森見登美彦作品のページ No.1


1979年奈良県生駒市生、京都大学農学部生物機能科学学科応用生命科学コース卒、同大学院農学研究科修士課程修了。2003年「太陽の塔」にて第15回日本ファンタジーノベル大賞、07年「夜は短し歩けよ乙女」にて第20回山本周五郎賞、10年「ペンギン・ハイウェイ」にて第31回日本SF大賞を受賞。


1.
太陽の塔

2.四畳半神話体系

3.きつねのはなし

4.夜は短し歩けよ乙女

5.【新釈】走れメロス他四篇

6.有頂天家族

7.美女と竹林

8.恋文の技術

9.宵山万華鏡

10.奇想と微笑−太宰治傑作選−


ペンギン・ハイウェイ、四畳半王国見聞録、聖なる怠け者の冒険、有頂天家族−二代目の帰朝、夜行、ぐるぐる問答、太陽と乙女、熱帯、四畳半タイムマシンブルース、シャーロック・ホームズの凱旋

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1.

●「太陽の塔」● ★☆         日本ファンタジーノベル大賞


太陽の塔画像

2003年12月
新潮社刊

(1300円+税)

2006年6月
新潮文庫化


2004/01/12

京大生の妄想が京都の街をかけめぐる、青春グラフティ。
ファンタジーノベル大賞の選考会では「美点満載、文句なしの快作!」「一番強烈で一番笑いこけた作品」という評価だったそうです。

主人公は、ぼろアパートに住み、古自転車に乗り、折角付き合った女の子には袖にされ、大学にも行かずバイトばかりの生活をしている、という京大の五回生。
しかし、自ら言うには、愛車まなみ号であり、彼女の後を付回すのはストーカーではなく世界唯一の彼女研究であり、大学は自主休学中であると言う。

そんな主人公と、その友人たちの頭の中に描かれることは、社会一般の見方からすると、ズレている、妄想と言わざるを得ない。
しかし、放埓で独り善がりな、そんな学生たちの姿に、愉しさ、懐かしさを感じるのは、私だけではないでしょう。
私は東京育ちだったため大学も自宅通学で、下宿生活とは無縁でした。しかし、こんな学生時代を送っていたら、さぞ忘れ難い思い出になったことだろうと、ちょっと羨ましく思うのです。

   

2.

●「四畳半神話体系」● ★☆


四畳半神話体系画像

2005年01月
太田出版刊

2008年03月
角川文庫

(667円+税)



2010/08/09



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デビュー作太陽の塔には面喰い、4作目の夜は短し歩けよ乙女には狂喜した記憶は今も鮮やかですが、当時この第1作目から4作目への飛躍が驚きでした。
しかし今、本作品を間に挟むと、経緯が良く判ります。
そう、本作品こそ「太陽の塔」と「夜は短し歩けよ乙女」の間にあって2作を繋ぐストーリィ。

主人公は、下鴨幽水荘というもはや廃墟同然というべきボロアパート、その四畳半の部屋に住む京都の大学三回生。
彼の周辺に現れるのは、悪友(悪人というべきか?)の小津、もはや奇矯というべきアパート真上の部屋に住む樋口師匠
そして、小津や主人公と同様、樋口師匠の弟子という黒髪の乙女=明石さん、樋口師匠とずっと自虐的代理戦争を続けている相手である城ヶ崎先輩、歯科衛生士で飲むと人の顔を舐めたがるという羽貫さん
樋口師匠や小津に振り回され、意味もないような、愚かなことに時間と労力を費やしている大学生活が、4話に渡って繰り広げられます。
ただし、4話が連続した長篇物語ではなく、4話は各々独立。同じようなパターンのストーリィが、少しずつ変化を与えられ繰り返される、というのが本作品の趣向。そして、最終話の「八十日間四畳半一周」が各篇を総括するような位置。

愚かしい限りというべき大学生活で、その愚かしい部分ばかりが強調され繰り返される展開ですが、それもまた大学時代でしか味わえない経験と思えば、納得できるところもあり。
愚かしいことばかり繰り返しながら主人公、最後はいつも、めざす黒髪の乙女=明石さんとのきっかけをちゃんと掴んでいるのですから。

この作品だけを読んだのであれば「太陽の塔」に引き続き面喰うだけだったかもしれませんが、「夜は短し歩けよ乙女」に繋いでいく作品と思って読むと、その意味、手応えは十分あり。
なお、こうした大学生ストーリィ、東京よりやはり京都の方が相応しい。

四畳半恋ノ邪魔者/四畳半自虐的代理代理戦争/四畳半の甘い生活/八十日間四畳半一周

   

3.

