吉村 昭作品のページ No.


1927年東京都日暮里生、学習院大学中退。1966年「星への旅」にて太宰治賞を受賞。その後「戦艦武蔵」執筆を契機として記録文学・歴史文学で新境地を開く。「戦艦武蔵」等にて菊池寛賞、「ふぉん・しいほるとの娘」にて吉川英治文学賞、「破獄」にて読売文学賞、「冷い夏、熱い夏」にて毎日芸術賞、「天狗争乱」にて大佛次郎賞を受賞。2006年07月すい臓癌により死去。


1.星への旅

2.戦艦武蔵

3.大本営が震えた日

4.漂流

5.高熱隧道

6.ふぉん・しいほるとの娘

7.ポーツマスの旗

8.破船

9.破獄

10.冷い夏、熱い夏


仮釈放、桜田門外ノ変、白い航跡、私の文学漂流、天狗争乱、彦九郎山河、プリズンの満月、生麦事件、天に遊ぶ、アメリカ彦蔵

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夜明けの雷鳴、島抜け、敵討、見えない橋、大黒屋光太夫、彰義隊、死顔、回り灯籠、ひとり旅、三陸海岸大津波

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1.

●「星への旅」● ★★   太宰治賞

   

新潮文庫

 

1992/12/23

“記録文学”以前の吉村さんの代表作品集。
透明感ある文章、ストーリィが印象的でした。

本書に収録された中では、やはり「少女架刑」が印象的です。
「呼吸がとまった瞬間から、急にあたりに立ち込めていた濃密な霧が一時に晴れ渡ったような清清しい空気に私は包まれていた」
この冒頭の一節から、心を洗われるような清々しさを感じます。主人公は、死んだ後の少女です。
貧しい故に死体を病院に売られる。自宅から運び出され、車で病院へ。そして解剖に付され、何度も実験の道具とされ、最後には骨となります。
その一部始終が、死体となった少女の眼で語られます。気持ちが悪いというより、透明感のある文章によって、むしろ気持ちの良い清々しさが後に残ります。

星への旅/鉄橋/少女架刑/透明標本

  

2.

●「戦艦武蔵」● ★★

  

1966年09月
新潮社刊

 
1971年08月
新潮文庫

 


1992/12/13

吉村さんが“記録文学”というジャンルで躍進する契機となった作品。
太平洋戦争直前、海軍において、2隻の新型・大型戦艦の建造が極秘裏に決定されます。呉の海軍工廠での第一号艦
「大和」、長崎の三菱重工造船所で建造される第二号艦「武蔵」です。この2隻は全くの同型。
この、「武蔵」建造の一部始終を描いたのが、本作品です。
建造開始当初の現場における重圧感、工事進捗に連れて生じる興奮。そして、完成間近において、この巨艦は、独立した巨大な生き物、大日本帝国存続の象徴と、参加した人々には映るようになります。
「武蔵」を主題にしながらも、当時の戦争の在り方、日本人の受け止め方、そして、それに対する現実および結果という構造を明白に示している記録文学だと思います。
「武蔵」という巨大な機械が、まるで生命を持っているかのように感じさせられたことが、忘れがたい印象として残ります。

   

3.

●「大本営が震えた日」● ★☆

  

1968年
新潮社刊

1981年11月
新潮文庫

 

1998/05/17

昭和16年12月08日太平洋戦争が開戦。その直前、ハワイ・東南アジアでの陸海軍による奇襲攻撃を極秘に進めるため、さまざまな局面で綱渡りのような苦労が重ねられていた。
でも、それは一体何のためだったのだろうか。それより開戦の適否をもっと研究すべきではなかったのか。また、奇襲なくして勝機もなかったということなのか。今から思うと疑問に思わざるをえないことが、軍上層部の一部だけの判断で、国民・兵士の殆どが知らされないまま企画されていたのである。ちょうど破綻した大手企業の内幕のように。
また、タイへの
“平和進駐”とは一体何なのか。他国への自国軍の侵入を “平和”と称するなどエゴ以外の何物でもないのでは。
本作品は事実を詳細に告げるドキュメント。その事実の意味を考えるのは読者の役割です。

  

4.

●「漂 流」● ★★

  

1976年05月
新潮社刊

 
1980年11月
新潮文庫

 


1999/11/13

江戸期には漂流者が多かったそうです。その理由は、千石船による海上運送が盛んだったこと、それにも拘らず千石船が構造上シケに弱く、また舵が壊れやすかったこと。さらに、黒潮という早い潮流の存在があったため、ということです。
本書は、実際、天明年間(1785年)に絶海の火山島に漂着し、そこで12年間にわたる苦闘の生活の末、見事故郷に生還した土佐の船乗り・
長平を描いた物語です。
無人島に4人で漂着したものの、あとの3人が次々と死んでいき、ただ一人残された孤独感、水がなく、樹木もろくにないという過酷な環境。
吉村さんは淡々とこの物語を進めていきますが、主人公・長平の胸の内を思うと、この物語の壮絶さを感じざるを得ません。長平の強い意志力、常に前向きな姿勢には、圧倒される思いです。
この島はあほう鳥の群棲地だったわけですが、春に飛び去り秋に舞い戻るその姿が、本作品においては実に印象的です。
飾り気のまるでない、そして生きることだけに終始した物語という作品ですが、静かな、そしていつまでも忘れられない感動を与えてくれます。
冒険物語としての漂流記とは、まるで異なります。

  

5.

