Last Updated 2017/6/23
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【6月23日】 Rotten Tomatoesって映画のレビューを集めたサイトがあって良い映画だとフレッシュの称号が与えられ、酷いとロッテンすなわちトマトのへたがぶつけられて沈められる。そんな良いと悪いの割合でトータルとしてのフレッシュかロッテンかが決められるんだけれど、夏にもアメリカで公開される見通しの「この世界の片隅に」については日本での上映があってしばらくは東京国際映画祭なんかで見た人のレビューが載っていた程度で、トータルでも6つのレビューしか紹介されていなかった。それらのすべてがフレッシュ評価でトータルでは100%フレッシュ。天然果汁絞りたてみたいな評価にさていったい公開が近づいたらどうなるんだろうかといった関心も浮かんでいた。

 何しろ日本における戦争を扱った映画で呉への空襲があり広島への原爆投下があってそれによって日本は被害を受けたわけだけれど、アメリカにとってそれは真珠湾から続いていた戦争のお返しであって決して加害といった意識が先には来ない。そんな地でいったい戦争責任をおおっぴらには訴えていないこの映画がどういった評価を受けるのかは、片渕須直監督もずっと気にしていたところで、公開に先駆けて渡米して説明する必要があるかもしれないって確かインタビューで話していた。その実現のために行われたクラウドファンディングは結構な額が集まったんで、片渕監督にはぜひに渡米して戦時下の日常について話し、それは普遍のことなんだを分からせてもらいたい。

 とはいえ公開も迫って英語圏ではイギリスでの公開が迫っている。そういうこともあっていよいよ有力紙にもレビューが載り始めたみたいで、Rotten Tomatoesのレビューも1つふえ2つふえといった感じになってきている。その1つが世界最古の日刊紙として名高いイギリスのザ・タイムズ掲載のレビューで、評価は星4つととてつもなく高い。内容についてはサイトからでは冒頭しか読めないから、どう分析されているかは分からないんだけれど、評価からするなら結構良いことが書かれているんだろう。そしてこちらは金融経済紙の優とも言えるフィナンシャルタイムズにやっぱりレビューが掲載。これもまた星4つと高評価。日本の戦時下では8月6日とかに恐怖が一気に高まるようで、淡々と描かれていた日常がくるりと変わる映画って感じの紹介なのかも。英語分からないんで詳細は不明。

 アメリカのハリウッドリポーター誌にも「この世界の片隅に」のレビューが掲載されていた。これも高評価だと思うけれど星については不明。戦争のど派手な描写とかポートレート的なビジョンとかを求めている人には物足りなく映るかもしれないけれど、でもすずさんとか若い女性たちの日々を描いたこの映画は、戦争の事実だとか数字だとかを示すよりも、欠けているものをずっとよく示しているんだよとかいったことが書かれているっぽい。そういう感覚は誰しもがこの映画から抱いたものだから、なるほどしっかり伝わっていると言えそう。

 あとザ・カンバセーションというサイトに掲載された記事は映画のレビューというよりは、こういった種類の映画が作られるまでの資金調達面の困難さであり、2Dによるアニメーションという技法を採用したことへの言及であり、SNSを使っての口コミの宣伝でありといった、「この世界の片隅に」というちょっと変わったポジションにある映画がどうやって作られ、どうやって世に広められていったかって話が紹介されている。日本ではヒットしていく過程の中で語られたことだけれど、アメリカなんかでも得たかを紹介した記事っぽい。改めて説明されることによってその特別さってのを分かってもらえそう。こうしたレビューがあって前説もあればアメリカでもイギリスでも、技法への興味と内容への関心から大勢が見て評価してくれるかな。そうありたいと思いたい。アカデミー賞への道、いよいよ。

 これはもう漫画より酷い捨て身のギャグであり、その身を所属企業もろとも吹っ飛ばそうとする自爆テロなんじゃなかろーか。そもそもが2度にわたって国会議員を相手に根も葉もない噂話を真実かのごとく書いては名誉毀損で訴えられ、そのいずれもに敗れている人間が、とある媒体でもってフェイクニュースを批判するような言説を堂々と語ってしまっている。そこに恥といった日本人の美徳とされる情緒はないのか。ないんだろうなあ、あったら裁判で敗れた瞬間に筆を折っているはずだから。でもそうするどころか同じ事を繰り返し、なおかつそんな人間に未だ筆を与えている。21世紀最大の不思議とも言えるかも。

 そんな人物が書いたフェイクニュースを批判するコラムの冒頭で、森友学園の籠池さんが手にしていた札束が上と下だけ本物で中はただの紙だった話を、テレビで見たかネットで読んだかして、そうした行為なりそれを行う人間をフェイク扱いして掲げつつ、森友学園なり加計学園問題をフェイクニュースと断じていたりする。けれども、籠池さんは自分で分かってその場ではそれを出しただけであって、札束自体はちゃんと持っていたらしいと既に検証されていて、ネットにもそうした話が出回っていた。

 籠池さんがフェイクやっていたという話は打ち消されてしまっていて、つまりはフェイクでなかった話なんだけれど、それがフェイクだと言われていたのを信じてフェイクだと断じたことが、実はフェイクだったというフェイクに躍らされる典型を、自身がやってしまっていた。これは恥ずかしいといったレベルを通り越した惨めでみっともないレベル。穴があったら頭から埋まりたい気分になるのが普通だけれど、そんな気などさらさら浮かべず明日も似たような話を繰り返すんだろうなあ。やれやれだ。

 ガイナックスから独立してカラーを設立した庵野秀明監督が、古巣のガイナックスが自分の版権で稼いだ金を払ってくれるはずだったのが払ってくれなくて訴えた話に判決が出て、いくらかを回収する権利を得たって感じだけれど無い袖は振れないガイナックスは何かを担保として差し出すことになるのかな、それとも祓ってもらう気は案外になくて損金として処理して財務体質を改善してもらってそこで新しい作品を作ってもらおうとしているのかな。ああいいった世界は裏も表も複雑なんで事情は不明。ただここでいよいよ「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の続編と言われて久しい「蒼きウル」の映画制作がスタートしていることがガイナックスによって明かされて、長く待たされ続けているファンにとっては朗報以上の大僥倖。ただし実現すればであってその辺り、尻に火が着いて本気で動き出すのかどうなのか。注目したい。アニメスタイルが開く山賀博之監督のイベントに行けば聞けるかも知れないけれど、チケット取れそうにないんだよなあ。報告を待とう。

 アヌシー国際アニメーション映画祭で長編アニメーション部門の最高賞を獲得した湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」が今も上映されている池袋のヒューマックスシネマズで、湯浅監督の舞台挨拶があるってんで見物に行くとテレビ局が取材に来ていた。とってもありがたい話ではあるんだけれど、だったら賞を獲る前にもいっぱいいっぱい紹介してくれよと思わないでもない。スタートダッシュに躓いて上映館はぐっと減ってこれで賞がなかったら、今週末からの復活上映もなくほとんど見られない映画になっていた可能性があった訳だから。そうした映画が賞をとったことで大勢に見られるようになって湯浅監督もスタッフも喜んでいるんだろうなあ、賞を獲ることについては自身があったみたいだけれど、呼ばれてそれが1位か2位か何位か知らなかったというから不思議な人。衒いって奴? そんな舞台挨拶にはサプライズで、ルーの声を演じた谷花音ちゃんとカイ役の下田翔太くんが花束持って登場。谷花音ちゃんはルーみたいに可愛かった。ここから再スタートとなってどこまで行けるか。フジテレビはだからもっと宣伝したまえよ。


【6月22日】 なんかいきなりキャトルミューティレーションって言葉がツイッターのトレンド入りしてい、いいたい何事が起こったんだと騒ぐ人が大勢登場。元はどーやら大間九郎さんって作家で漫画原作者の人が打ち合わせで、編集さんからキャトルミューティレーションを出すのはやめてと言われ、だってそれは一般教養じゃないかと言ったら怒られたといった話をツイートに書いたこと。受けていやいや一般教養だろうといった声が出たり、それってUFOに牛が引っ張、り込まれることだったっけといった声が出たりして、違うそれはアブダクションであってキャトルミューティレーションは牛とか動物から内蔵とか血液とかが抜かれることだといった話も出て来て、そんな違いを書いたイラストなんかも流れ始めた。

 ここまでの騒ぎになればもうキャトルミューティレーションも世間一般に知れ渡っただろー。でもネットの一部で盛り上がっていたって世間は知らないことの方が多いと考えると、牛の干からびた死体が発見されたNHKのニュースで「キャトルミューティレーションだとみられます」とアナウンサーは言わないだろーなー。ライトノベルくらいなら大丈夫な気がするんだけれど、そんな事件が出てきた松屋大好さんの「宇宙人の村へようこそ 四之宮農業高校探偵部は見た!」(電撃文庫)を読み返したらキャトルミューティレーションに近い事件が起こっても、キャトルミューティレーションとゆー言葉は使われていなかった。そっち方面ではやっぱり未だ禁句なのかも。でも講談社文庫では青柳碧人さんの「浜村渚の計算ノート」シリーズには登場したらしい。それがラノベと一般文庫との差って奴か。いやいやそれは。

 昨日見た第25回3D&バーチャル リアリティー展では、何かルームランナーとかストッパーとかエアロバイクにVRを組み込んだものが出展されていて、せっかくだからとステッパーを試してみたら足踏みをすることによって森の中をどこまでも歩いて行けた。ルームランナーとエアロバイクはそのマシンでは既定の路線を進んでいくだけだったけれど、ステッパーについてはハンドルを倒すとそっちの方に進んでいく感じ。そうやってゴールまでたどり着ければクリアってことでゲーム的な楽しさもある。普通にステッパーを踏んでいるだけではダレてしまうところを、風景を加えクリア要素を乗せることで挑む気持ちを引っ張り出す。そんな効果があるのかも。

 そういえばコナミが当時はまだピープルだった今のコナミスポーツを買収してグループにした頃、コナミのゲーム技術とピープルが作っていたフィットネス機器の技術を組み合わせて、ゲーム性を持ったマシンなんかが出てくるって期待も浮かんでいたし、実際に幾つか作られたみたいだけれどその後、製品として世に広まったって感じでは無かった。走るとかいったストイックな行動に、ゲーム的な架空のビジョンは必要ないって思った人が多かったのかもしれない。ただVRみたいに完全に、違う世界に没入できる技術は現実へ出るのに壁を持ったハンディキャッパーにとって知らない世界に足を踏み入れるきかっけになる。そうした人たちに向けたフィットネスなりリハビリのVRなんかが今後、登場してくる可能性はあるのかも。見守っていきたい。

 VR見物が今日も続く。船橋からだと1本で行ける押上駅の真上にして、そびえ立つ東京スカイツリーの下に位置する東京ソラマチに、コニカミノルタプラネタリウムが新しいVRアトラクションを設置するってんで見物に行く。やっぱり少ない台数を何時間待ちかで回すようなものかと思ったら、何と車イス席も含めた26席に座ったプレイヤーが同時に同じコンテンツを楽しむといったもので、30分で結構な人数を回せるところにアトラクション施設としての優秀さをちょっと感じた。そこはやっぱり多人数を相手に星空を見せるプラネタリウムを上映してきたコニカミノルタプラネタリウム。そうした運営のノウハウと映像資産に新しいVRという技術を乗せて、新しい層を確保していこーとしているんだろー。老舗光学機器メーカーも進化しているななあ。

 さてそんなVirtuaLinkといった名称のシステムは、卵の一部をカットしたような形のポッドに座って、そこでプレイステーションVRを装着して楽しむもの。横に座った誰かがペアとなって宇宙空間へと飛び出して、視線によってチャージしたエネルギーボールみたいなのをガイド役のキャラクターに投げさせ星座を作り地球を組み立てる。ただ星空を見せるだけでなくってそ、こにPSVRならではのゲーム要素も乗せてあってプラネタリウムとの差別化は出来ていそう。あとVRってものが何なのかを体感してもらう施設としても有効で、ソニー・インタラクティブエンタテインメントがPSVRを提供したのも、業務用への普及とそして施設を通じてのプロモーションによって一般層にも手を伸ばしてもらうといった狙いがあったのかも。コーエーテクモウェーブのVRセンスへの提供もそんな感じだったっけ。こうした施設への展開を経てPSVRも日本で普及が進むか。それにはやっぱりちゃんと買えるようにしてくれないと。そこが肝心、何にも増して。

 ノーエビデンス、ノーファクト、ノージャーナリズム、イエスフェイク。ここまで酷いと憐れみすら覚える。とあるメディアで最近再開された、北海道が中国に侵略されているぜって企画で以前に載せた記事を振り返っているんだけれど、その時も上っ面だけ撫でて印象だけを並べて危ない危ないと騒いではいても、具合的な侵略の事例がひとつも挙げられていなかった。それらを1年経って振り返るんだから、もうちょっと深掘りしてあるのかと思いきや、まったく調べた形跡がなく印象だけを繰り返して並べた感じで、前より酷さが増していた。

 トマムリゾートに関しては、中国資本になったというのは確かにそうで、発表だってされている。でもだからといって、どうして「『中国資本が買うという話は聞いていたが、これほど進んでいるとは思わなかった』とした上で、『中国資本がこれほど大規模に動いているとなると、1万人規模の大規模なチャイナタウンができる可能性がある』と驚きを隠さない』ということになるのかが分からない。アメリカ資本のリゾートができたからといってアメリカ村にはならないし、日本人が海外で買収したリゾート案件が日本人村にならないように、リゾート地の資本が中国だからといっチャイナタウンになるとは限らない。そういうものだ。

