縮刷版2000年12月中旬号


【12月20日】 珍しく本が届く。グレッグ・イーガンの短編集「祈りの海」(山岸真編・訳、早川書房、840円)。とりあえず表題作ほか何作かを病み上がりの寝床でテラテラと読んで、ああSFって良いものですねえとひとり呟く。意表をつくよーな設定への感嘆? 人間について考えさせてくれたってゆー喜び? とにかく言葉ではなかなか現しづらい良い気分がこみ上げて来てしばしの悦楽にひたる。どうにもSFってゆーとでかい仕掛けの部分で驚かせてくれるよーな作品ばかりが最近目についていたよーな気がするけれど、イーガンの短編ってデカくても小さくっても仕掛けは仕掛けで前提としてまずあって、その上で繰り広げられる人間的なドラマの部分で感銘を覚えさせてくれるよーになっていて、読み終えた後の心に驚き以外にちゃんと残るものがある。いや面白い。

 頭に埋め込んだ「宝石」って名のチップに記憶を移して後は脳味噌をかき出しちゃう「ぼくになること」が与えてくれる思考ってのは例の木城ゆきとさんの「銃夢」のラスト近くでも登場してくるビジョンに近いものがあって、人間が人間であること、自分が自分であることの本質ってのはいいたいなんだろー、魂なのかそれとも思考なのか、あるいは本当に記憶の集積でしかないのかってな疑念に頭をぐるぐるとひねり回される。そんなシチュエーションをストレートにではなく、シンクロしていたはずの思考のズレを切り口に描き出して見せる筆さばきといったら、鮮やかであり見事とゆーより他にない。「貸金庫」の奇抜さも表題作「祈りの海」の遠未来の宗教像もアイディアと思索が結びついてほどよい読み心地を与えてくれる。僕がSFで苦手にしている”カガクノチカラ”がまるありきの話とゆーより、科学では御し切れなかった部分での人間の凄みみたいなものが描かれているのが気持ちにフィットしたのかも。他の短編がどーなってるのか分からないから判定は保留、けど結論は変わらないと思う、これは良いものだ。

 たぶんこれも良いものだろー「20世紀SF2 1950年代 初めの終わり」(中村融・山岸真編、河出書房新社、950円)も届く、こっちは「電撃アニメーションマガジン」経由。ディックにブラッドベリにゼナ・ヘンダースンにジェイムズ・ブリッシュにスタージョンにシェクリィにベスターにシマック、と書いているだけで興奮が背筋をはい上るメンバーを揃えたおそらく最強の短編集だと思うけど、海外SFに積極的じゃない身では名前は知っていても案外と未読の短編が多くって、それはそれで恥ずかしいことと自覚はしながらも、世界が今も愛し続ける黄金の1950年代のSFの中のとてつもなく凄いところを今、まっさらな気分で読める贅沢の方を心から喜ぶべきだろーし、その喜びを多くに分け与えることが、どーせ全部読んでるんだもんねー的反応をして悦に入れない僕に出来る、SFへの最大の貢献だろーと思いどこかで取りあげることにする。

 たまたま早川から「2001」ってなSF作家クラブのメンバーが集まって作った短編のアンソロジーが出たばかりだし、黄金時代に新世紀、でもって現代最高の短編集が集まったところで1つ括ってみるのも1つの手かも。ついでに2つに顔を出している山岸真さんを讃えて、SF翻訳家の仕事ぶりのいったんがギャグだか誇張だかは不明ながらのぞける篠田節子さん「永遠の恋」(朝日新聞社)も混ぜてみるってのはどーだろー、ズボラでキャリアな美女と結婚できるかもしれないってSF翻訳の道に踏み込む若者がグンと増えるかもしれないし。そーいえば前作の「1940年代」ではMAYA・MAXXさんだったイラストは今回はヒロ杉山さん、プロレスラーの、って違うそれはサンダー杉山。ヒロ杉山さんは確かキムタクのイラストとか描いてた人ですね、「スーパーフラット」展にも作品並べてた。つまりは最近の良い所をイラストで並べる企画って意味でも、今後の展開が楽しみです。

 六本木にロビーナちゃんを見に行く。すでにロビーナちゃんの格好じゃなく、かといって新しく演じる黒井ミサの格好でもなかったけどその代わりにスレンダーなボディを体にフィットするドレスで覆って登場してくれた加藤夏希ちゃんの、日本人離れしたエキゾチックな顔立ちと天然ボケなコメント立ち居振る舞いに、もうどんな演技をしてくれよーと作品がアレであろーとお兄さん全然許してしまえるってな気分で、復活なった「エコエコアザラク」の新作を見る。許すってことの難しさを知る。神様って偉いなあ。いや個人的には加藤夏希ちゃん演じる黒井ミサが、最初はごくごく普通の根暗っぽい女子高生だったにも関わらず、ある日誘われたクラブでナンパされ山に引っぱり込まれてヤられちゃいそーになって、思わず叫んだ「イヤ」が招いたこれぞ典型的「イヤボーン」、悪魔が来たりて笛だか太鼓だかを吹いたり叩いて見せる展開をそれほどイヤとは思わない。

 彼女を追い回す刑事の執拗さ、視聴率競争のためなら嘘でも本当にしてしまうワイドショースタッフの傲慢さにはいろいろと考えさせられることがあったけど、そうした周囲の無理解が結局は「イヤボーン」を招いてしまう展開もさほど不思議とは思わない。とゆーか実に当たり前過ぎる展開で、その火中にどーして黒井ミサって少女が巻き込まれざるを得なかったのか、家族関係なんかから類推するに決して偶然ではなかったんだろーけど、そのあたりの背景の説明が著しく不足していて、確かにパンフレットにあるよーにミサの「覚醒」がテーマなんだけど、その「覚醒」を必然と受け止めるだけの情報を得られなかったのが引っかかる。あと彼女を「覚醒」させよーとしている得体の知れない意志みたいなものの手がかりがあんまり得られなかったことも。

 ミサを追い込むワイドショーのディレクターを演じる遠藤憲一の怪演はなかなかで、ワイドショーのイヤらしい部分を全身全霊表現していて関係者が見るとイヤーンな気持ちになるかもしれないけれど、そんなことでイヤーンな気持ちになるくらいなら今頃ワイドショーなんて作ってないだろーからやっぱりカエルの面になんとかかも。ミサを現実に引き戻そうとする精神科医の光石研も面白い役所ではあるんだけど、魔女だって言われて恐れられているミサに逃げるな見返すんだと行って学校に送り込んで良しとしている無鉄砲さはミサにとって可哀想な気が。まあ魔女刈りなんてひょんなことから起こってあとはエスカレートしていくばっかりなんで、精神科医が出刃って周囲を説得しても無駄だったんだろーけれど。

 そんな中でやっぱり美しかった加藤夏希ちゃん、真剣になった時の眼差しだけなら本当に人の心を惑わせる魔女を思わせる凄みがある。トロい喋りが最後に1瞬、ドスの効いたものになった時の嬉しさは、黄門様の印篭にも見られるパターンならではのカタルシスに近い。LDは持っているけどあんまり見たおとのない吉野公佳ミサともテレビシリーズのLDボックスも映画版のLDも持ってる佐伯日菜子ミサとも違う、可憐で淫靡なミサ像を作ってくれるかもしれない。まあ今回のはどう見たって「覚醒」までのプロローグでしかないんで、今後もしも作られることがあるんなら、背景説明とかちゃんとしてくれた上で、周囲の悪意に翻弄されているよーに見せかけて実はそんな悪意を増幅させて最後にせん滅してしまう、被害者面して実は1番加害者とゆーまさしく魔女な「黒井ミサ」を描き出していって下さい皆さん。

 会場で見かけた添野知生さんに正面から挨拶されて名乗られるまで誰か分からなかったのは顔覚えの悪さもあるけど添野さん長髪バッサリで何かフツーの休日なパパみたいな雰囲気になっていたせいもある、眼鏡なんかかけてたし。そーゆーこっちも帽子を脱ぐと途端に分からなくなる人続出だろーからあんまり人のことは言えないんだけど。帰宅して「フリクリ」第5巻「ブラブレ」はキツルバミちゃん胸ユレでなかなかだったりしたけどやっぱりバニーガールの空中戦に30前後なSFっ子たちアニメっ子たちは心燃え(萌え)るものがあるでしょー、「DAICON4」とか思い出しながら。ルパンのパロディにサウスパークのパロディもあって全編パロで通して話し進まずか? なんて心配も無用に話は勝手に着々と進んでどーやら次巻は無理でもどーでも最終回の大団円、いよいよ明らかになるすべての謎はやっぱり謎のままなのか、期待を膨らませつつ21世紀の訪れを待とう。ニナモあんまし可愛くないなあ。


