Last Updated 2017/12/16
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【1月16日】 毎日映画コンクールのノミネート作品が発表になって、アニメーション部門と大藤信郎賞のカテゴリーでは宮嶋隆太郎さんの「AEON」、矢野ほなみさん「染色体の恋人」、伊藤圭吾さん「Helpress void」、鈴木沙織さん「大丈夫だよ」、谷智子さん「闇の絵巻」と東京藝術大学大学院の修了作品がたくさん入っていた。そして教授をしている山村浩二さんの「怪物学抄」も入って師弟対決。ちょっと面白い。そんな中にあって多摩美術大学の影山紗和子さん「地獄めたもる」も入っててこれなんて絵巻が動く感じで凄くってちょっと応援したい。

 あと学生では東京工芸大学から星夢乃さん「YOMTOPIA」もノミネート。たぶん大藤賞狙いだけれどそこにはふくだみゆき監督の必殺わき毛アニメーション「こんぷれっくす×コンプレックス」が立ちふさがるのであった。これは強いぞ。いわゆる商業作品では「きみの声をとどけたい」の丁寧な作りを推したいけれど、アヌシーで最高賞を獲得している湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」がやっぱり強いかな、それかアニー賞にノミネートされた神山健治監督「ひるね姫〜知らないワタシの物語〜」なんかも。あとアニメたまご2017に参加していた作品なんかもあって幅広い毎日映画コンクール。「BLAME!」が受賞して記念上映とかされた欲しい気もするなあ、もちろんドルビーアトモスで。お願いしますイオンシネマ幕張新都心様。

 まったくもって信者ではなく「時をかける少女」だとか「転校生」だとかを劇場で見たこともなく原田知世を追いかけたこともまるでなく、それどころか過去におそらく1度だって劇場へを足を運んで見たことがないような気がしている大林宣彦監督の最新作となる「花筐/HANAGATAMI」をふと観に行こうと思ったのは、本人が肺がんを宣告されて余命3カ月だから、これが最後の作品になるかもしれないといった感傷的な理由ではなく、舞台が太平洋戦争が始まる直前ぐらいだったからだったりする。

 これは片渕須直監督が長編アニメーション化したこうの史代さんの漫画「この世界の片隅に」とも重なる時期で、あの映画では漫画風のキャラクターが漫画的な仕草を見せつつも服装や生活や風景といったものは徹底したリアリズムの上に描かれ往事の暮らしといったものを忍ばせてくれた。漫画的だからこそ、アニメーションだからこそ醸し出されるのほほんとしたビジョンが、戦争が迫りやがて始まりながらも銃後の変わらない日常といったものを余計に平穏に感じさせ、だからこそジワジワと締め付けられていく暮らし、そして始まった戦争による爆撃や銃撃といったものの恐ろしさを浮かび上がらせ厭戦への気分を醸し出した。


 中心になるのは両親をアムステルダムにおいてひとり帰国した榊山俊彦という青年で、常盤貴子さん演じるおばさんと、その夫だった男性の妹にあたる矢作穂香さん演じる美那が暮らす屋敷に時折顔を出しながらも、寮に入って予科に通い始めてそこで突出した同級生と出会う。1人は満島真之さん介演じる鵜飼で、美形で寡黙で強靭で教師に逆らい教室を出て海岸でたばこを吸い犬と教室に持ち込んで授業を受けるといった破天荒をやらかす。もうひとりは長塚圭史あん演じる吉良。修行僧のような風体で脚が悪く杖をついて歩いているが知識は豊富で哲学文学から言葉をつむいで俊彦に聞かせる。

 どこまでも明るくてあっけらかんとしつつ意思といったものを持たない俊彦は、そんな2人に自分にはないものを感じて憧れ、あっちに行きこっちに行ってといた具合に走りつつ2人と友人関係になっていく。あるいは2人をつなぐ媒介になる。そこに吉良とは出身の島が同じという門脇麦さん演じる千歳や、唐津で豆腐屋を営む家に生まれた山崎紘菜さん演じるあきねなども加わり、そして彼女たちとは同級生だった美那も交えた交流が繰り広げられる。まるで華族の社交のようだけれども場所は唐津で美那は貴族令嬢ではなく鵜飼も吉良も軍人や学生といった立場とはほど遠い。それでもあの時代ならではの知識に貪欲で世界の探求に熱心で絶望に憧れる若者たちといった振る舞いで恋心を覚え好奇心を示して関係をクロスさせていく。

 そんな渦中にあってもどこか傍観者然として憧れた鵜や吉良の振る舞いを眺め引っ張られていくノンポリの青年といった雰囲気を、俊彦を演じた窪塚俊作が実に良く出している。ずっと阿呆な笑顔と言動を通し続けるのは大変だったかも。前後でまじめな顔となったそのギャップに演技の幅を感じさせられる。物語はそんな将来に不安と自信を抱え絶望と虚無を覚えている青春らしい普遍さを持った日常が、やがて迫る戦果の中で教師の出征も経てだんだんと身に迫る戦争の影によって塗られていき、死といったものを突きつけられつつ今をどう生きるのかといった非日常の空気に染まっていく。

 そのあたりは、最後まで日常の延長として戦中を生きて終戦直後に違和感を爆発させた「この世界の片隅に」とは違って、厭戦と反戦のメッセージをそこに醸し出したい意図を持った映画といった感じではあるけれど、それでもあからさまではなく半ば当然といった空気の中にそれでも痛みを覚える人の存在、悲しみを訴える人の存在を配置することで、反戦であり厭戦といったものへと意識を向けさせようとしている。とはいえ最後は海を埋める軍艦に空を埋める爆撃機のシルエットを置いて戦争といったものを図として示して反戦の意識を強く出そうとしてしまったところに、これが最後だからここで言わずにどうするんだという大林宣彦監督の“遺言”としての意図があったのかもしれない。それも仕方がない。映画とは監督にとっての個人的な思いの表明でもあるのだから。


 そして矢作穂香さん。結核で余命いくばくもない中を生きる彼女の絶世とも言える美しさにまみえるだけでもこの映画に行く価値はある。叔母にあたる常盤貴子との百合にもにた関わり合いがところどころに描かれて目にもまぶしい美しさを見せてくる。逆に俊彦と鵜、あるいは鵜と吉良といった男同士の中にも漂う友情敵なものを超えた感情。それは憎しみとも裏腹かもしれないけれど、漂う男色の美に目を引っ張られる腐女子もいそう。門脇麦の病的な雰囲気を漂わせた美しさ、TOHOシネマズの告知で観るお嬢様然とした姿とはまた違った山崎紘菜の町娘敵な明るい姿もともに見物だ。そして柄本時生。現代の美意識では不細工に位置する彼が当時の世界ではお調子者の人気者といった役回りと見事にこなして緊張感の漂う関係の中に緩さと暖かさを紛れ込ませる。良い役者。そして良い役。

 そんな感じで繰り広げられる3時間近い映像の、どこからも目を離せないくらいに引きつけられる展開、引きつけられるビジョンに瞠目する。唐津くんちの協力を仰いで撮影された祭りの場面の絢爛としたあの空気が数年後、戦争の中でどう変わっていったかにも興味が移る。それはやはり「この世界の片隅に」に描かれたようにジワジワとものがなくなり、色がなくなっていくような感じだったのか。そこを飛ばして一気に戦後へと飛んでしまって、ひとり残って老人となった俊彦が慟哭にむせて終わりとなってしまったところだけは、「花筐/HANAGATAMI」へと抱く不満かもしれない。

 晴れて大メディアでテレビ業界とか担当できて番組とかいっぱい紹介をして文化の振興に一役買える立場にありながらも大新聞社が掲げる記事を使った戦争とやらの片棒を担がされて大変かと言うときっと、そうした片棒を担ぎたいからこそその立場になって案外に大喜びをしているのかもしれない。でもやっぱり筋を間違うとそれはただの偏向に過ぎずその場所では通用しても遠からず大崩壊が来た暁に魂を捧げたものとして見做されるからご用心と言っておきたい。

 沖縄を取り上げたテレビ番組に対してBPOが重大な問題があると指摘した一件で、なるほど外のメディアが取り上げないことに挑戦することをBOPは認めてはいるけれど、それは偏らず捏造などせず公正さが維持されてのことであって、それがまるでなかった番組の挑戦を認めた訳ではないにもかかわらず、「放送姿勢は評価」と書いて間違ってはいなかった印象を世間に振りまくのはちょっと違う。そう分かっていながら誘導し、専門家といいつつ完全に当該の番組寄りの人を引っ張り出してコメントをもらうのもやっぱどこか筋がズレている。そうと分かってやっているなら問題だし、分かってないならなおのこと大変だけれど、分かってやって開き直っているならもはや処置なし。そうやって頑張ってご褒美をもらって心に何ら恥じることはないと信じて生きてくださいとしか言えない。たとえ世間は違っても。とうかもはや興味も持たないか、そこん家がそうなのは“常識”だから。参ったなあ。


【12月15日】 ボンクラなので時として頭のいい人たちの足を引っ張り迷惑をかけているかもしれないけれど、ボンクラであることくらいは理解して極力そうした事態を起こさないよう身をぎゅっと縮めて生きている人間にとって、ボンクラでありながらもそうと自覚しないで突出しては、頭のいい人たちが考えたまっとうなことを邪魔して成功するはずだった計画をぶちこわし、大勢の命すら奪ってしまうような振る舞いがどうにもこうにも鬱陶しく思えてしまう。憎んでいるとすら言えるかもしれない。

 そんな人間にとって「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」は見ていてなかなかに胸につかえるものがあっていろいろと困ったというか、どうしたものかなあといった感情が浮かんでもやもやとした。なんか曖昧だけれど多くは語れないからそんな感じ。言うことを聞かずに突出したあげくに仲間を大勢死なせてしまって恥じないとか、あり得ないんだけれどおそれでもなお突出しようとする精神とかまるで理解不能。あとは状況をしっかりと確かめず、思い込みだけで仲間を危険にさらしたあげくに見方のトップを死地へと向かわせてしまうとか。そうした展開を見るにつけ、最初から頭のいい人たちがしっかりとした計画を立てて他に道なしとしてくれれば良かったのにと思う。

 その点、「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」はあのデス・スター開発を阻止するために他に道がないという決死の作戦へとメンバーを追い込み、覚悟の上で働かせてはその生き様ってやつを強く激しく描き出した。そこに無駄はない。もちろん誰も死なずに住めば最高だし最良だし最善だけれど、そうもいかないとなった時にどれだけ納得の展開を得られるか、ってところが重用になるとしたら「ローグ・ワン」はとても良かった。大して「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」ではそこがやっぱり引っかかった。

 まあでも人間とは多くがボンクラであって莫迦なことを繰り返しては失敗しながら、それでも次こそはと頑張って生きている。その姿を反面教師にしよとして出来ない後悔もかみしめながら前を向いて歩くという、多くの人間に共通の認識を与えてくれるって意味でもああいった、ボンクラ祭りな展開もあって悪いものでもないかもしれない。ボンクラが最後まで生き残っていたりするし。その意味ではボンクラ最高ってことか。ほか、語るべきことがあるとしたらルーク・スカイウォーカーを演じたマーク・ハミルは最高の爺さんだったしプリンセス・レイアのキャリー・フィッシャーもこれが最後とは思えない生き生きとした老将軍ぶりを見せてくれた。

 ケリー・マリー・トラン。ローズ・ティコという若い整備士を演じた彼女は姉妹を失いながらも反乱軍の中に自分を置いて託された使命を果たそうとするし、無駄死にを防ごうとすらする。自己犠牲の英雄ばかりが尊ばれる風潮に釘を刺すって意味でも必要な役を演じて見せてくれた。ベニチオ・デル・トロ。凄腕ハッカーのDJ役はどこか怠惰で信頼がおけそうでやっぱり裏切り者といった揺れ動く役をフフンといった雰囲気の中に見せてくれた。きっとまた絡んでくるだろう、ボバ・フェットのごとくに、ランド・カルルシアンのごとくに。

 そしてアダム・ドライバー。アンガールズの山根のごとくに特徴的な顔立ちで葛藤しつつ自尊心を爆発させる若者といった雰囲気を全身で見せた。あれが超絶二枚目だったら反感しかわかないけれどそこはアダム・ドライバーならではの切ない存在感を醸し出してくれた。ここから30年が経ってマーク・ハミルのような老獪な役になっていけるか、ハリソン・フォードのように情念を内に秘めて生きる老練をみせてくれるかも興味があるけれど、その特徴的な顔立ちを生かした時にインテリ、時に荒れる若者って奴をスクリーンに見せていって欲しいなあ。でも当面は「スター・ウォーズ」シリーズでの活躍に期待。もう仮面は被らなそうだし、あの顔がずっと見られると思うとなかなかに楽しい。

 前に新宿バルト9で生声とそして生音楽によってアニメーションを上映するというとてつもないイベントが開かれた神風動画の「COCOLORS」が音楽や声が普通に入ったアニメーションとして下北沢トリウッドで上映され始めているってんで見物に行く。前に見たときは目の前で声が紡がれ音楽が奏でられる緊張感も含めて堪能したけれど、改めてアニメーションとして見た場合でも神風動画らしい3DCGなんだけれどゲームムービーっぽくなく動く感じがとても良く、そしてクリアな映像にズレるかもって不安なく聴けた音声や音楽も重なって、物語の世界がグッと迫ってきて強く感動させられた。

 何かの影響で降灰が続きそして人々の体も蝕まれていく世界、地下に暮らす人々から地上へと出て物資を回収する部隊が選抜されていたけれど、何年か経てだんだんと人は減っていき、当初はまだ子供だったアキが回収部隊に入ってからも仲間のシュウは消え他の友達もいなくなって住民たちの姿も見えなくなる。そんな滅び行く世界にあって地下で想像力を巡らせていたフユに迫る死期。地上を見たそうなフユのためにアキは地下から連れ出そうとするが……。決して幸福は訪れそうもないどん詰まりの世界で思いを貫く尊さってものが染みてくる。同時に今がそうした世界へと向かい始めた次期かもという想像も。避けるために何が出来る? 隠さなくても空を見せ続けるために何をすべき? そんな思いを抱えて下北沢の坂道を駅へと歩く。

 もう完全に底が抜けたという感じで、それでも少しは残っていた矜持すらかなぐりすてて、自分たちが気に入らない勢力を根拠もなしに勘ぐりと憶測でもって批判し誹謗し侮辱して恥じない体制になって来たというか。四国にある伊方原発が阿蘇山の大火砕流によって埋まる可能性があるからとりあえず、本訴まで運転を差し止めるといった判断が広島高裁で下されて、それに対してどういった法理論がくみ上げられているかを検証していちいち反論するのがメディアの役目であるにも関わらず、とある新聞が1面コラムという場で判決を下した裁判長を名指しで「原発をめぐる裁判では、これまで判断が分かれてきた。運転差し止めを決めた裁判官は、左派メディアからヒーロー扱いされる」と前置きした上で「晴れて仲間入りを果たした」と書いてきた。

 本当にヒーローになりたかったかどうかは本人に聞いてみなければ分からないことで、それができなければ出された判決のロジックを読み解くことで正否を判断するしかないにも関わらず、きっとそうだったんだろうといった雰囲気を作り出して批判の矛先を個人に向けて攻撃する。あまつさえ当人が退官後の活躍を期待して誰かに阿る判決を下したんだろうといった勘ぐりも付け加えて「今月下旬に退官を迎えた後、どんな活躍をされるのか」とまで書き添える。ついでに「前川喜平前文部科学事務次官の顔が目に浮かんだ」とも書いてこちらはずっと個人攻撃を続けている相手も含めての批判へと結びつける。結果、煽られた誰かが個人を挙げて攻撃するような事態が起こったらどうするのか。判決という一種の言論に憶測と勘ぐりと侮辱といった言葉の暴力をぶつけることしかできないメディアが存在し得る状況に今という時代、言葉が軽んじられる風潮の究極を見る。これからも続くんだろうなあ。やれやれ。


