Last Updated 2019/4/19
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した坪田侑也『探偵はぼっちじゃない』(KADOKAWA)の感想を日記部分より再掲。

 15歳の時に書いた作品で応募して、見事に第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した坪田侑也さんの「探偵はぼっちじゃない」(KADOKAWA)が噂に違わず凄かった。緑川という名の高校受験を控えた中学3年生の男子は、勉強をしろ良い高校に行けと言う親からのプレッシャーもあってか日々に倦み、学校経営者の息子は御曹司の暇つぶしめいたものだと思われることを承知でその中学校の新米教師となり熱血を試みるも空回り。そんな2人の学校での日々を交互に描きつつ、緑川が求められて書くことになった1本の小説が綴られていく。

 長野の小学校にいたころに、図書室で小説を書いていたことを知っている同級生が場所を離れた中学に偶然いたようで、星野温というその同級生が緑川に学園祭の舞台にかける物語のためにいっしょに小説を書こうと誘って来た。緑川には星野が同じクラスにいたという記憶がなかったけれどそれでも求められたことを嬉しく思ったか、星野の誘いを緑川は受けて美術部のモザイクアートが密室の中で消えてしまうといった学園ミステリを2人で書き始める。その一方で、新米教師の原口は石坂というベテランと共にマラソンコースの選定をしろと言われる。

 原口は御曹司なのに現場をかき回すこと、石坂は他の教師とあまりコミュニケーションをとろうとしなくなったことへの嫌がらせ? そんな可能性も勘案しつつ一緒になったことで会話を始めた原口と石坂の間にある問題が浮かび上がる。2人は、とくに過去にいろいろあったらしい石坂は、教師として絶対に認めがたいそれを阻むことに挑もうとする。「探偵はぽっちじゃない」はそんな2本が並行して走るストーリーに、学園での密室での消失事件を描く緑川らの小説が挟まれる構成になっている。

 驚くのはその作中作の小説がちゃんと学園ミステリになっている点。トリックめいたものへの考察があってそして驚かされる真相があってと、抜き出しても学園ミステリの1章として成立しそう。キャラクターが突飛じゃないところでライトノベルミステリとしては弱いかもしれないけれど、そこは修正すれば出来そう。ただし緑川は認めない。妙に小説のキャラクターたちいこだわっている。そこに書き手として込めた心理があったのかもしれない。だからこそ浮かんで彼の絶望にも似た決断へと向かう。

 そこに重なる原口らのある問題への探索。誰がいったい問題を起こそうとしているのか。明らかになる真相の意外な着地に驚かされる。その解決で、教師2人の頑張りが活かされたか、2人に救いはあったかが気になるところ。結局は説得は教師では間に合わなかった訳だから。とはいえ、彼らの探求で救われた部分もあるなら無駄ではなかった。何より教師も同級生もともに誰かを気にかけていたことが分かった。そうした気持があり続けるなら人は不幸にならないと思わされた。そうした内容や展開に加え、大人の教師たちや司書の心理をしっかりと描けたところが15歳だからこと凄い。自分と近い15歳の青春は経験として描けても、大人は大人が読んで納得の姿に描くのって大変だから。そこもだから才能なんだろうなあ。次作が楽しみ。


【4月19日】 嫌がらせのように履歴書を送ってはやっぱり歳の不幸もあって門前払いを食らう繰り返し。昔と違って1枚1枚手描きの履歴書を書いて写真を貼って郵便局に持っていって切手を貼って出すとかいった手間がなく、それこそゲーム感覚でポンポンと遅れるから楽っちゃあ楽なんだけれどそういう輩たちから送られてくる美辞麗句と自画自賛に満ちた履歴書とか職務経歴書を読んでいる人事担当もいい加減、飽きて見ただけで却下と言いたくなって当然だろうなあ。それこそ年齢でもうこれはいいやとなりそう。自分がそっちだったらそうかも。でも決してそれだけじゃないってことは言いたいんでこれからもいろいろと出していこう。面倒くさがられても。

 そんな合間にちょっとだけお手伝い。神田明神でもって20日からスタートする「鈴木敏夫とジブリ展」の内覧を見てこいって指令が下ったんで朝も早くからかけつけたらどうにかこうにか6番くらいで中に入れて、それなりのポジションから夏木マリさんと鈴木敏夫プロデューサーの話を聞いたり写真を撮ったりして任務完了、ではなくやっぱり中のいろいろと撮って回ることになるんだけれど。展覧会名が展覧会名だけあって置いてあるのは鈴木敏夫プロデューサーに縁のものがほとんどで、宮崎駿監督ののすごい原画だとか高畑勲監督の仕事ぶりだとかはあまり置いてない。

 ただ、鈴木プロデューサーの独特な筆致の書画はそれでなかなかに見応えがあって、悪いものではない気がした。門外漢が文人を気取って書画をやった時、往々にして独りよがりになりがちなんだけれども鈴木プロデューサーの字にはそうしたやってやろう的なアピールもないし目立ってやろうという邪心も少ない。割とおおらかにのびのびとかかれていて、書かれている言葉もすんなりと目から頭に入っていく。それもまた才能なんだろうなあ。こう言っちゃあなんだけれど僕はどうにも片岡鶴太郎さんが描く魚とかの絵が苦手なんだ。トガってる感じが。なんでだろうなあ。

 展示物では鈴木プロデューサーが編集長を務めていた頃の「月刊アニメージュ」がずらりと並んでいて、しょっぱなの「宇宙戦艦ヤマト」特集から始まって「風の谷のナウシカ」だとか「うる星やつら」だとか「超時空要塞マクロス」といった当時の人気のアニメーションが表紙として描かれていて当時のアニメを見て育った世代的に懐かしくなる.一方で鈴木プロデューサーが過ごした幼少期の文化が並んだ部屋とか見た映画の部屋とかもあって、そちらはそちらで同じ年くらいの人たちをそうだよこれが俺たちの青春だったと喜ばせそう。問題はだから20代とか30代だよなあ、そのあたりはジブリの子でありトトロの子だけれど鈴木プロデューサーの子ではないしアニメの子とも言えないから。

 まあそれでも湯婆婆の巨大な顔が鎮座した部屋では子どもの頃に見ただろう「千と千尋の神隠し」の世界を体験できると思われるかもしれない。口の中の房を引っ張ると台詞が出てそして番号も見えて、それと同じ引き出しからおみくじを取り出して恋愛運とか開運とかを見て楽しめる。これじゃあ外の神田明神のおみくじが売れなくなっちゃうかもなあ。結ぶ場所とか用意してないから外にいっぱい結ばれるかも。会期中にちょっと様子を見に行こう。あとはポスターのラフとかがあって編集者として表紙のラフとか切ってた経験が活かされているんだと分かった。コピーを書にしたのはあれは後からなのかな。台詞がデカくなって立体になってぶら下がった部屋にある「バルス」をその前でみんなで叫んだらどうなるか。ちょっとやってみたかった。

 そして原稿を出して休憩する間もなしい第39回日本SF大賞贈賞式。「歪み真珠」で山尾悠子さん、「文字渦」で円城塔さんが受賞していて後功労賞を横田順彌さんが受賞をしていてそんな贈賞式に登壇したのが幻の作家と長く思われていた山尾悠子さん。おいいあの山尾さんが人前で建って横に芥川賞作家の円城さんを侍らせ何かを喋るんだから、あらゆるメディアがテレビも含めて取材に来るべきだろうと思ったけれどニコニコ生放送での中継すらなかったんだからもったいない。そしてSFファンは喋り動く山尾悠子さんの見逃した。これは機会損失だよなあ。映像はとってあったんだろうか。そこが気になった。

 さて、贈賞式のスピーチで山尾さんが話していたのは「長い時間がありました。私がSFの場所にいたのは40年前のことです。鈴木いづみさんがいたくらい。そういう時代だったので、どう申し上げたら良いのか、困りながらこの場所に参りました。賞を受けるかと心配されたのも無理のないことです」といったこと。そして「40年前にいましたのでSF出身という肩書きはついて来ます。SFマガジンのコンテストで「仮面舞踏会」でデビューというのは付いてきますが、SFとは疎遠になっています。今にして想えばSFではない、風変わりな作品だったので、私の相手をするのも大変だったかもしれません」と振り返っていた。

 当時だってファンタジーとか幻想小説という言葉がなかた訳じゃないけれど、渋沢龍彦さん的に珠玉っぽさが漂うのはそれほど見当たらなかった。だからジャンルとしてどう設定したら良いか編集者も迷ったんだろう。そのせいで書かなくなったのかな。「理解のあった編集もいましたが、2度とSFなんか書く物かと東京の空に誓いました」とはまた物腰に似合わず厳しい言葉を発せられた山尾さん。「ただ疎遠というのは皆さんとお目にかかってないというのとは違います。2000年に瞬間的にSFとは交流がありました」というのは国書刊行会から出た「山尾悠子作品集成」のことだろー。

 もしかしたら、このの頃あったDASACONの大阪に山尾悠子さんが登場したこともあるのかもしれにない。SF界隈では2000年頃はSFとしての山尾悠子さんが盛り上がったのだった。でも、小松左京さんが結婚したので放っておけとか言ったらしい話も添えて「放っておかれて寡作に磨きがかかってこれはこれで良かった」。だから今も作品が読めるのだと思おう。「本当にこの賞をお受けする資格があるかが基本、迷った挙げ句受けることにしました。光栄に思っています。この場所に来させて頂いたことで交流ができましました。有り難うございました」と最後まで、淡々と話された口調はどこか萩尾望都さんに似ていたなあ。そんな日本SF大賞受賞者の山尾悠子さんでした。次はいつ、どこでお目にかかれるだろう。

 お見かけしたのは多分1度で、まだスタジオが日本橋浜町の明治座にあったころのドワンゴでもって虚淵玄さんと小池一夫さんが対談をするって企画があったんで、当時はたぶんホされていてあまり記事も書いていなかったけれど見物だけでも良いからと呼ばれ見に行ったんじゃなかったっけ。虚淵さんを見たのも初めてで、こういう方なんだと理解した。対談ではキャラ立て1番の小池さんに対し、結末から作ってキャラを配し関係性を転がす虚淵さんといった対比で、だから最終回で関係性が精算され物語も終わり続きは作れない、と虚淵さんは話してた。だから「魔法少女まどか☆マギカ」で続きだなんて言われて困ったけれど、アニメは自分が1人で作るものじゃないから監督だとか美術面を手伝ったイヌカレーとかいろいろな人が関わった世界から新しい展開が生まれていった、って感じだったっけ、虚淵さん。

 聞いて小池一夫さんはいろいろ感じただろうな。ってな貴重な対談を見ておきながら当時は書く媒体もなくどこにも書けずに日記に書いたのだった。レガシーメディアが世代を上にシフトしポップカルチャーから手を引き始めていて、それで良いのかと憤ってた。これでも記事にしてウエブに上げておけば今でもそれなりにアクセスあっただろうに。勿体ない話。そう訴えても治るどころかますます世代を上に切り替えポップカルチャーは脇に追いやられ、かといって余すところなく広うメディアも発表を追いかけるだけで精いっぱい。あるいはそれが効率的。なのでやっぱり対談ものとかは載らず記録されない。やっぱり自分でメディアを作るしかないのかなあ。金にならないと食べられないけどなあ。宝くじが当たったらそれを元手に作るかなあ。俺メディア。なんて夢物語。


【4月18日】 ふとしたきっかけで知り合った2人が、ともに音楽に関心があってそれなりに才能もあって、だったらやってみようとコラボした映像が居合わせた誰かによって撮影されてネットに配信され、それがバズって注目されてこれは凄い才能だと今は落ちぶれたプロデューサーが押しかけマネジャーを買ってでる。そして始まるサクセスストーリーっていうのはなるほど、過去にも山ほどあったシチュエーションで目新しさはないけれど、過去から山ほど続くくらいに好まれ親しまれるシチュエーションでもあって自分もそうなりたいと憧れる大勢を引きつける。「キャロル&チューズデイ」はだからきっと話題になるし親しまれるだろう。

 そうした主線となるサクセスストーリーに絡んで、子役から大人のシンガーへとステップアップを目指す少女が特訓を受けてきっと大々的に売り出されるんだけれど、でもポッと出のキャロルとチューズデイのコンビにいろいろ持って行かれることもきっと既定路線。そして圧力をかけて潰そうとしてもその歌声、そのパフォーマンスの素晴らしさにネットなりから盛り上がりが起こって、既存の権威を突破していくとうのもやっぱり既定路線なのか、それとも違う道筋を用意するのか。そこが目下の興味の向かいどころか。艱難辛苦のサクセスストーリーは心に親和性はあっても、伝説はなかなか作れないから。

 だから「マクロスF」は銀河の歌姫を一方において、対立と信頼の中からランカ・リーを世に送り出して共に発展していく展開を、これも「マクロス」シリーズにお約束ではあってもバトルという中に描いて見せたし「マクロスΔ」も同様に、フレイア・ヴィオンという新米が銀河に知られた戦術音楽ユニットに入ってそこで成長していく展開と、銀河を揺るがす戦いを同時に描いてスリルを感じさせた。そういう“発明”があったから「マクロス」シリーズはシンガーのサクセスストーリーの枠を越えて今も人気で新作が作られ続けている。

 そうした並行して走る線が今は無い「キャロル&チューズデイ」はいったいどういった展開を見せるのか。そこが見えないのが今はちょっと迷うところだけれどもやっぱり映像の圧倒的な美しさがあり歌声の素晴らしさがあり、宇宙的で未来的なビジョンの楽しさがあるだけ「アリー/スター誕生」のように地球のアメリカのベタなサクセスストーリーとは違った楽しみはもらえそう。冒頭から繰り返される奇跡の7日間とはいったい何なのか。それは何故に奇跡なのかといったところも含めて、最後まで見守るしかなさそう。ポンキュッポンの「なんでここに先生が!?」がある意味で覇権ならこれも本意として覇権が狙える作品。絡めてからの覇権を目指す「さらざんまい」と競いながらフィナーレへとなだれコンでいってくれると、生きる楽しみも沸いてくるんだけれど。今は底辺から這い上がれるかっていう恐怖で「キャロル&チューズデイ」すら正視できないところがあるから。

 ネットの転職サイトをいろろ巡って入れそうなところを探す日々。地元の名古屋に戻ることなんかも想定しては実家から近いところにある大学の職員募集なんかに応募はしてはみたものの、こちらの年齢も高いし学歴だってすっ高い訳でもなく、通勤費とか住宅補助費がかからなそうってくらいのメリットでは相手も採ろうという気はおきないだろうなあ。出身中学校の裏手にあって自転車でだって通えそうな自動車メーカー系の大学とか、通うのに理想なんだけれどそこで発揮できるスキルがあるかっていうと、東京で取材で知り合った企業について就職希望者に話してあげることくらいか。あとはテクノロジー系の動向とか。そういうスキルを買ってくれるか否かなあ。その前にやっぱり年齢か。

 書く場所もないけれども顔をつなごうと原宿まで出向いて「シュガーラッッシュ:オンライン」のMovie NEXが発売になったのを記念してオープンするOH MY CAFEを見物。遠い昔に原宿アパートが建っていた角地が今は東急プラザになっていて、そこの3階の表参道を見下ろすスペースにフワフワな感じで「シュガーラッッシュ:カフェ」が出来ていた。映画は1度みてヴァネロペとラルフの生き方の違いが浮かび上がってなかなかにシンミリとさせられるエンディングだったけれどもカフェの方では2人は仲良くソファなんかに鎮座してはお客さまをお迎えしてた。そしてメニューもパンケーキがあったりパスタがあったりボックスのランチめいたものがあったりとなかなかに多彩。ちょいと入ってくつろぎつつ、映像を見てグッズを買ってと楽しい時間を過ごせそう。

 展開しているのはこうしたコラボカフェが事業になっているレッグズで、前に渋谷で「刀剣乱舞」のカフェを見たけどグッズがなかなかに凝っていた。ここん家もヴァネロペもプリンセスということで映画の中でディズニープリンセスが勢ぞろいしていたあの感じを取り入れて、いろいろなプリンセスとヴァネロペがコラボしている絵柄のものが並んでいた。これは結構楽しいかも。って過去にこんなのあったっけ。ヴァネロペだけがいろいろなプリンセスと遊べるんだから羨ましがるプリンセスもいるだろうなあ。メリダとか。一応は参加していたから立派にディズニープリンセスなんだけれど、ちょっぴりハブられ気味なんで。頑張ってメリダ。

 せっかくだからと「甲鉄城のカバネリ」の新作となる映画「甲鉄城のカバネリ 海門決戦」を試写で観る。テレビシリーズは薄ぼんやりとしか見てなかったんだけれども生駒がカバネリになって無明というカバネリの少女がいて闘っている後で鉄道が城として領民を乗せて異動しているといった設定、そしてカバネとよばれる一種のゾンビが徘徊している世界観はだいたい理解していて、そんな中で立ち寄った場所で海門城なるカバネのすみかを攻略しようとする作戦に参加。けれども襲ってくるカバネたちがどこか可笑しいことに生駒が気づいてそこから彼や無明らカバネリに対する偏見なんかも露わになりつつ決戦へと向かう展開が繰り広げられる。

