秋を無事迎えられるのかが目下の心配事でもある。「toto」当たんねーかなー、当たったら即引っ越しだ。

 敗北感にうちひしがれながら「長崎屋」を出て近所に3週間くらい前にオープンした「ダイソー」を見物。「ダイソー」って何? って人に説明すればデフレなニッポンにあってそのデフレ台風の中心で「ユニクロ」とツインな目玉を張ってる「100円ショップ」の元締めみたいな存在で、それがどーゆー訳か船橋の駅前そばにあったビルの上6階下1階のすべてを使った巨大な「100円ショップビル」を作ってしまったって訳で、入るとずらり並んだ商品のどれ1つにも値段のラベルが貼ってないのに驚かない、たって100円ショップだから。印象から言えば路面の小さい100円ショップを縦横に伸ばした感じで置いてある物にそれほどの違いはないけれど、プラスチック関係のカゴとか箱とかの種類は広いだけあってサイズも種類も抱負にあって、頑張れば家電関係はともかく家庭用品なら全部ここで揃えられそーな気がして来た。オリジナルの縫いぐるみとかもあって何故か種類がヒトデとタコと一角獣でおまけに全部同じヒョウ柄とゆー不思議さ。この適当さが安さの秘密か。

 やあこれはかわいい。枡野浩一さんと「毎日新聞」紙上で「君のニャは」って連載の写真部分を担当していて枡野さんのマンガ評集「漫画嫌い 枡野浩一の漫画評朝日新聞1998〜2000)」の写真とデザインも担当している写真ユニット八二一さんのサイトにオープンしたiモードのサイトで猫の写真とイラストと何故かガムテープの待ち受け画面用画像を提供中。草原の猫頭ってどこでどーやって撮ったんだろー。パソコンのモニターで見れば鮮やかに緑色とか出てるんだけど携帯ではどんな感じに見えるのかな。苦手なんでiモード持ってないんで確かめよーがないんだけど、最近の携帯って画像綺麗だからきっと携帯でも良い感じに奥ゆかしい猫の感じとか出てるんだろー。種類とか増えるといーな、携帯持ってないけど壁紙にして遊ぶから。画面を埋め尽くす猫猫猫。


【4月21日】 これからの出没予定を確認。とりあえずは29日の「カナディアン・バックブリーカーを食らいながらカナダドライ・ジンジャーエールを飲む会」、じゃなくって「SFセミナー」の特別編「カナダSFのなんとか」に参加。5月3日の本番と合宿も生きていれば出ます。決まっていなかった昼間の企画の残りの1つは「SFにおけるトランスジェンダー(性別越境)」だそーで谷甲州さんの「エリコ」なんかが話題になるみたいだけど個人的にはヴァーリィなんかにも触れて欲しい感じ。ゴールデンウィークが明けて5月10日は「本とコンピュータ」関連のシンポジウム「電子出版の未来・実践編」に紀伊国屋ホールまで。永江朗さんも出るのか。5月19日は前回ソールドアウトで涙を飲んだ溝口肇さんのコンサート。席は後ろで隅だったけど何とか1枚確保できた。コンサートが1人で行くものかどーかは後生だから聞かないで。5月12日にニューアルバムの「Angel」も出るみたいだし買って予習だ。

 5月26日は待望の鳥肌実さん大演説会「玉砕」が何と浦安の「東京ベイNKホール」で開催。心配してたけどチケットが送られて来てアリーナ席がとれたみたいで、鳥肌演説に指定席なんて似合わねーとか思ったけれど人気者なんで仕方がない。去年の夏の「日比谷野音」が今ひとつでその後の「中野サンプラザ」を飛ばしてしまったけど、「サイゾー」なんかで新機軸の「鳥肉拳」なんて編み出してたりして調子良さそーだし急激な人気の盛り上がりに挑めるだけのきっとテンションも高まっていることだと信じよー。そーいえばこの辺りで「月蝕歌劇団」の公演「怪盗ルパン 満州・奇岩城篇」が大塚の萬スタジオだかで開催されていたっけか。かたや暗黒の宝塚、こなた軍国の雄叫びが東京のあちらこちらで演じられる凄い日になりそー。どっちも見たいけどとりあえずは鳥肌だ。

 体調優れず仕事も放り出して読書の日々。まずは上巻が出た時はきっと続きが読みたくなって身もだえするだろーから買うのを見送っていた賀東招二さんの「フルメタル・パニック!」シリーズ最新巻「終わるデイ・バイ・デイ」をようやく発売なった下巻も含めて一気読み。軍事オタクな少年が平和ボケした日常の中でドタバタを演じるどこかメタ的な趣も短編なんかで感じられたりしたシリーズだけど、強い任務への意志とそれから戦闘に関する鍛え抜かれた神経があっての日常とのズレだったことを明らかにしつつ、そんなズレを楽しませるだけの物語には収まり切らなくなった話を次の段階へと引き上げていく重要なエピソードになっている。

