小谷野敦(こやのあつし)著作のページ


1962年茨城県生、東京大学文学部英文科卒、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了。2007年現在、東京大学非常勤講師。

 
1.
日本売春史

2.童貞放浪記

 


 

1.

●「日本売春史−遊業女婦からソープランドまで−」● ★☆




2007年09月
新潮選書刊

(1100円+税)

 

2007/11/26

 

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高校から大学にかけての頃、フックス「風俗の歴史」全9巻(角川文庫)を読んでいました。歴史の表舞台に隠れた裏の歴史というべき社会風俗の変遷、それもまた歴史の一部に他ならないと興味を強く覚えました。
本書への興味も、上記から一貫したものです。

題名は「史」ですが、本書の主眼は売春の歴史を漠然となぞることにはない。
娼婦の起源は巫女であり、その昔娼婦は聖なる存在であった。あるいは遊郭は日本の誇る文化であったとする、「現在わが国に存在する職業としての売春を黙殺して過去を賛美する」姿勢を「古代から現代に至るまで、一貫した日本売春史を記述する」ことによって糾弾することが目的である、という。
(その中でも象徴的に批判されているのが、非農業の職人らを天皇に直属する民として位置づけ、遊女もそんな職人に含める網野史学)

中世においてはそもそも“売春”をひとくくりにすることさえ困難と思えますが、明治期以降は社会問題のひとつとして取上げられてくるのでさすがに「史」というに相応しい内容となる。
しかし、その中に坪内逍遥、森鴎外、夏目漱石志賀直哉、里見惇らまで引っ張り出されてくるとは思いも寄らなかったこと。彼の文豪たちも今頃あの世で目を白黒させているのではないでしょうか。
理想論は理想論として、犯罪が決して無くならないのと同様に、現実において売春も無くなることはまずないだろうと思います。現在の様々な風俗産業をみても、需要があれば供給もあるというのが現実ですから。
なお、筆者は何も売春を正当化している訳ではなく、売春を賛美するような論説に異議を唱えているだけ、というのが本書のありのままの姿です。
実際、学者の論説とは別に、酒井あゆみ、中村うさぎ(未読)、河合香織といった現実を実証した本が出版されていることと対照すると、小谷野さんの批判がいかに実証的な意見かと同感するのです。
日本において売春は合法ではありませんが、実際に存在しているのは周知の事実。その建前と本音の使い分けが歴史研究の上でも繰り返されていると思うと、呆れるというのが正直な気持ち。

売春に起源はあるのか/古代の遊女は巫女が起源か/遊女論争−網野善彦による「密輸入」−/「聖なる性」論の起源/中世の遊女と網野史学/近世の遊女史/岡場所、地方遊郭、飯盛女/日本近代の売春−廃娼運動と自由恋愛−

   

2.

●「童貞放浪記」● 




2008年05月
幻冬舎刊

(1500円+税)

 

2008/07/13

 

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表題作「童貞放浪記」という題名はとても印象度が強いものですが、要は童貞をなかなか卒業できない大学講師が、好きな女性が出来ても結局思うようにいかないという、ある意味では青年ストーリィ。
主人公の童貞をめぐる部分は本作品に滑稽味をもたらしていますが、そのことが問題なのではなく、女性に対して大胆に、あるいは敢然と行動できないところに、本書主人公の問題点があるようです。
何故行動できないかというと、女性のちょっとした言葉尻をとらえて、大事にとらえたり、勇気を出せなかったりという按配。
でも決して主人公を愚かだと笑うことは出来ません。本来文学オタク、昔風に言えば文学青年においては、そうした傾向なきにしもあらずだった、と思いますから。
(女の子とおしゃべりするより小説を読んでいる方が面白いと思っていたら、女性との付き合い方、ちっとも向上しませんよ)

「黒髪の匂う女」の主人公もまた古典文学の研究者で、大学に職を求めようとしている人物。「童貞放浪記」の主人公と合い通じるところが多い。
主人公は、割と親しくしている2歳年上の女性研究者に恋する訳ですが、これまた逡巡しているばかりでなかなか前進しない。
2篇続けてこうした展開をながなか続けられますと、さすがにじれったく、馬鹿馬鹿しい気分になって、読む気が衰えます。

「ミゼラブル・ハイスクール1978」は、文学オタクで小説家になってやろうと思っている男子高校生が主人公。
高校入学した頃はイジメにあっていたものの、2年になって成績が上がってくるとイジメの対象になることもなくなるので、決してミゼラブルではないと思うのですが、文学オタクをやっていると華やかな高校生活とはどうも無縁になりがち。
ただ、私自身の高校生活を振り返りながら読んでみると共感を持つところが多分にあり、他の2篇より親近感で上回りました。

この3作の中に小谷野さんの実体験がどの程度含まれているのかいないのか、皆目判りませんが、今でこそ愚かしく思えるような話にしろ、当時としては決して物珍しい、ことではなかったのではないでしょう。
なにやら昔の文学青年像を観るようで、懐かしみを感じました。

童貞放浪記/黒髪の匂う女/ミゼラブル・ハイスクール1978

  


  

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