縮刷版2000年3月上旬号


【3月10日】 アニメ誌あれこれ。木之本桜のバストショットと久々に芸術的に正しいイラストが表紙の「電撃アニメーションマガジン」は付録も「カードキャプターさくらCALENDER」で、はにゃーんな人が見れば即座にはにゃーんとなること請負でしょう、だから買え、おまけは僕の感想文コーナーだ。ってことはないけれど「デ・ジ・キャラット」のビデオ&DVD発売直前大特集も全話解説があって有り難く、北久保弘之さんの「カーボン・ハート」もカンパニョーロの珍しいデルタブレーキの図解があって自転車ファンにはたまらない、問題は「電撃アニマガ」の読者のどれくらいに自転車ファンがいてそのうちのどれくらいにカンパニョーロと言って解るかだな、マファックにユーレーくらいならまだしも東京クロスボーって名前を挙げるとさらに解らなくなるけれど(知ってる?)。

 「アニメージュ」も文化的に正しく桜ちゃんが表紙だけどBSの放映を見たことがないんで手前の犬みたいな奴が実はケルベロスだったって気付かずやっぱりBS入んなきゃーなーとか思う、ちょっとだけ。水玉螢之丞さんのコラムに登場する原型師・浅井真紀さんのイメージイラストについては、なるほどパーツに間違いは全然ないんだけど、と言って置こー。大森望さんが頭捻(ずぶね)ってるイラストになるほどこーゆー技だったのかと知る、ありがとう河内実加さん、ワルモノな人は体系もあるいはそっくりですか? 付録の「逆A本」はヒゲ付きコギャルのカットに大昔の「ファンロード」創刊号のトミノコ族を思い出す、なんて奴ぁ少ないだろーけど「コミックゴン」のモビルスーツ女子高生を思い出した人は多かったかも、まあ冗談企画としては正しいだろーね、何しろ見開きで「黒歴史双六」とか乗ってるし富野由悠紀監督と対談してるのが井萩麟さんで次回は相手が矢立肇さんだから。

 あとキエルとディアナの顔部分を切り抜くと下のページのキエルとディアナがのぞくのは良いんだけれど切り抜く裏側で逆Aな奴と巨大ハロらしーカプルが「俺たちを切ると、きっと不幸になるぞ〜」「切り取るなら、もう1冊課ってそっちを切れ〜」と毒っていて、けれども買ったもう1冊でも同じこと言ってるんだろーから結局は恨まれること必至、だから無視してジャキジャキやっちまおー。ジャキジャキがもったいないけどやってみたいのが「ロランくん着せ替えドリーム劇場」で、これまた水玉螢之丞さんが衣装を製作しておられて蘊蓄も濃い。やっぱお約束にヒゲがあるなー。

 滅多に顔を出さない、らしー(ウソ)井萩さんとの対談にオッケーを出したこともそーだけど、こーまで冗談まみれな付録を作ってしまえるくらいに軽いノリがある作品なんだと「逆A」を見ることが出来るとすると、そこまで富野さんの気持ちもエンターテインメントな方向に戻って来てくれたってことになるんだろー。こないだのイベントで1年は休みたいとか言ってたけど、せっかくの上がったテンションを再びな暗黒へと戻す暇を与えずチャキチャキ次の企画に邁進して戴きたいなー。「ニュータイプ」は「ファイブスター物語」がさらになおの不明なエピソードへと突入してどこに持っていかれるのかが見えない状況、あと何カ月経てば全体像が見えて来るんでしょーか。付録の「リヴァイアス」特集は本編でほとんどのキャラが壊れきってしまった今に見ると昴治とファイナの手をつないだ絵とかこづえにあおいに市川のスリーショットとかへの感慨もヒトシオで雑誌作りの難しさを感じる、あんな不幸アニメとは誰も思わなかったからなー。

 どーやら処世術に目覚めたらしー僕だけど面白いから書いちゃう「噂の真相」の東浩紀さんvs浅田彰さんはおもしろいぞー、って。っても別に対談しているとかじゃなくって、田中康夫さんと中森明夫さんと浅田さんの3人の対談の中で「批評空間」誌上でいっしょにやっていたんじゃないの? ってな印象を持っていた浅田さんが東さんに対して「『なぜ僕の本が浅田や平野の本ほど売れないのか』とかってヒステリーを起こしてたくらいだから」と言っている、あと「ちょっとでも批判的なことを言うと、ヒステリーの発作が起こるわけ。『こんなに頑張ってるボクをなぜ褒めてくれないの』って。『エヴァ』に出てくるひ弱なガキと同じ」とも。

 浅田さんのここまで直裁的な物言いってのは珍しいよーに思うけど、会って話すとそーゆー人なの知ってる人? しかし中森さんは相槌を打つくらいで直接には言及してないあたりに黒幕ぶりを感じたるなー。それにしても80年代を飾り90年代を生き抜いた人たちが2000年にしっかと立ち上がって90年代に来て2000年代を飾りそーな人たちをコキ下ろすって構図は、内容はともかく状況としては世代間闘争に見えて面白い。80年代にニューアカ&新人類にそまって90年代に仕事をこなし今よーやくメディアの方向性を差配できるよーになった人たちが、影響を与えてくれた浅田さん田中さん中森さんを起用しがちな傾向がしばらく続く中で、旗色は東さんたちに分が悪そーだけど、なあに今の20代10代にとって浅田って誰? 田中ってPGな人? ってなものだろーから、10年経てば天下はこっちのものだ、ってなんだやっぱり処世に必至だな俺。ちゃんと宮台さんとか押さえてる中森さんにはかなわないけどね。

 「X−BOX」って言うからてっきり「X(エックス)」の形をしているかと思ったら全然違って「×(バツ)」だったのは残念だけど(同じじゃねーか、と「爆笑問題」田中裕)、「+(プラス)」だったら安定が悪いし個人的には1番好きな「Y」も2番目に好きな「W」もやっぱり安定性に欠けるから、「×(ヘソ)」で良かったかもしれない。これは冗談としてもマイクロソフトが開いた緊急会見の開場に置いてあったデモンストレーション用のマシンが見事に「X(エックス)」だったのには大笑い、大きさといー形といー、このまま出されたら困るし笑い者にだってなるからダミーだと思って無視していたら、集まってきたカメラマンがパチパチやり出したのには驚いた、まさかこれが実物だと思ったんじゃないだろーね、どっかの新聞とか雑誌に「これがX箱だっ」とかって出そーだなー。

 3億ポリゴンとは驚いたけど本当に出来るのか解らないしそんな高スペックのマシンに対応できるゲームを、今の「プレステーション2」の7500万ポリゴンでもひーひー言ってるゲームソフト会社が作れるのか、たとえ来年の秋頃発売だって言ってもちょっと無理っぽいよなー。8GBのハードディスクが搭載されてて100Mbpsのイーサネット接続が可能でDVDビデオも見られますって辺りは適当にでっちあげた記事どーりだったけど、気になっていたロイヤリティについては来日した担当者が「今のゲームビジネスをまんまやる」ってな形で「X箱」でも徴収する意向を見せていたのがちょっと意外で、だったら今売れてて来年にゃー1000万台だって固い「PS2」向けにソフトを作った方が、枚数でロイヤリティをカバーできるから良いとゲーム会社だって思うだろー、ここいらあたりの判断がマイクロソフトのゲーム市場を見る甘さかなあ、サポートを表明してたって各社が期待するのはソニー・コンピュータエンタテインメントへの圧力としてであって、決して鞍替えする訳じゃないんだからね。

 見せられたデモも花火にはねるピンポンに揺れる水面じゃーPS2との違いは解らない、まー流石はCGの本場な国だけあって光の使い方にしても影にしても動きにしても良く作り込んではあったけど、それがそのままゲームになる訳じゃないし。ロボットが出てきて中から女性が降りてきて動いた映像はCGムービーとして見るなら超絶の出来だったけどこれがリアルタイムに動かせるのかどーかは映像からは不明、デモンストレーターが離れていたところを見るとただのCGムービーだったのかもしれじ、そこから「すげえ」と判断するのもやっぱり早計でしょー、ビルが何と言ったかは現時点では不明だけど、年末くらいに本当のゲーム機上で動くソフトを見ないことにはちょっと何とも言えません。たとえどっかの新聞がネガティブな情報を書いてロイターがおっかけて株価が一時ストップ安になったって、ソニーはやっぱり不滅、でしょー。


【3月9日】 雑誌からいろいろデー。ってことで助教授も巻き込まれたのか巻き込んだのかは不明としてもいろいろと大変みたいな「週刊宝島」のソニー・コンピュータエンタテインメントを相手に勃発したバトルの概要が創刊2号に掲載されていたけれど、事実なんだからSCEIにおかれましては反論するのは無駄ですよってな真っ正面からの声をぶつけているのかと思ったら、やれ「言論には言論」とか「ジャーナリズムをなめんな」とかいった勇ましい割にはどっか奇妙な声しかなくって、果たして真剣に戦う意気があるのかどーなのかがちょっと解らなくって悩む。

