Last Updated 2018/5/20
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【5月20日】 朝起きて開催中のフランスはカンヌ映画祭で是枝裕和監督の「万引き家族」が最高賞のパルムドールを受賞したって報が入ってきた。今村昌平監督の作品で役所広司さんが出演していた「うなぎ」以来21年ぶりということで、まずはめでたいけれども逆に是枝監督にとってこれが名の知れた外国の映画祭では初めてくらいの大きな賞って感じになってて、カンヌ以外のベネチアだとかベルリンといった映画祭では何も受賞してなかったのかと調べたら出品しているんだろうかといった印象を持った。少なくとも何かの賞に引っかかっている感じはない。

 これがアニメーション作品だとアヌシーのような映画祭からクロアチアザグレブオタワに広島といったアニメーション映画祭をぐるぐる回って賞を狙っていくことが可能なんだけれど、カンヌに出してベルリンにも出してベネチアにもってことが多分仕組みとして出来ない感じで、だったら最初から狙いはカンヌって感じで活動をしていたのかもしれない。知らないけれど。ともあれいつかの審査員賞に続いてグランプリという最高賞。過去の作品では「ワンダフルライフ」がどこかSFじみてて好きだったんだけれどそれ以外はあまり見てないだけに、今回の受賞と5月25日のバンダイビジュアルからリリースされる過去作品のブルーレイディスクを見返して、その雰囲気に迫りたいかも。全部は無理でもせめて「空気人形」だけは。

 レイトヒットというらしいアメリカンフットボールにおけるプレイが成立した後の無防備になりかけたところへと突っ込むタックルについて調べてみたら、もうボールから手が離れた直後くらいにタックルを仕掛けてもレイトヒットといわれていたし、タッチダウンをした選手に向かって突っ込んでいっても、ボールを持ってスクランブルをかけたクォーターバックが滑り込むように体を伏せた上からのしかかってもレイトヒットとされ、ダーティーなプレイと誹られ両チーム入り交じっての乱闘めいたことすら起こっていた。瞬時の判断が少し遅れて起こっただけの、どこか不可抗力めいたプレイであってもそれがフェアでなければ批判され、反撃をくらうくらいにアメリカンフットボールではレイトヒットは恥とされている。そんな感じ。

 だから2秒だなんて瞬間からすれば永遠に近い時間を経て、完全に無防備と分かっているクォーターバックに向かってその背中へと突っ込んでいくなんてプレーがアメリカンフットボールでは起こりえるはずがなく、そして少なくとも高校時代から代表に選ばれるような選手が起こすはずがないというのが通説であり定説であり常識であえり掟でもある。にも関わらず起こってしまったから日本のアメリカンフットボール関係者の誰もが驚愕したし激怒した。選手の独自判断で起こるはずがないと確信して誰かがやらせたに違いないと類推し、それができるのは監督だけだろうという結論へと至った。そこをひっくり返すのは少なくとも、アメリカンフットボールをよく見ている人たちには難しいし、ひっくり返したら恥であってアメリカンフットボールの世界に身を置けないとすら思うだろう。

 だからこそ日本大学フェニックスでそうしたプレイを示唆したのではないかと想像されている監督に対する疑念が消えない訳なんだけれど、そういった状況がまるで見えてないのかどこかの経済評論家が別に本職でもないのにアメリカンフットボールで2秒もの間を置いてのレイトヒットなんてよくあることだと放言したからもうこれはどこのポン酢だといった声が巻き起こっている。民放地上波じゃないから別に世間には広まっていないけれど、こと経済評論の世界でそれなりに知られた論客が繰り出す場違いも甚だしい突拍子もない擁護。なおかつそうした日本大学の監督を批判する声は日本大学を貶めたいという陰謀によるものだといった、それこそが陰謀めいた論陣を繰り出して来たから誰もが苦笑し失笑し唖然とした。

 でも当人はいたって真面目に真剣に日本大学への謀略を疑っているようだから何というか。強い強い日本大学を弱体化させようとする陰謀だとするならどうしてその日本大学が他校の選手を潰そうとするのか、逆に潰されそうになったって話なら別なのに。まあ根底には2秒ものレイトヒットでもアメリカンフットボールにはよくあるという誤解か曲解か確信を持っての虚言があるから、それを避難して監督を引きずり下ろそうとするのは陰謀なんだと行っているだけなのかもしれない。それだとしたら根底となる誤解で曲解をこそ正すべきなんだろうけれど、言って通じる相手でもなさそうだからなあ。感じとしては出身の日本大学が非難されることが気に入らないという意識からその出口として無実の罪に仕立て上げようとしているようだし。悪いのは誰か。そこをちゃんと認識させないと。誰が? 誰もいない。そこが問題なんだよなあ、政権批判に対する無根拠にして政権の無謬性を信奉しての批判とかと同様に。やれやれだ。

 国が美術館でも積極的にアート市場の活性化をもくろむところを先進美術館に指定していろいろ支援をしていくという話が出てきているけど、これって美術館が画商と結託して美術品の価値を上げ底して、それを画商に売り払ってそれを画商が利益を乗せてコレクターに美術館のお墨付きだと売って、そして美術館が無償で寄贈を受けてといったロンダリングをしたいがためのものにしか見えない。そもそも美術館って安く仕入れて価値付けして高く売るための場なのか。コレクションが増えれば整理だってするのはメトロポリタンだってやってるらしいけど(「ギャラリーフェイク」で読んだ)、それは精査しつつコレクションを増やし未来に文化を残そうとするためのも。値段が上がったら売るような画商ビジネスなんてやっていない。

 もしも先進美術館とやらが出来たとして、収蔵作品の価値が出たら売り払って次のを仕入れ盛り上げ売ってまた買っていくサイクルのどこにコレクションを育て護る意志があるのか。今はそれほどの価値はなくてもキュレーターの感性で集めたコレクションがいずれとてつもない意味を持つことだってある訳で、そうした将来に資産を残す活動をやらない美術館が美術館である必要がないのか。そんな美術館は寄贈されたものだっていつか保管場所がないからと売り払うだろう。そんな可能性が浮かぶのも、国立新美術館なんて豪華な貸画廊を作って喜んでいる国だから。気がついたら日本からスポッと美術品のコレクションが消えてどこかの国に集まっているかも、その過程で誰かのフトコロを潤しながら。

 何が入っているか開けるまで分からないドキドキ感と、出てきたものの可愛らしさで世界的なヒットとなって5億個を売ったサプライズドール「L.O.L.サプライズ!」ってのがいよいよ日本に上陸するようで、その発表会があったんで原宿まで行って見物してくる。あの渡辺直美さんが登場してはドールにあるディーバの格好でいろいろアピール。究極のボディを惜しげもなく見せつつにこやかに応対する姿はスターでありながらも芸人といった気配りっぷりを感じさせる。いい人、なのかなあ、やっぱり。

 .商品自体は手のひらに載る大きさのボールを包むパッケージを1枚、また1枚とはがしカプセルを取り出しくぼみとかからアクセサリーを取り出しそして、カプセルの中から人形を取り出すといったもの。種類が豊富で何が出てくるか分からないからコレクションしていく楽しみもあるし、出てきたものがまたクールでスタイリッシュだから連れ歩いて写真を撮ってインスタにアップとかってことも楽しめる。子供のためのファッションドールというよりほとんど大人のためのコミュニケーションドール。そこが5億個も売れた要員なんだろう。中が見えないものでも買うのは日本ではガチャとかで普通にあることだし、元を辿ればケロッグのおまけやグリコのおまけだって何が出てくるか、分からないのが楽しみだった訳だし、案外にすんなりと受け入れられそう。

 面白かったのはウェブ向けの動画で渡辺さんがHIKAKINさんみたいに商品を取り出し紹介していく映像を作っていたことで、トップを走る芸人さんでも意識するくらいにユーユーバーといった人たちが世間に浸透し、影響力を持っていることを感じさせてくれた。というかこの商品自体がアメリカで作った会社のCEOが家でユーチューブとか見ていて、子供が玩具の包装を開けていく動画が人気になっていることから考えついたもの。開ける楽しみは自分だけでも感じられるし、だれかと共有しても面白い。そんな雰囲気をうまくとりいれ作り上げたサプライズドール「L.O.L. サプライズ!」。いつか日本でもキャラクターもので真似して出してきそうだなあ、「ONE PIECE」とか膨大なキャラで作ったら買っちゃいそうだよなあ。


【5月19日】 そして気がついたら将棋の藤井聡太六段が藤井聡太七段になっていた。竜王戦の第5組ランキング戦に登場したその時は六段の藤井聡太が船江恒平六段に買って4組への昇級を決めて2期連続の昇級は昇段といった規定に沿って1つ段位が上がったらしい。あの加藤一二三九段ですら七段になったのは17歳とちょっとで現在15歳とちょっとの藤井聡太さんな大きく更新したこの記録を、次に上回る人が出てくるかどうかはちょっと考えつかない。

 「りゅうおうのおしごと」じゃないけれど、それこそ小学生プロが誕生でもしない限りは無理そうだし、誕生してもその後に勝ち続けられるかというと話は別。そこで足踏みをする棋士も多い中で、藤井聡太さんは連戦連勝にして肝心の試合でしっかり勝っているから凄い。そうした結果でも才能を見せている藤井聡太七段がタイトルを手にするのはいつか、それは何か、ってあたりが目下の関心事ってことになるんだろう。主催する新聞社とかもハラハラしているだろうなあ。でも名人戦の毎日新聞社と朝日新聞社にはその資格はなし。あっと朝日は朝日杯で藤井五段が優勝して六段に上がっているからひとつ宣伝にはなったか。毎日はスポーツニッポン主催の王将戦で頑張ってもらうしかないなあ。

 そういう幕引きを狙ったのか日本大学アメリカンフットボール部フェニックス。内田正人監督がようやく表に出てきて関西学院大学へと出向いてクォーターバックにレイトタックルを仕掛けて怪我を負わせて後、数度のファウルで退場となった一件で関西学院側がわざとやらせたんだろうゴルァと怒り心頭でいたにも関わらず、やらせたともっぱら噂されている監督は日本大学の調査に自分は厳しいことを言いはしたけど反則を犯せとは行ってない、聞いて選手が突っ走ってしまったんだろうと責任を選手に押しつけ大顰蹙を買っていた。

 優しい関西学院側はそうした部分はいずれ調べてくださいといいつつそれでも酷い反則を犯した選手をすぐに退場させず、ねぎらうようなそぶりすら見せたことは指導者としてどうなんだといった指摘をしていたところにようやく、内田正人監督が答えてすぐに注意をしなかったのは拙かったといた認識を、関西に出かけがてらの囲み取材で発言した模様。だから監督を辞めるとまで言ったものの肝心の部分、監督がそれをやらせたのかどうかといった部分への言及はまだなく、24日だかが期限となっている第2次の回答の中でいろいろと言うことになっているらしいけれど、この時点で自分は命令していないが注意していなかった責任はあると言っているならその線で押し通す意志を示したとも言える。

 綿密な計算の上に立てられた作戦をすべての選手に徹底させて臨むアメリカンフットボールにおいて、非道にして残酷ともいえるクォーターバックへの極端なレイトタックルをどうやったら選手が勝手に自分の判断で行えるのか? といった疑問は未だに残っているし生徒たちの証言としてもそうした指示があったといった感じになっている。でも内田正人監督はそれを頑として認めずただ後始末に置いて手違いがあったといった態度を崩さないことに、果たして関西学院大学はどういった判断を示すのか。そして現場でその言葉をもしもあったとしたら聞いていた日大フェニックスの選手たちは。目下のところそこがとても気になっている。

 関学側がそこが落としどころなら幕引きへと持って行っても良いと政治的に判断をしても、日大の方は強権を振るって選手を動かし、今また強権をふるって自分の責任を軽減した人間が近くに居続けることに、どれだけの不安を抱くのか。普通はやってられないと思うだろう。次にいつまたそうした強権が発動するか分からないから。そう考えるとここで政治的な決着を狙い収束を計ろうとしたこが、新たな火種となって燻りそう。とらえずは関学側の判断待ちか。それにしても長年のライバルであり共に日本の大学アメリカンフットボールを支えてきた相手チームの名前を「かんさいがくいんだいがく」と読み間違えるとはなあ、内田正人監督。つまりはその程度の意識しかしていなかったことなのか、だからこそ非道にして残酷なプレーも平気で支持できたのか、って話にもなってしまう。やっぱりまだまだ収まりそうもない。

 池袋のシネ・リーブル池袋で「劇場版 空の境界」の公開から10周年を記念した連続上映が始まっていて、その中でもやっぱりこれは劇場の大きなスクリーンで見たいし見るべきだと思っている「第五章 矛盾螺旋」の上映が始まったんで出かけていって見物する。チケットを取ったときはそれほどでおなかったけれど上映が終わって振り返ったらほぼ満席。10年が経っても集まる支持の多さに作品としての存在感、そして寿命の長さを改めて思い知る。「Fate/GrandOrder」勢がコラボとかしているからと入ってきているかはちょっと分からない。

 公開が終わってからしばらくして出た特装版のDVDを買って家でも何度も見返したけれども、劇場で見る「矛盾螺旋」は、というか冒頭で両義式がチーマー風に囲まれた臙条巴を助ける場面で、体をくるりと回して着した時に瞬間、はだける着物の裾から見える太ももはやっぱり最高だったなあ。これがDVDなら止められるけれど劇場ではその一瞬が勝負。来る瞬間を身構え待ち構えて瞬きすら惜しんでスクリーンに見入るのだった。ここで遅れて入場してきた奴が前を横切ろうとするものなら蒼崎燈子を「傷んだ赤色」と呼んだ者と同じ末路を味わわせてやるだろう。確実に。

 カットが前後してストーリーを1本では追えず両儀式と臙条巴を中心としたストーリーとは離れたところで動く黒桐幹也や蒼崎燈子の振る舞いなんかも挟まれ一体今はいつで何が起こっているのかを1度では理解しづらいところもある映画だけれど、そうしたぶちまけられた断片をかじりつつ前後させていった果てに浮かんでくる、とりあえずそう見せておいて何が起こっていたかを改めて示し、あるいは繰り返すことによって何かが起こっているらしいと感じさせて惹き付ける手法が相変わらずに凄まじい。

 1本でずっと進んでいくと前の記憶が薄れていくのがこれは無理矢理にでも思い出させて切りつけてくるところもあるからかえって強烈にすり込まれる。そういう効果を狙ったのか、そもそもどうしてそんな入れ子のようでモザイクのような構成になったのかはきっと当時いろいろ語られたんだろうけれど、思い出せないんで改めて考えつつ聞かずとも浮かぶ効果ってものがあるんだとは理解する。DVDの限定版にライナー、入っていたかなあ、読み返してみるか、これは好きなシリーズなんで枕元に積んであるのだ。

 コルネリウス・アルバと蒼崎燈子との最初のバトルがあって荒耶宗蓮が絡んで大変なことになってから健気な幹也の突貫があり臙条巴の気づきがあってそして来るクライマックス、エレベーターから現れた両義式がくるくるくるくると回りながら飛んでくるシーンもやっぱり劇場で見ると迫力がある。いったい何回転してるかはこれもDVDをスローで再生すれば分かるんだろうけれど、そうした引っかかりと入れずに瞬間の躍動に感嘆するのもまた、劇場で映画を見る楽しみって奴なのかもしれない。もう1回くらい見ておきたいなあ。

 しかし10年かあ、「劇場版 空の境界」は。映画として凄いという話を聞きつけ第五章からテアトル新宿あたりに通い始めたけれどもそれを見た8月より少し前、5月末に公開された「第四章 伽藍の洞」を見た大学生がその後に秋葉原へと回って例の連続殺傷事件い遭遇して命を落としたといった話が今でも頭に強く残っている。この第五章を見られなかったんだなあ、彼らはと考えるとその悔しさにも共感が浮かぶ。もしもエヴァンゲリオンの新劇場版を完結まで見られなかったら。そんな人生に浮かぶ後悔たるや。だから早く作って庵野秀明監督は。

 そして当然のごとくに「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン〜きらきらメモリアルライブ〜アイドルおうえん上映会をほとんど満席の新宿バルト9で鑑賞。真後ろに声出しの男子が並んで普通だったらやかましいところを最大席数のシアター9ではそういった声すらも空間が飲み込んではアクセントへと変えてくれて、他の人たちの嬌声なんかとも混じり合って激しくて熱いおうえん上映会に仕上がったといった印象。振られるペンライトも多くて居心地としてとてもいいものを感じた。

 オーロラドリームからディアマイフューチャーと続いた「プリティーリズム」からのコースは今回は「レインボーライブ」となって彩瀬なるらのハッピーレインが出たり蓮城寺べるらのベルローズも出たりといった感じに見ていた人には懐かしくて嬉しい回になったかもしれない。「プリパラ」からもファルルが登場してはボーカルドールとしての流麗な歌声を聞かせてくれてそしてプリティーリズムからプリパラも交えた「Make it」へと収斂する流れとなってWITHを経て萌黄えもと桃山みらいのソロ曲に至って終演といったところ。可変の部分に曲がいろいろあって充実ぶりでは「オーロラドリーム」に継ぐかもしれない。ただ楽曲的にはやっぱり「オーロラドリーム」編が個人的には好きだったかもしれないなあ。おおえん上映会で3度は見ることにしているんで明日また見てもう1回、水曜日くらいにバルト9でまた見るかなあ、またしてもシアター9が用意されてるみたいだし。


【5月18日】 星野絵瑠がF2のパイロットになりたいという気持ちは痛いほど伝わってきて、誰よりもしっかりとランニングをして体力だって男性の自衛官に負けないくらいになっているにも関わらず、少しの失敗でパイロット候補から外されてしまう女性自衛官という状況を叫びながら語っていたシーンを、もちろん自衛隊だって認識はしているんだろうと感がえると、そういった認識を露見させることで現場に色濃く残る女性だからといった意識をこれでぶっ壊そうとしているのかいないのか。ゲスな男性自衛官が直接は出てこなかったから嫌気を感じる人も少なかっただろうけど、女性自衛官の口から差別を言わせることでその存在がやっぱり伝わってきた「ひそねとまそたん」だい6話。

 嫌な気分だけを抱えて終わるのも寂しいので、解消する方向が示されていって欲しいもの。OTFに乗ってる段階で男性パイロットなんかよりはるかに強大ではあるんだけれど、架空の乗り物ではない現実の戦闘機パイロットに女性がなれる道って奴を、ここは指し示しておいて欲しいなあ。とおあれ絵瑠は心を入れ替え自分の言いつけをずっと護っていたOTFのF2ことノーマをどうやら認めた様子で、一方ノーマもずっと絵瑠のことが気になっていたことが分かってお互いに信頼が得られたところで他の3人も含めて島を脱出してミッションコンプリート。もっとも無人島のはずが鳥居があってOTFらしき絵が残され全員が太平洋戦争時の戦闘機に擬態したOTFとそれを操縦していたDパイの夢を見た。彼女はジョアおばさんなのか違うのか、なんて謎も浮かんで楽しみになって来た展開。防衛事務次官のジョアおばさんへの驚きも含めて画策している何かがDパイたちを虐めるようなことにならないと良いけれど。

 昨日はライゾマティクスを見たわ。今日はチームラボ。ってことは明日はネイキッドであさっては落合陽一かというとそうはなりそうもないものの、エンターテインメントにデジタルテクノロジーを活用して今までにないビジョンなりガジェットを見せてくる集団が、相次いで東京都内で開催中のイベントに協力をしている状況に2020年の東京オリンピック/パラリンピックの関連で、ライゾマティクスとチームラボとネイキッドと落合陽一さんとほか、テック系の企業が大集結して新しいビジョンを生みだしては世界を驚かしてくれる状況に、少しずつ近づいているのかもしれないと思えてきた。VRとかARで勃興してくる企業が混じる可能性もあるかなあ。あると面白いなあ。

 さて昨日の乃村工藝社とライゾマティクス・アーキテクチャーによるコラボレーションに続いて、今日のチームラボがコラボレーションした相手はDRUM TAOという和太鼓エンターテインメント集団。初音ミクとのコラボレーションが間もなく開催される鼓童と重なるところがありつつも、和風にこだわっている感じはなくてコシノジュンコさんと衣装のコラボレーションをずっとしているスタイリッシュさも持っている。その中にはマトリックスよろしくレザーのロングコートなんてのもあって、クールな雰囲気で奏でる太鼓にマッチするようにチームラボが作り出したクールな映像がプロジェクションマッピングによって演奏している背後に投影されていた。

