縮刷版2000年11月下旬号


【11月30日】 雑記者な仕事の残り何本かを仕上げよーと思って椅子に座った途端に襲ってきた眠気と戦って勝利を収めて摺鉢山の上に星条旗を立てたぞ万歳と大声で叫んだら目が覚めて時計と見ると午前の7時でやんの、でもって膝の上に置いたまんまのラップトップパソコンの、立ち上げた一太郎の画面は真夜中に現れた小人さんのいたずらで完璧な原稿で埋まっていて、なんてことはまったくなくって真っ白いまんまでしばし呆然、今日が締め切りだったぞどーするとか思ったけどそこは慌てず心を落ちつけ、日記を仕上げて(そっちが先かい)原稿をでっちあげてメールして完了、さすがは締め切り魔王と自画自賛する。後がとてつもなく怖いけど。

 どっかで聞いたことあるよーな美輪山サスケさん改め、とゆーかこっちが仕事名前らしー今泉大輔さんって人の「IPOという選択」(翔栄社、1500円)を読む。いわゆるビットバレーってな辺りを中心としたイマドキのネットベンチャーにどーして株式公開したのさ? ってな感じで聞いて回った話を土台にネット関連企業の実像とか未来像を追った本で、サイバーエージェントにオン・ザ・エッヂにメールニュースいガイアックスにネットプライスに松山大河、ってな辺りのなるほどな名前が表紙に並んでいるあたり、ネットベンチャー称揚本かと思う人も多いだろーけど記事の方はいたって冷静かつ奥深く、それぞれに会社を率いている人たちの思いからヤッカミとか抜いた目でみた企業の将来性なんかを指摘していて、読んでいてそれなりに参考になる。

 オン・ザ・エッヂお堀江貴文さんが頼まれて分けてあげた株を公開直後に売られてしまって「あれにはしびれました」となかなかな言い回して気分を表明していたあたりとか、企業が立ち上がっていく部分での起業家のモチベーションのあり方とかは表面の現象を主になぜまわして中身はどーだって良い新聞的な取材では、あんまり出て来ない部分なんで面白い。IPOして大金持ちになってもド派手な暮らしをする訳でもなく「紙に『一億円』と書いてある。それだけですよ」と売れない持ち株の株価なんて気にしていられない心情を汲み取っていて、世間がいうよーに成金野郎が土地株バンバンなんて状況にはほど遠いことを教えてくれる。まあ全員が全員慎ましやかって訳でもなくって中にはマンション別荘馬ひつじさるとり辺りを買いまくってる人もいるかもしれないから、やっぱり人によりけりってことなんだろー。

 美輪山サスケ云々ってのはネットベンチャーの中でもコミュニティに注目している企業があるってな記事の中でかつて(今もあるけど)「日記リンクス」ってコミュニティがあってそこでオンライン、オフラインの連帯が生まれていったって話が降られて、実は自分もってなことで昔の名前が明かされている。往時のネットコミュニティにいた竹中直純さん川崎和哉さん一瀬大志さんピクスピ寺本さんってなやっぱり大昔に聞いたことのある名前が並んでいて、自分のサイトを持つことが凄かった時代を思い返してちょっと遠目になる、別に誰とも会ったことはないけれど。今じゃサイト持つ上にとてつもない商売しているとか糸井さんか村上さんに目をかけてもらえるとかしないと話題どころか関心すら持ってもらえないからねー。ちなみに検索したら川崎さん一瀬さんはこんなことをやってるみたい、船田戦闘機さんも一緒に。ネットな人はなかなかにしぶとく生きてます。

 死んでるミッドバレイですら操れるのにレガート、エレンディラが相手だと手足は今もないけど能力までも発揮できなくなるんだろーか、だとすれば見かけは大女なのか男女なのかはともかく相当の凄腕ってことになるぞ「トライガン・マキシマム」の最新話。ケースに仕込んだボウガンからでかいクギを発射するギミックは、ウルフウッドのパニッシャーほど派手じゃないんだけど、1発しか聞こえない発射音、でもって手に持てるサイズのケースからドカドカドンと打ち出せるんだからきっと中身は4次元ポケットか何かが入っているに違いない。それは無理でもフィギュア化する時は是非とも発射のギミックまでも含めて再現してやって欲しいもの、中にバネがはいってて打ち出して遊べるんだ。しっかり生きてたザジ・ザ・ビーストは着ているスウェットの前が膨らんでるよーにも見えるからやっぱり女の子バージョンか、とは言え直後に荒野で「キュイーーーーン」と吠える謎生物が描かれているから中身は推して知るべしなんだけど。とりあえず2年だか先の地球からの舟到着までやることなさそーでこれから一体どんな展開になるのやら。「新展開、旅再びー」な今後に不安しつつ期待しよー。


【11月29日】 映画の「バトルロワイアル」に文句を付ける民主党議員って記事があってまあ、言ってることは健康健全な青少年の育成を目指すんだったら臭い物にフタは当然ってな人ならではの「正論」だけど、管理された状況で命令に従って殺し合いをするおぞましさ、ってのが滲んでる作品を相手に映画は良くないものだから管理すべしってホザくことが考えようによっては何とも「バトルロワイアル」的で、そんな滑稽過ぎるやりとりを見せる方が余程青少年の健全な育成には宜しくないよーな気がするんだけど。まあ健全な青少年は場外乱闘も含めて1つの戯画的な作品だと見られるくらいの脳はあるから、あんまり関係ないんだけど。

 だいたいが子供に見せるなってんだったら何とかして頂いたい国会のやじ。あんなものを見せられたら学校の先生、授業をしている時は人の話を聞きなさいなんて生徒に言えなくなるよね、勝手にわめき立てる生徒に対して。だって国民の代表が水入り1つ許さない神聖な国会の場で堂々と「学級崩壊」やっちゃってんだから、”授業中”に勝手に番長の所に歩いて行って喋ってる奴とかいるし。常識から考えたら、人が話していることに対してヤジを飛ばす奴の方が”悪い”のは当然で、ボコるのは無理でもコップの水くらいかけたくなっても不思議じゃない。「気持ちは分からんでもない」とゆー首相のどこが失言なの? ってなもんだ。なのに野党のセンセイたち、「世界的に恥をさらした事態をやじと同次元に考えている」だって。同次元だってば、低次元の。なのに新聞と来たらやじは棚上げして失言失言失言と事が面白くなるよーな方向に誘導しては首相=失言とゆーイメージの醸成に躍起となっている。まあそんなメディアの態度も含めてやっぱり戯画的だと分かっちゃってる人の方が今の世の中多いんで、やっぱりあんまり関係ないんだけど。

 とは言えこーゆーシニカルな態度が蔓延するのも純真な子供たちにはあんまり宜しくないんで、ちょっとだけ反抗期な人は「週刊宝島」に掲載されている勝谷誠彦さんのアツいメディア批判とかを読むのがまだ良いかも。見出しは「『加藤の乱』を茶番劇と呼ぶマスコミ識者国民の品性下劣」で中身は加藤紘一さんに間際で手のひらかえされたマスコミが怒り心頭、例の「政局」とやらを「茶番」と呼んでモグラ叩きしたことに、あれは幕府にあって長岡藩を率いて薩長と戦った河井継之助みたいなもので藩を火中に投じるなんてことをするはずないじゃんと反論している。

 河井がいつ幕軍から飛び出してでも薩長に見方するって言ったんだろう? ってな疑問はさておき(おくんだ、でないと話が進まない)、メディアが「茶番劇」と書くからだんだんと「茶番劇」に見えて来てしまうとゆー指摘はなるほどで、たとえばあそこで「君子は豹変するもんだ」とゆー主張を皆がすれば加藤紘一は英雄のままでいられたかもしれず、例えの是非とかはともかくとして、メディアが1つの流れを作って意見を押しつけることに警鐘を鳴らすあたりは流石に勝谷さん、といったところ。おそらくはイマドキな世論とやらに逆らって加藤紘一を持ち上げ撤退したことを含めて評価するスタンスも一種の「芸」で、シニカルに世の中をながめて両論併記で結論出さず、みたいな当方のよーなスレた大人を相手にするんじゃなく、もうちょっと世の中にマジメに取り組みたいと思ってる純真な青少年相手にアジって見せてるんだと思うけど、違うの? もしかしてマジ?

