縮刷版2000年5月上旬号


【5月10日】 ”君に電撃”ウィークのラストを飾って「電撃アニメーションマガジン」6月号、ほらまー、いちおー仕事してますもんで。にしても並べて見ると結構無茶苦茶なセレクトになってたもんだよ書評のコーナーはメインで馳星周さん「虚の王」に永瀬隼介さん「サイレント・ボーダー」に倉阪鬼一郎さん「ブラッド」に脇で福田和也さん「作家の値うち」を絡めて「動機不明な殺人」絡みのお話しをあれこれ、でもって下に三浦しをんさん「格闘する者に○」に恩田陸さん「月の裏側」に箱田真紀さん「ワールドエンド・フェアリーテイル」に最後が「星界の戦旗ナビゲーションブック」で割れながら脈絡がない。予言してた訳じゃ絶対にないけど(GW進行で締め切りは1カ月前だったから)、今月に入って「動機不明な殺人」が立て続けに起きてしまってやっぱり考えておくには良いタイミングだったしアニメな人にも考えてもらいたい話題でもあったから、少々血生臭い本になっちゃったけど許して下さい読者な人。

 版権イラストは「NieA_7」に登場するUFOマニアって辺りとどっかで聞いたよーな名前がモデルの存在を予感させる小松ちあ紀ちゃんの目がなかなかにアヤしくていー感じ。次のページの「銀装騎攻オーディアン」もネル・マクマハウゼンの悩ましげな姿態にクラクラ来ます、しかしどっちも未だに動いている奴を見たことがない、いったどんなアニメなんだろ。付録のポスターは「ラブひな」5人娘の入浴シーン、もちろんタオル巻いてます、うー。あと素子ちゃんの顔の間延び具合がちょっとフシギ。ちなみに本日放映のアニメ版「ラブひな」第4話「東大の約束は15年前・日記な」もタオルは相変わらずながら、けーたろをなるがブン殴る場面でのタオルに包み込まれたバストの量感にはなかなかな妄想が働く、あと炬燵の中での顔を埋める(どこに?)シーンとか。凝視することによって心の眼に見えてくるだろーものを味わうためにしばらくは様子を見ていこー。合間のCMの「デ・ジ・キャラット」のDVDのぷちこのMC、やっぱ破壊力あるなー。

 「堅気の大人のナビゲーター」とはまたブ細工なキャッチフレーズが付けられたものだと、堅気には見えないらしー人間には思える朝日新聞社のオピニオン誌「論座」の6月号を買う、もちろん東浩紀さんチェックのためだ、岡田斗司夫さんも登場していたのには驚いたけれど、それより「帰って来たウルトラマン」での勇姿が掲載されてしまった庵野秀明監督の方が吃驚かも。さて東さん、同日発売の「噂の眞相」だと連続しての登場にはなってなかったみたいで、って立ち読みしただけだから詳しくは知らないけれど、対抗に上げられていた平野啓一郎さんは、佐藤亜紀さんの作品を「日蝕」に取り入れられたんじゃないかってな疑惑がドカンと特集されて人気者。対談の中とか1行情報とか冒頭のトピック程度じゃ置いてけぼりでっせ。

 「噂眞」の記事の内容自体は佐藤さんが自分のホームページで繰り広げた経過報告とそれほど大きな違いはないんだけど、前後して掲載されたビレッジセンター出版局の広告で「鏡の国」再刊の告知があって、本文のみならず新潮社版の絶版の経緯なんかも収録されるみたいで、ネットの上でドタバタしているうちはまだマイナーなイメージがあった事態が、雑誌に出て今度は単行本にも入ってしまうからには一悶着の発生を予感しておいた方が良いんだろー。やっぱり何だかんだ言ったってネットよりリアルが重んじられるブンゲーな世界、だからね。

 さて「論座」で東さんが話しているのは山根信二さんを相手にしての「コンピュータ文化なき日本」。ハッカー、クラッカーの問題から「盗聴法」に絡んで去年からしきりに主張している新しいテクノロジーに対する創造力の欠如に関する持論など。ネット上に残る過去の言説をひっくり返される懸念を述べているのはネット上であれやこれやと発言しながら中身に一貫性がなく気分で非難しては次の主観に大肯定して恥じない朝令暮改な僕にとっては身に染みる、「『ラブひな』最高!」とか言い出しそーだし。同じ朝日新聞社の「小説TRIPPER」には素で出ていた東さんが「論座」だとヒゲでこないだ見た時は素だったけど、登場するメディアとか場によって顔立ちが変わるんだろーか、「TRIPPER」は女性とか結構読んでそーだけど「論座」は「堅気な大人」しか読まない雑誌なんで無頼に見せよーとか、でもって渋谷はやっぱり身綺麗でってことで。

 しかしあの歳にして過去を断ち自分の興味を哲学に見定めそこから状況を思弁していこーと訴える東さんの「TRIPPER」での宣言を読んでから、永倉萬治さんの自伝的ノンフィクション・ノベル「アルマジロの日々」(幻冬舎、1700円)を読むと、本文中に登場する映画の中で小太りの男が吐いた「俺は何もしていない! 何故だ? どうしてだ? 三十五にもなって、俺は何もしていないんだ! 俺は……」とゆーセリフが、この言葉に触発されて生じた永倉さん自身の焦りとも相まって、自分の脳天をズガンと叩く、オレハナニヲシテキタンダ オレハナニヲシタインダ?

 本としては半分近くがベトナム話になっていて、個人的には黎明期の「ホット・ドッグ・プレス」とか「ブルータス」のライター仕事ってどんなだったかを描いてくれた方が、当時にリアルタイムで読んでいた雑誌の内幕話とか、今は有名になってしまったいとうせいこう、山田五郎らの若い日の姿とかを読めて面白いよーな気もしたけれど、身に染みるって意味ではなるほど快復のプロセスを見せられた方がより大きく、内容としてはこれで正しかったのかも。但し本では永倉さんはベトナムへと言って浅葉克己さんや栗本慎一郎さんといった癖も灰汁も強いキャラと過ごして心がすーっと晴れて、何とか立ち直って今ある立場へとたどり着く様が描かれるけど、当時の永倉さんよりはるかに平坦な道しか歩んでいない身に起こるリフレッシュのきっかけがとんと思い浮かばず、焦りよりもはるかに強い暗澹が身を包む。「自分のことを頭打ちなんて思うなよ!」……うーんそうありたい、あるはずだけど……さてはてうーむ。オレハナニヲスルンダ? じゃなくってオレハコレヲスルンダと言うべき時期が迫ってる、かも(まだ弱気)。


【5月9日】 羽田へと足を伸ばしてセガ・エンタープライゼスの記者発表へ。大鳥居の駅を降りるとゆるゆるとした風が吹き、ほこほことした日の光が射していて、こんなお天気で仕事なんかするのもバカバカしくなって来て、品川へととって返して三浦半島とかへと向かって海でもながめてのーんびり、なんてやりたくなったけどそこは哀しいサラリーマン、日も射さず冷房もガンガンな部屋へと入って大川功CSK代表の前にも聞いたことがある「ネットが」演説を聞く、何でも今度はインターネット電話に参入するとかで「ドリームキャスト」同士でお喋りが高音質で出来るよーになるんだとか。携帯かけて攻略とか教わりながらゲームする人がいるんだったら、画面を見ながらリアルタイムで音声でチャットってニーズもあるよーな気はするけれど、そーゆー楽しみ方をする人がゲームをやる人のメインになるのかあくまでも少数派なのか、ちょっと見えないんで将来性は不明。それにしても「ドリームアイ」目を付けて「ドリームコール」で口をつけて耳は「シーマン」の頃からあってと、あれやこれやと拡張の続くDC、次は手元に近寄って来るための足とか自分でゲームをプレーヤーへと出し入れする手とかが付くのかな、「ドリーム足」「ドリーム腕」とかって商品で。

