縮刷版2000年9月中旬号


【9月20日】 原作者さまが悩んでどうするんですぅ、とか思ってしまった「化け猫BBS」への9月19日アップの伊藤明弘さんの書き込みなんだけど、確かになるほどOVA版「ジオブリーダーズ」の第2弾、「ジオブリーダーズ2 File−XX”乱戦突破”[2]」を見ると伊藤さんが燃えて萌える理由も分かる。だって成沢が、そう成沢が、ああ成沢が。温泉で。うふふふふ。まあそれは見てのお楽しみとしてアニメの設定書を見て描きたくなるってゆー気持ちも分かるカワイサ&ふくよかさを見せてくれている。でもジャケットとライナーに描かれた成沢嬢の胴体に巻いたバスタオルの上からはみでた部分の質感量感だってなかなかのものだから、決して悩んだり嘆いたりする必要はないと思いますです。タオルなしの方が嬉しいってことは別にして。

 しかしオープニングのカッコ良さといったら。飛び上がってからアップになってボウガンをかまえる社長の鋭い眼差しもさることながら、回し蹴りを決めた瞬間の栄ちゃんの口の勇ましさといったらありません。兎には当てられない流れ星の構えだけは最高なモーゼルさばき、ハンドルさえ握っていれば目もパッチリな夕と各キャラのサイコーなところを見せてくれるそんあオープニングの中でも、注目はやっぱり高見ちゃん、だなあスカート姿で飛び上がった瞬間に当然ながらのぞくアンダーのまぶしさよ。ヤられる奴等はきっとそのチラに目を奪われて投げられたバタフライナイフの餌食になるんだきっとそーだ。今ひとつ見えない本編でもタキが出てきたり謎の女性が首相官邸のエラそーな椅子に座っていたりと本編にも絡みそーな伏線がたくさんで見落とせない。オヤジカルテットの顔はともかく流れ星はお手本にした方が良い銃さばきの鮮やかさも見所の1つ。あと散りばめられたギャグとかも、”まや”も黒田洋介さんにかかればメンチなのね、でもって田波はメンチ2号。どっちもちょっと不味そーだなー。

 いったい年に何冊本が出るんだろーかと芥川賞作家にないハイペースぶりに驚く藤沢周さんの新刊「さだめ」(河出書房新社、1400円)は、AV女優のスカウトマンが何の気なしに配ったらしい名刺にひっかかってきた少女が、見かけの地味さとは対極を良くAV女優としての凄みを見せて監督をメロメロにしたものの、当のスカウトマンにはどうにも彼女が狂気への道をひたはしっているよういしか見えず、負い目とビジネスライクな気持ちの狭間でもだえる奇妙な味わいのある物語に仕上がっている。決して分量も多くなく、かつ平明に物語を綴る「ブンガク」ってよりは「小説」ってな感じの作風の著者だけあって、出来事を追っているとあっとゆー間に読み終えられるからポストモダンとか構造主義とかにてんで弱い頭にはちょっと嬉しい。繰り広げられる物語だけ読むと馳星周さんとの違いってあんまりないんだけど、馳さんと「芥川賞」はあんまり結びつかないのは、やっぱり出自の違いによる印象の差によるものなんだろーか。分からないなあ「ブンガク」って。

 ををニッポン。シドニー五輪サッカー予選の対ブラジル戦は開始早々の目が慣れないうちのブラジルの得点が最後まで響いて結局は負け、それでもひるまず固めず逃げようとせずに攻め続けるブラジルの猛攻の前に何度も守り防いだのは流石に守備を徹底して鍛えた日本だけのことはある。攻撃では三浦の左にスペースを保ってとったポジショニングの巧さとか、持ったあとのドリブルの巧みさに脱帽、中村の決まらなかったけどちゃんと枠内あるいは決してふかさず枠ぎりぎりに飛ぶフリーキックの凄さにも。世界でも稀有な「ディフェンシブフォワード」の柳沢はその”異名”を存分に発揮する”守備”ぶりを見せてくれて、最前線でもらってもすぐにシュートを打つなんてもったいないことをせずに保って仲間が来るまで待ってパスする慎重さ、トラップすれば前に出しすぎてゴールラインを割るよーにして、ボールをとられてカウンターをかけられて点をとられないよー上がっていたディフェンスが戻れる時間を稼いでいる、これぞ「ディフェンシブフォワード」の鏡だね。

 半ば本気の冗談はおいても、ボールにタッチできるだけの動きは見せてくれているのに肝心のフィニッシュに至るケースが皆無なフォワードってのを、あの厳しいトルシェがどーして3戦とも先発で使い続けたのか、それが今オリンピックでの最大の謎になりそー。ボランチの明神と稲本については対スロバキア、対ブラジルでは大車輪の活躍で前線の中村に中田との愛称とかも含めてフル代表にも定着を目指して頂きたいところ。ディフェンスは誰が入っても大丈夫、さすがに1発のパスとか飛び込む2列目にヤられてしまうスキはあるけど、それが何度も出ないところがやっぱり過去になく安定していると断言したい。さて本戦、アメリカなんて野球とバスケとホッケーとアメフトに優秀な人材をわんさととられている国で、残り滓のよーな人材を集めたサッカーチームが楽々と予選を勝ち抜いて来る、その凄さはやっぱりちょっとあなどれない。後藤健生さんの本で欧州の育成システムについては教えてもらったんだけど、アメリカでどーしてサッカーが強くなったのか、それを明解に解説してくれる記事を次戦の前後に期待しよー。


【9月19日】 YAWARA(柔)がTAWARA(俵)でも良いけれど、せめて生まれた双子のホワイトタイガーだか山猫だかには「ノムラ」に並べて「タムラ」とちゃんと付けて欲しいもの。とゆーかそっちにしなさいと窘(たしな)めるのが金メダリストへの正しい敬意の払方なんだと思うけど、そこは見出し良ければすべて良な新聞業界だけあって、今朝の朝日新聞朝刊の社会面に掲載されていた、双子の虎だかに付ける名前を柔道の金メダリストにちなんだものにしようと考えているとゆー記事で、「タワラ」……じゃなかった「ヤワラ」「ノムラ」を並べて見出しにとって、「田村亮子=ヤワラ」のイメージをいっそう固定化しよーとしている。例えば虎が大きくなって20年くらい経った時、「ノムラ」は良いとしても「ヤワラ」が果たして何にちなんだ者なのかを理解できる人がいったいどれだけいるだろー。聞いて真っ先に田村亮子さんの顔を思い浮かべる人が大半って状況、田村さんにも「YAWARA」の作者の浦沢直樹さんにもやっぱり失礼なよーな気がするなあ。けどもしかして、その時も田村さんが柔道の第一線で活躍していて「ヤワラちゃん(45)が金メダル!」とかって言われていたら、あるいはそっちの方が恐ろしいよーな気が。可能性は……高いかも。

 船橋は湾岸に2本、高速道路が走っているんだけど京葉道路の方はインターチェンジがあっても湾岸線の方にはインターチェンジが作られていなくって、たとえば競馬場とかオートレース場とかショッピングモールとかスキードームとかに行きたい人は結構苦労しているみたい。どうしてインターチェンジがないのかと言われれば聞いた話だと市長がいらないといたそーで、せっかくのインフラがすぐそばにあっても、ラストの数百メートルがないばっかりに近くの住民たちにとっては単なるコンクリートとアスファルトのカタマリになっている。何が言いたいかってそれはやけに太くて上等なインフラがあったところで、使う人のところまで枝が届いていなければ何にも意味がないってことで、つまりは森総理が所信表明演説とやらで日本中に高速のインターネット回線を広げるんだと言ったとしても、青物横丁にある松下電器産業のピラミッドビルに行って「ITだ」とか言ったとしても、肝心要の部分に具体性がない以上、結局はインターチェンジのない高速道路を作っても利用できる人が限られてしまう事態になりかねない。