【12月14日】 ぐっすりと眠って起きたら当然のようにクラブワールドカップの準決勝は終わっていて、開催国枠のアル・ジャジーラが奮闘したもののレアル・マドリードに2対1敗れて3位決定戦に回って本田圭佑選手も所蔵する北中米代表のパチューカと戦う模様。そしてレアルは南米代表のグレミオを相手に昔ながらの欧州代表対南米代表で世界一を決めるトヨタカップを演じてくれそうでこれはちょっと楽しみ。どちらも名のあるビッグクラブだし優れた選手もいっぱいいる。なおかつ開催地は極寒の12月の日本ではないアラブ首長国連邦だ。暑さならきっと現地のマネーで対処されているだろうから、寒風が吹きすさぶ横浜スタジアムよりは良いコンディションで試合ができるだろう。期待しよう。ってかどうして日本のスタジアムは暖房設備を整備しないかねえ。観客に冬は来るなと言っているに等しいよなあ。

 そうか重ならずすれ違ってしまう関係にある2人を描いた物語だったのかと公表された岡田麿里さん初監督作品「さよならの朝に約束の花をかざろう」のストーリーを見て思う。日本だと八百比丘尼として永遠の若さを保ちながらも心だけは老成していく女性が新たに出会った若い男性と親しくなりながらもだんだんと年老いてやがて死ぬ男に寂しさを覚えるような設定。赤松健さんの「UQ HOLDER!」なんかでも永遠を生きる雪姫がいずれは成長していくだろう刀太に抱いていた思いなんかも重なりそうだけれどこっちでは刀太は吸血鬼となったから一緒の時間を歩めてあるいは雪姫はホットしたのかも。ひとりぼっちは寂しいから。逆にだから「さよならの朝に約束の花をかざろう」ではそうした違う流れの時間を生きる2人がどうやってわかり合い認め合うかが気になる。公開されたら観に行こう。井上俊之さんに平松禎史さんとアニメーター陣も豪華すぎるし。川井憲次さんの音楽も気になるし。

 どうでも認めたがらないライト層の人たちがいることは感じていたけれど、米軍のヘリから窓枠が小学校に落下するという日本が攻撃されたに等しい事態にも日本の見方ではなく米軍の見方をして移転しない小学校が悪いんだといった論調を繰り出してくるからいったいそれのどこが愛国者なんだろうといった懐疑が浮かぶ。それともライト層の人たちにとっての愛する国に沖縄は入っていないのか。そんな可能性すらあったりしそうでどうにもこうにもやりきれない。だいたいが小学校が移転しないのは別にレフト層が妨害したからでもなんでもなくって、過去に移転を検討したものの国はお金を出してくれず、そして米軍によって移転先が用意された一方で今の場所は召し上げられるという“等価交換”を提案されたからだったりする。

 ただでさえ返還を求める空気の中にあって交換であっても明け渡すことに住民の感情は納得できなかった。だから首長も強く言えなかった中で小学校が老朽化してそこで授業が続く以上は改修は必要ということになって留まったといった経緯があるんだけれど、そうした事情すら斟酌せずに留まって部品が落ちてきて子供たちが傷つけばそれで反基地の宣伝になるからを移転をさせなかったなんてデマゴーグを振りまいている人たちが一定数いて、それを支持する人たちも結構いるから世界は難しい。そんなデマをどこかの新聞がかつて検証もしないで広めたことがあって、事情に詳しい沖縄本土は別としてレフト層を批判できれば材料は問わない本土の人たちにつよく信じ込まれているから厄介極まりない。

 だからきっと訂正もなくこのまま一部に沖縄ヘイトであり沖縄デマが残っては、安全という誰もが求める幸福すら認めない空気が広がってこの国を分断するんだろうなあ。参ったなあ。というかTOKYO MXが放送した番組「ニュース女子」で沖縄の基地反対運動を取り上げた回について、PBOから「重大な放送倫理違反」だという今までで数例しかないくらいに厳しい判断が繰り出されたけれど、それを聞いてもなお沖縄の真実は別にあると信じている人たちは結構そう。というかそれを信じて中間を募って語らうことで居場所を得ていたりするから、間違いだと認めてしまってはそこにいられなくなるってこともあるんだろう。すがり寄り添うメディアも含めて。

 PBOでのそうした判断について会見があった中でそのメディアはマスコミが伝えない基地反対派の真実を伝えようとした、その意図や姿勢について質疑はなかったのかと聞いたとか。あるいは義のある行為だから行き過ぎは行き過ぎとして行為は正しいと言いたかったのか。でもPBOは事実の裏付けがないと一蹴。そりゃそうだ。けどそのメディアは言いたいことのためにあることないこと引っ張り出すのが習い性だから、言ってる意味ももしかしたら分からなかったのかもしれないなあ。ともあれこうした判断が出たからといってTOKYO MXが、あるいは制作元のDHCテレビが「ニュース女子」という番組を止めるとは思えない。いつかきっとまた似たようなことを繰り出してくるんだろう。その時にTOKYO MXを含めた放送局がどういった態度をとれるのか。そこが問われる。

 12歳で父親とセックスして兄ともセックスをした織原ミツキという少女と幼馴染みだった田中文紀はその後も奔放に誰彼となくセックスをし続けるミツキに振り回され続ける。セックスしても1回限りで後に付き合うことはなく、むしろ手ひどく退けることもあって恨みも買いやすく、迫ってくるものストーキングを繰り返すものが相次ぐなかでミツキに親しい田中文紀ことマンキーは、ミツキをセックスをしたい先輩に呼び出されてボコボコにされそれで空手を覚えたマンキーが今度は逆にストーカーをボコボコにするといった繰り返し。そうやって中学の3年間を終えて高校に進学する時、いっぱしの不良扱いされていた田中マンキーは誰も自分を知らない場所に行こうと一念発起して勉強をしてその近隣では最高の高校に入学する。ところが。

 勉強をしているようには見えなくても常に学校で1番だったミツキも同じ高校に入ってそこでも続くボディーガード的な毎日。スマートフォンを与えられて呼び出されては助けに入る。それはマンキーを空いてくれているバスケットボール部のマネージャーが傍らにいてもお構いなし。そうやって行った先で殴られ骨折をしてバスケットボール部の1年ながらのベンチ入りも妨げられたマンキーはミツキを怒鳴って追い払って縁を絶とうとするものの絶てずにいるのがちょっと分からない。やっぱじミツキが好きだったのか。幼馴染みとしての親近感から守ってあげなくてはといった思いが浮かんだのか。童貞を捨てたいという自分のはけ口に求めたのか。そのどれも重なりつつどれでもない思いがあったのかもしれない。

 どこまでも奔放でセックスをし続けるミツキはやがて本物のヤクザに絡まれ助けに入ったマンキーはドラム缶に詰められ海に沈められようとする。そうまでされてもやっぱり駆けつけるマンキーはひとつの出来事が終わって気付く。ミツキがどうしてそこまでセックスをしまくる少女になってしまったのかを。それが真実かどうかも実のところは分からない。本当にセックスが好きだったのかもしれない。ただどうやらミツキはセックスが好きそうではないところにやっぱりマンキーが気付いた秘密があるのかもしれない。それに早く気付けていたら人生は変わったか。そして2人は健全な学生として歩みやがて一緒になれたのか。そう思うと少し寂しくなる。せめてミツキが自分を偽らず思い切り走り続けられたことを願うし、マンキーがこれからをしっかりと歩き続けられることを願う。それが2人にとって大切なことだろうから。


【12月13日】 微睡みながら見ていたサッカーのクラブワールドカップ準決勝となるグレミオ対パチューカは南米代表のグレミオが勝ち上がって次、レアルマドリードと対戦するはずなんだけれどそっちは試合が前なので、ひょっとしたら欧州代表が開催国枠のチームを相手に苦戦するとかあったりするのかも、いつかの鹿島アントラーズ対レアルマドリードみたいに。でも最後はレアルがスパートをかけてアントラーズを引き離して決勝へと進んだから今回も順当に欧州代表と南米代表との旧来からのトヨタカップが見られると思いたい。本田圭佑選手はパチューカで3位決定戦へ。そこへレアルが来るってことは……やっぱりないよなあ。さてもさても。

 グリコを1粒食べたからといってそれで300メートル走れるというものではなく、逆に300メートルを走った人にはグリコの1粒が栄養の補給になるといった関係なんだけれども子供にはやっぱり力を与えてくれる存在として印象づけられているんだろうなあ、グリコキャラメル。さや師の喫茶店にイケナイ落書きが描かれたノートを忘れてしまったココノツが1500メートルほど離れた喫茶店へと駆けていく、そのかたわらをほたるが併走をして共にグリコを食べていくといった展開の先、実は4粒しか入っていないグリコでは先に行けないところをほたるの犠牲によってココノツだけは喫茶店へとたどり着き、さあノートを回収しようとしたら時既に遅かったという、そんな「だがしかし」。再放送なのにやっぱり面白いなあ。第2期にも期待だ。

 1981年はもうすでに高校生になっていたから「週刊少年ジャンプ」はあまり読んでいなくて「週刊少年サンデー」に寄っていたんで連載が始まった「キャプテン翼」はほんとんど読んでおらず、そして1983年から放送されたテレビアニメーションも高校から大学へと進学する過程で見るには少しキッズより過ぎたこともあってやっぱりほとんどみておらず、従って大空翼と若林源三との関係がどういったもので岬くんとか石崎くんがどう翼と絡んでくるのかもあまり知らなかったりするんだけれど、それでもそうした名前が浮かぶくらいにはサッカー漫画として認知はしている感じ。そしてひとつのエンターテインメント作品として見たときに、世界へと出て行っては大勢の子供の心を捕らえ、それが後に大物プロサッカー選手へと育っていったといった話に日本の物語が持つ普遍性といったものを感じたりもしている。

 そんな「キャプテン翼」が3度目となった2002年から15年ぶりにテレビアニメーション化されるとあって記者発表会を見物に行く。登場したのはキーちゃんこと北澤豪選手で今はカンボジアとか世界を回ってサッカーを子供たちに教えているんだけれど、行く先々で翼に会わせてくれないかと頼まれるらしい。つまりはそれだけ実在性を信じられているし、それ以上に存在を知られている。そんなプロサッカー選手、実物を見たっていやしない。せいぜいが本田圭佑選手くらい? それでもミャンマーとかカンボジアの子供が知っているとは思えないし、欧州の子供が憧れる存在でもない。翼は違う。名こそ変われ世界中のサッカーキッズの憧れとして存在し、繰り広げられるスペクタクルは子供たちにとって格好のお手本となっている。

 それほどまでに強力な「キャプテン翼」が今再び、とうより4度目のアニメーション化となって日本で放送され、世界へと出て行った時にいったいどれかでの子供たちが歓声を上げてプレーに熱中し、そして5年後10年後に凄まじいばかりのサッカー選手となって世の中に出てくるかを考えると何か面白い。1981年の漫画だけに古くさいイメージがあるじゃないのといった声も出そうだけれど、そこは現代に合わせてパンツはピチピチではなくなっているし、スマートフォンとか携帯電話とかも出てきて試合なんかで使われそう。スウィーパーちうポジションも今は古いから変わっているかな、リベロか攻撃的センターバックかそういった感じに。

 一方で原作にあった強烈なシーンはとことんまで減作に忠実に描かれていくとか。子供たちが真似したら大変と思われるシーン筆頭のキックしたボールをバスの下を通すようなシーンもちゃんと描くとか。そういった原作準拠が今回のアニメ化で高橋陽一さんが求めたこと。見てすぐ真似するような子供はいないだろうけれど、難しいシュートに挑戦をしてクリアするような向上心をそこに見て、学ぼうとする子がいればちょっと面白いかもしれない。PVも出来ていてバスのシーンはしっかり登場。それでいてキャラクターのビジュアルも動きも決して古びては見えないところにちょっと変化が激しい原作の漫画とは違って、理想のポジションを追求していけるアニメーションの良さも見える。今見ても多く放送されているサッカーアニメと遜色ないビジュアル。これなら今まで未見だった僕でも見て面白いと思えるかもしれないなあ。2018年4月放送スタート。時間は夕方だろうか。

 高橋陽一さんの今も元気な姿をみかけた一方で、「名探偵コナン」の青山剛昌さんが病気療養のためにしばらく連載を休むとのこと。劇場版の「名探偵コナン」は毎年のヒット映画としてしっかりと存在を確立し、それに合わせて長期化はしていてもテンションを落とさないまま漫画の連載も続いていたけれど、やはり結構な長さを描き続けるには心身ともに厳しいものがあったのかもしれない。病気の種類とか病状とかはまるで伝わってはいないけれど、しばらく休めば復帰できるものと信じて休養へと送りだそう。その間は別の誰かがタイトルだけを借りる形で「名探偵コナン2 タイガアドベンチャー」という漫画を連載すれば良いんじゃないかな。なんだタイガアドベンチャーって。
BR>  夜は夜で来年の2月に開かれるゲームの祭典「闘会議2018」の発表会を見物に行く。いろいろなゲームの大会が行われたりはやりのゲーム実況が繰り広げられたりしてはゲームファンを盛り上がらせるイベントって感じだったけれど、今回からeスポーツという余所がどっかんと乗ってちょっとオフィシャルな雰囲気を持ったイベントへと変わっていきそう。CESAとかが前にeスポーツの団体を統合して設立するって発表を行っていて、それが来春にも出来るといったアナウンスがあったことを受けて、「闘会議2018」の主催にその新団体が名を連ね、なおかつ日本では諸々あって開催が難しかった高額賞金の大会も行われることになるらしい。

 それにはまずはプロライセンスの発行が行われるとかで、「鉄拳7」とか「ウイニングイレブン2018」なんかでプロが誕生することになるらしい。すでに格闘ゲームのプロゲーマーって日本にもいたりするけれど、海外の大会で稼ぎ支援してくれるスポンサーからお金をもらうだけじゃなく、その手でこの国で賞金をもぎ取ることができるといった意味合いは、日本で暮らすプロゲーマーにとって大きな前進になるだろう。ただどういったたち位置にいる人たちがプロなのか、って線引きが難しいだけにそこに企業側の論理だけでない、何かオフィシャルなレギュレーションでも作られることになれば落ち着くんだけれど。

 それんしてもAMDこととデジタルメディア協会が1000万円もの賞金を協賛するのが謎。いやデジタルコンテンツの振興を目指す団体として、eスポーツが隆盛すればそれだけコンテンツにしてもデジタル機器にしても普及が進んで会員企業の利益になるし、総務省管轄の団体として国の産業振興にも貢献できる。あるいは未だゲームの発売元が賞金を出すのは景表法で雁字搦めになっていて、風営法とかの枠にもかかるところをどうにか第三者の団体が供出することでくぐりぬけ、高額賞金を実現しようとしているのかもしれない。いったいどの大会にどれだけの金額があてられるのか。最高の戦いで得られる賞金額はどれくらいか。ちょっと知りたいところなんで「闘会議2018」に向けてどうなっていくかを見守ろう。