 早売りのアニメ雑誌から「アニメージュ」、うーん「ギブリーズ」ですか……まあオモシロければ何を作ったって構わないんですけど楽屋落ちっぽいところから出てどこまで「会社モノ」として普遍の楽しみを見せてくれるかってところなんですけどそれにしてもなあ。「アニメグランプリ」は「カードキャプターさくら」が作品と女性キャラとサブタイトルとアニソンの4部門を獲得する順当な結果。とりわけキャラ部門での段トツぶりはしばらく「木之本桜」の時代が続くことを予感させます。8位に灰原哀(「名探偵コナン」)がランクインで大人なのに子供とゆーあの倒錯したキャラが好きなのは自分くらいと思っていたけど。みんなヘンなんだ良かった。「ニュータイプ」には小原篤朝日新聞学芸部記者が登場、金曜夕刊「アニマゲDON」とかを担当してた人、高学歴高職歴は記事の重しになるねえ。

 あふれかえる本と玩具と古新聞とゴミに部屋も満杯状態でしばらく前からベッドの上にも本の山が出現し、寝る時にはそいつを椅子の上へと移して起きたら今度は椅子からベッドの上へと置き換える作業に日々いそしんでいたんだけど、体力がなくなったのか気力が尽きたのか寝る時にベッドの上の本を椅子へと動かす作業がどうにも面倒くさくなって、いーや寝るならどこでも一緒だと椅子の上に体をおいて隣接するベッドの本が溢れてない場所に足をおいて寝るよーになってしまって朝起きると体の節々がギシギシと痛んで、それでも面倒にも椅子の上でグウグウとやる日を3日置きくらいに過ごしてしまう、怠惰な野郎に広い部屋を。2段ベッドにすればスペースとか増えるかな。


【5月8日】 45歳なんでジジイじゃん、いやババアかも、うーんどっちでもないかもしれない性別不肖ながらも結構お歳を召されているらしー「ミッフィー」の6月21日に到来する誕生日に向けてカードを送りましょうってなことが書かれた葉書を本屋からカッパらったは良いものの、色を塗ってくれってあって実ん所「うさこちゃん」がどんな色だったりしたのか思い出せないんで黄色に塗ろうか緑に染めようかなんて考えたけれど、んなもん送ったらただでさえ色校に厳しい「ミッフィー」のブルーナ先生から怒られてしまうだろーから色はちゃんと塗ろう、紫ドキンピチンキ色だったっけ。まあどんな色に塗ったところで凶悪無比な「みっひー」にしてしまったりえぞう先生に勝ものがないんだろーけど。

 って訳でもないけれど唐突に「ピカチュウ」を描かせる試みに対抗して「左手でミッフィー」ってのを思いついたけどやってみませんかアニメや漫画な人、楕円な顔×な口の一に耳の長さや感覚なんか、右手で描いても似せるのって難しそうな「ミッフィー」を左手(左利きな人は右手、天野嘉孝先生は足)でどこまで似せられるかってな企画、でもりえぞう先生なら右手でも参加できそうだって「できるかなリターンズ」(扶桑社、1000円)掲載の漫画なんかを見て思ったり。ってことで1枚はりえぞう先生風「みっひー」敵凶悪フェイスにしてオランダへと送ることを決定、もちろん送り主の名字は西原だ、45人に素敵な「ミッフィー賞」があたるかもしれないから、別にいーでしょ?

 突然なソニーの社長交代会見にアルバイトも放ったらかしてかけつける、スマンのう本業じゃて。と言っても既にして「社長兼CEO」な出井伸之さんが今度は「会長兼CEO」になってすでに「副社長兼COO」な安藤国威って人が執行役員の名前の上で「社長」になって英語の肩書きは代わらず「COO」のままだったりするとゆー、実質的にはそれほど大きな意味なんかない発表だったりしてちょっと肩すかし。「ドレミファソネット」と何時かどこかで唄わせたかった声楽経営者の大賀典雄会長から執行役員としての肩書きが外れて取締役会議長ってな日本だとちょっと珍しい役職に就くことになって、井深大さん盛田昭夫さんのファウンダー2人に次いでの大御所も経営の第一線からは外れるって点で、エポックメイキングな出来事はあったけど、経営責任とか役割分担を明確にして、グループとかを高所から見る出井さんにエレクトロニクスな会社のソニーを緻密に見る安藤さんて感じに、アメリカ流とか言って分かりやすくした経営陣なのに、取締役会だけは世界でもあんまりなさそーな専任の議長として大賀さんが残るのって、やっぱりそれなりな気遣いってこと、なんだろーか。

 まあ重しとしての存在感がある以上はそーゆー人事も構わないし、取締役会の議長でありながら経営執行の長たるCEOでもあるってな状態を解消する意味での分離と言って言えないこともないから構わないのかも。ともかくも役割分担を明確にした上に、これからのマネジメントを背負って立てる人材を「社内大学」とかを作って育てるのが、「何年やるかじゃなくって何をやるか」を掲げて挑む新体制の考え方は、世襲かもしくは順送りが主流だった日本の企業統治の流れに、実力主義の風潮を植え付け同時に後進もちゃんと指導するとゆー責任感も認識させる意味でひとつのお手本になるのかも。26歳だかの何ら政治に興味も能力も持っていなさそうな娘を「跡継ぎ」なんて引っぱり出そうとしたり、米寿になってもなお代議士の地位に固執したりと、フシギがいっぱいな政治の世界でもこいつぁー見習った方がいーんじゃない。

 君に電撃続きで白井信隆さんの「ガン・オーバー」(メディアワークス、530円)を読む、えっ530円? 「タツモリ家の食卓」よりちょい薄いのに20円高いのは今んところの刷り部数の差か何かだろーか。近未来っぽい大阪の街ではひそかに宴を繰り広げる「ケンカ屋」たちがいた。主人公の少女は母親を亡くして学校も辞めようとしていてそんなにショックだったのかとゆーと実は訳ありで一見フツーな彼女は何と……とまあ言われなくっても分かりそーな展開のまんまにお話しは進んで行くんだけれど、物語の方は主人公を頬っておいて将来を嘱望されたボクサーながらも素行の悪さが祟って肩を折られて始末されてしまった男が、1年を経て自分を瀬戸際に追い込んだ男に再挑戦する話が大半で、彼女の爆発も彼女を襲う危機もなく、1巻を読んだだけなのに第1章のプロローグだけを見せられたよーな印象が残る。ちょっとカタルシス足りません。まあ次巻の刊行も決まっているみたいなんでフォローはありそー、バトルシーンの密度は結構濃いんでそれだけでも楽しめるかも。まだ未保証。


【5月7日】 つらつらと「日本SF論争史」(巽孝之編、剄草書房、5000円)なんかを読んでいて、ニューウェーヴSFに関連した田中隆一さんの論考「近代理性の解体+SF考」の中に「空間が抑圧する近代の呪縛から解放するためには、日常秩序化されたユークリッド空間や予定調和的に閉じられたリーマン空間をひとたび破壊する以外にないだろう」ってな文章があって、昨日のタカノ綾さんのギャラリートークで指摘された、傍目には遠近法を無視した平面的なパーツを寄せ集めたよーに見えても、本人の中では整合性が取れているらしータカノさんの極主観的な画面構成ぶりと重なって、なるほどニューウェーヴSFにインスパイアされた人の絵らしーと納得する。あるいはこーゆー人だからこそニューウェーヴSFが好きってことなのか。「ニューウェーブ論争」を「スーパーフラット」論なんかと絡めて考えると面白そーだけど、ニューウェーブSFってとんとご無沙汰だからなあ、バラードあたりから読み返してみるか。