 肝心なことはもう1つあって、道路があっても車が走っていなければやっぱりただのコンクリートとアスファルトのカタマリってことで、だったら車を作ろうぜってことになるんだけど、そこが土建大国日本の不味さ幼さ醜さよ、金のたっぷりバラ撒けそーな通信インフラの部分には各省庁が「光ファイバー」やら何やらを敷設するんだとこぞって予算を申請しても、その上を走る車、すなわちコンテンツの部分で例えば助成金を増やすとか、優秀なクリエーターを育ててみるとかいった部分での具体策はあんまり見えてこない。土建屋も農家もコンテンツじゃ全然潤わない、つまりは票にならないと考えてのことなのだとしたら、しょせんは「IT」も「米」と同じ政争の具でしかない。それを何ら批判も検証もなしに盛り上げようなんて思っている御用学者やメディアが、今後有象無象と出てくる可能性を(すでに一部出ているけれど)予想しつつ、かつてオフィスビルが不足すると大レポートを書きバブルの現況と非難された証券系シンクタンクの轍を踏まないよーな予防策を考えて行こー。とりあえず投資はしないこと。したくても資金なんてないんだけどね。

 「IT」っぽいと思えば何でも飛びつくマスコミ、加えてそおにネームバリューが加われば批判も検証もなくただひたすらにカメラを出して記者を配置して情報をあつめてがんがん流す、ある意味卑しくさもしい行動がここのところ一段を濃さを増している。発表する側も良く知ったものでこうすればマスコミが来てくれるだろう、記事にせざるを得ないだろうってところを巧妙に衝いてくるから記者会見には行かなくちゃいけない、芸能人が来るからカメラは出さなきゃいけないってな羽目になる。「モーニング娘。」が来たからといって赤字の音楽配信会社を大宣伝し、泉谷しげるら芸能人がそろったといって将来性の不確かな無料プロバイダー事業をやってる会社を写真入りで大々的に紹介する。そんなことの繰り返し。挙げ句に起こった事態をマスコミが反省してるかと言えば、罪悪感なんてカケラもないのがマスコミ人種の図々しさってところで、水に落ちない間は駄犬でも褒めちぎる。それはもう大々的に。

 もちろんいくら芸能人を集めようとも、政治家がパーティーにやって来ようともやってるビジネスの内容さえしっかりしていれば構わないのは了解事項。むしろ虚仮威しじゃない内からの自信の発露とも捉えられるから判断が難しい。という訳で、「だんごのお姉さん」こと茂森あゆみさんと相撲の元大関で現在はタレントとして大活躍しているKONISHIKIさんが発表記者会見にやって来た「ドットシティ」はどうなのか、ってところでサービスを見て思わず叫ぶ「おおフランキーオンライン!」「ををハビタット!」。言うなればパソコン通信が始まって以来、そしてインターネットが普及し始めて以降、常に考え出されては挫折の憂き目に遭って来た、キャラクターインターフェースで街のメタファーを使ったウェブサイトに今日再びチャレンジするって内容で、宣伝効果による初速はともかくも、死屍累々の先達たちを乗り越えて果たしてどうやって乗り越えて事業として軌道に乗せていくのかに興味が及ぶ。

 回線が太くなり、パソコンの性能がアップした今、「仮想都市」をネット上に再現して、その上でキャラクターのCGを操って誰かと会話したり、店の1つに飛び込んでそこで並べられた商品を買うってなことは容易になっているだろう。マルチユーザータイプのネットゲームが世界中で大ヒットしている現状を見れば、そこにオンラインショッピングのメニューが加わっただけの「ネットゲーム」の製作など決して困難を極めるものじゃない。だったら何が問題かと言えば、例えば「ディアブロ」、あるいは「ウルティマオンライン」といった世界中を席巻したゲームほどの楽しさを、この「ドットシティ」で得られるのか、アクセスしてくれるユーザーを増やすことが出来るのかって点で、そこのあたりが見えてくるまではちょっと将来性を買うことは難しい。タカシロマンだって出来なかったんだよ。だから大丈夫? うーんノーコメント。

 それでも「ポストペット」の普及でCGキャラクターに自分を託すことへの抵抗感が薄れるどころかシンパシーすら感じている人が増えている状況だけに、アプローチの仕方いかんによってはそれなりな人気を獲得できるのかも。もちろん「ポストペット」に込められたアーティスト八谷和彦の冴え、みたいなところを「ドットシティ」が取り込めるってな保証はないから、やっぱりアクセスの状況サービスの内容を見て考えていくしかないんだろー。気になるのは集まった人の情報はそのまま企業にとっての情報になるって点で、そういった使われ方に参加している人の自尊心とかプライバシー意識が抵抗感を示す可能性があるんだろうかって点だけど、ネットは広大なフロンティアだ、なんて言って一切の権力の参入をフンサイしよーとしていたかつてのネットコミュニティとは違って、今日日のインターネットの人たちは雑誌感覚でページを見たり電話感覚で会話してたりするんで、アンケートに答えて商品をゲットするのに何の抵抗感も持たないよーに、自分たちの情報がお金になって参加費がタダになっているんだと思えばそれで納得できるもの、なのかもしれない。

 そうじゃないかもしれないと考えているのが電通テックとか凸版印刷とかが11月から始める「WebCom」ってサービスで、一方に企業に対してマーケティングやプロモーション支援などを行うウェブサイトを用意しつつ、一方にユーザーに参加してもらって発言とかコンテストへの参加なんかをしてもらい、定性的な情報を集めてそれを広告関連会社ならではのノウハウでえいやっと定量的な情報に買えて企業に見せる手法をとっている。ユーザーがアクセスするサイトは2つ。そのうちの女性向けのサイトでは、ナビゲーターがいて結婚とか就職とかの相談にのってもらったり意見交換を通じて他の参加者も合わせてコミュニケーションをとれるようになっているし、中高年から熟年層向けには脱サラ成功者なんかが語るライフスタイルなんかの情報を楽しんでもらえるようになっている。企業に利用されているんだとゆー感覚がないことが果たしてユーザーの参加意欲促進につながるのか、それとも無関係なのか。決して長い歴史のないウェブマーケティングの世界だけに、2つの違ったアプローチの行方がちょっと気になる。どっちにしたってサイトが出来たよーってことを、宣伝しなきゃ誰1人として参加者が集まらないんだけどね。未来の主要メディアといってもインターネット、伝播力じゃあまだまだマスメディアにはかないません。


【9月18日】 連休中も仕事に追われて楽しいことがなく、週明けで仕事が始まって目新しいおともなく書くことがないんで本とか雑誌の話でお茶を濁そう。おやじの深情けっていうか自分が気が付いた時が旬な時とゆースタンスを貫き通して1冊の雑誌に仕立て上げてしまうところが「らしい」というか渋谷陽一さん編集のロッキング・オンの総合誌「SHGHT」第4号は、リアルタイムに熱烈な映画のファンの間ではすでにメジャーすら越えていただろー映画監督の三池崇史さんを「誰かが売らねば俺が売る」的な入れ込み具合で大フィーチャーしているけれど、言われてみれば一部には有名であっても「渋谷が売る」ことが何らかの意味を保ち得えている状況で、どこか別の場所へと向かう1つの結節点に今回の特集がなるのかもしれない、と思うけどやっぱり「今さら」? それでも今回ほどのまとまったインタビューにフィルモグラフィーを読めるのは有り難い、永久保存の1冊であることに間違いない。黒沢清さんのフィルモグラフィーもあるからファン必読、ってゆーか21世紀日本映画ファン予備群は是非読。

 なんだい青山監督の「EURECA」はベストに入れても良い訳ね。そのベスト20作を語る対談に登場の大森望さんは肩書きが映画評論家で「本誌『書籍評論 SF・ホラー』を担当」でキネマ旬報などで映画評論の「ほか、SF小説などの翻訳手がける」(強調筆者)ってあたりの紹介が何か不思議、マルチな才能の場合はどこを切り口にしても大丈夫ってことなんだろーか。翻訳が余技に見えてしまうよーな書き方がちょっとそそります。紹介されている訳書もラッカーとかディックとかカードじゃなくって「ブレア・ウィッチ・プロジェクト完全調書」だし。