 冒頭から無明のガンカタ的なアクションがすごくて長筒を振り回しながら撃ち叩き蹴り飛ばしたるするあの武闘はカバネリだから出来るってものでもないだろう。でも生駒だって強くなっていたから運動神経が向上するんだろうか。そんな生駒のにょきっと生えた太ももが肉感的で激しく動くなかに妙な色気が立ち現れてスクリーンに目が釘付けになる。冒頭のバトルの後半の海門城へと向かう途中での強大なカバネとのアクションでも、なかなかに激しいところを見せるのに平時は生駒にキュンキュンしてるギャップが面白かった。67分と長くはないのに1本まるまるしっかりと起承転結を見せてくれるから長編アニメーションを見たなあって気にさせられる。小川びいさんは冒頭に総集編なりプロローグ的なものを入れて説明をすれば80分くらいのちゃんとした長編になるのに勿体ないと話していて、それもまたしかりだけれど2週間限定上映のイベントものなら劇場に負担をかけずに軽く回すってのもありなのかも。公開されたらまた行こう。主に無明のアクションを見に。


  【4月17日】 朝起きたらモンキー・パンチさんの訃報。早くからデジタルで作画なんかをしていたことで知られていて、マルチメディアなんかを担当し始めたころに「コブラ」の寺沢武一さんなんかと並んでデジタルで漫画を描く最先端の人といった感じになっていた。その時ですら60歳を過ぎていた訳で、新しいことに貪欲なそのスタンスが今にいたるまで現役で走り続けさせたんだろう。アニメの「ルパン三世」ばかりが表に出てしまいがちになるけれど、しっかりと創作も続けていた感じだし。

 そんな「ルパン三世」がアニメ放送から40周年となったのを記念した展覧会が、2011年に松屋銀座で開催された時に取材に行ってご本人をお見かけしたことがあった。そこで話されたのが「ルパン三世」誕生までの時間はわずか10分間だったってこと。新しい連載のために何か考えてと言われ、10分ほど逡巡して007みたいなスパイアクションを思いつき、そしてルパン三世というキャラクターを思い浮かべて世に送り出したとか。それが長い間、日本の漫画でありアニメーションを代表するキャラクターとなって今もまだ新作が作られ続けている。アイデアとは練りに錬るだけがベストじゃなく、瞬間の思いつきをいかに守り育てるかってのも重要なんだってことで。

 訃報に際してテレビなんかだと「ルパン三世」のアニメーション映画が追悼で放送されるみたいだけれど、それがマモーの登場する「ルパンVS複製人間」というのが果たしてベストかというと迷うところ。「カリオストロの城」ではあまりに宮崎駿監督してしまってルパン本来の悪党ぶりってのが出ないんでこれは違う。でも「ルパンVS複製人間」も監督は別。だったらモンキー・パンチさんが監督を務め栗田貫一さんが押し殺したような声で渋いルパンを聞かせてくれた「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」が相応しいような気もしないでもない。金曜ロードショーでは2011年に放送されたみたいだけれど、マモーよりは時間が経っているんだから是非に。あるいは深夜にでも。それでこそ追悼だから。

 失職して2週間ほど。この間、いろいろある転職サイトや個別の採用情報なんかから、それなりに名の知れたネット系メディアや出版系にいろいろ応募したり、採用はやっていますかと問い合わせてみたものの、年齢も年齢だからかなのかやっぱりキャリアが拙いからか、ほぼほぼすべてに書類段階で門前払いを喰らい、問い合わせにも返事をもらえない状況が続いていて、世間はやっぱり厳しいと実感する。だいたい分かってはいたし、だからこそ大手の転職エージェントがあてがわれ、5月あたりからそのご指導のもとに動くことになりそうなんだけれど、これまでやって来た情報発信のようなことがやれなくなるというのは、なかなか寂しいものがある。

 これなら残ってでも同じ屋根の下、無関係の仕事をしながら雌伏すれば良かったかな、なんて思ったりもしないでもないけれど、あと数年を過ぎて50も半ばになった辺りで父母がどうなっているかを考えた時、実家を放り出して東京にひとりで居続けられるか、そして60歳を過ぎて居続けてどうなるかといったあたりを考えると、この辺りで生きていく上での基盤を整え直すというのも、ひとつのタイミングだったのかもしれない。どうだろう。そこでやっぱりもうちょっと遊んでいたかったなあというのが未練って奴か。

 とはいえ、フリーとして何かすぐに来るはずもなく、今は日々を胡乱に過ごすばかり。朝起きてすることがないので近所の喫茶店へと入って、電源をとりながら日記を打つだけの日々を繰り返していると、これでは何もならないと思えてきて余計に気分が沈んでいく。今すぐ老父母が暮らす実家の名古屋に戻り、正業に就くのがベストって思いも浮かんでくるから人間、やっぱり故郷というものを忘れられないものらしい。戻って例えば大学とか公共団体の事務とかに就ければいいし、ウエブサイト向けの作文だってやればやれるけれど、そこでも年齢がネックになるんだろう。

 だからやっぱり居残ってでも、って言ったところでどうにもならないし、のぞけばいろいろと縮小が始まっていてこれからさらなる放出なんてもの予想できそう。媒体規模から見ればやっぱり人が多すぎるのだ、そして年齢層が高すぎるのだ。いったいどこまで行くのかなあ。すでに200人規模で放出されたんだけれど、皆さんいったいどこに収まっているんだろう。それともこれから収まっていくんだろうか。追加なんて行われる前に早々に決めたいところだろうなあ。うまいことやっている人がいたらうまみを分けて欲しいなあ。そんな人がいればだけれど。僕で年ならそれ以上。割り切って年金支給まで生きのびる算段か? それもまた良いかもなあ。実家に戻ればできないこともないしなあ。

 現実が大変だとかフィクションに登場するひどい状況が我が身に跳ね返ってなかなか本が読めないんだけれど、それだと仕事にならないんで電撃大賞で選考委員奨励賞を受賞した野宮有さんの「マッド・バレット・アンダーグラウンド」(電撃文庫)をどうにかこういんか読み終える。両親が惨殺されて孤児院に預けられながら逃げ出して身を娼婦に落とした少女が誘われ逃げだしたところをつかまる、といったてんこ盛りの悲運な境遇にあって、それが最後に絶望を誘うものだったりしてどうにもこうにも居たたまれなくなる。だからこそ少女を救うラルフであり、リズといった存在の意義も強くなる。

 2人は別に正義の味方ではなく、どちらかといえば悪党の側。銀の弾丸なるものを埋め込まれることによって、異能を発するようになっていてその力をふるって街のダークな場所から寄せられる依頼をこなしている。自分が買って所有したものなら取り入れて放り込んでおける無限の空間を持っているらしいラルフに、強靱なパワーを発揮できるリズ。そんな2人が組んで助けた少女娼婦がシエナ。負ってくる銀使いのマクスウェルやユルゲンたちをかわしつつ倒しつつ逃げ出したものの、途中でいろいろと仕込まれ驚きの展開へと向かった先。オルテガなる犯罪組織の幹部が目論んだある事態、それは世界を滅ぼしかねないものだったけれどラルフが異能の発動条件の中で押さえ込んで事なきを治める。そのあたりにパズルの要素もあり、異能バトルの要素も存分にあって楽しいノワールアクション。ライトノベルとしてこれが異色なら今のライトノベルってユルいよねえ。

 たぶん、そういう思いもあったんだろうか、小説投稿サイトの人気ランキングから発生した、異世界転移や転生が席巻するライトノベルの分野をもっと活性化させたいという考えからか、メディアワークスで数々の人気作家を担当し、今はストレート・エッジというプロダクションを立ち上げ作家のマネジメントやエージェントみたいなことをしている三木一馬さんがLINEと組んで始めたLINEノベル。自身が統括編集長となるものの、ストレートエッジで抱え込むのではなく、参加してくれる作家がいればそれは参加する出版社が話をして奪い合って自分のところに引っ張るということになるらしい。

 すでに刊行が決まっている作家も大勢いるけれど、これから乗っかってくる作家にとってはどこの出版社の傾向に依存することなく、フラットな状態で自分にとって相応しい、あるいは相性の良い版元を見極めることができるシステムと言えそう。そこで自分は三木さんに面倒を見て欲しいとこだわる作家もいるかもしれないけれど、うちは違うと言われたら他を当たるしかない訳で、版元にとっても作家にとっても最良を模索できる環境にあるんじゃなかろーか。これで書き手が活性化し、ランキングとかに左右されず本当に書きたい物を書けて、そして読者もランキングの順位とか気にしないで、読んだら面白いものが読めるようになればベスト。とはいえ傾向に縛られ固定化した頭にいきなる、まっさらの新ジャンル新カテゴリーが飛び込んで来てエラーを起こさず受け入れられるのか。そこにレビュアーとしての筆が活かせそうだけれど、今の弱体化した眼(まなこ)ではちょっと判断がつかないなあ。10年は食える金はあると開き直って読み手に徹するかなあ。


【4月16日】 いやあ凄い。ここまでぶっ込んでくるとは武田綾乃さんは京都で言うところのいけず女子ってことなのか。シリーズ最新刊となる「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編」(宝島社)が届いていたので早速開いて読み始めて、そのまま読み終えてフウと一息。終わってない。それは前編だから後編に続くって意味ではなく、蒔かれた波乱と不穏の種が回収されないまま残ってハラハラドキドキ感を煽っているってこと。前作の「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」も前編後編の刊行だったけれど、新一年生にまつわる問題はとりあえず前編で解消されて後編は映画「リズと青い鳥」と同様にだいたいが鎧塚みぞれと傘木希美の関係が中心に描かれていた。

 でも今回は前編でいろいろと持ち上がった不穏がそのまま後編へと引き継がれていく。もちろん前編だけでも吹奏楽部という大所帯の中に発生するさまざまな人間関係って奴をそれなりに解きほぐしてはいる。でも、その中にあって部長となった黄前久美子は自信と不安をない交ぜにしたまま、解消させることなく後編へと向かって進んでいきそう。彼女は大丈夫なのかと思うと同時に、今まさに自信と不安が(というか不安が大部分だけれど)ない交ぜとなって泣き暮らしている自分が重なって、そのまま明日をどう生きるかって迷いに引きずり込まれる。

 詳細は発売前後だから避けるけれどもそうした感じに安心や安堵の中に置かず、それこそ間際まで緊張感をキャラクターたちに与え、同時に読み手にも与えるこの最終章は後編が出るまで感動しました感涙に咽せましたというのが難しい。今はだからどうなってしまうのか、それはコンクールの行く末だけでなく出てくるキャラクターのすべてに言える疑問として、引きずりながら6月という後編の刊行をひたすら待とう。それまでこちらの精神が耐えられるかが心配だけれど。結構な金額が舞い込みながらも社会にコミットできていない不安に苛まれるか、開き直って今を楽しく生きようとするか。うーん、どっちも嫌だなあ。実家に戻ってユーフォニアムでも吹き始めるか。

 朝からフランスはパリにあるノートルダム寺院が火事で燃えているというニュースがあちらこちらから伝わってきて、映像とか見たら特徴的な尖塔が焼け落ちていたりして本格的に燃えている様子。テロかとも思われたけれどもどうやら修復かなにかしていたから、それが原因で引火したって話らしい。ってことはかつて法隆寺の金堂で壁画を模写していたら、電気座布団か何かがショートして火が着いたって話といっしょか。文化財の保護活動は重要だけれど文化財だけあって冷暖房は完備してないから、冬場だといろいろ暖を取ろうとして燃え上がるって話もありそう。ノートルダムがそうだったかは不明。でも過去に何度も燃え落ちている寺院とは違って結構前からの建物らしいから、修復はしても文化遺産的にはパワーが弱まるなあ。聖遺物とか美術品とかは運び出されて無事でも建物自体が遺産だった訳で。どうなることか。

 今日が最終日ということで、アーツ千代田3331で開催されている「ラフ∞絵」展を最後にもう1度と見に行く。割と閑散としていて平日とは言えこれほどまでの凄みをもった絵が並んだ展覧会が、この程度の影響力で終わってしまうことのもったいなさを感じる。見れば絵を描くことへの情熱をかき立てられる展覧会だし、秋本治さんによるラフ画というかネームを見れば、漫画を描こうとすることへの情熱をとてつもなくかき立てられる。こうやってネームを切っていくことで漫画の設計図が作れるんだ、本となったものと見比べることで何がどう違っているかも勉強できるんだと思えば、それこそ手に単行本を持った漫画家志望者が群れを成して列を通って見入っていたって不思議はなかった。

 でもやっぱり評判は秋本治さんって凄いなあ、止まり。せっかくのネームの展示がその膨大さの前に霞んでしまった観もあった。可能ならそれこそ秋本治ネーム美術館を作ってそこに、コピーでもいいから大量のネームを並べつつ漫画の単行本も貸し出して、それこそその場でネームを切っていいくらいの開放感を与えて勉強してもらったら良いとすら思った。日本をクールジャパンの国にしたいなら、国がそういった施設を建てるくらいのことをすべきだった。あるいは計画倒れに終わった麻生政権下の施設なんかが、そういう役割を果たしたかもしれないけれど、今となっては過去の話ならこれからの予算でそうした施設を作れば良い、って思ったもののそういう方面にお金を使う政権でもないんだよなあ。だったらやっぱり民間か。明治大学でもKADOKAWAでも、アーカイブを整え教育に資する展示をして欲しいもの。そのための手伝いだったらいくらでもするから、無職だし。お仕事どこかに落ちてないかなあ。

 今日明日ですることが何もないので秋葉原から地下鉄銀座線で京橋まで行ってそこから歩いて「あらわか画廊」へ。「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の冒頭に映し出されるあの世界を現したような絵を描いた大西信之さんによる、それらの絵を版画にした物を集めて展示する「大西信之展 オネアミスの翼」が開かれていたんでのぞいたら、何と大西さんご本人がおられていろいろと話を伺う。まだ映像もほとんど出来ていなかった頃にオープニングの音楽を依頼しなくちゃいけないから、坂本龍一さんの所に行って映像と描かれていた絵を見せたといった話とか、海外ではアニメとして「オネアミスの翼」が結構良いランキングに入っているといった話とか。

 ディズニーが配給して宮崎駿監督のアニメは全米に広がったし、マンガエンタテインメントが売った「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」はビルボードのビデオチャートで1位を獲得したけれど、それよりはるか以前の作品で「AKIRA」のように大友克洋さんの原作がある訳でもないオリジナルアニメーションが海外で知られていった回路はやっぱりファンサブと口コミなんだろうか。「新世紀エヴァンゲリオン」以降なら同じGAINAXが手がけた作品として認められただろうけれど、それ以前で知っていた人がいたらやっぱり相当なファンだろうなあ。どこに惹かれたか。貞本キャラが坂本(上野)音楽か大西さんの絵か。世界観と物語、ってのも当然あるだろうなあ、誰だって宇宙に行きたいのだから。夢を叶える物語が好きだから。ああ自分も頑張らないと。


【4月15日】 P.A.WORKSが本気を出してファンタジーを作るとこうなるのかといった見本のような「Fairy Gone フェエアリーゴーン」。清水貴子さんによるキャラクターデザインを等身とかいじらずリアルにシリアスな方向でしっかりを描き、戦闘シーンもアクションの緩めずに激しく描く。妖精兵と呼ばれる主人公のマーリャ・ノエルも含めたドロテアのメンバーなり、テロリストのウルフラン・ロウなりといった妖精使いたちが繰り出す、モンスターのような妖精たちの暴れ回る姿も手抜き無し。もちろんCGによる作画なんだろうけれど、それが全体に暗めのシーンによくマッチしてハードボイルドな空気感って奴を醸し出す。

 気になるのはやっぱり設定とストーリーで、ヴェロニカ・ソーンという暗殺者の女性を追ってヒロインのマーリャがまずはマフィアに潜入し、行方を捜していたらそこに置いてあった妖精に取り憑かれて妖精兵になってしまったという展開はそれ単独では分かるけれど、妖精兵というものがどうして作られ世界でどう扱われ、そして今はどうなのかといったところが冒頭の図解めいた説明で一気に繰り出されるから、なかなか頭に定着しない。誰が敵で誰が見方でどういう戦いが繰り広げられているのか。そうした中でドロテアはどこに所属して何をしているのか。世界の中、社会の中での位置づけがもうちょっとはっきりしてきたら、その行動が向かう先も見えて面白くなってくるかも。

 キャラクターではマーリャが市ノ瀬加那さんという声優でまだ新人に近いのにしっかりとした声を出して他にいくつも役をこなしている。傾向としては花澤香菜さんに近いけれどまだあそこまでのぶっ飛びはないから、かわいい系からだんだんとシリアスに向かってそしてギャグなんかもこなすようになっていくのかな。ドロテアではクラーラ・キセネリアって眼鏡っ娘がツンケンとした雰囲気も佇まいも最高。その繰り出す妖精があちらこちらを見張るカエルのような姿をしているのもギャップがあって良いかも。それとももうちょっとおどろおどろしい姿のものも出せるのかな。局長のネイン・アウラーはクールで男装が似合いそう。声が園崎未恵さんというのもハマり過ぎ。女性陣に特徴があり過ぎるだけに男性陣にはもうちょっと目立って欲しいところか。

 すでに覇権が確定している「なんでここに先生が!?」は第2話もコインランドリーに雨に濡れた児嶋加奈がいるというシチュエーションをぶつけられてもう悶絶。他に客もいないのか2人で相対をするとか羨ましすぎるけれど、そこでとりあえず服を乾かしたらとアドバイスをできるところがまだ冷静。けれどもそこでブレイカーが飛んで直そうとして肩車とかする展開に、その辺にあるだろう椅子とかどうして使わないんだと思ったりもしないでもない。椅子が置いていないコインランドリーなんてないだろうに。それだと話が繋がらないから仕方がないか。そして上下をかえての肩車。頭にあたるそれが何か分かるだけ、児嶋先生も大人ってことで。

