Last Updated 2017/2/25
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【2月25日】 午前5時には起きて総武線をお茶の水まで行ってそこから中央線で新宿で降りてテアトル新宿へ。午前7時ですでに結構な行列ができていはいたけど、「宇宙戦艦ヤマト2199」のイベント上映をやっていた初日に並んでいた人たちと大差はないというか、同じ人たちが2年くらい歳を取っている感じで、果たして若い人たちは入ってきてくれているのかが気になった。これが「機動戦士ガンダム」シリーズだと若い人向けのも作られ、ポップカルチャーからの参入もあってファン層が広がっている感じだけれど、「ヤマト」はその辺がちょっと見えづらい。キャラクターデザインだけではやっぱり若い人は食いつかないのかなあ。

 それでも「2199」の出渕裕さんは、ストーリーに工夫もして新しい要素を入れて群像劇めいたものを描きつつ、初見の人が観て納得のシリーズへと昇華させたから、まだ少しはファン層の拡大に貢献したかもしれない。「機動警察パトレイバー」の人、っていうバリューも新しいファンを引っ張る要素になった。だったら「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」はどうなんだろう、ってことで観ても今のところ新規の客はそれほどなく、今はコアなファンがそのまま繰り上がっている。後はストーリーでどこまで若い人たちにアピールできるか、ってところだけれど……映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」と「宇宙戦艦ヤマト2」の混ぜ合わせってだけではちょっと、厳しいかもしれないなあ、エンディングが沢田研二さんで喜ぶのってもう、軽く50歳は過ぎていると思うし。

 まあ男子のそうした若いファンは来ずとも小野Dこと小野大輔さんに鈴村健一さんといった人気の声優さんがいてそして新たに神谷浩史さんまで加わって、舞台挨拶には若い女性ファンがいっぱい押し寄せそうだし実際来ていた。そんな3人が群像劇の中でかすれず主役級を張っていってくれればファンも喜ぶだろうけれど、それがヤマトなのかっていうと難しいところ。そこで妥協せず物語を通した出渕さんと、ストーリー性で行こうとする福井晴敏さんであり羽原信義監督との違いかなあ。出渕さなったら外で無帽の古代たちに挙手の敬礼はさせなかっただろうから。そういう部分のこだわりが剥げ落ちていって果たしてミリタリーな人は止まってくれるのか、そして新しい人が分かりやすいと入ってきてくれるのか。どっちが勝つか。その意味でも今後の展開が注目。そして観た「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の感想はと言えば……。

 結論、芹沢虎鉄が全部悪い、ってことなんじゃないか。遠くイスカンダルから地球に戦う力と救う力を与えてくれたスターシャが、あれほどお願いをした宇宙を破滅に導くへいき、波動砲の封印をあっさり破って一艦長すなわち沖田十三の約束であって別に条約じゃないから破るも何もないとほざいてアンドロメダに拡散波動砲を搭載し、それを何隻も作って地球の力を満天下に示そうとする。同盟を組んだガミラスでさえ眉をひそめるその傍若無人ぶり。それで遥か彼方から来る白色彗星帝国だって打倒できると信じているらしいけれど、やたらと愛を謳うあたりにズオーダー大帝の拘りがある印象で、そこで野蛮な波動砲なんて使う人類に、これは愛が足りないと嘆き憤って地球へとやって来るに違いない。

 つまりは芹沢の先走った愚策が招いた危機。そして地球人類の多くを失い地球を大きく破損したガミラスとの戦いも、相手の最初の交信を無視して先制攻撃を仕掛けた芹沢ら軍務局が戦端を開いたようなもので、それで結果としてガミラスが宇宙を侵略することになったデスラー体制は崩壊し、地球も軍門に降ることなく独立を維持したものの、一方で払った犠牲はもう半端じゃない。逆らわず軍門に下るべきだったか否かは判断に迷うけれども、芹沢らの行動は戦端もそしてヤマトを乗っ取り別の惑星への移住を進めようとする計画へと逃げようとした罪はやっぱり問われるべき。それなのに、終戦後も更迭されずに軍の上層部に居座ってアンドロメダ建造へと至りそして。失敗する軍隊の失敗の本質を方多様な人物。でもそういう人が設定されていることもまた、地球だけが正義じゃないってことを分からせてくれる理由になっていからここは受け入れるしかないのかも。結局地球人が1番愚劣で野蛮だってことで。

 小野Dと鈴村さんと桑島法子さん福井さん羽原監督が登壇した舞台挨拶を聞いて時間がまだ朝だったんで、中野坂上へと回って東京工芸大学芸術学部の卒業制作展を観る。去年までは秋葉原のUDXで開かれていたけれど、校舎もきれいになってハイクオリティの上映が可能なシアターも出来たんで移したみたい。でもってとりあえずみたアニメーション学科の研究室別の上映では、三善研究室の渡邊はるかさんによる「胸がいっぱい」に笑った笑った。テレビをつけるとどのチャンネルも胸の大きな女性が胸を誇示する番組ばかり。自分は平たい女性はそれがいやでチャンネルを変え続けて、パイパイの実を植えるとすぐに育つといった園芸の番組を観てこれだと思い自分の実をとって鉢に植えたらとんでもないことが起こったという、そんな話。

 平たく手も上げたり寄せたりすれば少しはふくらむ胸の描き方が良かったし、何より突拍子もない展開が良かった。というか胸のあれってとれるのか。とって植えるとああなるのか。発見だった。そして女性の悩みに答えた後、男性の悩みにも超えたるエピローグが挟まれていたけれど、そこに至る過程であの男性は自分のを切り落としたんだろうか。そこが気になった。そこまでして大きいのが欲しいのか。欲しいなろうなあ。それが男心ってものだ。三善研究室ではあと、ホウリクヨウさんの「死神と赤ちゃんの大冒険」が絵的に完璧でドラマ的にも面白かった。そのままNHKとかで放送しても良いんじゃないかってクオリティ。きっと遠からずプロとして登場してくるだろう。韓国の人なのかな。

 クオリティでは大学院の橋谷卓磨さんによる修了制作作品「red flower」がもう素晴らしい出来。霧の漂うような暗い平原を巨体をもった何者かと小さな何者かが連れ立って歩いていて、巨体から小さいものへと赤い花が贈られるけど風で飛び、巨体のものも追いかけて消えてしまう。取り残された小さいものが彷徨い赤い花をみつけていった先で合流し、そして向かった先に広がる巨大な赤い花が連なる平原。怪物というより父親と娘の寂しくもほほえましい人生の暗喩とでも言えそうなストーリーを、絵本のようなテイストの絵で描ききっている。完璧といいたい。あと同じ大学院のコカさんによる「コーヒータイム」も、黒いコーヒーの中にひろがっている宇宙のイメージを易しい絵柄でメタモルフォーゼを使い時空を自在に飛び越える特長も生かして描ききっていた。これもまた最高。いずれどこかで上映される2作だろう。気にして欲しいそのタイトル。

 ご飯を食べさせてくれたんでキーマカレーを頂きそしてマンガ学科の卒展ものぞく。山本千佳さんの「卒業」がすごかった。昭和な雰囲気の学生話は丸尾末広というより古屋兎丸的な耽美とシリアスが混じっていて読んでグッと来た。美形の少年の美形ぷり、でも性格の格好良さが胸に刺さった。そのままどこかに掲載されても良さそうなできばえ。あとあと齋藤聖子さんという人の「KANNA」がえだけでなくストーリーもしっかりしていていて読ませた。父親が失踪してしばらく。残された家をもう処分すると母親から連絡があって帰省した娘が姉妹と再会しつつ過去と向き合い父親が自分に向けていた感情、そして自分が父親に抱いていた感情を今一度問い直す。人生のひっかかりを乗り越えていく物語。上手かった。

 そこから都営大江戸線で汐留へと周りゆりかもめでお台場まで行ってダイバーシティの広場で「けものフレンズ」の主題歌「ようこそジャパリパークへ」のリリースイベントを見物する。CDを買えば特別エリアに入れる整理券をもらえたけれども購入列だけで120番目くらいで大変そうだし、CDは2枚すでに持っているので今さらな感もあったんで一般エリアから見物することにして1時間半くらい立ち続ける。昨日の「カラスは真っ白」のライブに続いて立ち待ちする日々。歳には堪えるけれども仕方がない、これが人生だ。良いこともあった。まだ特別エリアに人が並ぶ前に登場してどうぶつビスケッツとPPPがリハーサルをやってくれて、フルコーラスで歌った両方を遠目でも人垣のない状態でしょうめんから観ることができた。得した気分。本番ではサーバルちゃんの耳しか見えなかったからやっぱり一般エリアで待って正解だったかも。多く見積もり1000人は来ていたような初イベント。ノリも良くってこれからが大いに期待出来そう。次はどこで歌っている姿を見られるかなあ、アニサマかなあ。


【2月24日】 午前0時前に寄ったけれども、店を閉める気満々だったんで退散して、朝に立ち寄ったときわ書房船橋本店で村上春樹さんの新刊「騎士団長殺し」の第1部と第2部を合わせて購入。店頭からレジ前から平台からどかんど積み上げてあって、きっと売れるんだろうなあとは思ったものの、「ねじまき鳥クロニクル」のような凝った装丁ではなく、もちろん初期の佐々木マキさん描くポップなものでもなくってどうにも色気のない装丁でサ、ブタイトルも「第1部 顕れるイデア編」「第2部 遷ろうメタファー編」となんだか出来損ないの自己啓発書みたい。それを読んで面白がれるんだろうかと開いて辿り始めた冒頭で5度くらい行き詰まる。

 前に家へとやって来て肖像画を描いてもらえなかった代わりに受け取ったペンギンのお守りを、おまえはこれを必要としているから返そうと言い、そして肖像画を描いてもらおうとしたものの雲のように渦巻く表情を肖像画家は捕らえられずに描くことが出来ず、それを受けて会うのはすでに2度目なのに「いつか再び」と言って、肖像画家がいずれ必要になると言っていたはずのお守りを渡さず持ち帰る顔のない男が、果たして支離滅裂なのかそれとも自分の読み方が浅いのか。時制とかぬかりなく推敲しているはずの人にしてはなんか抜けてる感じ。それともそこにも企みが? 読み切ってみるまえでは評価しづらいなあ。

  解説仕事で滞っていた読書もいろいろと再開。買って随分と枕元に置いてあった橘マユさん「うさぎ強盗には死んでもらう」(KADOKAWA)は何というか複雑にしてシンプルなラブストーリーといった同じか。出勤した女性の部屋で男と少女が置き忘れられていたスマートフォンを届けてあげるかどうかを話している。冷蔵庫から600円もするアイスを勝手に食べたらしく、その女性に怒られるかもといった会話がやがて2人が女性とは知り合いではないらしいことが見えてくる。空き巣。そんな2人が戯れているところにチャイムがなり、誰かが尋ねてきた。

 そして外から見張っていた青年は拉致をビジネスにしている会社の若手で、仕事して部屋にいる2人を殺害するよう命令され、同僚というか見張り役を2人引き連れ入ると空き巣はおらず男が死んでいて、連れて行った見張り役の2人も殺された。。青年は実は拉致ビジネスの会社で働きつつ、かつてその会社で殺害された彼女の仇を討とうと画策していた。そして空き巣は入っていた家の女性は、その拉致会社にさらわれたばかりだった。2人のうちの少女は殺し屋組織で育ったものの今は追われる身。そんな悪党ばかりの中に現れるのがうさぎ耳のついたフードを被ったうさぎ強盗なる少年。過去の因縁が縦軸として通り青年の復讐が横軸となって絡み、犯罪組織を追い詰め壊滅させる展開へと向かう群像劇が楽しい。成田良悟さん「バッカーノ!」や木崎ちあきさん「博多豚骨ラーメンズ」が好きな人なら興味が湧く1冊。

 デビュー作で角川文庫から新装版が出始めている「サクラダリセット」がアニメーションになり映画にもなる河野裕が創元推理文庫で書き下ろした「最良の嘘の最後のひと言」(創元推理文庫)を冒頭だけ。とある企業が超能力者を年収8000万円で迎えるという告知を出し、応募してきた7人から、1人だけを採用するという採用試験を行うことになって、そして始まった鬼ごっこのような採用試験の中でさまざまな超能力が飛び交い、出し抜いたりもしながら進んでいくといったストーリー。異能の対立だけではなく組み合わせがものを言うのは「サクラダリセット」と共通。騙し騙される中で真実を見抜く目を試されるSF&ミステリーになっていくのかな。週末に読み込もう、でも「騎士団長殺し」が先か。

 「鉄腕アトム」のお茶の水博士こと声優の勝田久さんが書かれた「昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち」(駒草出版、2200円)を読んで少し泣く。そこでは肝付兼太さんも富山敬さんも山田康雄さんも野沢那智さんも滝口順平さんも内海賢二さんも井上瑤さんも生きてらっしゃる。熊倉一雄さんも広川太一郎さんも納谷悟朗さんも大平透さんも皆さん現役ばりばりでいらっしゃる。今まさに活躍されている仕事に臨む姿といったものを見せて思いを語っていらっしゃる。どうしてなのか。
 それはこの本の列伝部分が、1981年つまりは昭和56年から1984年、昭和59年まで、今は無き秋田書店刊行のアニメーション雑誌「月刊マイアニメ」に連載された勝田久さん取材による声優たちの過去と今をつづったコラムが、当時の時間のままで掲載されたものだから。登場するみなさんは超ベテランではなく、まさにアニメーションなり洋画の吹き替えの第一線で活躍する現役の声優であり俳優で、今はすっかりベテランの古川登志夫さんなんかは若手だったりする、あとは神谷明さんか。

 大山のぶ代さん野沢雅子さん池田秀一さん小原乃梨子さん柴田秀勝さん冨田耕生さん小林清志さんら今もおられる方々も含め、昭和50年代後半、声優さんたちが今とは違うアニメ人気の中でどんな仕事をしていたか、そこまで何をして来たのかが分かる。そんな昭和の声優さんさちに通底するのは、別稿で振り返られる勝田久さん自身の歩みも含めて、誰もが演劇、舞台、役者としての自分を思い貫きとおしてそこにいるってこと。別に舞台に立つのが正統とは言ってはないけれど、でも動機として演劇があり役者としての芝居があって声の演技もそのひとつ、といった経歴を見るにつけ、声の仕事が独立して存在する今と熱量なり、雰囲気なりが同じなか、やっぱり違っているのか、ちょっと考えてみたいなあと思った。そこはだからやっぱり今の声優さんたちを追いかけた藤津亮太さん「声優語」を読むしかないかなあ。

 割と最近までこれがラストツアーだと知らずにいて驚いていたりするんだけれど、どうしてという思いもあればやっぱりという感情もあっていろいろと複雑。ただ上を向けばどこまでだって行けそうで、それでも行くためにはいろいろと切り捨てなくてはいけないものもあるなかで、自分たちの音楽を、サウンドを、バンドを貫くにはこのレベルでの公演がマストであり、そして今がベストだったんだろうなあ。だからここでいったんのピリオド。そしていつか……って考えて良いのかな。そんなカラスは真っ白のライブを渋谷のWWW Xで。

 すぐ隣のWWWとは違って段差がなくて平場でそれほど大きくもない中で、どんどんとお客さんが貼ってきてもうギチギチに。そんな開場を番号が良かったんで最前で、シミズコウヘイさんが前に出てギターを弾く正面に立ってその圧巻のギタープレーを間近に観ながら聞き遂げる。終幕にかけてだんだんと盛り上がっていく場内は、前へと向かって圧力が最前にかかりバーで腹筋を鍛えられたけれど、そんな状態からシミズコウヘイさんを見上げ斜めにヤギヌマカナさんを見上げラストまで。泣かせる煽りなく無理に慰めることもなしにごく通に、いつもからいつも以上のアクトをシミズコウヘイさんヤギヌマカナさんタイヘイさんオチ・ザ・ファンクさんとサポートのキーボード、トランペットとあとからしくんが見せてくれた。ビートが利いた名曲「ハイスピード無鉄砲」でピリオド。良かったよ。とても良かった。

