Travel Graphic/ASIAT0/In the world
Paris/France
2008/12
パリ大学の多くの学院(コレージュ)のなかでも、ザビィエルのいた聖バルブ学院は もっとも有力なもののひとつだった。・・・
私どもは、デスコ通り、シャルティエール通りなどの古く狭く閑静な敷石の道に立った。
そこに聖バルブ学院があった。
「街道をゆく22 南蛮のみちT」司馬遼太郎著


聖バルブ学院で学んでいたザビィエルが歩いた道は人通りが少なかった。
彼が入学した1525年から約480年。司馬さんがその石壁の金版をみた1982年から約25年。
日本を強く意識し、日本に大きな影響を与えた二人が歩いた場所。ルーブルやオルセーやベルサイユにはいた多くいた日本人はそこにはいない。
ガイドブックにも載っていないその場所にこれたことで、全く足元にも及ばない私だが、少し、ほんの少し、二人に近づけた気がした。
なおも、ザヴィエルが歩いたであろう辻に立っているうちに、辻の角に蔦におおわれた古い民間がザヴィエルの時代からのもののように思われてきた。
…小さく活字体でRestaurantと書かれていて…店の名前は「キャベツの箱」だった。… 「街道をゆく22 南蛮のみちT」司馬遼太郎


聖バルブ学院を見つけるのも苦労していたので、このレストランを見つけることは、半ばあきらめていた。
あてずっぽうに街のほうに歩き、見つかったら儲けもの、と石畳の道をうろうろしていたら、また不思議なことにそれらしい店の前に出た。
開店はしていたが、中に入る勇気を持たず、記念撮影だけさせてもらった。
私どもはパリにおけるザヴィエルの青春の痕跡をなおも訪ね歩いている。 -期末テストを受けた試験場も残っています。・・・
ともかくも街中の小さな公園の裏に出た。そこには古風な教会がうずくまっていた。
山砦のように素朴に石積みされた壁をもつ建物で、外観に装飾的な彫刻などはない。
ザヴィエルの当時、この教会は、サン・ジュルエル・ル・ヴーウルを呼ばれていて・・・ 「街道をゆく22 南蛮のみちT」司馬遼太郎著


教会はかろうじて、ガイドブックの地図の上に名前だけ載っていて、地図と道を交互に見ながら、夕暮れのパリ、カルチェラタンを歩く。
大きな通りには若者があふれているが、少し路地に入ると人は少ない。突然、古ぼけた一角があり、表に回るとその教会だった。
中ではミサをおこなっているようであったが、入れてはくれなかった。

次へ
海外編TOPへ戻る
TOPへ戻る
Copyright (c) Ko Ito