岡田利規
(としき)作品のページ


1973年神奈川県横浜市生。97年にソロ・ユニット“チェルフィッチェ”を旗揚げ。2005年「三月の5日間」にて第49回岸田國士戯曲賞を受賞。「三月の5日間」の小説化と、初めての創作小説「わたしの場所の複数」の2作を収録した「わたしたちに許された特別な時間の終わり」が初小説集。同作品にて08年第2回大江健三郎賞、20年タイの小説家ウティット・ヘーマムーンの原作を舞台化した「プラータナー:憑依のポートレート」にて第27回読売演劇大賞選考委員特別賞、21年戯曲集「未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀」にて第72回読売文学賞戯曲・シナリオ賞、22年同作にて第25回鶴屋南北戯曲賞、同年「ブロッコリー・レボリューション」にて第35回三島由紀夫賞を受賞。


1.わたしたちに許された特別な時間の終わり

2.ブロッコリー・レボリューション

  


 

1.

●「わたしたちに許された特別な時間の終わり」● ★☆


わたしたちに許された特別な時間の終わり

2007年02月
新潮社

(1300円+税)

2010年01月
新潮文庫



2007/03/31



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よくは判らなかったけれど、不思議な感じの残る2篇を収録。
「三月の5日間」は2005年岸田戯曲賞を受賞した作品の小説化であり、「わたしの場所の複数」は著者初の小説作品とのこと。

「三月の5日間」は、夜の六本木でたまたま知り合った男女2人がそのまま渋谷のラブホテルへ入り、途中1度だけ食事するために外へ出たものの後はこもりっきりでセックス、合間に取りとめのない会話を繰り返すというストーリィ。時はちょうど米軍がイラク戦争に踏み切った日。
途中男は、日常生活に戻ってTVをつけたら「あ、なんだよ、もう終わってるじゃん、戦争」みたいになるんじゃないかと女に言う。
世間が騒いでいる最中、それも喧騒の街・渋谷の只中でそんなことに一切関係ない5日間を過ごすというのが、奇跡的にも不思議なことにも思えてきます。
しかし、これって凄く恐いことにも思えます。現実的に起きている世界的に大きな出来事を、ラブホに閉じこもることで自分にとって単なるTV上でのドラマの如くにしてしまう、ということにも繋がるのですから。

「わたしの場所の複数」は、家に残っている妻が、バイトとバイトとの合間の早朝にベッカーズでうつぶせになって仮眠をとっている夫のことに思い巡らせるというストーリィ。
最初は夫のことを想像しているだけと思っていたのが、次第に夫やその周りの状況を傍にあって見ているかのように語っていく。
この妻、そして夫はどんな存在なのか。特にこの妻について、実は何なのか、と疑問が湧きあがって来ますが、それが説明されることはないまま終わります。
こういう複数の視点、舞台だったらあり得ないことで、戯曲とは異なる小説だからこそ可能となる、という意味の小説なのかと思う。

三月の5日間/わたしの場所の複数

     

2.

「ブロッコリー・レボリューション ★★     三島由紀夫賞


ブロッコリー・レボリューション

2022年06月
新潮社

(1800円+税)



2022/07/18



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小説は普通、三人称か、あるいは一人称。二人称もありますが割と珍しい。

冒頭の
「楽観的な方のケース」は一人称で語り出されているのですが、すぐ奇妙なことに気づきます。一人称のまま、自分の恋人である相手の、近所のパン屋に関わる行動まで語られているのです。
本来三人称で語られるべきことが、一人称で語られているということ。
するとこの一人称は、神の目線なのでしょうか。そしてその神とは作者なのでしょうか。
小説とは結局、作者が創り出したものに過ぎない、という諧謔を感じてしまう次第。

表題作
「ブロッコリー・レボリューション」は二人称で語られます。主人公と同居していた<きみ>は黙って2人の部屋から出ていき、行き先を告げないままタイのバンコクへ。
その<きみ>のバンコクでの日々が、バンコクにいるとは知らない筈の主人公によって二人称で語られる・・・。
これって、妄想なのでしょうか、小説の中での事実なのでしょうか。

本作の面白さは、一人称・二人称・三人称という小説の構造への挑戦にあるように感じられます。

※二人称で語られるストーリィは少ないのですが、私が忘れられない作品に
北村薫「ターンがあります。これは時間の歪みに囚われた主人公に親近感を覚えるための工夫で、本作のような試みとは全く異なるものですが。

楽観的な方のケース/ショッピングモールで過ごせなかった休日/ブレックファスト/黄金期/ブロッコリー・レボリューション

    


  

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