● 私のオースティン観

オースティンの作品は、何度読んでも飽きるということがありません。それは、作品内容の普遍性にあると思います。
作品に共通するストーリィは結婚。結婚相手探し問題は、現在においては当時程ではないにしろ、重大な問題であることに変わりはないでしょう。シングル・ライフを選ぶ人が増えているからといって、 殆どの男女は今なお結婚という関係構築をしているのですから。

また、オースティン作品のもうひとつの魅力は、その登場人物にあります。登場人物の殆どは今なおどこにでもいるような人物であり、とても生き生きした存在感があります。ディケンズ作品においても登場人物の面白さはその魅力のひとつですが、ディケンズの登場人物はいずれもかなり戯画化されています。したがって、ミコーバーとか、ユライア・ヒープとか、ジングルとかの人物は、ディケンズ世界でしか存在しない人物と言えます。それに対して、オースティン作品の登場人物は、そのまま小説から抜け出して今そこに現れても、何の不思議もありません。
完全な善人もいないし、完全な悪人もいません。主人公だからといって欠点がないわけではなく、
エリザベス・ベネット、エマ・ウッドハウス、ファニー・プライス等いずれもそれなりに欠点はもっているのです。一方、ダーシーの叔母であるド・バーグ夫人にしろ、コリンズ牧師等の嫌われ役にしろ、どことなく愛敬を備えていて、その存在を否定する気には到底なりません。彼らのような人間もいるからこそこの世の中は面白いといった風があります。
こうしたオースティンの魅力は時代にとらわれるところがありません。だからこそ、今なおオースティン作品を読んでも登場人物たちは生き生きしていると感じられますし、そのストーリィは身近な出来事として、親しみをもって読めるのです。

上記のような魅力ある作品を生み出したジェイン・オースティンというのは、どういう婦人だったのか、というのが誰しも興味をいだくところでしょう。
一度は恋愛ごともあったようですが、独身のまま生涯を過ごした女性です。しかし、観察力が鋭く、また機知も相当に備えた女性だっただろうと思います。そうでなければ、一家庭婦人があれほど優れた文学作品を幾つも生み出したとは、とても思えません。
オースティン作品の登場人物を思い浮かべると、性格、人物イメージとも、
「自負と偏見」エリザベス・ベネットがオースティンの実像に一番近いような気がします。もちろん、オースティン作品の主人公の中でエリザベスが一番魅力に富んでいること、また、私の一番好きな登場人物ということもあります。

オースティン作品は、何度読んでもその面白さが目減りするということがありません。ストーリィ展開のテンポの良さ、人物描写の面白さ、誰の興味も惹くストーリィ。そして、そのストーリィに不自然さや無理がないこと、現実感をしっかり備えていることが、その魅力の理由です。

イギリスでは、未だにオースティンと
ブロンテ姉妹の人気が高いそうですし、英文学におけるオースティンの存在が大きなものであることは、間違いないことです。また、日本においても、夏目漱石がオースティンから“則天去私”という大きな 影響を受けています。
オースティンのどの作品をとってもすこぶる面白い、ということが一番重要なことなのですが、それにも係わらずオースティン作品がまとめて刊行されていないのは寂しい限りです。私にしても、一応長編全作品を読んでいますけれど、各社の世界文学全集を読み漁ってのこと。絶版のままの作品もありますし、文庫となると本当に一部作品だけ。
オースティン作品がもっと手軽に読めるようになれば、世界文学名作への興味ももっと高まるに違いないと、いつも思うのです。

  


 

to Top Page      to お薦め作家 Index     Back to Austen