【12月12日】 そして「ガールズ&パンツァー最終章」第1話は興行通信社が調べた週末興行ランキングで仮面ライダーとか「DESTINY 鎌倉ものがたり」とか「オリエント急行殺人事件」に続いて4位に入ったとかで、59館という制限の中でそこまで食い込むために相当なアベレージを達成したもよう。興行収入得も1億5000万円近くまで来てこれからさらに上映館数も増えていくと10億円くらいは行きそうな気がするけれど果たしてそこまでたどり着けるか。全6話で100億円とかいったらそれはそれでちょっと感動。逆に尻すぼみにならないとも限らないけれど、第1話のできを見れば毎話驚きを仕込んでそしてラストに大逆転を持ってくるのは確実なんで、逆に尻上がりに増えて行く可能性だって少なくない。全6話で「君の名は。」を抜いたりして。そうなったらニュースだよなあ。

 あと1カ月でだいたい放送開始1年だと思うと感慨深いものがあるけれど、それに向かって記念行事的なものが動いているといった感じがまったくないのはやっぱり例の一件が尾を引いているからなのか。年末年始にテレビなりネットなりで一挙放送があっても良いし、劇場を使った一挙上映があったって悪くはない。実際に放送中から放送直後まではそうした一挙上映イベントが頻繁に行われてはファン層をじわじわと増やし、今へとつながるブレイクのきっかけをつくった訳で、その流れを今一度と思うのならばコンテンツを仕切っているところが率先して動いても罰は当たらない。

 でも動けない。なぜならそうしたコンテンツを仕切っているところにとってアニメーション版「けものフレンズ」を転がすことがどこかアンタッチャブルになっているから。そんな気がしてならない。上映イベントなどの動きがないのがまずひとつ。応援イベントすら行われないような状況は、つまりそうしたイベントに集まるのがほとんどアニメーション版を観てからファンになった人たちだから。そうした人たちの期待に応えるにはアニメーション版の情報が必要になるにも関わらず、前面に押し立てて盛り上げるようなことがどこかしづらい状況にある。そんな雰囲気が感じられない。

 そしてグッズについてもアニメーション版をベースにしたものがほとんど出ていない。キャラクターが描かれたTシャツなんかも作られながら店頭になかなら並ばない。「けものフレンズLIVE」の上映会が行われたTOHOシネマズ上野とかで観てからこっち、店頭に並んでいるのを見たことがない。一番くじのようなショップでも景品くじ引きも、スマートフォン用アクリルスタンドとかで少しアニメの絵柄が使われていたものがあったものの、今は描き下ろしといってアニメーション版とは違ったキャラクターメインの絵柄になっている。コンビニエンスストアで展開されるキャンペーンもグッズは原案に近いものばかり。そこには大勢のファンを引きつけたアニメーション版ならではの雰囲気はない。アニメーション版に描かれてスタンダードとなっているキャラクター同士の関係性もあまり反映はされていない。

 それでいてたとえばアライグマとフェネックの関係のようにアニメーション版を引っ張るような売り方もあって一定しないところに、送り手もなにが肝心かは分かっていながらそれに完全にはすがれない壁のようなものがあるのかもしれない。いったいそれは何なのかを突き詰める立ち場にはないから何とも言えないけれど、このままでは漫然と1周年が過ぎてそしてキャラクターのバラマキだけが行われて話すられていく気がしてならない。そうはさせないためにもアニメーション版のあの雰囲気、あの関係性を改めて思い出させる動きをファンから起こすべき、なのかもしれないれどクリエイターではないから応援画像も応援映像も作れないのがもどかしい。せめて1周年を気に毎週同じ時間に見返して、その感動を言葉にして紡ぐことでもしようと思う。1カ月後からスタートだ。

 東京へと(千葉だけど)引っ越した1990年の夏に幕張メッセで「ファルマコン’90」という現代美術の展覧会が開かれて、つい先日にはプリパラのライブが開かれたような巨大なホールがパーティションで仕切られてそこに現代美術の絵だとか彫刻だとかがごろんと置かれているのを、ほとんど観客もいない中で見ていくという不思議な光景が繰り広げられたことをなぜか今でも覚えている。そこで見た草間彌生というアーティストのペニスが生え繁った椅子だったかゴムボートだったかの作品に見ほれ、当時はまだ牛込にあったフジテレビギャラリーに個展を見に行った記憶もやっぱりあったりする。ほかはたしかフランク・ステラか。カタログを見返せばもっと多くの現代アーティストが作品を寄せていたことが分かるかおしれない。

 そんな中に1人、アートともイラストとも落書きともとれそうな乱暴な絵を描いている人がいたことはくっきりと覚えている。名をジャン=ミシェル・バスキア。なぜ気になったかははっきりとしないけれどもそうしたポップなアートが例えばキース・ヘリングだとかいったグラフィティ系のアーティストの系譜として気になったのかもしれないし、高校大学と呼んでいた「POP−EYE」であるいは名前を見かけていたからかもしれない。ただし1990年にはすでになくなっていて、新作も出ないままこれからは埋もれていくだけなのかと思ったらまったく逆に、どんどんと値上がりをして123億円といった値段で取引されるようになってしまった。それはまあバブルが過ぎるけれども数億数十億は確実にするアーティスト。買っておけば良かったなあというのはあとの祭りだし、その当時でも買える値段ではなかっただろう。

 いったいどうしてそれほどまでに有名になってしまったのかを考えても分からないけれど、精神がそのまま映し出されたような激しさがあり、かといってサイケのようにおどろおどろしくはなく乱暴だけれどまっすぐな感じが漂っていて、見る人の心を熱くしたのかもしれない。若くしてオーバードーズでなくなったという人生も、音楽でいうところのシド・ビシャスでありジミ・ヘンドリックスでありジャニス・ジョプリンでありといった天才たちの夭折の系譜に名を連ねさせ、象徴として位置づけさせたのかもしれない。ゴッホとはまた違った天才にして先駆者。そうしたバスキアの生き様を、そして作品を似たようにパッションで描くアーティストの代名詞にした漫画が登場した。かっぴー原作でnifuni漫画の「左ききのエレン」(集英社、400円)だ。

 朝倉光一という26歳の青年がいて目黒広告社というところで駆け出しのデザイナーをしている。先輩に活躍しているクリエイターもいてその下でプレゼンの資料を必死に作ってどうにかコンペを通ったら経験不足だからと外されたりもして、不満を感じながらもそれでも自分の才能を半ば信じつつ、半ば疑いもしながら次の仕事へと取り組むことは欠かさない。そんな会社での日々に、混ざるように描かれるのが高校時代の日々で美術部に所属しながらもあまり描こうとはせず、それでも才能は信じて美大に行き広告代理店に入って格好いいデザイナニーになるといった夢はそれなりな自身とともに持っていた。それを1枚の落書きが打ち砕く。

 「横浜のバスキア」。美術館の壁にスプレーによって落書きされたグラフィティを見て光一は自分などとてもかなわない天才だと気付く。というよりその絵を天才と気付いてしまったところに光一のある種の才能が感じ取れたりもする。見る目はあっても自分の才能はまだまだ達していないという多い。だったら誰が描いたかを確かめたいと学園祭で誘いをかけるものの現れなかったその人物を、光一のことに関心を抱いているさゆりは知っていた。山岸エレン。さゆりとは幼馴染みで父親は画家で自身もずっと絵を描いてはいてもそれが絵描きの道に向かうものにはなっていなかった。けれども父親が自殺し、その才能を信じていたエレンの目に他の多くの絵がひどく下手に見えてしまったことで彼女の天才が爆発する。

 心の赴くまま。手の動くまま。描かれた作品が見た光一を打ち振るわせる。いつかそこまで近づきたいと思わせる。けれどもそんな思いがエレンの軌跡と交わることはなく、光一は美大に行きデザイナーとなって広告会社でクリエイティブの職に就く。それはとても幸せなこと? 美大に行った誰もがクリエイティブな才能を発揮するとは限らない社会で十分に幸運なことだと言える。さゆりも上位1000人に入れるような才能で十分といった考えで光一の行方を見守っていた。けれどもエレンは違う。今という時代に語れて10人のアーティストに入れなければ意味はない。というより自分が自分を出せなければ意味がない。

 ある意味で商業デザインの秀才でもある光一と、アートというジャンルに括ることすら当人にとっては迷惑かもしれない天才のエレンとのまるで交錯せず、対比すら困難な生き方といったものが描かれていく。そのどちらが自分に近いのかといえば、職種はまったく違っても日々を決まり事の中で精一杯に自分の能力を出して生きている光一に誰もが自分を重ねて見るだろう。そして同時に秘められているかもしれない、秘められていたと思いたかった才能だけを誰にはばかることなく溢れさせて生きていける天才への憧れも覚えるだろう。音楽のジャケットを頼まれ描いた絵が不満と言われたとき、絵が選ばなかったんだと言い放てる天才になりたい。だったらと絵に会わせて音楽を変えさせる天才になってみたい。それはどんな境地だろうか。嬉しいのだろうか。誇らしいのだろうか。

 それも違いそう。ただ描き、ひたすらに描いて描くことでしか自分を保てないのが天才というもの。逆に自分とう存在のどこかを切り崩して毎日を埋めていくのが秀才であり凡才といったその他大勢の人間たち。そんな差異を突きつけつつ、だったら秀才で凡才がそれぞれの範囲で才能を信じ、挫折しながらも賢明に毎日を生きる姿を描いたのがこの「左ききのエレン」の今のところの内容と言えそう。もっとも天才がただ秀才の逆説的な引き立て役で終わるはずもない。いずれ爆発的な才能を迸らせ、暴力的な振る舞いによって光一たちを襲うはずだ。その時にいったい何が起こるのか。ああはなれないと絶望に沈むか、ああはなりたくないと羽ばたくことをやめて日常に足をつけるのか。続きを待ちたい。ネットに上がったがっぴーによる原作の漫画をお預けにして。


【12月11日】 そうかアモンロギア編もやるのかテレビアニメーション「クジラの子らは砂上に歌う」。帝国を退けてやや一服の泥クジラの上で繰り広げられる水浴びでは、ギンシュ姉さんがなかなかな胸元を見せてくれてはいたけれど、そんな暮らしぶりを見て裸族だと思ったロハリトたち一行によってシィデラシア連合王国へと導かれていく泥クジラはサイミアに興味を抱いたアモンロギア公に捕らえられそうになるという、そんな展開までは描かれているけれどもチャクロが後に書き記したような安住の地へと至る旅はまだ遠そう。そこまでは描かれずとりあえずアモンロギアへと導かれまでと、そして途中で見かけた幻にまつわる過去の物語、「光の隣 壁の空」を番外編として描いたりするのかな。そもそも1クールなんだっけ。そこすら知らないけれども今期のアニメーションでは「宝石の国」と並んで群を抜いた世界観を持った作品だけに、続きが溜まったらまたアニメーション化するようにして最後まで描かれてって欲しいもの。期待して付き合っていこう。

 そうか寅は丑をかばって卯の凶刃に貫かれるのか。あの丑なら自分でも避けられただろうってつぶやいていたけれど、丑の方は助けられたのは初めてだと言っていたから助けられたという意識はあるってことで、それを言って寅の行為が無駄ではなかったと安心させようとしたって可能性なんかも浮かんだけれど、そういった気を回すようなタイプでもないからそれだけ自分をゾンビに変えてまで勝利を狙った卯の攻撃が凄まじかったってことだろう。結果として寅はここでリタイア。自分を丑に殺させてゾンビになることは防いだ格好。そして残るのは子と丑だけ? 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支が振り返ったら後から順に退場して行ってる格好だから、優賞するのはやっぱり子ってことなのかなあ。ゾンビになったけどバラバラにはされてないように思う申とか復活の目とかあるんだろうか。そんなアニメ「十二大戦」。CGスタジオが作った2Dライクなアニメーションでも郡を抜いて良い出来。これもその意味では今期の傑作に入るかも。

 男子も女子も日本代表が試合をしているようで女子は初戦の韓国にとりあえず勝ったようでまずは善哉。東アジアでは中国と北朝鮮の方が強くて韓国の女子はまだまだだったけれど、日本代表のなでしこジャパンが以前のような圧倒的な力を出せない状況にあることもあって拮抗した感じになっている。だから勝てたのはまずは喜ばしいことで、続く試合も勝って弾みをつけて2019年のワールドカップに向けて戦力を積み重ねて行って欲しいもの。東京オリンピックは地元開催だから出られるだろうけれど、そうでなくても出られるだけの実力はつけておいて欲しいなあ。男子は主力選手がいない状況なんで来年のワールドカップ本番に向けた新戦力探しができれば良いってことで。川俣選手とか久々に見たなあ。

 ULTRAという巨大なスクリーンとそして6個のウーファーという設備を備えたイオンシネマ幕張新都心の8スクリーンで「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」を観ると登場した巴マミさんの巨大な胸が巨大過ぎて巨大なスクリーンからのはみ出すんじゃないかと思えてくるというのは本当のことだけれど、それ以上にたとえばClarisによる「カラフル」が流れるオープニングでマミと鹿目まどかと美樹さやかと佐倉杏子が4人で楽しげに躍っている中央でひとり絶望に悶えている暁美ほむらの姿がくっきりと見えて、すでにストーリーと結末を知っている心に狂おしいばかりの感情が浮かんでくる。

 そして本編ではマミとほむらとの激しく動く銃撃戦の一部始終を隅々までくっきりと見て取れ起こっていることが小さなスクリーンで観るよりも何割かは理解が進むしなによりやっぱり実際の空間で実在の魔法少女たちが空を自在に飛び回っているような感覚を味わえるところがすばらしい。ほかにもただでさえクローズアップの多い蒼樹うめさんデザインによるあの顔立ちがスクリーンいっぱいに描かれるという不思議な光景。海外のアニメーションにはないデザインでありレイアウトが日本でしかありえない贅沢な環境で上映されて日本に生まれて日本のアニメを観られて良かったといった気分になれる。

 そんな環境的な喜びとはまた別に、久々に観ることができた「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」は悲劇の果ての喪失によってかろうじて得られた平穏が、そのまま続いているようでどこか違和感がにじみ出てきてそしてあらわになるその世界の構造へと至る過程に、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」から営々と刻まれてきた閉鎖空間で繰り広げられる安寧への懐疑、その正否についての問いかけがあって自分ならどっちを選ぶのかといった懊悩に浸ることができる。

 たどりついた真相からようやくの解放へと至るはずだったストーリーが、とてつもなく強烈な、それこそ魔女になるくらいでは収まらない情念が滾って世界どころか宇宙までおも塗り替えてしまって得られたその境地ははたして幸福なのか、それとも恐怖なのか。たった1人だけ真相を知って孤独の中に立ち続け、そして戦い続けるその糸がいつか途切れてしまわないのかといった感想を持ってひとまずの幕を終えられる

 でもやっぱり改めて思う。まだ終わっていない。これで終わってはいけない。1人の不幸、1人の懊悩、1人の絶望の中に得られたつかの間の平穏を平穏として永続させることはやっぱりダメだ。ならばいったいどんな道が考えられるのか、ってあたりでいつかやっぱり続きが作られるべきなんだと思うけれど、それだけの気持ちとか余力とかがあるかどうかは知らないし、そういった構想があるかも分からない。ただやっぱりあって欲しいと改めて思ったので、映画館はもっと再上映の機会を作って多くの人に改めて見せてそうした思いを再燃させてスタッフを、制作会社を動かすことを考えてみてはいかが?