●「きつねのはなし」● 


きつねのはなし画像

2006年10月
新潮社刊
(1400円+税)

2009年07月
新潮文庫化


2007/05/04


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京都を舞台にした怪奇譚、4篇を収録した短篇集。

これまで森見さんの古典的な語り口+奇想なストーリィに魅せられてきましたが、本書はそれらの作品に比べるとあれれ?と思うくらいオーソドックスな語り口。
4篇のうち3篇は、いずれも京都に下宿する大学生が主人公として第一人称で語られるストーリィ。
何がそこに待ち受けているのか、順々と語られていく怪奇譚なのですが、結局最後に至っても明瞭に解き明かされることはなく、解決が付く訳でもない。
各篇に共通するのは、一乗寺周辺という地理的な舞台と、芳蓮堂という小道具店が絡むことくらい。ただし、その芳蓮堂自体、冒頭の「きつねのはなし」で店の主人はナツメさんという若い女性なのに、以降の篇では店と関係のない女性として登場するのですから、どこまでも謎めいていることばかり。

各篇の中で、狐のようで胴体の長いケモノという存在が度々登場します。それが本書をして怪奇譚にならしめているのですが、京都を舞台にすると何と似つかわしいことか。
京都ではそんなことがあっても何ら不思議ではない、そんな京都という街の不可思議さに、ついつい魅力を感じてしまうのです。
この4篇では、時代設定が明確ではありません。いつの時代にも共通するような京都が描かれているのです。
京都での学生生活、いろいろあって楽しそうだなァと憧れてしまうのですから、いやはや不思議な怪奇譚と言うべきでしょう。

きつねのはなし/果実の中の龍/魔/水神

      

4.

●「夜は短し歩けよ乙女」● ★★★       山本周五郎賞


夜は短し歩けよ乙女画像

2006年11月
角川書店刊

(1500円+税)

2008年12月
角川文庫化



2007/03/08



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本書については、恋した相手=黒髪の乙女を追い求め、乙女の先輩にあたる主人公が京都の街並み、はたまた大学構内をさまよい歩く物語といったら良いでしょうか。
いやいや、それではとてもこの物語を語るには足りません。そんな言葉をはるかに超えた作品なのですから。
ファンタジーというべきか、荒唐無稽というべきか、はたまた前代未聞というべきか。そのどれひとつとして本書をぴったり言い表す言葉はありません。
本書は、ありきたりな青春+学園ラブ・ストーリィの如き平凡さなどどこかに蹴っ飛ばし、奇人変人が次々登場するわ、目を見張る展開が次々に繰り広げられるわといった、類稀な面白さを備えた快作なのです。
あとはもうご自分で読んでみてください、と言う他ありません。本書の面白さは、ストーリィそのものより、その醸し出す雰囲気にこそあるのですから。

クラブの後輩である黒髪の乙女に恋した男子学生。不器用な彼はちっとも彼女に近づけないまま、ひたすら彼女の後を追い求めます。その彼と、そんな先輩の気持ちを知りもしない彼女とが、交互に主人公となり第一人称にて物語を語っていく、という構成です。
彼と乙女は果たして結ばれうるのか、最後まで片思いに終わるのか。それが本小説における一番の関心どころです。
語り口が古風に仰々しいところがあるので、なおのこと妄想溢れんばかりの物語と思えるのですが(実際そうした部分もあり)、煎じ詰めれば純情このうえない彼の恋物語。
何といっても魅力あるのは、奇矯な人物が次々と登場するにもかかわらず、乙女も彼も肯定的に相手を受け留める、真っ直ぐな性格の人物であることです。
乙女を恋する彼と彼に恋された黒髪の乙女。この2人をはじめ、本書に登場するのは皆忘れ難い人物ばかり。
類稀な面白さ、痛快にして爽快、そして読書の快感を存分に味わうことのできる作品。是非お薦め!です。

夜は短し歩けよ乙女/深海魚たち/御都合主義者かく語りき/魔風邪恋風邪

  

5.

