縮刷版2001年12月中旬号


【12月20日】 さらば「サイゾー」。って一気に行くかどーかは今のところまだ分からないけれど、買って読んだ2002年1月号の巻末にある来月号の予告にあった「脱『ジャージ美少女』」って予告に従うならば、創刊以来そのマイナー性カルト性インディペンデント性ゲリラ性を体言していた「ジャージ美少女」を遂に止めるってことで、それはすなわち谷間がクッキリとか目鼻がパッチリとか股間がモジャ……は表紙じゃ無理か、ともかくよくある表紙になってしまってメジャーな雑誌に負けない存在感を店頭で見せはするものの、表紙が体を現していたウワシン性が殺がれてしまって、中身もよくある情報誌になってしまうってことを示唆していると読めないこともない。

 もっともそこは「サイゾー」だけあって、とりあえずは特集も「明けまして今年もスキャンダル」とサイゾー性を発揮してくれてるっぽいから、あるいは表紙も「脱『ジャージ美少女』」だなんてフェイントをかけて、よりもっと過激な「ふんどし美少女」「まわし美少女」「しめこみ美少女」を交互にやっていくとか(どう違うんだ?)、やってくれたら毎月だって買っちゃうんだけどどーなんだろー。それとも「柔道着少女」ってことで毎月柔道着の田村亮子選手が表紙を飾るとか(少女か、って問題は無視)、「水着美少女」ってことで田島寧子選手とか(少女かもしれないれどあんまり呼びたくないって意見も無視)、その筋(どの筋?)には話題を呼びそーな実力と実力を兼ね備えたスポーツ少女で固めていってくれたら、やっぱり物珍しさで手には取るかもしれない。でもって最終兵器には……言わぬが花。どんな花?

 とは言えちょっと前の「さんまのまんま」に登場して過去に獲得した金メダルをぜんぶまとめて披露していた田村亮子選手の、意外やそれなりに見えちゃったりする表情仕草とかに接すると、戦闘のために鍛え上げた肉体ってのは俗に女性的、といわれる体系容貌とはやっぱりどこか、違ったものになっているのかもしれない。髪の毛がロングで頬とか隠れてたりして服装もロングのドレスだった田村選手、さすがにやっぱり「YAWARAちゃん」とゆーには猪熊柔に申し訳ない気がしたけれど、それでもオリックスの谷選手だったっけ、その代わりになっても良いかなって思えたりしたのも冗談でなく事実。勘違いな田島選手も着飾ったグラビアではまあ、それなりに見えたし人間、美感なんて実は結構ころころ変わるものなのかもしれない。そう思えば今はどーしてるんだろ、「長野オリンピック」で岡崎京子に負けたスケート選手だってそれなりに……思い出せないよ、もーその顔が。

 記者会見とかで忙しい1日。「でん、と発音して下さい」で一部に知られている藤田田・日本マクドナルド社長が30年もやった社長を辞めるってんでこれは一大事、どーゆー理由での退任なのかを聞きに行く。もしかしてマッドなモーモーの病気が業績に影を落としたんで失意のどん底に落ちてぶん投げてしまったのか、なんて憶測も一部には呼んだみたいだけど、出されたペーパーを見て拍子抜け、なるほど社長は確かに辞めるけど、代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)って肩書きが代表取締役会長兼CEOになるってことで、経営のトップに依然い続けることに変化はないし、仕事だって今までどーりに戦略立案から店舗の視察から何だってやってしまうとか。ビル・ゲイツが会長でもトップなよーに、つまりは肩書きが変わったくらいで何ひとつ経営の実態は変わってないっぽい。ソニーの出井伸之さんが社長から会長になってもCEOのままやっぱりソニーの顔でいて、社長になった人が”ソニー電器”って関連会社の社長っぽく今でも思えてしまう以上に大差がないよーな気がする。

 そのあたり誰もがちゃんと気付いてたよーで、「何が変わるの?」ってしきりに突っ込んでかえって来たのが「名前が変わるくらいななあ」ってモロ実質的に変化はないって答えだったりして、だったら別に変えなくたっていーじゃんとか突っ込み返したくなる。けどそれはそれ、社長ってタイトルが持つ重みはソニーの人だってやっぱりそれなりに感じているし、今度日本マクドナルドの社長になる人もやっぱり十分過ぎるくらいに重みを感じているみたい。独自色を出していく、ってことの難しさはあるかもしれないけれど、「藤田さんのそばにいられることが幸せ」とゆー人だからそれでも別に構わないんだろー。それにしてもそこまで思われている藤田田さんって経営者、やっぱりこの国に得難い人材ってことなんだろーし、創業者で成功者ってのは亡くなった大川功さんもそーだったよーに、亡くなるまでが経営者ってことなんだろー。あと何年その陶薫を受けられるか。次の契約更改の30年後にも、まだいそーな気がしてきたな。

 隣で今度はカルチュア・コンビニエンス・クラブとダイエー系のDPEの55ステーションの会見。何でも「TSUTAYA」の店頭でDPEを始めるってことで、ブロードバンドだ何だといってパッケージメディアが縮小する中で新しい商材を求めてこれまで手がけていなかった分野に走ったのか、なんて思って聞いたらさにあらず。ブロードバンドはそれとして発達するけれど、パッケージメディアはやっぱりしばらくは残っていくだろー中で、数千店舗とゆーネットワークを生かして、爆発的に普及しているデジタルカメラのデータをパソコンとか使いこなせないファミリー層から受注するサービスが、これから伸びていくんじゃないかってな観点からの提携らしー。

 もちろんGGステーションの株主のダイエーの施策も背後にはあるんだろーけれど、店舗ネットワークとゆー”メディア”を持っている企業ならではの強みを生かした提携ってことになるのかな。一方で55ステーションでもDPEの店頭で売れ筋ソフトとか売るみたいだけど、これはどーなるのか現時点では不透明、在庫の問題とかあるしDPE屋ってそんなに大きくないなかで、どーやって常に商品を確保しておくのかってゆー、ロジスティックなりバックヤードの問題がちょっと浮かんで来る。同じことをやろーとしてコンビニが失敗した轍を踏まない施策ってあるんだろーか。「TSUTAYA」のポイントカードとの共通化、なんてのをやって買うインセンティブを与えるみたいなんでコンビニとは違った展開もあるのかな。動向に注目。久々に見たCCCの増田宗男さんは相変わらず元気いっぱい。創業者ってのはここでもやっぱりアグレッシブだと痛感する。僕には向かない職業です。

 ソニー・コンピュータエンタテインメントがソフトバンク&ヤフーと提携するってんで赤坂プリンスホテルへ。ちょっと前のNTT−BBにSo−netとの提携に似た話なんだから一緒に発表してくれれば面倒も少ないのに、とか思ったけれどそこは単独でSCEIとの提携を発表した方が、自分を目立たせられるからソフトバンクとしても一緒は避けたいところ、だったのかな。実際のところ中身も若干違ってて、前の2つがどちらかと言えばゲームの配信サービスを中心とした提携だったのと比べると、今回はいろいろと噂の「Yahoo! BB」が提供しているいろいろなブロードバンドコンテンツを、家庭のリビングにある「プレイステーション2」を通してテレビで見られるよーにするのが大きな狙い。パソコンでなけりゃブロードバンドは楽しめないって思っていたのに、あの安い「PS2」で噂のADSLサービスが受けられるんなら、「Yahoo! BB」に入って良いかも、って思うファミリーが出たらそれはヤフーにもソフトバンクにも大きなマーケットになるからね。

 チキンエッグじゃないけどそーやって「Yahoo! BB」の良いコンテンツがリビングで見られるってんで「PS2」を買うって人がいればSCEIにとっても儲けもの。プラスそーし多ブロードバンドコンテンツでの提携以外に、雑誌にDVD−ROMを添付して配布して後で認証と取って使えるよーにする、新しい形態の(っての「ドリームキャスト」のアットバライに似てる気も)ソフト流通の実現なんかも視野に入っているみたい。パッケージは確かになかなかなくならないけれど、パッケージを売っている販売店にとってはあるいは、「アットバライ」の時なんて及ばないくらいに大きな地震が襲うことになるのかも。どー発展していくのかにちょっと注目。しかしあちらこちらと提携してはどんどんと”家庭内情報端末”としての可能性を垣間見せていく「PS2」。対して未だ具体的なサービスも明らかになっていないマイクロソフトの「Xbox」。勝敗はすでに決した? それともとてつもない隠し球があるのかな。


【12月19日】 昨日の「連絡網 AMI(アニメーション,マンガ,インタラクティブゲーム・ネットワーク)」が「エロマンガ」規制に関連して開いた報告会で気付いたことあれこれ。東浩紀さんのネクタイ姿はたぶん始めて見たよーな気が。伊藤剛さんもスーツ姿だったしやっぱりフォーマルな場でオフィシャルな発言をする時のスーツってのは、この緩やかなご時世でもやっぱりそれなりな意味を持つのかも、って社長取材でもネクタイしてかない僕が言っても説得力ないな。東さんの茶系のジャケットに茶系のヘリンボーンのトラウザースにやっぱり茶系のバックスキンのサイドゴアブーツってコーディネートに特に問題はないんだけど、普段あんまり見慣れてない格好なんで緩さがスポイルされてて背筋が糺されてしまう気が。鷲田清一さんみたくユルユル系の「ワイズ・フォー・メン」あたりなら見てゆとりも感じられるんだろーけれど、それも東さんっぽくないし。うーんやっぱり「でじこ」の格好とかしてもらうか、「アニメージュ」とかで。

 あのハマーン・カーン様がそのおバストをご披露されているとゆー噂を聞いて「ガンダムエース」の第3号を買って当該の北爪宏幸さん描く「C.D.A 若き彗星の肖像」を読んでみる。これハマーンぢゃない、って言っても別に怒られないのかな、なるほど髪型はピンクで性格にもいろいろと問題がありそーだけど、たとえ無邪気な少女だった頃でもハマーン様には頭にリボンなんてしないでいてもらいたいし、髪型もやっぱりおかっぱザンギリな頭であってもらいたいもの。目つきも鋭く自身満々で尊大で居丈高で思わず「踏んで」と言いたくなるのがハマーン様のハマーン様である必須条件だとするならば、そこへと至る面影くらいはやっぱり残しておいてもらいたかった。まあこれからシャアに逃げられ重荷を背負わされてどんどんと痛んで行くんだろーハマーン様。その片鱗が見える、かもしれないと期待して次号もとりあえず読んでみよー。安彦良和さんのコミック版「ガンダム」はミライの頭の良さがグッと目立っててちょっと萌え。もちろん昔も今もセイラさん萌えなのは変わらないんだけど、改めてLDとか見直す時に改めてその言動に注目してみたい気がムラムラ。