 ううん、この件で1紙だけがやたらと突出しているけれど、ある種の美談だったらほかのメディアが全国紙だってワイドショーだて追いかけないはずはない訳で、それでもどこもついてきてないところに少し不思議な感触を覚える。というか事故現場で人助けをして跳ねられたという美談の核となるその人助けが本当に行われたのかは、曹長の奥さんのフェイスブックにそう書かれているだけであって、それが警察の検証なり助けられたという50代の日本人の直接的な言葉で語られてはいなかったりする。そして奥さんのフェイスブックには、は曹長はまったく無関係に現場を通りがかっただけで、そこで事故を起こしている車を見て助けようとしてはねられたってことになっている。無関係の人間が助けに飛びこみ事故に遭ったらそれはとても悲しいことだ。

 でも実際は、事故現場で止まっていた車に追突をして自分も止まって降りたところを後続車にはねられた。その時にあるいは前方で横転していた車に人がいると見て助けようとしかもしれないけれど、そうした事実が警察なり助けられた50代の日本人なりから未だに具体的出てきてないところに、この案件の果たして触って良いものかどうかといった不安が立ち上る。どうして書いている新聞は警察に聞かないんだろう。そして50代の男性から直接コメントをもらおうとしないんだろう。そこがどうにも分からない。書いている新聞にとってはこれだけの美談なのに米軍憎しで書かない沖縄の地元紙はおかしいぞって訴えることが目的であって、細かいことはどうでもいいのかもしれない。ただやっぱり他が追いかけようとしないのは、触るに相応しい案件ではないといった状況があるんだろうか。そこが明らかになった時、どっちがどれだけダメージを負うかを考えるとなかかなにピリピリとした気分になるのであった。


【12月10日】 北海道日本ハムファイターズから米大リーグへの移籍を希望していた大谷翔平選手。カリフォルニア・エンゼルス・オブ・アナハイムへの入団で決まったそうでとりあえず、本人にとっては投手もできて打者としてもDHで守備に立たずに出場できるアメリカン・リーグへの移籍は万々歳だったんじゃなかろーか。あとは活躍してくれることをアスリートとして願いつつも日本の看板だった選手が5年で大リーグへと流出してしまうこの現状を、危機感をもってプロ野球とそのファンが見ているかどうかってあたりが気になる。

 もちろんサッカーだってちょっと活躍すればすぐに海外移籍となって日本代表に名前を連ねる選手たちを日本のスタジアムでは見られない状況がもうずっと続いている。とりわけこの10年くらいは激しくもなっていたりするけれど、それでJリーグの観客動員数がグッと下がったということはなく、地域として応援しているチームが試合をすればかけつけ見守りながら次なるスターがそこから生まれるのを期待している節がある。プロ野球もだんだんとそうなりつつあるようで、テレビ中継が減りTBSがラジオ中継を止めるくらいの状況でもスタジアムへと足を運ぶ人たちはむしろ増えている。

 そうしたローカルな人気の集合体としてプロ野球が発展していくことはひとつ、地に足がついたことかもしれないし、稼げる額だってサッカーのそれこそ10倍くらはありそうでプロ野球を目指す若い人たちの数はしっかりと保たれていくだろう。でも決して多くはない12球団が変わらず存在し続けている状況で、他の地域へと野球の波が広がって底上げが図られるようなことはなさそう。いずれ限界が来た先でテレビからの収益もなくなってサッカー並みに落ちていった時、それでも放映権料によって稼いでいる大リーグへの若い世代の流出を防げるか。そんなことをちょっとだけ気にして見ていこう。それにそてもいないよなあ、大谷翔平選手の次のスター。どうしてこうなった。

 松山剛さんの久々っぽい新刊「魔術監獄のマリアンヌ」(電撃文庫)を読了。魔術師が危険視されつつ世間から下に見られている世界にあって、悪いことをして捕らえられ監獄に送り込まれた魔術師の囚人たちを監視する刑務官の仕事に、同じ魔術師でもあるマリアンヌという少女がついている。彼女にはかつて魔術師たちが起こした反乱で両親を奪われた過去があった。その彼女に勅命が下る。それは反乱の首謀者の1人で監獄に長く捕らえられているギルロアを伴い、反乱の指導者だった女性の双子の弟レメディオスを探して捕らえよというものだった。

 公には死んだと発表されていたことも不思議なら、幾度も同じ要請を受けながら動かなかったことも不思議なギルロアだったけれど、やってきたマリアンヌの何かを気に入り契約を受け入れ、鎖で縛られたまま外に出て彼女と旅をする。その過程で発揮される強大すぎるギルロアの魔術師としての力。だったらどうしていつまでも捕らえられ獄につながれたままになっていたのか。そしてどうしてマリアンヌに従うことを決めたのか。いろいろと気になる。一方でマリアンヌにとりギルロアは親の仇。忸怩たる思いで旅をしていく先々で彼女は先の反乱の裏側に近づいていく。

 正義が実は正義ではなく悪が決して悪とは限らない世の理不尽を感じさせる展開。そして強大な魔術の力を持つギルロアという人物のその身におびたある種の悲哀。読み終えて正しさのために何をすべきかを身に問いつつ自分の運命を受け入れ突き詰めることの意味を知るだろう。ギルロアの妙にフェティッシュな性癖にも意味があたっとは! まあ趣味も半分あったかもしれないけれど、それを知ってしゃあないと思うしマリアンヌも思ったかな。かな? まっすぐで優しくて悲しいけれど嬉しさも残る。続くようにはなってないけど、ありえるか復活?

 プリパラの音楽世界とはこれほどまでにも豊かたったのかと、そんなことを今更ながらに思わされた「アイドルタイムプリパラ Winter Live 2017」。赤いめが姉えによる「プリパラパンポーン」という声とともにライブの注意がアナウンスされ、そして幕を開けたライブは、わーすたが歌う「アイドルタイムプリパラ」の主題歌「Just be yourself」から始まって、ゲーム筐体曲のカヴァーがあってそして最新のオープニング「最上級ぱらどっくす」が初披露。5人の踊りと歌唱によって暖まったマクパリメッセの会場に、出演者たちを紹介する映像が流れそしてi☆Risによる「プリパラ」のオープニング曲「Ready Smile!!」が始まって、すでに総立ちとなっている観客の長い長い声援タイムが始まる。

 なにしろここから32曲目までほぼ休息なし、MCタイムもライブ初登場となった男プリメンバーによるWITHが少し時間をとった以外は途切れなく曲が続いて観客をどっぷりとハマった「プリパラ」の世界から逃さなかった。北条コスモと北条そふぃの“姉妹”が並んで2人での「クール・スター」が初披露されたり、東堂シオン役の山北早希と虹色にの役の大地葉による「快打洗心?カッキンBUDDY」がライブ初披露されたりと楽しいパフォーマンスが立て続け。「アイドルタイムプリパラ」でヒロインとなった夢川ゆいがを演じる伊達朱里紗さんが登場して「チクタク・Magicaる・アイドルタイム!」を歌い、大地葉さんの「あっちゃこっちゃゲーム」があって幸田みちる役の山田唯菜さんも出てきて、そして3人によるユニット「MY☆DREAM」がライブに初めて登場して、「Believe My Dream!」を聞かせてくれて、次から次へとアイドルがちが出てくる作品ならではの分厚さってやつを見せてくれた。

 ファララ役として佐藤あずささんが「サンシャイン・ベル」を歌ったあと、会場中が「いいぜ!」のかけ声に包まれたのが男プリによるパフォーマンス。ショウゴ役の山下誠一郎さん、アサヒ役の小林竜之さん、コヨイ役の土田玲央あんの3人が女性ばかりの出演者の中で数少ない男性メンバーとしてまずは持ち歌の「Giraギャラクティック・タイトロープ」を聞かせ、そして「曲あったっけ?」という自問に対してTRFの大ヒット曲「CRAZY GONNA CRAZY」を歌って応えて会場にダンスフロアのような熱気をわかせた。懐かしいなあTRF。まあ兄弟みたいなキンプリでも使われているんでなじんでいるといえばなじんでるし。

 そこからライブはMY☆DREAMとかが出たりガゥルル役の真田アサミさんによる「0−Week−old」があったりして楽しい楽しい。茜屋日海夏さん、澁谷梓希さん、渡部由衣さんに加えて黄木あじみ役の上田麗奈さん、山本希望さんの5人による「オムオムライス」というポップでユニークな曲では会場がふわふわとした雰囲気に包まれた。実際に2つの巨大な黄色のバルーンがふわふわ飛んで楽しかったし。その中ではあじみ役の上田麗奈さんが大活躍で、佐藤さんの「コノウタトマレイヒ」の時はfeat.あじみとして相の手を入れまくり、紫京院ひびき役の斎賀みずきさんがが「純・アモーレ・愛」を歌った後も「紫京院ひびきディナーショー クリスマススペシャルメドレー」でwithあじみとしてコントめいた喋りを重ねて場内を笑いに誘っていた。

 ここからクライマックスへと進んで女性陣18人による歌が終わったあと、男性3人も加えた総勢21人による挨拶と感想が話され、そしてフィナーレは21人による名曲「Make it!」とそして「アイドル:タイム!!」の連続。もう盛り上がりに盛り上がって終えた会場は、3時間弱の中に34曲とたっぷりの楽曲を聴けたファンの満足げな表情でいっぱいに溢れていた。さらには「プリティオールフレンズ」なる企画への期待もあってこれからの「プリパラ」のますますの盛り上がりに興味がわいてきた。どこまでいくか。次はいよいよアリーナかそれとも武道館かさらには東京ドームか。

 お台場にあるテレビ局がテレビ事業で赤字になったということでちょっとした話題になっている。まあ昨今の視聴率の悪さから要だった広告がどんどんと減っていって番組の制作費をスポンサー収入で回収できなかったってことなんだろうけれど、そうした本業の不振をかつてグループ内にあった新聞社が持ってた不動産会社の株を持っていって、そこがたたき出した膨大な利益を連結に組み込むこととでとりあえず黒字になっていたりするから、グループとしての体力はまだまだ大丈夫といったことになるのかも。不動産事業を引っ張り込んだ経営判断も含めて。

 でもやっぱり本業としてのテレビ事業で立て直しのきっかけがまるで見えて来ないところはやっぱり不安というか。ヤバを感じている人も少なくなさそう。その理由としてネットじゃお台場にいるのがいけない繁華街が遠くなって視聴者から感覚が離れてしまったといった話が流れているけれど、同じ都内で行くまでの時間が30分から1時間になったからって、それで街の感覚を吸収できなくなる社員たちの感性の方が問題なんじゃなかろーか。どこにいたって家にいたって通勤電車の中でだって感性は研ぎ澄ませられるしトレンドは吸収できる。それをしなくても大丈夫と思って安閑としてたのが問題じゃないのか。精進することを避けて環境に理由を求めるところにヤバさの神髄も見え隠れ。

 しかしここうしたお台場のテレビ局の本業での赤字というか経営危機は、不動産会社の株をとられてしまったグループ内にある新聞社にはぐっと切実な問題だったりするから困ったもので、売却によって得られた収益でその時はしのげても、今となってはもはや削るところもなくなり、売る株も売り尽くしてしまってあとは給料を下げるか現場が大変になるのを承知で人を減らすしかない。それともコストのかかるカラーページを止めてしまう? それもまた広告の出稿をスポンサーにためらわせてジリ貧への道を歩むだけ。けれどもそれをやらざるを得ないところに末期ぶりも見て取れる。どうなってしまうのか。やれやれ。


【12月9日】 早朝に目を覚ましてバルト9へと駆けつけ「ガールズ&パンツァー最終章」第1話を見る。完璧な傑作。何を言ってもこれから見る人の興を削ぎそうだから予告編なんかから分かっていることだけに触れるとBC自由学園はマリー・アントワネット然とした隊長のマリーがいて、パンがあるのかないのか分からないけれどもマリーはお菓子を食べていて、そして配下に三白眼の安藤にお嬢様風の押田がいて、それぞれにサポート役を兼ねている。あと乗ってる戦車がフランス車ってことで3人ともフランス語が得意なようで、これは映画を見たから分かったけれどもフランス語の歌を唄っていた。これを指導したのロマン・トマというフランス語の先生……じゃないよね?

 確か河森正治さんがいるサテライトに所属していて「バシュカッシュ!」の共同原作とかメカデザインとかやっててNetflixで作られることが決まっている「キャノンバスターズ」で日本側の監督とかメカデザインとか絵コンテを担当しているクリエイターだよね。それがフランス語の先生としてパンフレットによれば声優さんたいはガチ感すごく指導してかなり細かく教えてくれたと話している。声優さんは相手がフランス出身のアニメクリエイターだって分かっていたのかなあ。というか業界からそうしたスキルの持ち主を探してきて使う作品だなあ。ロシア語はずっと前から日本に来ていて声優目指していたタレントのジェーニャさんだし。次に秋田の学校が出てきたら秋田弁の得意なさや姉こと佐咲紗花が指導に立ったりするかもなあ。

 その佐咲紗花さんが今回の「ガールズ&パンツァー最終章」ではオープニングの主題歌「Grand symphony」を歌っていて上映後の舞台挨拶に登壇してくれた。きらきらな衣装で。「ガルパン」で主題歌といえばChouChoさんがまず浮かんでテレビシリーズのオープニングと劇場版のエンディングを歌ってくれていた。今回はエンディングはテレビシリーズとあとOVAの「これが本当のアンツィオ戦です」と同じあんこうチームによる「Enter Enter MISSION!」で懐かしくなったけれどもオープニングはさや姉に変わってはじめからスリリングな節回しでもって緊迫の戦闘て感じを印象づける。

 実際に映画は冒頭からもう……っとこれは言い過ぎだ。ただある意味でテレビシリーズのイントロにも似た緊迫感があってそして状況が語られそしてスリリングでサスペンスフルでエキサイティングな場面が続いてさあ次はどうなるといった期待を抱かせる見れば早く次を見せろといった気になること絶対だし、もう1度最初から見なくちゃといった思いも浮かんで仕方がなくなる。あそこのシーンへと至るまでにいったい何が起こっていたのか。そしてどんなやりとりが重ねられていたのか、等々。見直せばきっといろいろ仕込みがあるんだろう。これはまた観に行かないとってことで9.1chのセンシャラウンドが導入されててなおかつULTIRAという巨大なスクリーンで見られるイオンシネマ幕張新都心の上映を予約する。きっと迫力の砲声を味わえるだろうから。

 今日から「攻殻機動隊 ARISE」のVRが稼動し始めたVR ZONE SHINJUKUの前を通って久々にNakid Loftへと出向いて藤津亮太さんと小川びいさんによるアニメ雑談を聞く。いろいろとヤバいというか深く突っ込んだ話もあってすべては紹介できないけれども大ぐくりな傾向としてスマートフォン向けゲームなんかを作ってきたところがアニメでちょっとでも盛り上がって課金が入れば元がとれるとアニメに資金を投じていたりする傾向が続いていることがあり、アニメーション100年を期にいろいろと歴史が振り返られたりしたってことがありそう。あと劇場アニメーションが元気でとりわけコナンにドラえもんにポケモンにクレしんといったレギュラー陣が面白さを増しつつ観客を得ているとか。

 惰性でいけばすぐに飽きられるところをどうしてと思わないでもないけれど、ポケモンなんかは未だ新しいゲームソフトが出ては新たなファンをしっかり獲得していてそれがアニメ映画にも流れているといった感じだし、ドラえもんとかクレしんは作品として新しさを与えてマンネリ化を防いでいる。コナンは上へと世代があがっても抜けずデートムービーとして見られることもあって収益をここに来て拡大しているといった感じそうした商売の確かさについてはなるほどと思った一方で、去年の「君の名は。」「この世界の片隅に」「映画 聲の形」のような20億円を超えていく(200億円を超えてしまったのもあったけれど)大ヒットのオリジナル性を持った作品がどれだけあったか、ってあたりはあまり触れられなかった。

