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1.植物少女 2.あなたの燃える左手で 3.サンショウウオの四十九日 4.受け手のいない祈り |
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「植物少女」 ★★☆ 三島由紀夫賞 |
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主人公の美桜(みお)が産まれた時、母の深雪は脳出血を起こして大脳が殆ど壊死し、以来植物状態となった・・・。 そんな紹介文を読み、暗いあるいは不条理の漂うストーリィかなと思い、読むかどうか迷ったのですが、実際に読んでみるとこれが意外に面白い。 植物状態にあるといっても、反射的な動作はするし、飲食もするといった具合。 美桜の幼児時代、小学五年生、高校生、結婚して出産時、と26年にわたり、母娘関係が描かれていきます。 奇妙、特殊といえばそのとおりなのですが、美桜にとってはそれが当たり前、小学生の頃は毎日学校帰りに病院に通い、何でも打ち明けられるし、その温もりを感じられる相手。 そして自分だけではないと思えるのは、同じ病室に他にも同様の患者がおり、その中には自分と同年代のあっ君もいて、その母親であるみぃさんとも親しくした経緯があるからでしょう。 非現実的なフィクションではあるでしょうけれど、美桜と物言わぬ深雪という母娘には、確かな母娘関係があったと感じます。 温もりに包まれたような読後感が、何とも快い。 |
2. | |
「あなたの燃える左手で」 ★★ 泉鏡花文学賞・野間文芸新人賞 |
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主人公は日本人男性のアサト。 ハンガリーの病院に看護師として勤務していた処、左腕の痛みを骨肉腫と診断され、即切断手術。 その後、幻肢痛が悪化するばかりとなったため、それへの対策ということもあって、見知らぬ外国人男性の左腕の移植(接合)手術を受けます。 後はリハビリで新しい左手に抑え込んでコントロールしていけばいい、と執刀医のゾルタンは簡単に言いますが・・・。 いやあ、凄い着想だなァと驚きました。 しかし本作、医療ストーリィではありません。 背景にある国際情勢として、ロシアによるクリミア半島占領、ウクライナへの軍事侵攻が描かれ、アサトの妻であるウクライナ人女性のハンナは、悲劇的な死を遂げます。 ハンガリー人医師の「免疫とは、他者に対する寛容性」であるという言葉が、本ストーリィを貫きます。 アサトが新しい左手と相容れないのは、日本人としての自我が、外国人を拒否するためなのか。 クリミア半島は、元々ロシア系住民が多く住んでいた地域。だからといって、ロシアに占領されそこから追い出されてみれば、悔しいという思いを禁じ得ないと、ハンナは口にします。 外国人の腕を接合されたことによって、自分の身体をそれに奪われてしまうのではないかという恐怖、拒否感。 それはウクライナを例にとっての国土、民族の問題に通じる、ということでしょう。 何とも凄い小説が現れたものだと感嘆するしかない思いです。 まずは、物は試し、と読んでみられたら如何でしょうか。 ※本作は左腕の接合ですが、首を他者の身体と接合するという小説があります。ベリャーエフ「ドウエル教授の首」という作品。もっともこれは、怪奇小説の類ですが。 |
3. | |
「サンショウウオの四十九日」 ★★☆ 芥川賞 |
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前二作と同様、身体と心を題材にした作品。 同じ身体を生きる姉妹が主人公として描かれます。 現在29歳の姉妹、杏と瞬。 その父親の誕生からして普通ではない。 伯父の勝彦、生まれたときはふくふくしていたのにその後、激痩せ。病院で検査を受けた処、胎児内胎児がいると判明。 半年後手術によって取り出され、双子の弟として届けられたのが姉妹の父親である濱岸若彦。 では主人公の姉妹はというと、結合双生児。 それも頭、胸、腹と全てくっついており、顔だけが左半面と右半面と異なり、少しずれてくっついているという具合。 そのため、知らない人からは、顔面が歪んでいる一人の女性としか思われない。 実際、瞬の存在が分かったのも、杏が5歳になったとき。 そうしてひとつ身体を共有している杏と瞬の思いはどうなのか。 普通の身体ではないけれど、姉妹が送っているのはごく普通の人生。 そうした二人が何を考え、どう思っているかは想像するしかないことですが、想像のしようもないこと、とも言えます。 姉妹それぞれの胸の内を描いていく処が、実にお見事。 結合双生児という制約があっても、杏、瞬、それぞれが胸に抱く思いに普通の人とどれだけ差があるのかないのか。そう、問いかけているように感じられます。 お薦めしたい逸品です。 |
4. | |
「受け手のいない祈り」 ★★ |
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医師である朝比奈さんの経験を元に描かれた、救命医療に携わる現場、医師たちの凄絶な姿を描いた衝撃作。 本作は、同期の産婦人科女医(32歳)が、過労死を浴室で発見されたという会話から始まります。 それだけでも衝撃的な事実ですが、描かれる救命医療現場、医師たちの凄絶な実態は、そこからエスカレートしていくばかり。 凄絶というより、もはや凄惨、と言った方が相応しいのかもしれません。 地域の市立病院が救急医療から撤退、そのしわ寄せを受けた医療センターでは医師の過労死が続き、医療体制崩壊。その結果、「誰の命も見捨てない」を院是としている当院は、地域で唯一の救急病院となってしまう。 その必然的な結果として、救急患者は次々と運びこまれ、対応する医師たちは勤務の終了を向かえることがなく、一日の終わりを感じることもない。 時間外労働の酷さを労働基準署に通報しても、医者は例外なので違反には当たらないと、一言で退けられてしまう。 「誰の命の見捨てない」という院是の中に、医者は含まれていないという言葉は、痛烈な皮肉。 そして、癌になれば、進行癌であれば、転移していれば・・・少しは休める、という言葉は、余りに凄惨に過ぎる。 過労死するまで、医師は患者を救い続けなければならない、ということなのでしょうか。 ブラック職場を遥かに超えるブラック、ホラー小説にしては余りにリアル、手術中に幻覚まで見るようになればもう怪奇小説のレベルでしょう。 余りにも深刻な事態に、もはや言葉もありません・・・。 |