 そりゃ言論機関を相手に文句を付けて戦いを挑んだったんだったら相手に言論での反応を求めるってのも解らないでもないけれど、事実か否かは別にして営利企業が存在意義として追究する利益を損ないかねない記事を載せた相手に対する時に、どーしても言論で反論しなくちゃならないってこともないだろー。喫緊の問題としてビジネスに影響があるならまずは「虚偽」と認識している当該記事の撤回ってことになるのは普通の行動だと思うけど。回収を求めるスタンスに「幾らかかると思ってるんだ」と言うのは冗談としては面白くってもねえ、やっぱ「間違ってない」と主張し続けてくれた方が読んでる方も安心するし向こうだって「もしかしたら確たる証拠を持ってるのかも」と警戒するのに。

 あと意見があるならページをたっぷり割きますからどうぞ、ってやってるんならまあ解らないでもないけれど、助教授の反論分すら掲載できない状況みたいだし、果たして真っ当な反論を行えたかどーか。もちろん結果として一部の「プレイステーション2」に不具合が出ているよーで、初期不良の可能性はあながち外れた訳じゃないから、言ったことが正しいを主張することで今後は堂々と渡り合っていってくれたら面白くなるんだけど。それにしてもあれほどネットじゃ話題の「DVD見られねーじゃん」事件について触れているのは日経BPのネットニュースくらいで大手紙が動いている気配が見られず社会部あたりが騒ぎに乗じる気配もなし。地下鉄の事故とかあって忙しいってこともあるんだろーけど、喉元過ぎたら(つまりは発売されちゃったんで)暑さ寒さも彼岸まで、関心は次のマイクロソフトなX箱に写ってるのかなー、明日にも発表、とかってな。

 さてお次は「Number」の492号。いっちゃん後ろのコラムのページで「MEDIA」って仕切りのコラムで嶋津靖人さんが書いている「大騒ぎの『背番号3』報道。活字媒体が想定する読者とは。」って書いている文章に心からの同感を贈る。内容はタイトルにあるよーに例の巨人・長嶋監督がウィンドブレーカーを脱いで9252日ぶりだかに「栄光の背番号3」を見せるの見せただのと大騒ぎして、それを1面に持って来たスポーツ新聞の報道姿勢について話してる。

 長嶋の引退を小学生だったけど一応は見知っている僕らの世代にとってさえ、華々しい活躍を知らず選手としては「世界の王」の方がよっぽど記憶に残ってて、かといって監督としては初年度に最下位となって途中で解任されて以後、国立競技場で「カール!」とさも知り合いっぽく呼びかけた謎なおっさんってな程度の認識しか「長嶋茂雄」については持っておらず、さらに下の世代には印象としてサッカーの岡ちゃんこと岡田武史監督よりも印象が薄そーな長嶋茂雄をどーして1面に持って来れるのかってことに、まさに同感ってな言葉を贈りたい。つまりは新聞を仕切ってるおっさんデスクたちの心に「ナガシマ」の名前があまりにも強く残ってるってことなんだろ。なるほどそんなデスクたちと同じおっさん世代の読者にとっても、やっぱり「ナガシマ」は神様だろーから、そーゆー世代に向かって作り続ける覚悟があるんだったらどんどんおやりなさいと言っておこー。

 けれども作ってる本人たちにそーゆー自覚があるのかは実は怪しくって、確固たる価値観でもって作ってるから始末に終えないってあたりをコラムの嶋津さんも感じてるんだろー。「過剰な情報を整理編集し、”そそる”コンテンツに仕上げて流通させるのがメディアの妥当な進化の仕方とすれば、新聞はすでに止まっている。新聞は、肥大化する老人社会に特化したメディアに自ら進もうとしているのか?」。実はそーなんですと、言っててすっげー虚しい。とは言えスポーツニュースにワイドショーなんかの話題の選び方を見ていると、テレビの価値観も似たよーな物に見えてくるからなー、そんな間隙を縫って若いメディアが革命的な価値基準でもっておやじメディアを駆逐していくんだろー。

 同じことは「オロナミンC」の石原裕次郎コンテストにも思うことで、今の若い人にとって裕ちゃんなんて「七曲署」の太って油ギッシュなボスですら無いんだよね、顔だって決して超絶美形でもなく、言ってしまえば勢いでもって世の中に出てそのまま一世を風靡してしまった石原裕次郎に、どーして今時の10代があやかりたいなんて思うだろー。やるんだったらやっぱり「21世紀の優作」の方が気持ちとして伝わりやすいよーな気もするんだけど。「21世紀の裕次郎を大募集」なんて言われたって「誰それ?」ってなもの、「西武警察」も「太陽にほえろ」も知らない人が今の若い世代の大半だってことに、どーして想像が回らないんだろー、やっぱやってる人たちにとって裕次郎が「神様」だからなのかなー。裕次郎を指して「慎太郎の弟なの?」って言いかねない世代の台頭に、長年「裕次郎の兄」の座に甘んじてきた石原都知事もこれで溜飲を下げられそー。長生きはするものです。

 それから「SPA!」。あのストレートな物言い、あからさまな書きっぷりにいつも世の中を冷静にナナメに見ている人、ってな印象を誰だって覚えるだろー山形浩生さんをして、どーして笑顔の写真なんか想像できるだろー。113ページに登場の写真を見てうら若き乙女たちや長年のファンのきっと多くが「?」のマークを頭に浮かべただろー。いやもちろんそれは読者の勝手な想像&思いこみでしかないんだけど、やっぱり世界を相手に戦ってるよーな印象の写真が欲しかった、「ビットバレー」を相手に「×」サインをそれもビットバレーの聖地渋谷は「Qフロント」をバックに出してた今朝付け「朝日新聞」アニメ欄(小原篤記者頑張っとるねー)掲載の小林弘人編集長@サイゾーみたく。

 夕刻に「ボイルド・エッグズ・オンライン」の村上達朗さんが来て話す。早川書房を退社して1人立ち上げた日本でも初の出版エージェントの仕事が本格化し始めるみたいで、ネットを通じた応募作品も含めて結構な数の出版予定が決まっているみたいで、ちょうど1年前に取材に行った身としてちょっぴり嬉しくなる。待望にして期待の第一弾として3月下旬にも刊行されるのは三浦しをんさんの「格闘する者に○」。自身の経験も踏まえた就職戦線を題材にしたコミカルな内容の小説らしーけど、「格闘する者に○」ってなタイトルの奇妙さにこれは惹句が得意な版元の草思社さんの差し金かなと思ったら、何と著者本人が付けた物だとか。なかなかに遣り手っぽい雰囲気があるねー。

 戴いたゲラを冒頭からザザッとなめて、いきなりな象パーティーの描写にこれがどーして就職戦線なのかと不思議に思いつつ本文に突入してケラケラ。珍妙な「就職戦線のオキテ」を逆手にとった描写も多々あり、今がたけなわの就職シーズン(もう始まってるんだ、と後藤隊長声で言おう)に話題となること必定。聞くと本人は23歳だかで笑った壇ふみさんに似ているそーで、毎週日曜夜のクラシックを紹介する番組に登場して来る壇ふみさんを、文豪子女にしてイカズな阿川佐和子さんと並んで、「獏さんと壇さんで壇さんから」(連想ゲームだよーん)の時代から幾星霜、その間に果てしない年齢を重ねても、相変わらずの可愛いを保ち続けている壇さんを欠かさず見ている身にとって、ちょっぴり会ってみたいなーってな気も起こる。しかし村上さんの世代にとって壇さんあたりがイコンなんだろーか。


【3月8日】 奇品珍品があふれるネットの世界でもこれはないだろうってな商品を発見、したのは「たのみこむ」ってサイトで、何でも持ち込まれた企画を果たしてどれだけユーザーがいるのかってな感じで「限定何個」と銘打ってまず紹介、そこで「これだったら欲しい」ってなユーザーに登録をしてもらって、あらかじめ決められた生産数分のユーザーが集まったら、初めて具体的に商品化するとゆー、ネットのリアルタイム性やらダイレクト性をうまく取り込んだ通販サイトになっている。

 で、前々から「蝶野正洋のオリジナルZIPPO」とか、アントニオ猪木の「アートクロック」とか、ブルース・リーの戴拳道の本とかいろんな商品が紹介されてて、カウンターで何人頼んで商品化にはあと何人必要なのかがリアルタイムに解るよーになっている。宍戸留美さんの「ちぎりこんにゃくちゃんTシャツ」ってな妙な品物もあるけれど、不思議にも「ちぎりこんにゃくちゃんTシャツ」には最近の「おジャ魔女どれみ♯」での瀬川おんぷちゃん役ゲットもあってファンを一度に増やしたのか、それとも現役アイドルからフリーアイドルを経て今もやっぱりアイドルらしー宍戸さんを応援する、根っからのアイドリアンな人たちの応募あるからなのか、もう少しで製品化ってな好成績を上げている。今だと残り4人くらい? だから商品化はほぼ確定だね。