 生でカラスは真っ白を見たのは同じ渋谷のパルコにあった2.5Dでの無料ライブで、これも最前でヨシヤマ”グルービー”ジュンさんの前あたりから観てやっぱりのサウンド、演奏、そしてヤギヌマカナさんの魅力にハマって以後、渋谷や代官山や恵比寿や日比谷野音へ行ったっけ。その旅もこれで終わる? 終わってしまう? いつかZeppから中野サンプラザを経て日本武道館へと行くバンドだと思っていたカラスは真っ白。今だってすぐそこに扉は開いていると思うのだけれど……。とはいえこれがラストならしっかりと目に「ハイスピード無鉄砲」までのアクトを残し場内が跳ねた一体感を身に覚えておこう。凄いバンドがいたと。そしていつかまた、再び出会える時があったら駆けつける。それだけだ。今はただ、カラスは真っ白というバンドが存在した時代を生きられて、そのステージを目の当たりにできたことを嬉しがろう。そして作られた幾つもの音楽を聴き続けよう。「FAKE FAKE」かけならがあそこでクラップとか。ね。


【2月23日】 ホラーでありSFであってミステリでもあるといった感じか、講談社タイガから出たオキシタケヒコさんによる「おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱」(720円)はとある田舎で叔母と叔父が経営している新聞配達店に居候している少年が、毎日曜日ごとに山中にある屋敷へと出向いて座敷労に捕らわれている片手と両足が不自由な少女ツナに怖い話を聞かせ続けて10年という、そんな設定があっていったい少女は何者か、といった疑問に対する答えがもたらされるけれどもそこにひとつ、ホラーでありちょっぴりSF的なニュアンスが漂う。人間から生まれる恐怖というエネルギー。それを食らう超次元的存在を宇宙人と呼ぶべきか、それとも妖怪を呼ぶべきかでジャンルが分かれ、あるいは融合する。

 そこに絡んでくるミステリとしての要素。シャーロック・ホームズもかくやといった感じに依頼主の難題を解き明かしていく謎めいた男がいて、その正体はホラー雑誌の副編集長ながらも全国各地を放浪中。その彼がミミズクと少女から呼ばれている瑞樹という少年につきまとっている怪異の謎を根拠を持って解き明かしてのけるあたりは、ホラーに逃げないミステリとしての謎解きの楽しみがあるって言えそう。知識があって観察力があって技術も伴って成り立つ技。そんな技がホラー的、あるいはSF的といった現象をも含めて解き明かしては良い方向へと導いていく展開が面白い。人間が抱く恐怖の心を糧にして生きる存在を、どうやって生き続けさせるのか。その難問に対する答えにニヤリ。まさか作家自身がそういう依頼をこなすために動いているのでは、なんてことはないかな。伝奇に見えてSFだった「筺底のエルピス」とも通じる設定。SFもホラーもミステリも問わず読んでみよう。

 せっかくだからとパシフィコ横浜まで出かけて「CP+2017」を覗いたけれどもほとんど何も見るものがなかったというか。つまりはカメラの展示会だけれどニコンもキャノンもフラッグシップになるような新製品を発表しておらず、オリンパスもソニーも共にメジャーとはちょっと一線を画したメーカーで大勢を集める材料には乏しい。我らがペンタックスが新型機の「PENTAX KP」ってのを出していて、中級機でもってコンパクトでISOの感度が無茶苦茶高くて使うに便利そうではあったものの、フルサイズデジタル一眼のフラッグシップ「PENTAX K」を去年に出してしまっているからやっぱり引っ張るだけの話題性には欠けている。パナソニックも似たようなもの。シグマの「sd Quattro」って安倍吉俊さんの同人誌で沼扱いされたカメラもあったけれど、その扱いどおりに色物だからなあ。いや真剣に使うと面白いカメラではあるんだろうけれど。

 だったらアクションカムはと見てもニコンがあるくらいで他はちょぼちょぼ。去年あたりまでは3社くらいがいたようなドローンも今年はDJIだけで、流行しているとはいいながらも栄枯盛衰の激しさって奴を感じさせる。そういえば3月と4月に幕張メッセで立て続けにドローンの展示会が開かれるけれど、片方なんて未だに出展社を募集しているものなあ、産業となるにはまだまだ利用が少なく、メーカーの方も格差が進んで来ている感じ。そんな業界から金をむしりとろうと媒体とか立ちあげたって人件費とか経費に見合った収益なんて得られないのに。いやどこって話じゃないけれど。そんな中で見てこれはと思ったのはZEISSが出してたVRゴーグルくりあかなあ。スマホを挟んで見るタイプだけれどツァイスだけあってレンズが良いのか歪まない。そして発色が良い。これでコンテンツをスマホに落として見たらいったいどんな感じに見えるだろう。ちょっと欲しくなったけど、それにはまずスマホから揃えないといけないのだった。VRもやっぱり旗頭にはならないか。来年はもうちょっと賑わうと良いけれど。

 早々に退散をしてその足で横浜美術館へと回って「篠山紀信展 写真力」を見る。宮沢りえさんがぶるんとしていた。もうとてつもなくぷるんとしていてしばらく見入ってしまった。ぷるんぷるんじゃない。それだと何か揺れ動いたり垂れ下がってりしていそうな印象が漂うけれども、宮沢りえさんのそれはぷっくりとふくらんではしかりと前を向き、それでいて下がらず揺れもしないで柔らかさと確かさを持ってそこに存在し続けるといった具合。そこからあと何年かすればぷるんぷるんになったかもしれず、何年か前だとぷくっといったニュアンスの印象を抱いたかもしれない。まさに絶妙にして絶好の時期を篠山紀信さんはとらえた。そういう巧さと運が篠山紀信さんをして長くグラビア写真家のトップに君臨させ続けているんだろう。

 とにかく巧い。どれも適当にばちばちと撮っているように見えて1枚1枚が被写体を考え背景をマッチさせ構図を工夫して撮っている。東京都庁をばっくに座頭市の構えを見せた勝新太郎さんなんて背景とのバランスもポーズも最高。水の入ったボートに寝そべる山口百恵さんもその瞬間をとらえつつ肢体の投げ出された感じ、表情のふっと気が抜けたようなところを絶妙なタイミングで抑えてある。そんな瞬間芸の極致を見せる一方で、両国国技館に当時の全力士と全行事を集めて大判のカメラをそれでも何回かに分けて映して繋げて1枚の中に全力士と全行事が入るようにした写真なんかは合成もありながら瞬間をとらえた感じを醸し出す。凄いなあ、やっぱり。

 最近の歌舞伎役者の表情をとらえていった縦長のポートレートとかはまさに平成の大首絵。1枚1枚が写楽の浮世絵にも並ぶアングルと迫力を持っている。そんな篠山紀信さんが展覧会の最後に持ってきたのが東日本大震災で被災した人たちのポートレートで、おそらくはまだ復興途上の背景に立つ様々な人のその瞬間を、笑顔とかではなく怒り顔でもないまっさらな表情でもってとらえて並べている。今はまだそんな時なんだ、って気分をそこに定着させつつ、そんな表情を持った人たちが大勢いる状況をただ撮ろう、そして伝えようとしたんだろう。悲痛とは違うけれど決意でもない、呆然とも違って決然には至らない時間を経て今、篠山紀信さんは被災地の人たちをどう撮るだろう。そんな興味も浮かんだけれど脳内にはやっぱり宮沢りえさんのぷるんが残っている。本当にぷるんだったなあ。ぷるん。

 常設展でも林忠彦さんとか桑原甲子雄さん、土門拳さんといった写真家たちのスナップやポートレートが展示してあって写真美術館以上の充実ぶり。ざっとながめて下に降りると「わからないブタ」でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞した和田淳さんの新作「私の沼」ってのを上映していてしばし見入る。部屋の中を5面のスクリーンに見立ててそれぞれに「私の沼」という同じタイトルの、けれども中身の違う映像を投影してはバラバラに進んでいるようで、関連しているような流れにして全体像としてひとつの世界って奴を作り上げる。

 沼のほとりで女性が喋りつつ犬を抱えたり手放していたり、床で赤ん坊が遊んでいたり、ネコヤナギを猫が食べていたり、沼のほとりで子供か小人が魚を釣り上げ崇めていたり。あと何かノイズめいたものだけが流れる1枚があってそれらが最後、繋がるような余韻を残すのは何だろう、1人の心に浮かぶ諸々をそれぞれに描いてみたって感じなのか。思考は一直線ではなく沼のように各所で違った様相を見せる。でも結局は1人の思考、1つの沼。そんな意味合いか。はっきりしたことは分からないけれど、どれを見て良いか迷いつつどれも見てみようと思いつつ、見逃してまた見て他を見逃しているのもまた、ひとつのことに集中し続けられない人間の思考のフローぶりを示していると言えそう。映画館では再現不能なあの感じ。行って体験するしかない。


【2月22日】 東京ゲームショウが2017年も開催されるみたいで、その概要発表会を見物にホテルニューオータニへ。昔はいろいろな会見とかが開かれパーティーなんかもいっぱいあって、それこそ月に1回は寄っていたような記憶もあるけど、最近はまるでそうした機会がなく、同じ東京ゲームショウ2016の発表会見に来たとき以来、1年ぶりじゃないかとすら思えてたりする。本当にそうかもしれないけれど、中はとりたてて変わらず、通路から見えるテニスコートでテニスに勤しむ人も相変わらずいて、セレブってのはどこの世界にも存在するんだなあといった思いもひとしお。ホテルオークラが建て直しに入り、赤坂プリンスホテルは消えて巨大な四角いビルになってしまった今、東京都内の1990年代的な雰囲気を残したホテルとしていつまでも続いて欲しいもの。建て直しとかって話、別にないよね?

 東京ゲームショウ2017は去年はVRだったコーナーにARが加わって、「VR/ARコーナー」になるみたい。やっぱり「Pockemon GO」のヒットがそうさせたんだろうと思うけれど、ヘッドマウントディスプレイを被せれば何とかそれといったものを楽しんでもらえるVRと違って、現実空間に何かを重ねないといけないARを移動しないブースのような場所で見せるのって大変そう。あとは機材か。ホロレンズとかって出てはいるけどまだ高いし、かといってエプソンとかが出している小さいモニターでは何を楽しんでもらうことって出来そうもないからなあ。何をどうやって見せるのか、そんな工夫も観て将来来るものを考えよう。

 そして昼はカレー。本当はCoCo壱番屋で野菜カレーを食べたかったけれども赤坂の店に寄ったら混んでて入れず、ほかにC&Cとか見当たらなかったんで次の仕事があった東銀座まで行って、ゆで太郎で400円のそば屋のカレーを食べる。ちょっぴり肉片が入っていたのはフレンズたちに申し訳なかったかなあ。何でカレーかはつまりは「けものフレンズ」の第7話「じゃぱりとしょかん」でかばんちゃんとサーバルちゃんがボスといっしょにやって来た図書館で、出会ったアフリカオオコノハズクとワシミミズクのペアがかばんちゃんの正体を教える代わりに要求したのが“料理”というものを作ること。フレンズたちは人間に見えて元は動物なんで料理をして食べるといったことはせず、かといって草木を食べている訳でもなくじゃぱりまんを拾うかもらうかして食べて栄養補給をしている。

 でもそれではせっかくフレンズになって人みたいになったのに勿体ないと、ヒトはいないかと探し図書館へと来る途中の道に細工もしてヒトを峻別できるようにしていたら引っかかったのがかばんちゃん。板をみていきなり字を読み出したかばんちゃんに何をいきなり言い出すんだと訝ったサーバルちゃんを見るにつけ、フレンズたちには文字といった概念はなくそれを読むこともせず、だから文字を読んで喋ったかばんちゃんが何を級に喋り出したのか分からなかったってことみたい。そういう部分の細かさが、世界設定のどこかシリアスでダークな部分に信憑性を持たせているとも言えそう。いよいよもってヒトだと判定されたかばんちゃんに向かって、絶滅したといってのけたりもする辺り、だったらかばんちゃんは何者なんだって不安が浮かんでその先、どうなるんだって興味も湧いてくる。

 でもってストーリーの方で、暗くはならずでへこたれないでカレー作りに挑むかばんちゃんと、そしてサポートとして野菜をその鋭い爪で細切れにしているサーバルちゃんの仲の良さってのがつづられる。食べきれないくらいに細切れにしたけどそれを見てかばんちゃん、多すぎるとか愚痴なんていわずにすごいありがとうって素直に出てきた。何かしてもらったらお礼を言うし困っていたら助けてあげる。人間以上に人間らしい優しさってのが見えて気持ちが楽になる。それだけにもうどこにもいないかもしれないヒトを探してジャパリパークを行くかばんちゃんとサーバルちゃんとボスに、どんな結末が待ち受けているかが今は興味津々。たぶん全世界的な興味だけれど次はちょっと一服かな、PPPのライブがあるみたいで。どんな感じに歌うんだろう。そしてオープニングでまた増えたシルエットを埋めるのは何か。残る1カ月、やっぱり目が離せない。

 東銀座では鉄腕アトムのロボットを組み立てるパートワークが出たって発表会。それにしてもすごいメディアの数なのは、やっぱり鉄腕アトムというタイトルが、そうしたオールディーズなテレビとか新聞とかにはフックになると考えているから、なんだろう。中身はそれほど凄いかって感じでもなく、デアゴスティーニが出してたRobiの方が動きも喋りも結構凄かったりするんだけれど、外側が鉄腕アトムである、っていった認識がそれを報じれば誰もが見てくれるって認識になってメディアを会見へと向かわせたんだろう。

 でも現実、テレビアニメーションから50年以上が経ち漫画からだと65年も経って還暦ですら過ぎている訳で、そうしたものを自分のものとして感じている人で、ロボット作りに興味もある人がいったいどれだけいるのか。代名詞としては知っていても興味の向かわないものを、旧態依然とした知名度で持ち上げ報じつつ作って世に出して大丈夫なのって気もしないでもない。むしろガンダムとかマルチの方が若い人には知られているかなあ、それすらもやっぱりオールディーズな感じかもしれないなあ。果たしてどれだけ売れるのか、Robiを上回ることは出来るのか、ロボットとしての雰囲気は悪くないだけに外側の知名度の是非が明暗を分ける可能性を想像しつつ、行方を見守っていこう。

 終わって東銀座から都営浅草線で三田まで行って、バンダイナムコエンターテインメントでもって「城崎広告」という何かよく分からないプロジェクトの発表会を見る。いや、自分には割とすんなり理解できたけれども、普通の経済記者とかが聞いたらいったこれは何なんだろうと首をかしげたかもしれない。「城崎広告」というのは広告代理店の名前で、それはバンダイナムコエンターテインメントが立ちあげたキャラクターみたいなもので、架空の広告代理店というものを設定して、そこに所属しているイケメンの社員たちがいて、いろいろと活躍をしている姿を眺めて楽しむ。765プロダクションに所属しているアイドルをながめるようなものといったところか。

 ただし「城崎広告」の社員たちは、765プロダクションのアイドルのように育成して楽しむってものではなく、彼らは彼らとしてとあるPR案件を受託してそれをどうやって事業化するかをいろいろ考えていて、その頑張りや努力を見てキュンとする、といった感じになっている。なおかつそこで受託する案件というのが、リアルな企業のリアルな商品だったりして、今回はサンスター文具の商品を受託して「城崎広告」のメンバーがあれやこれや話し合い、企画を提案して世に訴えていく流れになっている。リアルな有名広告プランナーがいて、いろいろと企画を立案してプレゼンをして勝利し世に出して流行らせるようなストーリーを、架空のキャラクターでやるようなものとでも言えば良いか。

 ただ、そこでリアルなプランナーには直接は抱きづらい共感も、バーチャルなイケメンキャラクターだったら最初からずっと見て、その頑張りにほだされていくといったストーリーから抱いていけるし、そうやって世に出た企画の成果を嬉しさとともに噛みしめて、商品への愛着を抱くといった結果も得られる。架空の広告代理店でありながらも、というか架空だからこそのファンの関心を集め、そこが介在することによって仕事の成果にも関心を向けさせる一石二鳥なプロジェクト。面白いけれどもそれが流行るには、キャラクターへの共感って奴を醸成する必要がありそう。どんな属性でどんな雰囲気を漂わせながら業務をこなしていくのか。そんなシナリオをしっかり整え、そうとは思わせないで世に出していくクリエイティブが果たして出来るかに、まずは注目したいところ。個人的にはイケメン男子には興味がないんで、社長の城之崎律子さんのファンになろう。彼女、どんな仕事ぶりを見せるんだろう。