【12月19日】 強制ダイエット中、って訳じゃなく風邪で熱が38度近く出て、まあ普段から37度近く平熱があるから38度くらいはどーってことないんだけど、いっしょに付いてきた腹痛の方がなかなかで真夜中に目覚めては脂汗流しながら七転八倒もだえ、じゃなくってもがき苦しむ始末。明けてとりあえずはおちついたものの依然つきまとう違和感に固い物油っこいものは食べられず、昼は缶入りカロリーメイトにせいぜいがサンドイッチ、夜は病気の時の定番メニューと化しているアンディ・ウォーホルも作品に御用達なキャンベルスープをすすって凌ぐ、あとは熱冷ましに生姜湯黒砂糖入りとか。2日目に入っても熱こそ引いたものの腹具合に改善は見られずやっぱり昼はカロリーメイトで夜はキャンベルのクラムチャウダー。これを1週間続ければ結構なダイエットになるのかも。でも腹痛が直った途端に昔ながらの油油な食生活に戻るだろーことは必死で、直って欲しくないとの思いもチラチラ、けどやっぱり貪り喰いたいとゆー願望もひらひらで葛藤の中を七転八倒する世紀末でありました。

 前段とはとりたてて繋がりはないけれど、最新号の「SIGHT」第6号の対談「青山真治×東浩紀×阿部和重」のさんちょっと丸いかも。青山さんは身長結構あるしかのパタリロが甘食ホッペを隠す時に頬に髪をたらして見せたよーに長髪が大きさをカバーするから良いんだけど。たぶんロッキング・オンの編集部だかあるいは別の所かもしれないけれど部屋の中で撮った写真だと椅子に座って伸ばした脚のパンツが細身なのか太股あたりにひっぱり皺が出ちゃってる。対談の方は3人とゆーこともあるし青山さんと東さんのブリッジに阿部さんが入っていることもあって、8対2とかいった関係にはならずほとんど均等に、それぞれが含蓄のあることを言ってくれていて「EUREKA」の世界を見る上でとても参考になる。青山さん本人もクラインクインの時は気付いていなかったとゆー「太陽を盗んだ男」とのネットワークの有無、愛の形なんかを切り口にした対比とか。

 あとデータの集積による物語の見え方の話とかは、最新号の「論座」と「小説トリッパー」の東さんの文章ともリンクして、今の世界モデルを説明する時の例になってるかも。話を受けた青山さんが「Helpress」から「EUREKA」へと進んだシリーズをデータベースの例えで説明していて、さらに阿部さんの「無常の世界」をデータベース的な入れ替え自由の発想で映画化するって言っていて、さてはてどんな映画に仕上がるのかがちょっと楽しみ。でも「EUREKA」でさえよーやく公開ってな日本の映画興行事情からすると、青山さんが撮っても果てして何時になったら見られるのか、その頃に阿部さんって小説家の名前がどこまで浸透しているのかって辺りがちょっと気になる、ただでさえ寡作だし。まだまだ権威を重んじる日本、「シンセミア」とか完結してて芥川賞とか撮ってたら映画も直ぐに公開とかされるんだけど。

 とか言いながらも映画業界、新興勢力が割って入る余地はまだまだ多分にあるよーで、聞いた話だとこの2000年、独立系では新興のギャガ・コミュニケーションズが洋画配給で全社中の2位に入りそーだとか。1位は「Mi:2」のUIPだけど「グリーンマイル」に毀誉褒貶あれどシュワちゃんは格好良かった「エンド・オブ・デイズ」を当てたギャガがその次の座をゲット。ブエナビスタとかワーナーとかソニーとかFOXとかいったメジャー系も東宝東和とか日本ヘラルドとかいった独立系も上回っての2位は、創業してからようやく15年とゆー会社にしては、でもって老舗の権威が何よりもモノを言う(映連なんて潰れてナムコの中村会長が買い上げた日活、なかなか入れてもらえないんだから)映画業界にあってやっぱり快挙と呼ぶべきことなんだろー。来年なんかメル・ギブスンとかブラッド・ピットとか「ハンニバル」とかいった大所を配給予定で「マスク」に「JM」に「セブン」で喜んでいた時代も遠くになりにけり。そこで有頂天になったらダメなんだろーけど、単館向けで「キャラバン」とか良作を掘り出して来る目利きぶりを見せてくれているから、しばらくはそれなりに影響力と存在感を見せていってくれそー。「エコエコアザラク」の新作も面白いといーな。

 こっちにも登場の青山真治さんは2号連続ながらも対談相手を替えて「サイゾー」2001年1月号所収の「m2われらの時代」のm1号(それとも2号?)、宮台真司さんとやっぱり「EUREKA」について語ってる。宮台さんが指摘する「脱社会的存在にとっての人づきあいとは何なのかという問題」を感じさせる映画との評はなるほど至言、誰に癒されるでもなく傷ついた人たちがその中で考え葛藤し自問している様に答えを押しつけられない楽さがあったよーな気がする、見てからもう長いんで何とも言えないんだけど。あと自意識まみれの映画が多いなかで割と淡々として肯定も否定もない展開となったことについて宮台、青山の双方から意見が出ていて、これまた二体「EUREKA」を見る時の参考になりそー。実のところ映画自体は何の先入観もなく、もちろん過去あまたあったねたばらしに一切触れることなく、映画の展開を先読みせず流れる時間とシンクロしながら変化を肌で感じてもらうのが良いんだけど、情報過多のこの時代にそんなことは不可能だろーから、この対談程度なら頭に入れて見るといろいろ読めて良いかも。

 をを、ウガニクさんってこんな顔してたんだ、と驚きつつ読む「SPA!」12月27日号の恒例「裏ベスト10」の中の「パンチラアニメ・漫画0」、なにかと話題になってる「学校の怪談」をトップに持って来るあたりが、らしいと言えばらしいかも。アニメについては「アニメージュ」でも双璧にあげられた「HAND MAIDメイ」に「まりんとメラン」がそれぞれ2位と6位にランクイン、ほか最近でこそ減りつつあるよーな気もするけれど第1回目は素晴らしかった「トライゼノン」も9位に入って押さえの10位で何故か実写の「ピンチランナー」。これは流石に見てなかったんでビデオでもレンタルして来よー、あるいはDVD出たら買うとか。漫画は今さらな「BOY’S BE」は入ってないけど「ラブひな」は入っていたりと趣味によって違いが出たか。しかしやっぱり素晴らしそーな「メイ」のパンチラ、例えこれだけしかないアニメだと言われよーともこれだけあれば十分じゃん、なんて志の高いのか低いのか分からないことを思ってしまう。DVDはこっちが先だな。

 別のページにはヤングアダルト選びで別の誰かも出ているよーでギャフンして下さい、ちなみに写真は家でデジカメで自分で撮影、したんでほら左肩がちょっと上がってるでしょ。去年は「裏キャラクター」で登場したけど今年はキャラクター企画じゃないのか、なんて思っていたら別のページに「OL200人が選んだ企業キャラクターの人気と”実力”大研究!」って企画が。今さら感のある「バザール」がそれでも1位となっているのはあるいは企業で使われているパソコンにNEC製が多いのか。2位の「くまのバンクー」もネタ的には「バザール」と被ってるからあーゆーどこかドジっっぽいキャラがOLには好まれるのかもしれないなー。

 3位は「ペコちゃん」だけどもはや「ペコちゃん」って不二家のキャラを抜けて全国区化、一般化してるからなー、あと4位の「モモ」も。6位の「どーもくん」は半ば国営放送が皆様の受信料を使って全国区的にタレ流し続けたお陰もあってのランクイン、ある意味1番売出し資金のかかってるキャラかもしれないんで入って当然か。日本一ぜーたくなキャラ「どーもくん」、続くのはBSデジタル宣伝してるCG姉ちゃんか。それにしても「OL200人が選んだ」って企画に登場しているキャラコレクターが流通の1人を除いて大学講師の夫に主婦の妻にフリーライターってのは何故? そのフリーライターはアニソン魔女だったりするしなあ。取材ってやっぱり大変です。


【12月18日】 「bk1」が個人サイトの提携開始。個人のボランティアな意欲を企業が組み上げるってシステムは、例えば本以外の食品とか化粧品とかいろいろな商品なんかにも適用されていく可能性がああるだけに、正否はともかくどんな展開になっていくかは興味深い。個人的にはあんまりリンクもはってないし読者投稿なんてしたのも皆無だから50人の限定のところに応募したら抽選で落ちるだろーことは確実、なんでまあ、今回はちょっと参加表明を見送って、どんな人が参加してどんな紹介の仕方をするのか様子を見ることにしておこー。仕事がら、アマゾンをはじめいろんな本のオンラインショッピングサイトに取材することもあるんで、仕事から離れて個人でやってるサイトでも、なかなかに1社専属って姿勢を打ち出しにくいってこともあるし、未だ手打ちのタグ書くのが面倒ってこともあるし。

