Travel Graphic/ASIAT0/In the world
Paris/France
2008/12
このあと、私どもはモンマルトルの丘にのぼった。この丘は、ザビィエルの青春の痕跡のなかでも、 もっとも重要な場所のひとつである。・・・・・・
かれは・・・ロヨラ以下六人の同士とともに登った。イエズス会結成の誓いをするためだった。
・・現在、サクレ・クール寺院が建つのは・・・現代建築工法が開発されてからのことで・・。 ・・そのあと、七人は・・・さらにパリ市街を見下ろす見晴らしのいい場所に出、腰をおろして持参の 昼食を摂った。
「街道をゆく22 南蛮のみちT」司馬遼太郎著


モンマルトルへ行くときも、ザビィエルがイエズス会結成の誓いをしたという修道院を見つけることに 大きな期待をいだいてはいなかった。
この旅の美術館で見た絵を描いた画家たちがいた場所を感じれること、 そして、ザビィエルが昼食をとりながら、みたパリの風景を見れればいいと思っていた。
サクレ・クール寺院では、たくさんの、それも、モンマルトルらしからぬ多くの民族の人たちで ごった返していた。
ゲオルグ・シュールハンマーによれば、ロヨラやザビィエルら七人は朝、聖バルブ学院をでた、という。
その経路は、ノートルダム寺院のわきを通り、中央市場を抜け、市の城門をくぐり出た。 「街道をゆく22 南蛮のみちT」司馬遼太郎)


モンマルトルからノートルダム寺院までは、すこし距離がある。時間に余裕のない私たちは、地下鉄に乗り、 寺院や、パリ市庁舎のあるシテ島に最終日の前の晩、やっとやってきた。
パリの真ん中のこの地域では、夕方にもかかわらず人が多い。市庁舎前はスケートリンクになっていて、 日本では考えられない官公庁の建物のライトアップを見ることができた。
この界隈の市街は、おそらく十九世紀末に形成されたと思われる。・・・付属する礼拝堂がのこっているはずもなかった。
が、その該当する地点まで路傍にそれらしい石積みの建物が存在していた。三角屋根の尖塔をあげ、塔や飾りの破風に十字架をつけた 建物は、どうみても教会だった。
「街道をゆく22 南蛮のみちT」司馬遼太郎)




サン・ドニ礼拝堂はもちろん、現代のガイドブックにはのっていない。モンマルトルの丘の階段をくだり、知ってる人はいないだろうと 思いながら、何人かにしらないか聞いてみた。周りの店のウィンドウショッピングの合間に、この人に聞いて知らなかったら帰ろうと思って 聞いたクレイプ屋さんのお姉さんが以外にあっさり、教えてくれた。建物は、朝日ビジュアルシリーズの載っているものと同じで、この旅の不思議な縁に感動して何枚も写真をとってしまった。
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