縮刷版2001年4月中旬号


【4月20日】 んな訳で買ってみたけど永瀬唯さんの「腕時計の誕生 女と戦士たちのサイボーグ・ファッション史」(廣済堂出版、1000円)は、最初のサイボーグ・デバイスとして腕時計があったんだとゆーどこかソソられる主題が開陳されながらも本編の方はと言えば、過去の図像とか文献から腕時計がいつ頃から使われ始めたのかってな話がメインになっていて、本来持っている能力を機械によって拡張されたのが「サイボーグ」とゆー定義から想像していた、腕時計によって何か大きく変貌をとげた人間ってな感じの話はあんまりない。まあ連載されたのが腕時計を扱う雑誌だから腕時計の歴史が話の中心になるのは仕方がないことで、腕時計のファンに腕時計の持つ単なる道具だけじゃない意味を付与して楽しませてあげるコラムとして読めば、いろいろと分かって十分過ぎるくらいに為になる。ボーイスカウト経験者にはお馴染みなベーデン・パウエル卿(本文だとベイドゥン・ポウエル)のボーア戦争での働きなんか面白い。

 果たして腕時計がサイボーグ・デバイスか、とゆー議論を専門家相手にする勇気はないけれど、早く走れるよーにした自動車とか空を飛べるよーにした飛行機の方がサイズこそデカくてもまだ人間の能力を拡張してみせた機械のよーにられて、腕に時計をはめて時間が常に分かるよーになったぐらいのことで、自動車とか飛行機以上の利益が人間にもたらされたかを考えた時に、なかなか目の覚めるよーな例を思い浮かべることができず、サイボーグとゆーどこかパワフルなイメージを持った言葉を腕時計に対して使うことに、ちょっと迷いを感じてしまう。文化や社会をドライブするだけのパワーを道具の価値には求めたい身として、どちらかと言えば社会や文化の変化の中から必要に迫られ派生して来たっぽい雰囲気が腕時計にはあって判断が難しい。

 もっともそーいった文化とか社会との関わりよりも、人間の身体にもっと密着した部分で機械化が果たされるか否かが「サイボーグ」とゆー言葉を使う使わないの差になっているのだとしたら、乗り物に過ぎない自動車も飛行機はちょっとサイボーグ・デバイスとは言いがたい。社会や文化をドライブするパワーの有無という点で、人間のコミュニケーションに劇的な変化をもたらした携帯電話もなるほどサイボーグ的ではあるけれど、フトコロにしまったり首からぶらさげるだけで肌に密着していない部分がちょっと、サイボーグ・デバイスとまで携帯電話を言い切らせることへの抵抗になっている。とは言え現実に腕時計型のPHSとか生まれている訳だし、腕時計自体も時間を知る以外のさまざまな機能を盛り込みながら進化している訳で、腕にとりつける機械とゆー形態から喚起される思想としてのサイボーグ・デバイスだった「腕時計」は、名実ともにまさしくサイボーグ・デバイスとして遠からず人間の暮らしに入り込んでは何か変化をもたらしてくれそー。機会があったらそんなビジョンへの考察なんかも書いて頂けたら嬉しいかも。

 どちらかと言えばサヨクで、ってゆーか見栄っ張りで自意識過剰で世間を斜めに見ていたい心理が、国家だとか権力だとかいったものに対して反発しているサヨク的なスタンスにシンパシーを抱かせている関係で、そーしたニュアンスを感じさせる日本でも残り少なくなったメディアであるところの「朝日新聞」の言論には、否が応でも期待が高まっている訳なんだけど、自分たちは間違っていなかったんだとゆー言説でもって情感に働きかけつつ、理論の面でも手続きの正当性を訴えて攻めて来た教科書問題におけるウヨク的なメディアの言説を前に、それをはねかえせるだけの情はもとより理さえも打ち出し切れなかったことを深くふかーく憂慮していて、このままだったら日本はいったいどこに行ってしまうんだと心配していた所に巻き起こった李登輝・前台湾総統の訪日問題。果たしてどんな言説でもって挑んでいくのかを注目していた。

 とにかく相手は強い。日本に行かなければ死んでしまう、かもしれないとゆー「人権」を前面に押し出しての訪日要求を、ただでさえ「人権」に思慮深い「朝日新聞」がはねかえすには並々ならぬ理論の構築が必要で、考えるなら人間ひとりの命を危険にさらしても、守らなくてはいけない日本国民と中華人民共和国人民との友好的な関係があるんだってことを、例えば経済、あるいは文化、それとも科学農業社会といった部分における影響なんかを挙げて説明して、それなら仕方がないと納得させなくてはならなかった。けれども他の新聞が1面とあとは政治面か外交面で扱っていた中で、1面トップ5段見出しでほか関連記事を並べただけに留まらず、2面3面4面を使って量だけは派手に展開したにも関わらず、「朝日新聞」の李登輝前総統の訪日問題に関する論ではちょっと、濁流のよーに流れる「人道」とゆー情に勝つのに苦労しそー。

 まずもって情に対する理論が薄い。日本と中華人民共和国との関係がこれでどれくらい冷え込んで、それが市民にどれくらい影響を及ぼすのか説明がない。情に弱くてもこと問題が我が身に及びそーなことなら前言を翻して守りに入る日本人、たとえば企業の進出が難しくなるとか、パンダが当分もらえなくなるとか黄砂に交じって危ない物質が飛んで来るとかチョコエッグのフィギュアの色が塗ってもらえなくなるといった事例でも並べて脅し、じゃなくって説得を試みれば「だったら李さんには来てもらいたくない」なんて世論が巻き起こったかもしれない。なのに紹介されているのは「政治家が決めれば官僚は従わざるを得ない。でも、後で日中関係がどうなっても悲鳴をあげないで欲しい」とゆー無責任きわまりない外務官僚のコメントくらいで、だからどうなるんだとゆー具体例がない。あの高潔にして思慮深い中華人民共和国が、目には首を歯にも首をの恫喝を仕掛けてくるとは信じられず、具体例なんかはとても想像できないのかもしれないけれど。

 唯一挙げられた具体例があるとすれば、それは五十川倫義・中国総局長が寄せた文章の中にある「5月の李鵬・全国人民代表大会常務委員長(国会議長)の訪日、来年にかけての自衛隊・人民解放軍の観戦の相互訪問」への影響で、「国交正常化から29年で、ようやく日本の艦船が中国の港に入る段階までたどりつけそうだ、との感慨が双方の外交関係者にあった」ものが、これで元の木阿弥になってしまうんじゃないかとゆー懸念が示されているけれど、それが日本と中華人民共和国との関係にどれくらい重要なことなのかが今ひとつ伝わって来ない。なにしろ世界的な運動であるところの多国籍軍なりPKOに関連した輸送任務であったり、遠く異国で騒乱に巻き込まれた同朋の救援であったりしても、自衛隊の艦船飛行機の類の外国への派遣にケチを付けてつけまくる「朝日新聞」。そーしたスタンスを乗り越えるだけの強く大きな意義、それは「朝日新聞」が中国シンパだとか、新しい支局を作らせてもらえる権利がもらえるとか言った私的なものでは絶対にない、日本にとって歴史的な意義が、自衛隊の艦船の中国への入港にはあるに違いない。是非とも詳しく教えて欲しい。

 それでもまあ、理が薄いと見るや辞めていく森総理が昨年秋になにやら台湾側と密約めいたものをしていて、それを果たそうとしたんだとゆー政府批判に矛先を転じて攻めてみたり、病気なんだと良いながらもゴルフとかやったり1時間以上も立ったまんま熱弁をふるう李登輝前総統はホントは元気なんじゃないかとゆー揚げ足取り、じゃない急所を衝くどこも書いてないよーな記事を台湾から送らせてみたりと、これまた情に働きかけて政府の無策、台湾の謀略といったニュアンスを醸し出してみたりする辺りの対応はまずまず。世の中の多くがあまりにも頑なで強引な中華人民共和国と、その意思に従って行動しているかのよーに思っている外務省に対して冷たい視線を送り始めている中で、そーした全体主義的風潮に敢然と挑み中華人民共和国は哀しんでいる、外務省は政府に翻弄された被害者だってなニュアンスを醸し出そうと頑張るレジスタンスなメディアをどーして天の邪鬼として応援せずにいられよー。これからもガンガンと情に棹さし続けてやって頂きたい、水平線の彼方へと流される恐れなど抱かずに。