 分からないことが幾つかあって、例えば複数のサイトにダイレクトリンクを張る人もいるけど、1社専属にならなきゃいけないんだろうか。もしも1社専属になったら還元率が上がるとかってんだったら頑張っちゃいそうな人とか結構出て来そー。あと同じ本をそれこそ何10人も推薦していている場合、還元される3%のポイントってのは全員に配分されるんだろうか、それとも3%をさらに均等割りするとか。あんまり隙間を狙いすぎて紹介したものの本が動かず利益還元いっさいなしってパターンも想像できるけど、だったら売れる本ばかかりを紹介して3%の均等割りでも良いから何からのリターンを得たいって人ばかりになっても多様性がなくなってちょっとつまらない。あんまり売れない本も不味いだろうけれど、紹介すればちょっとくらいなら動くかもってな本の書評が個人の感性でもってどんどんと出てくれれば、裾野が広がって基板も確立されて面白い状況になりそーなんだけど。とりあえずお手並み拝見。

2000年に出た本の中で印象にのこった作品を作家・評論家らに選んでもらうトーハンの年末恒例アンケートは、漫画家の花輪和一さんが刑務所での体験を克明に描いた「刑務所の中」(青林工藝舎、1600円)がマンガなのに見事一位を獲得する。挙げていたのは評論家の四方田犬彦さんとか唐沢俊一さん、画家の林清一さん、イラストレーターの南伸坊さんといった面々で、ヒットしていた層の世代とか雰囲気とかが何となく伝わってくるメンバーかも。内容の凄まじさもさることなら、メモ1枚残せない刑務所の中を記憶だけであんなに描ける一種の執念めいた部分に、一癖も二癖もある年輩の本読みたちも感銘を受けたんだろー。角川春樹さんにも書いてもらいたいけど、前と一緒だと俳句になっちゃいそーだからなー。

 2位は松浦理英子さんの「裏バージョン」(筑摩書房、1300円)で「刑務所の中」も一緒に押していた芥川賞作家にして仏文学者のの松浦寿輝氏は「セクシャリティの、知の、監禁制度の、”裏バージョン”を鮮やかに描破。表と裏の対立の構造を揺るがせようとする挑発の書」ってな評価を贈っている。未読だったけどちょっとは読んでみよーとゆー気が起きてくる。3位は三浦哲郎さんの「短編モザイク3 わくらば」(新潮社、1500円)で4位も新潮社から出たベルンハルト・シュリンクの「朗読者」(1800円)で5位も「羊たちの沈黙」の続編として期待を集めたトマス・ハリスの「ハンニバル」(新潮社)と新潮揃い踏み。漫画で音羽一ツ橋が先を走ろーと建物が新しくなっていて前を通って驚いた文藝春秋が「文春」でジャーナリズムの場で地歩を築こーと、伝統ある新潮の文藝はやっぱり強いってことなのかも。週刊誌がアレだけど。

 アンケートの中で目立ってる人で言うなら笙野頼子さんが横田創さんの「<世界記録>」(講談社)と鹿島田真希さんの「レギオンの花嫁」(河出書房新社)を挙げていて文芸硬派ぶりを見せている。SF関係では大原まり子さんが「ハンニバル」に漫画の「エロイカより愛をこめて」の後は2000年SF定番的な菅浩江さんの「博物館惑星」(早川書房に森奈津子さんの「西城秀樹のおかげです」(イーストプレス)と続いてなかなか。ミーコ姫もご機嫌麗しい倉阪鬼一郎さんは「山尾悠子作品集成」(国書刊行会)が1番に上がってて同じく巽孝之さんも「山尾悠子作品集成」を1押し。巽さんの2位「目かくし」(シリ・ハストヴェット、白水社)とか「メランコリー・ベイビー」(高泉淳子、工作舎)とかは未読なんでちょっと関心に止めて置こう。しかし総勢128人、それぞれの分野で一家言持つ人たちを幅も世代も広く選んでいる関係で、いろんな本が分かって嬉しい「ベスト企画」かも。ガチンコな票ばかりが集まるベスト企画よりも、こーゆー票が割れる奴の方が個人的には面白いんだけどなー。もうすぐ発売の「SFマガジン」の年間ベスト、さてどうなっていますことやら。

 「文春ジャーナリズム」の旗手になるかと思いきや「マルコポーロ」問題で一転四面楚歌な身に。ついたケチを引きずっているのかそれともついたの注目度に圧迫され続けているのか、朝日新聞社から角川書店へと渡り歩いていた花田紀凱さんが最後の骨の埋め所に選んだのかどーかは知らないけれど、「宣伝会議」って広告の専門誌を出してる宣言会議から出た「映画館へ!」とゆー新しい映画誌の編集長に就任してはいろんな企画を打ち出している。例えば特集の1は「おすぎvs吉田真由美 2001年正月映画ここまでいっていいかしら」ってな映画会社には戦々恐々物のタイトルで(中身がどーかは読んでないから不明)、ほかにも人脈を使ってか北野武VS百瀬博教のロング対談を掲載したりとそれなりな充実ぶり。雑誌が習慣的に読まれる上で個人的には大きいと見ている細かいコラムあたりが一体どーなってるかが分からないだけに勝ち残れるかは分からないけど、8万部なんて発行部数を出してるくらいだからそれなりな中身があるんだろー。最大の関心事は西原理恵子さんの「鳥頭紀行」がいつ載るか、だな。花田さんと並んで雑誌渡り歩きな渡邊直樹さん、今は中公だったっけ読売だったっけ、落ちついたことろで改めてな対談なんかを読んでみたいものであります。


【12月17日】 21世紀で初めてとなる「第40回日本SF大会」の参加受付票が届く、アドレスが格好良いっすねー。しかし21世紀と言えば20世紀に読んでいたSF作品の中の未来、SFが見せてくれたセンス・オブ・ワンダーがすべて現実のものになっていて、宇宙は旅してるわマクロスは落ちて来ているわインパクトはセカンドだわってな中で毎日を楽しく過ごせていたはずなのに、そんな21世紀に入ってもなお「SF」なんてものが命脈を保っていて、未来を想像しては吃驚仰天し続けていなけれなならないとは思わなかった。SF作家の想像力が世紀をはるかに超越していたのか、それともSFをリアルなノンフィクションへと変える科学がいまひとつだったのかは悩むところだけど、おかげで21世紀もしばらくはSFを読み感じながら吃驚仰天できるってことで、たとえ科学は進歩していなくても夢見続けていられることの方を喜ぼう。SF万歳。

 20世紀でもっとも有名なアニメソングはと聞かれて「こんなこといいな」とか「おさかなくわえた」とかってな歌詞が即座に出てくるよーな人とはあんまりお友達になりたくないし、「なんでもかんでもみんなー」と歌い出された日には目の下に筋が4、5本すーっと下がってしまいそーになるけれど、だからといって「さらばー地球よー」ってのが真っ先に出てくるよーだとアニソンにかけるコダワリも人並み外れて強い人だろーからやっぱり友だちにはなれそーもない。むしろ歳も歳だろーからアニメファンの先達として尊敬を捧げるに相応しい人って感覚が先に立つかもしれない。同時代感覚だとやっぱり「もえあがーれ」とか「真っ赤なバラはー」とかって感じになるんだよなー、あとやっぱり「ごめんね素直じゃなくて」とか「ざーんこーくな」とか。「宇宙戦艦ヤマト」はそれだけ偉大すぎるのです。

 それでも冒頭の、聞くところによると唄が入ったスロー調のと超有名なイントロで始まるマーチ調のと2種類あるそーなんだけど、やっぱりあの「チャンチャカチャンチャカチャチャッチャチャーン」ってなマーチが始まると、気分が一気に20年以上は軽く向かしへと連れ戻されてしまうから、上は40過ぎから30代、20代を通じてもっとも遺伝子刷り込まれ率の高いアニソンであることには違いない。「ヤマト」に「機動戦士ガンダム」に「新世紀エヴァンゲリオン」が各世代を代表するアニソンになっているとしても、全世代通じてだったらやっぱり選ばれるのは「ヤマト」であり、従って20世紀を代表するアニソンとしてささきいさおさん歌うとろこの「宇宙戦艦ヤマト」を挙げるにやぶさかではないし、おそらくは反論もないだろー。かろうじて唱えられるとしたらそれは「真紅なスカーフ」ではないか、ってな意見くらいか。