 湯浅政明イヤーだたっとは言われつつ「夜は短し歩けよ乙女」や「夜明け告げるルーのうた」が果たして何十億円いったのか? 神山健治監督のオリジナル長編「ひるね姫〜知らないワタシの物語〜」は劇場アニメーション隆昌の波に乗れたのか? ポスト「君の名は。」を歌われた「打ち上げ花火、横から見るか? 下から見るか?」はどうして下馬評ほどの数字を獲得できなかったのか? 口コミもあったけれど「この世界の片隅に」ほどのバズり方をどうして「きみの声をとどけたい」はしなかったのか? 等々。何よりポストジブリとして華々しく送り出された「メアリと魔女の花」の停滞はやっぱりジブリアニメ、宮崎アニメでなければアニメーション映画にあらずといった印象を、改めて強く醸し出す結果となった。

 これは何が悪いのか? 観客か? 新しいものを応援しないメディアか? それらのすべてなんだろうなあ。そんなあたりへの言及も欲しかったけれど、個人的には好きな映画を好きで見に行けば良いじゃん派なので理由付けよりも良い映画があれば自分が観に行けば良いだけのこと。そして面白ければ面白かったと言えばいいだけのこと。これからもそうやってアニメーションについて語っていこう。分析的な記事は書けないし、レビューのような相対的な評価の中に位置づけるようなこともできないけれど、僕という人間の感覚が受け止めたアニメーションへの思いをずっと刻み続けていくことは僕にとっては意味がある。もしかしたら何十年か経って誰かの意味になるかもしれないってことで、改めて言おう「ガルパンは良いぞ!」。結局そこかい。

 元文部科学事務次官だからといって今は民間人であってその言説がいくら気に入らないからといって新聞社が名前をあげて罵詈雑言の類をぶつけて良いかと言えば良くないし、普通だったらスルーするものだけれどどこかの新聞社では1面下のコラムという伝統ある場所でもって名前を挙げて元文部科学事務次官への非難を書き連ねて人格すらおとしめようとしている。どこかの自称文芸評論家が朝日新聞から間違いを指摘された時に新聞社という権力が一個人を攻撃するとは何事だといった論調でもって非難した一方で、自分たちでは一個人への非難を平気で繰り出すこの矛盾。それが結果として元事務次官への危険を誘った時にどういう言い訳をするのだろうか。元事務次官といえば公人にも等しいとでも言うのだろうか。言いそうだなあ。とにかく朝日新聞であり北朝鮮であり民進党なり立憲民主党なり沖縄の反基地活動をおとしめられるなら、ロジックとか手段とかはお構いなしの姿勢は変わるどころか濃さを増す。やがて街の噂すら想像をして書き始めないかと心配だけれど、外野が心配してどうなる話でもないんでそれがどういった結果を巻き起こすかを、横目で観察していこう。


【12月8日】 門前仲町にある富岡八幡宮での事件は以前から取りざたされていた宮司の立場をめぐっての骨肉の争いがひとつ理由になっていたようで、ずいぶんと前に金遣いの荒さもあってか宮司の職を解かれた弟に変わって宮司になろうとしたものの、長く神社本庁から返事をもらえず悶々とするなかでエイヤッと神社本庁から抜けてそして晴れて宮司の職についたばかりの姉に対して弟が、妻らしい女性を連れて日本刀をふりかざし運転手もまとめて斬りつけたって構図。なおかつ弟は妻らしい女性も刺して自分も自害といった感じに運転手をおぞいた当事者がみな死んでしまったという悲惨な結末。これで真相の究明はグッと遠のきそう。

 ただの姉弟げんかと行ってしまえばそれまでだけれど、日本刀を持って往来でそれも1人ではなく知人の女性も連れて斬りかかるというのがすこし常軌を逸していて、そこまで恨みが深かったという言い方もできそうだけれどそうなるまでに何か誰かの教唆でもあったのかなんて憶測も浮かんでしまう。神社本庁を抜けて宮司となった姉に対してよからぬ感情を持っている勢力が、排除されて鬱屈していた弟をそうするように仕向けていって、1人では不安だという弟に対して仲間もつけて一気に挙行させつつ一方で、露見するといけないからと口封じに走ったとか、そんな陰謀。まあそこまで世界が濁っているとは思えないから普通に姉弟げんかだと思っておくのか健康には良いのかも。お祭りとか盛んな下町の神社だけにこれからの運営がどうなるかがまずは心配。時間を見計らってのぞいてくるか。

 2016年2月だかのサンリオEXPOで存在を知ってアニメ化も近いと聞かされその映像を見たらこれがもうむちゃくちゃに面白くって、「王様のブランチ」でもショートアニメーションが放送されるようになってヒット間違いないしかと思ったものの今ひとつ、ひろがりがなくって国内ではグッズの販売も粛々といった感じだった「アグレッシブ烈子」が実は海外でじわじわと人気を広げていて、英国のBBCに紹介されたりアメリカ屈指のクオリティ・ペーパーとして知られるニューヨーク・タイムズでどかんと特集されたりして、いったいどういうことだと持ったのがだいたい夏頃。そしてサンディエゴのコミコンで「Aggretsuko」という向こうでのタイトルでブースが設けられて賑わいバンも走って注目を集めていた。

 ブースでは顔にアグレッシブ烈子の表情を重ねるアプリか何かが人気だったみたいで、いろいろな女性がそんな顔を見せてくれていた。ここで気になったのはOLという日本に独特の女性社員的システムが抱える悲喜こもごもが、果たして欧米の自立した女性たちに受け入れられるのか、ってことでお茶くみコピー取りとかいった雑務のために雇われている人はいないだろうし、立場だって男性と対等なんじゃないのと思っていたものの、それでも盛り上がる人気にたぶん世界のどこであっても女性という立場につきものの隔絶とかがあって、それでうっぷんをためている人たちが多くいて、それがアグレッシブ烈子の爆発するデスボイスに共感したってことなのかもしれない。

 そんな好評を受けてかいよいよ再び「アグレッシブ烈子」が短編アニメーションとなってあのNetflixから全世界配信。監督は「わやらか戦車」のころからずっと作品を作り続けているラレコさんで、ショートアニメーションから引きつづき監督としてアグレッシブな烈子の姿を描いてくれることになっている。もう日本での評判とか気にせず世界にうってでては抑圧される女性の象徴となって国連とかの女性問題を集まるような会議の場で、参加者全員がデスボイスによってデスメタルを歌いながら解放を向上をよびかけるなんてことがあったら愉快痛快。一方でカワイイを世界に広めて女性の憧れとなっているハローキティと同じサンリオが、他方でこうした過激なキャラクターを送り出す。やっぱり日本って面白い国だよなあ。

 先輩風を吹かせた男性社員がコンコースを引き連れて歩いている女性社員にパレスチナにユダヤ人が入植して家を奪ってそのまま国を作ったから問題になっているんだよーとか暢気に語っていたのを後ろで聞いていやいやエジプトを脱したモーセがとかネブカドネザルによってバビロンに捕囚されていたころとかローマによって追い出されたとかイエス・キリストを売った門で長く迫害され続けたとかバルフォア宣言にフセイン・マクマホン協定で矛盾した約束がなされたとかいったった歴史上のあれこれとそしてナチスドイツによるホロコーストの後で世界が落ち着き先を許容する中で当然に起こった反発が今に続いているといったことを、語って聞かせようにも知識はないし見知らぬ人にそんなことを言っても危ない人だと思われるだけなので黙っておく。

 とはいえやっぱり気になるアメリカ合衆国によるエルサレムのイスラエルにとっての首都認定。これで刺激された勢力が何かを起こした果てに戦乱が一気に拡大しなければ良いんだけれど。まずは狙われるだろうエルサレムに作られるアメリカ大使館。ユダヤ教徒とキリストと教徒とイスラム教徒が聖地としてあがめる場所でありまた暮らしている人たちにとって分断と隔離と迫害と弾圧の地でもあってそこで一方に与して起こるだろう他方からの反発を懸念して、これまで手を着けてこなかった事態に平気で手を着けてしまうのは勇気ではなく蛮勇に過ぎない。日本でも尖閣諸島を曖昧にして対立を避けていたのが血気盛んな都知事が支持を得ようと都有地にすると言い出し仕方なく国が国有化をしたあげくの対立激化。黙って両者で開発すれば良いものを。それができないで隘路にはまってあげくに自滅する道が日本もアメリカもお好きらしい。いらぬ日米同盟。どうなるんだろうねえ。

 おいおい大丈夫か。「沖縄県民有志でつくる民間団体『沖縄県選挙監視委員会』の小木貴之委員長(38)=沖縄市=は6日、県庁で記者会見し、先の衆院選で公職選挙法が禁止する事前運動などを行ったとして、沖縄1区で当選した共産党の赤嶺政賢衆院議員(69)を公選法違反の罪で那覇地検に告発すると発表した」って記事がとある新聞のサイトに掲載されているけれど、その記事を書いている記者が告発した団体のメンバーに名前を連ねていて、そして何か見かけると市役所に電話をして反応がないと新聞社の名前を身分をかざして記事にするぞとプレッシャーをかけていたみたい。これって大丈夫なのか。というよりこんなことをオープンに話してしまって自分で大丈夫だと思っているのか。上は状況を把握しているのか。把握して自由にやらせているのか。なんかいろいろとグダグダになっているけど、状況が状況だけに立場を活かして次の立ち位置を見つけたいって気にもなるのかもなあ。頑張ろう。


【12月7日】 そういえば「Yahoo!検索大賞2017」に登場した欅坂46のメンバーがそろってドクターマーチンの1460すなわち8EYEを履いていた。制服に合わせるにはゴツ過ぎるけれどもどこかミリタリーな雰囲気も漂わせか欅坂にはそうしたブーツも相応しいのかもしれない。これをまねして女子中高生とかが学校にドクターマーチンを履いていったりするんだろうかと思ったけれど、買うには結構高いからそれはないか。

 ちなみに欅坂46は2年連続の受賞で検索数のアップ率ではかる検索大賞では1年目はいきなり出てもそれがそのまま続いただけではアップがないから連続はとれない。そこをとってしまたくらいに欅坂46の勢いが凄いってことなんだろう。AKB48が存在そのもんが社会に溶け込んで大気となり、乃木坂46はアイドルとしての頂点に近づきつつある中で欅坂はまだまだ上り調子。この勢いなら3年連続もあるか、それとも新ユニットが現れるのか。注目したい、ドクターマーチンを履き続けているかも含めて。

 アラーキデっていうのはイタリア語で落花生って意味らしいから英語だったらピーナッツになるんだけれど、そんな漫画が原作にはなっているとは思えないイタリアのアニメーション「アラーキデ」は少ない予算で作られながらも同人あがりのクリエイターたちによる制作会社の頑張りによって大ヒットして続編の話も浮上したところで、権利元がなぜかその会社にはもう作らせないとなってマネージメントをしている人が困ることになる。そこで頼ったのが新しいスポンサーを見つけるため、タルターリヤという名前の監督に授賞式に出てもらってパリっとした格好を見てもらってスポンサーにアピールするというものだった。

 でもこもりっきりでアニメーションを作り続けていいたタルターリヤ監督にそんな解消があるとも思えず、ならば服を新調して見栄えを良くしようとして動いた先に織部悠がいたという、大河原遁さんによる「王様の仕立屋 〜フィリオ・デイ・ジラソーレ〜」のエピソードが「グランドジャンプ」に載ってどったんばったん大騒ぎ。タルターリヤ監督がいったい誰で、そして「アラーキデ」が動物は出てきてもスヌーピーじゃないネコ科の動物だったりするアニメーションだと想像がついて、やっぱり誰かが弱小制作会社から権利を奪って儲けようとしているんだって認識が世間一般のものなんだといった感じを抱かせる。

 それが正解かは知らないし、もっと別の根深い何かがあるのかもしれないけれど、こうして話題になることでまだまだタルターリヤ監督のモデルとなった彼に出てきて欲しいといった思いが広がって、頑なな誰かさんを動かしてくれれば嬉しいんだけれど。今のままだと何となく新しいコラボレーションが進んでフレンズたちが量産されてはそれに押し流されそうになって、避けていたらいつのまにかどこかに流れていってしまうなんてことはなくなるだろうから。そうなってしまうのが本当に寂しいし悲しいことだから。仲の良さをアピールしていたコンセプトデザイナーの人が、一切の公の場での言及を行わないままフレンズを量産しているのが目下の悩みどころ。それは嬉しいことなのか。残念なことなのか。それだけでもしりたいのだけれど。心底から。

 なるほど今度はサッカーか。さまざまなVRアトラクションを開発して展開しているハシラスが第3回テーマパークEXPOに持ち込んでいたのがその名もずばり「SOCCER VR」。プレーはVRヘッドマウントディスプレイを装着して足下に見えるボールを蹴ってそれをゴールキーパーが守るゴールにたたき込むというもので、1本目がPKで2本目がコーナーキックからのボールをボレーでたたき込む、3本目が離れた場所からフリーキックを決めるといった感じで最初のPKはただ蹴り込むだけ、後の2本はタイミングを合わせて蹴ることでボールがしっかり飛んでいくと行った感じになっている。

 1本でいろいろ試せて面白ことが1つあるけれど、さらにユニークなのはVRヘッドマウントディスプレイで目隠しされた状況でありながら2本目3本目もちゃんと足下にボールがあることで、別に下にゴムがついている訳ではなく、両側から引っ張っているケーブルがボールを元いた位置に戻すといったもの。これがあることで従業員がつきっきりにならなくても1人でVRヘッドマウントディスプレイを装着してプレーに挑める。ロケーションVRで大変なのはオペレーションで1台に何人もつきっきりになると効率が悪い。かといっていないと事故が起こるかもしれないといった問題を、仕組みによって解消しようとした感じ。ロケーションVRを引っ張る会社だけのことはある。あとは蹴った感じとバーチャルのボールの向きとか距離がもっとシンクロしてくれたら気持ちも良くなるんだけれど。改良が進んでいったものを試してみたい。次はどこに出てくるかな。

 第3回テーマパークEXPOでは「HADO」シリーズのカートがとても面白かった。ARを使って現実世界に映像を重ねてみせる仕組みで手からエネルギーを出して相手と戦うゲームを出し、モンスターを倒すゲームを出して来たけれど、今度はカートになってぐるぐるると回りながらARのHoroLens越しに見えるコインを全身でぶつかって下とつぃていくというもの。傍目にはパイロンをぬってカートを走らせているだけにしか見えないけれど、プレーしている人には本当目の前にコインが浮かんで見える。狙ってついついアクセルを踏んでしまうけど、現実の風景も見えているから壁に突っ込んだりパイロンを倒したりってことはなし。そこがARのゲームの面白いところでまもある。周囲にセンサーデバイスを置く必要のなく自由度も高そう。問題はHoloLensが高いことか。安いMRヘッドマウントディスプレイが出てきたらさらに普及するかなあ。

 ずっと新しめのVRベンチャーを応援してきたTokyo VR Startupsってインキュベーションプログラムが名前をTokyo XR Startupsに変えるとか。XRってのがつまりはVRだけじゃなくAR(拡張現実)とかMR(複合現実)なんかも含んだ言葉でつまりは現実を超える体験の総称といったところ。Xが何かの具体的なイニシアルというよりはそこに何でもぶち込めるXといった感じでもある。実際に第3期のTVSでは7つのうちの3つがARだった訳で、VRにこだわってVRしか応募できないと勘違いされたら新しいアイデアが確保できなくなってしまう。今の時期の切り替えは正しいし、あとはそれが総称として定着していくかってところか。誰が使えば広まるんだろう。

 近隣の住人だったら普通に通り魔事件かとも見られただろうけれど、斬りつけられた4人がそろって富岡八幡宮の関係者らしいといった報が伝わるにつれて、富岡八幡宮が最近名前を挙げられた神社本庁からの脱退だなんて話との絡みも浮かんで妙にキナくさくなってくる。それがいったいどういう問題があって、誰によって襲撃されなくちゃいけないのかっていったロジックはまったく浮かばず、憶測以前の陰謀論に過ぎないんだけれど、最近の神社本庁の右向け右な態度に対する反発をいさめる時に動くなら向いた先ってことにもなって、そうした勢力のみょうな台頭なんかも含めていろいろと想像が浮かんでしまう。3人が重体だそうで今は回復を祈るばかり。そして犯人が捕まることも。東西線は毎日使う路線だから。