【2月21日】 朝から汐留シオサイトへと寄ってBOATRACE振興会が各地で展示しているVR+MX4Dのボートレース体験アトラクションに乗ってくる。映画館においてある動くシートのMX4Dの上で、ボートレースをやっているVR映像をヘッドマウントディスプレイで観るっていう趣向なんだけれど映像の展開とシートの揺れがシンクロし、そこに前を走るボートから飛び散るしぶきもかかって結構な没入感を得られる。よくあるジェットコースターのVRよりも、リアルなボート競技を体験できるいって意味で、面白いし貴重かも。というかボートレースってあんな感じにほかのボートと競り合っていたんだなあ。インをとれば勝ちとかいうけど、観たより速い速度で重力もある中でボートを操作するのは大変そう。そういうのが出来るVRアトラクションが出来ればやりにいくかもなあ。

 PUB虐殺器官へと寄った時に配慮した宮澤伊織さんの「裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル」(ハヤカワ文庫JA、780円)を読んで、とりあえずなんて面倒くさい女子たちなんだと思ったりしたというか。まずは紙越空魚の方だけれども過去に結構厄介ごとがあったようで、今は埼玉にある大学に通っているけど学費なんかがかつかつで、それで現実から逃避する思いでもあったのか、ネットをあさって出てきた都市伝説というかネットロアから異世界へと行く通路を見つけて入り込み、喜んだもののそこは予想以上に怖くて危険な場所だった。

 くねくねと動く妙な白い人っぽいものがいて、見ているだけで心を持って行かれるような気になってしまう。もうヤバくて倒れそうになっていたところに、なぜかやっぱり入り込んでいた美少女と出会って2人でどうにかこうにかその「くねくね」を退治すると奇妙な物体が残った。もしかしてドロップアイテムの類か。そんなファンタジーRPGのような世界観ではなく、もっと奇妙なものだったようだけれどもとりあえず、空魚はその少女、仁科鳥子と出会ってそのまま何度か裏側の世界へと足を運ぶようになる。

 聞くと冴月という少女と前はいっしょに入っていた鳥子だったけれど、冴月がいなくなってしまってその後を追って行方を探しに裏側の世界へと来ていたらしい。そう聞けばどこが面倒なって話になるけれど、落ちていたのを拾ったといって銃器などを平気で扱うし、空魚を強引に誘って仲間にする割には冴月のことばかりを言って空魚の友だちが出来たといった喜びの気分に竿を差す。2人で打ち上げをしてのんびりとしているようで、早く行かないと冴月が死んでしまうかもしれないと飛びこんでいくこともあって、どこかズレが性格に空魚は振り回される。

 だったら空魚が冷静かというと、自分が蔑ろにされた気分が裏側の世界で魔物のようなもおに魅入られて誘われてしまう。「八尺様」という巨大で人間の心に作用する怪異。それをどうにか退けたり、鳥子がパートナーにしていた冴月の知り合いだったらしい、まだ若い認知学者の小桜の所へと行って謎を探ったりしながら過ぎていった日常の中で、鳥子と空魚は沖縄にいた米軍が訓練中に迷い込んでしまったらしい場所に行き当たって、プロの軍隊ですら壊滅へと追いやる怪物の攻撃を逃げ出したりもしていった果て。喧嘩した鳥子がひとりで向かった裏側の世界へ、空魚は小桜も引き連れる形で入り込んではその行方を追っていく。

 よくある一反木綿や塗り壁やぬらりひょんといった妖怪変化の類とは違って、「くねくね」であり「八尺様」であり「きさらぎ駅」であり「時空のおっさん」といった、ネットで噂になっている怪異が現れ迫ってくるだけあって、常識や知識では太刀打ちできない怖さといったものが漂い出す。慣れていないとでも言い換えられようか。クトゥルーの邪神ですら何かフォーマットの上で対応できそうな気がしても、裏世界に現れる怪異にはどうやって対抗したら良いのかが分からない。

 ふと気がつくと街中から引きずり込まれたりもしていて、誰がどうやって空魚たちを迷わせているかも気になる。だから怖いけれど、それでも自分といったものから発露する恐怖心が、ネットという場を漂った挙げ句に溜まって生まれたネットロアというものを、逆に考えそこには人間から発露した恐怖心があるんだと考え払拭する方法を考えることで、対抗できそうな気もしてくる。空魚と鳥子は、そして小桜もいれた3人はいったい裏世界をどうやって攻略していくのか。オープンエンドで終わったようなところもあるだけに、続きがあれば読んでみたい。でもやっぱり自分は入り込みたくないなあ。どこかぬぽぽんとした少女2人が異世界で異形に遭うっていうシチュエーションは、粟岳高弘さんをちょっと思い浮かべた。裸でもないしふんどしでもないけれど。

 文化放送の和田昌之さんがパーソナリティを務めている番組の特別編で、あの富野由悠季監督と片渕須直監督が対談する企画があって、ネットに流れているのを見たらとっても面白かった。まつ富野さんが「この世界の片隅に」を見たきっかけを話していて、原作を2015年には読んでいるんだけれどその時にはもう、アニメーションの製作が始まっていると知ってショックだったという。それこそ「好きな作品だったからアニメになったんで観たくなかったんですよ」と富野さん。「だいたい映画って原作より悪くなるから」とは至言。だから最初は渋っていたけど、映画館の前を通りかかってちょうど始まると分かって、立ち見だったけれども入って2時間ちょっとを立ち見で観られるくらいに良かったと感じたら意思。「悔しいけれど良い出来の映画で腹が立った。嫉妬心むらむらです」。褒めているのか怒っているのかが分からないところがいかにも富野さんらしい。

 意外なことに富野さんは「片渕監督の名前を知らなかった。こいつうまいよねとショックだった」そうで、同じ日大芸術学部映画学科でありながらも歳が20年は離れていると気づかないというか、同じアニメーション界で仕事をしていても、すれ違わない時はまったくすれ違わないと分かって面白かった。富野さんだからこそ周囲を気にせず突っ走れるんだろうけれど。そんな片渕さんの「この世界の片隅に」に関する富野さんの感想がまた面白かった「当たり前の作り方をしている」。多分、戦争がテーマになった時にやっぱりいろいろな演出があって描き方があってとその文法に乗ってしまうのが富野さんたちの世代。そこからガラリと変わっていることに「フィーリングが根本的に違うのね。世代が変わったんだなあ。でも、この部分を」きちんと認めていかないと」とも話していたところが、良いものは良いとみとめるこれも富野さんらしさが現れていた。

 あとは技術論で、「中割で、つまらないところまで枚数入れている。こういうことよねえとう、それが見えました」と富野さん。つまらないというのは無駄って意味ではなく、テレビアニメーションのように毎週を忙しく作っている監督なら、手間を考えて省くようなところにも丁寧に動画を入れて描いているってことの表現。受けて片渕監督は「中3枚のところを11枚入れたりしている」と話していて、富野さんをうらやましがらせていた。「毎日作り続けていかなければ生きていけない恐怖感から作っていた。制作の言うことを少しは聞かないといけないので、中3枚で済むところを中5枚までは許容できても、8枚10枚は許容できなかった」と富野さん。それが11枚だからもう驚いただろう。「着物で歩いている1歩はとても短いけれど、そこに中10枚入れられたらアニメーターはたまったもんじゃない。でもやっている」。

 ただ、それも決して作画の凄さを自慢しようとやっていた訳じゃないってのが片渕監督の事情で、富野さんがデジタルでやった方が速いよと言っても「デジタルに回すお金がなかった。技術的な闘志や経験を積んでいる時間がなかった。あらゆるものを自分達が持っているものでどれだけできるか。になった」と話して、ギリギリの中でとった手段らしいことを訴えていた。一方で「この原作と出会ったのは一期一会だったので、思うように完成させないと悔いが残る」とも。どうせ動かすのなら思い通りに思いいっぱいに動かしたいっていう考えが、慣れた手法の中で中割11枚とかってカットを生んだんだろう。着物の柄がズレていくのもすべて手描き。でもぬるぬるとはしないところがやっぱり凄い。改めて映画を観たらそのあたり、どれくら動いているのかを確認してこよう。


【2月20日】 凄い凄い凄すぎる。興行通信社の週末映画観客動員数で「君の名は。」が8位に入って堂々の26週連続ベストテン入り、ってのももちろん凄まじいばかりの好成績だけれど、その下の9位に片渕須直監督の「この世界の片隅に」がしっかりとランクインしてこちらも15週連続を保っている。最初が10位でそして公開館数も少ない中、すぐに落ちていっても不思議は無いし、それが普通の映画興行の世界でこれはまさしく奇跡としか言いようがないできごとだろう。どうしてそうなった、って理由を分析すれば何か映画の世界、インディペンデントな作品にも光明が見えるのか。これからいろいろ分析が始まるんだろうなあ。とにかく地道に初期からファンを増やすってことに帰結するんだけれどね。

 そんなランキングの1位に入ったのが「劇場版ソードアート・オンライン −オーディナル・スケール−」で、なるほど週末に映画館に行ったら夜の部がほとんど満席になっていたくらい、人が入っていたから1位も当然ってところだろう。原作本が1250万部も売れているならファンだって多いだろう。ただ映画となると足を運ぶもそれなりな能動性が必要で、それを乗り越え映画館へと足を運んで観たいと思わせるだけのタイトルになっていたってことなんだろう。そして内容を見てこれはと感じた人がどんどんと行き始めるといったところか。ARとかをエンターテインメントの中で見せて面白さと危険性を語っている作品って、そうはないから。大人でARについて関心のある人も観ておいた方が良い映画、ってなればさらに。来週の順位がまずはひとつのポイントか。

 2月に入ってから取りかかっていた文庫の解説仕事をとりあえずアップ。リテイクもあるだろうから完全に手を離れた訳ではないけれどもまあ一段落。こういう仕事はやっぱりいつでも本当に自分で書き切れるのだろうかといった不安が付きまとって、なかなかほかに気が回らなくなる。読書感想文が滞るのもそれが理由。何をどう書いたら良いか分からずとりあえず思い浮かんだ断片をメモにして書き出していって並べつつ、必要となるデータなり周辺(メディアミックス展開とか)を整えつつ道を歩きながら流れをどうするかを考え、つかみとなる書き出しを考えてからメモから該当しそうな部分を引っ張って貼り付け、足りない部分を埋めていってひとまずおおまかな枠を作ってみる。

 けれどもどうにもしっくりとこず流れを見直し、果たしてこの主題で語り通して良いのかと疑って、そして流れをひっくり返すようなこともしてどうにかこうにか形を作り、そこから言葉を選び直し句読点を検討してフィニッシュへと持っていく。そうした作業が正しいかどうかは分からないけれど、去年はそれで2冊をどうにか仕上げてどうにかなったから、自分としてはそういうやり方があっているのかもしれない。もちろん1発で頭から尻尾までかける才能が欲しいけれど、それを望むのは贅沢。今はひたすら受けた仕事をこなしていこう。解説担当100冊目にたどり着くのは100年後くらいかなあ。生きちゃいないなあ。

 気がついたら早川書房の本社1階にある喫茶店のクリスティーが夜は「PUB虐殺器官」ってのが始まっていたんで夜に立ち寄って見る。店内には映画「虐殺器官」のスチルが飾られ入り口付近には原作者の伊藤計劃さんに関連した書籍とか、SFマガジンの特集号なんかが置いてあって買えるけど、わざわざパブに来る人ならたいていは持っているかなあ、でもSFマガジンはちょっと気づかないか。そんな店内で出しているメニューからとりあえず虐殺メキシカンピザとやらを注文。到着したのは普通に厚手のピッツァでそれをバドワイザーで流し込んでアメリカンフットボールを観ているクラヴィス・シェパードとウィリアムズの気分を味わう。モニターでアメフットの試合が流れていればなおマッチしたけれど、そこでは普通に映画の映像が。観ていると思い出されてまた映画を観たくなって来た。やっているうちにまた以降か、映画にもパブにも。次はジョン・ポールピザが空飛ぶ海苔ことフライング/ウィザードを試してみよう。

 あるあると思った金正男氏の暗殺事件で実行犯にされた女性2人がテレビ番組で誰かにいたずらを仕掛けるよう言われてやったらそれが本当の暗殺だったというリアルドッキリ。服装とか事件後の振る舞いとか大事を成し遂げたとは思えない軽さで、一つ仕事を終えて次の仕事まで遊んでいようといった雰囲気が見て取れる。なおかつ報道だと前にも同じようなことをやらされたとか。あるいは架空の番組で体験させて心のハードルを下げさせそれが日常だと思わせ本番に挑ませたのかも。そうだとしたら実行犯より計画した人の方が恐ろしい。どこまで綿密に計画して仕込んだのか。それをいつからやっていたのか。いつか北朝鮮の大勢が崩壊して詳細が明らかになった時、手記とか出たら読まれるあろうなあ。映画にもなったりするか。スパイって諜報って当たり前だけれど本当にあるんだなあ。

 推定無罪の原則でいくなら、たとえ犯罪を問われて起訴をされたとしても判決が下るまでは被告であって犯人とは決まっておらず、その状態は最高裁による確定まで続くけれどもそこまで原理原則に引きずられては犯罪者への糾弾も気が削がれ、被害者がいればその感情にもそぐわないのでせめて一審の判決までは推定無罪の原則を取り入れつつ、両論を併記するような形でバランスをとるのが法治国家に生きる者の振る舞い方だろう。ましてやその言説が広く世に散布されるジャーナリズムに生きる者なら、言動には注意をはらって後で取り返しのつかないような事態を避けるのが正しい身の振り方だろう。

 それがあろうことが未だ起訴されていない事件で、逮捕されて容疑者として拘留されているNHKの元記者に対して絶対的に犯人であるかのようなスタンスでもって近付いては、身辺をあげつらうような記事を記事を掲載してのける自称するところの全国紙の記者がいて、いったい何をやっているんだろうといった思いに腰が砕ける。どこかの国防長官にならって名字の上に“マッド”などとつけて、興味本位な感情を誘って話題になりそうな事件に突撃を食らわせるキャラクターで売っていこうといったスタンスが見え見えな企画。テレビのワイドショーですらいまどきやらないそんな企画が社会の木鐸を任じ公器を標榜する新聞の題字の下で行われていることに、腰を抜かさないでいられるジャーナリストは果たしているのか。ちょっと見渡してみたくなる。

 これでもし、起訴されたとして裁判で無罪が出たらどうなるのだろう。あるいは若いが成立して裁判そのものがなくなったらどういった糾弾をできるのだろう。もしくは起訴されないまま事件そのものの存在が曖昧にされた時、いかにも非道な犯人といった感じで生地を仕立てて振り上げた拳はそのまま自分に返ってくる。そうした可能性を少しでも考慮するなら絶対に行えない振る舞いを、今というこの瞬間のアクセス稼ぎのためにやってしまう心性が怖いし、それをやらせてしまう媒体のコンプライアンスがどうなっているかにも興味が及ぶ。法務として止めはしないのか。しないんだろうなあ、それが機能していたら起こりえないような事態が頻発しているから。

 というかほかの会社に突っ込む前に、身内でも類似の事件で逮捕されている人がいるじゃないか。どうしてそこには行かないのか。“マッド”を自称している当人がかつてありもしない記事を書いては抗議され、会社を挙げて謝罪させる事態を引き起こして処分された過去があるじゃないか。そういう己の振る舞いを省みないで、未だ確定していない事態を興味本位であおり立てること事態が、もはやジャーナリズムといった枠を通り過ぎて文字通りの“マッド”な状況に陥っている。謙遜ではなく本当の意味で季が違っている。ほかに本気で突っ込まれたら軽々と粉砕されるくらいの季の違いっぷりだけれど、そういう事態にすらもはや思いを馳せる余裕がなくなっているのかもしれない。参ったなあ。本当に参った。


【2月19日】 いやあ十分にエロいだろう佐藤早紀絵さんin「亜人ちゃんは語りたい」。神を上げ眼鏡をかけてジャージを着てすそを引っ張りスリッパ姿で猫背で歩いて、それでいやらしさを隠しているかといったらまるで逆。眼鏡好きには眼鏡がピンポイントで突き刺さるし、のぞかせたおでこに惹かれる性質の人も決して少なくない。そしてジャージ。あれで胸元は隠せても腰つきだけは隠せない。丸いおしりの線がのぞき、なだらかな下腹部の丸みが見えて前からも後ろからも男気をそそる。もしもそこで何かにひっかかってジャージのズボンが下がったら? 周囲はすべて鼻血を吹き出し卒倒するだろう。

