Last Updated 2018/12/15
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
『機動戦艦ナデシコ』の空想科学設定や『星方武侠アウトロースター』のSF設定を手がけ『ニンジャバットマン』では設定考証を担当。あのジョージ・ルーカスも通った南カリフォルニア大学の大学院で映画を学んだ堺三保が満を持して自身の映画を撮ると決意しクラウドファンディングをスタート。『オービタルクリスマス』が描く軌道上の奇跡にきっとぼくたちは涙する。
【12月15日】 公開日に舞台挨拶のライブビューイング付きで見て以来、見に行けてなかった「続・終物語」をもう1回くらいは見ておきたいと池袋のHUMAXに出向いて鑑賞。地下にスクリーンがあったんだ。最前列の真ん中あたりに陣取って、お風呂から出てきた阿良々木火憐ちゃんのちょっぴり小さくなってしまったけれどもしかっり少女の裸体を観察し、一方ですっかり大人のボリュームを持った臥煙遠江を浴びるようにして観察して十分な元を取る。プラスして阿良々木月日ちゃんおこれもそれなりに少女となっている姿態と、あとは忍野扇を横から見たシルエットでの膨らみとかも確認。次に見るのはこれがバラされてテレビシリーズになった時で、当然にスクリーンサイズにはならないから大きい画面で浴びる感じを味わえるのは劇場しかない。ならばあと1度くらいは見ておくかどうするか。大きなテレビが欲しいけれど家では無理だからなあ。考えよう、残りの上映日数を気にしつつ。

 秋葉原へと回ってヘッドフォンとかイヤフォンの祭典こと「ポタフェス」を見物。アルティメットイヤーズのイヤホンのプラグとコードの境目がすれて剥き出しになってノイズが混じるようになっていたので、買い換えたいと思ってネットで評判になっていたfinalというブランドのE−3000というイヤホンを4000円で買う。普段は5000円はするそうだけれどそれでも1万円はしたアルティメットイヤーズに比べれば格安で、それでいてハイレゾ対応というマークが出ているところにきっと音の良さってのが現れているんだと想像はしたけれど、実際にiPadとかPCに指して音楽を聞いたらこれがなかなかに凄かった。

 これも別に使っていてプラグが歪んで音がうまくとれなくなっていたイヤフォンが低音を重視しているところもあって凄く迫力を感じていたんだけれど、それと比べて最初はちょっとフラットかなあと思ったら、聴いているうちにボーカルの粒立ちの良さに気付いて言葉がしっかりと聞き取れる凄さを感じてそして、周囲で鳴り響く音がそれでいてしっかりと聞こえてくるところに音の解像度の高さって奴を感じる。イヤフォンだけれど目をつぶれば音が鳴っている空間が見えるようなところもある。低音は低音として響き高音は高音として全体を引っ張る。これはなるほど高い評価を受ける訳だ。エイジングを重ねればなおいっしょういい音が鳴るそうなんでしばらくこれで聞き込もう。アニソンを。やっぱり? やっぱり。

 見どころはチライの丸い尻であり丸い乳。以上。と言って「ドラゴンボール超ブロリー」の感想を締めくくっても良いのだけれど、それだとあまりに譚的すぎるからもうちょっと足すなら仮にモンティ・オウムが全編でもアクションだけでも監督をしていたなら、もうちょっと見ていて驚きのアクションが見られたのではないかと思わないでもなかった。

 孫悟空とベジータとブロリーに途中フリーザも混じって繰り広げられる凍った大陸での戦闘では、ぶつかりあって差が出たらサイヤ人化するなり秘められた力が発動するなりして相手を交互に上回っていくといった繰り返し。相手の手を読み隙をついて攻撃をしてそれをかわして反撃をしてもやっぱり交わされるといった心理戦など皆無だし、技そのものにも一切の工夫はなくただ力と力で押し合え宇だけのアクションを、演出する方も描く方も演技する方もただただ大変だっただろうとねぎらいたい。

 プロレスだったてもうちょっと強弱があってメリハリがあってドラマがあってカタルシスがある。けれども「ドラゴンボール超ブロリー」のアクションシーンには力が力を上回ってそれがまた力に上回れるといった展開しかない。なるほどぶつかりあった挙げ句に砕ける山脈も割れる大陸も迫力だけれど、天変地異のレベルにまで達したそうした場所でいったブルマはどうして無事でいられたのかとか、思わないでもない一方で、指先から出したエネルギーひとつでベジータの星を砕いたフリーザが参戦をしてなお星のひとつも砕けずブロリーですら倒せない状況に激しい矛盾を感じる。

 それを言うなら星だって砕けるフリーザがベジータや悟空をライバル視していることすらおかしいのだけれど、そうしたところも含めて連続性よりはその場でのバトルに重きをおいたのだと見ることで心から迷いを追い出すことにする。それでもなおただ力と力がぶつかり合うだけの映像を、作って良しとする気分にはなれない。それが「ドラゴンボール」なんだ、すさまじい力の前には小技なんて無意味だからあとはただどちらが力を持っているかで決まるんだと言われればそれまでだけれど、だったら僕にはそんな「ドラゴンボール』のバトルは性に合わない。モンティ・オウムが工夫をこらしたバトルを散りばめ、今もそのエッセンスが継承されている「RWBY」のバトルを楽しむと言っておく。

 そんな「ドラゴンボール超ブロリー」だけに殺伐とした中にしっかりとみどころとしてチライという女性のキャラクターが配置され、まずはその胸で衆目をひきつけ丸いお尻を惜しげも無くスクリーンいっぱいにさらして気持を誘ってくれたことは有り難かった。というか出る度にそのお尻が強調されたレイアウトやらポージングになっているところに作り手側の、このガチな殴り合いと叫び合いだけの映画ではお客さんも困ってしまうといった判断があったようにも類推できる。さらに言うならそんなチライがフリーザ軍に属している一種の悪でありながらも、ブロリーという辺境で育て垂れ親の良いなりにされているキャラクターに同情し、助けようと動いてくれたことも殺伐とした展開に救いとなった。

 ブロリーの父親があっさりフリーザに殺されてしまう理不尽を、どうして悟空もベジータも咎めないのか、というかそもそも悟空にとってもベジータにとっても父母の敵じゃないかフリーザは。その悪逆非道を拳を交えて強さを確かめ合ったら気にしないなんてシチュエーションを見て観客がどう思うかといったところに、どうにも釈然としない気分が漂う。強ければそれで良い,戦えればそれで満足だなんてポリシーを子供たちにもって欲しくなかったら、あまり好んで見せないような気もしないでもない。そんな映画の中で優しさを見せてブロリーを救うチライの存在は、胸と丸い尻も含めてとても輝いていた。とてつもなく輝いていた。

 予告編でむくつけき筋肉男どもに混じってブルマともどもチラッと登場した女性キャラクターで、ショートヘアでもって丸い胸を見せつけつつ、ちょっぴり困ったような表情も見せてくれていた緑色の肌のキャラクターはいった誰なんだと気になったチライを、スクリーンの上で確認したくて見たようなところもあった「ドラゴンボール超ブロリー」は、そんな勘がまさしく当たった映画だったという訳で、これからまた見る機会があるとしてもやっぱりチライの丸い尻とか胸とかを最前列でガン見しながら今度は展開こそ単調ながらも激しくそしてどこまでも迫力たっぷり描かれたバトルシーンの作画の凄さを改めて味わうことにしたい。

 地域エゴだなんて生やさしいものではなく、明確に差別意識のカタマリだってことが見えてきた南青山における児童相談施設の建設を巡った地元からの反発の声。何か説明会があったみたいでそこに出ていた住人とやらが言うには「入所した子供が一歩外に出ると、そこには幸せな家族、着飾った人、おしゃれなカフェ。その場面と自分を見たときのギャップ。そんな状況が心配。子供のことを考えてほしい」とのこと。それってつまりは児童相談施設に入っていたり通っていたりするような人間は、おしゃれで幸せそうな場所に行っちゃいけないってことか、行くと心がザワついて悔しさにまみれるから近寄るなってことか。何という傲慢。何という差別意識。でも言ってる側はそれが親切だと思っているからなおいっそうタチが悪い。報じられることで批判され改めてくれれば良いけれど、そうはならずに幸せを壊すなと言い続けるんだろうなあ。そんな国になってしまっているのだから。やれやれ。


【12月14日】 「忍者文化の海外発信を目指して、活動する知事や国会議員らが忍者姿で総理大臣官邸を訪れましたが、本格的な忍者姿だったため忍んでいて気づかれずそなまま帰ってきました。総理大臣は完璧な忍びぶりに諜報や暗殺などの国際謀略で忍者を活用していく考えを示しました」。ってんなら分かるけど、例えばネイティブアメリカンのようにアイデンティティを保ちつつその存在を永劫に語り継がなくてはならない存在ではなく、もちろんアイヌのような民俗学的な紹介の必要すらない、単なる観光の具でしかない現代の忍者を文化として海外に発信したいとか、政治家も地方自治体もそして政府も、取り上げる順番が違っているだろうと思ったりもするこの一件。

 それよりは沖縄という地域のアイデンティティを破壊し尽くして海を土砂で埋めたりするような愚策を改めて、沖縄が沖縄として生きていけるような施策を整え経済も回るようにするのが先だけれど、自分たちにとって扱いやすい政治がそこに絡まないと動こうとしないのが今の政府って奴だから、媚びてくれる忍者にはいい顔をして必死になった沖縄県知事は袖にする。そんな無様を世界が見ていったい何を思うのか。そういった他者の視点を入れて恥じを知るという日本人としての美徳すら、もはや蹴飛ばしてやりたい放題になっているところにたががの外れっぷりも伺える。偲ばない派手な衣装の忍者を世界に広めて笑われていろ、って言えれば良いけど笑われるのは僕たちでもあるんだよなあ。参ったなあ。

 日本SF大賞の候補作が決定したそうで、ってそこにこっそりとなっていた日本SF作家クラブの会員として投票に関わってはいるんだけれど、世間的にはまったく知られておらず本業的にもまるで知られていなかったりするのでいったいどれだけの影響があったかは不明。それでも「けものフレンズ」的に気にはなっていた草野原々あんの「最初にして最後のアイドル」が入り、あとこれってどこがSFなんだろうと考えさせられるけれどもスッと切れた裂け目から深淵がのぞいたりする感じもある高山羽根子さん「オブジェクタム」も入っていて、業界としては若手と呼ばれる人たちの台頭にぐっと期待がかかる。「半分世界」の石川宗生さんもそうか。

 そこに絡む倉数茂さんの「名もなき王国」は果たしてSFとしてどういった評価が下るのか、「半分世界」と同様に世界文学的雰囲気を持ったフィクションでもあるだけに受賞したあとの広がりが気になる。そこにのっかる円城塔さんの「文字渦」はもはや文学といった枠組みすら超えたところに屹立するある種の実験。選考する人たちの常識が通じない相手をどう御するかが気に掛かる。でも期待はやっぱり山尾悠子さん「飛ぶ孔雀」か。過去よりどれだけの評判をSFの中で得てきたかを考えた時、今というのは遅すぎる感じすらあるけれども候補となることを潔しとしていたかどうかもあって、今回のノミネートに至ったのかもしれない。誰が受賞しても話題になりそうな今回に、ちょっとでも絡めたことは行幸か。でもやっぱりライトノベルから候補を出すことが僕の使命。「錆喰いビスコ」でも「86−エイティシックス−」でも入ってこないかなあ。僕がもっと喧伝すべきかなあ。

 まったくもってやれやれというか、とある自称するところの全国紙がNTTの社長にインタビューをして昨今いろいろと世間を騒がせているファーウェイの問題について、たとえば個人データを抜いているというのだったら子会社のNTTドコモが販売しているファーウェイの端末の取扱を止めるかもしれないといった話を聞き出している。まずもって意味不明というか、NTTドコモが取り扱っているファーウェイの端末に問題があるかないかなんて、世界のNTTドコモの技術があれば子細にわたって調べることも可能だろう。

 それがハードウェア的なものなのか、ソフトウェアに何か秘密があるのかってことも、NTTドコモの技術で調べられないとは思えないし、できなければそれはファーウェイに限らずすべての端末について出来ないってことで、Googleだってサムソンだってその端末が何かに利用されていないかどうかを確認する術もなくなる。それでどうして中国だけを問題視するのか。蓋然性として何か思うところがあったとしても、事実として問題を指摘できなければそれは憶測からの風説の流布として、ファーウェイ側から損害を求められても仕方が無い。それくらいに不用意な発言ってことになる。

 それを敢えて聞いてなおかつ引っ張り出して記事にする自称するとこの全国紙もまたポン酢に近いスタンスで、根拠もないのに噂になっているからといって聞くそのスタンスそのものが意図的であるし為にするものであって公正なジャーナリズムからはちょっと乖離している。そしてきっとそう答えるだろう言葉を引っ張ったか、それとも自説にポジティブに解釈したかでNTTがファーウェイを排除に動くかのような流れを作り出してしまった。

 これもまた同様に風説の流布の上乗せとしてファーウェイから訴えられる可能性もある。そこでNTTがいやいやそんなことは言ってないぞと逃げたら、フェイクだと言われて突っ込まれる可能性だってある中でいったい、どれだけの根拠でもってファーウェイ叩きを行っているのか。そして会社として一切ファーウェイの端末を使ってないと言えるのか。そんなあたりも気にさせる動き。でもこうした無根拠に中国を叩いて良しとする空気が蔓延している節もあるからなあ。同じ会社の記者がやっぱり根拠に乏しい中で書いた「目を覚ませ僕らの日本が中国に侵略されているぞ!」的な本を、その版元の編集者が紹介するというPR以外の何物でも無い文章が記事として掲載されてしまう。これもまた理性のたがが外れ、ジャーナリズムの公正性が崩壊している表れ。未来は明るくないなあ。