 「タワー・レコード」に「HMV」の進出で影の薄くなっていた新宿の「ヴァージンメガストア」だったけど、丸井の地下を出て近所にビルを立てて地上3階地下1階の巨大なフロアを持つ店へと模様替え。そのお披露目があって気球野郎のリチャード・ブランソン会長も来日するってことで見物に行く。パッと見それほど他の外資系の店を変わらず、場所も新宿駅から1番遠くって不利かもってことを社長の人に言ったら大反論。「インターガイド」ってCDの検索なんかをしてくれる機械にタイトルとかの検索だけじゃなく店のどこにあるのかまでも調べられるよーな機能を付けて置いてあるとかで、試してみるとなるほど何回のどの辺りに当該のCDが置いてあるかが、マップで示されるよーになっていて、プリントアウトも出来た。ちょっとトんがってそーな若い店員に聞いて小馬鹿にされることもこれでなくなり、オジさんの音楽ファンも安心してCDが探せそー。220台も試聴機があったり店内にソファも置いてあったりと、来て見て触って楽しめるエンターテインメント空間に仕上がっていて、これなら新宿駅から「タワー」を横目に歩いて来る価値がある。夜の11時まで営業ってのもウリだそーで、三越新宿南館滅亡の後衰退していた人の流れを再び新宿3丁目まで引っ張るランドマークとなり得るか、ちょっと観察して行こー。手前の吉野屋250円牛丼で止まるなよ。


大テープカット 【4月19日】 死にそうになりながら早起きして「東京国際ブックフェア2001」。途中の飛ばしとか無かったら多分これで94年から8年連続で見ていることになるけれど、最初に見た時から仰天した記憶のある、ブックフェアに参加している国の大使とか公使とかがまとめて揃って臨む大名行列テープカットは今回もしっかりと健在。すでに恒例行事と主催者側でも認識している感があって、スタート直前になると「テープカットが始まりますよー」と参列者の呼び込みなんかやるよーになっていて、普通のイベントのテープカットだと主催している関係の人とかしか集まらないのに、「ブックフェア」だと出展者とか通りがかりの人とかで人垣が出来上がる。加えてメディアなんかにもこの大名行列テープカットのビジュアル的な迫力が知れ渡って来たよーで、見やすい場所に陣取ってその日本的形式主義ってゆーか儀式好きな所をしっかりカメラに収めてた。

 人数でいうなら50人くらいに及ぶテープカットに参加している人の名前を、肩書きも含めていちいち全員呼んでいくから紹介が終わるまでに時間がかかって仕方がない。全員分のハサミと手袋を渡すのも一苦労で、オープン予定の10時を20分とか過ぎてよーやく展示会場へと入ることが出来た。とりあえず「ボイジャー」に行って萩野正昭さんを拝み(手をあわせたくなるんです何故か)、アドビ・システムズに行って個人的にはいささか苦手なPDFベースの電子ブック関連ソフトを見物し、角川書店に寄って偉い人たちを眺めてとりあえずの仕事は完了。デジタル系の展示会なんかと違って派手な新製品の披露がある訳じゃないんで、半分は見物と挨拶と後は安売り本のめぼしいところをチェックするのが初日の目的になっている。今回は国書刊行会がオール2割引きでちょっと良さそう、「アーカムハウス叢書」とか「文学の冒険」とかもあったけど「山尾悠子作品集成」もディスカウントで買えるから近くに住んでいる人は見るよろし。

 河出書房新社で「須賀敦子全集」全冊揃い限定20セットが2割引ってのもあって欲しかったけど持ち合わせなかったし買っても持ち帰るのに苦労しそうだったんでパス、でも週末にまた行くかも。バーゲンブックのコーナーでは去年荒木経惟さんの写真集を買ったけど、今回はトレヴィル関係で山口椿さんの「雪香ものがたり」(1900円が750円)と「恋寝刃地獄聞書」(2200円が750円)を拾って巽孝之さん編の「身体の未来」(2800円が1100円)も拾う。「身体の未来」は1冊しかなかったんでラッキーかも。けどもしかしたら既に購入済みで部屋のどこかに沈んでいたりする可能性もあるからなあ、まあいいや。バロウズ関係は探したけれどバーゲンに出すにはもったいないくらい売れているのか見つからず。掘れば出てきたかもしれないから週末に目を皿にしよー。

 あと大リーグが盛り上がってる今だったら注目されたかもしれないけれど、出した当時は売れなかったんだろー東京書籍の「アメリカ・コラムニスト全集」に所収の「球場(スタジアム)へいこう ロジャー・エンジェル集2」(棚橋志行訳、2500円が930円)も並んでいたんで買う。野球への思いが単なるスポーツイベントのリポートとかスポーツに関連する人物の紹介だけにならず、立派にアメリカ社会の批評になっている所に、コラムニストの力量とそれから野球がスポーツとして社会に溶け込み尊敬を集めているアメリカという国の大きさ、深さを知る。例年にも増して大リーグへの関心が強まっている折りでもあるんで、アメリカに伝統の野球に関するスポーツコラムを集めて、イチローに嫌われている扇情的な日本のメディアとはひと味もふた味も違ったアメリカン・スポーツコラムの神髄をまとめて刊行して、マスコミも含む日本のスポーツ界に引導を渡してやったら面白いんだけどねー。ロジャー・エンジェルはあと同じ叢書の「シーズン・チケット」も出ていて残念ながら手持ち不如意が祟ってパス。やっぱり週末にリベンジだ。

 廣済堂出版のブースを通りかかって、さっきバーゲン本で「身体の未来」を買ってしまったのは偶然ではなく何かの因縁かもしれないと思ってしまったのは、20日創刊の廣済堂ライブラリーのラインアップを見てしまったからで、何が因縁かと言えば創刊4点の中に永瀬唯さんの「腕時計の誕生 女と戦士たちのサイボーグ・ファッション史」(1000円)とゆー本が入っていることで、それとゆーのも「身体の未来」には実は永瀬さんによる腕時計を取りあげた一文が入っていて、これまでイベントなんかで姿は見かけても怖そーだったで挨拶もできなかった永瀬さんだけど、1日に2回も名前を見てしまった以上はきっと今年の僕にとっての”運命の人”なんだろーと覚悟を決めて、「SFセミナー」なんかではちゃんと挨拶しよー……うーん、やっぱり怖そーだなー。ちなみに廣済堂ライブラリーの刊行に関連して池袋だかの「ジュンク堂」で連続セミナーもあるみたいで、永瀬さんも5月の10日だかに登場の予定。セミナーで臆したんなら次そっちに出没してアタックだ。

 夕方からセガの会見。発売延期を発表するよーなハードがすでにないのは経営者の精神衛生にとって良いことかもしれないけれど、ちょっとした寂しさはあったかも。発表のメインは経営面の構造改革で当然ながら構造改革推進本部長こと香山哲・共同最高執行責任者の登壇となった訳だけど、颯爽と登場してしかるべきな香山さんの腕がなぜか両方とも三角巾で吊されていて添木もちゃんと入っていて、あるいは悪い人にイジめられでもしたんだろーかと心配したらご本人から昨日自転車で移動中に車と接触して片方骨折片方脱臼の悲惨な目にあってしまったと言及があった。普通だったら安静にしてたいところなんだろーけど「いないとセガに何が起こっているんだと言われるんで」気張って会見に臨んだらしー。

 発表自体にはとりたって驚く所はなかったけど、気になったのは会長として登壇したCSK会長でもある福島吉治さんの威勢の良さで、時間がない喋ることがないとか言いながらも登壇してから熱く激しくセガのこれからのことを語りまくって、それも単なるスーパーでスペシャルなソフト会社になるんだってな一般的な未来を超えて、金融と製造と流通がすべてにおいてネットにフォーカシングして来る時代にあって、ネットにシフトして来たセガも変わっていかなくっちゃらないってな結構壮大なビジョンで、もちろんセガが銀行やるとかスーパーになるとかいった短絡的なものじゃなく、他の業種がネットの上でビジネスを手広くやろーとして来た時代において、セガならではの持ち味を提供してアライアンスを組みつつ広く社会に浸透して行こうってゆービジョンみたい。

 なるほど気持ちは分からないでもないけれど、あくまでも大川功さんが社内基盤に財力も含めたバックグラウンドを持って発現したら分からないでもないってことで、ちょっと前まではどちらかと言えば黒子っぽい雰囲気で会見なんかでも発言せずに座っていた福島さん(野村投資信託委託社長の時だって静かだったよーな記憶がある)が、ここに来てグループ全体の将来的なビジョンを熱く語り始めたことから、大川さん亡き後のグループ全体の求心力ってゆーかブラックホールってゆーかとにかくパワーの濃い場所がどこら辺にあるのかが見えて来たよーな気がする。「40年のインベストメントバンカーとしての経験を活かして」なんて言っていたところから想像するに、外交的な部分でこれから相当な”活躍”をしそーな雰囲気がアリアリ。ビッグネームとの提携なんか決めた日にゃあビジネスマンとして箔も付くってもので、長い人生の終盤で大きな花を咲かせたいって意欲がどんな方向にばく進していくのか、回りとの関係なんかも含めてしばらく観察して行こー。