 そもそもが日本のリゾート地にチャイナタウンができたからといっていったい何が問題なのか。そうした問題の具体例なりを、煽るだけじゃなく理性と知性をもって語って警告するわけでまく、ただ中国人が来るといった言葉を並べて中国人嫌いな人たちの歓心を買おうとする、単なるヘイトな記事になっている。これは公器としてまともじゃない。そしてスイス牧場に関するパート。怪しげな中国人が経営しているじゃないかって記事を書いて、すぐさまそこは日本人がが経営していて、なおかつ問題を躍起になって告発している元道議の父親と知り合いらしいという話を投げかけられながらもそれには答えず、指摘されたように登記簿を取って調べもしないで、現地まで行って中に入れませんでしたといった話を並べているだけ。子供の使いよりも酷い。

 それで取材と言えるのか。それで検証と言えるのか。まったくもって不思議としか言いようがない。別の雑草雑木が繁っていた土地について、雑草が刈られたけれども特に何かが進んでいる訳ではないといった話に関して、「こんな証言も耳にした。「『卵形の旧式のヘリが低空飛行で行ったり来たりしている。普通はヘリの下に会社名などを書いているが何も書いていない』『スーツ姿の中国人のような若い男女が何人か2台の車に乗り、豊糠方面に来た』」と書いている。誰かが言っていたという噂の、それも中国人のようなって確定はしていない情報を材料に、中国人が買い占め転売しようとしているだなんてストーリーを仕立てるとかもうジャーナリズムからはほど遠い。これはダメだと思わないのか。思わないんだろうなあ、中国人が北海道を買っているというストーリーを作って、そうしたことを嫌がる人たちの情動を誘って、自分たちの周囲を盛り上げられればとりあえず勝ちって考えみたいだし。そんなのばかり。やれやれだ。


【6月21日】 柊ばかりになっていた名取周一の式がちゃんと前からの笹後と瓜姫も出るようになってトリオ漫才みたいなところを見せてくれるのが嬉しい。もちろん笹後と瓜姫と名取という。柊は後から加わったこともあて立ち位置がちょっと微妙というか、生きたまま解放されるきっかけをつくった夏目貴志にも少し心を許しているようで、生真面目な夏目の側からちょっと惚れっぽくて怖いところもある名取への醒めた視線を見せる時がある感じ。だから夏目が何か隠しているから探って来いと名取が行かせたのも柊ではなく確か瓜姫だったっけ。

 そんな関係性が見られて嬉しかった「夏目友人帳・陸」。豪邸に暮らしていた祓い屋の老人が残した部屋を探して残された書籍なり情報なりを持ち帰ろうとして大勢の祓い屋たちが集まって来たけどそこで専門化でもない夏目が真摯な心と持っていた能力とが混じり合ったから面の入り口にたどり着いてしまう。でも開けられなかったところを裏の入り口から的場一門が入ろうとして阻まれ奪われるくらいならとその部屋の遺産だけが燃やされてしまう。ああ勿体ない。

 でも直前に表を守っていた龍に気に入られたか夏目には焼け残った紙が残されそれがまあまあの呪符だった模様。集めて大喜びの名取に笹後に瓜姫に柊だったけれど、そんな展開の途中で夏目が遂に名取に友人帳のことを言ってしまった。表ではニコニコとして理解をしめしていたけれど、内心ではそんな危険なものならなぜ燃やしてしまわないといった具合に夏目の心名取知らずのところを見せて考え方の違いを鮮明にしていた。そんなすれ違いがいずれ対立へと向かうこともあるのか。その時に柊はどちらに着くのか。ちょとt気になった。あとレイコではない夏目に顔のよく似た男性を門番の龍が見かけていたといった話。いったい誰だ。夏目の父でもレイコの夫でもないならそれは誰なのか。明らかにされる時を待とう。原作ではどうなってるんだろう。

 雨の降る中を渡橋ビッグサイトまで出向いていって3D&バーチャルリアリティー展を見る。といっても産業用との3DモデリングツールやVRシステムの展示会でゲームそのものってのはなし。それでも仮想空間を体験させるツールなだけにゲームにも使えそうなアイデアってのが幾つかみうけられた。たとえば積木製作ってところが出していた高所作業トレーニング用のVRは、両足にトラッカーを取り付けてVRヘッドマウントディスプレイを装着すると居場所が15階建てというからだいたい45メートルから50メートルくらいのビルの屋上になって、そこで窓枠みたいなものを受け取って外壁越しに下にいる誰かに渡す作業をする。ところがちょっと頭を乗り出すと身は真っ逆さま。50メートルの高さから転落する恐怖を味わうことになる。

 めちゃ怖いって訳ではないけれど、やぱり高い場所から落ちるというのは知っていると心がすくむ。そういう恐怖を体感させておくことで、自分が実際に高い場所に行った時にどんな注意をはらうべきかを心身に覚え込めるといった寸法。慣れて何度落ちても死なない自分に安心なんってことにはならないと思うけど、そのあたりどうなんだろう。聞くと実際に高い場所で作業経験のある職人さんほど足がすくむという。そして子供の方が平気で自分から飛び降りたりするという。現実の転落とそれに伴う死を知っているからプロは怖がるんだろうし、落ちて死ぬといった認識の乏しい子供は平気で走り回る。克服よりも注意の喚起を目指すVRって言えそう。仮想空間はそこに溺れるためだけではなく、そこから身を引くための鍛錬にも使えるってことで。

 ARを出しているところもあってマイクロソフトのHololensを並べて何かを見せていたりしたけれど、どうやってその場所にそのデータを見せていたのかってあたりでいろいろ苦労があったみたい。マーカーとか置けないし位置情報は取りづらいし形状認識ではデータが思い。値段も高いんで今ひとつ使い勝手が思いつかないんだよなあ。画期的コンテンツって出てこないんだろうか。そんなARとは違ってシェルパってところが出していたdream ARという次世代AR技術は何とマーカー入らず。Googleが開発したAR技術のTangoを活用していて、センサーデバイスによって空間を認識し、そこに相応しい物体やキャラクターなどを出現させるという。


 これが狂っているんじゃなかったら、世間の方が狂っているってことになるかもしれないなあ。公明党の公式ツイッターアカウントが共産党を論って3Kだと誹謗し実績を横取りしただの公安調査庁にマークされているだの北朝鮮に甘いだのと罵倒している。それらのすべてが虚偽という訳ではないけれど過分な言説でもあって、並立させているオウム真理教の残党のような徹底マークとは違うし公党としての認識も持ちつつ過去の経緯も含めた見守り方になっている。北朝鮮にリアルな危険がないというのはそのとおりで、実験をしようとそれを使える状況のないことは北朝鮮だって知っているだろう。手持ちのカードがあるということが外交なりの駆け引きに繋がるからやっているだけで、それを戦争的なリアルな危険と言う方が間違い。そうした解釈をせずに共産党だからと批判する。

 なるほど過去から今にいたるまで、理念の思想と理想の教義との対立から共産党と公明党というより創価学会が対立をしていることは確かだけれど、ともに公党となって国会に議席を持っている政党ならば誹謗中傷による印象操作ではなく政策なりビジョンといた言論でもって堂々、戦うのが筋ってものだろう。でもそうすると今の公明党はただでさえ筋の悪い自民党にくっついてどんどんとダメージを見に残している状況で、堂々とした論陣なんて張れはしない。だから誹謗中傷に逃げて公明新聞なんかで内輪を鼓舞して溜飲を下げている。そうした内輪の引き締めとして乗せるなら下品だけれどまった許せるけれど、公式ツイッターという一種のメディアで公然と公知させてしまってはやっぱり拙い。

 それは国会でぶちまけることに劣らず等しいくらいの無茶だとも言えるけれど、そうした指摘を受けながらもいやいや普段からこんな感じに罵倒して誹謗して中傷してまですよと言えてしまう担当者は、ネットの位置付けを安易に考えているか、思考がとっちにどっぷりと閉まっているかだろう。真っ当な大人ならこれはヤバいと引っ込めるのに長く引っ込めなかったあたりにも、党としてその思考が危険水域に足を突っ込んでいることが伺える。きっとすがっている政権与党の自分たちさえ良ければ他は罵倒しても構わないといったマインドに染まりつつあるんだろー。そしていずれ離れた時に思想はボロボロとなって支持も得られず衰えていく。それともそうした衰退を狙っての自民党からの持ちかけか? 逆に自分たちがポン酢をやることで連立した与党として思考が横暴になっていることを顕在化させているだけってことも……それはないかなあ、真剣に真面目に安倍ちゃんは偉く共産党はカスだと言う言葉の汚い大人たち。見てこどもたちは本当に信教できるのか。未来は暗い、とてつもなく。

 それでもまだやっぱり羽生善治三冠がデビューしてしばらく圧倒的な強さを見せていた時ほどの煌めきを、藤井聡太四段からは感じられないのは過去の栄光にすがりたい年寄りの戯言なのかもしれないけれど、デビューして続く強さがある程度は序列化された棋戦で修羅が住む三段リーグを抜け出たばかりの新鋭が勝ち進むのは割とあることで、それに将来の羽生善治三冠級かもしれない頭脳が乗れば神谷広志八段が達成した将棋の公式戦での28連勝くらい達成して不思議はないって思えなくもない。

 問題はだからここから竜王戦なら決勝トーナメントに入っての対戦なり、棋戦での予選が進んで上位陣と当たったときにそれまでどおりの強さが発揮できるかで、そこれ連敗を喰らうとすっと神通力も抜け、普通の強さに戻るかもしれない。そこから羽生三冠くらいの天才ならではの普通か、6段まで上がれれば上等の棋士の普通かは藤井聡太四段次第。その手筋が悪手でも裏に何かあると読ませ間違いをした羽生三冠の無類の強さに匹敵するオーラを、あるいは名人経験者を連破しタイトルホルダーを粉砕する強さを見せてくれたようやく本物だと認めたい。次は誰でどうなる? フィーバーは続く。


【6月20日】 自画自賛で自意識過剰な言い訳まみれの会見をして、質問もほとんど受け付けないまま切り上げてこれで万全とは思わなかったか安倍晋三総理大臣の国会閉会を受けた記者会見の直後に大阪の森友学園に大阪地検の捜索が入った様子。それで世間のニュースを埋めてしまおうって考えたのかもしれないけれど、まだ足りないと思ったのか秋篠宮家の眞子内親王と小室さんとの婚約発表が正式に決まったといったニュースも載せたらこれで翌朝のワイドショーは埋まってしまった感じ。総理の会見なんて欠片も取り上げられず森友学園ですらベタ的扱い。これを取り上げると安倍ちゃんへの怨み節が噴出して印象が悪くなるとでも“忖度”したのかな。こうして世間は情報から引き離されて忘れていく。誰もがネットをやっている訳じゃないから。1カ月後の支持率がアップしているようならこの国もいよいよ底割れしたって思うのが良いのかもしれないなあ。

 「月刊サンデーGX」で「BLACK LAGOON」を呼んだけれども話はあんまり進まず。レヴィとインターネットカフェで撃ち合っていた相手はレヴィともども警察に捕まり留置所へ。そしてロックはデコメガネことフォン・イッファイと逃げだしとりあえずハードディスクドライブからデータを移して再現しようとしているけれど、そこに敵が来るのか否か。ガード役のレヴィもいないのにいったい誰が守るんだ、ってところで期待されそうなシェンホア&ソーヤー&ロットン・ザ・ウィザード。前の2人は戦闘力だけなら高そうで、残る1人は存在そのものが異次元だから陰惨な場面が向こうから避けて貴重なデコメガネを守ってくれると信じたい。「Re:CREATORS」のおまけ漫画もなかなか。覚えてあげてよアリステリアの名前くらい。

  虻蜂取らずで二兎を追う者は一兎をも得ずで一も取らず二も取らずで花も折らず実も取らずで欲張って糞垂れるでBetween two stool the tail goes to groundとはこういうことを言うのだと、これから作られる辞書だとか百科事典だとかことわざ事典に刻まれることになりんじゃなかろーか、小池百合子東京都知事の名前とともに。寸前でもってひっくり返した築地市場の豊洲移転だけれども根拠に乏しい上に汚染がどうこう行っていたら築地だって似たようなものだろうといった声も上がって身動きがとれなくなっていた。

 これで来たる東京都議会議員選挙は戦えないと、豊洲への移転を決断してリーダーシップを見せようとしたものの築地も残して将来使うかもって余韻を残して移転反対派の顔も伺う。そんな中抜けした築地ブランドなんて意味ないのに、これじゃあ豊洲ブランドだって育たない。それとも顔だけ向けておいて豊洲で固定化する気満々なのか。それが出来る胆力があるなら移転延期なんてしてないよなあ。やっぱりだから虻蜂取らずのええ格好しい。政党はそれで渡り歩けてもリーダーとしては問題ありってことで。

