米原万里著作のページ


1950年東京生、ロシア語会議通訳、エッセイスト。1959〜64年、在プラハ・ソビエト学校に学ぶ。東京外国語大学ロシア語科卒、東京大学大学院露語露文学修士課程修了。1980年設立のロシア語通訳協会初代事務局長を務め、95〜97年に会長職。92年日本女性放送者懇談会SJ賞受賞。95年「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」にて第46回読売文学賞、97年「魔女の1ダース」にて第13回講談社エッセイ賞、2002年「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」にて第33回大宅壮一ノンフィクション賞、03年「オリガ・モリソヴナの反語法」にて第13回Bunkamura ドゥマゴ文学賞を受賞。2006年05月卵巣がんのため死去。享年56歳。
 
1.
不実な美女か貞淑な醜女か

2.魔女の1ダース

3.嘘つきアーニャの真っ赤な真実

4.オリガ・モリソヴナの反語法

5.米原万里の「愛の法則」

 


      

1.

●「不実な美女か 貞淑な醜女(ブス)」● ★★★     読売文学賞


不実な美女か貞淑な醜女か画像

1994年09月
徳間書店刊

1998年01月
新潮文庫

(514円+税)

 

2006/07/05

 

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題名だけ読むと、凄い題名だなァと思う。
一体何のことか?と思いますが、原文に忠実な訳(貞淑)かどうか訳文が整っている(美女)かどうかを表す座標軸のような表現で、フランスで使われるようになった言葉らしい。
「美女」か「醜女」か、「不実」か「貞淑」かで4通りのパターンが表されるそうで、つまり本書の表題は「原文に忠実でないが整っている訳」と「整っていないが原文に忠実な訳」とどっちが良いか、という問いかけになっているという次第。

本書は、通訳の苦労を米原さんの経験および聞いたことから面白おかしく、読者としては目から鱗となるような苦労話をありありと、ユーモラスに語ったエッセイ。
通訳する際、その言語特有のことわざや、その言語にしかない言い回しを頻繁に使われたらさぞ大変なことでしょう。でも、こうして実例を挙げられ、語られて初めて気付く問題です。
米原さんは単に大変と語るのではなく、プロの通訳として職責を果たすためにはどうしたら良いのかという通訳者の気構えについて語り、さらにその言語における文化にまで語りを発展させているのです。それ点が実にお見事。単なる通訳者に留まらず、自国を代表し、文化の伝達者という気構えが米原さんにはあったのではないでしょうか。
米原さんのエッセイの中では判りませんが、あとがきにて紹介されているエピソード、随行者泣かせのエリツィン元ロシア大統領を如何にして上手にあしらい、そのエリツィンからすっかりお気に入りになったという件を読むと、それが間違いないことと思えるのです。
言葉、言葉、言葉。本エッセイはその言葉の面白さと大切さを、改めて感じさせてくれた一冊です。面白い!

なお、本書中で幾度も紹介されたロシア語通訳協会による寸劇はとても面白そうで、興味津々。
また、本書タイトルに対する大江健三郎さんの「読売文学賞の歴史において最悪のタイトル」という一言には笑ってしまう。

通訳翻訳は同じ穴の狢か/狸と狢以上の違い/不実な美女か貞淑な醜女か/初めに文脈ありき/コミュニケーションという名の神に仕えて

     

2.

●「魔女の1ダース〜正義と常識に冷水を浴びせる13章〜」● ★★★
  
                        講談社エッセイ賞


魔女の1ダース画像

1996年08月
読売新聞社刊

2000年01月
新潮文庫

(476円+税)

 

2006/12/06

 

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言葉がポンポン飛び出してくる感じ。テンポが良く、歯切れもまた良い。
言葉に余計な贅肉がないのです。引き締まって筋肉質である、と例えれば判っていただけるでしょうか。
そのうえ、話の中身が実に濃い。
ロシア語同時通訳者としての仕事柄経験した面白い出来事から、各国ならびに各国民を観察してつかみとった比較論、日常の出来事から国際政治問題、教育問題と、およそ語られる内容に境界線というものがありません。でも知的だからといって堅苦しく、小難しいなどということは一切無し、とても面白いのです。
こんな面白い雑談が何かの席上で披露されるようなことがあったら、全員盛り上がること間違いなし!でしょう。

どの話も見事に核心をつかんでいて、しかも面白おかしく語る。いやはや、この米原さんの記憶力の良さ、看破力の見事さ、回転の速さには恐れ入るばかり。
同時通訳という仕事をこなすには頭の良さも回転の速さも必須なのでしょうけれど、だからといって皆が皆こう見事に語れるものではない筈。米原さんは意訳の名人だったそうですが、まさにそうあってこその本書エッセイの面白さです。

