久世光彦
(くぜてるひこ)作品のページ


1935年生、東京大学文学部美術史学科卒。TBSを経てテレビ番組制作会社を設立、ドラマ演出を手がける。1992年“女正月”の演出にて芸術選奨文部大臣賞、93年「蝶とヒットラー」にてドゥマゴ文学賞、94年「1934年冬−乱歩」にて山本周五郎賞、97年「聖なる春」にて2度目の芸術選奨文部大臣賞、「蕭々館日録」にて泉鏡花文学賞を受賞。98年紫綬褒章受章。2006年02月死去。


1.
一九三四年冬−乱歩

2.早く昔になればいい

3.陛下

4.卑弥呼

5.謎の母

6.逃げ水半次無用帖

7.

8.燃える頬

9.蕭々館日録

10あべこべ

11百關謳カ月を踏む

    


  

1.

●「一九三四年冬−乱歩」● ★★★   第7回山本周五郎賞

 

1993年12月
集英社刊

1997年02月
新潮文庫

2013年01月
創元推理文庫化

 

1997/03/02

 

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江戸川乱歩、40歳の昭和9年冬、4日間の物語。
乱歩は作品を書く為にあるホテルに身を隠し、そこで幻想的な短篇『梔子姫(くちなしひめ)』
を書き始めます。本書はきわめて複雑な構成をもって書き上げられた作品。

まず、『梔子姫』という乱歩の書く短篇(実際は久世光彦の書いた作品)、がこの小説の中に入り込んだ形で完結している。この短篇が妖しい魅力をもった作品。乱歩自身の作品を読んだことがないので、この作品が乱歩的なのかどうかは判りませんが、いかにも、という雰囲気をもっています。この短篇を、乱歩自身、結末がわからないまま書き進んでいくのです。その乱歩の心理状態を読みながら、書かれる作品を読む、ということの中で、『梔子姫』のもつ妖しいエロティシズムが増幅されているように感じられます。
そして、作品を書いている乱歩。実際の乱歩の、執筆中の奇妙な癖がリアルに再現されていて(事実だとのこと)、とてもオカシイ。また、乱歩だけということでなく、作品を執筆中の作家の生々しい姿をみるような気もして、興味つきません。
さらに、乱歩の滞在した“張ホテル”。このホテル自体が、謎めいたホテルであることが、徐々にわかっていきます。乱歩が関わりをもつのは、ホテルの受付の中国人の美男子。そして、探偵小説マニアで若くて美人のアメリカ人の人妻。この二人にも、謎めいたところがある。そして、ホテルの中で更に奇妙なことが少しずつ起きていきます。その謎をさぐろうとする乱歩。
小説中の小説と、それを書く舞台であるところの小説と、どちらが謎めいているのか。どちらが完結し、どちらが未完となるのか。読む側は完全に作者の術中にはまって、作者の仕掛けた謎に押し流されるまま、という感じです。そしておまけ風に探偵小説マニアの人妻と乱歩のふれあいの中で、古典的推理小説の作家、作品のことが話題にのぼります。ベントリー「トレント最後の事件」クイーンバーナビー・ロス。この部分だけでも、充分面白いような気がします。
というわけで、綿密な調査と、巧妙な小説技巧と、創造力を作者が充分に発揮して書かれた作品なのです。乱歩自体とくに好きでもなく、謎めいた小説というのは、あまり私の好みではないのですが、それであっても、この作品の充実ぶりは、感嘆せざるを得ません。ちょうど、箱の中に、お菓子やら果物やら、いろいろな味わいのものを目一杯に詰め込んだ贈り物を貰ったよう、とでも言いましょうか。

  

2.

●「早く昔になればいい」● 

  

1994年11月
中央公論社刊

1998年12月
新潮文庫化

 

1997/03/31

主人公が、過去から引きずっている情念の深さを感じてしまいます。それは何時からのことなのか。しーちゃんとの思い出の月のきれいな夜からに他ならないでしょう。主人公から、その後の人生を感じ取ることはできない。すべては、その日で頂点を極めたかのような観があります。
彼は、しーちゃんとの思い出のみにつかまって生きているよう。夢うつつに過去の出来事を思い、その度に狂女だったしーちゃんとの思い出をより美化していくように思えました。実際のしーちゃんではなく、彼が自分の世界で描いたしーちゃんのような気がする。そして、その過去の世界へ入り込もうとする。それが、「早く昔になればいい」という主人公の一言なのです。
そのことは、そのままに、作者自身が引きずっている情念の深さを感じさせます。(よくは判らないのですけれど)

  

3.