 だんだんと申込者が増えて枠いっぱいになりそうな様子に気がせきたてられて、自分もついつい注文しちゃうってな行動を引き出す可能性もあったりするから巧いってゆーか、残り1人だった時にも「ナマ小島可奈子とお食事会」についつい応募しちゃいそーになってググッと気を引き締めたくらいだし。「ナマ釈」とか「ナマ酒井」とかだったら即座に仮注文出したかもしれないけれど。ほかにもこれは空前絶後に珍品な「ウルトラホーク1号型ギター」なんてものもあるけど、ギターは弾けないしさすがに値段も張るから応募はしない。希望数がまだまだ足りないから商品化になるかどーかも怪しいところ。「サンダーバード5号型虫かご」だったら欲しかったかなー。

 しかし驚くのはまだ早い。それにも増し驚いたのが「大原かおりの乳」だあっ! ええっと引くのも当然であの巨乳な大原ポリスが1人ひとりのために絞った母乳を、瓶に詰めて贈ってくれるんだったら10万円出したって惜しくないよと勇んで仮注文をした人もいそーだけど、実態は何のことはない普通の北海道産牛乳で、それが「大原かおりが自分で選んだ」ってなキャッチフレーズが付けられて売られている。900ミリリットルが2本で3400円ってのはなかなかに高額で、オリジナルのイラストが付けられてたってよほどのファンか実際の母でもなければちょっと2の足を踏みそーだけど、ともかくもこーゆー商品が企画されてそれなりの人数が(冷やかしじゃないとは思うけど)申し込んでいる現実に、隙間を狙いストライクをぶち込めるネットを使った通販ビジネスの可能性なんかを見た思い。何か企画して売り出してみるか、水玉さんデザインの「たれさかい」人形実物大とか。「だっこたれさかい」とか。

 毎日新聞の最近の右旋回ぶりってのを、ちょい前に誰かから聞いて気になっていたけど、なるほどそーだったのかと思わせる記事を発見、今朝付けの朝刊に掲載されている毎日新聞が主催する春の選抜高校野球の開会式で、「君が代」を唱う女子高生が決まったって話の中で堂々と「開会式で国家を独唱する高校生が決まった」(強調筆者)って文章が書かれている。見出しもこれまた堂々と「『国家』独唱は坂上さん」ってなっていて、つまりは毎日新聞にとって「君が代」は「国家」という位置づけになっているらしい。まあ法制化され明文化された以上は「国家」と使うことに間違いはないけれど、思想・信条が絡んで結構議論百出した問題を、決まったからと言ってあっさりと、そして堂々と使ってしまえるスタンスには、時流に敏感でフットワークも軽い新聞メディアの、機を見るに敏で長い物には自ら行って巻かれるメンタリティーが垣間見える。ちなみに同じ記事で朝日新聞は「開会式の君が代の独唱者には」という書き方。こーゆー所では曲げない芯の固さがあるんだよなー流石に築地には。

 あいかわらず「おかしい」と言うだけで「だったらこうすべき」と言えない昴治は、その甘ちゃんぶりに成長が見られずちょっと辛いけど、かといってイクミがやってる暴力でもってリヴァイアス内を統治する手法にも息苦しさを感じてて、だいいちキレた根拠が性格にいささか飛び過ぎてることがあったことも災いして被害にあった彼女の恨みはらさでおくべきか、的心情だったりすることもあって、やっぱり感情を移入して見方は出来ない。さらには祐希のイクミに腰巾着みたく着いてて兄貴への愛憎入り交じった感情か素直になれない様にイライラ感も募る。「無限のリヴァイアス」はますますもって人の心のドロドログチャグチャな様が浮かび上がって、背中になま暖かいナマコ(んなもんあるのかい?)を入れられたよーな気持ち悪さを覚える。

 過去を捨てることに異常にこだわるファイナの恐るべき過去がつまびらかになって、そのキレぶりの背景にある自責と脅迫の観念が逆に悲しく思えて来たけれど、事が事だけに乗り切ってハッピーい立ち去れそうもなく、このまま壊れていってしまうのかなってな気も巻き起こってなかなかに辛い。ユイリィがとりあえずは立ち直ってルクスンは相変わらずの脳天気でブリッジにいたショタな姉ちゃんも加わって真っ当派もそれなりに陣容を固めつつあるよーで、カギを握る昴治の復活を待ってネーヤの見方も得て、何とか無事に「リヴァイアス」から脱出してもらいたいものだけど、しかし残りの話数も少ない中で果たしてちゃんとまとめられるのかなー、今日なんて同型艦をアッとゆー間に片づけちゃったしなー。


【3月7日】 東武の旭屋からプランニングハウスの本がべちゃっと消えていたよーな気がしたけど売れたんでしょーか間際なんで昔のサンリオみたく値上がりとかを見越して? ってことはまずないんだろーからきっと借金の肩代わりに確保されたんだろー残念無念「ドラゴンファーム」をまあ揃えてないのになー、見つけたらどこでも買いだ。ぶっ潰れた会社の本でも最近は都心部の良心的だったりアーティスティックな本屋だと見つかることもあって、ここんとこちょいあちこちから問い合わせの多かった「死体のある20の風景」(伊島薫、光琳社出版、3800円)って写真集が何冊か都内の本屋で発見の報ありで、あるいは倉庫あたりから流れて来たのかとも思うけど、ホンマタカシさんの木村伊兵衛賞受賞作品も同じ出版社なのに結構見かけるのと比べると、やっぱりちょっと珍しいかもしれない、救出しとこーかなー、値上がりを見越して(こらこら)。

 あー親分すいません「聖の青春」(大崎善生、講談社、1700円)の感想なんか紹介してもらったりして恐縮ですけど、それにしても案外なところに案外とファンの多い将棋界、個人的にはやっぱり羽生善治のNHK杯あたりでの大活躍から改めて興味を持って見ていたけれど、10余年が経って(俺も歳をとったもんだなー)その時から撒かれ始めたタネがいよいよ芽吹いてくるのかな、それにしてはあれ以来の中学生プロってのが出てないよーで高校生のプロもあんまり多くなくって、村山しかり佐藤しかり先崎しかり(A級に上がれたのかな?)森下森内etc……な若手がごちゃっとまとめて出てきたあの時代って、思い返すとやっぱり凄すぎるのかも、大山15世似な渡邊明クンってどーなったんだろう。あと親分の知り合いの元奨励会員で今競馬誌の記者って人も1級まで行ったそーだけど、僕のお世話になってる某誌の某氏もやっぱり奨励会員で1級あたりまっていったよーなことを聞いた記憶があってなんか奇遇。まあ普通の人は「元奨励会」なんて聞いても聞き流すところを記憶に残るだけの前提があったからなのかもしれないけれど。

 1カ月以上も放っておかれた取材の申し込みに申し込んだ本人すら「あーまただよ無視されてるよマイナーは辛いなあ」を諦めかけた今ごろになって「進めてます」なんて電話を寄こして来るのは良いとしても、「具体的なことはあんまり言えませんけどそれでもいいですか」と聞いて来たんで「いいですおおまかな方向性が聞きたいだけですから」と答えたら、具体的なことは決まってないとさっき言ったばかりの口が「具体的な質問を紙に書いて寄こして下さい」と言ってきたんで眉がピクピク、聞いて答えられないだろうからおおまかな事しか聞かないと言っただろうと怒気は隠してもやっぱり伝わる震え声で電話の向こうに伝える。会社が大きくなると体制を充実させて懐柔に来る広報部門もあるけれど、一方では大きくなるとアットホームな雰囲気がなくなり杓子定規にかかってくる広報部門もあって、ここんところ急速に大きくなった業界大きくなった企業を持っていると、そーゆー時代をあれこれ見られてなかなかに勉強になる。さて返事を早急にと言って切ってから果たしてどれくらいで真っ当な返事を持ってくるのかイジワルだけどちょと楽しみ、まあどうでも何とかして下さいな目黒な会社。

 またぞろ話題になりはじめたのかマイクロソフトの「X−Box」絡みの記事が米国の新聞に出たあとで日経にも出ていて、週末のビル・ゲイツのキーノートスピーリを睨んだ憶測の飛ばし合いが始まったなーと嘆息しつつも、まあ何か書かなきゃと適当なことをでっちあげてイザという時のための予定稿を付くっておく。さて本当に使う時が来るのか。タイミングとしては「プレイステーション2」が発売となって世間の関心がゲームにぐぐっと向いて来た所での参入話、だけに話題は十分に得られるだろーしソニーへの風当たりも強まり始めている時期だけにソフト屋さんユーザーさんを誘い込む絶好の機会なのかもしれない。折良くなのか悪いのか一部にPS2のDVDビデオ再生に関する不具合が話題になりつつあるだけに、「やっぱり」とゆー言葉とともに「だったら」とMSへの関心を呼び込む動きも出て来るんだろーなー。大変なこってす業界の人たち、って僕もあんまりひと事じゃないんだけどね。