 「SIMPLE1500」シリーズで有名なディースリー・パブリッシャーズって会社が累計出荷500万本を越えたからって開いた記者発表に行く。「THE麻雀2」とか「THEビリヤード2」とか新作ソフトが並ぶ会場で披露されたのが「THEギャルゲー」。芸能人が進学することで有名な学園に入学したプレーヤーは3年間の学園生活で好きな女の子に告白されることを目指す、ってなストレート過ぎる内容と、売出し中のアイドルで髪は赤だったりする綾乃ちゃんとか、新人アイドルでボーイッシュで髪は青だったりする唯香ちゃんとか、はずかしがりやの眼鏡っ娘で髪は緑で眼鏡をはずすとコケティッシュ(原文ママ)だったりする果菜ちゃんとか声優界のトップアイドルで戦隊アクションものが好きで書かさずみていて普段からコスプレしているありすちゃんとか、ミステリアスな雰囲気があって髪シャギー入って頬にかかっていて性格大人しそーな未優ちゃんとか、聞くだけで顔が想像できそーな美少女たちの設定は、まさしくギャルゲー中のギャルゲー、「THEギャルゲー」に相応しい、うんうんこれが1500円か流石はディースリー……違うって?

 まずタイトル名が違う。「ラブソングス アイドルがクラスメート」とゆーのが正式タイトルで、これもそれなりにあれなんだけど気にせず前に。値段も1500円じゃなく6800円でほかに初回限定版としてCDとかトラベルクロックとかが同梱された限定版がタイプ別に3種類も出る。値段は9800円。こーゆー仕掛けがまさしいく「THEギャルゲー」じゃんとゆー意見もあるけどね。対応ハードは何と「プレステーション2」。オープニングとかって触れ込みで流れていた映像の、画としての綺麗さはなるほど「PS2」じゃん「DVD」じゃんと感じる、動きほかを含めたアニメとしてのクオリティはともかくとして。つまりは「ラブソングス」、ディースリーが低価格ソフト会社とゆーイメージからの脱却を狙って送り込む、マジ売りソフトってことらしーけどそこはソフトのエッセンスを抽出する技に長けたディースリー、ストーリーもキャラクターもプロモーションも含めて王道中の王道、ギャルゲー中のギャルゲーと呼ぶに相応しいものを作ってくれそーな気がしてる。ここはギャルゲーマニア中のギャルゲーマニアを気取ってやっぱり、限定版は3本とも予約でなおかつ早朝から秋葉に行列を作って買うしかないか、来春発売乞う御期待。


【11月28日】 仕事(本業=書評とか、ってオイ)が詰んでるみたいなんで手短にいこー。ビトバレー通いの2日目は東急東横線渋谷駅の上に屹立する、ビットバレーな人にとっては有明コロシアムともウェンブリーシスタジアムとも言うべき殿堂「マークシティ」の中にあるホテルで、ビトバレーに入れても言いのかどーかちょっと不明なバガボンドが絡んだ記者発表を見る。「ライダーズクラブ」ってオシャレな大人のためのバイク雑誌を出しててほかにも「バイシクルクラブ」ってMTBとかが好きそーな自転車雑誌も出している出版社がコンテンツを供給して、バガボンドが持ってるウェブ関連の技術とかノウハウを組み合わせて新しいビジネスを行う新会社を設立するって話で、ビジネス形態に新味はないものの熱烈なファン層を持つ出版物だからこその強みが行かせそーな印象は受けて、なるほどマスよりミニ、総合より専門が尊ばれる世の中になりつつあるんだなーってことを実感する。

 なにせバイク雑誌は「モーターサイクリスト」か「オートバイ」か「ミスターバイク」で自転車雑誌は「サイクルスポーツ」一本やりだった身としては、八重洲出版系にシンパシーを感じていた反動でこっちの出版社についてはまったくのノーマーク。それが知らないうちにバイクに自転車にバスフィッシングにサーフィンにラジコンにアメリカングッズにエトセトラ、とにかくその筋ではなかなかに知られる雑誌を刊行しては年率2ケタの成長を上げ続けていたとゆーから驚きで、お洒落さだけでは人後に落ちない銀座のピンク色した出版社なんかよりも、よほど堅実でかつ着実な実績を上げているよーにすら思う。

 まああっちは給料ボーナスが文字どおりのケタ違いなんで単純に比べられはしないんだろーけど、何かと柵も多そうな大手に比べて「やりたいことしたやってこなかった」って社長の人が言うくらい、好きこそものの上手なれ精神が行き届いているよーにも見える中堅の方が、働いている人にとっては幸せなのかもしれないし、それ以上にコンテンツの質って面で専門性、網羅性が優れている点が、より深くより濃い情報を求めて止まない今の人たちに、ネットとゆーメディアを通じて情報を提供することが可能になった現代において、すごく有効に働くよーな気がする。加えてメールマガジンに定評のあるバガボンドの三角で、あれやこれやと期待もしたくなるけれどさてもお手並みはいかに。最初は自転車関係のメールマガジンがスタートするみたいなんで、業界の人に限らず濃さを自認する自転車ファンも要チェックだ。

 自転車への愛では「クラブ・パンターニ」の面々もなかなかだけど、偉大なる日本のトップ栗エーター3人が信奉して止まない”ピラータ”マルコ・パンターニがいっぱい登場のムック「一番新しいロードバイク」を出しているのもこの出版社。会見場の後ろのラックに刊行物が全て並べられて「好きなのあったら持ってって」て言われたんで早速がめつく頂いて帰る。ツール・ド・フランスが記事の中心だったムックにあって巻末に取りあげられたジロ・デ・イタリアの特集の中で、大活躍したチーム・メルカトーネウーのガルゼッリをアシストするパンターニの写真や、ガルゼッリの肩に手を回して讃えるパンターニの写真なんかが掲載されていて、偉大なるパンターニ様にアシストさせるとは何事か、と怒る面々はさておいても、ツール中心のムックの中でかくも幾度も取りあげられるほどまでに、パンターニは偉大なサイクリストだったのかってことを今更ながら思う。イノーとレモンとインデュラインあたりまでしかチェックしてなかったからなー。来年こそはパンターニ、復活してよ我が愛社のビアンキとともに。

 しかしお洒落な建物だけあってやっぱりありやがったお洒落ビームを周囲に放ちまくっているカフェ「スターバックス」が。そりゃ確かに珈琲は濃くてイケるけど、最初の銀座松屋の裏手に瀟洒な建物に入ってオープンした時に比べると、店舗数も増えて築地とか淡路町とかってな場所にまで登場して、まるでコンビニかマクドナルドかってなお手軽さ庶民っぽさを醸し出すよーになって、当初感じたイメージがここに来て大きく狂いつつある。煙草を吸う人がいないから空気は綺麗かもしれないけれど、ギッシリとつまった人間たちの中ではゆっくりと本も読めなければ思索にも耽られない(寝られない)。むしろ空いてる「プロント」「ヴィローチェ」の方が珈琲の値段も安くって良いんじゃないかとすら思えるよーになって来ている。

 あるいはアスペクトが刊行した「カフェの話。」(2000円)って本に紹介されている、マスターのこだわり入りまくりなインテリアに音楽にロケーションが特徴の「カフェ」でのんびりって方に流れたくなるけれど、最初は静かな穴場的雰囲気のある場所でも、紹介されたり喧伝されることによって入ったらやぱり周囲の人目が気になって、無理をして背伸びをしてスノッブにふるまって気疲れして、本は読めず思索にも耽られない状態が来る可能性が高いんで、もはや「カフェ」にも逃げられない。となれば残るはこれしかない「純喫茶」なんだけど、何かの雑誌の調査だと減少の一方にある「純喫茶」、珈琲の飲んで新聞を呼んで定食を食べて居眠りできる「純喫茶」を探す方がよけい大変みたいで、かくして中年は憩いを求めてソファが深くてコブ茶が旨い「ルノアール」に大挙してなだれ込むことになるのであった。中年のオアシスが醸し出すオーラの秘密を探る本、「ルノアールの話。」なんてどっか出しません?