 今時インターネットがフリーダムでオープンなドリームのフィールドだなんて心から信じている訳じゃないけれど、少なくともそもマインドくらいはそーあって欲しいと思ってたりする。ましてやそんなインターネットの普及・促進を目指して開いた「インターネット博覧会」こと「インパク」には、いくら政府が主催するからといってお金とか出すくらいにして口なんか出さず、草の根で盛り上がったネットのムーブメントをうまく取り込んだイベントにして、参加なんもは敷居を低くして広く一般からコンテンツを募り、また関心を持った人にはどんどんと情報を公開して、ネット流の”口コミ”でもって盛り上げてもらう、くらいのことをするのが小泉首相の答弁を借りれば「常識」だったりするんだろーと思ってた。

 けれども1年を通じて最優秀だったサイトを表彰して讃える、栄えある「インパク」パビリオンの年間表彰式の段取りなんか見ていると、やっぱりどこか官製のお貸し下げ的イベントってニュアンスが漂っていて、政官報一体となった民なき鉄壁のトライアングルこそが国の礎って感じがやっぱり抜け切れてないのなかなー、なんてことを考えてしまう。パビリオンを作った人たちも偉いけど、アクセスしてくれた人あってのサイトなんだからその辺も勘案して広く一般の人だって参加できるよーな場所を使って大々的に開催して、年間通じて盛り上がったとはちょっと言い難い「インパク」の最後を飾って世に広くアピールするくらいのことをしたって悪くない。

 にも関わらず、表彰式の会場となった場所がこれまでのホテルから一転して首相官邸大ホール。そりゃ受賞した人は首相官邸に入れて滅多に会えない小泉首相の顔とか見られるんだからこれほど嬉しいことはなく誉れ高いこともないんだろーけれど、入るのに事前の申し込みが必要で、当日は通行証がないと絶対に入れない鉄壁のガードを誇る首相官邸での授賞式じゃあ、個人の人なんかが一族郎党引き連れて祝おうったって場所の都合もあって絶対に入れやしない。幸いにして学校のサイトの表彰とかがなかったんだけど、もしも生徒たちが作ったサイトが入ってたとしても受けるのは代表の1人か指導した先生だけってことになって、”主役”の全生徒が等しく喜べる機会ってのにはちょっとなりそーもない。

 ネットとかITとか関連する記者発表なんかになると最近は、雑誌からネットニュースから海外プレスから沢山の記者にライターに編集者がつめかけそれは賑やかになるんだけど、既に受賞作品は発表になっていたとはいえ、かの小泉首相が自ら賞状を渡す表彰式、これほど絵になるシーンはなく、「インパク」がスタートする直前に開催された記者発表会なんかにも増して大勢の取材陣が詰めかけるんだろー、なんて想像していたらこれが正反対。入場手続きの面倒さなんかがあったのか、はたまた今さら「インパク」なんてニュースじゃないと思ったのか、テレビがちょこよこと後は選考委員に名前を連ねている雑誌の関係者と受賞者に入っていた自治体なんかをカバーしている県紙の人とかちょぼちょぼとしかいなかった。

 そもそもがネット関連情報誌なんかに表彰式の案内なんかが行っていたのかどーかも不明で、今や日本を代表する大看板の小泉首相をダシに使って、インターネットの効用とそれに対する政府の取り組み具合なんかを大々的に宣伝する機会と、自らスポイルしてしまっているよーに見えなくもない。加えてさらに取材場所にも制約が。首相官邸で表彰式で小泉総理が出てくるってゆー会見は当然ながら(当然なのさ)官邸をカバーしているメディアへの対応を厚くするのが筋、みたいで関係官庁を窓口にして集まった取材陣は全員がホールの片側へと集められ、2時間近くの式典中をずっと立ちっ放しの見学。反対側は官邸詰めの人たちだけしか居ちゃいけないよーに制限が加えられていて、官邸詰めじゃないにしてもそれなりな実績を持つベテランの服部桂さんまで、1時間以上を立ちっ放しで見学していたのにはちょっと驚いた。

 そーした所属に応じてのゾーニングはこの業界によくあることだと、まあ思って思えないこともないけれど、首相が登場して総理大臣賞を受賞したトヨタ自動車に表彰状を渡す場面になって始めて、ぞろぞろと突いて来る記者たちの多かったのには流石に参った。小泉首相の動勢だけを追いかけていれば良いんだってゆー、仕事の棲み分けがキッチリ出来ているからこその遅れての登場なんだろーけれど、そーゆー「インパク」全体に関してはそれほど関心があるよーにも思えない人たちにも、ちゃんと配慮しなくちゃいけない場所でわざわざ表彰式を開くことへの、どこかモヤモヤとした気持ちが式典中の2時間ずっと浮かんで消えなかった。弱小新聞の落ちこぼれ記者の、まあ僻みって奴だけど。

 それにしても痛快だったのは、事前に授賞式で大臣とかが表彰状を渡しても拍手はしちゃいけないって事務方が注意をしていたのにも関わらず、新千年紀記念行事担当大臣が通念賞を渡したその瞬間に小泉首相が率先して大きな拍手をしたこと。一瞬場が和んだってゆーか浮き上がった感じがしたけど気にせず拍手を続ける首相の姿を見ていると、人が何かを達成した時には拍手で讃えるのがまさしく「常識」だろ? って考えを血肉のレベルで持っている人だってことが分かって、疲れと腰痛で沈みかかっていた気分がちょっと明るくなった。どーして拍手を禁止したのかは不明だけど、おそらくは静粛さへの要求から「常識」をゆがめて配慮し過ぎた結果、墓穴を掘ったんだろーと思われて、気を回し過ぎる、それも一般的な「常識」とは違ったベクトルでもって配慮をしてしまった挙げ句に怠慢へと陥る、この国の官の特質めいたものが垣間見えた気もして楽しくなった。楽しがってはいかんのか。

 表彰式に「インパク」編集長を務めた糸井重里さんの姿は見えず。「ほぼ日刊イトイ新聞」の近況なんかを見ると遠くに行っているよーで、別にわざわざ欠席したってことではなさそーだけど、あの堅苦しさに接すると出なくて正解だったかもって思えて来る。「インパク」編集長を確か2回も務めた田口ランディさんも欠席。石井竜也さんもしりあがり寿さんも荒俣宏さんも松井孝典さんも浜野保樹さんもちゃんと来られていたけれど、田口さんも同じよーに予定に入ってたみたいで名札もちゃんと用意してあったのに、きっと忙しかったんだろー。例えずっと座れていられたって、あの2時間ちょっとを途中までは拍手もせずに座って見ているのって、名誉だけどなかなかに大変なものもあっただろーから、やっぱり欠席もひとつの手、だったかも。

 以下余談。「インターネット博覧会」年間賞の表彰式での堺屋太一内閣顧問の談話を「SIGHT」で渋谷陽一さんが1万字インタビューしたっぽくまとめてみる。分かりにくい部分もあるんでカッコ内は想像で補ってある。堺屋「(「Flashとかバリバリに使ってローディング時間を長くした成果もあって)アクセスした人が見ている時間も長かった」。渋谷「ははははは」。堺屋「『インパク』を実施したことでネットカフェとか出来ました」。渋谷「はははははははははははは」。堺屋「2001年中にはISDN以上には進まないと言われていたのに(『インパク』のお陰で)ADSLが登場してブロードバンドが広がりました」。渋谷「ははははははははははははははははは」。堺屋「ネットの接続料金が下がらないと言われていたのに(『インパク』で)あっという間に下がりました」。渋谷「ははははははははははははははははははははははははははは(以下「ははは」が9800くらい続く)」。おへそでお茶が沸くってのはこの事か。

 さらに余談。四半期賞でアクセス賞に入ったフジテレビの「o−daiba.com」を代表して受賞式に来ていた成瀬一美さんって人が栗山千明さんに似たとてつもない美少女で、そんな人が運営事務局編集長をやっているなんてフジテレビも人材の幅が広いなあ、どんな経歴の人なのかなあ、ってネットで調べたら……栗山千明さんその人だったみたい。何でも「o−daiba.com」のサイトで架空の5人の美少女があれやこれややってるコーナーがあって、その中の成瀬一美って人に栗山さんがなってたみたいで、年間の活動を締める意味なんかもあって表彰式にも成瀬一美名義でわざわざのご出陣と相成った模様。さすがに目立つ美少女だけに場内でも人気で記念写真なんかいっしょに撮る人もちらりほらり。僕も撮りたかったけどそこはグッと我慢でインタビューの応えている成瀬一美さんの背後に意図はしてないけれどたまたま立ち位置から映り込む程度に止めておく。映ったかな?