 相変わらずの単なるヘイトで根拠にも乏しいデマゴーグなんだけれど、そんなものが公器たるべきメディアの1面トップ記事として載ってしまうところに、もうコンプライアンスだのガバナンスだの理性だの良識だのといった言葉でどうこうできる状況に、その新聞がないってことが伺える。駒澤大学グループで北海道の苫小牧市にある大学が、おそらくは経営上の問題もあって京都に拠点を置いて語学をメインとした専門学校とか大学とかを運営しいる学校法人に売却されるという話。そのこと自体については、宗教関係を追いかけているジャーナリストや業界紙なんかが、駒大の総本山的な曹洞宗が寝耳に水だと起こって開校に協力してくれた人たちもいるのに、勝手に売るとは何事だといった指摘をして白紙撤回を求めている。

 どうしてそういった段取りを踏まなかったのかは不明だけれど、宗門と寺院との対立だとか宗教には良くある話で、これも駒大というひとつの勢力が勝手に振る舞うことを、親分の気分でいる宗門の側が快く思わなかった内輪もめであり勢力争いみたいなもの。そこで異論を差し挟んで主導権を得ようとしているといった感じなのかもしれない。だからといって、それで経営危機に陥っている大学が立ち直るという訳でもないので、いずれどこかに売るといったことについては宗門も文句は言えないだろう。地方におけるこうした大学の経営難といった問題は幾つも起こっている訳で、どうすれば良いかとなった時に、まだ余力があって意慾もある学校が経営に乗り出してきた。それが京都育英館だったということでしかない。

 けれども、公器たるべきメディアの1面に堂々掲載された記事は、地域における学校の経営難といった喫緊の問題にはまるで触れようとせず、手を上げた学校法人が中国の手先なんじゃないかといった話をぶち上げ「北海道が中国に侵略される!」みたいな論調を繰り出している。そもそも、中国系の留学生が多いからっていったい何の問題があるのか。大学の方も中国人ばかりにすることはないと話していたりする訳で、問題提起そのものが机上の空論であり杞憂に過ぎないにもかかわらず、妄想をふくらませるかのように学校は中国人ばかりになると言って脅しにかかる。

 「苫駒大の元職員は『苫駒大は以前、中国人留学生を大量に受け入れたことがある。その際、いろいろな問題が起きた。中国人留学生が増えると、苫小牧がどういうことになるか』と表情は暗い」とまで書いているけれど、そこで具体的にどんな問題があったかは指摘されない。エビデンスを積み上げるコメントだけで空気を醸成するのは印象操作も甚だしいけれど、そうしたエビデンスなりファクトを持ってこないのはここん家のお家芸だからどうしようもない。というか、買収した京都育英学館という学校法人は、中国の資本とはまるで関係無い。

 創設者の松尾秀孝さんが教師を辞めて立ちあげたピアノ調律師のための専門学校がルーツで、技能を学ぼうと中国からの留学生も受け入れていたことから縁ができ、日本で中国からの留学生が上の大学にすんなりと合格できるよう日本語を教えるために立ちあげたのが関西語言学院という語学学校で、ここが優秀な学生を多く輩出していると評判になって、今では大学の方からうちに入学してくれとスカウトが来るほどだという。入るにはお金もそれなりに必要だから日本に入国するためだけの方便には使えない。ブローカーを使って入学生を集めることもしていないこの学校が、多くの優秀な、そして日本にシンパシーを持つ中国人留学生を育成して輩出していることには目もくれず、得体の知れない中国の人たちを大挙して日本に送り込もうとしているんだと言った印象を醸し出そうとしている。

 「調査した結果、1人は中国共産党員だった。東北育才外国語学校の終身校監で、東北育才学校の顧問をしている。過去に全国先進的従事者(全国模範労働者)として表彰されるなど有力な人物だと分かった」って誰かの証言を引っ張り出しては、中国共産党の指導下にあるかのような雰囲気を見出しも含めて醸し出しているけれど、中国共産党員であるっていうのはいわゆるエリートの資格みたいなもので、それですぐさまスパイであるとか工作員であるといった話にはならない。表彰されているなら人間としても素晴らしいことであるにも関わらず、大嫌いな憎むべき中国に表彰されたエリート共産党員なら悪辣かつ狡知に長けているといった認識を無理矢理に抱かせようとしている。

 もう無茶苦茶としか言いようがないんだけれど、そうした立脚点に立ち返って問題の無問題性を言うなんてことをしたら、問題を問題化して食べている記者とその雇い主には居場所がなくなる。だから火の内ところに煙を立てて燃やして焼け野原にしようとする。やれやれだ。本当にやれやれだ。とかボヤいていたらもうひとつ。その人数やら定義やらの是非はともかく、韓国の新大統領が原発を取りやめると話した中に、日本で起こった福島第一原発の事故で1367人が犠牲になったといったコメントが出てきて、日本の復興庁が反発していてそして数字の根拠はどうやら東京新聞が書いた記事にあるらしいといったストーリーが作られている。

 もっとも、東京新聞はあくまでも原発事故関連死として報じているんであって、それが韓国の大統領に引用されたからといっていったい何の責任があるのか? 根拠を聞くなら東京新聞外報部じゃなく引用した韓国大統領府だろうに、それはしないで東京新聞が韓国大統領による言いがかりめいた言説に“貢献”しているといったニュアンスを醸し出し、共に反日的な存在だって印象を与えようとしている。そう書いているメディアだって原発事故による関連死がいることくらいは認識しているだろう。そんなものはいないと言おうものなら福島県あたりから反発を喰らうことは必至。だからある程度の人数は認めるだろうし、それで復興庁がゼロだと言おうものなら反論するかもしれない。

 けれども、ここでは東京新聞は韓国の大統領に影響を与える反日的な新聞だという印象を醸し出すことが第一義になっているから、そのためには復興庁は正義であってその言説は何があっても讃えなくてはいけない。何かの為にする言葉のために事実をねじ曲げるか気付かないふりをするという振る舞い。これが頻繁に現れるんだけれど書いている人たちは心に痛みとは覚えないんだろうか。覚えているからどんどんと若い人たちがいなくなるのか。参った。本当に参った。


【6月19日】 まだもう一波乱ありそうで、見た目ほどには大団円とはいってないみたいな「リトルウィッチアカデミア」。暴走するクロワの魔法によって窮地に立たされていたシャイニィシャリオことアーシュラ先生を助け、クロワも助けて世界改変魔法とやらをぶちかましたアッコだったけれど、失われた魔力が戻ってきた他は何か変わった様子もない上に、ミサイルみたいなのが飛んでは妙な音を出していた感じ。爆弾なのかそれとも。よくは分からないけれども一騒動起きそうな中で、アッコに新たな災いが降りかかるのかが気になる。あとはどうしてアッコだったのかも。シャリオは凄い魔法使いだったけれどアッコは魔法の力を持たない一般人。けれども選ばれた。どうして? 何のため? そこに企みでもあるのかなあ。来週を待とう。

 小説版ではずっと謎めいた存在だった花房をすでに登場させては、背後に誰かいることを匂わせ、そして遂にその人物を登場させたらちょっと神秘的な雰囲気がなくてガクッときたけれど、案外に狂気とか猟奇といったものは日常の中に潜んでいるからこそ恐ろしいのかもとしれないなあと思ったりもしたドラマ版「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」。その人心掌握術はなかなか凄そうで、正太郎を刺して自首した女性が妹を殺して吊しただけでなく、高嶋政宏演じる刑事の弟も睡眠薬を飲ませて沈めたと自白して刑事を同様させ混乱させたあたりに、そうまでして守ろうとするほどの何かを真犯人とも言える人物は持っているのかもしれない。安心を与える話術か別の何かか。小説版とは違った展開を迎える結末を見守ろう。

 そうだ徳間文庫から「ソウルトランサー」ってSFを出していた人だと気付いた菱川さかくさんによる第2回ジャンプホラー小説大賞銀賞受賞作「たとえあなたが骨になっても」(集英社、1350円)は、太田紫織さんの小説「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」が骨好きの美人標本師による謎解きミステリーなのに対して、美少女が骨になってしまってもなお探偵として謎解きをするといったホラー設定のストーリー。高校で探偵部を作り名推理ぶりを発揮して、警察からも頼られていた後光院凜々花という少女だったけれど、相次ぐ放火事件を解決してすぐに時行方不明になってしまう。

 それを探し当てたのが探偵部員の朝戸雄一という少年で、通り魔らしき者に殺されて山に埋められていた凛々花先輩を掘り出し頭蓋骨を持ち帰る。そして雄一はその頭蓋骨と会話して先輩無き探偵部で事件に挑む。っておいおいどうしてすぐに警察に届け出ないんだ、殺人事件だったら犯人を捜してもらうのが筋だろうって思われるけれど、先輩に生きていて欲しい京子って副部長の思いに答える意味もあるし、先輩が掘り出されて検視されて火葬されて埋葬されてしまったら、もう先輩と会話できなくなると雄一が思ったこともありそう。そう、雄一は死者と話す異能の持ち主なのだ。

 雄一は生前の美貌とはほど遠い頭蓋骨となってしまった先輩を体操着袋に入れて日々持ち歩いては話しかけ、袋の中からそっと現場を見せ声も聞かせて、それによって推理した先輩の言葉を参考にしながら探偵部に持ち込まれる事件に挑むようになる。生徒会長で風紀委員長が生徒会室で物が動かされた形跡があると相談に来た時は、頭蓋骨の先輩にも聞かせヒントをもらって解き明かす。街に多発する放火の裏に過去、学校に放火して消えた元生徒会長が蘇って絡んでいるかもしれない事件にも挑む。そしていつか先輩を殺した犯人を見つけ出そうとしている。

 もしかしたら誰のものでもない骨を持ち歩き、そこに先輩の幻聴を聞いているだけで本当は、雄一がぜんぶ自分で推理をして解決しているのかとも思えたりもしたけれど、先輩以外の家事で渋滞になった老人の病室を尋ねてその声を聞いたりするような展開では、推理するに足る情報の少ない中で別の事件の解決につながるヒントを得たりしたからやっぱり会話が成立しているんだろう。殺された被害者の声が聴けるのなら犯人だってすぐに言い当てられるんじゃ、って思わないでもないけれど、そうした決定的な場面については答えは得られないように配慮されていて、状況から推理を重ね先輩の助言も得て真相に迫っていく展開はホラーでありつつしっかりとミステリをやっている。

 学校に放火して消えた元会長の行く先も含め、そうやって解決されたいくつかの事件は勧善懲悪のようには割り切れず、解決を見ても後にモヤモヤを残す。先輩の死を告げず掘り出した頭蓋骨なんてものを持ち歩く雄一も、絶対的な正義とは言いがたいけどそこに人間らしい打算が見える。殺人という重大な事件を起こした者は結果として罰せられ、そうでない者は気まずい思いを抱きつつも通常のまま残された感じ。そうやって得られた前と変わらないポジションの上で先輩の頭蓋骨を抱えて雄一はどんな事件に挑むのか。先輩はどれだけの名推理を聞かせてくれるのか。続きが書かれるのならそんな辺りを楽しみにしよう。ジャンプホラー小説大賞では編集長特別賞受賞のヰ坂暁さん「舌の上の君」も出てこちらは自分の倫理観と異世界の当然とのぶつかり合いに悩む話。交流して混じり合った認識の先に恐怖を浮かばせる是非も考えさせられる。知らずにいた方が人は幸せなのかもしれない。

 これはヤバいというか、いよいよ自分以外の周りが見えなくなっているというか、そんな雰囲気が言動から漂い始めている安倍晋三総理大臣による国会閉会を受けての記者会見での言葉たち。「この国会では、建設的議論という言葉からは大きくかけ離れた批判の応酬に終始してしまった。政策とは関係ない議論ばかりに多くの審議時間が割かれてしまった。国民に大変申し訳なく感じている」って言っているけど、政策を司るべき総理大臣の職責にある人間が、果たしてその任にたり得る高潔さの持ち主なのかが問われていた訳で、政策以前に解消すべきだったのにそれにはまったく答えず、逆に「印象操作のような議論に対してつい強い口調で反応してしまう。そうした私の姿勢が、結果として政策論争以外の話を盛り上げてしまった」と話して、自身の資質の至らなさを決して認めようとしない。

 関係ない話をされたからキレるってのも資質として拙いけれど、そうした話自体を無関係の印象操作と突っぱねる認識そのものにやっぱり問題があるんじゃなかろーか。「国民から信頼が得られるよう、冷静に一つ一つ丁寧に説明する努力を積み重ねていかなければならない。その決意を、国会閉会にあたって新たにしている」って言っているけど、信頼が得られるように説明することを国会中には拒絶しておいて、閉会してから説明していく努力を積み重ねて行きますって何を今さらと言われても仕方がない。言えば自分だっておかしいだろうと感じるはずの矛盾ありまくりの言葉を、けれども何のひっかかりも覚えずにスルリと言ってしまえるところに知性とか理性といったものとは対局に位置する、ドロドロとした黒い闇のようなものを感じしてしまう。

 さすがにこうした言動には、安倍ちゃんの応援団ジャーナリストも引っかかったようで、何で国会で説明しなかったって怒っているけど、言われたってもう聞く気もないんだろうなあ、安倍ちゃんは。委員会採決をすっ飛ばしての本会議での採決という無謀が行われ、憲政史上の汚点ではあっても歴としたひとつの事実を刻んでしまった以上、次からもそれが繰り返されるだけだろー。そうしたくなければここで引導を渡すしかないんだろうけれど、それをやってしまうと既得権益が侵されてしまうとでも思っているのか誰も踏み込まない。かくして政権の命脈は保たれ、お友達への利益誘導も岩盤規制を崩しただけだと言い逃れられる。ただ政治家やお友達ジャーナリストは権力に縋っても、世間はさすがにピリっとトサカに来ているようでここんところの支持率はダダ下がり。今回のコメントを聞けばさらに呆れかえりそう。さらにジリジリと下がっていった支持率からよいしょと立ちあがる人たちが出てくるか? それが今後の注目点か。


【6月18日】 水篠颯太が背中を押すような決定打を放ったのかそれとも黙認を貫いて見殺しにしたのか、そこがちょっと分からない「Re:CREATORS」はシマザキセツナと水篠颯太との出会いがあってネットで知り合い直接会ったら美少女だったっていったいどこのファンタジーだよって思ったものの、だからこそより有名になっていくのを我慢できなかったってことも考えられそう。かといって自分で誹謗中傷を書き込み追い込むには心が弱い。そして見殺しにしてしまって自分が殺したと悔いるあたりに肥大した自我も見えたりする。そうやって自分が中心にいたと思い混まないとやっていられない性格なんだろうなあ。そこが露わになったらセレジアからもメテオラからも作家の松原崇からも嫌われそう。吐露した反応が知りたい。来週が待ち遠しい。ところでこれ全何話なんだっけ。あと1週では話、終わりそうもないし。2クールだよね? だよね?

