縮刷版2001年1月中旬号


【1月20日】 押しつけがましい体制への少年たち少女たちによる反抗と成長、ってなテーマで何冊かの本を括って内容を紹介する原稿を仕上げたちょっとだけ後で、テーマに割と関連のありそーな内容を持った本が発売されて、あとせめて1週間早く手に入っていたら混ぜてあげられたのになあ、とか思いながらもそこはしがない日曜ライター、本屋で見かけて手に取って読んで面白かったら紹介する、ってなスタンスを基本にせざるを得ない駆け出し書評屋に、映画の試写会よろしく新しい本の情報が回ってくる筈もないから、タイミングを外れてしまったらそれはそれ、運が悪かったねと商業誌の方ではないてもらうしかない。けどまあ、そーゆープロモ的な紹介であっても、活字となって世評が出回るまでには時間もかかるから、それより早く紹介できるネットってメディアは、ステイタスこそないけれどなかなか捨てたもんじゃない。

 ってことで読んだ徳間デュアル文庫から出た”ハイブリッド・エンタテインメント・アンソロジー”って銘打たれたオール書き下ろしの競作短編集「少年の時間」(648円)は、Tタイトルもそのままズバリ「少年」で中身も「少年の成長」めいた話が多く、混ぜてあげたかったかも、なんてことを思う。もっともあからさまな「少年の成長」ってよりは、どちらかと言えば少年が少年のまま、つまり欲にまみれたり何かに阿ったりしない厳しいし息苦しいこともあるけれど、未来に夢を抱け世間に何のしがらみもないけれ自由な立場のままで居続けることの喜びが滲んでいる話が多くって、大人へのベクトルを意識している作品ばかりだった書評の仕事の括りには、馴染まないかもしれないから、やっぱり単品で来月回しにした方が正解だったのかもしれない。それまで紹介欲の対象になっているかどーかは別だけど。

 所収の短編では上遠野浩平さんが「虚空牙」の系譜に連なる短編「鉄仮面をめぐる論議」を発表してるけど、内容の点ではどこか寓話っぽいニュアンスがあって、過去の長編2冊とは若干赴きが違うかも。触れるもののすべてが黄金に変わってしまうミダス王の故事を「虚空牙」との戦いにおいて最強となる兵器の創造に引用している点がダイナミックで面白い。喋りがいちいち「し、しっかり」「だ、大丈夫」「そ、そんなことないよ」「あ、ありがとう」とシャックリしているのも小説性ってよりは人工っぽさを漂わせて寓意を臭わせたかったからなのかな。それにしても強いなあ「鉄仮面」、激突したら光速で突進するバルルシア皇女であっても適いそうもないからなあ。

 西澤保彦さんの「ぼくが彼女にしたこと」はヤングアダルトな体裁の本には珍しく人間の悪意が滲んだ短編で異色度高し。驚きなのは年齢だけなら収録作家で1番上な山田正紀さんが何ともリリカルかつ先鋭的な通過儀礼の物語を出して来たことで、「ゼリービーンズの日々」のタイトルを読んで中身を読んで作者の名前を見ないでおくと、若手かもしくはSFにシンパシーのあるJ文学な人が書いたんじゃないかと思えてくる。もっとも語り口や展開は瑞々しくても増える少年犯罪の背後にある人々の少年たちを押さえつけようとする無意識の集積があるってな心理学風の説明、少年犯罪を未然に防ぐために政府が様々なウザったい法規制を作って押しつけて来るってな社会派風のバックグラウンド、そうした無意識をビジュアル化する際に繰り出す無次元空間という設定、でもってそれらが物語の中に必要不可欠な要因として引き入れられ過不足なく使われている構成力の妙は、なるほどベテランにして最先端を走る山田さんならではの小説だと言えるだろー。メタに走らずかといってベタでもないバランスが絶妙。アンソロジーでは2番目に好きな話です。

 なに2番目だって、だったら1番は誰なんだ、ちっちっち、この俺、「快傑のうてんき」様だ、ってのは実はあながち嘘じゃない、「のうてんき」な人と関係の深い菅浩江さんの「夜を駆けるドギー」がとにかく圧倒的かつ驚異的。「博物館惑星」に所収の連作でもそれぞれが独立した短編として設定もオチも見事に決まっていたけれど、「夜を駆けるドギー」の完成度もそれらに勝るとも劣らない。山田さんの「ゼリービーンズの日々」にも増して社会派的な設定を折り込み時事的な情報も折り込みつつ、少年たち少女たちが持つうす汚れた大人たちの社会に真正面からだったり斜めからだったりしながらも、意義を唱えて突き進むカッコ良さを描いていて、読んでとても気持がいい。

 ドギーと呼ばれている犬型のペットロボットが人気になっていて何故か学割で購入可能で、世話をすると飼い主になついて手放せなくなるそうで、主人公のハンドルネームで言うなら「コープス」もサダキチとゆー名のドギーを世話するようになって「死体」なんて意味のハンドルを名乗るほどに落ち込んだ生活に多少の巧妙を見出していた。でもってあまりのドギーの可愛さにネット上で付き合いのあった凄腕のハッカー「HANZ」にドギーのホームページを作ってもらって日本中のドギー・オーナーと交流していたんだけど、そこにとんでもない話が持ち込まれる。ドギーにはどうやら恐ろしい秘密があったらしい。

 ってところで登場するのが「2ch」的な掲示板への書き込みで、まあ仲良しさんが集まるドギーの掲示板だから激しい言葉こそないものの時折「age」「sage」なって言葉が使われているし、「厨房」のみならず「消防」なんて蔑称も引用されていて、知っている人なら読んでうへえと思うかもしれない。「逝ってよし」「オマエモナー」だって沢山出てくるんだから、「コープス」が自分を責める場面を描写している箇所なんかに。菅さんチェックしてたんですねえ「2ch」、どーせだったら「モナー」「ギコ猫」も登場させて戴きたかったぞ。

 物語の方はHANZの活躍なんかで企みが明るみに出て都市伝説めいた「夜を駆けるドギー」の謎も解けるんだけど、ラストのちょっとした心の交流の場面で登場する幾たび目かの「逝ってよし」「オマエモナー」を読むにつけ、これほどまでに清々しい「逝ってよし」「オマエモナー」の用法は、過去においてもおそらくは未来においてもないんじゃないかと思ってしまう。現実に使われるこーした言葉だって時には場を効果的に引き締めて読んでいる人をニヤリとさせたり吹き出させたりすることもあるけれど、まさか情愛のニュアンスをそこに込めて使わせてしまうなんて、さすがは菅さん見かけは細いけど芯は太く強い京都の女性だけのことはある。夏の「SF大会」、菅さんに会って別れる際には誰もが言うことでしょー「逝ってよし」、でもって菅さん答えるんです「オマエモナー」。ああ夏が待ち遠しい。

 人間、捨て身になった時ほど強いことはなもので、かつ功成り名遂げた人がプライドも何もかもかなぐりすてて捨て身のギャグを放つ時、それを受ける側もやっぱり襟を正してそれなりな態度で臨まなくってはいけないんだろー。ってことでのぞいた鈴木裕さん監督によるその名も「シェンムー・ザ・ムービー」の試写。到着するとすでに長蛇の列でマスコミの受付なんてのも遠く彼方に見あたらず、仕方がないんで行列の後につながって進んでいったら直前で満席だから立ち見になるがどうする、ってなアナウンスが。一瞬ようやく見えたマスコミ受付で手続きをしてマスコミ席に座ろうかとも思ったけれど、面倒なんでまんま立ち見と決め込むことにしたのが実は正しい行動だったと知るには、この後30分を待たなくてはならなかった。

 ゲームのCGとしてはまあ、それなりな出来ではあった「シェンムー」だけど、映画にするんだったら単純にムービー画面を繋げるだけじゃなく、多少なりとも作り込んで来るんだろーと考えていたけどそこは裕さん、捨て身だけあって一切小賢しい真似はせず、それはもう堂々とゲームのムービーどころかゲームのバトルシーンすら切り張りしたよーな恐るべき映像を作り上げて、どこで聞いたか満員御礼とばかりに詰めかけた観客の熱い視線に挑む。神経を行き届かせるなんて無駄なことはしてない指先の、まるで木型のよーな質感は潔さのあらわれだし、ジャッキー・チェンならケレン味たっぷりに見せるだろーバトルシーンでの目にもとまらぬ技の応酬は、最速のコマンド入力を競い合った格闘ゲームのファンに懐かしさを催させる。

 父親を殺された涼が、レゲエな兄ちゃんとかバーのマスターとかベースの兵士とか船員とか骨董屋の老婆とか中華料理屋の主人とか、とにかく数珠繋ぎのように人を訪ねて歩いては誰それに聞けと言われ、出向いた先で悶着を起こし、情報を聞き出しては次へと向かって手紙の謎を解き、出逢った爺さんに武術の技を教えてもらうという、ゲームをやった人なら自分たちが苦労もしたし考えもしたルートを一直線に進んでいく、そんな展開の見事さに誰もが目を丸くする。道路を走る時の表現も、センターに背中を見せた涼がいて足をたったかやると周囲の景色が流れ、方向を変えるとセンターの涼じゃなく周囲の景色がグルリと回る、ゲームの移動画面に馴れた人なら懐かしさのあまりに椅子から飛び上がるよーな斬新な手法を取り入れている。もしかして後ろで裕さんがコントローラーでも操作してるんじゃないかと思ったほど、そのゲームライクなインターフェースには激しく驚かされた。