 そんな危険な服装をよくもまあ自分に許しているものだと思うけれど、これが浴衣だってやっぱりすそからのぞく白い足が誘うだろうし、ジーンズだったらやっぱりお尻が鬼門になる。いっそポンチョのようなカラのラインをいっさい見せない服でも着るか、ってそれはさすがに人権にもとる。まあそこはだからせめて自分が抑制できると思える格好で動くのが1番良いんだろう。佐藤早紀絵さんの場合はそれあ赤いジャージだったってことで。でもやっぱりエロいよなあ。高橋先生も宇垣刑事もよく耐えられるよなあ。そこがだから免疫か、意志の強さか単なる朴念仁なのか。何で私をと憤り、本気で攻める佐藤ちゃんが見てみたい。

 朝になったんでワンダーフェスティバル2017[冬]へ。到着するとずらりと初音ミクのGTカーが並んでいて、見ると初期はケイさんぽいミクが描かれていたのがだんだんと、アーティストが変わってその時代にマッチしたミクになっているって感じ。とりわけグッドスマイルレーシングは毎年アーティストを変えて来るから新しいイメージの初音ミクを楽しめる。ちなみに2017年はTonyさんという人を起用してダブルピースをする初音ミクを描いてもらったみたい。今までがピットでお手伝いするミクだったのが、妖精として応援するイメージ。そんなミクに支えられて果たしてメルセデス・AMGは走るのか。去年も優勝とはならなかっただけに復活を期そう。

 そんなワンフェスの会場に入って午前10時の開場を迎えたけれどもホールの移動が可能になるまでの時間をkamaty moonを眺めて過ごす。ユキヒョウ勇者とかスチームパンクハクトウワシとか細身でスタイリッシュな動物たちのフィギュアがあってやっぱり格好いい。「けものフレンズ」で動物の美少女系の擬人化がちょっと流行り始めているけれど、そこから元ネタの動物へと関心を向ける人たちも出る中で、こうやって前から動物を擬人化してクールに格好良くスタイリッシュに造形してきた鎌田光司さんへの注目も、さらに集まってくれると嬉しいかも。というかサーバルキャットでkamaty moon版を作って欲しいかも。どんなデザインになるんだろう。細身なところはユキヒョウと同様。そして尻尾があって耳が長くて体は勇者か紳士か。お願いしてみようかな。

 移動も可能になったんで歩き始めたら目に飛びこんできた明和電機の展示。懐かしいパチモクとかナタデコトとかが並んだ裏側にそれらのミニチュアがあってどうやらアートピースとして展開していきたい感じ。そこに海洋堂も協力しているとかでちょっと関心。そうなる前にカプセル型の新製品があってパカンと悪とパラボラアンテナが飛び出して、そこから伸びた線を引っ張ると刻みが爪にひっかかって振動し、それがパラボラで増幅されて声らしきものが聞こえてくるという。つまりはレコードの要領で音声を振動にかえて記録しそれを振動させることで声に戻るといった仕組み。うまく馴らすにはこつがいりそうだけれどでも面白い。どんな種類があるんだろう。出たら試そう。

 そしてそんな明和電機の横には何とMr.さんが。って知っている人がどれだけいるかは分からないけれど、世界のファレル・ウィリアムスといっしょにPVを作ってそこに絵を描いた人で、そして師匠は世界の村上隆というからもう売れっ子。世界でその作品が人気なんだけれど当人はいたってオタクで若い頃から美少女の絵を描きたいという思いを貫きレシートの裏ノートの切れ端に描き続けていたらだんだんと腕前も上がり構図も複雑に成り、そしてそこに重層的なメッセージ性めいたものまで乗って強いインパクトを与えるようになった。

 そんなMr.さんが何と海洋堂が誇る原型師のBOMEさんと一緒にフィギュア作りを始めたようで、開場には6分の1スケールくらいのが1体と、そして等身大のフィギュアが並んでた。これがまた可愛くて。元の絵もそれなりにキュートにしあがっているんだけれど、それをBOMEさんが立体にして作り上げたものは今にも動き出しそうな、けれどもやっぱりフィギュアといった面持ちで見る人をぐいっと引っ張り込む。指でつまんであげたスカートの中はどうなっている? って思わせもする。はいているのかなあ、それはいったい何色かなあ。見たかったけどそこは我慢。

 そして午後からはBOMEさんを迎えてのトークイベントがあって、今後の作品をどうするかって企画会議が行われていてそこでBOMEさんはスカートはあんまり作りたくなさそなことを言っていたけれど、トークイベントに同席した村上隆さんがスカートだと携帯差し込んで中撮ったりってそそる部分があるからねえ、と誘いだったら短パンはって話になって、次の作品はショートパンツの女の子とか作られそう。村上隆さんとBOMEさんなら「Ko2ちゃん」で組んで等身大もやったしガレージキットもやった。そこから10年以上が経って今度はMr.。何でもBOMEさんと話が合うようで、どちらも妥協はしないで言葉のキャッチボールがかわされ足が細くなったりとかいった変化が起こっているらしい。刺激し合って共に何か新しいものを生み出していくのかな。もしかしたら歴史の始まりを目撃したかも。こちらも行方を追っていこう。

 まずもって現地には入っておらず、何10キロも離れた場所からこの先には進めないと嘯いてみせ、そして状況にそぐわない疑いばかりをかけて相手に釈明の機会を与えないまま放送をして、それは報道ではないのはもちろん人権と名誉を著しく毀損するものだと反論され、BPOでその是非が検討されているというデリケートな上に旗色的には芳しくない「ニュース女子」っていう番組の側に寄り添って、それこそが事実であってそんな事実を報じたにも関わらず、反論を受けるのは言論弾圧であるといった無茶な論理を振りかざす人たちがいる、といことがどうにも厄介きわまりない。

 けれども、そんな人のそういった意見をのみ紹介して「ニュース女子」の内容は正しいをお墨付きを与えるような記事を載せてしまえる社会の木鐸なり公器を標榜する自称全国紙が存在する、という状況がまたおうにも難解きわまりない。報じるに当たって両論を併記とまではいかなくても、エビデンスを重ねて相手に反論の余地を残さないようにするのが真っ当な姿勢というもので、そこが欠けていて反論を食らっている「ニュース女子」を擁護する意見をさらに擁護するようにして、相手の反論も入れず自らの検証も行わない新聞もまた性質の面倒さで上を行く。

 ただテレビ番組ならBPOでの審議はあっても新聞は誰も咎めず誰も諫めない。そしてそのまま信者にのみ持ち上げられて大勢から見捨てられる。省みる機会など与えられないまま。それが怖い。気づいた時には取り返しが付かない窮地に陥ってそう。それとも既にそんな場所へ? そこがどうにも恐ろしい。稼ぎが減った分をやれ刊行物だやれイベントだといって稼ごうとしたところで、幹となる新聞の信頼と影響力があってこそ成り立つもの。そこがグズグズになってしまっていては寄りかかろうにも倒れて崩れてしまう。そういう根本を理解しないで周辺で稼ぎを上げようとして大丈夫なんだろうか。それとも本気で幹は頑健にして強固と思っているんだろうか。どうしてそう思えるんだろうか。何が何だか分からない。


【2月18日】 せっかくだからとイオンシネマ幕張新都心で始まったULTIRAによる「マイマイ新子と千年の魔法」の上映を観る。デジタルシネマにコンバートされて音声も向上したみたいで細かい声が左右から聞こえてくるような感じ。そして前方で見るとスクリーンが目の前いっぱいに広がって自分が麦畑の中にいるような気にさせられる。こういう巨大なスクリーンが増えているのにどーして来場者はもっと前目で見ないんだろう。それがいつも不思議になる。観ると中央でも降壇に陣取っている人、いるからなあ。スクリーンからちょっと間も取ってある最前列とか2列目3列目とかが売れ残る。そこが分からない。

 視野に楽に収まって余裕が出るくらいの距離なら家で大型のテレビを見れば済む話。映像だって音質だってもっとクリアになるだろう。映画館ってのはそういう場所では不可能な体験が出来るとことな訳で、スクリーンが巨大ならそれが視野を埋めるくらいの距離で観る。そんなことをモットーにしている。今回もそれで大成功。貴伊子のスカートからのぞく足とかシミーズを間近に見上げるように観ることが出来た。どかっと座る新子の股ぐらも気になるよなあ。上映がいつまでかは分からないけれど、あと1回くらいはULTIRA上映で観ておきたいかな。でも「ガールズ&パンツァー劇場版」のULTIRA上映も観ておきたいし……。うち思春期、迷う歳。

 そんな合間に新宿バルト9の方では神風動画によるアニメーション上映と声優による生の声、そしてバンドによる生演奏が重なった「COCOLORS」の公演が無事に行われたようで、大失敗もなく感動を誘っていたみたいで今後の展開に期待がかかる。声優さんが声を入れて音楽も録音されたアニメーションとしての映像も観てみたいところだけれど、こうやってライブエンターテインメントの形で成功すると円盤を売って終わり、上映によって興行収入を得て終わりじゃない違う展開もあるのかなあ、と思えてくる。ただ準備は大変で回数も重ねられない公演は高くなりがち。そこと集客との案配を保つのも大変な中で、どの道を行くのかがアニメーションの未来を見る上でも重要だろう。実験が冒険から日常になるか。それも含めて今後を見守りたい.

 そんな「COCOLORS」の公演を見ていて思い出したのが1998年の6月くらいに渋谷公園通り劇場で開かれた「トリスアギオン」というイベント。押井守監督ガタイトルを作りじんのひろあきさんが原作・脚本・演出を務めた公演は声優の横山智佐さんを迎え、掛須秀一さんが編集した画像をバックに朗読をするリーディングドラマの形式で行われた。音楽や効果音なんかは録音だったけれども展開によって声が重なり演技も変わるところは「COCOLORS」に似ているかも。もうちょっと突きつめて公演が行われれば、そして「トリスアギオン」のメディアミックスが進めば新しいエンターテインメントの形を世に示せたかもしれないけれど、残念ながら公演だけで終わって今は何処。ちょっと残念でならない。ただ原作のじんのひろあきさんは再起を狙っているらしいし、こうしたライブな公演が話題になっていることもあって誰か復活と動くこともあるかもしれない。そうなったら改めて観たいもの。期待して待とう。

 2月18日から東京・秋葉原のクラブセガ新館7階にオープンした「セガコラボカフェ 劇場版ソードアート・オンライン −オーディナル・スケール−」には「キリトの具なし和風パスタプレート」というメニューがあって、文字通りに何の具も絡まっていないゆであげパスタに刻まれた大葉が乗っている。こで美味いのかと問われて見た目だけで答えるのは困難だが、食べれば昆布出汁のつゆが絡められていて大葉の薬味とともに和風バジリコといった雰囲気を醸し出す。添えられたサラダに入っている温泉玉子を取り出し混ぜれば和風のカルボナーラにもなる。アスナの絵がプリントされたBLTのサンドイッチもセットになって1200円。高いか安いか。それは「劇場版ソードアート・オンライン −オーディナル・スケール−」を観たか観ていないかで考え方も変わるだろう

 実はアインクラッド編を読んで面白いと思ったものの、これで一段落がついてデスゲームというピリピリとした状況から帰還を果たしたキリトとアスナにいったい次のドラマなんてあるんだろうかと思ったりした小説版「ソードアート・オンライン」。続くフェアリィ・ダンス編でVRゲームの面白さに親しんだものの背筋をざわつかせる戦慄は薄れ、そしてファントム・バレット編を読み終えたあたりで一種の変奏としての楽しさは覚えたものの、SFとしての発見をどこまで得られるかといった疑問も浮かんで以降、しばらく小説は積んだままになっている。アニメーションの方もだから同様に、第1期を見た程度であとはだいたいのことを知っている程度。それだけに劇場版が作られるといった話に諸手を挙げて喜んだかというと最初はそうではなかった。

 けれども舞台がVRという変奏が効く世界を飛び出しAR、すなわち現実を舞台にしたストーリーになると分かって俄然、興味が湧いてきた。予告編なども始まってVRのようにうまくいかないとキリトがぼやく場面で、ただの運動不足と突っ込みが入る流れにそうだ、これはVRでのチートだスキルだといったどうにでもなる展開とは大いに違った、新しいビジョンを得られると期待した。そして観た「劇場版ソードアート・オンライン −オーディナル・スケール−』はAR時代に相応しく素晴らしい興味深さを持ったストーリーで楽しませてくれたし、同時に1200円の具なし和風パスタを頼んでも良いと思わせた。

 後者から説明するならVRの世界で無敵のキリトも現実世界では甲斐性無しの半ばニートな青年で、食事に凝るとかいったことはしないでパスタを茹でて大葉を刻んで載せて食べる程度の食生活を続けている。ネット弁慶とでもいえそうなその存在はすなわちネット依存が強い人々を写した鏡。その共感からこれは食べねばと思わされた。実際に味も悪くないし。前者に戻るならフルダイブ型のVRでは物理的な運動神経とは違った部分で強さが決まって経験なり脳神経の何かなり記憶や意思の強さなりといったものが戦果に大きく影響しそう。

 そこで閃光のアスナなり、黒の剣士なりと呼ばれ活躍したキリトが現実の世界で試したAR装置<オーグマー>の上で楽しむゲーム「オーディナル・スケール」では、現実世界を見る視界に重ねてファンタジー調の世界が現れ現実にはいないモンスターが沸いて出てきてそれを現実には持っていない武器で討伐する。ただしモンスターなりボスのいる場所には歩くか走るかして行かなくてはいけないし、攻撃をされたら体を畳むなり横にそれるなりして避けなくてはいけない。

 反射神経に運動神経、そして何より体力という物理的な力が求められるARの戦いで、ネット弁慶のキリトに果たして勝ち目はあるのかといった問題が提示され、今までの変奏とは明らかに違った展開を見せられる。同時にARであっても人間の視覚なり聴覚といったものを動作させて楽しませるゲームであり、それを実現する装置に何か仕込まれていたらといった興味が浮かんで、フルダイブ型で脳をシェイクするVR装置とはまた違った形での脅威をどう表現するかに興味を惹かれる。

 結果、驚くべき作用を<オーグマー>は見せてくれた。それは「ソードアート・オンライン」のシリーズに続く時代を想定して川原礫が紡いでいる「アクセルワールド」に登場する、人間の意識そのものを加速させつつ現実世界に重ねて仮想世界のビジョンを近くさせるニューロリンカーの登場を予感させる。つながっていると分かっていた2つの世界を本当にリンクするテクノロジーが見えてきた。そんな世界を実際に結ぶ物語が描かれるとしたら、これは俄然興味も沸いてくる。小説を読み直し映像かされたら観るだけの動機が生まれて来た。

 果たして<オーグマー>とそして「オーディナル・スケール」でやろうとしていたことが技術的に可能かは分からない。ただ大勢の記憶に断片として散らばっているさまざまな情報をかきあつめることでひとつの存在を作り上げることは可能かもしれないとは思う。ネットが世に普及して四半世紀はたっただろうか。その上に残された特定個人の情報の断片たちを、全世界からかき集めることで特定個人をも作り上げる。没した人物の人生を関わりのあった人物へのインタビューで描き上げるドキュメンタリーをもっと巨大なスケールで行い、そして人格的なものまで作り上げてしまう。そんな未来のビジョンを示してくれたという意味で『劇場版ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』はSF的に観る価値のある作品と言えそうだ。

 ドラマ的にもそこには悲しいできごとがあって、心情として理解したくなる部分もある。ゲーム「ソードアート・オンライン」が引き起こした悲劇の後始末がなおも続いていることに愕然としつつ、そんな多数の悲劇を招いたゲームを作った人物と、そんな人物も含めて物語を創造した作者への憤りも浮かぶ。とはいえフィクションへの八つ当たりはみっともない。提示されたドラマの上で奪われた命があって、それへの同情や憐憫を糧にしながらこれからの現実世界でテクノロジーによって奪われる幸せがないかを確かめていくしかない。

 VRでは無敵でもARではネット弁慶ゆえにからっきしだったキリトが、アスナのためにARでも勝つための鍛錬を自らに課していった展開に、あれでなかなか気骨があるといった思いも浮かぶ。そこまでしてやっぱりアスナを我が物としておきたいのか。ネットだからと身を飾り心根を偽って別人格を装うことが難しかったゲームだからこその一致性は、死と隣り合わせのひりひりとしたゲーム世界にあって、もしかしたら意味のあった設定なのかもしれない。

 例えば、高齢で公務の遂行に差し障りが出始めていることを思い悩みつつ、けれどもその地位を譲ることができない現状を気に止めて、この高齢化社会で果たしてそれで良いのかと問い、自らを厭うのではなく公務というものの在り方を問うて新しい道筋を作って欲しい、それは自分のためではなく後任のためでもあり、また国民のためでもあると問わず語りに示された天皇陛下のお言葉を、そのまま受けずに今上天皇の譲位のみで澄まそうとする政治家なり勢力がいれば、それは天皇陛下という日本の国体の中心、日本国民の象徴が感じられていることに竿を差している訳で、まさしく「反日」と呼ばれてしかるべき振る舞いであるにも関わらず、そうした声を発するなり、誰かの声を拾って訴えることはしない。