 君に電撃な黄金週間は電撃文庫の一気読みで終わりそう。「ブラックロッド」で坊主や吸血鬼や妖怪なんかが跳梁するオドロオドロした未来世界を描いて、そのブッ飛んだ硬派な描写力やら構想力に高い評価を受けた古橋秀之さんの新シリーズ「タツモリ家の食卓 超生命来襲」(メディアワークス、510円)は、こーゆーのも書けるんだと驚かされること必定の一転してのホームコメディで、拾った3歳児みたいな女の子が実は宇宙を脅かす怪獣で、それを追ってサーカスの大砲芸よろしく弾丸となって飛び回っては敵を撃破するメタルな王女様やら、アプロじゃないけどネコにしか見えない連邦軍の大尉とかがやって来ては、いつも大仏様みたくニコニコと笑っている脳天気高校生の忠介を挟んで対峙するってな展開は、なるほど鬼みたいな娘だとか魑魅魍魎を呼び出す娘だとかボロアパートに同居する美人の女神さまだとか頭の両側に兎の縫いぐるみをつけた天使だとかが出てくる漫画やらアニメがあったよーに、過去に類例も結構ありそーな話だけど、よくある話ってことは誰もが大好きだからってことでつまりは僕も大好きで、故に「タツモリ家の食卓」はまったくもって大正解なお話しなのである、である。

 ついでに言うならこーゆー話の場合、次から次へとキャラが増えては酒池肉林な展開へと流れて行くものだろーけど、主人公の設定からして無類の女好きでも生真面目なマザコン少年でもなく、嫌がる犬を洗って喜び嫌がるネコだって洗ってしまって「わはははは」と笑う少年が主人公、おまけに出てくる奴らのことごとくがヒネられているキャラクター造形力の妙と相まって、新たなとんでもないキャラクターが増えて行き、爆発し暴走し膨らんで行く周囲のドタバタを、泰然自若ってゆーか何も考えず行き当たりばったりで解決していく様が描かれていくんだろー。唯一真面目で真っ当な妹君の胃袋に穴の明かないことを切に願う。「ごはんにしよう」と言って終わったラストの次の絵がおかしい、だってやっぱネコには、ねえ。

 なになに鬼娘に魑魅魍魎娘に女神さまは知っていても兎縫いぐるみ娘は知らないって、うーんまだ新鋭なんで当然か、コゲどんぼさん描くところの「ぴたテン」(メディアワークス、550円)に出てくる美紗ちゃん、ですね。真似るんだったらやっぱ使うのは口がバッテンな例のうさ公がピッタリだろーけど、どーやって取り付けるのかはちょっと不明、風呂入っててもちゃんとくっついてるから、もしかしたら髪の毛から生えてるのかも、表情とか宿主に合わせて変わるし。年上なのに年下の男の子に関心を寄せて喋り言葉の語尾が「っス」ってあたりは「フリクリ」のマミ美とも共通する設定、これってどっかに何かの原典なんかがあるんだろーか。後半に登場したちょっぴり暗めの紫亜ちゃんも隣りにやって来ては新たに湖太郎ちゃんにつきまとい始める展開も客観的には「またか」だけど主観的にはオッケー、だって好きだから。関係ないけど挟み込みの「電撃の瓶詰」の「電撃アニメーションマガジン」紹介の下に出てくるグラサンにヒゲに茶色の短髪の副編集長、コワいです。

 バス乗っ取り事件でネット上に転載された犯人の顔写真は読売新聞のネットから抜かれた画像だって掲載した読売とか転載したネットな人たちを非難した朝日新聞が、実はもっと鮮明な超クッキリ画像を撮影しては一切の加工もなしに外国に配信していて、それを受け取った外国の報道機関がネットにも写真を掲載していて当然ながら日本にも逆流、でもって今度は読売が朝日を非難するってゆードタバタが演じられていたこの週末。事件が起こるたびにいち早く反応しては犯人当てなんかをするネットの機動力が余程気に入らないのか、相も変わらず「ネットに画像が」「人権無視もはなはだしい」なんて感じでネットの無法ぶりを報道する新聞が、実は1番の元凶だったって構図が分かってそれでもネットを非難してくるのか「削除したのに転載するのは著作権侵害だ」とかってな感じで。とりあえずは週明け発売の「AERA」とか「週刊朝日」あたりの記事に注目。

 まあ確かに著作権侵害は当たっているけど、バスから逃げた人を実名で報道した後で犯人が殺人に及んだ理由を「逃亡に腹を立て」なんて書くことで生じる影響なんかを自問することなしに、ネットの功罪の罪な部分のみをクローズアップして叩いているばかりだと、ネットを通してメディアへの疑問を情報として共有できるようになった今の人たちから莫迦にされちゃう可能性が大。ネットを無法と批判するなら自分たちがどれだけ立派かを実践していかなくっちゃいけないのに、都合の良い時だけ「報道の自由」とか「伝える義務」とかいった大義名分を振りかざし、一方では「メディア間の競争」つまりは「お店の事情」を掲げるのは、どこかおかしいんじゃないのって皆が気付き始めてるってことだけは、自覚しとかなきゃいけない、もちろん自分も含めて。


【5月6日】 圧倒的な力を持った時に覚える「この愚民どもめ」な感覚は、自分が元々は同じ人間だったから感じる感情で、これが最初から人間を遥かに越える別種の存在だったとしたら、時には支配しちゃっても楽しいかな、くらいは感じるかもしれないけれど普段は「まいっか」ってな感じで放っておくものなんだろーか、力があるからって人間が虫の世界を支配しよーなんて思わないよーに。そこら辺りの描き方が、人間VS超人間の間に生じる相克を描いた、たまたま昨日に続けて読んだ三雲岳斗さんの「レベリオン」(メディアワークス、620円)であったり白倉由美さんの「ミルナの禁忌」(角川書店、2200円)とは、設定こそ相似するものがあっても受ける印象がまるっきり違うことの理由なのかもしれない。中村恵里加さんの第6回電撃ゲーム小説大賞金賞受賞作「ダブルブリッド」の続編「ダブルブリッド2」(メディアワークス、590円)のことね。

 見かけは10代半ばの女の子ながら実際は年齢で言うなら20代半ば、おまけに人間とアヤカシつまりは妖怪の間に生まれた人間とは違った存在で、戦闘能力も高ければ最終兵器的に自分を変貌させてしまうことも可能。けれども普段は警視庁の傘下にあって暴れアヤカシを退治する仕事に就いている片倉優樹を主人公にしたシリーズは、第1巻でアヤカシであっても人間に受け入れられている優樹への別のダブルブリッドの嫉妬と憧憬が入り交じった感情が発露しての諍いを軸に、人間の実直な青年が優樹の配下に入ってアヤカシどもと戦ううちに、アヤカシながらも人間みたいな優樹に惹かれていく展開が織りまぜられ、人間とアヤカシの違いは一体何だと考えさせられる。本来は弱っちい人間なんかに感心を示さず、悠々と蔓延る人間共の合間で生きているアヤカシが多いなかで、何故か人間社会の裏で暗躍するアヤカシも出てきて、アヤカシの中にも何かが起こっていることが浮かび上がって来る。

 第2巻は東欧からやってきた吸血鬼が優樹と戦う話がメインで、そこでは吸血鬼が昔馴染みの半分人間で半分吸血鬼な青年に抱いていた感情が、果たして友としての愛情だったのか、それとも旨い血を持つ餌に対する欲望だったのかといった、相手に寄せる心の裏側にある真相真理をえぐり出す展開がなかなかに厳しく胸を突く。また相手を知ってしまうがために、相手に影響された結果、本来は支配などとゆー感情とは無縁だったアヤカシの中に、人間の醜さでもあり美徳でもある向上心的な感情が芽生えて来る展開が恐ろしく思える。設定やキャラクターをつまびらかにされた上での第2巻だったってこともあって、飄々とした優樹と熱血な人間の青年とのかけあい的なおかしさは倍増しで、蔓延る人間に引きずられるよーに人間っぽい感情を芽生えさせて来るアヤカシの姿を反面教師とした人間とゆー生き物の面倒臭さも強く感じられるよーになって読み出がある。次巻以降はいっそうの陰謀が繰り広げられそーな予感で、強さと同時に人間らしさを増す優樹の陥る危機なんかも含めて一波乱ありそーな印象があって今から楽しみ、頑張って書いてね。