●「陛下」● 

  

1996年01月
新潮社刊

1999年03月
新潮文庫化

2003年3月
中公文庫化

 

1997/06/25

久世作品は、なかなか理解し難い、というのが実感。今回も狂女が出てくる。早く昔になればいいと同様。 それにしても、作者の中では幻影への憧れが強いのだろうか。主人公梓は、幻影に陶酔するかのようである。陶酔を必要とせずに幻影をみることができる人として、狂女を可憐に描き出している気がする。
主人公梓と遊女屋の弓は、好一対である。梓が幻想を追い求めるに対し、弓は自分の体そのもので感じようとする。梓より、はるかに弓の方が興味深く、魅力を感じる対象である。でも、それは本作品の本来の狙いではないだろう。梓と弓が実際に互いの結びつきを感じた以降、二人は殆どすれ違ったままである。そうであるのに、二人は幻影を追いつつ結びつきを深めていくようである。何故舞台が2・26なのかと言えば、その行動の中には天皇を勝手に偶像化しつつ自ら酔いしれていた面があったろうし、そうした事実が作者の求めた舞台設定に適うものだったのだろう。
物語は、よくわからないままに終わる。本作品にはふさわしい終わり方だったのかもしれないが。

   

4.

●「卑弥呼」● ★★★


卑弥呼画像
 
1997年05月
読売新聞社刊
(1800円+税)

2000年07月
新潮文庫化
(781円+税)

  

1997/08/10
2000/08/09

 

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とにかく充分に楽しみました。また久世さんの良さを満喫した思い。不思議な魅力があります。主人公はユウコカオルという、羨ましいくらいの若いカップルなのですが、その二人には密かな難問がある。 
その一方、出版社に勤めるユウコの企画が編集部でとりあげられて、それにまつわる文芸作品、地方色がはちきれんばかりに繰り広げられて。二人の悩みも、それに連れ添われるように広まっていってしまうのが、 なんともおかしい。

とにかく、読み始めに感じたように、明るく卑猥でいて、それでいて気品が合ってプラスおおっぴらで。
ストーリイ展開もさることながら、その作品全体から醸し出される雰囲気が良い! 雰囲気を楽しむ作品なのでしょうね。できれば、通勤電車の中より、落ち着いた喫茶店で読むのに適した作品だったようです。電車の中で笑いをこらえるのは、辛いものがあります。(^_^;
そしてまた、多数飛び出してくる文学からミステリまで幅広い小説の数々。それが知っている作品ですと、クイズの正解を当てたような嬉しさがこみ上げて来ます。
ただ、ずっと読み進んでいくと、久世さんのこだわり、というものも感じます。1934年冬ー乱歩」「早く昔になればいい」「陛下と読んできたからこそ感じる事。でも、それでも良いじゃないか!という風に思わせる明るさがこの作品にはあります。それと、久世さんが精通している数々の文芸作品からの、引用。博識ぶりに驚くのを通り越し、ため息も乗り越え、ただただ、面白さを味わうのみ。フぅ〜ッ。

ユウコとカオルの恋人物語とユウコの雑誌の編集企画に関わるストーリイが互いにもつれ合うようにして展開し、納得感あるジ・エンドになるところが嬉しい。それにしても、カオルのおばあちゃんの活躍ぶりには、目を見張る面白さがあります。特筆すべき登場人物のひとり。(※おばあちゃんのおかしさの圧巻は、単行本P303を見てください。)

  

5.

●「謎の母」● ★★

謎の母画像

1998年02月
朝日新聞社刊
(1600円+税)

2001年07月
新潮文庫化

1998/08/26

不思議な清冽感のある作品です。

主人公さくらは、戦後2年目の今15才の女学生。
彼女が時折繰り返す、まるで詩のようなフレーズ。それが読後いつまでも心の中に響いているような気がします。
彼女の周囲にいるのは、太宰治をモデルにした作家の朽木糺、不良がかった弟の鮎郎、戦争未亡人で身体を売っているサチ子さん、無口な父親、そして出奔した母。
戦中・戦後の乱れをひとり脱ぎ捨て、“母”を意識して大人の女性に脱皮しようとするさくらは、どこか清らかで、同じ位に冷たい母性を備えています。

「私の名はさくら−咲くときも、散るときも、ちゃんと自分で知っています。」
う〜ん、この一言が忘れ難い。

  

6.