 警戒警報発令。青山監督の[EURECA」関連ではさすがに未公開の映画をベストに入れる雑誌だけあって、吉本隆明さんが「頻発する無根拠な殺人事件をめぐって」とゆー文章の中で完璧にネタ割ってます、分かってはいても信じたくない事実がじとじとと明らかになっていくハラハラ感を味わわなくっても大丈夫なよーにしてくれている、吉本さんて親切だぁ。映画を楽しみたいならとりあえず読むな160ページ。あと最近の頻発する青少年による殺人事件に関連して吉本さんにご託宣を伺ったところで、かつてよのような世間に響きわたる鐘のよーな効果を吉本さんて人に対して20代以下の当事者たちが持っているのか、何かウザいことゆー爺さん程度の感じしか持てないんだけどどーだろー、丹波哲郎が言ってるのと受け取る側の意識では案外同じとゆーか。吉本さんを「ありがたがる」世代ってのが着実にいて、渋谷さんも含めてそーゆー人たちに「読んでもらう」雑誌なんだから仕方がないとは言っても、いたずらに相槌を打つだけじゃなくって、果たして適用の段階で有効かどうかくらいは判断してくれても良いと思う、だって迷惑も幸福も被るのは「吉本who?」な世代なんだから。

 おやごんざっぷ。「変わりゆくもの、守るべきもの」は「コミケって何?」ってことを解説するルポで内容は一般的かつ網羅的、事件があればヤバいかもしれいないってな危機感をコミケ側が抱いているあたりにも踏み込んであって分かりやすい。問題は、とゆーか記事の問題ではなく「SIGHT」て雑誌自体が持つ問題なんだけど、どこらあたの層を想定して書いたら良いのかとっても迷ったんじゃないかと思う、だって「同人誌」と言っても世代によっては受けるイメージって全然違うし、同じ世代であっても、たとえ40万人が集まるイベントであっても存在すら知らない人が確実に存在していることは会社勤めをしていればよく分かる。

 とりわけ「SIGHT」がねらってそーな都会的で社会的でサブじゃない文化的な人たちにとって「同人誌即売イベント」の位置づけとかバリューってなかなか図りにくいよーな気がする。記事はそんなマジメーな層に対してコミケな側がへりくだることなく自虐ることもなく真面目に丁寧に説明がしてあって好感がもてるけど、一方で果たしてあの退廃的背徳的使命的熱情的な雰囲気を少しでもくみとってもらえたかどうか、コミケの何たるかを多少は知っている身にはちょっと判断にしよーがない。コミュニケーションってやっぱり難しい。「分かる」層だけを相手にしている「SIGHT」が雑誌だとしたら、やっぱり先は短いかもなあ。

 「恐れ入った」と来たか、いや恐れ入られても困ってしまうんですけど、いちおうは自分よりサッカーに詳しい人が「2敗1分け」なんて言ったんだからそれを信じてドキドキしながら試合を見てたら案外な楽勝にスリルを味わいそこねてしまって。まあ別にどうもしてくれなくても良いんですけど金子達仁さん、どうして「トルシェ監督が意図してカウンターを狙わせたとは思いにくい」のかを教えて下さい。昨日のテレビ中継では木村和史さんが「分からない」と言っていた中村の交替の理由を、松木安太郎さん風間八宏さんは中田・森岡が出られない次の試合に向けて怪我などされては困ると引っ込めたらしいとちゃんと書いてあって、そのあたりは保険とゆーかクレバーに次を考えるトルシェの方針を何とかして読みとろうとする意志が感じられて、それが事実か否かはともかく「分からない」よりは為になる。金子さんにもトルシェがカウンターを狙わない理由、そして選手が実行に移した経緯をその心の襞にまで分け入る筆でもって是非ともリポートしてやってください。「新しいステージ」に日本が入った歴史的な試合なんだから、「江夏の21球」クラスの超絶綿密リポートやらなきゃ損、だよね?

 おめでとう創刊。ってことはこれまで出ていたのは全部「創刊準備号」だったのか、ほら出版社が雑誌なんかを創刊する時に、広告代理店なんかに対して媒体の特性とか狙ってる読者層なんかを説明するために作る一種のテスト版があるじゃない、ふつうはだいたい1冊だけ作ってメインの記事は入れても大半は白いページのまんま残しておくのに、そこはこだわりの編集長がいる「サイゾー」のこと、見かけ上の準備号まで含めるとたぶん17冊にも及ぶ「創刊準備号」を作って記事もびっちりと埋めて内容の充実も図って喧嘩しつつ相手の出方をうかがいつつ着地点を探して来たんだろー。その成果がようやく実っての今「創刊」、読めばよむほどに苦労がしのばれます。もっとも先月まで出てきた「創刊準備号」と連載も体裁もそんなに変わってないんですけどぉ。

 冗談は本気なんだけどそれはさておき、「創刊」なんで創刊準備以来続いて来たスポーツウェアシリーズもいよいYやめたのかなと思ってカットソー姿の表紙の女性の胸に描かれた文字を読んだらピクシー御用達の「ル・コック」印でなあんだやっぱりスポーツウェアなのかと半分嘆息半分納得。けどさすがはおフランスなメーカーだけあって北原奈々子さんがグラビアで履いているパンツの色とかカットソーの胸のラインの色とかに、鮮やかな水色が使われてていてちょっと欲しくなる、プレゼントとかやってたっけ? オレンジのストライプのパーカーもスポーツウェアっぽくなくってよっと良さそう流行りそう。どこ言ったら買えるんだろか、腹出てても似合うんだろか。うーんやっぱり書くことがなかったなあ。


【9月17日】 寝たり起きたりの日々、といっても別に過労で入院して点滴受けてるなんてことじゃなくって、夜中とゆーか明け方まで仕事モドキをしてそれから寝ると起きるのがどうしても正午あたりになってテレビを付けるとオリンピックがやっていて、夕方からはサッカーの予選も始まるってんでどこかに行くだけの気も知的余裕も時間的余裕もない、金銭的余裕は当然として。なので起きて出かけて新聞を買って読んで昼御飯兼夕御飯を作って食べてテレビを見て寝て起きてサッカーを見て寝て起きて仕事をしてってな、何とも怠惰な日常になってしまっているのです。

明日からは表向きの仕事で強制的に家を出なきゃいけないけれど、これが作家評論家翻訳家にフリーライターの人だったら、テレビの誘惑をどーやって押さえ込んで原稿用紙に身を向かわせるのか、その精神的な組立ぶりにちょっと関心がある。仕事が出来る人はそんなことできて当然なんだろーか、本当に出来る人はすでに仕事なんかまとめ終えして完全オリンピックモードなんだろーか。寝たり起きたりで1日に1本くらいなモノカキ仕事ができない私はだからフリーには向かないのかなあ。

 実はあんまり本も読んでないんだけど、かろうじて漫画なら読めるかもと思って古屋兎丸さんの「プラスチックガール」(河出書房新社、2000円)を購入、うーんこれてある意味アートじゃんと思う。少女の痛みとか悩みとか苦しみといった内容のショートコミックを、キャンバスだったりタイルだたり板だたり煉瓦だったり積み木だったりポラロイド写真だったり鉄板だったり段ボールだったりと、多種多様種々雑多な素材に描きつけている手法は素材の質感とあいまって不思議な見た目を醸し出している。素材と内容のマッチングって意味では先達に「版画男」の唐沢なをきさんがいるけれど、版画という手法によって表現できることで物語を組み立てていったした「版画男」は、漫画という表現をさまざまなアート的アプローチで変奏してみせた古屋さんとはちょっとスタンスが違うのかな、いずれにしてもどちらの人も天才です。