 枡野浩一さんのところで紹介もされていた写真家の八二一(はにはじめ)さんの展覧会が青山からほど近い神宮前5の51の4にある「ギャラリープロモ・アルテ」で開かれていたんでのぞく。タイトルの「君のニャは」がまんま現すよーにネコを撮影した写真を並べた展覧会で、歩いたり寝たり止まったりしているいろいろなネコの写真が飾られていてネコ好きにはちょっとたまらない。荒木経惟さんもそーだけどネコを撮る人が巧いのはネコがどーにも自然体で時には和んでたりする様子がばっちり撮れていることで、折角なんで会場にいた作者の人に「望遠ですか」と聞いたらそこそこの長玉も使ったりはするけれど、中にはコンパクトで撮ったものもあって、見たら相手が警戒心を抱く前に即座にパチリとやってしまうのがコツだとか。構図とかポーズなんて考えてたら撮れないんだけど、そこがハンパに芸術への感心がある半可通には難しい。自然体自然体。

 同時開催ってゆーか同じ部屋の中に別のシリーズで「夜想」ってタイトルの写真の一群があって、何でも路面で照りかえったネオンの赤とか青とかピンクとか紫とか黄色とかいった輝きを撮った写真らしく、直接のネオンの輝きとは一線を画しつつ、それでも都会を彩る様々な輝きの一部を堀り当てたよーな作品になっていて面白い。夜の明かりをどーやって撮ったんですかと聞いたら、フィルムは感度が1600から3200といった超高感度で当然ながらフラッシュはなし。焼く時にも色目を細かく要求してあるから、街のDPE屋さんでは絶対に出ないよーな鮮やかで深みのある色が出ていて目を引きつける。人工の色ってあたりがどこか東松照明さんの九十九里に流れ着いた色鮮やかなプラスチックの破片を撮影した「プラスチックス」に通じる印象、グロテスクに色鮮やかなところとかも。高感度だから粒子が荒く大きく引き延ばせないのが大判の写真集には不向きだけど、文庫とか新書サイズの写真集にまとめてみると面白いかも。

 会場を出て表参道にあるギャラリー「Nadiff」で開催中のタカノ綾さんの個展へと行き、タカノさんと松井みどりさんのギャラリートークを聞く。職業柄なのか図像の構図とか色使いを分析的に言及する松井さんい比べると、第一直観なアーティストらしくタカノさんの答えは「へー」「そうですね」といった簡潔なもので、澁澤龍彦の「高岳親王航海記」をモチーフにした絵で娼婦の少女のバックに見えた樹木のよーなものを「バックにある」と松井さんが言って「あれは帯の柄で椅子にかけてあるんです」とタカノさんが応えて、即座に松井さんがフォローに回って「平面を重ね合わせているよーで背景なのか何なのか分からなくなっているのが面白い」とか言ってたけど、これって聞きようによっては「下手ねえ」ととれなくもない言葉だけに、極めてパーソナルな中から生まれるアートに対する客観的な批評の難しさなんかをちょっと垣間見る。

 作者の意図としては床に置いてある金魚鉢が松井さんには手に持たれているよーに見えたのも、つまりは奥行きとか遠近法の問題で、松井さんの間違いもやっぱり聞きようによってはショッキングなニュアンスをはらんでいるけど、そーいった奥行きがなくすべてが平面の組み合わせになっている点はまさしく現代美術に顕著な「スーパーフラット」の特徴だから、松井さん的アカデミズムを越えた最先端にタカノさんが来ていると、言って果たしてフォローになっているのやら。SF絡みの話では、流石に巽孝之や小谷真里さんあたりと交流のありそーな松井さんだけあって、ギブスンもティプトリー.Jrもイワン・ワトソンもクラークもオールディスもコードウェイナー・スミスも分かったみたい、でもニーヴンは知らないか、「リングワールド」は。

 それでも会場に「知ってますか」と聞いて誰も知らない海外SF。集まっているのがJアートだったりJコミックだったりスーパーフラットだったりヒロポンだったりで、おたく度もSF度もそれほど高くはなかったから仕方ない。だったら折角のアート界でも指折りなSFマニア・タカノ綾を結節点にしてアートな人たちをガンガンとSFに引きずり込むよーな企画どどこかの出版社でもコンベンションでもたてて見てはいかが。「リングワールド」や「2010年宇宙の旅2」や「ミサゴの森」や「ショイエルという名の星」や「永劫」や「星の書」や「地球の長い午後」やティプトリーの短編ほか、ニューウェイヴやサイバーパンク(レイバー・デイ・グループはちょっと外れてるのかな)といった辺りを読みこなしては、インスパイアを受けた可愛いけれど不思議な絵を書く超人気アーティストを、SF界が放って置く手はありませんぜ。とりあえず今は就職した会社が京都で京都市内に寮住まいなんで、京都のSF界隈でコナかけてみてはいかが、でも展覧会のために欠勤とかしてるから本採用にならないかもしれないしなあ、京フェスの時にもまだいるかなあ。

 今敏さんと「千年女優」をやってるはずの本田”師匠”雄さんが来場していたのはどーゆーつながりだったんだろ? あとHIROPONファクトリー総帥の村上隆さんが来ていたんで、普段だったら見知っている人でも引っ込み思案故に声をかけられずにいる性格であるにもかかわらず、珍しく勇気をふり絞って「えーと同じ『TINAMIX』で連載してるもんですが」と挨拶したら「初めてでしたっけ」と言われてウーム。前に「ワンフェス」なんかの会場も含めて3度は確実に会っていて、名刺なんかも交換したことがあるんだけど、本業でのインタビューでも具体的な物作りでも直接いっしょに仕事をしたことはなかったから、記憶には止められていなかったらしー。

 まあネットでいくらどれだけその活動を紹介しよーと、世間への影響力でも本人への到達力って点でも新聞のベタ記事1本10行にも劣る影響力しか現時点では持っていないから、高みを目指してプロモーションに余念の無い人にとって、記憶の埒外に置いて当然な相手だろーし、逆にその目からこぼれ落ちる覆面性があるからこそ、イベント会場に忍び込んでは一挙手一投足から一言一句までを観察し、客観的に報告もできる。覚えられてなかってことはすなわち、ステルスライターとしての力を確認できたってことで、そんな立場を崩すのも勿体ないから居残って顔を覚えられる前にさっさと退散する。次にお会いしてももう話しかけたりはしないよー。


【5月5日】 望むと望まざるとに関わらず変わってしまった、変えられてしまった者たちが直面する1つには支配への欲望、もう1つには劣る者たちから差別や畏怖を受けることで生まれる孤独感、疎外感、哀しみといった感情にまつわる物語を、例えば平井和正の「ウルフガイ」であったり「サイボーグ・ブルース」であったり「ゾンビ・ハンター」であったり(多いね平井さん)、石森章太郎の「サイボーグ009」であったり荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」であったり上遠野浩平の「ブギーポップ」シリーズであったりと、長く本を読んでいれば過去に幾らも目にしたことがあって、言うなれば繰り返し語られるくらいに人間の中に進化への願望があってかつ、被差別への恐怖があるってことなんだろうけれど、同様に繰り返し考えられるくらいに答えの出せない難しい問題でもあるってことで、そういう意味では三雲岳斗さんの新刊「レベリオン」(電撃文庫、620円)の登場を、一概に「またか」と投げることは出来ない。