 笹本祐一さんの「ミニスカ宇宙海賊」が朝日ノベルズから版元を変えてKADOKAWAのノベルゼロから再刊される予定。ネットなんかに上がっていた表紙絵を見ると、ヒロインの加藤茉莉香が同じ松本則之さんのイラストながらもノベルズではシュッとしていたものが、文庫では若干等身が下がってロリっぽくなっているというか、可愛らしくなっているというか。それは判型が縦長からやや縮んだから、というよりはやっぱり世間がライトノベル的なレーベルに求めるヒロイン像に合わせて見た目を変えたってことになるのかな。

 過去にも賀東招二さんがきぬたさとしという別別名義で書いた「ドラグネット・ミラージュ」というシリーズが、ゼータ文庫からガガガ文庫へと移って「コップクラフト」とタイトルが変わった時、絵師も篠房六郎さんから村田蓮爾さんへと変わったけれどもそれでヒロインの印象もグラマラスなお姉さま的な風貌から姿態も含めてロリっ娘的な風貌へと大きく変えられてしまったから。説明としてやっぱりそっちの方が受けが良いということもあったらしいけれど、異世界の騎士であるといった設定からするならやっぱり篠房バージョンの方が原著には近かったような気がするなあ。ガガガ文庫からの刊行でそうした設定面でもやや異動があったみたいだけれど、「ミニスカ宇宙海賊」の場合はビジュアルに合わせて茉莉香の印象も変わるのかな、口調が舌っ足らずになるとか。それは流石にないか。とりあえず刊行を楽しみにしよう。よりライトノベルになる訳だし。


【12月13日】 Febriの2019年1月号、VOL.52が「若おかみは小学生!」を特集していて、中で木瀬さん一家に供された医食同源メニューが再現されてていったい幾らかかるんだろうと気になったけれど、おもてなしはプライスレスだから聞かぬが花、普通に泊まって食べた料金と同じなんだとここは理解しておこ−。普通は露天風呂プリンを再現しそうなものだけれど、すでにコラボメニューも出回っている状況でそれをやっても二番煎じになってしまうから避けたのは正解。敢えていうなら池月よりこちゃん家のワンランク上のあんみつセットが見て見たかったなあ、桜茶寮で再現してくれないかなあ。

 特集では原作の令状ヒロ子さんがメールによるインタビューに答えていて、昔見ていたアニメーションとして「デビルマン」を挙げていた。つまりはあの「デッビーーール!」と叫んで返信する緑色のデビルマンってことだけれど、子供には楽しいアニメーションだったから原作と違っていても気にしなーい、って意識が今もきっとあるんだろー。それは僕もだいたい同じ。あと令状さんが挙げていたのが「ルパン三世」でこれはどのルパンになるんだろう、ファーストなのか新なのか「カリオストロの城」なのか「VS複製人間」なのか。いろいろ会って種類によって趣味のタイプも分かれるけれど、見ていて楽しい作品だったら気にしない人なのかもしれない。最近はそれでも「DEVILMAN crybaby」を見て原作へのリスペクトが感じられたと言っているから間口は広そう。「転生したらスライムだった件」も挙げているし。楽しい。それが大事。

 Febriには藤津亮太さんによる「声優語」という声優さんへのとても濃いインタビューが連載されているのだけれど、1巻が出て2巻目が出ないらしという状況になっても続いたってことは、雑誌として掲載する価値を認識はしていたってことなんだろー。でもそれが単行本にまとまった時にあまり需要がないから出さないっていうのが、正直言って状況として理解できない。そこに書かれていることはとても有意義で、声優を目指すひとのみならず声優を仕事で起用する人、そして何かをクリエイトする人にとって金言至言に溢れている。だから単行本化して声優学校で教科書として配り演劇学校でテキストとして参照させるくらいになって不思議はないのに、一迅社ではもう出さないというんだからこれはやっぱり何かが間違っている。出版不況って奴なのかなあ。勿体ない。

 そんな声優語で今回登場したは三ツ矢雄二さん。言わずと知れた大ベテランで「六神合体ゴッドマーズ」のマーグであり「タッチ」の上杉達也であり「さすがの猿飛」の肉丸くんなんだけれど、元々は蜷川幸雄さんの舞台にも立っていたという演劇人。それがだんだんと声優の仕事を増やしていって今は声優さんを使う音響監督の仕事もされている。そんなベテランでも最初は勝手が分からず、野沢雅子さんに動き方なんかを教えてもらったらしい。それを次ぎに田中真弓さんに伝えていったといった伝統が、あってやぱり声優さんは成長してくるんだろう。現場にベテランがいる幸運、それが今の現場でどれだけあるかってところもまたひとつ、問題になっているんだろうけれど。

 面白かったのは、三ツ矢雄二さんが音響監督を引き受けるのは、現場に声優さんだけではない俳優さんから声に挑戦する人がいる時で、自身も俳優をやっていたことがあってそうした人が声優の現場で困らないようにしつつ、同じ声優さんを指導するのもおこがましいといった謙虚さで現場に臨んでいるらしい。そこはだから信念なんだろうなあ。あとこれは良い悪いではないといった言い方をしつつ、現場には今、「俳優」だと思える人とも「声優」だと思える人が現場に多いといったことを話していた。どっちがどっちとは言及してなくても、持ち出したってことはやっぱり含むところがあるんだろう。「俳優」としての意識があるかないかといった部分について。

 それは続けて語られている、現場で出演者の声が似ているといった話とも繋がっている。声優学校でそう教わったことをまんまやっているんだろうと理解は見せつつ、「平均値のところで割り切ってしまっている感じ」と言っている。そこを突破して得られる個性であり、長いキャリアを考えて欲しいしもので、三ツ矢雄二さんもプロデューサーなりディレクターが下手でもいいものを持っている人を起用して現場で育てていく必要性を話していた。育てる人によって好みが違うから、いろいろなタイプの声優さんが生まれてくるってことも。そうやって育てられた多様性がアニメを寛にすると思うんだけれど、1クールのアニメで育てている余裕なんてないとなるとそこは出来上がって平均点を求める連続になってしまうんだろう。どうしたものかなあ。どうしようもないのかなあ。

 いよいよか。「君の名は。」が日本の映画興行史で歴代2位となって現役ではトップのアニメーション監督になった新海誠さんの新作「天気の子」が2019年の7月19日に公開されると発表。やっぱりコミックス・ウェーブ・フィルムを拠点にしてスタジオジブリで作画をやっていた田村篤さんを作画監督に迎え、「言の葉の庭」であのリアルな都会と新宿御苑の雰囲気を描き出した滝口比呂志さんが美術監督を務めている映画は、これまでに負けず劣らず新海誠監督が思い描いた自然の空気感が出た映画になりそう。なにしろ天気を操作できるという女の子が登場するアニメーション映画。新海空を新海雲が流れ新海光が輝く中を少女と少年がいちゃいちゃするような映画が出来上がってくるだろー。それを見て僕たちはこうなりたいものだと嘆息しつつのめりこむのだ。

 そんな新海誠監督に先立って湯浅政明監督の「きみと、波に乗れたら」が6月21日に公開決定。こちらは東京国際映画祭でタイトルとか内容が発表になっていて、男性が海でサーファーの女性に出会うといった内容だった。自然が舞台のボーイ・ミーツ・ガール話って意味では「天気の子」とも重なりそうだけれど、コメディ要素も入るそうだし湯浅監督なんで絵柄もずいぶんと違うから、新海誠監督作品とは違ったそうに刺さって盛り上がることになるのかな。公開から1カ月で話題をさらわれる可能性もあるし、事前のアオリなんかもあるだろうから「天気の子」の話題がガンガンと出まくるだろう中でよくぞ1カ月前の公開選んだもの。それもまた自信って奴かなあ。賞レースがどっちに転ぶかが迷うところだけれど、そこに「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が加わったらいった何が起こるのか。2019年のアニメーション映画が今から楽しみで仕方が無い。

 アニメーションの出来がとても良いのでこれはやっぱり読んでおくかと実は手を出していなかった「転生したらスライムだった件」のアニメーションではこれから描かれることになる第3巻を読んでみる、っていうかアニメで第10話まで来ても2巻が終わってないとかどういう濃密さで作っているんだと驚いたというか。中身も確かに濃密で転生をしてスライムになっていろいろとあって魔物の王になったりして人間形にもなれるようになるといった展開が、ぎゅっとつまっているから解きほぐしてアニメにするのも大変だっただろう。あとはどこか淡々として積み上げられている感じで、なろうで日々の進捗を楽しんでいく読み方がマッチしている文体というか構成で、これをアニメにすると盛り上がりに欠けてしまう。そこを筆安一幸さんがメリハリをつけて構成したといったところか。シズさんとの離別にまるまる1回分を使うとか、良い判断だった気が。それだけにこれから描かれる驚天動地をアニメにするならどう咀嚼し取捨選択していくかに興味が向かう。さてはて。


【12月12日】 当たり前を当り前とは認めないで言い訳をして言い抜ける総理大臣を上に置いたこの国だからなのだろうか、当たり前のことを当たり前と認めないような振る舞いがそこかしこに溢れかえって、それが当たり前となってジグジグと日本に暮らす人たちの心を蝕んでいっているような気がしてならない。例えばどこかの大学で、入学試験に当たって女子は男子よりも早く成長するからコミュニケーション能力も高いといって、男子の将来の成長を見越してゲタを履かせることが平然と行われていたらしい。暴露されて指弾されているだけまだマシだけれど、そうした発想が出ること事態がとにかく異常過ぎる。

 12歳くらいだったら体格でも女子の方が上だったりする場合はあるけれど、18歳にもなればコミュニケーション能力に男女の差なんてあるはずもない。あるとしたらそれは女子はおしとやかないとかいった社会的な環境が招いた心理的な形成であってそれを生来のものとして採用してコミュニケーション能力の過多に応用するのが間違っている。女子の方がコミュニケーション能力が高いと思うのは、あるいは試験にあたるおっさん連中が女子にコミュニケーションを感じているだけなのかもしれないのに、そうした分析をした形跡もないあたりに真っ当な思考からかけ離れた発想がある。実際は男子をとりたい意図からの女子を排除する言い訳なんだろうけれど、そうした選別が現代において行われてしまうこと事態に、何か社会のたがが外れた状況が見て取れる。

 河野太郎外務大臣が記者会見でロシアとの関係がどうなるかを聞かれ、まったく答えず考えるそぶりすら見せずに「次の質問」と4度繰り返し振ったことも、そういう場面で何をどうすれば良いかという当たり前を実行できない知性の衰退ぶりが感じられてならない。外交にあたて外務大臣の発言が何か影響を与えるかもしれないから、言わずにおくという意見はなるほど間違ってはいないけれど、そうした条件をクリアしつつその場をしっかりと収めてのける言葉を探そうと思えば探せるだろう。たとえ木で鼻を括ったような菅官房長官の「それには当たらない」でも、まだ返事をしようといった意識はある。まあ誉められたものではないけれど、そうした態度にも及ばない外務大臣の返答を、東京新聞のk記者に対する菅官房長官の暴言はスルーする新聞社なりでも、認められなかったってことだろー。

 とはいえ、自分がそうと思えばそうなんだという思考の硬直が見える現代、界隈の賛辞に励まされて自分は正しいと思い込んで変えずにいく可能性も多々。そんな態度を任命権者の総理大臣が糺して排除するならまだ、将来に可能性は抱けるけれども少なくない人数の海外から技術を学びに来た労働者の人たちが日本でなくなっているという指摘を受けても、自分が知っているものではないからとお悔やみの一つも延べず、返答を拒絶しては薄笑いを浮かべていたという総理大臣では、大臣の不備を糺すなんてことはできないし、むしろ“お手本”となって暴言をリードしていくだけだろー。そんなことをすれば辞任は必至だったのも過去の話。当たり前が通用しなくなったこの国で、暴言はスルーされ暴政が繰り出されてそして国民は地に這うのだった。参ったなあ。本当に参ったなあ。

 ラレコさんの監督でサンリオのキャラクターを動かしたアニメーション「アグレッシブ烈子」のクリスマススペシャルがNetflixで12月20日から全世界同時配信されるというニュースを受けて、全世界で予告編が公開されたんだけれどその視聴回数を比べてみて、日本発のアニメーションであるにも関わらず海外での反応が圧倒的なことに気付く。アップから1晩明があけて確かめた予告編の視聴回数は、アメリカが4万視聴でブラジルが1万1000なのに対して日本はわずかに2300。これはドイツの2200と大して変わらない。というか遠くドイツですら2200もあるということが驚きだったりする。中身はまったく日本の会社で働くOLの、上司からの理不尽なパワハラや同僚からの圧力にストレスを覚え、カラオケで鬱憤を晴らすという実に日本的な会社あるある話なのに。

 それが日本よりも海外で大受けしているというのがずっと謎になっていて、それでも結果として海外で受けていることが今回の視聴回数で改めて示されてしまった。もはやNetflixだからといって日本とアメリカでユーザー数が10倍も違うなんてことはないだろう。ブラジルとだって5倍の差があるとは思えない。にも関わらず日本はアメリカの20分の1程度。どうしてなんだろう。やっぱり日本人にとって日本の会社あるあるは身に迫りすぎて耐えられないのだろうか。そもそもがNetflixXでアニメーションを見るという習慣がないんだろうか。そこがちょっと分からない。

 「転生したらスライムだった件」とか一気見したりして堪能したように、Netflix上でオタク層向けのアニメーションを見ている人は結構居そうだけれど、それはやっぱりオタク向けであって一般層が見て生じるボリュームとはケタが違う。なだからなかんかあムーブメントとして可視化されない。対してアメリカでは、あるいは海外ではオタクではない一般層が見て楽しいアニメってことで「アグレッシブ烈子」こと「Aggretsuko」を受容しているのかもしれない。