 むしろ現行の政権が進め決めようとしていることに対して異論を唱え、反対しようとしている行為として恒久法による生前退位なり譲位の道を唱える者たちに対して「反日」といったレッテルを貼りそうな雰囲気すら漂わせている。ここでいう「日本」とはいったい何だろう。自分たちが好み支えあるいは好まれ支えられる関係にある特定個人がトップに立った現行の政権をのみ「日本」と位置づけ、その振る舞いなりその思いなりに逆らうものを「反日」といって糾弾し排除しようとしているとしか思えなかったりする。そう思うととある自称するところの全国紙が、紙面なりネットの記事に使う「反日」というタームの意味も何となく輪郭線を帯びてくる。

 もっとも、そうした現行政権が時に平穏を望み外交を進めようととった振る舞いから向き合って慰撫する国々でありながら、自分たちが厭い憎んですらいる特定の諸外国を悪し様に誹ってそうした国々に荷担する、とまではいかなくても憎まず存在を認める言動をも「反日」とレッテルを貼って糾弾する場合があるから分からない。それは国体であるとこの天皇陛下にも、あるいは国政を担う現行政権にも背く言動。なのに「反日」と言って誹るそこでの「日本」とはいったい何なんだろう。つまりはそうか自分か、自分たちこそが「日本」であってその思い、その好みから外れるものはすべてが「反日」だといった思考プロセスがそこにはあるのかもしれない。

 そしてそれは人によって微妙にズレるし時期によっても変わる。変わるけれども平気で基準の定まらないタームを使って平気な顔をしているところに一体どうしたものかといった思いが漂う。なんてことを「週刊金曜日」の2月17日発売号のとある特集から思ったり。ほかにも頻出する大間違いの記事なんかがずらり並べられているけれどもそのどれもが騙されたとか見解が違うと言ったものではなくて、言いたいことのためにありもしないことを付け加えたといった感じで、他でやったらもうそこにはいられなくなりそうな事態だけれど誰もがそこに残っていて、そして偉くもなっている。それで他を批判するからもう他は何を言ったら良いか分からないだろう。批判したって馬耳東風。そんな“無敵の人”相手に本気で突っ込んでいった「週刊金曜日」は偉いなあ。でもそれで変わらないんだろうなあ。取り巻く味方の慰撫を浴びて頑張っていると思い混む。そうやって狭まる塔はいつか折れ、しがみついている者たちもろとも沈むんだ。やれやれ。


【2月17日】 実は毎週楽しみにしているテレビアニメーションは「けものフレンズ」だけじゃなくって2クール目に入った「ALL OUT!!」も大好きで、ラグビーってドラマだと泥臭くなってしまうスポーツを説得力を持った肉体ともどもスタイリッシュに、それでいてちゃんと熱血にも描けるところがアニメーションならではといった感じ。一応は素人からラグビーを始めた祇園健次が主人公のようになっているけれど、相方ともいえる石清水澄明も含めてた2人だけに絞らず、同じ神奈川高校ラグビー部のメンバーや、対戦する相手の選手たちのドラマを群像劇のように描いては、ラグビーっていうスポーツに取り組み学生と、その周辺で動く大人の心情をしっかり見せてくれている。

 最新のエピソードでは大阪から来て府大会のベスト4に入ったくらいの強豪校を相手にした練習試合が描かれていて、天才ともいえるフルバックを持った天竺が最初はリードするものの、籠コーチの指導もあって低くタックルすることを覚え、そしてそれぞれが自分の役割を果たすことを理解し、何より勝利したいという思いにあふれた神高が徐々にリードしていく。その過程で天竺でも天才ながらもそれだけに周囲の雑なプレーに我慢がならない桜練平がやる気をなくし、ずっと一緒にやって来た逢坂淳からも嘆かれていたのが印象的だった。さすがにあれは堪えたか。

 そこで気づいて立ち直るかと思われたものの、膿んだ気持ちはなかなか真っ直ぐにはならなかたようで、後方で突っ立ったまま攻撃に参加することなく、練習試合は神高が勝利して終えた様子。その先となる次週のエピソードで、いったいどんな風に練平の覚醒と再起が描かれるか。それが次の花園といったエピソードにも繋がっていくんだとしたら面白い。弱小だった神高が熱血の祇園を混ぜ籠コーチも得て立ち直り、そこから溢れた情熱が他校を刺激してお互いに強くなる。大きくなる。そんなスポーツの良さを描ききった作品。これをもっと全面的に推せば、日本ラグビーフットボール協会だって試合の観客とかプレーヤーの数とか増やせると思うんだけれど。一部タイアップはあったみたいだけれど、「キャプテン翼」のような力は発揮できるのか。2019年のワールドカップに向けた動きに注目。

 第10巻が出て“羊殺し”も捕まってひとつのクライマックスを迎えた感もあるけれど、それで終わるとも思えないで何やら不穏な動きも見えてきたゆうきまさみさんの「白暮のクロニクル」。そこではすっぽんぽんに剥かれながらも伏木あかりが巨体を飛ばせて茜丸に膝蹴りを食らわせ、自称68キロの体重をかけて潰してみせる技を見せて大きいことは良いことだ感を醸し出していた。そんな伏木あかりが第1巻から1センチずつ、成長しているんじゃないかと半分冗句で言っていたら、どうやら本当に当初は178センチくらいの申告でもって描かれていた伏木あかりが、実はそんなに小さくないと感じられるようになって180センチを超えて描かれるようになったってことを、ゆうきまさみさんが書いていた。やっぱり気のせいじゃなかったんだ。だとしたら体重も自己申告の68キロではなく……ってそれはちょっと可愛そうか。でも山根恵里奈選手だって26歳になって公式の身長が1センチ伸びたみたいだし、大きいからといって人間、まだまだ成長できるってことで。20巻で完結したらその時は2メートルを超えているかな。

 ポン酢だなあ、としか。例の南京事件はなかった系オピニオンを掲げた自著を経営するホテルの客室に置いて炎上した人が今度はこともあろうにカナダでユダヤ系の人をステレオタイプ的に取り沙汰した見解を乗せた文章をホテルの部屋に置いて大炎上。さすがに相手が相手だとすぐに引っ込めたようで、アジアが相手だと文句も小さいと胸をそらせ続けるのに対して、ユダヤが相手だと平身低頭するあたりに主義主張なんてものの薄っぺらさも見えてくる。別に揶揄はしていない、お金儲けがうまい人たちに日本ももっと見習うべきだと讃えているんだといったニュアンスで言い訳もしているけれど、そんな人が以前にユダヤが世界のメディアを支配しているのがいけないんだとぶち上げようとして、意見広告を出したらさすがに拙いと削られたって話を書いている。今も主張は続いているみたいで、そんな意識で実は尊敬しているんだと言われていったい誰が信じるか。安倍総理とのの近さも取り沙汰されている人だけに、そういう人と近いんだと世界から攻められた安倍総理が断を下すかなんて局面もあるのかな。薄めで気にして見ていこう。

 小説では綾崎隼さんの「君と時計」シリーズなんかがあって安里アサトさん「86−エイティシックス−」もあってアニメーションでは「けものフレンズ」が入ってきそうな個人的日本SF大賞候補に漫画で参戦してきたのがタカノ綾さん「ゼリゐ文明の書」(駒草出版)。学校で虐められてる少年を2人の少女が鍛えて反撃させてさあ青春が始まるかと思ったら時間は一気に200年後となって、そこでは少女たちが何やらゼリイ状態なものに包まれつつ平穏に暮らしている。巨人がはいずって移動しているのに載って人々も移動したりといった世界観。たった200年で何が起こった、なんて想像も浮かぶ上に、そもそも人間はどういうった存在になっているのかといった興味も浮かぶ。

 明確なストーリーを貫くでもなく強烈なキャラクターによって引っ張るでもない、断片的で観念的な展開だけれどそんな端々に言葉として、あるいはビジュアルとして示されるひとるの少女が企んだ世界の改変と、その後に起こった不思議が200年後の世界を作り、そして人々をさらに別の場所へと導こうとしている。群体生物といったらどこかソラリスの海なんかも思い浮かぶし、人類の未来って意味ではそれこそ「けものフレンズ」なんかとも重なる主題を、現代アーティストとしてドローイング1枚が数万円数十万円するタカノ綾さんが漫画として描き抜く。アート換算だといったいいくらになる? でも漫画なら1枚数万円の原稿でも描きたかったテーマがそこにある。読んで感じよう、明るくて切ない未来のビジョンを。

  凄かった。そして素晴らしかった神風動画によるアニメーション「COCOLORS」の上映イベント。神風動画ならではのフル3DCGによって描かれた、何かの理由で地下へと追いやられ汚染を避けるために全身を防護服で覆われヘルメットも被ったまま、だんだんと衰退し滅亡へと歩む世界を生きている者たちの絶望と、ささやかな希望を描いたアニメーションが新宿バルト9のスクリーンで上映される。そのアニメーションからは声が出ない。音楽も出てこない。声はスクリーンの前に立つ声優たちがその場で演じる。音楽も声優たちとスクリーンの間に並んだギターにドラムにベースにキーボード、そしてハンドパンといった楽器を手にし、前にしたミュージシャンたちがその場で演奏する。つまりはライブ。声もライブで、それらがあらかじめ作られている映像を彩っていく。凄いとした言いようがない。

 始まりは少し迷う。手前の声優が演技をして、そして背後のスクリーンではキャラクターたちが動き回って仕草を見せる、その間で音楽を奏でるバンドへと向かって目の焦点が前後に動く。どこに目を置いたら良いのか分からなくなるけれど、それがだんだんと重なってくる。映像があってストーリーが進み、キャラクターがいて表情こそヘルメット越しで見えないものの仕草が感情を表現して、それにぴったりの声優たちによる声が乗る。情感を、あるいは状況を奏でる音楽が響いてその場に一体となった「COCOLORS」というひとつの作品が立体感を伴って現れる。本当の意味でのフル3Dと言えるかもしれない。

 映像に音楽を重ねるのならサイレント映画にオーケストラが音楽をつけて上演されたD.W.グリフィスの「イントレランス」をはじめ、いくつか過去に事例がある。声優が生で声を乗せることもイベントなどでは生アフレコとして行われている。朗読のような形式で映像にナレーションをつけつつ演技をするような場合もある。ただ、45分ほどの短編アニメーション映画に声優たちが6人並んでキャラクターをメインのほかにサブやモブも入れて演じ分けながら、その場で声をつけるといった例はあまり聞かない。そんな演技に重ねてバンドが効果音的なものも含めて音楽を奏でていくのはなおさら珍しい。半ば奇跡ともいったプロジェクトが、目の前で繰り広げられている。凄いという言葉しか出てこないのも分かるだろう。あるいは素晴らしいという言葉しか。

 ミュージカルとは違うし演劇とも言いがたい不思議なアクト。けれどもおかしさはまったく感じない。素晴らしいのは目の前で声を発する声優たちの演技がダイレクトに耳に届いて心に突き刺さるところ。普段は見られない声優の声の出し方を、その構え方、その表情も含めて間近に見られてどうやって、マイク前に立って台本を持って声を発しているかが分かる。演技の巧みさも含めて。慟哭に呟き、嬌声に悲嘆。そんな感情を声に乗せて腹から喉を通してマイクに乗せて場に広げ、スクリーン上のキャラクターと重ねて見る人に届ける。職人技としか言いようがない。そうやって特別な演出が施されながらも肝心の物語が不足指定は意味がない。そして「COCOLORS」は完璧なまでの悲痛さがあって切なさに満ちてささやかな希望を抱きつつ優しさに身を委ねたくなる物語がそこで繰り広げられる。衰退がだんだんと及んでヘルメットに防護服を着た住人たちの数が減っていき、賑やかさが薄れ暗さが広がっていく。

 フユという声を出さず笛で会話する者、そしてフユが描きたいと願う世界の為に地上から色のついた石を届けるアキという者、そんなフユやアキの兄貴分のようなシュウという者のほか、何人もいた仲間たちが1人欠け、2人いなくなって減っていく。その者たちが被っていたヘルメットが、フユのアトリエの机の上に並んでいることに気付いた時、世界の苛烈さが強く激しく感じられて胸を苦しくさせる。そんな世界で何故生き続けるのか。そんな世界でどこまで生き続けなくてはならないのか。滅亡が確約されていないのなら、どこかに希望だってあるだろう。けれどもそうは思えない。灰色にくすんだ空から散るあれは何か危険なものの灰なのか、ただの冬につきものの雪なのか。それすらも判然としない世界に漂う閉塞感に、押しつぶされそうになる。ここで終わってしまおうとすら思えてくる。そんな時に現れる、かつての仲間たちがアキの背負ったフユのお尻を押して外へと向かわせる。最後の夢。最後の望み。それがかなった時に浮かぶ、絶望に溢れた世界にもあった優しさであり、慈しみであり平穏といったものに心を寄せたくなる。

 そんな心打つ物語を神風動画がフル3DCGという手法を使い、ヘルメットを被って顔の見えないキャラクターたちを配置し、廃棄されかかった地下らしく人工物の通路と建物が詰まった世界を構築して描き上げた。ピクサーなりディズニーが見せる人間らしさでいっぱいのキャラクター造形とは違って無機質で人工的。それなのに動きであり仕草であり、さらには声優の演技によって人間らしさをそこに浮かび上がらせる。腕前だし、日本的なフル3DCGアニメーションの到達点とも言えるだろう。鎌田光司という、クールでスタイリッシュな動物たちのフィギュアや、スチームパンク系の造形の世界で名が知られているクリエイターを起用して、フユが奏でる笛や地下の住人たちがあがめるご神体をデザインしてもらい、というより造形物を作ってもらってそれをスキャンして映像に取り込み、アニメーションにしたのも新しい挑戦だと言える。他にないセンスを取り入れ、今までにないビジョンを紡き上げた。

 これがもし、普通にアニメーションとして作り上げられ、声優によって声が入れられ音楽が入り効果音が乗ったものとして、どこかで上映されていたかもしれない。そうなった時に果たしてどこまでの喧伝がなされたか。作品性だけで世に広まらないことは他の作品が証明している。CGアニメーションの好事家たちの間で神風動画がまたやったと評判になって終わり、だったかもしれない。それがこうして、映画館で生のバンドが入り、生の声優たちによる演技が乗って上映された。完成までに声も音楽も用意できなかったといった事情を逆手に取るように、企画して作り上げたこのイベントは、結果としてひとつの奇跡を見せた。完璧な。完全なる。

 もちろん奇跡は珍しいからこそ奇跡であって、こうした形態で「COCOLORS」がいつまでも上映されるとは限らない。いつか普通の映画となって短編アニメーションとして上映されるようになるかもしれない。それを見てもちろん感動は味わえる。けれどもひとつの場に声優たちが立って息づかいも含めて表現し、バンドが音楽を奏でて声優たちの演技を煽り、逆に声優たちから刺激を受けて音楽を合わせるようなコラボレーションを体験できるのは、こうした公演形態だけだ。もしも可能なら、機会があるうちに是非にアニメーションのファン、声優のファン、バンドのファン、そして新しいエンターテインメントを探っている人たちに観て欲しいし、逃したならいつかまた、こうした奇跡を再現するような場を作って欲しい。体験した者のそれが願いだ。心から。全霊をもっての。


【2月16日】 ようやく読んだゆうきまさみさん「白暮のクロニクル」の第10巻で伏木あかりの身長がまた伸びたような気がするのは気のせいか。1巻ごとに1センチずつ成長させていったらもう10センチは伸びてしまっていることになるから、さすがにそれはないか。でも静かにやっていたらちょっと面白いかも。そんな伏木あかりが捕まって“羊殺し”に腹を切り裂かれようとしていたけれど、巨大だけあって体重も決行あってすっぽんぽんから飛び膝蹴りを喰らわせ脱出に成功。そして助けもあって解決した“羊殺し”ではったものの、身内に不穏な影も見えたりして話はまだまだ続きそう。どこが帰結か。そして伏木あかりはどうなるのか。読んでいこう。次は192センチくらいになっているかな。