【12月18日】 プロまでがネットで発表した文章をまとめて本にするよーになってしまった昨今、”ネット作家”なんて新味に乏しく果たして売り物になるんだろーかって疑問はあるけれど、アンテナがコンセントでモザイクだったりする人の活躍ぶりなんかを目の当たりにすると、やっぱりまだまだ「ネットには宝が埋もれている」って思う人とかがいたり、会社とかがあるんだろー。サイバーエージェントってネット広告の会社の関連会社でコンテンツビジネスなんかをやってるサイブロが、”ネット作家”を発掘しよーと「第1回文学メルマ! 新人賞」ってのをスタート。メールマガジン発行ポータルサイトの「メルマ!」が、何時の間にか始めてたネット上の文芸誌らしー「文学メルマ!」ってころで、作品を集めて優秀なのを選んで表彰するそーな。

 記憶だと幻冬舎が確か学生の作品をネットで募っていたはずだけど、ウェブマガジンが募集するってのはちょっと珍しい。選考委員も振るってて、編集長の(編集長になってたんだ)山川健一さんに加えて角田光代さんも入っている豪華ぶり。賞金1200万円なんて賞が前にあって賞金30万円なんてあんまり目立ちはしないけど、その分応募も少なくって受賞できる確率は高いかもしれない。だいたい30万円っていったらハヤカワSFコンテンストの滅多に出なかった入選第1席よりも確か高いよーな。むしろ今時の文学賞の方がインフレ気味で、そこまでして確保した作家が一体どこまで稼いでるんだってことも考えると、そこそこの規模でそこそこの参加者を集めてそこそこに話題になれば良いのかも。作品までがそこそこってなりかねないのは、まあ仕方がないってことで。

 募集は来年2月28日まで。受賞作は来年4月第1週更新の「文学メルマ!」誌上で発表される予定で、「文学メルマ!」誌上で連載されておまけにオンデマンド出版もされてしまう大盤振る舞い。紀行文部門ってのもあるから紀行家の人とか旅行記なんかを応募してみてはいかが。どーいった内容のが受けるのかは知らないけれど、「マザー牧場」とか「草津」とか「那須」とかでも良いのかな、ちょっと近過ぎるか。「タイ・ビルマ・ラオス三角地帯潜伏」とか「コロンビア メデジンカルテル探訪」とか「アフガン トリボリ探索」とかってのを読んでみたい気がするけど紀行文学とはちょっと質が違うから難しいか。「ギアナ高地で恐竜を見た」とか「ヒマラヤでビッグフット発見」とか「アトランティス滞在記」ってのも是非ぜひ読んでみたいけど、これも紀行文学ってよりは探検記だし、だいいちこれ程の中身だったら「ムー」にだって売れるから、わざわざ応募なんてしないか。どんな当たりが「紀行文」なのかは応募作品と選評を読んで考えよー。

 うつらうつらしながら電車を乗り継いで横浜は桜木町へ。17日から始まった「第2回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」の中で開かれた「漫画はCSEC(子供の商業的性的搾取)ではない」ワークショップの報告会が山の上にある「エルパイネ」って場所で開かれたんで覗く。結婚式とか開かれるっぽいこぎれいな場所に三々五々、集まってくる人たちの多くが自分も含めて秋葉原とかだと紛れてしまって全然分からないタイプの人たちで、うしろに着物の飾られたロビーがまるで石丸電器のイベントが開かれるホールとか、最近の「ラジオ会館」の3階4階当たりみたいに見えてきて楽しい気分になる。この雰囲気がそのまま、お昼のちゃんとした会議の方でも醸し出されていたんだろーか、ってのは行ってないから分からないけれど、後で聞いたところによると来ていたのはやっぱり会議に参加していた人たちが中心で、去年の「日本SF大会」ともやっぱり違った雰囲気だったらしー、って当たり前か。

 一般にいわゆる「エロマンガ」も子供が虐待されているっぽい絵が描かれているってことで取り締まるべし、ってな主張を持った人が内外から集まっているっぽい場所で、漫画とかアニメは実際に虐待されている人がいないから会議の主旨からは外れるし、規制すればそれは表現の自由を阻害することになる、でもって「エロマンガ」を読んだからムラムラして子供を虐待した、なんって主張も定量的科学的に立証された訳じゃないんで軽々しくそーいってもらうのは困るんです、なんて主張をして果たしてハチマキにプラカードなんて持った人が会場を占拠して異議だ何だと声高に叫んで、パネルに出席した講師陣をフクロダタキにしてしまうんじゃないか、ってな心配もあったけど、割と整然と粛々と進んだみたいでまずは善哉。ただ注目を集めることでそこから開く回路ってのもあるし、内輪じゃない、本当に理解してもらいたい”「エロマンガ」どうよ?”的な人の参加もどれだけあったか分からないって部分で、さてはてワークショップがどこまで力を発揮し得たか検証してみたい気もしてる。行った人でメディアの人にその辺、リポートしてもらえれば幸いです。

 午後6時から「エルパイネ」で始まった報告会の方もやっぱり大多数がどちらかといえば「エロマンガ」読みなりファンなりの人たちで、現況どーゆー状況になっててどーやって反対をしていくのか、ってあたりを共通の知識として持とうって部分では存分の効力を発揮したよーに思うけど、傍目で「仲間たちが内輪で盛り上がってるよ」的見方ももしかするとされかねないだけに、その当たりもうひとつ開いた回路を作っていく必要がありそー。もちろんこーゆー会合があって始めて差参加してみて事態の深刻さに気付いたライターの人とかいるし、どちらかといえば「エロマンガ」を「児童ポルノ」と同義に見ていた人が「表現の自由」問題なんかとリンクされるんだと気付かされて考えてみたいって話していたから、網は少しづつでも広がっているみたい。

 もっともジワジワと輪を広げていくことは大切過ぎるくらいに大切なことではあるんだけど、来年3月とかいわれている「児童ポルノ法案」の改悪案上程とその承認とゆー、間近に迫った事態を戦術的にどう阻止するかって部分でやっぱり効力のある作戦が必要なのも事実。報告会に出ていた宮台真司さんは国会議員へのロビイが大事って言っていたけど、宮台真司さんは出来てもごくごく普通のファンとかいったレベルでじゃあ、何が出来るんだろーかって考えるとこれまた道が見えないのも現実なんで悩ましい。報告会を主催していた「連絡網 AMI(アニメーション,マンガ,インタラクティブゲーム・ネットワーク)」って所がメンバーを集めてメーリングリストでそのあたり、話し合っていくみたいだけどここに普通のファンがどこまで絡んでいけるのかも分からないし。まあその辺の内輪性についてはワークショップなんかでも指摘されてたらしく、そのうちに「AMI」でも外に回路を開いて何かをするとかいったこともあるみたいなんで、とりあえずページなんかで活動に感心を寄せておくのが良いのかも。

 この前の記者会見ではあんまり聞けなかった、実作者の立場からの「エロマンガ」を描く理由みたいは話があったのも報告会の収穫かも。ある女性の漫画家さんは自分が児童虐待されたことを絵で再現していくことによって過去の忌まわしい記憶を乗り越えていこうとしているんだと言っていて、このあたり「見るのも不快」って決めつけてかかる規制賛成派の人には是非とも聞いて理解していただかった気が。あとあくまでも虚構での出来事なんで女性だって読んで不快になることはないって言っていた女性漫画家もいて、それがすべての意見を代表しているとは言えないけれど、一方で規制する側の意見もすべてを代表している訳ではないことが証明されて、背中を支えられる気がした。

 ただ、報告会に参加していた民主党の枝野幸男衆議院議員が、規制に賛成したがる人がいるって事実と、その人たちが心配する気持ちも分かろうとする努力が必要だって言っていたのももっともな話で、僕の大好きな「エロマンガ」は決して悪くないんだと理想論で主張するばかりでは勝てない可能性の高い戦いに勝つために、相手の意見を聞きつつ相手も納得できるよーな、かといって規制はかからないよーな方策を探してそこに収斂させていく、面従腹背的な戦い方をやっぱりしていく必要があるんだろー。漫画に留めず表現規制全般に話を持って行って、あらゆる表現者に危機感を抱いてもらうのが筋なんだろーけど、そーした表現者の間に「あいつらが突出するから俺たちまで巻き添えを喰うんだ」意識を持たせて分断し、線引させて規制に持ち込むって手を使われる恐れもあるからなー。そーした線引が次の瞬間には「エロマンガ」規制に賛成する自分の側にも迫ってくる可能性もあるんだとゆーことを、気付かせる活動も大切になりそー。

 あと、お互いに納得できるよーなゾーニングみたいな解決策を見出してはみたものの、そーした対策はコストがかかると例えばコンビニエンスストアが取り扱いを止めてしまうと言い出しかねない可能性、だったらそーしたヤバい雑誌とかは最初から作らないでおこーと出版社側が自らをスポイルしかねない可能性なんかにも想像を至らせる必要も。受け手なり作り手の意識以上に、間に入る出版社なり取り次ぎなり書店なりといったセクターへの、あなたたちだって表現の自由とゆー大切なものを担ってるんだ、って自意識を抱かせる活動なんかもこれからは大切になりそー。けどなあ、一応今日のワークショップ開催とその後の報告会開催の案内記事を自分家の新聞に書いたんだけど、誰も読んでなさそーだったしなー、マイナーなメディアでしこしこやってる身がこーゆー時はやっぱり悲しい。メジャーに行けるだけの頭を作れなかった自業自得なんだけど。


【12月17日】 SFファン活動についてSFファン活動の大先輩の話を聞きながらとりあえず考えるだけ考えた後、「ルノワール」を経て潰れる寸前の居酒屋へと流れてシャブリだシャルドネだと騒いで幾時間。三島に帰るのも面倒と博士が若人ら(若人あきらとは無関係)と渋谷の街へと消えく姿を背中に感じつつ自宅へと戻ってテレビで「セリエA」のパルマの試合のダイジェストを見てしばし呆然、よわっ。司会も解説もジローラモさんも怒り心頭のヘタレ守備ぶりが、とてもイタリア代表ディフェンダーを要するバックスラインには見えず、歯車のズレたチームのとことんまでズレ落ちていく恐さを目の当たりにして背筋を震わせる。

 こんなチームじゃ中田英寿選手がひとり、出て頑張ったって勝てず加えて責任まで押しつけられてしまう可能性が大。ここは控えでアップ中に副審と激突するくらいの熱さを見せつつダンマリしながら嵐の過ぎ去るのを待った方が吉かも。あるいはアーセナルに移籍って手だってあるんだろーけれど、直後に放映された試合を見ると中盤とかスッ飛ばしても構わないくらいに早い繋ぎで前線へと回して一気にシュートまで持っていく速さが果たして中田に向いているのかがちょっと不明。フェイエノールトの小野選手がボランチで大成功しているのと比べると、「サッカー批評」の最新号で誰かの息子が「中田は強いだけ。上手いのは小野」って言ってたよーだし、やっぱり「セリエA」の方が向いているのかもしれないなー。

 「SIGHT」の最新号の年間書評でビジネス書方面を担当しているのは稲葉振一郎さんと「悔い改めよハーレクイン」な日も近い山形浩生さん。扶桑社に富をもたらした「チーズとうじ虫」とは無関係な「チーズはどこへ行った」(スペンサー・ジョンション、838円)やら、お2人に言わせると「チーズ……」より罪深いロバート・キョサキ「金持ち父さん貧乏父さん」)(筑摩書房、1600円)やらがどーして編集部によって選ばれてたりするのかが謎だけど、2人の口からブッ叩いてもらうって意味でわざわざ上げたってことも考えられるからなー。だとすれば1番腹黒いのは編集部=渋谷陽一さん? 「ははははは」。またごまかしてる。