【4月18日】 「銀河鉄道999」よりは後で「宇宙海賊キャプテンハーロック」よりは前だったかな、覚えてないけど「クイーン・エメラルダス」よりは前だったかに記憶している松本零士さんの「4畳半」モノの秀作「大純情くん」がようやくもって文庫版にて再刊されたんで早速購入、SF的なスケールの大きさだと時空が入り交じる「ワダチ」の方に支持が集まりそーだけど、4畳半とゆー定点から見た地球の、人類の滅亡と復活のプロセスはなかなかにハードで背後にある機械化参謀部対機械化反対組織との表には出てこないバトルなんかへの想像力を働かせながら読むとなかなかに奥深いものがある。個人的には「ワダチ」より「おいどん」より好きかも。

 貧乏でバイトに明け暮れ女性にはまるでモテない大山登太が主役を張った現代物(とは言っても今から見れば過去だけど)の「男おいどん」に主人公の設定で似たところはあるけれど、悲惨な境遇にペーソスが漂っていて直視するのが結構辛かった「男おいどん」に比べると、こっちの主人公の物野けじめは貧乏だけど周囲にいる人たちが良い人で虐められても救いがあって何より島岡さんってゆー謎の美女が現れては助言をしてくれて、辛さよりもむしろ羨ましさの方が先に立つ、ご飯とか結構ちゃんと食べてるし。この余裕、「999」が結構売れて作者の境遇が激変して来てたってのも関係あるんだろーか。

 ほとんど「少年マガジン」だかの連載で読んでてKCで出た単行本ももちろん買ってて、それでも「単行本未収録」の話があるって帯に書いてあって、一体どれだったんだろーと読み返してみたけど全部ちゃんと記憶にあってちょっと思い出せない。昔の単行本を読み返せば瞭然なんだけど今手元にないからなー。ラス前の「探検隊出発!!」が妙にカスれて雑誌あたりからコピーしたみたいに見えるから、あるいはこれが原稿紛失なんかの影響で単行本に入っていなかったかもしれない、本当はどーだか知らないけれど。話自体は記憶にあるから連載では読んでたってことでしょー。そのあたり解説とか付けて事情説明して欲しかった。

 いや凄い。ホント凄い。新人らしーんだけど歳はそれなりに行ってる上田秀人さんて人が文庫のために書き下ろした時代小説「竜門の衛」(徳間書店、648円)の面白さと言ったらノンストップのジェットコースターに乗せられて山あり谷ありのコースを一気に連れていかれた感じで、途中で止まるなんてもっての他、読み始めたら最後まで読み切らなければ胸に欲求不満が溜まって仕方なくなること請負です。解説とか帯って時に(たいてい)大袈裟になるものなんだけど、縄田一男さんの「ページを繰るのももっどかしい。読んで後ひく痛快時代劇」とゆー声もまんざら嘘じゃないどころか、逆におとなしーぐらいかもしれない。それくらいに面白い。

 大岡忠相の配下で南町奉行所の見回り同心として若いのに活躍していた三田村元八郎は、将軍の嫡男暗殺を画策する謎の一味を撃退した功績とかが買われてか、あるいはかつて忠相の下で隠密同心として働いていた父親から続く因縁か、寺社奉行に転じた忠相に雇われて将軍家の世継ぎをめぐる陰謀を暴くためにいろいろと仕事を命じられる。ちょっとした手がかりから事件の深奥へと迫っていく推理小説的な楽しみもあれば、冒頭から登場する謎めいた美女とか元八郎が京で出会う皇族なのに気さくで思慮深い親王とか薩摩示現流の使い手で元八郎と正々堂々の勝負をのぞむライバルとかいった人間たちとのドラマの多様さもあって、それこそ上がったり下がったりの興奮を頭から尻尾まで味わえる。ラスト近くの将軍様からの拝領物、これは欲しい是非欲しい。

 何より朴念仁に見えてもその実一子相伝の剣法を使ってむらがる敵をばったばったとなぎ倒す元八郎のカッコ良さが、眼鏡と取ると実は美人だったり軽薄に見えて実はやり手だったりする、人間が抱く「本当の自分」への憧れを喚起してくれて楽しめる。吉宗の時代を揺るがした「天一坊事件」への言及とか、町奉行とか同心とか与力とか寺社奉行とかいった江戸時代に特有のシステムについての分かりやすい解説もあって、いわゆる同心物だったり岡っ引き物だったりする時代小説をこれから読もーとする若い人たちにとって、入門書としての役割を果たしそー。厳密さって面ではもしかすると面白さを優先するあまりに欠けてしまった所があるかもしれないけれど、おっさん受けしてばっかな時代小説に新しいファン層を送り込む装置になればとりあえずオッケー。シリーズ物にはなりそーもないけれど、持ち前のストーリーテリング能力に魅力的な人物造形力があれば別の話だって時代だってきっと大丈夫でしょー。再び縄田さんのコメントを引用。「早く次作を」。ほんと早く。


【4月17日】 築地方面で取材したあと東銀座に向かって歩いていたら遠くに見えた吉野屋の看板に250円牛丼も1度は食べておくかなー、とか思ったところに飛び込んで来たのが「小諸そば」の新メニュー。天丼にかけあるいはもりが付いたセットがエビ天を1匹余分につけて値段が800幾らしていた「天丼セット」が何と580円の低価格ぶりで、すぐそばにある「たつ屋」も牛丼が300円になっていたりして世はなべて食い物関係の低価格バトルがそこいらじゅうで繰り広げられているとゆー実感を持つ。デフレ万歳。この勢いが大好きな「CoCo壱番屋」も波及してくれたら嬉しいんだけど、辛さ巧さに独特な「ココイチ」は味と雰囲気で抜けた「スターバックス」と同様に値段じゃない部分で客を惹き付けられるから、「スターバックス」が「ドトール」「プロント」なかと競争しないが如く、カレー戦争は起こりそーもなさそー。無念。

 あーくそコノヤロ、と妹さんじゃなくてもきっと少女漫画について書いている人のおよそ9割9分から思われただろーこと請負な、待望の再刊なった吉野朔実さんの名作「月下の一群」(吉野朔実、集英社文庫)に解説で登場の枡野浩一さん。「お兄さまもえらくなったのね……」なんて感涙のメールが妹さんから届いたなんてあるけれど、これからはきっとカミソリの入ったメールが(どんなだ)ガンガンと届いて、漫画好きにとってエバーグリーンな吉野朔実さん作品の解説を書くとゆー栄誉を獲得した枡野さんに対する嫉妬とやっかみと羨望の様を実感してもらえることだろー、あー羨ましいぜ悔しいぜ。

 それでも一般的な知名度から言えばトップにはたぶん来ない「月下」だからこれで済んでいるよーなもので、もしもこれが吉野さんと言えば思い出す人の多い「少年は荒野をめざす」の解説だった日には、解説を書いた人の所には手紙やメールの類は当然として歩けば電柱の影から羨望ビームが浴びせかけられ、眠れば夢に陰陽師が現れ嫉妬の呪詛とかが呟かれ続けるだろー。つまりそれだけ吉野さんの作品については語りたい、話したい、誉めたい薦めたいとゆー人が多いってことです。

 予定とかどーなってるか分からないけど「ジュリエットの卵」が出て「月下」と来て「少年」に行かない筈はない。とりあえず「ぶーけコミックス」から「マーガレットコミックス」に所収先を代えて刊行されてはいるけれど(今でも出てるのかな)、同じ判型で揃えたいって人向けに文庫化が成った暁には、巻数も長いことだしきっと解説希望者の大津波が集英社かあるいは「ジュリエット」みたく小学館かはともかく版元の電話を鳴らし続けることだろー、枡野さんからの電話もたぶん含めて。競争率も高くなること必至だから、ここはやっぱり初期の作品なんだけどさらに省みられてなさそーな「HAPPY AGE」の方に立候補するのが勝てる道かもしれない。でもやっぱりファンだったら「少年」の解説に名前を残したいだろーなー、大傑作だもんなー。

 「大学生になったらこんな毎日が過ごせるのかなあ……と、吉野朔実の初期の代表作『月下の一群』を久々に読み返しながら夢想する私」(264ページ)とゆー枡野さんが寄せた解説の冒頭は、学生運動とかいった大学生たちの日常すべてを取り込んだ70年代の喧噪からはずれて、バブルへと向かう過程にあってノホホンとした日々を過ごし、未来についての不安もとりたててなく、社会問題とか政治問題とかについて別段深くは考えず、モラトリアムを決め込むほどに学生という身分にもこだわっていない、何となく日々を過ごしていた80年代の学生たちが思い返しては抱くキャンパス生活への憧憬を、割と端的に表しているよーに思う。