 とはいえ日本発の何かが海外で大受けしていることを“日本スゴイ”と持ち上げるメディアが、飛びついて不思議はないネタなのにそうした動きが欠片もないのは、やっぱり単純に存在を気付かれていないだけなのかもしれない。今時のメディアの情報収集能力の弱体ぶりったらないからなあ。受けているものしか受けないとでも考えているような。安心に乗っかるデフレスパイラルが蔓延して衰退する日本の旧来のメディアに対して新興メディアががっちりユーザーの心を掴んで伸びていく。そんな現象の一端なのかも。それでもやっぱり少なすぎる日本の「アグレッシブ烈子」ファン。どうしたら爆発するかなあ。月9での実写ドラマ化かなあ、ってそれはさすがに無理か。

 もう放送も配信もないんじゃないかと諦めていた「けものフレンズ」がニコニコ生放送にて全12話を一挙配信。近く出るブルーレイボックスの宣伝なんかも兼ねた配信って可能性もあるから、このシリーズにまとわりついたわだかまりが解けたってことは多分ないだろうし、解けていたらそもそもがあのビジュアルでの第2期なんてなかっただろうとも思わないでもないけれど、それでも1年以上、音沙汰がなかった放送なり配信が行われたって事実をここは前向きに受け止め、IPとしてしっかりと意識しているんだと思うことにする。日本テレビ版「ドラえもん」のように封印されるなんてことはないと信じたい。しかし見れば冒頭から涙涙。どこに落ち着くかが分かっていても、というか分かっているからこそ浮かぶ感動と感涙。それでも見てしまうってところに「けものフレンズ」が持つ作品としての力があるんだろう。美術も作画も完璧で音楽も素晴らしい。総合力として2010年代でもベストのアニメーションと、もはや言っても良いんじゃないかなあ。絶対に。絶対に。


【12月11日】 録画してある秋アニメを一気に見るシリーズとして「転生したらスライムだった件」をざっと見てそして最新話。なるほど現世からの転生にあたって様々なチート的能力が付与されつつもスライムという形となり、記憶も保持したままで生まれ変わった先がどこかの洞窟の中。そこで暴風竜ヴェルドラと出会い300年を寂しく過ごした暴風竜の友だちになりつつ魔素をため込みスキルを活かしてヴェルドラを結界ごと飲み込んでは外に出て、膨大な魔素とか治療薬とかをはき出しながら近隣をまずはゴブリンから平定し、ウルフも組み入れ集落を作ろうとして人出が足らずドワーフの街へと出向いて行って一悶着。でも無事に外に出てはだんだんと居場所を定めていくといった展開が、割としっかり段取りを踏んで描かれている感じ。

 名前を持ったゴブリンですらかなわないウルフをあっさり威圧し服従させ、そしてドワーフの街でも絡んできた人間をあっさりあしらうあたりに異世界転生・俺TUEEE物の片鱗も見えるけれどもそんな力に頼ることなく集落を気付き衣食住を整え近隣を着実に治めていくところにあまり他にはない堅実さが伺えて、見ていて唖然呆然とはならない。それでいて勝つところはしっかりと勝つカタルシスも得られるところに人気の理由があるのかな。シズの体を取り入れたことで人間形にも変身できるようになったけれども、そのまま真似ず忠誠にしておくのはシズへの配慮か童貞故の恥ずかしさか。まあその方が見ていて可愛いから良いんだけれど。

 魔王に虐げられた存在だったシズの心残りを解消するという目的を得つつ、現れたオーガー族を相手に最初は戦いつつやがて和解し、名前を与えたらこれが人間みたいに変化した、っていうのは人間至上な雰囲気もあってちょっと寂しいけれども一方で、シオンみたいに秘書っぽい姿になってくれるとこれはもう目に薬。そんなオーガー族を従えゴブタも入れつつオーク族との戦いをこなして以降、魔王の登場とかシズの教え子たちとの対峙とかもあるから先はまだまだ長そう。シーズン1としてとりあえずオークとの戦いまでを描くのか、2クールを一気に行くのか、知らないけれどもこれはなかなかに良くできたアニメーションかもしれない。マイクロマガジンのなろう系ノベルズでほとんど唯一のベストセラーがアニメになっても良質とは、運が良いのかプロデュースが冴えたのか。原作へのリスペクトもあるのかも。こういう幸せな座組がいつも続いてくれると良いんだけれど。ライトノベルのアニメ化って当りもあれば外れもあるから。それで原作が蔑ろにされてしまってはやっぱり勿体ないし。

 シーズン2までまだ3カ月以上はあってちょっぴり飢えも出ていたところに最高のプレゼント。Netflixで配信されている「アグレッシブ烈子」のクリスマススペシャルが作られては12月20日からNetflixで全世界に向けて配信されることになったみたい。すでに予告映像も流されていて烈子が可愛らしく登場するものの灰田はやけ酒めいているしトン部長は小宮係長をトナカイにしてサンタ姿で疾走と、めちゃくちゃな展開が予感されそう。ゴリ部長と鷲美は烈子とカラオケで仲良くやってはいても、そこはやっぱり1人になればいつものあれ、デスボイスによるデスメタルを叫んでくれるだろう。今回はアメリカのパンクロックバンドのボーカルがクリスマスソングを歌って参加。そこまでの作品になっていたんだなあとあらためて実感。本番が楽しみ。Netflixに入っていて良かったなあ。

 月刊ニュータイプの2019年1月号を読んで「破烈の人形」の様変わりぶりにじっと手を見たけれどもそれならバッシュのダッカス化の方がすでにとてつもなく様変わっていたので気を持ち直す。そんなニュータイプでは「平成とアニメ」という連載企画でフライングドッグの佐々木史朗さんが登場して、アニソンを配信しているサブスクリプションのアニュータについて話している。曰く「今は日本とアメリカ、中国に配信を始めているんですけど、日本でそういうことができるのはアニメしかありません。SpotifyやAppleと違って日本のプラットフォームが海外で配信事業をしようなんて思う人はいないわけです」。日本が誇るアニソンならプラットフォームを新たに立ててもちゃんと聞いてもらえるといった認識が感じられる。

 それは確かにそうではあるけれど、でもやっぱり浸透までには時間がかかる。そうなる間に例えばSpotifyでありApple MusicでありAmazon Prime Musicといったところでアニソンを配信すれば、それこそ世界規模でいるリスナーに届く可能性があったりするからもっとどんどんSpotifyなんかに出せばいいのにといった声を聞く。そうすべきなのにアニソンレーベルの内輪な事情でアニュータに寄せて外に出さないから、視聴者としては機会を損失しているし、それでクリエイターの方もむざむざ機会を失っているといった声もある。それももちろん一面としてあるだろう。一方で多々あるジャンルの中の片隅にアニソンを置いたところでどれだけ見てもらえるのか、それなら専用の配信プラットフォームの方がついでではなく積極的に利用してくれるだろうといった思いもあるのかおしれない。正解がどれとは言い切れないけど、個人的にはやっぱりSpotifyとかPrime Musicで聞けたら嬉しいなあ。まあ基本はCDなんだけれど。あれは一種のグッズだから。

 佐々木さんはアニソンの世界での受け方についても話をしていて、フライングドッグの親会社にあたるビクターでは20年から30年といったところをサザンオールスターズやSMAPに支えてもらっていた。でも欧米ではサザンよりSMAPより菅野よう子さんお方が知名度が高いし、坂本真綾さんやMay’nも海外で広く知られている。そうした人気がだったら国内でSMAPやサザンを追い抜くことはまずないだろうから、たとえSMAPやサザンが菅野よう子さんほど海外で売れなくても、下に見る必要なんてまったくなくむしろやっぱり支え続けてくれている存在を讃えつつ、一方で少子化もあって国内市場がこれからシュリンクしていくだろう中、海外でのビジネスを意識したときに菅野よう子さんでありアニソンといったものをもっと重視すべきといった味方は成り立つ。そのためのプラットフォームがアニュータなんだろうけれど、でもやっぱりもっと一気に広げる必要があるかなあ。番組配信も膨らんでいる今ならなおのことリアルタイムで発信しないと。やれているのかな。調べてみよう。

 もうそれは物書きとして守るべき矜持なんてものの不在を明確に表明しているようなもので、1刷りにあった多大なミスをたいしたミスとは思っておらず、それでいて増刷の差異に修正すれば良いだろうと嘯くのは自分が世に問うた作品に対する無責任を絵に描いたような態度であって、決して許されるものではないし自分が自分を許したとしても、そうした間違いをつかまされた読者は絶対に許してはならない。というか普通は許せるものじゃないだろう、あとで修正する程の間違いああるいわば欠陥品を掴まされた訳だから。そしてそれを交換もせずに報知するというのだから。消費者生活センターだったら回収から交換を命じそうな事態であり、普通の真っ当な出版社だったら即座に回収して交換なりを行うものを、間違いがあったことを恥もしないで修正してもらってありがとうと嘯く書き手も、そうした態度を追認する出版社もどこかやっぱり季が違っているということなのかもしれない。そんな人たちに群がる信者がいることも奇妙奇天烈。モラルが崩壊して目的のためにはフェイクでも追認する世の中が広がったってことかなあ。参ったなあ。


【12月10日】 例えば北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が完成したデパートを視察するというのは、国の指導者として新しい施設を見て働いている人を激励しつつ、北朝鮮という国がこういう状況にあることを世界に発信する上で重要な振る舞いであって、そうした行為を報道することもまた北朝鮮の現在地を紹介するという意義があり、またそうしたプロパガンダの先頭に立つ人間なんだといった金正恩委員長のキャラクターを世界に知ってもらうという意味もある。つまりはとても重要な報道だと言える。

 一方で日本の総理大臣が、近所にあるデパートに買い物に行ったという話は、まさしくそれがどうしたといったレベルであって、報じる価値など微塵もない。それならもっと重要な総理大臣が誰とあって何を話したかを、子細にわたって伝えるべきだろう。だから日本の総理大臣が渋谷にある百貨店で買い物をしたという、ただそれだけの話はニュース価値として北朝鮮の金正恩委員長のデパート視察に遠く及ばないものであるにも関わらず、それを嬉々として報じるメディアが日本に存在することを、国民は絶望した方が良いのかも知れない。

 これが例えば導入され始めたpaypayを使ってみたとか、もはや死後のプレミアムフライデー活性化に乗り出したとかいった話だったら、報道する意味がまだあったかもしれないけれど、デパートでゴルフ関連の買い物をしただけの話を、写真付きでニュースにしてしまって恥じない人たちが、メディアに存在して特に呆れられもせず、もしかしたら歓待すらされているかもしれない状況が将来、総理大臣のあらゆる振る舞いを嬉々として報じて礼賛する状況へと至るかも知れないと、そんな可能性を思った時、ただただ絶望しか浮かばない。同時に、そうした話を取材させた総理大臣の側に潜む、自分の振る舞いへの礼賛を期待する気分も、この国をとてつもない方向へと導きかねない。すでにそうなっていると言えそうだけれど、改めてヤバさが浮かぶ一件。参ったなあ。本当に参ったなあ。

 石田祐康監督による長編アニメーション映画「ペンギン・ハイウェイ」のパッケージ販売に当たって、店舗別の特典なんかが明らかにされているけれど、ざっと見た限りではLoppi・HMVの圧勝といった感じ。ペンギンに運ばれるおねえさんの線画が描かれたパスケースもまあ捨てがたいけれど、Loppi・HMVがつけるのはおねえさんとアオヤマ君が海辺の砂浜を歩くといったイラスト。これは泣ける。本当に泣けるシチュエーション。2人でいっしょに海を見に行こうとして、訳あってかなわなかった切なさがあり、そして永遠にかなわないかもしれないと思わせる苦さを感じさせつつ、それでも頑張っていつかたどり着いて欲しいと祈らせる。そんなパワーがそのイラストがある。机に飾ってながめながら、アオヤマ君が一生懸命に勉強をしてどこかにいるだろうおねえさんにたどりつき、海辺を歩く様を見たいなあ。スピンオフめいた短編のアニメーションにしてくれないかなあ。

 新宿にある角川シネマのアニメーション専用劇場への転換は前々から出ていた話だけれど、いよいよスケジュールに乗って来て館名も「EJアニメシアター新宿」に決定したとか。過去に秋葉原で映画専用劇場がオープンしながら、平日の昼間に来る客もないため数カ月で閉鎖となった記憶もあるだけに、そうした平日昼間に客となる高齢者を相手にしない映画館で大丈夫なのかと思わないでもないけれど、今はアニメーションは平日に客となる高齢者も見るものとなっていたりもするから、もしかしたら大丈夫なのかもしれない。それこそ1980年代に劇場でかかったガンダムだのマクロスだのロックだの幻魔だのザブングルだのルパンだのを上映すれば、観に来る感覚もいるのかもしれないなあ。

 とはいえ、DVDなんかで持っている作品をわざわざ劇場に見に行く客も限られそうな気もするだけに、やっぱりセンシャラウンドに代表されるような音響面なりで映画館に足を運ぶ気にさせる必要があるのかも。とはいえ、EJアニメシアター新宿のスケジュールを見ると、当初はパッケージ化されていない「花の詩女 ゴティックメード」だけれどその後はテレビアニメ「メイドインアビス」の総集編だし、その後は他でも上映がありそうな「幼女戦記」の劇場版では、あまりアドバンテージを得られない気がしないでもない。総集編なんて本編がネットで見られる状況で誰が行く? そう考えるといつか「ゴティックメード」の専用劇場になっていたりするのかもしれない。週に1回くらい永野護さんが現れたら通うかもしれないなあ。ファティマ姿の永野さんだったら話題沸騰だなあ。