 父の敵の秘密を見つけるべく香港に行こうと思ったら金がなく、仕方がないので港でバイトをすることになったとか。情けなくも銀行の残高を見てため息をつく主人公の姿に、カッコ良いアドベンチャーゲームの主役がどーしてステイタス上げを格闘でも冒険でもなくバイトなんかでしなくちゃならないんだろーと、ゲームをやりなりながら感じたのと同じ情けなさを、映画でもきっと感じることだろー。他に言い様のないくらいに「シェンムー」している映像作品を堂々と「映画」として上映までしてしまうなんて、これはもう捨て身で受けを狙いに行っているとしか思えない。その画面から伝わるあまりの気迫に、申し訳ないけど耐えられなかった小心者は港の場面で退散させて戴きました。

 出ると階段には長蛇じゃないけどすでに行列が出来ていて、中で起こっていることも知らずに期待に胸を躍らせていて、すでに見てしまった者として何か微笑ましい気持になりました。しかし21世紀早々からかくも凄まじいものを作って来るとは、鈴木さんに限らずセガ全体が捨て身の戦法を繰り出して来る前触れなのかも。「セガガガ」しかり「シェンムー・ザ・ムービー」しかり。今年のセガはいろいろな意味で面白いぞー。 


【1月19日】 表紙はどんなだか知らないけれど今年も出るらしームック「SFでも読もみゃー」だか何かの為の原稿を今日が締切だってのに昨晩から始めて合間に振られていた野阿梓さんの「バベルの薫り」を3時間で一気読みするチカラワザなんかも入れてコツコツと仕上げていったら翌朝、ってゆーか翌昼頃までかかってしまってグッタリ、8本をとりあえずまとめてメールで送ったけれどリテイクとかあるかもしれないからまだ気が抜けない。他にも週末あたり締切が回って来そうだけど、そっち方面は集中すれば数時間で終わりそーだから目先の峠は越えたってことでひと息付けそー。何か風邪気味で胃腸とか荒れてそーで週末に倒れてる可能性もあるけれど、仕込みもしなきゃいけないんで安心はしていられない。これが毎日締切のある人だと一体どんな神経で仕事をしているんだろー。そんな売れっ子になってみたいもんだけど、神経から頭髪に出やすい(出ている)体質なんで、お呼びじゃないとは知りつつも躊躇してしまうなー。

 とは言え割りと売れっ子なアニメ系の人とか同人誌系の人とかと夕方から夜にかけて宴会したけど、歳そんなに違わないのに皆さん立派にフサフサだったのはちょっとショック、それぞれにジャンルに対して一家言ある人たちなんで、神経から毛髪へと至る度合いが少ないのかもしれない。あれやこれやと神経参らせながら右左に気をつかった挙げ句にクレームに怯えてる性格じゃあ、世間の荒波は渡っていけないのかも。関係ないけどそんな人たちとの話でアニメをクリエーターサイドからじゃなく視聴者サイドの代表格として語り倒す「アニメ兄貴」な人を作り育てなきゃいけないって話になって、だったらあなたがやりなさいと小川びぃさんが突っ込まれていたのが面白かった。何だって楽しく観れて作ってくれた人に御礼なんか言いたくなり八方美人な自分の性格じゃあ、時に鼓舞し時に叱咤する「兄貴」はつとまりそうもないからなあ。兄貴と対比で姉貴あるいは姉御って人はいるのかって話で、水玉蛍之丞さんを姉貴呼ばわりするのはどーかってことで、そんな印象のない人だけに逆に似合いそーな気もする。カラオケ番長にドール姉御。僕なら絶対喧嘩絶対売りません売っても勝てません。

 今回は出展するたみだけどスクウェア、「東京ゲームショウ」前の「ファイナルファンタジーX」の発売はないみたいで発表された売上予想が本体だけだと一気に130億円も下方修正されていて、相当規模を「FF」シリーズに頼った収益構造になっていたことが数字でもって示される。ファミ通によると2000年のトップ100に入ったソフトのうち「FF9」は265万本で2位、「劇空間プロ野球」は48万本で16位で去年2月発売の「ベイグランデストーリー」は2000年度の売上に入らないから除外するとして後大きいところでは「ワンダースワンカラー」対応の「ファイナルファンタジー」が26万本、「バウンサー」が21万本といったところ。「バウンサー」意外と伸びてない。

 トップ100に「ドラゴンクエスト7」以外は3本しか入ってなくってそのうち2本が「ドラゴンクエスト3」と「ドラゴンクエスト1、2」、残る1本が99年末発売の「ヴァルキリープロファイル」で「ドラゴンクエスト」依存体質がより顕在化しているエニックスに比べればまだまだ及ばないけれど、スクウェアの「FF」依存体質がなんだか強くなっているようで、プレイしたことはないけど「フロントミッション」とか「サガ・フロティア」とか「聖剣伝説」とか、それなりに名前の通ったソフトがダブルは無理でもミリオンとかいかないよーになってしまった辺りに、音楽ソフトと同様の一極集中型メガヒットな”病気”がゲーム業界にも広がっているのかなー、なんてことを考える。

 とは言えなるほど「ポケットモンスター金銀」「ポケモンクリスタル」がドカンと入った任天堂でも、トップテ100に20タイトルを送り込むスマッシュヒットの積み重ねによって900万本を超えるソフトを得ってるし、評判はともかくコナミも19タイトルを送り込んで580万本でしっかり2位の座をキープしているから、大物狙いかアベレージヒッターかの違いだけなのかもしれない。とはいえ上場している会社だとホームランバッター(ちょっとだけ大型扇風機)な体質は辛いところで、そのあたりどーするんだろーかって辺りを聞けたらスクェア、聞いて来よう。どっちにしたって映画を成功させないことには評判もおぼつかないんだけど。

 目立たないけどしっかり屋さんなナムコは「テイルズ オブ エターニア」が55万本で「リッジ」「鉄拳」も60万本と40万本。もっとも「リッジ」「鉄拳」とも年度で言ったら去年だから今期の売上に貢献してるのは「テイルズ」だけってことになりかねずちょっとキツいかも。3月までに間に何かすっげー隠し球なってあったっけ、ってところなんだけどまあ、もとより地味な会社なんでひっそりと何かを出して来るのかも、「GBA」向け「ドリラー」とか人気出ないかな。なんだかんだいっても任天堂とコナミの底力、スクウェアとエニックスの「ブランド力」が際だった2000年ってことで、新ハード登場の2001年もやっぱり任天堂あたりがかっぱぎそー。それにしてもセガの名前はどこに行った?

 小松左京賞未受賞作品のまま幻に消えるかと心配していた北野勇作さんの「かめくん」(648円)が徳間デュアル文庫から「書き下ろし」で登場、行き場があって良かったと拍手を贈りつつ読んで、なるほどこれは「小松左京賞」を獲得した他の人のスタイルとは、乖離があって選びづらかっただろーなーと気づく。「カメ」に似た姿をして「カメ」と呼ばれながらも実はどーやらアーマードスーツめいた甲羅に手足を持った人間大のロボットだかアンドロイドだかが、戦う訳でもなく地上でフォークリフトなんかを運転する仕事なんかをしてのんびりと暮らしている。図書館に通い猫に笹身をあげて世話をしテレビを見て林檎をかじる、と言った具合の日常は、どう見たって異形の「かめくん」が相手なのに何とも優しく読んでいて気持が和む。

 そんな描写の端々に、地球が置かれている状態だとか「カメ」が作られた背景だとかが語られて状況が浮かび上がって来るよーになっていて、さすがは日本ファンタジーノベル大賞の受賞者だけのことはあると語り口の妙に大いに頷く。「男おいどん」ほど唐突じゃないけれどどこか哀しい、けれども人情味に溢れていて嬉しいラストの描写が何とも読んで心地よく、「かめくん」と同じよーに何の地縁もない場所で暮らしている自分が、異形の「かめくん」にとうてい及ばない別れしか出来ないのかもと考えると、ちょっぴり哀しくなり。優しさが生むコミュニケーションの有り難さに大勢の人に触れてもらう意味でも、「小松左京賞」といった仰々しい賞を獲るよりも、幅広い年代層が対象になっていそーな「徳間デュアル文庫」で発売されて良かったと思う。「徳間デュアル文庫」がどこまで世間に浸透しているか、ってな問題は別にあるんだけど、おとっつぁんそれは言いっこなしってことで。


【1月18日】 うーん例えばボケが専門のキャラクターがハズしたりボケたりするのを楽しむってことはよくあるし、同じことはエッセイなんかの類でも言えることなんだけど、長かったり深かったりする付き合いのある人だったらともかく冒険小説の偉い人で「本の雑誌」の発行人でもある人に対して普通一般の人がイメージするのは決してボケキャラなんかじゃなく、ニュアンスとして原宿に行ったオヤジが店にも入れずメシも食えずに悩んでる姿を笑って楽しもーとする記事だったとしても、そのキャラが掴み切れてない段階では恐ろしくってちょっと笑えない。