 ダークファンタジーでブラックファンタジーでブラッディファンタジー。それが真坂マサルさんの「魔法密売人 極道、異世界を破滅へと導く」(電撃文庫)。現世に来たエルフの少女が強面のヤクザの放尿を浴びせられ、危ない状況だったところをその強面のヤクザを若いヤクザが殺してしまう。別にエルフを助けようとした訳ではなく、抱えていた怨みがあったから。そんなヤクザの男にエルフは異世界に来て欲しいと頼み、そして戻ったその世界で目的としていた連れ去られた父母や同族を助けに城へと向かったら、拷問を受けて全員が虫の息だった。

 いったい誰が命じたのか。いったい何が目的なのか。それはおそらく王様で、目的は魔法の力を発動させる特殊な液。それをエルフは連れてきた若いヤクザに使ってもらい、幻惑を発生させる魔法を発動させられることを知って協力を仰ぐ。ヤクザはそこはヤクザだけあって情で動くことはせず、元の世界に戻れる魔法を使えるのがエルフの少女だけらしいと分かって、とりあえず協力を約束して彼女の父母らエルフ族を連れ去った犯人を探りに王城へと潜入する。

 王様のために薬を調合している男の下で本性を隠して働きながら近付いていった果て、ヤクザが知った事件の驚きの真相。王位の後継争いの中で生まれた欲望や、人に潜む残虐の心性が蠢きぶつかり合って、純真な姫を絶望させ、復讐に燃えるエルフを血みどろにし、過去を引きずりつつ現世への帰還を思うヤクザの手を血塗れにする。ハッピーエンドもカタルシスもゴミ溜めに放り込んだかのように、復讐が先走り欲望が暴走して血を流させ死を招いて世界は混沌へと突き進む。すべてが片付いて復讐は成し遂げられたものの、平穏は訪れない。

 まさに異世界が破滅へと向かう物語。それでも帰結に見えた光明が世界を救うと信じたいけれど……。続きがあるかどうかは分からないけれど、とりあえず異世界に止まり元いた世界へと戻る可能性を探りつつ、今いる世界を保持しようと動くヤクザの行く末がどうなるか、魔法を使えば使うほど身に訪れる副作用を知ってそれでも魔法を使い続けるのかが気になる。書かれればそれが明らかにされるだろう。とりあえず言えることは、この本は今出ているノワールだのクライムだの極道だの異世界転生だのといった作品のどれをも差し置いて読んで驚愕に打ち震えられる1冊ってこと。そんな物語がライトノベルのレーベルから出るのが凄い。いやいやそうでもないか。電撃文庫って昔からそうだったから。

 アンドロイドルの発表を聞きながらこっそりとネットで注文していた「けものフレンズ」の1話から8話までを一挙に上映するイベントのチケットがちゃんととれていたようで善哉。情報が上がってから完売になるまでそれほど時間もなかったようで、会見が終わってからだと多分変えなかったかも。もちろんこれまでの話数は全部見ているし、上映会で加わる第7話と第8話ももちろん見るだろうけれど、大勢が集まって楽しげな雰囲気の中であの主題歌「ようこそジャパリパークへ」を聴き、優しさがあふれた展開にニマニマとするのは他にかけがえのない経験。出演者あたりが登場してのトークイベントもあるみたいだし、ともに番組を愛するファンとキャストが同じ場を共有することでなおいっそうの共感も生まれてくるだろう。そこからさらに世界に優しさの気持ちが広がっていったら嬉しいかなあ。可能なら次は日本武道館で1万人を集めて同じ気持ちを共有したいなあ。

 チケットといえば3月からツアーが始まる山下達郎さんの公演がとりあえず市川市文化会館と、そして神奈川県民ホールを取れてまずは僥倖。前回のツアーは最初の市川市文化会館こそ取れたもののその後がさっぱりで、そんなツアー中になくなった村田和人さんを追悼する達郎さんの歌声を聴くことが出来なかった。決して楽しい歌ではなく、寂しさが滲んだものではあっただろうけれども村田さんも好きだった身には、その歌が達郎さんによって歌われるのを是非に聴いてみたかった。サンデーソングブックでやってくれたかどうか分からないけれど、もしも今も心に思いが残っているのなら、大滝詠一さんへの追悼に加えて村田和人さんへの追悼も、セットリストに載せて聴かせて欲しいもの。どうなるか。まずはちゃんと行けるように日程を整理だ。

 具なし和風パスタって、いったいどんな味かを知りたかったら秋葉原のクラブセガ7階に18日オープンする「劇場版 ソードアート・オンライン −オーディナル・スケール−」とのコラボカフェに行くと良い。何でも映画に関連したメニューらしいけれども見ていない身にはさっぱり。それでも取材と称して伺って食べた味は和風というだけあって昆布出汁が利いたゆであがりのパスタに刻まれた大葉が乗っていて、まぜて食べるとバジリコとはまたちょっと違った味わいを楽しめる。家出もやってみたい料理。昆布出汁って瓶入りか何かあるのかな。そんな具なし和風パスタに添えられたサラダに入っている温泉玉子をパスタにかけて混ぜると、カルボナーラ風になるというのがアスナ役を戸松遥さんの言。試してみたらなるほどこれも一興の味だった。映画を見ていったい何で具なしかを知ったらまた行って食べてみたいけど、予約でいっぱいかなあ、やっぱり。

 「マンガ大賞2017」の候補作に入っているんで読んで観た堀尾省太さんの「ゴールデンゴールド」は島にアニメイトが出来て欲しいと願う少女が海で拾った干物のような神様めいた像がいつしか居着くようになり、そして欲望をかなえるようにして婆さんの経営する商店や旅館を繁盛させていく。とはいえ狭い島で先走ったことをやれば軋轢も生まれるようで、嫌がらせも続く中でだんだんと神様が本性めいたものを現していく。そしていったい何が起こるのか、ってあたりまでが第2巻。きっと人間を操り自分を太らせようとする神様が世界に害を為すんだろうなあ。それをどうやって止めるかもきっと読みどころになるのかな。それとも島を出ればきれいさっぱり忘れてしまう特製から、狭い範囲で王国を築くような展開になるのか。興味深い展開。過疎化する離島の今後といった社会性もちょっぴり。でも推すには他が強いかなあ。もうちょっと巻が進んでからまた読もう。


【2月15日】 夜中にかけてネットの上を、朝鮮民主主義人民共和国の第2代最高指導者だった金正日の長男で、前に日本に入国して捕まり退去させられた金正男がマレーシアのクアラルンプールで暗殺されたとかいった情報が飛び交い始めて火元となっていたKBSのサイトからそんな可能性を把握。何か2人組の女性によって毒針で刺されたとかいった情報も出始めて21世紀にもなって白昼、公衆の面前でそんなあからさまな暗殺が行われたりすることがあるんだと驚きつつ、そういった配慮にすら思い至らないくらいに目の前の暗殺を成し遂げなくてはいけないといった思いが、依頼した側にあったのかもしれないと考えそのアナクロ思考に戦慄する。

 もはや国際常識だのといったものとは無縁の世界に生きているとしか思えない所業。あのロシアだって政権にとってヤバいと思われたリトビネンコを放射性物質の弾丸をぶち込むことによって死へと追いやりながらも黒幕が誰でどういった経路で誰が実行したかといったことは見せずにいたし、表だって認めずにもいた。でも今回はあからさまにどこの誰が何を目的にやったかが分かって直接の実行犯もどうやら確保されつつある。調べればすぐに大本へとたどり着くだろう。それでもやってしまう。

 たとえ大本が誰だと露見しようと、あるいはこうじゃないかといった類推の中であろうと、異母とは良いながらも同じ父親を持つ兄弟が諍いの果てに死へと追いやったと見做されてしまった状況で、果たしてまっとうな治世を国内で続けていけるのか、海外から相手にしてもらえるのか、って考えるとそこは厳しそう。でもやってしまうそのコントロール不可能な心情であり、その支配下における政情が暴走し続けていった果てに何がおこるのか。ミサイルは飛ぶのか。戦車は38度線も鴨緑江も越えていくのか。そこまでポン酢だとは思えないけれど、でも実際に処刑しまくり暗殺も辞さない状況が、可能性を色濃くしている。世界滅亡までの時計はまたちょっとだけ進んだかな。そしてあと何秒残っているのかな。

 アメリカビーバーとプレーリードッグの家造りを助けて上げて、考えるのが得意な動物、すなわちホモ・サピエンスでありヒトなのかもしれないといったニュアンスが漂い始めたかばんちゃんだけれど、それすら超えて遊ぶ存在、ホモ・ルーデンスであることを見せていたのが「けものフレンズ」第6話の「へいげん」に出てきたライオンでありオーロックスでありヘラジカでありカメレオンにアルマジロにシロサイにハシビロコウといったフレンズたち。何か縄張り争いを続けているようで51戦してライオン側が51勝と圧倒しながらも誰かが死んでしまう訳じゃなく、怪我をさせることすらあんまり好まないままぶつかり合っては対峙し戦い退けるという状況をずっと続けていた。

 それはもはや紛争というよりスポーツだけれどかばんちゃんが来たことで、さらにスポーツがゲームとなってより楽しく安全な状況で勝敗を決することができるようになたった。そこにかばんちゃんのサジェスチョンはあるけれど、元々がそうした遊びの中で雌雄を決したがっていたライオンとかはホモ・サピエンスを通り過ぎてホモ・ルーデンスだたのかもしれない。でもライオンってことはフレンズで“けもの”。そこにあるギャップがあのヒューマノイド形態でありながらも動物であることを堅持しているフレンズという存在のある種の特色あのかもしれない。どっちでもないしどっちでもある。ひとりかばんちゃだけは人間でありヒトでありホモ・サピエンス。それがいったいフレンズたちにとってどういう立場なのか。アライさんたちが持ってた羽根飾りもヒントになって遠からず、その存在意義が明かされるだろう。

 キャラクターではライオンの強面のふりして実は怠惰で優しくもある性格が気に入ったし、じーっと見つめ続けるハシビロコウもくちばしが顔の横に垂れる意匠となっていたデザイン性に感嘆。あとはやっぱりシロサイで、その重厚な外観を鎧に例えて美少女がレオタードの上から西洋甲胄を着込んでいる感じにデザインしたのは最高だった。同じ風体でもカバは顔の形をボディラインい見立てていた。いろいろなアプローチがあるんだなあ。そのシロサイは走ると息切れもするけれど、止まっていれば頑丈というところもやっぱり生態をよく取り入れていた。個々にどいういう意匠的な企みがあるのかを、解説してくれる「けものフレンズ」大全とか出てくれれば嬉しいなあ。それまでは「月刊少年エース3月号」に付録として挟んであったフレンズポスターを眺めて過ごそう。

 アンドロイドのアイドルだからアンドロイドル。普通すぎるけれどもそうした存在を目指している以上は他に何か付けるよりはストレートで分かりやすくって良いのかも、ってことで大阪大学の石黒浩教授がドワンゴとかと組んで始めようとしているアンドロイドル「U」の育成プロジェクト発表会を見にニコファーレへ。どんなアンドロイドが出てくるかと期待して石黒教授の講義を聴いて終わって現れたそれは、思ったより美少女として見栄えのする顔立ちだった。

 とはいえ座ったままで手とかも動かさず、首から上を揺らしまばたきをして口も動かし表情を見せるといった程度。喋りも合成音声で立て板に水といった感じではない。その意味では映画「さようなら」に登場したジェミノイドFの方がまだ手足を動かし車椅子ながら移動した分、ロボットとして進んでいたとも言える。ただアンドロイドル「U」の場合はそうしたしぐさの面ではなくて表情に加えて会話のところで進化を見せているといった感じ。そういえば石黒教授は、確かNTTといっしょになって、2台のロボットを会話させつつ間に人間が挟まることで、いかにもコミュニケーションを成立させていうるように感じさせる研究を行っていた。これなんかの技術も応用されている感じ。

 会話の途中でロボットの側が自然に主導権を持っていって、人間の発話から意思をなくしてロボットの言葉に答えさせるようにして、それでも自分が主体になっていうるようなな感覚だけは残すことで、ロボット相手のコミュニケーションに満足感を与えてた。このアンドロイドル「U」でもニコニコ生放送でのコメントなんかを取り込みつつ自分から発してそれに追随させるように誘導し、そこにコミュニケーションがあるように感じさせる。途中で理解不能なことをスルーしたって、通常の会話でも聞き漏らしたり答えたくなかったりして会話を飛ばすことはある。そういった状況を作り出してアイドルがアンドロイドでもコミュニケーションを行っていると思わせる。AIを搭載して知性を持った発話をしなくても、流れから自律的に会話を誘導するころで人間らしさをヒューマノイドロボットに与えられる。そんな研究がここから進んでいくんだろう。池袋パルコにも登場するらしいし、置かれたら観に行って無理難題をふっかけよう。「円周率言って」「円周率を全部覚えるのはメモリのムダです」。やっぱりアンドロイドの方が聡明だ。

 モーヴ本部長から役立たずと言われてジーン・オータスの落胆ぶりたるやいかばかりか。でも祭り上げられているようで当人は蚊帳の外にいたりするクーデーター計画な訳で、それで聞かれても相手にとって満足なコメントができるはずもなく、言って嘲笑されるよりは言わずに落胆される方が人間としてまだ許せると思ったのかも知れない。聡明なだけに周囲で何かが起こっていることくらい知っている。でもそれを言うのは時期尚早。そんな感じか。そんあ「ACCA13区監察課」は後半戦へと入っていって謀略の芽が吹き出しつつ若気の至りも起こって激しい展開になりそう。そんな中でジーン・オータスがどう振る舞うか。まあ知ってはいるけどクールに淡淡と、けれども着実に事を為すそのスタンスから現実の身に降りかかる難局をクールに乗り切る道を、そうでなくても流されないための気構えを見つけ抱こう。


【2月14日】 なにやら「けものフレンズ」界隈が騒がしいなあと感じて調べたら、あの星野源さんがオールナイトニッポンで最近気に入って60回くらい聞いている曲って前振りで、「けものフレンズ」の主題歌「ようこそジャパリパークを」フルコーラスで流したみたいでいったい何がそんなに気に入ったのか、わからないけれども「恋」のあのアップテンポな上にメロディアスな曲調と、「けものフレンズ」の陽気だけれどちゃんと意味を持った歌詞が乗った曲調はどこか似通っていたりする。元よりオタクな文化にも理解を持っている星野源さんが、聞いてその曲調にこれだと感じたって不思議は無い。でも60回は普通聞かないよなあ。それでも聞いてしまうくらいの強さがある曲、そして原作。爆発して来たなあ。

 おっぱいバキュームの勝利であった。ってそれは何の話って、映画「チェインクロニクル ヘクセイタスの閃 第3章」の話で物語のクライマックス、クロニクルの持ち主だったフィーナは父親であった黒の王に捕まり、彼に奪われたクロニクルは黒に染まって瘴気を吹き出すようにななって、黒の王の居城に迫っているアラムをはじめとした義勇軍の面々、ユリアナをはじめとした聖王国の軍勢、そして魔法兵団らを圧迫する。黒の王に仕える女の魔髪エイレヌスや魔神化したブルクハルトたちはどうにか凌げても、強大な黒の力を振るう黒の王の前にもはやこれまで、そう思われた時にばっと服をはだけておっぱいを放り出したフィーナが、その双房に刻まれた魔法の紋様を輝かせ、そのふくよかなおっぱいいっぱいに瘴気を吸い込み王城の近隣を浄化して、アラムとそして自分を取り戻したユーリの戦いを勝利に導く。

 あれだけ巨大なおっぱいだけあって、世界の黒のすべてを吸い込んでも余裕は十分、先っぽだけ黒く染まったけれどもそれしきと笑顔で立ちあがって城下されたユーリを迎えてそして平和になった世界を2人で歩んでいくのだったという、そんなエンディングでは決してなかったけれど、おっぱいバキュームはある程度は本当。その胸に吸い込んだ黒を父王が正気を取り戻して自らの生命力をかけて引き取り、フィーナを存命させたあと、はだけたままの胸を観て駆け寄ったユーリはいったい何を思ったか。黒から白に戻れて良かった。そう思ったかもしれない。あれで意外に助平か。どうなのか。

 ともあれ完結した3部作。ユリアナに裏切られたと勝手に感じたブルクハルトに続いて友人を殺られたと感じてユーリが黒に堕ち、鬼の一族を率いるシュザも味方にはならず、半ば黒をまといながらユリアナの前に立ちふさがってフィーナからクロニクルを奪おうとすらする。黒の軍勢に敗れる以前に人間たちが争っている状況で、それでも黒の王と倒してユーリを取り戻し、世界を平和に導きたいと走り回るアラムの情熱に引っ張られるように人々が集まり、賢者たちも協力して方舟を作って敵の本拠に突っ込ませる準備を進めていく。歌姫も参加して準備は万端、ブルクハルトの乱入はあってもそれを退け一挙に決戦へと持っていく展開はバトル、またバトルでとても見どころがあった。