 まあ今の学生だってそれほど大差がある訳ではないけれど、発表された前後の時代の空気を知る人間にとって、80年代の気質なり風俗なりがつぶさに反映された”理想”の学生生活に見えるんだよなー、K大椿町校舎における建築家の学生たちの日々は。枡野さんと同様にもはや「さすがに『それは無理』とわかって」(同)いるし、実際に過ごしたキャンパス生活は所在が田舎だったこととか周辺に女性の影がなかった(個人的にってこと。数だけなら文学部だったんで半分以上は女性だったなー)こととかあって、あの時代に還れたところで「月下の一群」みたくは当然ならないけれど、だからこそ自分が得られなかった”理想”をそこに見て、学生に戻りたい、それもK大椿校舎の面々の中に飛び込みたいって気持ちが湧いて来るんだろー。かえすがえすも読んで取られて悔しい解説。内田善美さんややるまいぞやるまいぞ(再刊とかたぶんしばらく出そーもないけど)。

 名古屋の川にワニが出たとかゆーニュースが流れてどこの阿呆がワニなんか流したんだろーとニュースを見たらこれは吃驚、逃げたのは天白区にある天白川だそーで去年だかの大氾濫に続いて今度はワニの住む川としてクローズアップされた訳で、名古屋の天白区に実家を持つ身としては嬉しさの自然頬がゆるむ。ワニが逃げ出して笑みとは不謹慎なと怒られそーだけど、人を喰うほど巨大なワニが逃げ出しているんじゃないだろーから、例え天白川にワニがいたって気にせずちょっと大きなトカゲが泳いでるくらいに思って、だったら派手に追いつめる必要なんてないじゃんと考えるのが妥当な流れ。むしろ水害に続いて再びな脚光を浴びさせてくれた存在として、捉えず逃がさず奉る動きが出て来そー。しかし本当にワニだったんだろーか。いつか帰郷する日まで頼むからハンドバッグにされるなよ。


【4月16日】 夏コミとか密かに期待してるんだけど立て襟で肩にチョロリとかかった上着の下は裾を引きずりそーな白い衣って感じの女剣士・桜のコスプレは、夏にやるにはちょっと暑いかもしれないからやっぱり冬まで待たなきゃいけないんだろーかと思いつつ、秋葉千景さんの「ルナティック・カーニバル」シリーズ第2弾「月を彷徨うモノ」(角川スニーカー文庫、520円)を読む。だいたいが衣よりも長い髪と朱塗りの鞘に収まった刀は、ちょっとやそっとのコスプレだと雰囲気が出ないだろーし、何より伊藤真美さん描くところの桜の眼光鋭い美貌を目の当たりにすれば、幾ら好きだと言ってもなかなか真似は出来そーもない。それでも113ページとかの月をバックにスカートのすそ翻して刀を華麗に振り回す桜の立ち姿を見るにつけ、絵だけじゃない動く所を見てみたいとゆー気が起こるのが人情ってもので、我こそはと思わん名だたるコスプレ関係の人には、是非とも挑戦して頂きたいところだけどその前に本自体がもーちょっと知られる必要があるよなあ。

 前作「月が墜ちる夜」で語られた所によれば、物理的な面では一切の変化がないままに、人間の意識において巨大に膨れ上がった月が地球を包み込んでから幾星霜、遺伝子だか魂だかにあった何かが月によって刺激されたか異形の存在へと変容を遂げてしまった人間たちが暮らす地球で、稀に大落下の影響を受けずに昔ながらの人間のまま生き残っていた存在があって、そんな2人だった京四郎と桜のコンビは、月の影響で暴走して鬼やら妖怪変化の類になってしまった元人間たちを排除する「夜狩り」を生業として暮らしていた。見目麗しい姿態とは正反対に剣を取っては世界一かもしれない桜に、とりたてて特技がある訳でもないのに不思議と強い京四郎が、その身に迫る危機を乗り越えて迎えた前作のエンディングから一転、続編は人工知能を搭載した喋る車を別の街へと運ぶ仕事が2人にのしかかり、「夜狩り」の仕事だからと逆らえないまま2人と1台の珍道中がスタートする。

 とってつけたよーに登場した小道具がとってつけたよーに利用される展開が気になったけどそもそもが車を遠くに運ぶ任務自体がとってつけたよーなものだった訳で、「夜狩り」の2人がもっと大きな何者かによって操られている感じがかえって出ていて良かったのかも。どーしてこの2人がってな説明のそれほどなされないまま、荒れ果てたハイウェーを行きながらいろいろな人とか事件とかに出会うロードノベルの形式が展開される部分は、連続したシリーズの中ではつながりとして理解できても単体として読むとちょっとインターミッションっぽくって盛り上がらない。けど中に描かれる2人に対する関心の高さぶりなんかも描かれているから、そーした情報を咀嚼しながら今度こそは繰り広げられるだろー物語世界の謎の開陳に期待しよー。もちろん桜の活躍がたっぷりと文章にもイラストにも描かれるおとが前提だけど。

 石黒一雄でも石黒和夫でもない(一応はあったんだろーけど)カズオ・イシグロの新作「わたしたちが孤児だったころ」(入江真佐子訳、早川書房、1800円)は聞くところによれば探偵小説らしく、1930年代にいっぱしの探偵として名をあげていた主人公が、幼い頃に住んでいて両親とはぐれてしまった上海へと乗り込み謎の解決に挑む話らしーけど、そこは「ブッカー賞」も受賞した英国でも随一の小説家が描く物語だけあって、コードに縛られた探偵小説なんかになるはずもなくむしろ幼い頃の記憶と大人になって得た経験とが入り交じって混然となった中で、訳者が言うところのカズオ・イシグロに特徴的な「信頼できない語り手」すなわち記憶の檻に閉じこめられた探偵の主人公が抱く幻想のビジョンが繰り広げられる、奇妙にしてスリリングな物語になっている、らしい。まだ読んでないからそこまでは不明。ただし筋を進めたいがための描写ではなく登場人物の内面を細かく積み重ねていく描写の濃さは流石にカズオ・イシグロで、びっちりと詰まった字を眼で追い頭で理解していく大変だけれど楽しい時間をしばらくは過ごさせてくれそー。どんなエンディングが待っているんだろー。期待十分。

 中に結構世間的に名前が通っているんだと自認している主人公が社交界では有名な女性にせっかくだからと挨拶に行く描写があって、あちらこちらのパーティーで顔も併せていたし探偵としての名声も高まりつつあったから名乗ればそれないの反応を返してくれると信じていたら、意外ってゆーか当然とゆーか彼女はそっけない反応しか返してくれず、いたく傷つき自己嫌悪に陥ったとゆーエピソードが胸にチクリと来る。それなりなアクセス数は稼いでいるとはいっても世間的には無名なはずの自分が、仮に有名人の集まる社交の場に行けば似たよーな事態になるんだろーな、それって格好悪いよなって結構思ってて、他の人がちょっとの伝でも、ってゆーか初対面でも堂々と有名人に挨拶し議論をふっかけて行く様を見るにつけ、その勇気の素晴らしさを思い、ひるがえって自分の自信の無さを嘆く。対照的に主人公をその時は邪見にした彼女が、後にいっそう名を馳せた主人公に対して、自分が招かれていない有名人のパーティーにエスコートしてくれと外聞なんぞ省みず頼む場面の、すがすがしい図々しさにもちょっと当てられる。真似したい、でも出来ない。

 現実問題、「ある朝、セカイは死んでいた」が発売されて好評な切通理作さんが、枡野浩一さんを迎えて「ロフトプラスワン」で開いたトークショーでも、それこそ最初から最後まで2人のトークに最前列で聞き入っていたにも関わらず、イベントの案内を頂いた枡野さんに挨拶できず仕舞いだったのは、ちょっと申し訳なかったし有名人ストーカーとして残念でもあったけど、まあ性格なんで仕方がない。これまで常にツルツルな頭で登場していた場面しか見て来なかった人間が、ネギボウズほどではないけど毛が伸びて眼鏡もかけてヒゲもチョロリな枡野さんを瞬時には見分けられなかったことも、近寄れなかった理由のちょっぴりでもあったんだけど。ホント舞台に上がった瞬間、誰だと思ったからなー。

 トークは4時間近くにわたってほとんど寸断なく執り行われ、2人の長距離ランナー的持続力を持った会話の妙にちょっと酔う。主にライターなり文筆家なり批評家としての対象とのスタンスの取り方めいた所に話が収斂していて、聞くにつけ高原英理さんの言葉を借りるなら「周囲によって絶えず揺るがされがちな、気弱で優柔不断な態度」、すなわち全肯定はしないけれど全否定しないで悩みもだえつつ対象を浮き彫りにしていこーとする切通さんのスタンスの重要性が伺い知れる。仕事の内容において天と地ほどの開きはあるけれど、相手の事情を忖度するとどーにも否定し切れない(反論が怖かったりするだけかもしれないけれど)自分のブックレビューとかのスタンスなり、状況に言及する際の立ち位置なんかと似通っている部分もあるかなー、なんてことを考える。もっとも客観を装おうとして両論併記に逃げる自分と、己が主観から双方をながめて遠近なんかを踏まえつつ語る切通さんとは、やっぱり根本的な部分で違っているけれど。