 それほどまでに偉大なアニソンの両曲が、まさしく20世紀が終わろうとしているこの時期に、ささきいさおさん本人の口から鳴り渡る歌声で、眼前でもって鳴り響く貴重にして重要なイベントがあったんで秋葉原へと出向く。ソースネクストのタイピングソフトに「宇宙戦艦ヤマト」が加わったってんでその発売を記念するイベントがラオックスのホビー館(ほびー・やかた)6階で開かれていて、それをのぞいて来たってのが正解。まさに世紀の掉尾を飾るに相応しいイベントだけあって、場内は用意された椅子席はほぼ満席で(まあ50人もいたかいなかったかって所だけど)、さらに女性もいれば若い兄ちゃんもいるといった具合に決して今は壮年な「ヤマト」主義者ばかりじゃないってこともあって、改めて「ヤマト」の偉大さを知る。

 登場のささきいさおさん、テレビなんかで見るよりスリムなスタイルで背も高く、スラリと伸びた足をジーンズて包んで軽快な足取りで舞台へと登場、「まだ波動砲打つまでは行ってないんだよね」といった話から「質問があるなら何でも喋るよ、ただしプロデューサーのこと意外は」と場内を爆笑させるお茶目な話までを気軽に披露。制作の進んでいるらしー次回作でも幾つか代案は出たものの落ち着かず結局決定した従来どおりの「さらば地球よ」で始まる「ヤマト」のテーマを、ささきさんが歌うことになった話も喋ってくれて、佐々木功演じた斎藤十三の子孫も復活するよーなストーリーの中で可能ならば声もやりたいってな意欲を見せてくれた。ただし「20年近く出してなくって気が付くとスタローンになってるんだ」ってな冗談なのかマジなのか区別の難しい話もあって、そー聞くとなおのこと「タイピング波動砲」もやってみたいし、次の映画も観てみたくなる。ちなみに「タイピング波動砲」でも散々っぱら解説役を務めてくれる真田さん役の青野武さん、何か喋りが車探偵長or天地の父ちゃん&爺ちゃんorまる子のじじいっぽい、歳が歳だしなあ。唐突だけど長良真里(誰だ?)、青野さんところにいたのかあ。

 しかしやっぱり感動するもんだよなあ「ヤマト」&「スカーフ」。去年のアニメ紅白歌合戦だと遠くからだったんでよく分からなかったけど、目の前でちゃんと声出して歌われるとあの腹の底から鳴り渡る声が狭い会場内いっぱいに響いて涙が出てくる。「スカーフ」の「ララララーラララ」ってな当たりでジンとにじむ涙とか、「スカーーアフー」と引っ張るあたりでのマイクを口から遠ざけてもなお響く布施明も真っ青な声への感動とか、基礎しっかりな人が見せてくれる至芸に短い間ながらも酔いしれる。そして主題歌。マーチで高まった高揚感は「さらばー」の声で一気に破裂し、クライマックスでは気持は10代、髪薄くなったけど体重増えたけど10代の頃へと戻って心の中で声援の拍手を贈る。来てよかったなあ。世紀を越えて動いている企画だけに来世紀にもまた会えそうだけど、20世紀の締めに20世紀を代表する唄を目の前で本人の口から聞けたことは、20世紀中でも最大級の貴重な経験として長く記憶に止めておこう。

 秋葉原を出て鉄道博物館の前で20世紀に残る偉大な交通手段ともいえる新幹線を見物したあと小川町方面へと歩く。途中でもしかしたら知ってる人とすれ違ったかもしれないけれど違うかもしれない。交差点の向こうに何やら「ブックオフ」もどきが出来ていたんで入って観察、すでにしておそらく良いのは古書な人たちによってむしり取られた後だろーから掘り出し物探しってよりはよみたい本探しに注力。神林長平さんの光文社文庫から出た「宇宙探査機迷惑一番」とか「ルナティカン」あたりを救出しつつ、今は亡き海越出版社から出ていた川本俊二さん、といってもおそらく誰も知らない青春系な人の「ジ・エンド・オブ・ハピネス」をゾッキな中から抜き取り、あとは倉橋由美子さんの短い話の集大成なんで手軽に読めそうな「倉橋由美子の怪奇掌篇」(潮出版社)ってのを拾って帰る。マンガは2階にあって新しいところが結構抱負で立ち読み自由なんで行って時間つぶしには最高かも。会社からだと駅1つあるけど抜け出して来ようかな。しかしご近所に白泉社もあるのになかなか剛胆なこってす。


【12月16日】 何か眠い。病気かもしれんと思うほど眠くって午後も10時を過ぎた辺りから眠気が襲って椅子から脚をベッドに伸ばして頭は椅子の横に座面の高さまで積み上がってる本の山ってゆーか海の上に置いてそのまま睡眠、気付いたらしっかり朝でいやになる。それでもちゃんと日記は書くのはサービスサービスゥ(死語、でも新刊出たから良いじゃん「新世紀エヴァンゲリオン」発売中)だったりするから欠かさず更新、しまった昨日記者会見に行った「インパク」の話を書くのを忘れてしまったよ。例の糸井重里さんに荒俣宏さんに浜野保樹さん八谷和彦さんが決まっていた「インパク編集長」の座に新たに何人かが追加されてメンバーを見ると入っていたよネットから生まれて今や雲上人な田口ランディさんが。こちらはネットへと降臨めされた村上龍さんの名前が未だにないのは最近の「ネット人脈」的な流れから見るとちょっと不思議だけど、それはおそらくたぶんきっと、村上さんともあろー人ならその他大勢な編集長なんて座には相応しくもないってな実行委員側の配慮があってのことなんだろー、ってことは最後の最後に「インパク大編集長」とかってなカタガキで登場か。

 なんて妄想を燃やしつつ未だ寝ぼけた頭で本八幡の場末感漂う映画館へと久々に。最近はご近所だと「ワーナーマイカル市川妙典」ばっかだったし「ヴァージンシネマズ市川」も出来たこともあって人入りとか心配したんだけど、駅から近いってこともあるのかアーノルド・シュワルツェネッガーの新作「6デイ」は場末感漂う劇場の割にはまあまあな入り。緞帳の「中国ファンドは山一証券」の文字もきっと喜んでくれただろー。本社は消えても亡霊、じゃなかった怨念、でもなく名残はあちらこちらにあっ21世紀を迎えようとしているのです、だから成仏してね山一証券。さて映画はと言えばシュワちゃん当たり前だけど大活躍。すでにタイトルすら忘れている前の世紀末映画で内容はともかく顔だけはスリムになって男前なところを見せてくれたシュワちゃんが、さらに男前になって活躍してくれます、それだけでおすぎ大喜び、かも。

 クローンが可能になった時代だけど人間のクローンだけはダメってことになっていて、そんなある日ヘリのパイロットだったシュワちゃんが家に買えると何と自分とソックリな男が家族と誕生日を祝ってる。一体何があったんだ? ってなところですでに間違えてシュワちゃんのクローンが作り出されてしまったことが分かるんだけど、問題は本人の意識にいったい自分がクローンなのか相手がクローンなのかへの懐疑がないところで、ぶっ飛ばしていく物語は終始1人自分こそが本物だと信じるシュワちゃんの視点で進んでいって、クローン物にありがちな葛藤がないのが気にかかる小説だったら哲学的思弁的な深みをそこに見いだせただろー。が、その辺りを描き始めると見ている方もどっちがどっちか分からなってしまうから短い映画のなかでメリハリつけるのは当然かもしれない。

 ともあれそんなシュワちゃんがクローンを非合法に作り出した一味から追われ秘密を知り家族を人質にとられ反撃していくストーリーでドラマは描かれる。シュワちゃんにクローン野郎は自分とファックできるなと言わせたり脚を打たれた悪人に靴が高かったんだと叫ばせるギャグの涼しさはこの冬1番なんだけど、深いことを考えずに沸き立つアメリカの劇場ではきっとあんまり気にせず盛り上がってたんだろーなー。何度でも甦って来るオカッパ頭の美女はなかなか、あとシュワちゃんの娘の笑顔とか。メカ関係ではヘリコプターなんだけど突然バルキリーよろしく後退翼が出てジェット機になる乗り物が目茶カッコ良い。それをリモコンで操作するシーンとかがちゃんと伏線として絡んで来るあたりが辻褄とか深さはともかく面白さだけは負けないハリウッドの台本の醍醐味か。ともあれちゃんと2時間、楽しませてくれました、シュワちゃん好きならまあ、見ておいで。