 さらに漫画、今さらながら曽根正人さんの「昴」(小学館)を2巻まとめて読む。ノンナは出ていないのね。秘められた才能が落ちぶれたとはいえかつては天才と呼ばれた指導者によって育まれ花開き、才能が決してない訳ではないけれど努力肌だったり決定的な部分で天才にはかなわなかったりする可哀想なライバルを向こうに回して、天衣無縫に世の中を渡っていくってな展開自体は、同じ「スピリッツ」だった「月下の棋士」の氷室将介なんかが近いよーに、過去の漫画でもアニメでも小説でも何でも探せば山のよーにあるんだろーけれど、そーやって何度だって描かれるくらいなだけあって、何度読んでもやっぱり人を感動させる。

 「ハリーポッター」シリーズでも思ったことだけど、こーゆー「天才物」って、自分の中にもしかしたらあるかもしれない、あるいはあったかもしれない「才能」を思い天才の主人公に同化していつかは自分もと詮無い望みを抱き頑張ろうってな気にさせれくれる点が、繰り返しの使用に耐えるんだろー。そうはならない可能性が大だってことをたとえ承知していても、あったかもしれない可能性にしばしの幻想を抱いて心を緩ませて楽しむのだ。加えて「昴」は山岸涼子とも萩尾望都とも違って絵柄の激しさ、逞しさ、汗くささがあって気をそそる。挫折を繰り返し、その度に「才能」でもって復活してく感動のインフレをどこまで保たせることができるのか、先行きにちょっと注目。

 さてサッカー、「日本vxスロバキア」は枠に近いけどはずれるシュートが続出でイライラ感に苛まれる。その筆頭が柳沢で、もちろん才能があるんだろーからトルシェが先発で使い続けるんだろーけれど、フォワードなのにポストプレーで自分を満足させているように見えてしまう使い勝手の良さといい、がむしゃらいやらなくってもそこそこなプレーを見せてしまえるところといい、見ていてどうにも「こいつだったら何やってもオッケー」ってな気持ちが沸いてこない。シュートを外した1本だってあるいは柳沢だからこそ枠のすぐ側までボールをもって来れたのかもしれないのに、これまでの仕事(しなさ)ぶりが災いしてか「また失敗だよへらへら」ってな顔にしか見えて来ない。ある意味不幸な選手だけど、得点とって、あるいは絡んでナンボのポジションなんで断罪も止むなしかも。それにしても水沼貴史が言うよーな「ゴールの雰囲気なし」ってなフィーリングでの断罪も困るよなあ。どうして悪いのかと説明してやってよ、プロなんだから。

 フィーリング水沼がテレビ番組で予告していた松田は出なかったけど三浦淳宏は出場していたから1勝1敗ってところ、確率5割ならフィーリングもまんざら捨てたものじゃない? それとも単なる山勘? 同じフィーリングかどうかは知らないけれど2敗1分を予告していた金子達仁さんはここに来て外れの度合いがいっきに広がりちょっと大変かも。スポニチでどんな「言い訳」をしているの興味深いけど、むしろそれより彼が予告した根拠、でもって外れた原因を、自分に分析力がないって事じゃなく、具体的に日本のどこが強かったのか、あるいは相手のどこが弱かったのかを含めて仔細に解説してもらいたい。そういう態度が僕らみたいな結局は「フィーリング」なにわか評論家の駆逐なりレベルアップにつながるのだから。


【9月16日】 「シドニーオリンピック」のオープニングで夢見る少女を演じていた女の子の名前を知るために新聞を買い込んで、朝日新聞だかに「ニキ・ウェブスター(Niki・Webster)」ちゃんだってことが判明、さっそくインターネットにつないでファンページなんかないか探したけれど、ただでさえ世界的にチャイルディッシュな対象への感情を向けることを忌避する動きが強まっている上に、人口1800万人なオーストラリアでは、流石に「共通の嗜好」を持っている人はいないよーで発見できず。オーストラリアのヌード大会のページってのは見つかったんだけどなあ、ステージの上で観客に向かって正真正銘のストリップを演じて見せる大会らしーんだけど、こーゆーのはオッケーなのにチャイルディッシュな物はペケってあたりの何とゆーか厳格な基準が外国にはあるよーです。残りはコミケあたりに「ニキ・ウェブスター写真集」がインディペンデントで出ることを期待か、アボリジニの「歌う人写真集」でもそれはそれで買っちゃうかもしれないけれど、あのおっさん目立ってたしなあ。

 椎名林檎のプロモーションビデオを収めたDVDが確か発売になってたってことを思い出して近所のレコード屋に買いに行く。ナース姿でガラスを蹴り割る姿とかコマ送りで見たらもしかしたら足の奥とか見えるかなー、とか期待して買って帰って来たDVDを見たらナース姿なんてどこにもなくって代わりにウェートレス姿で「ストレスぅーが」とか唄ってた、ってそれはディスクが違いませんか? なんて森高千里のようやくと出たライブDVDを買ったことを言い訳がましく説明したりするんだけど、よくよくと見るにプロモーションビデオに凝りライブの人気が絶大で、演じている側には自分を装い装った自分に酔っている風に見えて実はどこかに冷静な目があって、見ている側も対象にのめりこんでいるよーでその姿を見ている自分があって、ってなところが両者なんだか似ているよーな気がして来た。男たちの欲望を一身に受けつつ裏で舌ペロリとやってそーな所とかも。

 方やロックでアーティストで、こなたアイドルでお人形なの2人を並べるなんてそりゃ無茶だよ、って言われそーだけど、世の中に対して突っ張っているよーでそんな姿も含めて人々の「突っ張りたい」思いを入れる器になってしまっている椎名林檎はある意味「アイドル」だと言えるし、ナースから暴走族からなにやらかにやらを装う姿は「お人形」を自覚的に演っていた、よーみ見える90年代前後の森高とどこがどれほど違うのか。向かっている方向こそ違え、そこにはやっぱり同じ要素が見えかくれする。音楽性が段違い? でも森高って自分で詞とか書いてたし作曲だってするし良いミュージシャン揃えてたんだよねえ。1点楽器の腕前だけは今に至るまで「いかがなものか」なんだけど。

 むしろスノッブでトレンディーで世間に対して安全な場所に居ながら「見ているんだぜ」「好きなんだぜ」と楽に自慢できる椎名林檎に対して、最近の「アーティスト」してる森高じゃなくって「お姫さま」を演ってた90年代前後のモリタカを「好きだぁぁぁぁ」と自慢する方がとてつもなく根性がいるって点で、実は森高千里のファンの方が世の中に対してパンクしてるんじゃないかと思えて来たけど、こう言っても信じてもらえないところがやっぱり森高とゆーか、だからこそ森高とゆーか、どこまで行っても森高とゆーか。まあ良い、見えそーで見せてなさそーな椎名林檎よりあっけらかんと見せつつ「スケベ!」と画面にサブリミナル的に入れてしまう森高を、それでも応援していく自分のダメさ加減を自覚しつつも、そうした感情すら含めてハメこんでしまう森高の永遠を願って見続けて行こー。と理屈で好きさを説明しなきゃいけないところがやっぱり森高の森高かる所以だなー。

 語れば語るほど泥沼にハマっていく森高はさておき、いくら語ってもちっとも「萌え」ないタワラちゃん(だから誰がYAWARAだ)の柔道の試合を見る午後、たしかに「萌え」はしないけれど凛と張りつめた顔をか始まった試合での技のスピードとかを見ると自然心が「燃え」てくるのは日本人だからってよりも1人の求道者として限界を極めようとしている姿に、素直に気持ちが動かされるからなんだろー。笑ってない顔はマジで震えるもん。同じく金メダルを獲得した野村の方もテレビ番組のインタビューでは陽気に振る舞っていたのに、試合の直前はターミネーターか橋本に向かって歩く小川かってな恐ろしい表情をしていたからなあ。そんな2人の表情が単なるプレシャーから来る緊張の現れじゃなくって、真剣な場へと臨む気持ちの現れっだったってことは、萎縮することなくそろって頂点を極められたことが証明しているとも言える。まさしく顔は心なり。つまり田村亮子さんの心は以下自粛。