●「高熱隧道」● ★★

  

1967年06月
新潮社刊

 
1975年07月
新潮文庫

 


1992/12/19

太平洋戦争開始直前、黒部峡谷奥におけるトンネル工事の悲惨な状況を描いた 記録小説。
高熱断層に突き当たった工事は、難航を極めます。トンネル内の温度は、45℃を遥かに超え、ピーク 140℃に達する熱さ。人夫達の苦闘、ダイナマイトの発火事故...
バラバラになった人体を抱き上げ、ムシロの上で人体を組み合わせていく場面は、壮絶です。
よくも、こんな工事が許可されたものだと思います。大戦前の国家非常時という、“国家優先”の考え方が優位な時代だったからかもしれません。相次ぐ大規模な惨事に、地元地公体・警察が工事中止命令を出しても、天皇からの弔慰金が下賜されると、もう反対の声は上がらなくなってしまう。
吉村さんの鋭い眼は、技師達と人夫達の関係を、冷酷に暴き出しています。技師達にとっては、工事完成は自分たちのプライドに関わることであり、人命以上の必然性になってきます。そして、彼らには生命が危ぶまれる現場に立つ事はない。一方、多くの金を得るため敢えて危険な場所で働く人夫達には、そんな認識はない。
技師達と人夫達の駆け引きの凄さが様々な局面にて描かれており、吉村さんの記録小説の力量を感じさせられた作品です。

   

6.

●「ふぉん・しいほるとの娘(上下)」● ★★☆  吉川英治文学賞

  

1978年03月
毎日新聞社刊

1981年11月
講談社文庫
(上中下)

1993年03月
新潮文庫
(上下)

 

1993/04/25

 

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私として涙を抑えかねることが度々あった、感動余りある作品でした。
本書は、幕末に来日し、日本に大きな足跡を残したドイツ人医師
シーボルトと、長崎の遊女・其扇(滝)との間に生まれた娘・の物語です。

シーボルトが日本を去った後、母の滝が嫁した俵屋時治郎は、混血児・稲に対しても寛容でした。そのお蔭で、稲は学問の上でも優れた才能を表し、自らオランダ語の習得に熱意を燃やし、やがて日本初の女医 としての道を歩むことになります。父親であり、名医と謳われたシーボルトの娘らしい運命だと言えます。
しかし、稲はその真摯な熱意に反して、幾多の宿命に翻弄されます。そうした悲運にも関わらす医業に励む稲の姿は、とても感動的です。
稲、稲の娘
タカの夫となる三瀬、来日したシーボルトの長男アレキサンデル(つまり稲の異母弟)と、時代の先端を駆けて行った人々の群像が、本作品の中で見事に浮かび上がってきます。その一方で、滝・稲・高子と、時代に翻弄されたような3代の女性の悲哀もまた描かれています。
明治期に入ると、先覚者だった稲の医術も、もはや時代に遅れたものとなりますが、新たな世代によって更に道が継がれていることに、光明を見出すような思いにかられます。
女性読者に、とくにお薦めしたい作品です。

       

7.

●「ポーツマスの旗」● ★★

  
ポーツマスの旗画像
 
1979年12月
新潮社刊

1983年05月
新潮文庫

  

2002/08/30

 

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日露戦争における日本−ロシアの講和交渉、その経過を詳細に書き綴った作品。
吉村作品において政治場面を描いた作品は珍しく、その点からも注目すべき一冊です。
...という前提は抜きにしても、日本・小村寿太郎(外相)全権とロシア・ウィッテ全権の講和交渉が、米・ポーツマスで始まると、もう目が離せなくなります。それくらい、緊迫感、迫真性、臨場感は見事なもの。余計な脚色を入れず、事実のみを淡々と書き綴っていくスタイルの吉村文学だからこそ感じる迫力だと思います。
日露戦争は単純に日本がロシアに勝利したと思っていましたが、日本はこれ以上の戦闘を続けることは、武器、人、財政の面でもはや不可能という状態に至っていた。一方、ロシアも、戦争継続派の声が強まる一方で内乱の危機が高まるという状況にあった。両国ともギリギリの状況におかれていた訳です。
そんな状況の中で両国の全権は、一瞬の隙も許されないギリギリの、かつ一進一退の交渉を続け、ついに交渉を実らせます。
今の日本からすると、これだけの外交交渉を過去の日本が出来ていたとは、とても信じられないこと。それを可能にしていたものは、独立国としての気概、独立を守るためのあらゆる努力、情報収集という裏づけがあり、さらに閣僚・元老たちの一致団結した協力体制があったからこそでしょう。
その点、何と今の日本はだらしないことか。外交は完全に米国頼み、外交交渉も単独ではまともにできない国など、もはや独立国とは言えないのではないでしょうか。
フィクションではなく事実であったからこそ、この緊迫感の重みは凄い。圧倒され尽くします。
それだけの苦労をしたうえでの講和であっても、当時は屈辱的な講和をしたとして、日本国内で暴動が起こり、小村全権および内閣は激しい非難にさらされた、と言います。本当に外交とは難しいものです。
なお、当時の内閣・陸軍とも日本の軍事力の限界を正しく認識していて、精神論を振りかざすことのなかったことが印象的。
吉村昭作品の中でも、是非お薦めしたい一冊です。

      

8.