 後半はさらに突拍子もない展開に。佐藤一郎の母親と児嶋加奈が知り合いだっていったいどういう知り合いなんだか。先輩後輩か。同郷か。分からないけど家にいきなり先生がっていうのはやっぱり驚きのシチュエーション。それを考え納得のいくような展開に持っていく技がきっとこの漫画を面白くて人気のあるものにしているんだろう。他にもいっぱい先生が居て生徒がいたりする中で、どういったシチュエーションが考案されているのかを眺めるのが楽しみになって来た。原作本を買えば良い? そこはそれ、動いて焦れる児嶋加奈が可愛いってのがあるからやっぱりアニメーションで見ていこう。オープニングのポンキュッポンとかやっぱり凄まじいなあ、上坂すみれさん最高だなあ。

 松山剛さんがMF文庫Jで出している「君死にたもう流星群」とはまた別に、「雨の日のアイリス」を出した電撃文庫から軽くてそしてちゃんと面白い「おねだりエルフ弟子と凄腕鍛冶屋の日常」(電撃文庫)を刊行。手堅い異世界お仕事物で異種同居物でバトルがあって秘密があってと、盛り込まれたネタを存分に味わえる作品になっている。鍛冶の最高職人のフィーゴのところに、金属が苦手なはずのエルフの少女ルミアがが押しかけ弟子入り志願をしてそのまま居候。フィーゴに自分は嫁だ何だと言い寄りつつ世話しつつも、どこか自身の秘密を抱えて外に出そうとはしない。

 だいたいが本来は温厚な性質で、争い事なんて嫌いなエルフのはずなのに、ルミアは腰から高価そうな材質で出来たサーベルを下げている。それはいったい何? そこにも秘密があったけれど、明かさないままフィーゴの下で女房を気取っていたら、竜だって単独で倒してしまいそうな女騎士がきまじめな心につけ込まれて負わされた借金を、フィーゴがあっさりと解決してしまってそこに芽生えそうなフラグをへし折ろうとルミアが割って入ろうとする。でもそれは本心なのか。ルミアはフィーゴが本気で好きか、ってあたりも含め明らかになるクライマックス。彼女が抱えた業のようなものが浮かび上がる。

 でもそこで終わらせないで、ルミア鍛冶職人になろうとする本気を試す展開もあって、単なる復讐譚だけで終わらせないで続きを期待させるところが良い。しばらくはフィーゴのところで同居しながら、いろいろと学びつつ起こる事件に巻き込まれていく展開なんかを楽しませてくれると思いたい。ニセモノの黄金の鳳翼を作らせた存在とかも気になるところで、どうしてそんなことをしでかしたのか、その目的はといった辺りから巡らされる謀略に、フィーゴとルミアがどう挑むとか、あって欲しいかな。それにしても松山剛さん、どんどんと本を出している感じ。10年が過ぎていよいよベストセラー作家の仲間入り、なってコトになっているなら自分のことではなくても嬉しいなあ。自分ことはなんとかしないといけないなあ。

 まあ何ともならないんだけれどそれでも家で寝てばかりだと腐るんで、9時半には家を出て近所の珈琲屋でとりあえず先週に取材した内容からテープに録音してある部分を引っ張り出して、ざっととりまとめてみて一種のインタビュー原稿を作成。そこで終わって帰ってもやっぱり沈むんで、場所を変えつつ今度は一気に原稿として仕上げて関連原稿も整えて、依頼元へと送ってとりあえずの1日を終える。これで幾らになるかとうとそれほどでもないんだけれど、何かをやっているということで自分が社会につなぎ止められている気になれるのは我ながらチョロいけれど、そういう立場になれていない身には仕方が無い。もうちょっと過ぎれば諦めもつきつつ、時々来る仕事でもって社会性を確認できるようになるのかも。ならないかも。どっちなんだ。明日はもうやることも行くところもないから1日家で寝ながら本でも読んでいようかな。


【4月14日】 気がついたらAmazon Primeが1000円値上がりして4980円になっていたけれど、これは年会費であって月会費ではないから月々に直せば100円弱というとても小さな幅の値上がりで、それでAmazon Prime VIDEOにある豊富なラインアップをそのまま見られるんだったら、気にせずNetflixを併用して使うのが今は良いのかも知れない。「ケムリクサ」をリアルタイムで追いかけられたのも、Amazon Prime VIDEOが15分早く配信してくれたからだし。

 買った品物の送料が無料とかの利点はあっても、Amazonを頻繁に使って買い物をしている訳ではないからそこはあまり影響しない。ほかに何かメリットあったっけ。Amazonも昔は案件事に取材の案内が来ていたけれど、近年はとんとご無沙汰でそして取材の現場を離れてもう縁は切れてしまうのかな。どこかのメディアに潜り込めれば良いけれど、一次取材を丹念にやってるところってITmediaかCNET JAPANかImpress ニュースと言ったあたり。そういうところに潜り込めないとネットの情報をまとめてまるめて評論めいた言葉を添えて流すというのが大まかな仕事になっているところがあるから。

 それも一種のキュレーションであり、インターネットの勃興期に芽生えたニュースサイトの発展系と言えば言える。著名な評論家たちを束ねればニューズピックスになるしスピーディに編集者がやればJ−CASTになるといった違いはあっても、現場にあまり足を運ばないという点は変わらない。楽で良いじゃんと思えなくもないけれど、現場で得られる空気感とか雰囲気は、次の展開を想像する上で大切だから欠かしたくはないんだよなあ。なので今はどちらにも目を向けて、行けそうなところを探しているものの、やっぱりどこにも行けそうにないのだった。残ってりゃ機会はあったか? それが身を苛む心残りの最大要因。ぶっ壊してくれる事態は果たして起こるか。

 そして見た新文芸坐でのオールナイトは、「リズと青い鳥」でも「ペンギン・ハイウェイ」でも「若おかみは小学生!」でも途中で寝てしまって起きたりもするまだら模様の鑑賞になって、申し訳ない気がしたけれども深く眠れているようで浅い眠りが続いて、ずっと夢の中にいるような状況にあるとどうしても途中で脳がついてけなくなってしまうのだった。それでも「リズと青い鳥」は練習で鎧塚みぞれが覚醒したシーン、「ペンギン・ハイウェイ」ならお姉さんがニット姿で真正面に座ってまるまるとしている場面、「若おかみは小学生!」ならグローリー・水領さまが温泉に入ってドリンクをとりにいってぐるりと体をひっくり返し、そしてにじりよって上半身を立てる場面はしっかりと目に入れられたからまあ、良かった言っておくか。

 いやでも最後の上映だった「若おかみは小学生!」は大半を寝ていたようでふと目がさめたら木瀬一家が出て行こうとしている場面で、そこからですら意識が飛んでラストにおっこが真月といっしょに神楽を躍りながら両手を挙げるシーンになっていた。もう相当に心が眠りたがっている感じ。これが落ち着くとしたらやっぱり次が決まるか覚悟が決まるかといった段階になるんだろうなあ。フリーの人たちってその日の仕事が入ってないとき、そして将来にわたって仕事がないと思った時にどうやって心を繋いでいるんだろう。預金があってまだそこまでだったら大丈夫って心を整えるんだろうか。それなら十分すぎるほどのお金があっても落ち着かない自分は修行が足りないなあ。繋がりがあると確信が持てる時まで、このふわふわとした状態は続くことになるのかな。やれやれ。

 そんなオールナイトには「若おかみは小学生!」の高坂希太郎監督と、「ペンギン・ハイウェイ」の石田祐康監督が登壇をしてあれやこれやとお話をしたけど基本、石田監督が恐縮まじりに自分語りを行ってそれを高坂監督が戸惑いつつ優しく見守るといった感じが。とにかく「けいおん!」大好きな石田監督は山田尚子監督リスペクターで、「リズと青い鳥」なんかはもう洗練され過ぎていて、自分がのぞいちゃって良いのかとすら感じていた。同じ年の映画として賞レースなんかで比べられるのも烏滸がましいといった心理か。このあたり、「けいおん!」があって「映画 聲の形」があってと成功してきた映画があったから成り立った企画だって、これは高坂監督だっけが話してた。同じ時間軸を別の切り口から描く「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」もあるからストーリーを描く上で思いっきりやれたってこともあるんだろう。

 あとやっぱり「若おかみは小学生!」とはやっていることが正反対なのが「リズと青い鳥」で、誰かが何かを喋っていてもその顔とか描かずに胴体だとか手足だとかスカートなだとか違う場所を描いて、それでいて心情なんかも伺えるような感じで進んでいくのに対して「若おかみは小学生!」はもう画面で全部を描こうとして時間が足りなくなっていく。セリフのワードが増えるだけでも尺が伸びるので出す料理のメニューも長いのではなくさっと説明できるものにしたとか。

 なんとかエビのなんとか風なんとかソースがけなんとか焼き、なんて料理はそりゃあ出せないよねえ。そうした尺への苦労に対して映像が自由な「リズと青い鳥」が年末にともに賞にのっかったことが、この国のアニメーション表現の豊かさを現しているんじゃなかろーか。「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」に演出チーフとして参加している山田尚子監督だけれど、次では何を題材に何を描くか。注目されているだろうなあ、石田祐康監督からも。その石田監督も次に挑んでいる最中で何が来るかはお楽しみ。今年だけじゃなくアニメーション映画はまだまだ楽しませてくれそうです。

 沈んでいてもインプットが滞るのでイオンシネマ幕張新都心まで出かけて「LAIDBACKERS−レイドバッカーズ−」。勇者と魔王の戦いが終わってその果てに、ってあたりで「えんどろーる」なんかとも重なるけれど、「えんどろーる」は魔王が過去にとばされそこで未来の勇者を相手に先生となっていろいろ教えるほのぼの系だったのに対して、「LAIDBACKERS−レイドバッカーズ−」は魔王も姫騎士も狂戦士も舞踏家も魔術師もまとめて転生しては魔王は小学生の女の子となり姫騎士はなぜか犬の姿に。でもって魔王はもう力がないし反省もしていて世界を侵略する意図は見せないのに、姫騎士はずっと疑っているという構図がある。そんな中、魔王の欠片が散らばってしまった京都あたりを根城に、駄菓子屋に潜り込む形で姫騎士一行は魔王の欠片がもたらす変異を解決している。

 そこで伸ばせば魔王の裏切りなり強大化といった不安をはらみつつ、主線では魔王の欠片が現代の京都にもたらす奇妙な出来事と、ファンタジー世界から来た者たちがおおっぴらには出来ないから隠れつつ日常にとけこみながらこなしていく、一種の退魔ものとして成り立ちそうな気がする。今は映画だから断片として事件のひとつふたつを見せてはいるけれど、これでテレビシリーズ化となったら魔王の本心にもうちょっと疑問を残しつつ、あるいは一緒に暮らしている教師が実は……といった設定を含ませながら退魔のストーリーを進めていくんだろう。全部集まった時に魔王は? ってな感じで。どうするんだろうこの後。中編1本で終わりかなあ、そういう映画って結構あるからなあ、今。キャラでは舞坂舞を演じた茜屋日海夏さんが、昨日i☆Risで見たばかりだったんで白いアイドルの黒い腹も見せる演技の幅にちょっと感心した。底抜けに明るい真中らぁらだけじゃないんだね。


【4月13日】 転職サイトの募集を見ながら、ここならいけそうとかここは無理そうとか考えつつ、ネット上の履歴書を埋めてはポチッと応募のボタンを押してみる日々。いけそうったって経歴の面だけであって、そこに年齢という条件が乗ったときに一気に者子は狭まって、門前払いを喰わされる可能性がぐっと広がる。雑誌とかの編集だって20代ならまだまだ新人だし、30代でもどうにかこうにか使えるまでの3年経っても40歳前で、そこから15年は働いて利益をもたらしてくれるから、雇う意味はそれなりにある。

 でもさすがに50歳を過ぎていると、そこから10年はちょっといてくれそうもない。いくら65歳まで雇いなさい、70歳までだって是非にと政府とかが言ったところで、そこまで勤められても人間なんで感性は古びてフットワークも落ちる。そうなる人間を敢えて雇いたいかといえば、やっぱり若くて20年は使えそうな人を選ぶってのが商売ってもの。だからもうここはそうした道なんてないと思って、手持ちのお金をどこまで長く保たせられるかを考えながら、年金の支給が始まる65歳までを頑張るのが良いのかなあ。それもまた心が沈むからやりたくないので、頑張って探そう、雇い先。あるいはお仕事依頼先。

 とか行っていたら、虹会なんてものに入ってしまって言った先からひっくり返す浮かれ者。周囲に引きずられてしまう性格が、今回も無謀にも行き先も決まってないのに飛び出させてしまったんだろー。仕方が無い。んでもって虹会ってのはつまりはi☆Risのファンクラブで、今日から三郷市文化会館でもって2019年のツアーがスタート。FIVERと銘打たれたツアーはカジノのスロットを模したセットを背景にして、ちょっぴり大人な雰囲気でもって楽曲が繰り出され、ダンスも行われてハードにしてアダルティなi☆Risって奴に見えることができる。

 ずっと「プリパラ」の中の人たちだって感じていたけれど、そうした楽曲を前半中盤にはいっさい持ってこないでオリジナルをやり、そしてカジノのスロットになぞらえて出て来たメンバーがそれぞれに持ち歌なのか誰かの歌なのかを演じてみせる展開は、たとえ仕込みがあったとしてもなかなかにスリリング。だって「おジャ魔女どれみ」の「おジャ魔女カーニバル!!」なんて歌ってくれるんだよ。アニメの復活なんて話もあったりする中で、こうして歌われてくると「プリキュア」シリーズの停滞感を打破するために、東映アニメーションがテレビシリーズでぶつけてきては、そこにi☆Risがハマるなんて想像もしてみたくなる。まあそれはないかな、「プリパラ」が「おジャ魔女」じゃあズレ過ぎてるし。

 でも、「賢者の孫」の主題歌なんかもやってたりして、ちょっと前は「魔法少女サイト」もやってたりして活動の範囲は広がっているし、「賢者の孫」には若井友希さんと久保田未夢さんが出演していたりするから、芹澤優さん茜屋日海夏さんといった「プリパラ」でドンと前に出た人じゃないメンバーも、声優として認められているって証だろー。本当はWake Up, Girlsにもこんな風に全員が満遍なく活躍の場を持って欲しかったんだけれど……。それでもラスト近くをさいたまスーパーアリーナで飾れたことは僥倖だったか。今はまだ現役として走り続けるi☆Risはより多くの場所で多くのファンに今を伝えるために、ホールツアーを頑張ってくれればいつでも見に行けてファンは嬉しい。僕も嬉しい。

 予定だと5月25日に横浜の関内ホールでのツアーを見て、それから6月1日に中野サンプラザで昼と夜の両方を見る予定。そのあたりまで無職かどうかはなかなかに厳しいところだけれどまあ、生きるために必要な財源は確保されているので夏が過ぎても大丈夫、再就職の目星を9月くらいに設定しておいて夏は遊ぶ、なんてことをやったところでやっぱり心労にのたうち回るから早いところ決めるだけは決めたいなあ。そうしたら7月にあるというお泊まりツアーにだって堂々、参加できるから。そのために入ったようなものだから、虹会に。どういう風になるんだろう。夜だけ一緒とか朝だけ一緒って感じかなあ。そういうものだよなあ。

 ツアーの方は最後近くに「Realize」が来てアンコールから「ミラクル☆パラダイス」と「プリパラ」の楽曲が続いて、そして「賢者の孫」のオープニングが初披露されてトリは「Ready Smile!」とこれも名曲。「Make It」がなかったけれど、これをやると「プリパラ」感も濃さを増すから今回は封印ってところかな、それともスロットのコーナーに混ぜてくるんだろうか。回して誰が出るかで決めるスロットは、セットリストを固定化させずに他の会場とかも見たいと思わせる仕掛けになっているから。三郷市文化会館だっていっぱいじゃなかったし。でもツアーの評判を聞けば行きたいって人も増えるかも。次は虹会の会員としてメンバーが大きくプリントされたTシャツを買おう。誰ってうん、脚が目立ってた若井友希さんをここは推したい。ライブだと小さいのにいつも元気。見ていてほれぼれするんだよなあ。

 さあ「スター・ウォーズ」のお出ましだ。新3部作の最終章となるエピソード9のトレーラーとタイトルが発表。「スター・ウォーズ/ザ・ライズ・オブ・スカイウォーカー」となっているということは、ルークを含めたスカイウォーカーの家系に連なる誰かがライズ、すなわち昇ってくるってことになる。それはどこから? そしてどこに? この3部作でヒロインとなっているのはレイという女性。だからやっぱり彼女になるのかな。出自なんてよく分からないまま巻き込まれるようにして帝国軍との戦いに身を投じ、途中でフォースの力を覚醒させては戦いの中心に躍り出る。

 そんな人物に流れていたのがスカイウォーカーの血、ってことはつまり一種の貴種流離譚ってことになる訳で、それは元々の第1作「新たなる希望」のルークと同じってことになる。普通に暮らしていた青年が、巻き込まれるようにして踏み込んだ戦いの中、父親がダース・ベイダーで有力なジェダイだったけれども道を踏み間違えていたりして、そして母親はお姫さまで妹もお姫さまだったりするというゴージャスな家系があるいはレイにも、用意されていたりするのかもしれない。一方のカイロ・レンだって元は同じ血筋な訳で、そんなスカイウォーカーの血筋がいろいろな所から昇っては、帝国を打ち倒して初めて宇宙に平穏が戻る、なんてことになるのかな。そうならないと次の3部作なんて話になって生き続けるのが大変になるから、きっちり決着をつけてとお願い。12月20日かあ。生きていられるかなあ(そればっか)。

 さあ久々のオールナイトってことで新文芸坐で開かれる「ペンギン・ハイウェイ」「若おかみは小学生」「リズと青い鳥」の長編アニメーション3本を一気に見に池袋へと向かう。本当はそんなことしている場合じゃないかというと、そんなことでもしていないと時間が埋まらなかったりするのだった。じたばたしたって始まらない。生きてくだけらならどうにかなる中でそんな時間を寝ているだけでは勿体ないなら貪欲に知識を吸収し、現場の空気を吸っておくのが沈ますに済む最前の方法って奴だから。とはいえこの3本。きっとどこかで寝るんだろうなあ、以外とテンションがずっと張ってる「リズと青い鳥」では寝ないかも。ってことはやっぱり「ペンギン・ハイウェイ」かそれとも「若おかみは小学生」か。お姉さんとグローリーさんのどっちに心を寄せているかが分かりそう。


【4月12日】 完成披露上映会に続く試写での2度目の鑑賞で、ところどころで小日向夢は確認できたけれど、トランペットのチームで高坂麗奈と絡むこともなく、中学校の先輩にあたる黄前久美子と会話することもないまま小説と違ってスルーされてしまった感じだった「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜」。そうしたところを原作からすべて拾っていったら、「リズと青い鳥」の部分も含んでいたりする内容では2時間あっても収まりきらなくなるから、100分の映画としてメインを低音部の新1年生と久美子や加藤葉月、3年生の中川夏紀あたりとの関係に絞ったのは取捨選択として正解だったんだろう。

 分からないのは今時に携帯で撮影したような縦長で荒れた映像による自己紹介が差し挟まれるところで、これって誰が何のために撮ってるって説明あったっけ? 効果としても掴みかねているけれど、物語の中で誰がどういう心情だったり何が起こっていたりするのを説明的に描写できないのだとしたら、収まる尺の中で節目になっても当然の演出として持ち出して来たってことも考えられるかもしれない。かといってスマホだとクオリティが高まってしまうし、記録用のビデオもどこか公式めいてしまうから、仲間内でそういう映像を撮るのが流行ってた、ってことにしていろいろと収録したのを後でつないだ、って解釈をしておこう。そしてそれは3年生編へと続くのです。SOUND!