 そう、「万華響−MANGEKYO−」という今回の公演ではチームラボが日本の自然をテーマにした映像を作り出しては演奏に重ねるように舞台上なり舞台横なりに投影してそこに実際とは違った自然の空間を作り出し、観る人を異境へと誘う。太古のうっそうと茂った森があり、水が滝のように流れ落ちる空間があり松が立って雪が散る庭のような場所があり、桜が咲き乱れて舞い散る空間もあってと季節も場所も様々なシーンが投影されては演奏している人たちをその場に起き、見る人たちをその空間へと引きずり込む。

 花が咲き乱れた森とかは本当に綺麗で、そんな場所で演奏なんて実際には不可能だけれどこうやってプロジェクションによって再現することで可能になる。映像技術がもたらす空間の移動、認識の拡張。これを巨大なスケールで行った時、いったいどんな演出を持ったイベントが出来上がるだろう。そう考えると東京オリンピックなんかのイベントが今から気にかかる。とはいえライゾマティクスは別にしてチームラボやネイキッドが参画するとは限らないからなあ、それこそ国家総動員的に日本のエンターテインメント系テック集団を結集させ、国家予算で世界を凌ぐビジョンって奴を作り出してくれないかなあ。1964年の東京オリンピックで日本のデザインと建築が一気に進んだような驚きを、今回も見たいのだけれど。利権渦巻く世界だけに難しいとは思うけど。

 DRUM TAOの演奏は人数をあまり広げず少数精鋭というか女性も交えダンサーめいた人も起きつつ様々な太鼓を叩く人たちと、ジャンガラを叩きながらコミカルな仕草なんかも見せる人たちが入れ替わり立ち替わりして様々な音色を作り出す。笛に琴が入るときもあって1人がいろいろな楽器を演奏できるのも特徴みたい。鼓童だとメンバーも多くて迫力のあるステージを作れるけれど、DRUM TAOは少ない人数を手数の多さでカバーしつつ演習も乗せてシックなシーンも作りだし、ストーリー性のある舞台を見せてくれるといった感じなのかもしれない。チームラボと組んで日本の自然の移り変わりを演じられるのも、そんなストーリーテリングが可能な編成故なんだろー。

 途中、大きい太鼓と小さめの太鼓を首から提げたメンバーが歩きながら交差したりする場面があってアメリカのドラムロールを思わせた。吹奏楽とか着けたくなった。海外で人気なのもこうした現地の文化を和太鼓で再現して見せているからなのかもしれない。東京の夜のエンターテインメントが少なく外国から来た人たちが行く場所がないっていう課題に答えるべく、JTBが企画したらしいイベントだけに外国人の観客でもいろいろと楽しめそう。言ったら賑やかに騒ぐ外国人観光客とかといっしょに観覧できるかもしれないなあ。機会を見て自分でのぞきに行ってこようっと。

 今日から始まったアニメーション版ゴジラの第2作目となる「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を見た。うまいなあ。うますぎる。勝利のカタルシスの後に見せた絶望的状況。もはや打つ手なしの瀬戸際をどうにか切り抜けて始まったストーリーがドンガンカサクヤでインドムーな予感を漂わせつつもまずは目の前のデカゴジラをどうするかってところから物語を起こして科学大好き宇宙人の必殺技だったメカゴジラを引っ張り出してさあバトルかと思いきや、欲をかいたか合理的判断の帰結かとんでもない手を持ち出しそしていよいよ物語も終わり、ルストウィラードはどうなったんだと思わせそこにとてつもない厄ネタをぶっ込んできた。

 もう事態は地球レベルにとどまらない状況となってふと浮かぶ、もしかしてゴジラって良い奴かもしれない可能性。人類はともかく地球という星を守り、きたる災厄に立ち向かうべく準備をして来たのかもなんて想像すら浮かんでしまった。まあそれはないだろうけど次は宇宙的厄ネタの顕在化なんてものがあったりして、そしてハンバハマムヤンも起き出して人間そっちのけの大決戦とか起こったりしちゃったり。そんな中を俺はネットワーク端末遺伝子を探していると言いながら男が這い出て来たりするクロスオーバーも起こって世界はプランゼット計画が発動する、なんストーリーを妄想しつつユウコちゃんの無事を願おう。鱗粉塗ればナノメタルも剥がれ落ちるんじゃないのかなあ。


【5月17日】 新御三家で誰が1番好きなのかと問われても、女子ではないからルックスとかで選ぶことはなくて気持ちとしてやっぱり歌の巧さで選ぶことになるんだけれど、今のアイドルたちと違って誰もがスペシャルに歌が巧くなくてはデビューなんてさせてもらえなかった時代のアイドルの、誰が巧くて誰が下手かを考えるのもまた難しい話。それでもやっぱり突出して歌唱力があるなあと思ったのが西城秀樹さんで、叫び吠え絞り伸ばすようなその歌唱力と圧倒的な声量でもって紡がれるさまざまな歌は、聞いていて心にガンガンと響いてきて、自分もあんな風に歌えたら良いなあと思わせてくれた。

 だったらどの歌が1番好きかと問われれば、これはもう真っ先に「ブルースカイブルー」が出てくるくらいに大好きで、ロックでポップな西城秀樹さんの歌にあってちょっと路線が違うんじゃないかと言われそうだけれど、こうしたバラードを歌わせても、というよりバラードだからこそ分かるその歌唱力と声量に、歌ってこうやって歌うものかと強く思わされた。静かに始まってからだんだんと高めていって、そして2番でまた静かなところからぐわっと高めていった先、クライマックスの部分でドカーンと叫んで耳目を集める。そんな一種のストーリーを味わいたいがために聞くのが「ブルースカイブルー」という歌だった。

 いつかまた聞けたなら。そしていつか生で聞けたなら。なんて思ったこともない訳ではなかったけれど、そうした機会は訪れないまま西城秀樹さんは脳梗塞で倒れ、リハビリによって回復はしてもやっぱり歌声となると厳しかった。それでも闘病を続けていつかは復活も、なんて願っていたのが5月17日に訃報が伝わり、あの歌声は永遠に封印されてしまうことが確定した。もう聞けない。もう見られない。とても寂しいことだけれど、一方でずっと苦闘して来た中で味わった痛みを、もう感じることはいのだといった安心も少しだけ浮かぶ。残された妻子の方にどれだけのものが残ったのかは分からないけれど、一時代を築いて音楽史にその名を画一に刻んでいる西城秀樹さんのご家族が、不幸になることはないと思いたい。

 「ブルースカイブルー」以外の曲ではやっぱり真似をしたことの多さで「薔薇の鎖」が挙がるだろう。マイクスタンドを蹴り上げて逆さまに持って歌うあのポーズをまねするために、箒やモップを蹴り上げた人たちがきっと日本に延べでなら1億人以上はいるんじゃなかろーか。あるいは「傷だらけのローラ」のあの冒頭を口まねし、「ブーメランストリート」のあの冒頭も口まねした人の数。そして「YOUNG MAN」の歌にのって両手を使って「YMCA」のポーズをとった人の数。いずれも延べで1億人を超えていて、そして「YMCA」のポーズは全世界で100億人を超えているかもしれない。

 もともとはビレッジピープルの「YMCA」という歌だったものを、日本語で歌いポーズも付けたらそれが世界に広がったとか。ヤンキースタジアムのグラウンドキーパーたちが踊るくらいにメジャーな振り付けになっている。その意味では西城秀樹は世界のHIDEKI SAIJOだとも言えそう。アジアでも知られた歌手だただけに訃報が伝わるにつれて慟哭の輪も広がって、そしてヤンキースタジアムでニューヨーク・ヤンキースが試合をする時にスタジアム全体でHIDEKI SAIJOを悼んで「YMCA」の大合唱が行われる、なんて夢を見たけど正夢になるだろうか? しばらく気にしていよう。

 御三家では郷ひろみさんは未だに圧巻の歌唱力とそしてスタイルを維持して様々な歌を歌ってくれているし、野口五郎さんもメロウな曲をメインにしてしっとりとした歌を歌ってくれるシンガーとして活躍を続けている。花の中三トリオが山口百恵さんは引退して桜田淳子さんは宗教上の理由で表に出てこられず、森昌子さんが頑張ってはいてもかつてほどのアイドル的な存在感はない中で、新御三家の健在ぶりを改めて感じ入るとともに、美醜だけでなく歌があったればこその今なのだろうと思ったりもする。直後に出てきたたのきんトリオは果たして歌で新御三家の後を引き継いでいるかというと……。その意味でもアイドルがエンターテイナーとしても超一流だった時代の名残が、徐々に薄れようとしているのかもしれない。だからこそ今、その訃報を受けて問いたい、歌って何かと、アイドルとは何なのかと。合唱。

 六本木ヒルズで発表会があるんでその前にとMX4Dでの「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」を鑑賞。たった3人しかいないのは平日だからだろうか。観終わった印象としては前にTOHOシネマズ新宿で見たときよりはまだ、ビートのタイミングが歌にマッチしていたし動きは迫力たっぷりで香りもしっかり吹き出していて、施設としてへたれてない印象を受けた。オープンしたのはTOHOシネマズ六本木の方が新宿よりははるかに早いけれど、MX4Dが導入されたのは新宿より遅かったっけどうだっけ。土地柄にそれでいっぱいの人が映画を見るってこともないのかも。ともあれシュアなアクションを感じられるって意味で六本木は穴場かも。来週もまたやっているようなら乗ってこよう。

 モーションではやっぱりメッサーくんがバールとなりそうな中を白騎士相手にドッグファイトで奮闘する場面、全身の筋肉が膨張するようなシーンに合わせた座面の下がボコボコと動き回ったのが面白かったしマッチしていた。自分がメッサーくんになった気がした。他の空戦もしっかりと動いてMX4Dでマクロスを見る意味って奴を味わわせてくれた。評判がいいのもそうした作り込みがしっかりいっているからだろう。これで自身を持った河森正治監督が、次は最初からMX4D向けに映画を作るといって空戦とライブだけのマクロスを作ったらどうなるだろう。2時間後に立ち上がれない人が続出? ありそうな話。特典のポストカードはカナメさんでメッサーくんとのあれやこれやを考えると遠くを見るような表情にいろいろと浮かんでしまう。テレビシリーズではデルタ小隊の隊長の方にお熱な感じがあるらしいカナメだけれど劇場版だとお姉さん的な関係になっていて互いに意識していたのかもって思わせるから、なおのこと視線が気になってしまうのだった。

 観終わって六本木ヒルズの中でライゾマティクス・アーキテクチャーが、乃村工藝社とコラボレーションして「建築の日本展」の中に置いた「パワー・オブ・スケール」というインスタレーションの説明と、そして両社がこれからも協業していくって話を聞く。インスタレーションはは傍目にはただの平台に見える場所に光で上下左右に仕切りがつくられプロジェクションによって電話ボックスだとか中銀カプセルタワーの一室だとか茶室だとか同潤会アパートだとかが現れ、原寸大で体感できるようになったもの。模型を作らずともひとつの場所で様々な建築物をシミュレーションできる、それも同時に同じ人に見せられるといった部分でVRだとかARだとかより展示会向きかもしれない。ヘッドセットを付けているとどうしても人数が少なくなるから。

 今後も両社は組んでいくみたいで、どんな展示物を見せてくれるか楽しみ。真鍋大度さんが率いるライゾマティクス・リサーチがPerfumeのライブを演出して名を高め、東京オリンピック/パラリンピックのイベントに採用の可能性が取りざたされているけれど、こちらも展示物や建築物を新しく見せるといった展開の中で、オリンピックやパラリンピックに関連した起用がありそう。何しろ乃村工藝社はお台場ガンダムみたいなものも作った会社。それこそ各所に日本のスーパーロボットをぶったてて、ライゾマティクスが歴史を語りスペックを伝える演出をそこに加えていけば世界から集まった人たちも、楽しみつつ日本には凄い兵器があるんだと思い手を出すのをためらうかもしれないから。逆に早くたたきつぶそうとする? それもまた興味深い展開ってことで。


【5月16日】 高畑勲監督を送る会が東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で行われたみたいで、宮崎駿監督が「太陽の王子 ホルスの大冒険」の頃を上げてその仕事ぶりとかを称えていたようだけれど、明けてテレビのワイドショーなんかが伝える高畑勲監督の業績は、スタジオジブリを宮崎駿監督とそして鈴木敏夫さんとともに立ち上げた話とかから始まって、宮崎駿監督との関わりをメインにしてスタジオジブリでの仕事なんかがもっぱら語られている感じて、宮崎駿監督が挙げた「ホルス」がどういう話だったかについて触れるテレビは見かけない。

 1985年にジブリを作りましたという報からいっしょにジブリで「風の谷のナウシカ」を作ったなんて話になって、おいおいどうやったら1984年公開の「ナウシカ」を1985年設立のジブリで作れるんだって思ったけれど、「ナウシカ」をジブリ作品と思っている人も結構いたりするし、トップクラフト自体が発展的解消の末にジブリに移行していったと見られないこともないので、一般の人にはそう思ってもらってかまわないのかもしれない。

 ただ高畑勲監督の業績はジブリ時代をメインとするよりは、やっぱり「ホルス」であり「パンダコパンダ」であり「アルプスの少女ハイジ」であり「赤毛のアン」であり「じゃりン子チエ」といった、ジブリ以前の作品を取り上げる方が実際的。集大成として「火垂るの墓」を入れて語る方がよほどリアリズムであり地に足の付いた作劇でありといった部分で語りやすいのに、世間はスタジオジブリこそがアニメーションの本流であり王朝であってその王様たる宮崎駿監督を本紀として語りつつ高畑勲監督のことを世家なり列伝として絡めていくといったとらえ方をしている風がある。

 なるほどジブリ以降のとりわけ「もののけ姫」以降において宮崎駿監督の皇帝ぶりは際立つけれど、「ハイジ」「アン」「母をたずねて三千里」のあたりの高畑勲監督はテレビアニメーションにおける王様であってロボットアニメ全盛になりつつある中で“母と子の”テレビアニメーションを作り人にアニメで語ることの素晴らしさを植え付けた。そうしたリテラシーが今の普通にドラマをアニメで見ても違和感なく見ていられる日本人の心情を、作り出したのかもしれないとすら思える中でスタジオジブリ史観、そして宮崎駿王朝史の脇役として扱うのはどうにも釈然としない。

 わかりやすさを求めるテレビだけならまだしも、スポーツ新聞までもが高畑勲監督の業績としてリストに挙げるのがスタジオジブリ時代の監督作品でありプロデュース作品というのは、やっぱりどこか間違っているような気がしないでもない。せっかく宮崎駿監督が追悼の辞で語っているなら「ホルス」がいったいどういった内容を持った作品で、それが階級闘争的な文脈の中でどれくらい世の中を鋭くえぐった作品なのかも合わせ語ってこそ高畑勲監督の心情を代弁できると思うのだけれど、そこまで踏み込んで分析したって読者が分からないならジブリの監督のもうひとりといったとらえかたで、ジブリ王朝の宮崎駿王権下で宰相然として差配した高畑勲臣といった紹介をしてしまおうってなるんだろうなあ。あと10年経ったらジブリ時代すら忘れ去られそう。そうしないためにも「ハイジ」をギャグCMから取り戻さないと。

 上野毛あさみさんが実は「日高屋のアライさん」を書いている足立淳さんだという衝撃の事実が明らかになって「ステージガールズ」について盛り上がってから1日を待たずして、作画を担当していた黒岩よしひろさんが亡くなられていたことがご遺族から公表されてそのタイミングに慄然とする。偶然とはいえ何か呼ぶものがあったのか。これでもう第3巻は永久に出ないかというと、どうやら原稿は最終回まで用意されていてそれをコミックガンボで副編集長をしていて、産経新聞出版から2巻までが出た時も編集に関わっていた人がちゃんと持っているらしい。売れなかった関係で出せなかっただけで、そんな状況さえ超えれば出せるというなら追悼の意味も込めてここに3巻まとめてフッカンドットコムして欲しいもの。3冊5000円でも僕なら買うかな。ご冥福をお祈りしつつ事態の推移を見守りたい。

 これはヤバい。マジヤバい。日本大学がアメリカンフットボールのチーム、フェニックスを率いている監督の釈明を聞いたみたいで、それによると関西学院大学ファイターズのクォーターバックに日大フェニックスのDLが相手はすでにプレーを終えているにもかかわらず、突っ込んでいって怪我をさせたことについて、別にQBを潰せなんて指示は出しておらず選手が自分でやったことだと言っているらしい。そして選手も調査に自分の意志で行ったとかいったことを話しているとか。これってずっと出回っていた選手は監督の指示に従ったまででだから、監督は退場になった選手を咎めず退場後のコメントもよくやった的なものになっているといった報道と真っ向から対立している。

 仮にそれが本当なのだとしても、日大という自分がお世話になっている場所で監督という絶対的な権力者に責任を負わせるようなことを選手が言えるはずもない、といった状況下で発せられた言葉に、どこまで信頼性を感じていいのかにまず衆目の疑いが向かう。そうでないならなおのこと、圧力がかかっている場での発言で虚偽である可能性もあったりする訳で、そうした可能性を排除するため第3者による公平で公正な発言が行える場を設けるべきなのに、そうした調査委員会的なものを日大が発足させる動きはなく、オフィシャルとして監督には責任がなさそうで、選手も猛っただけといった愚発性で押し切りそう。

 でも、状況からそうではないと見る目も多いだけに、監督は無実でした選手が悪い奴でしたといった話で収まるとは思えない。監督が選手に責任を押しつけるチームが存続できるとも考えづらい。そういう意味では握手の上塗りが続く対応を、どうして日大側がとり続けるのか、ってあたりにやっぱり腑分けして暴くべき何かがあるんだろー。まずは関西学院大学の17日の会見でのリアクション。その後の日大側の対応がこの地上から日大フェニックスというチームを永久に消し去るか否かの分水嶺になるだろー。それとも日本の学生フットボールリーグは自分達には狭すぎると海外に雄飛する? 日本のフットボールではいくら甲子園ボウルに優勝したチームで会ってもアメリカの地方のカレッジにだって粉砕されるんじゃないかなあ。

 藤田祥平さんじゃないけどやっぱり中国の深センはかっとんでるなあと思った第9回教育ITソリューションEXPOでの出展。プログラミング教育とかに役立つロボットとか電子ブロックの教材が出ていたんだけれどその中に深センから来た会社が幾つもあって、それぞれに独自性があって目を引いていて、日本このままで大丈夫って思わせた。まずはベル・クリエイティブ・グループってとこの傘下にある会社が出していた「MABOT」で、黄色と白色を基調にした球体がごろごろと転がっていて、それらを手にとってつなげていき、クルマやロボットのような形を作ってから、スマートフォンなどからプログラミングを送信すると、クルマがラインをなぞるように走り出し、ロボットも周囲を動き回る。

 中さまざまな機能を持った球形のモジュールを接続することでロボットを作り出すというキット。ローラーが回転する駆動部があり、色や赤外線、接触などを読み取る各種センサーがあり、プログラムを受け取って伝える制御部があって、そうしたモジュールをつなげる関節部をはさんでそれらを組み合わせ、バッテリーユニットを接続することで動くガジェットが出来上がる。駆動部などがどう動くかを、スマートフォンやタブレットの上でプログラミングして制御部に転送し、ガジェットが動く様子を見たり、手元のスマートフォンから操作したりして楽しめる。ホットプラグで接続するから電源を入れたままで自在な組み替えが可能。すでにKickstarterでクラウドファンディングが行われて成立し製品化されて評価も受けているだけに、日本に入ってきたら関心を持つところも出そう。どうなるか。

 Paracra(Shenzhen)Technologyという会社が持ちこんでいた「LOGITOW」というブロックタイプの教育玩具もユニークで、赤や青、黄色といったブロックをつなげていくと、側に置かれたタブレットの画面に同じ色と形をした3DCGのモデルが登場して、これがアニメーションとなって画面の中を動き出す。様々な色のブロックをつなげていくと、タブレットなどの画面の中で色に対応した音が鳴り、組み合わせ次第で自分だけの音楽を作れる遊びもできる。ブロックを手にとって組み立てる楽しさの先に、作ったものが動き出したり、音楽な奏でられたりするといった喜びを味わえる。画面の中だけでブロックを組み合わせ、何かを作るシミュレーションをすることとは違った面白さは、やっぱり子供たちにアピールしそう。どうなるかに注目。