【12月6日】 もしかしたらあのサングラスにヤンキー口調なのが暴力教会のエダでロックと連んでいるところにやってきたロベルタに灼熱の戦いを挑まれたのか、ってだから「BLACKLAGOON」の第3期じゃないんだってば「だがしかし」なんだってば。ずっと真夏のストーリーでは登場して当然のプール回だったけれどもサヤ師はスクール水着で色気はまるでなく、ほたるはパーカーが邪魔で胸があんまりよく見えなかったのが残念といえば残念か。ボンタンアメが登場したのは父方の故郷が鹿児島県な身には嬉しいところ。祖母がよく兵六餅といっしょに送ってくれたなあ、だから鹿児島ローカルの食べ物と思っていたら以外とキオスクに入って全国どこでも食べられる。それだけ日本の味ってことなのかも。また食べてみようかな。

 またなろう発かとも思いつつ書籍化されるのは一般性があり過ぎる奴か独特過ぎる奴かどちらかで、後者だと山路こいしさんの「椅子を作る人」だなんてアメリカンなサスペンス小説を思わせる作品も出たりするからなかなか捨ててはおけない。宝島社から刊行された大沼田伊勢彦さんの「織田家の長男に産まれました」も冒頭こそ現代人が過去に転生するとかいった理屈不明の無茶があるけれど、そこから先は実在した歴史の上に存在する織田信広という織田信秀すなわち織田信長を父親に持ちつつ正妻ではない女性から生まれたため長男でありながらも嫡男にはならなかった人物を主人公にして、まだ織田信長が吉法師に過ぎなかった時代、織田信秀が親戚も含めて近隣を相手に戦い終わりを豊かにして信長に引き継いだ時代を描いてそうかそういう出来事があったのかと分からせる。

 一応は歴史の成り行きを知っているため後の徳川家康こと竹千代が生まれる前に松平広忠を撃ってしまっては歴史が変わると分かっているし、自分が現代の知識を持ち込んで開墾だとかに道具を使い火薬を凄惨して焙烙玉こと爆弾を作って戦場に持ち込むことはやっても、父親の信秀に逆らって独立を企てたり吉法師を撃って歴史を変えてしまうようなことはしないし、逆らおうとする意思すら見せない。後に自分が三河の地に持った城を落とされ捕まって竹千代と交換に終わりへと戻って来ることも分かっていて、それすらも変えず甘んじて敗れるようなことをやりそうだけれど、まだまだそこに至るまでには時間があるから途中で気が変わって歴史を大きく変えるなんてこともあるのかどうか。

 そもそもが妻に迎えた於台が竹千代の母ながら松平広忠に離縁された後に織田信広に嫁いだといった話はなく、久松俊勝という城主と再婚をして子供を産んでそれが家康に取り立てられていたりもする。そうした歴史へと向かわない可能性なんかもあたりするから先もどうなるか分からない。あと信広はその死がいったんは信長に逆らいつつ許されたものの、伊勢長島の一向一揆を討伐に行って戦死といった感じで華やかさに欠ける。それでも主人公にするなら甘んじて歴史の流れに身を任せるのか、彼の地で得た最愛の妻子のために一念発起と歴史に挑むのか。その場合に歴史はどう変わって織田信長の運命はどうなるのか。いろいろと興味もわいてくるけど、そこまで既に書かれているのかどうなのか。まあ読むなら単行本派なんで続きが出たら追っていこう。

 やっぱり入っていたよ「けものフレンズ」。Yahoo!検索大賞2017ってのが開催されてカルチャーカテゴリーってのが発表されてそのアニメ部門が「けものフレンズ」。まあ当然とは言えるけれど「Fate」シリーズとかゲームの絡みもあって油断がならないので、やっぱりしっかりとれてまずは良かった。発表会にはサーバルちゃんの格好で尾崎由香さんが登場してトロフィーを受け取って「すっごーい! みんなは検索が大好きなフレンズなんだね!」と行ってくれた。そのとおりです。ただしYahoo!では検索したことないけれど。検索エンジンとして使わないものなあ、Yahoo!。

 大賞とお笑い部門は予想通りにブルゾンちえみさんでしっかりWith“B”ことブリリアンも引き連れ発表会にのぞんでくれた。あの2人にも喝采を贈りたい。俳優部門は高橋一生さんで「おんな城主直虎」の中で小野正次を演じて絶大な支持を受けたから当然だろう。ただアップ率で評価される検索大賞だけに「シン・ゴジラ」でも盛り上がっていた名前がさらに上がったということは本当のブレイクがあったんだろう。でもおごらずひょうひょうとしつつ良い声を聞かせてくれる。希有な役者。アップ率で表彰されるから2連覇なんてあり得ない中でアイドル部門は2年連続欅坂46というのも凄いすごい。誰が誰かは分からないけれどもキャプテンとあと何人かで来てくれた。履いていた靴がドクターマーチンの8ホールだたのでこれから女子高生の間で制服の足下がドクターマーチンの8ホールなんてファッションが流行るかな。

 銃で狙ってテロリストを撃ち倒せ。光学迷彩で敵から身を隠せ。そんな感じのVRアクティビティだった「近未来制圧戦アリーナ 攻殻機動隊 ARISE Stealth Hounds」は、12月9日にVR ZONE SHINJUKUに登場の予定。アリーナの中を自由に動き回れるフリーローム型のVRだけれど、お台場にある東京ジョイポリスで遊べる「ZERO LATENCY VR」とも違って人と人との対戦が楽しめるのが大きな特徴になっている。その秘密は超精緻な人間のトラッキングで、足とか手とか銃とかVRヘッドセットとかに取り付けたマーカーによってしっかりと人体位置を把握し、どこに誰がるかをしっかり分からせぶつからないように警告なんかが出るようになっている。

 なおかつ銃での戦闘も何となく銃を向けて引き金を引いただけでは当たらず、しっかりと銃口を向けそれこそ照準と照星をあわせて狙いをつけて撃たないと当たらないようになっている。つまりはサバゲー並みの厳密さ。だからこそ隠れながらちょとだけのぞいてトリガーを引くとか銃だけ出してそっちむけて弾をばらまいて制圧するようなプレイもできる。実際にサバゲーなんかをやっている人が試したら、バーチャルながらもリアルなサバゲーとして大いに楽しめるかもしれない。ちなみに僕は3人を倒してそれは全部ヘッドショットだったというからなかなの戦果だったと思うけど、総数では足りずベストプレイヤーにはなれなかった。残念。

 ただ勝利の鍵となるハッキングは2回成功。あとは死んだ回数を減らせれば良かったんだけれど、もしかしたら「攻殻機動隊ならではの光学迷彩を使用していたら弾に当たる率も減らせて死なずに済んだかもしれない。どういうタイミングで使えば良いか分からず闇雲に突っ込んでいったからなあ。それで復活コーナーへと行って復活を待つ時間をとられて敵を大勢倒せなかったのだ。ともあれ本気で遊べるバーチャルサバゲーとも言える「近未来制圧戦アリーナ 攻殻機動隊 ARISE Stealth Hounds」は2800円とお高めだけれど、それだけの価値はあるし何より日本で唯一のチーム対戦フリーロームVRなんで新しいもの好きはまずはお試しあれ。


【12月5日】 なんかもう擬人化キャラクターのバラマキと化してきた感のある「けものフレンズ」のコラボレーション展開。動物が主役だなんて真ん中の人のお題目もどこえやらでホワイトサーバルとかいったいどこに行ったら見られるんだ的動物のフレンズまで混ぜてクリスマスシーズンを盛り上げようとしている。商業的に。でも僕たちは擬人化されたフレンズが動物たちと紐付いてこそ思いを乗せることができるのであり、またアニメーション版「けものフレンズ」に描かれたフレンズたちの関係性と繰り広げられた物語からそこにいろいろな思いを抱いてフレンズたちへの共感を育んだのであって、そうしたアニメーション版からまったくもって断絶されたキャラクターだけの商業的なコラボレーションにいつまでもついて行こうという気が起こらなくなっている。

 ファミリーマートでどん兵衛とのコラボレーションがあるみたいだけれど、僕たちはあのギンギツネとキタキツネが出てきてアニメーション版に描かれた関係性を理解しながら繰り広げられる寸劇を楽しみ、その中でどん兵衛という商品がもつふっくら感への印象も強く抱いて商品を買ってみようかという気になった。ただキャラクターが描かれたクリアファイルがもらえるからと、どん兵衛を買うかというと買うかもしれないけれどそうした吊りはアニメーションによって育まれた関係性への共感が途絶えていった先ではもはや続かない。アニメーションはそういう意味で関係性を残しつつ商品への興味を向けさせる絶妙なバランスの上に成り立っていた。だからこそ新しいアニメーションでもってまた少し関係性をのぞかせつつ商品への共感を深めるような施策を採って欲しかった。

 それなのに、「けものフレンズ」に関するコラボレーションからはたつき監督が作り上げたビジュアルであり関係性であり物語性はほぼほぼ排除されている感じ。一方でネット上で繰り広げられる二次創作は漫画にしてもイラストにしても動画にしてもアニメーション版によって描かれた関係性なり物語性なりビジュアルを引き継いで発展させたものになっている。それが受けているにもかかわらず商業的なコラボレーション、すなわり“公式”と呼ばれるものからは排除されて薄められていくたつき監督色。それが何を意味するかって考えるとどうにも悩ましいけれど、言えることはこのままでは「けものフレンズ」は保たないってこと。動物への共感すら残らなくなってしまってただ擬人化キャラクターの山が積み上げられるだけになってしまうだろう。どうすんだ? 誰が責任とるんだ? なんて思ったり推した師走。「忖度御前」はとりあえず美味かった。

 そうか「レターズ/ヴァニシング 書き忘れられた存在」の人なら納得の奥深さだと思った旭蓑雄さん「青春デバッガーと恋する妄想#拡散中」(電撃文庫)は、ARの使用が絶対のアキバ特区にあるショップでバイトしているオタク少年の前に同じクラスの美少女が現れる。とても来そうにない階層なのになぜ。おまけに、解除されないはずのARコスプレが少年の前では解除されて本人だと分かってしまった。いったい何が起こったのか。いろいろ諍いはあったものの、少女は学校では隠れつつアキバ特区で少年が働く店の1階にある喫茶で働き始める。]

 そして起こる事件。バグめいたものが発生しては少女がコスプレできないようになったり、小学生がアキバ特区に入ると勝手に漫画のキャラのコスになってしまったり、ARが本体からズレてしまうようになったいr。そうした事件の裏にある誰かの心が抱えているトラウマのようなものを暴き、少年が解きほぐしていくのがストーリーの主線。同僚の金髪美少女の意外な性癖も知ったりしたその先で、そもそもどうしてバグが起こったのかといった根源へと迫り、少年自身が抱えていた懊悩と、同級生の少女がかみしめていた苦しみがぶつかり合って過去が暴かれバグという問題に直面する。

 オタクの少年と隠れオタクの少女がアキバ特区で出会って自分を解放してボーイ・ミーツ・ガールといった展開にもできそうだけれど、そこに個々の懊悩を入れ、さらに大きな円環としての悩みと苦しみのぶつかり合いと解放を入れて描くところが新しいし奥深い。楽しめるだけでなく、誰もが抱えていそうな悩みを払拭するための道なんかも得られそう。学校などで見ている姿がARをまとえるアキバ特区では解放されるといった変化にも、裏があってテクノロジーによる支えもあってSF好きの完成をくすぐる。「#拡散中」とあるからきっとこのあとも別の事件などが描かれ、それを少年が解き明かしてく展開が書かれると期待して待とう。

 意外と早い時間に決着がついたようで将棋の竜王戦は渡辺明竜王に挑んでいた羽生善治棋聖が4勝2敗でタイトル奪取に成功し、通算7期となって永世竜王の称号も獲得した。すでに名人王将棋聖棋王王位王座で永世位を獲得していて、次は竜王をあと1期とれば永世七冠になると分かってから幾年月、挑んだ竜王戦で渡辺竜王の前に何度か敗れてたどり着けなかった地位を、その渡辺竜王が戴冠している時に挑んで破って手にしたのは大きなことだろう。タイトルでは名人を上回る位に置かれる竜王なだけに、序列で最下位の棋聖位だけになっていた羽生さんにとってはやぱり意味のある戴冠になりそう。棋聖戦を主催している新聞社が経営的にアレなだけにいつ、タイトル戦じゃなくなるかも分からないし。いやホント。

 年齢的に大山康晴十五世名人に二上達也九段に米長邦雄永世棋聖といった人たちに続く高齢での奪取は、今なお羽生さんが将棋界でトップを走り続けている明かしで、そこもすばらしいところ。ただこれで全タイトルの永世戴冠かというと、新しくニコニコによって叡王戦というものが始まっていて、それが序列で確か3位くらいまで来ていているからいずれ永世叡王というのも数のうちに入ってくるだろう。ただ今期は予選で羽生さんは負けてしまっていてタイトルには手が届かない。いずれ奪取してもそこから防衛を続けていくのも大変そうだし、永世八冠というのは永遠に生まれることはないのかな、さすがに藤井聡太四段でも今の状況で七大タイトルを奪取しそれぞれ5期から7期、持ち続けるのは無理だろうから。さてはて。

 アメリカでアニメーションを専門に表彰するアニー賞というのがあって、アカデミー賞の前くらいに発表されるんだけれどその長編アニメーション部門でインディペンデントにあたる部門に日本から片渕須直監督の「この世界の片隅に」とそして神山健治監督「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」がノミネートされていた。過去には宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が受賞したこともあるし(当時はまだインディペンデントには分かれていなかったのかな?)、今敏監督の「千年女優」とか高畑勲監督「かぐや姫の物語」もノミネートはされていたけれどもこうして2本が入って並ぶのは、やっぱりインディペンデント部門ができたからなのかもしれない。どちらかがとれるか、そしてどちらがとるかってあたりがこれからの興味の向かうところ。その勢いがアカデミー賞のアニメーション部門ノミネートまで続けば良いんだけれど。


【12月4日】 ケイのホットパンツがなくなっていた。まあ立ち位置からあそこでヴォイテクに乗った島田愛里寿がケイの前を横切るのは可笑しいので、パッケージ化の時に修正されたんだろうけれども映画館では巨大なスクリーンにドカンと映るそのホットパンツに中身を想像しながらいろいろと考えることができたのだった。残念なTOKYO MXでの「ガールズ&パンツァー劇場版」テレビ放送。劇場で上映される時も今後はBD版が基準になるのかやっぱり今も劇場公開版が出回っているのか。そこがちょっと知りたい。でもイオンシネマ幕張新都心での上映は行けそうもないなあ。まあいつかまたULTRAの9.1chで上映してくれるだろう。そういう映画館だよあそこは。

 放送を見てたぶんいろいろ手直しされているだろうなあと思うのは、小さなテレビ画面でも隅々までくっきりと見えていて、そして表情にあらがないあたりで大学選抜との試合に臨む前の天幕内での会議でケイの視線がどこか斜め上を向きすぎているのが直っているような気がしたけれど気のせいかもしれない。他にもいろいろあるんだろうけれど比べる気力もないので映画は映画館で見るのがベストだし、パッケージはテレビで見るのがちょうどいいといった態度でここは臨むことにしよう。しかしTOKYO MX、西住しほと島田千代との会談からあと、エンディングまでをCMなしで通したのは偉かった。試合決定からラストまでの一連の流れは切れないものなあ、心理的に。これで風呂場が残っていたら……ってそれは贅沢。そこはだから映画館で。あるいはBDで。