 山形さんがどーして「プロレスラー知事」(ジェシー・ヴェンチュラ、飛鳥新社、1800円)を挙げてるのかが一瞬不明だったけど、徹底したリバータリアンの政策が何を生みだしどこへと向かうのか、って視点からのセレクトだったんで納得。「日本の一部のタレント候補と通じるところがあるんだけど、彼のほうが一貫性を持っていて、しかもそれを実際にやっちゃってるという」(170ページ)って指摘はなるほど正しいけれど、日本のタレント候補じゃ当選したってやれることも限られてるから比べちゃ悪いって気も。もっともそれなのに当選させてしまう人がいるからなお救いようがないんだけど。何かを実際にしやすい知事だって議会とか鬱陶しくって身動きが取れないのは似たりよったり。日本のどっかの開明的と言われる知事たちに題を取って書かれた本とかいっぱい出てたけど、挙がってないってことはアメリカほどガラリと政策とが行政の方法とか変わったりしないんで読んで面白くないんだろーなー。

 稲葉さんからはオタキング岡田斗司夫さんの「フロン 結婚生活・19の絶対法則」(海拓舎、1500円)に支持が。「批判は簡単なんです。『リストラって言うけど、要するに夫が家庭で何もしないで楽するだけじゃん』って。だけどこの人の真意というのは、より効率的に使うために外部化したほうがいい場合には夫を外部化する。それがリストラだと言うわけですね」って捉え方が、時代とか社会とか人間関係の変化なんてものを見た時に訪れる家庭、ってあたりを想像しつつ「フロン」にそれがどう描かれているかと見ているよーで感心させられる。山形さんも昔に戻って云々とかって詮無い議論をせずに現実味のある主張があって「新しい考え方を打ち出せてる」と言ってる。新作の「30独身女どうよ!?」はさてはてどう評価するんだろー。30代独身男の見方に興味津々。

 遥か海の彼方のお台場にある「日本未来科学館」だかで電通と宇宙開発事業団(NASDA)が宇宙ステーションに民間資金を導入するべく、宇宙ステーションはいろんなことに使えますってことを証明しよーともくろんだCM撮影プロジェクトが完成。大塚製薬の「ポカリスエット」を宇宙ステーションに持っていって宇宙飛行士に飲んでもらったり触ってもらったりして宇宙飛行士も吃驚、「アクエリアス」はないでよ、ってな内容とはちょっと違ったCMを見せてもらう。ハイビジョンを使った映像はとにかく鮮明で技術の進歩は驚くばかりだし、それ以上に地上と宇宙ステーションとをリアルタイムで結んでステーションの中で演技したり実際に撮影にあたる宇宙飛行士を演出してしまったって撮影方法に、宇宙も近くなったんだなーって思いを抱く。ディレクションを担当したタナカノリユキさんは人類市場始めて宇宙にいる人に演技をつけた監督ってことになるのかな。1月1日からテレビで放映されるんで宇宙マニアは注目。「ポカリ」を打ち上げたロケットを間近で撮影した人、貴重なものが見られて宇宙マニアな人から嫉妬の嵐を浴びるかも。


【12月16日】 赤い壁だかをバックに腕組みして微笑む宮崎駿監督、とゆー構図がいわゆるインタアナショナルな思想信条から選ばれたものなのかそれとも歳に無関係に衰えを見せない熱血ぶりから来るものなのかは渋谷陽一さんのみぞ知る、って感じなんだけどともかくも目立つって意味ではこれ以上ないくらいに目立つ表紙の「SHIGHT」最新号を購入、まずは宮崎さんへの4万字インタビューに圧倒される。

 過去の作品から最新作の「千と千尋の神隠し」まで、過去に累々と積み重なった”宮崎アニメ”について総括的に語りまくったインタビューで、個々の作品については過去にそれぞれについて語られた話がまた読める、って感じの部分も結構あるけどそこは渋谷さんだけあっていわゆるアニメ的なバックグラウンドとは無関係に見たもの感じたままを訊ねてたりする部分もたくさんあってアニメファンでも楽しめる。もちろん宮崎さんを最近知ったって人でも。

 「天空の城ラピュタ」のパズーとシータのそれなりになめまかしい関係について、多分普通のアニメ雑誌とかじゃあんまり聞いてなかった記憶があるんだけど、例えばシータとパズーがキスもしないし顔を見合わせ抱き合いもしないのはおかしいと渋谷さんに突っ込まれて、「僕はそういうことはしなくても、十分あの映画はやってると思ってるからいいんです、もう」(21ページ)と返答している部分が興味深い。

 ”やってる”って言葉の意味は含みがあるけど、その辺はおいておいてともかく2人の心の通い具合をどう表現するかって部分で、「アニメーターが描いてきた絵をみたらね、シータが後ろからかじりついてるんですけど、僕はかじりついてないはずだって言ったんですよ。ちゃんとね、娘の胸の膨らみをパズーは感じてるんだって、だから毅然としてるんだってことを考えないで書いてるだろう、って言ったら」(同)なんて発言していて、宮崎さは決して記号としての美少女なんかじゃない、血肉を備えて感情も持った人間としてキャラクターを描こうとしてるんだってことが伺える。

 まあ徹底してエロスを「ラピュタ」について意識したかどーかは「それはわかりません」(23ページ)と言ってたりもするんで案外と天然に描いてたりするかもしれないけれど、「ハクと千尋の関係をうんと近くするっていうふうに、始めから意図してそういう絵コンテを切ってましたよ」(同)って発言もあったりして、そこに描かれている人の内面までをも考察してるって辺りはやっぱり正しそー。描かれてきたクエス・パラヤの原画だかから女性器の臭いがしないとリテイクを出したとか出さないとか岡田斗司夫っさんの同人誌で読んだ某総監督の血肉づくりは、またちょっと違ってるんだけど。

 ただ、問題は作品を受け取る側に、コミュニケーションになかなか不自由してたりする例が増えてたりする中で、宮崎さんのそーした意図まで汲み取って関係を考察するんじゃなく、それこそパターン認識的にキャラクターの配置とその後の動きを読みとって、萌えたり萌えなかったりしてしまう人のじわじわと広がっているっぽい状況がちょっぴり感じられたりして、今はともかく将来、どんな見方をされてしまうんだろーかってな心配もある。まあブームだからとは言え、1000万人とかが見に行く作品ってことはそれなりに描かれている人の心情までをも組んで感情を入れてたりする人もいるんだろーと思えないこともないんで、日本はまだまだ捨てたもんじゃないのかも。押井守さんへの宮崎さん絡みのインタビューともども掛け値なしに「保存版インタビュー」。

 しかしやっぱり相変わらず「ははははは」が多いなー、渋谷さんのインタビュー。ってゆーかそーやって流していくだけでも立派にインタビューが成立してしまう辺りが、聞き出し上手の名インタビュアーってされる所以なんだろー。押井戸さんへのインタビューのある段落なんて、「(笑)そもそも一番最初に戻ると、押井守と宮崎駿の関わりっていうのは、どこから始まったの?」(48ページ)って質問の後が「ふーん。」「ははは。」「(笑)へえ。」「ああ、そうなんだ。」「へえ。」「ははははは。」「あ、そんなもんなんだ? へぇー。」「ははははは。」「ははははは。」「お互いに機械は好きだけどね。」「はははははは」。」「(笑)しかし笑えるね。”宮崎駿・押井守、戦車を見に行く”っていう絵は。どういう50歳と60歳だよ。」、だもん。

 それでいてこんなんで、ちゃんと存分に押井さんが語っちゃってたりするんで驚くやら感動するやら。相手の言うことをすべて活字に起こしてるから、間の相槌まで入ってしまうだろーとは思うけど、やっぱり「ははははは」まで入れられると読んでて不思議な感じがする。新聞記者で財界人にインタビューにいって相槌だけ打ってそれを記事にしたら絶対没、だもんなー、ってゆーか相手のコメントじゃあ説明し切れないところを質問の中で説明的に書いて聞いたフリしちゃうからなー。「どうよ?」ってだけ聞いてあとは「ははははは。」ってインタビュー、新聞に書いてみたいもんです、クビをかけて。

 2001年の文学の総括をしている斎藤美奈子さんと重松清さんの対談で斎藤さんが「そこに敏感になって欲しいよね。2ちゃんねる用語で小説書いたらおっかしいよ。くだらない短編とか(笑)」って言って重松さんが「『逝ってよし』とかね(笑)」って返して斎藤さんが「『オマエモナー』って(笑)」って締めてるんだけど、もうあるよ、菅浩江さんに。徳間デュアル文庫から出てる「少年の時間」ってアンソロジーに入ってる短編「夜を駆けるドギー」がそれなんだけど、斎藤さん重松さんもさすがにそこまではフォローし切れてないか。あれほどさわやかな「逝ってよし」「オマエモナー」を読んだことがなかたんで驚いた小説なんだけど。

 ちなみに「2ちゃんねる」用語云々は今流行りの綿矢りささん「インストール」につて「チャットの文体とせりふの文体が同じなんだよね。それはちょっと、この世界を書くんであればあれはまずいと思うんだ」って重松さんが突っ込んだ延長で出てきたものなんだけど、多分そのまんま「2ちゃんねる」用語で「インストール」が書かれていたら、選考した人とか分かんなかったんじゃなかろーか。まあ菅さんだって書くくらいなんで、そー遠からず一般化した「2ちゃんねる」用語で固められた小説とか出てきそーなんで、その時にせめて意味くらい分かるよーに、「2ちゃんねるマガジン」とか読んで勉強しておこー。「吉牛」口調で書かれたショートショートとか、出ないかな、「そんなことより聞いてくれよ」で始まって「おめでてーな」とか「小一時間問い詰めたい」とか入ってる。