 エンディングこそこれまでと変わらない平和な日常でのドタバタチックなシチュエーションが描かれているけれど、裏側にあるそれぞれの事情の大きな変化が果たしてこれからの物語の中でどんな効果を上げて行くのかにとりあえず注目。「愛はパワーだ」的な他に類の多いシチュエーションを主軸に浮かび上がらせてしまったからには、他にない圧倒的な戦闘描写とキャラクターのパワーそして新キャラの登場なんかもあってググッと広がった世界観への歓心でもって、これまで以上にぐいぐいと引きずり込んでいってもらいたい。まあ大丈夫でしょう。あとがきの署名の下にある「カンフーファイター大肯定派」とゆー言葉に世間的にはきっと少数派な「カンフーファイター大々肯定派」としてとっても勇気づけられました。「フルメタ」ファンにも広まるか「カンフーファイター」。

 なおも読書。野尻抱介さんの最新刊「ふわふわの泉」(ファミ通文庫、640円)は表紙の椅子に腰掛けている眼鏡っ娘の見えてないんだか見えてるんだか分からないミニスカート姿に目がググッと引きつけられる、うーん弱い。実験をしていた女子高生がふとしたはずみてとてつもない物質の製造方法を発見してしまって大騒動。会社を作って商品を生み出してそれが人間のライフスタイルを劇的に変化させテクノロジーも激しく進歩させた所に、宇宙の彼方からこれまた得体のしれない何者課が到来してひと悶着あったりするストーリーは、流石に「日本SF作家クラブ」より先に「宇宙作家クラブ」の会員であるとプロフィールに書かれる人らしく、物質にしてもテクノロジーにしても考証への妥協がなくって楽しい中にもカガクノチカラへの読む人の知識とか関心を高めてくれる。それでいて単なる学習小説にならないストーリー性、思弁性はエンターティナーとしての小説家の実力であり矜持だろー。

 ヤングアダルトなパッケージの関係ってことであの分量に治めなければならなかったんだろーか、繰り出される豊富なおかずが時にハイスピードだったり時にてんこ盛りだったりして一気に食べるにはなかなかに大変で、テーマに関心のある人だったら受け付ける胃でもまったりのんびりと読書を楽しみたい人の胃にはちょっぴりキツい所があるかも。たとえば冒頭の発見からそれがもたらした空中コミュニティーの生成あたりまでを前半のハイライト的な扱いにして陰謀とか騒動とかを起こして盛り上げつつ、テクノロジーの良い面悪い面なんかを読んでいる人に考えさせ、それから後段の軌道エレベーターからコンタクトの部分へと至る「宇宙編」でもって、人類の弱い部分と強い部分を描き込んでいったら、クラークだってヴァーリィだって驚きのスケールの大きなSF大作になったって気もしないでもない。

 人間が宇宙に出るに厳しい種族だってな問いかけはなかなかに重くって、その理由になっている独立下存在ではなく人間は誰かしら何かしらとの関係性の中で成立している存在なんだって指摘の案外と社会学的にも哲学的にも言えそーな部分を、つきつめれば人類の存在意義にも迫る思弁小説になったかもしれないけれど、そーいった部分への注意を促しつつも主読者になる10代の少年少女が読んで頭を決してひねらないよー楽しい展開の中でチラリと示唆するに止めるあたりの抑えっぷりを逆に買うべきなのかもしれない。未来を夢見る10代が絶望しないよーな道を示している辺りにも熱血に前向きな野尻さんのスタンスが感じられたりする。

 たまたま一緒に読んだ山田正紀さんのこれは再刊になる「チョウたちの時間」(徳間デュアル文庫、619円0)でも人類が宇宙に出るに足る存在なのか否かが問われていたりして、絶望を一瞬感じさせつつそれでも諦めない大切さを訴えていたりして、方や厳密な考証の上に創造してみせた空間のビジョン、こなた理論の彼岸に想像してみせた時間のビジョンと違いはあっても共に人類の可能性を教えてくれる2冊のSF小説が、どちらかといえばお先真っ暗なこの時代、つまらない大人にしかなれそーもないんじゃないかと誰もが思ってるこの時代に揃って登場した意味は大きい。併せて読むが吉。ちなみに「チョウたちの時間」は表紙とイラストが緒方剛志さんで解説が上遠野浩平さんであるいは「山田正紀って上遠野浩平の変名?」なんて思う若い人が出たりするのかも。緒方さん描く表紙の少女がこれまたミニスカートなのもシンクロニシティー? とりあえず見えてる(黒いけど)ってことで表紙コンテストの軍配は「チョウの時間」に、決定。


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