 道の上に転がっていた傷ついた少女を助けようとして事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負った筈の少年が、翌日にはケロリと傷1つない姿となって病院のベッドで目覚め、そーか夢だったのかと安心して登校したら、その日に学校に転校して来た少女の顔があの夜に出逢った少女と同じで、さらには再び襲いかかって来た敵に対して超人的な能力を発揮して戦う姿を少年に見せつけ、おまけに少年にも同じ力があるんだと告げる。科学的な説明の真偽はちょっと判定不能だけど、何でもウイルスがDNAを組み替えて云々とかで、そのお陰でDNAに眠っている動物的な能力が発揮されるんだとか。そこから繰り広げられるのは優れた人類を生み出そうとする勢力と、そんな力を独り占めにするのはズルいってな勢力との戦いだったりする訳で、合間には体に悪いとは分かっていても薬を求める人間の欲望のおぞましさとか、死ねない体に対するパンピーの嫉妬心だとかいったテーマが挟まれる、人間対超人間の物語によくある展開だったりする。

 超人的な力を使う矛先が「僕を見て」的な狭く小さなものだったりするあたりに、人間の卑俗だけれども捨てきれない我欲の哀しい様が浮かび上がってミーイズムな今の世の中を現しているよーにも感じたけれど、世界よりも社会よりも身の回りが大事な10代の子供たちが主人公だからまあ当然っちゃー当然か。新しいテーマと舞台の提示によって読む人にサプライズを与えてくれるって点では、年寄りの本読みにはちょっと厳しかったけれど、「SFセミナー」の席上で「小中高の人にSFにステップアップしてもらう通過点になれば」と戦略的、意識的に自分の作品を書いているんだってことを表明したの聞いたあとだけに、分かりやすすぎる物語も、これを起点に幅広く奥深く、平等であっても不平等であってももたらされる揺れについて考え、よりよい未来について考えるなり人間は所詮愚かなんだと考えさせられる物語へとたどり着く、入り口としての機能を果たしてくれれば良しとしよう。

 しかし世紀末だからなんだろうか、人間存在の限界とその先について考えさせられる小説を続けて読まされると、たかだか1人の人間が生まれた歳を起点に計算した年月の区切りが良いだけの年だってことはさておいて、その数字が与える気分的な圧迫感と、現実の社会から与えられる閉塞感が相まって、人間の気持ちが爆発あるいは爆縮しかかっているのかもと思えて来る。気分的には漫画家としの印象が強い白倉由美さんの小説「ミルナの禁忌」(角川書店、2200円)で描かれているのは、世紀末に滅びようとしている人類を、生死の限界を調節した美少女が導くとゆー物語。核戦争の間際にある現実とはちょっとだけズレたパラレルワールドの台湾に住む科学者の実験から筆を起こして、死体として眠り続ける少女が夢見る世界の描写へと進み、世界に唯一残った廃墟のような学園、地下室に縛り付けられ死体とともに暮らす少年、孤島で病に侵された女たちに交じって育てられた王女といったビジョンが繰り出されて読む者を翻弄する。

 大人と子供の狭間にある少女の多感で不安定な様を、背中に生えた翼に仮託し、成長することは翼を失うことだと表現するのは、昔読んだ漫画作品とも共通するメタファーで(だったよね、記憶ちょっと虚ろ)、「白倉由美健在なり」ってな印象を持ったけど、帯によれば「ネットで死亡説も流れた”消えたまんが家”」らしく、昔の漫画を知っている人も少ないだろーし、絵で表現された可憐な美少女たちの面影もない、苛烈でグロテスクな文字による描写によって初めて白倉由美さんに触れる人は、表紙の眠るアリス・リデルの写真や死体とういモチーフを絡めて、幻想的で耽美的ななかにいささかの偏執的な所も秘めた、デンジャラスな作家ってな印象を白倉さんに持つのかも。漫画を知ってる身は余計に絵と文字とのギャップに驚くんだけど。それにしても「死亡説」はなあ、去年の秋だかの「ドールショウ」で大塚さんとほらそこを歩いてるって、教えられたばっかりだしなあ。

 仕事といっても電話番を3時間ほどしただけで退社して池袋の西武百貨店で開かれている「デ・ジ・キャラット原画展」へ。大催事場で開かれている男性服のサンプルバーゲンの会場のさらに奥とゆー、何ともナメられたもんだ的設営の会場で開かれていた割には、ひっきりなしに訪れる男子とそれに一部女子も結構いて、なるほど決してアキバな人ばかりじゃない、フツーのファンもそれなりに生まれてるんだってことを実感する。家族連れの母親が子供に「でじこ」の性格設定を指さして「狡猾でうかつだって、ヘンだねえ」と言っていたけど、ウケたのかそれともヘンだと思ったのかは不明。でもやっぱ気はひいたってことで戦略的には正解だったのかも。

 「フロムゲーマーズ」連載の本家4コマ漫画のたぶん原稿も展示してあったけど、半紙っぽい紙に適当に枠線引っ張って描いてあって、回によって描かれている位置が上によったり右に触れたりしているのが、いかにもチラシ向け漫画っぽい。そこから年商何億だかのキャラに育ったってのも凄いなー。すでに何十枚かは売れたらしー10万円のリトグラフは、原画と並べて展示してあってその再現性の高さが見比べられてちょっと感動、19版20刷りとゆー作業工程の解説もあって、ただの印刷じゃないんだよ、これだけ手間暇かけた品物なんだよってとが分かって「これだったら買ってもいーかな」と思わせる効果を上げている、けど買わない、さすがに10万円はなあ。クリアファイルをもらえてラッキー、売店では別に「でじこ耳、手袋」セットとかも売られていて、お台場よりもスンナリ買えそーなんで行けなかった人はフラリ寄ってみるのが吉かも、でもってハマって10万円のリトを買って帰って自己嫌悪、それもまた「おたく」人生ってことで。


【5月4日】 (承前)朝になるまで育成した「ウブラブ」はメカが不具合なのか「赤ちゃんが出るぜ」と言われてからも卵を生む気配が訪れず、五月蝿い声が顰蹙を買う。どーしたんだろ。朝方にちょっとだけ「ミーコ」ちゃんとは遊んで貰えて嬉しかったです。エンディングを経て恒例なのか相変わらずなのか「マクドナルド」で飯を食ってから、仕事の話絡みで池袋へと向かった森山和道さんと冬樹蛉さんとは反対に本郷三丁目から地下鉄で東京駅へ行きそこからバスで「東京ビッグサイト」へ。昨日から鳴り響くデンパに呼ばれて西ホールで開催中だった「デ・ジ・キャラフェスティバル2000」を覗く。

 折角だったんでプレスで入ろうとしたら事前の申し込みがないためか、格好がウオッチキャップにサングラスで胡乱な輩と見られたからか、事務局へと連れていかれてチェック入りそーになったけど、入り口に主催なブロッコリーの社長の人がいたんで挨拶し、状況を聞いているうちに何とかなったみたい、まあこれも役得って奴で。

 にしても2日間開催の2日目とゆーのに結構な人出で、「ブロッコリー/ゲーマーズ」のブースは「デ・ジ・キャラット」のグッズも「アクエリアンエイジ」のカードも結構な行列が出来ていて、人気の定着ぶりが分かる。昔のイベントで見た「でじこ」のネコ耳&ネコ手セットが再販されててちょっと欲しくなる、1つ持ってるけどあっちは保存用、こっちは普段着用、ってどこで着るんだ。大きなお兄さんがいるのはやむを得ないとしても、交じって中学生とか小学生っぽい女の子たちも「でじこ」「ぷちこ」あたりのグッズを買っている姿に、キャラクターの汎用性を見る。

 後で木谷社長に聞くと、池袋で開催中の原画展にも買い物に来た親子連れの子供が入りたそーな仕草を見せていたとかで、ビジュアルで子供を引きつけ内容でヒネた「おたく」を倒す2段構えの戦略に、これでなかなかしぶといキャラになりそーとの予感を抱く。まずは夏の特番に期待だ。