 「キャロル&チューズデイ」のどこかで見てきたようなストーリーを最先端の宇宙とテクノロジーの中において見せる安定感とはまるで反対、浅草という老舗な感じが漂う場所を舞台にしながらアナーキーでアバンギャルドな映像を作りストーリーを作って見せてきた幾原邦彦監督の「さらざんまい」もまた、平成最後にして令和最初の問題作ってことになるかもしれない。ってかさらざんまいて皿が3枚ってこと? 河童の頭にある? 浅草の街に向けて自撮り占いなんてものを提供しているご当地アイドルか何かの吾妻サラが車上狙いをしていた久慈悠って少年も込みで自撮りしてしまい、怒った久慈が追いかけたらそこにいたのが吾妻サラと繋がっていそうな矢逆一稀という少年。暴れてそこにあった河童の立像を壊してしまい、ったんは分かれたけれども学校で在校生と転入生として再会し、そして向かった河童の立像のあたりでとんでもない事態に巻き込まれる。

 つまりは河童になってしまうってことだけれど、そうした展開でもって描かれる描写の図像的というか幾何学的というか裸になって飛んで駆けてもシュビビンシュビビンシュビビンビンといったタツノコにはならず、「Free」かその辺に見えてしまうように描かれていて女子の目とか釘付けにしそう。でもっていろいろと問題解決なんかもしてそして、途中で吾妻サラの正体なんかもいきなり明かされていたりして、次からどんな顔で観たら良いのか分からなくなったけれど、考えてみれば声を当てている村瀬歩さん、「ガッチャマンクラウズ」で女装の爾乃美家累を女性としか思えない声で演じていて、それにツいてるとか考えられなかったから吾妻サラを見てもツいてないと思うことは可能なんじゃないかなあ。どうだろう。

 「少女革命ウテナ」が所々宝塚的でそしてマインドとしてアングラ演劇的な芝居を見せていたのとは違って、こちらはもうちょっとパレード的な雰囲気でもって全体を彩っている感じ。そした一種のお約束が重なっていくと話が進まなくなるんだけれど、だんだんとお約束は圧縮されてストーリーが増えていくのもまた傾向なだけに、最初はグッと掴んでおいてそれから個々の物語を見せていくってことになるのかな。その物語がちょっと掴みづらいのが何だけれど、お悩み解決って訳でもないだろうし。ヒロインの数が足りてないのが目下の悩み所か。あんまりいなさそうだからなあ。だからこそ頑張れ吾妻サラ。

 幸せの雨を降らせるなら、やっぱり金の雨も降らせた方がいいんじゃないかとも思ったオカダ・カズチカさんと三森すずこさんとのご結婚。同じブシロード関連の事務所であったり新日本プロレスに所属していて近い関係にあったとはいえ、声優とプロレスラーでは昔だったらまるで住む世界も違っていて繋がることなんてあり得なかった。それが今はブシロードというキャラクター企業が新日本プロレスを傘下に持っていて、プロレスラーをキャラクターとして活用していたりする時代。キャラクターの声をつけて命を吹き込む声優さんたちと同列にいても不思議はない状況から、同じグループってことで共演も多かっただろう中、恋が芽生えたって言えるんじゃなかろーか。

 だからアニメファン的にはまったく不思議も問題もないカップリング。ただしプロレスファン的にはどういった認識で受け止められるかが分からない。今時のプロレスファンは新日本プロレスがブシロードでカードファイト・ヴァンガードだって分かっているから関係ないのかな。東京スポーツが何を書いたかちょっと知りたい。週刊プロレスってまだ出てたっけ。あとはゴングとか。プロレスもそういう意味では斜陽の中を、キャラクタービジネスのメソッドを持ちこみここまで復活させた木谷高明さんの偉業を讃えるしかなさそう。それがなければ生まれなかったカップルだから。ともあれお目出度うございます。一緒にラジオをやっている前Qさんの衝撃度が知りたい。

 南阿佐ヶ谷あたりでちょっとだけお仕事をしてから渋谷へと回り、電源がとれるファーストキッチンでワイルドロックっていうパテが肉になったハンバーガーをむさぼりながら「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」の感想なんかを仕上げてそして、時間が来たんでCHAMPFIREの部屋で開かれたド・ミード展開催記念トークイベントを見物。新たにYAMATO2520の幅が5メートルもある絵が展示されることが発表になって、行けば10メートルごとに区切られて40本の線が並んで400メートルあることを示している絵をバックに、インスタ映えする写真が撮れるらしい。

 でもファンはそんなことしている暇があったら近寄ってどこに何があるかを見るよなあ。シド・ミードが宇宙戦艦の中にいったいどんな機能を求めたかが手に取るにに分かる貴重な作品だから。もうずっと近寄って眺めるおじさんたちでインスタ映えする写真は撮れそうもないんじゃないかな。あとトークイベントによると、シド・ミード展ではPROGRESSIONSのコーナーに映画「ブレードランナー」でルトガー・ハウアー演じるロイ・バッティが詩的につぶやいた言葉を題材にシド・ミードが描いた「ショルダー・オブ・オリオン」という絵が展示されるとか。続編に向けて俺に参加させろと描いたものらしく、映画のコーナーには置かれず図録には載せられないそうなので行って見るしかない。それが一生で唯一の観測機会になるんじゃないかな。

 あと以前にもシド・ミード展のキックオフミーティングに登壇して、インダストリアルデザインの立場からシド・ミードの姿を語っていたカーデザインとかしていた田中一雄さんが登壇して、テーパーでシェル構造でブラックラインのミードデザインを今回は詩的はしなかったけれども、デザインってのは夢を作るものでそしてシド・ミードには夢があると力説し、見てと訴えていたのが印象に残った。加えて映画監督の樋口真嗣さんが、最近は若いメカデザイナーが出てこないと嘆いて、シド・ミードを見て刺激受けてメカデザイナーになってと誘ってた。もしかしたら今回のシド・ミード展を経て、日本にメカデザインやってみたい若者とかインダストリアルデザインに進みたい若者がわんさか出て、20年後40年後の日本のメカと製品のデザインをガラリと変えることになる、その歴史的転換点になるかもしれない。ならなきゃそれは新しい才能を取り込んで活かせない空気が悪いってことで。今のそれだから出てこないのかもしれないし。


【4月11日】 ブラックホールの撮影に成功したそうで、光も吸い込むブラックホールをどうやって撮影できたかって突き詰めればきっと長い記事も書かれているんだろうけれど、そこはすっ飛ばしてブラックホールってのが可視化されたことがまずは僥倖。噂には聞いていても見せろと言って見せてもらえなかったそれが見られるようになったことは、宇宙を空想の産物から現実の延長に引っ張り降ろしてそこにいろいろと投資していく算段を立てやすくなったとも言える。夢でも投資して人類は月まで行ったけれど、その先はなかった。金になりそうもなかったから。でも宇宙関連にお金を出せば夢を超えた現実も買えるとなればこれから投資も回るだろう。発見への称賛を得たいスポンサーとかも増えそう。だったら何を狙うのか。ホワイトホールかなあ。そんなものがあればだけど。あるの?

 夜に開き直っても、やっぱり朝になるとわき起こってる将来への不安。というか、しばらくは何もしなくても生きていけるだけのお金はありながらも、これまでコミットしてきた事柄と引き離されて、自分がやって来たことがなかったことにされてしまって、いったい何をやったら良いんだろうと思ってしまうところに落ち込む要素があったりする。これだったら残って嫌でな仕事でも正社員として机に張りついて黙々と平日は仕事をこなし、それなりな給料をもらって週末に遊べば良かったかもと後ろ髪を引かれる。後ろ髪しかないんだけれど。

 とはいえ、それで60歳までいて1000万円程度の退職金で放り出されても路頭に迷うだけだから、ここが絶好の機会と割り切って東京を(千葉だけど)引き払って実家に帰って、週休2日で残業もあまりないのんびりとした仕事をしながら土日に本を読み、行ける範囲でイベントに行く暮らしができると思えれば良いんだけれど、やっぱりやって来たことに未練があるのが人間って奴で。とはいえ同じ様な取材ができる現場ってほとんどないんだよなあ。請け負っているライター仕事が1番近いという。だったらそれで幾らかもらいつつ残りは取り崩して自分を楽しく生きていくってのもあり? それもそれで足下がフワフワで沈みそうに思えてしまうのだった。参ったねえ。

 沈んでいると腐るんで、それなりな金額にしかならなくても顔つなぎをしてその先へと繋がりを伸ばすために、交通費を使って取材へと赴く。向かうは原宿のプリズムストーン原宿2階にオープンする「プリティーオールフレンズ レインボー・イースターカフェ」。テレビアニメの「プリティーリズム・オーロラドリーム」から「アイドルタイムプリパラ」まで、歴代5作品の主人公を集めた「プリティーオールフレンズプロジェクト」ってのがあって、レジェンド級のヒロインが連なる中から今回は「プリティーリズム レインボーライブ」に登場する彩瀬なる、福原あん、涼野いとの「ハッピーレイン」、蓮城寺べる、小鳥遊おとは、森園わかなの「ベルローズ」の6人がフィーチャーされている。まあだいたいはなるとべるだけど。

 そんなカフェは、プリティーシリーズが大好きな店長さんがいて、毎回凝ったコラボレーションをしてくることで有名で、見ただけではいったいこれは何を模しているのか分からないようなものもあったりする。たとえば「彩瀬家の特製!ハート・イロ・“ジン・ギス・カン”ドリームプレート」ってのは、アニメの中でしきりにジンギスカンジンギスカンといっていたりんねというキャラクターがいて、そのりんねがいなくなってしまった後でなるが家でもジンギスカンを食べている、と言ったストーリーに楽曲の「ハート・イロ・トリドリーム」ってのがかかっている。

 トリの代わりにジンギスカンっていう肉つながりもある種のかけ。そういう企みがすべてのメニューにあるから、ファンなら行ってこれは何だあれはどうだと会話が弾みそう。「思い出のクリームシチューに運命の赤い“いと”〜クロスサラダとパンを添えて〜」とか「めちゃうま!!私の好きなクレームブリュレの味がする!パンケーキ」あたりはまだストレートだけれど、4月26日から提供される、彩瀬なると蓮城寺べるのカップリングをイメージした「Little Wing & Beautiful Pride“ラブリーダック & セクシーチキン”全然違う二人だからできた、まだ誰も見たことのない情熱のチキンプレート」なんて名前も長い上に、どうしてチキンプレートなんだて話になりそう。飛翔する2人のイメージから来たものらしいけど、ニワトリって飛ばないよな。そこはまあ気にしない。

 「『わたし、ママのごちそうが食べたい!』蓮城寺家の特別ディナー 大好きなママの手作りGet Music!ハンバーグステーキ」とか山盛りになったチキンライスが添えてあるんだけれど、ジャンプとか現しているらしいから奥深い。ハンバーグの上にかけられたチーズの形にも意味が。それだけ凝ってあっても値段が1500円を超すようなものはないから、ドリンク込みで2000円ちょっとで行って味わい楽しむことができそう。一応は予約制だけれど平日とか大丈夫なんじゃないかなあ。でもやっぱり予約を。グッズも売られているけれど、新たに彩瀬なると蓮城寺べるのコスメが登場してフレグランスが置いてあった。嗅げば2人の香り漂う。それはいったいどんな香り? 試してみたい。

 平成最後にして令和最初の傑作アニメーションが生まれてしまったよ。「キャロル&チューズデイ」。ストーリーそのものは籠の鳥として何不自由なく生きているお嬢様がいて、身よりもないままひとりで懸命に生きながらも音楽で身を立てようとしている女子がいて、そんな2人が偶然出会っていっしょに暮らすようになりながら、いっしょに音楽もやって成り上がっていくといった感じで割とあったりする気がする。そこに子役から大人へとあがってきて、それなりに人気はあってもブレイクが必要とAI歌手にばかり楽曲を作ってきたクリエイターに楽曲を頼むタレントがいて、きっとどこかでぶつかり合うのもやっぱり展開として分かりやすい。ただ、そうしたストーリーを紡ぐ舞台が火星でテクノロジーが入り込んでいて、描写の中にそれらが自然と混じってその時代、その世界ならではの“日常”って奴を違和感なく見せているところが凄い。

 飲食店では最近だとタブレットを置いてそこからメニューを選んで注文する形で間にウェイターウェイトレスを挟まない店もすた丼あたりであったりするけれど、「キャロル&チューズデイ」ではテーブルに映像が出てそれを指でスクロールしながら欲しいものを注文できる。テーブルがモニターになっているのか、プロジェクションなのかARなのかMRなのかもちょっと曖昧ではあるけれど、それでもしっかりと未来の飲食店って奴を感じさせてくれる。それを言うならチューズデイが持って出たスーツケースなんかも自動で追尾するようになっていたりして、だったらと載ったら重量オーバーか電池が切れてしまって普通の重たいスーツケースになってしまった。それを盗んで行く奴もまた凄いけど。

 そもそもがAI歌手がいっぽうに居たりする状況が未来的。初音ミクがいくら話題になったところで初音ミク単体での歌がヒットチャートのトップに来るところまではまだ行ってない。いや、ネットの中ではとっくにそうなっていても、芸能の世界ではやっぱりリアルで生身のシンガーでありタレントが尊ばれては、日本レコード大賞に選ばれ紅白歌合戦に出場する。AI歌手が流行り始めている、あるいはそれが主流になっている「キャロル&チューズデイ」の世界で紅白歌合戦ってバーチャル歌合戦みたいになっているんだろうか。ってことはバーチャルが出て来て馬面で騒いでいるんだろうか。それはないにしても未来には起こりえる変化をそういうところに盛り込んでいる。

 且つ、すばらしい描画、素晴らしい音楽。窪之内英策さんのキャラクター原案を損ねることなく絵にして動かしてのけた作画陣凄まじい。表情の変化もしっかりと描かれている訳でそれは絵ではない訳だから。音楽については歌うときには外国のシンガーをそこにあてていて、それがちゃんとキャラクターにマッチしたものになっている。シェリル・ノームが遠藤綾とMay’nの両方であったようにキャロルもチューズデイも喋りと歌がつながって1人のキャラクターとして屹立している。フライングドッグが「マクロスF」「マクロスΔ」で試してきたことが目いっぱいに出たって感じかなあ。展開はある意味で想像はつきやすいけれど、そうした絵と設定を眺め未来の宇宙の感じを味わい良い歌に聴き惚れられるアニメとして、向こう3カ月を楽しませてくれそうだ。こちらの気分さえ良くなれば。今はちょっとカウンターで飲んだくれていた元音楽ディレクターに自分が映って手足に震えが。ヤバいなあ。


【4月10日】 新海誠監督の「君の名は。」に続く新作アニメーション映画「天気の子」の予告編が公開されて、「言の葉の庭」にも増してリアルな雨の描写に都会の街並みに目を奪われつつ、その上で動く少年少女の瑞々しさに「君の名は。」にも増してビビッドの同世代の少年少女を引きつけそうな予感を覚える。まるで自分とは無関係な美男美女たちが繰り広げる恋愛ドラマを、そうなったら良いなとという憧れでもって見に行くことももちろんある。でもそれは一時の夢でしかない。もしかしたら自分もという共感を得るならやはり空想が過ぎてもいけないし、かといって現実が濃すぎてもいけない、そんな間をしっかりととらえた少年少女の雰囲気が醸し出されている。そんな気がする。