 まま京成で上野へと出て評判の「バトル・ロワイアル」。小さい劇場で入りは9分、まあ上野だから当然で、これが銀座の本社とか新宿だったらきっと死人が出ても不思議じゃないほどの混雑だっただろーし、上野でも見終わって出た時には1回後の上映を見るために地下から上へと続く行列も出来ていたから出足は極上っていったところ。この状況をまたぞろ愚劣なマスコミが、石井なんとかって民主党の議員が国会で問題にしたから良い宣伝になったんだってな紋切り型の報道をして「映画ってやっぱり愚劣ですねえ」なんて風潮を盛り上げよーとしていたけれど(そーだよなTBS「ニュースの森」)、別に宣伝なんかしなくっても原作を読んだ人ならやっぱり来ますって、それが15歳未満だろーと以上だろーと。30万だか50万だか原作が売れていて、決して「バトル大好き」なって理由から評価を受けている訳じゃないって事実を、どーあっても国会で議員が問題にした「中学生が殺しあう映画」って1面しか伝えていないニュアンスだけをフレームアップしてぶっ叩きたいらしー(そーだったじゃねーかTBS「ニュースの森」)、困ったものです。

 だったらどんな映画だったかと聞かれれば、端的に言うなら「中学生が殺しあう映画」だったけど(オイ)、それ以上に分かったことは民主党の石井とかゆー議員が騒いでいたとーり、これはやっぱり「子供に見せてはいけない映画」だったってこと。何故ならこの映画、国が法律で定めさえすれば殺し合いだって正当化される、それこそ命令があれば戦争に行って死ぬことにだって従わざるを得なくなることへの反抗心を煽って国が愚民どもを管理し統制しづらくさせるよーな内容だし、自民党でもガリ勉でも強い物が1番でその他大勢は1番になった者たちには命を含めて従わざるを得ないってゆー今の政治なり行政なりが取っているシステムへの、大いなる懐疑を見る人へと植えつけて強い人たちが享受している権益を脅かしかねない、システムにとって危険な思想をはらんでいる。システムとか権益を代表するよーな国会議員さんが”子供を飼い慣らす上で邪魔な映画”ってな感じで反対するのも分かるよね。

 国が決めたBR法に諾々と従って平気で同級生たちを殺していく奴等の恐ろしさ。弱肉強食の掟が生みだし煽る他人を信じられない社会のおそましさ。マイルドな形にはなっていても、すでにそのニュアンスが浸透している今の社会のシステムを、映画とゆーメディアを通じて顕在化させて若い人たちに気付かせよう、そしてそれが適切かどーかを自分たちの頭で考えさせよーとする深作監督の深慮遠謀も、知恵の回る人たちにとってはあまりにストレート過ぎたのかも。そこで起こった「暴力的」とゆーキャンペーンは、システムの1部となって弱肉強食の社会を支える重要な一員となってるマスコミをも動かして、今なお続いているのであります。怖いですねー、恐ろしいですねー。

 もちろん「バトル・ロワイアル」が小説の段階から決して「中学生の殺し合い」だけじゃない、もっと強大な何かへの疑義を醸し出していたことは読んだ人なら分かることで、映画に合わせて発売になった「バトル・ロワイアル・インサイダー」(太田出版、1480円)に掲載された、「バトル・ロワイアル」が世に出る上で大いなる役割を果たした歌人、枡野浩一さんの書評「裏切られた気持ちで読んだ。」にも、「これってつまり、生徒たち全員が被害者で、むしろ生徒たちに殺し合いを命令している国家という大きな『敵』のこわさを描いた小説ではないか」って指摘がある。そのことを小説で知ってしまった子供たちがすでに何10万人といる以上、映画を暴力的だ何だといってコキ下ろしたところで「そーやって大人たちは僕たちを殺し合いの場へと連れて行こうとしてるんだな」ってことはバレてしまってるんだから、議員さんたちもご苦労なことです。騒げば騒ぐほど、その懐に隠した鎧が透けて見えて来ることに、いー加減気付きましょう。気付かずに騒ぐ議員に引っ張られているこの国、その尻馬に載って騒ぐマスコミに煽られるこの国ってのもそれはそれで問題なんだけど。

 個人的に1番感動したのはやっぱり眼鏡っ娘、野田聡美を演じた神谷涼さんのフトモモもあらわにした銃撃戦でのキレっぷり、でしょー。あまりの見目麗しさにワタクシ、野田聡美の見えそうで見えない谷間も拝める貴重なショット”だけ”を見たさに「バトル・ロワイアル フォト・ブック」(ワニブックス、1700円)を買ってしまいました。眼鏡っ娘万歳。あと歳くってる「メロリンQ」な山本太郎さんの実に見事な川田章吾ぶり。得体が知れず恐ろしげな雰囲気をたたえていた冒頭から次第に包容力のある兄貴へ変化した挙げ句の……ってな役を誰よりも年輩とゆー当人のプロフィール、関西発とゆーキャラクターによって完璧なまでに演じてくれていて驚く。深作監督が山本が出ないなら降りると言った意味、分かりました。BR法を施行することでどーして生徒たちが真面目になるのか、だいたいが施行してテレビで皆に法律の存在が告知されているにも関わらず全然学校が平常化していないじゃないか、ってな設定への根本的な疑問も浮かぶけど、それが映画の生むメッセージを損なうことはないから気にせず見よう。ちなみに15歳未満でも見ることができる方法は、「クイックジャパン」の34号64ページ、65ページに出ていまーす。


【12月15日】 またぞろ昂進してきた物欲がハンドヘルドPCを求めているんだけど相変わらずの優柔不断ぶりでPalmOSマシンにしようと選んだ後が続かず秋葉原を眺め歩く。知ってる人が持ってる「Visor」は悪くないんだけどスピードが早く確か「ATOK」も載ってる「Plutinum」が未だ店頭に出てなくって、だったらいっそカラーにしようかって思うと今度は値段的にソニーの「クリエ」と重なって来て、こっちは持ってる「エッジ」と接続出来るんだよなあと胸トキめくも我が家のソニー製品で5年の命脈を保ったことのあるものが皆無だったりする辺りに一抹の不安を覚え且つ、「スマートメディア」関係でカメラとレコーダーを揃えている所に紛れ込む「メモリースティック」の鬱陶しさにちょっとばかり躊躇してしまう。

 そんなところに入り込んでくるミニミニキーボード付きな新型「ザウルス」の馬鹿っぽさ。日本語を手書き入力できなきゃってことで関連ソフトを買えば出費もまだ上がり、ケースも良いのが欲しいと考えるとさらに何枚か1000円冊が積み重なって、そんなに出すんだったら昔憧れの「ファイロファックス」が何冊だって買えちゃうと別の物欲が入り交じって来てもう大変。「SPA!」の12月20日号掲載「手帳派VSモバイル派大論争」の企画を読みつつ転戦の範囲を銀座・伊東屋あたりにも広げてウィンドーショッピングに精を出すのであった。仕事しろよ。で、結局買うか買わないかってゆーと買わなかったって方に転がる可能性が大だったりするあたりも、これまた相変わらずの優柔不断ぶり、なんだけど。

 課題図書で島尾敏夫さんの確か子供、ってゆーか「女子高生ゴリコ」のしまおまほのお父さん、と言った方が若い人には話が早い、でも当人も写真家としてそっちの業界では名前が知られている島尾伸三さんの中国食べ歩き本「雲を呑む龍を食す」(NTT出版)をペラペラと。中国に行くと街角には揚げパンだかの屋台が出ていて町中には小さい食堂が幾つもあったりして、決して「なんとか大飯店」(ホントは飯店ってのはホテルなんだけど)ってな感じの回るテーブルが付いた美麗なレストランばかりじゃないってことが分かるけど、そんな小さな食堂から校門前の駄菓子屋から農村での慶事までを丹念に歩いて取材して写真も撮りつつ記録してあって、例えば端午の節句、あるいは中秋の名月といった季節のイベントに不可欠なちまきなり月餅の本場での様子とか事のいわれなんかにも触れて会って、旅行記として以上に中国食文化の民俗学的な記録としても役に立ちそー。

 笑ったのは66ページ。広州にあるスワン・ホテル(ここ泊まったことがあるかも、巨大な吹き抜けの豪華さが記憶にあるなあ)で「マホ(長女、当時七歳)」が隣のテーブルで青年たちが食べているピンクのアイスクリームが欲しくなって「それを絵に書いて、ウエイトレスに見せ、これを一個と注文」したとか。すると来たのは「彼女が書いた絵とは似ても似つかない、ストロベリーとチョコレートとグリーンの三つの色が重なったアイスクリームで吃驚。翌日も同じ店で今後はウエイトレスがはっきりと分かるよーに大きくていねいに描いて見せたんだけど、来たのは今度は「チョコレート・カスタード・プディング」だったとか。そこで島尾さん「彼女の絵が下手なのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。親である私たちでさえ、上手な出来ばえに満足し、これなら誰が見ても、まちがえたものを運んでくるはずがないと、信じたぐらいです」と書いている。