 ICAF2016に作品が出品されていたということは、2016年にはすでに卒業をして就職をしていたってことになるのかな。日本大学芸術学部から出品されていた「私はワタシ」という短編アニメーション作品を見て、ADHDの子供が自分に対する偏見に歯がゆさを覚えながら乗りこえていこうとするストーリーに、多様性への優しい視線を感じたって、そんな記憶がある。そんなアニメーションを手がけた松實航さんは、大学で教えていた片渕須直監督によれば東映アニメーションに進んだとかで、ICAF2016が開催された2016年にはすでに働き始めていたんだろう。

 2018年はだから就職3年目に当たるけれど、その年の4月から始まった「ゲゲゲの鬼太郎」で使われた第1クールと第2クールのエンディングアニメーションで、松實さんは何と絵コンテと演出を担当していたらしい。「月刊アニメージュ」の2019年1月号で、データ原口さんと道原しょう子さんが「ゲゲゲの鬼太郎」のエンディングを解説する記事を担当していて、そこで第3クールのエンディングを手がけた谷田部透湖さんの凄まじいまでの水木しげるフリークぶりを紹介しつつ、第1クールと第2クールを手がけた松實さんも取り上げている。

 読むと「ゲゲゲの鬼太郎」の第1話の演出助手に入っていた時、エンディングの曲を聴いてアイドル曲なんだけれどこれに自分で絵をつけてみたいと感じたそうで、誰からも頼まれもしないで絵コンテを描いて監督に見せに行ったという。それが入れられて担当し、以後も各話演出にも助手として参加続けている松實さん。遠からず演出も担当しそうな雰囲気。3年目の若手であっても才能があれば起用するアニメーションの現場とはいえ、そこで才能を自らアピールして仕事につなげるアクティブさが、世に出る上でやっぱり必要なのかもしれない。そういえば今千秋監督も、制作時代に演出家になりたくて、勝手に絵コンテを描いて演出家に見せに行ったとか。才能も必要だけれど努力もそしてひたむきさも必要。それらが揃えば道は開ける。ちょっとだけ勇気をもらった。死ぬまでにまだきっと相当に時間もあるだろうし、自分も何か頑張って見るかなあ。

 手取りがラグビーの1チーム程度では、ひとり暮らしの僕と違って家族がいて子供が進学期で夏と冬は増額のローン組んでいる人は即死してしまうだろうなあ。かといって毎月から回す訳にはいかず、そして次の夏に倍になるなんて可能性は皆無だと、どこかから借りてきて埋めなければデフォルトは必至で、なおかつ借りても返す当てはないといった袋小路。そんな状況にいったい誰がしたと叫んだところで、知らぬ顔して逃げ切りそうな人たちに向ける怒りが災いを呼ばなければ良いけれど。次はサッカーまで下がるか、一気に野球からバレーボールくらいまで下がってしまうのか。そこまで保たない? それが1番ある話。やれやれだ。


【12月9日】 神様だからといって全能ではないし全知でもない。自分が作り出した世界にクラス人たちを自分の思い通りに動かしたりはできないし、どこに何があるか把握もできないからグリッドマンがどこにいるかも分からない。そして世界を作って思い通りにできる力を妙な宇宙人に利用でもされているのかどんどんと悪い方向へと誘われては世界を混沌へと向かわせてしまう。「SSS.GRIDMAN」の最新話で新条アカネは思い通りにならない世界に心を荒れさせさまよい適当な怪獣を作った挙げ句、自分の知らない内面を怪獣化させられてしまう。それが暴れてグリッドマンを倒すかに見えたとき、アンチが怪獣からグリッドナイトへと変身してグリッドマンを助ける。

 もう訳が分からないのは響裕太らグリッドマン同盟だけでなく新条アカネも同様だっただろう。いったい何が起こっているか分からない状況の中、実はお隣だった宝多六花のジャンク屋に新条アカネが現れグリッドマンの正体とはちょっと違った響裕太を買ったナイフで刺してしまう。死んだか? 死んではないだろうけれどもリアルに起こった事件がどんな進展をもたらすかが次週のポイント。そしてグリッドマンと新世紀中学生はどこから来たのか、どうしてそこに来たのかも。アレクシスの目的と正体と力の及ぶ範囲も見えない状況下、手探りにように進む展開がとても良い。オリジナルはやっぱりこうじゃなくっちゃね。加えて原作なりウルトラへのリスペクトを掘り返す楽しみもある訳だし、やっぱり今秋アニメの最強かなあ、「SSSS.GRIDMAN」は。

 ようやくテレビアニメの「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」を最初とそれから途中あたりを観る。観測による異常な事態の実体化といった量子論的な設定を組み込み青春にありがちな不安定な心理がもたらす奇妙な出来事を描いていくといった設定で、最初は子役から人気女優になりつつあったヒロインが逃げたいといった心理を爆発させて自分を誰からも見えなくしてしまったのを、出会った梓川咲太が引き戻していくといった展開で以後、咲太を中心にして周囲の人たちが罹る青春症候群とやらの症例と解決を通して、青春の悩みの解消といったストーリーが紡がれていく、といった感じか。

 それは青春の悩みにぶち当たっている思春期バリバリな世代にきっとビビッドに来る話で、ちょっとばかり咲太がイケメン過ぎるけれども一方で不当な噂も流され敬遠されているといったマイナスポイントもつけてあるから嫉妬めいた感情をまねかず、共感の範疇においておける。そしてとことん親切なところで自分にはない立派さを覚えて嫌わず慕っていけるのだ。自身の何やら事情を抱えている様子で、それがあるいは青春症候群にどっぷり巻き込まれることなく観察者的な立場を保てる理由になっているのかな。そこも含めてきっと劇場版「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」で描かれるんだろう。

 気になったのは青春の悩みなんて誰でも等しくそれこそ全世界で発生するもので、それでいちいち思春期症候群が発生していたら世界中が混沌の渦に巻き込まれてしまわないかってこと。とはいえ人間の認識なんて寝て起きて変わったらそれが従来からの認識にすり替わってしまうもので、日々どころか刻々と誰かの思春期症候群で世界は変えられていながらも、観測者ではない普通の人は気付かないまま一生を終えるのかもしれない。そうした量子論的重なりの羅列めいた世界を解説してくれる量子論学者はいないものか。あるいは同様の雰囲気が漂う「revisions」と合わせ技で紹介するとか。グレッグ・イーガンとか絡んできそうで面倒なんで僕はパス。とはいえSFな人に「青ブタ」シリーズを読ませるのがまずは壁か。僕もアニメ化されないと読まなかったかもしれないし。ライトノベルの壁の方が思春期の壁よりも高くそびえ立つ。

 なるほどベースに合ったのは「劇場版プリパラ&キラッとプリ☆チャン〜きらきらメモリアルライブ〜」かもしれないと感じた幕張メッセでの「み〜んなでキラッとプリティーライブ2018」。虹色にのが歌った「あっちゃこっちゃゲーム」とか、夢川ゆいの「チクタク・Magicaる・アイドルタイム!」とか、真中らぁらと夢川ゆいによる「ブランニュー・ハピネス!」とかはどれも映画の中で映像とともに紹介された楽曲で、その映像をバックで流しつつ出演キャストがそれぞれの役に扮して登場して歌ったりするマッチングが見られて映画館に通った記憶が蘇って来た。年明けにイオンシネマでアンコール上映があるみたいなんで通ってとりあえず「プリティーリズム・オーロラドリーム」の回を何度か見たいなあ、「Dream Goes On」がライブで流れた瞬間、とくに「オーロラドリーム」を見ていた訳でもないのに涙がにじんだのは、映画で見た楽曲の良さに打たれてたってこともあるから。

 そう、ライブでは春音あいらを演じた阿澄佳奈さんが登場して、「ディアマイフューチャー」の上葉みあを演じた大久保瑠美さん、「レインボーライブ」で彩瀬なるを演じた加藤英美里さんといっしょに並んで登場してそれぞれの持ち歌を披露してくれた。その後にそらみスマイルとドレッシングパフェの6人といっしょに「Make it!」を歌ったのは映画でもあったシーン。映像では実現していたものが初めてリアルでも実現して、阿澄さんたちセインツと「アイドルタイムプリパラ」では呼ばれた神アイドルたちも嬉しかったようだった。こうして登場した以上は今後のライブなんかにも参加してくれるのかな。10年といった時を重ねて「プリティーシリーズ」で生まれたチームなりグループの存在感を改めて打ち出すことで、全体の印象を強めていこうって感じ。こうなると「キラッとプリ☆チャン」の存在感がなかなか高まって来ないけれど、そこはシーズン2が来春からスタートするみたいなんで、新しいキャラクターの登場なんかも含めて定着していく様を見守っていこう。

 ライブではそれでも「キラッとプリ☆チャン」からメルティックスターで2曲、そしてミラクル☆キラッツで2曲が披露されて他とはちょっと厚みが違ってた。テレビで見ると割と簡単に聞こえる楽曲が多いのが「キラッとプリ☆チャン」の特徴だけれど、それがライブだと逆に強く響いてくる感じで、テクニカルじゃない分ストレートに届くといったところなのかもしれない。タカラトミーアーツ的にも子供向けによりシフトさせようとしている中で、楽曲をストレートにして即座に乗れるようにしたいといった意識を盛り込んでいるみたいだし。個人的には青葉りんかが1人で歌う「リインカーネーション」で演じる厚木那奈美が映像と同じくらいに足を上げる姿を見たかったけど、それは9月の中野サンプラザで見たから良しとしよう。メルティックスターは役では小さい赤城あんながリアルでは大きい芹澤優さんで、逆に大きい緑川さら役の若井友希さんがリアルでは小さく逆転が起こっているのがライブだと分かって面白い。でも不思議と重なるところが役になりきり演じる声優さんたちの技って奴なのかも。次も絶対あるだろうから絶対に見に行こう。

 「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」でカトリーエイル・レイトンの父親のエルシャール・レイトンが助手のルーク・トライトンといっしょに行方不明になっていた事件を追うストーリーがいちおうの完結。レリックなる秘宝を探して回ってたどり着いた先で、どうやら何者かによって拉致監禁されたらしいとまでは分かっていたけれど、カトリーがレイトンの後を追ってたどり着いた寺院でもって発見されたレイトンとルークは冷凍睡眠でもしているかのよう。一気にSFめいた展開となってどういった技術が働いているのか、そしてそもそもレリックとは何なのかといった疑問が浮かび上がってきた。そのあたりがきっとこれからの展開で明らかにされていくんだろう。実は本当の父親ではなかったレイトンとカトリーはどういう関係になるのか。あの脳天気なカトリーならそんなこと気にせず父と慕っていくんだろう。恋人にするのはちょっと年が離れすぎ? それすらも気にしないかも。


【12月8日】 そして本編が完結となった川上稔さんの「境界線上のホライゾン11<下>」を買ってすぐさま読み通し、やっぱり葵・喜美は最強だけれどハッサン・フルブシもなかなかで、この2人はもはや神域に至っていると思い知らされた。もちろん浅間・智も巫女だけにその射撃は神がかっているけれど、あくまで神に仕える巫女だからチートな凄さは……発揮しているけれども人間業の範疇。でも喜美はもう舞えば世界が自分を中心に回ってしまうくらいの傲慢さで、幸福の塊ともいえる自分の<瓦解>、すなわち<幸福>側の自分を相手にあっさり勝利してしまう。

 剣術だって石川・数正に剣を振るう余裕すら与えずに両肩を真っ直ぐ貫き通す技を見せていたくらいで、そんなチートが生徒会にも総長連合にも入らず一般生徒のままでいた段階で、極東の勝利は決まっていたかというと、すでに過ぎ去って福島・正則や加藤・清正、そしてオリオトライ・真喜子らを生んだ時間の中では<運命>を相手に勝利をできずアバロンに潜んで過去への帰還を模索していた。だからやっぱり喜美だけでは勝てず、<瓦解?>の武蔵も大和も光の粒子へと変えたハッサンだけでも勝てず、葵・トーリがいてホライゾン・アリアダストがいて他に大勢の仲間たちがいて初めて世界を敵に回して勝ち抜いて、そして<運命>を相手に勝利できたんだろう。そういう意味ではすべてがかみ合い、うながって得られるものがあるという、メッセージをもらえた物語だった。

 明らかになったこでずっと気になっていた福島・正則の親というのが分かってそうだったのかと驚いたというか。いやいやだってどう考えたって本多・二代が母親だろう? 加藤・清正はメアリが母親だし糟屋・武則はネイト・ミトツダイラが母親だったし、平野長泰の母親は浅間・智で片桐且元の母親は向井・鈴だった訳だしと思っていたら意外や意外な母親の正体。だったら二代の立場はってことで、分かって納得のその関係。ずっとかついで走っていたくらいに仲の良い幼なじみがそういう関係になったと思えば不思議はない。マルガ・ナルゼとマルゴット・ナイトほど明確ではなくてもそういう組み合わせはありだよね、あの世界では。

 出来れば北条・氏直に再登場を願いたかったけれども襲名を外れ、自動人形の体も乗り換えているから出ても戦えないからそれはなしか。でも佐々・成政はあやかりと称して出てたしなあ。オールスターを一気に消化するのはやっぱり無理だったか。それでも里見・義頼の生きざまに改めて、意味を示してくれたのが嬉しかった。そういう意味でも誰もが脇役ではなくしっかりと意味を持って存在し、死んでもその意味を後につないでくれたことが分かった。きっとこれからもそうやって、登場人物たちが関係しながら世界を作っていくんだろう。誰がヒーローでヒロインでおなく。葵・喜美とハッサンを除いて。あの2人なら世界だって作り直しかねないからなあ。

 蒼山サグさんの「ゴスロリ卓球2」も読んでさてはて、地下卓球めいた場所へと主人公たちが堕とされたというか、ヒロインの父親を探して自ら堕ちていった格好だけれど多額の借金を抱えた敗残者たちが行く場所ってつまりは負け犬たちのたまり場であって、そこは世界のVIPたちが至高の卓球をかけた勝負を観て金をかけて楽しむ場所といった感じがせず、存在している意義があまり感じないにも関わらず、主人公たちも含めてそれなりの競合たちもいれば、借金だけを抱えた弱者もいたりするまだら模様の戦場として存在していて、日当めいたものも支給されていれば賭けも行われていたりするというズレが感じれて、今ひとつノれない感じがした。