●「【新釈】走れメロス 他四篇」● ★★


走れメロス画像

2007年03月
祥伝社刊

(1400円+税)

2009年10月
祥伝社文庫化

2015年08月
角川文庫化



2007/04/17



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中島敦、芥川龍之介、太宰治、坂口安吾、森鴎外の名作を森見風にアレンジ、というより、奇矯なる森見ワールドに引きずり込んだうえで夜は短し歩けよ乙女的世界に再構築した、と言うべき短篇集。
途中、詭弁論部とか、パンツ総番長、象の尻の展示物なんていう言葉が飛び出してきますので、これはもう「夜は短し」と同じ京都の大学を舞台にしているなと、同作品の愛読者なら判る筈。

本書もまた奇人たる学生が幾人も登場しますが、その代表格が冒頭「山月記」の主人公たる斉藤秀太郎。奇人も奇人、ここまで至ってしまえばもう何をか況や。と言っても「夜は短し」程楽しめないのは、同作品のような青春の色香が感じられず、奇矯ぶりばかりが目立つ所為です。

そんな物足りなさも、「走れメロス」に至って吹き飛びました。これはもう、思わず吹き出してしまう面白さ!と言う他ない作品です。太宰の「走れメロス」は教科書にも取り上げられた名作ですから、ご存知の方も多いことでしょう。でも読んだ時、その余りの奇麗事さにかえっていかがわしさを感じたことはありませんでしたか? 
原作「走れメロス」は、そんないかがわしさを感じたことから、私にとってはかえって忘れ難いものとなった作品です。
本作品には、そんな原作の奇麗事を笑い飛ばし、足蹴にしてしまうような痛快さがあります。人質を救うために連れ戻されるなんて真っ平御免と、韋駄天の如く京都市中を縦横無尽に走り逃げまくる主人公のとんでもない姿には、幾度も声をあげて笑ってしまいます。そのうえ、最後のオチがまた笑える!
長年にわたる名作の重しを晴らしてもらって、溜飲が下がったような思いさえするのです(言い過ぎか?)。斉藤秀太郎はちょっと縁遠い奇人ですが、本作品の芽野史郎は身近な奇人と言えるでしょう。

※他の3篇もそれなりに楽しめる森見ワールドです。

山月記/藪の中/走れメロス/桜の森の満開の下/百物語

    

6.

●「有頂天家族」● ★★


有頂天家族画像

2007年09月
幻冬舎刊

(1500円+税)

2010年08月
幻冬舎文庫化



2007/10/13



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桓武天皇遷都の御代から、京の都には狸と人間と天狗が住まうという。元々狸の所領地だったとか。
「人間は街に暮らし、狸は地に這い、天狗は空を飛行する」。さらに、天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は狸を鍋にして喰わんとする。
そんな現代の京都を舞台に、狸、天狗、人間が入り乱れてのファンタジー+滑稽で仰々しい騒動記。

狸界の頭領“偽右衛門”を務めた偉大な父・総一郎金曜倶楽部なる人間どもに鍋にされ、残された4兄弟の中の3番目、下鴨矢三郎(もちろん狸)が本書の主人公。
今は呆けたが昔の師である天狗・如意ヶ嶽薬師坊こと赤玉先生の世話を焼き、かつて鈴木聡美、今や強力な半天狗となった弁天を追い・追われ、下鴨家を敵視する叔父の夷川一家と攻防を繰り広げるという、一見古風ながら如何にも森見さんらしい大風呂敷の広がったストーリィ。
時に弁財は味方にも危険な相手にもなり、夷川家の末娘でかつて矢三郎の許婚者であった海星は姿を決して見せないが陰から矢三郎を支える。この2人の存在が物語の中で光ります。
そして最後は、叔父・早雲の悪逆非道ともいうべき悪計に陥った家族のため、4兄弟が力を合わせて窮地を脱するという展開。

ただ、それなりに面白くあり、それなりに熱い家族物語ではあるのですが、最後までそれなりで終わってしまった観もあり。
やはり狸物語の傑作といえば、井上ひさし「腹鼓記」を思い出さない訳にはいきません。
なお、「面白きことは良きことなり!」、この言葉には心から同意します。(笑)

※本書に続く第二部の連載が既に始まっているとのこと。

納涼床の女神/母と雷神様/大文字納涼船合戦/金曜倶楽部/父の発つ日/夷川早雲の暗躍/有頂天家族

  

7.