 そして目覚めるとアヌシー国際アニメーション映画祭で湯浅政明監督による長編アニメーション映画「夜明け告げるルーのうた」がグランプリにあたるクリスタル賞を長編アニメーション部門で受賞していた。1993年に宮崎駿監督が「紅の豚」で受賞し、1995年に高畑勲監督が「平成狸合戦ぽんぽこ」で受賞してから22年ぶりという快挙。そしてこちらは一昨年の2015年に原恵一監督の「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」も受賞したりと割と日本の作品も受賞している審査員賞に片渕須直監督の「この世界の片隅に」が入ってと、日本の長編アニメーション映画が同じ部門でワンツーフィニッシュを決めてくれた。

 何という快挙。何という僥倖。加えて卒業制作部門で冠木佐和子さんの「夏のゲロは冬の肴」が審査員賞を受賞していて日本の作品が3部門を獲得。2014年にも西久保水尾監督「ジョヴァンニの島」が長編アニメーション部門の審査員賞を獲得し、水江未来さんの「WONDER」がCANAL+CREATIVE AID賞を獲得してあと広告部門を新井風愉も獲得していたりするけれど、それ以来の快挙であり日本の長編アニメーション映画のワンツーフィニッシュはやっぱり凄い。何よりドラえもんとかポケモンとかコナンといったプログラムピクチャー的に作られる映画とそしてスタジオジブリの作品だけがヒットしがちな日本にあって、違う場所から出てきた映画がともに世界で認められたってことがちょっと嬉しい。

 「この世界の片隅に」については、決してメジャーとは言えない漫画が原作で、なおかつ前作「マイマイ新子と千年の魔法」は興行的に大失敗だった監督による映画だけに日本でも製作スタートまで大変な苦労があったし、公開されてからも主演の人にまとわりつく鬱陶しいしがらみがメジャーな場での喧伝を許さず苦戦を強いられそうになった。そこを作品性と口コミで突破し200万人という観客動員数を達成して興行収入も25億円を確か超えた。それでもドラえもんポケモンコナンには届かない。そこがこの国のジブリ以外の長編アニメーションが抱える問題だえあり突き当たる壁。湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」は前作「夜は短し歩けよ乙女」ともども興行的には苦戦を重ねた。「マイマイ新子と千年の魔法」は超えているとは思いたいけれど、それでも5億には届いてないんじゃなかろーか。

 そんな2作品が海外ではしっかりと映画として認められた。アニメーションの映画祭とはいっても芸術性の高い作品が選ばれるケースもあったりする賞でとりあえずエンターテインメントから出た2人の監督の作品が共に上位に入ったことは、映画としての素晴らしさを楽しさともども描ける監督がいるってことの現れでもある。そうした評価を今度は国内に持ち帰って来て欲しいんだけれど、すでに一定の評価が出ている「この世界の片隅に」とは違って「夜明け告げるルーのうた」は封切りから1週間で公開館数が激減し、1カ月でほとんどの映画館が上映を終えている。これで旗艦を担ったTOHOシネマズが凱旋上映でも企画すれば良いんだけれど、そういった融通を利かせるチェーンじゃなさそうだからなあ、1週間でほとんどの劇場で朝1回夜1回に絞ったりしたし。でもここは売り時なんで是非、どこでも良いから1スクリーン開けて1日を1週間、通して上映して欲しいなあ。

 来週で終わってしまうということで、東武動物公園まで出向いて「けものフレンズ」とのコラボレーションを見物してくる。家からだと実は1時間半もかからないのだった。初日に行ってから2度目の訪問だけれど、東武動物公園駅で降りるとファミリーマートの横の壁とか連絡通路とかに前には無かったフレンズたちのイラストが張ってあって地域として盛り上げている感じ。そして中に入って真っ先に、前回は気付かず乗らなかった観覧車に乗ってサーバルキャットのイラストボードが貼ってある場所を確かめる。そこにいたかあ。外からでも撮れないことはないけれど、でも観覧車に乗るのがやっぱり確実。高いところが苦手な人には天辺は怖いけれどコンプリートの為なら我慢して乗ろう。大丈夫だって隣のゴンドラは転げ落ちないし。

 これは前回はなかったアストロファイターっていう回転して飛ぶ乗り物でのアライグマとホワイトタイガーのペアイラストも確認する。フレンズたちにメカが絡むとちょっと格好良くなる。そのメカもイラストのまんまにボディの先端に「の」のロゴが入ってコラボ感が増していた。アライさんとホワイトタイガーのペアボードはアストロファイターの脇とそれからホワイトタイガーのゲージの上にもあったのを確認。そしてホワイトタイガーのボードはアライさんとフェネックがいる壊れた車の前にあって3人が並んでた。これってそうだよ舞台「けものフレンズ」のトリオだよ。中身はちょっと違うけど。パネルを観てから観劇した人はああこれははって思ったかな、どうかな。

 前回は行列が長くて買うのを手控えたら売り切れた動物とフレンズとのコラボ缶バッジは博士と助手のがなくなっていたけれど、ホワイトタイガーのが入って9種類がまだ討っていて全部を確保。それからアライさんとホワイトタイガーのイラストが使われた大きめの缶バッジとキーチェーンも購入して4100円が吹っ飛ぶ。まあでも夜の舞台「けものフレンズ」の公演に行くと思えば安いもの。もちろん舞台だってまた観たかったけれど、ゲネプロと初演を観たからまだ観ていない人が当日券の抽選に当たってくれる方がファン層の広がりに寄与するし、って考えつつ迷いつつ。でもまあGyao!でのライブ配信を購入済みだからここは品川行きを断念し、夜の公演開始をパソコンの前でじっと待つ。ペンライトを構えて。

 そして始まった舞台「けものフレンズ」の配信では冒頭の「ようこそジャパリパークへ」からジンと来て、途中のアドリブなんかが初演とどう違っているかを確認してPPPのイワビーが後に引っ込むときに叫ぶプロレスの技が初演とゲネのフランケンシュタイナーからレインメーカーとなってジャパリコインの雨を降らすぜと行って雰囲気出していた。そしてオオフラミンゴの楽屋が整理整頓されていないことがバラされ、コウテイペンギンがハイレグじゃなくてご免と謝っていた。楽しいなあ、現地で聞いたら大爆笑だったかもしれないけれど、そうした笑いを乗り越え感動のフィナーレを得た後のカーテンコールで、挨拶をしたフェネックとアライグマの2人が共に泣いていたにもらい泣きした。

 フェネックの本宮佳奈さんもアライグマの小野早稀さんもメインは声優であって舞台の上で動き回って喋り歌うといった経験はそんなに無いか全くない。それはサーバル役の尾崎由香さんも同様だしPPPの面々だってやっぱり同じ。マイク前でそれほど動かず順繰りに声だけ出していれば良い声優とは違って表情から仕草からすべてが役の表現につながる舞台ではさぞや戸惑ったし不安もあったことだろー。でもやりととげか。舞台になれた面々が脇を固めて引っ張り支え、演出家もしっかりと指導した結果、誰もがしっかり動いて躍り喋って歌う舞台に仕上がっていた。そこが良かった。とかく舞台を踏まない声優さんを違う目で観る人たちもいたりするけれど、声優さんだって舞台はできると分かってもらえたんじゃなかろーか。やれないんじゃなくやってなかったけどやれたんでこれからもやる。そんな期待が膨らんだところに2018年1月、舞台「けものフレンズ」再演の告知。これは行く。ぜったいに行く。争奪戦も厳しくなるだろうけれども可能な限り申し込んで確保しよう。生きる気力が湧いてきたぜ。


【6月17日】 そうか分かったぞ徭沙羅花のあのTシャツの不思議なセンス、くりでありいもでありうさぎといった絵柄を好むのは過去、自分が動物だった頃に大好きだったものの記憶が残っているからなんだ。なんだってー。その真相は不明ながらもとりあえず「正解するカド」はヤハクィザシュニナを相手に立ち向かったものの真道幸路朗にかばわれ真路を傷つけられた沙羅花が連れ立って異空間に逃げて治療にあたっていた一方で、別の次元から連れてこられた真道がヤハクィザシュニナとともに地上へ現れ反重力とかの装置を渡して地球人をさらに進化させようとする。

 でもその意図は全人類の救済ではなく70億人が犠牲になっても残る1人が異方に近づけば良いという身勝手なもの。そこに悪意も善意もなくただ異方の好奇心だけがある状況に、別空間へと対比した真道と沙羅花はどう挑んでいくのか。地球を見守る超存在の功利主義と博愛主義とが対決しているといったどこか分かりやすい構図に収れんしそうでちょっと肩こりがほぐれたけれど、あの野崎まどさんがそんなハッピーエンドに落とすはずもないだろうからさらに別の異方だとか、異方をこそ裏で動かす異方なんかが現れしっちゃかめっちゃかになっていくとか、あるんじゃないかと期待している。どうなるか。

 ひとつの嘘をどこまでも頑なに守ろうとする余りに幾つもの嘘を重ねていくけれど、しょせんは嘘なんですぐにバレてしまって、それを否定しようと更なる嘘を重ねていく間に、周囲も呆れて投げ出してしまって追究が有耶無耶になってしまうといった事例がまたしても積み重なるのか。愛媛県今治市に獣医学部を作ろうとしている大学の偉い人が時の総理大臣と知り合いで、そして政権の幹部とも知り合いだったから便宜が図られたんじゃないのかといった話に対して、いえいえ知り合いじゃありませんといった嘘をつこうとしても、過去に仲良く写った写真があったりお世話をしたしお世話になったといったコメントが残っていたりで、すぐさまそれは嘘だとバレてしまう。

 でもそうじゃないってことを強調しようと、周辺にいる人たちが自分は知らないし観たこともないし関わったこともないと嘘をついたら何のことはない、自分で過去に書いてたブログにその学校の偉い人と政権の幹部と総理がいっしょに仲良く写ってた。突きつけられて果たして何を言うかだけれ、もきっとそれは他人のそら似かあるいは誰か知らない人がいるなあと思ったと言い逃れをしようとするんだろう。でも他の機会できっと仲良くしていた話も出てくるだろ。でもってそうやって1人だけ逃げようとすると総理大臣が何だよお前と言って背中をつかまえ引き戻す。

 そんな泥仕合を見せられて世の中の人たちが心にどれだけのダメージを負うのか。精錬だとか潔白だとか公正だとか正直だとか、そんな価値観を国の偉い人たちが自ら潰しておきなら、道徳だ何だと言い募るその矛盾がどうにも気持ち悪い。この気持ち悪い状況をどうしてメディアはもっと気持ち悪すぎると言わないのか。周辺にいる本当は真面目な人たちがこれは気持ち悪すぎるからやっぱり拙いと動かないのか。今はまだその時ではないにしても、やり過ぎとそれを正当化しようと重ねる嘘がそろそろ臨界点を超えて爆発することになるのかな。それともまとめて縮退を起こして超新星の如くにこの国を住民もろとも吹き飛ばすのかな。今が分水嶺。あるいは瀬戸際。

 ボスが嘘をついてでも正当化に躍起になるなら、その周辺で息をしている取り巻きジャーナリストもやっぱり言いたいことのためには嘘だって平気な体質らしい。文部科学省の副大臣が、今治市に開校を希望している大学が国によって選ばれた過程において内閣の上の方から強い働きかけがあったらしく、それが文書として残されていたのを表に出した官僚に対して公務員として守秘義務違反だから取り締まられるかもしれないと発言し、それに対してメディアが萎縮を生むとか私欲にまみれた差配を告発するのは間違っていないといった論陣を張って、文科副大臣を批判している。

 この件については内部告発しても罪に問われないものかどうかといった線引きの上で文科副大臣にも理がありそうなんで判断に迷うところではあるけれど、そうした内部告発を擁護しておきながら、以前の政権で内部告発的なことをした海上保安庁の職員に対し、処分を仄めかした政権がありメディアがあったことを挙げて何て二重基準だと批判する新聞が現れた。なるほどその言にも一理あるけれど、そう言うのだったら返す刀で文部科学省の役人たちを処分すると脅す文科副大臣を非難するのが当然の流れ。違う文科副大臣は正しいことをしたんだと言うなら、前に海保の職員によるビデオ流出を非難したメディアを批判できない。

