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Dacia Maraini 1936年フィェーゾレ生。作家・詩人・劇作家。文化人類学者の父フォスコ・マライーニ、母トバーツィア・アッリアータと共に1938年来日。一家五人は終戦までの約二年間、名古屋の強制収容所に抑留され、45年イタリアに帰国。62年「バカンス」にて作家デビュー。63年「不安の季節」にてフォルメントール賞、90年「シチーリアの雅歌」にてカンピエッロ賞、99年「Buio」(未邦訳)にてストレーガ賞を受賞。 |
「わたしの人生」 ★★☆ |
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2024年11月
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戦時下の日本において1943年から2年間、強制収容所に抑留されたイタリア人家族5人の日々を描いた回想記。 ダーチャは一家の長女で当時7歳、両親、妹二人との抑留だったとのこと。 最近読んだばかりでしたから、H・オースター「アウシュヴィッツの小さな厩番」とつい比較してしまいます。 収容者用の食料を警官たちが組織ぐるみで横取りしていたことから、収容施設の酷さに加え、飢餓・栄養不足という過酷な状況を一家は余儀なくされていましたが、「厩番」に比べるとどこか明るさと諧謔があるように感じられます。 それは、ダーチャたち収容者に対して警官たちは、その命を奪おうとまではしておらず、また一家5人が一緒でいられて支え合えたからでしょう。常に死が目の前にあり、たった一人生き延びるために日々知恵を巡らしていた「厩番」とは大きく異なります。 しかしそうではあっても、日本の公権力から非道で過酷な扱いを受けていた事実に何ら変わりはありませんし、日本がこうした行いをしていたことについては、申し訳なさと深い哀しみを感じます。 ただし著者が、非道な行いをしていたのは収容所にいた警官たちであり、すべての日本人が非道である訳ではないことを認識し、親しんだ人々への愛情を持ち続けたことに、救われる気持ちがします。 オカアチャンと呼び親しんでいた乳母の存在、収容場所が廣済寺に移されてから友だちになった住職の孫娘、温かだった農家の人たちとのエピソードは印象的です。 日本においてもこうした事実があったこと、その事実が少女の視点から語られることにについて、深く感じるところがあります。 日本における外国人の強制収容もまた、埋もれてはならない、忘れてはいけない歴史的事実だと思います。 |