【11月27日】 録画してあった「鉄甲機ミカヅキ」第2夜を見る、昼間に夜もないもんだ。それはそれとしてやっぱりやってくれた雨宮監督、冒頭でナナちゃん堤防しゃがみ込み時白モロ見えシーンを放映して掴みはオッケー、ついでドラマがベタな展開になりそーな場面でカットジーンズ姿女子高生社長の自転車転げ落ち地べた這い回りシーンを放映してコマ送りで見えてないか見えてる見たいだけど黒いぞあれはスパッツか的探求心を催させてくれて、画面へと集中している視聴者の気をゆるませない。

 そうこうしているうちに女隊員のまるで「VIRUS」でエリカ知念が着ていたヴァリアブルギアの如く胸とかしっかり強調されてる戦闘服姿も登場し、やっぱり来たかなミカヅキによる回しげり一閃敵粉砕シーンへと至って大団円、甘く切なく嬉しいラストで劇終となる完璧なまでの流れに乗って、しっかり最後まで見てしまったよ驚いた。ミニチュアを使った特撮シーンが減っているのは物語的なインターミッションだからなのか資金的なインターバル(それともギブアップ)なのかは分からないけれど、想いが形になるドラマを繰り返し見せつつ少年の成長を描きつつ、元少年たちの下半身の膨張も促しながら進んで行くだろーことは想像に難くなく、その意味で次回のやっぱり昼間な「第3夜」も強く激しく期待しているとここに高らかに表明しよー。

 夜回りに行くハイヤーなんて派遣してもらえなかったし、人間だって1人とか2人しかいなかった関係で、スクープとかいった仕事らしー仕事はしなかったけど、それでも東京証券取引所で証券会社を2年間、日本銀行で銀行とか生保とか損保とかを2年間担当して、その間に金融関係の本とか右から左に読み飛ばしていた関係で、かろうじて金融業界の動向とかには前向きの関心を抱きつつ着いていける。よって黒木亮さんとかゆー金融関係のスペシャリストが書いた、国際金融の世界を舞台にした小説「トップ・レフト」(光文社、1900円)も結構面白く読めたんだけど、どちらかと言えば広義のミステリーに分類されそーな内容で、にも関わらず専門的な分野への関心があればあるほど楽しめる小説だけに、いわゆるミステリー評論の分野で、どこまで受け入れられるんだろーかってな心配も同時に浮かぶ。

 日本の硬直して足を引っ張り合って理念もなければ戦略もない銀行のシステムにあって、1人気を吐く英国法人所属の銀行マンと、その銀行を止めて米国の投資銀行に移って、いつか元いた邦銀を見返してやるんだとゆー怨念を醸成させつつ、持ち前の才覚でぐんぐんと成績を伸ばしている国際金融マンとのつばぜり合いが本筋と言えば本筋で、その周囲で起こるシンジケート・ローンの難しさとやりがいの多さ、日本の銀行が抱える問題の根深さなんかが描き出されて、読んでいてなかなかに考えさせられる。著者自身が邦銀から投資銀行へと移った経験のある人で、それだけに登場人物たちの吐く勤務先に対する嘆きなんかにも重みがあって、国際金融に携わる、とゆーより現在の経済活動すべてに関わる銀行マンから官僚から企業人からジャーナリストも含めて、出来れば単なる男の復讐と挫折の物語としてじゃなく、背景をも含めて理解してもらいたい1冊だろー。それにしても白馬の騎士然として登場して来る謎めいた男の正体にはちょっと呆然、ちょっとカッコ良すぎるなーと思ったら著者の経歴を見てなるほどと納得。でも所詮は日本企業、トップの癇癪が屋台骨を揺るがしかねない仕組みは邦銀と五十歩百歩だと思うんだけど、どーなんだろ。

 珍しく決算内容を説明する発表会を開くってんで渋谷にあるオン・ザ・エッヂに行く。ネットベンチャーの旗手とかビットバレーの若大将とかウェブ制作のゴッド・ハンドとか言われているのかこっちが勝手に呼んでいるのかはともかくとして、有名な事では人後に落ちない堀江貴文さんの顔を見物に行く。下にアジアコンテント・ドットコムとかターボリナックスとかメディアファクトリーとかそれなりに名の通った会社の入っているビルの中にあったオフィスは、フローリングってゆーか削り立てっぽい板張りでパーテションもガラス張りとなかなかに雰囲気が良く、近くに神社があって緑も多く渋谷駅からすぐ側って割には某マークシティなんかに入っているよりは趣味が良いかも。道路を渡ればコンビニがあるし、ちょっと歩けばラーメン屋にカレー屋にうどん屋もたくさんあって昼食にも不自由しなさそーだし、何より場外馬券売場が近いのがその筋の人にとっては最高かも。堀江さんがそうだとは限らないんだけど。

 登場した堀江さん、歳の頃は哲学研究者の東浩紀さんとだいだい同じくらいなんだと思うけど、文学部だから学校は重なっていないのかな、学生時代に起業しているはずだから仕事の方が忙しかっただろーし、何しろ国立では日本で1番学生数が多い学校なんで面識があるとは思えない。それはそれとして美味しい食事が近くで取れるからなのか、仕事仕事でオフィスに常駐していることが多いからなのか、なかなかになかなかなスタイルになりつつあるのが感じられたのはちょっとマズいかも。他人のことは言えた義理じゃないけれど、少なくとも同じ歳くらいの頃はまだ、それなりにそれなりなスタイルをしていたからね、毛量はのぞいて。

 ただビジネス面に関しては巷間言われているよーなイケイケタイプでもなくって、事業のミッションをしっかり定めて何をすべきかを考えて、それに向けて着実に布石を打ちつつあるよーに感じる。終わった2000年9月期は赤字だったみたいだけど、これはネットワーク管理を含めたウェブ管理業務を受注するための事業を立ち上げたことによるもので、損をしてるんだからいけないんじゃないのとゆー意見もあるにはあるけれど、単に編集プロダクションよろしくウェブ制作を受注しました作りました納品しました、で終わってしまうビジネスだと価格競争の面でも付加価値競争の面でも先細りは目に見えている、だったら客が離れないよう付加価値を提供して自分の会社で抱え込んでしまわなくてはいけない、それには制作から管理まで含めた流行り言葉で言うなら「ソリューション」を提供できる会社にならなくっちゃ、ってな考えがあっての進出だから、赤字だからと言って「データホテル」事業を早晩やめる訳にはいかないってことらしー。