 講談社のブースは「ラブひな」関連グッズでほぼ一色。並びのキングレコードでも「ラブひな」のサントラを売っていて、気合いの入れっぷりを感じる、「ゲーマーズ」もスポンサーだし、アニメの方は。コナミの「こなみるく」は昨日で目当ての商品が完売になってしまったからなのか、行列もなくスンナリと入れて時代の変化を感じる。とはいえ、あそこには「遊戯王」って出せばバケモノなグッズがあるから、趣旨が違う「デジキャラフェスティバル」では閑散としてても、別に勝算はあるんだろー、たぶん。タカラも手に入れたけど、「ウブラブ」のグッズとか作って売ったらさてはて吉と出るか凶と出るか。

 帰りがけに事務局にいた社長の人に今後の展開なんかを取材、アニメも変則的な形だけど製作にはタッチしていくみたいでアニメのファンとしては有り難い。「でじこ」のDVDは売れ行き好調とか。短期に放映を集中させて話題を集め時間帯とか地域とかで見られない人にビデオを買ってもらうシステムってのがあるいは確立するのかも。「デ・ジ・キャラット」のセル画オークションにどれだけの値段がついたのかも見たかったけど、眠いんで退散してご飯食べて寝る。実にジャーナリスティックに有意義な2日間であったことよ。


【5月3日】 ゴールデンウィークも本番になって朝も早くから仕事に出かける僕って偉いにょ(有明からのデンパがっ!)。銀座に着いたのは午前のだいたい9時30分くらいで銀座線の改札を抜けると見知ったコナミにアレされちゃった会社の人がいて挨拶、今日はお客が並んでいると良いですねー、でないともっとアレされちゃいますねーとか話しつつ、博品館へと到着するとそれなりな人たちが溜まっていて、タカラの今年期待の卵産みロボット「ウブラブ」の英語版初出荷に日本人の物欲が未だ衰えていないことを実感する。その時は20人くらいだったけど待つこと1時間半で行列もなかなかな数に。先着200人に用意された「ウブラブ」キャップが開店10分後に到着して1時間くらい待って買った人には着いていなかった所を見ると、まあそれなりの数がハケたってことになるだろー、ちなみに私はキャップ「もらった」(自慢)。でもそのうち魔窟送致になるだろーけど、被って授業とかしてくれないかにょ(池袋からもデンパがっ!)。

 行列をザッとなめて発見できなかったのはこっちの集中力不足か。まんま今度は丸の内線へと乗り換えて淡路町から「SFセミナー」の会場となった全電通労働会館だかへとゴー。開場時間ちょうどくらいに中に入って席に荷物を置いてから、迷惑を省みずロビーで「ウブラブ」に電池を叩き込み始動させてからじっくりと見ると、なるほど記者発表の時に感じた第一直感(新語・流行語になる予定、理由は後述)はなかなか正しく「ガチャピン」「ムック」を足して1・2くらいで割った感じの似ぶりがあって、見物していたSFな人の反応もそんな感じで流石は日本が誇るキャラクター・コンテンツ、そーゆー所にまで影響を与えているのかと思いつつふと目線を上げると、ディーラーズの方にどこかで見たことのある四角い顔に三角眉のおじさんがいて、見せると果たして何と思うか興味があったけど「俺のガチャピン・ムックを紫だとかショッキングブルーにしやがって」とか怒られそーだったんで近寄らない。野田昌宏大元帥であらせれました。うーん「SFセミナー」、濃い人がいるいる。

 さて1時間目は角川春樹インタビュー。大森望さんの司会で「うんにゃあたしゃカミサマだよ」な方向へは流れず、もっぱらキチンとSFな話に終始する。文庫のラインアップ拡大を図っていた時期で、SFでは早川JAに入ったばかりとか入る前の日本の作品をガンガンと角川書店で文庫にしていた時代に、安岡章太郎さん吉行淳之介さんといった文壇の人から「評判悪いよ、泥棒角川って言われているよ」とたしなめられてすかさず「違います、強盗角川です」と返したとかゆーエピソード、盗むんじゃなく正面から奪ってくるチカラワザが言わせた言葉ってことだろー、今はさしずめ考古学者か墓荒らし。埋もれた作品をどんどんと掘り起こしては見栄えを良くして市場に並べているから。

 「サイバーパンクからSFはつまらなくなった」とゆー言葉は3時間目の講師に来ていた巽孝之さんの耳には届いたかどーか、ただ同じよーなことを後のパネルで登場した新人の人も言っていて、つまらないかどーかは別として日本のSFでわくわくとする興奮を味わって来た人間にとって、スタイリッシュさが膚に会わなかったとゆー点では自分も角川さんと同感だったりするからこれで先見も明もなかなかじゃん、自分とか思っていたらトンデモないことが判明、だって敵さん「SFが来る」と予言し次は「ファンタジー」そして「ホラー」とこの30年のエンターテインメントの潮流を読んで仕事をして来たってゆーんだからスケールが違う。「時代を見る目がある。興味を持ったことが物になる。小柳ゆきは1年前にでもを聞いて行くと思いました。この感覚です。これはいけるという第一直感(出ました)に従うのです」。すかさず「アレクサンダー戦記に使われていたという」と突っ込んだ大森さんナイス、でも角川さん気づかずくじけすアニメの出来には触れずにサラリと流してしまい発展せずにちょっと残念。

 でもその後で福井晴敏さんが何故か手がけた「ターンエーガンダム」のノベライズの上巻に関して苦言を呈して角川さんにイヤーンな顔をさせたのはグッド、あと映画に良く出る角川さんが最近あんまり出なくなったことに「徳間さんは今でも出てますから」と突っ込んで「いっしょにしないでよー」と哭かせた場面とかも。「ターンエー」つながりでは富野監督が小松左京さんの作品をアニメ化する構想を公表。あと新刊では「小松左京賞」の発表に絡んで日本人作家のSF作品をズラリ並べた9月だか秋だかに刊行する予定も話してくれて、ますます健在な「2000年はSFだ」直感への従いぶりが見えて来る。ラインアップは高瀬彼方さん小川一水さん庄司卓さ三雲岳斗さん辺り(1人落ちてるかな)。個人的には期待の面子の名前並べたられた時に、会場でぇああんまりドヨメキが上がらなかったよーに感じたけれど、やっぱり「SFセミナー」だからなんだろーか、ディーラーズなんか見ても電撃スニーカーファンタジアあたりは全然並んでないし(まだ売ってるしブックオフで買えるってのもあるけれど)、認知度って意味では本家なSFではなかなかにヤングアダルト作家陣は頑張りが必要そー。僕も含めて皆さん、「これはSFじゃない」な奴等を見返してやって下さいな。

 何がSFかって話は過去営々と議論されて来た問題で、今も実は現在進行形だったりするけれど、とりあえずは一昨年辺りの「クズSF論争」までを一括りにしたSF論争総括本「日本SF論争史」(巽孝之編、剄草書房、5000円)が出たってことを記念した巽さんへのインタビューでもそこら辺での波の繰り返されぶりが言及される。総括すれば傾向としてあるのが1つにはハインライン再評価&小松左京批判があって小松批判からバラード礼賛へと流れる動きなんかも含めて繰り返される傾向にあるとか。

 あと論争の発展段階として「お前のSFの定義は」と聞き合い「答えが不真面目だ」となって抗争へと突入し、そこに現れた第3者が「その議論は不毛だ」と口を出しては人格攻撃感情論な泥沼へとハマっていく構図もあるとか、言われてみればなるほどねえ。そういった人格攻撃なり感情論なりから来る小競り合いも含めて「論争」を概括することの面白さは巽さんも認めていたところだけど、かといってそれを全部収録したら資料は膨大になって本は分厚くなって読んでいる人も訳が分からなくなるだろーから、「日本SF論争史」では代表的な意見のみを掲載して、沈静化した論争のエッセンスを抽出して状況を語りかつ「SFとは」について言及した意見を集めている。