 個々人が事情をかかえつつ体も命も貼って勝負するスリリングさがあればまだ良いんだけれど、敗北が即死では殺伐としてしまってライトノベルにはなりづらい。ましてや巻末に登場してきた主人公の妹が、賭け卓球のプレイヤーとなって敗れて堕ちるなんてことはあり得ないから、活躍の場を与えるために表の檜舞台へと主人公たちも戻してくれると思ってこれからも読んでいこう。ゴスロリ姿で卓球をするという、スポーツ的には奇妙でも芸術的には素晴らしい設定が、賭け卓球メインとなってあまり生きなくなっているのも寂しいし。一方の谷山走太さん「ピンポンラバー2」は卓球の特待生めいた生徒だけが集まった学校での上位進出を目指して戦うという分かりやすい設定が生きている感じ。このまま逃げ切っていけるか。「赤城山卓球場に歌声は響く」以来とも言える卓球ライトノベル勝負の行方を今は見守りたい。

 本の雑誌から出た「おすすめ文庫王国2019」で今回もライトノベルを担当。いったい何年目になるんだろう。とりあえず今回はSFが多めで犬村小六さん「やがて恋するヴィヴィ・レイン」を推してそれから瘤久保慎司さん「錆喰いビスコ」を推しつつ「りゅうおうのおしごと」も入れるといった案配。あとキャラノベ系とかライトノベル出身のSFとか。それにしても他の項目なんかを眺めてやっぱりライトノベルに限らず派生のキャラクター文芸ライト文芸キャラノベキャラクター小説等々のレーベルが、まるで取り上げられていないのが気に掛かる。

 「ビブリア古書堂の事件手帖」とかが流行ったときはそれでもメディアワークス文庫が入ったような印象はあるけれど、今回はメディアワークス文庫は言うに及ばず富士見L文庫も集英社オレンジ文庫もSKYHIGH文庫も講談社タイガですらも、誰かによって何かがセレクトされた形跡がない。バリバリのライトノベルだって「りゅうおうのおしごと」のように藤井聡太七段の活躍を予言しつつ今の女流棋士の置かれた立場なんかをしっかりとらえた良書が出ているんだから、エンターテインメントあたりで読まれて欲しいんだけれど誰にも触れられてないのはやっぱり知られてないのかなあ、テレビアニメ化でもだめなのかなあ。それでも自分が取り上げたから良いけれど、キャラクター文芸系のレーベルはほとんど空白地帯になってしまう。そこを中心に取り上げる企画がやっぱり必要だよなあ。

 藤津亮太さんが開いているアニメ関連のカルチャーセンターでの講座を受講している人向けの忘年会に混ぜてもらって傘下。アニメ好きな若い人が世の中にこんなにいるのかと感動をしつつ、そうした人たちがライターとして活動をし始めていたりアニメ関係の職に就いていたりするのを観て、教育は決してムダにはならないし、教養であってもそれは確実に役立つのだといった思いを抱く。ただ書き手として優秀な人が増えていっても、そうした書き手の優秀さを削ぐような空間へと至ってしまったら勿体ないので、アニメ評論が評論として成立する場なり、、アニメの記事なり企画なりが自由にできる環境がこれからもあり続けることを願いたい。チェックチェックでガチガチに縛って定形のありきたりな文しか載らないようになったらきっと、観ようと思わせる力は弱まりそれは結果としてアニメの力を弱めるから。


【12月7日】 アニー賞に続いてゴールデン・グローブ賞にも細田守監督の長編アニメーション映画「未来のミライ』がノミネート。日本の映画賞はこれからなんでどこまでノミネートされるか分からないけれど、公開時の評判では日本は毀誉褒貶あって興行成績も決して良好ではなく、日本アカデミー賞のアニメーション映画賞は獲得できても毎日映画コンクールののアニメーション映画部門を獲得できるかどうかは、ちょっと微妙だったりするかもしれない。そんな映画がけれども海外では主要な賞に幾つもノミネートおされる。この違いは何なんなのかが気になった。

 日本だとネットでの初動でのバズりやすいワードを持ったネガティブな批評が拡散され、定説化されてしまってそれに乗っかる人が大勢いて、大勢が決まってしまった感じ。盛り返そうにもマイナス地点からだとなかなか浮かび上がれなかった。それがアメリカでは、普通に観られて面白いと思われた。これで海外の評判が逆輸入されて評価が変われば良いんだけれど、すでに着いてしまったレッテルを剥がすのは容易ではないだけに、細田守監督の今後もちょっと心配になる。個人的には決して悪くはないと思えたし、むしろ「バケモノの子」より好きな映画だったりするだけに、日本での不評の意味が分からない。バズり狙いの初動でのネガキャンを防ぐ手立てがやっぱっぱり講じられるべきなのかもしれないなあ。

 講談社レジェンドノベルスの12月刊行の新刊から二上たいらさん「レベル1の異世界転移者 1 俺だけレベルが上がらない」をさっと読む。異世界転生で俺TUEEEEの裏を行くようにまずは転生してもレベル1程度で、なおかつそこからなかなかレベルを上げることができないでいた青年が、アレリアというお姉さまっぽさを漂わせた魔術士に拾われる形でどうにかこうにか生きていく中で、自分の力をコントロールする術を覚えてそしてアレリア先生が巻き込まれた事態を解決するといった展開がつづられる。なんだ弱くないじゃんか。

 その展開で異世界がどこかゲーム内っぽさを漂わせ、だから転生してきた青年だけが特殊なデバイスを持っていてそれを操作することで、自分をレベルアップさせていくことが示されているけれど、本当にゲーム内なのかまったくの異世界なのはや第1巻の檀家いでは不明。逃亡の旅へと出た青年がアレリア先生や隷属されたネコ少女やウサギ少女をどう扱うか、ハーレム展開も想像できる中で繰り広げられる冒険に今は期待だ。

 そしてプルーフでもらった2019年1月刊行の講談社レジェンドノベルスから登場の支援BISさんという名前の人の「迷宮の王 1 ミノタウロスの咆吼」を読んだらこれがは超絶大傑作だったので刊行されたら読むのだオール。迷宮の第10階層に生まれるボスのミノタウロス、って聞けば中にも届かないボスだからEクラスの勇者だってどうにかソロで倒せてCクラスに上がれる程度の強さなんだけれど、その時、なぜか生まれたミノタウロスは違っていてそしてダンジョンの常識を覆す事態に発展していくという、そんな設定を持っている。<まさかと最初は人間の冒険者たちともども驚かされ、けれどもだったらと慎重になってもその上を、あるいはその横を行く展開があってこれはヤバいと思った果てにひとつの境地へと至るところにある種の神話の誕生を見た。

 求道者然としてただ戦いに明け暮れるミノタウロスの愚直さが、そのミノタウロスを倒そうとしつつも政争に明け暮れる人間のやましさをかえって見せつけどっちが叡智なんだよと思わされる。「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」に登場するミノタウロスもモンスターでありながら意思めいたものを持ってベルくんと戦い始めたし、モンスターにも知性を持ったものたちが現れ始めた。そうした展開とも重なり既成概念のひっくり返してくれる楽しみがある。クライマックスで再会があって緊迫してそしてグッと時間が進むんだけれどその後もあるのかな。それは迷宮の王として止まり続ける展開なのかな。続きが楽しみだ。心の底から楽しみだ。

 主に女性の受験者に関して採点を下げて本当だったら合格水準に達していながら不合格にしたことで、大批判を浴びた日本医科大学がどうにか失地回復をしようと不合格にした人たちを追加で合格にしたといった話が出て、それなりにやっているんだと見ていたらどうもそうでもなくて、やっぱり自分たち本位なのかもしれないと思わせる事態。101人を追加合格にして、入学希望者を募ったところすでにどっかに合格していたかして希望しない人もいたようで、49人が入学を希望して手を挙げたという。

 ところがそのうち5人が入学を認められなかったというからいったい何のために追加合格にしたんだと非難囂々。1度ならず2度までも不合格とう通知を受けて当該の受験者の心もきっと傷ついたことだろー。もしも公務員とかの採用試験と同じで水準を超えた合格者をまず出して、そこから成績順で定員までを採用していくような仕組みだとあらかじめ、追加合格者に伝えてあったのだとしたら、少しは理解してあげられないこともないけれど、最初の受験の段階で合格していて、入学を希望したら入学できたはずの人たちが、今回は拒絶されるというのはやっぱり納得がいかない話。どうしてなんだと憤って当然だ。最大で63人を受け入れるとも言っていたらしいから、それすら守れていないってことになる。

 そもそもが不合格者に比べて点数が低かったにも関わらず、ゲタを履かせられて合格した人がいたりする実情の中、それより上のはずの人たちが定員に達したからと排除されて納得できるはずもない。世間もどうして合格させないんだとすでに言い始めている。そうした批判が出ることを承知で、東京医科大学が合格を認めながらも入学を認めなかったのは、体面なり体制なりを守るためにはネガティブな印象がつくこともやむを得ないと判断したからなのか、そもそも何が問題なのかを理解していないからなのか、そこがやっぱり気になってしまう。こうして愚劣な施策を何度も繰り出して学校が受けるダメージも少なくなさそうだけど、それでもやってしまえる背後に何かあるのかもしれない。定員を超えては何か補助金が削減されるとか。今後の報道を見守っていこう。

 ライトノベルの項目を担当した「おすすめ文庫王国2019」が刊行。川上稔さんの「境界線上のホライゾン」を今回は10位に入れておいたけれど、期間内に完結していれば間違いなく1位に入れたいただろうし、来年も担当するなら今度こそ1位に入れるだろう。その分厚さでもって特集をされたって不思議はない文庫本。でも誰も関心を示してくれないのはライトノベルだからなんだろうなあ。文庫Bリーグでもライトノベルは最初から除外で、かろうじてメディアワークス文庫が入って、あとは初めて富士見L文庫が入ってきた。電撃文庫もスニーカー文庫もファンタジア文庫もMF文庫Jもダッシュエックス文庫も触れられもしないのは、売り上げだけではない決め方をされているから仕方が無いとはいえ、言及すらされないのは同じ文庫と認められていないようでちょっと悲しい。それでもライトノベルで項目を作ってもらえて、紹介させてもらえるところにまだ活路はあるのだろう。来年も続いてくれると願おう。そしたら見事に運命をぶっ飛ばして本編完結した「境界線上のホライゾン」を1位に推すから。


【12月6日】 大英博物館のTwitterのヘッド画像が「ゴールデンカムイ」のアシリパさんになっていると聞いて見に行ったら本当にアシリパさんになっていた。どういうことかと見たらどうやら来年の5月から8月にかけて、大英博物館で日本の漫画を特集する企画展が開かれるらしい。それも単純に現代の漫画を紹介するだけでなく、遡ってそれこそ絵巻物の時代から山東京伝による戯作、そして葛飾北斎による「北斎漫画」を経て河鍋曉斎の妖怪だとか新聞とかに掲載された風刺画だとか戦後の貸本だとかも触れつつ萩尾望都さん「ポーの一族」に尾田栄一郎さん「ONE PIECE」、こうの史代さん「ギガタウン 萬符図譜」といったものを並べて日本の漫画の歴史と現在地を振り返るものになるらしい。

 もう相当に踏み込んだ内容で、日本でだってここまで本格的に漫画の歴史を振り返った展覧会が国立の美術館で開かれたことがあるかと考えた時、発祥の国でありながらもそれ故にサブカルチャーの域に置かれているってことが浮かび上がってくる。なるほど最近は新海誠監督であり荒木飛呂彦さんでありといった個別のクリエイターにスポットをあてた展覧会が開かれているし、随分と前には東京国立近代美術館で手塚治虫さんの業績を振り返る展覧会も開かれた。ただ歴史に踏み込んでキュレーションしたものとなると、その位置づけなんかを検討した上でセレクトする必要もあって相当な研究が必要そう。だからなのか個別の作家を評伝的に紹介しても漫画という表現をアカデミックに捉えた展覧会はやっぱりあまりやられていない。

 さらに言うなら個々のクリエイターについても、編年的に業績は並べてもその表現に踏み込んで比較検討するようなキュレーションが成されているかというと、最近はちょっと衰退しているような気もしないでもない。手塚治虫さんの展覧会が東京国立近代美術館で開かれた時は大きく延ばされた図案が手塚さんの特徴を示していたって記憶があるし、最近でも細田守監督を取り上げた東京ドームシティでの展覧会で、過去の作品と比較して細田監督の創作のポイントであり、工業製品としてのアニメの作られ方でありといった部分がキュレーションされていた。そうした学術には手間がかかるしコストも必要。だったら作品を借りて並べれば、それで満足して喜ぶファンもいるだろうからそっちに流れてしまえとなる雰囲気も、決してなかったりはしなかったりする。

 まるで販売を目的とした画廊のショーみたい。それだけでも嬉しいけれどやっぱり大英博物館が本気で漫画の検討を行うとなると、本国の日本が動かない訳にはいかなくなるだろう。国立新美術館とか協力しているみたいなんで、その検討を日本へと持ってきてくれたら嬉しいし、今フランスで森川嘉一郎さん監修で開かれている日本のポップかチャーを見せる展覧会も是非に日本へと持ってきて欲しいんだけれど、一方で長く続けて来た文化庁メディア芸術祭を国立新美術館は2017年い続いて2019年も開かず前回は初台へ、そして次は日本科学未来館へと追い出してしまう。同じ場所で長く続けて培われるノウハウがあり継承される知識もあるのに。勿体ないけどそれが高級国立貸画廊たる国立新美術館の限界なのかもしれない。果たして大英博物館初の日本行きとなるのか。そこを気にしつつまずは大英博物館での漫画展の成功を祈ろう。