 僭越にも素人が言わせてもらえば「わかってんじゃん」ってことになるけれど、何しろ目先のことだけしか考えないのが金融機関なんかを筆頭にした日本の企業の悪い癖で、目先の成果の悪さにさっさと匙を投げ、結果意あっても空回りどおろか逆スパイラルに陥ってしまうんじゃないかってな心配も抱く、実際にそーゆー例を幾つも見てきたし。とはいえ我がグループ会社も含めてそれなりにお世話いなっている会社ながら、やっぱり世間的な認知度がまだまだってのも事実で、たとえ幾つもの雑誌にネットベンチャーの金メダリストとかビットバレーの最終兵器とかウェブ業界の赤い彗星とか呼ばれて讃えられても、もうひとつドカンとしたトラック・レコードが欲しいところ。なので余所がたとえベンチャーキャピタルっぽい業務にシフトして株で株を買う構図の中でウロボロスのごとく尻尾をくわえてぐるぐる回る、なんてことはせずに真面目に堅実に、それでいて目立つ仕事で一段と名前を高めて欲しいってな気がするなー。だから「有馬記念は2−6の1点買い1億円」とかってんじゃないってば。


【11月26日】 ここにも居たか脳天気馬鹿で尊大無比な振る舞いをして結果的に相手を利する青鬼クンが、誰って「サンデープロジェクト」の田原総一郎センセイのことですよ。先週の放映で野中広務と加藤紘一が自民党総裁選の前倒しの可能性を巡って繰り広げたやりとりを再放映して、加藤が引っ込めたのは総裁選が前倒しされて森総理が退陣する可能性が示唆されたから、にも関わらずそーゆー示唆をしておきながらコロリと翻して退陣の可能性を撤回した野中は嘘吐きだ、ってな感じで野中の代わりに来た鈴木宗男を虐めていたけど、聞いていると野中は田原の執拗な突っ込みにも決して森退陣の可能性なんか示唆せずに、総裁選を前倒しする上で必要な手続きのことを喋っているだけで前倒すとすら言っていない。手続きにのっとって総裁選を前倒して実施する可能性はあり、かつ実施すれば森が敗れる可能性だって皆無じゃないとゆーことを臭わせただけでしかないのに、世間が良く見通せる「田原耳」には前倒しは当然で森退陣も規定路線と聞こえたらしく、そんな幻聴を根拠に嘘吐き呼ばわりしているのは醜悪を通り過ぎて滑稽に見える。

 あるいは相手が言質をとられまいと必死に言葉を選んで喋ったことを承知の上で、「総裁選前倒し」「森田陣」といった部分までも含めて相手はそう言った、言いたかったんだと主張することで世間もそう言ったんだと信じるかもしれないと思ったのかもしれないけれど、世間はそこまで間抜けじゃない。現実に野中と加藤が言ったことが放映されて、かつ鈴木宗男が野中の言ったことを愚直なまでに繰り返し説明することで、野中と加藤との間にあった温度差ってゆーか見解の相違が如実に見えて来て、にも関わらず加藤の信じた方向でしか事態を解釈しよーとしない田原の戦術なのか天然なのかは知らないけれど、突っ込みの無理筋さばかりが見えて来て、逆に野中の側の”誠実さ”が浮かび上がって来る。筋道立てて相手を追いつめよーとせず、ただ自分の主張ばかりを述べて大見得を切る国会答弁での野党質問を、これじゃー非難は出来ないね。

 田原が自民党の執行部を利する青鬼たったってのはそーゆーことで、蛮勇をふり絞って世間の注目と期待と同情を一身に集めた上で手のひらを返してみせる行為でもって、小泉を浮かび上がらせた加藤、山崎拓と結果において大した違いはない。ただ天然なり信念に基づいて突っ込む田原の後ろで、これは絶対に野中発言の適用される範囲を分かっているのに田原ライクな立場で歯切れ悪そーに突っ込む岸井成格の方が質の悪さでは上で、そんな2人の不甲斐なさを見せられるにつけ、メディアの尊大な割には力の無さが感じられて、とってもやるせない気分になる。感情に先走らず、相手の思惑を裏まで読んで反論を、それも真正面からじゃなく相手の弱い部分を顕在化させる形でネチネチとやる田中康夫さん的手法でないと、海千山千な奴等は追いつめられないのかなあ、でもこの手法って相当にタフじゃないと出来ないからなー。田中さんやっぱり知事より国会議員よりキャスターをおやりよ。

 「ソリッドファイター」(古橋秀之、電撃文庫)読了、で続きは? と言いたくなるほどに伏線てんこ盛りな引きで終わってて、この高ぶる気持ち気持ちをどーやって抑えればいーんだ○○○○とか××××とか出すんだったら(○に×はそれぞれがそれぞれに入れましょう)どーして書き上がってるとかゆー2巻を出さないんだよオーマイガッ、ってなことを考える。今でこそ自宅で育てたキャラをゲーセンのマシンで動かしたり、ゲーセンどうしをネットでつないで遠隔地で自由に対戦できるよーにしたりなんて発想がゲーム業界的に実現の段階へと移りつつあるけれど、「ソリッドファイター」が出た97年頃なんてまだ、着想はあってもどんな風景が現出するのかまでを含めて描ききれる人なんてそうそう滅多にいなかったからなー、いや面白い。

 どうあってもやはり続きは出なくてはならない本です、かくも素晴らしい小説が生まれるきっかけにもなっただろー世紀に残るゲームを開発した、口絵では何故か鈴木部長になっているけど本文ではちゃんと鈴本部長になっているキャラのモデルらしー人の魂に、心からの感謝を捧げる為にも(まだ生きてるって、多分)。この後の話が一体どーなるのか、例えばタケちゃん先生の格闘パターンを移植した「RYU−CO」がネット内知性めいたパワーを発揮してそこにベースボールキャップ(横浜ドルフィンズ)を被って「もぐれもぐれもぐれもぐれ」と念じながら入り込んで電脳ワールド(死語)でバーチャルタケちゃんと共に格闘と冒険の旅を繰り広げるんだろーか。

 いや違う。宇宙から攻めてきた謎の宇宙人Xが襲来して何故か格ゲー勝負(負けたら人類滅亡)を挑んできて、実はそんな未来が来ることを見越して一子相伝で「嶽神流」を伝えてあったタケちゃん先生が自らスティックを握ってゲームに挑むんだけど肉体は駆使できてもゲームはからっきしダメで敢えなく人類滅亡してしまうんだ。なんて妄想は幾らでも浮かぶけど、すでに書かれている続きはそんなツマらない展開にはなっていないだろーから安心はして。とは言え未だに出ていない以上は判断のしよーがないんで、やっぱり△△△△とか(自分で”好き”な作家を入れよう)を出すんだったらこっちだってな嘆願の念を、お茶の水に向かってファンはムムムムムッと放って下さい。

 そりゃまあ確かに2足歩行の玩具が出るなら欲しいのはやっぱりザクであることに気分的に間違いはないんだけれど、これが例えば実戦に投入できるモビルスーツレベルの物になるかってゆーと、「月刊アフタヌーン」の1月号で「GUNDAM OFFICIALS」なんて1万5000円もする超絶悶絶高級百科事典の宣伝のために登場した富野由悠紀監督が、「巨大なものは意味がない」なんてことを言い切ってくれちゃっていて、「ガンダム大地に立つ」の「見上げればザク」な光景を提示して夢を煽ってくれちゃった当人の発言だけに、肩すかしを喰らった感じがする。