●「逃げ水半次無用帖」● ★★


逃げ水半次無用帖画像

1998年11月
文芸春秋刊
(1762円+税)

2002年02月
文春文庫化

  
1999/05/23

不思議な雰囲気の漂う作品です。妖しいと言うか、婀娜っぽいと言ったら良いのか。
普通には覗けない、女たちの胸の内奥深くに潜んでいる情念を裏返して、表に曝け出してみせる、そんな妖艶さを感じさせる作品です。
狂言回しとなる面子は“逃げ水”半次、元“察しの親分”佐助、その娘で現岡っ引のお小夜、夜鷹のお駒花幻尼ら。
自害した母親の悪夢から逃れられない半次、腰を痛め炬燵に居座るだけの佐助らは、だからこそそんな闇の奥で蠢く事件の裏が見える。対照的に、若く明るい性分のお小夜に事件が見通せないのは、むしろ当然のように感じられます。
事件自体は、それ程謎めいたものではありません。久世さんが繰り広げる艶な世界を味わう、それが魅力でしょう。文面を丁寧に読めば、久世さんがひとつひとつの文章に、とても気を遣って言い回していることが感じられます。
そんな「艶に彩られた新感覚捕物帖」(帯文句)です。中でも第1話の「童子は嗤う」が一番鮮烈でした。

童子は嗤う/振袖狂女/三本指の男/お千代の千里眼/水中花/昨日消えた男/恋ひしくば

  

7.

●「 桃 」● 


桃画像

2000年02月
新潮社刊
(1800円+税)

2005年03月
中公文庫化

  
2000/04/29

久世さん初の短篇集。
現実というより夢うつつの中での出来事と思うような、8つのストーリィです。そう感じる訳は、妖しく蠢くような官能感が脳裏いっぱいに広がり、噎せるような思いを受けるからです。
この短篇集では、モチーフとして
が使われています。言うまでもなく、桃という果物自体が、その形、その匂いからして官能美に繋がるものをもっています。その「桃」という題の表紙を開くことによって、読み始める以前に読み手は官能美の世界への扉を叩いていると言えるでしょう。

どんなストーリィなのか、どんな作品であるかを説明するのは、とても私の手に余ります。ただひとこと、間違いなくこれは久世光彦の世界であり、久世さんしか描けない小説中の世界です。
読了後脳裏に残っているのは、ストーリィより、桃の強烈なイメージ、そして妖しく艶かしい官能の匂い。

桃色/むらさきの/囁きの猫/尼港の桃 /同行二人/いけない指/響きあう子ら/桃−お葉の匂い

  

8.

●「燃える頬」● ★☆


燃える頬画像

2000年07月
文芸春秋刊
(1857円+税)

  

2000/08/30

戦時中、父と2人で疎開生活を送っていた 夏夫の、初めて性体験をしたひと夏を描く作品。
夏夫が父親と2人で住んでいるのは、森の中の丸太小屋。それは、作中に言われるまでもなくソロー「森の生活」を彷彿とさせます。その静かで、仲間3人達との密かな冒険心を充たした生活の中に現われたのは、古ぼけた病院に移り住んできたひとまわりも年上の女性。
夏夫の15歳の夏は、同年齢の仲間達から離れ、無口な父親の影と葉子という年上の女性との間で揺れ動きながら過ぎていきます。憧れの女性と父親の影という点では、ツルゲーネフ「はつ恋」を連想します。しかし、実際に彼女と夏夫の関わりが現実の性体験に進むと、ラディゲ「肉体の悪魔」が自然と浮かんできます。そして、それは当然のこと。あとがきを読めば判ることですが、そもそも本作品は久世さんの「肉体の悪魔」を書きませんか、と勧められて書いた作品なのだそうです。それに付け加え、友人の知恵遅れの姉・みどりの存在は、早く昔になればいいしーちゃんを思い出させられます。
この作品には久世さんのいろいろな思いが込められているようです。文学名作が幾つも引き合いに出されているのが、その証拠。青春の回想という中に、かつて親しんだ文学作品の面影は決して無縁ではない、ということでしょうか。その辺りには共感を覚えます。
ソーロー「森の生活」、ヴェルヌ「十五少年漂流記」、ホーソン「緋文字」、ドーデー「風車小屋たより」、シェイクスピア「マクベス」等々。
「燃える頬」という題名と表紙絵、そして久世さんの「肉体の悪魔」というモチーフから、鮮烈な印象を受ける一冊です。

   

9.

●「蕭々館日録」● ★      泉鏡花文学賞


蕭々館日録画像

2001年05月
中央公論新社刊
(2200円+税)

 

