江藤 淳著作のページ


1932年東京生、99年没。慶應義塾大学文学部英文科卒。56年評論「夏目漱石」にて文学評論界に華々しくデビュー。62年「小林秀雄」にて新潮社文学賞、70年「漱石とその時代 第一部・第二部」にて菊池寛賞および野間文芸賞、75年「海は甦る」にて文芸春秋読者賞を受賞。76年に日本芸術院賞を受賞。東京工業大学教授、慶應義塾大学教授、大正大学教授を歴任。


1.
「漱石のその時代」刊行推移

2.漱石とその時代 第一部・第二部

3.漱石とその時代 第三部

4.漱石とその時代 第四部

5.漱石とその時代 第五部

 


 

1.

「漱石とその時代」(新潮選書)刊行推移

 

第一部 1970.08.20刊行 1979.02読了
慶応3年(1867)1月5日の生誕から、明治33年夏の五高教授時代まで

第二部 1970.08.31刊行 1979.02読了
明治33年(1900)10月ロンドンへの留学直前から、明治37年「吾輩は猫である」執筆まで

第三部 1993.10.23刊行 1993.12読了
明治38年1月「吾輩は猫である」の発表から、明治40年文化大学講師を辞任して東京朝日新聞に入社するまで

第四部 1996.10.26刊行 1996.11読了
明治40年3月東京朝日新聞の小説記者となってから、明治天皇崩御による明治の終焉まで 「虞美人草」「三四郎」「それから」「門」

第五部 1999.12.20刊行 2000.02読了
大正元年の
「行人」から「こころ」「道草」の晩年まで

 

2.

●「漱石とその時代 第一部・第二部」● ★★

  

 
1970年8月
新潮選書刊
(1100・950円)

  

1979/02/25

これまで漱石がこれほど傷ついた内面を抱えていたとは、まるで知りませんでした。いや、漱石が英国留学を失意をもって終えたことは知っていましたが、それについて明確な認識はもっていなかった。
それは、「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」などに見られる明朗性、開放性の故であったろうし、それと同時に、漱石を鴎外とならぶ日本文学の巨人としての認識を、常識として与えられていたことに他ならない。
私にしても、前期における明朗、陽気な作品と、後期における「道草」のようなシリアスな作品との相反、作者の精神的変遷に関する知識はもっていた。しかし、それらのすべての作品に潜む深刻さ、作者の実生活との関連にかかる認識を、まるで欠いていたのである。それらを知らずに漱石を読むことは、作品のストーリィを知るのみであって、文学を読むとはとても言い難い。

江藤さんがこの評伝の中に描き出したものは、単に漱石=個人の伝記ではなく、明治初期における知識人の闘争と葛藤なのである。
病んで死にいたる、正岡子規、高山秩牛などの若く傷ついた心、漱石のように家庭と生活と現実に苦しめられ、精神的窮地に追い込まれた先覚者たち、その姿を知らずして明治の文学勃興を語ることは不正確であるし、漱石に浸ることも無意味であるように思える。漱石を主に読んだのはもう10年も前になるが、再び読み、その表面に隠された漱石の傷跡に指を這わせてみたい衝動にかられる。
幼少の頃養子に出された先で夫婦の争いにまきこまれた寂寥感、実家に引き取られた後の孤独感、ひとりで世に立つ重圧感、妻を娶り家庭をもって教壇にたつ自立感。
英国留学中における、英文学に対する絶望感。それは人生の目的を根底から崩し、自分の生活をも崩壊させる。異国にあって、周囲との違和感を知り、重圧にさらされ続ける緊張感。
一個の人間が、これほどまでに多様な苦しみを課せられるのかと、信じ難い思いにかられる。その一方、正岡子規もまた、彼を襲った絶望的な病に苦しめ続けられるという事実を受け入れなければならなかった。
まさに、“漱石とその時代”であって、今まであまり知ることのなかった時代の側面でした。

慶応三年/生家の人々/江戸から東京へ/「必ず無用の人と、なることなかれ」/母の感触/消えた西郷星/儒学と洋楽の間/こぼれ落ちた者/職業と「アッコンプリッシメント」/夏目家への復籍/子規との出遭い/ある厭世観/登世という嫂/西洋と日本/病める子規/Manly love of Comrades /霧の中の「生」/松山行/「ドメスチック・ハッピネス」/結婚/星別れんとする晨/国家の官吏/「草枕」の旅

事件/深更のランプ/留学/蒼海の夢/世紀末のロンドン/クレイグ先生/崩壊の端緒/A Handsome Jap/不安/病める心/霧/日英同盟/「夏目狂せり」/子規逝くや・・・・/帰って来た男/文化大学講師/戦雲濃し/創造の夜明け/ある時代の終末/日露開戦/作家漱石の誕生

 

3.

