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2018年10月7日(日)
逢かなり多賀城 社の市場→多賀城→塩釜神社→志波彦神社→塩釜神社博物館→すし哲→御釜神社→太田味噌醤油店→名菓志ほがま→大崎八幡宮→いろり酒場たら福→ドーミーイン仙台泊 |
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すし哲のおじさんは多賀城に行ってきたというととても珍しがってくれた。司馬さんの足跡を巡る旅をしていると時々こういうことがある。その土地の観光コ―スからはずれて、人の少ないこういう場所を訪れている自分がとても好きである。 政庁の建物も伽藍もない。でも、遙かこの地に来た古代人や芭蕉や司馬さんがここにやってきて、同じ青空や柱の残りこのようなミュチュアを見たことを想うとゆったりとした気持ちになるのだ。 (街道をゆくより) 多賀城とは、その名称をとなえるだけで思いが茫々となる。・・・それらの遺跡のすべては台上にある。東方に、海がひろがっている。地形は波のようにうねっていて仏の胸のような丘と丘のはざまに古官道が縫い,遺跡の丘に似合うものは、雲だけである。 |
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| グローバルというここ最近使われはじめて、日本や世界の結びつきが強くなったと思われているのは、何か違うのではないか。奈良朝の頃からあるこの多賀城碑は、今のこの風潮を笑い飛ばしているように思える。遠い京や大陸にあこがれ、その地を想う心は現代人より純粋で強い気持ちを持っていたに違いない。 (街道をゆくより) のぼってゆくと、辻堂のような小さな堂宇があった。外から格子ごしにのぞくと、なかに有名な「多賀城碑」がおさまっていた。奈良朝のころ建てられとされる古碑である。 ・・・ 京ヲ去ル一千五千里 蝦夷国界ヲ去ル一百廿里・・・ 靺鞨(まつかつ)国ヲ去ル三千里 |
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多賀城をあとにして塩釜に行った。 塩釜神社は、山上にある。山頂の隆起を削って、本殿その他の殿舍が建てられているのである。・・・ 丘の上の社殿のいくつかを見ながら、桃山風が、時の流れの沈降速度のなかでいいぐあいにかたまっているという感じがした。この社殿は、政宗の代のものではない。四代綱村から五代吉村までの九年の歳月のなかで造営されたものである。・・・この丘の社殿は、いかにも江戸期の工匠のしごとらしく、優等生の作品を思わせ、造形上の飛翔やはねっかえりはいささかもまい。 |
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