 二重基準だと批判する、自分の筆が綴っていることがどれだけ二重基準的なものをはらんでいるかに気がつけば、書き方にだって工夫もあっただろうに、お前ら批判するけど同じことやってるじゃんと自分の立ち位置を明らかにしないで、外野からからうだけの筆には美しさも正しさも感じられない。普通は書いていればそうした矛盾に気付きそうなものなんだけれど、そういう頭がないのか野党と他のメディアを批判さえできれば矛盾なんて知ったことかといった考えなのか。どっちにしたって傍目には可哀相な人に見えてしまう。でも内部的には自分はカッコいいと思い周囲もそう褒めそやす。夜郎自大の自慰的な筆にすがり集まって生きている者たちに果たして未来はあるのか。政権の内向きぶりが崩れたらこの辺りも一気に崩れ落ちるかなあ。さてはて。

 「岩浪美和音響監督監修 エクストリームブースト&セパレーション9.1ch上映」と言われて覚えて舞台上でスラスラ言うのはどうやら本人でも無理だったみたいだけれど、ずっとあちこちを回ってきてようやくたどり着いたイオンシネマ幕張新都心で音響監督の岩浪美和さんによって重低音をブーストされた「劇場版ソードアート・オンライン−オーディナル・スケール−」はもう重低音がガンガンというよりズンズンと響いてきてはARゲームの「オーディナル・スケール」をプレイしている時であったり、ラスボス戦で「ソードアート・オンライン」の世界に入っている時なんかで迫力のバトルを音からも楽しめる。加えて9.1chというマルチな音像が細かいところまで音を再現。キリトが家でVRの世界に入ろうかという場面で窓の外で響く工事の音とかが本当に窓の外で鳴っていそうに聞こえてきた。

 なにしろ舞台挨拶なんかで使われるイオンシネマ幕張新都心でも最大規模を誇るスクリーン8の横17メートルはある巨大なULTIRAスクリーンの下、舞台の上にサブウーファーとしてJBLASB6118を左3台右3台の計6台、並べて置いて重低音を響かせる剥き出しのそのスピーカーからは音が圧力となって観客席へと向かうから、座っているだけで映像の場面に行った気になれる。それをさらに増強するマルチチャンネル。映画館に別の場所を作り上げるという意味でこれもまたVR(仮想現実)でありAR(拡張現実)なのかもしれない。もしくわ岩浪美和さん謹製の現実ということでIR(岩浪現実)とでも呼ぼうか。

 そこまで尽力をしてもう封切りから5カ月が経ってそろそろ劇場上映も終わるだろう「劇場版ソードアート・オンライン−オーディナル・スケール−」に尽くしながらも岩浪さんと監督の伊藤智彦監督がイオンシネマ幕張新都心まで訪れ舞台挨拶をするような場面での宣伝費はゼロとのこ。おそらくは音響をセッティングするために岩浪さんが通う費用も出てないだろう。それだけあればいったいどれかでのアニメ作品に携われるか、って考えると有り難い話ではあるんだけれど、岩浪さん自身としては映画を音響で見に来る観客を増やし興行を盛り上げることで音響のレベルアップにつながり、自分の仕事の幅も質もさらに上がるならこうして音作りに勤しみ全国に足を運び舞台挨拶もして当然って考えてくれているのかも。そのあたりは聞いてみたいところ。

 もちろんいつまでも岩浪さんら音響チームの厚意に甘えてはいられないので、宣伝費を払って上げられる偉い人ではない僕たちは、そういった手のかかった映画を現地で何度でも見て仕事の意味を質的にもビジネス的にも意義のあるものだと偉い人たちに分からせることで貢献したい。可能な限り見に通おう。とりあえずこの「岩浪美和音響監督監修 エクストリームブースト&セパレーション9.1ch上映」がドルビーATMOSと組みULTIRAスクリーンとも重なった「BLAME!」がどれだけの迫力か確かめに行きたいかも。それからもう1度くらいは「劇場版ソードアート・オンライン−オーディナル・スケール−」を。ULTIRAのあの巨大なスクリーンに現れる巨大なアスナのおっぱいを浴びるような感覚をまた味わいたいから。


【6月16日】 表紙のエロいライトノベルが学校の図書館に入っているのは拙いと門真市が撤去させたらしい件について、対象となった「エロマンガ先生」はタイトルこそ妙だけれども表紙は普通に服を着た女子で肌色は少ないし中身もある意味で「てんとう虫の歌」めいて、両親を失ったこどもたちが自立し立ち直っていきながら家族としての絆を深めていく感動ストーリーと思えば思えたりもする。目くじらを立てることかといった思いもあって悩ましい。

 とはいえ中にはストーリーと無関係に立ち位置の弱い女子キャラを拍子に仕立てたり、エロを混ぜたりすることもあってそれで売れるのかと思ったら売れるらしいからやっぱり編集としても過激に走ってしまう感じ。こうやってひとつ区切りが入って中身勝負、そして世界観をしっかり捉えたイラスト勝負になってくれれば問題も起こらず、ティーンが本当に読みたい小説が邪険にされずに届くことになると願いたい。「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」とかもう表現の自由を求めて戦う素晴らしい話なんだから、って表紙からして真っ先にダメか。高校生になってからじっくり読もう。

 今さら記者とかジャーナリストが政権とべったりで、取材によって知り得た情報をもって回って派閥の親分に食い込み名を挙げ会社の中で偉くなるか、政治家に転身して権力を得るなんてことを、やってはいけないと批判する声も出ないだろう。ただそれは政治家たちの間での泳ぎ方であって使う政治家だって何をどう言えばどこに伝わるかを計算して喋り、それを記者がメッセンジャー代わりに持って歩くといったところ。決して個々人の言動を走狗よろしく聞き耳を立てて吸い上げ、批判的な言動を権力者に密告することではない。

 だから、前の韓国は釜山駐在の日本大使館領事が一時帰国していた際に、旧知の記者たちと会食をしてその際に話されたプライベートな発言が、出席していただろう記者から別の記者へと抜けてその記者が、語った人の意図を捻じ曲げ批判的に伝えたことで政権が怒り、領事を解任したといった事態は、どれだけ記者やジャーナリストが政治家の狗として使われようとも、あって決して良いことではないだろう。信頼していただろう相手への気楽なコメントの、それも日本人保護という大切な仕事を全うするには自分のような役職の人間が必要なので、できれば戻って任に当たりたいといった真摯な姿勢をどう捉えれば、一時帰国を命じた政権への、つまりは安倍総理への批判に当たるのか。それとも今の権力は、決めたことに内心でその意図は問わず逆らえばすべて批判ととらえるのだろうか。

 そうした政権のスタンスも恐ろしいけれど、ここはやっぱり記者が個人のプライベートな言動に耳そばだて目を凝らし、少しでも権力への批判があったらご中心に及ぶんだってことがあからさまにされたことが恐ろしい。記者なりジャーナリストといえば時に権力に逆らってでも情報を集め真実を伝える職業としての義務を負う。あるいは意識を求められる。そして記者なりジャーナリストがそうした権力からの独立を保ち守ってきたからこそ、普通の人たちは信じて時に批判的なことでも明かして不正を正すために力を貸す。これがすべてひっくり返る。

 政治家の間を廊下トンビしている政治記者と呼ばれる種族ではなくても、市民のちょっとした願望の中に権力を批判するニュアンスを嗅ぎ取り、あるいは位置を捻じ曲げ反権力の匂いを勝手に付けて権力側に密告することもあり得る。それが記者なりジャーナリストのスタンスなんだと市民に認知されてしまったら、誰も取材に協力してくれなくなるだろう。ちょっとした会話の端々に勝手に反権力の匂いを嗅ぎ取り色をつけて密告する権力の狗。そう思われることがまずいなら、この件に関わっているだろう領事と会食をした記者たちは一致団結して密告した記者を探し出し、ジャーナリズムの敵だと指弾し排除すべきだろう。

 そうしなければ記者やジャーナリストは今後、権力の走狗として疎まれ嫌われ排除されることになるから。それほどまでの危機だと、さても当事者たちは自覚しているのか。していたらこの件を書いた朝日の人には全部ぶちまけてほしいなあ。おそらくは知っているんだろうから。それとも唯一、この一件を早々と更迭と書いた新聞社が元凶か? そうほのめかすために名を挙げたのか。ちょっと気になる。とはいえその新聞だったら、走狗だろうと言われたってとっくにそうだと答えるだけだろうけれど。やれやれ。

 200万75人目。それは朝の1番にテアトル新宿の上映に入って切符をもぎってもらった自分なんだろうとは思うけど、そうとは限らず今日の上映に参加したすべての人たちが、栄えある200万人を超えた「この世界の片隅に」をそうなってい観に来た次の1人であり、続く300万人目へとつながる数字を刻んだ人たちなんだと自信を持って良いんじゃなかろうか。何しろこの数日、いつ200万人の観客動員数を超えるか関心が集まっていて、そんな記念すべき数字を達成するかどうかという時に、配給をした東京テアトルが持つ旗艦とも言える劇場で、上映していないのはやはり寂しいと緊急の上映を決定してくれた。

 木曜と金曜のどちらで超えるかで、行く日を選んだ人もいただろうけれど、超える前のどこかに入るより、超えたところに確実に入った方は分かりやすいかもと迷いつつ、選んで行った木曜日朝のテアトル新宿には、同じような思いを抱いた人たちがそれなりに詰めかけ、封切りから7カ月も経った映画とは思えない賑わいを見せていた。支配人が出てきてアナウンスするでもなく終わって出て200万人越えに気づいたけれど、そこから踏み出して始まった新たな道の、最初の1歩を刻めたことは全き光栄。噛み締めつつまだ終わらないこの道が、どこまで続いているかを見極めよう。アカデミー賞のオスカーまで続いていると良いなあ。

 達郎、厄介に怒る。ってちょっと珍しいかな、赤ちゃんが泣いてもなくな子供よとあやす達郎さんだけど1人がタイミングとかまるで考えずにのべつまくなし拍手して、最初にちょいイジられていたけど改まらずに静かな「潮騒」のイントロが始まっても1人拍手を続けていたのが怒りに火をつけ終わった後でアカペラ曲に行く前に1人残ったステージから直接注意。たった1人でライブはこわせるとまで言ったのは余程気に障ったんだろう。まばらならまだ受け入れられても1人だけ、だったからなあ。聞こえてきた何かの曲中の合いの手もその人だったのかなあ。その結果、またメンバーを呼び戻して「潮騒」を演奏し直しその後も度々に謝意。やっぱり1度怒ると空気は引きずるものだなあ。

 ともあれそれでもラストまで、しっかり演奏して少しおまけも入れて3時間半。市川よりも横浜よりも長くなった。アイドルだとか声優のライブだと自分が気持ちよければと暴れオタ芸打って流れに棹さす厄介がいつも問題になって、アニサマでは徹底排除をうたい去年なんてマッチョな外国人のガードマンを歩かせていた。ライブで観客席が乗ってコールにレスポンスが返って盛り上がる場合は少なくないけど、度を超えていたり突出しているのはやっぱり厄介。この一件が次にどんな変化を生むか、気になるけれどもう行く予定はないのであった。隣のオヤジも「サーカスタウン」でおーおおおーって歌ってやがって止められてたし、場にそぐわない自分可愛い系おっさんの厄介さは、高齢化社会において大いに問題化していきそう。


【6月15日】 舞台「けものフレンズ」で目が行ったところ。シロナガスクジラの白いニットワンピースに浮き出たボディライン。セルリアン軍団の黒いラバースーツに浮き出たボディライン。クロヒョウのキックで伸びるクロタイツの細い脚。一本脚を頑張ろうとして頑張れないオオフラミンゴ。などなど。いろいろとフェティッシュな心をくすぐってくれる場面も多く、それをそんなに大きくないクラブeXで観られてとっても良かった。チーターも細身で突っ走って格好良かったなあ。

 あと舞台「けものフレンズ」で感心したところ。フェネックが登場するとだいたい右手を腰にあて、左手を斜め下にのばすポーズをとろうとろうとしていたところ。そのポージングも含めてキャラクターから作品の世界を再現しようとしていた。素晴らしいなあ。そういった演出の配慮と脚本の巧みさが舞台「けものフレンズ」を観た人たちの大半から指示を集める結果を読んでいる。当日引換券も全部はけたみたいであとは当日券争奪戦。この勢いなら再演あるかなあ。今度はアンフィシアターあたりで観たいなあ。

 多数決が民主主義における最終的な決定方法ならば、それによって内容において問題がありまくっている共謀罪法案が可決してしまうことを止めるのは難しいし、無理だろう。そうなる前に民主主義を運営するプロセスの上で、問題のある法案を進めそうな勢力に顕現を持たせるべきではなかった。けれども持たせてしまったのなら、今の結果はその時に決まっていた訳でどうこう言っても始まらない。ただ、最後は多数決でもその過程でしっかりと段取りを踏まえ、討議も行った上で次の段階へと進み決定していく様式を崩してしまうことはできない。それをやってしまってはもはや民主主義ではなく、数に かせた独裁になってしまう。

