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1.日の名残り 3.夜想曲集 4.忘れられた巨人 5.クララとお日さま |
「日の名残り」 ★★☆ ブッカー賞 |
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1990年07月
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英国の有名な邸宅“ダーリントン・ホール”の老執事が、かつて心を一つにして働いていた元女中頭の女性に会いに、美しい田園風景の中を自動車旅に出かけます。 その旅の過程で、長年仕えた主人への思い出や執事として仕えた日々が語られるという、回想を主としたストーリィ。 主人公であるミスター・スティーブンスの第一人称による語らいの中に、古き良き時代の英国の姿が静かに浮かび上がってくるところが本作品の魅力です。 敬慕すべき主人がいて、それに仕える忠実な執事、そして家の中を取り仕切る女中頭がいる。英国の貴族が貴族たり得たのは、本人の気質だけでなくこうした執事や女中頭がいてのことと、つくづく感じます。いかにも英国らしい英国の姿が描かれていて、英文学ファンとしてはとても嬉しい。 私が本作品に魅力を感じるのは、過去だけでなく、現在と未来にも繋がっているストーリィだからです。 こうした如何にも英国らしい作品を、今や英国人であるとはいえ日本に生まれたイシグロ氏が書いたということが不思議に思えます。でも、そうしたイシグロ氏だからこそ見えた英国の姿かもしれません。 |
※映画化 → 「日の名残り」
「わたしを離さないで」 ★★★ |
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主人公のキャシー・Hは31歳。優秀な“介護人”として、もう11年以上働き続けています。 仕事は、“提供者”の介護をすること。キャシーが介護した中には、かつての親友ルースやトミーもいます。 本書はそのキャシーが、ルースやトミーと共に子供時代から青春時代までを送った施設ヘールシャムでの思い出、その後に移ったコテージ、介護人となってから再会したルースとトミーとの思い出を三部構成で語るというストーリィです。 ヘールシャムという施設、そして提供者、介護人という言葉の意味が本ストーリィを解く鍵のひとつになるのですが、読んでいてそれはあまり気になりません。 |
※映画化 → 「わたしを離さないで」
「夜想曲集−音楽と夕暮れをめぐる五つの物語−」 ★★ |
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2011年02月
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本書全体を、5楽章からなる一曲、あるいは五曲を収めたアルバム、に見立てた短篇集。
各篇の舞台はベネチア、ロンドン、ハリウッド等々と世界の各地におよび、主人公が音楽家あるいは音楽好きである以外は様々に異なるストーリィなのですが、読み進んでいくと最後に人生の黄昏という風合いが見えてくるところに共通点があり、その辺りが面白い。 上記2篇の他でも、思いも寄らない局面が突如として霧を払うかのように姿を現わします。そこに苦味もあれば、それが人生というものかもしれないと、長く続く時間の流れを感じもする。 なお、「モールバンヒルズ」は共に音楽家である夫婦の話、「夜想曲」は病院を舞台にした愉快なドタバタ劇、「チェリスト」はチェロの大家だと自称する年上の女性と若きチェリストとの不思議な邂逅を描いた篇。 老歌手/降っても晴れても/モールバンヒルズ/夜想曲/チェリスト |
4. | |
「忘れられた巨人」 ★★☆ |
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2017年10月
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舞台は、アーサー王亡き後、6世紀頃のイングランド。 小さな村に住むブリトン人の老夫婦が、然程遠くない村に住んでいる息子を訪ねるため旅立つ、というストーリィ。 離れた村に住む息子を老夫婦が訪ねていくロードノベル的なストーリィと思っていたので、少々困惑した処があります。 アーサー王自体がもう伝説上の人物であるうえに、怪物や雌竜、さらに年老いた元円卓の騎士まで登場するのですから。 主人公の老夫婦はアクセルとベアトリス。息子を訪ねていこうというのに、その息子に関する記憶が2人共はっきりしない様子なのです。どうもこの世界を覆う霧が人間の記憶をおぼろげにしているらしい。 さらにアーサー王によって一旦和平がもたらされたものの、王亡き後のこの時代、ブリトン人とサクソン人の関係は再び安定を欠く状態になっているらしい。 おまけに怪物や竜といった存在もあるのですから、とても現代のような安心できる旅など確信できる訳もなく、老夫婦の旅は危険を孕んだ、冒険行と言うに相応しい。 という訳で本作品は、記憶と忘却を題材にし、アーサー王物語を踏まえた、老夫婦による古時代の冒険ストーリィ。 老夫婦の地味な冒険とはいえ、ストーリィにはどんどん引き込まれます、目を離すことのできない面白さあり。 本作品においてはサクソン人とブリトン人がかつて抗争関係にあったことが語られていますが、“忘却”とは平和に資するものなのでしょうか。 つい現在の日韓・日中関係を考えてしまうのですが、どうあろうとやはり“記憶”は重要であり、今後の為にも忘却されることがあってはならないと思います。 もうひとつ取上げるべきことは、冒険行を通して鮮明に浮かび上がってくるアクセルとベアトリスの夫婦愛。この2人も過去には色々な問題があったようですが、現在は離れ離れになるようなことがあってはならない、いつもしっかり繋がり合っていようという2人の強い気持ちが印象的です。 本冒険物語の主眼は、この2人の夫婦愛を謳い上げることにあるのではないか。そうした関係が確かに在ってこそ、信頼し合える人間関係も広げていくことができる、本作品からはそんなメッセージを受け取った気がします。 第一部/第二部/第三部/第四部 |
5. | |
「クララとお日さま」 ★★☆ |
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2023年07月
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冒頭、B2型のAF(人工親友)であるクララは、毎日のように店のショッピングウインドーに立ち、客を待つ日々。しかし、客たちは次世代のB3型AFを求めることが多い。 それでも基本的なエネルギー源が太陽光であるクララにとって、神様のように崇拝するお日さまと毎日向かい合えるのは幸せなこと。 そんなクララを求めたのは、病弱な少女ジョジーとその母親。 優れた観察力を持ち、よく気づいて学ぶと評されるAF=クララの視点から、ジョジーとその周囲の人々を描いた長編小説。 本作は単に、アンドロイドと人間の少女の間の友情を描いたストーリィではありません。 ジョジーが幸福になるためなら何でもしようと無私の友情を捧げるクララに比較して、ジョジーやその母親クリシー、親友リックらの思いは一人一人様々であり、人間特有に複雑。 深く抉れば、人間の心の奥底には結局エゴが潜んでいる、ということに気づかされます。 最終場面、ジョジーの病状を良くしたいと賢明にお日さまに祈り続けてきたクララに対し、ジョジーらが取った扱いは・・・。 人間の身勝手さに比較して、クララという存在は余りに善性であり、AFは人間を超える存在になりうるのか、と思うのですが、本作に篭められたメッセージはそのことなのか。 いや、人間とAFは何が違うのか、データさえ移行AFは人間たりうることができるのか。 クララの最後の言葉に含まれたその問題こそが、本作が投げかけているテーマだと思います。 |