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11.流れる星をつかまえに 12.あわのまにまに 13.裸足でかけてくおかしな妻さん |
【作家歴】、しゃばん、グッモーエビアン!、戦場のガールズライフ、「処女同盟」第三号、少女病、14歳の周波数、ミドリのミ、名古屋16話、余命一年、男をかう、おんなのじかん |
「流れる星をつかまえに」 ★★ | |
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ままならない現実から一歩前に踏み出し、ストレスを発散しようとするかのような連作ストーリィ。 何といっても冒頭の「ママはダンシング・クイーン」、パート仲間の中年女性たちがチアチームを作り、名古屋ドームで開催される“ママチア”イベントに出場しようというストーリィなのですから傑作。 日頃おばさん扱いされ、我慢するばかりの日々から抜け出そうという訳ですが、よくぞ挑戦した!とエールを送りたい。 結局それが、仲間作りにも繋がったのですから、何でもやってみるものですねぇ、と思うところ。 ・「私の名前はキム・スンエ」:年頃になって突然、母親から在日韓国人だと明かされた佐藤姉妹のその後の葛藤を描く篇。 ・「彼が見つめる親指」:同級生の美鈴より、人気者の浩平のことの方が気になる高校生=小倉晴斗の戸惑いを描く篇。 ・「私はそれを待っている」:子どもが産めず3歳の時に養子をとった夕子。息子に対する想いは・・・。 ・「36年目の修学旅行」:今は高校の教師、でも帰化申請が間に合わず修学旅行に行けなかった経緯から、今も韓国に対して複雑な気持ちを抱く妹=佐藤笑未を描く篇。 最後の「プロムへようこそ(原題:Prom)」、これがまた愉快。 自分の高校でも卒業式のあと“プロム”を開催したいと、友人たちを仲間に引き入れ猪突猛進する葉月らを描いた篇。 これがもう、怒涛のような流れに完全に巻き込まれた、という読後感。 読み終えた時は、疲れたというか、発散できた、というか。 こんな怒涛の如き勢いはやはり若さがあってこそのことですね。 母親世代、その子供世代、在日韓国人の佐藤初未・笑未姉妹と、各篇の登場人物たちが繋がっている処も楽しめる理由です。 ママはダンシング・クイーン/私の名前はキム・スンエ/彼が見つめる親指/私はそれを待っている/36年目の修学旅行/プロムへようこそ(原題:Prom) |
「あわのまにまに」 ★☆ | |
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冒頭章の語り手は、小三の益子木綿(ゆう)。 祖母の吉木紺が死去し、その葬儀に益子家と、母方の叔母一家=川島家の全員が揃います。 そしてもう一人、叔父=杏一郎の母親である美幸も。 その美幸、紺に縋りつくように慟哭。何故?と思うと、元々美幸と紺は職場で出会い、同じ年に結婚し同じ年に出産、そして一緒にブティックを経営した親密な仲なのだという。 上記2029年から始まり、10年ずつ過去に遡りながら、この家族の歴史を辿っていくという構成のストーリィ。 当然ながら、各章での語り手もその都度変わっていきます。 この家族、木綿の母=いのりが再婚していて木綿とシオンは歳の離れた異父兄妹だといえば、いのりと叔母=操も紺が再婚していて異父姉妹であり、杏一郎は元々いのりと同い年の幼馴染であるとか、やたら関係がややこしい。 そして紺と美幸の家族には、何やら訳ありの関係があるのかと思えば、最後に明らかにされるのは思いもよらない秘密・・・。 ミステリあるいはサスペンスといった風味を感じる、ある家族が抱え込んでいた秘密を暴いていく連作ストーリィなのですが、そこにどのような意味があるのかというと、ちょっと理解できず。 家族の関係というのは、泡の産物のようなもの、ということなのでしょうか。 1.2029年のごみ屋敷/2.2019年のクルーズ船/3.2009年のロシアンルーレット/4.1999年の海の家/5.1989年のお葬式/6.1979年の子どもたち |
「裸足でかけてくおかしな妻さん」 ★★ | |
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面白い題名だなと感じて読んでみました。 しかし、ストーリー、面白い部分があるとはいえ、面白がっているだけではすまない内容。 何しろ、人気小説家が自分の子どもを妊娠した女性を、岐阜県の山間の集落にある自分で暮らす妻の元に預ける、というとんでもない処から始まるストーリーなのですから。 えっ、これはもう昔に言う、妻妾同居? それも不妊治療を諦めた本妻と妊娠している愛人という、かなりキツイ設定。 妊娠した楓を東京の仕事場兼住居にいつまでも住まわせてはいられないと思い始めた作家の金村太陽、妻である野ゆりの「こっちに連れて来たら」という言葉に乗っかり、楓を連れて岐阜の自宅へ。 そのまま三人で同居と思いきや、太陽はさっさと東京へ戻ってしまう。 残された楓と野ゆり、さてどんな同居生活になることやら。 当然のように楓を受け入れ、世話をする「妻さん」は一体どういう女性で、どう思っているのか。楓は不思議でならない。 そんな楓を描くのが第一章。 第二章は、夫との別居状況に何の不満も抱かず、畑仕事と近所の老人たちと交流して暮らす野ゆりの、これまでの半生と今の姿が描かれます。 なお、癌で余命宣告された太陽の実母である紘子も、駅前の店舗兼住宅で一人暮らしている。 第三章は、子どもが生まれた後の、楓と野ゆりが描かれます。 第一章ではどこか飄々とした「妻さん」に可笑し味も感じましたが、そう振る舞う訳が分かると、とても笑ってはいられません。 そもそも何と古い家族観に支配されているのか。 一方、楓と野ゆり、変化も含めた二人の関係が何とも面白い。そして紘子さんも、独特の存在感を発揮しています。 身勝手な男たちに反旗を翻す女たちの物語。 最後は、ある名作映画のラストシーンを思わせる痛快な幕切れ。 その最後があるからこそ、本作を肯定できます。 1.楓/2.野ゆり/3.私たち |