 くっきりとして大きな水滴の描写とかはどこかスタジオジブリの作品っぽさも感じるし、キャラクターの等身にもそんなニュアンスを覚えないでもないけれど、子ども子どもはしていないからそこは安心、大人でも見に行って大丈夫な感じになっている。音楽のリズムに乗って場面が切り替わっていくところはさすが新海誠、すべてにおいてタイミングを整えてくる神業がここでも出ている。新海誠監督が自分で編集したとは限らないけれど、指示は出しているだろうからそこは新海カラーと言って良いんじゃなかろーか。RADWIMPSの音楽も「君の名は。」で得た支持をそのまま引き継げるという意味でベストで、宮崎駿監督作品がだいたい久石譲さんの音楽で彩られていたのと同様、新海誠映画という印象を持たせて観客に安心を与える。そしてやっぱりマッチしている。繊細でそれでいて強さもある空気。それが支える映画で紡がれる物語が今は楽しみで仕方が無い。

 いっぽう、久石さんの方はスタジオ4℃が手がける五十嵐浩之さんの漫画を原作にした「海獣の子」でもって音楽を提供。そちらも予告編が公開になっていて、おそらくはフル3DCGでもって描かれる海と巨大な海獣のリアルっぽさがまず来て、そして躍動感を持って動く少女の描写やキャラクターどうしの絡み合いに、フル3DCGならではのフィギュア感はなくそこに人間として存在するような感じを出している。ポリゴンピクチュアズだとやや動きに癖があるけれど、ここん家はもうちょっと2Dに近づけようとしている感じかな、まだ繰り返して見た訳じゃないからこれから検討。なにより本編全部を見てみたいことには分からないから、全体像なんて。

 男子用のトイレに下半身を丸出しにして座っている女性教師がいきなり登場した時点で、2019年4月スタートのアニメーションにあって覇権を取ったと言って言い過ぎではないとすら思った「なんでここに先生が!」。学校では厳しく指導することから「鬼の児嶋」と恐れられているにもかかわらず、佐藤一郎が入ったトイレですっぽんぽんにんっていた上に、小用を足すところを聞かれてしまった児嶋加奈。なおかつ佐藤一郎が小用を足す場面も目撃するという。それはなかなか恥ずかしい。なおかつ佐藤一郎がサボろうと入った保健室に先にいて、佐藤一郎から熱を下げるための座薬を尻に入れてもらうという事態に。佐藤一郎の羨ましいことったらないけれど、そこはちゃんと目をつぶっていたらしい。そして入れるところを間違える。どこにとか聞かない。

 とりあえずこの回は佐藤一郎と児嶋のエピソードだったけれど、他にも先生がたちがいろいろと出て来て、それぞれのカップリングでいろいろと見せてくれるような雰囲気。主題歌は上坂すみれさんでどうにもエロくて、これが深夜とはいえ地上波で放送されていいのかと思ったけれど良いから放送されているんだろう。凄い国だよ日本。そういえばAnimeJapan2019の会場で、この「なんでここに先生が!」のコーナーがあって等身大のキャラクターパネルが並んでいて、胸の所だけぽわぽわになっていて近寄って目の当たりにしてサイズ感とか確かめていた人もいたような。それが子どもも来るイベントに相応しいかどうかといった議論にもなっていたけれど、こういう内容だったと知ったらどんなリアクションが出ただろうか。あの時児嶋に触っておけばよかった? それもあるかな、それくらい魅力的な先生だから。

 こちらは覇権というよりもはや覇者といった感じの「異世界かるてっと」。いったいどれだけの声優が出演しているのか。「Re:ゼロから始める異世界生活」に「幼女戦記」に「この素晴らしい世界に祝福を」に「オーバーロード」というKADOKAWAが誇る異世界転移・転生物がまとめまってひとつになってコメディとして登場。でも出演声優は変わってないから主役級がまとめてこぞってひとつのアニメに出演している。いったいアフレコの現場はどうなっているんだろう。誰がセンターマイクを使うんだろう、てそういう儀式があるかは知らないけれど、序列とか気になるなあ。まあでもさすがに全員がそろってってことはないんじゃないかな、人だって入りきらないし。そいういうリポートが読んで見たい。

 届いた離職票を持ってまずは国民年金の申し込みをして、それからハローワークへと出向いて失業手当をもらうための手続きなんかをしてこれで正真正銘の無職となったといった感じ。いやまだ失業者認定を受けなくてはならないからそれが出て初めて失業者ってことになるんだけれど、だんだんと進んでいく状況に頭も次第に馴れてきたのかもうどうなてもいいやって開き直りが生まれて来た。このまま遊んでだって大丈夫、ってなりそうなのが怖いけれど、でも感触を見るためにいくつか応募してみてことごとく面接に行く以前の書類で落とされると、やはり年齢的に無理なんだろうなあといった感覚も生まれてくる。まあスキルもだけれど。そういう偏りが活かせる場所も探してはいるけれど、あっても果たして年齢的に大丈夫か。そこがやっぱり引っかかる。まあ個別に幾つか頂いている仕事もあるんでそれをアルバイト的にこなしつつ、もらったお金を削りながら様子をみていくのが今のところはベターかなあ。焦ってもどうにもなるものではないし。焦らなくてもどうにもならないけれど。そうなのか? そうだろうなあ。名古屋帰るか。


【4月9日】 肖像が写真っぽい、というのが最初に来る印象で、あとは数字の形とか色目とかがアジアのお札っぽいうか、日本だってアジアなんだからアジアのお札で良いんだろうけどそれにしても写真でカラーはやっぱり不思議な感じが漂う日本の新札。肖像については1万円札が渋沢栄一でこれは第一国立銀行を作り東京証券取引所を作り日本に資本経済を作った立役者だから格としては問題がない。ただやっぱり財政と経済を作った側であって聖徳太子であるとか福沢諭吉といった偉人文人の類と並べると、ちょっと脂がのりすぎているような気がしないでもない。

 津田梅子は津田塾大学の創始者で女子の教育であり英語教育を日本に根付かせた人だから、それこそ朝の連ドラの主人公になっても大河ドラマのヒロインになっても不思議はない人物。5000円が樋口一葉だったからその流れで女性にとなって選ばれたと考えるのが打倒かも。ただ他に見渡して例えば与謝野晶子であるとか平塚らいていといった人たちも候補に挙がって不思議はなく、けれども津田梅子となったのは女性解放であったり戦争批判であったりといった部分があるいは、咎められたのかもしれないと考えると今の政権っぽいなあってことになりそう。きっとそういう声も出るんじゃなかろうか。

 北里柴三郎は1000円札だと軽いんじゃないかという印象。立てた業績のことごとくがひっくり返されてしまっている野口英世よりはずっと医学の発展に貢献していて、最近だと出身者からノーベル賞受賞者も出ていたりするけれど、その風貌からやっぱりどこか野口英世よりも軽さがのぞいてしまって、1000円で良いじゃんってことになってしまったのかも。あるいはバランスを取って。かつて夏目漱石もいたから次は芥川龍之介でも良かったかなあ、でも自殺者が紙幣だとやっぱり拙いか、なら菊池寛……だと文藝春秋過ぎる。いっそ村上春樹で良かったのに。世界が欲しがるだろうから。

 500円硬貨も新しいのが出てくるみたいで、令和という年号が刻まれる格好良さとはまた別に、金色がまじったようなツートンでカッコいいようなゲーム機のメダルのような印象。持てばそれなりに重みもあって刻印も立派だから間違えはしないだろうけれど、使い込まれたらどういった感じに褪色していくかにはちょっと興味が及ぶ。5円玉とかピカピカなのがだんだんくすんでいっても硬貨っぽいけど500円玉はどんな雰囲気を醸し出すのか。銀一色ならそれはちょっと黒ずむだけ。でも2色だとそれぞれに褪色の感じが違ってきそうだし。これもまあ、偽造されづらく見てすぐ分かる区別ってことなんだろう。だったらどんどんと古いのと交換していかないと。そういう施策は採るのかな。古い500円玉だけ貯金可能な貯金箱を作って貯めさせ銀行に預けさせるとか。そういう貯金箱、どこか作りませんか?

 貧乳、といったら真っ向から否定されそうでそれこそが美しくて有り難いのに貧しいとは何事だと怒り出しそうな少年が主人公の、辻室翔さんによる「ココロアラウンド 札幌市白石区みなすけ荘の事件簿」(ファンタジア文庫)は20年ほど前、人類の1万人に1人くらいの割合で超能力に目覚める者が現れたという世界が舞台。とくに超能力者が迫害されては暴れて世界が滅亡に瀕するといったことはなく、それなりに管理されつつ暮らしている。つまりは自治。札幌にあるみなすけ荘には何人かの超能力者たちが暮らしていては、超能力に絡んだ犯罪を取り締まるような仕事を請け負っている。

 藤坂工輝も超能力者でその力は何と「死ぬと生き返る」というもの。不死、という訳ではなく痛みも苦しみも得ながらきっちりと死んでは、あの世みたいなところで胸の薄い……ではなく絶品な女神さまと交流しつつAよりのBなりBに近いAといった判断を下しつつ、持ち直して生き返ってセーブポイントからリスタートするという日々を送っている。その日も流れる人を助けに川に飛び込んだらダッチワイフで、女神に笑われても情けは人のためならずという信念だからと気にしない。生き返っては同じアパートで暮らす女神さま同様に胸がジャストサイズな八野心と会話をしたりしていたけれど、そんなみんすけ荘に下着泥棒を捕まえてという以来があって紛糾する。

 誰の下着を囮に出すか、ということで住人で元ヤンキーで魔法のステッキを手に持つと視力が良くなったりする佐山花恋の下着については、彼氏でくしゃみをすると姿が消える久地中京が認めない。八野も工輝が断固反対ということで、とてつもなく胸が大きいため、工輝からは肉呼ばわりされている、異能は持っていない牧下玲菜の巨大なブラが囮に使われ、それをとりに現れた泥棒を捕まえようとしたら工輝が刺されて死んでしまった。でも生き返ってそして洗脳が横行していること、痴女が話題になっていることが確認され、なるほどと探索に回っていた工輝と八野の前にブルマ姿でノースリーブの制服という異色の婦人警官が現れる。まさに痴女、なんだけれど違うよう。

 そんな出会いも経つつ男たちを洗脳する本当の痴女との戦いも経て、八野が持つ力が何かが分かってそれが利用されそうになるのを工輝が死んでも生き返る力をフルに使って阻止しようとする。その戦いが凄まじい。死んでもその場で生き返って挑み殺されおうともまた行き帰り戦いを挑む繰り返し。いつかストックも切れるんじゃないかと心配になるけど、すぐに治らなくなるくらいで能力は消えてなくならないみたい。そうした能力を使った戦いぶりと、犯罪の様を描いたSFでありミステリ。もっと多彩な組み合わせによるバトルが見たかったけれど、脱げば脱ぐほど力が出る痴女婦警に全部持って行かれた。実在するなら見たいなあ、ブルマから水着になっていく婦人警官。

 名古屋より帰京、というか帰千葉だけれども広い実家にいて両親は高齢ながらも健在で天気は良く手元にまとまったお金があると、ここでいったん東京でカキモノをする仕事は打ち止めにし、今の寝る場所だけしかなく自炊もままならないような生活を改善する機会ととらえて東京を(千葉だけど)引き払って実家に帰り、本も玩具もDVDやらBlu−rayyらも整理をしてから数カ月を休み、それから地元で週休2日で8時半から6時までの健全な職場を探してそこで事務でも何でもしながら平穏無事な毎日を過ごしつつ、夜に本を読み土日に出かけて映画を見たりイベントをのぞくような暮らしをするのが、70歳までを生きる上で大切なんじゃないかという気がしてきた。

 今さら言っても何にもならないけれど、元の職場に残っていたとしてもきっと60歳でで放り出されてそこから行き場の無さに迷うことはだいたい確実。それならまだ地元でいろいろ動けるうちに戻るのに絶好の機会だったといった見方も出来る。とはいえ一方で賑やかな首都圏にいてカキモノが続けつつあちこちを見て回りたいといったいった思いもあって、募集している「J−CAST」に興味を向けたりもしている思考の分裂ぶり。会社が立ち上がったころに今の会長の人にお目にかかった記憶もあるけど、こういった種類の会社になるとはちょと思っていなかったなあ。でも今は書籍を紹介するサイトも作ったりして一般性を帯びてきている感じ。BuzzFeedのはっちゃけぶりも気になるけれど、日本的にはっちゃけているJ−CASTも考えてみるかなどうするかな。やっぱり弱気だなあ。


【4月8日】 そういえばコンテンツ東京の会場からシャトルバスですいっと移動した青海の展示場は思ったより広くって、2つの平べったい建物が東京テレポート的から上にあがった場所を基点にずっと続いているような感じだった。幅もあって足したら東京ビッグサイトの東の奥に出来た7ホールと8ホールの合計よりも随分と広い、というか8ホールがそもそも3000平方メートルしかないから青海は東7ホールが2つ並んだくらいってことになる。これは結構広いけれどネックはやっぱり距離か。歩いて歩けないこともないけど夏とか炎天下はキツいからなあ。駅からすぐってのは嬉しいかも。その分、待機列をどこに作るかでシミュレーションがいりそう。次の夏コミでは使うんだっけ? 見に行かないと。

 いやいや娘に「ぼっち」とはつけないでしょうとは思うものに、そういう語呂合わせが名前の基本になっているんだから仕方が無い。ってことで「ひとりぼっちの〇〇生活」の第1話をさっと見て、徹底的にコミュニケーションが苦手な中学1年生が別の中学にいった幼なじみにクラスメートの全員と友だちになるまで絶好だと言われ、だったらクラスメートなんていなければ良いと妄想して策を巡らせるあたりが段取りとして楽しく、そして実際にクラスメートと対面して仲良くなろうとしてぎこちなさを炸裂させ、戻してしまうくらい緊張する様に人見知りとして共感する。

 そんな明いてがヤンキーっぽいけど砂尾なこというところが語呂合わせにしてちょっと外してたりしそう。いや見かけはともかくなかなか素直な子ではあるけれど。ほかにも本庄あるとかソトカ・ラキターとか倉井佳子とか耳にすればそんな名前で良いのと思う子ばかりのクラス。でもぎすぎすとはしてなくってホンワカとした中にコミュニケーションの不全を埋めていくための道筋って奴が感じされるようになっている。これも花田十輝さんの脚本。いろいろと手広い方だなあ。ぼっち役の森下千咲さんはこれが初の主役級か。でもあわあわとしているところが巧かった。なこ役の田中美海さんはWake Up, Girlsの片山実波役から始まっていろいろ活躍の幅を広げている。「ソンビランドサガ」にも「プリパラ」にも出てたし。他のみなも頑張れ。

 名古屋へと帰郷して銀行と郵便局を回って資産の現状をだいたい把握。毎月の積み立ては停止して、郵貯と銀行の定期の残存を確認し、会社から出たお金を定期化しつつ当座のフローも確保し、満期まであと4年ある定期性の生命保険の額を足して今、いったいどれくらいあるかを積み上げたら、それなりの給料でそれなりの期間を働かなくても得られるくらいはあると分かったものの、それから先がすっからかんになってしまうと、長い老後を身動きとれなくなるので、やっぱり早いところ次の仕事を見つける必要がありそう。とはいえやっぱり歳も歳だし、モノカキ系の仕事なんてあるはずもなく、現場でガリガリ書くのも体力的にキツくなていく。となればここは名古屋に引っ込んで、リモートワークとかしつつ実家でのんびり余生を過ごすってのもありかもなあと思ったりもして来た。八十亀ちゃんの本拠地だし。

 とはいえ、やっぱり現場にいたい、そして見聞きしたものを大勢に広めたいというのが長く記者なりライターをやって来た人間の性分って奴。実家に送ったカメラのコンパクトフラッシュとかスマートメディアを掘っていたら、2006年ごろからの取材の画像がまだ残っていて、いろいろやって来たことが思い出された。開くと例えばた2007年のアニメロサマーライブを「Generation−A」としてAポップという言葉を使ったプロデューサーに被せて、自分たちの作った言葉だということを伝えたかった金杉肇さんへのインタビューをドワンゴでやった時の写真とかが入っていて、MAGES.が去年から取材案内をくれなくなったアニサマを、実に初期から追いかけていたんだなあってことを思い出した。

 あと、今は「あにめたまご」でちょっと前は「アニメミライ」だった文化庁の若手アニメーター育成事業が最初は「Project−A」と呼ばれていた時に取材した話とか、「これはゾンビですか?」で脚本家上江洲誠さんに取材した話とか、あの「フラクタル」に関連してイベントが開かれた時の話なんかが出て来て、長く追いかけてきたんだなあってことを感じるとともに、そうした一線に立つことがしばらくは、あるいはもうずっとかなわないのかと思えてちょっと寂しくなってきた。

 文化庁メディア芸術祭のトークイベントで片渕須直監督と原恵一監督と湯浅政明監督がそろい踏みした現場にいて、そして小池健監督の「REDLINE」とピコグラフによる「TAILEENDERS」という、レースがテーマとなった近未来アクションなアニメーション映画の両方を取材した人間なんて珍しいと思うけど、そうした成果がまるでキャリアに反映されていないというのがどうにも辛い。だったら自分でメディアを立ち上げられば良かったんだけれど、当時はフジサンケイビジネスアイにしてもSANKEI EXPRESSにしても書けば割と書けたんでちょっと出遅れた。

 そのうちにAnimeAnimeがが出てナタリーからコミックナタリーなんてのも出て来て、ORICONだとか映画.comとかアキバ総研なんかが頑張ってアニメ系の記事を載せるようになると、もはや個人が出る幕なんてない。そうこうしているうちに媒体の方は取捨選択が進んで、年齢層が上に向いてポップカルチャーなんてものは紙面的にも場所がなければウエブ上でも登場する余地がなうなってしまった。IGN JAPANが頑張って載せてくれてはいるけれど、これまでのようにどれでも載せてもらえる訳にはいきそうもない。それでも少しでも枠があるならそこに勢力を傾けつつ、蓄積を崩しつつ居場所を作っていくしかないんだろうなあ。その方法が分からないのがキツいんだけれど。どこかの媒体で拾ってくれそうなところはないかなあ。ないよなあ。年取ってるし、禿げてるし。