 枡野さんの方からはライターとして活動する上で場所にあった物言いなり、単行本化とか自分の自著の宣伝とかいったものを勘案しながら仕事を進めていく必要性を教えてもらう。朝日新聞で2年近くにわたって漫画評を担当した時も枕に朝日新聞の読者が好みそーな話題をふりつつ本論へと導いていく約束事とかが書いている自分の中にはあったとか。模様替えして3回で降りてしまった3人で1冊づつ持ち寄って行う漫画評でも、点数に零点を付けつつ文章では自分にとっての好き嫌いでは零点だけど他の部分から見た場合に必ずやある有用性を踏まえて誉めるべき所は誉める態度を取り、中途半端な点をつけるくらいなら零点を与えることによって逆にその本を目立たせよーとしたんだけど理解されなかたってなことを話してくれて、安易さに流れない批評家としての筋の通し方がなかなかに勉強になる。

 ネットについての言及もあったけど昔と今ではずいぶんと捉え方も変わっているみたいで、そのあたり「インターネットファン」って毎日コミュニケーションから発売中の情報誌に連載していくみたいなんでファンならずとも注目。切通さんは実物を見るのはこれが初めてで、聞くと中森明夫さんに喋りも雰囲気も似ているそーだけど中森さんも見たことがないからちょっと比べよーがない。書き下ろしを準備中とかではてさて何時の発売になることやら。鋭い質問をしたら文庫版で刊行なった枡野さん解説付きの吉野朔実さん「月下の一群」がもらえたよーだけど、何か聞くだけの知力記憶力もなかったんで何やら対話めいたものがスタートしたのを見計らって退散する。しかし羨ましいなー、吉野さんについて何か書けるなんて。宣伝しまくった成果もあってかフロア席は満杯になっていて、両名のリアルワールドでの仕事の確かさ人気の大きさを改めて見せつけられた思い。年齢的に遅いかもしれないけれど真似できるところは取り込みながら尻尾くらいはつかんで挨拶くらいは出来る場所へと頑張って進もう。


【4月15日】 同じ陸の孤島だったのに「麻布十番」が六本木脇にあって庶民的な風情を残していたのとは対照的に、孤島さを逆に孤高さへと代えて地名から醸し出されるプラチナな輝きを放ち続けて来た白金が、地下鉄の開通でどーにかなっちゃうんじゃないかと地元じゃ心配する声も結構あったみたいだけど、訪れてみた日曜日の白金は歩いている人の姿もどこかハイソな雰囲気があって、銀座に出るにもジーンズにジャージな人が見られる中で、最後に残された奥様お嬢様の聖地なんだとゆーことを感じさせてくれる。紺のスカート(ミニじゃない)に白いブラウスの髪がちゃんと黒いお嬢様&お母さまのペアなんて他の日本の一体どこに行けば見られるんだろう。連れて歩いている子供だって短パンにブレザーで誰もユニクロとかGAPを着てないし。

 あるいは白金って名前から連想されるハイソな雰囲気に無理矢理合わせて、今時世界遺産な格好をして集まって来ているだけに過ぎず、例えるなら夏はお盆前後に冬は大晦日前なお台場の灼熱だったり極寒だったりする西館屋上のテラスに集う方々と流れる思想は同じだったりするのかもしれない。だったらいっそ徹底させて誇張して、BSの再放送も好評らしー紅緒さんと少尉みたいなカップルとか、再演も好評なオスカルとアンドレみたいな豪華絢爛金襴緞子な扮装をすれば、白金のランドマークとも言えそーな旧朝香宮邸の瀟洒な雰囲気に位負けしないどころかピッタリとマッチして集まって来ている外国の方々にもニッポンの底力を見せつけられたのに。耽美系コスプレの方々に「白金耽美化計画」とかやって頂ければ地下鉄開通による俗化の懸念も一気に払拭できるのに。自慢じゃないけど僕には少尉は無理だからなあ、

 さても無粋なおっさんが白金へと向かったのは、旧朝香宮邸こと「東京都庭園美術館」で開催中の「ジョルジュ・ルース展」を見るためで、正直に言えばジョルジュ・ルースって誰なんだろー、ミッション・ルース(誰だよ)の親戚かなあ、とかってな感じで世界的に有名らしーこのアーティストに関する予備知識はまるでなく、それがどーして折角の日曜日にたったの1人で(平日でも盆暮れ正月も1人だけど)場違いな白金まで赴いたのかと聞かれれば、チラシなんかで見る何やら建築物の中に不思議な幾何学模様の”壁”が立っている不思議な写真に、これはいったいどーゆー芸術なんだろーかと興味を持ったからで、実のところルースの作品が基本的には写真のみで語られるもので、どーゆー構造を持っているのかもまったくもって知らなかった。アートが好きと言ったってしょせんはこの程度の人間なんですワタクシ。

 もっともそんな予備知識の皆無さが、現場にポートレートとして飾られているルースの数々の作品を見ていく過程でどーゆー構造を持ってどーゆー成り立ちをして来たのかを知って驚き感嘆する感覚を味わえたんだから、言い訳がましいけれども逆に良かったとゆーことにしておこー。同じ感覚を味わってもらいたいから知っているに人はほくそ笑んで頂き知らない人には現場に行って見て頂くとして、1つ思ったのは写真とゆー世界から奥行きを奪って2次元の枠組みに定着させる技術はなるほど、人間の眼では見られないシーンをそこの現出してみせるセンス・オブ・ワンダーの装置でもあるけれど、SFで言うところのセンス・オブ・ワンダーがそこに描かれる現実との差異から逆に辿って現実の有り様を暗に示唆したり明確に浮かび上がらせるよーに、写真として切り取られた2次元の世界から逆に、現実の世界が持つ奥行きの意味なり有り難さを感じさせてくれる。

 ルースの作品で言うなら部屋の中に立ち現れた、よーに見える幾何学的な模様の壁は一瞬、こんなものをよくぞ立てたとゆー評価だったりCG技術でも使ったんだろーかとゆー思考を頭に浮かび上がらせるけど、それがどーゆー成立過程を経て来たのかを知った瞬間、まずよくやったとゆー戦慄が背筋を走り、ついで写真が持つ不思議な力に驚きを覚え、さらにかくも平面的な幾何学模様を成立させている実は立体的な奥行きを持ったこの世界への想像力が湧いて来る。まあこーゆー見方はルースが生みだした世界にコロリと騙されてしまったが故の、徹底的に裏読みしよーとゆー貧しい精神から来ている部分が多分にあって、ちゃんとした人は技巧への感嘆とフラットな視点への驚嘆、且つそれらが置かれた廃墟への感傷に素直に溺れて胸をわくわくさせることになるんだろー。庭園美術館オリジナルのこれは写真じゃない実物の作品もあって貴重な展覧会。6月3日まで開催中。

ガールズ・ラン  それにしてもハイソな日本人と並んで多かった外国の人たちのピクニック姿。前庭へと回ると芝生にシートを広げて休んでいる集団はいるわ、置いてある安田侃さんの野外彫刻によじのぼっている金髪の子供たちはいるはターバンを巻いたインド人らしー紳士はいるわと、こちらは別にコスプレじゃないけど古き良きヨーロピアンな佇まいを今に伝える旧朝香宮邸宅をのぞむに相応しい、まるであつらえたよーな集団にあるいは気分を出すために自治体とかが頼んで集まってもらったんじゃないかとゆー、これまた下司な勘ぐりが頭をよぎる。だってさあ、金髪にフリヒラなドレスの女の子たちが列になって芝生の上を走って来るんだぜ、これが「白金台イングランド村」だか「白金台アーリーアメリカン村」のアトラクションじゃなくって何だとゆーんだ。いやもう眼にも麗しい光景も、今の風ぬるむ季節だからこそのものでもうちょっと暑くなったら見られなくなるだろー。来週も観察に行こーかな。

 ざっと回って神保町で本屋めぐり、大都社から絶賛刊行中の六道神士さんによる初期作品集「市立戦体ダイテンジン」(552円)なんかを買って読む、やあエクセルだ。ドタバタがメインでエロシーンとか取って付けたよーな印象はあるけど骨がちゃんと入ってそーで肉感もたっぷりなキャラクターによって繰り広げられるエロシーンの官能度とかは決して低くはなく、シーンは短くてもシチュエーションは唐突でも結構使える感はある、よーな気がする。けど滅多に売ってないんだよなー大都社の本って。