 お解りのようにしまおまほさんは「女子高生ゴリコ」のあの絵で唸るイラストレーター&漫画家でして、ってことは果たしていったいどんな絵を描いたのか興味があるところだし、同じ本の前段の方に中国ではひとりっ子政策で子供をやたらと可愛がる親の話が出てくるあたりを踏まえておくと、いくら「親である私たちでさえ」と言われても、逆に「親である私たちだからこそ」絵を上手だと思ったんじゃないかなあ、ってなことを考えてしまう。どっちでしょう。結局まほさんがピンクのアイスクリームにありつけたかとゆーと、今度は色を塗ってよりリアルにアイスクリームの描いてよーやくピーチ・メルバにありつけたとか。形だけではやっぱり伝わらなかったんだなあ、って小学2年生が描く色のないアイスの絵で判断出来たらそのウエートレスの方が凄いよなあ。しまおまほ7歳のエピソードでした。

 買ってあったけど課題図書できてダブりにちょっと泣くベン・ライスの「ポビーとディンガン」(雨海弘美訳、アーティストハウス)はアボリジニとか出てくるからオーストラリアの話なのかな。オパールの採掘場が近くにある田舎の街に済む一家の娘のケリーアンいは他の誰にも見えないポビーとゆー男の子とディンガンとゆー女の子の友達がいて、子供の遊びだと思ってつきあっているのか街の人はそんなケリーアンの連れの実在を信じているフリをしてご機嫌を伺ったりするけれど、どうやら兄貴のアシュモルはそれが気にくわないよーで、ことあるごとにケリーアンにつっかかる。父親もどちらかと言えばリアリストで、ある日突然ポビーとディンガンを信じたフリをしてオパール堀に連れていくフリをして置いて来てしまうフリをしたことろ、ケリーアンには2人がいなくなってしまったよーに見えて激しく落ち込んでしまう。

 最初は嘲っていたアシュモルもそんな妹に絆されたのか、あるいはポビーとディンガンを探していくフリとしていた父親に降り懸かったオパール泥棒の嫌疑を晴らすにはポビーとディンガンお”存在”を街の人に信じてもらわなくてはならなかったからなのか、妹の頼みを受けて一所懸命に二人を探して歩く。たとえ実在していなくっても皆が信じることで存在するよーになるキャラクターは例えばラジオでプロフィルを募って肉付けしていった「はがゆい」があったりするから分かるけど、わいわいとやっている間って、陰謀をめぐらす快感ともつながった結構な高揚感を味わうことができるもの。そんな共同幻想への快感に妹を喜ばせようとするアシュモルの健気さも加わって街中が動き出す場面では、人間の優しさみたいなものも浮かび上がって来てなかなかにジンと来る。街中の幻想に圧迫されて「王様は裸だ」と言い出せなくなる恐怖も一方にはあるけれど、「見えないものを信じることを知らないトンチキ」でいるのもつまらない。信じることの意味を知った上で信じることに酔う、そんな暮らしが出来れば世の中もう少し楽しくなるんだけどね。


【12月14日】 とある中小企業の社長が言いました。「おい、アメリカ合衆国じゃあブッシュってのが今度大統領になるそうじゃねえか、ウチも一応は世界をあいてに商売してるんだ、お世話になることもあるだろうから、挨拶替わりにブッシュに祝電を打っておけ」。そういわれて困ったのがお付きの秘書、「電報ったってアメリカに電報なんてどやって打てばいいんだろう、それよかいったいブッシュに祝電ってどこに出せばいいんだろう、大統領ってんだからやっぱりホワイトハウスかなあ、いやいやあそこにはまだクリントンとゴアが居座ってるから電報なんか送ったって鼻であしらわれるのがオチだよ。やっぱり送るんならブッシュってのが知事やってるテキサス州役場だろうなあ、えっとテキサス州役場っと、おいおいそーいやテキサス州の州都ってどこだよダラスか?」

 「まあいいやそれは後で調べるとして肝心なのは文面だよな、えっと『ご母堂様のご逝去を』……違うよ悼んじゃいけないお祝いだよ『お二人の門出を心よりお祝いします』……うーんちょと違うようだけど、大統領とファーストレディってことでまあ良しとするか、けどこれって英語でどうやって書くんだろう。サンプル文例集とかないのかなあ、それより相手の電話番号を知らないと電報って遅れないんだよなあ、聞いとかなきゃいねいなあ」。かくして秘書室長、104に電話して「えっとテキサス州なんですが州役場ってどこっすか」と聞きました。めでだしめでたし

 ここに挙げた逸話はゴアの敗北宣言にともなうブッシュの大統領就任確定を受けて全国の企業の秘書室で繰り広げられただろーことのまったくの想像図であって、決してどこにモデルがあるとかいったものではありません、悪しからず。ただ好意的に解釈するなら電報なんてあるんだろうかといった根元的な疑問にも、大統領が当選したからといって日本の1企業から電報を送るのが果たして適切なのかってことへの懐疑にも触れずにストレートにこーゆー発想が出てくるのって、ある意味並みじゃないスケール感があるよーな気がしないでもない。

 既成概念にとらわれない迫力の発想が例えば有能な参謀によって支えられ、より有意義な方向へと進んでいけばそれはそれで素晴らしいことが起こらないでもない。けどスケール感だけでは法螺と言われる恐れもある訳で、そのあたりの塩梅の聞かせ具合が偉大と異常を分ける分水嶺となるんだろう。紙一重の世界だなあ。ところで日本からブッシュへの祝電を打つ行為ってのは偉大と異常のどちらに果たして入るんだろうー、マナーに詳しい人に会ったら聞いてみよ。

 コミケカタログの角川春樹事務所の広告に大きく高瀬彼方さんの名前があって、ラインアップの中での内容面でも表紙の面でもコミケ的ってのはこーゆーことなのか、なんてことを考える。横は笹本祐一さんに麻宮紀亜さんだから案外そっちがコミケ的なのかもしれないけれど、銃を構えた美女と剣を構えた西村博之さん描く眼鏡っ娘、どっちがコミケ的? ファイナルアンサー。あと期待の作家陣ってところに凄い名前がゾロゾロと。野尻抱輔さん宮武一貴さん古橋秀之さん秋山瑞人さん田中哲哉さん(『猿あけ』はどーなった)岩本隆雄さん等々。もしも揃えば少数安定の朝日ソノラマ文庫とメキメキ台頭の電撃文庫に並び立つ新興ヤングアダルトシリーズになるんだけど。

 同じく新興の「徳間デュアル文庫」の方は小中千昭さんが継続でほかだと北森鴻さんにちょっと注目。12月発行でも浅暮三文さん青木和さん篠田真由美さんと織りまぜてのラインアップで期待は上場。「このミス2001年版」の座談会「狂犬3兄弟がいく!」に加わっていた大森望さんがミステリーの座談会の冒頭で放った「今年はSFの年ですから」って言葉が相応しい。これほどまでのラインアップが揃うほどに世紀末に盛り上がったSFの勢いは、少なくとも年の瀬を越えて来年までは確実に続くだろーから、こっちも商売の種には事欠かないで済みそー。皆様どうかドカドカ面白い話を書いて下さい、読んで読んでフォローしまくりますから。

 しかし「このミス2001年」、今年はベスト10のうちの4冊しか読んでなくってSFの隆昌に煽られてミステリーが疎かになっていたことを改めて実感。20位まで含めても6冊だし。海外編では漏れ聞こえていたよーに扶桑社から出たジム・トンプソンの「ポップ1280」が目出たくも1位を獲得で、数出している割にはメジャー感に乏しかった扶桑社の文庫も含めた小説関連部門がこれで歴史教科書界でも道徳教科書界でもなくミステリー界でそれなりなポジションを得ることだろー、6位にもマイクル・コナリーの「わが心臓の痛み」が入ってるし。2位の「Mr.クイン」(早川ミステリアス・プレス文庫)は海外の中でも珍しく読んでいた1冊、ノワールっぷりにファンが集まるのは分かるけど、構造だけなら冒頭と結末の部分だけを読んでいればそれなりに分かって案外とカタルシスも得られちゃたりして、だったら合間の何百ページって何だろー、ってな気になって仕方がなかった。こーゆー読み方ってやっぱ邪道かなあ、「Mr.クイン」は全部読め、ってのが教義なのかなあ。