【5月15日】 サッカー日本代表というチームがあってそこにハリルホジッチ監督というチーム構築の責任者がいて、そのハリルホジッチ監督がワールドカップ2018ロシア大会でグループリーグを突破し、決勝トーナメントへと進出するための策を講じつつそのために必要な戦術を浸透させようとしているのだったら、プロフェッショナルのサッカー選手としてすべきはそうした監督の戦術を理解し与えられたタスクを的確にこなすことなんだろうけれども本田圭佑選手にとって、そうした監督の支持に答え与えられた責任をまっとうするという行為はどうやらプロフェッショナルのそれではないらしい。

 NHKの番組「プロフェッショナルの流儀」に出演した本田圭佑選手はその中で、「ハリルのやるサッカーに,全てを服従して選ばれていく。そのことの方が僕は恥ずかしいと思ってるんで」と言ったという。これはつまりハリルホジッチというプロ中のプロ監督が繰り出す戦術を拒絶するということに他ならず、そしてそうした戦術に従って戦ってきたチームメイトをも「恥ずかしい」存在として罵倒したに等しい言動ともとらえられる。なるほど本田圭佑選手がハリルホジッチ監督をも上回るサッカー選手としてのプロフェッショナルならそうした言動も世界がきいて納得するだろう。けれども現実、ACミランで10番を背負いながらも試合には出られず活躍もできないまま放出され、メキシコのパチューカとうチームをプレーオフにも導けなかった選手でしかない訳で、それで世界はハリルホジッチ監督を上回るプロフェッショナルと認めるかというと難しい。

 むしろ監督のタスクを存分にこなしてのけることこそプロフェッショナルだといった認識にある世界において、それはただのわがままであって戯れ言に過ぎず法螺ととらえられても仕方がない。見て大勢は笑うだろうし、そうした監督のタスクを拒絶することをプロフェッショナルだとうそぶく選手をもしも次の監督になった西野朗さんが選ぶとしたら、それは自分以上のプロフェッショナルだと本田圭佑監督のことを認めたに等しい状況となる。それで果たして選手たちは統率できるのか。監督の戦術戦略に従うことを恥ずかしいと思う選手を選んだとあって監督の沽券は保てるのか。そう思えば西野監督は本田圭佑を外して当然だし、むしろ外すべきだといった思いすら浮かぶ。

 なおかつ罪深いのは、NHKがそうしたサッカー選手としてプロフェッショナルと思えない言動を公言するような選手を「プロフェッショナルの流儀」という番組に出してプロフェッショナル認定してしまったこと。満天下に自分勝手に自分を貫く行為をプロフェッショナルと思わせた罪は思いけれど、そうした自省や自重を行える組織だったらそもそもこういう番組を作らなかっただろう。これで本田圭佑選手も香川真司選手も選ばれなかったらハリルホジッチ監督を解任した意味はどこにある? そういう意味でもこれからの展開に興味津々。2月からほとんど試合に出ていない選手を選んじゃそれこそ西野朗監督の沽券に関わるとも思うし。

 長田信織さんの「数字で救う! 弱小国家」(電撃文庫)のように国をついだ王様なりが危急存亡にありながらも資金力軍事力のどれでも劣っている状況で、国を売ってでも生き延びる道を模索するような話かとタイトルから想像した鳥羽徹さんによる「天才王子の赤字国家再生術〜そうだ、売国しよう〜」(GA文庫)は実際はぐうたらが好きだけれども才能はあって聡明な王太子が病気になった父王の代わりに国の面倒をみることになって、そこで起こった隣国の帝国で皇帝が崩御し、別の隣国によって攻められたりする外交的な苦境に対して軍を率い内政なんかも整えながら立ち向かっていくという軍記物的ストーリーが繰り広げられる。

 帝国相手にはとりあえず自国の立ち位置を理解してもらってそこを仲良くして置いた方がいいと思わせ軍隊を鍛えてもらい、そして攻めてきた隣国相手には少数ながらも戦術面で上回ってこれを撃退。その勢いで金鉱のある山までとったもののそこはもう枯渇しかかっていた金鉱で、だったらと返したくてもプライドを護りたい隣国は大量の軍勢を送り込んでくる。さっさと突っ返したくてもできない状況で王太子は籠城しつつ相手を攪乱し疲弊させた挙げ句に指揮官を倒してゲームセット。本気で挑めばもっと軽くひねれそうなところをそれをやれば自国も疲弊は免れないことから最小限の労力でどうにかしのいでいこうとする。ネガティブなのも慎重と読み替えればこれも美徳。戦略が思惑を外れてもカバーして有利に運ぶ才能は見ていて心がスカッとする。この勢いで全土平定……とは行かないだろうからとりあえずは帝国との関係に注目か。派遣された大使のおっぱいがどうなるかも。どうなるんだろう。

 教育ITエキスポが明日からだと気づいたんで今日から秋葉原でオープンとなった「カウボーイビバップ」のコラボカフェを見物。内装的には立て看板と垂れ幕が同じデザインで幾枚かかかる程度で、あとはトレーディングポートレートが額に入って並んでいるくらいと凝ってはないけど、メニューはいろいろと豊富でドリンクもいろいろあってファンは楽しいかもしれない。初日ということで午前11時の時点でこの日だけかもしれない整理券を配ってて予約なしで行ったら、12時40分からの整理券をもらえてそれで行って青椒肉絲の肉なしとドリンクのソードフィッシュ2を注文。グッズはグラスとネクタイピンとアクリルプレートは数量制限があってそれ以外はいろいろ変えたのでトレーディングポートレートを2枚買ったらスパイクとエドだった。コースターは1品につき1枚でこちらはスパイクとジェットとメインな2人。まずまず。

 初日なのかもしれないけれど開店と同時に満席で整理券が来るくらいには未だに「カウボーイビバップ」という作品が持つ伝播力は相当なものといったところ。その後も整理券は順調にあけていって12時40分の回が開くのを待っている時は14時半くらいのを配ってた。夜についてはちょっと不明。でもやっぱり初日だから整理券とか出るかも。2日目以降も行って様子を見て入れるなら入るし入れないなら整理券をもらうのが良いのかな。初日でこの状況なら土日はもっとすごい人かも。あと外国人もいてメインテーマでニコニコしてた。通じるんだ全世界的に。しばらく楽しんで店を出たら2階の中古DVDとかグッズとか売ってる店で5.1chのDVDボックスが6800円でで出ていて手を出しそうになった。でもきっと持っているか、そうでなくてもBDボックスを持っているのでぐっと堪えた。「ろくでなしブルース」はいつソフト化されるのだろう。コラボカフェのメニューにはあるのになあ。

 日本大学フェニックスの選手による関西学院大学ファイターズのクォーターバックに対する遅れての危険なタックルが騒動となっていること、それ事態は正しいことで時のスポーツ庁長官が問題視したり日本アメリカンフットボール協会が生命を出したりJOC日本オリンピック委員会までもが別にアメフットはオリンピック競技でもないにも関わらずコメントを出したりして、そういったプレッシャーがちゃんと届いて日本大学がいろいろと謝罪なり対応策を考えてくれれば良いんだけれど試合の中で起こった出来事で、幸いにして関学の選手に大きな怪我はなかった事態でこれほど騒ぐのだったら、同じように騒いで欲しい事案がある。

 それは、高校のバスケットボール部で顧問が部員を虐めて罵倒した挙げ句に自殺に追い込んだ事件とか、練習中にしごきを加えて怪我をさせたとか、長い距離をランニングさせて心臓発作で死に追いやった事件なんかでもスポーツの中で起こった危険な指導であり、人命にまで関わる重大事なんだからとスポーツ庁は全国の運動部とかに対して通達を出すなり、各部活が結果として所属していることになる各競技団体のトップも生命を出すなり、JOCもコメントを言うなりして再発を防ぐべきなのに、学校のことは学校に任せるような及び腰なのはなぜなのか。そうした斑模様がどうにもこうにも釈然としないのだった。高野連でも高体連でも文部科学省でももっと子を上げれば良いのに。それとも部活のしごき、顧問の指導は教育だからオッケー? 大学だって教育だろうに。やっぱり何かがズレている。


【5月14日】 「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」ではすでに流されていた萌黄えもによるソロ曲の「スキスキセンサー」がテレビで初お披露目となった「キラッとプリ☆チャン」は、弟からもう野球の試合の応援に来るなと言われて吐根で料理を作っても目玉焼きがオムレツになるという、ある意味で画期的な才能も見せたりしていたえもだったけれど、そのぐだぐだな雰囲気がプリチャンを通して世間に伝わり今ひとつ。そんなえもを見てまるでえもくないと桃山みらいが突っ込み気を取り直して応援のためのプリチャンライブを行ったえもに答えて弟はどうにか野球で勝利する。

 そんな展開の中に繰り出された、自分たちがやる気のない企画はやってもダメだといった警句は、番組作りをしている大人たちの琴線に触れたんじゃなかろーか。しかし赤城あんなは人気プリチャンアイドルなのに世間的な人気がまるでなさそうなのが謎。財力でイイネを買っている? それはたぶんないけれど、ギャグ要員に堕している感じがあるのでライバルとしての存在感を立て直しつつ、各話完結のストーリーからだんだんと全体を貫くテーマみたいなものが見えていってくれたら「プリパラ」や「プリティーリズム」みたいに長く愛されるシリーズになるだろう。関心をはらって見ていこう。

 週刊少年ジャンプで将棋漫画が始まったので久しぶりに買ってみた。いったいいつ以来だろうと思い出そうとしてもあんまり思い浮かばないから勝手に想像するなら「約束のネバーランド」が始まった時以来かもしれない。それ以前となると1990年代の初頭になってしまうから遡りすぎ。でもたまに買ってみると連載がまとめて読めてこんなに面白い漫画が今のジャンプに溢れていたことが分かって次もまた読んでみたくなる。これが怖いところなんだよなあ、週刊漫画誌の。とりあえず「食戟のソーマ」の遠月追放をかけた進級試験にひとまず決着が出たみたい。でもこれがアニメで放送されるのは数年後になるのかなあ、今の放送分ではそこまで辿り受けないだろうし。

 あと「僕のヒーローアカデミア」がせっかくの華々しくも格好いい学園祭でのライブシーンでコンテ撮、じゃなかったペン入れが完成していない状態での掲載になっていた。麗日お茶子はちゃんとペン入れが済んでいるのに次のコマでの蛙吹梅雨ちゃんはペン入れがまだなのはなんでだと梅雨ちゃんファンとしては訝るのだったケロ。ライブではセンターに入ったベースでボーカルの耳郎響香が大活躍。両親はどうやらミュージシャンだったみたいだけれどそれでも自分に個性があるならそちらではなくヒーローを選ぶところに何かドラマがあったんだろう。これもアニメで放送されるまでは何年かかかるかなあ、単行本を読むしかないかなあ。

 そしてこれが本命の将棋漫画、里庄真芳さんによる「紅葉の棋節」は前に1巻もので出たのの連載分みたい。内容は中学生で棋士を目指す紅葉という名の少年がいてプロ棋士の兄がいて天才と謳われたけれども死んでしまったみたいで、そんな紅葉の前に女性だけれど女流ではないプロ棋士の銀杏が現れるといった展開。これは1巻物と同様だけれど出会いの感じとかがちょっと違う。サービスシーンもいっぱいあってなかなか楽しいけれど、それからの展開は読んでのお楽しみとして、気になったのはプロ棋士を目指す主人公の少年が狙うタイトルが「名人」ではなく「竜王」というところだった。ある意味で21世紀的と言えるかも。

 読売新聞社がずっと主催してきたタイトル戦の十段戦を発展される形で発足した竜王戦は、当時から賞金総額だか何かが名人戦を上回って最高で、序列的にもトップに立ってはいたもののやっぱり将棋と言えばな名人位にどこか格として及ばず、下に見られている感じがあった。フィクションなんかでも将棋を目指す少年少女がやっぱり狙うのは名人といった空気があったけれどもこれが最近ちょっと変わってきている。きっかえのひとつが白鳥士郎さんの「りゅうおうのおしごと」で、中学生でプロ棋士となった主人公が順位戦でC2級からA級へと上がってそこでトップに立って初めて挑戦できる名人位ではスピード感が足りないからか、竜王位が材料として選ばれそのタイトルを獲得した10代の少年を主人公に据えていた。

 そんな現実に追いつくかのように藤井聡太六段が出現しては連勝記録を打ち立て、四段から六段へと駆け上がっては竜王戦でもそれなりな場所にいて現時点では獲得が可能だったりする。もしも挑戦者になったりしたらそれこそ世間も大騒ぎしそう。ドワンゴによる叡王戦が加わって8つになった将棋のタイトル戦でも序列トップだった竜王戦が、知名度を世の中で高めた上でそうした露出が風格も誘って、名実ともに将棋界で最高位のタイトルになっていく可能性も浮かんでいる。もしもそうなったら読売新聞社は白鳥士郎さんに巨人戦のチケットを束で贈っても良いんじゃないかなあ、巨人ファンとはちょっと思えないけれど。

 とはいえフィクションに取り上げられる際に読売新聞社が竜王位を使うことを許したからこそ成り立った小説だとも言えるからそこはおあいこか。結果として共にハッピーな状況にある訳だから名人位を除く他の棋戦も今からでも遅くはないから実名を提供しても良いんじゃいかな。いやいやそれをやってしまうと序列最下位になった棋聖戦なんか、今季からヒューリックが特別協賛についてヒューリック杯棋聖戦になっているから小説でもそう記述しなくちゃならなくなって面倒そう。

 特別協賛自体は珍しいことではなく、竜王戦でも野村ホールディングスが特別協賛についているし、名人戦でも大和証券グループが協賛についている。でも野村ホールディングス杯竜王戦にはなっていないし大和証券杯名人戦にはなっていないところを見ると、ヒューリック杯棋聖戦は事情としては特殊なんだろう。ヒューリックの出している分が多いとか。そうなるともはやタイトル戦の名義貸しだよなあ。タイトルホルダーも次から○○ヒューリック杯棋聖と呼ばなくちゃいけないんだろうか。ちょっと謎。いずれにして棋聖戦を主催している新聞社がそういった条件を飲まざるを得ないくらい厳しいってことは分かる。どこの新聞社かは調べてちょ。

 上海に行き福島に行き、記録を読み返し録音や録画を検証して、改めて南京で起こった捕虜銃殺の実像を浮かび上がらせた今回のNNNドキュメント「南京事件2」だったけど、これってつまりは前回の放送で取り上げられた、「幕府山事件」と呼ばれる揚子江側での捕虜殺害の現場にいた連隊を率いていた連隊長が、それは虐殺じゃなく自衛発砲だったと言っていると書かれた南京事件否定本を持ち出し、ドキュメンタリーの内容を否定してきた新聞の歴史戦とやらへの反論だったって感じ。NNNドキュメントでは、いやいや連隊長そこにいなかったでしょ、連隊長の証言って戦後も随分経って行われた弁明的な証言を聞き書きした新聞記事でしょって改めて示して、絡んできた相手を退けたといったところ。

 実のところ「幕府山事件」での自営発砲節が実は連隊長だけしか言ってない話で、他の兵隊さんたちの手記を束ねて読めば捕虜を解放するために船を用意したとか、それで発表されてやむなく撃ったといった話が虚構であることは、すでに広く知れ渡っていた話であるにも関わらずそれを否定派が繰り返して引用し、孫引きしたものを新聞が資料としてあげて世間に広めるものだから、南京事件なんてなかったと思いたい人たちの手によってそれがネットで拡散され、事件を否定する論拠として使われてしまっているから厄介な話。今回のNNNドキュメントでは、民放地上波というある程度の権威を持った媒体が、そうしたフェイクを真正面から潰しにかかったのだけれど、否定したい人たちはそれすらも聞く耳を持たず、取材や検証もなしに噂の噂を噂することで打ち消しにかかる可能性が大きそう。

 デマやフェイクを正すにはとてつもない労力がかかるのだけれど、そうしたら労苦を新たなデマやフェイクが低コストで拡散されて無為にしていく徒労感を、もしかしたらドキュメンタリーをディレクションした清水潔さんたはまたきっと覚えることになるのかもしれない。ある意味でスマイリーキクチさんへの誹謗が世に出ては、それを信じて信じ込んでしまう人たちがあふれかえっていくら否定しても弁明を行っても、まるで消えないまま誹謗中傷が積み重なっていった件にも重なるネット的な言論状況と言えそう。そんな状況でこういった”無敵の人”相手にまっとうな見解をぶつけても無視され続けるのだとしたら、いったんテレビという場で公然の見解を出しておくもは無駄ではないのかもしれない。そう思いたいけれどもはたして。否定派はやっぱりすでに現れて来ているからなあ。どうなるか。第3弾を作って改めて真正面から潰しにかかるか。今後に注目。

 山田尚子監督と音楽の牛尾憲輔さんのトークを聞いて改めて音楽とかにも気を向けつつ見たいと思っていった「リズと青い鳥」だけれどやっぱり難しいなあ、終盤で足音が4歩だけ合ったというのもはっきりとは確認できなかったし、みぞれが剣崎梨々花とかをプールに誘って良いかと希美に聞く場面ですっと間を横切る人で音が揺れたかも正直聞き取れなかった。耳が悪いなあ。一方で原作では1人のファゴットが2人いることが分かったし、そんな2人と梨々花を入れたダブルリードの会の1年がそろってみぞれとプールに行けたことも、一緒に練習をしたことも分かってだんだんとみぞれが外に気持ちを向けていくプロセスが感じられた。目の前で梨々花がオーディションに落ちて涙したところから変わった感じかなあ、あれでやっぱり優しいんだ、みぞ先輩。


【5月13日】 東海辰弥選手を要して京都大学ギャングスターズが関西の学生アメリカンフットボール界に旋風を巻き起こすまでは、関西学院大学ファイターズが長く君臨をし続けていたのと似通って、関東では日本大学フェニックスが最強を謳われ学生日本一を決める甲子園ボウルの常連として関学大ファイターズとしのぎを削り合っていた。けど1990年代に入って日大フェニックスは勝てなくなって変わって関東では法政大学とかが台頭して日大は時々しか甲子園ボウルに出られず、出てもそこで関西勢に敗れて社会人も含めた日本一を決めるライスボウルへの出場も果たせずにいたのが2017年、実に27年ぶりに日大フェニックスが甲子園ボウルを制して“復活”への道を歩み始めた。

 そんな矢先の5月、交流戦的な関学大ファイターズとの試合でひとりの選手がラフプレーを繰り返して退場から出場資格を剥奪されるという、スポーツ界にとってのなかなかな不祥事が発生した。とられたプレーの映像なんかを見たらなるほど関学大ファイターズのクオーターバックが、前へとパスを出してから2秒とか3秒経ってひとりの日大フェニックス側の選手がクオーターバックに近づいていって、斜め後ろに近いような場所からタックルをかませて関学大ファイターズのクオーターバックをたたき伏せている。完全なる反則で日大フェニックス側は罰退のペナルティを科せられたけれど、その選手はその後もボールのないところにいる選手を狙ったり、果ては暴力すらふるったりして問題視され、そして選手としての資格を停止されるにいたっている。

 血の気の多い選手がとにかくボールを持った選手に照準を合わせたら最後まで突っ走って倒して反則をとられている、ってことなら危険だけれども闘争心の範囲で語れないこともない。けれどもこの一件は、明らかに時間差をおいて相手がボールを持っていないと分かっていても、決めたら突っ込んでいくようにとでも言われているかのごとくの行動だっただけに、選手の属人的な問題で語ってはいけないといった認識ができつつある。だったら誰が責任者なのかと言われればやっぱり執拗なサックを求め、それを是とした指導者ってことになる。

 そうすべきだといった指導があれば従うのが選手たち。従わなければ待っているのは降格だったら誰だって必死にクオーターバックを追いかけボールがなくてもタックルをかますだろう。試合後のコメントでも自分がわざとそういったプレーをさせているかのような態度をとって、関学大ファイターズの関係者を激怒させていたりする日大フェニックスの指導者が、そういう意図ではなかったんだと釈明するかすいませんでしたと謝罪するかと思ったら、次の試合に出てこずどこかでお留守番というところにこの一件の大変さを深刻に考えていないか、流せば逃げられると踏んでいる日大フェニックス側の不足が今なおあるといった感じ。今後釈明があるにしても、責任の所在が曖昧なままではさらに火を着けかねない問題だけに展開が気になるところ。続報を待ちたい。

