カズオ・イシグロ作品のページ


Kazuo Ishiguro  1954年長崎県生。5歳の時父親の仕事の関係で家族と共に英国に渡る。同地で育ち、英国籍を取得。ケント大学卒業後イースト・アングリア大学大学院創作科に入学し、在学中より創作の道を歩み出す。82年長篇第1作「遠い山なみの光」にて王立文学協会賞、86年「浮世の画家」にてウィットブレット賞、さらに長篇第3作「日の名残り」にて英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞。2017年ノーベル文学賞を受賞。


1.
日の名残り

2.わたしを離さないで

3.夜想曲集

4.忘れられた巨人

 


   

1.

「日の名残り」 ★★☆             ブッカー賞
 
原題:"The Remains of the Day"     訳:土屋政雄


日の名残り画像

1989年発表

1990年07月
中央公論社刊


1994年01月
中公文庫

(680円+税)



2006/12/02



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英国の有名な邸宅“ダーリントン・ホール”の老執事が、かつて心を一つにして働いていた元女中頭の女性に会いに、美しい田園風景の中を自動車旅に出かけます。
その旅の過程で、長年仕えた主人への思い出や執事として仕えた日々が語られるという、回想を主としたストーリィ。
主人公であるミスター・スティーブンスの第一人称による語らいの中に、古き良き時代の英国の姿が静かに浮かび上がってくるところが本作品の魅力です。

敬慕すべき主人がいて、それに仕える忠実な執事、そして家の中を取り仕切る女中頭がいる。英国の貴族が貴族たり得たのは、本人の気質だけでなくこうした執事や女中頭がいてのことと、つくづく感じます。いかにも英国らしい英国の姿が描かれていて、英文学ファンとしてはとても嬉しい。
しかし、本作品の主人公に象徴される執事像の何と物堅く、不器用で厳(いかめ)しいことでしょう。
このスティーブンスの場合、最高の執事像を目指して品格を備えようとする余り、自制的に過ぎた観があります。じれったくもなり、やきもきもしますが、読み手がどう思うとこの主人公どうにもなりません。
その割りに、どうも本人が思う程見事に自制できているとは限らなかったらしいことが、女中頭のミス・ケントンらの言葉の中で察せられます。そこら辺りに何とも静かなユーモアが漂っているところに、本作品の気持ち良さがあります。
主人公は、敬慕する主人=ダーリントン卿に忠実に仕えることによって、国際情勢にも貢献したという自負を持っています。単なる召使と思って軽視することなかれ。そこにこそ英国社会の真骨頂とも言える見事な“執事”像があるのですから。

私が本作品に魅力を感じるのは、過去だけでなく、現在と未来にも繋がっているストーリィだからです。
ダーリントン・ホールという世界の中に籠もって暮らしてきた主人公が、おそらく何十年ぶりかであろう旅に出て、その途中様々な人と触れ合うという現在。かつての女中頭ミス・ケントン(現在はミセス・ベン)に再会することによって何かが変わるのではないかと期待をかけている未来。
その現在と未来に関わる部分も見逃せません。

こうした如何にも英国らしい作品を、今や英国人であるとはいえ日本に生まれたイシグロ氏が書いたということが不思議に思えます。でも、そうしたイシグロ氏だからこそ見えた英国の姿かもしれません。

 ※映画化 → 日の名残り

     

2.

「わたしを離さないで」 ★★★
 
原題:"Never Let Me Go"     訳:土屋政雄


わたしを離さないで画像

2005年発表

2006年04月
早川書房刊

(1800円+税)



2007/02/27



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主人公のキャシー・Hは31歳。優秀な“介護人”として、もう11年以上働き続けています。
仕事は、“提供者”の介護をすること。キャシーが介護した中には、かつての親友ルースやトミーもいます。
本書はそのキャシーが、ルースやトミーと共に子供時代から青春時代までを送った施設ヘールシャムでの思い出、その後に移ったコテージ、介護人となってから再会したルースとトミーとの思い出を三部構成で語るというストーリィです。

ヘールシャムという施設、そして提供者、介護人という言葉の意味が本ストーリィを解く鍵のひとつになるのですが、読んでいてそれはあまり気になりません。
淡々とした語り口、一歩一歩丁寧にキャシー、ルース、トミー、そしてヘールシャム等での出来事が語られていくのを読んでいくこと自体に、安らかな喜びを覚えます。
長篇作ともなるとつい読み急いでしまうのが、私にはいつものこと。しかし、本作品にはそれを許さない抑制された語りがあり、読み手もそれに呼応して自然とゆっくり読み進んでいくことになります。その充実感は普通なかなか得られないものです。「その日の名残り」でもそうですが、そんな味わいがイシグロ作品の素晴らしいところだと思います。
キャシーや彼女の仲間たちが置かれている社会背景は、徐々に明らかにされていきます。その衝撃度は読む人によって違うと思いますが、その是非は別にして、本書が静かに読むことの喜びを存分に味わわせてくれる素晴らしい作品であることに、何の疑いもありません。
(以下↓ネタバレなのでご注意ください)

帚木蓬生「臓器農場」を読み、映画「アイランド」を観たことがある故に、本書の舞台背景はすぐ察することができました。

     

3.