 遊園地イベント探訪シリーズ第2弾、ってことで「後楽園ゆうえんち」で開催中の「ぱーてぃ! パーティ! テディペア☆クリスマス」を見物に行く。例の「バースディベア」の366日分366体を園内のあちらこちらに飾って自分の誕生日ベアを見つけてもらおうって企画で、ってもお菓子のおまけにつけられているあの小さい奴じゃあ流石になくって、体調で30センチくらいの大きさに拡大されたベアをあちらこちらに飾っているもので、「ガオレンジャー」のショーを見に来た子供は別にして、「バースディベア」を知ってる若いカップルなんかが手に一覧表なんかを持って、自分のベアを探して園内を歩いている姿が散見された。僕? ひとりだよ。それはそれとして大きくなったとは言え似た柄の結構ある「バースディベア」、自分の7月10日を探してウロウロしては見たけれど、手足は赤くて胴体が花柄ってのを見つけたと思ったら手足は赤なんだけど胴体は格子模様の7月5日だったりして、「ウォーリーを探せ」ほどじゃないけどそれなりに迷う。

 そこは親切さもあって、どのあたりに何座のベアが固まっているかを教えてくれるあみだがあって、最後や頼ってしまってちょっと情けなかったけど、それでも30分とか楽しめたから真剣にやろーとする人だったら5人くらいで行って完全ノーヒントな状態で、探し合いっことかしたら3時間くらいは潰せるかも。見つけたかどーかは携帯でやりとりするなり1人審判を決めてその人に連絡した時刻をあとでつきあわせればオッケー。「写メール」で映像ごと送れればなお面白いかも。見つけた人が首のリボンの色を書いて応募すると1人に世界に1つの「自分の誕生日ベア」があたるってイベントも実施中。せっかく見つけたんでとりあえず応募したけど、もらえたらどーしよー、7月10日生まれの人にあげよーかな、双子の弟とか画家のキリコとか。

 あと場内には30ベアだけじゃなくって全長7メートルベアってのもあって、これがなかなかに壮観。前で写真とか撮ってる親子連れとかいて名物になっている。イベントは25日までなんで行く人は早めにゴー。しかし場内のあちらこちらに12月31日開催の鳥肌実さんの年越しイベント「ジオポリス陥落」のポスターが張られていたのには驚いた、子供ひきつけ起こすんじゃない? 集合21時で決行22時で完了25時30分。その間「乗り物乗り放題」で「鏡開きあり」で「餅つきあり」な得々イベント、日本刀で樽を割るとか38式歩兵銃のストックで餅をつくとか、いろいろと見せてくれちゃったりするのかな。冬の真夜中を褌一丁でかけてくれたらもう最高、「チケットぴあ」とかで前売りしてて料金は2500円。大晦日の初詣なんか大嫌いって人はいっしょに年を越してみてはいかが。しかし壮絶な年越しになりそーだなー。行こーかな。


【12月15日】 新作が公開されたみたいなんで「ゴジラ」を見に行く。何でも今度の怪獣は広さが5800平方メートルもあって高さもてっぺんが30メートルとなかなかに巨大。1949年の誕生とゆーから、今回の作品で復活なったゴジラの初代が水爆実験による誕生し、田所博士の「オキシジェンデストロイヤー」で倒された1954年よりも以前から、東京は浅草の地でその威容を誇っては周囲に集まる人々を圧倒して来たことになる。最近でこそ遠く千葉の地に蔓延る外来獣によって存在感は薄れつつあるものの、まだまだ衰えぬ容色でもって「浅草寺」の裏手から関東一円に睨みを効かす、言うなれば東京の主とも言えるその怪獣に果たしてゴジラは勝てるのか……って違う? 今度のゴジラが戦うのはバラゴンにモスラにキングギドラだって? おかしいなあ、ちゃんと看板に書いてあったんだけどなあ、「ゴジラvs花やしき」って。

 まあそれはともかくとして、浅草に未だ衰えぬ容色でもって君臨しているって面は確かなテーマパーク「花やしき」。その年末年始イベントってことで東宝あたりとタイアップしたイベントが開かれてたんでちょっと行って覗いてみたんだけど、さしものゴジラファンも映画「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」が初日とあっては流石に「花やしき」まで足を運んでいる時間がなかったのか、それとも既にスタート初日に行って回ったのか、土曜日だってのにゴジラ絡みの企画を楽しんでいるいかにもな人が誰も見えず、近所から来たっぽい親子連れとかカップルの中でひとり、スタンプ帖を持ってうろうろしている自分がちょっと恥ずかしくなる。ゴジラ様のためなら恥ずかしくないって言って言い切れないこともないんだろーけど、ひとりはさすがに堪えるなー。

モスラはともかくどーしてキングギドラが聖神なんだ?  900円だかの入場料を払って園内に入って、まずは脇の売店でスタンプ帳を購入。園内に設置された4つのスタンプを押すためのシートで、早速売店前にあったスタンプ台でえっと何だったっけ、映画では「地の神」だかになっているらしーバラゴンのスタンプを押す。とりあえず4つ、「海の神」のモスラに「天の神」のキングギドラにそれから「破壊神」ことわれらがゴジラのスタンプを全部そろえよーと場内をウロウロしたけれど、狭い割にはあちらこちらと動き回らなければならなくってちょっと大変。寒いし人目は気になるし。それでもとりあえず「神様」系をあつめてから、建物の3階で開かれている「大ゴジラ展」とかを見物、入場料がまたまた300円かかるのが難だけど、映画に使われたらしー着ぐるみとかがそれなりなセットの中に立っているジオラマが作られていたりして、あと「モゲラ」の新しい方とかをバックに写真も撮れるよーになっていて(嬉しいか?)、ファンならまずまず楽しめるかもしれない。

 ファンでなくても右のシアターで上映中の予告編集とそれから左のシアターで上映されている4分弱の「バトルファイト」い16分の「ゴジラと20世紀」そして32分の「メイキング・オブ・ゴジラ」ってフィルムは、見ていてゴジラの歴史が分かってバトルの凄さが理解できて映画作りの大変さも伺えて、勉強になって楽しめる、かもしれない、いやさすがにたったひとりで右のシアター、左のシアターをめぐって両方で1時間くらいはかかる映像を見ている心のゆとりがなかったんで、予告編集を見ただけにしたんでハッキリとは知らないんだけど。その予告編集、なぜかハリウッド版「ゴジラ」の予告編だけ3パターンが上映されてて、いずれ劣らぬ特撮の冴えと本編へと関心を誘う勿体のつけぶりに、アメリカの映像技術の底力やら、予告編制作テクニックの凄みを見る。この予告編を見て、どんなに凄い「ゴジラ」が見られるのかって期待した人も多分世界に10億人はいただろーから。

 最後は「ゴジラ大明神」とやらにお参りして100円の賽銭を投げて終了、お金を入れるとあの声で鳴くって言われれば、やっぱり入れたくなるのが人情ってもんだ。スタンプもとりあえず全部揃って善哉。品田冬樹さんデザインとかって書いてあったけど、ゴジラの体の溝の感じとかモスラの胴体のブヨブヨとした感じとか、キングギドラの鱗のペリパリとした感じがちゃんと表現されているのは凄い。これだけでも商品としれ売れそーな気がするけれど、護国三聖獣に破壊神なんで勝手に持っていくよーな悪い人には天罰が絶対に下るから、どっかの「アンパンマン」の石像みたく、いくら好きだからって持って帰っては絶対にダメだよ。持って帰るんだったら「浅草ROX」の横にあるサンタクロースの格好をさせられた「ウルトラマン」にしときなさい、帰れるものなら、だけど。

 トロトロと地下鉄を乗り継いで今度は代々木の「国立霞ヶ丘競技場」へ。何でも早稲田と慶応が韓国の高麗に延世とゆー大学とそれぞれ混成チームを結成して戦うサッカーの試合があって、それもタダで見られるってんでこれは行かない理由はない。聞くところによれば高麗大の方には、現韓国代表で「サンケイスポーツ」なんかによればバッジョを越えるファンタジスタってことらしー李天秀って選手が入っているそーで、来年の「2002ワールドカップ」でもしかすると決勝で、日本と戦う相手になる、訳はないけどその次の大会では絶対に目の前の壁になる人だけに、どんな選手なのかをこれまた見ておかない理由はない。ほかにも前の韓国代表監督の息子でやっぱり韓国代表の車ドゥリーって選手も高麗大にはいるし、相手の延世大にも2人、やっぱり代表が交じっている豪華ぶり。対する日本人選手の方は……フル代表は当然ながらゼロ。かつては代表への登竜門だた日本の大学サッカーも、今では脇道になってしまったんだなー。

 結論から言えば試合は質・良とも慶応大学の圧勝。さすがは名門として良家の子女が幼稚舎からエスカレーター式に進学しては学校に洗練されたイメージを植え付け、外からも優秀な学生が大勢集まては産学官のみならず、今の小泉総理大臣を筆頭に政治に対しても優秀な人材を送り出している学校なだけのことはあって、どの選手を見ても顔立ちは眉目秀麗で笑顔は艶やかで足はスラリと細くエールを叫ぶ声は鈴の様。ビートに乗せて上げる足はどこまでもしなやかで、振る腰はどこまでもなめまかしく、掲げるボンボンは抜ける青空に生えてどこまでも清冽なそのプレーぶりは、対するにエンジが基調のユニフォームに包んだ身、乗った顔どこか庶民を思わせる親しみやすさを醸し出している早稲田では、申し訳ないけれど次元が違うレベルが違う。

 分けても整列してのチアリーディングで、向かって1番右側の最後列あたりで踊っていた選手のキリリと美しかったことと言ったら。後半戦に入ってからのプレーでは、向かって1番右側の1番下の位置にいたけどやっぱり綺麗。端にいるってことは多分、まだまだ下級生なんだろーけれど、この容色でもって長じていったらおそらくは慶大を、いや日本を代表するプレーヤーになるだろー。そんなプレーヤーたちが、艶やかで清冽なプレーを、スタンドに座っている観客のすぐ真横でやってくれるんだから言うべき言葉がない、もう最高。早稲田が18点だったとすると、慶応にはそーだな、1万20000点くらい上げたって良いや。凄いぞ慶應義塾大学応援部チアリーダー。サッカーの試合は? だから真横でチアリーダーが足とか上げて腰とか振ってるのに、試合なんて見ていられる訳がないでしょー、知らんよ、どっちが勝ったかなんて。

 ってのはこれまた冗談で、いや7割くらいは本当だけど3割はちゃんとサッカーの試合も見ていたってことで、例の車監督の息子とか別の高麗大の選手といった韓国のフォワード陣が面白いよーに得点を重ねて終わってみれば早稲田・高麗の混成チームが慶応・延世の混成チームを6対0で圧倒。期待の李選手は後半の途中かの出場で、大勢の決した後ってこともあってボールに触れる機会があんまりなくって、その真価を目の当たりにすることはなかったけれど、ポーンと蹴り出すボールがちゃんと、サイドを上がってる選手に届くあたりのさばきっぷりとか、ドリブルの佇まいとかからはそれなりな才気が感じられる。ってゆーか韓国の選手と日本の選手の差が正直あり過ぎて、見ていてチームとしてちょいチグハグな感じがしてしまった。フル代表じゃなくっても「U−20」だったり「U−17」のだったりがゴロゴロだから仕方がないんだろーけれど、やっていてどー思ったのか聞いてみたいところ。これで「日本のサッカーってレベル低っ」と思って帰って油断してくれたら有り難いんだけど。もしかしてそれが狙いか、日本サッカー協会?

