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●「ふくろう女の美容室」● ★★ |
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2008年07月
2008/08/14
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何かを失ったことの寂寥感。それを自ら埋めるように心ないことをしてしまうことが人にはあるもの。 それを責めることなく、それでいいんだと労わってくれるような優しさがギャラガーの作品には感じられます。 そんなギャラガー作品の味わい、すぐにはつかめませんでした。どういうストーリィなのかよく分からないまま、あっさり終わってしまうところがありますので(短篇小説にはそんなこと、よくありますよね)。
「ふくろう女の美容室」、冒頭の表題作の雰囲気にまず魅せられます。 亡夫レイモンド・カーヴァー「大聖堂」と対を成すという、盲人の客とある夫婦の一晩を描いた作品が「キャンプファイヤーに降る雨」。 「仏のまなざし」、題名から我々に日本人が感じるイメージと、主人公である米国人女性の受け留め方の違い、題名と実際のストーリィのギャップがことの外面白く読める一篇です。他の篇と異なり、直接的ないい争いがあるところが、判り易い。 エッセイは、各々自身の母親、父親について語った2篇。 ふくろう女の美容室/むかし、そんな奴がいた/生きものたち/石の箱/来る者と去る者/マイガン/ウッドリフさんのネクタイ/キャンプファイヤーに降る雨/仏のまなざし/祈る女 |