 アミューズメント施設向けのアクティビティなんかが出展されるレジャージャパン2018を見物に行く。去年も出ていたHADO KARTは電動カートを走らせながらコインをとっていくゲームが変わって火の玉をゲットしつつそれでチャージしたエネルギーでもって別のプレイヤーを見つめて火の玉を発射するゲームに変わってた。ただ走り回るだけでは得られなかった敵を倒す快感を得られるところが進化というか変化というか。でも窮屈な姿勢でアクセルを踏み込みつつハンドルを切って狭いスペースを動き回るのはなかなか大変。さらにエネルギーチャージのために火の玉ばかり追いかけていると、知らず相手に後ろに回られ火の玉をぶつけられてしまうから攻守の両方に配慮しなくちゃいけなくなる。その意味でも深化もあったと言えそう。なかなか楽しむ場所がないけれど、いつかアミューズメント施設でカート替わりに遊べるようにして欲しいなあ。ホロレンズが高すぎるかなあ。

 いつものハシラスも出ていて懐かしの乗馬フィットネス機器を応用した「ハシラス レース」を出していた。っていうか原点ともいえるVRをどうして今さらと尋ねたら、いろいろとバージョンアップがなされていたという。それもIPを載せた「VR進撃の巨人」からの応用で、馬を走らせながらコントローラーのトリガーを引いて障害物を乗りこえる「進撃の巨人」のギミックを取り込んで、操作はなくても障害物を飛び越えるようなアクションを織り交ぜることにによってより迫真の乗馬体験ができるようになった。坂道を駆け上がってから駆け下りていく場面の迫力はなかなか。けっこうカーブを抜けている気もするけれど、それで酔わないのは案外に真っ直ぐなのを曲がっているように錯覚させているからなんだろうなあ。そういうノウハウも長くはって来たハシラスってことで。次ぎは何を出してくるだろう。楽しみ。

 いきなりポケットWi−Fiが繋がらなくなって、ファーウェイだからCIAによってバグでも仕込まれ潰されたかと戦いたらどうやらソフトバンク全体に通信障害が出ているようで、同じグループのYahoo!モバイルにも影響が出て止まってしまったらしい。前はイー・モバイルで独立していたんだけれど、グループ化されてしまって一緒くたにされてしまった感じ。とはいえ同じYahoo!モバイル傘下になった元ウィルコムのケーターは普通につながるんで、どうしたんだと考えて未だPHSだったことを思い出す。3G4Gが止まってもPHSは大丈夫。そこは311の後に輻輳で繋がらなくなった他の携帯キャリアを差し置いて、すんなり繋がって実家と連絡がとれたキャリアだけのことはある。それは利用者が少なかっただけなんだけれど、こういう事態に横道脇道が用意されている意味ってのが改めて感じられたんで、Yahoo!モバイルはPHSを2020年で潰さずしばらくバッファーとして残しておいて欲しいなあ。無理だろうけど。

 そして新宿ピカデリーの開業10周年を記念して片渕須直監督と一緒に見る「大脱走」の上映に行く。もちろん格好はスティーブ・マックイーンが演じたバージル・ヒルツを真似して革のフライトジャケットにチノパンに青いスウェットと茶色いブーツ。鞄にはグローブとボールも偲ばせてあったけれども流石にスクリーンに向かってひとりキャッチボールをする訳にはいかないので持っているという確信だけ得つつ締まっておく。「ヘイ、ヒルツ!」といって監督に投げる手もないでもなかったけれど、どうやら片渕監督はリチャード・アッテンボローが演じたロジャー・バートレットがお気に入りみたいで、主演はスティーブ・マックイーンではあっても気持ちの主役はリチャード・アッテンボローというかバートレットで、なりたい自分もバートレットらしいからグローブはタイプじゃなかったかもしれない。

 とはいえ最後がひとり、無事に戻ってこられたヒルツがグローブとボールを持って入った独房で、また壁に向かってひとりキャッチボールをするシーンだったことにこれからも何度も脱走してやるといった不屈の闘志が感じられ、その気持を引き継いでたとえ当たらなくてもアニメーション監督として作品を作り続けてきたし、これからも作り続けていくのだといったことを話していたから、信念の中には壁に向かってひとりキャッチボールをし続けるのだという覚悟もあるのかもしれない。もっとも独房でキャッチボールを続けているだけでは多くに見られない訳だから、そこはちゃんと脱走して世に作品を喧伝して欲しいもの。応援し続けよう、独房でひとりキャッチボールを続けながら。あと片渕監督が字幕ではバートレットが最期のシーンで何かを懐かしんでるようなコメントになっていたのを気にしていたけれど、記憶にある吹き替えだとまだまだこれからやるぜってことをマクドナルドと話してたような印象。だからやっぱり字幕が略しすぎだったのかもしれない。次はだから吹き替え版を上映してみんなで見よう。もちろんマックイーンは宮部昭夫さんでアッテンボローは宮川洋一さんでチャールズ・ブロンソンは大塚周夫さんでジェームズ・コバーンは小林清志さんだ。当たり前だ。


  【12月5日】 昨日は昨日でJR山手線の高輪ゲートウェイ駅でウェーイとしていたら、今日は今日で東京メトロ日比谷線の新駅として虎ノ門ヒルズという名前が挙がってた。そりゃあすぐそばに立ってはいても、公共のものでもない建物の名前を駅名にするなんて、どういう了見なんだ。イオンレイクタウンの側にあってもJR武蔵野線の駅は越谷レイクタウンであってイオンレイクタウンではないし、アークヒルズや泉ガーデンが側にあっても、東京メトロ南北線の六本木一丁目駅は六本木一丁目駅のまま。それなのに虎ノ門ヒルズは駅名になるのは建設に当たってそれなりにお金でも出したんだろうか。ちょっと気になった。

 いっそだったら六本木も六本木ヒルズ駅にして、そして間の神谷町駅も城山ヒルズ駅にして広尾は広尾ガーデンヒルズ駅とすればヒルズが3つ連なって東京ってどんな街なんだって世界に思われそう。恵比寿は恵比寿ガーデンプレイス駅で日比谷は日比谷ミッドタウン駅とかどうとか。そうやって駅名をスポンサーシップにのっとったネーミングライツにして運送料金を下げるなんてことをしたら、混乱はするけど看板の付け替えとかの需要も読んで景気が転がり始めるなんてことはあるのかな。ともあれ2020年には開業とか。その年のYahoo!検索大賞が六本木ヒルズで開かれたら、行きやすくなるなあ、って今も銀座線の虎ノ門駅から歩いてそれほどでもないから不便とは思ってないんだけれど。やっぱり不思議な新駅計画。

 そしてYahoo!検索大賞2018を虎ノ門ヒルズで見物。ほとんどテレビのバラエティもお笑い番組も見てないから、評判にはなっていてもひょっこりはんがどういった感じなのかまるで掴めていなかったのが、お笑い芸人部門賞を受賞して登場して、本当にひょっこりしていたのが分かって勉強になった。どういうシチュエーションでひょっこりするのかは年末にかけての特番なんかで見られるかな、NHKの紅白歌合戦でひょっこりしてくれれば全国区になるんだけれど、それがなければ今年で終わって来年はまるで別の人に検索大賞が変わるのかな。ブルゾンちえみさんはそれでも今年1年を頑張ったからな。エド・はるみさんってどこ行った? 日本エレキテル連合は何処へ? そこは寄席で頑張っているとして、テレビのサイクルの速さにやっぱり少し呆然とする。

 一方で、こうして評判になったことでさらに検索数を伸ばして2年連続の受賞となるケースとかもあるから分からない。Yahoo!検索大賞は検索数ではなく前年からの伸び率で選んでいるから、メジャーになれば基礎数が増えて次年度が厳しくなる。けれども、ミュージシャン部門の安室奈美恵さんは引退ってこともあって去年以上に検索を集めたみたいで2年連続で獲得してたし、小説部門の「夫のちんぽが入らない」もネットでの評判が本での売り上げへとつながって2年連続を達成した。乃が美の「生」食パンとかチーズケーキとかも2年連続なのは、賞を獲得してそれで検索してお取り寄せしたり食べたりした人が多かったってことか。伸び率が基本になっているからパンやチーズケーキは来年は厳しいかなあ。

 アイドル部門の欅坂46も去年まで、同じように急激な人気拡大から2年連続で受賞してたけど、今年はジャニーズから来たKing & PRINCEに譲ってた。大賞も受賞してのW受賞で人気のほどが伺えるけれど、テレビを見ていないとその歌も風貌もまるで知らないのだった。欅坂46ならまだ何となく分かるだけに、情報を受け取る側のたこつぼかというかクラスター化も進んでいるといった感じ。作家部門はカラテカの矢部太郎さんで、マンガ家として描いた「大家さんと僕」が人気になったのが受賞の決め手になったみたい。大家さんが亡くなったのが残念だけれど、これで良い供養になっただろー。声優部門は「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけを矢島晶子さんから引き継いだ小林由美子さんで、起用されてからはテレビで声を聞いて自分の声も吹き込んで聞き直して寄せていったとか。その甲斐あってかステージ上で生アフレコをしてくれたけれど、とても似ていたというかしんちゃんそのものだった。ちょっと若返った感じもあるかな。声優ってだから凄いし素晴らしい。

 アニメ部門は想像していたけれどやっぱり「ポプテピピック」。もうすっかり評判は他の作品の例えば「SSSS.GRIDMAN」に移っていたりするけれど、放送当時の前半と後半で2組の声優さんを使ってみたり、アニメーション作家によるストップモーションアニメーションを入れてみたりと無茶苦茶な演出をやって激しく評判をとっていたからこれは納得。「けものフレンズ2」が入ってくれば嬉しかったけれどもそれは叶わず、違う「けものフレンズ2」が来年に入ってくれることを今は願うばかりだ。ゲーム部門は「モンスターハンター:ワールド」で、1年目と2年目が「モンスターストライク」、3年目が「ポケモンGo」とアプリからの受賞だったのが4年目で「ドラゴンクエスト11」になってパッケージゲームが受賞して、今回もプレイステーション4対応ソフトが受賞。アプリもそれだけ新顔の急上昇が起こらないレッドオーシャンになっているって現れだか。ある意味で問題かも。来たれ次の大ヒット作。FGO超えは大変だけど。

 Yahoo!検索大賞2018の原稿を放り込んでから渋谷にあるCAMPFIREのセミナールームで来年4月に開催予定のシド・ミード展に向けたキックオフイベント「Syd Mead未来会議 Vol.01」を見物する。サンライズで「ターンAガンダム」を手がけてシド・ミードを縁が出来たらしい植田益朗さんが中心になって誘致したものらしく、イベントでは植田さんからターンAガンダムとYAMATO2520の展示があることが明らかにされ、日本のアニメファンを喚起させていた。そして映画興行に詳しい清水節さんからシド・ミードの経歴が語られ、続いてインダストリアルデザインの田中一雄さんからミードデザインの極意が紹介される。

 それはナナメでシェルでクロ。インダストリアルデザイナーの榮久庵憲司さんが創設したGKデザインで今は代表を務める田中さんは、仕事は堅そうだけれど心はミードが大好きらしく、過去に刊行された画集とか作品を掲げては、ミード的未来感の特徴とかを引っ張り出して分析していて、ファン的にホンモノだと感じさせてくれた。スクウェア・エニックスに努めつつ人工知能の研究をしている三宅陽一郎さんからは、ミード的人工知能都市のような話があったけど難しかったけどとりあえずロボットが暮らしやすい都市ってことらしい。あと「ブレードランナー」に見られる頽廃はミード的というよりリドリー・スコット的なもので、ミードが志向するのはやっぱり明るい未来なんじゃないかといった意見もあった。今のこの暗い雰囲気を突破し、若い人たちが未来に希望を抱くようになるためにも明るさを描いたシド・ミードを改めて紹介したい。そんな展覧会になりそう。クラウドファンディングもやるそうだけれど、何ためで何が得られるか。興味を持って見守ろう。

 講談社のレジェンドノベルスから12月に刊行される新刊からとりあえず河畑濤士さん「異世界総力戦に日本国現る 1」を読む。日本列島がまるっと異世界に召還されては迫る魔族に対して人類の橋頭堡として戦わされるという展開。平和ぼけ批判に野党批判とかライティな香りも漂うし仮に周囲が異世界だなんて環境になったら平和ぼけだの憲法9条だのにこだわる阿呆どもでもないとは思うけれど、そういうものだと仮定しつつ起こった事態にだったら政治と軍事はどう立ち向かうのかと行ったシミュレーションにはなっているかもしれない。どうして魔族が日本語喋るのかといった展開に何やら異世界召還チート蹂躙めいたネタが仕込んであってメタ構造的なところも感じられる。

 それ必要かとは思うけれど単純な異世界召還にならず敵との戦いに逡巡が生まれ敵には戦う怨念が芽生えるという意味合いではあって悪くない設定なのかもしれない。1月から始まるアニメ「revisions」が日本列島とはいかないけれど渋谷がまるごと300年後とかの日本に転移する話で子供たちがヒーローになりつつ大人たちも政治に戦闘にいろいろ画策する中で平和ぼけ的な態度も漂うからやっぱり危機への対処はフィクション上で体験させておくのが良いのかも。epinaさんの「すべてのチートを過去にする異世界超科学 1」は召還された約束された勇者が魔王を早々に倒して以降の展開がほんわかしていて、もうちょっとノせてくれたらと思ったので次巻に期待。