【3月6日】 日本経済新聞の夕刊に出ていたけれど肩書きは「評論家」だったっけ「批評家」だったけ? ともかくも「哲学者」でも「哲学研究者」でもなかった東浩紀さんはさてはて4月からホントにアカデミズムな肩書きが付くんでしょーかどーでしょーか。ちなみに「TINAMIX」については触れられていなかったよーで(ウロ覚え)少し残念。それはどーでも良いとして問題発生らしー「プレイステーション2」の「DVDビデオ」vs「リッジレーサー5」のメモリーカード・バトルの話をナムコにもSCEIにも聞いたけど、あんまりパッとした答えが返ってこなかったんで、これは実践するしかないと我が家のすでに1度DVDビデオを見た後で「リッジ」のデータをセーブしたPS2に、「カウボーイ・ビバップ」のDVDビデオを放り込んで機動したら……。

 おやおやヘンだぞ、DVDのディスクは認識して金色の円盤が画面に登場したけど、カーソルを合わせてボタンを押しても真っ暗なまんまで立ち上がる気配が全然見えない。やっぱりと思ってユーティリティ・ディスクからDVDのファームウェアを再インストールしたら今度はちゃんと立ち上がり、「リッジ」をやっても消えずに今も立派にDVDビデオを見られます。パソコンとか使いなれててフリーズ&クラッシュの果ての再インストールを経験してる人なら別に難しくもない作業だけど、ゲームな人オーディオな人の中には苦労する人も結構出そーなんでSCEI様におかれましては事実関係を早期に確認して適切な指示を与えるべき、でしょー。

 「このミス」をコンセプトだけパク……失礼、頂戴してるのかと思ったら「SFが読みたい! 2000年版」(早川書房、590円)、冒頭からベスト10がデイ〜〜ンと掲載されて以下概況やら個々人のベストが並べられるやら各社の今年の隠し玉が紹介されるやらと、中身の方にも「このミス」にインスパイアされったってゆーか「このミス」をリスペクトしている雰囲気があって、よくぞここまで割り切ったなーと嘆息もひとしお。これで毎年表紙を代えていろいろな漫画家さんイラストレーターさんに描いてもらえばなおいっそうの「このミス」グルーピーぶりが染み出ていー感じになるかも、とりあえずはやっぱりいしいひさいちさん辺りが嬉しいなっと。連載陣に敬意を表して横山えいじさんでも全然オッケーす、ルンナ姫復活を希望。

 しかし何とゆーか当たり前にして当然のベスト10。珍しくとりあえず10位以内に入った本は全部読んでて、多少の違いはあってもまあこの辺りが10指に入るかなーってな印象は持っていたから特に嬉しくもないけど妙とも思わず、粛々と結果を受け止める。海外編もまあ順当、2−3読んでない作品もあるけどだいたいやっぱりこんな感じになるんでしょー、SFな人たちがざくっと選べば。ただ個々人のベストになった時、中に1人2人くらいは妙でも意外性があるセレクトをしてくれていないかなーと思って読んだら、ベストがそーなんだから個々人の多くがそーなるのが当然なんだけど、案外と妥当なセレクトの人が多くって、それはそれで現勢を示して一般も含めた読者の伝えるって意味では価値があっても、全部を読み切ってる人間には「だったら次は」「もっと他のは」ってな興味をあんまり抱かせてくれなかった。

 ミステリだと新本格とハードボイルドと冒険とほかいろいろに傾向があって本も毎月大量に出るから、傾向の違うジャンルから入って来た人にもよそ見や浮気の余地があるのに、SFってやっぱり狭いのかなー。まあ自分の性格が、例えば森下一仁さんのところで毎年開催されている「ベストSF ’99」で、天の邪鬼にも半端だったり境界だったり新人だったり無名だったりする人ばっかり無茶を承知で選んでしまい、眉に唾して見られるのを好む性質なんで、見識のカタマリのような「SFマガジン」のベストがもとより肌に合わないだけなのかもしれない、SFって定義すらも実は茫洋として固まってないし。それでも森下さんのところで選んだ5冊で20位以内に入っているのが「バトル・ロワイアル」だけってのもやっぱり性格以前の態度の問題かもしれないなー、反省しよっと口だけで。

 態度と言えば某氏の「(日本SFはあまり読まない方なのだが)リストを見ると面白そうなタイトルが並んでいるし、明日からリストを片手に探して回ろう(笑2)」ってのは果たしてアリなのかは悩むところ、逆に中村融さんのように「SFマガジン」所収の短編ばかりを選ぶってのは態度はともかくリーダーズ・ガイドにはなりえるからまあ有り難い。ライターが立った「サブジャンル別ベスト10」は漫画の永瀬唯さんととことん趣味が会わないみたいで、挙げてある7割が未読だったりする体たらく。少女漫画や角川ワニ竹メディアワークスっていった(あとエロ)系統からのセレクトがあんまりないよーに思うけど、これはまあ「俺ベスト」を選ぶコーナーなんで仕方がない。逆にガイドとして役立つから良しとしよー。アニメはお掃除マルチの健気さに滂沱した「To Heart」が何でない(爆)。

 一方で徳間書店の「SFアドベンチャー」別冊の、じゃない何故か「ロマンアルバム」って銘が入ってる「SF Japan」(1429円)は「日本SF新人賞」の受賞作と過去の「日本SF対象」受賞者の一部な人の短編が入って分量的にはなかなかな読みごたえ。ただし三雲岳人さんの受賞作「M.G.H」は神林長平さんの選評にある人物設定への指摘を先に読んでしまっていた関係で、ストンストンと導入部から事件が起こって謎解きへと至る過程での、探偵役になる青年の気持ちの入ってなさぶりに目が向いてしまって、本来だったら得られたかもしれない感銘を阻害されてしまってもったいなくもちょっと肩すかしを喰らった感じ。そもそも自分が物事に無関心な人間なんで、同じ様なあんまり世間と向かい合ってそうもない主人公が、どうして事件が起こると自分の事でもなく友人知人の身の潔白をはらす必要もない事件の探偵役を買ってでるのかが解らない、得することなんて何にもないのに。

 それを言ったら探偵小説でも成り立たない作品があるだろーから妥協はしよう、でも人間の精神をコンピューターのアバターってゆーか本作だと「アプリカント」と呼ばれるコンピューター上のエージェントに移して果たして人間の本質は移せたのか? ってな藤崎慎吾さんの「クリスタル・サイレンス」でも取りあげられていて「クリ・サイ」(略すなー)では藤崎さんなりの答えが出してあった問題が、「M.G.H」だとあんまり突き詰められてなくって本筋にもあんまり絡んでなくって、探偵を導きあるいは悟し、あるいは翻弄する存在によって提示された結構大きな問題であるにも関わらず、あんまり頭を悩ませてくれないのがちょっと不思議に映る。

 トリックにしても動機にしても主人公はともかく脇役たちのキャラクターにしても結構しっかり描かれているのに貫く串がなくって、うっすらと関連してはいるものの容易に結びつけ難いってゆーか何とゆーか。過去に何やらあったみたいな話がほのめかされてはいるけれど、前作があったか別に外伝でも書かれるかのよーな唐突さがあって手法としてちょっと引っかかる。スケールや見せてくれるビジョンに加えて途中で挟まれるSFって何? への登場人物の独白にSFド真ん中な人たちの心の琴線が擽られたって意味もあっての授賞になったのかな、応募時の作品ではどーだったんだろー。全体のまとまり具合では確かに「M.G.H」が上かもしれないけれど、「コールド・ゲヘナ」の特に後2作があたしゃ好きかなー、フロスティちゃん良いもんなー(結局キャラ萌えかい)。


【3月5日】 諦めムードの中を劇場版「ウテナ」のDVDでも買うかと秋葉原に向かった午前10時、昨日あれだけ売りまくったのにラオックス・ゲーム館(げーむ・やかた)では今日も入場制限をしながら「プレイステーション2」の販売をしていて、整理券を運良くゲットできた老若男女がすでに完売した「PS2」を持って返るところだったのを横目にしょぼしょぼ歩いていたら、ゲーム館の人が「ゲーム館(げーむ・やかた)ではまだ売ってまーす」と叫んだのを耳が聞きつけ、いかん乗るな乗ったら「ウテナ」が買えなくなるぞとの内心の声とは無関係に体の向きが反対方向へとグルリと変わり、そのまま「ホビー館」へ。整理券をもらいエスカレーターで2階へと上がり、レジ横にエレベーターホールから運ばれた到着したばかりかもしれない在庫が次々と積み上げられる中で、あっさりと本体をゲットする、昨日の完売ぶりが嘘のよー、やっぱり100万台出荷ってのはマジだったのかなー。