 三省堂書店本店に寄ったら10分後くらいから鈴木光司さんのサイン会があるってんで、まだ未購入だった(いちおー買う気はあったけど)「シーズザデイ」(新潮社、1800円)を買って整理券をもらって行列の最後尾へ。待つことおよそ20分で順番が来たのはまあ標準的な並び具合。これが初対面の鈴木さんは、純白のTシャツの裾をしっかりジーンズの中へとたくし込んで冒険少年シンドバッドよろしくマジックベルトできっちりしめ、バンプアップさせた上半身から伸びた上腕二頭筋の膨れ上がった腕でもって太字のマジックをギュイギュイと走らせ、相手の名前と自分の名前と日付を一気呵成に書き上げる。握手もしてくれそーだったけど握られるのも照れくさかったから差し出さず、御礼を行って男相手でも変わらず笑顔の鈴木さんの顔に黙礼をして退散する。なるほど漢とはあーゆー人のことを言うんだなー。パパにすると怖そーだけど。


【4月14日】 お台場へ。「ヴィーナスフォート」とかが11時開店とは知らなかった。海外旅行だと日本人って1日のうちにいろんな所をみよーとして朝早くから活動してて、場合によって買い物なんかを午前中の早い時間に済ませてしまおーとツアーのために店を午前8時とかに開店してもらうよーお願いすることがあるらしーけど、逆にお台場なんかアジアから来る人も結構いるのに悠然と構えての「ヴィーナスフォート」の開店時間は、アジアな人が日本人的カミカゼツアーなんかやってない証からそれとも単なる観光スポットなんかになるもんかとゆー運営者側の意志の現れか。舞浜の出来た「イクスピアリ」なんかはどーだったっけ、オープン当初にのぞいたくらいで後はちょっと見てないんで、混み具合なんかも含めて観察しに行こー、スポーツカードの店もあったし。

 もちろんウィークエンドのお台場に行ったのは「デエト」だとか言った青少年に健全な行為なんぞでは絶対になく、むしろ「ヴィーナスフォート」がいまだ頑張って維持しよーとしている高級感あふれるショッピングスポットといったイメージからはちょっと外れるかもしれないイベントを観察するためで、なるほどトヨタのショールームを挟んで位置する「Zepp Tokyo」には、朝からそれなりな雰囲気を持った人が自分も含めて結構な数詰めかけていて、観覧車を乗りに来た日欧亜なカップルとかファミリーの人たちの目を「一体何事か」と楽しませていた。その数だいたい500人とか1000人とか? 数えた訳じゃないけど並んだ人数を見るにつけ、やはりまだまだ根強い人気を誇っているんだと改めて「ドリームキャスト」並びに「セガ」への支持の強さを感じる、ってゆーか「サクラ大戦」への支持か。

 とゆーのも「Game Jam」と銘打たれたセガが主催の「ドリームキャスト」対応ソフトの展示会だったにも関わらず、会場につめかけた人の多くが開場直後に向かったのは正面のステージ前で、席に関しては整理券が出ておそらくは早朝で配布終了となり、その後ろの立ち見部分も正午半過ぎには幾重もの人垣で近寄れず、対してゲームの試遊台前には「ファンタシースターオンライン2」の前にはなかなかに行列が出来ていたけど、何かと話題の「シェンムー・ザ・ムービー」の上映部屋はその時点では隙間があって、「シェンムー2」の映像とか流れていても見ている人があんまりおらず、とにかく今か今かと「サクラ大戦3」のステージイベントが始まるのを待っている、僕も含めて。

 オープニングで「激帝」でも流れて開場に集まった人が一斉に踊りだしでもしないかとプレスなんで慎ましく2階席から観察していたけれど、そーいった派手な演出はなくスタートと同時に「3」のデモ映像も流されることなく横山智佐さんがに高乃麗さんと旧(旧と言っては失礼か)「サクラ大戦」「サクラ大戦2」の2人に、こちらは島津冴子さん小桜エツ子さんと「サクラ大戦3」からの2人とゆー声優の方々が登場、そして我らが(誰のだ)広井王子さんを進行役ってゆーか、証人台での尋問され役ってゆー感じで迎えてスタートしたイベントは、高乃さんの「どうして花組出すことにしたんですか」とゆー広井さんへの突っ込みがしょっぱなにあって、そこは軽く「前のファンに売るため」と流すかと思ったらさにあらず、映画でもシリーズの前の役者がちょっとだけ登場することってあるからそんな感じで、あと「3」から始めた人がこーゆー人も出ているんだと知って「1」と「2」も買ってくれるんじゃないかと期待して、って真面目な話をし出す。

 「長くゲームを作っていたけどペラ紙の台本をキャストの声優さんはいつも置いて帰ってしまう。それはつまらないから置いていかれるんであって、いつか台本を持って帰って飾ってもらえるようなゲームを作るのが夢だった、役者が愛してくれる作品を俺たちが作るんだ」とゆー熱い話もあってなるほど、30年もの歴史を持つアニメに対して後発だったゲームの人たちが抱いていた苦闘と苦悩の様が浮かび上がって来る。そこはけれども横山智佐さん、「良い話なんだか言い訳っぽいんだか」と突っ込む辺りがステージイベントとかも数こなして来ただろー名コンビ、あのソフトこのソフトと広井さんが絡んだソフトのイベントにたいてい見かけた声優さんだけあって、踏み込み所とかちゃんと分かっているんだろー、なんつってな。

 「コクリコ」役の小桜エツ子さんの登場にもしかして動いている姿を初めてくらいに見たかもしれない人からあれやこれやなどよめきが起こったよーな気がしたけれど、なあに「サクラ大戦」に先立つこと数年前なメディアミックス作品「天地無用! 魎皇鬼」絡みのイベントには毎年のよーに出まくっていて、DVDはまだないけれどLDなんかには砂沙美役だった横山さんともいっしょに映っているからなるほど生でもあーゆー声で喋るんだとゆー感動はあったけど、フェイシャルな部分での驚きは全然ない。むしろヘンな声ってステージ上で突っ込まれたのは「ヘンな声ってゆーなー」と横山さんに突っ込み返して「後で楽屋でうんぬん」と言っていた辺りでは、「サクラ」では先輩でも「天地」あたりからの付き合いではそのあたりフラットになっているっぽい雰囲気を感じる。その辺ヒエラルキーってどーなっているんだろ、教えて胡桃沢先輩from「オタクが行く」in「ヤングキングアワーズ」5月増刊号。

 むしろかつての「肉丸くーん」な島津冴子さんのヴェテランぶりの方に目が釘付け。「男なんてー」なあたりからメリメリと名前が出始めたよーに記憶しているからかれこれ20年? は可愛い系の声でトップを張ってる御大だけに、喋りも堂に入って表情にも貫禄がって遠目にもその威厳が伝わって来る。喋ると意外に普通のトーンは流石に役者。「サクラ大戦」のシリーズで「3」からメンバーをガラリと代えても前のキャラをちゃんと出して来たことに「いいですよー、シリーズなんてやってて知らない間に役者が代わっていることがあるんですから、”ダ”の付くアニメとか」って言って周囲おもわず止めに入る。もしかしてあれか、「ロロロロロシアンルーレット」って奴。

 お台場あたりを散策して帰宅して小桜さん大活躍な「逮捕しちゃうぞ」、葵ちゃん綺麗、でもトランクスは……ブリーフよりはマシか。心配していたよーにやっぱりクソ真面目新人婦警の奮闘記になってしまっていて、怪力夏実にメカマニア美幸のデコボココンビがおりなすアバンギャルドにワイルドな日々ってテーマが後ろに下がって、新米の失敗から逆に大人の対応って奴を示して「だから子供は」と嘆いてみせる、割とありがちなテーマが1話2話と続いてちょっとゲンナリする。まあすべてがこのコンセプトで行くとも思えないから例えば「ストライク男」とか、「ビーチバレー男」といったギャグメーカーを間に挟んでスラップシティックな日々を描く話が出て来ることを期待しよー、絵もまだ大丈夫だし。


【4月13日】 ぐにゃんぐにゃんと良く動くオープニングだってことは分かったけれどテレビ東京の「NOIR(ノワール)」、物語の方はフランスだかに連れてこられた記憶喪失気味な凄腕の殺し屋姉ちゃんが最初のひと働きを見せてくれたのは良いものの、先週の圧倒的な強さが一転バックをとられて首絞められかけるミスなんかをしちゃってて、ピンチにパンチで話の流れに抑揚は入るけれどもちょっと整合性がとれてないって感じもする。それだけ相手も凄かったってことなのか。その割にはそもそもが重要な施設の内奥まで、殺し屋たちの侵入を許してしまっている時点で違うよーな気がするんだけど、これもお約束って奴なんだろーか。霞ヶ関の普通のお役所だって受付突破するのに面倒な手続きと警備員の誰何をくぐらなくっちゃいけないのに。