【12月4日】 今年の秋の物足りなさは、もしかしたら「RWBY」の日本語吹き替え版の劇場公開がなかったからかもしれない。「VOLUME4」までどうにかこうにか日本語吹き替え版の制作と上映が行われて来たものの、シンダー・フォールのビーコンアカデミー襲撃によってピュラ・ニコスが消え去り、アダム・トーラスによってヤン・シャオロンの右腕も切り落とされて一気に弱体化してしまったRWBYやJNPRといったチームの面々が、もやもやとした感情をかかえつつ再帰のための模索をしながら旅を続ける「VOLUME4」のストーリーは、転機として重要だったけれど物語としてダイナミックな展開があるものでもなく、見ていてもしかしたら疲れてしまったかもしれない。その影響で「VOLUME5」の日本語吹き替え版が決まらないとしたら、これほど残念なことはない。

 なぜなら「VOLUME5」ではいよいよ立ち上がったヤンやワイス・シュニーによる合流への旅が描かれる。ヤンは母親のレイヴンと対峙し、ワイスはセンブラスの発動を高めてグリムに似たモンスターを呼び出し使役できるようになってと、それぞれに大いなる成長が描かれる。ブレイク・ベラドンナは故郷に引き上げながらもそこでアダム・トーラスによる悪行を聞くに及んで立ち上がろうとし、アダムの刺客による襲撃をかわしてファウナスが人間を恨むだけでなく、人間と平等に生きていくための世界を築こうとする決意を固め、こちらも動き始める。一足先にミストラルへと到着していたルビーやライ・レンやノーラ・バルキリーといった生徒たちと、それからクロウや中身がオズピン教授だったりするオスカーは、ヘイヴン・アカデミーに迫る脅威に立ち向かって合流してきたヤンやワイス、そしてブレイクといった面々と再会を果たしてシンダーの襲撃、レイヴンの裏切りといった行為に立ち向かう。

 「春の乙女」の行き先が明らかとなり、レイヴンやクロウがどういった力を持っているかが示され、オズピンがどういった存在なのかも説明されて物語の奥行きがグッと深まった感じがした「VOLUME5」。ファウナスによる反乱を目したホワイト・ファングを簒奪したアダムも敗れて放逐され、レイヴンの横やりも退けてチームRWBYが再結集し、ジョーンにもセンブラスが目覚めつつある中で次はいったいどんな大きな展開が待ち受けているのか。セイラムによる襲撃は尽きずレリックの行方を求めて配下の物立ちをこれからも送り込んできそうだけれど、結集しつつあるハンターたちやファウナスたちによってきっ抗した戦線が築ければ、押し返して人類が勝利を掴めそう。そうした展開へと向かうのか、まだまだ混乱は続くのか。失ってしまった存在の再帰とかも気にしたいけれど、そうした奇跡は起こり得ない世界なのだとしたら、残された者たちによる決戦へと向かい、そこで勝利へと至ってくれると信じて「VOLUME6」の行方を見定めよう。

 まったくもって意味が分からないJR山手線の「高輪ゲートウェイ駅」。だって投票では「高輪駅」が1位で2位に「芝浦」で3位が「芝浜」といった地域にちなんだ名前がダイレクトについている。「泉岳寺駅」というのもありそうだったけれど都営地下鉄浅草線で「泉岳寺駅」が出来た時に泉岳寺からいろいろと訴訟を起こされたといった過去もあって、公営でもない寺社の名前を駅名につけることはまず不可能だったからこれは除外で仕方が無いだろう。だったらもう「高輪駅」にするか幾つか包含するようにして「高輪芝浦駅」とでもしておけば収まりもよかったのに、そこにどういう訳か「ゲートウェイ」という言葉をつけて長い名前にしてしまった。

 ゲートウエイ=玄関が名前になった背景には、かつて高輪が江戸の玄関口だったなんて理屈があるみたいだけれども現在の高輪は別に玄関でもなく田町と品川の間に作られる通過駅に過ぎない。そこから東京の繁華街に行ける訳でもないし、そもそも他の路線が通っていない。地下鉄都営浅草線とでも連携されるとしても、それなら品川が京急とリンクしているから羽田空港とかへ行こうと乗り換えるならそちらが多そうで、高輪での乗り換えは意味を成さない。つまりはもはや玄関でも何でも内場所に「玄関」とつけるなら、かつて港だった熱田に「熱田ハーバー」とでもつけて良いってことになる。でもって降りて見渡しても港なんてまるでない。そんな無意味を行える厚顔の背景にいったい何があるのか。「高輪駅」だと既にいろいろ登録されてて使えないとかいった事情があるのかもしれないなあ。どうせだったらフレデリック・ポールにならって「高輪ゲイトウェイ駅」にすれば良いのに。でもって田町を「田町リングワールド」にして品川を「品川中継ステーション」にするんだ。SF万歳。

 江戸東京博物館で「若おかみは小学生!」とのコラボが始まるってんでとりあえず見物に行く。7階にある桜茶寮に到着するとすでに待っている人もいたりしてコラボへの関心の高さが伺える。何しろあの「露天風呂プリン」がメニューとして登場。いったいどんな味なのか、想像はできてもやっぱり口にしてみなければ分からないことが確かめられる。これはやっぱり確かめなくてはならないと、小説の頃からのファンも含めてこれからおおぜい駆けつけそう。さすがに初日はまだ行列が出来るほどではなく、入って両国国技館が見下ろせるカウンター席で注文をしておっこが2ランク上のショッピングモールでいろいろと着替えている姿を写したシオリをもらってから、登場した「露天風呂プリン」を食べるとこれが美味しかった。

 黒ごまを練り込んだプリンに栗とか豆とかが添えられ上からクリームもかけられたそのビジュアルはまさしく映画「若おかみは小学生!」に登場した「露天風呂プリン」そのもの。なるほど映画だとどんぶり鉢にてんこ盛りといった感じだったけれど、そこは抑えめにお椀に飾られ上品な印象になっていた。その味も実に上品。やわらかいプリン部分を小さじですくって食べると口に広がる甘さが抜群。これなら鈴鬼くんだって何倍だって食べてしまうだろう。美夜ちゃんだってウリ坊だって食べたいと思うような味を現実に楽しめるようにしてくれた桜茶寮に感謝。別に卵焼きと大福が添えられたコラボ弁当も用意されているんで、今度はお金をもって乗り込もう。コンテとか美術ボードの展示はあったけどグッズとかまだ売り出し前だったし、途中でメニューも変わるみたいなんで様子を見てまた行こう。

 これは面白い。黒崎リクさん「帝都メルヒェン探偵録」(宝島社)は関東大震災が起こって7年くらい経った帝都・東京で東京帝大を出ながらも官僚にならず就職もしないでぶらぶらとしている千崎理人という青年が、居候先を追い出されそうになってとりあえず出入りしているサロンで職場を探したら、そこにいた少年から誘われカフェの給仕の仕事を紹介され、ついでにその少年が請け負う探偵のような仕事の助手を務めることになった、という設定。名をとりあえず小野カホルということにされた少年が実質的な探偵だけど、カホルの見た目が子供過ぎるから依頼主に訝られるということで、表向きは理人が探偵役を務めることになる。

 そんなコンビが受ける事件がグリム童話に絡んだものだったりするのが「帝都メルヒェン探偵録」の特徴で、「金の鳥」にちなんで黄金の鳥を見つけ出す裏で財産を奪おうとする企みを阻止したり、「白雪姫」にちなんで継母から毒林檎を食べさせられそうになっているように見える令嬢の窮地を救って真実を浮かび上がらせる。そもそもがカホルとう少年の本当の名前をあてるというのがグリム童話的な設定。いったい少年は何者なのか。そこで冒頭に置かれる神保町の古本屋でのエピソードが重なり、カホルの正体めいたものを想起させる。でもそれにしてはな状態の裏にあったある悲痛。そこを乗りこえカホルと理人はバディ以上の関係になれるのか。そんな興味も誘われる。続きがあれば読んでいきたい。その先でカホルに本当の春が訪れることも。


【12月3日】 見てないから文脈がつかめないんだけれど、「HUGっと!プリキュア」に登場して初めて男子がプリキュアに変身したと話題になったキュアアンフィニについて、男の子でも美しければプリキュアになれるんだというロジックが、大人の目線からそこに乗っかる可能性なんかを想定して、制作者はそうじゃない、なりたいならば誰だっていつかなれるんだといった希望を託し、いつかキュアゴリラになろうとしていたFUJIWARAの原西孝幸さんを、映像の中に挟み込んだんだろうと思っている。

 男の娘でもコスプレでも、綺麗だから正義めいた声がとりわけ大人の目線では冗句として語られることがあって、それは本心から肉体的性別に違和感を抱いているものの、世間的な美意識からズレてしまっていると感じている人を、自分はそうあってはいけないのかと思わせ傷つける。そうじゃない、誰でもなりたい自分になれるんだというメッセージを、こういったエピソードには込めなくちゃいけないって思っていて、それはちゃんと伝えようとされていた。問題はちゃんと伝わったのかで、見ていた子供たちに伝わったのならそれはそれで大成功。美しいから正義だなんて大人のニヤけた視線なんてぶっ飛ばし、子供たちは生きたいように生きていこう。

 そんな「HUGっと!プリキュア」の話題に隠れてしまっていたけど、「キラッとプリ☆チャン」もなかなかに泣ける回だった。萌黄えものおばあちゃんというのが登場して、アルバムを見ていたら移っていたのが友人だたっという女性。その彼女は実は時々日本に帰ってきては草野球に紛れて負けてるチームの見方をしていたとう。えもの弟が参加していた野球にその女性があらわれ、マーサと再会して明らかになったのは、その女性がプリチャンの大元となるシステムを開発した人で、えものおばあちゃんのマーサはそこに出演をしてはまだ遠くまで電波を飛ばせないプリチャンのために街をめぐり、そこで地域に向けて放送をしていたという。

 そんなマーサによる伝説のプリチャンがえものプリキャスを借りて久々に復活。料理をするとかいった簡単なものなんだけれど、見ていた人から懐かしいものが見られて良かったといった言葉が贈られ、そしてりんかもあんなもプリチャンが好きな女の子たちはみんなそんな伝説のプリチャン番組を知っていて、マーサの復活を大喜びする。そしてあのアンジュまで。過去の番組を古いと退けず、自分たちに夢を与えてくれたシステムを開発し、それを広めてくれた人としてのリスペクトに溢れていて、見ていてとっても気持が嬉しくなった。そして泣けてきた。過去を蔑ろにする者に未来はない。そんな当たり前のことを改めて思い出させてくれたエピソード。これは永久保存だなあ。

 2017年の春に名鉄が名古屋駅前のビル群を建て替えると発表して、すぐに問題になると思ったのが名鉄セブンの前に立つナナちゃん人形の行く先だけれど、当時、それほどまでに多くの人が気にしていた感じはなかった印象で、名古屋駅のシンボルはシンボルとして維持されるんじゃないかといった雰囲気が、もしかしたら漂っていたのかもしれない。それが最近になってまた、改めて名古屋駅の再開発が話題になるに連れて、ナナちゃん人形の行き先については不明といったコメントが出て来て、さまざまなスタイルに変身してきたナナちゃん人形が消えてしま8、名古屋駅の名所が消えてしまうと多くの人を寂しがらせている。

 最近はアイマスだっけかな格好をして、全国から集まったアイマスPを虜にしていたみたいだし、今後もそうした話題性のある格好をしてくれるはず。そしてその巨大さから真下から見上げて見えるかもしれないそれらに、期待させてくれたはずなのに消えてしまってはそれも叶わなくなる。だからやっぱり再設置して欲しいけれども場所がなく、サイズも現代と合わないというならいっそ新しく立てるビル群をまたぐようにして、100メートルはあろうかというナナちゃん人形を立てればそれはそれで全国規模の名所になるんじゃなかろーか。問題はそんなナナちゃん人形にどうやって衣装を着せるかだけど、そこはドローンなんかで着せるとかできるかな、それ以前に布が足りないか。だったらARとかプロジェクションマッピングで。それもまた未来感ある話じゃないか。なあおい。

 「DOUBLE DECKER ダグ&キリル」はおかっぱなキリルが美少女に見える人の期待に応えてキリルのウエディングドレス姿が拝めてなかなかになかなかな。もしかしたら“姉”より美人かもしれないけれどそれでもやっぱり“姉”は“姉”に見えてしまうくらいだからあの2人、やっぱり相当にイケてる2人なのかもしれないなあ。生まれてくるソレを間違えてるんじゃ。でもってキリルが意外に頭良いのが分かって博士もビックリ。遺伝子に関する論文をまだ若い頃に執筆していて、それを博士も見ていて関心したというから相当なもの。けれどもそれは単に奨学金を得るために書いたもので奨学金がとれたら綺麗さっぱり忘れてしまったというからそれもまた天才ならではの飽きっぽさって奴かもしれない。

 キリルにそれだけの頭があれば警官にならずとも官僚にだってなれたはずだけれど、そこは“姉”を探すという目的から選んだ職業だから仕方がないか。人は見かけによらないなあ。マックスもあれで昔は三つ編み眼鏡だったりしたからなあ。ディーナもあれで警部補で階級が上ってことは何か取り柄があるのかな。ユリはまあ、秘密ありまくりだし。そんな感じで面白いんだけれど今ひとつ評判にならない「DOUBLE DECKER ダグ&キリル」。キリルへと迫る軍隊の誘いの先に何か大きなヤマでも隠れていそうで、明かされていく今後がとりあえず楽しみ。


【12月2日】 そこは半ば新条アカネが見ている夢の世界なんだから、もっと彼女が見たい夢に近づいていったって良いんじゃないかと思うし、神様なんだからそういう風に仕込めるような気もするんだけれど、そんな夢の中でも響裕太も宝多立花も内海将ですらも、新条アカネとともに遊びに耽ることを捨ててグリッドマン同盟へと戻っていく。出来てまだ間もない集団だし、裕太なんて記憶がないから立花とか内海とかとの関係だってまるで薄い。ずっとアカネと恋人同士だったと言われてそれを信じたって不思議じゃないし、そうありたいと臨んで当然ですらあるのに靡かないのはきっとそうした設定に、欺瞞があって肌で感じてしまっているからなんだろー。