 森総理が今さら失言したって誰もが笑うだけだけど、あの生真面目な宮沢財務相が1言でも銀行の問題点を指摘したらその銀行は潰れてしまう。キャラや立場って結構ニュアンスに左右するものなんです。果たして笑われることを意識していたのかいなかったのか、ってあたりが例え本人の文章の中じゃなくっても、企画全体のトーンからチラとでも伝わってくれば、読んでいて少しは微笑ましい気持にもなったんだろーけど。世間の騒ぎに狼狽えるなり開き直るなりして「50代オヤジ」っぽさを見せてくれれば、あるいは一気に世間も納得しそーな気がするなー。

 「電撃大王」2月号は榊さんの初夢に「うにゅう」、じゃなかった「ちよの父」が沢山登場しては不可思議を超えて凶暴そーなところを見せてて何か怖い。物事に動じない人(ヒトなのか)だと思っていたのに、やっぱり自分の頭をあーされてこーされたら怒るものなんだろーなー。本編の方ではやっぱり太ったよみ登場、でも餅じゃないんだよなー、ぜんざいの方でも。「ちよの父編」の方でシビアでシュアなネタを使い切ったのか本編の方は惹句そのままに「ダルダルの展開」。でもまあこーゆー回があってこそ単行本で読んだ時に前後のギャグが光るもの。トータルを考えたペース調整と思って次号に並々ならぬ期待を送ろー。面白いとこ一丁。

 「ちよバス」はともかく「ねここねこフリースジャケット」ってのは謎だなー、脈絡がちょっとないってゆーか。キャラクターとして人間以外では「ちよの父」(ヒトじゃないのか)の次くらいに目立ってる「ねここねこ」だからキャラクターグッズになっても良いんだけど、一緒くらいに発売される置物ならともかく何故に「フリースジャケット」なんだってのはやっぱり誰だって悩むよね。世のあらゆる流行物に「ねここねこ」印を入れて売り出す活動でもすれば、流行物とロゴの商業主義的な結託を作品に顕在化して見せるアートいニュアンスも加わって、ちょっとは分かりやすくなるんだけど。道を歩くと10人に2人は着ている、よーに見える大流行な「ノースフェイス」の黒いダウンに、「ねここねこ」印を入れるとかってな感じで。

 「サイゾー」2月号はニュース特集でなんだか「週刊文春」「週刊新潮」がページ稼ぎとコストダウンを狙ってよくやる「ワイド特集」っぽい作り。ってゆーかこれだけの中身の多彩さ濃さなら週刊誌にだって十分拮抗していけるんだってな所を見せていて、艱難辛苦を乗り越えてたどり着いたそれなりな地位をそれなりに表現している号だと読んで改めて感心する。「Xbox」についての記事はあの人かな。確かに現段階だと京都のおじいさんんみたく「ゲームっちゅうのはやな」ってな感じの哲学もビジョンも見えて来ないけど、日本が世界に誇りたがってた割には「E3」の後塵を拝していた「東京ゲームショウ」にかのビル・ゲイツが来場して講演を行うって話があって、「Xbox」への並々ならぬ力の入れ様も伝わって来てるんで、その並々ならぬ力が実弾となって繰り出される暁には、それなりなゲームも揃うことになるんだろー。これで揃わなかったらビル泣いちゃう、かも。


【1月17日】 決まってみると案外順当だった直木賞は山本史緒さんと重松清さんだけど重松さんが天童さんでも同じことを言ってそーでやっぱりそれだけ激戦区だったのかも。こっちの名前では新鋭な岩井志麻子さんはまあ、手練れなんて次の機会も絶対にあるでしょー。今がブームな田口ランディさんが案外と曲者だけど、小説を発表するペースが早くてどれもがネット好きするおっちゃん達から激賞されているんで、遠からず何らかの賞には輝きそー。とは言えやっぱり何故に直木賞候補だったのかが判然とせず、これで新潮の三島由紀夫賞でも取ったらなおのこと分からなくなりそーで悩む。選評出るのがが待ち遠しい。

 芥川賞は堀江敏幸さんで良かったよかった、だって唯一読んでいる作家だったから。俗な話題性の皆無な中で知名度だけでは抜群(といっても普通の人は知らなんわなあ)だったから、2人選ばれるなら入っても不思議はないと思っていた。直木賞芥川賞の作家が一気に4人も増えた今回、とはいえ全員がとりあえず僕より年上だったんで、別に文学は志してはないけれど、何ごとかは成したいと思いつつも未だに何も成せずにいる身を焦る気持ちが少しは緩和されて息をつく。とはいえ全員がこれまでもそれなりにやって来た人で、山本さんも重松さんもキャリアだけなら何10年とかの人だから、それを思うとやっぱり不断の努力は必要なんだと思い返してパソコンに向かって……ネットにつないでボーッとする。成すのはまだまだ遠そうだなー。

 ベルファーレに金城武さんを見に行く。カプコンが作ったプレイステーション2用のゲーム「鬼武者」の間もなく発売だぜ発表会で、壇上にはほかにCGなんかを手がけた佐藤嗣麻子さんとか金田龍さん(「ブギーポップは笑わない」の監督さん)とかが登壇して、そのメンバーの豪華さにアイドル声優使いましたゲームとはちょっと違ったカプコンの本気度を見る。トークショーなんかで公開された佐藤さんによるオープニングムービー収録のシーンなんて、6人を同時に動かしてモーションキャプチャーをしてたり、1人ひとりをちゃんと演出してたりしてCGの人が適当に人間を動かすんじゃない、リアルな人間の動きをゲームの世界に丁寧に取り込もうとする意欲が見られて面白かった。金田さんは金田さんで金城さんの顔にいっぱいモーションキャプチャのためのポッチを取り付けてたし。

 だったら人間に演技させた方が早いじゃんとか一方では思ったのも事実。リアルさを追求したが故にリアルさに今ひとつ及んでない部分が気になるもので、例えば肩に置いた手の指先がギュッと肩に食い込んでいる訳でもなければ肩の丸みにそって添えられているでもなく、中途半端に浮いていたあたりに現実との乖離を感じて興ざめしたりしもしたけれど、追求すれば人間のリアルさを完璧にCGで表現することは不可能じゃなく、過渡期において可能性を追求しているんだと思えば、現実に追いついていない部分も納得できる。表情とかおおまかな仕草なんかのリアルさはムービーに限って言えば当代随一。ただし「ゲーム」である以上はムービーがいくら美麗であってもアクションゲームの部分がダメなら意味はなく、そのあたりは発売後の世評にゆだねられることになりそー。「バイオハザード」のカプコンだから抜かりはないとは思うけど。

 例えよく動いて格闘が奥深くシナリオが起伏に富んでいたとしても、敵を倒しに倒してエンディングを迎えるってフォーマットから大きく逸脱はしているよーには見えず、「ゲーム性」での新機軸とゆーより既存のゲームの超進化形に過ぎないって声も起こりそう。あるいは「動かせる映画」でしかないといった声とか。だったら映画や小説やアニメのフォーマットがどれだけ変わったのか、むしろ決まったフォーマットの上でどれだけバリエーションを付けたりキャラクターを際だたせたりするかが勝負になっている面もあるから、「鬼武者」が「メタルギア天誅」だったとしても、そこに突き抜けた何かを見いだせれば楽しめると思う。佐藤さんの蛆虫這い回り蛾燃えまくりな佐藤さんワールド炸裂オープニングとか、エッチが好きらしー金田さんの中盤ムービーとかエンディングとか、金城さんが迷った挙げ句に出してきたい意外なボスキャラとかに期待を向けて25日の発売を待とー。しかしやっぱり「ゲーム」としてはどんなもんなんだろー。最前列に勢揃いしていた浜村軍団の評価とか気になるねー。

 手前の新書やらマンガの山を取り除きその奥にあった廃刊までの2年分くらいの「朝日ジャーナル」を横に出し、積み上がった6年ぶんくらいの「SFマガジン」を上から順にどけていって1番下から3冊目とかでようやく見つけて息も絶え絶えになったけど、1992年の7月号から連載された柾悟郎さんの「ヴィーナス・シティ」は、クローズドなパソコン通信がまだ全盛だった時代に、ネットワークゲームが普及して知らない人と現実とは違ったペルソナでコミュニケーションできるよーになった、今のよーなインターネット時代を見事に予言。技術の面でもブロードバンドとか分散DBとかいった現実化した、あるいは現実化しつつあるものが盛り込まれていて、正体は知らないけれどどーやら通信技術とかに詳しそーな人が書いただけのことはあるなーと驚嘆する。