 「鉄甲機ミカヅキ」の「月光機」はスリ足だからでかくてもコクピットは揺れないけれど、人型ロボットの腰の位置、だいたい地上3階の高さに座って二足歩行されるとやっぱり相当の上下運動が起こるだろーから人間が無事な訳がない、ってのが理由であとは複雑よりもシンプルな方が道具は良いって信念も。だったら2度と巨大ロボット物はやらないのかって聞きたくもなるけれど、そこは「ファンタジー」として好んでいるとも言っているし、人間大の大きさだったらあり得るとも言っているから、原点にもなった「宇宙の戦士」のパワードスーツ的なものだったら今後も作ってくれるんだろー。あるいは「ガンダム」で付けられた「リアルロボット」のイメージをファンタジー寄りに修正するよーな「スーパーロボット」物とか、「Gガン」みたいな(ちょっと違う)。

 しかし”スペースコロニーの時代なんて来ない。深海開発だって無駄。だってシベリアの方が宇宙より暖かいし空気も水もあるじゃん”ってな現時点で抱いている達観に富野監督が20年前に至っていたら、増え続ける人口を宇宙に移民させるなんて発想には至らなかったことになって、安心しつつもだったら今後はどんな物語を描き出そうとするのか、金のかかる宇宙を必死で目指すよりも地球を一生懸命平和にしよーとする人々の物語を描くのかってな心配も起こって気分は複雑。ただ記事では富野監督「宇宙開発はとても大事なプロジェクトで、やらなくちゃいけないと思っています」とも言っているから、宇宙開発を描きそこで直面するさまざまな困難さを浮かび上がらせることで、逆説的に地球の有難みってものを人間に見せよーとする物語なんかを作って、メッセージを贈ってくれるんだろー。「リアル」と「リアルっぽい」は違うってこと。コロニーOK、巨大二足歩行ロボットOKな「リアルっぽい」世界でこそ得られる人間の心の変化を表現し、人の思考にバリエーションを与え柔軟性を高めさせるのがSFという物語の役割なのだ。なんつってな。


【11月25日】 発売日なんで本屋に行って探したら「ミステリマガジン」は2000年1月号が並んでいるのに「SFマガジン」はなぜか2000年12月号が下げられずにまんま売られていたりして、あるいは雲散霧消の憂き目にでもあったのかと心配したけど、夕方に神保町の「書泉ブックマート」に行ったらちゃんと出ていたんで安心、上遠野浩平さんのインタビューも掲載されていて上遠野さんらしーことを散々っぱら言ちゃってくれてます、「SFを特化する意味があるのか、正直見えないんです」と言っているあたり。あと「ひっかかってるのは『SF』という単語ですね。雰囲気的に言霊になってるじゃないですか」って言葉とか。

 「SF」と「SFっぽい」をしっかり区別する人の意にはちょっとそわないかもしれないけれど、「みんなSFっぽいにおいがるんで、あらためて『SF』ってことを意識することもないって感じ」なんて言葉は「SF」と「SFっぽい」を分け隔てしない人だったら「そうだよーね」と納得できる。極論すれば”面白い小説は全部『SF』”なんだけど、そこまで言うのはさすがにはばかられるんである程度の枠組みを決めるなら、言霊のある「SF」よりは曖昧に「SFっぽい」と言っておいた方が気持ち的にしっくり来る。”その『SFっぽさ』のSFの定義を示せ”と突っ込まれると困ったことになりそうだけど、ほら、1票を厳密に決めようとすると信頼で成り立つ民主主義の根幹が揺らぐ奇妙な状況が現出してしまった米大統領選のケースだってあるから、やっぱり世の中には「曖昧さ」が必要なんだってことで。

 大道芸とアートだったり哲学とおたくだったり出版と放送だったり、かつてはカテゴリーとして明確に分けられていたものが次第に曖昧になりつつある現況についてこの1カ月くらい頭をめぐらせて来たこともあって、「SF」と「SFっぽさ」を考えるのも面白いかなあ、とか思いつつ「美術」と「デザイン」の間の曖昧さを確かめるために埼玉県立近代美術館へと向かって「プラスチックの時代 美術とデザイン」を見る。プラスチックとゆー素材を使ったデザイン的に優れた工業製品を並べたり、立花ハジメの率いたその名も「プラスティックス」のCDジャケットを飾ったりした後で、中西夏之さんが卵型のアクリルか何かの中にいろいろな物を詰め込んで固めた作品とか、レゴを汲み上げて作った中原浩大さんのオブジェとか、ウルトラマンとウルトラセブンの人形を鏡が張られた部屋のコーナーに扇形にぎっしり並べて遠目に見ると円状に見えるようにした斎藤義重さんの作品とかが並んでいて、生活に入り込んで自然に使われていて別にどうとも思わないプラスチックが、部屋1つ隔ててその素材としての不思議さと不気味さをむき出しにしているよーに見えて興味深かった。

 鉄のよーに冷たくはないけれど木のよーに暖かくもない、柔らかいようで硬く、高級なよーに見える時もあれば酷くチープに映る時もあり、人間に役立ちもすれば人間を脅かしもする特質をもったプラスチックは、強引に考えれば「曖昧さ」の象徴のよーな素材で、そんなどっちつかずのあやふや感が、並べられた作品の中に現れていて、見た人を引き寄せるよーで突き放し、馴染ませるよーで阻害する、不思議な感覚へと陥らせる。それでもプラスチックを当たり前に駆使する若い世代のアーティストの作品が並ぶコーナーになると、素材の持つ質感や加工の容易さ、代替性なんかが感じられる作品が多くあって、人間がプラスチックの持つ特質を御して来ているのかなー、とも感じる。けどそんなに甘いもんじゃないんだろーなー、プラスチックって奴は。人間にとって不可欠なプラスチックとゆー素材が持つ両面性を、声高に称揚するでも激しく非難するでもなく、集めることによって感じさせる意味でなかなかなに面白い展覧会。12月10日まで。

 月末が締め切りらしー原稿のために秋葉原から神保町を回って資料を買い漁る。秋葉原の「Kブックス」で「雪色のカルテ」の設定資料集を買ったり掘ればあるんだけど推定で90万年前の地層あたりに埋まってそーで掘れない「エイリアン9」を買い直したり150円で出ていた古橋秀之さんの「ソリッドファイター」をゲットしたり、神保町の三省堂書店で「寺田克也全部」を買ったりとあれこれ。あと平谷美樹さんの「エリ・エリ」(角川春樹事務所、1900円)とか。「SFマガジン」の新しいのでもワイド書評が出ていたけれど、読むと水鏡子さんが前作「エンデュミオン エンデュミオン」(角川春樹事務所)と比較していて、言霊付きの「SF」としてはあんまり積極的な評価を目にしていなかった前作の方が「SFとして好感が持てた」とゆー発言があって、面白いのかどーなのんかちょっと悩む。それも読めば分かるから読もう。


【11月24日】 今年のCMで何が1番消費者のハートにズキドッキン来たかってのを調べて教えてくれる「CMデータバンク」の発表会をのぞく。答えは? 1本のフィルムって意味では「黒ラベル」の温泉卓球だったんだけど、「短い付き合いやったのう」のボスジャン編からサル山編から「参ってる参ってる」の人間動物編から「せっかく戻って来たのにねえ」のボス電編は入るのかな、とにかく繰り出されるCMのことごとくが面白いサントリーの缶コーヒー「ボス」が去年に引き続いてのトップとなって、言われて納得だけどそれにしても強い強い強すぎる。強すぎる割にはだからといって世の中の缶コーヒーのすべてが「ボス」にならずむしろ自販機に強い「ジョージア」が上を行ってるっぽい辺りが「宣伝力=販売力」とはならない市場の難しさなんだけど。そーいえば「黒ラベル」だって未だ「スーパードライ」にはかなわないからなあ。でも諦めないで面白いCMを作ってね。「ボス」なんてゼロからあそこまで来たんだし、「JIVE」とか「JO」とか消えて行くなかで。