 昨日で終わった東京コミコン2017だけれどそのために来日していたスティーブ・ウォズニアックが登場する講演会があるんで見物に行く。あのウォズが喋るだからどれだけでも払うよという人は割と良そうで実際に結構な人数が集まってはウォズが今、何に興味を持っているかに聞き入っていた。あがったのはブロックチェーンでありSNSの可能性。ブロックチェーンはビットコインの浸透なんかに用いられているみたいだけれど理解語り内のでどういった普及がするのか個人的には不明。ただ個人の頑張りを世間に伝える意味があるなら、それがSNSの改善を呼んで個人情報をSNSがただ取りして稼ぐんじゃなく、個人がSNS上で自分の情報を売って稼げる時代が来るってことになりみたい。会社もいらなくなりそう。そんな未来をウォズの言葉から描いてのける作家はいないかなあ。藤井太洋さんとかやってくれないかなあ。

 原作の漫画が好きな人にはもうたまらないだろうなあ、監督を変えて第2期として放送されているアニメーション「血界戦線 & BEYOND」はポップでスリリングでコミカルなところおある漫画の雰囲気がそのままクリーンな映像になって見られる訳で、見知ったエピソードに見知ったアングルがそのまま出てきて動いて色もついて声まで添えられて見られるという至福の体験を味わっている。だったらオリジナルストーリーが半分くらい挟まっていた第1期は何だったんだって話にもなって、そこで繰り広げられた兄と妹の物語がまるで存在しないことになっているのはちょっと寂しいしもったいない。

 原作が好きなら原作を読んでいれば良い、別の媒体にするならそれならではのオリジナリティをという意見もあれば、見たいのは動く漫画だといった意見もあるだけに難しいところ。今のところ原作準拠に傾いている感じだけれど、ここで1本、第1期の監督に起死回生のオリジナルストーリーによる劇場版とか作ってもらって挽回をいって欲しいもの。チェインにたっぷりの見せ場も用意してくれたらなお嬉しいんだけれど。あるいは秋田禎信さんによる小説版の映画化とか。そういった余裕はあるのかなあ。ボンズはボンズで「ひそねとまそたん」の制作に忙しいだろうし、ってそれで汲々とする会社でもないか。しょげてるチェインちょっと可愛かった。

 ある意味では原作どおりとも言えるけれども、キャラクター作りにおいては映画ならではのオリジナリティも見られたしストーリーのはしょり方とエッセンスの取り出し方ではオリジナリティもあるといった感じの実写版「鋼の錬金術師」。あれやこれやと言われながらも興行通信の週末動員ランキングで堂々の1位になっていて、同じ大泉洋さんが出演している「探偵はBARにいる3」を上回った。「鋼の錬金術師」の大泉さんが演じたタッカーは原作とまるで違った表情で仕草で性格だけれど、映画の中では研究に熱心でまじめでもあってそれだけに、自分という人間を貫くために家族だって犠牲にしてしまうところは原作と同じ。そういった意味で実写映画ならではのキャスティングで俳優のファンを面白がらせ、そして原作のファンも納得させる映画になっているって、僕は思うんだけれど人によっては原作とまるで違うキャスティングでストーリーも端折られ深みがないといったとらえ方もしているみたい。どっちが本当か。来週あたりの動員数で本当のヒット具合が分かるかな。

 「映画芸術」という雑誌でやっているベスト&ワーストの投票からアニメーション映画が除外されたという話がベストテンに参加していたライターの人から漏れてきた。主宰の人が批判をしていながらも「この世界の片隅に」が1位になったりしたのがよほど腹に据えかねたのか、「君の名は。」がヒットする状況に腹が立ったのかは知らないけれども同じ表現芸術であり映画館という同じウィンドウに並ぶ媒体がアニメーションだからとか実写だからで分け隔てされる意味ってあるんだろうか。どっちが優れているというならそれは見た人の感想であって、アニメーションを好む人もいれば実写を好む人もいる。その違いでしかない。

 そして映画の世界は圧倒的に実写を支持する人が多いわけで興行を見ればそれは明らか。「君の名は。」ほどの成績を収める作品なんて滅多に出ない。だからどんと構えて待っていれば良いものを、そうやってアニメーションを除外すると言ってしまったところに仕切っている人の狭量さって奴を世間は感じ取ってしまいそう。それとも正当な理由を述べるんだろうか。述べたところでそれは珍妙なものになりそうだろうなあ。特撮は実写なのか。今時のVFXでキャラクターを自在にいじってしまえる映画は実写と言えるのか。「コングレス未来会議」のように役者がすべてCGで表現されるようになった時代に実写って何って話でもある。それを考えた時にアニメーションだけを除外する無意味さって奴も分かるだろうに。分からないかなあ、アニメーションがただ嫌いな頭には。やれやれ。

 ここまで堕ちたかというと、すでにそうだったから驚きは少ないけれど、それでおやっぱりデマばかりが掲載されているサイトを引用元にして、そこの分析とやらを唯一絶対のように添えて記事を作ってしまえる新聞社系のニュースサイトはやっぱりいろいろと悩ましいところがありそう。ファミリーマートが売り出した「忖度弁当」というのがあって、それが売れていないとツイッターでつぶやいた声があって、それをひとつ拾ってやっぱり売れてないんだと記事に書き、ほかにもやっぱり売れていないといったツイートを拾って重ねた上に、NETTOGEEKというサイトの分析を添えてファミリーマートの事業をネガティブに批判する。

 でも、こういう場合って経済記事ならまずは販売元に訪ねて本当はどれくらい売れているのか、それとも売れていないかを訪ねるのがセオリーであって、それがとれないなら関係者のコメントを添えるのが次善の策。でもこのニュースサイトの記事とやらには関係者への当てはなく、それが本当に関係者なのか確認のとれない人間いよるツイートをのみ掲載して売れていないと書き連ねる。なおかつ運営元が怪しげで数々のデマを送り出してきたサイトの分析とやらを添えてみせる。

 普通の新聞社だったら絶対にやらないことだし、やってはいけないことだと教わるような記事の作り方を平気でやってはサイトに掲載してしまう心理っていったいなんだろう。それほどまでにバズりたいんだろうか。バズれば一時のアクセスは稼げてもそれと引換に信用が失われる。その信用を取り戻すのはとても大変。でも目先のアクセスが将来の信用より大事なんだろう。だからやってしまう。そこまで追い込まれているのかなあ。そんなアタマもなしにただ自動的にアクセス数という快楽を追い求めているのかもしれないなあ。やれやれ。


【12月3日】 これはとっても面白い。銅大さんによる「SF飯:宇宙港デルタ3の食糧事情」(ハヤカワ文庫JA)は火星あたりでそれなりの家柄に生まれた若旦那がなぜか大婆さまから勘当を食らって追い出され、宇宙船に乗って遠くへと出向いていったものの根っからのぼんくらだったからか相応しい仕事がなるでないまま、遠く離れた宇宙港へとたどり着く。幸いにして宇宙にはB定食なるものが存在していてパンとスープと野菜が宇宙的に加工されたものを食べていれば健康は保てて餓死も免れるけれど、口のおごった若旦那にはあまり美味しくなかった様子。舐めれば美味しい味のする飴をなめて凌いでいたけれど、それには栄養がなく行き倒れてしまう。

 そこに通りかかったのがかつて若旦那の家に咆吼に来ていたコノミという少女で、祖父が残した定食屋を継いで再開させようとしていたものの自動で調理する装置があまりうまく働かず、苦労してレシピを元に調理の腕前を上げようとしていた。そこに参加することになったのが他にいくあてもない若旦那で、藻を使ってステーキを作る調理の途中に工夫を入れてコノミの祖父がつくっていたのに並ぶようなステーキを作り出す。そしてお弁当なんかも始めたもののこれが初速だけでしぼんでしまった理由を探って、調味料の問題だと気付いて自分でも調味料と作ろうとして材料を取り寄せようとしたら宇宙の都市を滅ぼしてきたヌカミソハザードを起こす疑いをかけられ収容されてしまう。

 そこでも小惑星の上で栽培をして生きながらえていた若旦那のところに現れた牛のような異星人。会話はできないまでも意志を疎通させていったその外側で、兄をとらえられたことで妹が立ち上がっては財力に明かせて戦艦を仕立てて若旦那がいた星系へと乗り込み知り合いのコノミも交えて兄の救出へと乗り出していく、といった展開は、ともすれば「ダンジョン飯」のような仮想の世界で持てる材料を使って調理し、美味しいものを作り出すといったストーリーが浮かぶし実際に、宇宙ならではの限定された材料を使って人類なり異星人に相応しい料理を着くって食べさせるエピソードも繰り出される。そこから異なる存在の生態系なり食習慣を感じとれる。

 一方で地球人類も含めてリフトアップを行い導いてきたオーバーロードの的存在が、さらに発達をして宇宙を去ってしまって残された生命が右往左往しながらも残された遺産なり薫陶を活かして生きているといった設定の中、それでも停滞している状況を打破するべくただの昼行灯に見えた若旦那に白羽の矢があたり、その隠された能力めいたものを引っ張り出して異星人とのコミュニケーションを加速化させ、食習慣も改善させてさらなる発展を促す存在なんかがいるのではと想像させる。行った先々で知り合いに会い便利なロボットを広いそして異星人をもてなすなんて偶然とは思えない。そんな展開を画策している存在、決して大婆さまでもないその誰かが狙うものは何か。知りたいので早く続きを。

 今日も今日とて東京コミコン2017へと出かけていって樋口真嗣さんが総監督を務めるという最新作の発表会を見物する。前に公開されていたティーザーのシルエットからメカとドラゴンが絡むような作品だとは感じていたし、樋口さんのことだから「ガメラ」や「シン・ゴジラ」のような怪獣映画か、「日本沈没」のようなスペクタクル映画、あるいは新境地としての異世界ファンタジーといった予想を抱いていた。最近出た尾野灯さんのファンタジー作品「群青の竜騎士1」のようにドラゴンがいながら戦闘機も飛ぶといった世界観に近いもののような。

 ところが、発表されたのはテレビアニメーションで、タイトルは「ひそねとまそたん」。その中身は何と現実の世界を舞台にドラゴンが戦闘機のコスプレをするという話だった。それも青木俊直さんがキャラクター原案をするほんわかビジュアル。いったい何だ。これはどうした。紹介されたビジュアルを観て思わず笑いが出てしまったのも仕方がないと言えるだろう。コヤマシゲトさんが手掛けたドラゴンも、「おばけちゃん」よりかわいらしい感じがして暴れる怪物といった雰囲気はまるで見えない。

 けれどもストーリーを聞くとちょっとだけ、シリアスな部分も感じられて興味がぐっと膨らんでくる。何でも航空自衛隊の岐阜基地に配属になった新人の女性自衛官、甘粕ひそねが基地にとっては秘密というか国家的な機密ともいえる戦闘機に擬態するドラゴンと知り合い、その搭乗者に選ばれるといったストーリーは、想像するならただドラゴンが外に出るだけなく、国家的な謀略なり世界的な戦いなりが絡んでくるものになりそう。世に膿んだ若い女性の癒やしと快復の物語に収まるとは思えない。そういう要素はあったとしても。

 ただ、青木俊直さん原案のキャラクターで血なまぐさい戦いとかは難しいだろうから、多少はデフォルメされた雰囲気の中でシリアスな設定も含みつつ進んでいくことになるんだろう。そんな世界を紡ぐ脚本家は岡田麿里さんで、前に樋口総監督との仕事が持ち上がりながらもまとまらず、そこでお別れになるかと思ったらいっしょにやりましょうとなって樋口総監督が暖めていた、ドラゴンがコスプレする話を膨らませることになったらしい。ボンズの南雅彦社長も巻き込み企画を進める中、あまちゃんの絵をネットに上げて話題になっていた青木俊直さんに声をかけ、キャラクターを描いてもらうことになったという。

 コヤマシゲトさんは以前からの知り合いで、誘ってこちらはモンスターのコンセプトデザインを依頼。ほかにメインメカニックではあの河森正治さんが絡んだりと結構な布陣。なおかつアフレコではなくプレスコで作るというからいったいどういった声優さんたちが自由な演技をして、それをどういった作画でキャラクターに乗せていくのかがちょっと楽しみになっている。監督は「キズナイーバー」の小林寛さんで、岡田麿里さんといっしょだったからチームとしての結束は高そう。

 発表会で青木さんは自分の絵はアニメーションになりにくいと話していたけれど、片渕須直監督によるmishmash*Aimee IsobeのMV「これから先、何度あなたと。」では青木さんのキャラが動いていたし、映画「きみの声をとどけたい」も青木さんのキャラだからこその前向きさ、賢明さといったものが感じられた。「ひそねとまそたん」でもきっと、どこか疲れを覚えながらも前向きにがんばろうとする女性の姿が青木さんのキャラの上に描かれることになるのでは。そんな気がする。

 樋口さんがアニメーションに挑む決心をしたのも面白かった。過去に携わってはいても自身が中心にはならなかったのが、「シン・ゴジラ」を終えて実写でやり尽くした感も出てしまい、これ以上やっても縮小再生産になるのではといった感じからやってみたいこと、やらなくてはいけないことを考えてアニメーションを選んだという。青木さんの顔でありコヤマさんの顔であり岡田さんの顔も思い浮かべて手掛けた新境地は、だからこそ面白いものになるに違いないといった予感がある。果たしてどんな作品になるのか。今から楽しみ。本当に楽しみ。

 これが新聞社のニュースサイトに新聞記者が書いて載せる記事なのだろうか。本当にそういう身分なのか分からない人間によるツイートを引っ張って、コンビニチェーンのファミリーマートが売り出した「忖度弁当」なるる商品がまるで売れてないとあげつらい、なおかつNETGEEKだなんて他のそれも素性の今ひとつなサイトから適当極まりない分析を引っ張り、全体にネガティブな印象をかもしだそうとしている。ここでファミリーマートの本部に実際の売上を聞いて添えればまだ裏取りもできていると言えるけれど、記事にはそうした問い合わせの形跡はなし。同じようにネットから情報を拾っても、一応は当事者に聞くJ−CASTにも届いていないのはどうなんだろう。お金が足りないと足で稼ぐことが難しくなったとはいえ、それを止めてしまった情報にお金を払う人がどこまでいるか、って考えるといよいよヤバさも極まってきそう。どうなることやら。


【12月2日】 今日も今日とて東京コミコン2017へと出かけていって「SSSS.GRIDMAN」という新作アニメーションの製作発表を見物。いったい何のアニメ化と言えば1993年に放送されていた「電光超人グリッドマン」という円谷プロダクションが制作した特撮ドラマを原作にしたテレビアニメーションなんだけれど、すでに就職をしてなおかつ東京に出てきて間もない時期でテレビなんて見ている時間もあまりなく、そして録画機器もそろっていなかったからテレビで「電光超人グリッドマン」を見たという記憶がまるでないのだった。それがネットワークにジャックインしてハッカー気味の魔王と戦うサイバーパンク的な設定だったということも。

 だから今聞いて、何て先進的だったんだと思わざるを得ないけれど、そう感じている人は大勢いそうで早過ぎた作品のリベンジといった受け止め方がされている模様。2015年だかに日本アニメ(ーター)見本市の中で1度、「グリッドマン」がアニメーション化されて配信されたことがあて、その時も庵野秀明さんを始め特撮ファンとかを大喜びさせていた。当時見ていた世代だって今や30過ぎから40歳あたりだから決して子供ではないけれど、思い出がアニメーションになるなら見てみようって人も多そうだし、そのスタイリッシュなフォルムと現代性を持ったテーマで初見の若い人も引きつけるかもしれない。監督は日本アニメ(ーター)見本市版を手掛けた雨宮哲さんだから感じもだいたいあんな風になるのかな。確認のために12月末から「龍の歯医者」の上映とともに発売されるブルーレイを見て確認しよう。