 現実化していないのは意識や感覚をデジタル化して仮想空間のアバター(分身)に移すことくらいで、残念に思う部分でもあるけれど、これもまあ技術と資金の問題だろーからいずれは現実化するんだろー。バブル経済の名残もあってか日本が世界を席巻している描写があるのは妙と言えば妙だけど、ピーター・ドラッカー先生の言葉から都合の良いところだけを抜いた竹村健一さん監修、望月護さん著の「ドラッカーの箴言 日本は、よみがえる」(祥伝社、1800円)にもあるよーに、日本はまだまだ死んでないみたいだから、あるいは本物の「BOOM TOWN」(内田美奈子、竹書房、各880円)なり「ヴィーナス・シティ」が出来る将来、日本が再び世界の憎悪の的になるくらい反映しているのかもしれない。オチに来る「攻殻機動隊」的なアイディアはSF的に判断の分かれる所だけど、現実世界よりは信号化された意識が溜まる可能性を考えやすいのがネットの世界。だけにあるいはインターネット時代と同様、柾さんが予言した状況が近いか遠いかは別にして、訪れることになるのかも。ああ楽しみ。


【1月16日】 「次世代ワールドホビーフェア」で見かけたさらにヘンな玩具が「ハイパーヨーヨー」とかの流れに連なりそーな「バンジーボール」って商品で、名前から想像できるよーにゴムのボールからゴム紐が伸びて手首に巻くリストバンドにくくりつけられていて、投げると地面にぶつかって自分の方に跳ね返ってくるよーになっている。と聞くと思い出すのが「神風怪盗ジャンヌ」でジャンヌが使っていた道具の1つ。確かジャンヌ、番組の中で手首から黄色いボールを投げて天井にくっつけてスパイダーマンをやったり美術品とかにくっつけて手元に引き寄せる技を見せてくれていたっけか。

 「バンジーボール」はジャンヌが使っていた道具をそのまま具現化したっぽい形をしているけれど、バンダイがアニメの放映中に発売していたキャラクターグッズとは違って、ボールの手触りも伸びるゴム紐の弾力性も手首に巻くリストバンドのフィット具合も、ちょっとだけスポーツ仕様っぽくなっていて「ジャンヌ」のキャラクターグッズの時に感じたようなボールがなかなか戻って来ない感覚は受けない。むしろぶつけると激しい勢いで戻ってくるから受け止めるには相当の反射神経を要求される。つまりそーした反射神経と動体視力を養いなえるってのが「バンジーボール」の売りってことになる。

 前方に放り投げて戻ってきてキャッチする基本プレイから投げた手と逆の手で取るプレイに前にぶつけた反動で後ろにもぶつけてそれからキャッチする高等プレイ、真下に叩きつけて真上に跳ね上がって落ちて来るところをジャンプしてキャッチするプレイなんかが可能らしく、そーした数々の「トリック」がリストになって「次世代ワールドホビーショー」の会場で紹介されていた。戻て来たボールが目に当たったら痛いかも、なんて心配はあるけれどハイパーヨーヨーをあれだけ振り回しても目とかに当てた事故はあんまり聞かなかったから、子供の反射神経って大人が心配するより凄いのかもしれない。

 ヨーヨーほど華麗な技がないのが難点で値段も700円と安いから大きな商売にはなりそーもないけれど、子供がキャッチボールしたいけど当てる壁も近所にない場合なんかに、1人でキャッチボールっぽいことを楽しめるグッズとして、少子化&都市化のこのご時世にヒットするかもしれないなー。もちろん「ジャンヌ」のコスプレーヤーは必携アイティム。今もいるのかは知らないけれど。家の中ではどっちにしたって楽しめる玩具じゃないんで、どっか広い場所でも見つけて楽しむこととしよー、とりあえずは来週の電撃なパーティー会場で迷惑顧みずふり回すか(迷惑だってば)。

 そりゃくやしいでしょう1月14日付けの古橋秀之さん。物語もへったくれもなくさわりどころか「ガンダム」で言うなら永井一郎さんの「増えすぎた人類を云々」だし「ダンバイン」で言うなら若本規明さんの「バイストンウェルを見たものは云々」を見ただけで「だっせー」とか言われてチャンネルを変えられちゃったよーなものだから、ってちょっと違う? あるいは「ジョジョ」でディオが馬車からトランクを投げて「バーン」と出てきた所とか。うーん例えが微妙にズレてる気もするけれど、ともかくも1つの小説を判断する上で物語性に関して一切の判断を少なくとも記事の上では否定している「本の雑誌」2月号の北上次郎さんのスタンスは、駆け出しの本読み屋にはちょっと真似できそーもない。したくもないけど。

 もとよりおじさんがヤングアダルトを読んで心底より褒め称えるなんてことはないだろーとは思っていたし、「俺にはダメだった」とゆー結果が出てきても不思議はなかったけれど、例えば「俺にはダメだったけど好きな人もいるんだよな、どこが好きなんだろう」といった思考の回路の一端でも見せてくれたのなら、そこから話が広がる可能性もあって読んでいて落ち着いた気持ちになっただろー。「猫の地球儀」への「これが犬の話なら最後まで読んだのだろうが、猫ではね」といった書き方はまあ、一種の韜晦とゆーか原稿芸ととれなくもないし、後で「雰囲気のいい作品なので機会があれば再チャレンジしてみたい」とフォローも付いているからホッとした。唯一「ブラッドジャケット」だけが冒頭の紹介と「すごい文章だ。おじさん初心者にこういう『小説』は読めません」とだけ書かれて断じられていて、「本の雑誌」を読んだ人の気持にとっかかりを与えてくれなていないのが気になる。全編が凄い文章って訳でもないからさらに引っかかる。

 まあ「本の雑誌」読者がヤングアダルトに”わざわざ”手を出さなくっても、古橋さんには読んでくれている読者はそれなりにいる訳だし、当面のところ困るってことはないんだろーけれど、そーした直接の読者層とは乖離しているにも関わらず、「書評」な業界もしくは「出版」な業界にそれなりに浸透力のある媒体で、「すごい文章」だったり「とりたてて言うほどのことはない」小説であり「これぐらいのものなのかと思った」と言い捨てられることがもたらす影響は、やっぱりちょっと心配なところでもある。

 ヤングアダルトってなんかダメじゃん、ってな空気がいったん芽生えると、世の中がそれにだんだんと染まって来て読んでもいない人までが「ダメじゃん」と言い出して、挙げ句になんか気弱な雰囲気を作り出してしまうことって、SFに限らず小説に限らず結構あったからねー、「あのタレント(お笑い芸人)(アイドル)最近ダメじゃん」とかってな感じで。まあ肝心なのはおじさんがどう言おうと支持する人が本屋でちゃんと買うことで、その積み上がった数字があれば現場だって頑張れるんだろーから、当方としても別に媚びる訳じゃなく、面白いと思ったらちゃんと面白いと言っていこーと心に決める新世紀でありました。

 さらに続けて「電通ギャラリー」。例の「インパク」に関連したイベントが開催されるってんでのぞく。1月の現役インパク編集長の糸井重里さんと3月の編集長になる清水ちなみさんのトークショーで、会場はどこで聞きつけたのか若い女性とかが結構集まっていたりしたけれど、入ってくるなり糸井さん、3分の1だか2は見知った顔だとか言っていたからあるいは業界関係者がサクラでもやっていたのかもしれない。とりあえずトークショーでの糸井さん、対談の冒頭から「インパク」に関わったことで結構な風当たりがあったことをつまびらかにしつつ、清水さんにも「いろいろ言われない?」とか聞いていたあたりが、糸井さん自信も含めて「インターネット」と「政府」とが並ぶことへの違和感を覚えている人の多さを示していて、なかなかに興味をそそられた。やっぱりそーゆーもんだよねー、「インパク」って(と雰囲気作り)。

 もちろん現時点では協力している糸井さんは糸井さんなりに理由は持っているよーで、どうせやるんだったら前向きにって辺りを強調していてその意図にはもちろん深く同意するところがあるけれど、一般の人が感じている違和感ってのは、政府がネットをかき回すから反対ってゆー思考回路の結果ってよりは、政府のかき回し方に「ネットへの愛」より「立場への愛」、すなわち政治家だったら議員の椅子で役人だったらそのポスト、企業も自分たちの会社のシェアとかいった部分に対する「愛」を成就させるために「インパク」を利用してるんじゃないか、ってな臭いが感じられてしまう所に、原因がありそーな気がする。それを払拭するには面白くって為になるパビリオンをいっぱい作ってアクセスした人に楽しんでもらうのが寛容なのに、そーした部分への取り組み度合いがなかなか見えて来ないところに今もって「インパク」がムーブメントとならない理由があるよーに思う。

 トークショーだと糸井さん、編集長とゆー立場は「人に迷惑をかけまくる」立場だと言っていて、それはつまり70億円とかゆー予算が一体どこに消えているのか分からないまま、インパク編集長として1カ月の間に使えるお金が例えば50万円くらいしかなく、現在始まっている横尾忠則さんと携帯電話で会話してその内容を紹介していく企画でも、横尾さんとゆー世界的なアーティストに見合ったギャランティを提供できない辺りの心苦しさを吐露してて、3月に担当する清水さんにもそんな辛さを味わうんだよーと”脅し”をかけていた。まあ清水さんならいつもどーりに自分の組織を動かして、そこから生まれる話を提供していくって手もあるから有名人を使う場合に比べて迷惑かけ具合は少ないかもしれないけれど、何でもやっていいけど何にもできなさそうってジレンマはやっぱり精神的によろしくないからなー。どんなことを見せてくれるのかとりあえず注目。「にんじだもの」ネット版なんて個人的には好きだなー。