 美少女なのに実は殺し屋って設定はえっと「KITE」だったっけ、梅津さんがやったアダルト向けのアニメに似ているよーな気はするけれど、絵が梅津さんなんで独特で洋モノっぽい感じがあって雰囲気は随分と違う、あとエロもあったし。対して「NOIR」はミニスカートなのに奥のまるで見えない演出がばく進中。DVD化の折りには善処を望みたいけどわざわざその為だけに描き代えるなんて無駄なことはしないだろーからなー。テレビで放映されて面白そーなアニメの存在に触れられたが故にお楽しみが減ってしまうジレンマが辛い、一視聴者として。拳銃の扱い方の是非は拳銃を扱ったことがないんで不明。壁に描いた丸い的を狙った時のように片手で射てるかどうかはともかく、格好だけはなかなかに様になってるよーな気がする。使っている拳銃の種類も未だ不明、ベレッタらしーとどこかで見た記憶があるけれど、エンディングなんかに出てくるイラストでもあんまり分からない拳銃なんだろーか。

 それにしてもなビクター・エンタテインメントのCMオンリー。「アルジェントソーマ」のCMとあと主題歌とか唄っている人作った人のCDの宣伝が繰り返し流れるのは嫌いじゃないんだけどちょっと寂しい。景気の良い時だったら例えばオレンジ色の渦巻きが出てきたりして逆の意味での鬱陶しさを感じさせてくれたかもしれないけれど、日本の景気と同様にオタクな財布も厳しさが増す昨今、それに逆行するかのよーに大量に作られているアニメ番組のスポンサーになれるだけの余裕と信念を持った会社も減って来ているんだろーか。厳しいのは番組だけじゃなくって雑誌も休刊がバタバタで、売れてないのか広告が入らないのかは両方なのかは分からないけど、板について来た感じがあっただけにちょっと残念、個人的にはお財布への影響が気にかかる。

 そんな中にあって1社で実に9本もスポンサーになってる太っ腹な「ブロッコリー」、でも良く見ると昔のよーな真夜中のオタク向けアニメにコッソリ系の提供が減って、「爆転シュート ベイブレード」や「GIRE戦士電童」に「ウェブダイバー」と玩具系の子供向け番組が入って来ていて、そっち方面に名前を売り込みたいってな考え方が見え隠れする。ほかも「逮捕しちゃうぞ」に「真・女神転生チビチル」に「スターオーシャンセカンドストーリー」を朝だったり夕方だったりする作品で、深夜は製作に噛んでる「シスタープリンセス」に深夜では異例の視聴率だったらしー ARMS」だから効率は悪くない。アニマックス枠の「ギャラクシーエンジェル」は見て無いから不明だけど、これはまあそれなりなもんでしょー、主役の髪の毛ピンクだし。

 機会があったんでブロッコリーの社長の人に聞いてみると、やっぱりその辺の用意周到さはあるみたい。一過性のブームに終わらせないで長く定着させるためにはどこいら辺にマーケットがあるのかを常に考えて適宜プロモーションを打っていく、それはもう目先の儲けは気にしないくらいに。「週刊少年チャンピオン」の読者コーナーへの「でじこ」進出もたぶん、意外性を狙ってのことなんだろーけれど、意外性あり過ぎてちょっと現時点での評価は不能、1年後2年後にちゃんと続いていた時にどんなことが起こっているかを見極めないと、正否は判断できそーもない。バキがにょと言う? それちょっと違う。

 せっかくなんで「ユリイカ」3月号での東浩紀さんの「でじこ論」(違う)ってどうよと社長の人に聞いたら9割合ってるとのこと。違っているというのは「でじこ」の始まった時間は「97年から98年にかけて」じゃなくって98年だとかで、まあたいした違いじゃない。「でじこ」一党がキャラクターとして成立していくプロセスについては、最初の立ち上がりはともかく後続の面々については送り手側が割と意図的に、マーケティング的に仕組んだ部分もあって、そーした仕掛けを担当した側が読んで納得できる内容だったってことでしょー。アメリカ帰りで村上隆さんのキュレーションした展覧会に「強い提言」(ポリティカルコレクトネス語)をしてたりして相変わらずの活動力だけど、おそらくは渡米中の放映だったまったりのんびりテイストにあふれた「お花見スペシャル」でも見て、心和ませてやって下さい。録画してない? そりゃ残念、良かったのに。


【4月12日】 お兄ちゃんお兄さまお兄ちゃまお兄たま兄ちゃん兄ぎみ兄くん兄さん兄殿兄ぃ兄野郎兄助、では少なくともなかったようには記憶しているけれだったらどうだったと言われると、3つくらいしか思い出せない12人分の「兄」への呼称の多彩さ複雑さに真夜中の頭も呆然としてしまった「シスタープリンセス」第2話は、とりあえず4人だけだった妹たちが一気に4人追加されて、なるほど総勢12人と聞いているから4人づつを3回やって1クール12話のうちの4分の1を引っ張るんだろーと予想していたらこれが大きくはずれてしまった展開に、真夜中の眠そうな眼も一気に冴える。

 終わる間際になって繰り出された、可憐な乙女たちを登場させるに相応しいバラの花が大車輪するよーな前フリもなくタコ部屋みたいな中から最後の4人が追加で発見されるとゆー勇猛果敢な展開からは、もはやまっとうなギャルゲー的ときめきの出会いシーンのお約束どころか物語としての引きもじらしも一切無視して、どこまで無茶が、それも驚かせつつ感嘆もさせる難題をクリアしての無茶が通用するかを探る過去に類を見ない作品にするんだとゆースタッフの熱気意気稚気がそこはかとなく伝わって来る。シュールなようでドタバタなようでファンタスティックにホラーな(何のこっちゃ)不思議アニメの世界を脳力と体力の限界にギリギリな1クール、堪能させてもらおうではないか。えっ2クール?

 少女ばかりの中に男が1人ってシチュエーションが果たして本当に極楽なものか言われれば、そんな状況になったことがないから実のところは分からないし女子校の男性教諭の楽しさと幻滅の入り混じる日々なんてものを巷間より耳にするにつけ、想像だけにしておいた方がいいかもなー、とは思いつつもやっぱり1度くらいは経験してみたかったりするけれど、あくまでも男女比が半々らいの中で育った人間だからそーいった一種異常なシチュエーションへの想像と妄想が働く訳で、これが男女の比率が1対9になって100年とかの時間が経した状況なら、果たして嬉しい羨ましいといった感覚はどーなるんだろーかと興味がわく。

 何かアニメもすでに始まっているらしー角川書店的メディアミックス戦略の一例を見るよーなコミック「未完兵装ルナシャフト」(作画・山口恭史、原作・金子良馬、角川書店、540円)は、人類が宇宙に出るよーになった22世紀以降、どーゆー脈絡がそこにあるかは分からないけど男性よりも女性の方が宇宙に適正があったってことなんだろーか、生み訳ってゆーか人工子宮を使っての生ませ分けでもって9割方が女性で生まれて来るよーになって1世紀後の宇宙を舞台に、何やら得体の知れない敵との人類の存亡をかけたドラマが繰り広げられる、みたい。まだ始まったばかりで敵が何でどういういきさつがあるのかも全然見えないんだけど。

 読むとどうやら宇宙では、主に女性が「ジャンボーグエース」みたくポッドの中から手足をぶん回してロボット「コマンドシェル」を遠隔操作して戦う娯楽が流行していてトーナメントも開かれていて、主人公なのか副主人公なのか分かりにくいけどミカって少女も選手の1人として結構な強さを発揮して活躍していた。そこにミカのバトルを助けるオペレーターとして連れて来られたのがミカとは幼なじみ(ああお約束)の少年ヒロトで、見かけの柔さとは裏腹に格闘センスでも知略の面でもなかなかの才能を発揮してミカを助けて大活躍。さあ次はいよいよバトルの頂点に君臨する女王様との戦いだって場面で一転、得体の知れない侵略者との今度は生死がかかったバトルモードへと展開する。

 女男比9対1が当たり前の世界にしては男女の社会的心理的な関係にあまり変化があるよーに見えないのは、そーいったシチュエーションを外挿してジェンダーを浮かび上がらせることを目的にした作品では今のところないからだけど、後段に出てくる操作された遺伝子、生まれながらに決められた役割といったものも含めて、ドリーちゃん(バリュモアじゃなく羊の方)でも問題になっているよーな神の領域への侵入を、とりたてて悩みもさせずにすんなりと描いて見せて良いんだろーかとゆー疑問は起こる。女の子たちのチームを率いる隊長が今のところ男性ばかりだったりする必然は果たしてあるんだろーか、とかいろいろいろ考えさせられる部分も多くって、敵の謎とも絡めてどんなケリを付けてくれるのかをちょっと見守りたい。アニメ版の「ジーンシャフト」が見られないのが辛いなあ。小説版「ジーンシャフト」をとりあえず読んで世界観の是非を探ってみよー。