 アラムがどこかで拾って懐いていた毛玉が、なぜか質量不変の法則を無視して巨大な竜となってアラムたちに味方をし、黒の王が変幻した巨大な竜を相手に戦うシーンは横へと飛行するシーンを上から火炎などが突き刺さって迫力たっぷり。動きも激しく見ていて圧巻といった気分を抱いた。それは「傷物語V 冷血篇」の阿良々木暦とキスショット・アセロラオリオン・ハードアンダーブレードとの戦いにも勝らずとも劣りはしないスピード感。テレビで放送されても小さな画面でしか見られないのが残念なくらいの迫力って奴を見せていた。映画館で観ておくのが吉。

 途中から合流して決して強くはなかったけれども妙な白い光を集めて放ったり、誰かに融通したりできる力を持ったアラムがいったいどういう運命を持って合流したのか、ってあたりがやっぱり謎だけれど、一度の敗北のその後で、限界を無明けた面々に新たな要素を乗せることで限界を打破するという意味を持たせるならばああいった唐突な登場と、そして意外な能力、さらにはやっぱり主役を奪わずユーリとともに戦い勝利する存在であったのは適切だろう。それこそ“絆”を大切にする「チェインクロニクル」というゲームのアニメーション化なんだから、絆なくして勝利はなく、そして物語は成り立たないってことで。

 諍いはあっても理解へと向かい融和があって勝利がある。堕ちた者も後悔を抱き自分を克服するなり懺悔の中に静かに去るなりといった顛末を迎える。観て心地よく見終えられる最終章。とても面白かったと言っておこう。そして3部作を劇場で観られて大変に素晴らしかったと断じよう。フィーナのおっぱいバキュームは目にも美しかったけれどもスタイルでいうならやっぱりアルドラがナイスかなあ、ばあさん呼ばわりされたって見かけはとってもグラマラスな訳で。あとは最後にどうにか間に合ったマリナの僧服めいた衣装から突き出た胸か。割と大きそう。すでに全身が見えてしまっているエイレヌスは抑えている布地が小さい分、かえっていやらしさが抜けてしまって可愛そう。エロとエロスは違うってことを身で示したキャラクター。白に戻って欲しかったなあ、そうなったらなったで服着ちゃうかもしれないけれど。

 月刊創に「この世界の片隅に」の真木太郎プロデューサーへのインタビューが載っていたんでとりあえず購入。記事が掲載された雑誌が売れれば他の雑誌も取り上げるようになるといった思惑もあるけれど、それよりやっぱり気になった新聞特集。各紙が目下取り組んでいることが書かれてあって、朝日新聞は「紙とデジタルの編集部門統合」を冒頭から書き、読売新聞は「教科書会社不正告発スクープ」を取り上げそうした分野で頑張っていることが紹介されていた。どっちも編集部門に関する話。そりゃあそうだ、報道機関なんだからニュースを生み出す部署の話が最初に来るのが普通だろう。

 それは毎日新聞も同じで「デジタル報道センター拡充」といった形で、紙もネットも含めた編集体制の強化を挙げていた。個別の記事についても特報グループがいっぱいスクープを放っていることが紹介されている。日本経済新聞は「日経電子版有料会員50万人突破」でこれもまあニュース部門の話。東京新聞は特報とか若手による横断的な企画なんかが頑張っているって話が書かれいたのを横目に、産経新聞の項目で冒頭に取り上げられていたのが「オリジナル酒 辛口産経発売」で続くのが「全国魚市場&魚河岸祭り」の企画で、そして終活事業でのお墓の販売と報道が来ない。看板であり稼ぎ頭であり強化しないと先がない報道の現状も課題も将来も紹介されていないこの新聞社が、本当に新聞社なのかどうか。ちょっと分からなくなって来た。これが時代か、それとも。結果はいずれ出るだろう。

 ABCD包囲網の頃から日本が大陸や南方に野心を見せ始めたのをひとつのきっかけに、日本とそしてアメリカなどに暮らしている日系人への懸念というか不信なんかがアメリカの中に育まれていったらしい。そして日中戦争が進んでいって途中、仏領インドシナあたりでの紛争もあって日系人の資産凍結なんかも行われたけれど、まだ差別とか弾圧といった感じではなかった。それが真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発すると、一挙にアメリカにおける日系人への敵対意識は膨らんで、日系人は収容所へと送り込まれて仕事も財産も放り出さざるを得なかった。そのことに異論をとなえたアメリカ人もいただろうけれど、大半はそれが当然と感じて隣人だった日系人が収容所へ行くことに積極的な反対はしなかった。

 戦後、すぐではなくてもアメリカ人たちはだんだんと自分たちがしでかしたことに気付き、国を挙げて謝罪し補償も行った。そうやってアメリカに取り戻されたはずの人種とか、出身国とかによって分け隔てして差別するようなことが起こらない、自由で平等な社会が今、だんだんと失われようとしている。トランプ大統領が就任するなり出した大統領令は、特定の国を論って入国を禁じ、そして特定の宗教を信奉する人たちへの不信感を煽っている。今はまだ、反対する人の声も多いけれども日系人への不信が芽生えてから10年を待たずして、強制収容所を作って追いやった過去を思い出すなら、数年を経ずしてアメリカで新たな弾圧と排除と差別が起こっても不思議は無い。それはもちろんアメリカに限った話ではない。世界のどの国でも。日本ももちろん。

 人は簡単に差別主義者へと転ぶ。自分と違うものを区別して排除して平気になる。そういう過去を振り返ると、有色人種が人権を剥奪されて豚とさげすまれ、戦争の最前線へと送り込まれて次々に死のうとも、それは人権がない存在だから戦死者はいないと言い募られるような世界が舞台となった物語も、決して空想ではないと思えてくる。第23回電撃小説大賞の大賞を受賞した安里アサトによる「86 −エイティシックス−」(アスキー・メディアワークス)という物語。帝国によって開発された無人兵器に襲撃された共和国では、有色人種の人権を奪って収容所へと送り徴用して最前線へと送り込んではその命を散らさせていた。

 9年が経って親の世代も青年の世代もすでに死んで、今は徴用された少年少女たちが最前線で機械に乗り込み押し寄せる帝国の無人兵器と戦っている。そうした少年少女たちが生きようと死のうと、共和国の白い人たちは憐憫はおろか何の感情も抱かない。むりそ侮蔑と嘲笑すら向けているか。そんな兵士であってもいなければすぐに国が攻められるとあって、共和国では遠方から指揮官が、意識を共有する特殊通信で指示をして戦わせている。とはいえ大抵は見放され勝手に死ねと言われるが如く。そんな中でひとり、レーナという元貴族の少女は前線の少年少女と共感したいと願っていた。

 そんな設定を持って始まる物語。自分たちを差別し戦場に送り込んで間接的に虐殺している白系種に同意は出来ない最前線の少年少女たちだったけれど、決して見捨てようとせず接触を深めようとしているレーナの執心に、最初は何かの同情なり愛玩と感じて反発していたものの、その熱意と謝意を感じ取るようになって、同意はせずとも理解は見せるようになる。そんな中で激化する戦い。帝国の無人兵器のとてつもない攻勢。けれども後方は気づかない。知ろうとしない。最前線で生き延びている歴戦の勇士であっても、存命によって差別が露見するのを恐れるあまりに苛酷な偵察任務へと送り出して命を散らせようとする。

 悲劇への慟哭すら通り越して暴政への憤りが浮かぶ展開。今の社会が決してそうならないとは限らないだけに、照らして身が振るえてくる。もうひとつ、敵の無人兵器が言われているように残り数年で老朽化して活動を停止することにはならず、驚くべき“進化”によってさらなる戦いを続けようとしていると分かって戦慄が浮かぶ。もはや絶体絶命の状況。けれども銃後では差別だけが増大して安穏とした暮らしの中に戦場を観ようとはしない。あまりに苛烈なシチュエーションで、リーナは、そして前線でアンダーテイカーとして仲間たちの死を記録し続けるシンは生き延びるこできるのか。前線も後方も見えない未来の先、描かれる結末に感慨し、そして落涙しよう。


【2月13日】 14週目に入った「この世界の片隅に」だけれども興行通信の週末観客動員数で未だに8位に入る快挙、って25週目の「君の名は。」が未だに6位に入っていたりすることの方がよっぽどバケモノではあるけれど、当初の公開館数が100に満たないインディーズであったことを考えると、14週も連続でベスト10に入り続けていることがまず異例だし、前週は7位で今週は8位と大きく落ちずにポジションを維持していることもやっぱり異例。それだけしっかりと観客がいて映画館に足を運んでいるんだってことがうかがえる。

 公開館も増えて近所のシネコンでも観られるようになったことも大きそうだけれど、それでも封切りされて大規模公開されても客が集まらず、すぐに縮小されて落ちていった映画を横目にしっかり踏みとどまっているのは、それなりに座席を埋めて公開規模を保っているからなんだろう。興行収入も20億円を超えたそうで目標にしていた、というより夢であった10億円をダブルスコアで超えてしまった。いったいどこまで伸びるのか。20億円を超えている「映画 聲の形」と前後するところまでは行きたいところで、その先はおまけの人生、歩んで満たされていって下さいな。そして完全版、あるいは次回作。期待しながら待とう。

 人気の女優でタレントだった人が待遇に嫌気が差して事務所を辞めると言い出して、信心していた宗教に駆け込んでしまった事態にワイドショーではさっそく“犯人探して吊し上げ“みたいになっている感じ。どこも芸能事務所へは行き届いた配慮を行い非難がましいことは一切言わず、芸能リポーターは最初は給料が安いのは当然で、相撲部屋みたいに衣食住だけ補償されていれば十分だろうといったことを平気で言い、そして人気司会者はまだ若いから親心で大金を渡していなかっただけですよとか言って、事務所側の絞りに絞った対応を擁護する。おいおいそりゃあデビューしてすぐの子役だったらお小遣い程度にしたって不思議は無いけど、デビューして5年は経っててレギュラーいっぱい主役もどんどんの人気女優を相手に子供扱いもないだろう。

 入門したての序の口力士なら衣食住だけでも十分かもしれないけれど、それこそ幕内に入ってきた力士相手に十分な給金を渡さなかったら相撲協会からブラック部屋だとあげられる。芸能界はそれ以下ってことなのか。考えればわかるし言えば反発をくらうことを、芸能リポーターも人気司会者も平気で言ってしまうくらい、あちらの常識って奴に染まってしまっているんだろうなあ。あるいはあちらの常識から外れることができないっていうか。ただだったら引き抜いた宗教が悪いと非難するかというと、それもしないで当人に帰結させるあたりはやっぱりバランス感覚って奴なのか。ひとり糾弾される女優でタレントの心身が今は1番心配。踏みとどまれ。

 そんな今の状況からひとつ、想像出来ることがあるとしたらその宗教をその愛国保守的というか、嫌韓反中の主張から熱烈に応援していて、例えばフランスでの漫画フェスティバルに出展しようとしたその系列を大々的に取り上げてみたり、アメリカでの活動をその立場に寄って報じてみたりといった偏りを辞さないメディアがやっぱり好意的に取り上げては、すがった女性タレントをある種の被害者としてのみ捉えて事務所側を悪し様に言ってのける可能性か。とはいえ一方でそんな事務所のタレントを好意的に報じなければいけない媒体も系列には多くあって、そうしたぶつかり合いが違う胴体についた右手と左手として理解されるか、面従腹背の蝙蝠野郎と非難されるかがちょっと気になる。どっちもいろいろあるところを、共に非難せず共に持ち上げる報じ方になってそしてカルト的ブラック的状況は改善しないといった悲劇へと、転がり落ちていくのかなあ。さてはて。

 朝も早くから総武線を乗り継ぎ中央線へと引き継いで三鷹へ。噂に聞こえるホロレンズだけれど値段が高いって事もあるのか未だあんまりサービスインさせているところがなく、触れる機会もなかったけれども、三鷹からバスで向かうNTTが武蔵野研究開発センタで毎年開いているR&Dフォーラムを見物に行ったら何台もあって、装着してその雰囲気を味わうことができた。まずは使いやすい。そして見えやすい。例えるならPSVRでVRを体験する時のように、すぽっとはめては目の前に映し出されるARな情報に売れることができる。これがセイコーエプソンあたりのAR眼鏡だと焦点を合わせるのがちょっと大変そう。そして画面が小さいんで何が見えるかをじっと見る目が必要になる。

 ホロレンズはほとんどゴーグルといった感じで目の前に被せられたグラスに情報が移し出される。向こうの景色もしっかり見えて情報も読み取れる。やっぱり装置として大きいし値段も高いけれども求められる情報を読み取るという行為を目的とするならば、それがやりやすい方向へとまずは流れるものなのかも。ちなみにそんなホロレンズでNTTが見えてくれたのが、野球場の模型をホロレンズ越しにのぞくとグラウンド上に選手たちが現れて、試合を繰り広げるってもの。途中で大きい選手の像が現れ情報なんかを流してた。いちいちスマホで選手のプロフィルと確認しなくても済む機能。ARが普通になったらそういうポップアップからの情報表示も普通になっていくんだろうなあ。

 ただこうしたデモンストレーションはあくまでも場所の制約からそうなっただけで、本来は実際の休場なんかで選手達が試合をしているのを観ながら、ARでもって情報を付加したり特定の選手だけを観られるようにするのが目的とか。現実をARによって拡張し、偏向する。そのための技術を積み重ねていくことによって目の前に見える空間に、情報という価値がつく世界を呼び込みそこで、バックエンドのサーバーなり情報の伝送なりといった技術とインフラの部分で商売をしていくことになるんだろう。そのためにいろいろとコンテンツ側から検討する。その余裕が大企業ってことなんだろうなあ。情報はあっても見せ方がわからないコンテンツ企業が多すぎるから。たいした情報もないのに凄い情報があるんだからそれを使って商売できるはずと自信満々な会社は論外だけれど。どことは言わない。

 VRではあの錦織圭選手のサーブを受けられるというものが登場。ラケットに振動子が取り付けられていてコントローラーの位置からラケットの位置を読み取る仕掛けでもってボールをしっかりとらえると、振動が手に伝わってきてボールが当たった感じを体感できる。お腹の部分に当てられた振動子も揺れて襲撃を伝える。その2つが体感を増やす役目を果たしている。同じコートに立って錦織選手のサーブを受ける機会なんてまずないんで、バーチャルでも体感できるのはスピードになれる意味でも有効。あとはこれがゲームになれば面白いんだけれど、そういう装置は出てくるかなあ、Wiiならそのままでも出来たような気もするけれど。

 振動って意味ではNTTがずっつやっている「ぶるなび」ってのがバージョンアップしていて四角いキューブの中に振動子が仕込んであって、それが振るえることで左右前後に引っ張られる感じを再現する。目の前でタツノオトシゴが前に進めば手にしたキューブも前に引っ張られるといった感じ。これをコントローラーに搭載すればぶるぶるコントローラーだけじゃない表現も可能になりそうだけれど、Nintendo Switchのコントローラーってそういう風になっていたっけ。触ってないからよくわからない。位置情報を加えて傾けたりすることでバーチャル空間の迷路を傾かせ、中を転がるボールをゴールまで持っていくゲームもあった。これなんてすぐにでも遊べそうだけれど、どこかコントローラーごと製品化しないかなあ。


【2月12日】 あれは六本木の森アーツセンターギャラリーで「ルーヴルNo.9 〜漫画、9番目の芸術〜」が始まる内覧会の日に行われた発表会見でのこと。出展者の1人として来場していた谷口ジローさんが「たくさんのBD作家と展示されることを嬉しく思う」と話していたのを覚えている。ルーヴル美術館が企画した、第9番目の芸術としての漫画を制作するといった企画について「話があったのは10年以上前のこと」と谷口ジローさん。「BDは大好きで、自分の漫画への影響を沢山受けてきた。企画に選ばれたのは光栄」と喜んだ。日本の漫画は世界一ぃぃぃぃ、だなんて意識から海外への進出を喜ばない漫画家がいるかどうかは分からないけれど、あれだけの実績を持ちながらも海外の文化をリスペクトして参画を喜ぶ態度はやっぱり素晴らしい。だからこそフランスでシュバリエ勲章をもらうくらいに慕われたんだろう。