 あと糸井さん、「インパクって技術的には凄いことをやってるんです」って話もしていて、フラッシュのムービーをダウンロードする時も待ち時間を楽しめるような細工をし、画像データなんかも圧縮をかけて提供しているから昔では考えられないくらいに速くダウンロードできるはず、らしーんだけどここでも政府がやることの融通の効かなさが邪魔してるってゆーか、何でもサーバーが2台くらいしかなくってアクセスして情報を取ってくる時にボトルネックだか何かが起こって、ホームページの技術云々とは関係のない所で障害が出ているらしー。

 そこにすかさず「最終的にはダメってことじゃん」と鋭く突っ込む清水さんは実にナイスだったけど、つまりはそーいった「ダメ」を生む要素をちゃんと把握できていながらも、それを改善できない所にそこはかとない不信感が生まれて来るのです。まあ、そーいったネット時代に合致してない問題が顕在化して来たのも「インパク」があって糸井さんのよーな外部の人が状況をつぶさに見た上で発言しているからであって、後はそーした声を聞き置くだけじゃなく、行政なりに反映させていけるかって所が重要なところ。それでも「立場への愛」を最優先させるよーなら、そんな態度を当に見透かしている世の中によって、どうにかされることを誰も彼も覚悟しておいた方がいーでしょー、ってゆーか覚悟しろ。


【1月15日】 「ミニ四駆」あたりが走りとなったのかそれとも以前からあったのかはともかく、いろいろなパーツを組み合わせて改造してバトルへと流れて行くのが、玩具の業界である種フォーマット化していて、「ベイブレード」でも「ビーダマン」でも似たよーなフォーマットの上で本体を売り部品を売り大会を開きまた部品を売りといった感じでビジネスを回してる。もっともトレーディングカードと一緒で戦わせる相手が増えなければカテゴリーとして繁盛しないのは自明の理で、玩具メーカーはショップの店頭とかで大会を開いたり展示会で派手なアピールを行っては継続的なユーザーを増やそーとしている。

 ただでさえ増加する一方の似たよーな玩具の中には当然、出たものの泣かず飛ばずな商品が多数あったりする訳で、挙げればアレとかソレとかコレとか幾つも並びそーだけど、そーした一群に果たして入るかそれとも未来にはばたくか、ってな商品が今回も「次世代ワールドホビーフェア」に並んでいて、将来なんかを見透かして楽しむ。バンダイが出してた形はまるで「ワンダーボーグ」の六足歩行昆虫型玩具「ビートロイド」、中身は電池とモーターの電動玩具で、6本の足をぐるぐる回して前進させては相手のマシンにぶつけて力を競うらしー。横にワイヤー状に伸びた足の角度を変えて先端の回転半径を変えることでスピードとかが調整できたり、座高を上げてパワーの伝わり具合を変えたりできるよーだけど、それでどれだけ違いが出るのかがイマイチ不明なのがアピールする上で難みたい。「ミニ四駆」だとスポイラーとかギア比とか、いかにも走りに影響しそーなパーツの交換が出来たるからなー。

 聞いているとカブトムシなんかを戦わせたり2匹を紐でくくりつけて両方に歩かせてパワーを競い合わせたりってなことをやって楽しめるんだとか。移動が前進のみってあたりの単調さをシンプルと見ればあるいは楽しめるのかもしれないけれど、改造によってどこまで違いが出るのかを推し量れないだけに判断に迷う。クワガタのよーな顎とカブトムシの角とでどっちが強いか分かる? 本物だったら顎で挟んだり角でひっくり返したりするからバリエーションがあって楽しめるんだけど、動かない顎と角じゃあちょっと強さが分からない。いっそそれなら「ワンダーボーグ」どうしのバトル大会でも開いた方がアピールに早いよーな気もする、でもってそこで似て非なる新製品のアピールも行って「プアマンズ・ワンダーボーグ」として売るんだ。

 もっと謎なのがトミーの「弾ケシ」って商品で、手のひらより小さい空気鉄砲みたいな玩具で丸い消しゴムを打ち出して遊ぶ一種の「ガンシューティング」。改造パーツとかもあってシールを使ってカラーリングなんかも楽しめて、やっぱり改造による差別化がアピール点になっている。ノック式ボールペンの尻でレーシングカーの消しゴムを滑らせて遊ぶよりは弾が出る分面白いかもしれないけれど、家で遊ぶには小さすぎるし学校だとゴミを出すからって禁止されそーで、どーゆーシチュエーションで人気が出るのか見ただけではちょっと掴めない。

 子供が拾って食べたりする可能性なんかも考慮すると、例えば消しゴムじゃなくキャンディーにするとかコーティングされたチョコレートにするとかして食玩としてオマケの人形なんかと一緒に売れば分かりやすいんだけど、弾とか出るのはやっぱり危険だからなー。さてどーいった売り方を考えるのか。個人的にはタカラのもっと大きな空気鉄砲「Jバスター」に頑張って欲しいんだけど。評判聞かないんだよなー。

 ディズニー・インタラクティブの会見に行ったらいきなりティーアンドイーソフトの会見になってて仰天、中身はディズニーのキャラクターなんかを使ったネットワークゲームなんかをティーアンドイーが作るって話でついでにディズニーに55億円とかの転換社債の割当を行って資金的なメドも付けるらしー。オンラインゲームに現時点でまったくと言って良いほど実績のないティーアンドイーに任せてしまうって英断をよくぞディズニーしたもんだと考えたけれど、ディズニーといえばすでにスクウェアとゲームを開発する話なんかを去年の2月に大々的に発表していて、そのスクウェアのオーナーの宮本雅史さんがティーアンドイーのオーナーでもあたりして、そんな関係で話がつながったんだろーかと想像をめぐらせる。

 人によってはティーアンドイーをディズニーへの貢ぎ物にしたんだろーとか言うかもしれないけれど、株式に転換できる社債とはいえとりあえずは社債だし、今のところは償還の可能性も考慮に入れてティーアンドイーのお手並み拝見ってことなのかも。忙しくって取材には出てこないけど発表会にはちゃんと出て来てエールを贈るスクウェアの鈴木社長の動きなんか見てると、日本側として相当な期待をかけているよーだけど、海千山千のディズニーに良いとこ取りされないよーに頑張って頂きたいものです。

 もちろん提携によって生まれるだろー「ディズニー・ゲーム・ワールド」が持つ話題性は否定しないけれど、現時点でどれだけのネットワークゲームに関するノウハウをティーアンドイーが持っているのか分からないこと、具体的にどんなゲームを提案してくるのかが見えないことから話題性以上の何かをちょっと期待するのは早計と思ってる。ディズニーキャラクターを使ったゲームだったら他でも沢山でているし、そーしたキャラをはめ込んでどれだけ楽しいゲームに仕上がっているかってところが肝心で、果たしてどこまでやってくれるのかを見るしか判断のしようがない。

 あと世界ではともかく日本におけるディズニーのポジションが今ひとつ不明な点も悩ましいところで、過去にディズニー・インタラクティブからいろんなゲームが出たけれど、日本で大ヒットしたのってあんまり聞いたことがなく、「ディズニーランド」と「ディズニーアニメ」と「キャラクターグッズ」以外の「ディズニー」をわざわざ選んで買うだけの性根が、日本人やアジア人にどこまで備わっているのかも含めて成り行きを見極める必要がありそー。むしろアジアだと「ハローキティ」の方が受けそーな気がするなー。

 ちょっとだけ「電通ギャラリー」で「インパク」を遊ぶ。をを人がいない寄せ書きもまだ少ない。「ドリームキャスト」が置いてあったんでつなげてみたけどテレビ画面じゃ全部が入りきらず見づらいのが難、パソコンの方は高速回線でつながっているから良いものの、現れるページ現れるページのほとんどがトップページに「フラッシュ」だかのドでかいオープニングムービーが入れてあってローディングに時間がかかったり、クリッカブルマップにしても20枚とかの画像を組み合わせたよーな複雑にして巨大なものがトップページにデンと構えていたりして、家のプアーな環境が見るのに苦労しそー、ってゆーか1度見たら絶対に見たくなくなりそーな印象を受ける。テキストと小さな画像でだって楽しいページは作れるのに。そーゆー技術を磨くことでネットの「マガジン」としてのデザインが洗練されて来たのに。あるいは回線を太くする「IT土木工事」ありきなのが「インパク」で、無理矢理巨大なデータをぶちこむことで「日本の回線細すぎます」ってことをユーザーに印象付ける算段なのかも。何か本末転倒だねー。

 中身の方は自治体アピールページとしてはそれなりにまとまっているけれど、こーゆーのは「インパク」がスタートする以前に作っていてしかるべきもので、今さらのよーに国の金で作る辺りが3割自治の3割自治たる所以かとページを見ながら納得する。スタートして半月が経過して1万ヒットしかなかったりするページもあってこれだったら僕ん家の方が多いかも。ちなみに制作費は1銭ももらってません。アクセスして欲しかったら自分たちが見せたいものより他人が見たいものを作るのが本筋なのに、今の状況だとお国自慢にメセナ自慢しかなくって辟易させられるんだよねー。