 二重橋から地下鉄の千代田線に飛び乗って「ゲームボーイアドバンス」でアトラスのバレーボールゲームをひとしきり遊んでいたら大手町の駅に到着して近づいて来た巨大な姿にふと顔を上げるとこれは珍しや。一昨日に塀の、じゃない傍聴席と法廷を仕切る柵のあちら側で尋問に答えていた山形浩生さんがスターバックスだかのカップを手に持ち立っていて驚く、会社近所なのに大手町でみかけたことって過去に1度くらいだったし。雑誌とかに結構出初めている割には周囲を追っかけが囲んでいるって様子でもなく、すれ違い様あれっと顔を上げる人もいないところを見るとやっぱりなるほど、名前が知られて来ているとは言っても芸能人なり文化人の域へと至るには、さらに幾段階ものステップを超える必要があるんだろー。

 例の証人尋問の”けえかほおこく”なり所感もこことあと幾つかって今の所の寂しさで、「事件」が情報の洪水の中に沈没しないよー、もっとメディアや世間に関心を持ってもらおうとして小谷真理さんがいろいろな所で頑張っている理由も分かる。とは言え事件がメジャーになり過ぎた挙げ句に山形さんが地下鉄にも乗れないようになってしまうのも悩ましい。人格を指弾することと「テクスチュアル・ハラスメント」とゆー状況を指摘することの関連性なり合一性はあるのか、あるならそれはどういったものなのかってあたりについて思考しつつ、人権について扱っている裁判における原告被告を含めた人権の扱われ方への関心も含めてしばし成り行きに注目して行きたい傍観者。


【4月11日】 とは言えもしも3年前の裁判が始まりかけた時点で山形浩生さんとメディアワークスが謝罪してそれを小谷真理さん側が受け入れてしまったら、おそらくは今の時点で何があったかとゆー記憶が過去の彼方へと押しやられてしまっただろーことは想像できて、結果「テクスチュアル・ハラスメント」とゆー問題に対する世間一般の認知度は今が10段階でようやく2とか3なら0・1とか0・01とかに留まってしまっただろーから、事実関係の上での名誉毀損の有無とゆーレイヤーを超えて表現の発露へと至った個人的メンタリティーなり社会的背景なりをフレームアップして見せ、「テクスチュアル・ハラスメント」とゆー現象の存在をともかくも世間に認知させたことは、そーした意図の有無に関わらず槍玉に挙げられた一方の当事者の戸惑いを脇に置いた場合、なかなかに意義深いことなんだろー。

 妥協せず妥結させずに来た3年とゆー時間が、ともに係争から離れた部分で文筆家としての名をともに高めさせ、係争とは無関係な所で世間の認知度を上げさせた訳で、当事者における価値観はともかくバリューに左右される新聞の扱いとゆー意味で、当時だったらせいぜいがベタにしか過ぎなかった記事が、今なら3段とか、4段とかいった見出しがついたり個別のインタビューが載ったりする可能性のある大事になってしまった。それが当初からの原告側の狙いだったのかそれともあくまで”山形徹底粉砕”とゆー意図からの徹底交戦だったのかは分からないけれど、結果としては運動としての大きな前進があったととらえることは可能だろー。

 裁判官にとって芸能人ほどには有名ではない(きっと柳美里さんだって澁澤龍彦さんだって赤瀬川原平さんだって勤勉実直な裁判官にはリスペクトとは無縁の存在だったんだろーけど)2人の、未だ世間に広くは認知されざる「テクスチュアル・ハラスメント」とゆー問題をめぐる係争は、興味をそそられるものではなかっただろーことは心情的に推測できて、証人尋問後の小谷さん側のレクチャーによると以前の傍聴者があんまりいなかった時の審理では裁判官(今回から全員変わっているから前任者、ってことになるのかな)の喋りも仕草もどこか疲れた雰囲気が漂っていたらしー。

 結果それが運動の意味を把握されずに結審へと持ち込まれることへの不安もあって、妥協せず事実関係の認否のみを巡るレイヤーを超えたところで争い続けて来たんじゃないかと想像できる。それが3年とゆー時間を経て、活動の成果もあって傍聴席を満席にできるよーになった昨日の証人尋問では、裁判官に喋りも覇気があって原告側被告側の弁護士の丁々発止のやりとりに挟む口のこれまたドラマの裁判官っぽさが感じられたとか。裁判官だって人間、ってことなんだねー。

 ことの成り立ちを最初から見物して来た身にとっては長すぎてまどろっこしくっていささかうんざりで、もっと実のある議論を裁判から離れてやったら良いのではとゆー気持ちを引き起こした3年とゆー時間も、未知の人たちを惹起させるに必要な時間だったのかもしれない、片方の当事者にはやっぱり長すぎる時間だっただろーけれど。ただよーやく裁判官のやる気が見えて来た裁判を通して、活動の存在をとりあえずはメディアに、そして一部ながらも世間に認知させることだできそーになった以上は、やはり粛々として事実関係の認否を受けつつ一方では活動そのものの啓蒙普及を探るフェーズへと進んで欲しいとゆー気に変わりはない。

 笙野頼子さんの小説の中に書かれたよーな突出した才能への嫉妬心が遠因にあったのかもってな見方は、性別が引き起こす可能性の高さは確かにあっても性別に限らず起こり得ることだし、推測であってもあるいは事実であっても人格への攻撃を争う裁判での反駁に同じよーな人格への指摘を行うってのは、目には目かもしれないけれど端で聞く耳にはなかなかに痛い。終了が忘却への第一歩にはならないことを前提に、情を置き理によって切り結ぶ文化の香り高い論戦が繰り広げられんことをギャラリーとして願おう。で次は何時?

 モノカキとして学びたい教訓。相手が悪かったとゆーんじゃくって誰が相手であっても不快感を催させるだろー可能性については常に考慮しておく必要があるってことがあり、読者層が限定されているよーに感じられるメディアであっても小売されている以上はあらゆる層が読むだろーことを想定しておく必要があるってことであり、自分の考えている普通が世間一般の普通では必ずしも一致しないってことを認識しておく必要があるってこと。それを守るか踏み越えるかは程度問題であってビクビクするも大胆に振る舞うも己の信念次第なんだろーけれど信念ゼロな機会不平等メディアのライターはひたすらに間合いから10メートルは下がり逆鱗どころか尻尾にも触れずひたすらに誉め、媚び、おもねる反ラオウ的スタンスで嵐吹く文筆業界を生き抜いていこーと心に誓ったのであった。こわいおじさんにイジめられて泣きたくないもん、霞ヶ関で。

 六本木の「ヴェルファーレ」で岡本吉起さん率いるフラッグシップのこんなことやって来ました発表会。小谷真理さんも大好きらしー「鬼武者」とか世界が湧いた「バイオハザード2」とか「同コードベロニカ」とか「ディノクライシス」とか「エルドラドゲート」といったカプコンが誇るゲームの面白さの土台になってるシナリオとか演出あたりを仕切っていたのがこの会社。まあカプコンの別働隊とも言えそーだけど、ズラリと居並ぶ映画にドラマで活躍して来た超ベテランなシナリオライターの人たちを見るにつけ、家内制手工業なゲームの世界をエンターテインメントでは先輩格な映画の映像手法じゃなくってシナリオの進んだ部分をいっぱいに取り入れて、デジタルな時代のエンターテインメントを作り出そーとしていたんだってことが分かって来る。目のつけどころが吉起でしょ、って感じ?

 新作の発表もあって1つはサウンドアドベンチャーってあんまり聞いたことがないけれど、おそらくはサウンドノベルって言葉が使えない中で画像や映像を見ながらテキストのストーリーを進めていく内容のソフトを称する言葉として編み出したジャンルのゲームで、背の高い金髪のお姉さんが出てきて拳銃をひとしりき振り回しては退場したりとビジュアル的には楽しめたものの、内容については未知数だったしするんで発売日をとりあえずは待とう。もう1本は驚きの「クロックタワー3」。えっと確かヒューマンだったっけ、2作を発売して結構なヒット作になったシリーズの後をサンソフトとカプコンが作るって発表で、おまけに監督が「バトル・ロワイアル」の深作欣二さんでキャラクターデザインが雨宮慶太さんとゆー豪華な布陣。800人をオーディションした「バトロワ」のコダワリが爆発していて主演級が決まらない状況ながらも少しづつ制作が進められているらしー。

 見せられたデモンストレーションの映像は恐怖の館を逃げ出そーとする少女のバトルの様子が描かれていてスカート姿の少女が階段を駆け上がる映像を下から見上げた場面の当然ながらのぞく白が目に心地よく、そのまま発売されるかどーかは分からないけどとりあえずは現時点では買わなくっちゃってな気が沸き起こる。「鬼武者」なんかでも使ってた複数の人の同時モーションキャプチャーがやっぱり使われていて、あれは多分「バトルロワイアル」で山本太郎の彼女役だかを演ってた人が逃げる少女の役を演じるらしく、CG映像なのに生身の彼女の姿を妄想して重ね合わせて感じてしまう、リアルとバーチャルの境目が取れない今時な男の子(含む元男の子)たちがたくさん出て来そー。だからテレビ東京的な規制は無しにしてね。


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