 完璧を期すなら廃墟となった図書館に出産に関する手引き書なんて残しておかないだろうから、第十三都市部隊の面々がいずれはその本を発見して赤ちゃんなんてものを作ることに興味を抱くだろうという計算はあったと見るのが妥当な気がするけれど、それだと9’sの面々がパパたち七賢人を相手に第十三都市部隊がやろうとしていることをさも大事のように報告したのは間が抜けているから、何か偶発的なことが起こったとも見て取れる。そういった計算が果たしてどこまで隅々にまで張り巡らされているのか。「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を謎解きの対象として徹底的に吟味しづらいのは、そうした部分にまだ行き当たりばったり感があるからかもしれない。ヒロが02と過去に知り合い今またパートナーを組んでいることも含めて。

 まあそれでも第十三都市部隊にはきっと含みがあるんだろうことは感じられて、パパたちの厳命によって爆弾をかかえて叫竜につっこんでいった他の部隊の面々とは違って、割と反抗的だし探究心もおう盛だし心理的なタブーを持っているような感じもない。そうした自由な彼女たちや彼らがいったい何を目的として存在させられているのかは、きっと博士が知っているんだろうしパパたちのうちでも何かを隠しているんだろう。そして現れた叫竜の姫とやらが人間と同じ形態をして、人間たちをニセモノ呼ばわりしているところからもあの世界の階層に何からの逆転劇が仕込まれていそう。そうした想像が当たるかどうかで「ダーリン・イン・ザ・フランキス」がこの1年を語られ続ける作品になるかどうかがかかっているかも。幸せなところに落ち着いてくれれば良いけれど。

 電撃文庫から出た宮入裕昂さんによる「スカートのなかのひみつ。」(KADOKAWA、610円)がなかなかに良かったというか、冒頭から天野翔という名の女装したとてつもなく可愛い男子が出てきては、吹いた風でスカートがまくれあがったところを巨体の八坂幸喜真という男にパンツを見られ女装だと気付かれ声をかけられ、それで脅されるんじゃないかと心配したらクラスでも学校でも公認の趣味だと理解されるように導いてくれた。それで親友になった2人は通りがかりにみかけた男子を女装が似合うと確信し、声をかけて引っ張り込んで女装させたらこれが似合って3人で、いよいよ女装アイドルを目指し始めるアイドル青春ストーリーかと思ったら……。

 パートが変わって活発な丸井宴花という美少女がいて、ジャージ姿の新井田牧乃という少女を引き連れ歩いていたところで風が吹いて宴花スカートが風でまくれたのを目撃したのが広瀬怜というセーラー服の子で、それがきっかけとなって広瀬怜は宴花らと知り合い彼女が伝統行事のお姫さまとして踊ることが決まっていることを知る。そんなふたつのパートに何かつながりがあるかとうとまるでないからちょっと戸惑う。2つの違うストーリーが並行して進んでどこかで重なり合うって感じでもない。あるいは天野と宴花とうそれぞれのパートの“ヒロイン”を語るダブル主人公の話なのか、といとそうかもしれずそうとも言えない感じ。

 天野翔と巨体の八坂がメアリーと呼ぶようになったもう1人の少年と女装アイドルを目指す展開で主導権を取るのはもっぱら八坂で、それは交通事故で脚を怪我してしまったある少女のために八坂が何かをなしとげようとしていて、その材料として天野とメアリーを日本一の女装アイドルに仕立て上げようとしている感じがあるから。つまりはヒロインの入院しているためにヒーローとして八坂がいて、彼のために天野とメアリーが頑張る話になっているから。とはいえ八坂はヒーロー前として前へは出ないし入院している娘もとりあえずは入院中。一方で何か思いを貫こうとしている宴花という少女を広瀬怜が見ていくパートでも、広瀬怜が主に語り手となりながらも主体として何かを成し遂げるより、宴花という少女をサポートする立場にあったりする。誰を主人公とは言いづらく、そしてどこへと向かっているかもつかみづらい。

 そういう意味ではストレートな展開の把握に戸惑うところもある「スカートのなかのひみつ。」だけれど、女装が好きな自分を貫こうとする天野と、吃音で自分に自信になかった心身を女装で変えるメアリーと、誰かのためにサンタになりたいと2人を女装アイドルにしたてようとする八坂がいて、伝統行事のために頑張る宴花と彼女を支えたいと願う広瀬怜らの全員が主役とも言える。群像劇ってほどの主体の入れ替わりはないけれど、総体劇として全体で何かを目指しているドラマとして読むと感じも分かるかもしれない。誰に心を添えて読めば良いかで戸惑っても、それぞれにちょっとずつ重なる青春の悩みや迷いを舐めつつ味わいつつ、全員がちょっとずつ自分なんだと思い読んでいけば良いのだ。

 そんな物語から感じられるのは、たとえ秘密であっても隠さずポジティブにとらえようという事。そうやってたどり着いた場所で天野もメアリーも広瀬怜も八坂も宴花も新井田牧乃も全員が逃げず自分を前へと進められる。悔やまず迷わず突っ走れ。それでこそ得られる成功がある、そう思わされる「スカートのなかのひみつ。」。それにしても八坂という男の格好良さにはただただ感嘆。どうしてあそこまでポジティブな人間がいるのか、なおかつ猪突猛進の莫迦ではなくていろいろ考えそして突っ走っては貫いていく凄さがある。野生の勘とでも言うんだろうか。そんな人物に振り回されるなら天野も広瀬怜も主人公でなくたってかまわないかもしれないなあ。


【5月12日】 第38巻が出ていよいよ名人とクイーンへの挑戦者決定戦が始まった「ちはやふる」。クイーン戦に出た綾瀬千早はとりあえず第1戦を勝利したものの絶好調が災いしてかタイミングが合わずに第2戦でリードを許してもしかしたらそのまま敗戦だなんて可能性も。いやいやそれだとエンターテインメント的に拙いだろうとは思うけど、だとするならば逆転して勝利へと至るために千早がいったいどうやって自分を取り戻すのか、ってドラマが必要になる。

 それは隣で繰り広げられている名人位への挑戦権を争う真島太一と綿谷新との対戦ってことで千早とは幼なじみの2人が激突するその試合のどちらがどういう風に勝つことが、千早を奮い立たせるのかってところに男女関係の未来も見えそう。いやそれはないか千早のような朴念仁に限っては。勝負への執念。そして勝ち方。その姿こそが千早を変えるだろう。どうなるか。続刊を待とう。次は秋ぐらいかな。

 板垣巴留さんの「BEASTARS」も第8巻が出てこれで年内に第9巻も出たらマンガ大賞の候補から外れるところだったから受賞した今回がギリギリだったってことになる。それなりに知られ始めていたからこそ文化庁メディア芸術祭の新人賞を獲得し、手塚治虫文化賞の新生賞を受賞し、そして秋田書店の雑誌に掲載されている漫画でありながら講談社漫画賞の少年漫画部門を受賞といった連続しての栄冠が与えられたんだろう。まさに旬。そしてなおかつ面白みと深みを増しているところにこれからの興味も向かう。

 ハイイロオオカミのレゴシはアルパカのテミが何者かによって殺された事件を本格的に追うみたいで、いろいろと修行をして強くなっている。一方で演劇部の部長を辞めて草食獣のアカシカでありながら、肉食獣が作るシシ組のボスになったルイの今後。レゴシへの誤解も生まれたみたいだけれど対立するのか仲間になるのか、そして何を目指すのかってあたりも今後の興味が向かうひとつと成りそう。30巻とか続く話にしてしまうと入るのも大変だけれど今ならまだ追いつくから気になった人は読み始めてみてはいかが。あと数巻で片付くって可能性もないでもないけど。ほかにどういった話が描けるかも見て見たいし。

 荒魂のねねがタキリヒメの胸元に飛び込んだのは、いつもいっしょにいる益子薫がそうしたボリュームとは無縁で抱かれてもふかふかではなかったから、という説に果たして妥当性があるかどうかはこの際置くとして登場してまだ間がないのにタキリヒメが攻めてきたタギツヒメを相手に敗北して存在を座れてしまった感じ。高慢に見えて高潔さも見せてくれた美女って感じだっただけに退場は惜しいけれども同じ荒魂でありながらタギツヒメがノロを吸収して強さを増しているいんも関わらず、防衛省の奥にこもってノロを求めなかったのもやっぱり自分に神としての矜持があったから、なんだろうなあ。そんな「刀使ノ巫女」最新エピソード。

 折神紫から分離した大荒魂が3つに湧かれた中でタギツヒメに対して残るイチキシマヒメはネガティブ全開の引きこもりなだけに、タキリヒメを吸収したタギツヒメと戦ったら瞬間で敗北しそう。潜水艦に乗って移動していようともタギツヒメが見逃すとは思えない中でいったいどういう逆転の手段を衛藤可奈美たちはとるのだろうか。そもそもそんな手立てはあるんだろうか。ノロを移植されるようにして強化された敵方の刀使たちも現れ手を焼いている中で可奈美たちの勝利条件が見えてこない。いったいどういう筋をたどるだろう。ますます見逃せないなあ、っていうか観ているのってこれと数本になってしまった。アニメへの精神が衰えている。年かなあやっぱり。

 せっかくだからと池袋はサンシャインシティに行ってウルトラマンフェスティバル2018の発表会を見物する。その前に食堂に寄って博多明太子の食べ放題をご飯にてんこ盛りに持って食べる。白飯に明太子があれば人間、なんだか生きて行けそうな気がしてきた。貧乏になったらこれで頑張るか、それとも明太子は贅沢だからたらこにすべきか。マジで考えないといけなくなりそうだしなあ。さてウルトラマンフェスティバル2018は原点回帰っていうかウルトラ兄弟の絆とやらをテーマにしたものになりそうで、それもあってゾフィーからウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンジャック、ウルトラマンA、ウルトラマンタロウのウルトラ6兄弟がズラリと登壇。昭和世代にはウルトラマンといえばこれぞのセレクトに、公式サポーターとして登壇した爆笑問題の2人じゃないけど心に震えが来た。

 昭和ウルトラだったらこれにウルトラマンレオが加わるんだけれどもレオってある意味でウルトラ兄弟から外れたところの出身になっているから、ここに加わらなくて正解だったのかもしれない。7人だと多すぎるから外したのかもしれないけれど。そこは謎。それにしてもウルトラマンが好きな子供たちが観客に集まった場でも太田光さんは手抜きをせずにいろいろとぶっこむ。麻生太カのものまねをしたりTOKIOの話を振って不祥事は起こさないようにねと言ってみたり。これで誰か兄弟のひとりがメンバー呼ばわりされたらどうなってしまうのか。まあ架空のキャラクターに不祥事はあり得ないからそこは安心できるのかも、中の声優さんが引っかかるってこともないし。

 思ったのは相当にウルトラマンへの人気が回復しているってことで、サンシャインシティの噴水広場の地下1階から3階あたりまでのテラスに人がびっしりと群がって発表会を見物していた。子供たちもいっぱいいて目を輝かせて怪獣とかウルトラヒーローたちを観ていた。仮面ライダーとかスーパー戦隊に行く前に、純粋にヒーローが怪獣と戦うドラマとして楽しめるのがウルトラマンってことに改めて気づいたのかもしれない。IPとしての売り上げもバンダイナムコグループに関して言えば去年の40億円弱が60億円弱まで上がっている感じ。ドラゴンボールみたいにゲームが大ヒットしているとかガンダムみたいにガンプラが安定的な売り上げを出しているってものでもないのに、しっかりと維持しているだけに今が布石となって数年後、大きく花開くこともあるのかも。新番組も始まるし、この数年に期待。「レディ・プレイヤー1」の続編に出たらさらに爆発するかもなあ。

 そしてやっぱり観ておかなくちゃと「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」のアイドル応援上映会、ディアマイフューチャー編を観に新宿はバルト9へ。満席の中で女性も多く居てプリパラ勢の男子も混じって塩梅の良い応援が聞けてなかなか楽しかったけれど、もう1回観たくても日曜日の応援上映は売り切れみたいで月曜日はないみたい。仕方がないので川崎か幕張新都心へと遠征をして応援上映を聞いてみようか、でも人数あんまり多くなさそうなんでペンライトを振るだけになってしまうかも。音楽的にはオーロラドリームの方が記憶に残ったかな、でも2度3度と観ればみあの一番な歌声も効いてくるかも。あとはファララとガァララのユニットか、観ていてきゅんきゅんとしてきた。残すはレインボーライブ編。これも頑張って応援上映を見に行こう。


【5月11日】 航空自衛隊の男性パイロットたちによる女性自衛官に対する見くだしっぷりがどうにもゲスで見ていて鬱陶しくなるけれど、自衛隊が協力もしているアニメーションだからきっとこうした描写も了解の内、自衛隊に今なおはびこる男尊女卑的雰囲気をあからさまにしつつ男性自衛官たちに自省を求めた、っていうのはちょっと考えすぎかなあ。でも見てこれで改まらない男性自衛官がいたらやっぱりどうにかしないと後々尾を引きそう。いくら財務相がこの後に及んではめられた可能性があるとうそぶき、セクハラ罪という罪はないとまで言っているとはいえ。これだって野田聖子総務相&女性活躍相からダメ出しを食らっている訳で、世間の一部が今は閣下と称えていても、見放せば総理大臣もろとも凋落していくだけ。その辺の潮目を読まないと。読んで自爆をもろともかまそうとしているなら別だけど。

 さて女性自衛官へのセクハラパワハラが鬱陶しい一方で「ひそねとまそたん」は、そんなプレッシャーをなにくそとはねのけようとしているF−2Aを駆るDパイの星野絵瑠がのテンパり具合もなかなかに見ていて痛々しく、どうしてそこまでファイターパイロットになりたいと願うのか、過去とか経緯とかをちょっと知りたくなってきた。もとより資質はあっても女性はパイロットになれない現状を疎んじているのか、あの世界ではなれるけれどもDパイに回されて悔しがっているのか、パターンもいろいろとあるだけに心理の流れをちょっと知りたい。あとやっぱり身体を鍛えているだけあってスポーツブラなんだなあ、それを外すと結構ボリュームもあるみたい。男性パイロットならずとも目は釘付け、っていうかそれでランニングをしたら岐阜基地が滅びるかも、でもってF−2Aは目覚めるか? あれで結構気をつかって絵瑠がそうあって欲しいスタイルを維持しているっぽいから。

 展開としてはそんなDパイが未だ候補生に過ぎない貝崎名緒を基地に残して無人島へと移送され、そこから1週間以内に脱出して来いという命令を受けたものの食料はレアメタルも含めてふとももが食べてしまいさあ大変。でもダウジングという超常現象に頼る日登美真弓も動かない方が吉とばかりにあけみといっしょに寝ているだけの絹番莉々子もあてにならないと決めつけ甘粕ひそねが火を着けようと悪戦苦闘し水を探して迷い込んだその先で、泉があってまそたんが水浴びをしていたその水を持って帰ったら真弓が自然薯を掘り起こし、莉々子はあっさりと火をおこしてキャンプの準備が整っていた。ちゃんと役に立つ2人。むしろ役立たずのひそねも含めた3人が補い合って急場を凌ごうとしていたその脇で、自分が帰投すれば問題ないとんばかりに筏を組んでいる絵瑠は果たして心をいつか開くのか。そうなった時にどんな可愛らしさを見せてくれるかが今から興味。ツンツンツンツンで突っ走り続けることはないよねえ、ないよなあ。

 「映画 聲の形」での山田尚子監督と音楽の牛尾憲輔さんとのトークイベントがとてつもなく面白くて深かったので、同じ面子が揃った「リズと青い鳥」でもトークイベントがあったら行こうと思いながらもチケット発売に出遅れて、最後列しかとれなかったもののシアターが2番目くらいに大きなところで最後列でもそれほど離れてはいなかったので、むしろ音響とか前目で見ることが多いいつもとは違った感じに響いてきてとても面白かった。冒頭のみぞれと希美が歩く辺りは結構わしゃわしゃとノイズが入っていたんだなあ。その速度はBPMでみぞれが60で希美は110と結構な差がある感じ。これがエンディングではみぞれが100となり希美は99と101の間を行き来していてそんな中で奇跡的にも4歩だけ、ぴたりと合ったらしい。重なり合わなかった2人、すれ違っていた2人が歩み寄って重なる映画のテーマにも通じた偶然。こういうことってあるんだなあ。

 ロールシャッハテストなんかでインクをたらしてそれを2つ折りして転写したのを広げて見せて、何に見えるかってことをやっているけどそんなインクの転写によって図像を作り出すのをデカルコマニーといって、シュールレアリスムの絵画なんかに使われていたりするという。驚くことに牛尾憲輔さんはこのデカルコマニーを「リズと青い鳥」の音楽作りに利用していて垂らしたインクを転写しつつ、たとえば上段を4小節の五線譜にして下段を5小節に切って色に相応したさまざまな音をあてはめることによって重なりとズレを作り出すとか、あるいは上を3段で下を4段にして重なりを変えるといったこともやって似ていて違う音を並べていく手法を使っている。って聞いてどういうものかまるで分からないけれど、それによってあのノイズでありながらも琴線に響く音楽ができあがるのかもしれない。

 時には大きく広がったインクのシミを画像データとして記録した上でそれを音のデータに変換してノイズとしてならすこともやるとか。自分で音符を拾って五線譜に刻んでいく作曲とはまるで違った方法だけれど、空間にあるさまざまなノイズを集めて固めて聞かせるようなことが逆に、僕たちが普段聞いているこの世界の音をそのまま感じさせてくれるのかもしれない。ユニークだったのは希美がみぞれをプールに誘って、そこでみぞれが「他の人も誘って良い?」と尋ねる部分で作画的には2人の間をすっと横切る女子がいて、その中でみぞれのどきっとしてうっと感じてさらりと流す表情を描きつつ、音的にも横切る人の波形が出るよう、音楽をスピーカーから流しながらその前を牛尾さんが横切って、そしてそうやって変化する音をマイクで拾って録音して使っているという。聞いてすぐに分かるかというと微妙だけれど、知ることによって何か違いが感じられるかもしれないんで帰ったらサントラを聞き返そう。あるいはまた映画を見に行くとか。凝ってるなあ。凝り過ぎだなあ。

 やれやれというか、とある自称するところの全国紙で編集委員と論説委員の肩書きを持って安倍ちゃん大好き記事を書き続けている人がまたしてもというか、北朝鮮における拉致問題の解決が一気に進みそうなこの時に野党は森友だ加計学園だ財務省のセクハラだ防衛省の日報改竄だといった問題ばかりを追及して挙国一致がなってないといった論点ずらしの文章を書き散らしている。まったくもっておいおいというか、それを言うなら就任してから5年も経っている安倍ちゃんが今までどうして何も1ミリたりとも拉致問題を全身させられなかったかの方を問うべきで、現に北朝鮮の指導者からなんでお前ら監督の大統領とかアメリカの特使とか経由で言うだけで、直接言って来ないんだとぶちまけられていて、この5年の無策ぶりを暴露されてしまった。

 いやいや就任してから続けた5年の圧力こそが今につながったんだなんて言い訳だってしそうだけれど、それでも米国の議会でいろいろと突き上げられ、そして閣僚とかスタッフをころころと入れ替えもしながらアメリカのトランプ大統領は拘束されたアメリカ人の3人をこの数カ月で一気に解放へと導いた。そこにも経済圧力のたまものがあるなら日本だって即座に誰かを行かせるなり、自分が行って取り戻してくると言えば良いしやればいい。それを言いもせずやりもしないで机上の空論めいたことを言うだけだから蓮池透さんは呆れるし、拉致被害者の家族の中にもそろそろどうにかして欲しいといった声もあがる。そうした意見に総理が即断即決するだけの話に野党の追及とか関係ないだろう、今までだって党勢を背景に何だって通してきただろう、それがどうしてこの件だけは野党の協力が必要? 結局のところ進まず進められない責任の追及をそらしているだけ。その筆先をかついでいるだけの記事が支持を集める界隈が、これからも中心であり続けるとは思えないだけに新聞の将来がちょっと心配だ。まあ他人事なんだけど。


【5月10日】 「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」の技術説明会とかバンダイナムコホールディングスの決算説明会とかに出ていたんでどっちにしたって聞けなかったけれども、まるで誘いがなかったオタクコインの発表会について報じられている範囲で思ったことはこれ、仮想通貨である必要がどこにあるんだろうってことで今だって特定のプロジェクトに対するクラウドファンディングの仕組みがあって応援はできるし、昔あったときめもファンドのように成果に対するリターンも得られる仕組みを作ろうと思えば作れる。対してオタクコインはそれを購入した人が得られるメリットは、何かを直接応援しているという満足とはちょっと離れそうだし、大ヒットしても大きなリターンが得られる訳でもない。