 笑えるのがいろいろなページにある「ご意見書いてね」「交流してね」的掲示板の閑古鳥加減で、10も書き込みがあれば多い方で少ないとこだとゼロだったりして、これだったらまだ草の根BBSの方がファンが集まる分だけアクティブじゃんと眉をひそめる。荒らしすら寄りつかない「猫またぎ」掲示板。すべてのパビリオンの掲示板リンクとか作って話題ごとに好きな掲示板を選べるよーな仕組み、ネットなんだから簡単に作れるのに。


【1月14日】 午前10時にはおきて布団の中でうにゃらうにゃらしながらもだんだんと気合いを高めて午前11時、パソコンを立ち上げて仕事を始めて2時間ばかりで短い書評4本を片づけちょっとだけ休憩。1時間半くらいで3冊を取り上げるメインの記事を仕上げてとりあえず目先に締切が迫っていた「電撃アニメーションマガジン」をやっつける。だいたい午後の4時頃で完了、読みまくった本の投資分はともかくとして9to5ならぬ10to4で集中して1日の仕事を片づけて後は散歩に出るなり本を読むなりして午前様にならない時間に就寝して翌朝ちゃんを午前中に起きて午後まで仕事して……ってな生活を続けられるだけの在宅な原稿仕事があれば、なんだかそれで食っていけそーな気もして来たけれど、残念ながらも週の5日を埋めるだけの仕事量がないんで会社に通って決して高くはない給料を稼がなくっちゃならない。

 会社に通えば夜しか”本業”にあてられず従って仕事量も増やせないという膠着状態を、さてはでどこでどーやってうち破るべきなのか。最近知り合いの上場までしているゲーム会社の広報の人がそれなりに若いのに相次いでバタバタと会社を辞めるって言って来て、でもって知り合いの玩具関係の専門紙の人もドロップアウトを表明していて割り切れる辺りが羨ましいとか思いながらも他人事じゃないと結構深刻に受け止めていて、まあそれぞれに事情は違うんだろーけれど新世紀のスタートは人に何かしらの決断をさせるものらしー。とりあえずは目先にちょっとだけど積み重なりつつある仕事を片づけ、ちょっとは人前に出て営業なんかもしながら週に4日でいーからスケジュールを埋められるだけの一角の人間に今年はなろーと遅い”元旦の計”を立ててみました。来年も同じこと言ってそーだなー。

 終わったんで散歩。表参道の青山ブックセンターまで出向いて東浩紀さんが青山ブックセンターとか恵比須のガーデンプレイスで開いた講演を収録したお手製のCD−ROMを買ってみる。それぞれが税込みで2000円は果たして高いのか安いのかは判断のしようがないけれど、書けばそれなりな分量になる講演を本にして読むにしても行って聞くにしても遠隔地に住んでいる人だったらコストが発生する訳で、東京にいたから幸いにして500円で聞けた人あるいは抜粋を雑誌の「論座」で読んで我慢できる人以外にとって、こーゆー”知の頒布”なやり方は結構嬉しいものなかもしれない。あるいは知のアイドル(歳はそれなりだけど)の生きて喋ってる姿をモニター越しにでもいーから見たいって人にとっては。

 青山ブックセンターの講演はちょっぴり読み込みに時間がかかるけど「クイックタイム・ムービー」で映像が100分近く入っていて、ナマに近い東さんを見たいファンには垂涎の逸品かもしれない。薄暗がりの中でプロジェクターで図版なんかを指し示しながら演った講演なんで横顔に加えて陰影がくっきりとしていて、ハキハキとした淀みのないしゃべり方と合わせて結構シャープな印象を受ける。プロジェクターを直接ビデオで撮影していた関係で図版が見えないのは難だけど、その分ちゃんと別に図版を用意してあって、インターネットのWWWウェブをブラウジングする感覚で講演を聴き図版を確かめつつ話が内容へと迫っていけるよーな作りになっている。CD−Rに焼いてラベルをはって袋にいれてシールで閉じた家内制手工業なディスクの割りにはパッケージもコンテンツもシンプルにデザインされていて「らしさ」を感じる。年末年始とかはれを作っていたのかな、ABCには「メメッとくん」の缶バッジも売ってたんで欲しかった人変えなかった人は寄ってみてみよー。付けてると結構ウケます「これ何?」とか聞かれて。

 話を人に聞いてもらえてナンボの思想家が商売っ気にあふれた世の中で何者にもよらず阿らずに言葉を伝えていく、新しい試みの先駆けになれば面白いかも。パソコンがあればできてしまうのは分かっていたけど実際にやってしまえるだけの性根ってゆーか進取の気風ってゆーか古典的なメディアの情報をつまんだり枠にはめ込もうとするスタンスへの不信感ってゆーか、とにかく古い人間には想像もつかない突飛なことをやってくれる。印刷をフルに活用して宗教革命を成し遂げた中世の宗教家に通じる、知性革命なんかの走りとして1万年後くらいに取り上げられてスミソニアン博物館があればそこに2枚のCD−ROMが飾られちゃったりする、訳ないか。そんな文化的経済的御託はさておいて、たいそうな人が面白いことをやってるじゃん的な受け止め方でもまずは結構、そこを糸口にして取り巻きだけじゃなく反発を覚えている人無関心な人を持論の世界に引っ張り込んでいくだけのバイタリティーを、トリックスターと呼ばれようとドン・キ・ホーテと言われようと東さんには発揮していって欲しい、こーやってネタにもなるし。

 殊能将之さんの新刊「黒い仏」(講談社ノベルズ、760円)を読む。隆一って名前の男とか谷口って名前の女とかが出てきて妙な親近感を作品に覚えたけれど、それはそれとして繰り出される奇想天外なアイディアは「ハサミ男」や「美濃牛」に勝っていて、作品ごとに変えられる趣向に文章なんかの雰囲気が、なまなかな才能ではないことを裏付けている。もっともアイディアの切れ味が鋭すぎる分、それが全体の中で大きなインパクトをもって繰り出されるよーな中編だったら良かったかもしれないとゆー思いもある。事件の背景なんかは放っておいていきなりの解決編、そして背後で蠢く猥雑な企みなんかを見せた上でレイヤーを変えて繰り広げられる事態を見せつけることで、例えば酒見賢一さんの短編「地下街」のよーな奇妙な味わいながらも背筋をゾクリとさせる、新趣向の作品になったかも。巻末の資料一覧は読まずにまずは通読、でもって突っ込み倒してそれから英断とも蛮勇ともつかない作者の奇絶怪絶また壮絶な想像力を堪能しよー。


【1月13日】 湾岸トライアル・デー。まずはお台場の東京ビッグサイトでこの時期恒例な「次世代ワールドホビーフェア」を見物、ミニ四駆が下火になった代わりにタミヤが送り込んで来た流線型のマシンを走らせてたのしむ「ダンガンレーサー」がブレイクしてて、ミニ四駆の時と同じよーなすっげー工具箱にいっぱい部品を放り込んでは、会場でゲシゲシと組立やら改造やらをしている子供と元子供がブースの回りを取り囲んでいた。第2次ミニ四駆ブームの果たして再来なるか。傍目にはボブスレーみたいな形ばかりでミニ四駆ほどバリエーションがなさそーなのが気にかかるけど、プロなお子さま(元お子さまじゃないって意味)の目にはデザインの違い1つとっても相当な差異を感じているんだろー。形先行なミニ四駆なんかに比べて塗装とかし甲斐のありそーな形だし、デザインセンスなんかも問われる遊びってことで青瓢箪でも図画工作の得意なお子さまに脚光が辺りそー、でもって悦に入って威張って不良にボコられるんだ。

 レース物への人気再来を予感しているのかあるいは皆で渡れば怖くない的にヨーイドンし始めているのか、トミーにも似たよーなスピード感重視の新しい車の玩具が登場してそこそこに人気を集めていた。名付けて「ビットレーサー」って商品は、超絶小さいモーターを内蔵した全長で5センチあるかないかな小さい車を走らせて楽しむ遊びで、形だけならミニミニ四駆ってな印象を受ける、なんだパクリかい。まあレーシングゲームなんだからどこが何を作っても似て来るのは当然で、あとはどこに特徴を出すのかって所で「ダンガンレーサー」は弾丸ぶりを前面に出してファンを集め、「ビットレーサー」は小さいんで室内でもそれなりに遊べるってな点をアピールして、文字どおりの「お宅」な子供たちを抱え込もうってハラなのかも。

 しかし恐ろしく小さい「マイクロモータ」のパワーたるや、オーバル型のコースでも8の字型のコースでもビュンビュンと走って昔欲しかったけど手の出なかった充電式のレーシングカーでループなんか回っちゃうやつを思い出させてくれる。ミニ四駆ほどじゃないけどパーツの巷間なんかも可能みたいで、ギヤ比にしてもタイヤの固さにしてもいろいろといじっては走りを変えて楽しめるらしー、ここいらあたりはまるでミニ四駆、いやミニミニミニ四駆。新しげなものには手を出さざるを得ない性分がマシンを1台、テストトラックを1セット買わせてしまったけど、すでに床は50センチ下に沈んでしまった我が部屋ではコースを広げて「式日ゴッコ」をするのは既に不可能気味で、これじゃあ小ささなんて関係ねーよとビンボを嘆く。持っていって広げて走らせてくれる家募集、いえお茶菓子とかはいりませんから。

