●「ローマ帝国衰亡史・第8巻」●

 

45〜49章

565-1356年

 

1991/10/28

この第8巻は、ユスティニアヌス大帝後、 565年から1195年までの 600年間を一気に語り進めます。これまでの7巻に匹敵する期間です。その過程でいくつもの王朝が栄え、滅びます。
タイムトンネルの中を通り抜けるようなもので、時間的感覚がまるで追いつきません。
また、この巻では、キリスト教における各派の対立が記されています。アレクサンドリアのキュロス、コンスタンティノポリスのネストリウス。各派の対立は、地域文化の対立でもあったように思われます。ローマ、アレキサンドリア、コンスタンティノポリス、シリアと。
キリスト教世界においても、覇権を争って止まない西欧文化の真髄を見る思いです。対立する派の人間に対しては悪魔であるかのように語り、残酷な所業をも辞さない。それでも宗教者かと、疑いをかけたくなります。
第48章はもの凄い勢いで歴史の時間を繰り上がりました。7世紀から12世紀まで。そして第49章は、西ローマ帝国を中心とした西ヨーロッパの変遷について。
フランク王国の興隆、
シャルルマーニュのローマ皇帝即位、オットー大帝を経て西欧社会の幕開けにまで達しています。ビザンティン帝国がなんとか維持されている間に、ここまで歴史は移り変わっていたのです。
ビザンティン帝国が帝制を維持していくのに反して、キリスト教の宗教論争から地域対立が起こり、西ヨーロッパ対ビザンティンのギリシア社会という対立が生じます。それは即ち、自由と帝制の対立でもありました。
ローマ法王が東ローマ皇帝から離反していく中で、フランク王国の隆盛、
シャルルマーニュという絶大な権力者が現れる。西ローマ帝国西ローマ皇帝の復活は、東ローマ帝国からの独立、西ヨーロッパ社会の自立と、法王即ち神の認めた大権という権威付けの、相互利益の賜物でした。
けれど、シャルルマーニュの後継者は、大権を維持することができなかった。そして後に
神聖ローマ帝国オットー大帝が登場した時、既に時代は封建領主による地方分権に変わっていたのでした。
“大帝”というべき絶大な権力者は、再び登場しなかった。それはローマ帝国が完全に歴史の中に終わった事を示しています。
西ヨーロッパがイベリア、フランス、ドイツ、イタリアと既に分かれたのにもかかわらず、ビザンティン帝国は依然として続いていたのです。これこそ歴史上の驚異すべきことと言えるような気がします。

 

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