 投票という行為を通してプロジェクトを応援できるみたいだけれど、主催者が引っ張ってくる企画のどれも気に入らなかった時はどうするのか。あるいはオタクという種族はそうやって誰かに押しつけられるようなプロジェクトに対して簡単に乗っかるマインドの持ち主でもなく、ボトムアップ的にどうにかしたいという思いがだんだんと広がっていったところで、じゃあ応援しようとなって爆発するような傾向があったりする。お仕着せが嫌いというか苦手というか。だからトーキョーオタクモードが仕切るだろうそうしたプロジェクトのセンスが問われるんだけれど、キズナアイのフィギュアを作るとかご当地の伝統工芸とキャラクターを結びつけるとかいった活動しか見えてないからなあ、今のところ。

 クラウドファンディングにするとかファンドにするとかいった形式だと直接に現金が動いて税制面とかが面倒とか、あとは法律的にいろいろと制約もあるとかったデメリットをこの形式なら乗り越えられるかもしれない。違うかもしれない。そのあたりはもうちょっと調べるとして今のところ、自分がどれだけ出したなら何を得られるのか、それは金銭的対価ではないのだろうから精神的満足にちゃんとなっているのか、ってところが問題になりそう。知らない訳ではない人も応援団に加わっているようなんで、誰かを騙したり引っかけたりするようなものではなく、仕組みとしては真っ当で健全なものになっているとは思うけど、そうした志とは別にコンテンツそのものの種類、プロジェクトそのものの感覚が僕とそぐうかどうかが、好きか嫌いかの分水嶺になるのかな。

 「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」MX4Dの技術説明を聞いていて面白かったのは、日本映画向けにMX4Dのモーションをプログラムする人はたった2人しかいなくて、その人たちがとりあえず自分達の感性をもとにしてすべての動きをすべてのシーンに対して手でもってひとつひとつ打ち込んでつけているということ。つまりは極めてアナログな作業を行っているということで、てっきりある程度はAI化が進められててこのシーンにはこんな動きが学習によって自動でつけられるのかとも思っていただけに、その作業の膨大さを思って敬意を払いたくなって来る。

 同時に自分の感性とそしてプログラミングによって1本の映画に映像と音響以外のモーションがついて、作品の世界を広げられるといった役得感もあって、そうした立場になるためにはいったいどういう勉強をしたら良いのかといった興味も浮かぶ。MX4Dに関しては日本のダイナモアミューズメントが一手に引き受けているからまずはそこに入ることが肝要か。自分だったら「ガールズ&パンツァー」にこんな動きをつけるのだ、なんてリポートを書いたら入れてもらえるのかな。いや「劇場版」は4DXだったから動きをつけたのは韓国か。次の「最終章」はMX4Dになるのか4DXになるのか、分からないけれどその映像を見ていたらいずれつけられるだろうことは確実。ポルシェティーガーの振動とマーク4の振動はどう違う? それをどうプログラミングする? 結果が楽しみ。結果を体験できるのがいつになるかは知らないけどね。ヨーホー。

 東京ビッグサイトで開催中のJAPAN IT WEEKとやらを見にいってザッと見物。デバイスとかが中心でそれもB to Bの製品だからあまり面白くはないんだけれど、IoTとかがどういった分野で使われているかを確認するのはそれこそ「劇場版名探偵コナン ゼロの執行人」でも描かれていたIoTテロの可能性を探る上で重要だから見て損はない。そしてエンターテインメントの世界でこうした最先端のテクノロジーを描く上で必要な知識として、クリエイターも行っておいた方が良いかもと思ったけれど、そういった時間はないんだろうなあ、忙しい人たちだから。でもまあ頑張れば知識は取り入れられるってことで「ゼロの執行人」は可能性がちゃんと形になっていたし。取材したのかもしれないけれど。

 見た中で面白かったのはソニーがずっと出してた電子ペーパーの超薄型軽量タブレットで、モノクロしか出せないけれども解像度は高く反応も早くて結構使われ始めていたのが、いよいよサイズも小さくなって新登場。問診票を入れたり仕事に必要なドキュメントを放り込んで持ち歩いたりすればカバンの中のノートも書類もぐっと減らせる。PDFとかは読めるそうなんでそっちにドキュメントを固めておけば自炊した本とかも読めるようになるかもしれない。キンドルとかは無理か。あとウェブブラウザーとしても使えなさそう。そのあたりは割り切って仕事か教育の分野で使われていくことになるんだろう。この電子ペーパーを扱っている会社とMX4Dの日本向け展開を行っている会社がともにソニービジネスソリューションだったところに案外にソニーの底力が見え隠れしているのかもしれない。

 あとは発行するLEDが並べられたプロペラを回すと映像が浮き上がる装置も登場。前々からあったりするシステムだけれど英国製の4枚羽根から2枚羽根ちうか1直線の棒にLEDを埋め込んで光らせ回すだけで済むシステムも登場していて、3DCGなんかで作られたオブジェクトだとか人物だとかがさもそこに存在するかのように浮かび上がって見えていた。結構小さいプロペラでそれでいてリアリティは抜群。なおかつ7つのプロペラを並べて回すことによって大きい人物なんかの映像もそこに出現させられるとあってディスプレイの新しい形としてこれからあちこちで普及していきそう。回転しているんで手が触れられる場所に置けないのが難点か。アクリル板でふさぐか高いところに置けば大丈夫だけれど。卓上扇風機サイズにもしていけるそうなんでそこに好みのキャラクターが3Dっぽく出現するノベルティなんか作って欲しいかも。

 誰が来るかは聞いていないし誰が来たかは覚えておらず、そして何を話したかはメモをとっていなくてなおかつそうした面会の状況について上司たる内閣総理大臣に報告もしていないといった仕事ぶりで、いったい首相秘書官という役職は勤まるのかといった謎が浮かぶというか、これってまるで何も仕事をしないでただその地位に居るだけだと思った人も多そうな柳瀬唯夫元首相秘書官の国会での答弁。そこまで自分を無能の穀潰しでございと世間に喧伝してまで、いったい何を護ろうとしているのかが興味の向かうところで、まあ自明の理なんだけれども自分の口からは言わないところに忠誠心かあるいは恐怖心があったりするのあどうなのか。いずれにしても無茶を通して道理が引っ込んだこれからの世界で、モラルも矜持も無関係とばかりに傍若無人がまかり取っていくんだろうなあ。結果を想像して怖くなる。総理は怖くなららないのか。その支持者たちも。ならないんだろうなあ。やれやれ。


【5月9日】 僕がしっかりと作られた革靴が好きだからなのかもしれないけれど、イスラエルでネタニヤフ首相と安倍総理との会食で靴の形をした容器にチョコレートが盛られて出された件について、そのメダリオン付きストレートチップをエイジングも含め再現した容器の格好良さとも重なって、なかなかにオシャレだと感じたのに対し、世間では靴をテーブルの上に載せ、食べ物を盛るとはナニゴトだといった声が起こってなんでだろうと首をかしげることしきり。靴型の容器どころかハイヒールにオードブルとかデザートを持って出しているパーティーなんかが欧米にはあるみたいだし、紙製の女性靴をつくってそこにオードブルを盛って出すパーティーなんかもあった模様。そうしたオシャレとは反対に、スニーカーにフライドチキンとかナゲットとかを盛って並べるホームパーティーの様子もネットとかを見るとあったりする。

 海外では靴を脱いで家に上がる日本で靴を食卓に出すとは失礼なんじゃないかといった声があるみたいだけれど、そうした礼儀に関する話はまるで聞いたことがない。みんな大好きコメダ珈琲店にはクリームソーダやコーラフロートがブーツ型のグラスで出されるメニューがあるし、矢場とんにはその名もずばり「わらじとんかつ」という草鞋を模したように大きくて平べったいとんかつを出すメニューがある。ああどっちも名古屋が起源だから名古屋人は履き物が飲食物と関係しててもあまり気にしないんだってことかもしれないけれど、全国的にも別に気にはしないよねえ、しょせんは容器な分けだし。

 もともとはトム・ディクソンというクリエイターの工房が販売している靴型キャストのひとつで、黒と銅があって本当はドアストッパーとして使うものみたいだけれどペーパーウェイトとしても活用可能。その形状を見てイスラエルで食事を出したシェフは容器に使うことを思い立ち、靴下がわりにクロスを添えてそこにチョコレートを盛って出したという次第。そこに何か侮辱だとか逆に称揚と言った意味はなく、ひとつのセンスとして使えるものでなおかつ普段は使われていないものを使ったといっただけだろー。スナネコじゃないけど「でも騒ぐほどのことでもないか」。安倍総理が嫌いな人までもがそれを侮辱ととったりするところがどうにも謎めいて仕方がない。中東のイスラムでは靴は侮辱の象徴というけど、イスラエルだもんなあ、サッカー協会はUEFAに張っていたりする。欧米のセンスをひねっただけのことに騒いだって仕方がないから次は、日本に来たネタニヤフ首相にコメダのクリームソーダを味わってもらおう。とんかつはダメだったっけ。

 去年は原恵一監督だった東京国際映画祭でのアニメーション監督特集に今年は湯浅政明監督がピックアップされたとのこと。アヌシー国際アニメーション映画祭では最高賞となるクリスタル賞を獲得し、日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞なんかも受賞して文化庁メディア芸術祭では3度の大賞に輝いた湯浅政明さんはまさしく日本を代表するアニメーション監督な訳で、こうして取り上げられることにまったく違和感はないし、「カイバ」とか「マインド・ゲーム」といった特徴的なビジュアルを持った作品が改めて紹介されることで世界にその名もますますとどろくことだろう。「DEVILMAN crybaby」が実際の所、欧米でどういった評価を受けているか分からないんだけれど、「アドベンチャータイム」なんかは人気みたいだし米国受けしない監督ではない。いずれ出て行く踏み台に、東京国際映画祭がなれば嬉しいんだけれど。また通い詰めよう。

 せっかくだからと「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」MX4Dの体験会と技術説明会を見物。河森正治監督がピッタリと張り付いてモーションプログラミングを監修したそうで、ダイナモアミューズメントという日本で唯一、日本映画向けにMX4Dのモーションをつける仕事をしている会社で2人しかいないプログラマーの1人もこれまでの経験とは違った知見があったと喜んでいた。例えば空戦のシーンでバルキリーが背後から撃たれキュッと止まるあたりで普通だったらその止まって前のめりになるところに1番大きな動きを付ける。でも河森さんはそうじゃないと。撃たれた瞬間を最大の動きにしてそれから止まるときは慣性ですっと止まる感じにしようとアドバイスを送ったらしい。その方がパイロットらしい感覚が得られると。

 あとワルキューレのライブシーンについては音に決めるようにして動きも決めるといった感じ。それによってきっとメリハリのあるライブを体感できるようになるんだろう。担当者の方でもライブには力を入れたそうで、ワルキューレの間を縫って動くようなカメラワークにあわせて動かすことで日常では絶対に体験できない動きを感じてもらえるようにしたとか。激しい動きと柔らかい動きの両極端なら出しやすいMX4Dに中間のプログラムも作ってつけたとも話していて、そうした複合的な動きがメンバーのカラーに合わせて点滅するストロボとも相まって、観客をアリーナのワルキューレライブにいるような感覚にさせるという。これはもう見に行くしかないよなあ。

 ドッグファイトシーンも迫力たっぷりで、左右に動き上下に動き前後にも動いたりするバルキリーとそして敵の騎士団の動きに合わせてモーションを止めず視点も切り替えつつ動きをつけていったとう。弾丸が走るシーンとかではプシュッとエアが耳元を吹き抜け、ガウォークからバトロイドへと変形していくシーンでもちゃんと動きを入れて自分がバルキリーのコックピットにいるような気にさせる。

 ライブ会場にいてバルキリーに乗ってとめまぐるしく動くその立ち位置。なおかつそれが重なって複合的に得られるシーンもあったりするのがこの「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」という映画の特徴だけに、MX4Dのシートに乗っている方もそんな変幻自在な空間に自分がいるように思えてくるだろう。終えたら相当に体力もそがれそうだけれど、1度見ただけでは分からない演出もあるそうなんで通って体感したいところ。でも高いんだよなあ、TOHOシネマズで3000円。まあでもライブに行くよりは安いか。

 興味深いのはつきっきりでこうやってMX4Dのモーションを監修した河森監督が、音響だけではないモーションによる映画の”拡張”にも興味を持って次からそうしたMX4Dなり4DXなりを意識した映像作りをやってくれるようになるんじゃないか、ってこと。実際に「亜人」の本広克行監督はMX4D化が決まった段階でそれに沿うよう編集を変えたそうだし、現在進行形の「ガールズ&パンツァー 最終章」はその前の「ガールズ&パンツァー劇場版」で試して得られた4DXとのマッチングを考慮したシーンがあるように思える。学園艦の底でそど子が連れ去られながら角を曲がったり降りたりするシーンとか。新しい演出が加わればそれにマッチして表現も代わる。モーションや五感を刺激するギミックが常時可能になっていけば映画もまた、違ったものになっていくのかもしれないし、それこそが映画館へと足を運ばせるひとつの武器になるのかもしれない。

 河森監督もメッセージを寄せていて、その中でマクロスシリーズはずっと臨場感や体感を意識して作っていて、風を感じることができるMX4Dへの対応によって目指しているところにまた一歩近づけたって言っていた。ってことはもしかしたら現時点で最も本物へと迫った、究極のマクロスシリーズって言えるのかもしれない。香りなんかにも河森監督の好みが入っていた入りするそうで、そういう意味でクリエイターの完成にまみれられる映画でもある「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」。これはもう行くしかないなあ、ってことで5月11日朝イチのTOHOシネマズ新宿を確保。無事に生きて帰れるかなあ、相当に疲れるんだよなあ、MX4Dとか4DXって。

 ポンペイオ国務長官の再度の北朝鮮訪問によってどうやら拘束された米国籍の3人が解放されたとのこと。帰国すればきっと北朝鮮で置かれていた状況も明らかになって、かの国を話し合うにふさわしい相手かどうかといった議論も起こりそうだけれど一方で、解放したことをひとつの足がかりにして関係改善を双方が合意していたのだとしたら、米朝首脳会談へと向かう道筋がまたちょっとだけ太くなったのだとも言えそう。どうなることか。いずれにしても行動を起こして短期間のうちに解決へと導いた手腕はやっぱり並大抵ではなく、時々に見せるドラスティックな判断も目的のためにちゃんと機能していたと言えそう。ひるがえって拉致問題をずっと抱えている日本の安倍首相に、同様の行動力を求めることができるかというと相手方が死亡と断じた面々について、今なお生存を信じ解放を呼びかけているところで歩み寄れない壁がありそう。どっちに見方をしても反発を受けることは必至。なおかつ妥協をすれば敵国認定して攻撃することで溜飲の下がる面々からの支持を得てきた政権の基盤も揺らぎかねない。どういう動きを見せるのか。見ていくしかないなあ。


【5月8日】 言い分はきっとセイコー側にもあって地震の発生からとりあえず1年は様子を見たけれど、売り上げが回復しないのでこれ以上は関わっていられませんと店を切ったという可能性もあるし、ブランド力の向上を目的として取り扱う店舗を絞ってそれぞれにナンバーワン的扱いをしてもらおう、そのためには専用コーナーを作ってもらい、いっぱい仕入れてしっぱい売ってもらおう、それができなければ取り扱いは止めてもらおうとする戦略に照らし合わせて、ちょっと足りてないからもう取り扱わせないといった判断をした可能性もある。それは企業が打ち出す戦略としては間違っていないし、ついて行けなければ振り落とされるという、ただそれだけのことなのかもしれない。

 ただやはり熊本という規模的に結構大きな災害で全壊した店舗をまずはどうするかといった算段をつけつつ、仮設の店舗を開いて営業は続けてみたものの宝飾品を扱いつつ、修理にも応じるような中で震災の後遺症も残る熊本の人たちに、クレドールのような高級時計を老舗の時計宝飾店ならではの“ノルマ”に合致するほどの数が売れるとも考えづらい。それでも新しい店舗を建てる計画をとりまとめ、年末にはどうにか営業再開となってこれから頑張ると言っているにもかかわらず、今が未達だからと120年にも及ぶ歴史を持ち、セイコーともそれこそ創業者の代から付き合いがある熊本きっての老舗の店を切り捨てることで被るセイコー側のイメージダウンは、ブランドイメージを保ってもらえる店に売るという戦略のためであってもマイナスに出そう。というか実際出始めている。

 老舗なんだから先代が電話で付き合いのあるだろう創業者一族から出たホールディングスの会長に「現場が無茶言ってる」と告げ口でもすれば急転直下、それこそ天の声として現場に引き続き取り扱いを認めるべきだといった司令が下りそうなものだけれど、代が代わって10年くらいは経っているから先代の存在なり影響力なりが薄れていて、そしてセイコー側にもガバナンスの変化で創業家が何か口出し出来る状況にはないのかもしれない。かくして熊本きっての老舗時計宝飾店、ソフィ・タカヤナギからクレドールが消え、グランドセイコーも消えようとしている。

 近隣の店舗で売っているからソフィ・タカヤナギはサボっていただけだといった声もあるけれど、地震による被害状況がソフィ・タカヤナギと違っていて、営業規模の面からノルマもソフィ・タカヤナギとは違っている可能性もあるから、ソフィ・タカヤナギだけが突出して成績が悪く切られたと見るのは短絡かもしれない。店舗再建という力をお金を使う仕事をいっぽうにやりつつ、後宮腕時計を被災地に売る難しい仕事をこなす難しさを勘案して、しばらくは様子見すれば良かったのになあ、セイコーも。それができないくらいに余裕がなくなっているのかもしれない。セイコーに限らず日本の企業全体から。ともあれ幕を開けたバトルの行方やいかに。謝った方がブランドも傷つかないと思うんだけどなあ、セイコー。

 もちろん「セクハラ罪」だなんて罪名は刑法の上に記載はされていないから存在しないと言えば言えるけれど、セクハラというのは好意全般であってそれはパワハラであるとかいじめといった行為として罪悪であると認識されているされているものと同様。そうした総体としての罪悪を現状の法律に照らし合わせてたとえばセクハラだったら強制わいせつであり強姦でありといった部分になれば親告すら不要に捜査ができて摘発だってできるようになっている案件を、こともあろうに一国の副総理であり財務相でもある麻生太カ議員が公然と「セクハラ罪という罪はない」と放言。なるほど名誉毀損や侮辱の段階に止まっているなら非親告罪ではあっても、広く見渡せば親告罪も含むセクハラを非親告罪だろうといった感じにどこか軽く見くだしたような言説で括って逃げようとしているところに、もはや世界も我慢がならないといったところだろうか。

 野党がこうした発言に対して非難をぶつけるのは当然として、与党内からもまさしく女性活躍相を担当している野田聖子議員が発言を強めていて、それに党勢も乗れば麻生財務相だっていつまでもタテマエの上に立った発言はしていられないだろう。というか明快にもはや財務事務次官の劣勢は確実で、その言説にもヤバい部分があったことが見えているにもかかわらず、体面を維持しようとしているのは何だろう、そこまで自分の地位を守りそれによって安倍総理の盾になりたいのか、逆にそうやって暴言をまき散らすことによって内閣のイメージを下げて安倍総理と差し違えようとでもしているのか。後者についてはまあ、あり得なさそうなんでひたすらに自分の体面を守りたいんだろうなあ、不祥事の責任をとらされて止めたらもう、総理には返り咲けないだろうし。それで日本のイメージも財務省のイメージもガタガタになるなら、誰がいったい反日か。閣下と崇めるライティな人たちもそろそろ考えた方が良いんじゃなかろーか。

 たぶん前作を興行収入で超えるだろう劇場版「名探偵コナン ゼロの執行人」をようやくやっと見て、これを例えばテレビシリーズで「名探偵コナン」を見ている子供が普通にすんなり理解できるんだろうかを謎に思ったけれど、もはや「名探偵コナン」はテレビシリーズも含めて若い層が見て毎回の謎解きとカタルシスを味わう「シティハンター」的な作品になっている感じ。子供といっても江戸川コナンと同じくらいの年齢ではなく中高生から大学生あたりが中心となっているなら警察内部の権力争いを描いたような作品であってもどうにか理解できるだろうし、そうした理解が及ぶような案内と説明もちゃんと行ってあるから見てより興味を惹き付けられるだろう。そういう意味では巧い作品だったし、警察小説とかが好きな大人でも存分に楽しめるような作品になっていた。