 考えてみれば「ホットウィール」の昔から走らせて楽しむレーシングゲームの人気こそ下火になっても商品が途切れたことはあまりなく、男の子を中心とはしながらも人間の本能に乗り物で早く走ることへの潜在的な渇望が擦り込まれているのかもしれないと、タミヤの「ダンガンレーサー」そしてトミーの「ビットレーサー」なんかを見ながらつくづく思う。場所を変えて湾岸線をケンメリ転がせられればどれだけ気分も状況にマッチしていたんだろーか、ってなことは別にして、湾岸トライアル・デーと銘打った今日の第2ステージに当たる幕張メッセで開催中の「オートサロン」をのぞくと、こっちでは実物大の車をイジって遊ぶ元少年少女がワンサと群れていて、結局のところ大人も子供も車イジリが好きなことでは同じなんだってことを実感する。

 コイルスプリングだどうとかサスペンションとかダンパーとかマフラーとかロールバーとかホイールとかタイヤとかを組み合わせてセッティングして走らせて速いと嬉しい、なんて作業のどこが地べたにしゃがみこんで工具箱からギアやらタイヤやらを選んで組み付けてはコースを走らせて勝利を目指す、ミニ四駆なり「ダンガンレーサー」と違うのか。違うのは金額くらいな訳で、人間には車に興味を示す何かしらの回路が組み込まれていて、それが駆動し始めると子供も大人も関係なく、年齢年収気分に応じた違いこそあってもやっぱり車イジリに勤しむものだと言って言えまいか。まあ車にてんで興味のない人もいるから遺伝子とか本能ってのは言い過ぎかもしれないけれど、幼い日々に車イジリに親しんだ人が将来本物の車をイジり始める可能性は否定できない。

 ってことは、ちょっと前のミニ四駆ブームに今の「ダンガンレーサー」人気なんかが例えば10年後20年後、大量の車マニアを生み出す可能性もある訳で、「ウルトラマン」で遊んだ子供が長じてもウルトラマン関連グッズには目がないよーに、あるいは10年後20年後の車のマーケティングもミニ四駆的にたくさんの種類のパーツを良いして自在に組み付けられるよーな楽しみ方を付与させる方向へと進んでいくのかも。でもって「コロコロコミック」の小学館もそんな「コロコロ」読んでた元少年たちを取り込む雑誌例えば「コロコロGX」とかを創刊してはマンガでパーツの組み方なんかを伝授して、年に2回開く「次世代ワールドホビーショー」ではビッグサイトの外にしつらえられたレーシングコーナーで、審判な人のマイク片手の実況を受けながらレースを楽しめるよーにするんだ。「コロコロ」全年齢化計画進行中。

 幕張に新しく出来た「カルフール」ってスーパーをのぞく。1階がやたらを狭くってこの程度かと高をくくって2階にカートをそのまま載せられる段差のないエスカレーター、ってゆーか斜めになった遊歩道を使って上がって仰天、1階では巨大な屋内駐車場だった部分の上がまんま「カルフール」とゆースーパーマーケットになっていて、広い通路の両脇をさらに大きなラックが固めて大量の商品を売っている。セレクト自体はともかくその広々とした後景は、決して狭くはないもののギュウギュウ詰めでカートがガチャり合う日本のスーパーを見慣れた目には優雅に映り、売っているものまで素晴らしい商品に思えて来る。これがおフランスのエスプリって奴?(違う)。ともかく西洋にならって合理的効率的と言い過ぎた挙げ句、見る楽しみ選ぶ楽しみを奪ってしまった日本のスーパーに対するこれが、バカンスな国の解答ってことでしょう。「トイザらス」と来て「シネコン」と来て今度はスーパー。ヨーカ堂だってうかうかしているとやられちゃうかもよ。


【1月12日】 今日も今日とてゲームに関連した会社の偉い人とかもうすぐ偉くなる人たちが一同に会する新年の賀詞交歓会で取材、600人もの大人数が集まったとかで不景気とか言われてもこれでゲーム業界、決して衰退なんかしておらずむしろ結構な繁盛を見せているんじゃないかってな気になる。偉い人が勢揃いの中でひときわ目立つナムコの御大に挨拶、辺見庸さんの原作を元にした映画「赤い橋の下のぬるい水」ももーすぐクランクアップとかでこないだ調布にある伝統の日活撮影所で最後になるとかゆー濡れ場を撮影したとか。ゲームのますますの隆昌とは対蹠的に映画の都の変遷は気になるところだけど、かつての都は蒲田近辺に本拠を構えるナムコが後を引き継いで、新時代の映像娯楽の提案に乗り出すんだと考えれば話もつながる。とにかく旧態依然としてたたき上げの老人たちが実権の握り続ける映画産業に、年齢こそそれほど違わないものの色艶をまったく失わないあのバイタリティーがどこまで通じるか。今年はそのお手並みをとくと拝見させて頂こう。

 久夛良木健さんは相変わらず元気溌剌。「どこでもいっしょ」のトロがお気に入りらしーからきっと今年登場の「トロと休日」の発売を心待ちにしていることだろー。「プレイステーション2」は待望なのか単なる付加価値なのか未だ判然としないハードディスクドライブがそのうち登場する予定だけど、あっても良いかなじゃなくなけりゃ困るって存在にしないと売れないのは必定で、そのためにネットワークを使った遊び方の提案なり、ネットワークを介して提供するコンテンツの選択なりがこれから本格化していくんだろー。そーいえばエルゴソフトも前に発表した「PS2」用のブラウザソフトを3月だかに発売するって発表していて、周辺機器や対応ソフトの面ではもそもそと「PS2ネットワーク端末化」の動きが進んでいる模様。残るは本丸のマジさ加減なんだけど、こればっかりは全然見えなんだよなあ。

 そうこうしているうちにセガの「ファンタシースターオンライン」はネットワークゲームとしては珍しく、と言ったら失礼かもしれないけれど何しろセガだから仕方がない、ともかく絶賛をもって受け入れられていて、これがもしも「ドリームキャスト」じゃなかったら……なんて「グランディア」なんかと同じ言われ方をする可能性は否定しないものの、一方でだったら「DC」やってみよーかな、なんて思わせる要素を秘めたソフトがようやく登場して来た訳で、”実績”とゆー何にも代え難い財産を1つこれによって得たセガが、いよいよネットワークゲームの分野でマジさ加減を出し始めた。続く矢もきっと仕込んでいるだろーから、あるいは2001年は、セガ復活劇の幕開けになったと後世の歴史家が年表に刻む大きな年になるのかもしれない、妄想もちょっと交じっているけれど。

 パーティーには不思議にセガ関係の人の姿が誰も見えなかったけど、新年を業界が祝っているうちに案外と新世紀をその手中に治めたんだと彼方の羽田でほくそ笑んでいて、パーティーに来るのを忘れてしまったのかもしれない。もっとも浮上しかかったところに伸びてきた食指を活かさない手はないと、シアトルの湖の底にある秘密基地で鋭意「×箱」を製造している会社の門でも叩いていたのかもしれないから用心は必要。株だって今日日の低迷相場じゃ戻ったところですかさず売り抜けるのが常套手段になっているから。そー言えば去年の「PS2」のパーティーに姿の見えなかったスクウェアのやっぱり今回も姿が見えず、その辺りも含めてシアトル謹製「×箱」の動向も気になるところ。どっちにしたって勝つのは「ゲームキューブ」なんだけど、だって山内社長、自身満々だったんだもん。

 適当に切り上げて外苑前にあるライブハウスの「南青山マンダラ」に相曽晴日さんのライブを見に行く、デビュー当時から聞いていたからかれこれ20年近くのファンになるけれど、ナマを見るのはこれが最初であの声あのメロディがどんな形で奏でられるのかとわくわくしていたら、始まっていきなり演奏されたのが数ある楽曲で好き度の上位に確実に入る「舞」だってんでもう歓喜。でもって「哀しみのトワイライトゾーン」といった具合にメランコリックなナンバーを浪々を歌い上げる澄んだ声に、瞬間自分がかつて熱中して相曽晴日さんを聞き込んでいた10代後半へと気分が引き戻されてつぶった目の隙間から涙がジワリと滲んで来た。

 とにかくうまい。でもって綺麗。その声その歌はCDで聴こうとナマで聴こうとゆるぎなく凛として澄み、冷気に張りつめた冬の夜とも荘厳さにあふれた聖堂の中ともった雰囲気をライブハウス内に醸し出す。会場で始めて聴いた、実に9年ぶりになるとゆー自主制作版のアルバム「月の子供」からのナンバーも始めて聴いたとは思えないくらいに「相曽晴日」していて、9年間いやデビュー以来ほぼ20年にわたって変わらないでいてくれた相曽さんの歌声に、あれやこれやと鬱陶しいこともあるこの世知辛い世の中を泥にまみれて進まなくてはいけなくっても、同じ用に変わらないで進んでいけそーな気持ちが湧いてくる。歌ってホントに良いものですねえ。