2001/07/14

大正から昭和への移行期、芥川龍之介、菊池寛、小島政二郎ら文士の交流を描き、過ぎ行く時代への愛惜を綴った作品です。
この小説の語り手となるのは、児島
蕭々(小島)の娘・麗子。岸田劉生の娘と同じ名前であることから、その麗子像の画と同じ髪型、赤い着物を着ているのが常です。5歳ながら、文士たちを観察し、彼等の作風、文章についても的確な批評眼を持っているという妖しい幼女。そして九鬼(芥川)に対しては、女としての情を深く抱いています。
父親が蕭々
館”と名づけた自宅には、九鬼、蒲池(菊池)“高等遊民”が年中集い、様々な語らいに時間を過ごします。そんな場に常に侍り、お茶や酒食を運ぶのは、母親ではなく麗子です。なんとなく漱石の「我が輩は猫である」を連想させますが、磊落なこの雰囲気は、大正という時代の残り火なのかもしれません。
読み進むにつれ、
蕭々館に集う仲間たちには暗い影がさしていきます。その原因は、中心的な存在だった九鬼が、次第に亡霊の如き様子を深め、遠くない死期を周囲に感じさせるようになる為。大正こそ九鬼が生きるに相応しい時代だった、というのが久世さんの思いのようです。
麗子は幼女ですが、皆を見守る母性的な存在でもあります。そして九鬼に対しては、恋人のように、時には母親のような存在にもなります。その妖しさが、本作品の特徴、魅力です。
麗子の近所友達として登場する比呂志、6歳も興味深い存在。芥川の実子と同名ですが、早熟な文学児として三島由紀夫を連想させます。比呂志の発言の後にその年齢を聞いて、皆がのけぞる辺りが可笑しい。
ともかくも、肉感的な芥川像を描いてみせた作品です。

    

10.

●「あべこべ」● 

 
あべこべ画像


2002年03月
文芸春秋刊
(1571円+税)

  

2002/05/14

久世さんの作品は、いつも普通ではない雰囲気に包まれています。本書もまたその例外ではありません。
本作品は、主人公である弥勒さんの、2人のやり取りが中心となるストーリィ。

その“弥勒さん”とはどんな人なのか?
娘、孫もいる初老の女優と紹介されています。主役級ではなく地味な脇役向き、そして味のある役者、という存在。しかし、ストーリィから感じる限り、弥勒さんには性別不詳、年齢不詳という雰囲気が漂います。
弥勒さんが主人公を訪れる時、いつも主人公の周辺には不思議なことが起きています。弥勒さんがその不思議を呼び寄せているのか、それとも不思議を解き明かす為に弥勒さんが訪れてくるのか。どちらなのでしょうか。
本作品に、久世さんらしい妖しさはあまり感じません。その代わり、最後にハッ!という思いをさせられます。その刺激・興奮が、本書の魅力でしょう。
弥勒さんのみならず、主人公もまた捉えどころがない人物像。そして、編集者のさん、文芸評論家のさん、骨董屋の二股さんと、変わった名前の人ばかり登場します。
変わった人ばかり集めて構成されたストーリィ、ふとそんな気がします。なお、「蝋燭劇場」「引き算」が印象的。

蝋燭劇場/引き算/岸駒の虎/二度死に南北/狐目の女/鯒さんの春/あべこべ/眠さんが眠らないわけ/月下の一群

    

11.

●「百關謳カ 月を踏む」● ★☆

 
百關謳カ月を踏む画像


2006年04月
朝日新聞社刊
(1800円+税)

2009年01月
朝日文庫化

   

2007/06/08

 

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内田百先生が小説の主人公?という訳で、図書館で見つけて以来いずれ読んでみようと思っていた作品です。百閭tァンなら、きっと興味そそられる筈。

本書に描かれる百關謳カの状況は、小田原にある寺の仏具小屋に棲みつかせてもらい、15歳の小坊主・果林に世話をしてもらっているという日常。
そのまだ15歳の果林と肩を並べ、しばしば町の娼家に通っているというのですから、可笑しくなります。
ただ実際の百關謳カは小田原に住んだことはなく、本作品はあくまで久世さんが小説の中に描いた内田百闡怩ナす。
そうではあっても、本書の主人公が実在の作家である百關謳カであることに間違いなく、そのうえ作品中の百關謳カはいかにも百關謳カらしく、また各章に散りばめられている作中小説はいかにも「冥途」的で百關謳カらしい。これ以上、何を言うべきことがあるでしょう。

主人公は百關謳カですが、その百關謳カは果林の目を通して語られます。
偏屈であるけれど、怖がりで寂しがりや。その描く小説の世界は何を目的としているのか判らないまま中途半端に終わるものが多いが、百關謳カが見た夢をそのまま小説にしたに過ぎないと判れば納得もいく、という。
百關謳カの風変わりな作品世界と先生自身に愛情を抱きつつ、言うことは結構ずばりと遠慮なく問いつめてくる、そんな果林と百關謳カのやり取りも楽しい。

「日没閉門」「世の中に 人のくるこそ嬉しけれ とは言ふものの おまへではなし」という、百關謳カが門柱にかかげた札はまさに面目躍如と言うべし。
第2章の「大尉の娘」「青銅の騎士」プーシキンの名作ですが、その中身には驚くやら呆れるやらで何ともはや。
漱石先生の作品はともかく、アルト=ハイデルベルクやら読み返したくなる文学作品が次々と登場してくるのは余禄というべき楽しさです。

金魚鉢/大尉の娘/蜜月/青髪/森閑
 
(注:ヒャッケンのケンという漢字は門構えの中が「月」)

 


 

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