 東京でのサミット会場として予定されていた、海上につくられた埋め立て地の中にある施設が爆発。事故との線もあったけれども誰かが進入して爆破を誘導した可能性が浮上して、その犯人としてこともあろうに毛利小五郎が浮上する。そして証拠も押収されたパソコンから会場の見取り図が見つかり外部から操作可能な装置にアクセスした形跡もあり、何より指紋まで残されていたからアウト確実。起訴されてそのまま公判へと向かいそうなところでコナンと蘭とそして蘭には母親で毛利小五郎にとっては別居中の妻、妃英理が集まって弁護士を雇い公判に備えることになる。

 とはいえもとより毛利小五郎が犯人ではないことは明確。だったら誰がといったところで警視庁にある公安部と検察庁にある公安部との差のようなものが浮かび上がり、そして警視庁の公安が日ごろどういった捜査をしているかが描かれていった先、誰もが正義を謳ってぶっこみ合いをするストーリーが繰り広げられていく。刑事だって公安だって検事だって弁護士だって正義のためにと突っ走って、その正義のために法律の枠外に飛び出したりもして命が危険にさらされ奪われたりもしているのに、正義の美名のもとであってならばと憎しみを向ける相手を与えられないこの顛末を見て、観客はいったい何を思うのか。なんだ公安良い奴じゃん? それって怖い話なんだけれど気づかずすり込まれているのかもしれない。

 個人的には灰原哀がいっぱい出てきて動きはしないけれども活躍をしてくれたのが楽しかったし、上戸彩さんが声を演じる毛利小五郎の弁護を買って出た弁護士も眼鏡っ娘で可愛かったので良しとしよう。監督は立川譲さんであにめたまごだかアニメミライだかの「デス・ビリヤード」を監督してテレビシリーズ「デス・パレード」も監督してたらいつの間にかビッグな劇場版コナンの監督に抜擢。7年ぶりの交代でプレッシャーもあっただろうところを警察ものできっちりまとめて1つ終わっても先がある展開でドキドキさせ、そして何より安室透という謎めくイケメンを恐ろしくも格好いい人物に描いて女性ファンをワクワクさせた。このヒットを受けて次も監督をしてくれるならどんな話になるんだろう。予告めいた映像には怪盗キッドが出ていたけれど。やっぱりそっちの話かな。いずれにしても灰原哀をいっぱい。


【5月7日】 しばらくぶりに「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を見たらグランクレバスでの死闘を凌いだらしい第13都市部隊がほとんど廃棄された都市に残され食料の供給でけは受けながらも水の循環は止まり燃料などもあまりなさそうな中で自足の生活を余儀なくされていた。普通だったらすぐにでも回収して次なる戦いに備えるべきところをどうやら普通のコドモではないらしい第13都市部隊を都市生活から切り離すことによってなにかの発動を促しているようにも見える。恋情とか浮かばないはずのコドモに芽生えた思春期がもたらすそれは……やっぱりエロか違うのか。そんな興味も誘いつつ咆吼する叫竜らしい存在との決戦が、これから繰り広げられるだろう中で誰もが生き残れるのか、それとも違うのかを見ていく感じになりそう。オトナたちはとりあえず存命みたいだし、その狙いも気になるところ。痛そうで見るのをとばしていた回を見返してストーリーに追いつこう。

 「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」は冒頭からあおられるようにしたカトリーのシリアスな表情とか見られて絵でも遊んでいる感じ。なぜか幸運が続くという男の話からふっと「赤毛連盟」が浮かんだけれども仕掛けとしてはだいたい同じでそしてその仕掛けの理由という部分で“犯人”がただ儲けを狙っただけではなく、それによって自分が過去に受けた恩をどうにかして返したいといった思いがあって、そして偶然とはいえそれがかなってしまった展開にシナリオのちょっとした巧みさを感じた。これまではピタゴラスイッチが仕掛けにあってそれも無茶レベルなのをどうして実在し得るとカトリーが信じたかってあたりに首をかしげたけれど、今回は推理もその手がかりも納得できる範囲でそして偶然も許容の範囲。こういう回が続けばミステリーファンもプリキュア見てないで(見てるのか)こっちを見るようになる気がするんだけれど。

 「キラッとプロ☆チャン」の方はまだ段階を踏んでMiracle Kiratsが段階を踏んでプリチャンアイドルになっていこうとしているプロローグ編といった感じで、より名を売るためのチャレンジに取り組もうとしたら萌黄えもが張り切りすぎて足首をねんざし最初からリタイアしたところを、桃山みらいがひとり頑張りSASUKE……じゃなかった赤城アンナが仕掛けた障害を乗り越えていくといった分かりやすくて取っつきやすい展開になっていた。キャラクターどうしのライバル関係とかがクローズアップされ、ライブなんかによるバトルが始まるのはもうちょっと先かな。とりあえずイイネを稼ぐために必要なことをやっていく展開で、世のキッズYouTuberたちの歓心を買って視聴率を確保していいった先、ギャグだけじゃなくシリアスなドラマって奴も混ぜて挫折からの克服、そして成功といった感動を味わわせて欲しいなあ。そうなってこそ「プリティーリズム」や「プリパラ」に続くビッグタイトルになれるから。ビックなのか?

 ビッグだろう、だって上映が始まった「映画プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」には連日ちゃんと観客が押し寄せてサイリウムを振って応援をしていたりするから、アイドルおうえん上映会について言うなら。昼間に子供たちが見られる時間帯については不明。そもそもそんな時間には行けません。だったらと行ける夜のアイドルおうえん上映会を見に新宿バルト9へ。やっぱり最高。土日の満席でプリパラ勢多数で男声が響く上映とはうって変わって空席もある中で、女子がポイントでコメントし呼びかけコールする感じ。楽曲を味わいつつ歓声から賑わいのポイントを客観的に確認することができた。

 そんな環境で観てはっきりと感じた「プリティーリズム・オーロラドリーム」の楽曲のミックスの巧さ。しっかりつないで気持ちを高めていける。重ねられる映像も出会いとか離別とか友情とかってシーンがあって、ずっと見ていた人には涙も浮かびそう。見てなくても想像で心がジンとする。「天地無用!魎皇鬼」の長岡貢成さんが手がけていたんだなあ、ビートがきいてピコピコとなりつつメロディアスという楽曲は本当に初聴で心を貫く。CDが欲しくなってきた。それを見たいがために通いたいところだけれど次もあるんでオーロラドリームルートはこのくらいに。次は「ディアマイフューチャー」になるのかな。見に行こう。

 そんな「映画 プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」を見ようとすると、上映前に細田守監督の新作「未来のミライ」の予告編が流れてそこで「サマーウォーズ」以来となる細田映画における山下達郎さんの新曲がかかる。これがもう最高で、アイドルておうえん上映の準備で手にしたサイリウムをついつい振りたくなるのだった。達郎さんのライブでサイリウムなんてあり得ないだけに。楽曲の印象としてはそうだなあ、「POCKET MUSIC」のサウンドと重なるなあ、音の響きとか粒立ちとか重なりとか声質とか。だから好きなのかもしれない。CDはいつでんるだろう。出たらもちろん買おう。これをひっさげたライブもあればやっぱり行こう。チケット取れる自信はないけど。頑張って。懸命に。

 六本木にある青山ブックセンター六本木店が6月で閉店だそうで衝撃を受けている人とか多そう。六本木にまだWAVEがあってシネマート六本木とかシネ・ヴィヴァン六本木とかもあって音楽と映像とそして書籍といった文化の香りを日本でも有数の若者による陥落の街に与えていたらしいけれど、個人的には六本木ヒルズや赤坂ミッドタウン、そして国立新美術館ができる以前の六本木にいったいどれだけの頻度で来ていたか、って考えた時にWAVEも青山ブックセンター六本木店も大きく自分の何かの形成に影響を与えてはいないなあと思うのだった。GAGAが六本木にあった時代は取材とか試写で通ったけれど、あれは狸穴の方へと歩いて行った方にあるから青山ブックセンターとはあまり関係ないのだった。それでも時折のぞいては内外の写真集とか文芸書とかをあさっていた記憶。それがなくなるのはやっぱり残念。文化廃れて何が残る? こうやって街は変わり或いは軋んでいくのだろう。10年後の六本木、想像してみよう。

 サンライズとかバンダイナムコアニメーションの作品を映画館で上映するサンライズフェスティバルの今年の開催とラインアップが発表になって「無敵鋼人ダイターン3」とか「鎧伝サムライトルーパー」とか塩山紀生さんのキャラクターに出会える作品が並んでいてちょっと前に東京アニメセンター in DNPプラザで展覧会を見た身としてこれは頑張って見てみたい。それ以上に気になるのが「境界線上のホライゾン」の2年ぶりの上映で、おととしは英国&三征西班牙が登城する第2シリーズを中心に上映したけれど、今回はオールナイトってなっているから3年前に上映された第1シリーズをまとめて上映してくれるのかもしれない。12話で6時間でオリオトライが武蔵の上を突っ走る。その正体を知った今となっては見て思うところも多そう。トーリがその胸を揉む場面も含め。歳なんでオールナイトは遠慮しているけれど、これは行こう、頑張って、懸命に。


【5月6日】 「折神紫、17歳です」「おいおい」。という会話が交わされたかは定かでないけど、「刀使ノ巫女」で体から大荒魂が抜けた折神紫は前に体に取り憑かせた時から年を取ってなかったようで、その割には刀剣管理局の局長をしていた時と変わりがないように見えるのはその役職にあった時から17歳の姿で止まっていたのか、大人に鳴ったように見せかけていたけど大荒魂が抜けたんでその幻惑の力が途絶えて17歳に戻ってしまったのか、いろいろと考えても分からないからとりあえず、今の紫が17歳なんだと思うことにする。そんな紫がずっと頑張ってきた朱音に向かって「老けたな」とか言ったら温厚な妹でもぶち切れるだろうか。そこが興味。

 新登場で紫から分離したタギツヒメが本体をカクリヨへと送り込んだ後を3つに分けたうちのひとり、のイチキシマヒメは性格にネガティブ入っていた感じで、ああこれで殺される短い運命だった等々と諦観して首すら指しだそうとしていた。聞き分けが良いのか実力を分かっているのかそれすらも生き延びるための戦略か。とはいえやっぱり本気出せば怖い大荒魂の一部な訳で、タギツヒメやタキリヒメと合体を望むかそれとも1人で生きていく気なのか。逆にそもそもひとりで生きていけるものなのか。3女神の行方も含めて展開を見守りたいけど、タギツヒメ配下の高津雪那が悪巧みをして衛藤可奈美が親しくなった娘を改造せざるを得ない立場に追い込んでいたからなあ、そっちの相克が大変そう。というか雪那おまえ紫様一番じゃなかったのか。どうしてタギツヒメについているんだ。紫が存命なことくらいタギツヒメから聞いていそうなものなのに。結局誰かにすがってないとアイデンティティを保てない性格なのかも。その行く末も気になる気になる。

 いよいよ配役も決まってきたドラマ版「この世界の片隅に」。すずさん役には松本穂香さんという人がオーディションで3000人から起用されたそうで、朝の連続テレビ小説とかにも出ていた経験があって女優としては確かそう。身長が160センチを超してて「こまい」感じはないけれど、相手役となる周作さんは183センチの松坂桃李さんが演じるから身長差はしっかりつくので問題はない、のかな。ほかに黒村径子には尾野真千子さん、北條ハツには伊藤蘭さん、そして円太郎さんには田口トモロヲさんとなかなかの有名どころが揃ってる。あと気になるのは連続ドラマだけにカットされないだろうリンさんとのエピソードで、誰がリンさんを演じるかってあたり。長編アニメーション版で声を担当した岩井七世さんなら最高なんだけれどそういう配役をしてはくれなさそうなんでここは誰が演じるかをワクワクしながら待とう。子供の頃のすずさんとかも。中島本町に海苔を届けて途方に暮れる表情とか、出せる子役はいるかなあ。

 気になったのはドラマで使われる呉にある北條家を実際に呉市から移築したといった話。当時から建っていた民家らしく雰囲気は出せそうだけれどそれは呉にあって当時の呉を伝えてくれるひとつの景色でもあった訳で、引っこ抜いて移築してしまってはもったいない気がしてならない。それとも古くなったかずっと空き家になっていて、もう取り壊すしかところをTBSの側で引き取ったのか。それなら仕方がないとは思うけれど、映画のリアリズムを探求するために無理に壊して引っ張ってきたならちょっと本末が転倒する。そのあたり、どういう経緯だったのか知りたいところ。まさかこうの史代さんの親族が暮らしていた、北條家のモデルになった家が取り壊された時に押さえて持ってきた、ってことはないよねえ。その跡地が公園になるって話があって、けれども家は内から置き石かタイルで間取りを再現するってあったから。家があるなら立て直すだろう。いっそドラマで使った家を戻して公園に“再現”するってのはどうだろう。ロケ用の張りぼてで移築は無理というなら仕方がないけれど。さても興味。

 第1回の角川キャラクター小説大賞で大賞を獲得した柳瀬みちるさんによる5月25日発売予定の新刊「明日、君が花と散っても」はSFなのでみんな読もう。BC兵器によってどうやら人類が滅びかかった世界にあって、かろうじて生き残っていた集落によって拾われ育てられた少年がいたけれど、周囲で人が花となり散る病がはやるようになって、尊敬していた上の人たちがいなくなり、そして少女にもその兆候が見え始める。少年は嘆き病の進行や蔓延を防ぐ手立てを考えようとする一方で、戦争前の本が積まれた場所へと出向いて病の原因や対策を探ろうとする、

 そんな展開の中でだんだんと見えてくる、自分達が暮らしている場所がおかれた状況とそして周囲の様子。いったい何が起こっていたのか。そして今どうなているのか。そうしたシチュエーションにひとつのSFの構造を感じる。なおかつ物語は、最愛の人間や愛しい人たちがどんどんと失われていく悲しみであり、自分だけが取り残されてしまうような絶望といったものをつきつけられながら、それでも生きていかなくてはいけなかった時にどんな気持ちを抱くものなのか、といった想像をさせてくれる。本当に運命を知っていた者たちがその運命を受け入れることをどう感じていたかも。とても強くて尊いそうした気持ちの奥底に、人としての心なのか違う何かがあったのかも興味があるところ。変化していく世界の狭間に生まれた生命の可能性についても考えたくなるストーリーだ。

 土浦ライトノベルというジャンルがあるなら浦土之混乱さんの「スタンピード!!」(講談社ラノベ文庫、600円)がまさしくそれで、もしかしたら唯一か。牛久大仏が巨大化して戦ったり、霞ヶ浦で戦艦道乙女が艦隊戦したりするようなライトノベルは聞いたことないし。そんな「スタンピード!!」は左翼系過激派によるテロが相次いだこともあって治安が不安定な土浦で今なお起こる過激派らによる犯罪を、人間離れした体力で粉砕していく警察庁直轄の特攻一課に所属する警察官にして警視という階級を持つまるでワイルド7のような無壊護という男と、犯罪組織や悪徳企業相手に悪さを働くギャングスターのエイタ・サキモリ、なぜか事件事故に巻き込まれる体質故に武術体術を鍛えバタフライナイフも起用に扱う痩身の民守夏希の3人が、出会いそして起こった事件に絡む。

 3人が3人ともヒーローという存在を意識し憧れたりなろうとしたり護って欲しかったと願ったりしている状況で、今度は自分たちがヒーローになろうとして動き回るというストーリー。警察官なのに正義を護るためとエイタが画策した銀行強盗を先取りして自分が強盗に入ろうとする護も含め、どこか歪んでしまった正義への思いとそれを為す上での振る舞い方。大勢の救済のために少数を犠牲にしないか気になるけれど、1人でも悲しまないようにする正義を旨としているから大丈夫だろう。完全裏社会側で殺人も辞さない奴らが絡む木崎ちあき「博多豚骨ラーメンズ」とは逆に正義の側だけれどくせ者揃いが関わりあって干渉しつつまとまり進む痛快さ楽しもう。

 きょうも今日とて新宿バルト9へと出向いて映画を1本。もちろん「劇場版 プリパラ&キラッとプリチャン きらきらメモリアルライブ」のアイドル応援上映会をだ。日曜日の夜という時間帯にもかかわらずアニメ映画が満席になるというこの快挙。そして観終わって浮かぶやっぱり最高という気持ち。予告編とか入れれば1時間にも満たない短い映画なのに内容はぎっしりで紹介されている歌もたくさん。それらを見ながらコールをし、ペンライトを振ってそして観終わった時、心はとっても充実している。ゴールデンウィークが終わって明日から平日だけど、いろいろと悩ましいこともある仕事を終えた帰りに見れば男子も女子も明るい顔して家に帰ってスッキリした気持ちでベッドに入り、グッスリ眠って朝を迎えられる。居酒屋よりも「劇場版 プリパラ&キラッとプリチャン」。これ絶対。明日もまた行こうかなあ。


【5月5日】 終盤に入った大型連休の空いた時間を使って「ウマ娘」を最新のエピソードまで一挙に視聴、なるほどこれは面白い。基本はスポーツ根性ものでそれを競走馬のような身体性を持った、そして実在の競走馬たちをモチーフにして描かれた少女たちが実在のレースを実在のターフで走るといった設定になっていて、普通に頑張る少女たちのストーリーとして見ても面白いし、暗喩として乗せられた競走馬たちの名前なり特徴なり戦績を重ねて見るとなおいっそう興味を持って行かれるといったところ。このあたりはやっぱり実在の動物の特質をそこに重ねて描かれていた「けものフレンズ」とも重なるところがあるし、見た人を競馬場へと引っ張るといった“聖地巡礼”的な動きを引き起こすところも「けものフレンズ」と似ている。

 ただし登場するサイレントスズカもシンボリルドルフもメジロマックイーンもトウカイテイオーもステイゴールドも今はもう実在していないから、競馬場に行ってもいないしどこかの牧場に行っても会えない。主人公のスペシャルウィークはアニメが始まった時には存命だったけど先だって死去してこれで、メインどころで残っているのはハルウララくらいになってしまった。アニメではクラスが違うといった描写からいわゆる中央競馬を走るるクラスではなく地方競馬が専門といった実在のハルウララの特質を感じさせ、なおかつ弱くても頑張って走る姿が応援されていると言わせてこれもハルウララへの感動を思い出させてくれる。

 そうした競走馬への思い出を持って見る人たち、知識として知りつつも普通に美少女たちの青春スポ根ストーリーとして見る人たちを引っ張りつつ、知識の交流も計りながら広がっていきそう。ずっと前からサイゲームスがゲームアプリとして仕掛けつつJRAとか馬主さんたちとも話し合って作り上げてきたコンテンツだろうから、途中で誰かが権限を主張してもめてコンテンツが消えてしまうようなことはないだろー。その意味でも安心してノれる作品かも。怪我が引退したウマ娘たちの行く末が殺処分とかじゃないことだけは祈りたいけれど。それにしてもあの時間に集中してレジェンド級の競走馬が集まってよく、レースが成り立つなあ。全員が1着でもおかしくないのに。オグリキャップまでいるんだぜ、ずっと食べてるだけだけど。

 ノーベル文学賞が関わっているスウェーデン・アカデミーの関係者が絡んだセクハラ問題によって揺れに揺れて遂に今年は受賞者の発表をしないことを決定。でも一応は決めて来年に2人まとめて発表はするから毎年1人は守られるみたいだけれど、世界中が関心を持ってみつめているビッグイベントであってもセクハラという問題を前に感嘆には事態を収拾できず、あるいは収拾しないで厳格に対処しようとしている雰囲気があることには感心する。それが世界水準、犯罪ではなくても人間として許してはいけない行為であるといった認識を誰もが持っているから起こる事態だろう。だいたいが元になったハーベイ・ワインスタインだって何かの罪でとらえられた訳ではないけれど、ハリウッドから追放されて映画人としての生命をひとまず絶たれた。