 しかし「SMAP」強いぞ「SMAP」。CMタレント部門では1位「SMAP」2位「木村拓哉」3位「中居正広」4位「香取慎吾」(ちょっと順番怪しい)で7位だかに「草ナギ剛」で9位に「稲垣悟郎」とベスト10の実に6つを「SMAP」勢が確保。他は藤原紀香と山崎務と田中麗奈とあとは豊川悦司だったかな、ともかくもそんな状況だったか、いかに世間が「SMAP」を重用しているかがよく分かる。この人気だったらあるいは今ふたたびあの幻の飲料「SMAP」を再発売して当時みたいな扮装でアイドルっぽい振り付けか何かで唄でも唄わせたら、”話題”になることだけは請負なんだけど流石にどこの代理店もプレゼンはしないだろーなー、恐ろしくって。でも沢口靖子に「れーろれろ」やらせる多分大阪電通みたいなところだったら提案だけはしちゃうかも。ついでにトシちゃん聖子の「ポッキー」とかも復活させたら楽しいんだけど、もちろん今の歳格好で。コワいけど……見たい。さらについでに安達佑実で「具が大きい」も再放映。おやおやあんまり変わってないぞ。

 大森へと回って仕事した後で大井町の「ブックオフ」を視察、確かに本は山ほどあるけど最新刊に超ベストセラーがないのはいずこも同じで、つまりは「ブックオフ」って単なる「いらない本の集積所」に過ぎないんじゃないかってな持論が再びフツフツとわき上がる、あと「立ち読み暇潰しスポット」とか。それでも「時間もあるしちょっと本でも」ユーザーが中身も確かめないで適当に漁って行くだけの価値はあるから「ブックオフ」が存在している意味はあるのかも。あと、そーゆーユーザーは普通の本屋で本なんて買わなかった訳だから活字文化の盛り上げに役だってるって意味も。新刊をちゃんと扱える書店が新刊をちゃんと読みたい人に向かって商売し、そんな書店に取り次ぎも出版社もちゃんと新刊を送り込む工夫をすれば、「ブックオフ」もそれほど恐れなくっても良いんじゃないのかなー、なんてことを考えているけど実際のところ現場の書店にどれだけの影響があるのかも分からないんで、昨今の情勢を来週とかにありそーな取り次ぎの決算なんかで聞いておこー。

 知らない間に発売されていたいみたいな東城和実さんの「ぐれうぐるジャングル」(ソニー・マガジンズ、520円)とか購入、すでに「メロディ」だかで短編だか読み切りだかが発表されいていた関係だからなのか、巻末におさめられた当該の短編を読むより以前に唐突な魚顔の人間が出てきて話に馴染んでしまっていてちょっと魂を持っていかれる。加えて兎みたいなヘルメットみたいな頭をした、言葉遣いは「じゃけん」じゃけん広島? らしー多分”美少女”のミシェール=南野とか魚頭の相棒とか不思議で不気味な薬ばかりを作る女医だかがやっぱり大した説明もなく登場しては不条理にも話を混乱させてくれるんで、1度や2度の購読ではちょっと理解できない。まあ唐突なよーに見えて実は奥深いよーに見えて案外行き当たりばったりだったりするかもしれない世界を描かせては東城さんのあんまり右に人はいそーもないんで、ある意味究極だけれども非常なまでの東城モード本なのかも。しかし1巻なんてあるけど続きとかちゃんと出るのかなあ。

 ほかに100円均一に1冊だけあった大野安之さんの「That’s イズミコ」(スタシオシップ)第4巻を救出。「バイ・ボーラ」でのカガミコとイズミコのバトルが前巻から続いているものの巻の半ばでひとまずの結着、以下は断片めいた短編が並んでいて、読んで中身を思い出すにつれて偶然購入した第4巻が、迫力があって内容も絶後だった第1巻に続く好きな巻だったことに思い至る。中年の男性との情交がちょっとばかりの情愛を生みつつもあっけなく終わってしまったエピソードの終わりに、男の残滓を集めて宇宙に飛ばすイズミコの姿があって、傍若無人に見えても案外と優しいところがあるんだなーと感心しつつ、良ければお近づきになって残滓で良いから伝えて上げたいなんて邪(よこしま)な感情を抱く、けど邪なんで表には出さない。中にも当然出しません。だからロケットで打ち上げてもらうなんてことはしてもらえそーもないなあ。


【11月23日】 ビートルズをしばらく繰り返し聴いてうんうん良いねーとか思っていても所詮はやっぱり「YMO」の子タツローの子。山と並ぶ店頭の新譜の中から選んでしまうCDは、竹内まりやさんのライブアルバム「souvenir」と細野晴臣さん鈴木茂さんに林立夫さんが組んだ復活とゆーか再結成とゆーか立場がちょっと複雑な「Tin Pan」だったりするから雀100まで踊り忘れず、三つ子の魂わしゃ99まで、学生時代に擦り込まれた音楽への愛着はよほどのことでもない限り消せないらしい。合わせて山下達郎さん本人の久々の再発「クリスマスイブ」も買えば3カードで完璧なんだけど、持ち合わせがなく楽曲的にはすでにどれも聴いてしまっているものだかた、ちょっと二の足を踏んでしまった。本当は最初にシングルカットされた時の12インチシングル、ピクチャー盤が欲しいんだけどこれ、高いんだよねー。

 それにしても恐るべし竹内まりや。まるでコールドスリープのカプセルに入っていたか、それとも光速の宇宙船にのってはるか彼方の星まで行って帰って来たばかりなのか、皺の数はともかくもスタイル容貌のほとんどに20年くらい前との大差なさを綴じ込みのライブ写真なんかで見せてくれていて、こんな嫁さんもらった達郎さんの何とも羨ましいことか、なんて思ったのも実は一瞬で、CDを聴き始めるととりあえず響くのは容色衰えず艶さえ増した竹内さんの声と緊張するからといって苦手にしていた割には上手なライブでの歌なんだけど、聴き込むうちに達郎さん渾身の巧みで厚みのあるアレンジの素晴らしさがわき上がって来て、時折バックで響く高温ながらも張りのあるあの独特な達郎節も相まって、こんな旦那さんをもらったまりやさんのとてつもなく贅沢なことへの羨望がめらめらと浮かんで来る。その度合いは桑田圭佑さんを旦那にした原由子さんより上かなあ、だって原さんの方が声的に好きだし。

 ライブアルバムの「JOY」には達郎さん唄で入っているけど、本家はこっちな竹内まりやさん唄う「プラスティック・ラブ」なんか、まんま「JOY」と同じアレンジなんで夫婦での唄の聴き比べが出来てしまうあたりがちょっと貴重。音程なんかあんまり違う風に聞こえないのは当方の耳が悪いだけなのかもしれないけれど、同じだとしたらハスキーとはいっても女声なんで結構ハイトーンなまりやさんについていけるだけ、達郎さんの声も凄いってことになるんだろー、ラスト付近の叫びなんかは「JOY」と同じだったし、コーラス合わせられるだけでもやっぱり凄い。もちとんまりゃさんの巧さも年季が入っていて、かつてはキャピキャピってた「不思議なピーチパイ」とか「SEPTEMBER」を今の音色で聴けるってのも貴重かも、聴けば聴くほどライブの場にいなかったことが悔やまれる。うーんまた演って、10年でも待ってる。なおSFな人にはキーボードとピアノが難波弘之さんだと言って置こう。別にプログレはしてないけどね。