●「漱石とその時代 第三部」● ★★




1993年10月
新潮選書刊
(1650円+税)

 

1993/12/23

「猫」から坊ちゃん」「草枕、そして大学講師を退職して東京朝日新聞への入社という、漱石が作家として成り立つ過程を描いた部分です。
大岡昇平「小説家夏目漱石に同感し、「漱石とその時代 第一部・第二部」に批判的になりつつも、こうして詳細に分析された評伝を読むと、大部分を納得してしまいます。
そして、面白さを感じるのは、やはり夏目漱石の人柄が持つ面白さ、漱石の育つ過程と成人して後への影響という点にあります。興味尽きない問題点がそこにあるからでしょう。

本書においては、養父・塩原昌之助との問題が生じてきます。
夏目家が塩原家から金之助(漱石)の籍を抜くにあたり、昌之助は夏目家に断らないまま金之助から互いに不実不人情に相成らざる様致候という旨の念書を差し入れさせていたとか。草枕の冒頭で、人の世の住みにくさを漱石は訴えていると言います。漱石は、断然“人の世”の壁外に去るのみだと、心を固めていたのかもしれない。
また、漱石の朝日新聞への入社を決める際の条件闘争は、極めて興味深いものがあります。それだけ漱石の立場は孤独で自分一人が頼り、という思いが強かったためだと思われます。
入社の条件等を問い合わせる手紙を読むと、漱石が大学を辞める覚悟を固めるにあたり、何より収入とその将来的な地位の安全を心配していたことが判ります。作家としての自信などは、まだ確固たる状況ではなかったのでしょう。

名前のない猫/「無所属の紳士」/距離と短縮/新しい言葉/日常化した死/パナマの帽子/「描けども成らず」/人生の真実/処女出版/隠蔽のための喩/陸軍凱旋/四つ目垣とボール/「崖下」の風景/英語学試験嘱托辞任/「コンフエツション」の文学/「破戒」の衝撃/根津権現裏門坂/京都行きの噂/桃源の無可有郷/血縁と婚姻の網の目/「寒」い「気分」/木曜会/転居騒ぎ/朝日新聞社入社始末

 

4.

●「漱石とその時代 第四部」●


   

1996年10月
新潮選書刊
(1748円+税)

 

       感想なし

 

「寒い」漱石/「功利的にて無責任」/「杜鵑厠なかばに・・・・」/文名の翳り/早稲田南町/二葉亭の挑戦/「暗い所」への下降/虚子と藤村の間/夢中の夢/猫の死/「白船」来航/「永日小品」/「情誼問題」と「権利問題」/太陽雑誌名家投票/「それから」のコンテ/「総裁」の客/朝日文芸欄/「門」の題名/「文芸とヒロイツク」/修善寺の大患/病気と「公人」/「学位辞退の件」/「朝日新聞社記者招聘講演会」/三山退社/天皇崩御

  

5.

●「漱石とその時代 第五部」● 

 

  

1999年12月
新潮選書刊
(1600円+税)

 
2000/02/15

東京朝日新聞社の小説記者となりながら、思うように作品の執筆が進まない漱石の苦しさから第五部は始まります。
とくに「行人」には苦しんだようで、途中で新聞連載を休止して、その後にまた再開したりしています。

朝日新聞社入社後を描いた第四部は、「虞美人草」「三四郎」「それから」「門」等の立て続けの創作、養父・塩原昌之助の出現、修善寺の大患と、いろいろな出来事があった分面白く読めましたが、この第五部では漱石にかなりの翳りが感じられます。
作品的には、「こころ」「硝子戸の中」「道草」が書かれた時期ですが、漱石の胃潰瘍も進み、執筆にかなり苦しんでいる様子ですし、朝日新聞側の漱石に対する評価も低下しているようです。
さあ、いよいよ漱石の最後の部分へ、という直前で中断してしまったという観があり、残念に思えます。

大正元年九月/孤独感/ヴェロナールの眠り/「銀の匙」/「行人」の完結/「閑来放鶴図」/「心」と「先生の遺書」/欧州大動乱/自費出版/「不愉快」と「不安」と「自己本位」/「硝子戸」の内外/京に病む/「事業」の色/「道草」の時空間/「父なるもの」

 

江藤淳さんの漱石と嫂・登世の不倫関係説を徹底的に批判した著作として、大岡昇平「小説家夏目漱石があります。両作品を比べて読むと興味深いものがあります。
    

漱石の未完作「明暗」の続編を水村美苗さんが書き上げています。とてもよく書かれており、お薦めしたい作品です。(→ 水村美苗「続 明暗」)

 


 

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