【9月15日】 しかしメディアの自家中毒ぶりってゆーか自己中心ぶりってゆーか世間の見えてなさぶりが今に始まったことじゃく且つ今まさに酷くなりつつあることは知っていたけど、まさかあの「ゴール×28」を褒めるスポーツ新聞があるとは吃驚、えっと確か「スポーツニッポン」ね。日本人の義務ってことでオリンピックでのサッカーの勝利の報道をいろんなスポーツ新聞を読んで確認していたところに、芸能面でそんな記事が出ていて一気に気持ちが萎える。一方では、試合についてどうって意見が聞きたいのに、金子達仁さんは「トルシェは負ける」って言ったことへの責任を取る意味で「トルシェに脱帽」と言いつつも、「これで喜んでちゃ駄目」ってなニュアンスで日本のサッカーを取りまく環境への注文をつけていいるだけで、なんか素直じゃないってゆーか素直じゃないことがカッコ良いっぽい雰囲気があって、それはそれでやっぱりゲンナリしてしまう。冷静だけど熱いってゆーか熱いけど沈着ってな感じの記事ってやっぱり難しいのかなあ。まあ足して割ればそれに近くなるから良いってことなのかなあ。

 その点で言うなら後藤健生さんは熱さと冷静さでもってサッカーにとって何が問題なのかを見られる人らしく、「ヨーロッパ・サッカーの源流へ プレミア・セリエA・フランスリーグ取材ノートから」(双葉社)なんかを読むとサッカーの頂点のよーに言われているイタリア「セリエA」が案外と最近話題になり始めたに過ぎないことをちゃんと書いてあって「ブンデスリーガ」があって「三菱ダイヤモンドサッカー」ではなるほどイタリアなんて大したことなかったなあって事を思いださせれくれるし、たとえ今が最高峰でもセリエの外国人至上主義的な運営の影で若手選手の育成がうまく機能せず将来の弱体化が予感させることも指摘してあって、なるほどイタリア代表の10年1日みたいな「ガッチリ固めてカウンター」ってなサッカーの戦術の変化のなさといー、若手のあんまり台頭していない状況といー、問題が現実に現れて来ている事実をおさえているあたりがただのお祭りジャーナリストとも辛口イヤミストとも違う、みたい。

 チームの合併なんて「サッカー先進国」のヨーロッパではありえない、なんて昔のハイカラ野郎みたく知ったかぶりで外国を持ち出して日本の「後進国」ぶりを批判するんじゃなくって、現実にはヨーロッパだって長い歴史の中でチームの合併なんてあったし今もときどき噂に登ることをちゃんと踏まえてあるあたりが、長い取材経験で培われた物を見る目の冷静さの現れか。もちろん横浜のフリューゲルスとマリノスの合併には合併そのものよりも決定のプロセスなり朝令暮改的な運営なり運営にあたっている企業のスポーツに対する扱いの軽さなりってな「日本的」な問題もあった訳だけど、そのあたりはまた別の議論になるんだろーから後藤さんは触れていない。ただしパルマのような企業の携帯を入れて運営に成功したチームの話とか、英国でプレミアリーグが出来たことで起こったチーム間の貧富の格差といった問題はちゃんと指摘してあって勉強になる。あれだけのサッカー人気を経験した日本が今は年に何十億円も稼いで独立して運営していけるよーなチームが果たして50年以内に出るんだろーかとゆー状況に直面している状況を見るにつけ、理念の部分で問題について話し合える英国がちょっと羨ましく思えて来る。50年じゃ効かないかもなー。

 なんて本を読みながら神田神保町の「書泉グランデ」で開かれた上遠野浩平さんの「ぼくらは虚空に夜を視る」(徳間書店、590円)のサイン会場へと行く。123番なんて遅い番号にひょっとしたら2時間くらいかかるかなあ、今回なイラストの中澤一登さんもいっしょにサインしてもらえるそーだし、その中澤さんの到着も遅れているそーだしなー、とか思いながら最上階の6階で待っていたけど、せっかく整理券をもらったのに来ていない人が100番台だけで20人くらいはいたよーな気がするくらい前がどんどんと詰まっていって、30分くらいで自分の番に回ってきてちょっと吃驚する。もったいない人がいるもんです。集まっている人たちは1カ月ほど前の「冥王と獣のダンス」の時とだいだい同じで若い高校生大学生あたりって感じで、ネットで見かける上遠野さんファンがネットって関係上自分も含めてそれなりに年寄りだったりするから果たして世間に受けているんだろーかと心配なんかしてたけど、ネットなんて多分ホンの一部くらいにちゃんとしっかりストライクなファン層を抑えているよーで何より。ネットなんてまだまだマーケにゃ偏り過ぎてるのかもなー。

 あと前回に比べて若い(一部若くない)女性が結構多かったのが印象的、うーん羨ましいぞ。これが例えばネチョネチョドロドロな「ケイオスヘキサ」の人だったら集まるファンもやっぱい黒い杖とか赤いジャケットとかで身を固めたヤローばかりになりそーだし、近影のあまりに不良さが災いして「猫地」が「E.G」な人もヤローが集まりそうな予感、女性でも極めて文化的にある種の洗練が施された方々とか。「課長王子」に「エルハザード」のキャラデザイン、「VIRUS」のアイキャッチとか「電撃文庫」のブギーポップを使ったCFとかで独特の線に雰囲気に動きを見せてくれた中澤さんの実物を見るのはこれが最初、ふーんこーゆー人だったのか、フライングVは持ってないなあ。サインはひらがなで「なかざわかずと」でゲバゲバみたいなイラストが描かれてあってもしかしたら「とり・みき」さんの眼鏡禿にあたるこれが中澤さんのアイコンなのかも。そのうち作品に出てきたりして。

 帰ってオリンピックの開会式。いきなり登場した女の子(誰なんだー?)に「萌えー」と叫んだ人が果たして世界に何億人いただろーかと考えつつ、世界はひとつロリコンはみな兄弟だってことを実感する、いやホントに何億人もいたかどーかは知らないけれど。同時に「どーしてスパッツなんか履いてやがんだ」と怒った人も何百万人かいたかもしれないってことも。アボリジニ虐殺の歴史を再現するなんてことは流石にせず、悔恨の念も含めて全面的にアボリジニの歴史と伝統に配慮した開会式典になっていたのはちょっと驚いた。まさか聖火の最終ランナーにまでアボリジニの人を登場させるとは。そこまでの気の使い様が果たして純粋な贖罪なのかそれとも謝罪を合理的に現しただけなのかは不明だけど、たとえ政治的な正しさを現しただけものだとしても、その思いきりの良さと狙いの確かさにはやっぱり感心させられる。札幌オリンピックの時に果たしてアイヌの人たちがどんな関わり方としたのかちょっと調べてみたくなった。

 エンターテインメントとしての開会式典の素晴らしさは流石。こーゆーアトラクションをやらせればやっぱり西洋人にはかなわない。北朝鮮的な集団でのピッタリ合ったマスゲームの凄さもそれはそれで感じない訳じゃないけれど、全体にダラっとした雰囲気を漂わせながらもそれが味になる構成力、見せる部分はしっかりと見せ、決めるところはぴたりと決める統率力のやっぱり賜なんだろー。5大陸を代表する人たちが出てきた6番目のパートで女の子が手話も交えて歌い始めた場面には、民族も国家も越えて人間はやっぱりひとつにならなきゃいけないんだってな甘いんだけど噛みしめたいメッセージがビンビンと伝わって来て不覚にも涙してしまった。2000人のマーチングバンドの決まり具合といい、オリビア・ニュートン・ジョンやら聖火の唄の人やら何から何までが、どーしてこうもいちいちきまるんだろー。日本だと例えばアイドルが下手な歌を唄っても許されるところを、さすがに甘くないのかちゃんと唄える人を用意するあたりにエンターテインメントへの敬意が感じられて気持ちが良い。大阪五輪では国家も聖火の唄もちゃんと唄える人に歌わせるんだぞ、やしきたかじんとかBOROとか。指揮は当然キダタロー、ね。