【12月13日】 平谷美樹さんの「エリ・エリ」(角川春樹事務所、1900円)がまさしく小松左京賞に相応しい作品だとしたら浦浜圭一郎さんの「DOMESDAY」(角川春樹事務所、857円)はこれぞ小松左京賞佳作に相応しい作品で、残る1作もおそらくは小松左京賞に相応しい作品だとすると、来年以降は他に例え様のないくらい小松左京賞に相応しい作品が集まるんだろうなあ、なんてことを思ったほどに浦浜さんの「DOMESDAY」は「物体O」から「首都消失」へと続いた「閉鎖物」の流れを見事に組んだ作品で、プラス堀明さんの「梅田地下オデッセイ」も想像させて果たしてオマージュなのかそれともバリエーションなのかと読んでいて最初のうちは酷く悩む。

 それでもどーやら恵比寿ガーデンプレイスの端らしー場所に閉じこめられた人たちが、規模が小さいが故にポリティカルな部分から離れて生々しくも人間らしい部分で助け合ったり諍いを起こし合ったりしながら次第に達観していくプロセスを見ると、小松さんの壮大さとはまた違った身に近い部分での恐怖&希望が湧いて来る、そんな時貴方はどうするか? ってな設問への身の施し方なんかも含めて。ドームの意味についてなかなか突っ込んでいかず、それが目的でもないあたりに「SF」とするかそれとも特定のシチュエーションにおける一種の思弁小説と見るかが別れそうだけど、考えてみれば「物体O」だって「首都消失」だってたいした説明があった訳でもなく、異常な環境における人間の悲喜劇の部分にセンス・オブ・ワンダーを感じた口だから、これぞまさしく「小松イズム」であると言っておくべきなんだろー。

 野生が檻に入れられた時に感じるストレスを例えば人間が狭い場所に押し込められた時に感じるか否か、そのあたりは浅学ゆえに知らないけれど野生を理性で押さえられるのが人間ななんだとするならば、大音響とともに出現した直径376メートルのドームの中だけで暮らしていても、案外と人間生きて行けるのかもしれない。だいたいが人間は宇宙の中に今のところ生まれてからずっと孤独の中を生きて来た訳で、それを思えば狭い範囲でも人がいて会話があるドームの方がよりアットホームなもの。逆にいきなりドームが消えてなくなった時の、安定していた環境が崩れさって起こることの方が恐ろしい。小説自体の目的がそんな人間の「なれ合い」の心理を称揚するものかそれとも批判しようとしているのかも現時点では不明だけど、とりあえずはどんな場所でも生きていける人間の柔軟さへの賛辞だと思っておくことにしよー。

 日本を除く世界中で売れている、っ理由が果たして家庭用ゲーム機が流行り過ぎているからなのか、世界に冠たる漫画・アニメ大国の住民から見るとキャラクターがなんとゆーかアレ過ぎるからなのかは知らないけれど、日本主義を外して世界全体から見た場合、「トゥームレイダー」はやっぱり凄いソフトってことになるんだろー。その最新版が来月、PC向けに出るってんで記者発表に行く。世界が注目するキャラクター、ララ・クロフトの人形も持ち込んであって、相変わらずの太眉厚唇に巨大なバストを披露してくれていた。注目はゲームの中身よりも世界で最近公開が始まったばかりの劇場版「トゥームレイダー」のトレーラー公開で、見ると「ミッション・インポッシブル2」が「マトリックス」なアクションシーンが繰り広げられ、なかなか良さげな印象を受ける。

 アカデミー助演女優賞もとったことのある人が世界にファンを持つバーチャル美女(美女なのか? ってな疑問はとりあえず埋めとく)のララ・クロフトを演じていてそれなりな胸にらしさを覚え、派手な立ち回りに「女版インディ・ジョーンズ」とゆー分かりやすい説明の本当ぶりを感じ、知名度とも相まってヒットは多分間違いないだろーとの印象を持つ。問題はゲームの知名度がそれほどない日本の場合なんだけど、欧米で大ヒットってな情報に加えて来年早々からにでも予告編をガンガンと入れて盛り上げ全米の公開後の「大入り満員(予定)」情報に日本も煽られれば、秋公開とゆータイミングでもそれなりの客層を得られそう。そこからゲームへと回帰して一気に盛り上がっていく可能性も大。ララ・クロフトにシンパシーが湧けば、あとでゲームを見てそこに現れたCGキャラがズレた眼鏡にすごい目に眉、口を持っていたとしても、ちょっとした仕草表情にカワイサを覚えて感情の入れ物ににしてしまえるだろー、人間の美的センスなんで場当たり的なんだから。


【12月12日】 「メフィスト 小説現代1月増刊号」は東浩紀さんによる小松左京さんへのインタビュー、いつもながらの東さんマシンガントーク炸裂で、分量的には数えた訳じゃないけど小松さん3に東さん7かあるいは巻末の後期も含めると2対8くらい。小松さんがまた東さんの質問をはぐらかすってゆーか「逆に君それどう思う」と切り返しては相手に喋らせつづける「必殺! 小松返しの術」をあちらこちらで見せまくってるものだから、自然東さんの喋る量が多くなる。でもそこは小松さんだけあってはぐらかしているようで核心のさらに上を付く真理めいた部分へと話を広げていく話芸を見せてくれていて、適当な相槌を打って東さんに「小松さんは僕のことを敵だと思ってるでしょう」と言われなかったのは流石です。

 後期も含めて通して読むと対談というよりは東さんの一種の「小松左京論」。科学文学はもとより哲学神学社会学ほかさまざまな知識を総動員しつつかみ合わせ、世界全体人類全体を捉えた物語に仕立て上げる「総合知」を目指した小松イズムに対して、断片化した知識を細部までつきつめていく傾向のある人文科学の状況があって、それについてどう思うんだってな話から始まって文学としてのSFの可能性とかいった部分へとつながっていく展開は分かりやすくて面白い。断片化する人文科学の状況を小松さんに聞いた質問は、あれだけ読まれた「知の情熱」的小松文学が一時期パッタリと書店から姿を消した理由をニューアカとかポストモダンとかいった「知の技術」的状況との対比で探る意味でも面白そう、とか思ったけれど残念というかやっぱりというか、小松さんがあんまり明確な答えを出してなくって、あるいは本人そんな断片化も含めて人間の意識の発達の段階を「総合知」の中に折り込んでいたから別に気にもならなかっただけなのかもしれないけれど、そういった解釈も含めて「僕の課題」という東さんの答えが出てくることを期待しよう。

 古くメソポタミアの楔形文字に神への救済を訴える言葉が出てくる話も面白いけどそのすぐ後、小松さんが「僕自身はサルベーションは無いと思うけれども、サルベーションというコンセプトは脇に残しておきたい」(437ページ)と言っているあたりに、理知でもって人間を次の段階へと導こうとする小松さんの小説に流れている筋のよーなものが伺えて興味深い。東さんはそうしたサルベーションを未来像の中に見出そうとして「あり得べき未来の姿は」と聞いているけどやっぱり小松さん、「未来。どんなものだろうね」とここでも必殺技炸裂。「AEだって、いろいろコンピュータ屋に聞くと、二百五十年くらいの耐用年数しか作れない」と言われてしまうと科学によってサポートされたより深淵なるものへの探求にも限界があって、なんだか気分も萎えてしまう。けど一方では、サルベーションの形は未来への希望によって救われる方向だけじゃなく、個々人が内的な部分に救いを見出そうとする方向でもあり得るような気もしないでもない。

 その辺りを実に見事に描き出してるなあ、と思って読んだのがしりあがり寿さんの「方舟」(太田出版、1200円)。「クイックジャパン」の連載中も断片的に読み継ぎつつ、最終回で不覚にも涙して今また読み返してしゃくりあげている、グズグズ。突然降り出した雨がなぜか全然止まない中を、最初はそんなことあるはずがないと高をくくっていた人間たちが、次第に生き残ろうと必死になって歯磨きメーカーの作った方舟に載ろうとして争い、次に何かによる救済を得ようと祈り希望にかける姿を見せ、それでも結局は何事もなく滅んでいく、その「終末像」はなるほど一切のサルベーションを拒否しているように見える。

 「自由だとか夢だとか愛だとか希望だとか未来だとか人間だとかぜんぜんダメじゃん!!」と言って死んでいく男のラス前のエピソードなんてまさしくその通り。けど、最後、筏の上で語らいやがて「じゃあね」と言って静かに別れていく2人のエピソードには、何の救いも与えようとしなかったことへの怒りとゆーより穏やかに逝けたことへの羨望が浮かぶ。救いの形は誰かに与えられるんじゃなく、個々に見出していけば良いんだと言われているような気がする。考えようによっては、そうしたエピソードを描いたしりあがり寿さんを「終末」へのあたらしい教義を与えてくれる超越者として魂の安寧を得ているだけなのかもしれず、「誰かによる救いなんてないんだ」と言っている中身とは逆の状況が生み出されてしまっているのは何とも捻れた話だけど、とりあえずはそうしたメタ的な構造への探求を停止し、描かれた「神なき時代の救済の形」の一歩下がって味わいながら、この世紀末を迎えるとしよう。