 新譜には入ってないってゆー「桜の頃」とゆー曲が何とも素晴らしくって、どっかのトレンディドラマのエンディングとかに使われたら途端にメガヒットしそーな印象を受けたけど、何しろCDだって自主制作な相曽だんが利権渦巻くトレンディドラマの楽曲に採用されるなんてことはないだろーから、聴けるのはライブの時だけになってしまうんだろー。まさに「桜の頃」となる3月11日の吉祥寺スターパインズカフェ、行かねば。会場で購入した新譜はどれも素晴らしい曲ばかりだけど、幾つか挙げるとしたらライブでも演ってくれた「夜明けに降る雪」が今の季節にピッタリ。暖房の利かない部屋で真夜中に1人聴いているとマジで涙出てきます。あと「世界でいちばんっ」って曲も可愛くて好き。これも演奏してくれた「名無し」は相曽さんだからポップになるけれど、演歌の人が歌い上げてもきっと素晴らしい曲になりそー。八代亜紀さんでも誰でもマジで演ってくれないものだろーか。ここからブレイクすれば絶版のアルバムの復刻だってあるかもしれないし。

 それにしてもプロデュースの斎藤ネコさんを筆頭に村上”ポンタ”秀一さんとか青山純さんといった山下達郎さんのライブでお馴染みのドラマーやら松原秀樹さんやら超がいくつもつくミュージシャンが参加していれ自主制作なんて良いながらも実にクオリティの高いアルバムに仕上がっていて驚く。それだけ業界に相曽さんが好きな人が多いんだろー。ライブでギターを担当した渡辺幹男さんは最近物故したバーデン・パウエルとかゆーブラジル・ギターの超名人が作った曲を演奏して、ベースラインにメロディーラインを1人で演奏する超絶技巧を見せてくれて、相曽さんの歌を聴きにきていた、青山のライブハウスでは普段はあんまり見かけないよーな真面目そうな男性客(俺もその1人)を含めた来場者たちの目を釘付けにして耳もダンボにさせる。一流ってのはあーゆーのを言うんだろーなー。

 2回のアンコールに応えてくれて、最後は名曲「コーヒーハウスにて」で締める約2時間のライブはとにかく素晴らしかったの一言。そりゃビジュアル系でもないし流行りのディーバ系でもないけれど、歌は別に顔で唄うもんじゃないし体で見せるものでもない。ちゃんとした歌をちゃんと聴けたって意味で、今まで生きていて最高の部類に入る時間だったと断言しよー。明後日の日曜日には場所も同じ「南青山マンダラ」で「あなたが空へ帰る日」(名古屋流行発信、1143円)の宇井かおりさんがバースデイライブを開催する予定で、相曽さんに負けず澄んだ声で綺麗な歌を聴かせてくれそーなんで、時間があったら(仕事にメドが立っていたら)見に行こー。「DOOR」とか演ってくれるかな。


【1月11日】 広告に関連した団体の加盟各社つまりはマスコミの偉い人たちが一同に会する新年の賀詞交歓会で取材。インターネット広告協議会だがが入ってインターネット関連の会社が参加して来ているあたりはIT革命とかに伴う新しいメディアの登場を感じさせるけど、大勢を占めるのは新聞であったりテレビであったりラジオであったり雑誌であったり屋外広告であったりと既存のメディアに広告会社そしてクライアントの企業と10年1日どころか30年1日の風景で、古(いにしえ)より伝わるメディアの力の強さ影響力の大きさを改めて感じつつ、ネットのよーな新しいメディアがこーゆー場所でテレビはまだしも新聞なんかの地位を脅かすまでに成長するには、何年何十年何世紀かかるんだろーかと思案する。もちろん購読者の数で抜かす可能性はあるけれど、既存のメディアが持つ既得権に支えられた題字の重さは容易に越えられるものじゃなく、ネットへと移行した既存メディアが実権もシェアも握り続けるだけのことになりかねないだけに、インターネットの世界から壇上に上がって新聞テレビ雑誌な人たちと一緒に鏡開きをする日が来るのは、夢のまた夢なのかもしれない。革命って難しい。

 日本雑誌協会の理事長として木槌を振るった角川歴彦・角川書店社長に新年の挨拶をしつつ「花田紀凱さんと喧嘩したんですかあ」と聞く、まあ半分は世間的な風評を踏まえての冗談だけど。その花田さんも来場しているかと探したけれど、何しろナベツネ氏家の読売日テレグループ首脳をはじめお歴々の集う豪華にして盛大な賀詞交歓会だけあって容易に人間の判別はつかず、うろうろとするのも面倒なんで食事もとらずに早々に退散する。もしもこの会場が「DOMESDAY」(浦浜圭一郎、角川春樹事務所、857円)みたく肉色の壁なんかに覆われて誰も出られなくなったら明日は大変なことになるのかなー、とか考えたけれどすでに政治家化しちえる新聞テレビの首脳がいなくなったところで日々の業務に出る影響は小さく、ニュースとしては騒がれても新聞が出ないテレビが映らないなんてことにはならないんだろー、日本型の到達点的社長じゃあ。先週末に京都でやったインタビューで「もしも会長になったって実質的に何が変わるんだ」と言って、肩書きじゃなく実質的な意味から社長としてまさしく陣頭指揮を取り続けていることをアピールしていた任天堂の山内社長のよーな名実伴う経営者って、大企業じゃ珍しいからなあ。

 花田さんの所に言って雑談していた中では、「ナンバー」のことを斎藤美奈子さんが「AERA」誌上でライターの自慢話が多いオヤジ雑誌だってな感じで揶揄っていたのを前に読みましたよと言って「そうなの?」と言われてしばし盛り上がったけれど、当の斎藤さんの記事で自慢野郎の代表格として挙げられていたカネコタツヒトこと金子達仁さん(まんまやねん)が「ナンバー」誌上の自分のコラム「いつかどこかで」で大反論。例によって前半部分ではやっぱり近況報告がてらの自慢話が綴られているけれど、反論への枕にするだけあって意図的かつ恣意的な「自慢話」になっていて、「私がかなりの自慢したがりであることは認めざるをえない」と開き直りを見せつつ、それを逆手にとってローマまで1泊3日の強行軍で行って中田英寿のいるASローマとジダンを擁するユヴェントスとの試合を翌日に控えて帰らざるを得なかった、その「弾丸ツアーマイナスサッカー」という悔しくも哀しいローマ行きの苦労話へとつなげて、サッカーファンの共感と同情を引っぱり出している。そりゃ悔しいよなあ。

 とは言えそーした金子さんの露悪芸も連載を読み続けてよーやく理解できるもので、「決戦前夜」の中で川口能克に焼き肉を食べさせた話を枕に振った文章をもって「『誰もが決戦前夜を読んでいるわけではないのだから、書き手が思い上がっている』とか『そもそも手法自体が効果的ではない』とかおっしゃるのであれば『そうですか、すいません』ということにもなるのだが」とゆーことは認めている、まあ半ば露悪的ではあるけれど。とはいえ「お説ごもっとも」と寝入るなんてことはしないのが血気盛んな印象のある金子さんならではで、「編集的な一手間や工夫が不思議なくらい欠けている」と斎藤さんに言われた「ナンバー」では斎藤さんの一手間をかけていない原稿は通らないんじゃないの、ってな指摘をしては反論を繰り出している。自分のユーモア精神に斎藤さんは自信があるよーだけど、「『あ、そう・売れてるのね。じゃあ私ごときが何をいっても大丈夫だな。もっといおーっと。てのは冗談』といった原稿を書く方に、私は何のユーモア精神も感じない。感じるのは、ただの無責任さ、である」とユーモアではなくシリアスに反論するあたりの文章に対する生真面目さも見える。

 もちろん斎藤さんも単なる揶揄とか上滑りするユーモアとかじゃなく、男雑誌が醸し出す男雑誌的な風潮への潜在的な違和感なんかを、右代表な形で金子さんの例を持ち出して浮かび上がらせたんだと思うし、今やキャリアな女性が読みたい雑誌でライター志望の女性が書きたい雑誌のトップクラスに君臨する「AERA」ならではのコラムだと言えなくもない。真正面からぶつかるよりも誉め殺しでもパロディでも揶揄でもいいから搦め手から責めて壁を崩していくんだってなニュアンスも「メンズ・マガジン・ウォーカー」ってなコラムのタイトルかも感じて、なるほど「ナンバーに漂うある種の文体傾向に嫌悪感を覚えたといっても不思議はない。が、レトリックで語られるよりフィールドでのプレイが何をも越えて饒舌にすべてを語るスポーツの世界では、斎藤さん的な分析はなかなかに受け入れらにくいし、競技としてスポーツそのものを愛する人には違和感を覚えさせるんだろー。それにしてもハッキリと言い過ぎな感もあるだけに金子さん、vs斎藤美奈子さんの主題でこれからどんなやりが繰り広げられるのかに今はムクムクと興味が湧いている。手強いぞおミナコサイトウは。


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