【9月14日】 ゴールゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴール。じゃあまだまだ足りない連続28回のゴールコールは血気盛んなラテンのノリには程遠い日本人の口から発せられるとやっぱいり浮きまくってウザったいんだけど、日本が同点に置いついてさらに逆転にも成功した歴史的な瞬間をそーいった言葉で讃えたくなる気持ちもやっぱり分からないでもない。それ程までに南アフリカのリズムにのった流れるよーな攻撃の恐さが画面からひしひしと伝わって来たんだよねえ、シドニー五輪のサッカーオリンピック予選からは。

 もっともアナウンサーが心から本当に興奮して「ゴール」を連呼したんだったらいいけれど、あるいはもしかしたらそれが「カッコ良い」とか「サッカーの中継にピッタリ」とか意識してたんだたとしたら、やっぱりサイテーだと言っておこう。一時期の新日本プロレスで古館アナの故事成語まみれな中継が人気を博した時も、全日本プロレスの倉持だか誰かは淡々と試合の流れを説明する中継で質素堅実で成る日本人の「らしさ」を見せてくれていたからね。とかくこの何大会か、アイドルにタレントに元名選手なんかを山と投入して「カンドー」を盛り上げようとしがちなオリンピック中継で、のっけからヤバさを感じさせてくれたって意味で、他のアナウンサーはこれを他山の石として例えば”タワラちゃん”(ヤワラと言われてどーして浦沢怒らなねー)こと田村亮子選手の試合で「一本背おい一本背おい一本背おい一本背おい一本背おい一本背おい……」と50数回叫んだりしないで頂きたい。「横四方固め」とかを連続行ってかつぜつの素晴らしさを見せてくれるんだったら、それはそれで別なカンドーを呼ぶかもしれないけれど。

 ハルキ文庫の「SFシリーズ」も発売されてそれなりな初速を上げているよーで何より。もはや重鎮な笹本祐一さんや秋津透さんや岡本賢一さんはもは放っておいても売れるだろーからここでは若手っぽい人(といっても著作多数で中堅の雰囲気十分なんだけど)に注目。担当・中津さんの戦前の予想どーりに「剣と眼鏡っ娘」な高瀬彼方さんの「カラミティナイト」(800円)の評判がなかなかで、「吸血鬼戦国時代に行く」的なゆうきりんさんの「戦国吸血鬼伝 信長神意篇」(780円)もそれなりっていった感じ、個人的に全面的に支持したいな小川一水さんの「回転翼の天使」(720円)があとはどれだけの評判を上げるか気になるところでしょう。妹尾ゆふ子さんの「ナーガ 蛇神の巫」(700円)は自画像が三月兎だなあ。

 とか言ってるあいだに来月のラインアップも明らかになって、そこからはどれが「新世SF世紀」に該当するのか分からないんだけど、とりあえず「超重鎮」と「それ以外」で分けて見るなら注目は酒見賢一さんのSF短編集「聖母の部隊」の復刊っていったところ。聞いた話では内容への加筆とか修正とかはなさそうだけど解説に「日本ファンタジーノベル大賞」出身でいまや大物の風格すらただよう油ノリノリな女性の方が本人たっての希望もあって起用されているとか。SFにもシンパシー感じてるかの人が果たしてどんな酒見リスペクトぶりを見せてくれるのかちょっと注目。あとこれも再刊になるんだけど、「僕はかぐや姫」でデビューして「至高高所(アバトーン)で芥川賞もとった最近は「生誕」(朝日新聞社、1600円)なんて幻想的な小説もあった松村栄子さんのアンタジー作品「紫の砂漠」が面白そー。「幻想文学」の女性ファンタジー作家特集でも上げられていた作品で、ハードカバー持ってるんだけどほとんど絶版状態だっただろーから復刊はちょっと嬉しい。一気に「大復活」と行って欲しいところだし、ファンタジーへの傾注も深めて頂きたいところ、です。

 一方の「SF」的に期待たっぷりな徳間書店のデュアル文庫は谷甲州さんの「戦闘員ヴォルテ」とか大原まり子さんのイル&クラムジーシリーズ「銀河郵便は愛を運ぶ」なんかが面白そー。もちろん「イルクラ」シリーズはそ四六のソフトカバーで天野嘉孝さんイラストのバージョンを持ってたりするんだけど、実家にあって読めないからやっぱり買ってしまいそー。あと人形専門サイトをオープンさせたばかりの脚本家の小中千昭さんが「lain」のキャラデザ「ニア・アンダーセブン」も漫画で活躍している安倍吉俊さんのイラストで描く中身は知らないけれどきっと面白いに違いない「プリモ・マテリア」にちょっと関心。芸大を日本画で出た安倍さんならではの重厚な絵なのか貧乏予備校生にヘタレ宇宙人にインチキ印度人なんかが暴れ回った「ニア」系の絵なのかってあたりがちょっと問題で、これによっては小説の中身も随分と違ったものになりそーだけど、さてどーなんだろー。とりあえずその前に8月に出た「僕は虚空に夜を視る」の上遠野浩平さん中澤一登さんのサイン会で「デュアル」の売れ行き売れ筋売れ先なんかを確認して来よー。神田神保町「書泉グランデ」にて。

 それにしても恐ろしいのは「ハリポタ」ブーム。オンライン書店の「ビーケーワン」で1000冊を越える予約があったくらいだから全国でどれくらい売れているのか想像することは出来たけど、「ハリーポッターと秘密の部屋」(静山社、一九〇〇円)の正式な発売日に当たる今日現在ですでに一部の書店には「6刷」が回っていたりするのには驚いた。もちろん大手の書店にはちゃんと今でも「初版第1刷」が並んでいるんだけど、どんどんと上から足されて知らないうちに「○刷」をつかまされることになるかもしれないから初版マニアは注意、ってもマニアは先刻ご承知でちゃんと買ってるだろーから安心か。あるいは何冊も買い占めてたりして。しかし文庫ラインアップで10月27日に扶桑社から出る「ハリー・ポッターの秘密を解く」っていったいどんな中身なんだろー、便乗本っぽさが漂ってるんだけど単なる謎本の類なのかなー、まあとりあえず「ハリポタ」ファンとして注目。


【9月13日】 人前で漫画を読むのと人様に自分の携帯の着メロを聞かせるのとどっちが恥ずかしいと言われれば、趣味まるだしな着メロを聞かせまくる方はよっぽど恥ずかしいとは思うんだけど、まあ人それぞれだから良しとしよー。しかし人に物を聞く記者会見の席上でポケベルを何度も鳴らしている様に(どーしてバイブにしないんだろー)とか思っていた時代も今は昔とばかりに、携帯の着信音をガン慣らして恥じない記者とかってのを見ると、石原都知事じゃないけれど「場所を考えろ」とジト目のひとつも送りたくなる。

 ってなことを書いてる横で着メロがなったら現行不一致めと怒られるだろーから流石にしてはいないけど、シドニーオリンピックの会見場だかで日本語で「携帯電話は切れ」とアナウンスが流れるのはそれだけ日本人の着メロマナーが悪いからだよね、って書いた原稿の尻に自分の着メロが鳴り出した話をつけ加えている朝日新聞13日付コラムの筆者にはちょっと呆れる。「失敗しちゃう僕ってお茶目さんでーす」ってハートウォーミーな効果を期待しての表現だとしたら勘違いも甚だしい。まさに「僕ってゴーマンなタワケちゃんでーす」って言ってるよーなもんだと思うんだけどいかがでしょー。通したデスクも「これは面白い」って思ったのかなあ、都知事の前で着メロ流したのも築地の人だったのかなあ。