 同じ企画に参加したBDクリエイターのニコラ・ド・クレシーから歌川広重や河鍋暁斎、葛飾北斎などと並んで宮崎駿さん、松本大洋さんと含め挙げられ讃えられていた谷口ジローさん。「ルーヴル美術館を描くという企画で1カ月ほどパリに滞在して、毎日のようにルーヴルに通って膨大な作品を見てきた」とかで、そんな間に「ルーヴルには不思議な者が住んでいるんじゃないか」と感じたとか。そうやって出来た作品が確か「ルーヴルNo.9 〜漫画、9番目の芸術〜」の会場にも飾られていたっけ。東京での開催は終わってしまったけれども4月から福岡での開催があるんで、気になる人は行って見てみると良いだろう。フランスのBDクリエイターたちがこぞって尊敬するその作品を、その筆致を目の当たりにできるから。

 「私は漫画は表現媒体としてかなり優れた媒体で、今では表現できないものはないんじゃないかというところまで来ている」とも話していた谷口ジローさん。展覧会に寄せられた漫画を見て「ひとつひとつ見ても個性があって全然違う」とも言っていて、なるほどBDに寄せてはあっても個々に異なるアプローチが見て取れる。して「これからも多くの作品が生まれてくると感じている」。そんな当事者として新しい作品を生み出して欲しかった谷口ジローさんだけれど、逝去、69歳は若いとは言えなくてもまだまだとも言えそうで、大人気作になってしまった「孤独のグルメ」を始めとして「センセイの鞄」とか「冬の動物園」とかある様々な作品に続く傑作を読ませて欲しかった。でもそれも叶わない。ならばその偉業を讃えつつ過去の作品に触れつつ、世界が惜しむ言葉を聞きつつ送りたい。ありがとうございました。

 ライスボウルで法政大学トマホークスを見たのは2006年が最後だから2009年度の法政大学トマホークスを実際に見たことはなく、だから2009年12月に行われた甲子園ボウルに出場して関西大学パンサーズに敗れた法政大学トマホークスでキャプテンを務めた徳田浩至選手の勇姿も実際に見たことはないんだけれど、それから7年が経ってスリムなイケメンになった徳田浩至さんがコージとしてブリリアンという芸人コンビの1人となってはブルゾンちえみさんの横に立ち、「With B」と語るようになるとはいったい誰が思っただろう。法政大学のチアリーダーだってきっと思わなかったに違いない。でも今は立派に芸人として顔を出し始めた。まだ添え物のような扱いではあっても見た目と経歴からきっとソロでも世に出てくるだろう。そうでなくても今年1年はブルゾンちえみとともに出続けるだろうから大学スポーツのヒーローによるキャリアアフターのひとつの例として活躍を眺め応援していこう。それにしてもフィンガースナップ1発から2人で対比となる単語をよくまあ瞬時に出せるもの。そこが反射神経なんだろうなあ。

 ううん、信教は自由だし思想信条について他人が口出しする話ではないけれど、一方で今現在に幾つも仕事を抱えていて、そして将来において公開される映画なんかも待機している状態で、そうした活動を反故にしかねない言動をとってしまうというのはやっぱりちょっと問題だし、そうした行為を半ば促してしまう信教もやっぱり存在として認めがたい。社会にあって存在している信教だからこそうした配慮は欲しかった。とはいえ一方では、あまりに苛烈な仕事の状況に嫌気がさしても辞められず、逃げる場所としてそこしかなかったといった声もある。どっちが本当かはわからないけれど、現実に発生するで損害に対して訴えられたりした場合にダメージを被り、社会的に排除され、その挙げ句に過去、起こった悲劇が別のところから現れるなんてことになったらちょっと大変。そういう信教でもないとは思いたいけれど、何がどう転ぶかわからないからなあ。さてはて。

 エドワード・スミスさんってどこの国の人かわからない名前の作家の人が新たに出した「暗極の星に道を問え」(電撃文庫)は、人間もいれば異種族もいたりする世界で人間が横暴を極めつつそれを国民には見せず、周囲に蔓延る魔王を正義と思い討伐しては英雄となった少年を、王族ではないからと排除したところから始まる世界の変化を描くだろう物語。魔王を討ち果たして凱旋記憶したトウカだったけれど、お祝いの席でパーティの仲間の女剣士も魔法使いも薬師もまとめて殺害され、ひとりだけ自分を見知った姫のカバー、そして身を潜めていた仲間の助けもあって脱出を果たす。そして自分が討ち果たした魔王の娘の助力も得て、誓い始めた復讐によって自分を陥れた王子をまずは退ける。

 そこまではよくある戦記物の一形態で、人間の横暴に魔族とよばれ列島種族とさげすまれている存在が、持てるスキルを重ね合わせて人類に反旗を翻すストーリーに見えるけれども気になるのはその舞台。どうやら宇宙を漂う巨大な竜の骸の上に形成された惑星らしくて巨大なスケールでもって骸をさらす竜とはいったい何者で、そこから今なお漂い出る意思のようなものはいったい何を目指せとトウカたちをたきつけているのか。トウカや姫の手に浮かぶ謎の紋章の正体は。そうした謎がだんだんと明らかになり、独特の舞台設定が物語に生かされるようになってより深い面白さってものが見えてくるんだろう。今はそうなるまでを追っていこう。暗殺に適した種族の見た目美男子な少女の胸はどんな柔らかさなのか。感じてみたいけれどもそれやったら殺されるかなあ、一瞬で。

 10日後に締め切りが迫った仕事におよその形をつけてから下北沢のトリウッドで上映されているふくだみゆき監督の短編アニメーション「こんぷれっくす×コンプレックス」を観に行く。昨日は新海誠監督が観に来ていたそうで行ったら会えたかなあ、ちょっと残念かなあと思ったけれども今日は今日で主題歌を歌っている北村瞳さんのライブがあって、主題歌としては耳にしていても生でシンガーが唄う歌を聴ける機会ってのはなかなかないから、その意味では逆に得をしたって言えるかも。さて「こんぷれっくす×コンプレックス』は前に埼玉県川口市で開かれたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭で観ているからこれが2回目になるけれども前に観た感想を日記から引っぺがすとこんな感じになる。以下引用。

 「プールの授業で女子中学生の少女が手本になっている少年の挙げた手の奥の脇に見たものは? 思春期の女子中学生のフェティシズムというか性的なものへの興味がふわっと浮かんで漂い見る人をぐふぐふといった笑いの中に引っ張り込む。端正だけれどそんなに動かないFLASHアニメーションで、プレスコによってとられた情感たっぷりの声に重ねて着けられた表情の変化が淡々として、それでいて微熱めいた思いが浮かんで頭を埋めるあの世代の気分って奴を表現している。声は林奏絵さんと上妻成吾さんという人が担当していてそれほど有名って訳じゃないけど良い感じに若い2人を演じている。とくに林さんはもやもやとしながらも確信して脇毛にのめり込んでいく女子中学生のまっすぐさを透明感のある声の中に滲ませている。見終わってすれ違った2人のうち、女子中学生が少年を『子供だなあ』というのはやっぱり女子の方が成長が早いってことなのかな、性的に」

 そして2回目を観た感想もだいたい同じ。声については改めて巧いなあと思った。プレスコだそうだから絵がない状態での録音だろうけれど、その分、妄想力を働かせながら内心の興味とそして恥ずかしさを表現するように演じていったのかもしれない。焦る感じとかドギマギとする感じとか。これがアフレコだったら絵に頼ってあそこまで情感を入れられただろうか。元よりスクリプトに優れた作品だけれど、それを演技が倍加したって言えそう。あとやっぱり少女の方に成長の早さというか、対象に対する興味はあってもそこに恋情など持ち込まないドライさってものも改めて感じた。脇毛への興味だけを告白したのにそれを恋情にすり替えてしまう少年の心情は、なるほどわからないでもないけれどもそれを拒絶し、挙げ句に子供だという少女の言葉に潜むクールさにギョッとしてしまう。勘違い禁物。でもそれを考えすぎると何も言えなくなるなあ。もとより言う勇気なんてものもないけれど。

 そんな「こんぷれっくす×コンプレックス」を観た後に登場した北村瞳さんの歌がまた良かった。主題歌はリズム感のあるポップスで楽しげだし、その後に唄った2曲もしんみりとしたバラード、しっとりとしたメロディアスな曲といった感じに特長を出していた。何より声が綺麗。粒が立ってる。だからマイク1本ギター1本をミニアンプから出してもちゃんと聞こえてくる。その歌詞に耳を傾けてしまう。良い歌だったんでCDを買ってサインももらった。いつかライブ、聴きに行けたら良いな。しばらく上映も続くしゲストも続々と登場みたいなんでまた行こう。新海誠監督の特集も見たいけれどそれもまたいずれ。


【2月11日】 日本時間だと早朝に行われたらしいアメリカ合衆国のトランプ大統領と日本の安倍首相との共同記者会見で、喋っている内容はまあ外交辞令の範囲内で収まったもので驚くこともなかったけれどもそんな会見についてテレビ朝日だったっけ、そこの記者が話していたことに引っかかった。どうやら共同記者会見の会場でトランプ大統領と安倍総理のすぐ前の列、だいたい3列くらいを政府の関係者とかが占めて記者とかを座らせなかったらしい。映像を観るとなるほど安倍総理とトランプ大統領が会見場に入ってきた時、3列目くらいまでの人たちは直立不動で2人を出迎え写真を撮る様子も見せず、会見によくあるラップトップPCを膝に乗せて喋りを記録している風もない。

 というか女性がほとんど見えない。これがちょっと前に行われた英国のメイ首相とトランプ大統領の共同記者会見では、前方に女性の姿が割と見受けられたし、そもそもが2人が入場してきた時に立ちあがった人たちが最前も含めて手にしたスマートフォンで2人をばしばし撮影していた。政府の関係者はそんなことはしないだろうからおそらくは記者だろう。別にカメラマンがいるだろうけれども自分たちでも撮っておく。それが保険にもなるから。そんな光景が安倍総理とトランプ大統領の共同会見ではまったく見られなくなった。粛々と出迎えては着席して傾聴する。質疑応答での引きの動画を観てないから最善で手を挙げた人がいたかどうか分からないけれど、そこで誰も挙げてなければやっぱり関係者だったってことになる。

 これの何が問題か、って共同記者会見は別に政府関係者のためにあるものではなく安倍首相とトランプ大統領の言葉を広く伝えるメディアを介して国民のため、あるいは世界の人たちのために行うものであって政府の関係者がそこにいる意味がない。彼らは会見を伝えることはしない。だったらいいったい何のためにいるのかというと、それはやっぱりトランプ大統領を、ついでに安倍首相もメディアの最前列からの追究から守るためってことになる。あるいはメディアを2人から遠ざけるための壁ってことにもなる。本当だという前提で、そういう会見を平気でやてしまえてそして、メディアも従わざるを得ない状況はちょっとヤバい。それは大統領の権力がメディアによってチェックされずにそのまま行使され得る可能性を含むから。

 今だと世間はメディアが偏向して横暴だから大統領に排除されるのも当然といった声があって、今回の最前列を政府関係者で示されるような会見の有りようへの支持も集まりそうだけれど、そんな大統領が、あるいは権力者が偏向して横暴な存在にならないとどうして言えるのか。メディアよりも権力が、それも絶対的な権力があるだけに偏向も横暴もそれこそ支持していたはずの人のところにまで降りかかって困らせる事態を招きかねない。そうしたことにはならないと信じているなら結構だけれど、そうだとしてもやっぱり可能性としての暴走を想定するなら、権力とメディアは常に対峙して対等に存在していなくてはならない。そうした原則を切り崩して切り下げていっているのが今。そして歯止めもない状況が遠からず何をもたらすのか。声を上げないと、世界のメディアは。日本は……すでに飼い慣らされているから関係ないか。首相会見で突拍子もない質問するメディアなんて最初から排除されているし。やれやれ。

 対協商連合戦となっていった「幼女戦記」はアンソン・スーがいよいよ出てきて来週あたりからターニャ・デグレチャフと対峙するといったところ。そしてもちろんターニャが打ち破って娘のメアリー・スーとの因縁を作るんだろうけれどもそうやって出来た関係が、原作の方でようやくぶつかり始めたくらいで回収されるのはまだ先か、っていうかどういう展開を見せるのかがまるで分からないんだよなあ、この作品。いつかのナチスドイツみたいに国土を崩壊させて滅亡へと辿るのかというと、そこまで上層部だって間抜けではないだろうから戦線が崩壊していったらさすがに和睦へと進めるだろう。そこでラインの悪魔と呼ばれたターニャの処遇が問題となって当人が暴れ続けるって展開があるかどうか。別に戦犯ではないし優秀だから合衆国なら使うだろうなあ。存在Xから見放されてのたれ死ぬ? それもありか。とりあえずあと5歳、成長した姿を見たいなあ。そんなに戦争、続ける気か?

 せっかくだからと「闘会議2017」へと行って眺めると何か「JAEPO2017」の方が活気があるというか、元より入り口に近い場所にあって業務用ゲーム機をいっぱい並べて遊んでもらえるような環境を作っているから、そこに人が集まるのも分かるしステージイベントにも大勢が参加する。「闘会議」の方はステージイベントを行っているブースもあるけどスペースが広々としている関係からか混在ぶりがやや緩和されているし、そこにすべてが集約されているというよりはゲーム実況であったり、アナログゲームコーナーであったり、ゲーム音楽ステージといったところに好きな人が集まって動かないといった島宇宙が点在している状況になっている。あっちもこっちも見て回ろうって流動がないのも混雑を体感できない理由か。

 元より闘会議ってそういうイベントではあったけれど、JAEPOっていう要素が加わってよりくっきりとその違いが見えたって感じ。それでどっちが特をしたかっていうと闘会議にでも行ってみようかっていう人たちを、入り口で引っ張って業務用ゲーム機を遊ばせることに成功したJAEPO側かなあ。今までだって一般公開日を設けていたけど1日だけで集まっても1万人とかそんなもの。それが闘会議といっしょになることで2日間で5万人が集まってくる。別にインカムがある訳ではないけれど、そういう接触によって業務用ゲーム機の存在を再確認した人たちが、街に出てゲームをするようになれば儲けもの。スマートフォンとの連動だとかファンを取り込む施策をやってはいても、最初のきっかけがなかったところにこうしてきっかけをくれた闘会議との併催。成果が上がって来年以降も続けられると良いかなあ。

 「ジュバ市内でのSPLA−10とのど突き合いが生起こしたことから、宿営地周辺での音が鳴る事案に伴う流れ弾への巻き込まれ、市内での突発的なカチコミへの巻き込まれに注意が必要。加えて、ジュバ市内、特にPOCサイトを含むUNハウス周辺では、両勢力による鉄砲玉が確認されていることから、朝方からの一部の勢力による仇討ち等行動による音が鳴る事案、アガリの悪化に伴う事案事象、コソドロ事象等、巻き込まれに在留邦人の動向を含め注意が必要」って感じになるのかなあ。南スーダンでの自衛隊の日報に「戦闘」って文字がいっぱい出てきたのに、それは法律的な戦闘って言わないと防衛相とか防衛省が言い募る。だったら法律で言う戦闘って何なんだ、って話になる一方で、いっそ戦闘という言葉を自衛隊では使わなくしてしまうって話になったら、ヤクザ用語を使って表現して事の大変さを内部には共有するようになるのかも。分かる人には分かる。そんな可能性。


 豊中市にある国有地をあれやこれや噂されてる学校法人が小学校を建てるために買ったって話で安すぎるんじゃないかといった意見が出て、しどろもどろするかと思ったら国側がそれはごみが積み重なっている土地なんで買った側が使えるように掃除したんでその費用をさっ引いたんであって、そういう土地だといらぬ風評が流れるんで黙っていて欲しいと言われたんで黙っていただけで、足せば結構な額になるって言い始めた。なあんだやっぱり適正だったんだ、って安心できるかっていうとむしろ8億円だっけ、そんな額をかけてまで掃除しなくちゃいけない土地に小学校を建てて子供たちを通わせて安心か、って話になりそう。何しろ風評が流れることを心配するくらいなんだから。安心なら堂々、これだけの費用をかけて綺麗にしたんですよと言えば良かったのに。というか多分安心なんだろうけれど、同じように安心な筈の豊洲にあれだけ向かった世間の猜疑はこちらにはどれだけ向かうのか。東京でもないんで無関心かなあ。そういうものだ、メディアって。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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