 最後に決まることならば、途中はどれだけ我慢しても最後には決まる。そんな諦観も余裕もかなぐりすてて、委員会での採決をすっ飛ばすという何か憲政史上初といった暴挙を繰り出し、参議院本会議での採決へと至ってしまったやり口はやはり拙い。どうして待てなかったのか。それは会期が迫っていたから。でも本当に必要なんだと誰もが認め最後は多数決で決定できるものなら、会期が迫るまで議論が繰り広げられることもなかったはず。そうでなかったのならやはり問題があったということで、それを強硬手段で通していった行為を決して歴史は認めないだろう。いずれ遠からず何かが起こり、一波乱あった上で為政者に報いが訪れることになるだろう。でもなあ、そうなる前に大勢が大変な目に遭うんだよなあ。70年とか80年とかそれくらい前のように。暗い時代に入った今、残りの人生をどう生きよう。僕らより下の世代はどう生きていく。

 テレビシリーズ「リトルウィッチアカデミア」のアツコ・カガリに気持ちを添えることが難しいのと同じくらい、8月12日公開の長編アニメーション映画「フェリシーと夢のトウシューズ」のヒロインでバレリーナを夢見ている少女、フェリシーを愛すべき少女として感情を添えて成長を見守ることはなかなかに大変かもしれない。「リトルウィッチアカデミア」を観ているならばアッコが魔法使いになりたいという憧れだけで、たいした魔法の力も持っていないにも関わらず、ルーナノヴァ魔法学校に入ろうとしては入学式から大騒動を引き起こし、同級生たちを巻き込んで共に退学になってしまうかもしれないような状況を引き起こす。

 自分勝手で我が侭。それでいて自信家で諦めを知らないその態度にはなかなか共感できるものでなく、どうしてもうちょっと周囲を見渡し自分に出来ることをやろうとしないのかと怒りたくなる。せめて一生懸命努力をして少しずつでも目標に近づいて行こうとしているのなら同情もできるけれど、自分なだ出来ると根拠のない自信だけを振りかざしては突っ走って失敗し、友人たちの力を借りてどうにか切り抜けてみせる。まったくもって落第生としか言いようがないアッコがそれでもヒロインを張っていられるのは、どこかに秘めたる何かがあることと、そして削られても落ち込んでも次の瞬間にはきれいさっぱり忘れて前のように目標に向かって突っ走っていける猛進ぶりがあるからだろう。

 そして偶然であっても、あるいは秘めたる何かが発動して、周囲もこれなら仕方が無いといった成果を収めてしまうからこそヒロインでいられる。なんというご都合主義だけれど、自分にそうした自信がなく才能も見当たらない人間には、無根拠の自信が偶然に裏打ちあれてメインストリートを突っ走っていくキャラクターがどうにも疎ましく思えてしまうのだ。

 「フェリシーと夢のトゥシューズ」のヒロインで、バレリーナを夢見るフェリシーもブルゴーニュにある孤児院で発明家を夢見る少年のヴィクターとともにパリに出ようと画策している。まだ幼い少女がトレーニングもしていないでパリに出ていったい何ができるのか? 常識的に考えるならそこで密かな努力があって出会いがあって見いだされた才能が羽ばたくような展開があるべきなんだろうけれど、フェリシーとヴィクターは夜中に抜けだし孤児院の管理人による追跡も振り切ってパリに行き、そこでちょっとした幸運と持ち前の自信家ぶりを見せて一晩の居場所を確保する。

 でもただの田舎から出てきただけに過ぎない少女が、住み込ませてもらった屋敷の娘のところに届いた入学許可証を勝手に使ってなりすまし、バレエ学校に入ってしまうところがどうにもひっかかった。卑怯じゃん。嘘つきじゃん。それでも強い夢があるのなら、そしてその夢に近づけるだけの才能があるなら話は別だけれど、基礎以前の実力ではバレエ学校に入っても躍るどころかまともに立てない。みればすぐさま放校間違いなしであるにも関わらず、偶然が作用してそこに居場所を得ていき、さらなる幸運も重なってバレエの実力がだんだんとついていく。

 嘘の上に立てた栄光なんて一瞬であたっとしてもやっぱり認められないと思うとどうにもいたたまれなくなるけれど、そこをひとつ、付いてきた実力がねじ伏せ嘘への贖罪も澄ませたとなればまあ良い、あとはどこまでがんばるかってところで感情も添えられると思いきや、幸運を過信してやるべきことをやらずに大失敗してしまうところがどうにも理解不能。とっとと帰れ、二度と姿を現すな、そう言ってみたくなる。

 自分勝手で我が侭で、自信家の上にやるべきことを放り投げる怠惰なヒロインが、たとえお嬢様であっても日々の鍛錬を書かさなかった少女に勝っていいはずがない。まあ最初はだから敗れたけれど、それでも最後には上に行ってしまうのを才能のおかげとか、自分を諦めなかった成果といって讃えて良いのかどうなのか。そんなところでいろいろと迷う映画であったけれど自分に自信があるのに入れられないタイプの人にとっては、嘘をついても我が侭を言っても実力が認められることこそが第一だといったスタンスで観て喜べるのかもしれない。

 映像は丁寧でダンスのシーンはリズミカルで躍動感もあってなかなか楽しい。短髪で赤毛のフェシリーもキュートで観ていて飽きない。声はエル・ファニングだけれど映画だし巧いかどうかは不明。聴いていて違和感がないのはやっぱり巧い方なんだろう。難ありのヒロインの性格を受け入れるなり、そういうものだと慣れた上でまた観てどう思えるか、最後はがんばったんだから良いんだよと言ってあげられるのか、公開されたらまた行こう。日本語吹き替えがあるならなお結構。誰が演じるのが最適かなあ、神田沙也加さんかなあ。

 怪文書といっていたものが前の事務次官による実在を訴える証言を受けてもしかしたらあったかもしれないといったニュアンスに変わり、それでも調べたけれども無かったと言い抜けようとしたら内部からあったよ見たよ持っているよといった声があがって存在を否定できなくなり、分かっただったら調べようと言い出して調べたら前に調べてなかったはずの場所から出てきたという加計学園をめぐって何か内閣府とその上が便宜を図ったんじゃないか文書。あとは書いてあることが本当かどうか、なんて話になっていくんだろうけれど怪文書なら虚偽だと言い抜けられても複数にが同じ文書を持って内容をオーソライズしているのなら、それはやっぱり行われたとみるのが普通のスタンス。ここでまた言い抜けようものなら嘘に嘘を重ねたといった指弾も飛ぶだろう。でもそうした嘘を嘘で固めて逃れようとする動きを、内閣府どころか内閣のトップあたりが平気で見せたりしているんできっと今回もそれがどうしたといったレベルで終わるんだろー。どうしようもなくユルんでしまったこの国のモラル。そして地に落ちてしまった政治家の正義。糺さずにこのまま言った先に何が起こるのか。滅びる時が迫っている。


【6月14日】 家庭があって引きこもり気味の浪人生っぽい息子とか奔放な娘とかまだ幼い娘なんかもいたりする普通の父親である一方で、企業人としては会社のためとなれば部下を切り捨て命すら南海に沈めて構わないと考える冷徹さを持っている。それは二面性というものではなくごくごく普通の人間ではあっても会社という組織に所属すればそこでの居場所を得るためにどんなことでもしてしまう日本人というものの属性を、体現したものなのかもしれないと「BLACK LAGOON」のアニメーション版に登場する景山部長を見て思ったりした再放送第2話。片渕須直監督らしいリアリズムだなあ。

 民間軍事会社のEOが軍用ヘリを持ち出してダッチやベニーやレヴィとそしてロックが乗った哨戒魚雷艇を追い詰めつつもすぐには攻撃しない余裕を見せていたのは逆転のストーリーのためではあるけれど、一方で身を置くべき戦場がもはやない時代に、ひりつくような体験がしたいと相手を泳がせぎりぎりまで追い詰め、そこから反撃してくるのを叩きのめす快感に溺れてしまっていたからなんだろうなあ。でも相手が悪すぎた。ダッチだけだったら諦めていたかもしれないけれど、生き延びることにまだ必死なロックがアイデアを捻り出してそれにダッチが乗って起こった逆転劇。この痛快さに原作漫画を読んでずっと読むと決めたんだっけ。発射した魚雷2発のうちの1発が当たってなかったのも、やっぱりリアリズムって奴だろうか。片渕須直監督らしいといった。

 これはちょっっと拙かった。いや流れに呑まれると案外に普通に感じられてしまったかもしれないけれど、よくよく考えるとこれは立派に言論への検閲であって権力が率先してやって良いことではなかった。とある漫画に描かれていたのと同じような手法でもって犯罪が行われたことに関して、警察がその漫画を描いた作者の家に行って描くなら描くで真似することのないよう注意喚起をしてくれませんかと要請したとかどうとか。描くなとまでは行っておらずそれを読んで犯罪が起こるならば描いている人にだって良い気持ちではないだろうからちょっと配慮を求めた感じで、下手に出ているあたりに強権で高圧といった警察にしては低姿勢、だからまあしゃあないんじゃないのかといった気分にさせれてしまう。

 でも、たとえ雰囲気が良かったとしてもそこで行われた行為が個人による表現に対して官憲が指図をしたといったこと。もちろん法律に反する猥褻図画に類するものなら自粛するなり摘発しても不思議ではない。猥褻の判断で議論はあるだろうけれど法律という線引きに引っかかっているなら官憲の介入があってそれを止めることは難しい。けれども今回の一件は描かれた行為が犯罪に使われたものであって、描かれた作品自体が何か法律に違反しているということはない。よしんば違法だったとしても表現を縛る法律そのものが問題といた意見もあるから、ここは現況としてやぱり違法な図画ではないものを挙げて抑制を求めるのは立派に言論への検閲になってしまう。

 法律なり憲法にも抵触するような行為をやってしまって、それに突っ込まずしゃあなしだといった気持ちから記事にしてしまったメディアには、立ち返って言論の事由は官権のお目こぼしの上に成立しているものではないということを、改めて自覚して今回の一件を報じていって欲しいもの。でもどこかの阿呆な媒体は、官権こそ正しく猥褻表現は絶対的に取り締まられるべきだとか書くんだろうなあ。弱者にはどこまでも尊大だけれど権力にはめっぽう弱いその筆だけに。

 アニメーションの放送が終わったかどうかといったところから始めたとしても2カ月とちょっと。途中から盛り上がっていたとはいえ、それで新しいメディア展開を確定できるほどエンターテインメントビジネスが簡単でないことくらいは感じているので、3カ月はかけていなさそうな気がするにもかかわらず、舞台「けものフレンズ」は紛うことなき「けものフレンズ」としてのスピリッツを持ちキャラクターを持ち世界観を持った作品に仕上がっていた。その詳細についてはまだ公演が終わっていないので口にするのは控えるけれども、とりあえず言えることはかばんちゃんのいない世界で代わりにオカピのフレンズを半ば主役的なポジションにおいて、アニメと同様にサーバルが見つけて友だちになって、ともに旅をするといったストーリーからひとつの目標に向かって皆が力を合わせていく素晴らしさといったものを感じさせてくれた。

 アイドル対決といった基軸も起きつつそこにライバルであっても困っていれば助ける仲間の意識、フレンズの意識といったものをちゃんと乗せ、いったんは阻害したとしてもそれを申し訳なかったと思ってすぐに謝る潔さも乗せ、残されていた様々な機械文明的なものからジャパリパークという場所がいったい誰によって作られたのかといった疑問を浮かばせ、過去にそこにいた者たちへの思慕めいた感情を漂わせて、アニメでも感じさせてくれた「けものフレンズ」の良さであり暖かさといったものを伝えようとしてくれていた。

 そんなストーリーに挟み込まれるように真っ直ぐだけれどちょっとお莫迦なところもあるサーバルちゃんの態度なんかが示されて笑いを誘い、フェネックとアライグマによるコンビはアライさんが突っ走ってフェネックが冷静に付いていってといった関係をしっかりと絡めて存在として無駄じゃないようにしてあった。なんという巧みな脚本。それはほかのフレンズたちにも言えることで、オカピとサーバルがメインを張りつつペンギンアイドルユニットのPPPもライバルとしてしっかり存在感を発揮し、クロヒョウやチーターやタヌキやマンモス、オオフラミンゴにヒツジといったフレンズたちもそれぞれに見せ場があって存在意義が示されていて、誰が脇で主役といった関係ではなく誰もがしっかりフレンズだといった感じにしてあった。

 セルリアンとのバトルもあって迫力は十分。そして舞台ならではの歌があって踊りもあって知らずぐぐっと引き込まれた。「ようこそジャパリパーク」や「大空ドリーマー」はもちろんPPPの新曲がありサーバルやオカピなんかが絡んだ歌もあり、そして場面場面でミュージカル的に挟まれる心情や状況を語る歌もあってと音楽に満ちた舞台になっていた。そんな音楽がラストに紡ぎ出す感動にはもう涙が出てきた。嬉しくて楽しくて喜ばしくて。本当に良かったという気持ちがフレンズたちに対して浮かび、そして自分がこの舞台を観られて良かったといった喜びが浮かんできて泣けた。