●「美女と竹林」● ★★


美女と竹林画像

2008年08月
光文社刊

(1600円+税)

2011年01月
光文社文庫化



2008/09/11



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常識という枠にはまりきらない作品を世に送り出し続けている森見さん、エッセイとなればきっとその辺りの胸の内を読ませてもらえるのかと思ったら、これが大間違い。
あくまでも常人とは違う道を行くのが森見流であって、それを予想できなかった私が愚かだったと言うべきか。(笑)

エッセイとは言いながら、冒頭から小説作品に少しも引けを取らず、妄想みなぎりっぱなし。
主人公が創作人物ではなく本人=森見登美彦氏自身、というだけの違いではないですか、これは!
本書題名からいったいどんな内容なのかまるで予想つかなかったのですが、何でもいいから書いてみようとして出てきた言葉が、この「美女と竹林」だったと言う。
そこから知人の竹林を手入れして大儲けし、革新的経営者としての名声をものにするといった妄想を膨らませ、体力・気力・根気もないくせに荒れ果てた竹林にかつての学友=明石氏を誘って足を踏み入れるという、とんでもない行動。
本エッセイの原稿を得るためにはそれなりの助力も当然と、編集者まで竹刈りに召集するのですから、なんともまぁ。
本当に本当かぁ〜? と思っても、嘘か真かそれを見極める隙など森見さんは決して見せないのです。

「美女と竹林」という題名なのですから一体美女は何処で登場するの?と思えば、本題名は美女と竹林が等価関係にあることを示しているだけで・・・云々。はぁ?
森見さん大学時代の憧れの女性として、女優の本上まなみさんの名前は挙がるのですけれどねぇ。
なお、竹刈りに奮闘している間に夜は短し歩けよ乙女が世に出、一方では有頂天家族を書き出しているという状況。

まーったく煙に巻かれてばかりのエッセイ本ですが、読んでみればこれが面白く、訳もなく楽しくなってきます。
ただ、森見登美彦作品、ずーっとこの調子なのでしょうか。

   

8.

●「恋文の技術」● ★★☆


恋文の技術画像

2009年03月
ポプラ社刊

(1500円+税)

2011年04月
ポプラ文庫化



2009/03/31



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ノウハウ本のような題名ですが、れっきとした小説。それも、私の好きな書簡体小説です。ただし、基本的に手紙の出し手は主人公一人のみ。
元々森見さんの小説スタイルは一人称、さらに突き詰めれば書簡体小説に向いているのです。だからこそ、ファンとしてはこの上なく楽しい一冊。

京都の大学研究生である守田一郎、獅子の子が谷底に突き落とされるが如く(?)に能登半島にある臨海実験所へ飛ばされます。
その淋しさを紛らわすためなのかどうか、彼は“文通武者修行”というお題目を掲げると、研究室仲間等々に宛てて頻繁に手紙を送り付け始める、というストーリィ設定。
前半後半と2つの期間に分け、相手ごとに一連の手紙が書き綴られます。そしてその後順繰りに、同じ期間、別の相手への手紙が披露されていくという構成。
ですから、後の人物への手紙を読むことによって背後事情が立体的に浮かび上がってくるという趣向。これが楽しい。

当然ながら、相手によって口調ならぬ文調も変わるのです。とくにこの主人公、妹に言わせると「手紙を書くと人格が変わる」性格らしい。また、いかにも森見作品らしく、主人公のみならず相手方にも型破りな人物は不足しません。とくに主人公が“女帝”と呼ぶ、大塚緋沙子女史が傑作。
作家本人まで登場し、夜は短し歩けよ乙女執筆事情まで明らかにされる(?)とあって、ファンにとっての面白さは尽きることなし。
何故この主人公、こんなにも手紙を書いたのか? それは手紙のやりとりが楽しいからに他なりません。そして、手紙を読むのもあぁ楽しい哉。
なお、最後のオチの付け方もユニーク、愉快です。

久しぶりに、綴られる文章のひとつひとつを楽しみ、森見作品の醍醐味を存分に味わった、という思いです。
いやあ〜、森見さんの綴る文章は楽しいですなぁ〜。
書簡体小説がお好きな方、是非読み逃しなく!

外堀を埋める友へ/私史上最高厄介なお姉さまへ/見どころのある少年へ/偏屈作家・森見登美彦先生へ/女性のおっぱいに目のない友へ/続・私史上最高厄介なお姉さまへ/恋文反面教師・森見登美彦先生へ/我が心やさしき妹へ/伊吹夏子さんへ失敗書簡集/続・見どころのある少年へ/大文字山への招待状/伊吹夏子さんへの手紙

  

9.