 某「アエラ」に「ダメじゃん」と言われたことに腹を立てた訳じゃ多分ないんだろうけどソニー・コンピュータエンタテインメントが「プレイステーション2にはこんなにすっげーソフトがあるんだ」ってなことをメディアに見せつけるイベントが開かれたんでのぞく。なるほど「PS2にはすっげーソフトがこのくらいはあるのか」ってな印象は受けたけど、月に1タイトルくらいしか買わない大勢のライトユーザーだったら、会場に出ていた14タイトルだけで1年だって遊び切れないくらいの中身があって、今度は「PS2のソフトはこれだけでじゅーぶん」ってなメッセージだと見たくなる人が出て来そー。もちろん会場に集まっていた絵が綺麗になったたくさんの続編とか和風メタルギアソリッドとかいったソフトだけじゃなくって、一部に根強い人気とか、画期的とか実験的とかいった作品があってこその発展な訳だからソニーもおろそかにすることはないんだろーけど、行くところはどんどんと行き下はチョボチョボってな音楽でも見られる状況だけはやっぱり進んで行きそーな気がする。

 新作ではとりあえず「モーニング娘。」のソフトがあればオッケーって感じ? いやまあTVの中で「モー娘。」が踊っていさえすればゲーム性なんでどーだって良いんです、たとえにわか「モー娘。」ファンでも。あと「どこいつ」のトロが登場して街を歩き回る「トロの夏休み」、じゃなかった「トロと休日(仮)」とか。やっぱ虫取りとかするんでしょーか。鎧武者ハザードってゆーかメタルギア天誅ってな感じじゃんとか思ってた「鬼武者」もグラフィックの美麗さはやっぱりPS2ならでは。同じことは本邦初公開らしーナムコの「エースコンバット4」にもいえて、テクスチャーの山河の美麗さはまるで航空写真のよーです、航空写真なのかな。けど地面とかに近寄れば近寄るほどボケていくのはねえ、仕方ないとはいえ生理的に不思議です。うーんコナミのパラパラ、恥ずかしいからゲーセンじゃできないけれど家だと今度はコントローラーが広げられない。「ドラムマニア」だって箱に入れたまんま転がしてある部屋だし。でも「GT2000」のハンドルコントローラーは買ってしまいそー。部屋更に狭くなる。


【12月11日】 何の奇縁か員数合わせか有り難くも頂戴した「SFマガジン」の「21世紀、君こそSFスターだ!」企画向けに何故か漫画家さんイラストレーターさんばかりの説明文を書き送ったのが先月の末。幸いにして大がかりなリテイクもなく安心し切っていたのも束の間で追加の発注が来た上に、今月分も発売してないのに来月分の原稿が必要だってことで「電撃アニメーションマガジン」向けの書評コーナーを新刊中心ってことで「SFマガジン」とは全然重ならない作品でサクサクと上げたら今度は「SPA!」から去年の裏キャラクターベスト10とは全然違って「SFマガジン」ともやっぱり重ならないヤングアダルト系な人を教えてってな話が来て何人かをピックアップ。レギュラーの短評も押し込みつつ「TINAMIX」も日記からカット&ペーストしながら適当にデッチ上げて「SFマガジン」の追加分をこなしつつ漫画家なんて資料がないってことで本とかネットから略歴を探してメールして、最後は再びレギュラーな短評といった具合に怒涛の10数日を過ごす。あな恐ろしや年末進行。おかげで日記の分量減って……ないなあ。

 「SFマガジン」の「21世紀SFを背負って立つクリエーター100人一挙大公開!」は作家あたりはともかく漫画家にイラストレーターは自分も含めてリストを挙げた人の趣味関心がほとばしってて、あの人がいないこの人は抜けてるってな反論も来そうで今から白旗あげときます。ヤングアダルトの方も以下同文、あちらをたてればこちらがたたない中で毅然たる態度でのぞめる勇気が僕も欲しい。でもなあ、本ってやっぱり誰も彼も面白いんだよなあ。しかし25日発売予定の雑誌の原稿を今頃送っていて果たして間に合うんだろーかとゆー不安もこれありで(まだ出してない人もいるらしい)、「コミケ」だって今から刷ってちゃ間に合わない状況だったりする中で、果たして商業誌がちゃんと刷り出されるんだろーかと悩む、もしかすると刷ってる部数、コミケの壁際以下なのか。いやいやそこは創刊されて40年の老舗雑誌、きっと長く付き合ってる工場(こうば)があって「よっしゃ刷ったるでー」と活字を拾うオヤジがいるに違いない。21世紀の訪れを目前に21世紀の話を書いた雑誌を支える伝統芸、ああこれぞSF(どこがだ)。

 遠野一実さんの今んとろこ1番新しい作品「香る水」(集英社)の1巻をようやく見つけたんでこっちは見つかっていたけど話が分からないとイラつくから買わずにおいた2巻と纏めて購入、あいかわらず綺麗な絵を描く人だなあ、あと見目麗しさからちょっぴしズレた性格設定の見事さも。大型バスじゃないガス爆発で両親を失った女性が、足に結構な跡の残る火傷を追いながらも、自分を助けてくれたことで自分以上に酷い火傷を負ってしまった叔父の、金メダルすら嘱望されたオリンピック選手としての可能性を奪ってしまったんじゃないかと心の奥底で申し訳なく思いつつも、恋愛感情を育ませていくラブストーリー。叔父とは古い知り合いでつきあっていたこともあるらしい、中学生時代に金メダルを取りながらもその後はサッパリで、今は大学の水泳部のコーチをしている芯の強そうな女性も登場したりして、寄ったり離れたりな何とももどかしい男女関係を時にシリアスに、時にコミカルに描いてる。甲斐性なしの男の優しさに隠れた優柔不断さはやはり罪、なのだなあ。

 前に確かロフトプラスワンだかで久美沙織さんが登場した時のゲストとして登壇した少女小説界の女王、花井愛子さんが昨今の窮状を訴えていたのを聞いた記憶があるけれど、その時の話をさらに詳しく書いた「『ご破産』で願いましては」(小学館文庫、533円)が出てたんで買う。なるほど少女小説でピーク時には月1000万円の印税収入を得ていた花井さんが、使わない分を父親名義だかにしておいたのが後に大問題へと発展、父親の死去に伴う遺産相続時に自分以外にも相続の権利を主張する人が現れスッタモンダの大バトルへと発展してお金が動かせなくなったところに、出版業界に吹く不況の嵐がかつての女王の発行部数も激減させて、かくして日々の生活にも困るくらいの状況になったってのは事実らしいけど、本を読むとすでに凍結は解除されていていささか大きな金額を持っていかれはしたものの、まだまだそれなりな額を取り戻せたらしい話が書いてある。

 だったら何であの時に自己破産まで考えるくらいに来ているけれど手続きのためのお金が払えないんで自己破産すら出来ないってなことを言っていたんだろーと思ってよく読むと、なるほどかつての女王にも今はそれほどの需要がない上に、稼いだお金であちらこちらに不動産をローンで購入していた反動が加わって、相続のゴタゴタから取り戻した金額ではとても足りないローンを返さなくてはならない事態になっていたらしー。つまりはバブルの崩壊って奴で、その意味では非道な親戚の企みに陥れられた全面的な被害者って訳ではないのかもしれないけれど、例のゴタゴタの期間にまるっきり仕事ができなくなったことが、ブランクを作ってしまい後の人気退潮につながってないとも言えないだけに判断はちょっと難しい。

 とは言えすべてが片づいた訳じゃなく、競売にかけられてしまった自宅(とはもう言えないのかな)マンションから追い出される恐怖に脅える日々ってのもなかなかにシビアで、「死なずに済めばいいのですが……」という言葉がまるで冗談に聞こえない。突然の両親の死といい、失ってしまう仕事といい、ストレスの溜まりすぎによって起こった神経的なダメージといい、人が生きて行く上でいつ直面するかもしれない困難を、自らの恥も含めてさらけ出した覚悟の1冊。某週刊誌のコラムで描き続けられる、現役「借金の女王」のだからと言って今も変わらない散財ぶりがエンターテインメントにすら見えて来る。借金完済には焼け石に水かもしれないけれど、これが売れまくれば「死なずに済」んで続きも読める訳で、かつての花井ファンも含めて是非とも応援してやって下さいな、彼女が飼ってる猫たちの為にも。


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