 最新の「クズSF論争」では「SFマガジン」に掲載された大原まり子さんの「SFの呪縛から解き放たれて」を収録。自分にとっての「SFとは何か」を「世界のあり方の認識を変更させるもの」と定義した上で、ともに同じフィールドで戦って来たんだとゆー戦友意識をぬぐい去り、SFというジャンルへの帰属意識を前提に内容を選り好みする態度を牽制するスタンスは、大原さん同様にいわゆる大学SF研とも喫茶店での例会とも無縁に来て30過ぎまで「SFセミナー」にすら出たことの無かった自分には、「SFとは何か」を突き詰めて考えて来なかった勉強不足を棚に上げ、楽しそうにしているファンダムな人たちへの嫉妬心を包み隠せば、うなずける部分も多い。夜の合宿で「ネットワークSF者」のファンダムへの希薄な帰属意識が再び検討課題となったのを見ると、そんな人たちが結構な割合で発生していることも分かる。かといって「SF」に対して客観的なスタンスを見せながらも、だからといって「SF」を忌避することなく、文学の流れの中に屹立させて行こーとする”宣言”を読むにつけ、大原さんが日本SF作家クラブ会長に就任したことで広がった可能性への期待が、今頃になって浮かんで来る。

 日経新聞の記事が発端となった「クズSF論争」に関連して、ジャーナリズムがワイドショー化しているにも関わらず、人は未だにジャーナリズムと信じて権威を見出そうとしている問題に言及している点、ジャーナリストではない人にしてはなかなかな慧眼。ジェンダーやフェミニティへの言及などは当方の理解不足なせいもあって今後の勉強が必要。後で巽さんに「日本SF論争史」にサインをもらった時に、「オルタカルチャー」の裁判に絡んだ当方の言及を「読んでますよ」と言われ、「テクスチャルハラスメントについて読んで欲しいですね」と薦められたのもまー仕方がない。深読み過ぎるし穿ちすぎだ思う部分もあるけれど、そー言って揶揄ってるだけだと”男の敵”の戦略はいつまでたっても理解できないからね。

 森青花さん藤崎慎吾さん三雲岳斗さんを迎えた新人SF作家のパネルはわずかずつ世代が違う人たちのバーチャルとリアルへの認識の差異が結構はっきりと出ていて興味津々。ちなみに「『ニューロマンサー』が読めなくて」と言ったのは森さんで、三雲さんは「ギブスンとかよく分からなかったけれど翻訳のせいもあって文章が格好良かった」と発言。「M.G.H」でミステリー的要素「戦略的、確信犯的」に導入したんだと自ら言い切り「女の子に読んでもらえるSFを書く。SF入門みたいな感じで利用してもらえたら嬉しい」とマーケティング的な思考も入れ込んで作り上げた三雲さんにとっては、テーマとならんでスタイルもまた創作の上で大きな要素となっているんだってことが伺える。これって世代に特徴なんだろーか、それとも三雲さんの頭の良さに起因するものなんだろーか。理想を描き通すことが創作なんだと擦り込まれている人間には、こーした合理的な考え方が時に腹立たしく、早見えした限界に妥協してしまわないかとゆー懸念もあるけれど、資質を自覚できるからこそその外側へと抜け出ようとする意識も湧いて来るもの。たぐりよせ、突破していく戦略の果てに「ムラ」にこもって再生産を繰り返すタコ壺的状況からの脱却が来ることを期待しよー。とりあえずは「レベリオン」(電撃文庫、620円)だ。

 小中千昭さんは自作の「ドール」を並べての「カスタムドールの部屋」、は違った夜だった、昼間は最近まで「TVブロス」で岡田斗司夫さんのコラムでイジられていた井上博明さんの巧妙な司会でさくさくと進む「妖しのセンス・オブ・ワンダーへようこそ」。前にロフト・プラス・ワンでの「レイン」絡みのイベントとか、朝松健さんが最後まで復活できなかったものの奥さんとか菊地秀行さんを交えて「オカルト寛平」なんかを見ながらクトウルーについて話したやっぱろロフトでのイベントとか、さらには「幻想12夜」の発刊を記念したこれまたロフトでのイベントで、映像を構造的に解析する話なんかを聞いていたから、小中さんの創作に対する極めてロジカルなスタンスは知っていたけど、初めての人はこのロジカルな人からどーして「魔法つかいTai」「lain」「ふぁんふぁんファーマシー」「ティガ」「ガイア」といった、あれもこれもな作品が出てきたんだと信じられただろーか。

 講演では、時代を創造するときにテクノロジーまでちゃんと創造して世界観を解説して行くとゆー小中さんの創作スタンスを興味深く聞く。同じSFでも小説と違って絵だけしかない映像作品だとSF的な匂いの出し方が重要になるらしーけど、井上さんが所属するAICとゆー会社は、割とそんな小中さんの世界観を想定以上に忠実に、かつスタイリッシュに映像化してくれるとか。まあ井上さん自身が宇宙軍の創設以来のメンバーだし、スタッフにもSFな人が多いから出来ることなんだろー、未来を舞台にしたアニメでモデムなんて出すことしないし。同じSF心って点では海外と作品を作っている時に、子供のヒーローが強い敵を倒す単純さではないプロットを相手が出して来て困ってしまい、喧嘩ではなく討論を行って日本のアイディアを通そうとする時に「センス・オブ・ワンダーなんだよ」と言ったら「やりたいことはわかった」と通じた辺りに、あの「ドキドキワクワク」な感覚が大切な「SF」の万国共通ぶりが浮かび上がる。ホントに同じ絵を見ているかは保証できないけどね、何せ子供の玩具に紫色とかショッキングブルーとかを平気で使える国だから。

 ご飯を食べて移動して合宿、オープニングでライターとして名前を読んでもらえる、勿体なや。合宿では今度は本当に小中さんの人形コレクションを見る企画へ。水玉螢之丞さんというガレキのみならずアクションフィギュアからドール、食玩等々あらゆるホビー&トイを極め尽くしているオーソリティーを顧問に迎えての企画は、カラダ目当てで開けたら即座に首を抜いたり、着ている服を追い剥ぎして中身はポイとゆードール者の性と業に触れ、なまなかには行けない道だと実感する、金が……。「まほTai」のボディーと顔の組み合わせが実はバラバラだった話なんかは序の口で、腕を付け替えたり腰を動きやすくしたりスネを削ったりする工作話に、タカラのPGジェニーなんかに使われている最新のグニャ素体はストッキングがはかせにくいとか、靴紐を通す部分の金具には秋葉原でパソコンのボードなんかに使われている小さな穴にとめる部品を使うとか靴を熱であぶって縮める技とか奥深い話もいろいろと。頭身の違い足の長さの微妙な差異にいたる知識を開陳されるとますますハマったら抜けられない泥沼な道が見えて来る、とか言いながらソニプラで売ってる外国製の人形の幼児体型さが「リカちゃん」の頭にピッタリとゆー話に、明日行くぞと思ってしまうあたりに泥沼への萌芽があるかも。性に業か。そうこうしているうちに夜も明け(以下次号)


【5月2日】 なんかいろいろあったらしい『TINAMIX』用のたぶん締め切りを過ぎている原稿を真夜中まで打とうとしたら邪魔(すいま)が入って断念、小人さんも出てくれなかったみたいで朝起きて真っ白なワープロの画面に向かって、ガチャガチャと自分の自意識過剰を棚にあげたイベントひっそり出没レポートを書き連ねて送る、何かだんだんと原稿が長くなっているけど校正な人大丈夫か? 自分でも読み返すと何が書いてあるのか分からないからなー、ってそれちょいマズくないか? あったらしいいろいろは尾鰭がついて話されるだろーけど個人的には良く知らないから聞かないで。ともかくも立て直して5月1日号はちゃんと発行されて竹熊健太郎さんも健筆をふるっているから「OUT」な世代はとりあえず読んでおけ。関係ないけど竹熊さんとスガヒデミさんとなぎら健壱さんの区別を付けられる人に私はなりたい。