 つまりはそれだけの大事であると世界が認識しているにもかかわらず、この日本で財務相であり副総理といった地位にある麻生太郎はこともあろうに外国での記者会見でセクハラは罪ではないと放言し、財務事務次官の処分は財務省の信頼に傷を付けたからだといった認識をしめしたとかで真っ当にこれが世界で報じられたら、日本は世界からセクハラを悪いこととは認識しておらず、それを国のトップが世界に向けて発信して恥じない心性の持ち主であると思われかねないというか、すでに思われている可能性も高そう。これはもう国賊ものの振る舞いだけれどこの国の特定の人たちは、そんな麻生太郎を英雄視して国士と持ち上げる。なおかつそんな自分達を愛国者だと訴え真っ当に非難する人たちを反日をあげつらう。どっちが国の価値を損なっている? 名誉を貶めている? もう本当に何かが壊れている感じ。ただでさえ少子化が深刻になっているだけに、この国はもう長くないかもしれない。参ったなあ。

 限定豪華版のBDをネット通販で買うと7月発送になっていたのでこれはやっぱり現地で買おうとチケットも取って新宿ピカデリーで「機動戦士ガンダム THE ORIGIN6 誕生、赤い彗星」を見る。試写でも見ているからこれで2度目だけれども相変わらず安彦良和さんの漫画が表現もそのままに動いているといった感じで、目の形がまりもっきりのように漫画表現されている箇所が多いのと、あと額から汗がたらりの描写もあってギャグ的な雰囲気にどこまでもシリアスだった富野良幸監督によるテビアニメーション「機動戦士ガンダム」好きとしてはやっぱり違和感を覚えるのだった。それが悪い訳じゃないけどそれは普遍ではないということ。なので「THE ORIGIN」が全巻アニメ化されてファーストをリブートされることがなくなり、個人的にはホッとしていたりする。

 そんな身から見ると「誕生、赤い彗星」は前半にルウム会戦がぎっしりで艦隊戦がありモビルスーツの投入があって戦闘機とのドッグファイトも楽しめるのでギャグ的描写とかあまり入らず見入ることはできた。ただちょっと長すぎるかなあとも。赤い彗星が出てくるまでに時間がかかるし出てきてもその凄さって奴がちょっと伝わりにくいというか、戦艦をあっさりと撃沈していくその行為がどれだけ並外れたものかが分からないと、モビルスーツという兵器の凄さも伝わらないんじゃないかと思ったのだった。言葉では言っても描写がないと。戦艦の砲撃があたっても壊れない装甲が至近からのバズーカならあっさり抜けて、そして狙っても当たらない艦橋にトマホークを確実にヒットさせられる、といった感じに。まあでも噂には聞いていたシャアの実質的デビュー戦がじっくり見られて良かった。あれなら昇進するわなあ。

 あと気になったのはキャラクターの首が全体に太いことでシャアとかまるでプロレスラーのように顎の線からそのまま下がって首へとつながり胴体へと続いている。鍛え上げられた軍人のよう、って実際に鍛え上げられた軍人で地球ではドカチンやってたくらいだから首が太くて当然なのかもしれないけれど、そうした鍛錬を感じさせずに強さを見せるからこそのシャア人気だった訳で、そこにリアリズムはいらないかなあ。そしてセイラさんまで首が太くなっているのはもっと気になるところ。ファーストの頃の凜として輝くような美しさもTHE ORIGINだと苦労して来た女性の美へと変わっている。あの太さならGファイターに乗ってもGで首を持って行かれて失神することもないかなあ。その意味では続き、見たかったかも。漫画版でセイラさんがGファイターに乗っているかは知らないけど。

 そのまま流れて「映画プリパラ&キラッとプリチャン〜きらきらメモリアルライブ〜」を鑑賞、もちろんアイドルおうえん上映だ。最前列で持ちこんだペンライトを振りつつ時おり声あげて見て良いおうえん上映。個人としてはぴたりと合わせてコールをし、キャラクターに合わせてペンライトの色を選べるほどにはキャラクターにも楽曲にも詳しいわけじゃなく、周囲に合わせてしかできなかったけれどそれでも繰り出される「キラッとプリ☆チャン」から「アイドルタイム プリパラ」や「プリパラ」、そして『プリティーリズム オーロラドリーム』あたりへと遡って繰り広げられるライブシーンの饗宴が、映画館にいながらそこをプリパラの世界へと引きずり込んで見ている僕たちを包んで染めてくれた。

 もう最高の時間。1時間ほどと決して長くはないけれど、そこにいる時間は実に充実をしてひとつのライブにいっているようだった。もうずっとだって浸っていたかったけれど祭りの時間はいつかは終わる。プリチャンたちのソロ曲2連でフィナーレを飾って現実=プリチャンの世界へと引き戻された。けれども、そこで得られた歌うこと、装うことへの感動はしっかりと残っている。そんな感慨を胸に明日を生きるのだ、そしてまたアイドルおうえん上映へと足を運ぶのだ。そう思わせてくれる映画だった。分岐は今回は「プリティーリズム・オーロラドリーム」になったけれど、次は「ディアマイフューチャー」が見たいかな。また行こう。通い詰めよう。


【5月4日】 これもひとつの歴史の終焉か。シアトルマリナーズへと移籍して今シーズンをスタートさせたMLBのイチロー選手が登録を抹消された上、今シーズンはもうし合いに出ないまま1軍の試合に帯同する形でさまざまな補佐を行うという。普通だったら打てない投げれない選手はマイナーへと落としてそこでの活躍ぶりを見てまたメジャーへと戻すんだけれど、イチロー選手は契約がどうなっているのか判然とはせずもしかしたらマイナーに落とせないようになっているのかもしれないけれど、そうではなくても44歳という年齢でマイナー落ちしてそこで厳しい試合環境でプレーするのは難しく、かといって即引退させればマリナーズとしても忍びないとなればしばらくは、帯同という形で止め起き来季の契約もあると匂わせながら実質的な引退へと立場を移し、“余生”を満喫してもらうってことになったのかもしれない。

 誰よりも練習をしてそして試合でプレーすることを重んじてきたイチロー選手が、練習しても試合には出られずかといって練習しなければ衰えるだけの肉体を引きずって、補佐のような宙ぶらりんの立場に甘んじるのが納得いかないし奇妙にも思えるけれど、一方で将来を見据えてメジャーリーグという場でコーチや監督といった人たちの仕事を見て、そしてフロントに近いところからマネジメントも見て自分のキャリアを形成しようとしているのかもしれない。そのためには宙ぶらりんにも甘んじ、らしくないと言われても動じないで勉強できるからとアピールする。そして来年、4月にあるというシアトル・マリナーズの日本での開幕戦で引退、と。それもまたひとつの引き際か。行きたいなあ、その試合。2002年春にあるはずだったマリナーズの日本での開幕戦、そしてイチロー選手の凱旋は2001年9月11日のあの一件で中止になってしまったんだよ。チケットを買ったのに。そのリベンジも含めて見たい試合。頑張ってチケット取ろうっと。

 むっくりと起きてSFセミナー2018へ。確か去年も行っているから最近は割と顔を出しているのかもしれないけれど、それもこれもサッカーのJリーグで応援しているジェフユナイテッド市原・千葉がJ2に落ちて長く上に上がれない状況で、その試合を見に行くからSFセミナーを諦めるといった状況に陥らないこともあったりする。世の中なかなかままならない。あと今回はライトノベル出身から宮沢伊織さんと長谷敏司さんが登壇とあって、一郎はライトノベルを読んでレビューを書いている身として行かない訳にはいかなかったのだった。そんなSFセミナーでまず登壇したのが「半分世界」の石川宗生さんと「最初にして最後のアイドル」の草野原々さん。そういえば創元SF短編賞の授賞式で石川さんを見たことを思い出しつつハヤカワSFコンテストで見た草野さんのピーキーさが、今回はどうなるかと思ったらピーキーさに磨きがかかっていた。

 喋ればユニークな言動を振りまきつつ「ライブライブ!」のようなキャッチーなタームも織り交ぜアイドルでありソシャゲであり「けものフレンズ」であり声優を織り交ぜ、なおかつスペースオペラだワイドするクーンバロックだといったSF好きするタームも繰り出してその融合点にある作品をアピールしつつ、どこか賑やかに語り続けるそのパーソナリティを見せつける。これはなかなか場受けがするキャラクター。過去にイベントに出て賑わせたこともあったのだろう、すっかり人気者になっていた。前だと見た目がそのものだった柴田勝家さんも人気者だったんだけれど最近はミステリーと伝奇がメインでSFから遠ざかっているからメイド喫茶通いが忙しいからか姿を見せず。ちょっと残念。2人で組んで世界を革命して欲しいのに。

 対照的にクールな石川さんはそうだった増田まもるさんの私塾に通って勉強をしていた人だった。ボネガットとかイタロ・カルヴィーノとか読んでいたらしく世界文学な感じがやっぱり作品にも出ている感じ。単行本はちょろりと読んだけれども街を区切って黒と白の陣営がサッカーをし続けるという1編が凄まじかった。サッカーがテーマでもそうやって大法螺へともて行けて、なおかつクールにきめる才能は日本でもなかなかいないから。筒井康隆さんだとスラップスティックになるし円城塔さんだと重層的で多層的で暗喩的になり過ぎて一般に届くまでに時間がかかるから。その意味で言うと宮内悠介さんをより文学に近づけたポジションといったところか。つまりは狙えそうな芥川賞。どうなる今後。注目だ。

 山野浩一さんに関する追悼座談会は見送ってお茶の水駅から中央線快速に乗って中野まで行き中野サンプラザで開催中の資料性博覧会をざっと見物。復刊ドットコムに移った大野修一さんが石ノ森章太郎さんの「仮面ライダー」の原稿を写植もそのままに青鉛筆での支持も残ったものをスキャンして印刷して束ねた本をPRしていて見てこれは漫画というものがどういう試行錯誤から生まれ描かれているかを実感する言い資料になるなあと思った。今はもうデジタルでレイヤーを重ねていくだけの作業になっている漫画の原稿描きが、原稿用紙に枠線を引いてペンを走らせベタを塗りつつ吹き出しに写植を張り、枠線の外にどういう風に見せるかといった指示も入れて出すものだったプロセスを見れば実感できるだろう。若い人に資料として見て欲しいけれど、やっぱり大人の仮面ライダーファンが買っていくんだろうなあ。もったいない。

 「レディ・プレイヤー1」をクラッシャージョウとスケバン刑事で描いたパロディ漫画のコピー本を買ってそしてかがみあきらさんという1984年8月に亡くなられた漫画家の単行本とか掲載誌とかをまとめた総集編的な同人誌を購入。雑誌はともかく単行本は福制原画集も全部持っていただけに懐かしく思うと同時に、遅れてファンになった人でも頑張ればこれだけのものを集められる時代になっているのかとやや感嘆。昔はそれこそ古本屋さんを回るしかなかったけれど、今はネットオークションで出品されるのを待って落札すれば良いのだから。「鏡の国のリトル」の購入者が直筆イラストのプレゼントに応募したもおの外れてしまったところに送られてきた暑中見舞いも掲載されてた。僕も1枚持っている奴。これを探すのもきっと大変だっただろうなあ。直筆イラストはどういうものだったんだろう。今はそれがちょっと知りたい。

 戻って宮澤伊織さんの百合講座。本当だったら「異世界ピクニック」のシリーズにおけるネットロアの収集とそれを使った世界観の構築、そしてホラー的描写の特徴なんかを話すべき場のような気がしないでもないけれど、そうした杓子定規なSFファンばかりではなくなっているSFセミナーだけに宮澤さんが過去における百合への偏見に満ちた認識をことごとく潰しつつ、「異世界ピクニック」がどれだけ百合で、そして風景や音楽にも百合が存在し得ることを力説したら結構大受けしていた。良いのかそれ。良いのだろうそれ。百合だったらそれこそ「ウタカイ」の森田季節さんも交えて対談して欲しかったかもしれないなあ。でも俺の百合と私の百合とで対立して殴り合いとか始まったらちょっと大変だから今回は宮澤さんのターンで。

 最後は長谷敏司さんと雑破業さんが登壇して堺三保さんを司会に迎えての関西大学出身トリオが「BEATLES」について歓談。作家でありながらアニメーション化にあたって脚本を作り上げる段階からがっつりと辛み、設定面なんかも示唆して来た長谷さんが言うには書けばどれだけでも自分で時間をコントロールできて、読み手もそれを自分で作り出せるものがアニメではすべてが声優さんのトークの中に置かれることになってどれだけの分量で書けば良いのか勉強になったとのこと。それから現場で水島精二監督をはじめ雑破さんほか脚本家たちの指摘なんかも受けつつSF村のタームではない、一般の人でも分かる展開と描写と会話を考えていったことが、文庫版へと書き直す上で大いに参考になったとのこと。元が「ニュータイプ」で連載された作品はそうした一般性を考慮せずとも“分かって”もらえたけれど、もっと広めるためには何をどう書けば良いか、その勉強になったという。今後長谷さんが書くものはそんな、普遍性を持ちつつもテーマ的にとがったものになっていくのかな。楽しみ。

 いやもう戯け過ぎポン酢過ぎて。「元自民党衆院議員で、九州国際大(北九州市)学長の西川京子氏(72)が3日、福岡市内であった改憲派の集会で、テレビ局の放送内容が護憲に偏っているなどと批判し、『同じビルに中国、韓国のテレビ局が入っている。完全に乗っ取られているんですね。(改憲は)この人たちとの戦い』などと発言した」ってニュースが流れてきて、そして「発言後、西川氏は報道陣に対し、『テレビ局の住所の一覧表を見たら全部(中韓の局と)一緒だった。番組編成上、影響がないとは言えない』と説明」したって書かれてあっておへそで茶が湧き沸騰する。

 なんで店子が大家の言論に影響を与えるんだ。放送だとか取材だとかいった業務を同じくする人たちが、そうした設備やネットワークを融通し合っているだけのことなのに、それが何か陰謀めいたことが背後にあるかのように印象づける。だいたいが日本のメディアのソウル支局は軒並み韓国メデイアの中に入っているわけで、それで韓国の論調は日本よりになったのか? ならないだろう。なんてことを言うと韓国では日本が取り込まれているんだと返しそう。どうしてそこに違いが。まったく訳が分からない。問題はこうした主張に賛同する人がわんさかいることで、ネットde真実な陰謀論を信じて拡散するネットワークの広まりが、知性による成長を阻害しこの国をどんどんと衰退させている。それだけ既成メディアが信頼を失っているとも言えるけど、それにしてもやっぱり戯け過ぎるしポン酢過ぎる。どうにかならないかなあ。ならないんだろうなあ。やれやれ。


【5月3日】 フクアリにジェフユナイテッド市原・千葉とファジアーノ岡山の試合を見に行くか、それとも第一カッターフィールドという名前になっていた秋津サッカー場にジェフユナイテッド市原・千葉レディースと日体大FIELDS横浜の試合を見に行くか迷ったけれども北の丸公園の科学技術館でTシャツラブサミットがあるのを思い出してそっちに進軍。どうせまた負けるだろうと思ったジェフ千葉は1対0で勝利して内弁慶ぶりをあらためて見せつけ、そしてジェフレディースも勝ってこちらはトップリーグでの順位を4位まで上げて好調ぶりを見せて、ああどっちも見たかったなあと思ったけれど身はひとつだけ、仕方がないのだった。

 そして出向いたTシャツラブサミットではまずいつものバラ色のクマタローさんが突くテイル「リボン色の世界遺産」とゆー、女子高生と世界遺産が組み合わさった頓狂で酔狂なイラストがプリントされたTシャツを購入。前になすかの地上絵とかギリシャのアクロポリスとか買っているけど今回は新作らしいギリシャのメテオラ修道院のを購入、岩の上に作られた修道院という奇景が楽しめる場所らしい。1度自分の目で見てみたいなあ、それはピラミッドだってアクロポリスだって一緒だけれど。宝くじがあたったら世界一周に行くんだ(死亡フラグ)。ほかにはギアナ高地から落下するエンジェルフォールとかクジラが見られる環礁とかもあったけど、女子高生のデザインがメテオラはちょっと気に行った。どこに着ていこうか。

 もう1枚はこれもデザインフェスタなんかで良く買ってるサイケなTシャツで名高いOTACCIMAN des PLIMから相撲取りデザインのを購入。土俵入りで蹲踞して両手を広げた相撲取りがデザインされているんだけれど黒字に白とかメインの浮き彫りプリントはなかなかにシックでジャパネスクで外国人とか見たら結構受けそうな。でも今の外国人はやっぱりアニメキャラクターとかがいいのかな。ほかにはポプテピピックのポプ子とピピ美を使ってプロレスラーのザ・ファンスクとかロードウォリアーズを描いていたところがあってこれも格好良かった。パロディなんだろうなあ、やっぱり。ライセンス品として出れば面白いんだけれど。それともちゃんとライセンスとっていたとか。気になった。次に見かけたら買おう。ブロディとハンセンのもあれば良いけどその場合はどっちがポプ子でピピ美か。馬場と猪木なら猪木がポプ子で馬場がピピ美と分かるけど。

 サッカーを見に行かなかった代わりをどこで埋めるか考えて、まだ見ていなかった「パシフィック・リム:アップライジング」の吹き替え版をイオンシネマ越谷レイクタウンで見ることに。ニュートン・カイズラーの古谷徹さんとハーマン・ゴットリーブの三ツ矢雄二さんは相変わらずの好演でともにカイジュウに惹かれたぶっちぎれた科学者といった役どころを演じつつ10年が経ってそれぞれに変わった立場も含めて声音に込めて表現していた。シャオ産業の研究チームでぶいぶい言わせているように見えて、上にリーウェン・シャオが君臨している中間管理職。その鬱屈を利用されて操られたかもとより上昇志向が強かったか。結果として人類を裏切った訳だけれど残された命でやっぱ次があれば悪巧みをするのかなあ。

 ジョン・ボイエガが演じたジェイク・ペントコストの声は中村悠一さんで正直ちょっと格好良すぎ。前作での主人公は杉田智和さんでやっぱり格好いい系の声ではあったけれどもどこか飄々としたところも漂わせる杉田さんの声音と、どこまでも格好良い中村さんではタイプがまるで違う上に、今回はそれがジョン・ボイエガというところにマッチングのちょっとしたズレみたいなものも感じないではいられなかった。「スター・ウォーズ」の新シリーズでは杉村憲司さんが担当しているんだよなあ、だから同じって訳にはいかなくても、もうちょっと軽さも欲しかった。神谷浩史さん的な? まあでも途中から気を入れ直して真面目になって演説もぶつジョン・ボイエガは中村悠一さんでピッタリで、そこに絞って起用したのかもしれない。アマーラ・ナマーニの早見沙織さんは必死な感じがよく出てた。森マコはやっぱり林原めぐみさんかあ、菊地凛子さんの地声をちょっと忘れかけている。

 マックス・チャン演じるチュアン司令は子安武人さんになって心強さとしたたかさが感じられるようになったけれども、のっとられた無人イェーガーの攻撃によって司令部ごと爆死してしまうのがもったいない。そして問題のジン・ティエンはアニメ声優よりもドラマでの女優仕事の方が多い魏涼子さん。やっぱり北京語が話せるってことで英語中国語で会話するリーウェン・シャオ役にはうってつけだったのかもしれない。声も合ってたし。そんな魏涼子さんのご主人ってそうか壇幸臣さんだったのか、「攻殻機動隊ARISE」でイシカワを演じてた。リーウェン・シャオはその活躍ぶりから次作があればまた登場してきそうだけれど、興行成績的に前作を下回っているんでこれが打ち止めになるのかもしれない。果たして。ギレルモ・デル・トロが復帰してまた凄いのを作ってくれればあるいは。期しつつ待とう。

 もしかしたら「明日の狩りの詩の」前日譚かもと思ったところもあったけれど、意図的に異星人が東京湾へと隕石を落として地球を狩り場にしようとした展開とは違って石川博品さんの新作ライトノベル「海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと」(エンターブレイン)はもっと緊迫した状況での避難行動だった模様。でもってその煽りを食らって地球がとんでもないことになっていく、その発端がこの作品では描かれる。山近くに住んでトレイルランニングを趣味としている上原蒼という男子が、帰り際に枝にかかったシートを見かけてそして帰宅すると熱が出て体の一部が変化する。それは自分だけでなく周囲にも起こって父母の場合は死んでしまう。

 蒼は生き延びそして奇病の封印を狙って閉鎖された地域に止まり、なおかつ体の一部を変化させられる異能を得る。いったい何が起こったのか。家族も近所の人たちも死んだ病気の原因は、どうやらシートに病原菌を乗せてばらまいた人間ならざる者の仕業らしい。そう信じて戦いを挑み駆逐しようとする者たちもいて、蒼自身も敵討ちめいた感情から止まりいっしょに戦うようになる。いずれも病魔を生き延び異能を得た少年少女。とはいえ敵はなかなかに強くクラスメートだった少年少女は敗れて死に、新たに得たどこかから来た少年少女も戦いの中で息絶える。