「夜想曲集−音楽と夕暮れをめぐる五つの物語− ★★
 
原題:"Nocturnes;Five Stories of Music and Nightfall"   訳:土屋政雄


夜想曲集画像

2009年発表

2009年06月
早川書房刊

(1600円+税)

2011年02月
ハヤカワ文庫化



2009/07/01



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本書全体を、5楽章からなる一曲、あるいは五曲を収めたアルバム、に見立てた短篇集。

各篇の舞台はベネチア、ロンドン、ハリウッド等々と世界の各地におよび、主人公が音楽家あるいは音楽好きである以外は様々に異なるストーリィなのですが、読み進んでいくと最後に人生の黄昏という風合いが見えてくるところに共通点があり、その辺りが面白い。
とくに冒頭の「老歌手」。ギタリストである主人公がベネチアで出会ったのは、母親がファンだったかつての大歌手。
長年連れ添った愛する妻へ、ゴンドラに乗って窓辺に近寄りセレナーデを捧げたいという老歌手の計画に伴奏を引き受けますが、その彼の胸の内にある思いを聞いて愕然とするのは、主人公以上に読者でしょう。
哀感漂う「老歌手」から一転、ニール・サイモン的なドタバタ喜劇を見せるのが「降っても晴れても」。亀裂の生じた夫婦関係の修復のため親友が主人公に期待した役割に気づいたとき、またもや主人公以上に読者が愕然とさせられてしまうのですから、何ともはや。
本短篇集におけるカズオ・イシグロさん、相当に曲者ぶりを発揮しています。
その分本書は、深い味わいとか感動を味わうというより、楽しんで読めるというところに魅力があります。

上記2篇の他でも、思いも寄らない局面が突如として霧を払うかのように姿を現わします。そこに苦味もあれば、それが人生というものかもしれないと、長く続く時間の流れを感じもする。
「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」という副題が、いかに似つかわしいものであるかと、イシグロさんの上手さに感心することしきりです。
この味わいの良さ、それらを楽しむことのできることが嬉しい。

なお、「モールバンヒルズ」は共に音楽家である夫婦の話、「夜想曲」は病院を舞台にした愉快なドタバタ劇、「チェリスト」はチェロの大家だと自称する年上の女性と若きチェリストとの不思議な邂逅を描いた篇。

老歌手/降っても晴れても/モールバンヒルズ/夜想曲/チェリスト

     

4.

「忘れられた巨人」 ★★☆
 
原題:"The Buried Giant"     訳:土屋政雄


忘れられた巨人

2015年発表

2015年04月
早川書房刊

(1900円+税)

2017年10月
ハヤカワ文庫化



2015/05/27



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舞台は、アーサー王亡き後、6世紀頃のイングランド。
小さな村に住む
ブリトン人の老夫婦が、然程遠くない村に住んでいる息子を訪ねるため旅立つ、というストーリィ。

離れた村に住む息子を老夫婦が訪ねていくロードノベル的なストーリィと思っていたので、少々困惑した処があります。
アーサー王自体がもう伝説上の人物であるうえに、怪物や雌竜、さらに年老いた元円卓の騎士まで登場するのですから。

主人公の老夫婦は
アクセルベアトリス。息子を訪ねていこうというのに、その息子に関する記憶が2人共はっきりしない様子なのです。どうもこの世界を覆う霧が人間の記憶をおぼろげにしているらしい。
さらにアーサー王によって一旦和平がもたらされたものの、王亡き後のこの時代、ブリトン人と
サクソン人の関係は再び安定を欠く状態になっているらしい。
おまけに怪物や竜といった存在もあるのですから、とても現代のような安心できる旅など確信できる訳もなく、老夫婦の旅は危険を孕んだ、冒険行と言うに相応しい。
という訳で本作品は、記憶と忘却を題材にし、アーサー王物語を踏まえた、老夫婦による古時代の冒険ストーリィ。
老夫婦の地味な冒険とはいえ、ストーリィにはどんどん引き込まれます、目を離すことのできない面白さあり。

本作品においてはサクソン人とブリトン人がかつて抗争関係にあったことが語られていますが、“忘却”とは平和に資するものなのでしょうか。
つい現在の日韓・日中関係を考えてしまうのですが、どうあろうとやはり“記憶”は重要であり、今後の為にも忘却されることがあってはならないと思います。
もうひとつ取上げるべきことは、冒険行を通して鮮明に浮かび上がってくるアクセルとベアトリスの夫婦愛。この2人も過去には色々な問題があったようですが、現在は離れ離れになるようなことがあってはならない、いつもしっかり繋がり合っていようという2人の強い気持ちが印象的です。
本冒険物語の主眼は、この2人の夫婦愛を謳い上げることにあるのではないか。そうした関係が確かに在ってこそ、信頼し合える人間関係も広げていくことができる、本作品からはそんなメッセージを受け取った気がします。

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