 手にぶら下げたまま予定していた東京オペラシティのアートギャラリーでやってた「宮島達男展」。ベネチア・ビエンナーレに出ていたとかゆー巨大な作品「メガデス」が日本に初お披露目ってことで、どんな作品かと期待して入ると壁一面に2400個に及ぶ宮島さんお馴染みのカウンターが並び、9から1までカウントしたあと0を出さずに瞬間消えて、しばらくして再び9から数字を刻んでいく。それぞれがてんでバラバラなテンポで数字を刻むのはつまり人間の1人ひとりに固有の時間軸があってそれらが集合体になって世界が出来てるってな意味だと理解した上で、驚くのは次の瞬間にすべての光が消えて部屋が暗闇に包まれること。うまく遮断してあるのか外部の光がまったく届かず、慌てて時計のランプ携帯電話の液晶ランプを灯す莫迦もおらず、真っ暗でも不思議とうっすらながら様子が見えかかって来た数分後にパッと再びカウンターが灯って復活となる。

 すべてが1度に灯る訳じゃなく最初は少しづつ灯り始めてやがてそれが広がっていく様も、原始の時代に生まれて文明とともに発達し、いつしか世界中に蔓延った人類の暗喩か。刻まれた数字が消えるのは1人ひとりの死でしばらくしての復活を輪廻、あるいは子へと受け継がれた時間と見た上で全てが一度気に消える瞬間を理解するならそれは「滅び」に他ならない。核でも何でも1瞬にして多くの数字(つまりは人)を消してしまう恐怖に暗闇の中で人はかられる。あとで少しづつ灯り始めるのが復活を信じる宮島さんの人間の強さに対する期待とも良心とも見てとれないこともないけれど、繰り返される「滅び」には一方で懲りずに大量殺戮を繰り返す人間への絶望という意味がこめられているかもしれず、見ながらあれこれ考える。

 今朝の朝日新聞に乗っていた写真だと、少なくとも明かりが部屋の3方で光っていたのに対して、初台ではカウンターの明かりが前面の1枚の壁に集められていたけれど、世界の一員として自分もあるよーに感じられる明かりに囲まれている状況とは違って、1面だけの展示には世界と対峙している印象があって、どこか超越者的な視点に見ている人を陥れかねない。寄せては返す波の如く、光っては消え、消えては灯りそのうちにすべてが消えてはやがて再び蔓延り始める人間の生命を、別の次元からじっと冷静に見つめる自分がいるってゆーか、客観視させることで人間の愚かさにより深く気付かせるとゆーか。まあ単純に自分が考えすぎなだけなんだけど、こうした展示上の差異から浮かぶ受けと目方の差異ってのに、作者の意図とかは関係してるんだろーか。せっかくのスペースを最大限に活かしたって意味で、迫力はあったけどね。

 帰宅してから早速「PS2」を組み立てる、ってメモリーカードを指してコントローラーを付けて電源にAVのケーブルを該当の場所に接続しただけだけど。テレビの上に無謀にも置いて在るAVアンプと、テレビの横に立ててあるスピーカーの上に積んであるセレクターに「プレイステーション」に「セガサターン」に「ドリームキャスト」に「NINTENDO64」の山のスキマに「PS2」を差し込んで立て起きにする。えーっスイッチが後ろにあるじゃんコレってちょっと面倒かも。スイッチを入れるとDCでも最初は驚いたゲーム機にしては珍しいファンの音がブーンちうなりだして気になる人にはちょっと気になるかもと思う、でもあれだけのCPU積んでんだからファンがないと熱暴走するんだろーし、進歩によって犠牲になるものもあるってことで諦めよう。

 1番に手近に置いてあった「ブレードランナー」のDVDビデオをセットして再生、映像については適当な接続しかしてないんでそれ程気にならず、音はもとよりAVアンプにつないでいるんで対して大差ない、見られるって意味では十分に合格です。「ブレードランナー」は夜のシーンがあって黒つぶれが気になる作品だけどこの点では専用機もPS2も大差なく、見えない場面は相変わらず見えません、もっと良い機械良い接続ケーブルを使えば違うのかな。「ブレードランナー」ではそれほど気にならなかったファンのノイズだけど、静かな映画やクラシックのDVDビデオなんかを見る人は、やっぱりDVDビデオの専用機が良いってことになるんだろーなー、こーゆー点は流石に買って経験しないと解らなかったよ。

 ゲームはナムコからサンプルで届いていた「リッジレーサー5」をプレイ、うーん普通のレーシングゲームだなー。CGはなるほど綺麗だけど衝撃はDCの「セガラリー」で味わってるし、かといって実写と比べると質感がまだまだCGでしかない映像は目の玉が転げるような驚きをあんまり味わわせてくれない、人間ってつくづく贅沢な生き物です。それでもゲームで良くところの「ムービー」並みな映像がプレイ中も流れて、周辺の形式も「セガラリー」みたく走ってる先からどんどんと描かれていくよーなこともないから凄いっちゃー凄いのかも。操作性の面については「リッジ」のマニアじゃないから解りません。しばらくは面白いゲームが出そーもないし、とりあえず期待は「デッド・オア・アライブ2」くらいでその後は沈黙の予感、「シーマン」みたく楽しげで怪しげなゲーム、早く出てこーい。

 東京証券取引所のCMを見てその下司ぶりに久々に怒髪が天を向く、ってのは嘘で天を向くほどの髪がないからいわゆる紋切り型の怒りの表現とゆーことでお許し願うとして、怒ったのは事実でそれはCMが余りにもあんまりな内容だったから。あらすじはこう。興信所だかに出向いた夫が妻の最近どうにも何かにお熱な様を調査してもらいその結果を調査員から告げられる場面で、目に恍惚とした表情を浮かべた妻の写真を見せながら調査員が夫に妻が熱中しているのは男ではなく、また女でもないと告げる。だったら何だと問われて調査員は「株です」と答える。つまりはそれだけ株に熱中してるんだってことを言いたいCMで解りやすいと言えば解りやすい内容なんだけど、これのどこに怒るのかって言えばCMの主体がどっかの証券会社でもなく日本の資本市場を背負っている東京証券取引所、だったから。

 証券会社が「面白そう」ってな幻想を抱かせて顧客を証券市場に誘うのは別に構わない、取引を増やして手数料を稼ぐのが彼らのれっきとした商売だから。でも株式市場が担っているのは企業に資金調達の道を与えて財務体質の強化を支えてあげて安心して企業活動に勤しんでもらい日本経済を資金の面から支えることであって、東京証券取引所はそんな企業活動に理解を示して企業に投資する投資家が、証券会社を通して株式の取引を円滑に行えるようにするってことが最大の使命、だったんじゃなかろーか。けれども東証のCMはどう見ても個人投資家に「株式投資って夫より(妻より)も熱中できる場所なんだ」ってなニュアンスしか感じられない。稼げる場所、って意味ではJRAなんかがやってる競馬の魅力をバンバンと見せるCMと大差がない、つまりは東証は一種のギャンブル場でそこに来れば楽しめまっせってなメッセージがどうしても前面に立ってしまう。

 あのバブルの時代を経験してもなお、人は全然懲りてなくって会いも変わらず儲かりそうだといえば株に手を出しているし、日本経済のどう見たって底を完全に脱し切れてないのに「日本株ファンド」なんて物を購入してて、証券会社も新聞も雑誌も過去を忘れたかのようにネット株だ何だと言って株式投資の情報を流して人の気分を煽ってる。たまに危険性を訴える記事を流したってほかの山ほどの「ネット長者」なんて記事を読めばそっちに人の気分が流れるのは当然だから意味がない、警告するなら徹底して警告し続ければいいのに、それを出来ないのは何故なんだろー、ひょっとして山ほどの金融商品広告に目が眩んでる? それこそ下司の勘ぐりを怒られてしまうかもしれないけれど、まあ言い80年代末期や90年代初頭に同じことを言ったってやっぱり「下司」と言われただろうから。

 そんな雰囲気にけれども東証がどうして乗る必要があるんだろう。株式投資の本来が投機なんかじゃなく企業活動を株式の長期保有によって支えてくれる良質な株主を増やしていくことだとすれば、あたかも今の「証券よコンニチワ銀行よサヨウナラ再び」みたいな風潮を助長するかのような東証のCMは何か足下を見失い立場を忘れてしまっているよーな気がする。あるいは東証を含めて証券取引所の役割ってのがどうであっても取引を増やして証券会社から入る手数料を稼ぐことだとすれば、つまりは証券会社と一蓮托生になって個人だろうと大口だろうと「楽しい」と思わせて株式市場に誘い込んで短期売買のキャピタルゲインねらいな投資家を増やしていっしょにテラ銭を稼ごうとするCMは、まさに正しいってことになる。