ごく普通によく使われる言葉がどうして国を変えるとシモネタ言葉に似ているのか、米原さんのシモネタ話はいつも快調です。そして肝腎の米原さんの悟ったという理由には、きっと誰もが納得することでしょう。
中国からソ連へと列車旅行した際の、中国内での食堂車事情とソ連に入ってからの食堂車事情の違い(体験談)もとても面白い。そこから中国人の食事にかける意気込み、“中国料理四千年の歴史”へと話は展開していくのですが、中国人を語るにはこれだけで十分と思えるほどです。
米原エッセイの面白さの秘訣は、見聞きして知ったことの単なる披露に終わらず、米原さんが咀嚼してつかみ取った核心にあることに間違いありません。だから尽きることなく楽しい。

言葉、語らいは楽しいものです。でもその語り手が素晴らしかったらもっと言葉、語らいは楽しくなる。米原さんのエッセイはそんなことをつくづく実感させてくれます。

プロローグ/文化の差異は価値を生む/言葉が先か概念が先か/言葉の呪縛力/人類共通の価値/天動説の盲点/評価の方程式/○○のひとつ覚え/美味という名の偏見/悲劇が喜劇に転じる瞬間/遠いほど近くなる/悪女の深情け/人間が残酷になるとき/強みは弱味ともなる/エピローグ

       

3.

●「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」● ★★☆  大宅壮一ノンフィクション賞


嘘つきアーニャの真っ赤な真実画像

2001年06月
角川書店刊
(1400円+税)

2004年06月
角川文庫化

  

2002/08/24

  

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米原さんの父上が国際共産主義運動唯一の常設交流機関、プラハに設けられた運動理論誌の編集局に派遣されたことから、米原さんは当地でソビエト学校に通ったそうです。
本書はそのソビエト学校で親しんだ友人たち、リッチァ、アーニャ、ヤスミンカの思い出と、それから30年を経て3人との再会を果たした万感の思いを語ったエッセイです。

そんな学校ですから、同級生の父親には同じ編集局勤めが多く、生徒たちも国際色豊か。リッツァはギリシア系で、チェコスロバキアへ亡命してきた一家。アーニャはルーマニアのチャウシェスク政権幹部の娘。ヤスミンカはユーゴスラビアから。
と言っても、単に国際色豊かという言葉だけでは片付けられない面があります。生徒それぞれ、東欧各国の政治事情と全く無縁ではありえません。
そして、米原さんが彼女達と別れた後の30年間、東欧諸国は共産主義の崩壊、地域紛争勃発という激動に揺さぶられた訳です。3人との文通は既に途絶えており、消息不明。
したがって、久々に訪れた東欧で彼女たちを捜し求め、遂に再会を果たすまでの道筋はまさにドラマチック、胸熱くなります。
また、3人の辿ってきた人生も波瀾万丈と言えるでしょう。しかし、すべて米原さんが肯定できるものとは限りません。リッツァ、ヤスミンカに対すると異なり、アーニャに対しては批判的にならざるを得ない。
考えさせられることが沢山あります。是非お薦めしたい一冊。

リッツァの夢見た青空/嘘つきアーニャの真っ赤な真実/白い都のヤスミンカ

2002.08.25追記
共産主義崩壊の道筋の過程で、一少女だったリッツァ、ヤスミンカも、政治および民族意識の激流に翻弄されずにはおかれなかった、と言えます。西側からみると単に資本主義の勝利ということ済まされることかもしれませんが、単一民族かつ島国である日本人からすると予想もつかないことが起き、そして現在も続いているというのが実態。
平和・協調を目指すにしろ、究極の根底にあるのは一人一人の意識でしょう。アーニャ1人をとってみても、その困難さ、道のりの遠さをつくづく感じます。

      

4.