 ものはついでと「後楽園ホール」で開催されたボクシングの「第48回全日本新人王決勝戦」もちょっとだけ見物、立ち見だったんで長居はできなかったけど、冒頭のライトフライからフライ、スーパーフライに”黄金”のバンタムの4階級を見物して、生で拳がバシバシと当たる音を始めて聞く、うーん痛そー。軽量級だったんでダウンがなく勿論ノックダウンもなくって判定の試合が続いて腰が痛くなったけど、軽く見える撃ち合いでも顔とかがみるみる真っ赤になっていく様子を現場で見ると派手じゃないからって決して文句は言えないね。

 ”黄金”のバンタムでは待望のノックダウンが見られてそれはれれラッキー。7戦7勝5KOってなかなかの戦績を誇る長井祐太って角海老宝石勝又の所属の選手がグリーンツダの田呂丸誠治って選手を倒したんだけど、もしかして将来チャンピオンとかになるのかな? 記念に長井選手の名前の入ったグローブを2500円で買って帰ったんで、是非とも日本といわず東洋太平洋ともいわず世界に君臨して頂きたいもの。期待しよー。ご近所ってことで「船橋ドラゴンジム」所属で判定だけど買ったファンタスティック泰輔ってちょい巫山戯たリングネームの選手とともに。


【12月14日】 ネット散歩してたら何か最近立ち上がった「連絡網 AMI(アニメーション,マンガ,インタラクティブゲーム・ネットワーク)」って所のページに本日午後、「衆議院議員第二会館」とかで緊急の記者会見があるって話を見つけて慌ててかけつける。基本的には来週18日に横浜で開催される「第2回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」なんてゆー、児童ポルノなんかを根絶しよーと頑張っている人たちが集まって話し合う国際会議の中で、根絶させられかねない側に入れられそーなマンガとか、アニメーションとかゲームといった「絵」を基本にした表現物は実は全然違うんだ、ってことを主張して世界の誤解と説きつつ規制しよーとする側にも訴えかけることを目的にしたワークショップ「漫画はCSEC(子供の商業的性的搾取)ではない」の事前アピールをかねた記者会見で、どーゆー立場から規制に反対するのか、それはどんな理由に立脚するものなのか、ワークショップではどんな話をするのか、なんてことがとりあえず説明された。

 こーゆー事前告知が当日のワークショップへの注目増強へとつながって、ワークショップが目指す児童ポルノの範疇からの漫画とかアニメとかゲームの除外がちゃんと行われてくれればそれはそれで前向きな話なんだけど、告知が決して行き渡っていた風でもなかった関係か、記者会見の存在自体を知ったのが当方は当日で、まあ別に影響力のあるメディアをバックに持っている訳でもないから当日知ろうと翌日知ろうと大勢には影響ないし、ワークショップで主張されそーなこと自体、夏から2回、開催された「ロフトプラスワン」でのイベントを通じて理解しているから良いんだけど、より影響力を持ったメディアの人がちゃんと来ていたかって辺りになると、なかなかに怪しいところがる。

 珍しくも背広姿の伊藤剛さんを司会にして山本夜羽さんとかコミケット代表の米沢嘉博さんとか作家の藤間紫苑さん漫画家の蓼野絵理子さん小平市議会議員の関根玲さんといった面々のアピールが、事態をちゃんと理解して、且つちゃんと動いてくれるよーになって欲しい人たちに、ちゃんと伝わらなかったら折角の会見がもったいない。この辺り、意識は意識として尊重しつつも、その意識を伝播させられるプレゼンテーション能力を持った人がいれば大丈夫なんだろーけれど、記者会見のメンバーに入っていて、事態をしっかりと把握した上でだったらどーすれば規制の動きを打破できるのか、って辺りまで踏み込んで戦術を打ち出し、より有効な形で実行へと移すための手法を説明できる宮台真司さんが、遅れた挙げ句に登壇できなかったのがちょっと痛い。

 当方に限ってはおおよその予想はついたけど、もしかして来ていたかもしれない、事態を把握し切れていない一方で影響力のあるメディアの人にとって、宮台さんから説明があった方が、やっぱり良かったかな、って気がする。上への受けとか紙面での落ちつき具合といった、本質とは大きくズレてはいるし、純粋の表現の探求として子供を描き、それが規制になるかもしれないと言われて、困っている人たちにも申し訳がないけれど、実際問題メディアの中で根強く残って如何ともしがたい旧態依然としたバリュー判断、悪く言うなら一種の”権威主義”に、宮台さんの言葉ってとっても乗せやすいんだよね。どーして来なかったんだろー? って悪意を持った想像は可能だけど、18日のワークショップには、東浩紀さん斎藤環さんジャクリーヌ・ベルントさんらと並んでパネルに立つから、そこでの発言がメディアの尊大な壁を突破し無知なままいたずらに規制のみを叫ぶ人の心の殻を突き抜けて、届くことを願おう。

 おおまかに言うなら「AMI」の主張には、ひとつには「漫画などのキャラクター表現には直接に被写体が存在せず、児童を性的に搾取するものではない」ってことがあって、いわゆるポルノビデオとか、写真とかいった実在の子供に被害者が出ているものを規制し根絶しよーとするその主旨と、漫画やアニメやゲームといった誰も被害を受けていないものを規制しよーとする動きは全然一致するものではない、ってあたりから反論してく模様。「でもそんな絵とかを見た人が実際にやってみたくなる可能性は高いんじゃないの」といった、古くから脈々と語り継がれている表現物がもたらす影響についても、データとしての因果関係の無さを斎藤環さんあたりが臨床医の立場から説明することで、反論していくことになるみたい。

 あと、限定であっても規制が加えられることが、恣意的な判断基準がもとになってしまう関係上、いずれ更なる規制範囲の拡大なんかが行われて表現活動をスポイルしたり、規制がかかってゾーニングよーな制度が設けられてしまったために、面倒だなって判断から取り次がれたり、売られたりしないよーな一種の自主規制が起こってしまう恐れなんかもあって、このあたり、ことエロ漫画のことだと傍観せず、表現者一堂が何らかの危機感を持って事態を見て欲しい、ってあたりの主張ももしかしてあるのかな。ワークショップ自体は登録制で入るのは難しそーだしだいいち横浜で1日潰す訳にもいかないこの年末、せいぜいが夕方6時からの連動イベントに出られるかもしれない程度なんで、やってる人には後日果たしてどんな成果や反響ああったか、なんてことをパッと見られるよーにして頂きたいもの。しかし遠いよなあ、イベント会場の「エルパイネ・横浜市老松会館」って。

 ひとつ悩んでいることがあって、ここで反論に使われる「エロマンガと児童への性的虐待との因果関係は無い」って分析が、プロによって客観的に論証されていたとしても、果たしてそれが素直に信じてもらえるのか、恣意的に見方してるんじゃないか、って突っ込まれた時、どこまで力を持ち得るのか、ちょっと考えてしまう。ジャーナリストも権力者も、とっても疑り深いんだよね、自分に反対する意見に対しては。あと今現在はなるほど因果関係はなくっても、社会が代わり教育が衰退し家庭が衰え社会が変化してしまった結果、人が人倫にもとるよーな行動を取ることを自省する気持ちも雲散して行き、将来因果関係を持ち得るんじゃないか、ってな不安がある。

 昔だったら刺激を求めて派出所を襲う中高生、なんていなかった筈。なのに今朝の新聞を見ると、撃たれるかもしれないなんて恐怖を抱いたか抱かなかったは知らないけれど、少なくとも捕まる可能性は想像しながらも、平気で派出所を襲って逃走したって記事が載ってて、訳が分からなくなる。このあたり、統計的な現状だけじゃなくって、未来においての想像力も働かせながら、あるいは因果関係が生まれてしまう可能性なんかも考慮に入れつつ、だったら今、何をしておくべきかなんていった指摘もあったら、悩む当方の気持ちの整理に役立つかも。さてはてどーゆー展開を見せるのやら。ここを越えても今度は「青少年社会環境対策基本法」あたりが待ってたりするからなー、先は長く且つ険しい。

 時代変われば、ってことでは悪い方向にばかりじゃなくって良い方向に変わることもある訳で、昔はそれが想像もつかないくらいに異端だったことでも、今にして思えば他愛ないことだってことはそれこそ枚挙に暇がない。蓮見圭一さんの「水曜の朝、午前三時」(新潮社)って小説は、親の言いつけを守って女子大を出て堅い出版社に入るって、1970年前後はたぶんごくごく普通な暮らしぶりだった女性が、親に逆らい万国博覧会でコンパニオンとして働き始める姿を描いていて、10代で自立する女性の山ほどいる今から振り返ると、何とも慎ましい時代があったんだなー、って感慨にとらわれる。

 さらに彼女が万博の会場で出会って惹かれた男性と、一度は結婚を決意しながらその男性の秘密に触れて躊躇してしまう展開は、高度経済成長下にあったとは言え30年前の日本をまだまだ覆っていた、ある種の感情に当時としては進歩的だった女性もやっぱり捕らわれていたんだな、ってことが伺えて興味深い。なるほど今でこそ大きく緩和されて来ているんじゃないかとは思うけど、気持ちの奥底に年輩の人なら刻み込まれ、若い人だと入ってくるさまざまな情報によって張り付けられてしまった感情だったりする可能性も皆無じゃなかったりして、こればっかりななおいっそうの変化が求められているのかも。万博で働いていたコンパニオンたちの恋愛事情、昼食事情なんかも分かって勉強にもなる小説。あの時代を知りたい人は手にちょってパラリパラリとめくってみては如何。