 だったらJRAみたく競馬やりましょうってのと同レベルで株やりましょうって呼びかけるのも全然正解、なーんだ怒って損したな。むしろ最近のJRAの方が直接的な儲かる快感みたいな物を前にあんまり立てないイメージ広告が多い分、東証の方がよりダイレクトに人に「東証競株場」のイメージを伝えていることになる、うーん偉いぞCM担当者CM制作者。こーなったら東証個人のファンのことも考えて競馬場よろしく賭博場、じゃない東証のフロアに再び立会場を作って手サインで売買する人の姿をリアルタイムに見て貰えるよーにすべきだよ、でもって目の前でどの株がどれくらい上がったのかを小さなボードなんかじゃんく大きなビジョンに映し出して見ているファンに歓喜と嫉妬の声を起こさせるんだ。手サインの巧い2枚目な市場部員を並べておっかけの女性ファンなんてのを招くのも話題になって吉、男性ファン向けには水着の(制服なんて撤廃!)市場部員を置こう。ナイターなんてのもいいねー「トゥインクル競株」。夜になるとひっそりな兜町もこれで活気づく、どーですやりません山口光秀理事長ぅー。


【3月4日】 眠気にかまけて書くのを忘れた昨日の青山ブックセンター本店での高橋哲哉さんの講演会「『スペシャリスト』解読」は,個人的にはそれほど熱中してない人だけど世の中には熱烈なファンが多いらしく(「ショア」あたりから?)、会場には年輩の女性から若い学生現役の教員に一部不穏な人たちが、ぎっしりと入ってなかなかの盛況を見せていた。そんな中を登壇した高橋さんはザラリと長い髪に大きな鼻のおっとりとした顔で喋り口調も訥々と、けれども論理的には明晰にイスラエルでのアイヒマン裁判を分析した映画「スペシャリスト−自覚なき殺戮者」&サブテキスト「不服従を讃えて」についての所感を、これまで新聞やテレビで喋ったこと意外の話をしようと言って喋り始めた。

 端的に言えば「スペシャリスト」は「アナロジー」の映画であって類比によってホロコーストを浮かび上がらせようとしていて、そこがホロコーストを唯一絶対の悪として捉えたランズマンの映画「ショア」とは違うってことを指摘してて、しばらく前にイスラエル国防軍を讃美するよーな内容の映画を撮ったランズマンにインタビューして「イスラエル国防軍には弾圧のイメージがあるね」と切り出して叱られ、「美しい映像を見れば皆が映画に共感してくる、あなたをのぞいては」とまで言われて「ショア」で膨らんだ高橋さんとランズマンとの蜜月は、ここに終わりを告げたとかってな話しをしてくれ、笑いも結構とれていた。だったらランズマンから「スペシャリスト」のシヴァン&ブローマンに乗り換えたのかって言うとそう単純でもなく、被害者の声から切り出す行為としてのホロコーストの悲惨さに、加害者の凡庸さから切り出すシステムとしてのホロコーストの残酷さをクロスして見える物がある訳で、どっちが良いか正しいかじゃなくどっちも見て考える方が良さそう。

 ここで難しいのはホロコーストを人間が起こしうる残虐な振る舞いの1つの普遍として位置付けた後で、そこに何かしらの順列を付けて例えば別の民族による虐殺なり弾圧は程度が軽いからと言い抜ける余地が生まれる可能性があることで、かといってホロコーストだけを絶対としてユダヤ人の悲劇ばかりを主張するのもどこか釈然としない。結局のところは悪いことは程度問題じゃなく悪いんだと言える規律が人間に内在してれば良いんだけど、これまた環境立場国籍宗教などによって変わってしまうもので、つまりは人間を普遍的に裁く法なんてないんだとしたら個人として「俺が法律だ」くらいの事を言って暴れ回っていいのかというと、それも困る訳だったりするから堂々巡りでうーん、どこまで行っても結論が出ない。人間ってフクザツだなあ。

 同じことは高橋さんが講演で指摘した「日本におけるスペシャリスト問題」でも言える。この「日本におけるスペシャリスト問題」とはつまり「お上絶対主義」のもとに「上司の命令だから」と言って悪いことではあっても命令に従い粛々と仲間の罪を隠した神奈川県警の問題や、危険と知りつつも別の力が働きそれに官僚も医師も薬害メーカーもこれに従っていしまった結果数多くの患者を出した薬害エイズ問題なんかに代表されるもので、何であっても諾々とシステムに乗って与えられたことをこなしていれば大過なく過ごせるし責任だってかからないという、使いようによっては便利だけど使われようによっては恐ろしい、日本を構築する「無責任の体系」(丸山真男)のことを指しているらしい。

 何でも映画を作った2人が日本での「スペシャリスト」の受け入れられぶりに喜んでいたそーだけど、高橋さんに言わせるとつまりはそれだけ日本には「悪の凡庸さ」を見せつけられる事態が頻発して誰もが「スペシャリスト問題」を実感しているってことになる。それでいながら反乱も混乱も起きない状況はつまり半ばそんな状態をあきらめのもとに受け入れている、あるいはそれに耽溺している日本ならびに日本人ってなかなかに不気味な存在だけど、そう言ってばかりもいられないのは当然で、高橋さんは辺見庸さんとの対談本の後ろで辺見さんが最近のマスコミの体質を取りあげて指摘した「あたらしいペン部隊」の脅威に触れつつ、巻末の辺見さんがマスコミ人に「穿孔せよ」と呼びかけた文章を引いて、組織の中での「不服従」を呼びかける。

 けれども例えば「不服従」の基準が人によってまちまちな場合、他人には許容できないことでも自分には許容できることに対して「不服従」は難しく、たとえば何かの主義主張を持った人たちによっ運動が巻き起こった時にその声に諾々と従っているんだったら、結局は「スペシャリスト」と同じことになりかねない。「日の丸」に反対する人がいるけれど、「日の丸」に気持ちをのっけられる人もいる訳で、賛成とか反対とかいった表面的で二元的な選択じゃなく、反対する根本にあるものを明示して、それから相手の気持ちも尊重するといったことが必要なんだろー、「日の丸」に賛成しているからといって現体制を支持しているとは限らないんだし。かといって個人を尊重し過ぎれば、小林よしのりさんが漫画で繰り返し「個」の暴走による殺人事件とか破壊事件が起こるし実際に起こってるじゃないかってな脅しに共感を覚える人も出て来かねないから厄介さは度を増す。うーんうーんとうなりながら、結局何もできないじゃんっとぶんなげて成り行きに任せる、これも一種の不作為の罪だとしたら人間ってどーやって生きていけばいいんだろー? テツガクな人考えてくれい。

 さて朝の5時に起き出して秋葉原は「プレイステーション2」の初売りを取材、昨晩からの行列はさらに長さを増してたみたいで、それも1軒や2軒といった98年11月の「ドリームキャスト」の比じゃなくって、秋葉原のあらゆるショップの前に数百人規模の行列が出来て販売が始まる午前の7時を今や遅しとまっている。もうどの路地をのぞいても行列が出来てない道はなく、この人間たちが本体の39800円にソフト1本周辺機器を何点かを買う分も含めて1人頭5万円を持っていたとしたら、2000人は軽くいただろーから総計で1億円を越える現ナマがあの秋葉原の狭い一体にうなっていたことになる。狩りは流石に人数が多いから無理だけど、例えば肉体にデンジャラスな気体でもまいてバタバタと倒れたところを見計らって抜いていく、なんてことは出来ないかなんて思わず考えてしまいました。

 あと凄いなあと思ったのは、「ドリームキャスト」の時にも増して日本人じゃない外国の人の姿も交じってていたことで、海外に持ち出せないにも関わらず1つ2つと買って買える外国の人が大勢いたのには驚いた。あとプレスにもCNNとかABCとかってな超絶メジャーも交じってて、中に190センチはありそーな痩身の長駆を皮ジャンに皮パンツでくるんでTシャツがオタクな絵柄の美人リポーターがいて、カメラに向かって英語なんかでリポートを始めたんで隣りで同時通訳する。「えっと今あたしが来ているのは世界中のオタクが聖地を仰ぐ秋葉原。洗ってないシャツに踵を潰したズック靴を掃いてる冴えない男の子ばっかりで見ていると目がとっても痛いのよ、頭も洗ってない人が多いみたいね、匂いがちょっと凄いわ。こんな民族でも作る物は大好きよ、『PS2』ってクールだわ、どうして日本で最初に発売なのかしら、ほんっとムカつくわぁ」、とか。

 ともかくも「プレイステーション」がいかにインターナショナルな商品でかつ「プレイステーション2」がどれほど世界から注目されているのかを、日本に居ながらにして実感することができた。いやマジデPSって凄いんっすねえ、丸さん。「をを」と返事したのは正真正銘本物の、丸さんこと丸山茂雄ソニー・ミュージックエンタテインメント社長。朝の6時過ぎにガードの下付近にある信号を待っていたら横に長身で頭白髪で眼光するどいジーンズはいて黒いジャケットの上にコートを羽織ったおっさんがいて、まんま奥田民生さんの「マシマロ」のビデオクリップに登場している丸山さんで(って前に何度も見ているから知ってるんだけど)、つかまえてどーですかってな話を聞く。何でも昨晩は遅くまで飲んでて朝になってもしも起きられたら行こうかってな感じだったらしく、幸いにして目覚めてやって来た秋葉原では、さっそくあちらこちらの路地を歩いて様子をながめていたみたい。いったん別れて「ラオックス」のオープンを取材してから「ソフマップ」へと回ってしばらくしたら向こうからのしのしと歩いて来てしばらく見物、ナムコの役員の人なんかも登場して眼前で繰り広げられるすさまじいばかりの売れぶりにしてやったりってな表情を浮かべてた。

