角田光代(かくたみつよ)作品のページ

 
1967年神奈川県横浜市生、早稲田大学第一文学部卒。90年「幸福な遊戯」にて海燕新人文学賞、96年「まどろむ夜のUFO」にて野間文芸新人賞、98年「ぼくはきみのおにいさん」にて坪田譲治文学賞、99年「キッドナップ・ツアー」にて産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年同作にて路傍の石文学賞、03年「空中庭園」にて婦人公論文芸賞、05年「対岸の彼女」にて 第132回直木賞、06年「ロック母」にて川端康成文学賞、07年「八日目の蝉」にて中央公論文芸賞、12年「紙の月」にて第25回柴田錬三郎賞を受賞。夫君は作家の伊藤たかみ氏。

 
1.
対岸の彼女

2.三月の招待状

3.空の拳

 


 

1.

●「対岸の彼女 ★☆          直木賞

 
対岸の彼女画像

 
2004年11月
文芸春秋刊

(1600円+税)

2007年10月
文春文庫化

 

2004/12/29

 

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女性を主人公に、人と人との間で友情を築き上げることの難しさを、切実に描き出した長篇小説。

主人公の小夜子は、幼い娘あかりを抱えるごく普通の専業主婦。その小夜子の現在置かれている状況は、かなり辛いものである。娘を連れて近所の公園をあちこち回るものの、自分も娘もそのどこの公園でも仲間に入れないでいる。また、別居であるものの、姑はやたら口うるさく、一方の夫も小夜子やあかりの置かれている状況への理解が足りない。
ついに決心して小夜子は娘を保育園に預けて働きにでることにしますが、やっと採用された会社は同年輩の女社長が采配をふるう零細企業。新たに掃除代行業務を手がけたい、その専任者として小夜子が採用されたという。
小夜子はあけっぴろげで行動的な社長・楢橋葵に惹かれますが、そこから現在の小夜子をめぐるストーリィと、高校生時代の葵をめぐるストーリィが交互に展開していきます。

葵が高校時代に親友となったナナコ。当時のナナコと葵の関係は、まるで現在の葵と小夜子の関係に似ています。現在の葵がまるで当時のナナコそっくりなキャラクターであることに、不思議さを覚えます。
過去のストーリィも現在のストーリィも各々ドラマティックで面白く、自然とストーリィに引き込まれます。でも、過去と現在のストーリィを対比する狙いはどこにあるのか。そこに本作品の鍵にある筈です。
せっかく築き上げた友情が失われていくままに任せるのか、それとも友情を守るのか。そこに、今後への希望が開けるか否かの違いがある、と思います。
亭主族は殆ど出番のないストーリィ。本書は、女性読者にこそ訴えるものが大きい作品でしょう。
亭主族のひとりとして強く感じたのは、幼い娘を連れて近所の公園を転々としていた頃の小夜子の切実な思い。その頃の私は、そうした心情にまるで理解が及びませんでしたが、今なら少し判る気がします。今頃やっと判ったのか、と言われそうですけど。

 

2.

●「三月の招待状」● ★☆

 
三月の招待状j画像

 
2008年09月
集英社刊

(1400円+税)

 

2008/09/23

 

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かつての大学同級生だった仲間たちの、34歳になった今の人生模様を、3月の離婚パーティを皮切りに一人一人順繰りかつ連環するように描いていく連作形式の長編小説。

幾つも文学賞を取り捲り、評価も人気も高い角田さん、それなのに角田作品を読むのは今回が2作目。
どうしてその後読まなかったのかなぁと思っていたら、後半に至ってその理由を思い当たりました。
私は基本的に、この後どんな展開が待ち受けているのだろうか、という含みのある作品が好きなのですが、角田作品はとことん現実的で、今どうあるのか、が全てという印象を受けます。
本書にしてもそれは変わらず。
テンポもよく歯切れもよく、楽しく読み進んで行ったのですが、最後のところでこの先どういう期待を持ったらいいのか、というものがまるで感じられない。他の作品に読み広げたいかなかったのは、あぁこうした理由だったのだと、思い出した気分です。

学生時代から別れては再びくっつくというパターンを何度も繰り返した末にやっと結婚したと思ったら3年で離婚するに至った裕美子正道、何とかライターで食い繋ぎながら年下の重春と同棲中の充留、久々に再会した宇田男とのセックスを初めての恋愛だと舞い上がってしまう人妻の麻子、彼らの学生時代からまるで進歩のないようなわちゃわちゃぶりに呆れる正道の現恋人・遥香という顔ぶれを主体に、代わる代わる主人公となりながら自分たちの生活をどう築けばいいのかとバタバタする、彼らの“今”が描かれます。
彼らの今は学生時代の彼らの延長上にある、15年もの間で彼らに進歩があったのかどうか、これからの人生にどんな期待が持てるのか、釈然としないまま現在の彼らを描くだけにストーリィは終始します。
だから何なのか、次への何のステップもないではないか、と思うのは私の好みの問題かもしれません。でもそうは言っても、物足りなさ、徒労感が残ってしまうのは如何ともし難いのです。

三月の招待状/四月のパーティ/六月のデート/八月の倦怠/九月の告白/十月の憂鬱/十二月の焦燥/一月の失踪/二月の決断/三月の回想/四月の帰宅/五月の式典

       

3.

●「空の拳(そらのこぶし) ★★☆

 
空の拳画像

2012年10月
日本経済新聞出版社刊

(1600円+税)

2015年10月
文春文庫化
(上下)

  

2012/11/18

  

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文芸志望で出版社に入社して3年目、那波田空也の初めての異動は意に反してマイナーボクシング雑誌「ザ・拳」編集部。
ふてくされる気分になりながらも、指示されるままにボクシングジムを回り始めた空也が出会ったのは、
鉄槌ボクシングジムと、空也と同い年の有望選手=タイガー立花こと立花望
勧められて鉄槌ジムの練習生となった空也の、初心者そして新米取材記者という視点から描かれるボクシング小説。

何より印象的なのは、ひゅん、どすん、とかグローブの音がリアルに再現されていること。そして試合ともなれば空也らが陣取る最前列には選手の汗、血しぶきが盛んに飛んでくる様子がしつこいまでに描かれ、臨場感たっぷり。

ボクシング小説といえば傑作に
百田尚樹「BOX!がありますが、同作がボクシング+高校青春と爽やかなストーリィであったのに対し、本作品はプロボクシングの世界ですから、それ特有ドロドロした人間模様も描かれます。
実は角田作品にはそうしたドロドロした関係をいつも描かれている印象が強く、どうも私は苦手であまり角田作品を読んでいないのです。本書中盤ではそのドロドロさ極まれりという雰囲気になって思わず放り出したくなってしまったのですが、そうしたドロドロしたものも含めて“ボクシング”というものなのでしょう。
トレーナー、選手、観客。その中には清廉な人もいますが、正反対に心根がねじ曲がったような人間もいる、という風。それらも含んでボクシングの世界に一度足を突っ込んでしまった者たちの姿が、色濃く描き出されています。

中盤の印象から一変し、読了後は、ひとつの処まで辿り着いたという充足感あり。お薦めです。

    


  

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