【12月13日】 続きっぽい「エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室」(講談社ノベルズ、1050円)が出て上遠野浩平さんが帯を書いててコスプレ話っぽいんで読まなくちゃいけないと思ったけど、続編っぽいんででやっぱり最初のを読むのが筋ってことで、佐藤友哉さんの「フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人」(講談社野辺ズル、880円)を読む。フリッカーって洋風天麩羅みたいなものだったっけ、それはフリッター、をいをい。抜けない冗談はともかくとして、ベベベッと読んだ印象はなるほとオタクな人の背筋にピクリと来る固有名詞が頻出していて楽しい人には楽しい話ではあるけれど、それだけじゃなくって荒唐無稽なガジェットエピソードシチュエーションの重奏でもって読み手を呆然とさせた上に、ちゃんとケリまでつけてしまうサービスぶりで、なるほど錚々たる面々に受けたってことも何となくだけど分かる。

 妹の突然の自殺、その背後にある組織への復讐に走る主人公と、続出する少女が殺される事件の関係をめぐって繰り広げられる物語の、結末やいかに。いやすげえ結末だったりするんだけど、荒唐無稽さはそれとして、描かれていること自体にはちゃんと整合性がとれていたりするあたりが、ホラーとかファンタジーとかいった感じじゃなく、ミステリーっぽさを感じる理由なのかも。まあ「講談社ノベルズ」とゆーレーベル(?)に、荒唐無稽系ミステリーのイメージが妙に染み着いてしまった、よーに見えることの方が大きいのかもしれないけれど。

 人とかバンバンと傷つくし死んだりもするのに、それを受け止める人の別に心に葛藤を抱くとか躊躇するとかいった感じの一切ない様が、理由なんて関係なしに人がバンバンと殺されたりしている現代っぽさを感じさせてくれたりする。傍若無人の限りを尽くす主人公はじめ登場人物たちの、いそーもなさそーで実は案外いたりしそーな、背筋がゾクゾクとさせられる”リアリティ”も読んでいて楽しかった部分、いや楽しんではいけないんだろーけれど、現実の世の中がさらにイっちゃている感じだってする現代、これくらい傍若無人の限りが尽くされ荒唐無稽の極地を行くよーな話が出てきたって、不思議じゃないどころかむしろ当然なのかもしれない。「エナメルを塗った魂の比重」はさてはてどんな荒唐無稽な話が展開されているのやら。週末に読もう。

 何かの死、といゆーか永遠の別離が読んで目にジンワリと来てしまう、って意味で割と真っ当なのかもしれないのがTONOさんの「チキタ★GUGU」(朝日ソノラマ、760円)の第2巻「チキタ★GUGU2」(朝日ソノラマ、762円)。1巻でも出てきた可哀想な水玉熊のシャルボンヌが再登場しているけれど、その無邪気さが結果として招いてしまった悲劇が読んで実に胸にこたえるし、悲劇を悲劇だと認識したシャルボンヌが抱く心の葛藤もまた胸に辛く響いて来る。双子なのに一方が受けた傷がすべて一方に移ってしまうよーになってしまった姉妹の、表面的には人の心の醜さを現しているよーで、本当は人の心の尊さを現して哀しみのうちに幕を閉じたエピソードも、読んで辛い思いにかられる。

 人を喰う妖怪のラー・ラム・デラルと同様に、人を喰おーとしていたオルグって妖怪が、100年経った時にたどりついた心境には、人に限らずすべての命あるものたちにとっての、ひとつの真理として訴えかけてくるものがある。人とか結構たくさんアッサリと死んでいく内容は、「フリッカー式」なんかよりも時として過激かもしれないけれど、積み重なっていくエピソードの中で、その死の意味がだんだんとカラー化するよーな感じで大きく重たくなっていく展開は、方向として正反対だし、どちらかといえばこっちの方に心惹かれてしまう。とはいえ現実はますます「フリッカー式」へと進んでいく状況。「チキタ★GUGU」がどう読まれ、どう受け止められるかによって日本は、世界はちょっとは真っ当な方向へ向かうかな。無理かなー、やっぱ。ここんとこ熊タイプが多かっただけに、久々の娘型ラー・ラム・デラルにちょっと萌え。萩尾望都さんの「あぶない丘の家」(小学館文庫、800円)のアズ姉ちゃんと双璧萌え。なんか感性、歪んでます。

 人間の命がある場所では軽すぎるくらいに軽く、ある場所では重すぎるくらいに重いって状況は、あって欲しくないとゆー気持ちをよそに現実、世界を包み込んでいたりする訳で、何ともいたましい気はするけれど、なかなかどうにもし切れないのもまた現実だったりして悩ましい。楡周平さんの新作「マリア・プロジェクト」(角川書店)は、名家の令嬢が妊娠してしまった挙げ句に堕胎した女児の卵巣がどこかへと持ち去られた事件が発生した一方で、フィリピンの貧民街から少女が消え、少年が消えといった事件が相次ぐ導入部から、地域や立場によって違う命の軽重の問題へと発展していって、人間の何ともおぞましい心根に怒りを覚えつつ、けれども分からないでもない感情も浮かんで、複雑な思いにとらわれる。

 物語自体は、令嬢を妊娠させてしまったものの結婚を許されず、就職してフィリピンへと渡った主人公の男性が、そこで起こった事件なんかを糸口にしつつ、かつて行われたおぞましいプロジェクト、今も行われているすさまじいプロジェクトへと果敢に挑む、サスペンスフルな展開になっていて、その果断な姿に胸がスッとする。設定のスケール感はともかくラストにかけて胸のスカッとするエンターテインメントであることは確か。もしかして現実に行われていたりするのかもしれないのかなー。筋肉質でも熱血でもない、どちらかといえばエリートの男性なのに性格が良くっていざという時の勇気もなかなかってところが面白い。映画化去れたとしたら誰が適任なんだろー。田辺茂一? はうーん、根暗っぽいからタイプ違うか。。

 そうそう田辺茂一が喋らないので有名なNHKのトーク番組で現代アーティストのやなぎみわさんが登場、写真で見た冷徹そーな印象とは全然違って、関西の人だけに喋るとやっぱり関西弁で濱田マリ的だったりするノリの良さが含まれていて、ちょっと印象を変える。あいかわらず「海のトリトン」のヘプタポーダのヘルメットみたいな髪型で、コメントを出していた同じくアーティストの奈良祥智さんが「どこで刈ってるんですか」って聞いていたけど、やなぎさんちゃんと答えたっけ? 喋らず歩いてスタジオを去っていく姿はやっぱり格好良かったんで、もし次テレビに出ていても音は消してみよー。好きな漫画のヒロインをあげていてトップは杉浦日向子さんの「百日紅」に出てきた北斎の娘。あの才能あの性格、なるほど同じアーティストとして憧れるんだろーねー。


【12月12日】 行かなかったけど「幻魔大戦」アニメ化の発表があったそーで担当がもらって帰って来た資料を見てちょっと吃驚。もちろん「幻魔大戦」が最初は平井和正さんと石森章太郎さんのコラボレーションでスタートして、最初のバージョンが描かれてその後も由井正雪が出てくる「新幻魔大戦」なんかが共同作業で生まれていることは記憶しているけれど、どちらかといえば「幻魔大戦=平井和正」ってイメージが”差し金入り”のヒライストとしてあっただけに、確か徳間書店の「リュウ」に連載されていた、蟹みたいな頭をした兄ちゃんたちが出てくる、平井さんのまったく関わっていない「幻魔大戦」がアニメ化されるってことに、どーにもビミョーな感じを覚えて仕方がない。実を言うと「リュウ」版の「幻魔大戦」が面白かったって記憶がなくって、数ある石ノ森章太郎作品の中で、何でまたこの作品をわざわざアニメ化するんだろーって印象も浮かんで仕方がない。

 なるほどひとつには「人造人間キカイダー」から「サイボーグ009」と流れる石ノ森作品のアニメ化の延長ってこともあるんだろーけれど、この2作は圧倒的な知名度と、製作に携わっているスタッフの人たちの良さでもって成り立ったんであって、「幻魔大戦」のアニメ化を仕切ってるAT−Xが決して懐かし系コミック作品のアニメ化に大成功してるって訳じゃない辺りに、一抹の不安なんかを感じてしまったりする。例のすでになかったことにされていそーな「バビル二世」のもしかして二の舞なんてことになったら、「009」で盛り上がった個人的な石ノ森リスペクトな気持ちにささくれが起こってしまいかねない。掌中の珠として「幻魔」ワールドを磨き続けてきた平井さんの反応も気になる所。さてどーなることやら。そーいえば平井さんの少部数刊行版「幻魔大戦DNA」まだ注文してないや。をを知らないうちに「e文庫」で豊田有恒さんの歴史的な1冊「あなたもSF作家になれるわけではない」が電子書籍になってるぞ。

 このページが始まって来年の2月で丸6年ってことはつまり、スタート当時結構話題にしてた「新世紀エヴァンゲリオン」も放映から丸6年が経過中ってことで、小学校への入学を控えていた人が今や中学校への進学を控える身の上で、東京あたりだったら中学受験だなんだかとあくせくしていたりする位、長くて重たい時間が過ぎ去ったんだなーってことを今さらながらに思ったのは、童話作家で詩人で予備校教師(数学)の人らしー北村正裕さんが書いた「エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き」(三一書房、1524円)って本を読んだから。乱暴に言ってしまえば「エヴァ」の放映終了を期して一斉に出た”謎解き本”のジャンルに連なるだろー本ってことになるけれど、間に長い期間を置いて今、敢えて世に問うってことで、”雨後の筍”的便乗本とは一線を画そーとする意志と熱心さが詰まっているよーに見える。