 聞き慣れたサウンドトラックに加えて舞台ならではの音源もあって、これらがまとまったCDなんかも「けものフレンズ」のアイテムとして欲しくなった。会場でも予約していたけれど、とりあえずやっぱり何度でも観たいと舞台の方のDVDを予約。実はゲネプロで見ていたんでこれは予約必至と思ったけれど、そうでない初日の当然初見の人たちが、まだ始まる前に予約をしていたのはこれほどまでに素晴らしい舞台だという勘が働いたからなのかもしれない。観終わってこれはもう予約と決めた人は結構多そう。期間中の予約も好調に推移するだろう。

 物販ではペンライトとブロマイドと缶バッジを購入。何が入っているか分からないブロマイドでしっかりとシロナガスクジラとチーターが入っていて嬉しかった。あと踊りが得意なオオフラミンゴ。休む場面でしっかりと東武動物公園のフラミンゴ舎前に立っている吉崎観音さんのイラストによるフレンズなオオフラミンゴと同じようなポーズを取ってたなあ、再現度高かったなあ。初出のフレンズではシロナガスクジラがボディライン最高。チーターはスレンダーな体躯がとても良いのだった。その職業も面白かったなあ。足が早いとそう言う仕事があるってことか。グッズ売り場ではペンライトなんて売っているとうことは当然に舞台の中で使う場面が組み込まれているってことで、家から持参でも良いけれどロゴ入りのが欲しかったら会場で買おう。9月のライブにも使えそうだし。


【6月13日】 気がついたら上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれていたそうで、もちろんまだ成長してはいないからこの先心配事も多そうだけれど、うまく育ってくれれば上野に新しい目玉が出来て大勢の見物客で賑わいそう。和歌山の動物園ではもう何匹も赤ちゃんが生まれて育っているのと比べると、どうして東京ではあんまり育たないんだろうといった悩みもあるけれど、そこはやっぱり都会だけあってパンダもいろいろ大変だってことなのかも。数も違うから確率論的に低いってこともありそう。前は寂しいことになってしまったんで今度こそって思う上野の商店街の人も多そうだなあ。騒がず静かにちゃんとする日が来ることを見守ろう。

 2万9800円が高いかというと日帰りツアーとして考えるならばちょっぴり高くて、これなら東武鉄道で行って日光の鬼怒川温泉に2泊して料理と温泉を満喫して帰ってくるツアーだって参加出来そうだけれど、そこは唯一無二の機会でありまた時流に乗るといった意識もくすぐってくれるってことで、決して高くないのかもしれなと考えた「けものフレンズ」に関連した「ジャパリバススター ぐんまちほー行き」。基本は群馬サファリパークで動物に触れあうのか眺めるのかといったところだけれど、そこに「どうぶつビスケッツ」×「PPP(のうちの3人)」によるライブがあってTシャツもついて記念撮影もあったりして、ファンとしては楽しいイベントにはなっている。

 あとは妥当性といったところだけれどライブ3000円にTシャツ4000円で入園料が2000円記念撮影1000円バス貸し切り往復運賃1万円といったあたりですでに2万円くらいは行っている。お弁当2000円で参加する楽しみプライスレスとなればまあ、2万9800円でも大損をしたといったことにはならないんじゃなかろーか。翌日が「ワンダーフェスティバル2017[夏]」の開催でなければ参加したかもしれないけれど、午前8時に池袋集合で戻って来るのが12時間後で、その間に「ようこそジャパリパーク」を20回は合唱し「けものパレード」も10回は歌うと体力が削られるんでここは遠慮、かな。でもちょっと考えかい。

 分かっているんだろうけれど、分かっていないふりをしないといられない場所なんだろうなあ安倍ちゃんファンクラブ。前の文部科学省事務次官が安倍政権のやり口に我慢がならないといろいろと内閣府とやりとりした文書をぶちまけその背後にいるだろう官邸ひいては安倍総理の関与なんかを仄めかして世間を騒然とさせている。でもそうした行為を安倍ちゃん周辺は好ましいとは思っていないようであれやこれやと難癖を付けるように人格を攻撃したり、官僚としてどうなんだといったことを行って人間を貶め、そんな人が言うことを信じちゃだめといった印象操作をしようとしている。

 でも書かれている内容が時何時かどうかと人間として好ましいか好ましくないかは別の話。もちろん人間としても決して批判されまくる人ではなさそうなんだけれど、安倍ちゃんファンクラブ入りをしたかしたそうな経済産業省の元官僚が、安倍ちゃんの取り巻き媒体に答えて「官僚のクズ」とかいったいった汚い言葉で批判している。クズって言うけどそこで挙げている「面従腹背」とは理不尽な政治家個人の要求に、公僕すなわち公の僕として従うのはどうだろうといった考え方から来るもの。時の政治家が明らかに間違ったことをしているにも関わらず、それに異論を挟まず諾々と従うべきかっていうとそれは違うだろう。それとも経済産業省の元官僚氏は、理不尽な要求でも官僚ならアイヒマンみたいに従い、結果として大勢をガス室に送って当然とでも言うんだろうか。

 そうした政治家の要求が理不尽かどうかといった問題についても、長く知り合いの人物に利益が誘導されるような政策にはやっぱりどこか無理がある。李下に冠を正さずの故事に倣えば知り合いであるからこそ除外するのが公明正大な人間のやることだけれど、「たまたま知り合いだった」なんてどこに出しても恥ずかしいだけの言い訳を官房長官にさせるくらい、上は無理を通そうとしている。そんな状況であるにも関わらず、経済産業省の元官僚は「加計学園の獣医学部新設が認められた裏で、首相が政治献金をいっぱいもらっていたとなると駄目だが、そんな事実はない」なんて言っている。

 でも以前にその学園のトップが「(安倍に)年間1億円ぐらい出しているんだよ」と話し、受けて安倍ちゃんも「俺のビッグスポンサーなんだよ」とベッタリ。政治資金規正法にのっとり記載されたかどうかといった表面的な問題ではなく、知人への便宜供与が類推され得る状況そのものがやっぱり拙い。でもそうした拙さに触れることなく前の事務次官こそが悪だと言い募る経済産業省の元官僚が狙っているのは何なんだろう。そこまでして頼って縋って良いことがあるんだろうか。あったからこそジャーナリスト氏も近づいては自ら掘った墓穴に落ちて今何処。ドライな扱いを見るにつけ、味方するのも厄介だろうと思うけどそうしたリスクと引き替えにしてでも、今に縋った方が楽しい思いが出来るんだろうなあ。だからなかなか崩れないという、そんな空気感。やれやれだ。

 これは凄い。そして楽しい「マリオカートアーケーエードグランプリVR」。新宿歌舞伎町にバンダイナムコエンターテインメントが作っていたVR施設「VR ZONE SHINJUKU」のオープンが7月14日に決まってその発表とか投入されるアクティビティの紹介なんかも行われ、ひとあし早くアクティビティのひとつ「マリオカートアーケードグランプリVR」を体験出来たんだけれどVRへっどまうを装着してハンドルを握るとそこはもう「マリオカート」の世界。周囲を見渡し前方へと向かってアクセルを踏んで走って行くうちに自分がゲームのプレイヤーではなくキャラクターになった気分が湧いてくる。自らの意志をもったキャラクター。つまりは現実。まさしく仮装空間における現実感て奴を味わった。

 操作性とか流れていくビジュアルなんかもそうした没入に一役かっているんだろうけれど、大きかったのは自分の動作がゲームにちゃんと反映される部分か。手にViveトラッカーというセンサーを取り付けることによって手の上げ下げを読み込み、ゲーム内で手を上げると架空の自分の手も上がってそれで風船にぶら下がっている様々なアイテムを手に入れることができる。例えばカメとか。でもってそれをライバルのカートにぶつけるとクラッシュして自分が先に行ける。まるでそのまま「マリオカート」。でもやっているのは自分自身という楽しさはこれまでのVRで味わったものでも極上に入る。ゲーム性もシビアじゃなくてベタ踏みしてカーブを曲がって追いつき邪魔をしてトップに立てる。その爽快感を味わいたくて何度でも通ってしまいそう。練習のためにそろそろNintendo Switchを箱からだして「マリオカート8」をプレイする頃かなあ。

 自転車のようにペダルを漕いで空中を飛んでいくVR「ハネチャリ」は最初こそ1本橋の先から絶壁の無効に広がる空中へとダイブする感じが怖いけれど、メディアフロントなんかが展開するハングライダーのVRなんかを経験していると落ちるわけでもないのだから怖がる必要もないといった感覚が働いて、悲鳴がでるようなことはなかった。ただ川沿いに飛んでいくうちにグライダーを地面近くまで下げたりまた上に上げたりと知った操作が必要で、ペダルを漕ぎながらハンドルを傾ける動作で結構な体力を使ったし、壁に激突するときはやっぱり心にギュッとした怖さも走る。痛くないのにやっぱり痛いというか、そこがVRならであの没入感なんだろう。ほかに「ドラゴンボール」のかめはめ波を出すVRとか釣りのVRなんかもたっていろいろ楽しめそう。オープンしたら行きたいけれど、ひとりで行って歌舞伎町にたむろするリア充カップルとかグループに紛れてプレイするのは辛いかなあ。どうかなあ。

 封切りから2周年ということで各地で上映された「ラブライブ! The School Idol Movie」を新宿ピカデリーで観る。ちょっと泣く。作中のμ’sと現実のμ’sの軌跡が重なって、そして今の不在が必然と思つつも空虚さも感じられて終われない気持ちの整理に迷う。現実世界でのその後で憑き物落としになる活躍をヒロインが、雑事によって未だ果たせていないからなのかもしれないなあ。どうだって良いはずのことがひとつ、怨念のスパイラルに捕らえられていつまでも取りざたされ、それにニヤけたような嘲笑が乗って表になかなか立てないでいる。どうしてこうなってしまったんだろう? どうすれば良いんだろう? もう一度の復活しかないのかなあ。そこでの輝きがすべてを払って次への道を示すようになればと思ったり。アキバドームならぬ東京ドームでの「僕たちはひとつの光」を再度見て最後に見て、今が最高というコールに推されて永遠の今を取り戻して欲しい。心からそう願う。


【6月12日】 前回の4.8%から今回は5.4%へと0.6ポイントも上昇したことを率からするなら微増とは言わないような気がするけれど幅でとらえるのが視聴率だとするとやっぱり微増なのかもしれない。それでも下がる一方から上向きに転じたのはミステリ的な謎解きがちゃんとありつつ底流となっている蝶形骨を抜き取る存在をめぐってまだ多くの謎もあって先行きが気になるから。単発ドラマであって連続性も持った作品として観ていて引きつけられるってことがるかもしれないフジテレビジョンの日曜9時放送ドラマ「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」。裏が結構すごいのにこれだけ稼げれば良いって気もするんだけど。

 ただやっぱり北海道からおそらく首都圏へと舞台を移したこともあってところどころ描写に無理が。お婆ちゃんが山に行って遭難をして白骨死体になるまで発見されなかったのは、そこが北海道でもハイキングとかピクニックじゃなくトレッキングで行くような場所だったからで、櫻子さんや少年もそれなりの装備をして入っていっては白骨死体を見つけた人たちとすれ違って現場へと向かう。ちょっと仕事の合間に昇っていけるような裏山ではない。それこそ休日を取って山道の入り口まで行きそこから何時間も歩いていかなければたどり着けない場所だろう。

 だからこそなかなか発見もされなかったにも関わらず、ドラマと少年はそれなりな装備をしても櫻子さんはいつものレザージャケットに細身のパンツ。靴はもしかしてパンプスか? そんな格好で入っていける山に転がる白骨死体なんてそうなる前に腐乱死体として誰かが発見して不思議はない。それは20年前に発見された首吊りしたいも同様で、白骨化するまで放っておかれるなんて北海道の山奥だからなんだけど、それを言い出したらきりがないんでそういうこともあるんだと、ここは理解しスルーしつつ櫻子さんの謎解きの冴えを味わいつつ、ピンチに陥った少年のこれからを見守ろう。ついに呼んだ「しょうたろう!」の名前。それは誰のこと? 次回が楽しみ。

 へええええ。これはちょっと凄いことかもしれない。大昔、まだホームページの制作がひとつのビジネスにすらなっていなかった時代にKAPSこと神原アドプランニングシステムという会社を立ちあげ、伊丹十三監督の映画作品のPRサイトを制作していた神原弥奈子さんという人がいて、面白そうだったので何度か取材に行った記憶があるけれど、その後にニューズ・ツー・ユーという会社を立ちあげ企業のPRをウェブを通じて行うシステムとコンサルティングを請け負うような会社へと以降し、今に到るまでそちらを続けていたりする。IT経営者の中でもそれなりに一目置かれる存在になっているのかな。

 今は結婚されて末松という姓も使っている神原弥奈子さんが、そんなニューズ・ツー・ユーホールディングスを通してあのジャパンタイムズの株式を取得し100%子会社にした模様。これまではニフコホールディングスという工業用ファスナーの分野において世界シェア7割とかいったメーカーがなぜか保有していたんだけれど、本業がそれほど悪いって感じでもないのにここに来て創業者の人が年を召されたってこともあってか、インターFMなんかを売却してそしてジャパンタイムズ株の売却へと到った感じ。引き受けた方はいわゆるITベンチャーでPR会社で体力に差があり過ぎって思われるかもしれないけれど、本居KAPSに出資していた会社に神原汽船なり常石造船という広島県は福山市に本拠を置く大手企業があって、その名前から神原さんのご実家だろうという想像は付けていた。