 ウォッチキャップを被って長髪を垂らした達郎さんの写真にやっぱり気になるお年頃なんだろーかと感じつつ、自分も縛らないで真似して垂らそうかとか思ったのは内緒。髭そればノッペリする顔なんでストラトキャスターを抱えれば割と似るかも、余興でやるか。それはさておき遅蒔きながら竹岡葉月さんの「ウォーターソング」(集英社、476円)を読了、酸性雨が振る開発途上の惑星で小学生たちが着る黄色い防護服にヤノベケンジさんの黄色い放射能防御服(ガイガーカウンター付き)が重なって見えてしまったけど、単なる偶然だろー、黄色ってほら、注意一生な色だし。世界設定も面白いけど頑丈な防護服では声が通らずかといってマイクを入れてなければ会話できない状況で、めいめいにスコップだとかハンマーを持ってヘルメットを叩いてコミュニケーションを取るってディティールにちょっと感心。振り上げたスコップを知らない人が見て攻撃だと感じるのもむべなるかなで、限定された空間では当然なシチュエーションを見せて現実とのズレを感じさせてくれるSFならではの「ワンダー」を強く覚える。

 併録でタイトルにもなっている「ウォーターソング」の方は「僕らに降る雨」にも出てくる転校少女の幼い日々を描いた中編だけど、凛々しかった「僕らに降る雨」に比べるとシチュエーションがさらに深刻で残酷になっていて、なのにそんな深刻で残酷な事件をくぐり抜けて来た主人公たちの達観ぶりなんかを読むにつけ、思いをぐっと飲み込んで耐えながら生きていく人間の強さを思い知らされる。疑惑のある星にやって来て、歌姫とその娘と知り合いのっぴきならない事件へと巻き込まれていくジャーナリストの、媚びずおもねらない矜持みたいなものも強く打ち出されていて、端くれとはいえ同業な我が身を重ねつつ、正義でありづけることの困難さ、けれども正義でありつづけることの大切さを噛みしめる。折しも「週刊新潮」で長野県知事の田中康夫さんが、朝日新聞の取材態度への疑念なんかを提示していて、県庁への取材は広報を通せといったことを朝日が非難していることに、だったら読者広報室とかに窓口を一元化している朝日はどうよ? と突っ込んでいてさてはて朝日が何と応えるのかに興味が及ぶ。言ってることとやってることの違いがまさに「商業ジャーナリズム」だとしたら、ヒムロ・オヅはとっとと逃げ出すだろーなー。

 逃げ出したいって意味では当方も同様。報道機関の矜持に反する商業主義的な仕事を押しつけられる可能性があってそろそろ潮時かもと覚悟の醸成に入る。決して清廉潔白な身ではないけれど、少なくとも右手に「報道の自由」の御旗を持って相手の懐深くまで攻め入ったところで、左手から奉加帳を出してお願いに回るなんてことはしてこなかったし、「新聞」とゆー場にいる以上はこれからもやる気はないから、事によってはいよいよ身辺を綺麗にする必要に迫られるかも。これが雑誌なんかのタイアップだったら最初からそーゆーもんだと納得もできるし企業の広報誌だったらスポンサーの意向に従うのは当然のこと。けれども権力と戦う最後の砦となりうる言論機関においての上半身と下半身の結託は、やはり認められないとゆーのが当方のスタンス。矛盾しているかもしれないけれど、こればっかりはゆずれない。まあ状況は流動的だし気分も日によって変わるから先行きは不透明だけど、歳も歳だし貯金もそれなりに出来たことだし、この辺で未来について考えつつ、ちょっとだけ息抜きしてみるのも精神衛生上必要かも。白便箋に白封筒、いつでも書けるよー用意だけはしておこー。


【11月22日】 多分10年も経っていないのに既に懐かしさが漂ってしまう状況は、小説がまるで消費財のごとく使い捨てられ読み流されていってしまう現代においていたしかたないことなんだろーか、それともやっぱり忸怩たることなんだろーか。なんてことを東野司さんの「ミルキーピア物語」シリーズ最新作、では決してない「よろず電脳調査局ページ11」シリーズ開幕作の「真夏のホーリーナイト」(徳間書店、790円)を読みながら頭をあれこれめぐらせる。考えるほどに詮無いことのよーな気持ちが湧いて来て少しだけ哀しくなる。

 目録を確認した訳じゃないけれど、少なくとも書店の店頭で早川JAから何作も出て結構な人気を獲得していた「ミルキーピア物語」シリーズを見かけることはなく、内田美奈子さんの「BOOM TOWN」(竹書房、各880円)、柾悟郎さんの「ヴィーナスシティ」と並んで国産の電脳ダイブ物の代表作だと個人的に思っているにも関わらず、人に気軽に進められないのが何かとっても悔しい。80年代中期に早川SF文庫でちゃんと平井和正さんの「ウルフガイシリーズ」が新刊で入手できたことと比べると、今の本の生まれて消えるサイクルって異常に早いよーな気がしてならず、だからこそ新古書店が蔓延る要因にもなっていると思うと、やっぱりどこかに何か間違った所があるんだろー。

 それはともかくも新刊の「真夏のホーリーナイト」は、「電脳祈祷師 美帆(邪雷顕現)」(学習研究社、780円)でアダルトなシーンでも持ち前のコンピューターに関する知識や取材力を発揮してくれた東野さんの本領発揮ともいえる、手軽で気軽で楽しくそれでいて深い小説に仕上がっていて、加えて「ミルキーピア物語」シリーズとの登場人物の重なりもあって、前からのファンならにまにましながら楽しめるし、もちろんこれが初読の人でも、「伝説のネット潜り名人」なる片山秀人なる人物がいて、同僚の夏鳴琳がいて、ネット内キャラクターとして活躍する女言葉を喋る筋肉野郎のアーノルドがいてってな歴史的事実だけを認識しておけば、無理なく作品へと入っていける、でもやっぱり気になるかなあ、片山って何者? ってことが。

 それにしても徹底してリアリストだなあ、とゆーのが読み終えての感想で、これが並の作家だったら、電脳内に誕生した残留思念めいた存在がとりあえずの望みをかなえた時点で善へと昇華されるだろーところを、「狂った」とあらかじめ断ってあったよーに、決してハッピーエンドには向かわず残酷な現実を見せつけて胸に痛みを感じさせる。ロボットが手にバネを乗せて見せてくれた場面で滲んだ感動の涙が乾かないうちに繰り広げられる、現実的にはそうなるしかない展開は正直言って辛い。けれども辛さを乗り越えてこそ得られる感動があることもまた事実で、死んでしまった存在ではなく、染み着いてしまった残留思念でもなく、物語の中で現実に生きている少女が気持ちに整理を付け、快復への道を選んで進んでいくエンディングが見せる開けたビジョンが、現実の中で現実に生きている読者に前へと進む勇気を与えてくれる。年末で世紀末に出た秀作SF、読んであなたも得よう、勇気を。

 勇気凛々な少女の姿を見たければ岡田芽武さんの「ニライカナイ 第3巻」(講談社、714円)なんか良いかも。神様になって最大最強の力を得ようとする存在に対して吐く乱空とゆー少女の「人間という生物は人間のまま強くなる義務がある」とゆー言葉。決して神頼みといった他力本願ではなく易きに流れ強きに媚びる弱い心を意志によって克服し、自らの力を高めようと前向きに努力していく大切さが滲んでいる。神の国「ニライカナイ」へと迎えず惑う少女の魂を救うべく、人間として出来る最大限のことを、自らの命すら削ってやり遠そうとする意志なんか、一朝一夕では真似できそーもないけれど、得られる気持ちのカタルシスが将来のいつか、本当の勇気を得た時には是非見習いたいと思わせるだけのパワーを持っている。相変わらずパンツまる出しで格闘する乱空の姿に目も惑うけど、込められた重いメッセージもまた強く心に響く。単行本の出る歩みの遅さは残念至極、それでも続いてくれているだけめっけもんなんで、ひたすら完結を待ち望みつつ、緻密過ぎる絵とド迫力の文字パワーを堪能して行こー。