●「宵山万華鏡」● ★★


宵山万華鏡画像

2009年07月
集英社刊

(1300円+税)

2012年06月
集英社文庫化



2009/07/20



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祇園祭の興奮が最高潮に達する宵山を舞台とし、相も変わらず人を喰ったような、幻想的なファンタジーと壮大な悪戯が渾然一体となった、まさに夏の宵にふさわしい森見ファンタジーの楽しい一冊。
この組み合わせ、シェイクスピア「夏の夜の夢」の現代版・日本版と言っても良いような気がします。
なお、これをアホらしいと思うか楽しいと思うかは、所詮人の好み次第なのですけれど、私は楽しいです。
お化け屋敷を楽しむと同様、夏の暑さと夕闇の和みに心を委ねて楽しむに似ています。

「宵山姉妹」は、宵山の混雑に巻き込まれて姉とはぐれた小学生の妹が、ファンタジーな世界に誘われそうになる篇。
「宵山金魚」は、旧友を訪ねた会社員の青年が陥った摩訶不思議な宵山の世界を描く篇。
「宵山劇場」は、祇園祭司令部を結成した大学生たちが企画、演じた、宵山を舞台にした壮大な騙し事の準備経緯を描く篇。
「宵山回廊」は、宵山の夜に愛する娘を失った叔父は、万華鏡の中に娘の姿を見い出して・・・。
「宵山迷宮」は、何度も宵山の日を繰り返すことになった青年が如何にしてその迷路から脱するか、の篇。
「宵山万華鏡」は、「宵山姉妹」の姉を主人公とし、姉の側が経験した宵山ファンタジーを描く篇。
※なお、「宵山劇場」には、夜は短し歩けよ乙女のゲリラ演劇プロジェクト「偏屈王」に関係した学生たちが登場です。

夏の宵には幻想的ファンタジーが相応しい。読み終えて時間が経つ程に、そんな楽しさが膨れ上がってきます。
ただ短篇集の所為か、いつもの森見節には少し物足りない。

宵山姉妹/宵山金魚/宵山劇場/宵山回廊/宵山迷宮/宵山万華鏡

    

10.

●「奇想と微笑−太宰治傑作選−」●(森見登美彦編) ★★


奇想と微笑画像

2009年11月
光文社文庫刊

(705円+税)



2009/12/09



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何故「太宰治傑作選」なのか?というと、新釈走れメロス他四篇で太宰治「走れメロス」をやりたい放題に書き換えて顰蹙を買っていたところ、太宰治生誕百年ということで太宰治の作品集を作りませんか、という提案があったのだという。
傑作選とはいえ、そこは森見さん、「ヘンテコであること」「愉快であること」に主眼を置き、暗い作品は殆ど選んでいないということで出来上がったのが本短篇集。

私が太宰治作品を読んだのは中学生の時。「津軽」や「晩年」はともかく「人間失格」「斜陽」の暗いイメージにそれ以来太宰治を敬遠してしまい、以後関わったといえば井上ひさし戯曲「人間合格くらい。
本短篇集を読んで驚きました。あの太宰に、こんな奇妙な、滑稽な作品があったとは。これはもう、ドストエフスキイのユーモア小説を読んだとき以上の驚きかもしれません。
最初こそ、太宰治って百鬼園先生風なところがあるでないか、と思っていたのですが、何のことはない、百鬼園先生より森見さん自身と似ているではないか、と感じた次第。

冒頭の小品「失敗園」がファンタジスティックで軽く愉快。
太宰版「カチカチ山」のことは知っていましたが、読んだのは初めて。狸の強欲ぶりと美女ならではの兎の残獄ぶり、思わず仰け反りますね〜。
一番愉快だったのは「畜犬伝」。私も子供の頃、犬が怖く、何時噛まれるかと犬から逃げ回っていた口なので、主人公の気持ち判るんですよね〜。そうそう、怖いけど可愛いかもしれない、という気持ちあるんです。
「親友交歓」は、アホらしさに呆れ果てながら面白い。
「新釈諸国噺」3篇は、井原西鶴作品を太宰の解釈で書き直した作品とのことですが、愉快を通り越してただ呆れるのみ。
「走れメロス」については何だかんだといっても、忘れられない作品ですし、取り上げずにはいられない作品というに尽きます。

失敗園/カチカチ山(お伽草紙より)/貨幣/令嬢アユ/服装に就いて/酒の追憶/佐渡/ロマネスク/満願/畜犬談/親友交歓/黄村先生言行録/「井伏鱒二選集」後記/猿面冠者/女の決闘/貧の意地(新釈諸国噺より)/破産( 〃 )/粋人( 〃 )/走れメロス/編集後記−森見登美彦

             

森見登美彦作品のページ No.2

  


  

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