 そして今はツネイシホールディングスの代表に神原弥奈子さんの弟さんが就任して自身も専務取締役としてCSV本部、おそらくは企業の共有価値創造といった分野に関する戦略の立案なんかをしているみたい。こうしたバックグラウンドはここんとこ厳しい状況が続く造船であり海運といった企業ではあっても、新エネルギーなんかを立ちあげそれなりに経営を維持していることもあってニフコに負けず劣らない支えになるような気がしないでもない。果たしてそこまでコミットするのか、あくまでもニューズ・ツー・ユーホールディングスが面倒を見ることになっているのあ分からないけれど、ただのネットベンチャーが金に飽かせて買ったと考えるのは違っているだろう。

 あとは論調がどうなるか、ってところでジャパンタイムズの買収に関してネットなんかで大喜びしている人たちの論調からは、どこかの新聞が世界に向けて掲げて苦笑されている“反日”といったレッテルが感じられたりする。つまりは政府に対して厳しい論調を繰り出している現れであって、実際に国連事務総長がこれは国連の総意えはないといったらしい会見を、しっかりと出所は外務省だとか書いて間接的に聞いた話だということを示してた。他ははいかにも事務総長がぶら下がりなり会見で言ったかのように書いていた。だから実は「国連の方から来ました詐欺」ではなくてしっかりと国連における独立して任に当たる人の見解だといったことが分かって、総意じゃないを拠り所にした批判を真っ当な頭を持ったメディアはしなくなっている。分かってて知らないふりをするメディアはあるけれど。

 つまりは気骨を持った論調だったジャパンタイムズがこの買収で変わるか否かってあたりが今後の鍵か。がんばっていって欲しいけれど、ネガティブな論調はしつこくまとわりつくからなあ。あとはPRを行っている会社の傘下に入って果たして論調に独立性が担保されるかといったところで、そのあたりはメディア業界にも知己の多い神原弥奈子さんだけに間違いは犯さないと信じたい。むしろソッチの独立性を保ちつつネットを通じて世界に発信する一方で、世界に開かれたPRも可能だといった使い方をしてクライアントを集めることになるのかな。ニフコが手放さなかったのも120年の伝統を誇る英字紙ってことで日本に置かれた外国の大使館あたりから尊ばれ敬われていたから。そうした影響力を生かしつつビジネスにも報道にも取り組んでいて欲しいなあ、昔取材した身として、ってまあ覚えちゃいないだろうけれど。みんな偉くなっていき、そして僕はじっと手を見る。いつもやっぱり早すぎる。

 野崎まどさんが脚本を手掛けてその超展開ぶりに大勢が阿鼻叫喚といった感じの「正解るカド」に出資している木下グループの出版社、キノブックスがやってる「第2回ショートショート大賞」の授賞式があったので見物に。大賞の洛田二十日さんによる「桂子ちゃん」は女性に毎月来るあれがそれで日々が大変で鬱屈し反発し立ち直ったけど疎まれ悲しみ分かって喜ぶ話。アイデア抜群でちょっと読み込んでしまった。細部を突きつめればそれで大丈夫なのとは思えるけれどアイデアがあって背景が感じられ大変だと思わされけれども生きている強さを知りつつオチもあって大丈夫なのと思わされる展開が秀逸、文章も情景描写が巧みでシュールな運命に生きる女性の大変さが伝わる。

 授賞式ではEXILEの橘ケンチさんがアンバサダーとして登壇してこの「桂子ちゃん」を朗読。女子の一人称作品を急かずしっかりと読んでいく感じに引き込まれた。ショートショートなんだけれど説明だけに走らず心情描写がしっかりした作品だけに朗読向きだった。そうした冗長性をショートショートはそぎ落とす傾向にあったけれど、だからこそそうでないこの作品が田丸雅智さんの関心を誘って大賞となったのかもしれない。古市憲寿さんは文学的で長い文学にも挑めるって話してたし。でもこの賞はショートショート作家を発掘して送り出す賞だから、しばらくはそっちを書き続けていて欲しいかも。「角子ちゃん」とか「飛子ちゃん」とか。

 ほか、優秀賞の恵誕さん「超舌食堂」は食べに行く場所が東北でそうかと思わされるのだった。舌がメインの定食だけれど食べると自分の舌が…。そしてホストは巧くいくけどそんなある日食べたのが……でも悲劇にせず皮肉にしないで前向きに。そんなオチが素敵。 同じく優秀賞の滝沢朱音さん「今すぐ寄付して」はSNSの良いねで伸びる人の余命。でもそれは相対的なもので。だからこそ生きる他人とのつながりと日々のゆとり。その間にどちらを選ぶべきかという残酷があり、けれども最後はしっかり役立つその生涯。なかなかじんときた。

 やはり優秀賞の長野良映さん「ヤンタマ」は野球のアウトが「死」でそれが生み出す何かを捕まえる話。大変だけどそれが甲子園だとさらに凄い展開に。なぜなら甲子園には魔……。アイデアを生かした不思議で可笑しいシチュエーションを描いたショートショートらしい1篇。ゲストとして登壇した三枝成彰さんはエロが読みたいって話していたけど、確かにそいうったのは少なかった。2次審査委員が太田忠さん梶尾真治さん北野勇作さんではSF寄りになってしまうのかもしれない。あと15枚は長いんで10枚から7枚くらいでとも話していたっけ。長いと冗長性も生まれてそれが良い方向に転ぶケースもあれば、説明が入り組んでシンプルさが消えるケースも。1枚でも応募できて最終選考まで残るそうだからそれでも構わないかもいいけれど、でも落ちたならせめて5枚、あるいは10枚以内でめざしてみるのも面白いかも。


【6月11日】 莫迦なのか莫迦なふりをしているのか莫迦でいることでしか自分を保てなくなってしまったのか。煌樹まみかの消滅をメテオラ・エスターライヒのせいだと築城院真?の諌言に弄され、信じ込まされてしまったのか、相手に釈明を求めることすらしないで突っ込んでいくアリステリア・フェブラリィのその融通の利かなさは、単純にそうした思考能力を創造者によって与えられていないからなのか、それとももはや真実などどうても良くって、浮かんだ憤りがぶつけられる相手さえいればそれで良いと投げ出してしまっているからのか。だったら向かうべき相手が軍服の姫君ことアルタイルでも良いしいかにも怪しげな築城院真?に向かうのが本筋なのに、そうはならないところがやっぱり創造主によって固められてしまった一本気って奴なのかも。苛烈な世界の中で己だけを信じ続けることでしか生きられなかったキャラクターとして。

 対してセレジア・ユピティリアは創造主が柔軟で異常な事態もすぐに受け入れむしろ積極的に介入していこうとする意識すらもっているようで、ただ書き換えるだけでなくそれが大勢に承認されることで被造物たちの力になることを知って、アリステリアとの戦いでセレジアが傷ついたところに現れてはすぐさまネットで改変を伝え、まりねのイラストも添えてSNSへと放流しては山ほどの「いいね!」をもらって臨時とは言えセレジアの力とした。これをもっと確固たる設定へとしていけばセレジアもいっそう強くなるかもしれないけれど、今は病床にある身、ここで次なる敵が現れた時にどうやって対処するかが心配になって来た。真?は弥勒寺優夜からアバターだかスタンドを奪ったみたいだし。口先だけじゃない力まで得て何をしでかすつもりなんだろう?

 1番謎なのはやっぱり軍服の姫君ことアルタイルで、ソーシャルゲームの主人公の二次創作でしかないにも関わらず、異常なまでの強さを持ち意志の強さも持っては世界の崩壊を目論んでくる。承認が被造物たちの力になるなら世間がまるで知らない、ネットの中だけでの承認ではどれだけの力も得られないはずなのに、セレジアですら蹂躙するその力の源はやっぱり大勢の憎悪を吸い込んで果てた少女の慟哭にもにた思いを受け継いでいるからなのか。それはいったいどれだけの怨嗟でそこに水篠颯太はどれだけ関わっているのか。彼とアルタイルを生んだシマザキセツナとの関係が未だ描かれていないところ、それを颯太が語ろうとしないところに深い水底のような事情がありそう。世界がこれだけ大変な状態になり、身内とも言えそうなセレジアやメテオラのピンチにもだんまりを決め込む水篠颯太こそがすべての悪の根源、なんてことだったりして。げにクリエイター志望者の嫉妬の念は深くて昏い、と。

 貧乏なので遠出もせず美術館とか動物園に行くこともなく、神保町へと出向いて明治大学米澤嘉博記念図書館で「聖悠紀『超人ロック』生誕50周年展」を見物。決して大量の原画が飾られている訳ではないけれど、「宇宙戦艦ヤマト」や「忍者キャプター」や「超電磁マシーン ボルテスV」とかのコミカライズやイラストレーションも含みつつ、主に「週刊少年キング」で「超人ロック」の連載を始めたころの原画やカラーイラストが並んでいて、ちょうどその頃から連載を読み始めて単行本を集め始めた身にはリアルタイムでの「超人ロック」体験が蘇って来て懐かしくなった。

 存在自体はそれ以前に作画グループで描かれていたものが単行本となって、名古屋のいりなかにある三洋堂書店の漫画売り場に並べられていたのを何となく眺めていた記憶があって、見知っていたように思うけれども、超能力者たちの戦いでありその超能力者がとてつもない力を持って長命でもあって、男にも女にもなれる万能の存在だと知ったのはもうちょっと後、「少年キング」で最初に連載された「炎の虎」が単行本となってそれを買って読んで面白いと思い、積極的に追いかけ始めたあたりだったかもしれない。そのきっかけもアニメックか別の何かで「機動戦士ガンダム」の特集があって、モビルスーツというガジェットからパワードスーツが登場する作品が紹介され、その中に「炎の虎」に登場した暗黒騎士団が入っていたことで興味を持ったからだったかもしれない。

 30年以上も昔のことなで記憶も錯綜しているけれど、そうやって入り込んだ「超人ロック」の世界はすぐさま「魔女の世紀」で圧倒的にSFな世界観って奴を見せつけられていっぺんにファンになった。「ロードレオン」ではロックにも勝るエスパーの登場もあって面白さをグングン増していったけれど、何時の頃からファンタスティックな雰囲気も出始め構想が遠大になってロック自体の存在感も薄れていったからなのか、だんだんと熱量が薄れて今は何となく知っているし眺めている存在になっている、といった感じ。「ヤングキングアワーズ」は毎月買っているから連載も眺めてはいるんだけれど、これはいつの時代のロックで何と戦っているんだろう、といった具合に足場がふわふわとして今ひとつのめりこめない。ただこうして改めて50周年という節目を迎え、過去の作品を見てそして今なお衰えない画力に触れて、やっぱり凄い話なのかもとは思い始めているので少なくとも、「ヤングキングアワーズ」連載分だけは読み返してみたい。って調べたらそれだけで25冊もあるのかあ。どしようかなあ。

 ああ薄気味悪い。かつて「LEON」という雑誌でもって「ちょいワルおやじ」とかって概念を打ち出し話題になった編集者の人が、今は爺さん向けの雑誌を作っているそうで、そこで爺さんがナンパするなら美術館が狙い目だとかって話をしているらしい。その雑誌を紹介していたサイトでインタビューでも受けたのか、「熱心に鑑賞している女性がいたら、さりげなく「この画家は長い不遇時代があったんですよ』などと、ガイドのように次々と知識を披露する。そんな『アートジジ」になりきれば、自然と会話が生まれます」だなんて言って美術館でのナンパを勧めていたりする。でもこれってただの迷惑行為じゃね? 静かに見ているところを見知らぬ人から話しかけられたら鬱陶しいことこの上ないし、他の鑑賞者にだって五月蠅いだろう。

 でも「美術館には“おじさん”好きな知的女子や不思議ちゃん系女子が訪れていることが多いので、特に狙い目です」だなんて妄想も甚だしい決めつけでもってそうされることが嬉しい人しかいないような書きっぷり。相手のことを省みない行為を推奨する態度はやっぱり袋だたきに合っている。だいたいが美術館に来る知的女子がおじさん程度の付け焼き刃の知識でもって靡かせられるはずがない。美大で学んでいる相手はその道のプロかもしれない。むしろ教えを請うくらいの態度で接するべきなのに、上から目線で言うことを聴かせようってどうして思ったのかが分からない。ちょいワルおやじの頃はまだ、金と長年の経験でもって周囲をリードしていける可能性なんかも感じさせてくれたけれど、本物ではない人間がナンパ目的で美術だとか料理とかをたいした経験も知識もないままダシに使うことを推奨するようになるとは老いって怖いなあ。

 昨日の「BLAME!」のコメンタリー付き上映で思い出したこと、遠征から霧亥を連れて村へと戻ってきたづるとサナが電基漁師の服を脱いだあたりでむおっと熱気が立ちのぼったのはやっぱり作り手側の思い入れがあったってことで、あれで年月が経ってもそこに生きているのは人間だって思えたからやっぱり正しい判断なんだろう、っていう表向きの理由はさておきやっぱり匂いたつってところがフェティッシュな気持ちを誘うのでありました。あとシボさんが偽装端末をぶっさした場面で歩くところ。回るのは予定だったけれど別に歩かせる必要はなかった訳で。でも歩かせたかったら歩かせたら大受けした。ヒットって方程式じゃないんだなあ。感性なんだなあ。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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