【11月21日】 徳間デュアル文庫は中井紀夫さんに東野司さんと一時のハヤカワJAでトップを張っていた人たちの大復活祭。なるほど思い返せば早川から世に出た小松左京さん平井和正さんが後に徳間文庫から本を出して活躍していた流れを、今に引き継いでいると言えなくもないけれど裏返せば80年代を通じて日本SFに寛容だった早川書房の90年代に入ってどことなく日本SFに慎重なスタンスを裏付けた例と言えなくもなく、数々の俊英を送り出してきた「ハヤカワSFコンテスト」の長引く停止とも相まって、日本SFにおける早川書房の立ち位置の揺らぎみたいなものを強く感じる。とは言え最近はファンタジーノベル大賞やヤングアダルトからの逆輸入めいた雰囲気で新しい作家を取りあげ始めているから、あるいは21世紀には再びの復活を遂げるのかもしれず、「SFマガジン」の動向も含めて行方は注視する必要がありそー。コンテストもそろそろ復活させよーよ。

 さて中井紀夫さんのデュアル文庫から出た「サイレント・ゲート 遺響の門」(徳間書店、590円)は、肉感にあふれる中澤一登さんのイラストはなるほどヤングアダルトの王道を行ってる感じだけど、本文の方は「山の上の交響楽」をはじめセンス・オブ・ワンダーなシチュエーションの上で繰り広げられる人間の、殻をやぶろうとしてあがく心理なんかを描いて定評のある中井さんらしい本格的なSF長編に仕上がっている。文体ひとつ取っても妥協がなく、すでにベテランと呼べるキャリアならではの安定した文章で描かれる、宇宙創生へとつながる果てしないビジョンが心に迫って来る。

 どうやらさまざまな宇宙人たちと暮らしていけるよーになった未来の宇宙。その中のある星のドーム都市に暮らす遥は、優秀な軍人を育てるエリート学校にいながら勉強に身が入らず町をふらつきさまよう。そこで出逢った刺繍が得意で歌も上手なヴィオレッタと連れだって、その星に原生する種族が住む村へと出かけ、その種族が古くから祭る謎の種族クランガの存在を知る。一方でその宇宙では、あらゆる知的生命体とのコミュニケーションを廃して、ひたすらに殺戮を繰り返すキラーバグという種族が存在して、人類を含めた知的生命体と長い抗争を繰り広げていた。そのキラーバグが、何故か遥たちの住む星へと襲いかかり人間の軍隊と戦闘状態に入る。そんな中、遥たちはキラーバグの正体に気付き、謎の種族クランガとの交流が人間とキラーバグとの対話を可能にするのではとの想いに至る。

 果たしてキラーバグとは何なのか。クランガとは神なのか。宇宙創生の秘密が明かされ、キラーバグの正体が浮かび上がる展開の中、人間がより高みへと進んで行くための道、めいたものが示される。その意味では小さな物語の外側を、人類とは、生命とは、宇宙とはといった大きな物語が覆う実に「SF」らしい小説だと言えそー。もっとも本来だったら描いて描き込んで描き切らなくてはいけない人類と高次な生命体とのコミュニケーションの部分が、主役の少年の資質めいた部分に集約されて描かれていて、小説としてのおさまりの良さは感じさせてくれるけど、SFに大切な吃驚仰天のシチュエーションを論理的、合理的に解釈して行く思考実験めいた要素は端折られている気がして、ちょっともったいない気分も。ヴィオレッタとゆー存在の特別なのか普遍なのかも悩むむところで、結末が綺麗過ぎるって気もしないでもない。が、そこはSFの入門編とも言える「デュアル文庫」に必然な展開と思うことにして、驚天動地なシチュエーション、その上で繰り広げられるどこか懐かしいドラマを楽しむことにしよー。

 ソニーが何やら新しいロボットを発表するって案内があったんで品川へ向かう。駅に向かって歩いていると横断歩道の向こうからどう見ても山形浩生さんとしか思えない背格好にファッションの人が歩いて来て、やあ山形浩生さんだあとすれ違い様つぶやいて振り返ったらやっぱり山形浩生さんだった。エンジニアリングブーツはここでも定番だったか。「ソニーのロボット見に行くんでーす」と告げて電車に乗って品川プリンスホテルの発表会場へ。舞台の下に何やら小さいサッカーボールが頃がされていたんで、あるいは2足歩行ロボットなのかもとか思っていたら、やがて配られた資料に小型2足歩行エンターテインメントロボット「SDR−3X」とあって、これじゃー機能の本田技研工業の2足歩行ロボット「ASIMO」と被ってるよニュースバリューが下がるよと嘆息……するのは早かった。

sdr-3x"  スタートした発表会でデモ映像なんかを見た後で、いよいよ登場したソニーの2足歩行ロボットは、全高こそ50センチで重量こそ5キロと小さく軽いものの、こと歩くとゆー動作に関しては「AIBO」の4足よりももしかしたらスムースかもと思わせるほど人間的。前も後ろもしっかり進むし方向転換も左右のステップも思いのまま。手の方も結構自由度が高くって、両足を左右に踏み出しつつ手を前後左右にふり回すその動きを使えば、御覧のとおりにパラパラだって平気で踊らせることが出来る。驚きなのは片足でちゃんと立っているって点。人間だって片足バランスはフラフラになる人がいるのに、ロボット風情がこの安定感はちょっと悔しい。まあデモは事前のプログラミングの産物らしーけど、デモ映像では左右に揺れるサーフィンボードの上でバランスを取る「SDR−3X」が映っていたから、リアルタイムの活動の中でちゃんと全身協調動的制御システムが機能しているらしー。

 使っているアーキテクチャーは「AIBO」と同じ「OPEN−R」でOSはソニーが誇る「アプリオス」。だから「AIBO」なんかの技術をまんま2足歩行ロボットにも応用させて安く作ることが出来たらしー。もしかすると互換性なんかもとれるのかなあ、「AIBO」の育成結果を移せれば犬から人間へと進化した家族を楽しめるってことになるよなあ。動きについてはこのために開発した3種類の小型ながらも高出力のアクチュエーターが威力を発揮しているらしく、時速で900メートル、分速だったら15メートルの歩みこそ人間に比べればゆっくりながら、実際に見ればなかなかセカセカ歩いているし、パラパラの決めポーズへの移行のシャキっとぶりもなかなかでちょっと驚く。

 ボールを蹴る動きはベタっとしていてサッカーならではのスピード感はまだ出ていなかったけど、目でボールの色を識別し位置を認識して蹴りにいくんだからそれはそれで凄いこと。動きもいずれは早くなるだろーから、そう遠からず本当にロボットがサッカーをする日が来そーとの思いを強くする。「AIBO」のよーにカワイサを振りまく訳でもなく、腰ふりサンタ人形よりはフクザツな踊りを踊って見せる程度の役にしか立たなさそーだけど、最初は試作で値段も結構していた「AIBO」が製品となり値段もどんどんと下がっている状況を見ると、今は乗用車1台分らしー値段もいずれは原付1台分くらいまで下がって、動きも腰ふりサンタに加えて歌唄いトラウトさらには旗振りオジギビトを足して10かけたくらいの、知性的で複雑なものになることだろー。「まるいち」だってそー遠くはないかも。21世紀ってホント面白そーだなー。


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