【4月7日】 劇場公開された「続・終物語」ではなく「暦物語」がBS11で放送されてて、だいたいのオチを分かった上で見るとなるほどそうかと思えてくるからネタバレはやっぱり避けた方が良さそうと分かる。学校にいつの頃から登場した祠とその中の石。信仰を集めているようだけれど羽川翼が入学をした頃にはそうしたものはなかったという。いつ出来た、といったところで祠の誕生秘話が明かされ、その原因となった振る舞いに気づいた阿良々木暦によって祠は速攻破壊。そして残された石もコンクリートと分かったけれど、それが放り出されたままで信仰は続くか否か。人はそれらしく見えるとそう振る舞うのだとしたら、石だけではちょっと難しいかもしれないなあ。

 そして戦場ヶ原ひたぎが気になった屋上の花束は、誰が何のために置いたかということで結果と原因が逆転している状況が明かされる。自殺があったから花束が置かれたのではなく花束が置かれたから自殺が抑制された、と。花束が置いてあるから気になって事故が多発する道路も含めて、原因と結果を逆に推測してしまう人間の心理のようなものをうかがわせる佳作。このあと砂場の鬼の顔とか風呂に結婚相手の顔が洗われるとか、いろいろと続く怪異譚とその種明かし。短い話にしっかりとオチをつけてキャラクターごとに描いてしまう西尾維新の構成力と着想の姿が、短いからこそ詰まっているシリーズだなあ。これが6回続いてそして「続・終物語」かな。5月の半ば。それくらいまでにこちらの身の振り方も固まっているかな。いないかもなあ。はあ。

 予言はなかったけれども商売の極意は味わえたのらふくろうさん「予言の経済学2 巫女姫と転生商人の異世界ギルド代表選対課」(レジェンドノベルス)。お姫さまの巫女の危険を予言した言葉をしっかりと聞いて、合理的な解釈を加えて真相を解き明かして世界を救ったリカルドが、通う学校で始まる学院祭で模擬店を出して競い合うおうな状況に陥って、そこで経済学とか統計学とかの知識を持ち出し飲食店の運営知識も入れ込んで貴族だとか大商会が牛耳り一般を追い出しにかかった模擬店勝負に割って入って波乱を起こすという、「食戟のソーマ」みたいな展開を楽しめる。貴族たちが良い場所を取ってしまって参加すら不可能に成りかかっても、姫巫女がいる中庭を使ってそこにフードコートなる概念を持ち込み、仲間にした学生たちの恨みを買わないように調整をほどこし協力して勝負に挑むようにする。

 最初はゆっくりした出だしながらも、途中で潮目が変わったことを来店者のアクセサリーから身分などを割り出しその行動原理を推測して導き出すあたりに、統計学なり心理学なりの応用が見える。異世界転生者ならではのスキルといったところ。決してパワーだとか頭脳に特化している訳ではないけれど、その世界にはない知識を振るうことで圧倒的に有利になれるとうのは設定としてもユニークだ。ギルドのトップ争いにも巧みに影響力を及ぼして、自分の存在を唯一無二のものにしてしまうところにリカルドの権謀術数なところも見える。それが今後も吉と働くか、出過ぎて打たれるかはリカルド次第か。動き出した不穏に次はサイドの姫様の予言はあるのか。それはリカルドとの関係にも影響するのか。期して待ちたい続きを。

 じっとしていると、たとえイジワルされても永久ではないし永久であっても誰一人知らない場所より良かったかも知れないという後悔がジワジワと沸いて足腰が立たなくなるので奮起して家を出て、伏見にあるミリオン座が今日で今の劇場を閉めて別の場所に移転する、その最後の上映という奴を見に行く。映画は「この世界の片隅に」。終わったら抽選会があってミリオン座に長く掲げられた「この世界の片隅に」のイラストが入って片渕須直監督のサインも入ったシートをもらえるとあっては死んでいる訳にはいかなかった。たとえ記事にできるかどうか分からなくても現場に行くのが出没家なのだ、っていうなら記事が書けない場所でも気にせず受けて平気な顔をしていれば良かったと、やっぱり浮かんでくる後悔。だからそれをやっても場所そのものが保たないといった認識で打ち消したんじゃないのか。こればっかりは賭けみたいなものだったからなあ。

 もとい伏見ミリオン座だ。映画はもう何度も見ているから良いとして、いつも気になりながら言及には及ばなかった晴美さんが亡くなられたそのエピソードで、空襲によって家を壊された女性に最初、すずさんが水を借りたいと声をかけるとうなずくのに、すぐさまお礼を言ってもぴくりとも動かないのは、まだかろうじてあてうなずかせた冷静さが、目の前の事態に薄れ呆然の感情をわき出させて返事なんてしている気分じゃないと感じさせたから、なのかもしれないしき気のせいだろうけれど。今回は水島哲とすずの倉庫でのやりとりあたりで意識が飛んだ。心労から錬られずもやがかかったような頭が時々現実からの逃避を促すのだった。どうなったら気にせずぐっすり眠れるようになるのだろう。開き直った時か。

 終映後に抽選会があって期待していたシートは当たらず。それでもミリオン座のピンバッジが当たった分だけ「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第7章 新星篇」の大抽選会付上映会よりは運が良かったか。あと机の上にご自由にお持ち帰り下さいというのがあって、映画にまつわる道具なんかが並んでいてフィルム缶もあったけれどもスプライサーという映画のフィルムを切ってつなぐ機器があってその中でも大きめのを持って帰る。35ミリの映画のフィルムを切ってつなぎあわせる奴だから、8ミリの自主映画でも16ミリのアニメの切り出しにも使えなさそう。でも今時のアニメでフィルムもデュープもないからどのみち使い道はないのだった。置物にはなりそう。とはいえミリオン座の記念の品なら題字にするか、映画に愛着のある人に譲るのが良いのかなあ。どこかで35ミリを買ってきて繋ぐ体験でもしたいけど。売っているのか35ミリ。

 大阪市の市長と大阪府の府知事が立ち場を入れ替えて選挙に出るという前代未聞で職責への無責任すら感じさせる事態をそれでも、大阪市民も府民も受け入れともに当選させてしまうという事態はいったい何だろう、自分たちの身に起こっている緊縮からの衰退もまるで気にしてないってことなのか。もはや気にならないほど気持が萎えて揺るがなくなってしまっているのか。このままでは次は大阪城も売り飛ばされて金に換えられ、大学は潰され一部になり図書館美術館の類は消えて交通ですら安全が蔑ろにされるんじゃなかろーか。そこまでされても平気なのかな。今回の結果が即実現に向かうとは思いたくはないけれど、大阪都構想もこれで再燃していくことになるんだろー。そうした見えない敵と戦って仕事している風なアピールをしている傍らで、必要なことが行われないまま滅びていく。そんな状況が来るのかなあ。大阪に。そして遠からず全国に。やれやれ。


【4月6日】 映画を見たばかりでどこがどうイジられているのかを確かめようと「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部 波乱の第二楽章」の主に前編を読んで新1年生が入ってきた時、楽器が置いてある部屋にいた黄前久美子に会ったのは小日向夢で、先輩だと思い挨拶したけど気づいてもらえなかった話になっていたのが映画「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」では久石奏が神妙そうな顔で久美子と出会う場面になっていた。これで物語の中核に奏という存在があることが示された一方、夢は脇へと追いやられて物語には絡んでこなくなった。それでも画面をずっと見ていれば、麗奈の隣とかで吹く夢の姿が見えたかも。だからあと何回か観ないといけないなあ。

 みっちゃんこと鈴木美玲がキレたのはサンライズフェスティバルの現場じゃなくて、もうちょっと前の練習中でそこで鈴木さつきばかりが受け入れられる低音パートに居場所を無くした気になって、逃げ出すんだけれど小説ではやっぱり練習中の出来事。そりゃあの間際になって混乱を起こしたら他の部員だって迷惑だろう、出番だって近づいていたのに。でも練習のシーンで早くに帰るってのを入れているから、続けて練習中にキレるのを入れたら時間が足りなくなるってことでサンフェスとくっつけたんだろー。みっちゃんの面倒を見るように頼まれた奏が久美子に持ち出した代価として、剣崎梨々花から鎧塚みぞれのことを聞かれる場面があったんだけれどそれもカット。というか今度の劇場版は出てはいても梨々花ちゃんはモブに下がって希美もまったく絡まない。

 そういうキャラクターの取捨選択をすることで、「リズと青い鳥」分がないとはいっても1冊以上はある物語をまとめ上げた。石原立也監督が凄いのか脚本の花田十輝さんが素晴らしいのか。ってか花田さん、「リズと青い鳥」こそ手がけてないけど「ユーフォ」のシリーズに「ラブライブ!」のシリーズを手がけ「宇宙よりも遠い場所」のようなオリジナルも書いてと八面六臂の活躍ぶり。3月に開かれた東京アニメアワードフェスティバル2019のアワードで脚本の賞をとっていたのも頷ける。月永求に川島緑輝が直接コントラバスを弾いて上手さに納得させる場面もそういえば使ってなかったっけ。どういう演奏に求が感動したか聞きたかったけど、それで尺を取り絵も面戸ならばっさりと落としつつほのめかせる。そんな技も使われていたなあ。つまりは見どころたっぷりってことで、見ていない人は物語の結末を誰かに聞く前に映画館へと足を運ぼう。

 冗談でも政治家が、首相と副首相の地盤を結ぶ道路を作ろうとする動きを後押ししたような発言をしたらそれは利益の誘導を推奨するもので非難されるべきだろうし、その言葉が現実のものだったらなおいっそうの非難は避けられず国交副大臣の辞任はやむを得ない上に、半ば収賄にも似た振る舞いだとして関係者が処断されても不思議はない。でもそうした話にはいかず国交副大臣の冗談であって、その冗談がちょいキビしめだったから処罰されたといった流れに収まってしまうところにこの国の、悪事であってもなあなあで澄まされてしまう雰囲気がなお一層濃さを増している感じがありそう。これで首相も副首相も傷つかないで住んでしまう訳だし。でもそうした忖度を言わせる振る舞いをして来たって状況はやっぱり覚えておくべきだろう。そうすることが栄達に有利な状況があるってことだから。何という国だ。

 もしも「ショーン・オブ・ザ・デッド」の世界に無双なJKがいたらバッタバッタと切り伏せてはショーンたち一行をあっさりとパブまで運んだんじゃなかろーか。でもそれで一安心とはいかなかったからゾンビの扱いが落ち着いて平穏が戻った「ショーン・オブ・ザ・デッド」の世界に夢想のJKはいなくて良かったってことで。津田夕也さんによる「JK夢想1 終わる世界の救い方」(レジェンドノベルス)はある日突然に街にゾンビが溢れ出し、そして一方でJKすなわち女子高生の頭に声が響いて彼女は家にあった祖父の日本刀を手にとって、ゾンビを切り伏せその都度に与えられる能力だとかアイテムを手中に収めてだんだんと強くなっていく。

 存命な人たちを学校へと運びとりあえず安全地帯を確保しそれでまたスキルアップがあったりして、戦えば戦うほど、守れば守るほどに強くなっていく展開はいずれ俺TUEEEとなった女子高生の活躍に溜飲を下げる展開になるかと思ったら、ラストに大きなどんでん返しが待っていた。フェーズ1の終了に伴いゾンビはいっそう強くなり、そしてJKのようにスキルを持った者は殺し合いを仕向けられる。すなわちゾンビが現れ勇者が生まれ戦い成長してからリセットされるという展開を、誰かが一括して仕組んだということになる。いったい誰? ってところが物語の鍵となるのかどうか。神様の実験かオーバーロードの気まぐれか。SF的には後者であって欲しいけれど。JKが相手にする敵も現れ次にはフェーズ2の殺し合いが始まりそう。それが一段落付いたら何が起こる? ドラゴンとやらの出現は? 続きが楽しみ。

 「ポプテピピック」に東京藝術大学大学院映像学科アニメーション専攻の修了生がわんさかと登場してはインディペンデントな作り方で商業でも楽しめるアニメーションを提供してアートとコマーシャルの垣根をぶっ飛ばしていたりする状況下、テレビ東京で始まった「けだまのゴンじろー」というアニメーションのエンディングを同じく東京藝大院を出た見里朝希さんが手がけてフェルトによるストップモーションアニメーションを提供した。ちょうど修了作品の「マイリトルゴート」が世界各国の映画祭にエントリーされたり賞をもらったりして注目のアニメーション作家が、最新作を単独のオリジナルではなく商業作品のエンディングとしてキャラクターを使って作品を作る。凄いことかもしれない。

 それは才能が使い潰されているのかそれとも才能が広がる機会を与えられているのか。気にはなることだけれど作家性を残して作られたエンディングは、それは立派に作品だと言える。「モブサイコ100」のエンディングを「きつね憑き」の佐藤美代さんが、オイルペインティングでもってエンディングを手がけ称賛されたのと同じロジック。ここはだから素直に見里アニメーションの新作が登場したと見て讃えるのが良いんじゃなかろーか。きになるとしたら見里さんがフェルトによるストップモーション・アニメーションの達人と思われてしまうことか。毛玉だからフェルト素材のアニメーションはマッチするけれど、これがキャンディのようなキャラだったら「CANDY ZIP」のような素材で作っただろー。映像の目的にマッチした素材を選び仕上げるようにとTAAFで外国のプロデューサーから言われていた見里さん。それを思うなら惹句で素材を限定しないで欲しいと言っておく。次は何をどれで作るのかってところで覚悟も伺えるし。媒体放り出されてなかったら、そのあたり話を聞いてみたかったなあ。


【4月5日】 「ラブライブ!」のオフィシャルサイトが大変な目に遭っていて、ドメインが誰かの手に渡ってしまったらしく書き換えられては乗っ取ったぜ、そして艦これのシアとに転送するぜってメッセージが出るようになってしまった。ハッキングだのクラッキングだの無茶な操作をした訳ではなさそうで、担当者がもしかしたら更新だ何だと騙されて、渡してしまったら帰ってこなかったのかもしれない。その辺りの仕組みを良く知らないから何とも言えないんだけれど、それなりにバリューもあってアクセスも多いコンテンツのドメインが、まるっと乗っ取られてしまうおは前代未聞。まずは取り返すなりして状況を回復し、「ラブライブ!」というIPの価値を保った上で原因を探り再発を防ぐ必要があるだろー。でなければまた起こるだろーから。「けいおん!」のサイトが「BangDream」のサイトに変わるとか。それは流石に気づくか。

 初日には行かず2日目に行ってもう疲れたので3日目も遠慮したコンテンツ東京では、キャラクターとかトレードマークといったIPを展示して取り扱うライセンシングジャパンのコーナーがとてもとても大きくなっているように感じた。アニメーション制作会社こそ先だってのAnimeJapan2019にも出展していたから多くはなかったけれどもゲーム会社がいればキャラクターを持った企業がいて、そして横浜ベイスターズだとか阪神タイガースといったプロスポーツチームまでもがブースを構えて自分たちのIPを展開しようと頑張っていた。阪神なんかはこうしたイベントにも10年以上も前から出ているけれど、ベイスターズとかライオンズなんかも出始めたのは巨人にすがって放映権料で潤った時代ではもうなくて、個々に球団をIPとして稼いでいかなくちゃいけない時代、というよりそれで稼げる時代になったからだろー。

 こういう流れにはいずれBリーグなんかが続きそうで、千葉ジェッツとか栃木ブレックスとかいった人気チームがグッズを広く展開していくことで、より全国区になっていくんだろー。Jリーグのチームが見えなかったのはリーグがそうしたチームのIPを一括管理しているから、ってな理由でもあるのかな。浦和レッドダイヤモンズだって鹿島アントラーズだって自前で売れば売れそうな感じ。水戸ホーリーホックはそこにガルパンだって載せられる場合もあるから売れ行きも良いだろうけど、でもいなかったのは全国区よりも地域性が高くって、ライセンス展開に向かないとかが得ているからなのかもしれない。ユニークなところではボールのミカサなんかが出展していてボールとかそれを使ったバッグなんかを見せていた。見れば見るほどそうした動向をまとめて記事にして教えたくなるけれど、媒体を持たない浮薄の身にはいかんともしがたいのでここにこうして書いて教えることにする。これがマネタイズされれば仕事なんて探さないんだけれどなあ。というかこれが仕事か。乗り遅れたなあ。アキバBLOGにも虚構新聞にも。

 コンテンツ東京のコンテンツマーケティングEXPOには電子出版のボイジャーが出していたGaze−On高精細画像表示システムとゆーのが面白かった。パソコンとかタブレットに小さく表示してある画像をぐいっと広げると、何と億画素(6.5万×6.5万)まで伸ばせるようになっているんだとか。こういうのに良くある解像度の違う画像を切り替えシームレスに見える技術が使われているんだけれど、本当にスムースに大きくなっていくから面白い。小さいのを見せるのがサムネイルならこれはまさしく逆サムネイルといったところか。そんなボイジャーのGaze−On高精細画像表示システム、漫画原稿だと拡大するとフキダシの写植もホワイトの修正もカラーのタッチもくっきり見える。これで漫画原稿をアーカイブ化しておけば、塗りのタッチとか修正とかも含めて残せそう。