 実は来週の火曜日付まですでに大方の記事が出稿済みだったりする「新聞」なんで今日はお休み、連休の合間の5日が出番だったりするから、まあその代わりってことで。とは言っても昼頃までかかって原稿その1(その2は夜だ)を打ってた関係で遠くに出かけるなんてことはせず、近所の公園に行って原稿その2向けにフルタ製菓の「チョコエッグ」に入っている虫とか動物の写真を晴れた空の光の下で撮影して過ごす。撮っているとポイ捨て禁止同盟のおじさんたちが「これ何ですか」とニコニコしながら聞いてくる。昆虫採集な世代にリアルなフィギュアは受けるみたい。「ガシャポン」の「うる星やつら」とかじゃなくて良かったぁ、非国民とかって成敗されちゃうとこだった。原稿その1向けとプリントも終えた原稿その2向けの添え物の写真を発送したりと雑事いろいろ。封筒の切手代が幾らか分からず適当に貼って出したから不足してたら御免、越えてたらトクした気分になって下さい、フトコロには1銭も入らないけど。

 京極夏彦さん「どすこい(仮)」に先立つこと約10年、相撲取りという存在の異質ぶり相撲という伝統的競技の不可思議ぶりをギャグに仕立てて余すところなく徹底的に思考し抜いたいしかわじゅんさんの傑作漫画にして個人的には好感度ナンバー1な「薔薇の木に薔薇の花咲く」が扶桑社から文庫3巻で再刊&初単行本化されたのでまとめて購入する。と書いていてワープロを使っていてホント良かったと思ったのは内緒、だって筆で「薔薇」「薔薇」で何度も書くの大変じゃん。それはさておき第3巻の後書きを読んで気になっていたことが幾つか解消していたので安心することしきり、そうだったのか最初の単行本の第2巻はやっぱり出ていなかったのか、買い逃したのかと思ってガッカリしてたんだ。

 実は、というか「あとがき」を読んだ人には既知の情報だけどこの「薔薇の木に薔薇の花咲く」、今もまだある「週刊宝石」に90年の8月から96年の3月にかけての長い間、途中「こけし岳でゴンス」とタイトルを変えながらもずーっと連載されていた漫画で、91年12月に待望の第1巻の単行本が「週刊宝石」の版元であるところの光文社から刊行されて、即座に購入して堪能して繰り返し繰り返し読みふけった記憶がある、あの頃は東京にも(千葉だけど)出てきて2年も経たない時期で僕も天使みたいと言っていたっけか、自分で自分のことを。ゴホゴホ。

 まあどうでも良い過去は捨ててとりあえず「薔薇薔薇」だ、当時の相撲ブームにサッカーブームにプロレスブームを混ぜ込みつつ、相撲の非日常ぶり、不条理ぶりをかくも鮮烈に描ききった漫画がどうして話題にならない筈があろうと、書店の棚なんかを見ていたら案の定、どこもかしこも品切れ状態でうむうむ日本の本読みは正しいと思っていたらどっこいしょ。「あとがき」によるえば刷りが少なく本屋に並ばず売れなかったとかで、これはイカンと思った著者によって第2巻以降が封印されてしまっていたらしい。

 決断したのは版元とゆーよりは「あとがき」によればいしかわさん本人らしく、もっと売れるはずだって欲張ったんじゃないのとゆー気がしないでもなく、ちょっと勿体なかったんじゃないのとも思うけど、なるほど傑作であることに疑いの余地はなく、それに抱いた期待も幾ら大きくたって不思議じゃないところに持って来られた販売不振。だったらもっと売れる版元から出したいと考えるのも、描いた本人の主張なんだから仕方がない。かくして雑誌で読んだ切りになっていた、封印された単行本の1巻以降だったけど、どういう風の吹き回しであっても、、こうして読めるよーになった嬉しさに、光文社と漫画の営業に関してはどっこいどっこいな扶桑社がどこまでやってくれるのかとゆー心配もあるけれど、とりあえずは喜びの声を上げよう。持っている単行本の第1巻、マボロシになって値段とか付かなくなったのはちょい、残念だけど。


【5月1日】 「ドーズルバーティー」の行列は限定だか先行だかのオリジナルな素体を買おーとしている人の壁際サークル的行列だったと教えてもらう。中にはスンナリと入れたとか。いくらキャラクターブームだ何だと言ってもガレージキットじゃない「お人形」を求める人たちが大行列を作るほどには、ブームも過熱してはいないだろー、今のところは。それでも着々と男の子にもファンが広がってはいるだろーことは確実で、でなきゃ限定品とは言ってもあれだけの行列が出来るはずもない、じわじわと染み出た人気が爆発するまでもう少しって段階にあるのかな、3日だかの「ドールショウ」はどんな感じになるのかな、「SFセミナー」と重なって確かめに行けないのが残念、でもセミナーにはドール人(どーる・びと)な小中千昭さんが講師として来場してくれるから、きっとあれこれ話してくれるだろー、ってそーゆー演題だったっけ。

 偉大なり吾妻ひでお。近作といっても97年から98年末にかけれの連載だからもう2年は経ってしまっている「エイリアン永理」(ぶんか社、780円)が豪華ってゆーか単純に尺があわない関係で一気に7話も書き下ろしを追加して刊行中、その絵柄、そのエロチィシズムに唐突な展開を残心を踏まえたオチに至るまで、小学中学高校大学(ずっとやねん)時代に熱中して読んだ吾妻ひでおさんの作品といささかの遜色もない、ような気がするけれどプロは目利きはそうは言わないかも、追加した話はエロが勝ち気味なよーな気もするし、無理矢理エロで落としてるっぽいし、でも面白い。「いくら見たやつに忘れさせられるったってあんまりそれ人前でやるなよ」「だいじょうぶよ今SF人気ないみらしいから」「だからクズSF論争が」ってあたりに時代を感じる。でも「SFセミナー」でも巽孝之さんが「クズSF論争」(違います)を話すから尾は引いているのか。仙人みたいに引っ込んでいるのか単に仕事がないのかは別にしても、ちゃんとSFの動勢には光らせているらしー吾妻さんには、今が旬な「サイファイ」あたりを折り込んだ漫画を書いて欲しい。SF大会の会場の横浜で素子姫とサイファイ魔獣がぬとぬとしながら戦う漫画とか。

 「スーパーフラット展」にも何点か並んでいた作品が入っているHIROMIXの写真集「HIROMIX’s the best selection fo 5years!」(ロッキング・オン、3800円)は重い。クロス装で帯がまかれただけの装丁はシンプルだけどゴージャスで、中身も写りこそ色がレトロだったり対象が傾いていたりアレてたりブレてたりするけど超絶一流なアーティストばかりでこれまだグレイト、雑誌の「ロッキング・オン・ジャパン」だかで撮影したミュージシャン写真をまとめた本ってことだけど、誰であれ自分を写したセルフ・ポートレートであれ、構わずに自分流の写真にしてしまうところがやっぱり「スーパーフラット」なのかもしれない。同じ「ロッキング・オン・ジャパン」から出てきたミュージシャン写真ってゆーと平間至さんの「モータードライブ」が有名だけど、平間さんが有名無名を問わず瞬間の華を切り取る腕に長けているとすれば、HIROMIXは有名無名を問わず永続的な素面を定着させるのに長けた人って感じかな、言葉足らずだけどそんな印象、「週刊新潮」のカリスマ特集ではもう平間さん終わっちゃったけど、比較なんかしてもらえたら面白かったかも。
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