 すでに「1999年7の月」の絶望(なんにもなかったってこと)を知ってしまっている身として、今さらたいした期待も抱かなかった「セカンドインパクト」だけど、やっぱりなんにもなくってちょっとガッカリ、世界ってなかなか滅亡しないものですねえ。次に期待するのは日付がどーだったかは良く覚えていないけれど2014年あたりの「サードインパクト」かな、でもその時には結構な歳になっているから老いも若きも男も女もひとつになれることを喜んで受け入れちゃいそー。しかし次々と滅亡ネタが現実に追い越されていく状況で、世の中の厭世観を引っ張ってくれるよーな大嘘のオプションがだんだんと減って来ているのはちょっと寂しいかも。科学の勝利って言えば言えるんだけど想像力の敗北とも一方に見てとれる訳だし。誰か世界征服でもはじめないかなあ。

 とは言え現実に目の前で「滅亡」とまではいかなくっても生命の危機に直面するとやっぱり相当に恐ろしいものなのかも。名古屋では天白川だか植田川の氾濫で死亡した方がいたそーでお気の毒にと黙祷、中坪ってことは川のそばの低地で水がたまりやすい場所だったのかな、逃げ遅れたか寝ていたところに水嵩が増して巻き込まれって状況も考えられる。映画とかアニメとかで天井から流れ落ちて来る水に地下室が水浸しになって天井との隙間が顔1つぶんくらいになるシチュエーションがあるけれど、経験すればきっと笑って見てはいられなくなるだろーなー。名古屋市内だと野並方面も軒並み冠水だそーで知り合いの実家は水没して車がお釈迦、なるほど確かに天白側が近くを流れてはいるけれど、堤防は高いし河川敷も広いから溢れるなんてことはちょっと想像ができなかった、これも想像力の低下の影響か。まあいくら想像したことろで実地に優るものはない訳で、今回の経験が100年は大丈夫な街作りに活かされることを願おう。

 とは言えこーゆー「何百年に1回」とか言われて「起こり得ないこと」と分類されていた事態が現実に起こってしまうと、活気づくのが「何百年の1回」の可能性を前提に国とか地元の自治体とかが進めようとしている吉野川の堰の建設プロジェクト。「何百年に1回」なんて可能性を引っぱり出すなんて絵空事に等しいなんてゆー反対派の論拠の1つがこれで沈滞するだろー可能性がある訳で、遠く名古屋の出来事がどうやって飛び火していくかがちょっと見物。もちろん日本の場合は公共工事における「国民のため」とかゆータテマエの裏に土建屋なり、地域のボスなりに対する利益誘導といったホンネが隠れていることが問題な訳で、反対派も推進派もそういった部分に踏み込まずに上っ面の部分で争っているから無理が出る。しょせんは確率でしかない論拠が1つ消えたことを幸いに、そういった裏の部分をキッチリした上で、初めて成り立つ「国民の利益」が堰を作ることなのか、それとも自然を守り続けることなのかとゆー議論を展開していくよーになれば、沈んだ名古屋も浮かばれるってもんだろー。さてどーなるか。

 軽々しく「土建屋」って言葉を使っているけど新聞なんかの場合だとやっぱり職業へのベサツになるんだろーから「建設業」とか言い換えるところを、さすがに世界的人気ファンタジーだけあって「ハリーポッターと秘密の部屋」(J・K・ローリング著、松岡佑子訳、静山社、1900円)には平気で土建屋って言葉が出てくるからちょっと吃驚。政治的に正しく言い直そうなんて考えないところが逆に感情的に正しかったりするからそれはそれで良いんだけど、「めくら滅法」なんて言葉まで出てくると流石に大丈夫なんだろーかと思ってしまう。言い換えるとしたら「なりふり構わず」とか「一心不乱」ってあたりになるよーな気もするけれど、日本語の字面だけ比べてみると何かやっぱりニュアンスが違うよーな気がするし、やっぱり原語がどーなっているのか気になるところ。日本語読んでいる限りだと「めくら滅法」がハマるんだけどなあ。

 その「ハリポタ」最新刊、やっぱり面白かったです。年寄りふくろうのエロールがボロ雑巾みたく扱われたり手紙を届けた途端に疲れはててボタリと落ちてしまうあたりの描写はちょっと絵にして見てみたいところだし、二枚目で自己顕示欲が目茶強くって自分は世界中の魔物たちと戦って来たんだと自慢ばかりしているロックハート先生は置鮎龍太郎さんあたりに声をハメて頂きたいところ、子安武人でも良いのかな。学校内で次から次へと起こる人が石になってしまう怪事件、もしかしたら犯人じゃないかと疑われたハリーは友人とともにすべての謎が秘められた「秘密の部屋」を探すが……ってなミステリー的展開を主軸にして進んでいく物語は、ハリーにちょっかいを出すいけすかないガキとか、学校内を歩き回ったりトイレに留まったりするゴーストとかを絡めながら、それらを巧妙に伏線として採り入れ、最後にすべてを収斂させてしまう腕前がとにかく見事で、読み終えるのが惜しいけれど読み終えずにはいられない。売れるでしょう。


【9月12日】 モケイの国の仕事の次はアニメの国の仕事で呻吟、自分の「アニメなセーシュン」を振り返るよーな原稿になってしまって果たして大丈夫なのかと悩むがとりあえず送る、うーむ。今週はあと書評の国の仕事が1つあって週明けにアニメの国の書評な仕事があってそのままやっぱり書評の仕事があってと得体の知れない仕事が目白押し。まんま「アミューズメントマシンショー」「東京ゲームショウ」「プラモデル&ラジコンフェア」に突入したりと立て込んでいて、一向に涼しくならなない気候に果たして保つんだろーかと心配だけど、そこは何より新聞の国の仕事をテキトーに流していたりする不良社員、夜もしっかりと6時間は寝て昼間も昔とった杵柄とばかりに机に向かってペンならぬワープロにブラインドタッチのよーに指をおろしたまま寝るとゆー、必殺技を駆使して体力の温存に務めているから案外と平気だったりする。あんまり度が過ぎるとそろそろヤバいかなとも思うけど、まあそーなったらそーなったで考えよー、いろいろな国の仕事がもっともっと来ると良いな。

 しかしちょっぴりいろいろな国の仕事にかまけ過ぎたせいもあって世情に疎くなっていたのか、我が実家のある名古屋市天白区があーも水浸しになっているとはしらなんだ。幸いにして実家のある平針方面は無事だったみたいだけど、聞くところによれば昔自転車で良く走った植田一本松から塩釜口から名城大学あたりを囲んだあたりか、あるいは植田原あたりが水に浸かったみたいで「ヴィレッジバンガード」の本店あたりは大丈夫だったのかとちょっと心配になる。でも見知った場所がああも大変な事態になっているのを見るにつけ、被害を受けた人への同情は同情として一方で「見てみてー」ってな野次馬心理がムクムクを浮かんで来て、どーしてあの場所にいられないんだろーかとゆー残念な気持ちになってしまうのはやっぱり生来のジャーナリスト、ってーか瓦版屋の根性なのか。自衛隊のボートで本来だったら道路の上をスイスイと行くなんて経験、1生かかったって滅多に出来るもんじゃないからなー。

 もちろん天白あたりでは亡くなった方とか出ていないらしいからこういう軽口を言ってもまだ何となく許されるかもと思うんであって、これが神戸になるとさすがに口に出しても言えないし、思うことだってプレッシャーがかかる。でもどこかに自分は無敵で不死で特別で、どんな災害にも生き残るんだってな幻想があるから困ったもので、想像力を働かせてもやっぱり「遠い出来事」になってしまう。人間って怖い。そういった意味で、想像力を現実に代えてさらなる想像力の糧にしよーとした神戸で田中康夫さんが行ったよーなボランティア活動は、人間として一歩前へと足を踏み出す意味で、やっぱり大きな意味があるんだろー。とか口で言っても三宅島災害にも地元の水害にも動ぜず笑っている自分がここにいたりして、やっぱり人間としての情けなさを強く思う昨今。人間の器、そう簡単には大きくはならないなー。

