斎藤 憐作品のページ


1940年生、劇作家。早稲田大学露文科を中退して俳優座養成所に入所、66年自由劇場結成に参加。後に演劇センター68を結成。80年「上海バイスキング」にて岸田戯曲賞、97年「カナリア」にて第22回菊田一夫賞を受賞。


1.
幻の劇場 アーニー・パイル

2.ピンカートンの息子たち

 


 

1.

●「幻の劇場 アーニー・パイル」● ★★




1986年12
新潮社刊

1998年1月
ブロンズ新社

 

2001/06/25

歴史の裏側にある、戦後10年間の昭和史、といった作品です。
戦後、東京宝塚劇場は徴収され、日本に駐留する米兵たちの為のレヴュー劇場“アーニー・パイル”となったそうです。当然、日本人はこの劇場に入ることはできず、日本人にとってそれは“幻の劇場”であった訳です。本書は、このアーニー・パイル劇場を舞台としたフィクションですが、ノンフィクションに近い事実性をもっています。
ブロンズ新社から再版された時に、本書は
「アーニー・パイル劇場−GIを慰安したレヴューガール」と改題されていますが、副題が本書の内容を端的に語っています。
「GIと踊り子たちの数々の恋は“女に飢えていた戦勝国の男たち”と“物に飢えていた敗戦国の女たち”の利害の一致とみることもできよう。(中略)この時代の娘たちの幾人かが、世にもまれな白いブラウスのために、誰でも持って生まれた処女性ごときを捨てたといって非難してはいけない」という記述は、説得力に富んでいます。
それ程日本の男たちは自信を喪失し、それに代わって女たちが必死に日本を支えていたという観があります。

本書で描かれている日本の娘たちの行動は、井上ひさし「東京セブンローズと通じるものがあります。本書によって井上作品が決して絵空事でないことを裏付けられたように思います。
※なお、最後に米軍兵士と結婚してアメリカ本土に渡った戦争花嫁たちが、決して順調ではなかったことが語られており、かつて読んだ有吉佐和子「非色」を思い出しました。黒人兵と結婚して渡米したものの、日本で輝いていた彼等が米国に戻ると、打って変わって社会の下層であえぐマイノリティに過ぎなかったという事実を描いた作品です。

   

2.

●「ピンカートンの息子たち−昭和不良伝−」● ★★




2001年2
岩波書店刊
(1800円+税)

 

2001/05/27

題名にある「ピンカートン」とは、オペラ“蝶々夫人”に登場する米海軍士官のこと。本書はその題名のとおり、2人の日英混血児の生涯を追った本ですが、この2人の生涯はまるで両極端。おかげで、2冊の本を読んだような満足感があります。評伝と言うととかく堅苦しい傾向がありますが、本書はそんな評伝と違って、とにかく面白い、そこが魅力です。
倉場富三郎(1870生)は、長崎の商人トーマス・グラバーの正当な息子。後継ぎとして富裕な環境のもとに育てられ、度々留学もしていますが、比較的地味な一生だったと言えます。その為詳細な記録もないとの所為か、父グラバーのこと、オペラ「蝶々夫人」と三浦環のこと、戦時中の長崎、B29と原爆と、内容はどんどん横滑りしていきます。一体何の本だか忘れそうですが、横滑り方が極めて自然で興味が尽きません。それでいて、最後は長崎・グラバー園の4人の像に話を上手くまとめてしまう、流石です。
一方、英国商人リードの私生児として生まれた藤原義江(1898生)は、幼くして母親にも捨てられ、波乱万丈、呆れる程の女性遍歴を重ねた生涯。朝日新聞のお陰で世界的な「我等のテナー」として人気沸騰し、幼少期の悲惨さが想像もできないような派手派手の人生。とにかく国内・欧米を問わず、何処へ行ってもすぐ女性と関係を結んでしまう、というのが凄い。羨ましいというより、壮絶さを感じてしまいます。まさに「昭和不良伝」というサブタイトルにふさわしい人物。
そんな藤原義江をまるで芝居の舞台に置いて、斎藤さんが観客席にいるかのように感想を挟む、その言葉がくだけていてとても愉快です。
「もっと文子さんに感謝せにゃあ」「なんか、話がうますぎやしないか?」「テレビのご対面番組のノリ」「義江の散財の肩代わりなぞ、たかが知れている」「ちょっと待ってくれよ」等々。
また、明治・大正・昭和を語るに「殉死の明治」「情死の大正」「戦死の昭和」と表現。うまいなぁ。
評伝というより、多くの混血児を生み出した観点に立って日本の近代史を描いた1冊。小説以上のドラマ性をそこに感じます。

ある晴れた日に−倉場富三郎 / 蝶々夫人の放蕩息子−藤原義江

 


  

to Top Page     to 国内作家 Index