 萩尾望都さんとか竹宮恵子さんとか、自分の漫画原稿の行方を気にしていたし、そういう作家から明治大学の米沢嘉広記念館とかに漫画の原稿とか寄贈されていきそう。でもそのままでは見られないならいったんれで作っておいて、アーカイブとして利用するなんて使い身がありそう。伸ばせばくっきりと見える写植の痕跡にホワイト修正のペイント具合。あらら萩尾さん以外と少ないぞって分かりそう。著名漫画家の原稿のアーカイブ事業に採用とかされると面白くって、漫画家とか画家が画像販売サイトで見本をこれで作って細部まで見てもらえるようにする、というのも商業的な使い方としてありそう。個人が使えるならこれでいったん保存しつつ保管が難しくなった原稿は売っちゃうとか出来るじゃなかろーか。逆にこちらを電子書籍的に売ってマネタイズするとか。聡いとそういう商売をする人が出てくるかもしれないなあ。乗り遅れる僕はだから永久の無職に。やれやれ。

 山田尚子監督による長編アニメーション映画の「リズと青い鳥」が、武田綾乃による小説「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章』の裏、というと少しニュアンスが違うけれども小説の主旋律というよりは楽章のひとつであって全てを描いてはいなかった。それだからこそのあの濃密さで鎧塚みぞれと傘木希美との重なり合っているようで、ズレてもいたりする関係を描ききったと言えるのだけれどそれはやはり「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章』の全てではなかった。だったら、新しく公開となる「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」が小説『北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章」の全てかというと、少し違う。

 そこはやはり上下巻にわたる小説を2時間ない映画の中にまとめたのだから落ちた部分も当然にあるし、下巻の核となっている「リズと青い鳥」の部分も既に映画で見せているからと触れられてはいない。だったら慌ただしくダイジェストのように進んでいくのかというとそれも違って『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』は自分という存在を信じているようで信じ切れていない少女や少年が居場所を求め居心地を願いながらも居たたまれなさに怯えるのを諭し、導いて自分に自信をもたせ、居場所を与えようとする調和と成長の物語という部分が、くっきりと見えるようになっている。

 メインとなるのはもちろん黄前久美子で、『リズと青い鳥』では話に絡まずただ「リズと青い鳥」の旋律を高坂麗奈とともに吹いて刺激を与えるくらいだったけれど、こちらでは新しく低音パートに迎えた4人がそれぞれに癖があって関係にもギクシャクしたところが生まれてしまって、どうしようかと思い悩む場面が多く出てくる。そこには同級生よりは新1年生が絡むことが多くて、先輩たちを相手に自分を主張するのとは違ったあたふたとした姿を見せる。先輩でありながらも完璧ではない姿に最上級生とは違った立ち位置も伺えるといったところ。そんな久美子だからこそ居丈高でもなければ媚びるでもなくまっすぐに、久石奏であり鈴木美玲といった自分をどう扱ったら良いのか迷っている1年生たちの心を開いて感情をはき出させ、そして改めて仲間へと引き込むことが出来たのかもしれない。

 そんなところが主旋律となった映画は、それでもやっぱり全日本吹奏楽コンクールをクライマックスに持ってくる。どうなったのかは「リズと青い鳥」では明かされていないけれど、原作の「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章」を読めば結果は分かっている。その分、ドキドキ感は下がるけれども「リズと青い鳥」では部分だった演奏が、コンクールを舞台にフルに聴けるというのが今回のウリか。第三楽章のみぞれのオーボエに希美のフルート、そして伴奏のハープも完璧。なおかつ全体に調和のとれたドラマ性のある楽曲だったと分かるだろう。

 小説だったら諸々の段取りもある部分を削って結果だけさらりと見せる演出はなかなかに良い切れ味。そうしておいて鈴木美怜の葛藤や久石奏の自暴自棄をたっぷりと描いているところにも、それを見せようとした石原立也監督の取捨選択の巧みさを感じる。でもサンライズフェスティバルのところは感動の後だっただけにちょっぴり冗長に聞こえてしまったかも。胸とかに目が向く田中あすかのドラムメジャーではなく吉川優子のドラムメジャーで、曲も耳につく「ライディーン」ではなかったから。でもラテンな味で良い曲だった。何だろう。

 さて武田綾乃によってただいま原作小説の続きが書かれているようで、3年生となった黄前久美子や高坂麗奈による最後のコンクールに向けた物語が繰り広げられる。新たな1年生も入ってくるだろうし、それでやっぱり起きるオーディションへの葛藤も描かれるだろうと思うけど、そうした物語を相談所とは行ってられない立場で引っ張ることになる黄前久美子が何を思ってどう振る舞い、そして決断するかを見せてくれそう。結果はどうか。楽曲は。そんな興味とともに待った刊行を受けてさあ、映画だテレビでの最終章だと期待せずにはいられない。黒沢ともよも期待してたし。あるよね。あるはずだよね。作ってね。それまでは生きるから。地に這いつくばっても。


【4月4日】 やるかもしれないとは思っていたけど、本当にやるとはさすがはたつき監督。「趣味の12.1話」として先週で終わったはずの「ケムリクサ」の続きめいたエピソードを、放送と同じ時間くらいにアップしてはロスに飢えていた人たちの心にまさしく水をもたらした。「けものフレンズ」でも1週間後の同じ時間に12.1話を提供して何をやっているんだと驚かせたけど、それが後に勝手にやったんじゃないかといった憶測を呼んで悪者にされてしまうというか、悪者にされたから憶測混じりで語られてしまった。資本を動かしIPを動かすのに無許可なんてないだろうというのが心底の気持だけれど、悪者にされてしまうとその文脈からは外れない。だから今も原因のひとつにされている。

 そうした経験を踏まえてもなおやっている以上は「ケムリクサ」の12.1話はまがうことなき本物で、そしてサイドといった生優しいものではなく続きめいた展開を見せてくれている。消えたはずのりくにりょうにりょくの3人がしっかり意識を持って存在していて、逆さになったオニバスのような丸い葉みたいなところから垂れ下がる建物なんかを眺めている。存命であることを喜びはしゃいでいたところに現れたあれはワカバ? わかばならすでにりくにもりょうにもりょくにも会っているから気づくはず。そうでないならミドリを自ら伸ばして消えたワカバが復活してきた。これは驚いた。本物、ってことはないだろうからミドリに吸収されて消えたワカバが転写でもされて復活してきたってことだろうか。

 だったら、りんやりつやりなたちと旅をして赤い木を倒したわかばはいったい何者か。あれもワカバがミドリ化した中に残っていた記憶めいたものがりんたちの危機を察して飛び出して来たものなんじゃないのか。想像もいろいろと浮かぶけれど、そうしたことへの結論を言わないのがたつき監督流。あとはだから見た人たちがいろいろと想像をして設定を重ねていくしかないんだろう。そしてこれからの物語も。あの空間はりんたちがいる場所とは違うから、外に出られるかどうかがまずはひとつ。出たら出たで一緒に出て来たワカバがりりを復活させたいと願い、それには統合が必要だと訴えすでに人格をもったりんたちを消せないとわかばが憤って戦うとか。それだとりんたちはどっちの見方をするんだろう。6人はそれぞれにりりを持っている訳だし。めっさ気になる。だから続きをこの際是非に。まさか「ケムリクサ2」を降板させられるなんてことはないはずだから。

 逃亡のおそれも証拠隠滅の可能性も極力廃されたからこその保釈だったはずのカルロス・ゴーン氏が新たに浮上したらしい容疑でもって逮捕されるという不思議。それってもう取り調べが行われたい話じゃないのか。でもって立件に不向きだからと除けられたものじゃないのか。違うとしても保釈して立件も行ってなお調べて逮捕する必要があるとしたら、それは逮捕しなくてはならないという意志がどこかにあるからとしか思えない。そこに罪があれば暴いて罰するという目的に向けた司法としての手順は踏み間違ってはないかもしれないけれど、情動といった部分ではどこかにおかしさを感じざるを得ない一件。11日に会見をすると言っちゃったことが響いたかなあ。そこでペラペラ喋られたくないと。今回も勾留延長延長延長でさらに別件で再逮捕とかで株主総会まで閉じ込めておくのかも。どういう国だと世界が思うだろうなあ。すでに思われているか。やれやれだ。

 無職だけど情報をアップデートしないと老けるのでコンテンツ東京で落合陽一さん鈴木おさむさんとニューズピックスのCCOを務める佐々木紀彦さんの講演を聴く。まずは佐々木さんがコンテンツ黄金時代と題してコンテンツが自由になる、コンテンツにお金が集まる、コンテンツ人材がプロ化するといった話をして、コンテンツを自分で作り出せる人の優位性なんかを指摘する。既存のメディアは壁があって行き来がなかったけれど、これからはメディアを増やして繋げていくのが当たり前になるとも。一方でネットフリックスがテクノロジー投資の10倍をコンテンツに投資している実態を挙げて、コンテンツが求められ作られてく時代が到来し、その中でプロ化したコンテンツ人材が求められるといった話をする。

 すなわち脚本家であれプロデューサーであれ、IPを持つ才能の価値が飛躍的に高まると佐々木さん。そして魅力的な場所を作れば才能が集まるとも。そうした見解にとある新聞社はどうだろうと考えて、多くのアクセスを得たいならコンテンツを重視すべきでありながらも、現状の収支を整えるためにむしろコンテンツへを生み出せる人材への投資が縮小してたりするんじゃないかと実感を交えて思ったりする。まるで反対のその道がどこへ向かうかは分からないなあ。続いて次いで落合陽一さん。アンパンマンで遊んでる大人の動画が300万再生されてる話を出しつつ、それを子供が淡々と1日8回とか見てるけど大人には面白くない訳で、そうし動画への広告費は結局は使われない訳でそこにギャップを感じていたみたい。

 つまりはプロがちゃんと見られる動画を作って対象に向けて流せばもっと有意義になるってこと。とはいえ優秀な人材がいるテレビ局からの人材の流動化がない。そこを随分と気にしていた。だから鈴木さん佐々木さんとの対談になった時、もう極限まで時間を整えて番組を作っているテレビの人たちを挙げて落合陽一さんは、TVの番組製作スタッフは優秀だけれど時間芸術にとらわれているといった指摘から、その才能を活かせる場を用意するかいずれ出て行くだろうってな感じの話をしていた。今は福利厚生がしっかりしているけれど、変化があれば優秀な人は独立して良い映像コンテンツを作るようになる。それで3億円を稼ぐ人が3、40人は出てくる状況が訪れたら、テレビが王様の映像コンテンツの世界も変わりそう。そのためには最初の1人が出る必要がありそうだけれど。スタープロデューサー。いるかなあ。

 あとはやたらとEテレの番組の優秀者を話していた落合陽一さん。サブスクリプションで作れるからなんだろうけれど、それでもやっぱり凄い番組が並んでるからなあ。そして鈴木おさむさん。子供たちが気にしているものとしてYouTubeとTWICEのような韓流を挙げて、これらはどれもTVでやってないのを子供たちが好きだという状況を紹介し、顔を見せないでアニメ的な画像だけを見せる「すとぷり」の人気ぶりを紹介し、2.5次元が流行っているけど演劇プロパーからディスられているらしい話も紹介して、何かが代わっていることを示してた。あとは地上波がサイマルやれたら最高だとも。これは広告モデルが電波とネットじゃ違うから無理かなあ。

 その鈴木さん。能や狂言を吹き飛ばす歌舞伎が出て来て、それが今や伝統の中心にいるような過去の例を挙げつつ、2.5次元ミュージカルも人気になるし、映画も応援上映とかそこに行かなきゃ楽しめないイベント性が出てくるといった話をしてた。体裁とか伝統とかをかなぐり捨てて楽しめれば勝ちってことなんだろうね。これって音響監督の岩浪美和さんが、映画館ならではの楽しみを増やしたいと推進してる映画館の音響革命にも通じる話。そういう努力が映画というコンテンツを変えて森敢えて行くんだろう。

 とまあ、そんな感じに良い作り手が良いコンテンツを作りそれにお金がつき稼げると言うコンテンツ至上のような意見が聞けて、見かけの収支を整えるためにコンテンツを蔑ろにして平気な態度は未来に禍根を残すと思ったけれど、そんな当たり前すら通らない苦境にあるってことだとも理解しなくちゃいけなさそう。向こうには頑張って下さいと良いつつ悔しいから頑張らないでとも思いつつ、もはや関係のない身ならば自分が最良の古典津を出せるよう、頑張るしかないとも決意した。それでもやっぱり浮かぶ将来への不安。ネット系のニュースも年寄りはあまり必要としていないみたいだし、かといって残ってたってやっぱり必要とされてないならどこで食い扶持を稼ぐのか。宝くじがあたって遊んでいてもOKな立場から自分でサイトを立ち上げるのが1番か。それは夢だなあ。地道に転職活動、頑張ろう。

 「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」が原案になっている劇場アニメーション映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の声優陣が決まったそうで、誰かとみたら主人公は佐藤健さんで山田孝之さんがいて有村架純さん、波瑠さん、坂口健太郎さん、ケンドーコバヤシさん、安田顕さん、古田新太さん、松尾スズキさん、山寺宏一さん、井浦新さん、賀来千香子さん、吉田鋼太郎さんが出演の予定、ってプロフェッショナルな声優が山寺宏一さん1人しかいないことに大丈夫なのかと思いつつ、俳優だって演技者だから顔が出なくたって演技は出来るとも思っているので、とりあえず心配はしないことにする。有村架純さんも「思い出のマーニー」に出ていたし、まあ出来るでしょう。気になるのは佐藤健さんかなあ。そこは主役補正で気にせずに。


【4月3日】 ドリパスで上映行われた「カメラを止めるな!」と「ショーン・オブ・ザ・デッド」というゾンビ映画の変化球を2作続けて見る企画に参加。最初が「ショーン・オブ・ザ・デッド」ならそれだけ見て帰ろうかと思ったけれど、「カメラを止めるな!」だったので改めて見てやっぱり良くできた作品だなあと感心。冒頭の30分がどういう位置づけを持っているのか分かっていても、というかだからこそそこかしこの綻びめいた部分を、そうだよそうなんだよといった思いで味わえる。このあたり、真っ新の初見の時も奇妙だなあと感じていた部分で、後で答え合わせがあってやっぱりと思ったから、そう感じるようにわざと綻びさせているのかもいしれない。計算だった凄いし偶然だったらもっと凄い。

 そして続けてエドガー・ライト監督の「ショーン・オブ・ザ・デッド」。どーしてこれが「カメラを止めるな!」と一緒に上映されるかといえば、やっぱり剛速球のゾンビ映画ではないから。イギリスで何か得体の知れないことが起こって、一夜にして街に人を襲って食らう存在が跋扈し始めるんだけれど、主人公で家電販売店に勤めるショーンという男は、恋人をパブ以外の場所に食事に誘うような解消もなく、ルームメイトとして割と真っ当な生活をしているピートと、そして働かずゲームばかりしていて時々大麻を売ったりもするエドといっしょに一軒家に暮らしている。ピートはエドのその日暮らしのような態度が大嫌いだけれど、ショーンは親友らしいエドに面と向かって生活を改善するようには言えずに居る。

 そんな環境で起こった異変だけれど、自分の周囲で起こっているリズとの諍い、エドへの対応、母親が再婚した義父への態度といった関係をどうするかで頭がいっぱいなのか、元より周囲のことを気にするゆとりがないのか、前日とは打って変わって死体のようなのに歩き回る存在がいたり、誰かを襲ったり襲われたりしていることが目に入らない。テレビをつけても大変なことが起こっているというニュースに耳を傾けることなく、ガチャガチャとチャンネルを変えては何も起こってないような日々をそのまま凄そうとする。観客はちゃんと周りで何が起こっているのか分かっているのに、ひたすら無関心なショーンにそれこそ「志村後ろ」と言いたくなる。そんなおかしさが冒頭から漂う。

 ゾンビが問題だと分かってからも、気になるのは母親のことでありリズのことであって、2人を救って安全になればそれでOKといった結論から入って、途中の過程も結論のその先がどうなるかも考えないで突っ走る。そうした態度をエドも承認するかのようにして2人で突っ走っていくところに、人間はしょせんは自分ひとりなんだなあといった思いを抱く。そんな映画なのかもしれない。キャラクターの造形も絶妙で、ショーンは後先考えないようなところがあり、デービッドはあれやこれや考えすぎて行動が定まらず、そして動いてはドツボにはまって最後はゾンビに喰われてしまう。まともなのはリズくらい。それでもショーンに引っ張られパブまで行って大変な目に遭うところは、やっぱり完璧な人間なんていないし、いたら物語なんて成立しないってことの現れか。

 もう打つ手無しといったところからの大逆転めいた展開は、「ヒストリー機関」なるアニメーションで「投げっぱなしなんです」と言われたジャンルの映画にしてはしっかりしているというか、それだからこそロメロの「ゾンビ」に対するパロディにもなっているんだろう。これがどうして日本で劇場公開されることなく、埋もれてしまっていたのかは謎。やっぱり真正面からのゾンビ映画に対してパロディでは受けないと思われたのか。それがやっぱりど変化球だけれど錬られたシナリオの映画は面白いと知らしめた「カメラを止めるな!」のヒットによって見直され、ドリパスで取りあげられそしてTOHOシネマズでの上映に至った。映画って何が起こるか分からない。あの「ヒックとドラゴン」も新作がついに日本公開とか。ライカの「ボックストロール」も「クボ/KUBO 二本の弦の秘密」のヒットで公開された。支持し続けること。呼びかけ続けること。そして通うこと。それが良い結果をもたらすのなら頑張って通い続ける、貧乏でも。

