アラン・パーマー著作のページ


Alan Palmer  1926年イギリス生、オックスフォード大学卒。歴史家。

 


 

●「オスマン帝国衰亡史」● 
  
原題:THE DECLINE AND FALL OF THE OTTOMAN EMPIRE”




1992年発表

1998年3月
中央公論社刊
(3300円+税)

 

1998/12/24

この本は、オスマン帝国がメフメット二世により1453年コンスタンティノープルを征服し、ビザンティン帝国を滅ぼしたところから語り始められます。その点で、著者はギボン「ローマ帝国衰亡史」を引き継ぐことを意図していたように思われます。
メフメット二世は、征服後自ら「ローマ皇帝」という称号を名乗っていたそうです。また、代々のスルタンは国内のギリシア正教徒を庇護していたとか。つまり、オスマン帝国自体がローマ帝国を継承した存在だったようです。
その後のオスマン帝国は、16世紀の
スレイマン一世の時に最盛期を迎えた後は、衰退の道を辿っていきます。まるで、ビザンティン帝国の歴史を同様に辿っていたように思われます。本書を読むと、本当にオスマン帝国はヨレヨレでした。それなのに、どうしてオスマン帝国は1922年まで 600年以上も存続しえたのか。衰退の理由を指摘するより、何故それ程長く続いたのかその理由を見つけ出すことの方が難しい、と著者は語っています。
フランス、ロシア、イギリス、ドイツと、オスマン帝国はヨーロッパ列強の干渉を受けざるを得ませんでした。もはや、列強諸国は領土的拡張より利権を追い求めていたように思われます。当然注目されるのは、コンスタンティノープルという要地。
コンスタンティノープルを支配していたから列強の干渉を受けざるを得なかった、同時に、だからこそ列強間のせめぎ合いの結果として存続し得たとも言えます。
それらは、すべてビザンティン帝国の宿命を継承した故のことと思うと、歴史の面白さを感じます。
スルタン(同じにカリフ)の権力の弱体化、立憲君主制への移行、そして第一次世界大戦でドイツと同盟し敗戦、トルコ革命による帝国の消滅。最後のカリフ・アブデュルメジト二世は寂しく国を離れ、パリで人知れず死にました。
しかし、オスマン帝国弱体下にバルカン地方にて紛争が起こり、ユーゴスラヴィアという連邦国家を経て現在の紛争に繋がっているかと思うと、オスマン帝国は過去の歴史にすぎない、とは決して言いきれないことのように思います。

 


 

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