 当時の翔直人という主人公の中学生を演じていた小尾昌也さんという人も登場したけど25年近くが経っておっさんになった姿で登場されても当時の姿はまるで浮かばないのだった。グリッドマンの声を以前も今度も務めることになった緑川光さんによれば都内で餃子屋さんを運営しているとのこと。暴露されたと言っていたけどそう聞くとどんな味なのか確かめに行ってみたくなる。ってことは今は俳優はやっていないのかな、顔立ちとか結構良いしアクションだってできそうなんだからこれを機会に復帰して、緑川光さんと共演だなんてこともあったりして。その前に「電光超人グリッドマン」のブルーレイボックス発売を記念したイベントへの登場があるか。当時の面影を知っている人は行って見て感じると良いかも、時の流れというものを。

 東京コミコン2017で「SSSS.GRIDMAN」のイベントの入場を待っている間にステージで行われていた「THE REFLECTION」のステージイベントを遠巻きに見ていたら、長濱博史監督からスタン・リーと続編について製作の話し合いが行われていることが明かされた。気力があればスタン・リー本人が登場して第2期エクセルシオール!と叫んだかもしれないけれど当人は来ず。それでも監督の口から話が出るってことはそれなりに進んでいると考えて良いんだろう。話が第1期の続きになるのかそれともここの登場人物たたちの過去なり事情に迫るものかは不明。このテレビシリーズを「アベンジャーズ」として登場したキャラクターに個別のドラマがあるとも話されていただけに、広がっていく可能性もあるのかな。9nineが演じた「ナイスワンダー」の活躍譚になったりして。ステージではそんな9nineによる「SunSunSunrise」が演じられてスピーディなダンスとトレヴァー・ホーンによる楽曲がかっこよかった。また見たいかも。

 そういえばサッカーのワールドカップ2018ロシア大会に出場するチームの組み分けが行われたみたいで日本はコロンビア、セネガル、ポーランドと戦う模様。ロベルト・レヴァンドフスキ選手を擁するポーランドとかはやっぱり相当に強そうだけれどサッカーといって真っ先に挙がる欧州だったらドイツやフランスやイングランドやスペインポルトガル(イタリアは今回不出場)と当たって砕けた方がサッカーマニア的には楽しいなあとも思えたりもして、そうした国に当たるかもと思ってグループリーグを勝ち抜いて当たった北中米カリブ代表あたりにあっさり負けると、いつかの2010年南アフリカ大会におけるパラグアイ戦でのPK負けみたいなガッカリ感を引きずるだけに悩ましい。もちろんポーランドもコロンビアもセネガルも強豪であって日本よりは上で勝てると考える方が無理だから、まずはそうした国がどれだけ凄いかを学んだ上で勝った時の高揚感を得られるよう、個人として準備をしておこう。

 そして見た「焔の錬金術師」は同期で出世頭だった軍人で錬金術師でもあるロイ・マスタング大佐が友人のマース・ヒューズ中佐の死をきっかけに軍の内部で画策されている謀略を察知しホムンクルスの跳梁にも気付いては第5研究所へと乗り込んでいって現れたホムンクルスを自らの焔の力で焼き尽くし、そして部下のリザ・ホークアイも上司を助けて生まれたばかりの人造人間たちを全滅させて世界を混乱から救う、そのかたわらで過去に拙いことをしでかして兄は右腕と左足を失い弟は肉体を失った兄弟が、あっちこっちに行きながら陰謀の入り口をつっついてホムンクルスなり欲望に溺れた将軍なりを呼び出し暴れさせ、そして焔の錬金術師に仕留めさせる狂言回しを演じる。

 つまりは主人公はロイ・マスタングその人であってエドワード・エルリックもアルフォンス・エルリックもウィンリィ・ロックベルもロイの見せ場を用意し活躍を支える脇役に過ぎないんだけれどもなぜかそんなひとりのエドを主人公にした「鋼の錬金術師」というタイトルになっているという、そんな感じ。まあでも兄弟で助け合いつつ絶対に救ってやるんだという兄の弟への思いが描かれ感動するし、錬金術といっても万能ではなく失ったものを取り戻すには等価が必要といった壁があり、さらにそうした制約を吹き飛ばす賢者の石がとんでもない方法で作られ使うに使えない代物だったと分からせるあたりに、エドとアルの存在も意味を持っているんだろう。とか思った。

 原作でそこまでロイに比べて弱かったかというとそうでもないし、冒険によって真相へと近づきつつ国を支配するとてつもない敵を相手に戦うとう困難を成し遂げたからエドが主人公なのは変わりがない。ただ映画では物語事態が端緒についた感じの中でエドとアルよりすでに軍人のロイが活躍してしまったといったところかな。それを除けば総じてしっかりと「鋼の錬金術師」の要素を追いつつ等価交換であり人体錬成の困難であり賢者の石の恐ろしさといったものを感じさせてくれた映画版「鋼の錬金術師」。キャラクターへのなりきりもあった人がいる一方で物語の中でそう感じさせる演技のうまさ、雰囲気作りの巧みさがあって見ていて違和感めいたものは覚えなかった。

 戦いの見せ場もあったし兄弟の葛藤もあったしタッカーの家で起こった悲劇への憤りもしっかりと感じさせられた。その意味では見て普通に楽しめたし損したとも思えなかった。アルとかをフル3DCGで造形したからなのか、ロケでピーカンの下に演技が進むような感じではなく、どことなく暗めの画面が続く感じがしてやっぱりCGを多用する時は仕方がないのかもと思ったけれど、劇場がそういう輝度だっただけかもしれないんで他で見て全体に暗いか普通かは考えたい。役者ではロイ・マスタングを演じたディーン・フジオカさんが最初はたどたどしかったのがだんだんとそう思えてきたし、蓮佛美沙子さんはセーター姿になった時がこんもりしていて素晴らしかった。どことかは聞かない。夏菜さんによるマリア・ロスもかわいかったなあ。ちょっと原作とは雰囲気違うけど可愛いは正義だからこれで良いのだ。山田涼介さんも本田翼さんも良かった。つまりは良い映画。僕はだから見てこれを認めるし、推したいし続きがあれば絶対に見に行く。たとえ松雪泰子さんの谷間は出なくても。それはひとつの心残りではあるけれど。

 長崎県平戸市の市長が朝日新聞は捏造が多いから読みに値しないと市長室での講読を取りやめたとツイートしたら支持者があつまり1000人もフォローが増えたことを、そのまま拾って記事にしてサイトのトップに掲げる新聞社系のニュースサイトがあって仕事ぶりがどうにもアバンギャルドで足で稼ぐより目で稼ぐ方が効率的なのか、稼ぐための足すらもはや存在しなくなっているのか、いろいろ浮かぶ想像に未来への暗雲も立ちこめる。なおかつそんな平戸市長の行為を前向きにとらえる記事を書いて、メディアの自省のなさをいさめているけどその新聞のおそらくは書き手が過去に何をしてきたかはだいたい知れていて、それでもって仮に講読に値しないとどこかの主張が切った場合、いったい何を言うのかと考えると夜寝られなくなってしまう。

 そうなった場合にいったいどれだけのロジックを駆使して勝手な決めつけと主張し言論の自由に挑戦する行為だと唱えるか。マスコミが謙虚であることは当然であっても、それが確定していない主観に過ぎない認識で報道に難癖をつける振る舞いを、同じマスコミとして言論の自由にたいする挑戦であると非難し、ともに立ち上がっていさめるべきだというのが一般的な認識の中で、そうは向かわず自分たちへの可能性は脇において、目の前の朝日新聞に対する批判を助長できればそれでよしっていうスタンスなんだろうなあ。なるほどそれで一時のアクセスは稼げても、信頼というものはどこへ行ってしまうのか、なんて訪ねたところで聞く頭も耳もないから詮無い話。共に戦えない仲間と見做されたメディアが唯一すがる政権と支持者からも見放された先に何が待つ? 考えるとやっぱり夜寝られなくなってしまうのだった。やれやれ。


【12月1日】 なにかの上映会で見たアニメーション作家の古川タクさんによる新作映像が確か「一茶」という映画のエンディングで、まだクレジットも入ってない映像ではあったけれども近々公開といった話もあって期待していたらいつまで経っても公開されない中、配給と宣伝が降りて制作会社がつぶれてしまって宙に浮いた上にロケ地となった長野県で現地のフィルムコミッションが立て替えた分が支払われないまま、日本における映画のロケ誘致を推進していこうといった空気に冷や水をぶっかけている感じ。

 ハリウッドの大作映画が日本を舞台にしようとしても許可がおりないため、香港だとか中国だとかにロケ地を持っていかれてしまうといった話もあって、それは拙いとロケ地として使ってもらえるよう自治体なんかが運動を始めていたりする。でもそうやって来てくれた映画の撮影チームが無理難題を行って現地を困らせ、それでもどうにか撮ってももらおうとがんばったら弁当代を踏み倒されたらもう2度と映画の誘致なんてするものかといった思いになるだろう。

 「サクラクエスト」ってテレビアニメでも田舎にロケ隊が来て予定になかった家を燃やしたいと行って、せっかく来てくれたの嫌われたくないと無理を聞こうとしていた。ロケ隊の側に行ってやっている、撮ってやっているんだといった態度があからさまになればなるほど、現地の痛みもどんどんと増していく。こうやって現実に被害が出てしまうとなおのことロケ地の全国化なんていったことが難しくなる。一方で映画会社の方にも事情があって、予定していた謎の日本機構だなんて法人からの入金がなくなって、映画が作れなくなってしまった。その日本機構ってのが謎だらけで、元衆議院議員という人が関わっているようだけれど、その人は代表ではなく別にいるとスポーツ新聞に話してた。

 ところがTカ月くらいたってその黒幕めいた言われ方をした人は無関係だって訂正記事が出ていた。だったら元衆議院議員という人はいったい誰の依頼を受けて映画会社に仲介したのか。名前を挙げた人は本当に実在しているのか。ってあたりから雲行きが怪しくなってくる。制作会社に使途の不明があったとかいった話も出ているけれど、倒産するくらいに資金繰りが悪化していたなら裏金だとかロンダリングだなんて犯罪に絡んでいた可能性は薄そう。だいたいがあれだけの面子を集めて映画を撮って完成近くまでこぎ着けたんだから、取り込み詐欺的な振る舞いはしてないと言えるだろう。

 だったら本当の黒幕は誰なのか、ってあたりがまるで見えないのが気にかかる。監督も亡くなって編集もできないとなったフィルムを完成に持っていくだけでも大変なのに、公開のめども立ってないのでは編集だとかアフレコといったポストプロダクション産業をやろうとう気も起きないだろう。ってことはやっぱりお蔵入り? それないの役者が出ていて見られないというのも残念だし、古川タクさんの新作アニメーションをスクリーンで見られないのも残念。ここはもともと配給を企図していたKADOKAWAが、権利も整理をした上で自分のところに収入が落ちるような契約を結び直して、自分のところの出資した映画という形で上映へと向かっていけるのか。ちょっと考えたい。

 相対性理論の「ミス・パラレルワールド」に植草航さんがアニメーションをつけて「やさしいマーチ」として発表し、そしてカラスは真っ白の「fake!fake!」に植草航さんがアニメーションのPVをつけて話題になった時のことをちょっと思い出した、WabokuさんによるEveってアーティストのMV「お気に召すまま」。クールでかっこよくって切り替えのセンスとモチーフの選び方が抜群に良い。Wabokuさんは東京工芸大のアニメーション専攻から確か出た人。良い世界観と動きのセンスを持った人だった。「EMIGRE」とか退廃した世界を懸命に生きる少女が理不尽にもまれつつ屹立する姿にジンときた。このMVが評判になれば売れっ子アニメーション作家になっていくかなあ。ちょっと期待。

 午前7時過ぎには家を出て総武線で幕張本郷まで行ってそこからバスで幕張メッセまでたどり着いたらだいたい午前の8時くらい。世界的に話題のイベント、東京コミコン2017の取材なんだからもっといっぱいプレスがいても良いかなあと思ったものの見渡しても数人しかおらず本当にここで良いのかと心配しながら受付で舞っていたらだんだんと増えて来てそれなりの人数になった。やっぱりみんな見たいんだスタン・リーを。ってどうも違って目当ては竹内涼真さんが多かった感じ、話題の俳優だし、そういうものだよなあ、日本のメディアって。でも僕はやっぱり目の前で「エクセルシオール!」が聞きたいと、早くから並んで最前列の席を確保して待つこと3時間、ってその間は東京コミコン2017のプレスプレビューを観察し、円谷プロダクションのステージの入場整理券も確保していかたら時間を持てあますことはなかった。無駄にすることもなかった。その意味では1年で運営も手慣れたって言えるかな。

 さて東京コミコン2017のオープニングステージではアメコミ界の生きる伝説、スタン・リーさんが目の前で「エクセルシオール!」と言ってくれたしアップルをスティーブ・ジョブズとともに設立したスティーブ・ウォズニアックが喋るのを聴けたしとなかなかの充実ぶり。その中身もスタン・リーは挨拶くらいだけだったけどウォズの方はクリエイティブな人が周囲にいるとインスピレーションがわくよ、そして東京コミコンにはスーパーヒーローというアイデアをいぱい生み出してくれるクリエイターたちがいっぱいいるからインスピレーションががんがんわくよといった感じのことを言って、そこに来ることの大切さを説いていた。なるほどだから今年も来てくれたんだなあ、マックワールドのような展示会には来ないくせに。そこがウォズって感じ。

 そんな東京コミコン2017は映画のプロップだとか衣装がガンガン並んで映画好きにはたまらない感じだし、スター・ウォーズ関連なんて映画の公開が近いからかいっぱい品物が並んでどれもこれもと目移り。ファーストオーダーのストームトルーパーが2足歩行するロボットなんてのもあって日本では初お披露目だそうで、とことことと歩いてはさっと銃を構える姿がかわいかった。あとBB−8とかBB−9E、そしてR2−D2といったドロイドをスマートフォンで操作できる玩具なんかもあってこれなんてこたつの上で3つのドロイドを転がしたら楽しいだろうなあと思ったけれど我が家にこたつはないのだった。それどころか平地がない。ロボットなんてどこにもおけない。ちょっと悲しい。

 ジャスティス・リーグとかいたりターミネーターとかいたりエイリアン・クイーンとかいたりと賑やかなフロアに前に見たことのあるマシンがあって色こそ変わっていたけれどエクスマキナが作っていた大河原邦男さんデザインによる変形するクルマだった。代表の人とかいたんで久々ですと挨拶をしてそして動くところを見せてもらって、前よりスムースに立ち上がったり戻ったりしているなあと関心。ナンバーもとれるくらいになってあとは公道も走るのを待つばかりと言ったところだけれど、公道上で変形をさせてそのまま走れるかどうかはちょっと聞いてなかったのだった。同じ東京ロボットというブランドで1人乗りのカートも出しててご老人が乗って動かしているものよりも操作が簡単で何よりデザインがクールで1台、足代わりに欲しくなった。広い幕張メッセだってすいすい行けそう。外を走れれば幕張の街区とか移動が楽になるんだよなあ。免許もいらず歩道も走れるそうなので、そのうちワシャワシャと動き回ってる姿を見られるようになるかも。あとは値段か。10万円切って来たら欲しいなあ。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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