 つまりそれは、新条アカネが決してその世界の万物を支配している神様なんかじゃなく、もっと上位の誰かによって願望が叶えられている夢を見せられているだけなのかもしれない。そして周囲もアカネの求めに応じながらも芯の部分ではぶれていない、と。そこがまだはっきり分からない「SSSS.GRIDMAN」の世界だけれど、少なくともグリッドマンが存在し、新世紀中学生だなんて明らかにアカネにとっては敵対する集団が存在できている時点で被造物ではいと言えそう。次第に剥がれて落ちていく仮面の裏側にいったい何があるのか。新条アカネはどんな役割を与えられているのか。なんてことが残る話数で明らかにされるか否か。セカンドシーズンへと突入するのか。やきもきしながら見ていこう。同じ円谷プロダクションでは「ULTRAMAN」のアニメの番宣も始まったけど、フル3DCGはやっぱり未だ違和感が。そっちは物語性でねじ伏せてくれると期待して4月の放送開始を待とう。

 僕がライブを見たのは2010年の武道館でステージに向かって左側の真横のそれこそ天上といったあたりで、見切れてステージの左端とか分からずMCもあまり良く聞こえなかった記憶があって、それに加えて歌声もどこか手探り状態だったような印象も残っている竹内まりやさん。あるいは正面で聞けていたらちゃんと全方位に響いていたのかもしれないけれど、2000年から久々らしいライブでパフォーマンスを戻そうとしていた段階にあったのかもしれず、山下達郎さんのようにいつ行っても完璧な声が聞けるものとはちょっと違っていた。だからなのか、竹内まりやさんの2000年と2010年、そして2014年にあったライブから楽曲を収録したものを映画にして上映する「souvenir the movie Mariya Takeuchi Theater Live」では、2010年からも2014年からも2曲ずつのピックアップで、あとは2000年のライブがメインに紹介されていた。

 当時で45歳ではあってもレコーディングとかいっぱいして楽曲も活発に発表していた時期だったこともあるのか、声もしっかりと出ていてどれも巧いしよく響く。それとも映画化にあたって音声トラックだけ弄ったか? それはないだろうからやっぱりある意味で“全盛”の様子を流したいと思ったのかもしれない。HDなんてまだない時代だから画面もビデオ水準だし、画角も4:3といった感じだったけれども当時だって音楽を収録するのに機材は発達していたはずで、アナログでもデジタルでもトラックだけしっかり残っていればあとはミックスダウンでどうにでもなるから、それを積極的に使ったのかもしれない。見てとても45歳とは思えない美しさと、そして張りのある声にこれを見られた人は幸せだったかもしれないなあと感じた次第。

 もちろん2010年だって悪くはなかったし、見てないけど2014年だって楽しめただろう。でもドラムが青山純さんでベースが伊藤広規さんというのはやっぱりね、リズム隊として最強だから目の当たりにしておきたかった。ツアーを復活させた達郎さんのドラムはもう青山純さんではなく小笠原択海さんで、サックスも最近は宮里陽太さんになっていてやっぱりかつての達郎さんのバックとは響きに若干の違いがある。青山純さんのドラムで何かズドンと来るし、土岐英史さんのサックスはどこか乾いて抜けるように響くんだ。そうしたサウンドをバックにして聞ける竹内まりやさんの全盛を味わえるのがこの映画だけだとしたなら、あと1回くらいは劇場で見ておきたい気もするなあ。2800円は高いけれど、ツアーに行くと思えば安いもの。7日までならあと1回は行けるかな。

 試写に続いて「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」を劇場で。やっぱりエリク・ユーゴ中尉のおっぱいが見どころであるとは感じつつ超能力大戦だなあと思いつつ、そうした大枠をとっぱらって見たヨナとミシェルとリタという幼なじみな3人の関係は、誰が抜け駆けして生き残ろうとしたというより誰もが生きるために自分を生きさせようとして、けれども時局が許さず犠牲を呼んでしまって後悔にさいなまれるといった悲劇が感じられて痛かった。自分だったらあの中でどういう振る舞いをしただろう。自分が本物だからと身を切り刻まれたか。いや、本物だと行ったら連れて行かれただろうと考え言い出さなかったか。ちょっとっと分からない。

 そこの部分で読み違えたミシェルは治部だけがルオウ商会で生き延び、本物だったリタは切り刻まれた挙げ句にフェネクスと同化した。ヨナはどっちつかずのなかで放逐され、リタを探してさまようことになる。あの時3人はどうすべきだったか。はっきりとした答えが出せないところ、そしてどんな答えを出しても誰かが犠牲になった可能性があるところに、理不尽な戦争というものの痛ましさがある。それすらも運命だ、その時に備えて何者かが用意した筋書きだというのは納得できないし、ニュータイプがそんな運命の駒に使われる存在であって良いはずがない。その意味で「機動戦士NT」の解釈は嫌いだけれど、既にあるニュータイプなる異能に理屈を求めるなら、そうせざるを得なかったのかもしれない。そうすることで収まる騒動があって助かる命が、あるいは世界があるのなら。悲しいけれどそれが運命、この宇宙の。

 これはいかんだろう。東名高速道路で煽り運転の果てに停車させた車にトラックか何かが突っ込み一家が死傷した事件で捕まり起訴された被告の、その行ったことには非難を浴びせる言葉しか出てこないし、それを反省していないように見える態度も不遜にうつる。でも、そんな被告に取材を依頼したら帰ってきた返事を、いくらお断りの内容だからといってそのまま掲載するのってメディアとしてどうなんだ。私信だろう? それを掲載するのに相手の許可は必要ないのか? 掲載に当たって謝礼を要求してくると考えたのなら、掲載しないか払ってでも掲載するかすればいいのに、そうした手間をすっ飛ばしていきなり掲載ってちょっと卑怯な気がする。

 なるほど相手の返事はああした事件を起こした人間ならではの不遜さがあって、今なお反省もしていないと感じさせるもので、それは被告の人物なりを論じる上で必要なものであって公益性がある、だから報じたんだといった言い訳が出るかもしれない。でも、その返事が本当に被告を表しているのかといった保証はない。もしかしたら相手以上に不遜な手紙を出して怒らせたのかもしれない。返事だけを乗せて質問を乗せないのはだからフェアじゃない。そこをクリアしたとしても、返事は追い詰められた状態の中で恐怖を覚えつつ突っ張ってみせたものだという可能性はないのか。報じられて出るコメントには、情状酌量の逆に働くから証拠として裁判に出せといったものものあった。つまりはとても裁判に影響がありそうな文章を被告にも、弁護士にも断らずに報じて被告が不利益を被っても、それは自業自得だと言うのか。そんなリンチをメディアがすべきなのか。これで被告の弁護士が訴えてきたら一悶着ありそうだけれど、もしかしたら気付かれていないかもしれないなあ、マイナーなメディア過ぎて。それはそれで悲惨な話。やれやれだ。


【12月1日】 朝の内の時間だけでなく、お客さんがいっぱいいる時間帯の東京コミコン2018も見ておきたいと幕張メッセへ。どのコーナーも人がいっぱいでコスプレイヤーもたくさんいて、アメコミを中心とした洋画やら何やらが日本のしっかりと浸透している様は見て取れた。ゲストに並ぶ行列なんかも海外のドラマや映画の俳優が、メジャーなテレビ番組が取り上げるくらいの人でなくてもしっかりと支持を集めていることを証明している感じ。ワイドショーってそれこそベネディクト・カンバーバッジだのエディ・レッドメインだのジュード・ロウだのブラッド・ピットだのといったところじゃないと気にしないし取り上げない。でも日本の俳優がすべて高倉健じゃないように、いっぱいのスターが世界にはいて支持されているのだ。当たり前に。

 そんな東京コミコン2018で初日はゆっくりと見られなかったパトレイバーのデッキアップを見物。実写版の「THE NextGENERATION パトレイバー」がつくられた時にセットめいたものとして登場してからもう何年経つんだろう。未だに現役であちらこちらを走り回ってはデッキアップをしているところに、製作元となった東北新社の作品からどこまでだって搾り取る覚悟めいたものが見える。ここでしっかり掴んでいれば次ぎだって作れる可能性、あるからなあ。っていうかアニメーション版が作られているはずなんだけれど、続報とか聞かないなあ。どこまで進んでいるんだろう。デッキアップはいつみてもスムース。そこから降りて歩くようになるまであと何年、かかるかなあ。

 幕張メッセを抜け出し、7月からつきあって来たマラソンもこれで終わりの劇場シリーズ、K SEVEN STORIES Episode 6「Circle Vision 〜Nameless Song〜」をイオンシネマ幕張新都心で。TOHOシネマズ上野で上映が1日1回とか、新宿ピカデリーですら1日3回とかもうお客さんのことなんて眼中にないだろう的上映回数だけれども、是までの5本を経て感じ取った観客数から設定したであろうその上映回数を侮ることはできないし、実際にイオンシネマ幕張新都心での午後2時20分からの上映で観客数は30人いたかどうかでは回数が減るのも仕方が無い。ここのロケーションで1日2回も上映してくれることのほうが大盤振る舞いといったところかもしれない。

 でもってお話の方はといえばある意味で余韻というかフィナーレというか、本編でいろいろと片付いた後に来る残された者たちの思いと選択めいたものが描かれたエピソードは、登場キャラクターたちのよって心地良い世界が描かれていたことがそのまま見る側にとっても心地良い世界が描かれていることに重なって、こうあって欲しいしこうあり続けて欲しいなあと思わされた。たとえば淡島世理ちゃんのおっぱいがふんだんに出てきては前から下から横から大きくスクリーンに映し出されて、それが動きに伴ってぶるんと揺れたりするシーンがいっぱい登場した。

 目にも嬉しく心に楽しいシーンの連続は、何でもかなえてくれるドレスデン石版に誰かが祈ったからこそ実現したものなのか。ってそもそもドレスデン石版ってそういう作用を持っていたのか。なんてことも考えつつもそういう状況にあって僕が理想とした淡島世理ちゃんのいっぱいのおっぱいが見られたように、誰かが理想とした緑の王の比水流もイワさんこと灰色の王の磐舟天鶏も存命で、そしてクロにとっての師匠にあたる無色の王、三輪一言も存命で白銀の王でありアドルフ・K・ヴァイスマンでもあるシロにとって姉にあたるクローディアも存命で、シロが通う学校の寮にいてクロがつくった朝ご飯を一緒に食べてはネコが服を脱ぎ捨て素っ裸になって着替える情景を毎日のように目の当たりにできる世界が描かれる。そこには赤の王が周防命として存命で赤のクランをまとめ十束多々良も脇にいる。

 あり得ない。先のK SEVEN STORIES Episode 5「メモリー・オブ・レッド 〜BURN〜」で十束多々良は殺害されて憤った周防命が戦いへと出向いてそして起こるダモクレスの剣の崩落から赤の王の代替わりというストーリーが2期に及ぶテレビシリーズで描かれる。そうしてヴァイスマンの系譜について明かされ過去に起こったクローディアをめぐる物語も紡がれて後、比水流とイワさんも運命を享受した後の世界で誰もがくんずほぐれつしながら毎日を楽しく戦っているはずがない。そう、気付いてもそれを止められるかというとやはり迷うのが人情というもので、毎日のように部屋ですっぽんぽんになるネコが見たいかどうかと言われれば診たいし、誰かにとっては比水流とイワさんもいてこその緑のクラン、JUNGLEだとも言える。

 そこにだから浸っていれば、淡島世理ちゃんのおっぱいがスクリーンいっぱいに映し出されて動きに伴って揺れたりする様をいつまでもいつまでも拝んでいられるんだけれど、人間は踏みとどまって繰り返すことよりも、受け止めて記憶することによって誰かの存在を永遠のものにする。そうした記憶の連鎖によって人は永遠になる。昔の人は言っていた。止まっていてはダメなんです。動け動け。そして働け働けと。ちょっと違うか。

 ともあれ心地良さの沼に浸っていてはいけないという主張が繰り出されて迎えた帰結だけれども、それでもやっぱり時として帰りたい場所として洗われて欲しいというのもまた人情。多くを失った戦いの果てに残った者たちがどう思い、どう踏み出していくかは分からないけれども、時々は集まって持ち寄って過去に浸ってみるというのも悪いものではないんじゃないか。そこは幻ではなく実在のようだし、触れれば触れられるものならやっぱり触れていたいじゃないか、淡島世理のおっぱいに。いやそれは消えてないからいつでも見られるんだけれど。「K」という作品が続く限り。続く世界を願おうドレスデン石版に。

 誤字とか脱字を増刷分で修正するならある話だし内容において違いはないから先に買った人でも許せるだろうけれど、明らかに間違った記述があってそれを増刷分で修正した上に間違っていたことをアナウンスしないで前に刷った分も売り続けるのってやっぱり商売にもとる話なんじゃなかろーか。すなわち先に売ったものが間違いを含んだ欠陥品だったことを自ら認めた訳で、にも関わらず間違っていたことを宣言せず間違ったままで売り続け、それを買った人が正しいものに変えてといっても変えないことを、消費者生活センターに訴えたらいったいどうなるんだろう。ちょっと興味がある。消費者保護の観点から言えば間違った内容をそのまま覚えて間違った人生を歩む可能性もあるものを、売り続けるのはやっぱり拙いんじゃなかろーか。なんて自覚が作り手の側にあるのかどうかがまるで見えない一連の騒動。増刷が進めばさらなる修正も入って初版初刷りとはまるで違ったものになるかもしれない。それでも初刷り二刷り三刷りを売り続けるんだろうなあ。謝れない人たちが進めようとする歴史教育の行く先や以下に。恐ろしい恐ろしい。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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