 「ラフ∞絵」のニュースがいろいろなメディアに登場したんだけれど、圧倒的に多かったのが「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を描いた漫画家の秋本治さんをフィーチャーしたもので、ネームと呼ばれる漫画の下書きめいたものをいっぱい紹介している話を中心にして記事にしたり報道にしている。なるほどそれも凄い話なんだけれど、元をたどるならタツノコプロという場所に籍を置いたことがある天野喜孝さん、大河原邦男さん、高田明美さんとそして秋本治さんが、タツノコプロで演出を手がけスタジオぴえろ(現ぴえろ)を立ち上げアニメーションを作り続けた布川ゆうじさんが、4人の描くラフ絵を紹介したと思って始めたもの。そこにはアニメーション関係の絵を絵がく上でのメカでありキャラクターの思考過程めいたものが意識として中心にある気がする。

 漫画の下絵なりネームはだから傍流といった位置づけなんだけれど、4人を並べた時にやっぱり日本人が1番知っているのは秋本さんで、そして繰り出されているネームとか下書きの量も質もやっぱり凄いなら、そうした絵を創作の秘密として取りあげ、見てもらうことで自分がクリエイターになる時に何をすれば良いかを考えるきっかけにしてもらうのも、当然のことなのかもしれない。とはえいやっぱり大河原さん天野さん高田さんの作品が注目されないのは残念。高田さんなんてあの「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」の映画ポスターの下絵めいたものを出しているんだから。これはマニア垂涎にしてファン注目。「魔法の天使クリィミーマミ」と「機動警察パトレイバー」の間に挟まり壁の裏にあるから気づかれにくいので行ったら必ず見るように。打ちのめされます。

 どん底をのたうち回っている境遇から脱出する上で、お釈迦様から垂れ下げられる蜘蛛の糸になり得るかもと期待していた予定がやむを得ない事情で延期となり、おまけに外も寒いとあってこれは1日寝てくらす日にするしかないと、沈みながらもカクヨムで始めた日記の回顧をひたすら書いては積み足しつつ、一部を公開して世間にいろいろやって来たことをアピールする。それで何かある訳じゃないけれど、自分の仕事を振り返るきかっけにはなるかなあ。でも踏み外してばかりの道を後悔するばかりなんだよなあ。あの時決断していたら、とか。だったら今の決断を良い方に解釈すれば良いのに、そうはならないのが人間の心理って奴。だからこそ欲しかった蜘蛛の糸。いつか復活する時を希う。

 そんな怠惰な後昼下がりに春のセンバツ高校野球で愛知県の東邦高校が優勝を果たしたとのこと。バンビ坂本を擁して決勝まで行った1977年は印象にあるけれど、前に優勝した1989年の選抜では誰が活躍したか記憶にない。相手の上宮には元木大介がいて種田仁がいてとなかなかの布陣だった様子。それを破って優勝したなら凄いことだったはずなのに。平成に代わって最初の甲子園だったから慌ただしさの中で関心を抱けなかったのかも。そんな高校が今度は平成最後の選抜でも優勝をする。これが奇縁というやつか。あるいは運命か。例え元号が令和に代わっても、東邦高校は選抜の平成王として永遠に刻まれることだろう。そして令和で優勝できないという運命に? あるかもなあ、それが運命なら。


【4月2日】 植田益朗さんと河森正治さんがトークを繰り広げた「アニメ!マスマスホガラカ」から帰宅して眠ろうとして酷い寒気に襲われて、気温が下がっているのか体調が不思議になっているのか分からずすこし臆する。忙しかった時代に河森さんも自律神経失調症になって体温の調整がうまくいかず、夏でも分厚い革ジャンを着ていたとか。心が痛むと体も痛む。そこに至る過程で気づいて治せれば良いんだけれど、当面において心が晴れる要素が皆無なのが痛い。どうしたものか。垂れ下がってくる蜘蛛の糸も掴む前に着れてしまわないかと心配。そもそもそんな糸なんて来ているのか。だめだマイナススパイラルに入り込もうとしている。気分転換気分転換。

 という訳で「ポプテピピック新作SP」。声優さんがテレビとネットで違っているとか、そういうのは個人的にはどうでもよくって頑張ってますねとは思うものの、おなじ事の繰り返しでもあってそこに新味は覚えない。よほど意外なセレクトとかじゃないと、政治家とかプロレスラーとか。それも演技がヤバい感じになりそうでやらない方がましなのか。ちょっと迷う。むしろ「ポプテピピック」は新しいクリエイターの起用って奴で、前に例えば佐藤美代さんとか当真一茂さんと小野ハナさんによるUchuPeopleといった東京藝術大学大学院アニメーション専攻の修了者たちによるインディペンデントな作風での商業アニメにクロスオーバーの夢を見た。

 今回もポプ子とピピ美がぐにゃぐにゃになるクレイアニメで野田ゆり子さんが登場。つい最近の東京藝術大学大学院映像学科アニメーション専攻による第十期生終了作品展に「Where is my home?」を出していたばかりで、ただクレイでキャラクターを動かすだけでなく、自分だけが違うような場所にいて居たたまれない気持になったり、違う者がやって来て排除されて憤って出て行ったりするような展開を描いて差別といったものへのやるせない気持を表現していた。つまりはしっかりアニメーション作家を商業アニメのギャグアニメでクソアニメというパッケージの中で使う。これによって世に存在が知られ仕事も増えるかもしれない可能性は、別の系統樹にあって切り離されていたインディペンデント系なりアート系なり学生系のアニメーションに道を拓く。

 あるいは商業がインディペンデント系に認められる可能性。そうしたクロスオーバーを意図してやっているところに作っている神風動画の企みめいたものを感じる。いつか真意を聞いてみたいし、起用されたクリエイターがその後にどういった影響を受けたかを聞いてみたいけれど、そこは媒体を持っていない記者が無能だという現れで、いかんともしがたいのだった。今回なんてさらに「ズドラーストヴィチェ」「夜になった雪のはなし」の幸洋子さんも作品を寄せていたりした。

 いずれも「この世界の片隅に」の憲兵さんこと栩野幸知さんが声で出演している索引で、あちこちで賞もとっている。それでも知られていないクリエイターを「ポプテピピック」という看板の下から送り出す。きっと大きな影響が出るだろう。フル3DCGで登場の青山敏之さんは言わずと知れた伝説の「PROJECT WIVERN」の方で今さらな大物。冒頭のロボットアニメには大張正巳さんが参加してことぶきつかささんもキャラクターを描きそれを山元準一さんが作っていたりする。ベテランを集めつつインディペンデントからの俊英も混ぜたこの制作体制の破天荒さが、固まりがちなクリエイターへの評価をシャッフルして新しいクリエイターへの注目を増すことにつながるか。可能なら半年後にまたスペシャルを作ってそこに学生からと超ベテランをぶち込みとんでもないアニメを作って欲しいなあ。声も凝って。

 震えながら目が覚めた朝に「けものフレンズ2」の最終回。海底火山の噴火が巨大なセルリアンを生み出してそれが海から襲ってくるような仄めかしはいったいどこへ行ってしまったのか、ビーストと呼ばれる野生が解放され過ぎているようなフレンズはどうしてキュルルやサーバルやカラカルが訪れた海のホテルにかばんちゃんの船に乗ってやってきてセルリアン退治なんてことをしでかしたのか、なおかつそれで味方かとおもったらきっちりフレンズたちも襲いつつ自分ひとりが崩れるホテルの下敷きになって消えてしまうってことは知性があったのか、ただの偶然か、オオアルマジロとオオセンザンコウと声がどことなく似ているアライグマとフェネックが出てくる必然性としてアライさんが強かったりする意外性はどこから来たものか、なんて浮かぶさまざまな思いに対して何か答えがあるのかって考えた時、とりあえずそれがどうしたと理解するのが安心して1日を過ごす秘訣かもしれない。

 キュルルの絵を見てセルリアンが実体化するけれども思い入れの多寡でもって強さが変わるといった設定はだったらどうしてキュルルの描く絵にはそうした力があるのかといった問題へ解答を求めるけれど、そこに理由なんてものがあるのかどうかは分からない。キュルルは特別だから筆に力があるんだよ、フレンズ化した時に与えられた異能だよっていうなら他のフレンズにだって動物の常識を超えた異能が出なくちゃいけないし、そもそもが人を含めた動物ファーストな物語で、動物の常識を超えて異能が炸裂するような展開があって良いとも思えない。そうした理想の裏を行って予想不可能な展開を見せてくれたという意味で、「けものフレンズ2」は気になるアニメの1本にはなった、ってことなのかな。次はあるのか。それはどういう展開になるのか。次はそもそもセガのゲームアプリ「けものフレンズ3」なのか。劇場版「けものフレンズよ永遠に」が作られたりするのか。気になることがいっぱい。その意味でまだまだ楽しませてくれそう。「ケムリクサ」をぶつけられなかったらどういった反響を呼んでいたかなあ。

 「タブレットで絵を描く時代だが、鉛筆で描かれた躍動感がある力強い線を体感してもらいたい」と元ぴえろの社長でタツノコプロにもいてアニメのプロデュースをいっぱい手がけ、2日からアーツ千代田3331で始まった展覧会「ラフ∞絵」の実行委員長を務めている布川ゆうじさんがこう行って鉛筆描きの絵が持つパワーめいたものを仄めかせば、「機動警察パトレイバー」に「魔法の天使クリィミーマミ」のキャラクターデザインで知られる高田明美さんも、」「鉛筆は基本の画材。鉛筆と紙があれば絵が描けます。デジタル中心の人も、鉛筆を持って手に馴染ませていみてください」と話して鉛筆で絵を描く効能めいたものを指摘する。天野喜孝さんも鉛筆描きの絵を見てと話してた。やっぱり鉛筆描きはデジタルにペンで描かれた絵とは違うのか。気になった。

 鉛筆によって手で描かれた絵には魂がこもるとかパッションが感じられるというのはただの心理的な印象で、手描きの絵をタブレットで見ればそこにやっぱりパッションは感じたりするけれど、そうした見た目以上にたとえばアナログな線の逡巡めいたものには、人の心理から来るゆらぎみたいなものがあってそして試行錯誤の過程には良くしようといった描き手の思いが乗っていて、それらが見る人にタブレット上の整った線との違いを感じさせるのだろー。トップクリエイターがこぞって鉛筆の線を生で見る効能をうたっているのだからきっとそうに違いない。分からないけど。そんな「ラフ∞絵」では秋本治さんによる原画をトレスしたような動画が展示されていて、アニメーターとしても優秀だったんじゃないかと思わせた。そのまま続けていたら……でも展示してあるラフのどれからもキャラクターの魂めいたものが漂っているから、デザインではなく存在としてキャラクターを描き魂を込める漫画家として止まってはいられなかったかも。「ラフ∞絵」で見るべきコーナーでした。


【4月1日】 もしも辞めずに残っていたとして、異動があってまたく畑の違う場所で新年度を迎えたかもしれない可能性を考えて、そしてそれまでの部署に残留したとして、これまでのようにゲームであるとかアニメであるとか玩具であるとかエンターテインメントといった分野の記事を書いて、IGN JAPANに出稿するといったことも行えなくなっていただろうと考える。それでも昼間の間の居場所であり、年間で600万円相当の給料であり、交通費であり社会保険に健康保険といったものの補助は得られて月曜日から金曜日までを安泰に暮らしながら、土曜日曜を娯楽に当てて静かに暮らしていけた。あと数年は。あるいは定年まで。

 それで良いのかと問われて、良かったかもしれないといった気分が浮かぶのは、直面ちている宙ぶらりんの状態から来る不安の裏返しであって、ここに新しい岐路が開ければ、途端に安心に変わるだろうとは思うし、残った場合に果たして2年後があるのか、定年までの6年間があり得るのかといった問題が急浮上すれば、安心はしないでも間違いではなかったと安堵はできる。ただ、現時点で岐路が開ける気配が一向にないことが、不安に拍車をかけて今を居たたまれない気持にしていたりする。こればっかりは4月1日、すなわち本日より会社員という身分を外れ、剥き出しの状態に置かれた人間にはなかなか祓えない。ずっとそういう境遇で頑張ってきた人には、何て甘いんだろうと思われて当然で、情けなくもあってそれが気鬱に拍車をかける。

 どうしたいのかという目標もなく、何ができるのかといった技術もないのに無茶をしたと思い込めば、それがマイナススパイラルに入って気鬱を深化させかねない。そうならないためにも今、頼ってもらえていることをしっかりとこなして、次につなげていくしかないのだろー。月に1本の書評であっても、そこに存在を認めてもらっていると確信し、ここから何かを広げられる可能性を想像していく。そこにやりたいことを盛り込んで行ければなお結構だけれど、そういう場所があるかなあ。あることはあるけれど、今さらアラフィフのロートルなんていらないってのが最大のネックか。いっそすっぱりと切り捨てて、そして名古屋に戻って余生を過ごすというのもひとつの選択か。新年度早々、エイプリルフールの面白さが欠片もない夢想に苛まれながら迎えた新年度。そして新元号の発表日。

 沈んでいても仕方が無いと、どうにかこうにか起き出して渋谷へと向かってそこでタカラトミーが新元号を「人生ゲーム」に入れて号外として頒布するという場面を見物しようとする、そんな途中に発表になるかと思った新元号が、なかなか明らかにされない。そうこうするうちに地下鉄は渋谷駅に到着し、手にニコニコ生放送が写し出されたタブレットを持ってハチ公前の広場に降りて眺めていたら、ようやく菅官房長官が現れて、「令和」という新元号を発表した。印象はやっぱり「令」が「冷」と重なったり、命令の「令」とも重なって固そうに感じられたってことかなあ。

 もちろんその出展となった万葉集の詩歌が意味する令月は、めでたい月ということで冷たくもなければ固くもない。和の方は風の和らぎを意味する言葉からとられていて、全体にはおめでたくて柔らかい言葉でるのに、見た目で違う印象が浮かんでしまうところが漢字の怖さって奴だろーか。まあいずれ馴れるんだろうけれど。「平成」って見た時はなんか間が抜けたように感じたからなあ、その語幹から。そういうものだ。中国の漢籍からではなく日本の古典から取られたことについて言うなら、そんな古典を著した平安だとかの教養人の源流にあるのはやっぱり漢籍だから、孫のように影響は確実に及んでいると言える。けれども日本の古典だからと悦に入るから気持悪い。古代から伝わった学問の系譜を見ずして何が教養か。ここでしっかり意識しておかないと、漢籍の教養を失った世代の著作から語呂の良い語句を平気で選んで来るようになるぞ。それが怖い。そこまで元号が保つかというのは別にして。次代次々のその次とかさらに次とか、まずは継承が成されるかが気になるし。

 そんな「令和」という元号を、さっそく組み込んで商品化してしまったのがタカラトミー。平成版としてたくさんの「人生ゲーム」を発売してきたけれど、元号が変わるのに合わせて新しい「人生ゲーム」を「令和版」として発売することにして、それを一足早く、元号が発表になった瞬間にシールをつくって貼ることで作ってしまえってイベントを実施した。渋谷の109前に行くと、とりあえず「令和」という新元号を改めてパネルにして出して、それから午後に「人生ゲーム+令和版」というのを頒布するイベントを実施するとアナウンス。ならばとちょっとだけ外し、ファーストキッチンでワイルドロックという肉と肉で卵とか野菜が挟まれた糖質の低いハンバーガーを食らい、頼まれているインタビュー仕事のテープ起こしだけをやっつけて戻り整理券をもらって待つことしばらく。回ってきた順番でルーレットを回したけれども「令和」にとまらずもらえなかった。残念。

 まあ、もらっても家に置く場所はないし、転売とかもしたらいけないことになっているんで宝の持ち腐れになる可能性はあったから、外れて正解だったのかもしれないけれども一方で、無職化した日に発表された新元号がいち早く刻まれたアイテムであるといった意味で、人生においての記念になったかもしれないと思うとちょっぴり残念かもしれない。すぎに暮らしが立て直されて、不安もとれた時にもらっておいて良かったと思えるか。そうなる境遇に至れる道筋をだから早く整えないといけないんだろうなあ。太い手が差し伸べられる兆しはないのなら、こちらから腕をつかみに行くしかない。5月から真面目に考えよう。スーツは買ったからあとは頭を丸めるくらいか。今はまだちょっと寒いから遠慮。

 もしも残ってどこかに異動していたら行こうと思えたかどうなのか。夜の8時から渋谷のキャンプファイアで植田益朗さんという元はサンライズのプロデューサーで「ターンエーガンダム」だとか「銀河漂流バイファム」だとか「シティハンター」なんかを手がけた人がウエブラジオをやっていて、そこにバルキリーで有名な河森正治さんを招いて4月末からのシド・ミード展の話とか、5月末からスタートする「河森正治EXPO」の話なんかをするなかで、河森さんが昔関わりながらもボツとなった企画の資料がいっぱいみつかり、展示することになったという話が出た。

 監督が多忙で引っ込めざるを得なかったらしく、河森さんはマクロスに関わっていたから不興を買ったと思っていたら監督の多忙が下人だったと分かって胸のつかえがおりたとか。それこそ40年越しだなあ。どちらかといえばハードな至近未来が舞台だったその企画からいろいろ分岐する中で生まれてきたのが楽しいくて歌とか出る企画でそれが「マクロス」になったというからある意味で源流であり原因かも。そうした話を聞いて見ると「河森正治EXPO」も奥深いところまで見られるかも。ってすでに大量に資料がありすぎてどれを展示して良いか分からず、見ようとしたら何時間だってかかりそうだと思案顔。でもきっといっぱい出すんだ、それが河森さんという人だから。あのバルキリーのごく初期のペーパーモデルも展示とか。朽ちそうなのをどうするんだろう。展示中に塵になったらちょっと泣くかも。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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