 「ドトール」に入ってしまったんでしばらくあちらこちらを観察してたらちょっとした人垣に、今度は何かを見に行ったら我らがクッキィ、久夛良木健ソニー・コンピュータエンタテンメント社長が黒いPSのロゴ入りジャンパーで現れて、お付きの人たちを従え西へ東へと見物して歩きCNNのインタビューに答えておおわらわ。「サプライズ」ってな言葉を連発してたから予想はしていたとは言えかくも秋葉原を埋め尽くすよーな人気には素直に驚いたんだろー。近づけず「訴えるの」なんて謎な話も消えず振り切られて丸さんがいるドトールに入られてしばらく休憩。合間にざっと回ってもどこもフリでは買えそうもなく、「ドリームキャスト」みたく買って会社で自慢するのはあきらめる、どーせ「週刊宝島」で言われた初期ロットだし、って書くとマズいのかなあ、ネガティブなイメージを信じる人がいるじゃないかってな主張に傍証として利用される可能性とかもあって。

 再登場の我らがクッキィに丸さんが動き始めたんで金魚のフン、したのは良いけれど根っからの電気オタクなのか回路マニアなのか途中にある熱電屋だかに入ってパーツを漁り始めてお付きの人は戸惑い気味、あの丸さんなんか表で待たされている時に寄って来た一般人から「丸山さんですよね、サインして下さい」と言われて「いやーっ」と逃げていたくらいで、そんなこんなが繰り広げられている外をしり目に熱心にパーツの棚を漁るクッキィ。最終的には何やら熱電源だかスイッチだか知らないパーツをビニール袋に入れてもらって手にさげて出てくると、寄ってきたハイヤーに丸山さんと乗って打ち上げの会場へと向かっていった。持って帰ったパーツはきっと、ソニーの技術陣に見せて「どうだこれがあれば『PS2』はもっともっと強くなるぞ」と渡すんだ、んでもって表では「有り難う」と受け取って裏に回って「こんな古いものーっ」と路上に投げるんだ。


【3月3日】 はももももももももももの日。数合ってる? それはどーでも良いとして某掲示板にて世界でも稀なる実写パワードスーツ映画を制作したCGスタジオの解散を、社長の人が自分で書いてるってことを別な筋から教えてもらった(アドレス忘れた)んで読みに行って、それから会社のページを見たら別段何も触れられていなくって、どっちなんだろーかと悩んだけど掲示板のストレートな書きっぷりが社長の人っぽかったりしたし(「スピー○ファイ○ー」のことは聞くな、とか)、可能性はちょい大目。4日の「プレイステーション2」発売で世の中に山と美麗なCGが溢れそうなご時世で商売繁盛な予感もあったけど、現実はそれなりに厳しいってことなのかな、週明けにでも確認しよ、って電話しても「この番号は現在……」なんて流れたりする可能性もあるけれど、テキーラ飲んでる?

 頂戴した直筆サイン入りな米田淳一さん「リサイクルビン」(講談社、 840円)を読む。聞いていたように警視庁の捜査1課の中に特殊犯5係って部門が作られていて他でお手上げになった事件ばかりが回って来てそれらをテキパキと書類整理していく仕事をしていて、そこに池袋から腕っこきの女性刑事が転属して来たものの係長はオタクで仕事中にフィギュアを作るは熱帯魚の水を換えるわトレーディングカードを買って来てもらうわキャラクターに目がないわってな設定で、最初はやれやれとんでもない所に来たと思っていた女刑事だけど、やがてその係長の韜晦ぶりに気付きさらには事件に巻き込まれてやがてとんでもない目に合うという展開になっている。

 サラ金の無人契約室の中から女性が男性とともに忽然と姿を消す事件が相次ぎそれらがすべて防犯カメラに収められていた。いったいどーゆーカラクリかと動き始めた通称「リサイクルビン」つまりは「ごみ箱」な特殊犯5係が犯人らしき男と会い、ハッキングによる映像の捜査じゃないかってな謎が見えて来たあたりで淡々としつつも密度の濃い描写の積み重ねによって謎に迫って行く正統派のミステリィかなー、なんて思っていたら仰天では効かない事態に吃驚呆然。そのスケールのでかさにこれじゃー「ミステリィ」とは帯にも背にも書けず、かといってジャンルを特定したらそれだけで内容が割れてしまう展開に、編集さんもさてはてどーゆー惹句を付けたものかと呻吟したんじゃないかと憶測ながらも類推する。

 現実が唐突に歪んで過去から未来へと至る遠大なタイムスケールが立ち上がって来る展開にどことなく雰囲気の近似性を感じたけれど、トび具合では明石散人さんの「鳥玄坊」3部作のラストの方に奇想にかけて来た年季があるかな、もっとも観念的に描かれたビジョンへの直感的な共鳴が必要な「鳥玄坊」に比べると、ヴィシュトゲンローズチックな理論でもって整合性をもたせようとする姿勢が「リサイクルビン」にはあるから、その適用を考え込むだけの余地はありそー、ただし当方「ノット・物理学」なんで検証はサイエンスな人に任せます。結局何なのって聞かれると実のとところは他の何と例えることも何だと示唆することも難しい本。読んで話題となれば面白い。ところでカナコって結局何者だったんだろー?


【3月2日】 本当は夕べのうちに仕上げてしまおうと思った「ゲーム批評」の「ノット・デジタル」向け原稿なのにおそらくはCIAの陰謀か宇宙からの毒電波に当てられたかして急激な眠気が襲ってダウン、タイマー録画にしてあった「ブギーポップ」のオープニングでスガシカオの「夕だち」が流れた瞬間だけ目覚めたもののそのままやっぱりダウンしてしまって気付いたらウグイスでも鳴きそうな3月2日の朝だった、ホーホケキョ。「ブギーポップ」はCDが2枚出ていてサントラは2枚組でお得なんだけど音楽がカッコ良すぎてテレビのシーンとちっとも結びつかないのがちょっと珍しい。もう1枚はワーグナー。所収の短編は相変わらずクールだけど意味はよく解らんない。

 それでも編集スタッフがブレアの森よろしく次々と失踪してしまい、残った1人で何とかしなくちゃならない可哀想な編集長のために、せめて間際までは引っ張るまいぞと珈琲をガブ飲みしながら、バンダイが2000年に期待をかけてる新製品な割には昔三菱鉛筆が出していたらしく、今だと恐らくは30代ちょい下あたりの若い人たちに見覚えがある「カプセラ」ってブロックおもちゃの話をテコテコと仕上げる。すでに1度組み立ての方は試していて相変わらずの「物理音痴」ぶりが祟って乗り物にはならず、ジャン・ティンゲリーが作るガラクタを溶接したりはりつけたりした動くアートみたいな物体が出来上がって流石は伊達に現代アートのファンはやってないと悦にいる、って単にガラクタを作っただけなんだけど。

 白泉社から出るマッサラな新刊はこれが初だったっけ、それとも前のもそーだっけ、よく覚えてないけどとにかく続いてくれたのは有り難い嬉しい喜ばしいの3重楽な「陰陽師」(岡野玲子、原作・夢枕獏、790円)の第9巻は、どーゆー役所なのかさっぱり解らないけど乱暴な性格あどけない表情しどけない仕草未発達の姿態のどれもが好みな真葛ちゃんが表紙でこれまた最高、おまけに冒頭から「おれも晴れて解禁の身となったのだから」と言わせてくれちゃってて、お望み通りに夜這いなんぞをかけたいと思ったもののプリンが好きだからまだまだ帰らない麿と違って平安なんぞに飛べない身、歯がみしつつも同様に順番間違いが祟って手を出せなかった晴明にザマーミロと揶揄の言葉を贈って溜飲を下げる。

 しかし晴明が真葛に夜這いをかけた根拠として挙げた「杯の2」という予兆に果たしてどれだけの人が意味を把握できたのか。これはつまりタロットカードの「カップの2」のことで手元にアルアレクサンドル木星王の手引き書によれば交際の始まりとか結婚とか友情といった意味があるらしい。まあ途中に「京都タワー」なんてものも登場するから西欧のタロットが現代の京都タワーであっても、単なるギャグがあるいはすべてを見通す晴明の資質、もしくはミラザーバンよろしく円環の時間のすべてに存在する者なんだってな事を示そうとする意味深長な例えなんだと無理でも理解して、眉を顰めるなんてことはしないでおこー。さすがにストーブにあたられるとかスポーツカーを乗り回すとかってシチュエーションがあったらマズいけど。