●「破 船」● ★☆

   
破船画像
  
1982年02月
筑摩書房刊

1985年03月
新潮文庫

(476円+税)

 
2002/07/20

江戸時代、僻地の貧しい漁村の生きる厳しさと、過酷な運命を冷徹に描いた作品。
常に飢餓と対峙するような貧困。それ故、年頃の娘のみならず、家長である父親、女房までが数年身売りして、家族のため食糧を買い求める。そんな漁村が、救いとして毎年のように祈願するのは、“お船様”の到来。
すなわち、沖を通る船が座礁し、その荷を奪うことができるように、村中が祈るのです。さらに、塩焼きと称して夜中火を焚き、座礁を誘おうとする。
そんな極貧の中で生きる漁村の姿を、吉村さんは主人公・伊作の家族を通して描きます。父親は身売りして不在、母親と弟妹の5人暮らし。
久々のお船様到来に村中が歓喜しますが、翌年再び訪れたお船様は、村に過酷な運命をもたらします。
それは村への天罰だったのか、そもそもこんな過酷な状況の中で何故彼らは暮らし続けてきたのか、そんな風につい感じてしまいます。
しかし、吉村さんはそうした感情を一切排除するかのように、事実のみを冷徹に語っていきます。そんな厳然とした姿勢が印象に残る一冊。

   

9.

●「破 獄」● ★★★  読売文学賞

   

1983年11月
岩波書店刊

  
1986年12月
新潮文庫

 

1995/07/19

 

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太平洋戦争前後、刑務所脱獄を4回も実行した男の実録。
この作品は、その男・
佐久間清太郎の物語にとどまらず、当時の刑務所の状況を 辿る社会史にもなっています。
戦時中、若い看守は次々と徴兵され、給与面では軍需工場の方が恵まれていたにもかかわらず、人手不足故に過酷な条件下に責務を果たしていた刑務官達の姿。
網走刑務所を初め、食事面では刑務官達より囚人達の方が遥かに恵まれていたという事実。それにもかかわらず囚人達の食事には決して手を出さないという自己抑制。そして、敗戦、刑務官達に対する横暴、巣鴨プリズンの発足、自立性の復活という歴史。
そんな戦中・戦後においてさえ、佐久間という男の脱獄の記録は鮮烈で、それはフィクションを遥かに凌駕します。
味噌汁で手錠のナット、扉のねじを腐食させ、壁をも這い登ってしまう。頭脳、体力、計画力、実行力、そのいずれにも図抜けていた人物だったのでしょう。
脱獄を警戒するあまりに過酷な扱いとなり、それ故佐久間の反発心も強まって脱獄へ向かうエネルギーとなる。凄まじい両者間の闘争です。
最後の刑務所長の温厚な取り扱いにより、佐久間の脱獄の歴史も幕を閉じる。何のための過酷さだったのかと、徒労感を感じてしまいます。
歴史の重みとスリル、この二つの要素を充分味わえる、手応えある一冊です。

※昭和 11年青森刑務所脱獄、17年秋田刑務所脱獄、19年網走刑務所脱獄、22年札幌刑務所脱獄、36年仮出所(54才)、53年死去(71才)

   

10.

●「冷い夏、熱い夏」● ★★★  毎日芸術賞

   

1984年07月
新潮社刊

  
1990年06月
新潮文庫

 

1995/09/25

 

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著者の実弟が癌に冒され、死に至るまでの1年間の記録。
凄まじさを感じる。癌の恐ろしさ、闘病の様子、看病の様子。本人、周囲に癌であることを隠す是非。まさにそれらを語る文章は生々しい。
ことに苦痛を和らげるモルヒネが中毒化していき、数多く打たざるを得なくなってくる部分。それによる幻覚症状が生じ、殆どの時間が幻覚か苦痛という状態に陥る。にも拘わらず、本人の問いに対して癌であることを秘す。それは本当に正しいことなのかどうか、とても判りません。
また、死の1カ月前から著者は葬儀の段取りを考え、葬儀社に打ち合わせに赴く。弟を助けたいと思う一方で、現実として考えざるをえないことなのです。非道か否か。
自分の妻、兄弟にまで癌であることを秘した筆者に対する妻の言葉:
「あなたは恐ろしい人だと思う。もし私が癌になった時、癌じゃないとあなたが言っても、決して信用しない。」
厳しい言葉だと思う。兄が癌だった時も隠した、そのことを弟も知っていた。同じことが弟に対して繰り返される。強烈に印象に残った部分です。

    

読書りすと(吉村昭作品)

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