●「オリガ・モリソヴナの反語法」● ★★★      ドゥマゴ文学賞


オリガ・モリソヴナの反語法画像

2002年10月
集英社刊
(1800円+税)

 

2006/06/20

 

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米原さんには珍しい小説作品。
米原さんご本人と同じようにチェコ・プラハのソビエト学校で学び、現在はロシア語翻訳者の仕事をしているという日本人女性、弘世志摩が主人公。
チェコで暮らしていた頃から28年を経た現在、当時のソビエト学校で良くも悪くも名物教師だった舞踏担当のオリガ・モリソヴナの謎を解き明かそうとするストーリィです。

オリガ・モリソヴナが浴びせかける罵倒は実に容赦ない。仰天するような猥雑なセリフが飛び出すのはいつものこと。そして、相手を罵倒するのに大袈裟にわざとらしく褒めるというのがオリガのいつもの手。表題の「反語法」とはその意味だそうです。
高齢だというのにいつも派手な恰好のオリガですけれど、鍛えられた筋肉をもつ身体つきは見事だし、およそ舞踏なら何でもこなす優れた踊り手でもあった。それ故に彼女の指導による舞踏発表会は評判が高く、生徒達の人気も高かった。
そんなオリガに魅せられて若い頃ダンサーを目指した志摩にとって、とくに彼女の思い出は濃い。でも当時から、オリガと彼女が仲良かったフランス語の老教師エレオノーラ・ミハイロヴナの2人には謎めいたところがあった。
旧ソ連が倒壊した現在、志摩はオリガ・モリソヴナの謎を解き明かそうとロシアを訪れます。オリガという女性の変遷極まる人生をたどるストーリィとばかり思ったのですが、本書の内容はそんな私の予想を覆すものでした。
それは、ソビエト政権下、スターリンの粛清下における数多くの女性たちの受難史というべきもの。
志摩が一人で調べ始めた途中から、興味をもって協力してくれる女性たちが現れます。エストラーダ劇場のプリマであるナターシャ、衣装係の老婦人マリヤ・イワノヴナ、そしてかつての親友で28年ぶりに再会したカーチャ

この作品に惹き込まれてしまう理由は、一気に謎を解き明かすのではなく、志摩たちが歩き回って調べていく中で徐々に当時の女性たちが味わった過酷な運命が姿を現していくという、その展開の見事さにあります。
また、本ストーリィの素晴らしさは、数多くの女性たちが味わった過酷な歴史の断面が、志摩たちごく普通の女性たちの手で明らかにされていくところにあります。
年月を超えた女性たち同士の共感、同胞意識というものを強く感じさせられます。現に、志摩とたまたま知り合ったという関係だけのナターシャ、マリヤ・イワノヴナも一所懸命になって謎解きに尽力してくれるのですから。
当時の旧友に再会し全てが明らかにされたとき、感動というよりも過酷な運命に耐え抜いてきた女性たちの“生”の重みを強く感じざる得ません。
そして、こうした作品を書いた米原さんが56歳という若さで亡くなられたことを改めて惜しむ気持ちでいっぱいになります。

         

5.

●「米原万里の愛の法則」● ★★


米原万里の「愛の法則」画像

2007年08月
集英社新書刊

(660円+税)

 

2006/10/24

 

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卵巣がんがみつかり既に闘病生活に入っていた時期の4つの講演をまとめた一冊とのこと。

まず最初は、種の存続において「女性が本流、男性はサンプル」という説を米原さんが堂々と繰り広げる章。
男性としては呆然として拝聴してしまうのですが、そこにこそ米原さんの話術の真骨頂が発揮されていると感じます。
印象的な語句を用いて主旨を明快にする。そのうえで判り易くかつテンポよく話を展開していくので、聞き手としては疑問を挟む余地もない、という有り様。単に勢いがあるというのではなく、着眼点が秀逸だし、ユーモアもあり、まして口調が小気味良い。この点が米原さんのたまらない魅力と思う次第。
ただし、人類生殖論としては、竹内久美子「浮気人類進化論の方に私は組みしたいですけど(笑)。

しかし、米原エッセイの面白さは、やはり同時通訳という体験談に基づく話にこそ発揮されます。
第2章は「国際化」「グローバリゼーション」の違い、さらに日本でいうグローバリゼーションと英米がいうグローバリゼーションとではその意味が異なる、ということについて。
そして第3〜4章では、コミュニケーションについて同時通訳という体験に基づく面白い、かつ耳を傾けるに値するエピソードの数々が語られます。もっとも米原さんのエッセイ本を幾冊か読んでいると既に耳にしたこともありますが、幾度聞こうと面白いものは面白い。
それより、コミュニケーションとは言葉が理解できる、できないという前に、まず相手とコミュニケーションを通じ合わせようとする気持ちの方が大事なのではないか、と改めて感じさせられます。
本書で触れることができるのは、米原万里さんの魅力のホンの一部分。米原さんの魅力をもっと味わいたいと思われたら、是非エッセイ本を手に取ってみることをお勧めします。

愛の法則/国際化とグローバリゼーションのあいだ/理解と誤解のあいだ−通訳の誤解と可能性−/通訳と翻訳の違い

   


   

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