 そろそろ4月発売の「電撃アニメーションマガジン」用の本のセレクトを始めなくっちゃいけないけれど予想外の新刊ラッシュにのまれて横軸候補が何本もあって悩む、例えばガンダム本とか。一方ではあんまり手を出してなかった時代小説あたりで横軸が切れないものかとも考えていて、さっきの「陰陽師」もまあ昔の日本が舞台の時代物だから入れてオッケーと考えつつ、縄田一男さんが絶賛している「遊部」(梓澤要、講談社、上下各1900円)なんかをペラペラ。松永弾正から織田信長といった日本史の中でも華やかな時代を舞台に武将たちとは違って虐げられ闇に隠れて生き続けている一族の復讐譚で、伝奇と帯にあるほど爆発したり跳んだり化けたりといった描写はなさそうだけれど、歴史でお馴染みの時代を裏側から見せてくれそうでちょっと期待している。

 題名は忘れたけれど角川春樹事務所の文学賞でも1つに信長の時代よりちょい前の今川義元の時代を舞台にした小説が上下組の大冊ながら授賞していて、これも一般に有名な桶狭間の戦い依然にいったい何が起こっていたのかを知る意味で結構楽しめそう。藤木稟さんの「鬼一法限」も出てまだ間もないし富樫倫太郎さんの「陰陽寮」シリーズも快調で、ほかに赤江瀑さんの花魁が出てくる話しとかもあってまとめるには不自由なさそうだけど、漫画がちょっと弱いんでもうしばらく探してみよー、後ヤングアダルトも。それにしても本のジャンルで時代物って結構な人気なのにアニメだと「月影蘭」くらいしかないのはやっぱり着物の雰囲気が辛気くさく見えるからなのかなー、それとも単純に制作者側の受けなさそうってな先入観とか。漫画はそれほでも雑誌に1つは時代物が掲載されているけれどメジャーじゃないし、テレビに至っては時代劇は壊滅的、せいぜいが映画でときどき作られる程度の時代物の復権ってどーやったら果たせるんだろう。


【3月1日】 どーぶつに例えるなら怒ったチャウチャウってゆーか笑ったボクサーみたいな顔つきで決して超絶美形ではなく、あるいは鬼瓦とも多聞天とも増長天とも例えられそーなソニー・コンピュータエンタテインメントの久多良木健社長を、どー加工したらこうも柔和になってしまうのかと思いつつ「週刊少年マガジン」の巻頭伝記漫画「プレイステーション2を作った男」を読む。それでも中の連載漫画の鬼塚はもちろん哲也ほどにもカッコ良くはなかったあたりに美形なら描き慣れてるだろー漫画家の苦労を認めなくっちゃいけないか、まあ岡本吉起さんも鈴木裕さんも本人と並べれば本人も含めて誰もが驚く顔だったよーに記憶しているから、単純に漫画家の技量の問題かもしれないけれど。

 任天堂との経緯を端折って「プレイステーション」がいきなりCD−ROMを使うゲームになっていた辺りは説明すると長くなるから飛ばしたのかな、あと基本的に久多良木さんとデザイナーの人の話に集約されて、ソフト面で頑張った丸山茂雄さんはじめとするソニー・ミュージックエンタテインメントの面々や、立ち上げから数年をマネジメントの部分で支えた徳中さん、魔人のよーな体躯表情でPRを仕切った佐伯さんといった人たちに微塵も触れられていないのも仕方がないんだろー。ただ1人の英雄が祭り上げられることを喜ばない風潮が日本の企業社会にはあるし、子会社として見ているソニー本体の経営陣にもあるだろーから、久多良木さんへの風当たりは今後いっそう増してくるのかも、大賀会長だってそろそろな歳だし。そんな吹き始める逆風を柳とかわしてSCEIが御殿山を安土城よろしく炎上に持ち込み、大阪は石山に城を築くかそれとも一気に江戸城となるか、土曜日の発売を新しいスタートとしてリアルタイムの戦国絵巻がこれから描かれよーとしている。見物だなあ。

 そーですか「ASAHIパソコン」によれば久多良木社長に向かって「ウソつけっ!」と怒鳴ったのは流通関係者の方ですか、偶然にもとなりでその叫んだ人の叫んだ瞬間ってのを聞いていたんだけど、ザラリと半端に長い頭に野球帽を被って目にはサングラス、口とアゴにはチョロリとしたヒゲを伸ばして背広にネクタイは「ポケモン」で手にはソニーやシャープのデジカメを持ち、帽子のツバにつけたマイクから辿ったコードの先には流行の最先端を良く「メモリースティック」仕様のICレコーダーがあったんですけど、最近の流通関係者って人は某助教授なみに情報武装&キャラクター武装をしているんですねー。ちなみにその流通関係者は「プレイステーション・ドットコム」のページにつながった時間について「午前2時だっ!」とヤジいれてませんでしたか?

 などと人様のメディア出演状況に観察を入れていたら発売されていた「ダ・カーポ」3月15日号のメイン特集「どうなってるの!? 最近のマスコミ」の中にある、「業界地獄耳、雑誌ウラ世界指南」とゆー渡邊直樹さんと永江朗さんの対談で渡邊さんが「オンライン・マガジンも個性の強いものでないとつまらない。宮崎学さんとか糸井重里さんのサイト、あと『裏日本工業新聞』とか(笑)」と言ってでんぐり変える。カッコ笑い、の意味なんかもちょっと考えたけど、それより永江さんの「危なすぎてマスコミには話せない裏情報、いわゆるサイバッチ系のものですね」とゆー答えの、糸井さんを「サイバッチ系」と断じた言葉に勇気を感じる、って違う? 「裏日」がサイバッチだって? いえいえ危な過ぎる情報なんて「裏日」にはまったく載ってないし、宮崎さんは宮崎さんでホームページも週刊誌も新聞も構いなしに同じことを言っているから、やっぱり糸井さんの「ほぼ日」のことを指して言ってるんだろー、次に公安調査庁が狙うのは「ほぼ日」だな、でもって「ほぼ日」ライター陣の子供たちは小学校で給食のカレーをちょっぴりとしたよそってもらえなかったり、掃除の時間にバケツを倒されたりトイレの個室で上から雑巾投げられたり上履きを隠されたり鞄の中に黒板を消してたまったチョークの粉を引き出し部分からとって入れられたりするんだ。

 メガハウスってバンダイの100%子会社が4月7日に発売するとかゆー、「ニコンF」と「ライカ3」を寸法で2分の1に縮小したミニカメラの発表会に行く。小さいけれどフィルムにはスパイカメラで知られる「ミノックス」に対応したものを使ってちゃんと撮れるから凄いもの、フォーカス5・4でシャッター速度が250分の1ってあたりのスペックがさて、「写るンです!」でほとんどコンパクトカメラの安いのと遜色のない35ミリフィルム写真が撮れてしまう現在にあって、どれくらい求められるのかが謎だけど、手にとった感触は結構良くって仕上げもミニチュアにしては細部までライカなりニコンをコピーしていて、24000円はちょい高いけどコレクションにハンドバッグの常備カメラに求める大人が結構出そー。フラッシュも別売りでクラシックな形のが用意されてて組み上げると昔の事件記者が現場を撮る時に使ってたカメラっぽくなるから、買って取材先で出して笑いを取るのも面白そー。

 1年余の編集局員と事業局員の兼務を解かれたのと同時に、本日付で編集局内に発足した「ITセンター」なる組織に、マルチメディアやエンターテインメントやインターネットやパソコンや家電や重電といったいわゆるエレクトロニクス、電子、情報・通信を担当している記者もろとも叩き込まれる。これだけ聞くと今が旬の「IT(叙法技術)」分野に特化した取材体制を組んで紙面展開を強化するんだってなまあそれなりに解る組織改革のよーに見えるけど、とりたって人間が増えた訳じゃなく逆に入れ替わったりして弱体化は避けられない上に、今度はちょい前までの僕とは逆に開発部とか営業部とか事業部といったお金を稼いで回る部門の人たちに「兼編集局ITセンター」とゆー肩書きがついてアレレと悩む。

 僕の場合は兼務の間に1度たりとも「事業局員」としての仕事を任されたとこも命じられたこともなく、紙面を人質にした金儲け、なんて愚劣な真似を幸いにしてせずに済んだけど、今度は本来がお金を稼ぐ人たちだから、それが「兼編集局」として活動することが相手先から誤解を招きかないかと心配になる。まあ上の決めたことで下がどうこう言っても始まらないし、「景気悪いんだからしゃーないやん」と言われて空いたお腹を押さえるとそーゆーもんかってな思考も浮かんで来るけれど、外部的に見て果たしてこーゆー状況ってのは認められるものなのかそーじゃないのか、「どうなってるの!?最近のマスコミ」の第2弾でもあれば研究して頂きたいテーマだなー。


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