 本屋に寄ったら早速並んでいたんで「ハリーポッターと秘密の部屋」(J・K・ローリング著、松岡佑子訳、静山社、1900円)を買って読む、うーんやっぱり面白いわ。ヒーローになったハリーだけど実家では叔父夫婦とその子供から虐げられる毎日にウンザリしていたところに同級生が空飛ぶ車で尋ねて来る。ホントは使ってはいけない魔法の車に乗って友人の自宅へと到着した場面。友人の母親が「鶏を蹴散らして猛然と突き進んで」来て、「鋭い牙をむいた虎にそっくり」な顔でにらみつけて一言。「それで?」。あー怖い。居合わせたら背筋がキュンと凍りそーな恐怖の叱られシチュエーションを巧みな比喩と的確なセリフで描写してみせる作者の冴え、その冴えを見事に日本語へと写した役者の腕前にきっとこの第2作も楽しませてくれるだろーとの確信を持つ。直後のパパさんの狼狽えぶりも最高だったし。「たとえば車なんか?」。おーこわ。

 第1作の「ハリー・ポッターと賢者の石」(静山社、1900円)が大ベストセラーになる直前、海外では有名でも日本では実績もない作者に出版社の本がどーして書店に山積みになっていたのか不思議だったけど、今回の後書きを読んでその一端を知る。密なマーケティングと積極的な営業活動のきっと賜だったんだろー。気になったのはマーケティングのプロとゆー豊田哲さんが企業した「ブック・サポート・システム社」とゆー会社で、名前だけ読むと本の出版についてマーケティングの面からいろいろと指導してくれる会社のよーだけど、具体的にどんなことをしていて、それが「ハリポタ」の日本での大成功にどれだけ寄与して、今後の日本での出版文化の中でどんな役割を果たしていくのか調べてみたくなった。それとも誰か調べているのかな。ちょっと注目してみたいです。

 ベッツィ萌えーっ。って訳じゃないけれど久方ぶりの「H2O Image」なのに絵柄がまるで徳間書店から出ていた時のイメージなのは流石に天才・藤原カムイさんと言ったところか。メイムの雰囲気といい得体の知れない男たちの抱えている謎の生物といい、そしてそしてベッツィと言いブランクを感じさせないイメージだもんなあ。とは言え間に「雷火」なり「福神町奇譚」なりを挟んで変化に追随して来た目がそう思わせているだけかも知れないんで、近く刊行が始まるとかゆー単行本の「凍結編」とかを読み返して比べて見てみる必要があるかも。それで違いが感じられなければやっぱり藤原さんは天才だってことでしょう。発売に期待。


【9月11日】 なおもモケイの王国のアジテーターから舞い込んで来た僕でホントに大丈夫なのってな仕事をこなすウイークエンドの夜は更けて、午前様になってとりあえず完成してメール、後刻とりあえず何とかなったみだいでホッを胸をなでおろす。手慣れてないジャンルの経験の浅い文章を書くのっていつもとっても緊張します、だって普段のテキトー体な日記調ではやっぱり場所にそぐわないだろーし、かといって商売道具の新聞調だともっと場違いになってしまうってことがある。あと相手がどのあたりの水準を求めていてどういった文体が必要でってあたりを手探りと想像でやらなきゃいけないから、リテイクくらう可能性も勘案してそれが精神に与えるダメージも折り込んで立ち直れる時間も図って書いて出さなきゃいけない。もちろん時間ギリギリで出してまんま「通し」ってやる手もあるけれど、後々のことを考えるとやっぱりそれは、ねえ。ってことでとりあえずのカタはついたけど次にすでに幾つかのモノカキ仕事が控えている今週、うーんアニメかあ、趣味偏っているからなあ。

 だってハマーン様だもんなあ、歴代ガンダムに登場して来るキャラクターで1番ビビビッ(ちょっと死語、ってゆーかすでに誰が何で使ったかも記憶がない、聖子だったっけ)と来たのが黒いストッキングだかスパッツで髪ピンクな高ビー女(でも二十歳)の。もちろん類例では「軟弱者」と言いながらぶって欲しいセイラさんって人がいるけれど有永編集長ほかファンが多くって競争率高いし悪役じゃないからちょっと別格、そこに行くとハマーン様は性格ネジ曲がっているよーだけど案外と純真なところもあったりして、けれども上昇志向が強くって僕なんか虫けらのよーに扱ってくれそーでちょっと背筋がゾクゾクする。けどそーゆーこと言う人って世の中にはあんまりいないと思っていたら、単行本で読み返した「ヘルシング」の平野耕太さんが何かハマーン様に萌えていた、うん正しいぞ平野耕太、一生支持するぞ平野耕太、でもひとり締めはダメね、ヘルシング嬢に榊原良子さんとか起用してアフレコで「ハマーン様演って」とかお願いするのも。

 ちなみに「ZZ」のほうのネオジオンの扮装をしたのはクレオパトラのパチもんみたいであんまり好かないなー、などとメディアワークスから刊行の分厚い「機動戦士ガンダムキャラクター大全集2000」(2800円)なんかを読みながら思ったり。この本、全部のキャラクターが掲載されているのは良いんだけどそれだけ1人ひとりに割いているページもコマも少なくって辞典代わりにはなっても観賞にはちょっと、って観賞に使わないよね普通。それでも我らが(誰のだ)ハマーン様はカラーページに2回とモノクロページに確認しただけで3回は登場しているから、やっぱりそれなりに魅力があるってことなんだろー、って違うって、単にいろいろ出てただけだって、ああそうですか。しかしこの本、安彦良和さんなんだけど表紙のアムロが何かコワいよお。

 ガンダム本のついでにブロッコリーから出ていた「でじこん」(1800円)も購入、ムック仕事にも本腰を入れはじめたのかなあ、表紙の周囲の緑がちょっと目立たないけど、振り向いた「でじこ」と「ぴよこ」のツーショットはやっぱり目立つなあ、イコンだもんなあ。中身については自家製メールソフトの紹介があったり、謎だった「デ・ジ・キャラット・ファンタジー」がPC用のゲームだったってことが解説してあったりしてファンには(ここ重要)役立つ内容かも。「ワンダフル版」の簡単な紹介もあるから間近に迫っている仕事の資料に使えないこともないか。しかし仰天とゆーかお茶目とゆーか表紙をめくっていきなりついている「ぶきみ」ライクな「でじこアイロンプリント」は凄い。美麗さを売りにするべきキャラクターをこうまでイジれるスタンスってのは余裕かそれとも計算か。過去に1度しかなかった時には耳帽子で出た顔出しの仕事が次もあったら今度はこのアイロンプリントを切り取って白Tシャツにプリントして出てやろー、それが芥川賞の授賞式でも(ないない)。その前に10月の東浩紀さんの講演会を「でじこTシャツ野郎」で埋め尽くして集まるファンな婦女子にいやがられるってのも面白いかな。やってやろうかな。

 今回が最後になるのかどーかは別にしてソニー・マガジンズのあれこれ大変なのは承知の上で、でも「コミック・バーズ」だけは何とか3年、いや1年でも良いから引っ張っていって頂きたいと切に願って止まない今の心境。だってだってだって。あのあのあの。藤原藤原藤原……しつこいからやめた、藤原カムイさんの初期の名作「H2O Image」が12日発売号から完結編としてスタートを着るんだもん、途中で休刊になってクライマックスが読めなくなったらマジで泣いちゃうよ、俺。絵柄こそ随分と手慣れては来たものの昔から圧倒的な画力で鳴り響いていた藤原さんだから昔のよーなシンプルで、なのに奥深い動きを見せる線をきっと書いてくれると信じてるし、あの名キャラクター「ベッツィ」もきっと昔のテイストそのままに復活してくれることを願いたい、けどベッツィって死んじゃってるからなあ、残留思念も含めてなあ、でも見たいなあ。全集だか何かで旧刊も確か読めたけど、せっかくなんで完結の暁にはまとまった体裁での復刻希望。ベッツィ縫いぐるみとかもグッズで出そう。女王はちょっとご勘弁。


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