 ベーシックには、先に出てその圧倒的な宗教の知識をバックに徹底した深読みでもって「エヴァ」を読み説こうとした、強い情熱にあふれた大瀧啓裕さんの「エヴァンゲリオンの夢」(東京創元社、3400円)を主な対象にして、そこで指摘された事柄の間違いを正しつつ読解を加えていくってスタンスの本だけど、間違いをあげつらって批判してるって雰囲気はなく、むしろ徹底した本編および資料の読み込みから浮かび上がって来る北村さんにとっての”事実”を挙げて、大瀧さんの解釈との差異を指摘していくどちらかと言えば冷静沈着なスタイルになっているんで、読んでいて批判本にありがちなビミョーな感じは全然受けない。北村さん自身も内容への賛否はともかく「解釈本については、本書が反論の対象として取り上げた大瀧啓裕著『エヴァンゲリオンの夢』以外には、とりたてて注目すべきものはない」(185ページ)って書いているから、大瀧さんの頑張りについては評価してるんだろー、たぶん。

 個人的には大瀧さんの「エヴァンゲリオンの夢」は、ひとつには膨大なキリスト教なりユダヤ教なりの知識でもって「エヴァ」を読み解こーとした大瀧さんの実直にして勤勉とゆーか執念深いとゆーか、とにかくすさまじいまでの頑張りに対する敬意を込めて評価したい本だし、ひるがえってかくも膨大な知識による解釈を成り立たせるだけの要素を、「エヴァ」とゆー作品に意識的にしろ無意識的にしろ詰め込んで仕上げた庵野秀明監督をはじめスタッフの面々の凄みを意識させてくれた本ってことで、数ある”謎本”の中でも重要な1冊だと思っている。あと自分が作品解釈にそれほど興味がなくって、劇場版のラストの「きもちわるい」に凝縮されたコミュニケーション不全な人間への憐憫とも侮蔑とも同情ともとれそーな物語と、格好良かったメカやシーン、可愛かったキャラへの賛意でもって「エヴァ」を評価してたりするんで、大瀧さんの解釈も北村さんの解釈も、なるほどなあ、といった感慨で受け止めはするけれど、どちらが勝ちっていった感情はあんまり浮かばない。批評家には向かない性格だね。

 さて、言ったよーに北村さんの「エヴァンゲリオン読解 そして夢の続き」は、映像とかフィルムブックとかシナリオ集とかいった、作品として提示されたものを何かしらのパッケージとして定着させたものがすべてが出そろったことを受けて、改めてすべてを見返し詳細を吟味した上で推論なりを立て実証していこーとした本みたいで、大瀧さんてきな宗教学関係からの分析もしてないし、心理学的精神分析的フェミニズム的構造論的脱構築的社会学的歴史学的な類の分析も解釈もしていない。その意味で人によっては、例えばアカデミズムな人にとっては進歩的とも発展的ともあんまり思えない本かもしれないけれど、見えない部分を探って何かを見出そーとするそーいったアプローチにもやっぱりあんまり興味がない身には、見えるものからすべてを解明しよーとするスタンスの方が読んでいて分かりやすい。「

 「零号機」に封じ込められた魂をリツコの母ちゃんだとする解釈とか、それが自分の作品理解にとって(そもそも理解しようって気力がないし)重要かどーかは別にして、なるほどねえって思える。ミサトの「カーペット云々」なんて単にズボラなミサトが染みとか作りまくったカーペットを走馬燈の中で思い出して立場も考えずに苦笑した程度なんじゃないかって思ってたくらいだし。ほかにもアスカに対してシンジがしてしまった「ひどいこと」についての解釈とか、虚構なのか実際にあったことで後の本編がまるまる虚構なのか判然としない総集編的「DETH編」の弦楽四重奏についての解釈とか、見た人が気になってそーな所についてはちゃんと触れられているんで、読んでなるほどねって思ってみるのもありでしょー。あるいはしかしここまでの本を書くために、それなりなファンだったとしても流石にまだ買っていないガイナックス発売の「セカンドインパクトボックス」をちゃんと買ったんだとしたらちょっと感心。やっぱ買っておこーかな、ちゃんと給料が出ているうちに。

 ウワサの殊能将之さん「鏡の中は日曜日」(講談社ノベルズ、820円)を読む。最初から殊能さんを読んで来た人にはまたか、って思いそーな仕掛けなのはさておき(どの殊能さんのどの仕掛けかは、まあ読んでのお楽しみ)、前作のあまりに驚天動地な掟破りの大どんでん返しから一転しての静かで真っ当なミステリーぶりには、半ば期待を裏切られたって気持ちがあって、半ばこーゆー話だったら読んでいて謎解きのカタルシスが得られて嬉しいって気持ちがあってと、複雑な感情を抱いてしまった。どっちが強いかは日によって変わるんでどっちもどっちってことにしておこー。ともかくも端正な小説ってことで。50歳になってもその美貌を美貌として人に見てもらえる水城って名探偵の、無理めな年齢設定が個人的にはひっかかるんだけど、志垣太郎とか由美かおるとかって実例もあるから別にいーのかな。


【12月11日】 1200万円とはまた剛毅な。「このミステリーがすごい!」で今やミステリーランキング界の頂点へと上り詰めたよーに見えたりする宝島社が天下にNEC、三菱商事と組んで立ち上げるその名も「このミステリーがすごい!」大賞は、一般から広く作品を募って一次選考を行った上でネット上に概要とかコメントとかをアップ。それを見た一般の人が投票とかした上で選考委員が大賞と優秀賞を選んで贈るって内容で、大賞を受賞した人には何と賞金1200万円が贈られるらしー。優秀賞でも200万円。1000万円とかの賞金だったら過去に幾つかあったけど、1200万円は多分国内最高額だろー。まったくもって剛毅な。

 「このミステリーがすごい!」大賞と銘打ってあってもそこはやっぱり何でもありっぽい「このミス」だけあって、未発表のエンターテインメント作品で広義のミステリーだったらホラー的要素が強くてもSF的設定の作品でも時代小説でもオッケー、ってことらしー。完璧にバリバリなハードSFが、人情物とか剣豪物とか隠密物とか忍者物の時代小説が受賞できるかってゆーとさすがに微妙なところだろーけど、冒険小説とかハードボイルドとかノワールだったら多分大丈夫なんだろーあたりもやっぱり「このミス!」。時流に応じ審査員の顔を見ながら応募するのが勝利の秘訣だったりするんだろー。あとネット的に超有名で1万人くらい投票者を動員できるくらいの知名度があれば。

 しかし賞金が1200万円って以上にネットで投票って以上に、画期的かもしれないのが選考委員の異例ともいえそーな顔ぶれ。お馴染み大森望さんに香山二三郎さん茶木則雄さん吉野仁さんとゆーメンバーは揃いも揃って書評家ばかりで、作家の人がメインで書評家の人はどちらかといえば下読みだったり事前選考だったりするのが普通らしー(どちらもやったことないから詳しくは知らないけれど)数あるほかの賞に対して、おそらくは異例中の異例なメンバーってことになるだろー。「読み手のプロ(『このミステリーがすごい!』等で活躍する書評家)」とゆー理由で選考委員会のメンバーを選んでいるから、敢えて書評の人だけにしたっぽい所がある。じゃあこのメンバーだったら何が受けて何が受けないかってことになるけど、うーん傾向とか知らないから正直不明。ともあれ先輩作家の入らないこの賞から生まれる才能が、果たしていったいどんなものなのか。すべては来年10月1日に示される。せっかくだから「このSFが読みたい」大賞ってのもやらないかな。ニフティに伊藤忠商事あたりと組んで、早川書房さま。

 「噂の眞相」1月号で毎号恒例の「ロフトプラスワン」スケジュール確認、12月18日の「クソゲー大忘年会」にはクソゲーハンターさん他登場の予定。隠し玉とかあるのかな。2001年1月8日のアニメスタイルとマッドハウスの合同イベント第2回「出崎統NIGHT」は前回不参加だった出崎さんが堂々の登場とあって必見でしょー。”アニメ様”な小黒祐一郎さんはともかく前回のイベントではアニメにそれほど詳しくなさそーだった司会のパルコキノシタさんがさてはて出崎さんにとう突っ込むか。大地丙太郎さんに突っ込みまくって新境地を拓いた鶴岡法斎さんとは違った芸域の可能性にも注目しよー。来年だと2日の「2ちゃんねる本出版 祭りだワショーイ!!」に客が集まりそー。山形浩生さんとかも出るのかな? 田原総一郎さんはまあ来ないな。

 それより何より今年の大晦日イブが超注目。題して「年忘れファビュラス・バーカー・ボーイズ ガースお誕生会SPECIAL」って銘打たれたイベントでは、この日が誕生日らしーガース柳下さんに向けたプレゼントなんかも受け付けているらしー。天下の「ロフトプラスワン」でお誕生会を開いてもらえるなんて羨ましいことこの上ないそのさらに上に、プレゼントまでもらえてしまってもう憎いったらありゃしない。しかしやっぱりガース柳下毅一郎さんだけあって、プレゼントもきっと凄いものとか集まるんだろーなー、焼いた耳とか煮た手足とか、バラバラ死体の形をしたケーキとか、でもって切ると中から真っ赤なイチゴジャムがトローリと。

 ソニー・コンピュータエンタテインメントが「プレイステーション2」向けのブロードバンドサービスについてよーやく発表、前にDVDビデオ対応を発表してDVDビデオ市場に一気に火を付けた「プレイステーション2」だけに、ブロードバンド対応サービスの開始がコンテンツのブロードバンド化とかインフラの整備とかにも火を付ける可能性はあって期待がふくらむ。問題は我が家が未だに通常回線で、加えて日常的に利用のモデムは懐かしの14400bpsってことだろー。買い直す? 置場所がねえ! 接続のために組む相手とかはまーいーとして、提供するハードディスクドライブのユニットが40ギガバイトとは最近のハードディスクレコーダーなんかと比べても遜色なくって大盤振舞ぶりが光る。

 これについては会見で久夛良木健SCEI社長、ネットでテレビ番組難かが流されるよーになった時とかを想定してか、ハードディスクレコーディングだって出来るんだってことを主張していてファームウェアで対応できるんだってことも言っていて、専用機を買おうかどーしよーか悩んでいたりする頭にちょっと迷いが生じる。もちろんアンテナで受信したコンテンツをPS2に取り込めるかどーかは不明だけど、その辺あるいは間に何かをすることで可能になったりすかもしれないんで、動向を注視して来年4月とかゆーユニットの投入を待とう。もしもマジでチューナーなんかとの連携ができるよーだったら、今ん所宝の持ち腐れっぽいハードディスクがついたバツ箱が、2月の日本発売を前に霞んでしまうことにもなりかねない。天下のソニーのマーケティング、やっぱり侮れません。


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