 それでもこれが地球侵略への道なら、人類を守るために戦うのだ? そんなファーストコンタクトからの異能&異種族バトルが幕を変えるかと思ったらそうではなかった。ちょっとした行き違いがあって大勢が死に、そして少年少女は戦いに挑んで散っていった。けれども途中で誤解は解消され、またじり貧だった少年少女たちはそこで戦いを終えて今は免疫ができて発病しなければ生きていられる病気を傍らに人類は新しい時代に入っていく。不幸なファーストコンタクトの物語とも言えるけれおd、父母や知人や同級生たちが死んだことには変わりはなく、蒼はひとり走り続けようとする。それは正しいのか。理性としては間違っていても感情としては正しい、その矛盾を人は問われ思考する歴史を重ねているのかもしれない。悲劇を乗り越えた先、心に傷を負って走り続ける蒼のこれから歩む先が知りたい。


【5月2日】 試写も含めて3度「リズと青い鳥」を観たんでその続きを知りたくなって武田綾乃さん「響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話」(宝島社文庫)をペラペラ。最も長い「アンサンブルコンテスト」は「リズと青い鳥」で頑張った成果が得られなかったこともあって挑戦が決まったアンコンことアンサンブルコンテストに誰がどういう形で出るかを描いたエピソード。3年生が抜けても70人以上がいる北宇治高校吹奏楽部の中から最大で8人のユニットを作って演奏するアンサンブルを行うことになったものの、出場できるのはたったの1組ということで吹奏楽部内でバトルを行うことになった。

 それで始まったパートの争奪戦。ホルンというのは結構人気らしくて引っ張りだこになって残ったり残らなかったりする一方、コントラバスはあまり必要とされず残った2人が大会への出場規約には沿ってないけど2人で演奏を行うことに。野太いサウンドがいったいどんな音色を奏でてくれたんだろう。ベーシストのロン・カーターがウッドベースだけでバッハを演奏したアルバムが確かあったけれど、そうした短音の連なりなのかそれとも弓で弾いて奏でられた音なのか。ちょっと聞いてみたい気がした。

 でもって我らが黄前久美子と高坂麗奈はマリンバの子とかもいれてなかななの演奏。そうやって今まで目立ってなかったキャラクターもしっかり存在感を与えられ、大切な久美子たちの3年生編で活躍してくれることになるんだろう。彼女たちにとっては最後の善意本校当学校吹奏楽コンクールになる訳だから。アンコンは3位で出られなかったみたいだけれど。アニメーションの方は石原立也監督による新作も確か控えていて、それがどういう話になるかは分からないけれどもきっとその後の展開も小説として書かれ、そしてアニメーション化もされてシーズン3から劇場版の第3作目となりきっと白鳥での勇姿って八つを見せてくれるだろう。競技かるただと「ちはやふる」の瑞沢高校はとりあえず近江神宮までは行った訳で、北宇治高校吹奏楽部もせめて1年飛ばしてそこはしっかり、押さえておいて欲しいなあ、でないと滝先生の出番もなくなってしまうから。期待して待とう待ち続けよう。

 そりゃあ怒るだろう万葉倶楽部の社長さん。築地から豊洲へと市場が移転するんでそこに集客施設を作ってくれと言われ「千客万来」という食とか伝統とか足湯とかを楽しめる施設をオープンしようとしていたのに、築地の方でも似たような食のテーマパークが作られるとなって話が違うと大もめ中。市場自体が豊洲に移ったところでそれを見に来る人がいったいどれだけいるのか、場所は豊洲とはいいつつもゆりかもめで2駅だかを乗っていった先で歩いて行くのはちょっと無理。それでも人が来て欲しいからと施設を作ろうとしたら、銀座から歩いて行ける築地に似たような施設ができることになった。それで豊洲になんか行こうといったい誰が思うのか。思わないよねえ普通は。

 だからもう出ないと言って当然で、それでも出て欲しければ築地の件を撤回するしかないんだけれど、それもできない小池都知事は自分を都知事選んだのだから悪いのは有権者だなんてことを言ったとかどうとかいった噂話が流れてきている。いかにも言いかねないけれど、それはつまりは築地案は諦めていないってこと。平行線どころか悪化している状況で「千客万来」なんて作って、会社が倒れたらたまらないと万葉倶楽部はこのまま手を引きそう。それでいったいどうするか。いっそ秋葉原とか池袋とかに良く出来るアニメだとかゲームだとかのコラボカフェをいろいろ作って入れ替えていけば客もほどよく回るんじゃないのかなあ。あとはメイド喫茶とかJKリフレとか。そこまでのことをやったら小池都知事、ちょっと褒めてあげる。

 アメリカの倒産はそのまま会社やブランドが消えてなくなることとは違うからギブソンというギターとそしてブランドはこのまま引き継がれていくんだろうけれど、それでもエレキギターの名門をフェンダーと2分してきたギブソンの経営が行き詰まるっていうのはやっぱり何か世界で起こっている変化みたいなものを現しているのかもしれない。マック1台あれば打ち込みでどんな音色だってサウンドだって作れてしまう世の中に、ギターを弾いてアイドルになってミリオネアーになって世界でもてたいと思うギターキッズがどれくらいいるのか。弾くよりラップでも歌っていた方がもてて金も儲けられる時代だからこその現象なのかもしれないなあ、調べた訳じゃないけど。とりあえず「けいおん!」の唯にはギー太は死なないと言ってあげよう。

 まず映画だった。自主とかいった言葉で納得させるような揺らぎはなく、アートのような場で活躍するクリエイターの余技だからといた暖かい視線で見守る感じの苦笑も必要としない、映画監督が映画を撮ろうとして撮った映画だった。そして、出演している俳優の演技も、そのたたずまいも小道具も、背景となっている現代と中世と異世界を行き交う舞台も、どれもしっかりとして映画作品であるといった完全さを備えたものとなっていた。見始めればどこにも目をそらす場所はなくそのまま展開に、演技者に、舞台に気持ちを惹き付けられた。伊藤峻太監督による「ユートピア」はそんな映画だった。

 ハーメルンの笛吹き男。1284年6月26日にドイツはハーメルンという町から130人もの子供が忽然と姿を消したという史実をひとつのとっかかりとして「ユートピア」という映画の全体像が見え始める。笛吹きによって誘導されて消えたと言われている子供たちはいったいどこへ行ったのか。そんな答えの1人として、ベアという女子がとある場所に暮らしていて、そしてなぜか現代のそれも団地で暮らしているまみという女子の部屋に現れる。妙な服装で仮面も持って手斧すら備えた物騒な格好のベアにまみは驚き、ベアも驚くが、通じない言葉を行き来させながらどうにかベアがこことは違う場所から来たことをまみは感じとり、そしてハーメルンの伝承とベアが関連していることにも気づいていく。

 いったいベアはどこから来たのは。そこは争いのない穏やかな場所で誰もが平穏に暮らしていた。けれども本当に平穏なのかといった懐疑を抱くものもいた、そんな中でベアたちその世界の住人たちは笛吹きたちの導きによって現代へと転移することになった。その際に影響が出たのか電気や水道といったライフラインがすべて止まって東京は大変な状況に。それでも暮らしている人もいる中で、子供たちが姿を消す事件が相次ぐようになる。

 誰が起こしているかはだいたい分かった。だったらそれはなぜ、といったところでまみがユートピアと呼んだベアたちが暮らす場所の裏側が明らかにされ、決して誰もが平穏ではなく誰かの犠牲の上に成り立っていることを知ってベアもいっしょに来た何人かも惑う。けれども笛吹き音力は強大で、そして元いた場所に帰りたいという思いもあって現代に来た目的を果たすことを仕方がないと考える者もいる。それは果たして正当なのか、それとも。ひとつの選択をつきつけられる。

 もとより出自が独特だったベアは、どちらかとえば反対の側にあって、そしてそこへと誘ったのがひとりの笛吹きだったかもしれない。そんな展開から、完璧に見せかけようとした体制が、それゆえに生みだしてしまい隠そうとして躍起になっている矛盾であり綻びが見えてくる。それは現実世界でもよくあることで、先進国の発展のために更新国が搾取される南北問題に始まって、階級が行き過ぎてただ下は搾取されるだけの状況なりも重ねつつ、人間社会におけるひとつの必然といったものを見せつけられる。

 ただし必然ならば受け入れるべきかは別の話。そうでない道を探り選ぼうとするベアが、そして仲間たちがたどり着いた地平が今は気になって仕方がない。ヒントがあるとすれば伝承に刻まれたダブルカセットか。そこより流されたさまざまな音楽、いわゆる童謡の類が人心のみならず感覚まで操る笛吹きたちの笛の音色をかき消した。デ・カルチャー。歌といったものが持つ力の強さを感じさせられる展開で、なおかつそこで大きくクローズアップされるのが「うらしまたろう」であるところに、笛吹きによって連れ去られた世界が舞台となった映画との表裏が見て取れる。助けたカメに連れられていった竜宮城はまさしくユートピアであり、けれども人間にとっては劇薬でもあった訳だから。

 そんな映画でベアを演じるミキ・クラークは少し日本人ズレした異世界から来た女子といった雰囲気を漂わせる。伊藤峻太監督の高校時代の作品「虹色☆ロケット」にも出演していたという松永祐佳も精一杯にベアのためになろうと走り回るまみという女子を演じきっていた。エンディングで歌まで唄ってシンガーソングライターかと思わせたら実は今は看護師というから一般人。それでもしっかりプロに混じって演じてのけているから凄いというか、そこが映画としての濃度にもつながっている。異世界なりハーメルンなりライフラインが止まって大変な東京なりといった舞台もそれぞれにVFXが重ねられてただカメラで撮影しただけではとれない不思議な雰囲気を感じさせてくれる。それでいてハコニワ感もなくしっかりとそこにある感じを保っている。これもまた伊藤峻太という監督の技量のたまものだろう。

 映画として描かれるストーリーの展開にオヤと思う場所は少なく、あってもたとえばベアたちが話す言葉はドイツ語ではないのか、それならドイツ語を知っている人ならすぐに分かるはずではないのかといった疑問にも、ドイツ語を知っていそうなオカルト研究家ですら分からない言語なんだといった描写も差し挟むことで、もし指摘されてもそうでないことを分からせている。なおかつ背後にそうした異世界の言語ならではの文法があり、衣装や武器などに関する世界観の上での設定があってそうした綿密な設定と考証の上にすべてが描かれているから観ていて手抜きを覚えない。

 むしろ1度観ただけでは理解が及ばないとすら感じさせ、2度3度と観つつ設定も知ってすべてを理解した上で、また観たいとすら思わせる。そんな映画を構想してから10年以上かけて作ろうと考え続け、そして作り上げてしまった伊藤峻太という映画監督の意志の強さにもただただ脱帽。映画が作りたいのではなく、作りたい映画があるからこそ何年も構想を練り続け、撮影できるタイミングを計り続け、そして始まればすべてを注ぎ込んで完璧に、もちろん低予算ならではの部分はあっても整合性がとれないような抜けのない映画を作り上げることができるのだ。その意志の強さにも喝采を送りたい。


【5月1日】 東ローマ帝国が舞台という異色のライトノベル「緋色の玉座」を書いた高橋祐一さんが次の作品となる「復讐の聖女」(スニーカー文庫)で選んだ舞台は15世紀フランスでヒロインは火刑にされた少女。つまりはジャンヌ・ダルク。ただし“復讐”のために蘇って裏切り者どもの首をはねていく、聖女とあがめられた人物とは思えない非道な振る舞いを見せる。なぜそこまで? ってところがひとつの読みどころ。まず血祭りに上げられたのがジャンヌの異端裁判で書記官を務め司教の理不尽に憤りつつジャンヌを見殺しにしたギョームがジャンヌで、死んだと思っていたジャンヌに驚いていたところを“復讐”されつつ、その能力が必要だからと供として連れて行かれ、その先々で裏切り者たちを訪ね歩く。

 最大の目的はジャンヌがオルレアンを解放し、軍隊を率いてパリを開放しに向かった先で本当は水堀だったものを空堀と偽って伝えられ、敗退を招いた原因がいったい誰にあるのかを探すもの。シャルル七世か、その妃の母親でジャンヌを支援したヨランド・ダラゴンか、ジャンヌと共に戦ったジル・ド・レエか。ジャンヌが持った不思議な剣の力と、っそしてギョームが持つ力によって真相を尋ね歩いて分かったその真実。つまりは羨望と嫉妬はいつも人を狂わせるということか。わかりやすいけれどそれでひとりの戦闘の天才が歴史の表舞台から排除されていしまう。今となってはどうしようもないこととは言え、やはり残念としか言い様がない。生きていればどれだけの戦功を重ねたか。そして歴史を変えたか。考えたいなあ、織田信長しかり。大村益次郎しかり。

 もっとも高橋祐一さんの作品では「緋色の玉座」もそうだったけれど大きく歴史は変わらない。だからジャンヌも“復讐”のために与えられた力を使い切ったら、きっと表舞台から去って行くんだろう。可能なら不死身の聖女とガチで殴り合った怪力の老女や、悔い改めた王様、魔術師にそそのかされて悪性を現した元戦友を従え、歴史に挑むような戦いを繰り広げて欲しいけれど、そんな歴史の先にフランスがナポレオン以前、ルイ一四世以前に栄耀栄華を極めたところで、今に至る歴史はそう大きくは変わらないだろう。だから今はそもそもジャンヌはなぜ復活させられたのか、その理由を知るために続く物語を負っていこう。続きは出るよね?

 同じくスニーカー文庫から林トモアキさんの「ヒマワリ:unUtopial World 6」。川村ヒデオがゼンラーマンへの道をちょっとだけ歩み出したけど、現代的な倫理感からペンデュラムを揺らすまでには行かなかった。そこで頑張ったウィル子は偉いなあ、ってそんあウィル子の名前の元ネタとなったウィルコムが提供していたPHSがいよいよ終わってしまいそう。遠からずいったいどうしてそんな名前になったのかも分からない時代が来るんだろう。ともあれ最後にはすべてをさらけ出した川村ヒデオはさすがは聖魔王といったところ。残り2巻で話はどこに落ち着くか。何十億分だかの一の確立で世界が滅びる道に入った状況でヒデオとヒマワリがどうなるかが知りたい。それが「ミスマルカ興国物語」へとつながる道だから。ってかミスマルカの続きはいつ書かれるのか。そこが目下の興味。続くよね?

 日本人はヨーロッパ人だとか司法試験に合格すれば最高裁長官や法務事務次官に限定した話じゃなさそうに長官や時間になれるといった根拠もなく間違ってさえいる見解を個人のブログでちょこちょこ発信しているだけならまだしも一応は全国紙を標榜している新聞社のサイト内のオピニオン系コーナーに掲載してしまって、お前らそれで社会の木鐸かと世間一般から突っ込まれまくっていると思いきや、もはやそういった認識すら吹っ飛ぶくらいに電波系だと思われているらしく載って当然といった空気が流れて頭を抱えて緊急信号。まさしくメーデー、メーデーってところ。

 それはそれで苦しいけれどもそうした見解に待ってましたこれぞ正論と讃える人の割と多いことにもきっと嘘でも自分達は正しいんだと重たいくらいに日本人の心が弱り体が衰え精神が後退しているんだと思えてきた。そういえば元経済産業省のお役人さんがレフティーなイデオロギーは脇において紹介していた日本のGDPであり大学のランキングのもはやアジアでナンバーワンどころか中国香港マカオに韓国シンガポールといったところからすら置いて行かれているといった状況に、それでもなお日本がナンバーワンだと言い続けられるものだとそう言っている人たちの脳みそがいったい何の味噌なのか調べてみたくなっている。

 中国の大学に入るより簡単だからと日本の東大京大あたりに入ってきている人の多さはそのまま日本という国の学力経済力ひいては国力の停滞につながるにもかかわらず、政府と財務省と文部科学省は大学の手綱を締めて財布も絞って思想だけを強制しようとしている。これが亡国の策でなくて何だ。日本を貶めようとしてるのはどっちだ。でも安倍ちゃんスキーには通じない。ただ悪口だけを言って中国や韓国シンガポールに台湾あたりの経済力があがり学力も高まっていることから目をそらす。認めたら自分たちが負けだと思っている。これから子供を育てる人は英語数学をみっちりやって早くにシンガポールか上海北京に留学させた方がマジ、良いかもね。

 ポストカードの左半分をもらいに劇場へと出向いて「リズと青い鳥」を見る。今回のロードショーではたぶん唯一くらいに音響面で凝っているチネチッタ川崎のLIVE ZOUNDで鑑賞。爆音系ではない映画なので派手に響かせるのは得意な施設がどこまで微細きわまりない音を再現できているかが気になったけれど、すべての音を聞き逃さずすべての画面を見逃すまいとした観客の静まりかえった鑑賞態度の中で細かい音まできっちり聞こえて作品世界に浸ることができた。あらゆる音響に意味がありあらゆる映像に意味があってそれはレイアウトの1枚1枚にまで行き渡っている。表情を見せない希美の内心や顔の上半分が外にはみでて目が見えない希美の心境なんかを想像しつつ自分から離れていくみぞれへの嫉妬、あるいは自分とは対等でないみぞれの大きさに納得せざるを得ない悔しさめいたものがそこからふわっと漂い観る人を惹き付ける。

 すべてをコントロールできるアニメだから出来る一方、表情のすべてを描かなくてはいけない苦労もあってそれらを統御し切ったところに生まれた完璧さが、「リズと青い鳥」という作品を希有なものにしている。実写化なんて話も出そうだけれどもそうした細部までのコントロールを監督とカメラマンと編集とそして役者ができるのか、って考えた時に今、ファンタジーではない現代のアニメーションを作る、それも声優人気に頼らずキャラクター人気にもすがらないアニメーションを作る意味が浮かんでくる。これをよりどころにもっとジャンルと広げて欲しいけど、できる監督も限られてくるからなあ。今はだから細田守監督の新作「ミライの未来」とそれから「ペンギン・ハイウェイ」に期待。どちらも面白くなりそうだ。

 あるいは「吉原パティシエ」というタイトルだと雰囲気も伝わりやすかったけれど、そんな洋風な職業が吉原にあるはずもないからやっぱり押さえて「吉原百菓ひとくちの夢」で正解だった電撃小説大賞メディアワークス文庫賞受賞の江中みのりさんの小説は、花魁と商人の子として吉原の中に生まれたものの跡取りのような身にはなれず、かといって捨て置かれもせずに父親の紹介で上方へど出向いて料理人の修行をしてから戻って生まれ育った遊郭で料理人となって主に菓子作りを手がけるようになった太佑という青年が主人公。腕も良く工夫もこらしてカステイラとかぼた餅とかかりんとうといった貴重だったり本当は後に創作される菓子を作って客たちに出している。

 ただ幼いころから一緒に育った花魁の朝露だけは太佑の菓子を食べてくれない。禿だったころは飯じゃないならと菓子を食べていたものがなぜか今は……。その理由を聞き出すことは無粋と思ってしないまま、いつかちゃんと食べさせてやろうと思い腕によりをかけて菓子を作る日々の中、朝露のもとに通う若旦那から挑まれ彼を驚かせる菓子を作っては信頼を寄せられ、甘党の相撲取りがなぜか菓子を食べようとしない理由を聞きだしそれなら食べるべきだと説得をする、そんなエピソードの中に江戸の遊郭にしては珍しい菓子作りのエピソードが織り込まれ、苦界であるはずの吉原がちょっとばかり楽しくて明るくて嬉しいものに思えてくる。

 もっともそこは世俗から切り離され蔑まれさえする場所。太佑が暮らす遊郭の番頭が外の女性に惚れて告白する手土産に菓子を持たせたもののうまくいかなかった状況は、花魁に限らず吉原で働く者たちすべてに背負わされた原罪のようなものを感じさせる。快楽を求めるものがいるから売るだけであっても、建前はやはりカタギからは離れた世界。そうそう幸せにはなれないってこと。それは朝霧も感じていて、だからこそ夢を見てしまうような菓子を口にしなかったという展開から、それでも良いじゃないか夢をみるくらいはと説得している展開に人が生きるのはどこであっても素晴らしいことなんだと思わされる。差別とかせず卑下もしないで堂々と生きる。そんな気持ちを甘い菓子が支える。なんという優しくて甘やかな世界。これが現実にも広がればなあ。そう思わされる物語だ。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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